2000年1月10日          労働者の力               第118号

 

二一世紀社会主義を展望する
                                       高木 圭

一 二〇世紀末の思想状況
新自由主義的グローバリゼーションのなかで

 
 二一世紀が迫っている二〇〇〇年を迎え現代の思想状況をみれば、多くの人々は一九八〇年代から一九九〇年代はじめにかけてのソ連・東欧圏の崩壊という衝撃を受けて、マルクス主義、社会主義はもはや「歴史のくず箱」に投げ込まれてしまったのだと考えるようにもなっている。
 代表的人物をあげれば、国際的にはフクヤマという日系人。この人の『歴史の終わり』という書物がある。文庫本で翻訳されているが、その内容を要約すると「エリツィン革命によってマルクス主義・社会主義は最終的に終わり、結局勝利したのは資本主義的な経済とブルジョア民主主義である」というものである。日本では例えば和田春樹氏があげられる。岩波新書から出した『歴史と社会主義』は、エリツィン革命の直後に書かれたものだが、和田氏の影響力は相当のものがあるから、たいていの良心的知識人といわれる人々も和田氏の考えを信じ込んでしまった。
 それから十年、つまりエリツィンのいわゆる民主化革命の十年を経てみると、一連の事件の意味が相当に明瞭になってきた。例えばブルジョアマスコミで表現が変化した。十年前ではエリツィン派傾向は「急進改革派」と名づけられていたが、今では「右派」と名指しされている。
 昨年秋のロシア下院選挙の構図は、共産党系が最大党派で左派とされている。これは十年前は「保守派」であった。次にプリマコフ前首相らの「中道派」で、この傾向は社会主義も必ずしも悪いことだけだったわけではないという傾向。次にエリツィン派のプーチン現首相(エリツィンの後継)で、これは「右派」と書かれている。エリツィンははっきりと保守的で反動的な政治家だったということがかなりの程度認識されている。その右には民族派の自由民主党、ジリノフスキーがいる。今は影響力を大きく後退させている。
 今のロシアでは極少数派だが、トロツキストは共産党の「左」に位置する。「左」ということの中身が問題だが、社会・経済の社会主義的民主化や徹底的な歴史の見直しなどを呼びかけ、トロツキーはマルクス主義の正統な後継者だったと主張する。
 その代表は、モスクワ大学経済学部教授のブスガーリンとその同僚たちである。ブスガーリンはマンデルの弟子であり国際的ネットワークももっている。またロシア歴史学の良心といわれるダニーロフ教授らがいる。ダニーロフ教授は現代ソ連・ロシア史における世界的な三大学者の一人である。他の二人はイギリス・グラスゴー大学教授でE・H・カーの後継者であるデイビット教授、および東大名誉教授の溪内謙氏である。
 ダニーロフ氏は、もともとはブハーリンの考え方に近かったのだが、最近はトロツキーを評価し直している。溪内氏の文書によれば、昨年夏に開かれた「ロシアはどこへ行く」というシンポジウムでダニーロフ氏は、スターリンによるテルミドール、これと闘う政治革命、というトロツキーの路線を歴史的に肯定する立場から報告を行っている。
 ロシアでもエリツィン革命は何だったのかということははっきりと認識されている。エリツィン革命とは、結局は極少数の国際資本と結びついた新しい財閥を作ったこと、それ以外の人々は悲惨な経済状態の下におかれ、経済自体も全然うまくいっていない、というものだ。和田氏のような人々は、将来においてロシアの資本主義がうまくいくと考えているのかもしれない。和田氏によれば、社会主義やマルクス主義は一九世紀の思想であって、そもそも二〇世紀に生き延びたことがおかしいのだという説なのだから。
 ところがダニーロフ氏は次のように言うのである。「エリツィン革命とは第二のテルミドールである。エリツィンの第二テルミドールに抵抗できなかったことが基本的な問題だった」と。
 国際的にも「民主化」という資本主義復活を誉め讃える風潮があり、良心的人々にも相当に浸透している。ダニーロフは決定的にこれに対立する論調を張っている。溪内氏もそれを高く評価する立場である。
 エリツィン革命を評価してしまう立場は、いわば「復古期の思想」に染まったものと言える。フランス革命後の反動時代の思想などが歴史的にあげることができる。私も一九九〇年代の初期に、こうした反動時期の「復古期の思想」の時期は当然ありうるし、その復古思想に染まることは誤りだ、と強調したことがある。
 最近ロシアから帰国した人の話によると、ロシアの政治状況はブレジネフ時代の末期状況に近い印象だという。ブレジネフ末期というのは、フルシチョフの自由化を官僚的に逆戻りさせた長期政権の腐朽状況であり、誰も政権を信頼せず、誰も責任をとらないという時期であった。その延長にチェルネンコのダミー的な短期政権が続き、一種の無政府的事態となった。打開を期待されたアンドロポフは病気で短命に終わり、その後継、官僚内部の切り札として最終的にゴルバチョフを登場させ、事態の転換を行った。ブレジネフ末期からチェルネンコ時期の、誰も責任をとらず経済的にも絶望的な状態ということにエリツィン末期政権の印象が似通っているというのである。
 今は全体的に「静かな絶望の時代」と世界的にもいわれている。ほとんど希望は抱けない。資本主義的競争のなかで、勝者になるか敗者になるかのどちらかだ。それ以外の、システム全体の交代などは無理なのだ、という風潮のまん延。
 ロシアにもそのような状況はある。しかし溪内氏の報告によると、エリツィンを担いだ人々の中にもマルクス主義の復権を言う人が出てきているらしい。また先述した彼の印象でおもしろいのは、まだロシアではモスクワで見る限りでは相互扶助や互いに助け合うという精神が相当に残されている。ところが帰ってきた日本では、とりわけ青少年層では誰も他をかえりみない。そういう意味では最も徹底した絶望的な状況に置かれているのではないか、ということである。
 こうした状況は私も痛感するところだが、「勝者の論理」の浸透を感じる。まして何よりも今は、物を書く人のなかで「社会的連帯」などを言う人は、相当に例外的な人以外はいない。会社の中でも実力メリットシステムというものが進んでいる。新自由主義的なグローバリゼーションが一九九〇年代に展開されてきたが、その中でも日本は極めて例外的にシニシズムとニヒリズムが浸透している状況にある。ある意味ではロシア以上にひどい。
 しかしロシア、そして日本でも、極少数ではあるが将来への希望をもとうとする人々がいる。それがどこから発してきているのか――それを考えることが二一世紀の社会主義に連なるものではないか。
 
二 一九九九年の大事件を振り返る
東海村原子力事故に典型的に示される環境問題

 
 一九九九年、世紀末を思わせる一年、その中でいくつか大きな事件があった。なかでも九月三〇日の東海村原子力事故は特筆されるべきである。一二月末には作業に当たっていた大内氏が最初の犠牲者として亡くなった。普通の核物質関連の作業手順からは考えられない極めて拙劣な事故であった。当時日本に滞在していたアメリカの某教授は、欧米の常識ではとても考えられない事故だと怒り心頭であった。まさにその通りである。それも東海村で起こったことなのだ。
 社会主義を展望する場合の最も大きな問題は、資源環境問題にあると考えている。岩波新書から一二月に出た『地球持続の技術』という小宮山宏氏の新刊本がある。極めて平易に書かれた本だが、資源環境問題の全体を見直すためには優れた内容である。もちろん工学者だから社会的認識に甘さがあるのはやむをえない。しかし特に原子力システムについては日本では国策だから、相当に意識的な反体制派でないとタッチできない、という思想的制約がある。
 一九九九年九月三〇日の核燃料臨界事故は、こうした国策的なイデオロギー統制状況のなかで起こった。自民党内部にも相当の動揺が起こり、凍結や脱原発を検討し始めたという状況も出た。これは相当程度正論である。今までは「安全神話」というものがあり、日本の技術は優秀だ、優秀でないところでは問題はあるが日本に関しては問題はない、ということで押し通されてきていた。そこに国際的にも恥さらしな、最も拙劣な事故が飛び出したのである。
 この大事故は一連の原子力事故問題の頂点というべきものだ。政府の対応は、基本的には規制を強化し、安全委員会の再編成で乗り切ろうというものである。振り返ってみれば一九九七年に同じ東海村で動燃の事故があり、当時の橋本龍太郎首相が会社を叱り、動燃の解体・再編、核燃料再処理機構設立で事態を立て直そうとしたことがあった。
 しかし原子力は、政治家が会社を叱り、再編して乗り越えることができるような甘い技術ではない。もちろん原子力技術が登場した一九四〇年代当時やその後の一時期には、原子力エネルギーを安全にコントロールしうる技術が将来出てくるだろうと思われていた。
 科学技術にはそのようなところがある。問題を先送りしてやっていくというところがある。さらに物質的な豊かさを展望するという時代的な切迫感があったこともあり、人々を食わせていくためには資本主義が提供するものを享受するという一般的風潮があった。
 今は、例えば日本共産党は安全性を言いつつも、原子力の研究体制を保持するという立場にある。ところが何を研究するのか、どのようにして原子力を安全にコントロールするための技術開発を進めるのかという点については、ほとんど何の手がかりもみえていない。
 現在で一番いいのは、今まで出た核廃棄物をできるだけ安全に、これ以上核廃棄物を出さないで、そのまま貯蔵する――これでも様々なリスクはあるわけだが、少なくとも現状では最良である。すなわち原子力テクノロジーを放棄する、というのが最良の手段なのである。
 ところが日本は普通のウラン燃料による核廃棄物だけではなく、プルトニウムを使う高速増殖炉というテクノロジーを追求してきている。高速増殖炉は現在は実験炉としての「もんじゅ」がある。「もんじゅ」は一九九六年一〇月八日の事故で凍結状態とされてはいる。しかし日本とともに突っ走ってきたフランスが「スーパーフェニックス」から撤退したので、日本だけが高速増殖炉路線を掲げているという状態にある。
 確かに高速増殖炉は、ウランを燃やしてできたプルトニウムをリサイクルして使用するという「夢の燃料」計画である。うまく行けば、という条件つきだが。ところがうまくいかない。ものすごく冷却しないと増殖炉は機能しない。冷却のために液体ナトリウムを使用しなければならない。そのコントロールが至難の業なのだ。そのためにフランスも「もんじゅ」もナトリウム漏出事故を起こした。フランスはそこで撤退したのだが、日本だけが残っている。
 さらに日本は太陽エネルギーと同じ核融合という技術に膨大な予算をつぎ込んでいる。世界的にはアメリカのプリンストン大学の研究施設が最大で、次にロシア、日本と続く。そのアメリカ、ロシアは「先行きの見通しが立たない」という理由で撤退した――膨大な資金を食うわけだから。ところが日本だけは撤退できない。国策にされているが、それは「日本は資源がない」という理由に基づいている。
 日本は資源がないというのは事実その通りだが、それを理由にした国策論理の横行を見、九月三〇日の事故以降の科学技術庁や通産省、そして論壇の動きを見るにつけて、私は丸山真男が一九四六年に『世界』に執筆した名論文『超国家主義の論理と心理』を思い起こす。これは今読んでも実に先鋭な論文である。
 彼は東大の教官でありながら徴兵され広島で被爆もした。日本型ファシズム、天皇制ファシズムを糾弾するために書かれた最良の文書の一つといえるが、それは日本の戦争遂行が、軍事戦略的に無理とわかったものを、どうしてあれほどまでに犠牲に犠牲を重ねる形で進んでいったのかを政治学的に分析している。
 これは「誰も責任をとらない」。例えば東条英機にしてもヒトラーやムッソリーニのような特別の反動イデオロギーをもった人ではない。それが集団的な論理の下に、誰も責任をとることなく、内部的批判もさほどなくどんどん進んでいく。
 特に軍事戦略史上で最も拙劣といわれるのが一九四四年のビルマ・インパール作戦である。牟田口某というのが最高責任者であるが、兵站の観点がまったくないままに作戦を発令する。つまり武器弾薬、食糧の後方支援が何一つ考慮されていない。
 例えば運搬に使用した牛馬は途中で殺して食用に転用すればいいとか、敵から奪って使え、現地住民から強奪せよといったものだ。イギリス兵の目撃報告によれば、日本兵は「自殺」していく、つまり捕虜になるのを避けるために突入して死ぬというよりも、餓死や「自決」の道をとっていく。戦争史上まれな悲惨さと報じられている。
 このような状況を私は東海村事故のときに思い起こした。当時の国策、太平洋戦争がどうして起こったか、「大東亜共栄圏構想」がどうして出てきたのか、それは資源問題からである。当時の最高の資源である石油の禁輸に直面した無資源国日本は、資源を求めて「戦術的には極めて無理」な戦争に踏み切った。戦争目的は「早い段階での勝利的講和」の獲得という、まったく曖昧なことのみであり、「長引いたら負け」とは山本五十六連合艦隊長官自身の認識であった。
 これと、現在の国策である原子力問題は似ている。国策として優先度が一番高く置かれている資源問題で、様々な無理が起こっているのである。資源環境問題で、日本はプルトニウム、そして原子炉増設の路線をとっているが、これがまさに戦争突入への体制と似た運営システムである無責任路線、つまり誰も責任をとらないままに事態が進んでいっているのである。
 『超国家主義路論理と心理』は今もまた、あてはまると私は痛感する。
 
三 環境資本主義派の台頭
新自由主義理論の環境派の誤り

 米本昌平氏という科学学技術史家や吉岡斉氏という九州大学教授がいる。彼らは今、脱原発派の「右派」を構成しているのだが、米本氏は次のようなことを言っている。「どうしてこういう事故が起こったのか。それは日本が原子力政策で社会主義的政策をやってきたからだ」と(朝日新聞十二月論壇時評)。『知政学のすすめ』という吉野作造賞をもらった本でも同じような趣旨を展開している。吉岡氏も同じような立場で様々に執筆し、互いに誉めあっている。米本氏の著書は環境政策問題では最良の本だなどと、仲間ぼめなのだ。
 ロシア史の専門家などに米本氏の「社会主義的政策」の意味が理解できるかと聞いてみたが、誰一人として分かる人はいなかった。社会主義をプラスの価値として見ている人たちには、米本氏の論調は意味が分からないのである。
 米本氏の言いたいことは、科学技術庁や通産省の官僚たちが国家主義的に決めたものが、自由競争主義への政策転換を容易にさせない政策体制、つまりは社会主義の政策体系だ、ということである。
 考えて見れば、通産省は戦前は商工省といって岸信介が戦前・戦中に権勢をふるったところである。山口出身の大秀才である岸は「満州」の革新官僚と呼ばれ、商工省から「満州」に派遣され実質的な「満州」国産業政策の指導者の位置にあった、彼はそこでスターリン時代の一連の政策、農業集団化や急速な計画経済化を目の当たりにしとり入れていく。彼がなぜ「革新官僚」と呼ばれたかは、こうしたソ連の政策をとり入れ、全体主義的な官僚統制経済を進めていったことからきている。
 米本氏は要するに、岸信介的な伝統のもとにある通産省の政策体系を「社会主義」と名指しているわけだ。米本氏は、時流に便乗して新自由主義的な政策体系を信奉するようになっている。彼はもとは左翼だったのだけれど、一九九〇年代以降は社会主義を捨て新自由主義に乗り換える。それでも環境政策だけは捨てないといい、運動にも関わっている人である。環境資本主義論者といえる。
 環境派が右転換するのは日本だけではない。フランスやドイツでも環境派も現実化している。フランス緑のダニエル・コンバンディ――彼は一九六八年パリの五月でアナーキストとして活躍した人だが――は、欧州議会選挙においてユーゴスラビアへの空爆を容認しつつ現実主義的な環境政策を主張していった。
 米本氏や吉岡氏は、社会主義をスケープゴートに仕立て上げることによって通産官僚への影響力を強めることを狙っているわけだが、結局は官僚の国策的な原子力政策に組み込まれていく。注意すべきことは彼らが運動の内部に位置していることである。環境運動の今後において今までとは違った方向性が出てこないとも限らないと留意しておく必要がある。
 そのような点で言えば、わが『労働者の力』の一〇月号に掲載された「投書」には相当の問題があった。誤った原子力技術の認識と言うべきである。やはり労働者民衆にリスクを負わせるような環境・資源政策はやめなければならないのである。
 その意味では現代科学技術の最大問題は、原子力からいかに抜け出すか、ということにある。とりわけ日本は自然エネルギー、風力、地熱、太陽熱などや燃料電池などへの対応が欧米諸国と比べればすごく遅れている。予算措置も極めて低い。どうしてか。それらを容認してしまえば原子力という国策を政府自らが疑っていることになるからだ。これはとんでもないことだ。
 膨大な研究費用がつぎ込まれている先の見えない原子力、特にプルトニウム路線からは全面的に撤退し、脱原子力テクノロジーのシナリオが描かれ労働者民衆の運動が組織されていかなければならない。地球温暖化やダイオキシン、環境ホルモン、フロンガス、アルミニウム問題など――今までは新しい技術から作られるものは消費者が受け入れざるを得ない、半ば強制されてきた。そうではなく、すべてが総チェックされリスクから解放されるような資源環境政策が打ち出されなければならない。
 資本主義は自由競争、たとえばホンダのようなかなり優秀な車に関する対策を打ち出してきたようなところは、技術競争で市場を勝ち抜くというような要素も部分的には生み出す。こうした環境資本主義の方向性はいろいろと出てくる。こうしたことをまったく無視し、社会主義と名づければ何か新しいものができるということはもちろん幻想である。
 しかし少なくとも国策といわれるような原子力からの全面撤退とか市民労働者に受け入れられるような技術の提供とか、はっきり民主主義的な原則にたった技術だが、環境社会主義が技術政策上これほど提起されなければならない時期はない。
 「事故原因は通産省の社会主義政策」という議論は論外として、米本氏の議論で見逃せないもう一つの論点は、新自由主義論を強調するところである。今回のJCOという核燃料加工会社が新自由主義経済競争のもとで猛烈なリストラで労働者を減らし、技術過程を省略することでコスト削減を進める、結果はバケツで核燃料を加工するという拙劣なレベルにまでいったのである。
 競争過剰が強制した事故なのである。米本氏の強調する自由競争のネオリベラリズムの政策が世界を席巻した結果として起こった事故なのである。
 第一次小渕内閣の文部大臣をつとめ「日の丸・君が代」法制化や国公立大学の独立行政法人化などを進めた有馬氏の任期の最後が九月三〇日だった。机を整理しているところへ事故のニュースが飛び込んできたそうである。原子力物理学者で原子力の専門家である有馬氏は一報を聞いてすぐに重大性を直感したそうである。「青い光が出ている」などということだから。
 その有馬氏が『中央公論』一二月号に、閣議や政府部内の印象についてインタビューをのせているが、そこに書かれていることは米本氏の論理とはまったく反対の正論と思える内容である。
 有馬氏によれば、原子力安全委員会は科学技術庁のもとにおかれ三〇数人の規模であり、実質何もできない状態である。原子力技術の安全確保のためには抜本的な人員増が必要なのだが、今の政府省庁部内での議論はすべて規制緩和と人員削減の話だけである。すべてが規制緩和で切られる。有馬氏は抜本的な改革の必要性をはじめて認識したそうであるが、それはあまりにも遅すぎる話ではある。
 しかし最大の問題は、今の政府部内で原子力の安全に責任をもって携わっている技術者、行政官は誰もいないことである。これはまさに第二次大戦突入の構造とまったく同じなのだ。誰も責任をとらない。官僚機構内部で責任がたらい回しされ、一九九七年東海村事故の時のように叱責や機構手直し程度のままに事態が進んでいく。
 実際の犠牲は現場の労働者にしわよせされる。亡くなった大内さんはまさに現在の原子力行政の犠牲者なのだ。
 そしてプルトニウム政策を推進してきた人々、機構は何ら変わらない。むしろ、さらに現在のプルトニウム路線にしがみつく部分を生み出すことになっていく。今、路線を放棄することは、今までの努力を無駄にすることになる、と。「満州国」から中国大陸、そして太平洋戦争へと突き進んだ論理と何ら変わらない。
 一般の技術者は、部分的にしか、技術のありようしか考えないものだが、グローバルな科学技術の状況を考えれば、ますます社会主義的な政策のあり方を考えなければならない。
 
四 資本主義的帝国主義の抱える諸問題
大荒れとなったWTOシアトル総会


 昨年一一月、アメリカのシアトルで開かれたWTO(世界貿易機構)総会が強力な街頭デモに洗われ、同時に第三世界諸国のアメリカ主導に対する反発が顕在化し、実質上流会に終わったという出来事があった。クリントンが次期政権への橋渡しを成功させるためにも華々しいパフォーマンスとして仕上げたいと思っていたこととがまさに裏目に出たのだ。
 中国のWTO加盟の承認を目玉にしたこの総会は、しかしこの十年世界を席巻したグローバリゼーション、新自由主義の世界経済路線が多くの矛盾、世界的格差の拡大を押し進めたという事態を大衆抗議行動の爆発という姿で如実に示したのである。資本主義全体の今後のあり方に対して大きな影響を与えるものといえる。
 一九世紀以降の産業資本主義全体についていえることだが、グローバリゼーションの問題というものは、産業革命による大量生産のシステム、さらに科学が応用され先進資本主義諸国の優位が確立していくところから明らかになってくる。
 例えばインドでいえば、手織製品などインド伝統の技術の質は悪くはないし、原料もすぐれたものだ。ところがイギリス資本主義との近代的競争に勝てない。イギリスの産業資本主義は機械を導入することによって低廉な織物製品を大規模に作り出す。さらに軍事革命によって軍事的に抑える。そこから圧倒的に不等価交換システムを作り出す。
 大量のコットン製品をインドに押しつけ、産業構造を根本的につくりかえる。インドの民族産業を駆逐すると同時に鉄道建設などによる巨大な債務を押しつける。それも軍事的に強要される。原料綿をインドから調達する一方、アヘンを栽培させ、それを中国に押しつけ、中国を支配していく。
 今の新自由主義的なグローバリゼーションの最大の問題は、伝統的な産業をアメリカを頂点とする産業資本主義(その頂点に金融資本があり、帝国主義国家体制がある)に従属させ、圧倒的な貿易格差を生み出すところにある。
 和田春樹氏のような「社会主義を歴史のくず箱へ」という人々は帝国主義は全然問題にならないと言うかもしれないが、帝国主義は依然としてなくなってはいない。政治的軍事的な露骨な帝国主義という体裁はとってはいないけれども、原水爆、つまり軍事的象徴として大艦隊などの頂点に核兵力をもっている。日本がアメリカの軍事力に依存しているのは資本主義的なシステムを守るためである。
 キューバへの経済封鎖、あるいは旧ソ連邦などの「社会主義諸国」への経済封鎖を行ったのは、資本主義的なグローバルな経済圏に入らないものは絶対に許さないということである。
 シアトルWTOに対する抵抗が極めて強かったということは、すなわち一九九〇年代におけるグローバリゼーションへの抵抗が極めて強くあることにほかならない。
 では、しかしながら現在の第三世界が抵抗していないようにみえるのはなぜか。一九八〇年代から一九九〇年代、イスラム原理主義というものが出てきた。インドではヒンズー原理主義が極めて強い。日本でアナロジーすれば「尊皇攘夷主義」のようなものである。
 外から押し寄せてくる資本主義的なグローバリゼーションへの民族的な抵抗の現れであり、われわれマルクス主義者からみれば一つの歪められたあり方といえる。資本主義に対して別の道を対置するというのではなく、単に伝統への固執である。日本の場合尊王攘夷派は薩英戦争や長州藩のように軍事的に敗北し、それが契機となって倒幕派の「尊皇開国」派へ転換する。
 それが今の第三世界では極めて歪んだ民族主義的傾向として現れている。これに対してマルクス主義者はどう答えるか。マルクス主義者はマルクス以来「宗教はアヘンだ」とする。このことは依然として正しいけれども、しかし現にある諸民族の宗教に対して何かしらの超越的原理でもって抑圧していく――スターリンがソ連で行い、歴史的にはソ連邦解体につながっていった民族政策――ようなことを採ってはいけない。
 やはりコミンテルン初期の民族政策はどうであったのかが検証されるべきだ。ローザが生きていたならどう言っただろうか。ローザ・ルクセンブルクはコミンテルン形成以前に殺されてしまったが、彼女は民族主義へのいかなる妥協も許されないとしてレーニンと論争していた。トロツキーの民族政策などの再検証が必要なのだ。
 イスラム原理主義に対して、われわれは西欧帝国主義的啓蒙主義の立場というのではなく、あくまで経済的だけでなく文化的にも抑圧された人々の立場というものを理解しながら現代の資本主義・帝国主義に対する別なグローバルな歴史的ビジョンをとらえていく。イスラムやヒンズー原理主義を擁護するということではないが、しかし抑圧された人々の心情は理解しなければならない。
 例えばトロツキーがスルタン・ガリエフという、「アジアのトロツキー」と後世いわれることとなるイスラム・マルクス主義者に対してとった姿勢はまさしく教訓となる。そうした意味で、グローバルな資本主義に歪んだ形であれ抵抗している人々はまだ社会主義には結集していないのだが、そうした人々に対して誠実に対応し、いわばヒンズー原理主義の象徴とされるガンジーの手回し織り機の道ではない、別の産業システムが真の道として展望されなければならないことを言っていく必要がある。
 これらから二一世紀の社会主義の展望を見直していく必要がある。二〇世紀の社会主義がスターリン、毛沢東の社会主義、つまりスターリン主義あるいはその色彩に極めて近い社会主義であったのとは別の社会主義が二一世紀の社会主義であるべきである。
  
五 結び
現代マルクス主義とトロツキズム


 ロシアではマルクス主義の復興が起こっている。今の共産党には歴史的総括がなく問題であるが、ロシアの庶民から言えば多少知識人とかオールドボルシェビキを殺したとしても、年金とか社会保障とかがそれなりにあったわけで、エリツィンよりはましだ、餓死しなくてすむのはありがたいということになるのだろう。しかし全体的ビジョンということではスターリン主義の清算ははっきりとやられなければならないことだ。
 日本の思想状況をみれば、一九九九年には「マルクス主義の復興」の兆候が見られた。朝日新聞のブック『マルクスを問い直す』などはそれなりに売れた。しかしこれらは抽象的イデオロギーとしての「復興」である。例えばマルクスの「疎外という概念は正しかった」とか「資本主義批判としては見るべきところがある」などと。
 問題は日本では溪内謙氏という世界的学者のような例外を除けば、ソ連の崩壊やマルクス主義の問題を密接な大問題としてはとらえていないことがある。
 その点で言えば、昨年六月に行われた欧州議会選挙でフランスのトロツキスト二組織が連合して五%条項を突破し、議席を獲得した事実が特筆されなければならない。第四インターナショナル・フランス支部と「労働者の闘争」派の連合であるが、議席の獲得という事実もさることながら、イデオロギー的なヘゲモニーが特に労働者地域で進展していっていることが大きい。
 パリ、リヨンなどの大都市ではフランス共産党を完全に逆転した。ベンサイドやクリビーヌというフランス支部の指導部がル・モンド紙などに一九九〇年代半ばから頻繁にマルクス主義の復興を掲げて登場してきていたし、フランス共産党からもフランス支部の党学校に受講に来るなどの事態が進んできていたことの反映である。
 日本においてはそういう光景は出なかった。確かに一九五〇年代後期から六〇年代、共産党よりはいわゆる新左翼的、非スターリン主義的思想が相当のヘゲモニーを発揮してきていた。廣松渉氏の哲学や宇野経済学などがあげられる。しかしこれらはトロツキズムには結びつかなかった。いいかえれば大きな歴史のなかでの本格的なマルクス主義復興にならず、いわば小ブル急進主義的色彩の範囲にとどまった。
 日本とヨーロッパの大きな違いである。ヨーロッパのマルクス主義の主流にトロツキズムは挑戦している。日本ではまだ極少数派にとどまっている。
 中国の状況も注目されるべきだ。共産党の指導部は別だが、マルクス主義の理論家たちはいまや決して一枚岩ではない。「詳細は秘す」だが、例えば陳独秀という大立者の復興が進んでいる。毛沢東が文化大革命で沈没した。蒋介石というわけには到底ならない。それだったら陳独秀はどういう人だったのか――という興味が出てくるわけである。もともと中国の知識人は層が厚く奥深い。毛沢東のような詩人としては別だが、理論家としてはいささか疑問符がつく人に傾倒してしまうことは決してない。
 一九九九年は五・四運動から八〇年、中国共産党の創成ということを考えてみれば、陳独秀が中国共産党の創立者であり初期の大指導者であった歴史が浮かんでくる。確かに陳独秀は一九二七年の上海クーデターから国共合作崩壊という一連の時期の「日和見路線」の責任をとらされて失脚したということになっている。これが陳独秀の責任でなかったことは今は明らかだ。徐々にではあれそうした再評価が進みつつある。
 陳独秀がトロツキストになるのは一九二九年であるが、唐宝林という中国での陳独秀研究の第一人者がいる。彼は前はトロツキズムに移行した以降の陳独秀を否定していたのだが、最近は少々風向きが変わってきているようである。
 今、イギリスにいる王凡西や、九七年上海で亡くなった鄭超麟などは「不退転のマルクス主義者」として一部では高い評価・尊敬を受けている。知識人としても高い位置にある。陳独秀が五・四運動の後に中国共産党を創立した当時は、確かにマルクス主義の理論水準としてはさほどのものではなかった。しかし一九三〇年前後から本格的にマルクス主義研究が始まっていく中では、トロツキストの理論的貢献が大きいのである。そのような遺産がある。
 日本のトロツキズムの歴史がすべて正しかったとはいささか疑問符がつくが、こうした遺産、マンデルなどの貢献を遺産としそれを引きついで、新しい資本主義の現実に有効に応える。エリツィン・テルミドールによって、トロツキーの政策体系をその通りに繰り返せばことが済むという時代ははっきりと終わったのである。
 われわれは「環境社会主義」として一致しているわけだが、そのもとで二一世紀のこれこそが新しい旗だという理論と、つつましい勢力であっても新しい現実の中での古典的マルクス主義の継承者としての自負をもって闘い抜いていく。研究すればするほどにおもしろい歴史的遺産の中にわれわれはいるのである。
  (一二月二七日)

【連載】その一                                        
環境社会主義と労働時間短縮  
「持続可能な成長」とは何か

 
                                   神谷 哲治
第一章 はじめに

1 大失業
 
 全世界を大失業がおおっている。OECD(経済開発協力機構)諸国全体で三〇〇〇万人を越える失業が発生しているといわれてから既に二〇年になろうとしている。先進工業諸国における大量失業は今や常態となった。先頃来日したフランスACのアギトンはそれ故、フランスでは失業があらゆる労働者の普遍的で共通のの課題となったと述べている。「家族・友人に失業を経験しない労働者はいない」というわけである。
 しかしこの大量失業は先進工業諸国だけの問題ではない。韓国や中南米、そして新興市場国としてもてはやされ、近年急成長を経験していた諸国においても今や共通である。そしてこれらに最貧国といわれるアジア、アフリカ、中南米の旧植民地諸国が加わる。ここでは乱開発による環境破壊が主要産業である農漁業の生産基盤そのものの破壊へと転化し、大量の飢餓人口が生み出されている。
 その結果これらの諸国では、都市に大規模なスラムが成長する。都市はその存立を支える基盤を欠いたまま、無秩序に爆発的に膨張している。これらのある種絶望的な窮状については『地球環境破壊』や『地球環境破壊U』(石弘之、いずれも岩波新書)などを参照していただきたい。
 いまや失業の厳密な定義は別として、自分と家族を養うに足る職を持たない人々がこの地球上の至る所にあふれている。そしてその一方で、天文学的な額の遊離「貨幣」が収益を求めて、金融という限られたある種虚構の世界の中を猛烈なスピードで駆け回っている。ボーダーレス経済、グローバリズムによる世界経済の新たな活性化として押し進められてきたものの現実がこれである。つい先頃公表された二〇〇〇年版のユニセフ報告(資料参照)にもそれは鮮明に示されている。
 
2 職の再配分
 
 このような総体的な状況においては、まず何よりも「富の再配分」、しかも大規模なそれが求められていることはあまりにも明らかである。ジュビリー二〇〇〇の運動――途上国債務の返済免除要求――は、まさしくそのような必要性がつくり出した運動であろう。
 しかし富の移転は、富裕な人々からの施しであるわけににはいかない。貧困を代償にした富裕という関係が厳然としてあることはひとまず置く。それとは別に社会的存在である人間にとっての尊厳ある「生」という問題に応えなければならない。社会と有機的に結びつき、能動的で主体的な社会の成員として「生」がなければならない。このような観点からみれば、富の移転、再配分とは、最終的には「職の再配分」として現実化されるはずのものである。
 大失業の中で人々は現実に「職」を、「施し」ではなく「職」を求めている。それは尊厳ある「生」への要求であり、それ故「富の再配分」と「職の再配分」とは切り離すことのできない一体のものなのである。
 
3 労働時間のスライディングスケールとワークシェアリング
 
 労働者はその存在の当初から労働時間の短縮のために闘ってきた。殺人的長時間労働の中でそれは、まさに切実な普遍的要求であり、八時間労働制の要求は全世界でのメーデーの闘いへと発展した。それ故、十月革命後のソビエト政権は真っ先に八時間労働制を布告したのである。
 労働時間の短縮というこの歴史的で伝統的な要求は今、「職の再配分」という世界的要求の中でより普遍的な意味を持とうとしている。
 労働時間短縮要求のもつこのような意味はわれわれにとって未知なものではない。第四インターナショナルの直接的基礎である『過渡的綱領』(一九三八年)は、インフレと大失業という当時の緊張した情勢に対し、「賃金と労働時間のスライディングスケール」を過渡的要求として定式化した。
 「……労働組合やその他の大衆諸組織は労働者と失業者を相互責任の連帯をもって結合しなければならない。これを基礎にして現にあるいっさいの労働は、週労働時間の度合いの必要な規定に従って、現存するすべての労働者の間で分配されるだろう。あらゆる労働者の平均賃金は古い労働時間のときと同一である」(過渡的綱領)
 ここに明白なようにわれわれは平均賃金の切り下げは認めない。この要求の底には、あらゆる人の尊厳の確保があり、それ故必要な生計水準は保証されなければならないのである。従ってこの要求は、資本の利潤の一部を取り上げること、すなわち資本からの富の移転を内包した要求でもある。
 現在ワークシェアリングという考え方が流行している。しかしこの考え方の場合、富の再配分の含意は曖昧である。日本の支配層は明らかに、利潤には一切手をつけさせず労働者の中での富の再配分としてワークシェアリングを流布させようとしている。賃下げと時短の組み合わせによる雇用確保という方策である。仲間内での「富の再配分」はある意味で労働者の生来的平等主義に訴える側面をもっているかもしれない。しかしこのようなワークシェアリングは問題の解決には結局役に立たない。資本による利潤の自由処分、そこに基づいた資本の再生産戦略こそが現在の大量失業と大量飢餓を生み出しているからである。
 
4 再生産を撃つ闘い
 
 職の再配分を実現する闘いにとっては、資本の再生産戦略の転換こそが真実の問題である。利潤を資本の自由にさせない闘いが必要であり、資本からの富の移転はその一環である。ワークシェアリングを人々にとって真に意味あるものにするためには、この点に十分自覚的である必要がある、と私は考える。
 そして同時に、二一世紀を迎える人類は、その死活をかけて資本の再生産戦略を俎上にのせざるを得ない。地球環境の諸問題の深刻化が誰をもとらえている。再生産を問うことなくこの問題に立ち向かうことなどおよそ非現実的なのである。
 「持続可能な成長」ということが語られている。しかしそれは、「持続可能な再生産」ということ以外ではない。「持続可能な成長」という以上、再生産をもはや資本の独裁的、専権的領域にすることはできない。それは全人類的管理に向かわなければならない。
 労働者の職を求める闘いが資本からの富の移転を含んで展開される限り、それは利潤の部分的労働者管理である。そしてその闘いが労働時間の抜本的短縮と一体化しているならば、それは資本の再生産総量を直接規制する闘いとなり得る。労働者がそれらの点に自覚的に取り組むならば、それは二一世紀の全人類的課題に応える運動の不可欠の、核心的な一翼となるだろう。
 以下、ここまでに概括的に述べた諸点について、特に環境的要請との関わりに焦点を当てて考えてみたい。
 
第二章 持続可能な成長
 
1 総論賛成、各論反対?
 
 地球環境問題に対処していく上で「持続可能な成長」という考え方が現在大枠として合意されているようにみえる。一九七二年に発表されたローマクラブ報告、『成長の限界』から一九九二年リオデジャネイロ地球環境サミットに至る過程で、その流れは世界的に定着した。
 しかし現状はあくまでおおよその総論的了解であり、その各論的実態は相当に曖昧、希薄と思われる。その実情は、一九九七年の二酸化炭素規制に関する京都会議合意、またそこに至る複雑な駆け引きに如実に示されている。
 ところでその大枠的了解の含意が、地球環境と調和しうる限りでの成長、従って生産のある種の総量的管理、従来的趨勢とは一線を画した生産の抑制的成長にあることは明らかであろう。経済活動を評価する基準として、生産拡大、経済成長に何よりも優越した地位を与える発想は基本的に拒絶されようとしている。
 生産の量的拡大に代わって、生産活動の質が問題にされようとしているといえるのかもしれない。われわれの日常に現れている様々な環境的変調、その現実が人々の危機感、不安感の基底にあり、そこに基づく人々の要求が全世界の経済活動を、またその実体的支配層の意思を縛ろうとしているのである。世界のブルジョアジーは、もはや人々のこのような要求に公然と背を向けることはできない。
 しかしそのことは、彼らが自己の行動原理としてすすんでこの「持続可能な成長」を選択したということを何も意味しない。後述するような峻厳な市場にさらされている彼ら個々には、決してなし得ない選択ともいってよいだろう。全世界で今も日々繰り広げられている資本の活動と住民の衝突が如実に示すように、「持続可能な成長」は資本にとってあくまで建前的了解をほとんど越えていないといってよい。
 
2 やはり富の再配分が
 
 人々はこのような資本を越えて進む以外にない。環境破壊、それによる生存の根底的崩壊の危機は現実の問題なのである。「持続可能な成長」は、具体的実質として現実化され、生産活動は実際に転換されなければならない。
 このようなことの実現を求める闘いは、必然的に全社会的連関としての、生産―消費の全体的再編成を問題にせざるを得ないはずである。世界の生産と消費の現実の構造が問われなければならない。
 端的にいって、生産の総量規制という結論のみが追求されたのでは、低開発地域の人々には絶望的貧窮の固定化をしか意味しないことになる。
 この地域の人々の意味ある生活改善のためには、その質がもちろん問われるとはいえ、急速な経済開発が何よりも求められているのである。つまり「持続可能な成長」という場合、人々の生活から発する具体的必要という観点に立つ限り、生産の総量的管理と同時に、そのメダルの裏表の関係として経済的諸資源の再配分を不可欠に問題にせざるを得ないのである。
 この再配分においては、一定の非市場的機能がどうしても必要となる。世界経済の現在の偏りを作り出したものが資本主義的自由市場の働きであるからだ。この二〇年で、すなわちグローバリズムの進展の下で世界の格差は一層深刻化したとする先のユニセフ報告がその一端を明らかにしている。
 「持続可能な成長」は明らかに市場のみに頼って実現できることではない。人々の要求と主体的行動が市場を規制しなければならない。

【資料】ユニセフ(国連児童基金)二〇〇〇年版『世界子供白書』

 ●「グローバル化(経済の地球規模化)が進むなかで貧困のもとで暮らす人の数  は増え続けている」 
 ●「グローバル化の恩恵を受けられない人の大多数が、以前から貧しかった女  性や子どもだ。世界の経済が二極化して、豊かな国と貧しい国、豊かな人々と  貧しい人々の格差が広がるに従って、貧しさがいっそう深刻化している」
 ●「最後にグローバル化の強力な力を規制する努力が必要で、それがない限り  グローバル化は国内や国と国の間の公平を犠牲にして、世界市場の拡大のニ  ーズに応え続けることになる」
 ●94〜98に、世界の最も豊かな二〇〇人が純資産を二倍以上に増加させた。
 ●世界の最も豊かな五分の一と最も貧しい五分の一の所得格差は一九六〇年  の30対1から一九九七年の74対1へ拡大

連載に当たって(編集部)

 二〇〇〇年を迎え二一世紀はあと一年となった。この世紀の変わり目はまた大失業時代とも呼ばれる時期ともなっている。この二〇年余、「勝利」を謳歌してきた資本主義の陰には世界的な貧困と飢餓、そして失業のまん延がある。世界的な格差と矛盾の蓄積は地球的規模の危機をも意識させざるを得ない状況ともなっている。ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる現在の資本主義はいかなる特性をもち、そしてその展開はこの地球に何をもたらしつつあるのだろうか。
 新自由主義経済の理論家たちとは正反対に、私たちの基本認識は「資本主義は歴史的衰退を克服してはいない」というものである。その点に正面から踏み込んで立論しようとすれば、対象は膨大であり範囲も広いものとなる。一定程度に限った視点に絞ってもなお、少なからぬ量に達することになってしまうことは避けがたい。今回、神谷哲治同志の労作を本紙上に掲載することとしたが、限られた紙面であるだけに連載が少々長期にわたることをお断りしておきたい。最後までのおつきあいを要請する。