1990年8月10日         労働者の力              第12号

国際シンポジウム「現代史の激動と卜ロツキー」
十一月開催にむけ準備進む
七月二十九日、プレ・シンポ開催さる

 きたる十一月の二日から四日にかけて開催されるトロッキー暗殺五〇年国際シンポジウム実行委員会は、七月二十九日午後、東京大学農学部内でプレ・シンボを開いた。
 内容は、イタリア現代史を専門にする片桐薫さんの「トロッキーとグラムシ」、東京外語大学大学院の鈴木一之さんの「中国トロッキズム運動史研究の諸前提」、および富山大学教授である藤井一行さんの「ベレストロイカ下のトロッキー再評価の動向」の報告と質疑である。
参加者は約三十人強。

 片桐薫さんの報告

 片桐さんの報告は、三点をとりあげてトロッキーとグラムシの関係を論じた。レジメを引用させていただく。
 @トロッキーの「東方と西方」という概念に触発され、以後、グラムシは独自の政治理論の重要な側面を展開していった。政治技術と軍事技術、陣地戦と機動戦、ナショナルとインターナショナル等々。
Aトロッキーの質問に応えるグラムシの「イタリア未来主義についての手紙」と獄中での「アメリカニズムとフォーデイズム」にみられる文化的視点とその展開。B党とソヴィエト、レーニンとトロッキー。党と工場評議会、ボルデイーガとグラムシ。政治と革命の概念におけるロシアとイタリアにおける組織方法論上の問題をめぐって。
 片桐さんはグラムシ研究者であるが、以上の三点をとりあげつつ、トロッキーとグラムシが交差した点とすれちがった点を明らかにしつつ、世に流布されているトロッキーヘのグラムシの批判、そこからグラムシはトロッキーとは敵対したという論理は歪曲であると断言した。
二〇年代後半から三〇年代前半の時期、グラムシとトロッキーは再度接近する。
 三二年にトロッキーはグラムシ評価の手紙を執筆する。両者にとって、アメリカヘの関心は共通していた。グラムシは、テーラー主義と生産者評議会に関心をしめし、二九年一月に「アメリカニスムとフォーデイズム」を執筆し、三〇年末には生産様式と生活様式の結合としての文化、すなわち革命は人間の実生活の中から生み出されるもので、文化と政治は切り離せないとし、フォーデイズム=フォード主義を経済主義のみでは見なかった。その文化面を見た。トロッキーヘの共鳴がある。

 鈴木一之さんの報告

 鈴木一之さんは、「中国トロッキズム運動創成期の路線形成史的考察」という論文を執筆しているが、その論文の「はじめに」に次のように書かれている。
 「…路線形成史という本稿の研究目的は、ロシア共産主義の分裂した結果としての一翼たるトロッキズムが、いかなる実相をもって中国に移植され、中国共産主義運動の一部と結合し、あるいは変形されていったかを、当時の共産主義運動内部の派閥的緊張関係における当該主体の政治的・イデオロギー的位置の解剖という手掛かりをもって明らかにすることである」
 鈴木さんは、報告において、既存の諸研究は、戦前の日本、近年の中国、欧米の研究の総体として、コミンテルン全体なかで党派活動としての中国トロツキズ運動総体の位置の解明に失敗していると述べる。彼の論文の結論部分を紹介する。
 「共産主義超おけるポピュリズム的・ヒュ−マニズム的な価値合理性を追求した中国トロッキズムは、そのことゆえに、党=軍を実体的基礎とする革命独裁の樹立のために一切を統轄する統括する路線の構築を勝利のための不可欠の前提とした中国共産主義運動においては実践的地歩を占めることができず、共産主義におけるエリート主義・強権主義的な目的合理性を追求した中国スターリニズムに駆逐された。むしろそれは、先進資本主義国の社会意識たるリベラル・デモクラシーに溶解する要因を、その創成期に確立した路線のうちに胎はいしていた。かかる意味で中国トロツキズは近代市民社会において価値合理主義的行動様式をとるあらゆる理想主義的フィギュアに共通するところの、そしてそれ白身のイスタブリッシュメントを実現することが不可能であったところの、受苦的なる生民のやむにやまれぬ抗拒へのアンガージュマンであり、したがってまた、人間が人間を抑圧する社会のあり方に対する告発であり、抗議であり、糾弾であった」。
こうした格調高い文学的ともいえる歴史的評価にどう答えるか、私たちは問われた。
 藤井一行さんの報告は、ソ連共産党、ソ連学会、ジャーナリズムに掲載されたトロッキーにかんする最近の研究、報道を克明に調査されたものである。トロッキー再発見への流れが不可逆的に進行しているという状況を示すものであった。

*今後のスケジュール
 プレ・フォーラムは第二回目を九月十五日に開く予定。また、シンポジウムの各セッションの準備としてのワークショップも八月からそれぞれ開始される(二面の案内を参照)。

9・30集会案内
*集会名称 ナリタは違憲の巣、二期工事糾弾、考え直せ成田空港
      9・30三里塚現地集会
*期  日 9月30日(日)午後一時より集会
*場  所 芝山町横堀三里塚 横堀現闘本部前集会場
*交通手段 京成成田駅前から、千葉交通の臨時バスが午前11時に出ます(片道590円)。終点は中郷です。そこから徒歩で30分。帰りはデモの終了が中郷で、午後4時頃同じバスが京成成田駅に向けて出ます。
*集会の他に、プレイベントとして次のような企画があります。
(1)前夜祭 9月29日8時から約2時間の予定で、東峰共同出荷場にて映画/小川プロ製作『三日戦争』の上映と、農民との交流。会費は1、000円(ドリンクつき)
 交通手段/京成成田駅に午後7時に迎えの車を出します。参加される方は電話予約を下記の所にお願いします。
(2)交流会 9月30日午前10時30分から約2時間、横堀集会場(雨天の場合は屋内)で農民とのひざづめの交流会を行います。昼の弁当は、現地でも販売します(400円)。
交通手段/京成成田駅に午前9時30分に迎えの車を出します。参加される方は下記の所まで電話予約を(お弁当の予約についても)お願いします。
*問い合わせ&連絡先 電話/04797(78)0069
           FAX/04797(78)1058 現闘本部まで
     住所 千葉県山武郡芝山町香山新田106―4 三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)
反対同盟(熱田派)発行のビラから転載
八月三日、和多田さん元気一杯で出獄
獄中生活十一年五カ月、和多田粂夫さんごくろう様!」集会

和多田さんらしい登場

 八月三日、管制塔戦士の最後として和多田粂夫さんが府中刑務所から出獄した。八時半頃、正門から家族たちが迎えにいったので、およそ八〇人近くの出迎えの人々が正門に向かって今や遅しと待ちかまえているのに、和多田さんらしいというか、みんなの背後に突然登場。歓迎のクラッカーがパンパンと鳴る中、車から降りた和多田さんから簡単な挨拶。
 法廷や東京拘置所での面会で目にしていた和多田さんはどちらかといえばたっぷりしていたが、その体が引き締まったこと以外は昔のイメージのままのまことに元気な姿であった。
 すぐに近くの公園に移動して簡単な歓迎集会。この日も朝早くから三里塚現地から駆けつけた反対同盟の秋葉さんの歓迎の言葉。「十一年五カ月の闘いを経て出てまいりました和多田さん、本当にご苦労さんでした。本人や家族の方にとってもまことに容易ならざる十一年と五カ月だったでしょう。これで管制塔戦士のすべてが出てまいりました。私たち反対同盟も管制塔戦士の闘いを一つの励みとして闘いつづけてきました。おかげさまで満二十四を迎えました。闘いは正念場に入っています。和多田さん、長い獄中生活のため体が弱っているかもしれません。家族、同志のいうことを聞いて一に健康、二に健康、体に気をつけてください」。
 続いて和多田多津江さん。長い十一年間を振り返って「体が元気なこと、十一年間が無駄になったと思ってほしくないと考えてメッセンジャーを務めてきました。今日が新しい生活の出発点だと思います。これまでのことは『思い出』になっていきますが、残りの人生を家族としても充実して生きていきたいと思います」と今後の生活に向けた抱負を述べた。
 正門前で簡単な挨拶をしただけであった和多田さんが登場。「こんなにたくさんの出迎えありがとうございます」と挨拶し、自分の人生を簡単に振り返りながら、最後に家族との関係でユーモアをまじえて決意を表明した。逮捕当時まだ小さかった娘さんが高校三年生になり、出獄前に「@父親面しないこと、A稼いだ金を母親に渡すこと、B家にあっては空気のような存在であることの三つを約束させられ、無条件降伏した」と、新しい関係の樹立に向けた決意の発露であった。刑務所前の歓迎行動をそこでやめ、午後一時からの集会に向かった。

三里塚闘争へのおもいを込めて

 渋谷の勤労福祉会館で開催された集会にはおよそ百五十人が参加。「獄中生活十一年五カ月、和多田粂夫さんごくろう様!」集会の司会を管制塔戦士の前田、平田さんの二人が務め、和多田さんを守る会の代表による開会の挨拶からはじまった。集会は四時半頃まで続いた内容も非常に豊かなものであったが、紙面の関係もあり、かなり要約した報告になる。
 反対同盟の堀越さんが乾杯の音頭。一言として三里塚闘争の有利な現状を述べ、世論の後押しが少し足りない、こういう良いときに出てきた和多田さんに闘いの先頭に立つことではなく、有利な状況を生かすための知恵を出してほしいと述べて、全員で乾杯を行った。
 和多田さんが昔ながらの調子で話しはじめる。獄中生活にふれ、慣れるとたいした苦労ではないと報告し、話はすぐに現在の状況、特に三里塚闘争におよんだ。
 「現在の歴史的な転換点の中で三里塚闘争を考え直すべきだ。大衆的実力闘争一本でやってきたが、現在はそれが成立しない状況だ。それは単に力関係の問題ではなく、闘争の構造の問題ではなかろうか。また、支援と反対同盟の関係という面からも考え直すべきだ。反対同盟の方針に反対の場合は支援としてはそれに代わる正しい方針を持ち込むことが必要であり、原則的にとか、あるいは基本姿勢での反対を唱えるだけでは間違いである。どうしても反対をいいたいときは支援をやめればよい――これが支援と反対同盟の当初の関係だった。こういう関係がなくなっているように獄中にいるときに見えた。同盟の闘いがどうなっているのか詳しくわからないことが多いが、反対同盟の皆さんとも直接話し合って考えていきたい」
 「反対同盟を少しでも具体的に考えると、支援の側が反対同盟の現状を勝手に規定して批判することがいかにおかしなことかわかる。例えば反対同盟はこれまで様々な闘争をやってきたが、実力闘争とか非妥協の闘いなどと自分で規定したことはない。支援が勝手に規定し、それと違ったから原則の逸脱というのは反対同盟を具体的にみていない現れだ。闘争が重大な終局局面に近づいていると思う。その中で反対同盟の中に様々な分解がある。あるいは経験的に従来とは違った方針が出てきている。支援はそこからも学ぶべきことがあるはずだ」
 「このような話をなぜ挨拶の中でするかといえば、三里塚に関して私は自分がインターを代表していると考えているが、組織が分裂している状況にあっては今後、インターを代表して語ることができなくなるかもしれないからだ」
 「ソ連や東欧の状況を見るとき、近代の終焉といえるのではないかと思う。こも意味で本当に歴史的な転換点であるが、これについて様々な評価がある中で、伝統的左翼の中にソ連や東欧の改革を高く評価しながら、自分の立場、考え方を変えていない人がいる。これはおかしいと思う。この歴史的な転換点にあっては、自己切開、反省を抜きにしては他の評価はありえない」
 組織の分裂について次のように語った。「獄中者にとって一番の問題は家族や組織との関係、つまり外との関係だが、組織の分裂には本当に困った。これから分裂の状況や原因などいろいろ難しいことを討論していかなればならないと思うが、それはつらいこともあるだろう。私は今は分裂した組織のどこにも属していないし、統一までは一人で第四インターナショナルを代表してやっていくつもりです」と決意を明らかにした。
 最後に一カ月ほど休んで九月から就職して頑張って生活をしていきたいと、今後の生活の決意を報告して、挨拶を結んだ。
 多津江さんの挨拶。それから木の根の小川源さん、熱田一さん、山口武秀さんが和多田さん歓迎の言葉とともに三里塚闘争の現状や今後の展望を報告。異口同音に和多田さんの活動への期待を表明すると同時に体を気づかった発言だった。
 管制塔裁判を弁護してくださったほとんどの弁護士が登場して裁判の中での和多田さんに関わる話を披露し、また現在、高裁で結審になった民事訴訟の状況が報告された。
 そして参加した反対同盟の方々の一人ひとりが紹介され、続いて和多田さんの旧友三人からの歓迎の言葉が語られた。三里塚闘争に連帯する会の上坂さん、管制塔裁判を勝利させる会の福富さん、救援連絡センターの山中さん、田島さんの一人芝居と集会は進行し、関係救援会からの挨拶、インター横堀現闘団、わくわくツアーの平井さんの話があって、最後に管制塔戦士全員が整列して一言ずつ和多田さんについての思いを語った。特に、自白を強制され、和多田さん有罪の決め手とされた調書をつくられたFさんが管制塔の仲間だとあらためて紹介されたとき、会場から力強い拍手が起こった。 

天皇制賛美の一環――第四五回福岡国体
「国体に問題あり!福岡県連絡会議」を中心に闘いを開始
                 松本 桂

福岡国体の性格

 沖縄国体を最後にして二順目に入った国民体育大会は、京都、北海道に続いて今年は福岡県で開かれる。福岡国体は太宰府・菅原道真にちなんで「とびうめ国体」と名づけられた。福岡市内では非常に貴重な緑の残った地である福岡空港北側の丘陵地を切り開いて新しくつくられた「博多の森陸上競技場」をメイン会場にして十月二十一日から県内各地で繰り広げられることになっている。夏期大会はそれより先、九月九日から北九州を中心にして開かれる。
 福岡大会は、前三回の沖縄、京都、北海道に比べれば、その地であるが故にもつ歴史的、政治的特色は薄いかもしれない。だが、昭和天皇の喪が明けてからの、平成天皇即位の礼・大嘗祭に至る天皇制賛美キャンペーンたる一連の「奉祝」行事の一環を構成している点においてきわめて重要な役割を与えられているようである。終戦三年後の第三回の福岡国体で「天皇杯・皇后杯」が設けられ、「日の丸・君が代」が登場している。その四二年後に今度は即位の礼を一カ月後にして、平成天皇が全皇族を動員して福岡国体で国民意識発揚、天皇制賛美の一大国家イベントを演ずることになる。
 この夏から秋の天皇即位の祝賀・賛美の重要な舞台である福岡国体の準備は着々と進められている。国体への児童・生徒の動員、地域社会・企業を通じた国体への協力強制、莫大な公費の関連事業への投下、「日の丸・君が代」による天皇・国家意識の育成など、これまでどの国体でも行われてきたことが福岡でも行われている。さらに今国体では天皇代替り即位・大嘗祭という状況の中で、総評・県評の解体に伴う労働組合の国体への取り込み、「日の丸・君が代」の義務化を中心に反天皇制教師に対する攻撃が強化されている。そして野宿労働者に対する警察の事前強制捜査や公園からの追い出しなどが行われ、県警には国体警備対策警備費として三年間で約九億円の予算がつき、ヘリシステムやモトクロス部隊、地下爆発探知機などが導入されるという天皇警備の取り組みに特徴がある。
 日本体育協会(日体協)作成の「国民体育大会開催基準要項」によれば、国体の目的は「広く国民の間にスポーツを普及し、アマチュアリズムとスポーツ精神を高揚して国民の健康増進と体力の向上を図り、併せて地方スポーツの振興と地方文化の発展に寄与するとともに、国民生活を明るく豊かにしようとするものである」とされている。だが、国体のこれまでのありようはそうではない。戦前の国威発揚・国民錬成を中心とした「明治神宮競技会」を開催してきた日本体育協会の主催で、終戦一年後「国民気力の高揚」を目的にして行われた第一回大会より、一貫してスポーツ振興に名を借りた新日本の国民意識、国家意識形成のための役割を果たしてきた。

新段階を切り開いた反沖縄国体闘争

 一巡目最後の沖縄国体の前まで、反天皇制運動勢力の反国体の闘いはほとんどなかった。総評、自治労、日教組からなる「国民民主化を進める全国連絡会議」が主として国体問題に取り組んできたのであるが、「誰でも、楽しく、自由に、参加できるスポーツの祭典としての改革を図り、国体を国民の国民による国民のための国体とする運動を広げる」とする立場からの取り組みであった。
 文字どおり「開催基準」のような目的を果たすために一年当たり一千億円に近い公費をつぎ込めるのなら今の国体よりましな方法をいくらでも考えられる。また国体は記録的にも重要な競技会ではない。国体から「日の丸・君が代」をとってしまったら、それはもう「国体」ではなくなってしまう。天皇、「日の丸・君が代」がなければ国体たりえないのである。反国体ではなく、国体の民主化という立場は、国体構造に組み込まれた上での国体に対する立場であったろう。
 だが、沖縄国体に対する沖縄民衆を中心にした闘いは、反国体の新しい出発をつくり出した。読谷村のソフトボール会場における知花さんの「日の丸」焼却の闘いを象徴として、国体そのものの存在を問題にする闘いがはじまった。戦後国体は戦前の明治神宮競技会などを反省して始められたことになっているが、戦前天皇制国家の「国体」堅持と本質的には同じ問題が、今の日本国家との関係において存在している。
 国体が国家・天皇と切り離して存在することはありえず、国体は国家の国民統合のイデオロギーを体現しているという本質的性格は変わりようがない。国体は民主化されることなく、沖縄国体を通した天皇出席による沖縄戦と戦後責任の清算のもくろみ、沖縄民衆に対する天皇・「日の丸・君が代」、そして自衛隊の強制、万世一系の天皇の永き都としての二順目第一回の京都開催、北海道国体におけるアイヌ民族差別など、この間の国体の中でその性格はよりはっきり現れてきている。
 反福岡国体の闘いは、沖縄、京都、北海道の闘いを継承して始められた。ここ数年の福岡における反天皇闘争、とりわけ一昨年、昨年のXデー、大喪に対する闘いの中で反国体闘争は準備されてきた。昨年夏に福岡で「いらんばい国体!福岡ネットワーク」が個人の集まりでつくられ、意見交換、宣伝活動が始まった。十二月二十三日の反国体・反天皇集会を経て今年一月には福岡県下の様々な運動諸団体の結集で「国体に問題あり!福岡県連絡会議」が結成され活動はさらに拡大していった。

法的根拠のない「開催基準要項」

 十二・二三福岡反天皇・反国体の講演の中で「うねりの会」の杉本さんは、京都の闘いの中で国体実行委員会が指針とする日体協が作成した「国体開催基準要項」には法的根拠がないことが明らかにされたことを強調していた。これは、知花さんの公判闘争の中でも明らかにされてきた問題点である(沖縄国体の当時は開会式については「基準要項細則」では「国旗掲揚」は記されていなかったが、そのすぐ後の十二月「細則」が改訂されて「国旗掲揚」が記され京都国体から施行されることになった)。福岡の闘いはこの問題点の追及が今後重要であるという指摘を継承して闘いが組み立てられた。
 二月二十八日、福岡県国体実行委員会に対して県連絡会は十三項目におよぶ公開質問状を提出し、さらに福岡市、北九州市実行委員会に対して「福岡ネットワーク」と「北九州市民運動連絡会」がそれぞれ公開質問状を提出した。県、両市実行委員会に対する交渉の中で出された回答は天皇杯の授与、「日の丸・君が代」の使用、国籍条項による在日定住外国人の排除についてすべて「基準要項」に定められているとするものであった。とすると問題は「基準要項」の法的根拠であり、県や市町村が国体のために莫大な公費を出費していることの法的根拠である。
 「今国体の運営主体、並びに開催基準要項の法的根拠を明らかにしてください」という質問に対して県実行委員会事務局を代表した事務局総務課長の回答は、「今国体の運営主体はスポーツ振興法に基づき日本体育協会・国・開催都道府県であり、開催基準要項はスポーツ振興法の主旨にのっとり大会運営を円滑に行うため、日体協において定められています」だけであった。
 だが、総務課長は追及の中で「基準要項」の法的根拠について「(明文の)法律に定められたものではなく、法的拘束力はない」との見解を明らかにした。つまり国体は一財団法人である日体協が勝手に定めた法的拘束力のない「基準要項」にしたがって、天皇・「日の丸・君が代」を国民に強制し、在日外国人を排除しており、国、県、市町村は法的根拠もないままに福岡国体に六百億円といわれる莫大な公金を違法に支出していることになる。
 県連絡会は六月十六日、沖縄の知花昌一さんを招いて、福岡市、北九州市で集会を開いた。その集会の総意として、違法性を追及するために県連絡会は六月二十二日に福岡県監査委員会に、知事が国体実行委員会に交付した補助金のうち今国体実施要項パンフ作成に要した費用は違法な支出にあたるのでその費用を県に弁済するよう求めた監査請求書を提出し住民監査請求を行った(実施作成パンフにかぎったのは、参加資格の国籍条項による排除の違法・不当を具体的な焦点にするため)。
 国体に関しての監査請求は、京都市で国体読本を市の教育委員会が編集し、国体室が作成費用を負担したことに対して行われたが、この時は却下されている。北九州市に提出した監査請求も却下されたが、福岡県のは正式に受理された。その結果として七月十六日には公聴会が開かれた。公聴会では、九州大学憲法学教授の横田耕一さんの書面による陳述をはじめ、教師、地方公務員、僧職、医師、主婦、会社員など様々な職業の監査請求者が、「国籍条項」による在日外国人排除の人権無視、国体による「日の丸・君が代」の強制の不当性、学校へのマスゲーム・炬火リレーなどの割当による弊害、自然破壊、障害者差別、自衛隊の導入などの実態を明らかにして、県の出費の違法性を主張した。
 福岡国体は、夏期国体開催まで後一カ月である。闘いの中で県実行委員会事務局から関係部局に「精神障害者に対する人権侵害が起きないように」申し入れることや、福岡市実行委員会事務局総務課長の名前で「国籍条項の見直し」を県実行委員会に対して申し入れることを約束させるなど、一定の成果もかちとっている。今後いよいよ即位の礼・大嘗祭にいたる奉祝キャンペーンの中で反国体のより具体的な闘いが必要になってきている。

第一回全連邦炭鉱労働者会議の結果
お願いから要求へ
モスクワニュース紙二五号(七月一日)

現実を踏まえて

 この大会には通常の尺度はあてはまらない。例えば、急進派が何人、保守派が何人、態度保留が何人といった基準は無意味である。人々は同じ考えからここに結集した。彼ら全員は、一九八九年七月の炭鉱ストを闘い、当時ストライキ委員会で積極的に活動していたのである。参加したすべての代表は、地下の労働をかなり経験した労働者であった。
 全国の炭鉱地帯の代表が参加する大会の組織委員会は、議題として、炭鉱労働者の社会的条件、閣僚会議の決定六〇八号の実行、市場経済条件下における炭鉱産業のあり方、公認労働組合の幹部の活動などを示唆した。だが、鉱山での重労働や広場での激しい集会になれ親しんでいる代表者たちは、提案された議題を却下した。というのは、彼らにとって、地下での採炭の恐ろしい労働条件や鉱山で労働者が非常に高い比率で死亡している事実、職業病の結果としての死亡、まったく惨めな生活条件などについてあれやこれと議論する必要がなかったからである。全員がこれらについて知りすぎるほど知っており、空虚な言葉は必要なかったのである。
 彼らが中心問題だと考えた点、つまり政府について議論した。決定六〇八号は実行不可能であり、炭鉱労働者は誰でもそれについて聞いたり話すことにあきあきしている。それは、ストの緊張をなくすために急いで調印されたものであり、現政府は、全国状況を管理できず、明らかに決定を遂行する能力がない。現政府は、輸送されない石炭の山が燃えるを阻止するための鉄道輸送を遂行できない。また、炭鉱にとって不可欠になっている機械や設備の生産と輸送のための広範な計画を遂行できていない。
 ほんの少し前に炭鉱労働者があまりに多くを要求しすぎると非難されたことが逆説と思われる事態である。ヴォルクタのハルメールH炭鉱からやってきた代表は、決定六〇八号はただ詳細なだけであり、それを忘れるべきだと主張し、他の代表たちも心から彼を支持した。閣僚会議副議長のレフ・ルイアベフは、決定には実行できない内容は一つもなく、決定の遂行を引き延ばしている人々に対して行動を起こさなければならいと主張した。

政治闘争への発展

 内面的なドラマに満ち満ちたこのエピソードは、一年にも満たないこの期間における炭鉱労働者の精神的な変化、発展を示している。純然たる経済的要求から始まって労働者は何度も期待を裏切られ、経済制度全体を変革しなければ、この産業においては何も変わらないことを理解したのである。政治闘争が決定的であることを理解した。
 炭鉱労働者はもはやお願いする存在ではない。彼らは要求している。そして、この大会の決議が主張しているのは、まさにこれである。
 「今日必要なことは……国家が管理する経済を終わらせる決意と能力をもった政府、……市場経済と民主主義への移行を本当に実現できる政府をつくることである。この数カ月間の事態は、現政府がその能力をもっていないことを示した。したがって、われわれは、現在の政府の退任を要求する。われわれは、大統領とソビエト最高会議が新しい政府を組織すべきだと主張する。大統領とソビエト最高会議がそうするに当たって、すべての国民とすべての共和国の意見を考慮に入れることが必要である」
 炭鉱労働者の運動は急速に発展している。彼らは当初、知識人を遠ざけ、彼らを避けていたが、この道が暗礁に乗り上げることを理解しはじめた。新しい方向に道を切り開いたのは、ドンバス炭鉱地帯の労働者で、ストライキ委員会の副議長をやっている。彼は、大会期間中に私に、前のスト実、現在の労働者評議会はスト現地の国立大学で、専門家、とくにエコノミストと定期的に会合をもっていたことを話してくれた。経済的に不採算な部門をなくし、かつ上からの指令を待たずに、彼らは、炭鉱に関する広範囲の評価について意見の一致に達したという。
 代表の労働者たちが、この大会に招待した科学者、専門家たちの話を熱心に注意深く聞く様子を私は目撃した。労働者の発言は必ずしも雄弁とはいえなかったが、その論理はまことにしっかりしていた。それぞれの炭鉱地帯に固有の条件がある。クズバースは採掘条件のよい炭鉱であり、経済的独立が可能のようにみえる。しかし、相当に掘りつくしたドンバスは、数十億ルーブルになる政府の補助金によってはじめて成立しているのではなかろうか。また、労働者の指導者は指令経済というものは闘いなくしてはなくならないことを理解していた。ヴォルガショルスカヤの評判は全国に知れ渡っている。ヨーロッパで二番目に大きい炭鉱である。長期の持続的なストによって、この炭鉱は経済的に独立し、独立採算制になった。その結果、四五〇万ルーブルの負債を負い、その圧力が非常に大きいため、両方の目的を達成できなかった。

独立組合めざして

 独立組合のユーリ・ドミトレンコは「これは他の炭鉱にとっても教訓にしなければならない」といった。
 「われわれは、市場経済への移行を確実に行うことができる政府の形成を要求する。その移行が人民の大部分にとって苦痛を伴うものであってはならないと考える。この移行は社会的保護の考えを含むものでなければならない」と大会の決議は述べている。
 新たな独立労働組合を組織する問題は、きわめて活発な議論を呼び起こした。実際、代表全員が現在の公認労働組合を批判した。しかし、代表を選出した労働者集団の意見を聴取せずに新しい独立労働組合について決定するようなことはしなかった。八月にモスクワで開くことになっている第二回大会で、これについて決定することになった。ここしばらくの間、炭鉱労働者の集会などで、参加する労働者の職種などの範囲、組織構造について検討していくことになった。
 代表者の三七%が共産党員であった。白熱した論議の後で採択した決議の一つは、ソ連共産党に対する態度のとり方を次のようにいっている。
 「大会は、労働者組織がいかなる政治組織からも完全に独立することを強調する。……われわれの独立のための闘いはまた、ソ連共産党に対するわれわれの態度でもある。……われわれは、ソ連共産党が企業や一切の機構において有している特権を辞退すべきだと要求する。党およびコムソモールの専従者に対する有利な服務記録は廃止すべきである。われわれは、複数政党制のもとで、国民がつくりだしたソ連共産党の財産を国有化する条件の問題が解決されるべきであり、すべての政党に同権が保障されるべきだと考える」
 この間のわが国の労働者階級の運動の状況を見ると、炭鉱労働者が立派に第一線にっているといえよう。
 モスクワニュース特派員  ウラディミール・キセーレフ(ドネツクにて)

季刊総合誌『窓』第四号(1990 夏)を読む

        川端 康夫

 重厚で新鮮な切り口によって諸方面の関心を集めている『窓』の第四号が出た。
 結論から先に述べてしまえば、前号のEC特集につづく今号のアジア特集に至って、『窓』編集陣の狙いがかなり鮮明に浮き彫りにされてきた感が強い。長らく支配的な思考であり、実践の対象であったスターリニズムの崩壊の克服を、単にスターリニズム批判の領域に押しとどめることなく、新たな世界の変革の理論と主体形成の模索として開始する。
 であるから、『窓』の関心は当然にもソ連・東欧の分析とスターリニズムに対置する社会主義運動の民主主義的変革遂行への理論的アプローチに始まり、現代資本主義の構造分析と変革へのアプローチへと帰結していく。そうした現代世界の構造的行き詰まりの克服の展望のなかに「社会主義の破局」からの抜け道を見つけ出そうとする。

「勝利した」資本主義は、では世界を破局から救えるのか 

 この単純かつ明快な問いかけは、どの社会主義者にとっても共通の解きあかすべき課題であり、社会主義者であるかぎり頭から「ノー」という確信を持ちたがる、あるいはそのような「確信」に逃げ込む衝動にかられる。
 だが、こうした一見単純な、自明の前提であるようにみえる規定は、いまやそのままでは延命しにくい、というのが時代の一つの真実なのだ。
 つまり「ノー」という回答が確信をもつためには、まずなにゆえに資本主義が延命してきたのかのみならず、その自己改革をともなった再度の長期の経済発展の時代をむかえることが可能になったのか――このことに回答が、あるいは一定つじつまがあった分析がなされなければならない。またそのような資本の蓄積はいかなる形で内在する矛盾を蓄積するのか、いかなる形で発現するのか。あるいは矛盾を内在しないのか。きわめてザッパクに言えば、以上のことに関する真剣な関心を持たずに、スターリニズムの崩壊を論評しつづけることはむずかしい。
 換言すれば、ある程度、公式化された理論の世界の崩壊ははるか以前から明らかだったとはいえ、その公式が目の前でガラガラと崩れさることを見れば、いよいよ問題の究明への努力を将来のものとし棚上げにすることはできなくなる。
 理論作業は、党や政治組織の組織活動に第一の場を譲ってきた長い間の沈滞を打ち破り、いまや活動の最前線に飛び出すことを要求されている。今世紀の初頭がローザやレーニンを先頭とする第二インターの新たな理論家集団を形成した背景に第二インターの公式理論の明らかないきづまりがあった。『帝国主議論』と『資本蓄積論』が代表する二〇世紀解明へのアプローチが必要であった。
 そして現在、第三インターの世界がスターリニズムという醜悪に変形された姿を通してではあれ、解体しつつある。公式的の理論体系は、改めて世界を再認識しようとする努力に場所を譲らなければならない。
 『窓』の営為とその方向は、時代の必然を反映していると私には思われる。それゆえに当然、私たちの関心のありかたとも交差する。
 
 『窓』四号は、冒頭に百三十ページにおよぶ特集を配し、次に基本モチーフというべき社会主義問題と共産党問題および連載として国際論争「日本資本主義とポストフォーディズム」を配している。
この国際論争は、日本資本主義の「奇跡」をいかに理解するかというシビアなものであり、アジア特集と密接に関係している。
 全体で三百二十八ページの、相当に歯ごたえのある分量に、文字通りぎっしりとつめこまれた諸論文はそれがほとんど書き下ろしであるという意味でも壮観である。以下、敬称は省略させてもらう。
 アジア特集に少し立ち入ってみたい。

多角的なアジア特集

 特集は多角的にアジアへのアプローチを試みようとしている。その視点を冒頭の言葉に語ってもらおう。
 「ソ連、東欧の変革、冷戦体制の終焉。世界史的転換はアジアでも起きている。民主化への激しい動き。自立と発展へのエネルギー。アジアは今どうなっているのか。我々にとってはなにが問題になっているのか。動き始めたアジアに焦点を当ててみた」
 この視点は二つの要素で織られる。その一つは「日本の新帝国主義」(加藤哲郎/ロブ・スティーブン、国際論争における規定)の猛威をふるうアジアと民衆運動への接近であり、あと一つは、アジアの変革主体であり、かつ運動の到達目標であった共産党と「社会主義国家」をとりあげ、その変革の展望を探ろうとする。
 特集を構成するのは九つの論文と三つの報告である。目次を紹介する。
 「韓国における社会変革論争」(『マルクス主義』の復権から再検討へ)文 京洙/「アジアの労働力移動と日本資本主義の危機」(外国人労働者問題が問うもの)佐々木建/「ベトナム共産党でなにが起こっているか」(ドモイ路線をめぐって)有田芳生/「見直しを迫られる『開発』と『援助』」(インド・ナルマダ渓谷ダム計画をめぐって)鷲見一夫/「日本のなかのアジア、アジアのなかの日本」(コロニアルな視線をめぐって)村井吉敬/「『ベルリンの壁』から『三八度線』へ」(統一の鍵握る対話の継続と軍縮)辺真一/「アジアと沖縄」(辺境の逆転は可能か)山門健一/「草の根援助運動のめざすもの」(『豊かな社会』の問い直しと自助への動き)北沢洋子/「タイの映画」(アジア映画の力)佐藤忠男/「いま気になるアジアの動き」(特派員からの手紙)

韓国の革命論争

 ここでは私にとって特に関心をそそられた冒頭の文京洙(国際基督大学助手)の「韓国における社会変革論争」をとりあげてみたい。残念ながら熱心な勉強家であるとは言えない私にとって、八〇年代の韓国にわきおこったマルクス主義のルネッサンスと真剣な路線論争に関する積極的な視点をもつほどの追跡はしえてこなかった。その怠慢に頭から冷水をかけられたという感がするからである。
 文京洙は、八〇年代中期以降の韓国民衆運動の高揚のなかで展開されてきたダイナミックでかつ「『事実上、この一〇年間の論争は、起こった頻度において、その対立の熾烈さにおいて、その該当分野の広範さにおいて、その参与主体の数において』、他にその例を見ないほどにすざましいものであり」という「主体思想派」と「マルクス・レーニン主義派」という二大潮流の論争をわかりやすく紹介しつつ、次のように結論づける。
 「…植民地半資本主義論であれ、新植民地国独資論であれ、狭い意味での国家と、土台の間で展開する重層的かつ多面的な市民社会のダイナミックスへの問題意識を欠いているように思われてならないのである。
 現代の韓国社会は、市民社会が『原初的』であった五〇年代の農村社会ではないし、ましてや『マルクス主義』の理論がその原像とする革命当時のロシア社会ではなおさらない。一種の機動戦によって権力を手にした全斗煥政権が、けっきょくは八七年六月の市民社会の反乱によって退かなければならなかったことの歴史的な意味を十分に吟味しなければならない。それは、いまや韓国でも『市民社会の堅固な構造』(グラムシ)が国家の機構の背後に形成されつつあり、支配・被支配の対抗関係がかつての“機動戦”の時代から、市民社会のヘゲモニーをめぐる長期的な“陣地戦”の時代にうつりつつあることを示唆しているのである。そこに問われるのは、土台における大衆の地位を“覚醒”させるための『意識の注入』や上からの『指導』や『教育』ではなく、多元的な、ときには矛盾しさえする、下からの自発的な問題解決の指向性を民主主義的に調整し、組織する能力ということにほかならない。そういう時代に『マルクス主義』や『主体思想』がどれほどの意義を発揮しうるであろうか。前者はともかく、未分化な共同体社会を母班とする一種の精神主義ともいえる『主体思想』が、資本主義が展開し、バラバラの個人からなる市民社会でどれほどの有効性をもつだろうか。
 ともあれ、今世紀の、世界戦争やその危機と歩みをともにしながら、多元主義の内在化の余地に恵まれなかった『マルクス主義』の再検討という、九〇年代の世界に提起された重い課題を、韓国の変革運動も避けてとおることはできないはずである」
 ここで論理展開の鍵となっているグラムシの市民社会論の援用に同意するかどうかは別にしても、韓国における二大潮流とされるレーニンに依拠しようとする「マルクス主義派」と、「北」に求めようとする「主体思想派」の両者の論争がある種の袋小路に入り込んでおり、「教条化し、空中戦」におちいっている国家性格規定=革命(変革)戦略という戦前の日本の講座派・労農派論争をほうふつさせる論争の止揚を新たなマルクス主義の再生の方向に求めようとする筆者の意図は説得力がある。
 「いずれにしても、物質的富の再生産がひろく国民国家を超えて編成されざるをえない今日の生産力段階にあって、『従属』とはなにか、『発展』とはなにかというアポリアに韓国の新植民地国独資論も直面しているのである」と述べる筆者は、また「『中民(都市世帯の三五パーセントからなる中産層)であれ“基層民衆”であれ、変革主体をなすのは階級それ自体ではなく、階級の境界を超えた実践的能力である』として、今日の社会運動では常識化している『労働者階級のヘゲモニー』という命題に異議をとなえている」見解や「新植民地国独資論の決定論的、もしくは道具論的な国家認識をきびしく批判している」見解をあわせて紹介し、両派の論争の「狭さ」を示唆する。

階級概念の再検討

 ここで、本紙前号(『労働者の力』第十一号)で澄田心平が述べていたことを引用させてもらう。
 「歴史的に蓄積されてきた反独裁・民主化闘争の中で育まれてきた素朴な自己表現のエネルギーに裏打ちされた民主的権利意識の性格を理解する場合、国策としての反共主義イデオロギーによって支配されてきた側面をもつ韓国の国民意識との関係、または従来の『社会主義』論の見直し、再生のための理論的再構築階級概念の再検討をも含んで語られている現状において単純に『階級意識の発展』と規定することが適切なのかどうか、私自身は留保しておく必要を感じている。
 しかし少なくとも韓国スミダ労組の代表が繰り返し主張していた『死ぬことはできても負けることはできない』という言葉が、非妥協的な自己の実現に向かう意識と全労働者の民主的権利を要求するエネルギーとが一体となることによってはっせられていることを強く印象づけられたことを思う時に、自己表現のための普遍的民主主義を求めてやまない新しい要素と新鮮な可能性を、その中に見ることができるように思う。
 それは分断国家の枠組みによって束縛されることのない独立した新しい世代の意識の発現された状態であるともいえるのではないだろうか。
 一方でスターリニズムの歴史的崩壊によって、旧来の政治・社会体制を明白に拒否していく労働者大衆の巨大な変化が、アジア諸国の民衆に対して様々なテンポや内容の違いをともないながら近い将来、具体的な影響をもたらしてくることは避けられない。その巨大な変化の底流にある『自己実現のための民主主義』の社会的実現を共通の普遍的な目的意識、価値観として確定していくことが、共同の闘いを通じて求められているのではないだろうか。」
 この澄田のスケッチは、文京洙の問題意識と交差するであろうか。私にとってはかなり比重の重い問題意識となった。

 あとははしょってしまわなければならないのだが、「アジアと沖縄」の山門健一(沖縄大学助教授)の論調は新鮮さを与えてくれた。本土統合以降の沖縄について私たちは基本的に語る言葉をもたないできた。東京という中枢から辺境とされた沖縄が、中枢により強制される国境線をとりはらうとき、そこに東アジアの交通網の中心としての沖縄が、古来からの位置を復活させる姿で現れる――という主張は、沖縄にいる同志たちの活動を話に聞いてきた私にとって、ある程度の実感をもって感じられた。それはなにを導き出すのか。まだ確かなことは言えないのだが。
 さらに佐々木建(大阪市立大学助教授)の労作「アジアの労働者移動と日本資本主義」は重要である。この問題はあらためて取り上げたい。

 アジア特集で終わってしまったが、日本共産党大会と民主集中制にかんする座談会と中野徹三の日本共産党はどこへいくという連載は、ともに次号がまたれる。
 さらにドイツ社民党新綱領に関する松葉正文、同じく上島武の東欧革命にかんする覚書は、それぞれ別の形でとりあげる必要があるだろうが、今は省略させてもらう。
さらに照井日出喜の「ドイツ統一の底でなにが起きているか」のレポートは興味深いが、『朝日』に連載している本多勝一のレポートと読みくらべたとき、読者はどのような印象を与えられるだろうか、この点も興味深い。  一九九〇・八・三

ソ連共産党第二八回党大会の諸結果
党を再生する力は左派にある
第二八回党大会代議員のノートから


「常識が勝利した」

 「様々な困難はあったが、常識が勝利した……」――これが大会九日目にクレムリン宮殿の会議場の中で何が最もうれしかったかという私の質問に対するミハイル・ゴルバチョフの回答であった。この会話は、副書記長の候補者が確定し、まだ誰が勝利するのかまったくわからなかった時点のものである。この地位に誰がつくのか、イワシコか、それともリガチョフか。
 その後の選挙は、ゴルバチョフが期待していた以上に彼の言葉の正しさを明らかにした。大会十二日目、大会閉会の一時間前に、つまり怒った多数派が順応派の投票行為に助けられてソビエトの新しい外交・内政政策に責任を負っている人々を党の新中央委員会から追い出そうとしていた時に彼が同じ言葉を繰り返したかどうか、私は知らない。この時も、長い長い説得の後で、常識が再び勝利した。
 今日でさえ、このことは信じられないように見える。多数派がそれぞれの発言や投票行為によって、憲法の第六条がなくなっても全能の党という暗黙のイデオロギーは生き続けることを誇示していた会議場で、常識の勝利はいかにして可能になったのだろうか。代議員の多数は、国民が依然として旧体制に賛成していることを証明しようとした。彼らは、過去の「繁栄」をペレストロイカの「混乱、無秩序」と対比し、われわれが耐えてきた過去の一切の悪行に対して党に歴史的な責任があると発言した代議員を断罪した。
 彼らは、一貫して原因と結果を混同し、混乱のすべての原因をグラスノスチ(情報公開制)と報道に求めた。彼らは、彼らの「旧来」の思考と中央委員会総会における反ペレストロイカ感情を結びつけていた党の指導部の告解を短くしたいと熱望した。しかし、自信をもっていた多数派は、決定的な時には必ず後退した。なぜだろうか。
 党は、ロシア共和国の党大会でかなり熱くなった後に、しかも意見の分極化によって分裂の瀬戸際にある中で大会を開催した。立場をはっきりしなければならない時がきた。あることを考えていながら、それとは別の発言を行い、さらにそれらとも違うように行動するという愚かな振舞いをする時ではなかった。
 書記長の選出は大会九日目に行われた。それに先だってゴルバチョフは演説を行い、その中で保守派(かつてなく明白な存在になっていた)に対して彼らがゴルバチョフを頼みにしてはならないことをはっきりさせた。彼らは、このことをまったく明瞭に、しかも投票の直前にいわれたので、それを忘れるわけにもいかず、投票用紙をもって呆然とするだけだった。多数派は、過去五年間に達成されたものがなんであれ、ゴルバチョフとともに歩み続けるのか、それとも彼らの独自候補を立てるのかを決定しなければならなかった。自殺をその人の心の問題として論ずることができるが、しかし、「生きるべきか、それとも死すべきか」という決定的な瞬間がやってきた時、多数派は彼らにとりついていた観念を放棄しなければならなかった。常識が勝利した。

決定的瞬間に後退した保守派

 党の指導部にはもはや、未来(アレクサンドル・ヤコブレフ)と過去(イーゴル・リガチョフ)の間で勢力争いをしていた二人の人物がいなくなった。党自体には、順応派や保守派よりも「急進派」の方が相当に多くなった。一度ならず党の上層官僚は書記長に対して、過去に属するリガチョフを追放するのはしかたないが、それなら同様にわれわれをヤコブレフから自由にしてくれと説得しようと試みた。
 第一九回党協議会の後、二人ともイデオロギー担当の指導部の地位をはずされた。一人(ヤコブレフ)は国際問題に専念し、もう一人は農業の指導にあたることになった。そして今、二人とも政治局はおろか、新しく選出された中央委員会にもいない。これによって党の中央はなにか得をしたのか。まず心に浮かぶのは、両極端の二人がいなくなったので、党は安定性を獲得したということである。だが、そうだろうか。
 党中央に関して。それは望んでいた安定性を、この結果として獲得したのだろうか。依然として対極的な反対派をかかえている。リガチョフの後継者を探す必要はない。その人物の名前に言及する必要もない。その名前は、ロシア共和国の党大会後人々の口に何度も上がった。だが、ヤコブレフの後継者に相当する人物は誰かいるのだろうか。これに関しては、はっきりした回答はない。
 私は、リガチョフが副書記長への立候補を撤回せず、しかもそれにしがみつこうとしなかった事実を認め、この点で彼を評価する。彼は最後まで彼らしかった。彼の決意の堅さは、代議員に彼が引退する時がきたことを説得するものになった。ヤコブレフは、同じように行動することができなかった。彼は、政治局に入らないことを明らかにすることによって、大会が彼について決定しなければならいという責任を免除したのであった。

民主綱領派の行動の意義

 民主綱領派を代表する一部の代議員の発言は、民主議会主義政党を創設した左派の対案のように聞こえた。私は、自分の信念にしたがって行動した人々を責めない。また、処分を要求した大会の多数派とはなにも共通のものはない。民主綱領派の行動は、それが私にとってどうであれ、重大な意味をもっている。
 私は薮をつつこうとは思わない。大会会議場で私は、党員証とともに代議員としての権限をすべて返却したいという、あがらがたい感情にかられた時があった。いくぶん落ちついてから自分の決意のたりなさを反省した。民主綱領派の行動は極端であり、それは現在が彼らのように行動するときではないと思わせた。
 わずか半年前に、民主綱領派について知っている人がいただろうか。その支持者を数えるには片手で十分だった。ソ連共産党を再生する彼ら独自の道を見つけたいという、この綱領の筆者の誠実な願いが支持者の拡大につながった。彼らは、ともに進んでいこうとする人々であり、ソ連共産党をやめることによって戸を閉めることはしない。数世代にわたる国民がその歴史的記憶を一度に忘れ去ることはありえない。この記憶は、共産党が一度もよいことをしなかったのだから、この党と関わりをもたない方がよいという主張よりもはるかに強い。
 現在の党とは違った党ができる可能性は少しでもあるのだろうか。どちらにしても、現在の党が並ぶもののない強力な力を有していることは忘れてはならない。党の背後には、軍とKGB(どちらも共産党支配を脱していない)、国民経済と社会のあらゆる分野の役人のエリート層、広大な財産、報道手段の独占というものがある。これが、嘆かわしくとも現実である。これらを保守派の独占的管理にまかせ、彼らの自由にしてよいものだろうか。
 大会で保守派が勝利したとしたら、それは彼ら自身で民主綱領派の影響力を排除した場合であったろう。つい最近、民主綱領派の影響を受けた人々を党から排除する目的でつくられた政治局の特別の手紙が配布された。そして党の多数派は党の指針を無視した。民主綱領派の人々は自分の意思で党から出ていった。これは、保守派にとって贈物ではなかったろうか。大会では彼らはすべての場合、後退しなければならなかった――党の全体では急進的な気分が強いが、大会はこれをまったく反映していなかった。
 以上から結論を。党の未来は、左派が党の急進的な改革のために闘うに必要な忍耐と願望をもっているとすればだが、左派にかかっている。
 この大会に関する解説を書くためには、その意義について語る必要がある。これまでの大会では、その評価は主として、大会を主導した人々が党が例えば「ソ連共産党に栄光あれ」といったスローガンを与えるように行っていた。不毛な評価を慎む方がはるかによい。事実、大会は党の運命の中でその位置を占めた。しかし現在、党の運命は社会のそれとは同じではない。社会の第二八回党大会に対する評価と態度はいかなるものだろうか。この問題を何度も提出する必要がありそうだ。いずれにしても現在は回答の時ではない。待つ必要がある。

どんな不幸にもよい面がある
民主綱領派、ソ連共産党を離脱

 第二八回党大会における声明によると、民主綱領派の支持者たちの一部は党内の保守派とこれ以上共同の行動を行う可能性が見出せないがゆえに、ソ連共産党からの離脱と、新政治組織の結成をを開始した。以下は、民主綱領派調整会議のメンバー、シャスタコフスキーとカルピンスキーとの討論である。

ノーメンクラツーラの大会

カルピンスキー 第二八回党大会の代議員の中に百人以上の民主綱領派の支持者がいた。彼らの大部分は、ソ連共産党にとどまり、党と社会のさらなる民主化のために闘う方がよいと考えた。民主綱領派は、ソ連共産党内の民主的な人々の結合体としてつくられ、党自体というよりも党内の保守派に反対することを目的にしていた。この保守派の大部分は、ノーメンクラツーラに属している。大会終了時にあなたは、ソ連共産党と決裂する民主綱領派の声明を読み上げた。
シャスタコフスキー あなたも知っているように、これは長く、しかも苦痛に満ちた過程を経た決定だった。しかし、党内のこの間の事態は、もう限界に達していることを明らかにした。ロシア共産党設立大会の後、その報復主義者的な精神は、ソ連共産党大会によってもほとんど弱められなかった。ある具体的な政治機関としてのソ連共産党は、その色彩を最後的に明らかにした。それは、党がこの国家の民主化の最大のブレーキたりつづけるということで、このことは党の新しい規約に示されている。保守派が党大会の不寛容な雰囲気を形成した。大会は、党の全体を体現するというよりもむしろノーメンクラツーラのものだった。
カルピンスキー ロシア共産党大会やソ連共産党第二八回大会の発言を聞いて、いくつかの理由から私は一つの風刺漫画を思い出した。それは、森の小さな動物たちが歯医者さんに、狼の牙を抜いてほしい、そうすれば狼が食べ物を変えて一種のおかゆであるポリッジを食べざるをえなくなるからだ、とお願いするというものだ。子供でさえ、幻想を必要にしない。党の官僚は彼らの「牙」を使う習慣を身につけた。
シャスタコフスキー 官僚は、ポリッジを食べ続けるわけにはいかない。

党大会の積極的な面

カルピンスキー ソ連共産党の大会が大きく意気消沈させるものだったとしても、いくつか積極的な面もあった。重要な段階を経たと思う。新しい政治局には、首相、国防大臣、経済計画委員会委員長、外務大臣が入っていない。もちろん、これらの共産党員である大臣たちに対する政治局の影響力を過小評価するのではないが、しかし、政治局はもう命令を出すわけにはいかない。この最初の動きが、連鎖反応のように下へと拡大していってほしい。
シャスタコフスキー アナトリー・ルキャノフは、本人にとっては気持ちがいいが、しかし間違った定式、つまり、大会では党にとって特別なことは、分裂したという動き以外にはなにも起こらなかったと述べた。これは、現実ではない。民主綱領派の声明は、原則上の対立や新しい政治構造形成に向けた一歩について述べている。分裂とは、粉々になるような時にいうものだ。これこそ、われわれが避けようとしてきたことだ。
カルピンスキー 民主綱領派が別の「非共産党員」による政党をつくる意図を実行する権利をもたないのなら、ソ連共産党からの離脱というよりも「分断」ということができよう。実際に起きた事態は、離脱であり、決別である。ソ連共産党の財産については、「分断」の言葉の背後に隠すことなく、別の理由からして要求する権利がある。世間が知っているように、数多くの正当な理由がある。もしソ連共産党が分派結成の自由や様々な綱領にもとづく自由な見解の表明を認めるなら、われわれは一分派として共産党内に残っただろう。だが、実際の事態は反対意見をもつメンバーがとどまる場所がないというものだった。
シャスタコフスキー また、現実にソ連共産党から離脱した今、民主綱領派の最も敏感な問題はイデオロギー的立場だと思う。われわれは、事実の問題としてこの根本的な問題に十分な注意を払ってこなかった。「非共産主義者であり、反共産主義ではない」政党というだけでは確かに十分ではない。民主綱領派がソ連共産党内の一つの綱領的存在として登場し、存在してきたことを思い出さなくてはならない。当然にも、理論的基礎を十分もっていたわけではない。この問題についても、自分の考えがある。われわれが計画している党は、進歩の党でなければならない。われわれが今日、直面している根本対立は進歩に貢献しようと考え、その用意のある社会勢力と、そうではなく、現在の自分の状況に満足し、変化を望まない勢力との間にあると思っている。後者は、部分的な、しかし本物ではない変革で十分なのだ。創造的人物は社会の保護を受けるべきだ。この国家には、創造的活動を行う個人や社会層を政治的に保護したり、その活動を促進し、その結果として社会の調和を追求する政党が存在してこなかった。
カルピンスキー 訓練の結果として高い技術を身につけた人物に対する敬意を復活する党でなければと思う。公式労組は、社会的保護を主として弱者の保護と理解している。創造的、個性のある、技能をもった人々はほとんど保護を受けていないと思っている。
シャスタコフスキー 公式労組は、これまでと同様に再分配の活動を行いたいと考えている。勤労人民統一戦線と公式労組は、奴隷的状況の中で雇用された奴隷の保護を考え、決して奴隷制度全体を破壊することを考えない。
カルピンスキー この社会は普通の人間が住めない兵舎に似ている。そこに幻想のカーテンを下げて、それを社会的保護と呼んでいる。これこそ、民主綱領派が党組織構造の地域と生産点原則にやや性急に反対する理由である。まともな共産主義者はいったいどこにいくと想定されているのだろうか。職場細胞をなくせという主張に固守するなら、これは差別でさえあるだろう。
シャスタコフスキー この問題に関するわれわれの主張は一貫して歪められてきた。党が職場からなくなるべきだとは主張していない。党はすべての国と同じように職場に細胞や組織をつくることはできる。しかし、このことと現在の党のように生産の問題や人事、企業管理に直接干渉することは別問題である。

共産党との今後の関係は

カルピンスキー 別の問題に移ろう。民主綱領派のメンバーは、私には基本的に受け入れられない見解を表明しはじめた。ソ連共産党を出るか、それともとどまるかは個人の選択にまかされていたはずだ。しかし現在、いく人かのメンバーは、ソ連共産党に残ることは「不道徳、あるいは犯罪的だ」とさえ述べている。これは大きな圧力になっている。なぜソ連共産党の不寛容を借用するのか。道徳的価値という概念は注意深くなくされてきたにも関わらず、これらの価値が今日も生きているだけでなく、党に残るかいなかという問題を含めて大きな問題、小さな問題、個人あるいは集団の問題を問わず政治的決定の大きな構成要素になっている。微妙な問題がある。党を出るべきだという人々は、こうした党に残ることは恥ずべきという。党がその「絶頂期」にあった頃だったら、その当時でも今日と同じように党の内実を十分知っていたろうが、それでも党に残ったろう。党との関係での責任を免れたり、あるいはわかちもつことは難しい問題である。
 「党を権力から締め出す」という主張にも同じことを感じる。それが、官僚制からではなく、権力からという点に注意しなければならない。この党は、人民によってではなく、軍事の力で権力をとった。レーニンは国家権力をとるのは党であって人民ではないと述べたことがある。だからこそ、一度完全に攻撃者の心理を忘れる必要がある。党ではなく人民が「締め出すこと」やその他の問題を決定すべきだと思う。
 これまで私は、ソ連共産党内の反対派だと思われてきた。私がいま、共産党に残ると、民主綱領派と、それを基礎にしてつくられる新しい党から私が反対派にみられるのではないかと恐れている。民主綱領派はソ連共産党内の民主的な勢力と協働できると思うか。
シャスタコフスキー そうした協働に完全に賛成である。だが、ソ連共産党規約の最新版を見ると、様々な綱領は党内の広範な討論の間のみ存在が可能であるといい、ほとんど修正がない。誰がそうした討論だと決めるのか。もし中央委員会が決定するのであれば、事態は完全にもとのままだ。われわれの支持者が共産党内に残ると、いずれにしろこの問題にぶちあたると思う。
カルピンスキー エリツィンは、党を離脱する声明を発表する前、党への忠誠のいかんを問わずペレストロイカを支持する民主勢力全体の統一、結合を呼びかけた。しかし私は、かつては複数政党制に反対していたソ連共産党が今それに賛成する動きを見せていることに注目している。この基調の変化はおそらく、他の政治勢力を原子化して共産党の優位性を確かなものにしようという工夫だろう。
シャスタコフスキー まったくそのとおりだ。現在生まれつつある諸政党は共産党の千分の一の力ももたない。報道に関してのみならず、国家構造への浸透に関してもそうだ。だから私は、中心的な社会問題の一つが逆転不可能な変革を実現できる民主勢力の効果的な結合だという見解に賛成する。この秋に大きな民主的運動がくっきりと登場する機会がある。