2000年10月10日          労働者の力               第127号
ネオリベラリズムと労働運動の再生


グローバリゼーションに抗して
                                 

                                       坂本 二郎

 第十二回総会で報告されたグローバリゼーションに抗する新たな労働運動形成についての問題提起を掲載する。ここでの掲載は紙面の関係上、前半部分の国際的視野からの労働運動に限られている。国内的な諸問題については別の機会をみて掲載したい(編集部)。
 
ネオリベラリズムのもとでの世界的な労働運動

 ネオリベラリズムが実行に移された当初と現在の状態とは、かなり異なってきている。要約して言えば、イギリスのサッチャーが強権的に労働運動弾圧を進め、それが規制緩和や経済自由化として政策体系化された時期は、基本的には個別国家内部の動きという性格が主要だった。
 それが一九九〇年代に入り、ソ連圏の崩壊とともに帝国主義の「新世界秩序」が宣言されるにつれ、資本主義のグローバリゼーションの動きが主要な動向となった。サッチャー、レーガン、中曽根といった資本主義の三極における強権的労働者抑圧によってグローバリゼーションのために必要な準備がなされ、それを土台にネオリベラリズム路線は世界的な展開を開始した。
 九〇年代は、一方でアメリカ資本主義の「一人勝ち」的な様相を深め、他方でグローバリゼーションのスチームローラーがとりわけ第三世界諸国の社会構造そのものを解体してしまう動きとなって推進された。ヨーロッパはユーロを何とか立ち上げることには至ったが、そのユーロの「弱さ」が顕在化してくる。
 そして日本は構造的なゼロ成長が続く。九〇年代後半期に全世界を席巻した「通貨危機」が、ネオリベラリズム路線の「陶酔」に水をかける契機となった。インドネシアのスハルト政権崩壊、韓国のIMF管理体制化、そしてブラジル諸州の中央政府に対する債務不履行宣言、あるいはロシア通貨ルーブルの危機。
 この九〇年代末の状況がWTOシアトル総会への大衆的憤激、そして各国間の調整がつかずに総会が流会してしまう直接の引き金となった。事態は明らかに変化したのである。
 以上の流れにおいて労働運動は、まず第一段階としてサッチャー、レーガン、中曽根の強硬方針に対抗できず、帝国主義の三極では大きな後退を経験せざるをえなかった。サッチャリズムは旧英連邦諸国に伝播し、そこで猛威を振るうとともに、ヨーロッパ大陸にも波及し、ヨーロッパの社民党政権、左翼中道政権を呑み込んだ。
 アメリカのレーガン共和党政権は、あの航空管制官の大争議を全員解雇で押し切り、そして日本の中曽根は国鉄解体を頂点とする分割・民営化をサッチャーに追随して強行した。公的部門の民営化、規制緩和の全面化は社会保障や公共サービスの削減につながり、かつ労働規制の撤廃は雇用の不安定化や賃金の切り下げに直結した。
 第二段階は、九〇年代中期からで、労働者が反撃を開始したとして特徴づけることができる。フランス公務員ストの大爆発は九五年暮れであったが、イギリス・リバプール港湾労働者の闘いも時期は重なる。アメリカのUPS(チームスターズ)の闘いに結びついていくAFL・CIOの内部構造の変化も具体的になってくる。一時その規制緩和を喧伝されたニュージーランドは政府交替の事態となった。
 この局面に一連の通貨危機が重なってくる。タイに始まる通貨危機は韓国やインドネシアのアジアなど、過去十年、世界経済の新たな牽引力となるかに思われたアジア「四小龍」の危機に連鎖し、ブラジルに跳ね返った。「世界恐慌寸前」とまでいわれたこのアジアとラテンアメリカの危機は、IMFの全面介入によって国内経済市場や構造そのものを直撃する経済再建策、構造調整計画を各国に強要することになる。
 インドネシアの体制崩壊、韓国経済の全面リストラ開始、そして位相は違えているがマレーシアのマハティール首相は通貨管理へ踏み切る――IMFとネオリベラリズム経済、そしてグローバリゼーションが問題の核心に登場した。
 韓国労働運動は直接にIMFとの闘争となり、それは社会的な広範な支持のもとに一挙に官製、在野労働運動の統一、そしてIMFそのものと闘う国際的視野を獲得するに至った。これが、韓国労働運動がシアトルWTO抗議行動を含めた国際性を発揮している基本的枠組みである。
 こうした新たな局面の特徴は、つまり九〇年代後半期においてグローバリゼーションの展開とともに、IMF、WTOあるいは世界銀行(WB)といった国際的、国連的諸機構そのものが帝国主義(G7あるいはG8)の政策遂行に大きな役割を果たしていることが明瞭となったことにある。
 個別に展開されてきた諸闘争(第三世界の債務帳消しなどの運動)は、IMF、WTO、WBという国際機構がネオリベラリズムによるグローバリゼーション実行機構としてまとまって行動していることが明らかになるにつれて必然的な合流を開始する。
 ジュビリー2000運動の高揚や各国における農民運動の活性化は、直接にシアトルの行動と結びつくものとなり始めたのである。とりわけ通貨危機を契機とする資本の自由移動に対する規制を要求する声の高まりは、一方でマハティールに表現される第三世界支配層のG7に対する反発と抵抗があるが、同時にトービン税構想(資本移動に課税する)などが生まれ、そしてフランス、ヨーロッパのアタック(Attac、民衆を援助するために資本移動への課税を要求)運動の広範な展開となって民衆レベルで現れている。
 遺伝子組み替え食品や遺伝子操作の進展には恐ろしいものがあり、IT革命は「知的所有権」問題として帝国主義(アメリカ資本)の一方的な第三世界収奪にさらに道を開くことになる。言い方を変えれば、ネオリベラリズムのグローバリゼーションは、全世界の労働者や諸階層の生活に直接に介入し、その安定性を解体する。同時にそれに抵抗する社会的運動は、あえていえば比類ない拡がり、国際性をもって相互結合を獲得しなければ、闘いの足場を固められないという事態に直面しているのである。
 
シアトルWTO総会とアメリカ労働運動
 
 シアトルWTO総会に抗議する大衆動員の一つの中心を、AFL・CIOの労働者が担った。AFL・CIOに関する悪いイメージがあるが、上述したように九〇年代に入って以降、その内部の力関係や性格は相当に変化してきている。その主な原因は、皮肉なことだがアメリカ経済の浮揚局面が長期に持続していることにある。
 要約していえば、アメリカの「レーガン革命」が導入したネオリベラリズム路線は、これも既に述べたように労働者の抵抗を押し切って雇用の不安定化と賃金水準の切り下げを強行した。その結果、砂時計現象ともいわれる労働構造の全面的な二重構造化が進んだ。しかもその砂時計は上が小さく、下がはるかに大きい。そして「砂時計」であるから、上部から下部への落下は速やかで、反対の下部から上部に移ることはありえない。結果はますます下部が幾何級数的に拡大していく。
 下部にあたる労働者は、これも例えがあり「マクドナルド労働」という年収一万ドル程度の収入で雇用され、しかも非正規雇用である。一万ドルとは今の円ドル換算では百万円程度にすぎない。従って本職とは別の内職を探すことになる。週労働時間ははたしてどの程度になっているのだろうか。正確な数字は持っていないが、相当なものであるはずだ。
 アメリカ経済の拡大は第三次産業の労働力不足になっているから、こうした内職先を見つけることもある程度は可能なのであろうが、極めて不安定な過剰労働を下の労働者に背負わせることがアメリカ経済の特徴となっている。
 さらに上の労働者層は、これもアメリカ経済拡大の一つの要因を担っている。その端的な例が401Kといわれる確定拠出型年金制度へののめり込みである。将来の確定された年金支給額に見合う分を年々積み立てるのが、日本でも通常の確定給付型年金制度である。
 社会保障制度が普及していないアメリカでは、個人加入方式年金が主流であるが、それを大幅に変更して払い込みは確定しているが、給付は変動する方式への移行を政府が音頭をとって進めてきた。この利点は、企業にとって極めて大である。つまり企業は自社株やその他制限をつけた株式を払い込み分に応じて労働者に購入させる。その費用の半分は企業が負担するのだが、しかし、その企業は将来の給付金のための積み立てを行う必要がない。つまり払い込んだ金で投資した株券が、満期になったときの時価で「給付金」になるからである。
 煩雑だから二つだけ付け加える。一つは、これがクリントン・ゴア民主党政権の社会保障制度拡充策の内実である。民主党政権は、企業に対して401K年金制度の受け入れを政策として求めた。政府が様々な優遇措置(例えば税関係)を企業に与え、企業年金の導入を図ったのである。これは個人加入方式しかなかったというところからは「大きな進歩」だと民主党は声高に叫ぶ。
 二つは、企業は自社株やその他の銘柄を投資対象として指定する。労働者が年金資金で自社株を購入するのであるから株価の上昇がそれだけ期待できる。株式市場全般が401K方式の拡がりによって活性化する。それがさらに株式市場への資金流入を促進する。こうした循環サイクルが社会的に生み出される。アメリカ株式市場のこの十年間の天井知らずともいえる上昇の背景の一つに、この401K方式が存在している。
 アメリカ社会の貯蓄率は低い。ほとんどゼロである。上の労働者の収入は株式などの債券市場に投入され、下の労働者は貯蓄の余裕がない。そしてもちろん勤め先はほとんど401K型の導入を行えるような企業ではないし、そうした企業であっても対象外の非正規雇用が過半である。
 現局面のアメリカ株式市場はふらついている。十年前と比較すれば十倍にもなっている高天井に張り付いているのであるが、これがいつはじけてもおかしくはない。しかし401K投資者は現在の高値に期待せざるをえないし、期待している。貯蓄と401K株の時価を混同するという錯覚もし、収入のほとんどを消費に当てている。消費ブームのゆえんである。だが401K時価は貯蓄ではないし、株式バブルが崩落したら、それは将来の年金給付金の崩落である。
 少々長くなったが、アメリカ経済はこうして労働者を上も下をも収奪する構造で、その長期の好景気を謳歌しているのである。
 AFL・CIOの内的変化もアメリカ経済の構造変化、すなわち第三次産業へのシフトを反映した。スイーニー会長の就任は、旧来の「会社組合」的流れを変えたものだ。UPS(軽貨物輸送、日本でいえば宅配便)などの第三次産業部門の増大とともに、その苛酷な労働条件と低賃金構造が反映されている。
 鉄鋼や自動車、電機など製造業の落ち込みは趨勢的で、それだけダンピング課税などの手段に訴えることが多い。シアトルへの動員にも鉄鋼労働組合のように「第三世界のダンピング」を阻止するための、それらの国々の労働条件を向上させろ、というような明らかな保護主義の流れもあった。しかし、それは少数である。
 シアトルに結集したAFL・CIO労働者の多くの意識は、砂時計の下であることを強制されている労働者が、第三世界でネオリベラリズムによるグローバリゼーション攻撃の下で打撃を受けている労働者たちと同じだ。同じようにネオリベラリズムに苦しめられているのだ、という意識が連帯意識となって現れたのだ。
 
日本労働運動の一国的落差
 
 日本の現状は相当に格差がある。沖縄サミットにおいては全労協は「労働サミット」を主催し、いくらかでも世界の労働運動の息吹と交流しようとしたが、しかしジュビリー2000の会議などでは、世界の運動との格差は歴然としたものだった。
 連合が受け入れの主催者あいさつを行ったが、その基調は「借金を払わないということにはなじみがないかもしれませんが、しかし」という、運動の説明を(日本側)参加者に行うところから始めなければならない状況だった。会議そのものも日本側参加者は聞き役であり、外国人参加者たちの活発な討論を傾聴するだけにとどまっていた。日本では第三世界の債務問題には全く意識がなかったのである。
 重債務国、とりわけアフリカ諸国には、IMFの厳重な統制のもとに年間予算の六〇%が債務支払いに消える事態のところもある。これでは国家財政が成り立たないためにさらに追加借金を行う。債務は膨れ上がるだけであるが、その背景にはアメリカ経済の都合による高金利がある。
 日本はゼロ金利時代であるが、世界は平均して六%強の高金利である。それが複利計算で膨れ上がる。元本の支払いにはとても回らない。そこにIMFがそのネオリベラリズム路線を強制することが重なると、国内経済は完全な停滞状況に追い込まれ、経済停滞がさらに借金を必要とする。こうした悪循環構造がIMF融資や各国の融資によって作り出されてきた。
 そしてさらに、そうした借金は誰が借り入れたのか、という問題が出てくる。例えばザイールのモブツ大統領という独裁者個人の懐に入る。あるいはスハルト一族のファミリー企業に流れる。そうした債務を国民が払う必要があるのか。
 ジュビリー2000の運動は、その歴史が十年を越える長さであるが、これが改めて爆発的に盛り上がったのがこの数年の通貨危機によってであり、グローバリゼーションの猛威に直撃されている極貧国(重債務国)の状態が耐え難いまでに至っている状況を表現している。
 今回の沖縄サミット主催国は日本であった。その日本は、このジュビリー2000運動やAttacが進めている債務取り消し運動にとって「最悪」の国であった。「モラルハザードを恐れる」という理由で日本は最後まで債務帳消しや軽減へ抵抗をしていた。
 ジュビリー2000の内部にはやはり南と北のニュアンスの差がある。ジュビリー南から見れば、北側の運動はネオリベラリズムのグローバリゼーションに対して見方がきつくないし、ロビー主義的という批判がある。
 その温度差はシアトル大集会などがあり、またフランスを中心とするAttac運動が拡大しているなどによって埋まる方向にあるとはいえ、今回の沖縄サミットにおける日本サイドの対応は、このロビー主義的な感じが強く出ていた。外務省やその他の政府機関との折衝に重きを置くというのは、ある意味ではNGO、NPOの準政府機関化という落とし穴にはまりこむ危険性を感じさせるようなところもあった。
 シアトルへの動員も日本労働運動からはなかった。これは事実である。左派運動をめざす側としてもそうであったことは否定してもしようがない。もちろん左派労働運動の資力は小さい。連合であればいざ知らず、グローバリゼーションに対抗する世界的な運動の拡がりに対応するような組織力も資金力はない。しかし、それ以前に日本労働運動の突き当たっている壁、意識の遅れを痛感させられる。
 以前に、全労協を中心に社会的労働運動というスローガンを叫んだ時期があった。このときはの意識は社会的課題を担う労働運動ということで、それなりに懸命に取り組んだのだが、今一つめざすべきものが見えてはこなかった。もちろん今でも全労協は諸課題に意欲的に取り組んではいるが、一頃の意気込みは少々薄れている感じもする。
 
社会的労働運動に新しい内容を
 
 社会的労働運動を考える場合に、今まで述べたことから教訓を引き出すことができるのではなかろうか。つまり労働運動が社会運動である、という事実に踏まえることである。言い替えれば、「労働運動が社会運動を担う」というところから、「労働運動は社会運動の一部である」というところに発想を切り換えること、それが社会的労働運動の内容をつかむための前提ではないだろうか。
 もう一度アメリカの例に戻れば、アメリカ労働法は少数組合を認めていない。そこで、組織化合戦は凄まじいエネルギーを投入して行われる。多数を取ることが絶対的条件である。さらにまた、個人争議や個人加盟も認めない。
 こうした厳しい労働法は労働組合側にも影響を与えるが、仮に狙いをつけた当該の企業で多数を確保できなかったとすれば労組側はさっとオルグ団を引き上げる。あとは無関係となる。こうした場合の組織化の「ライバル」はほとんど企業そのものである。ある場合にはマフィア的なものをまで動員して組織化を妨害する。あるいは御用組合を作ってしまうなど。
 スイーニー会長のもとでAFL・CIOは年間予算の相当部分を投入し、数千人のオルグ団を組織し始めた。教育システムをつくり、その卒業生を全米に配置する。過半数が女性のオルガナイザーという。第三次産業労働者、「マクドナルド」労働型労働者は、その多くが女性であり、そして黒人労働者やエスニックのマイノリティー労働者である。国籍も民族性も多様である。
 AFL・CIOのこうした発想はもちろんすばらしいが、その礼賛に終わるのではなく、運動内容を展開する新しさにも注視する必要がある。つまり前述したような伝統的な組織化形態からの脱皮が進められている。当該企業において多数を獲得できない場合――非正規雇用労働者においては確実な多数派の組織化は極めて困難である。
 日本でも事情は変わらない。多数派形成をめざして、当該企業の地域全体の社会運動を進め、その運動に地域の労働者を、言い方は悪いが「プール」する。その形態はNGOやNPOの場合もあれば、様々な社会運動団体や協同の活動など多様である。少なくともネオリベラリズムの中で強調される「甘えを許すな」「自助自力」などが意味する社会保障的な枠組みの削減、とりわけ自治体関連予算の削減が拡大していっていることに対抗する様々な社会運動を組織化し、地域全体の社会的力量を蓄積する中で、産業別、職種別に対応した労働者の力量を高めていく。
 日本の労働法制は戦後民主化の中でつくられ、かなりの水準にあった。それが今相当に深く掘り崩されている。少数派労組の禁止、個人加盟型労組の禁止というアメリカ型への転換を焦っているのであり、警察権力を導入して「民事暴力」として争議や団体交渉に圧力をかけることを突破口としている兆候が濃厚にある。
 現在の民間労働運動や外国人労働運動支援などは、労基法の規定を最大限に援用し、個人駆け込み寺的な形で会社や企業に乗り込み、交渉するということが可能だ。あるいは、まだ可能だ。
 だが司法当局や警察介入はいずれ本格化することは間違いないが、同時に第三次産業部門労働者や非正規雇用労働者の組織化が「積み木崩し」的な様相をもっていることに正面から対応していかなければならないのである。
 地域を組織する労働運動という概念を掘り下げていく必要があるのではないだろうか。
 これが問題意識の大きな一つである。
 
ジョセ・ボベにインタビュー


ゲームのルールを変えるために

 

社会運動の位置

――あなたがフランソワ・デュホーと共著をした本の中で、フランス農民組合と国家が結託して生産至上主義の農業を押しつけていると述べているが、これに反対しているあなたたちのような組織は、農業の世界でどのような位置を占めているのか。
 どんな労働組合組織とも同じような位置を占めている。人々がだまされていると感じたとき、本来は彼らの利益を体現しているとみなされている国家や官僚組織が実際には彼らを裏切り、彼らを排除しているという、その真実の論理を理解し始めている。その理解にもとづいて人々は決定していく。人々は、彼らの労働の本質や搾取・収奪されている方法、多国籍企業や大銀行、国家などから自らが団結して防衛する方法などを次第に理解していく。

――あなたやあなたの組織の仲間に対する弾圧、それにとどまらず失業者に対する弾圧に関連して、社会運動に対する「犯罪視」に言及しているが。
 社会運動を犯罪だとみなすようになった第一の要因は、社会の風潮、感じ方にあると思う。そして社会の風潮のあり方に関しては、国家に責任がある。社会運動あるいは社会的な組織というものが、次第に考慮されなくなってきた。物事は、社会運動や組織の頭越しになされている。第二の要因は、司法の変化である。司法は、小さな犯罪には強権的になってきたが、金融犯罪やマネーロンダリングのための大きなネットワークといった重大犯罪には目をつむっている。
 現在の司法は、ちょっとした犯罪や社会運動を厳しく取り締まる傾向にある。だから司法組織や法務省などの役割について、考えを改める必要がある。そうすることを通じて、私たちが生み出そうとしている社会のあり方や正義の概念について、より一貫した新しいものが形成される。

新しい国際主義

――あなたたちのフランスにおける労働組合としての闘い、そして国際的なスケールとなっている闘いと、南側農民の闘いや例えばアメリカの労働組合とをどのように結びつけようと考えているか。
 現在、ネオリベラルによるグローバリゼーションに反対する様々な闘いが無条件に一つになることはできない。それぞれの闘いは、ネオリベラルによるグローバリゼーションの犠牲者がそれぞれ独自に展開しているものだ。私たちはゲームのルールを変更しなければならない。例えば農業の分野では、ビア・コンペシナという国際的な組織というか、構造体をつくった。
 これには、同じ目的のために闘うすべての大陸の農民が加わっている。ヨーロッパでは、EUの共通農業政策(CAP)、その不公平性、不均衡と闘う農民が結集している。南アメリカからは、土地改革を要求する農民や、非常に多数の農民をその土地から追い出して土地の独占を図る多国籍企業と闘う農民が参加している。
 これらの闘いは、グローバルであり、農村に限られてはいない。WTOシアトル会議に対する闘いでは、アメリカ最大の労働組合全国組織であるAFL・CIOがそれぞれの大陸からの農民を受け入れ、デモ隊の先頭を彼らに任せた。

――「新しい国際主義」が語られているが、これをどのように定義するのか、また、その基礎、基盤は何か。
 すでに設立されているものとしてのみ言及しているのであって、それは農民インターナショナルである。この種の国際組織が形成されたのは、これが初めてである。
 現在、人類の半分は農業で生計を立てている。全世界の農民を農業生産に関する地球規模のプロジェクトや多国籍企業との闘いに結集させること、農民が自らの生産物だけで生活でき、同時に、その国民に食糧を供給できるようにすること――これらは、人々の間での新しい交換関係を意味する経済秩序を効率的に追求することである。
 新しい形態の国際主義はまた、労働組合のレベルで、そしてグローバリゼーションと闘うすべての運動を通じて登場しつつあると考えている。これは非常に多様な方法で形成された国際主義の形態であり、この出発点は各個人とその実在であり、この国際主義を通じて事態を変革するための長期、短期の共通目的を実現しようとするのである。
(インターナショナルビューポイント誌7―8月、323号)
スーザン・ジョージにインタビュー


世界的な闘争

――WTO(世界貿易機関)シアトル会議に対する闘いを経験した現在、WTOに反対する国際主義が具体的な姿をとっているといえるだろうか。
 三カ月ごとにシアトルやワシントンのような闘いを行うことはできないし、そのような機会も存在していない。様々な国民的な規模の運動が、それぞれの課題、問題ごとに闘われている。例えばフランスでは、ジョセ・ボベのマクドナルドに対する闘いがある。バンコクでは、タイを中心としてアジア規模の動員が実現されている。韓国では、むしろ自らの状況に応じた直接的な経済要求で大衆動員が展開されている。ラテンアメリカでは、非常に多くの多様な大衆動員がある。
 現在、これらすべての闘いが結合していると言えるかどうか、私は分からないが、北半球の事態に関する限り、多様な闘いが結合していく方向に進展している。多国間投資協定(MAI)との闘いは、フランスとカナダを中心に少数の国で非常に強力に展開されている。現在、この目的を実現するための広範な連合組織が設立されている。イタリアでは、ボローニャで開かれたOECD(経済開発協力機構)会議に反対する大規模な闘争が実現された。
 私の行動としては、ドイツAttac創設を発表する記者会見に出席したことがある。これは約六十人からなる組織である。こうした多様な行動や闘いを見ると、それぞれの目的や目標が多岐にわたり変化に富んでいることが分かる。
 シアトルの闘いが展開された状況が続いて支配者の側が閣僚級会議を開けない中で、彼らがあらゆることを行おうとする理由である。この種の次の会議はカタールで開かれることになっている。これに対する運動が呼びかけられており、実現されていくだろう。ここには、政治的な目覚めや、多国籍企業やIMF(国際通貨基金)や世界銀行(WB)あるいはWTOといった国際的な大機関が支配する国際経済のレベルで闘う必要性を理解していることを反映している。

――ネオリベラルによるグローバリゼーションと闘う反WTO運動の長所と弱点は何か。
 私たちの側には、大勢の人が、そして大義の考えがある。だが発展しつつあるとはいえ、十分な組織がない。欧州委員会のようなファジーな目標に到達するに必要な手段を特に欠いている。確かに欧州議会というものがあるが、十分な組織とはとても言えない。
 WTOやIMF、WBなどに影響を与えようとしても、民主的に干渉するにたる組織や機構というものが存在していない。だから、そのための新しい手段、機構をつくり出していく必要がある。というのは、既存の力、権力をもった機構を信頼できないからである。市民には、あらゆる点に関して情報が提供されていなければならないが、技術的に困難さがある。私たちの運動の長所の一つに、様々な大衆動員により若い世代が大勢結集していることがある。
 このことは、この闘いにおいて問われている点に関する理解が進み始めており、従来は第三世界でなされていたIMFやWBの攻撃が現在では西側世界でも展開されていることが認識され始めていることを示している。私たちが対決しているネオリベラルの攻撃は、アメリカ合衆国に関係しているだけでなく、規制緩和を推進し公共サービスを解体しているヨーロッパ系多国籍企業も関係している。

――従来のIMFやWBとの闘いと現在の闘いの違いはどこにあるのか。
 第一に違いは、運動における連合や協調性の重要さ、結集する運動体の広範さにある。そして現在の運動は、いくつかの組織が結集する形態ではなく、むしろそれぞれの運動、力が独自性や多様性を保ったまま連合するというものとなっている。
 教員や農民、エコロジストなどは、自らの闘いというものが、その領域を越えてグローバリゼーションの結果全体と闘っていることを理解しており、もし、自らの勢力だけで闘うなら必ずや敗北することをも理解している。貿易サービス一般協定は、グローバリゼーションを推進する側が教育や保健、文化、ビデオやCD、環境問題に関して規制緩和を進めようとしている表れである。もしある国の政府がこの規制緩和に反対するなら、その政策決定を覆そうとする技術的な手段が発動されることになる。
 また私たちが、グローバリゼーションのレベルとその広がりを理解すればするほど、運動の側が力を合わせていくことが絶対的に必要だと覚っていくようになる。私たちの側は、確かにすべての点で一致しているわけではないが、目的が一緒であり、共闘していかなければならないことを確信している。私にとって、この点がまったく新しい点だ。
 一国のレベルで正しいことは、国際的な規模でも正しい。一国的な連立、連合の運動体が本物の「国際戦線」を形成しようとしている。私たちは、フランスがEUの議長国となる年に、ミヨーにイニシアティブ組織をつくり、各国でその目的が明確に理解され、最も適切と判断される手段を講じていくことについて、討論していく。六月二十二日にジュネーブに南と北から仲間が集まり、運動の戦略的な性格や具体的な活動について、つまり日曜日のデモンストレーションやWTOに反対する象徴的な行動を組織することについて、会議を行うことになっている。
 フランスのパリでは、Attacが六月二十六日にパリとその近郊で反OECD動員を行うことになっている。そして六月三十日と七月一日にはミヨーでの運動となる。日程は詰まっており、行動は持続する。ベトナム戦争以降、フランスではこうした状況は存在しなかった。高揚している。
(インターナショナルビューポイント誌7―8月、323号)
インタビュー


帝国主義に関する三つの問題

 

 ギルバート・エイクカーは、フランスの大学で教えており、最近「ザ・レガシー・オブ・エルネスト・マンデル(エルネスト・マンデルの遺産)」という本を監修した。このインタビューは最初、ギリシャの新しい戦闘的左翼の月刊紙マニフェスト二〇〇〇年六月号に掲載された。転載を快諾された同紙編集部に感謝する。

NATOの東方拡大

――NATO(北大西洋条約機構)を東側世界に拡大していく動きに対する批判の中で、この傾向のためにロシアが中国との連携を強化するだろうという議論が出ている。他方、NATOの拡大を支持する側は、東欧諸国をロシア帝国の野望から守るために拡大が必要だと強調している。この問題をどう考えるか。
 前者の考えとまったく同じだ。中ロの再接近という見通しは、もはや将来の動きとはいえない。すでにロシアは、中国に対して先端的な軍事資材(航空機、潜水艦、駆逐艦など)を供給する約束をしている。
 実際、モスクワは現在、かつてのソ連邦がその最も忠実な同盟国である中国に対して提供を拒否してきた武器類を供給している。これは、石油類と武器以外に世界市場ですぐに売れるものがないロシアの経済利益追求だけの結果とはいえない。
 ある国に対して先端技術の武器を持続的に供給するという約束は、両国の軍事戦略的な結びつきを携帯電話の販売以上に強める。そして、この軍事戦略的な結合は、両国の政治的な接近によってさらに強められている。モスクワと北京は、一緒になってアメリカの「覇権主義」と「一極世界」形成動向を非難している。
 両国は、それぞれの問題(チェチェンや台湾など)で互いを支持しており、ワシントンが「悪い国」と特定するミロセビッチのユーゴスラビアやイランなどと特別のつながりをもっている。
 以上のことは、西側がロシアと中国に対して事実上、依然として封じ込め政策を採っていることの当然の結果である。
 ロシアの帝国主義的な野望という主張に関しては、二つのことを言いたい。ロシアは脅威を受けていると感じれば感じるほど、その周辺の伝統的な帝国領土に対する支配・統制を強化しようとする。この意味でチェチェン戦争は、コソボ紛争の必然的な結果なのである。
 もう一点は、ロシアの帝国主義的な野望に反対を唱える人々の動機がどこにあるのか、という問題である。人道的な気高い感情から発しているのではない。そんな戯言を信じるのは、途方もないお人好しだ。ある国の帝国主義的な野望が他の国のそれよりも正統だということは、ありえない。帝国主義的な野望はすべて憎悪すべきものであり、それぞれが互いに対立する。

大義が大切

――互いに対立する帝国主義的野望に等しく反対することで、野望と闘うことができるか。帝国主義間の矛盾を利用したり、あるいは強者に反対して弱者を支持することが必要ではなかろうか。
 このことは、NATOに反対して中国とロシアを支持することを意味する。この種の主張、つまり主要な敵と付属的な敵という有名な主張は、有害だと考える。一方の陣営の目的を正統と考えてその側に立ったり、強国のこれも正統ではない目的追求に反対しているからといって、別の国の正統でない狙いを支持したりすることは、完全に間違っている。二つの陣営の犠牲者(イラクやセルビアの人々、チェチェンやチベットの人々、それらの政府ではない)に同調・連帯することは、世界のヘゲモニーすべてに一貫して反対していく方針を形成することにつながる唯一の基本態度である。あらゆる種類の帝国主義的野望一切に反対して、国際法の進歩的な原則――人々の自決権、国家主権の平等など――を擁護する必要がある。
 こうした原則を促進するためには、世界的な軍縮と緊張緩和の方針を推進しなければならない。この枠組みにおいて、NATOの拡大に反対するのみならず、NATOの解体をも要求することが必要である。
 確かに現在、世界平和にとって最も危険な政策はアメリカのそれであり、これが主要な国際平和運動の攻撃対象であるが、それ以外に攻撃目標がないのではない。
 ロシアの国会が戦略核兵器の削減を定めたSTARTUを批准したまさにその時になって、アメリカが弾道弾迎撃ミサイル網配置を制限するABM条約をどのように修正あるいは破棄するかを見守らなければならない。
 アメリカの領土と北東アジアに弾道弾迎撃ミサイル網を設置しようとするアメリカの計画は、一方のワシントンと他方のモスクワ・北京との緊張を間違いなく強める。

西欧と米国の関係

――欧州軍の創設が現在、EUの議題となっている。西ヨーロッパがアメリカの軍事的な後見から「自由」になろうとしていると考えるか。この点についてアメリカは、どんな態度か。
 先ず、事態を正確に把握する必要がある。ヨーロッパサミットのヘルシンキ会議は、六万人の兵士を六十日以内に配備し、この兵力を一年間維持するヨーロッパの軍事能力確立を決定した。この能力は、六万以上の兵士をローテンションを組んで動員することを意味している。
 この軍事能力は無視できないが、先ずは空からの攻撃を想定されている「欧州軍」にはほど遠い。これは、平和維持軍(PKO)型の作戦に向いた介入能力であり、現在、コソボに配備されている軍隊のようなものである。
 コソボでの経験がヘルシンキ会議で決定するに至った大きな動機となった。NATO加盟のヨーロッパ諸国は、コソボからの米軍撤退圧力がアメリカ国内で強まってきたときに、配備すると約束した軍を十分には配備できなかった。
 だからこそワシントンは、ヨーロッパの軍事介入能力の強化を絶えず要求しているのだ。ボスニアの経験は、米軍の介入がアメリカ議会の反対で不可能となった場合にヨーロッパの無力さが重大な結果をもたらすことをすでに明らかにしていた。
 そこでワシントンは、ヨーロッパのパートナーが軍事支出を増額し、独自の軍事介入力の強化を要求した。だがワシントンにとっては、ヨーロッパの独自的な能力は「ヨーロッパの柱」としてのNATOの枠組み内のみで行使され、アメリカの加護の下でのみ介入すべきものである。
 そしてワシントンとヨーロッパの数カ国との間に緊張が感じられる。特にフランスとの関係がそうだ。フランスは、技術的な独自性を政治決定の自律性で埋め合わせ、それによってEUがアメリカとは無関係に一定の軍事介入を決定できるようにしたいと考えている。
 だが、事態はそこには至っていない。欧州軍がNATOの枠組みにおいて役立つアメリカの軍事的な基礎構造――基地など――から抜け出すためには、まだまだ多くのことが必要である。この欧州軍設立に関して最も中心的な役割を演じたトニー・ブレアのような人物が、アメリカの軍事的な後見から「解放」されたと考えているとは、とても信じられない。
(インターナショナルビューポイント誌7―8月、323号)