1999年9月10日         労働者の力                第114号
コミュニケ
       第十一回総会開催について
                             国際主義労働者全国協議会

 国際主義労働者全国協議会は八月、**において第十一回総会を開催した。議題は次の通り。()内は報告者。
 @環境社会主義とトロツキズム(高木圭)
 A政治情勢と当面の課題(川端康夫)
 B労働運動の課題(坂本次郎)
 C組織・財政
 D他 
 
 以上の報告は、それぞれ現代社会主義、政治闘争、労働運動の視点から共通に、国際的、国内的な社会主義運動とその主体を再形成する展望と道筋を探ろうとするものであった。
 高木報告はソ連・東欧型「社会主義」崩壊後の時代をふまえつつ、現代資本主義の最新イデオロギーとしての新自由主義に対するオルタナティブを「環境社会主義」として提起した。その主体形成の闘いとして、とりわけヨーロッパ労働運動、ブラジルPTの運動を学ぶ必要性を強調した。
 川端は五五年体制型左翼運動の解体と自自公連立の状況における左派主体形成の位置と性格を、とりわけ「周辺事態法と有事法制」の段階において新たな東アジア的視点でとらえ直す必要性を強調した。
 坂本は急速に進みつつある労働市場の変化と大量失業時代への突入という性格を規定し、企業の枠組みを越える労働運動への展望を踏まえつつ、反失業闘争を国際的な広がりで展開する必要性を提起し、具体的には来年の沖縄サミットを国内のみならず国際的な結節点として位置づける必要性を強調した。
 第十一回総会での主要な論点は、各報告をつらぬいた視点である、左派戦線の再結集とその方向性を「政党」として展望するという問題意識をめぐるものに収れんされた。
 高木報告は、一方における「エコロジズム+フェミニズム」、他方における、極度の緊張を強いる「リスク社会」の到来において、労働運動と市民運動の結合、労働政策と環境主義の結合を求める必要性を提起した。川端は、現段階における労働運動の拡散状況が生み出している結果としての市民運動や環境運動の「独立的」結合という現実は無視できないと提起した。坂本は、労働者運動の反失業・政府闘争を含んだ新たな発展が、そうした分散状況を克服する基盤を与え、労働者運動を軸とする政治勢力形成の展望を生み出す、と提起した。
 討論は、
 @社会党・総評ブロック崩壊の最終過程が進行しつつあると同時に、連合と民主党のブロックにも連合結成以来十年を経て重大な矛盾が生まれ、
 Aいわば膨大な政治的空白が生じつつあるという現実に対して、新しい政治勢力を新しい民衆的政党として登場させていく方向性を必要とし、
 Bその政治的な枠組みが従来型の政治視点の延長ではなく、新しい東アジア関係、新しい労働関係、そして新しいマルクス主義の視点によって組み立てられるべきであり、とりわけ現代資本主義の特質を見極める必要性があり、
 C諸方面における様々な取り組みや問題設定に呼応・協力すると同時に、労働者運動の新しい活性化のエネルギーを軸とする左派、左派政党形成の方向をめざす、
と集約された。
 また大衆運動をめぐる討論は、来年度の沖縄サミットへの取り組みを中心に行われ、全面的な取り組みを準備することが確認された。
 
 本号では川端報告を掲載する。発表に当たって若干加筆している。
 

政治情勢と当面の課題 

 


1、自自公連立路線の特徴

 @公明党が自民党へ接近しているのは、およそこの二〇年間を通じて着実に発展してきたものの表現である。社公民路線から自民党との提携へ公明党が転換したのは、地方自治体における自公路線の定着を基礎にしており、その基本性格は利権への接近である。
 創価学会自身も政権への接近には賛成であり、そのことは細川連立内閣の際にあらわれた。今や上層部においては、竹入路線(社公民)的なものの名残りはほとんどないと思われる。
 A小沢的「改革」路線は、バブル経済の崩壊とともに橋本が表現した大衆収奪路線へと客観的には行きつく。現在の宮沢財政の大盤振る舞いは早晩極度の財政危機となり、大衆収奪構造への転化は避けられない。公明党の掲げる「政策実現」は少なくなるパイの争奪戦への参入にほかならない。国家、地方財政危機の深化はますますこうした利権路線への接近に拍車をかけるであろう。創価学会―公明党のつくってきた「会員の互助会」的あり方は今や利権介入の互助会となりつつある。
 B選挙制度をめぐる自由党の主張は、国会における多数派支配をより確実なものとする意図から出てきている。言いかえれば、国家機構の「民意からの超然化」を進める方策であり、一方における内務省支配型権力構造を軍事を含めて機動的・機能的につくるための「国会改革」である。
 C少数政党の「撲滅」を通じて安定的政府体制を永続化させようとする小沢流は、ブルジョア勢力も支持するものである。その権力臭、国家主義的臭いは民衆の大多数の反感を買うとはいえ、他方にはその国家主義的性格にひきつけられる層もある。自民党はその政策を取り込みつつブルジョア勢力の意向を体現しようとしている。
 D少数政党としての公明党の位置、利権獲得競争へ参入しようとする路線は、しかしながら大連合政党の有力な一部(新進党的なもの)か、あるいは連立政権時代の継続か、いずれでしか功を奏さない。しかもそのどちらにしても、巨大政党の登場ということとは利害が反する。
 Eしたがって、衆院はともかくも参院の現在的性格を維持することは最低限譲れず、衆院においても議席の浮動性を低めることは利害が一致しない。いずれにせよ自由党型の提言は長期的には自民党の採用するところであるが、当面は自自公路線を成立させるための華々しい舞台上のやりとり以上は出ないことになろう。
 自自公路線以外には自由党は出番がないからである。全野党共闘の夢はすでに崩壊しているから、自民党が公明党との関係を優先したとしても、あるいは自由党が閣内から離脱したとしても、大枠においては自自公関係には変化はない。
 F「朝鮮有事」を射程に入れ、それを媒介に米日軍事同盟関係を深化させ、対中国を視野に入れた政治構造が当面の自自公路線に求められるものである。そのもとに「普通の国家」化が展望され、同時に消費税の大幅な引き上げと社会保障の削減とが並行して進められる時代がくるのである。
 G同時に高度成長からバブル期を通じてつくられてきた「中流意識」の基礎が揺らぐ時代に入った。労働構造を意識的に転換させようとする攻勢はとまらない。これまでの伝統的な労働時間概念の解体、ベース賃金制度の解体という趨勢は、おそらくは再び特異な「日本型経営」というものを生み出すことになる。そして、ここにあらわれるのは企業連型労組の力量的衰退という歴史的趨勢でもある。
 H企業連型巨大組合の社会的力量は明らかに衰退している。不安定雇用労働市場の形成に伴う低賃金構造、賃金格差の加速度的拡大に対して連合はほとんど無力である。「外部労働市場」はその外部としての自立的力量をもつ以外にない。つまり、ここに労働者運動にとっての「新しい政治」の基盤がある。

2、コソボの衝撃

 @バルカン、旧ユーゴへのNATOの介入、コソボへの空爆実施はヨーロッパ社会にとっては極めて大きな衝撃となった。NATO諸国は民族紛争の強制的調停者として登場し、その圧倒的軍事力行使に正当性を与えようとした。社民・緑政権はイギリスのブレア、フランスの緑を先頭に雪崩を打った。
 Aドイツの緑の内部分裂、イタリアにおける共産主義再建党やインターナショナルおよびトロツキスト潮流の反空爆の闘いは、この雪崩に抗する極の存在を示した。ヨーロッパ議会(象徴的な意味しか持たないが)のフランス選挙区におけるLO―LCR連合の議席獲得は、反失業闘争の蓄積を表現するが、同時にコソボ介入反対の流れを背景にしたものである。
 B最低三つの面から問題をとらえる必要がある。第一は、国連とNATO型の問題である。第二は、限定戦争というもののハイテク化とそれが及ぼす「平時と戦時」の限りない一体化の構造である。そして第三はヨーロッパの社民、緑、そして(旧)共産党勢力の政治的あり方の問題である。
 Cアメリカは明らかに国連以外の多国籍軍方式をさらに磨きあげようとしている。それはアジアに当然に波及する。朝鮮半島、台湾海峡にとどまらず、チベット、新彊ウイグル地域という問題があり、印・パ問題があり、そして南沙・西沙問題があり、およそアジアに問題はつきない。東ティモール問題はまさにホットである。
 旧ソ連が抱える問題も無限であり、それはアジアと無関係とはいえない。米日韓関係をはじめ東アジアにおける「多国籍軍」構造への関心は強まることはあれ薄れることはあるまい。それが日本における有事法制への道の底にある。
 D自自公のもとに進められてきた一連の政策強行の性格はどうか。「侵略国家」化の道なのかどうか。広義の意味でそのことに間違いはないとしても、「侵略」が旧帝国主義時代と同じとしてあらわれるわけはない。「強制調停」としての軍事力介入の発動であり、それが第七艦隊の軍事力を中心に展開されるのである。ハイテク戦争は日常的な平和維持行動とされる。ここに平時と戦時との差異が限りなく失われていく要因が含まれる。
 Eヨーロッパ社民・緑、そしてフランスの(旧)共産党勢力の転落の基礎はパックス・ユーロの概念であろう。東アジアにおいてそれがすぐに現実化することはないが、しかし平和維持機能という概念は麻酔薬的な効能をもっていることはすでに明らかである。民主党は当然だが、社民党も村山政権を通過した以上は危うさがある。不破共産党はその事態に備え始めているようにみえる。つまりは日米安保体制―多国籍軍機能への軟着陸の準備が始まっているとみていい。
 F中国は東アジア外交の積極的イメージをもっていない。アジアについては守勢である。江沢民は国境線の維持に汲々としている。開放経済のなかにあって「和平演変」阻止がいつまで可能なのか、当事者もわかるまい。この権力の「天安門事件型の構造」は今のところ変わりようがない。
 北部朝鮮は国家体制防衛の意志だけである。「一党独裁政治」システムの解体が帝国主義の基本政策であるとすれば、そしてそれ(独裁政治)が民衆に魅力を持たせないものであるならば、これらの諸国が積極的な外交路線を展開するという可能性は少ない。
 G伝統的な右翼政治やボナパルティズム的な政治色彩(石原的な)が不断につきまとうことはあれ、むしろ彼らの憲法九条の突破口が、こうした平和維持、強制調停的な水路から登場してくる可能性をコソボ問題が示した。ある種の「悲壮」な護憲決戦論が次第に包囲され、掘り崩される流れをここにみるのである。
 H東アジアへの反帝国主義の政策を改めてみつけださなければならない。それは中国と北部朝鮮、ベトナムの「社会主義的民主主義」への移行、実現を同時に含んだ東アジアにおける民衆的結合の推進である。 
 
3、政党再編の続行と政治分岐

 @自自公が一方では利権獲得連合であると同時に、中曽根の「戦後政治の総決算」、小沢の「普通の国家」の方向性を拒否しない。また民主党がブルジョアの一部と企業連組合幹部のブロックであり、そして都市型の中流意識をもつ市民層を取り込もうとするときに、旧社会党(社民党)は何を代表しようとするのだろうか。共産党は今や非自民党意識を代表する意欲に満ちている。
 A共産党の非自民意識結集の政策は、しかし得体が知れないものとなりつつある。社会民主主義化をスターリニズム的組織性格を維持しつつ成し遂げようとするということなのだろうか。これは手品、軽業的発想である。そして、そこには国際主義的性格はみられない。
 B日本における有事体制化に抗する基軸は、東アジア民衆と連帯する視点から出てくる。その国際主義の視点が自自公的、あるいは民主党の大半を含んだ議会多数派構造との本質的な対立構造の基礎になる。
 C自社対立型の時代は、世界的にも東アジア的にも東西対立の時代であった。そこにおける「特異な存在」としての日本社会党が表現したものと、西欧における社民党が表現したものは明らかに違う。後者はNATO体制のもと、それを容認した存在であり、前者はそうした枠組みに対抗しようとする意識を表現した。
 それが終了した現段階では、中国にひきつけられて成立したものとは違う、新たな反帝国主義・社会主義の立場だけが東アジアにおける政治的極を体現できる。
 D同時に戦後資本主義世界の拡大は、それが発展するメカニズムの諸要素において相当程度の限界に突き当たりつつある。それはフォーディズムの問題であり、環境問題であり、科学技術、テクノロジーの問題として噴出してきている。これらを野放図な資本論理そのもので突破しようとするネオリベラリズム(新自由主義)の展開がアメリカ帝国主義の現段階の政策である。
 この政策展開の悲惨な到達点を回避しようとする点で、政治的対抗軸が形成されてくる。ユーロ社民主義(緑、旧共産)の基盤はこのところにある。
 E以上に述べた二つの側面を統一的にとらえようとするところに改良主義ではない階級性の立場が生まれる。それはユーロではバルカン干渉反対を掲げたLO―LCRブロックに表現される。日本と東アジアにおいてもそうしたことが実現されなければならない。それは困難ではあるが、しかし何としても実現しなければならないものである。
 F日本においては、前述したように五五年体制型社会党的なものの最後の局面が訪れている。土井社民党の今の姿はまさに日没前の最後の光のようなものである。市民運動層に手をさしのべようとしてきた努力は、旧社会党時代の左派政治から脱却しようとする意欲を示したし、自社連立離脱は旧社会党的な平和主義を維持しようとするものであった。
 しかし同時に社民党は連合政治の大枠と対抗しえない。ここに限りないダッチロールが生み出される。連合政治と切れない限りにおいて土井社民党は系統性と継続性をもちえない。「解党的出直し」こそが必要なのであるが、それを求めてもしかたはない。
 G非連合的な労働運動は、その性格の転換期にさしかかりつつある。雇用形態の変化がそれを強制する。ある意味では戦後長らく求められてきた企業内組合運動からの脱却が客観的に(資本の攻勢によって)否応なしに強制されているともいえようか。労働組合の資本からの独立の方向性がはじめて本格的に求められているのである。
 こうした基盤の拡大は同時に労働者の独立的政治性の形成につながる。ヨーロッパ型賃金水準を結束の基軸にした時代が終わって以降、労働運動を貫く政治的軸心はなかった。連合をみれば明らかである。
 Hいわゆる市民運動層もこの一〇年をみれば時代の変化から無縁ではない。五〇〇人リスト運動が示したように市民運動における政治的な拡散は大きいが、いわゆる中流意識の土壌の風化はさらにこの分岐、分解をおしすすめる。ここではいかなる社会的性格の市民運動か、あるいはいかなる階級的性格の市民運動かの問いかけが不断に増殖されてくることになる。にいがた市民新党の活動家が同時にパート労働運動の地域連絡センターを兼ねるようになったことは注目されていい。
 
(以下は問題提起としての文章である。)

4、求められる政党像と水路

 @社会党・社民党の領域の衰退は急激である。前回参院選挙で新社会党は議席を失った。次期総選挙は社民党の危機をさらに加速させるだろう。小選挙区制度のもとに一方では不断に巨大政党化への圧力が働くとともに、他方では旧構造を突破しようとする新たな政党運動の動きを誘発する。
 新たな政治的共通了解枠組みを求めて社会主義政治連合は、一〇年前に一つの訴えを出した。それは活力を持った活動には結びつかなかったが、そのすべてとはいわないまでも大きな原因が「政党問題の回避」にあったことも事実である。政党問題を回避した「よびかけ」がその構成諸派、個人によって真剣に検討されるということはありそうもない。
 同時に「平和:市民」で使い果たした旧社会党左派と協同する流れが終えんしたことも、政治的空白を加速したのである。新社会党による市民派吸収の試みが最後の合図ともなった。
 Aにいがた市民新党の全国政党形成の提唱は、ローカルパーティー連合論と戦術急進主義に特徴をもつ。同時にローカルパーティー論と社民党介入との整合性もはっきりはしなかった。またローカルパーティー論は、多くの党派からみれば戦術的マヌーバー、出店的な受け止められ方であったといっていい。しかしながら、その発想には社会党・総評型政治と政党の解体を越える主体をつくろうとの意欲は読みとることはできた。
 B今、日本版グリーンの提唱がある。社民党の市民派からローカルパーティー志向の流れ、そして党派(活動家)の結合体を緑の枠組みでくくってみようという考え方である。社民党の解党的出直しがおそらくは不可能であり、その社民党市民派を含めて新政党をめざそうというのが最低の共通項となるであろう。
 ここには新しい労働者運動がみえていないという事情が反映されている。手がかりをグリーンに求めようとするのである。
 C「赤と緑の結合」はいわれはじめてから久しいが、その実現を政党として試みようというのははじめてであろう。もちろんヨーロッパの緑、とりわけフランスのレギュラシオン理論に基づく緑の党の影響もある。レギュラシオン理論はもちろんマルクス主義の一部に属する(と主張される)。階級関係の軋轢が「調整され変化する」という理解の面では改良主義的なマルクス主義である。それは特殊フランスの緑にのみ適用される理論であり、ヨーロッパ緑全般をこの理論でくくることはできない。
 しかしドイツの緑もまた社民党との連立政権に飲み込まれたことは、緑政党が原理派と分かれた緑として連立に参加したことを意味する。そして今、コソボ問題が直撃した。「無邪気」な緑運動、緑政党というのはもはやありえない。
 Dニュージーランドの連合党という新政党運動がある。これは考えやすくいえば岩井新党が成立したとして、それが社会党左派(労組)、新左翼、グリーン、フェミニズムなどを総合したものと想定できるものである。文字通り連合党である。ニュージーランド版サッチャリズムと闘う政党であり、一〇%を上下する得票率をこの五年間保ってきている。
 E岩井新党構想が理想的な姿として考えられるとすれば、こうした連合党のような左派政党であったろう。しかしその機会は逃したし、そのようなものとして生まれる土壌も日本にはなかったともいえる。「連合党」をとれば、この党はあくまでも連合党なのであり、内的・外的きしみは大きい。内的とはいってみれば「出たり入ったり」であり、外的とは各運動グループの分裂を伴っているということである。「赤と緑、フェミニズム」の連合を貫く理論的一体性はここにはみられないようである。
 F「赤と緑、フェミニズム」の結合は、第四インターナショナルの現在最大の悲願といってもいい。それを貫く理論的系統性は、努力されているが大方が納得するというところには今いちのように思う。来るべき世界大会がどのような成果をあげるか課題である。高木の「環境社会主義論」の提唱は、現代資本主義の分析を基礎とすべきという点に特質があり、これはインターナショナル総体の論議と直接に絡み合うものと思われる。
 G岩井構想や平和市民などの例は、いわば既成勢力との統一戦線戦術、あるいはおんぶにだっこ的なもので、イニシアティブは彼ら(既成勢力)にあった。そのイデオロギーは五五年体制型である。今回の緑政党構想として提起されてくるものは、基本的には自前のもの、主体的なものである。そのイデオロギーが従来と同じものであるわけはない。
 H非資本主義かどうか、緑そのものは一般には語らないが、「赤と緑の結合」は当然にも非資本主義の方向となるはずである。それが社会主義となるか、これははじめから決めてかかることはできない。オルタナティブというあいまいな空間でくくられているとみていい。社会主義が新しい姿、顔で登場する必要がある。
 Iしかし、社会主義的要素がない緑政党は今はどこにも存在していないのではないか。その社会主義がレギュラシオン的なものであれ、社会民主主義的なものであれ、あるいは革命的マルクス主義的なものであれ。つまり政党となれば、社会構造を考えなければならない。その考え方の視点に環境問題が入るのである。
 フェミニズムであれば、フェミニズムが政党として自己形成をするとなれば、社会構造の考え方、すなわち政策体系にフェミニズムの視点が入るのである。
 J社会構造への視点、つまり政策体系が環境とフェミニズムを含んで成立するときに、いいかえれば社会主義がそのようなものとして政策体系をつくりうるときに、緑政党の役割も終わることになるのではないか。つまり新しい左翼政党をつくり出そうということなのであるから、シングルイシュー的なものが望まれるわけではない。緑の原理が補助的でない自前の政党をつくりうるとは思えない。緑の要素を生かした社会主義の政党こそが求められるものである。
 K現段階における緑政党への挑戦は相当程度過渡的な色彩、あるいは諸戦線の協同という実態にかせられた名称という要素のものとして受け止めておく必要がある。ここから出発する、という手がかりの有力なものとして緑がある。今後、前述したように大衆運動においても、社会的運動においても労働運動の比重が高まる。その過程では「赤と緑、フェミニズムの結合」の政党というさらに明確な姿をとることになる。あるいはさせなければならない。
 L来世紀の早い時期に、左派政党の行く末もより明確になるだろう。その時期に対して、相変わらずの統一戦線で構えるのか、それとも新しい左派政党の創出のために闘うのかは大きな分岐となるだろう。来るべき時期を新しい左派政党のための時代として準備する(理論的、組織的、運動的)必要があると考える。
【集会案内】 
  暫定滑走路をつくらすな!大地を守れ
                       10・16三里塚東京集会
主催・三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会(準)
日時・十月十日(土)午後六時開場、九時まで
場所・労働スクエア東京ホール(元の東京勤福会館)
交通案内/地下鉄日比谷線、JR京葉線八丁堀下車2分/都営地下鉄宝町/地下鉄有楽町線新富町
参加費八〇〇円
賛同費・個人二〇〇〇円、団体五〇〇〇円
振込先/郵便振替00150―8―78628
加入者名/三里塚の土地収用を許さない首都圏行動
フランス
     革命的な欧州議会議員が誕生
                            アラン・マシュー(LCR政治局員)

革命派、各国で前進

 今年六月に行われた欧州議会選挙の結果、ヨーロッパの革命的左翼は、五人の欧州議員を擁することになった。
 革命的社会主義のLO―LCR共同候補者名簿は、五・二%の得票率(九十一万五千票)を達成した。この候補者名簿は、パリ周辺の共産党が強力な「レッドベルト」地域をはじめ、多くの労働者地域で七―一〇%の得票率を実現した。パリ、リヨン、トゥールーズ、ストラスブール、ボルドー、リールなどでは、共産党よりも高い得票率であった。
 左翼系有権者の相当数は、社会党―共産党―緑の党による連立政府よりも左に位置していた。こうした有権者がLO―LCRを支持した事実は、資本家や右翼にとってだけでなく、危機を突破しようとするのでなく、それに対処し管理しようとする左翼諸政党にとっても鮮明なシグナルである。
 すなわち、ほぼ百万人の有権者が大量失業と貧困をもたらした政策に「ノー」と言ったのである。これら有権者は、資本家のやり放題と資本主義の「論理」とに代わる新しいものを要求したのであった。
 これからの社会的な闘争は、この選挙結果を基礎とすることができる。週三十五時間制労働要求や「未登録移民」の合法化、年金削減や民営化への反対、狂牛病や環境ホルモンなど大農業企業によるヨーロッパ食糧供給における毒物問題などとの闘いは、この選挙結果を有効に利用して構築されるだろう。今後数カ月間、LO―LCRによるこれらや他の問題をめぐる闘いは、大衆的な関心をかき立てるだろう。そして、これらの運動は、「連立左翼政府」と労働者階級の願望や希望との間にあるギャップをますます多くの人に意識させていくことになるだろう。
 この良好な選挙結果にもかかわらず、力関係を左翼に有利な方向に確実に移行させたわけではない。また、今回記録した成果を今後の選挙においても実現できるという保証はない。今回の欧州議会選挙では、有権者の四七%しか投票しなかったが、こうした膨大な棄権行動は、分裂した右翼や極右政党にとって多大な問題だった。十八歳から二十五歳のグループが通常よりも多く投票した。社会党は青年票の二一%を、緑は一九%を、LO―LCRは八%を、そして共産党は四%を獲得した。
 一九九四年選挙で革命派は三・七%を記録し、一九九八年の地方自治体選挙でLO―LCRは四・五%――活動家がいる選挙区しか立候補することができなかったが――を獲得した。左翼支持者の多くが左翼政党に不満を感じて緑に投票した(九・七%の得票率)。その他の左翼支持有権者は、共産党系の候補者名簿を選択した。両党の選挙運動は、現在なお参加している連立政府とは距離を置いたものであった。
 緑の指導者、ダニエル・コーン・バンディは、(バルカンの)戦争支持の傾向があり、ネオリベラルに対しても親近感を持っているが、多くの有権者は緑の党を「よりヨーロッパ的な政党」と考えており、この党を選択することは、よりエコロジカルな行為であり、バルカン戦争参加者の中で好戦的ではない政党を支持することになると考えている。連立政府が未登録移民に居住許可証を発行することを拒否している点に抗議して緑に投票する有権者もいる。
 緑の党は政治的には右傾化しているが、自らがラジカルであり、連立政府とは距離を置いているというイメージをつくり出すことに成功している。しかし中長期的にはコーン・バンディがヨーロッパの社会リベラル的な統合計画を支持しているために、緑は従来からの親社会・反ネオリベラルのイメージとは鮮明な食い違いを見せざるを得なくなる。
 緑に投票した有権者は、ネオリベラリズムやNATOによる爆撃作戦を支持しているわけではない。日和見主義の緑の党指導者は、自らの選挙運動の中では、これらの点を注意深く目立たないようにした。
 共産党の退潮傾向は持続している。今回の結果は最悪である。同党の候補者の半数が党員ではなかった。党の委員長は、連立政府にとどまるという自分の決意とこれに対する党員や支持者の不満との間をどうにか埋めようと懸命の努力を行っている。名簿掲載の候補者には、NATO空爆への賛否両論があり、ヨーロッパ統合のマーストリヒト条約に対しても同様に賛否両論があった。
 驚くことではないが、多くの共産党活動家が党の選挙運動をボイコットするか、あるいはLO―LCR候補者名簿に投票しさえしたのであった。その他の共産党系活動家は棄権した。共産党委員長はますます構造的な問題に直面していくことになる。そして何をしようとも票を失っていく。フランス以外のヨーロッパ各国共産党と同様、「党の転換」はどうしようもない袋小路に入っていくようだ。
 フランスの主要な二大「トロツキスト」グループが選挙での支持を拡大している事実は、一九九五年の公共部門労働者の大ストライキに続く戦闘化の結果である。この期間には労働組合運動における再編が進行し、次第に弱体化、あるいは分裂の傾向が強まった。ただし、この傾向は、週三十五時間労働制や年金制度改悪反対などで大衆闘争が発展するなら、変化する。
 もちろん、一九九五年公共部門ストライキは、フランス政治の中心舞台で大きな影響を発揮した。右翼諸政党の伸長を阻止し、今なお右翼勢力の再編成を許していない。右翼の得票は確実に衰退しており、保守党と極右の諸党は分裂の結果に苦しんでいる。
 ネオリベラリズム反対の傾向は、フランス政治において持続的に基盤を拡大してきている。緑の指導者、コーン・バンディには悲しいことであるが、「フランスでは一事が万事を複雑にする」と、選挙結果が発表されたときに不満を漏らした。「一事とは一九九五年ストの後遺症である。これを越えて進む必要があり、ネオリベラリズムを拒否し、新保守主義に陥らないようにしなければならない」と。

LO―LCR

 革命的な選挙運動は、失業と社会危機に対する緊急行動綱領に関する扇動・宣伝を強化した。両組織は、わずか四千人程度のメンバーしかもたず、しかも資金力も強くない。それでも六十二の大集会を開催し、三万二千人を結集した。LCRは単独で百五十の小集会を主催した。
 報道機関がはっきりした敵意を示したが、それでも選挙運動は、新聞やテレビの取材を受けた。ただし同程度の支持を受けている類似のその他の潮流と比べると、取材の機会は少なかったが。
 LCRには新旧の支持者が集まり、一九八〇年代はじめと同じ水準にまでメンバー数を拡大(一九九四年の最低数と比べると倍加)させた。そしてかなりの数の中小都市で支部組織を確立した。LOとの共同選挙運動でもそうだったが、LCRは単独の運動を通じても、自らの存在を上昇させた。その中心的な手段は、「勤労大衆が資本主義の論理と決裂し、社会主義制度の輪郭を形成しはじめることを助けるヨーロッパ過渡的綱領」だった。
 LOとLCRとは、共同選挙運動の基礎となった協定を順守した。一定の対話と影響を及ぼすことの徴候さえあった。LOは、次第に民族問題を理解しはじめるようになり、LCRと一緒になって「NATO空爆反対!  民族浄化反対! コソボの自決権支持!」を訴えた。LCRは、こうした結果に満足している。しかし組織の指導者は、選挙運動の弱点をもはっきり自覚している。
 LO―LCRの候補者名簿は、共産党と対決することになってしまった。その原因の一部は、マスコミ報道にあるが、LOが「緊急に真の共産主義を再構築し、革命的共産党を建設する必要」を一貫して主張したことの結果でもある。LCR指導部は、「真の共産主義」という大義を掲げた革命的な政治の極に多数の左翼支持有権者が引きつけられることはないと確信していた――ほんの少数の若者を獲得できたとしても。
 われわれの反資本主義路線をより鮮明にし、信頼を獲得できるものとするためには、LOのやり方とは違った方法が必要である。選挙運動は多くの場合、「戦闘的な左翼へ、革命派へ投票しよう」というたった一つのスローガンで表現された。そんなスローガンに表現される運動をするくらいなら、失業と社会的な危機とに反対するヨーロッパ緊急行動綱領として主張している四ないし五の措置、手段をわれわれの候補者と結びつけて運動を展開した方がましだった。
 コソボ情勢は、LO―LCR候補者名簿の大衆性、大衆的な支持を減ずることになった。バルカン戦争の直接の結果として、選挙期間中、社会的な問題に関する議論は甚だしく抑制された。そして選挙運動は、NATOに反対する必要を潜在的に感じている有権者の獲得に成功しなかった(LO―LCRに投票する可能性のあった有権者の六〇%が反ミロシェビッチの介入を支持したと思われる)。
(電子版インターナショナルビューポイント誌9月号)
欧州議会選挙
         社民党の危機を反映
                              フランソア・ベルカマン

政権党の後退

 六月に行われた欧州議会選挙は、ヨーロッパ政治システムを通じて大きな衝撃波を送った。イタリアでは四政党の代表が辞任した。フランドル地方では、社会民主党系は、ファシストよりも支持率が低下してしまった。フランスでは、シャルル・ドゴールが確立した大統領制度それ自体が最終的な危機の局面に入った。
 欧州政治における大きな変動の主たる原因は、社会民主党潮流の危機にある。中道左翼と労働党がスペインとアイルランドを除くヨーロッパ各国で政権を掌握している。そして、その政権の政策が不人気であるため、これら政党の従来からの基盤で支持を失っている。
 大多数のヨーロッパ市民は、棄権を選択して投票に際して悩むようなことはなかった。しかし、その理由は決して政治的なものではない。彼らはEU(欧州連合)に満足していないが、ヨーロッパ統合の考えそれ自体に反対しているのではない。これまで社会民主党に投票していた有権者は、未だに右翼諸党支持に態度を変更してはいない。
 ベルギーとルクセンブルクを別にして、各国議会の議席配分に変更はない。だが今回の欧州議会選挙は、各国与党にとって鮮明な警告となった。
 中道右翼のヨーロッパ人民党は、ヨーロッパ委員会における割り当て人数の増加を要求している。これまでは、ヨーロッパ政治を支配する中道右翼と中道左翼とが分け合っていた。

社会的危機

 ますます多くの有権者が、現在のネオリベラルによる政治的なコンセンサスに反対するようになっており、社会のあり方における大きな変化を探し求めている。そのため多くの社会民主党支持者は、その党の「指導者ら」の社会政策に反対する路線に不満を抱くようになっている。
 バルカン戦争は、「強硬な」社会民主党系首相や外相の人気を高めた。それでも「コソボ効果」は、その政権の支持率を高めることはないか、あるいは有権者にとっては大きな違いはなかった。
 バルカン戦争に反対したより小さな非政権党は、得票率が低下した。イタリアの共産党再建派、スペインの統一左翼、フランスのLCR―LO共同名簿は、いずれも期待された得票を達成できなかった。
 EUの指導者――その大部分は社会民主党系であるが――は、バルカン戦争の最新情勢から彼ら独自の結論を引き出した。彼らは、「共同の軍事行動」を通じてEUの力を誇示し、東・中欧を効率的に支配し、トップレベルにおける協調した政策決定を示そうとしたのであった。この「力」を中心とする戦略は、統一市場を基礎に「社会的(に公正・公平)なヨーロッパ」を構築しようとする従来の社会民主党路線を公式に変更することになる。
 ドイツ首相ゲアハルト・シュレーダーが先陣を切って行動を開始した。社会民主党は有権者から罰せられたが、連立相手の緑の党の方がはるかにひどく罰せられた。彼は、内閣を改造し、戦後ドイツにおける最大の歳出削減を推進しようとしている。
 フランスのジョスパン首相も、ドイツ首相と同じ長期目標を実現しようとしている。彼は、シュレーダーやイギリス労働党のブレア首相のような「新中道」とは違って、これまでの社会民主党の価値観を変更することには慎重ではある。
 イタリア首相は、選挙が終了するまで待つことさえしなかった。選挙期間中に退職年金制度改悪に着手した。彼の中道左翼政党PDSが惨めにも一六%しか得票できなかったのも驚くことではない。同党指導者は、労働組合ともっと密接に協議し、「アメリカ流」政策を減らすと約束した。
 欧州議会選挙は、伝統的な労働運動の危機が新しい段階に入ったことを示した。
 社会民主党と労働組合との関係には、根本的な変化が生じている。百年以上もの間、社民党と労組が対になってヨーロッパ資本主義制度の安定化に貢献してきたが、同時に労働者階級から重要な支持を維持するために、それなりに大きな改良を獲得してきた。
 一九八〇年代になって社会民主党指導部は、労働組合との関係を「切断」し、ブルジョアジーとの関係を再確立しようとした。しかし、支配階級内部では、労働運動を政治システムに統合して安定性を確保しようとする傾向が増大しはじめた。労組指導者たちは、この新しい可能性――政治への接近、高級レベルでの協議、物質的な特権など――に気づいた。問題は、社会民主党が労働者階級の間で選挙上の信頼性をもはや有していないことである。そうだとすると、資本と労働との新しい関係をどのように構築していくのか。
 一部の社民党は、深刻な「戦略」の破産状況と格闘している。ネオリベラルによる各種の改革は肉体労働者や事務労働者の間における社民党の基盤を疎遠にしてきたが、ホワイトカラーや若者の間における彼らの支持が強化されることもなかった。こうした状況変化による選挙上の結果は明白である。そして、このことが与党から野党への移行を意味するのであれば、社民党が本当に議論できる新しい路線はどんなものか。
 緑の諸党は、ドイツを別にして、社民党が失った票の多くを獲得した。しかし、これら諸党は基本的にネオリベラルの政治的コンセンサスに同意している。そして、これまで自らに禁止してきたことを解除し、ドイツ、フランス(選挙後のベルギー)で入閣した。ドイツとフランスの緑の党は、彼らの指導者(ヨシュカ・フィッシュアーとダニエル・コーン・バンディ)のもとで、リベラル/リバタリアンへの転換を完遂した。
 緑の党は、社民党のそれに匹敵するような選挙上の基盤を形成したことは一度もない。安定し組織された基盤をもたない緑の党は、教育程度の高い高賃金層に依存するだけである。こうした事情が、ドイツの若手緑の党員が一九六八年の抗議のための分裂を「清算」し、FDPというリベラル小政党を吸収しようと訴える背景にある。
 こうしたネオリベラル政治コンセンサスを支えてきた新旧政治勢力の危機は、不幸であり冷笑的な「最も普通の市民」や抵抗を組織しようとする社会運動と、市民や社会運動とは反対の方向に向かっている「政治制度上の代表」とのギャップを一層深刻にしている。

正統性を絶望的に求めて

 超国民国家EU形成による主権の喪失は、とりわけスカンジナビア諸国で大きな問題となっている。デンマークの欧州議会選挙では、二つの反EU運動が同国の政権党である社会民主党よりも多くを得票した。スウェーデンでは前の共産党である左翼党が一六%という高い得票率(前回一九九四年は四%)を記録した。
 スカンジナビア諸国以外では状況はやや異なっている。ドイツ、フランス、ベルギー、オランダの有権者は、EUを既成事実とみなしており、自国にとっての経済戦略上の選択問題と考えている。アイルランド、スペイン、イタリア、ギリシャの有権者は、EUを各種補助金やその他の支援を与えてくれる貴重な資金源とみなしている。もちろん、このことが、EUに対する批判を封じることはない。ことに、EUが緊縮政策や民営化と結びついている場合は、そうである。
 こうしたヨーロッパの南北での相違は継続しそうである。EUの超国民国家としての性質は、EUの二大国であるイギリスとフランスにおける一国的な政治制度の地位を低下させている。反対派民族主義者の存在のため、イギリス保守党とフランスのゴーリスト票とが分裂した。両党とも長い歴史を有し、労働者階級とプチブルジョアジーとの間に相当の支持基盤がある。彼らは、ヨーロッパ単一通貨や財政、軍事上の統合に含まれている国家主権の引き渡しには簡単には納得せず、支持もしない。イギリスでは労働党支持者の大部分がヨーロッパ統合の一層の進展に反対した。こうした事情は、フランスの社会党や共産党(PCF)支持者の間でも同じである。フランスでは、影響力がある複数の知識人サークルが超国民国家EUに疑問を抱きはじめている。

地域集合体としてのヨーロッパ(略)

国家と社会

 六月欧州議会選挙に登場した、国民国家と地域という問題とは別の大きな問題は、国家と社会との関係である。経済の規制や調整(世界経済の危機、グローバリゼーション)における国家の役割という問題は議論されているが、社会的な諸関係に対する国家の「干渉」という問題は、ほとんど扱われていない。これは非常に矛盾したプロセスであり、一部では市場の偏在と「自由な」競争を反映しており、また部分的には政治家から裁判官への権力移行を反映しており、さらには貧しい人や弱者を保護しようとする従来の仕組みが霧散してしまった結果でもある。
 しかし、このプロセスは、「市民社会」に関する意識向上を反映してもいる。一九六八年五月革命の破壊的な精神とは別の精神に立脚してであるが、あらゆる形態の支配に対して挑戦が行われている。
 生命、死、誕生、セクシュアリティ、教育といった根本的な問題に関する精神的な態度が急速に変化しており、そのためホモセクシュアリティや堕胎、安楽死、遺伝子工学などに関して新しい観点からの法律上の対応が必要になっている。
 進歩的な諸政党だけが、こうした問題への対応に苦慮しているのではない。キリスト教民主の潮流もまた、深い混乱の中にある。

左翼の再編

 ヨーロッパを貫いて新しい戦闘的な左翼が姿を現しつつある。そうした左翼としては、フランスのLO―LCR共同候補名簿や、セクト主義や極左主義を脱却した戦闘的な左翼グループ、スターリニズムの破産を生き延びた諸共産党、一部の社会民主潮流、一部の(不安定な)緑の党などがある。
 これらの潮流が選挙での成果を伸ばしているとはいえ、戦闘的な左翼運動は、労働者階級の全般的な守勢傾向の中で、依然として非常に明確な逆風状況にある。
 こうした左翼にとっての課題は、現実に存在している社会に対応することであり、社会の抵抗や組織、戦闘的な活力などの中心をしっかり把握する必要がある。そして、自らがそうあるべきだと考えている社会や労働者階級のあり方を現実のものであるかのように前提して、語ったり行動してはならない。
 従来から存在してきた労働や社会の組織は依然として非常に重要であるが、社会と政府との仲介者としての独占的な位置を喪失してしまっている。市民社会は、より生き生きとして活発である、だが市民社会は、集団的、恒常的な介入の装置を作りだしてはいない。また必要とされている力の蓄積や凝結も達成されていない。例えば政治の腐敗や政府の独断さ、児童虐待に抗議したベルギーの「ホワイト行進」は、巨大な結集を実現したが、それを結実させる恒常的な組織表現をもっていない。
 その他の社会運動は、より「主唱者」的な性質をもっている。反失業ヨーロッパ行進や金融投機に課税を要求するATTAC運動、第三世界の債務を帳消しにせよという運動などがそうである。これら新しい運動の基盤は依然として小さいが、メディアに取材をさせたり、公開の議論を組織するうえで非常に価値ある働きを行った。
 西ヨーロッパ社会は次第に活性化する方向にある。反資本主義左翼が、その不適切な過去を克服し、戦闘的な精神を獲得できる組織形態や活動内容、思考を見出すことができるか――これが課題となっている。
(著者は、第四インターナショナル統一書記局員、この論文は、フランス語版インプレコール誌7―8月号に最初に発表された。)
(電子版インターナショナルビューポイント誌9月号)