2000年11月10日        労働者の力               第128号
加藤の倒閣宣言と断末魔の森内閣


財政再建(大衆収奪)の大連立との闘いに備えよう

                                                                                    川端 康夫

 森内閣が揺れている。加藤元幹事長が十一月十日、事実上の内閣打倒宣言を発した。加藤は、野党の内閣不信任案が出された場合、同調するか欠席するかの方向をとることもありうるとの意向を表明し、公然たる倒閣への動きを示した。衝撃は即座に自民党や連立三党を突き抜け、各派は戸惑いや可能性は低いなどと反応した。加藤は路線的な同調を表明してきた山崎派や旧河本派との連携を進めていくとされるが、この両派も野党と共闘する倒閣路線が打ち出されたことについては不意を打たれた形である。加藤が事実上の内閣打倒宣言を発した真意は現時点では明確には分からない。もしもアドバルーンだとしても、現政権の不信任を野党とともに行うという意思表明は、二十年前の一九八〇年に、当時の大平内閣を倒した福田派の動き以来である。政局は一挙に緊迫した。臨時国会終盤にも「政変」が起こる可能性が生じたのである。加藤は一挙に政権掌握に打って出る決意を固めたのかもしれない。もちろん事前に民主党との相当程度の接触があったことは当然と思われる。

森内閣の末期症状
 
 加藤派の衆院現有勢力は四十五人とされる。この四十五人が結束して不信任に回れば森政権は倒れる。欠席戦術にとどめたとしても与野党差はわずかとなり、山崎派や他の動き次第では不信任が可決される可能性は大きい。
 森内閣は、発足時以来の低支持率に改善の動きがない。中川官房長官辞任は、いわゆる反主流派の加藤・山崎両派の公然たる抵抗の呼び水となった。加藤・山崎は次期政権を加藤で獲得することを目指す点で歩調を合わせ、近々行われる内閣改造での入閣拒否を宣言した。造反の動きはこの両派にとどまらない。同じく中川問題を契機に、党内若手がまた公然と森退陣を主張した。
 これられの動きに対して自民党内の主流派はもちろん、連立を組む公明・保守の両党も「不快感」を示している。だが何としても森の支持率が超低空飛行を続けているという事情が彼らの迫力を弱めている。しかも連立三党の内閣はこの間、支持率上昇とは無縁の強引な党利党略優先の国会運営に終始してきた。
 まず最初に、臨時国会冒頭から与野党対決となった参議院選挙制度の改悪案は、政党名ではなく個人名で投票することを許可する非拘束名簿方式で、衆議院選挙戦で惨敗した都市部での無党派層を何とかしてかき集めるための方式である。来年夏の参議院選挙からの実施を目指し、この三党はなりふり構わぬ国会運営を強行した。
 次には、高齢者医療の本人負担原則(一〇%)の導入。周辺事態法の具体化措置の強行であり、さらに少年法の改悪、尻抜けのあっせん利得処罰法などが続く。IT基本法案も思いつきの羅列であり、その本音はとにかく大型補正予算案の理屈をつけるだけのものである。
 
加藤の権力闘争
 
 加藤の反主流宣言から倒閣宣言に至る理由は、表向きは財政政策問題となっている。しかし実態は権力闘争である。財政問題は口実にすぎまい。
 確かに亀井が主導する自民党政調会は、相も変わらぬ赤字国債頼みの大型景気刺激型の補正予算案を組んだ。「経済の腰を折らぬ」ためというのが名分だが、こうした政策は何年も繰り返され、何らの効果もあげなかった。赤字国債残高は国と地方自治体あわせて六百五十兆円を越え、その支出は真綿に吸い込まれるごとくにいずこともなく消えていった。
 低金利政策の長期にわたる持続も、ただ銀行に利益が還元されるのみである。さらに企業リストラ策の政治的奨励は個人消費を押し下げる役割を果たしてきただけである。大蔵サイドと日銀の間のきしみも少しずつ表面化し始めた。亀井の狙いは、次期実力者を目指した利権ばらまきを自分の手で実施するということにしかない。
 こうした現状は、ほぼ十年近くにおよぶ新自由主義路線の決算書を準備しなければどうにも立ち行かない事態であることを示している。亀井に任せておけば「後は野となれ山となれ」式の利権ばらまき以外のものが出てこないのは明らかだ。
 だからといって加藤の財政再建優先策に何か具体案があるかというば、そういうことにはなっていない。考えられることは、ただ政略的な、財政再建のための挙国一致内閣という方向である。つまり橋本内閣の「失敗」を繰り返すことを回避するためには、有力な対抗政党と手を組んでしまうことであり、責任を分かち合うというシステムを用意しておくことである。すでにポスト森を想定した議論は、こうした方向を提示してもいる。この底流があるからこそ、民主党との関係が取り沙汰され、民主党も心の底では期待するところがある。
 言い方を変えれば、加藤も山崎も、現在の新自由主義的経済運営と利権政党である自民党内閣というシステムを変えるような展望を持ってはいない。そして新自由主義の政策という点では民主党の大勢も、その支持団体である連合も本質においては同じである。先の衆院選挙で民主党は、課税最低限度の引き下げという方針を打ち出した。これは財政危機の克服を自民党に変わって引き受ける容易があるというパフォーマンスであったが、その立場は今回の加藤の動きとまさに重なっている。
 
民主党と新自由主義路線
 
 民主党内の保守派は、鳩山が九条改憲論を明確にするといった流れに特質を見いだすということを除けば、国際路線においても経済路線においても何か明確な路線を打ち出しているということはない。
 部分的にヨーロッパ型社民・中道政権の政策のさわりの一部を「剽窃」したりはする。しかし大枠においてはアメリカ追随の路線でいくということにすぎない。連合主流の企業連幹部はますます企業主義に純化しつつあるから、新自由主義政策の核である企業利潤の確保・回復を優先させる路線には本質において対抗しない。彼らはほんのちょっぴり、政策に「労働者保護の香り」を振りかけることを任務としているにすぎない。
 百貨店そごうや中小生保の倒産が明らかにしたのは、この間ほとんど民衆には知らされずに進行してきた各種リストラ法の存在だった。民事再生法などの一連の法改正、法制定は、リストラ推進政策の結果である。こうしたことが与野党対決とならずにスムーズに、つまり連合が民主党に騒ぎ立てることを求めなかった結果として法制化されたわけである。
 とりわけ生保問題に関連して相沢金融監督庁長官の言動、すなわち生保会社が予定利率を引き下げることができるようにする必要があるという主張が自民党内部で多数見解になりつつあるという事実は、意味深というべきだろう。自民党の内部も「国民負担を求める」ことは必要だという見解である。そのことは医療制度の改悪に明らかだ。生保業界保護のために国民負担を求めることは、ひるがえっていえば、まさにその実行にあたっての担保、すなわち民衆の「抵抗と叛乱」の予防的な抑止策が問われていることを意味する。
 こうして政治の奥底に挙国一致内閣への動きがある。加藤が倒閣を仮に実行したとしても、それは自民党の多数を敵に回して、ということになるはずがない。それでは加藤政権が実現したとしても限りなく不安定なものとなる。資本を安定させ、民衆をさらなる収奪と搾取に直面させる以外に、この巨大な国家・自治体財政の赤字を解消していくという道筋にはならないからだ。
 
行き詰まった経済政策
 
 加藤のいう財政再建優先とは、政財官の大勢が必要とする方針を、森ではできない、自分であればやれるということに他ならない。その政策の方向性が、大衆課税の増大、消費税大幅引き上げや社会保障費削減などの結果としてのデフレであるか、調整インフレ(政策的にインフレを行い、結果として現在の借金、負債を帳消しにする方法。右派マスコミの長年の主張である)であるかは別にして(つまりこの点では何も言っていない)、少なくとも最低のところは明らかである。つまり民衆の犠牲による国家・自治体財政の再建である。
 つい最近の報道によれば、日本における格付け会社ナンバーワンの某社が日本国債をAAA、つまり最上級に格付けしたという。日本政府は国債に依存する財政となっている。それをこの某社がAAAとしたというニュースが駆けめぐったのには、何らかの理由があるはずだ。筆者は日本国債がAAAであるかどうかは判断がつかない。
 危ういところがあるとも思えるのであるが、この感覚はおそらくは国債購入者、銀行や機関投資家(生保や損保)あるいは個人投資家(大金持ちと小金持ち)たちにもあるのだろう。だから某社の格付け(某社の信用度の程度についても筆者は知らない)がニュースとなって駆けめぐった。
 日本国債は今や格付けの保証を、国内的にも必要とするに至ったのである。このことは財政への信用度が相当に揺らいでいることを意味する。同じような報道は日本の海外預金が膨大に膨れ上がっているということを告げた。
 ゼロ金利政策は日本資産の海外逃避を誘導している。だが国債利率は相対的に相当程度高い。そうでなければ誰も購入しないからだ。しかし生保業界の問題は、全般的に受け取る(支払いではない)利子率がし意的に変更される可能性を示唆している。だからこそ日本国債の信用度が問われるのである。
 日銀が公然と政府に対抗して、日本経済の見通しを発表するに至ったことも、日銀のゼロ金利策打ち止めと関連しているだろう。日銀が何を考えているかは外部からは当然分からない。少なくとも政治によって金融が振り回され、結果として破たんする(調整インフレ政策などはその典型だ)ことを日銀が恐れ始めたということだけは明らかである。
 いずれにせよ実質ゼロ金利政策の不自然さは、日本の金融資本を救済する一方、アメリカの巨大金融資本による日本資本支配の度合いを強めるという相反した現象を伴うことに典型的に示されているのである。こうした現象は現在の経済政策の全般にわたって言えることであり、経済政策の行き詰まりそのものの表現である。加藤の声明はそうした事実の反映に他ならない。
 
挙国一致内閣による財政再建
 
 秋が深まるにつれて、複数の経済指標が再び悪化のきざしを告げ始めている。完全失業率が上昇に転じ、政府の経済診断も下方修正された。株式市場は低落基調を脱せずに日経平均は一万五千円を前後している。世界的には原油価格上昇があり、そしてユーロ安は止まらない。このことは日本経済を下支えしている輸出にかげりが出ているということである。
 政府、日銀ともに今年度経済成長見通しを人為的につり上げているが、ではなぜ個人消費が低落を続けているのかの説明には窮している。「緩やかな回復」という表現の担保は、一部に設備投資上昇の傾向が見られるということにすぎない。その増加は、長きにわたる設備投資不在によって必要に迫られている部門があることであって、過半の企業は依然として企業収益の多くを債務返済にあてている。そしてリストラの継続による強引なコストダウンによる収益率上昇という手法に訴えていることは変わらない。国内市場の浮上が見られず、かつ輸出にかげりが生じているとすれば、経済成長の上昇ということは考えようもないはずだ。
 森不信任を市場は表現していると一部には言われるが、そのように単純なものではないであろう。不信任されているのは日本経済そのものであり、自民党政治そのものである。
 では亀井の主張するばらまきの大型補正予算案の問題点はどこに出てくるのだろうか。つまり、いかに赤字であろうとも国家が赤字財政をいくらでも続けることができる(いくらでも借金が可能)ならば問題は出ない。ところがそうはうまくはいかない。
 まず最初に自治体財政の限界が顕在化する。国家の事業はその多くを補助金事業とするが、いかに国庫補助率が高かろうとも自治体がその事業すべてを自らの持ち出しなしでできるということにはならない。自治体財政は緊縮を求められているのに、国はさらなる事業支出を強制するという形になっている。
 第二には前述したが、国の信用度、つまり国債の信用度が問われてくる。国債の信用度の下落は国債利子の上昇となる。利払いは年々国債費として予算に組み込まれているが、この割合がより高くなることを意味する。
 要するに、アメリカの真似は日本にはできない。基軸通貨としてのドルと単なる円では、紙幣の増刷を同じようにはできない。二次的なアメリカとの競合関係が生じてもくる。アメリカという最大の債務国に流入する国際資金は、アメリカの高い利子率に引き寄せられている。日本資金がアメリカを支えているとも言われるのは、そうした事実によっている。
 だからこそ日本のゼロ金利、あるいは低金利が求められているのである。そこに日本の国債利子率が引き上げられれば、世界的な資金の流れに変動が引き起こされ、アメリカ経済の破たんに直結しかねない事態を生み出すこともありうる。そうすればアメリカの輸入に依存している日本をはじめとするアジア諸国経済は、輸出先を失い経済の失速が避けられないこととなる。
 こうした絡み合った国際的経済システム――それがグローバリゼーションとともにさらに規模を大きくしている――は、一方では極めてぜい弱なシステムの特徴を示しつつ、日本の経済運営の枠組みを、選択幅の狭いものとしている。「日本発の恐慌」の可能性は依然として根強くあるといえる。それはすでに見たように亀井の道でも、加藤の道でも変わらない。
 にもかかわらず、日本財政の危機は突破されなければならないのである。そのことは同時に二つの課題――一方で日本資本主義の骨格を防衛し、他方で自民党的政治を維持――を解決することである。再び言い方を変えれば、自民党体制の枠組みを維持するというのであれば、亀井的なものと加藤的なものとを同時に実現しなければならない。
 この至難の業の実現には、まさに財政再建の挙国一致内閣という枠組みに野党を巻き込むこと以外には見通しはもてないというべきなのだ。
 
労働運動を中心に反撃の準備を
 
 ポスト森を狙う加藤の立場は、民主党との大連立の可能性を提示している。こうした大連立は、大衆収奪政治のさらなる展開と貫徹を意味することになる。自公保の連立に比して、大連立がもし成立するとすれば、表面的にはリベラルな色彩を幾分かはふりまくことにもなろう。だが消費税の大幅引き上げに始まる大衆収奪政策を貫徹する政府である。
 こうしたポスト森の展望に対して、労働者民衆の準備はいかになされるべきだろうか。あるいは二十一世紀最初の数年の闘いをいかに準備すべきだろうか。大枠的にいえば、膨大でかつ無益な公共投資の現状を変革し、無益な財政支出、防衛費や宇宙開発費、原子力事業費などの削減という政策転換は当然に考えられるべきことである。
 公共投資はゼネコンのために行われるものであってはならず、不安定雇用と低賃金労働に転落させられていっている多くの民衆の雇用と収入を直接に支える支出へと変えられるべきだ。それは巨大開発型の事業ではなく、生活環境とエコロジー保全の体系をもったものである必要がある。ここで一例を上げたが、こうした政策要求の系統的煮詰めとともに、闘う戦線の側が具体的に状況に主体的に介入する方策と陣形とを準備していくことが決定的になる。労働戦線の新たな再構築の闘いが核心を占めることはいうまでもない。
 同時に倒閣と新連立内閣成立の可能性も十分にありうる情勢であるが、とりあえずは次期参院選において、自公保三党(それまで持続していれば)の敗北と同時に、民主党ではない、労働者サイドにより近い政党・勢力の前進を意識的に期さなければならないということを付け加えておく必要があるだろう。
    (十一月十日)

フィリピン革命的労働者党(RPMP)


国内情勢について

 

闘う側に比類なき好機

 現在のフィリピンは、深刻な経済的、政治的な危機に苦しんでいる。二つの危機は共生関係にあるかのようにお互いに影響しあい、危機の程度を日毎に強めている。経済情勢はまことに惨めであり、今年末までに長いトンネルの先に光が見えることはない。ミンダナオ島の民族解放を要求する闘いをめぐる危機は、全国的な危機を強める点で大きな役割を果たしている。そしてエストラーダ大統領政権の政策は、短長期的に問題を解決していくというよりも、むしろ問題を拡大さえしている。
 この国の歴史において、マルコス独裁政権の最後の日々を例外として、支配階級内部のかなりの部分が一致団結して現行政権の効果的な統治能力に疑問を抱くというような局面が存在したことはない。カトリックとプロテスタントのキリスト教教聖職層さえ、エストラーダ政権の民族問題対策――ことにミンダナオ問題――に一貫して疑問を投げかけ、さらに抵抗を強めている。アメリカの政策決定者は明らかに、エストラーダ政権に対するフィリピン大衆の支持が日々弱まっている事態の原因とその影響について注意深く警戒しながら見守っている。
 他方、広範な大衆、とりわけ労働者、農民、半プロレタリアート、民間ならびに公共部門の従業員などは、現在の危機に最もひどく苦しめられている。グローバリゼーションの衝撃で政権はますます無力かつ抑圧的になっており、その結果、失業や下請け、孫請けといった不完全就業が一貫して増加している。農地を工業用地に転換しているために、農民や農業労働者が土地を追われ、すでに数百万人となっている産業予備軍を拡大し、資本家、経営者のほしいがままの搾取や収奪を許す状況を生み出している。
 グローバリゼーション政策が民営化や経済の開放、規制緩和などに与える影響は、持続的な貿易赤字、通貨ペソの下落、インフレ率の上昇となって表れている。一九九七年後半のアジア金融危機にフィリピンが耐えることを可能とした経済的な基礎は、政府の間違った経済運営のために弱体化してきた。こうした結果、現在のフィリピン経済は東アジアで最弱なものの一つとなっている。
 現在の情勢は、すべての進歩的、革命的なグループにとって、そして人々とともに社会改革を闘う諸党にとって、比類ない機会となっている。真実の革命的なグループあるいは革命党は、大衆闘争に対して正しい政治指導部や路線を提供できる。それによって反動的な国家機構やその主要なパトロンであるアメリカ帝国主義をさらに弱めることができるのである。
 現在の条件は、民主的、反帝国主義的な闘いをさらに高い水準に引き上げる好機となっている。国内、国外の労働者階級や人民、その他の階層の役割をはっきりさせる必要がある。闘いを指導し、その方向を左右できる、そのような能力を彼らは獲得しなければならない。正しい国際運動との強力な結合もまた、同様に強化されなければならない。

経済、政治情勢における諸傾向

 エストラーダが大統領に選出されてから二年間(任期は二〇〇四年まで)が経過したが、首尾一貫した明確かつ包括的な経済政策が存在したことはなかった。当初からのスローガンであった食料の確保、雇用の促進、生活水準の向上などは言葉以上のものとなることはなかった。
 フィリピン経済は現在、根底から誤ったやり方で運営されている。マルコス独裁政権時代の取り巻きのほぼ全員が権力周辺に復帰し、失ったり、奪われたりした事業、ビジネスを再獲得したり、あるいはそうした主張を強めている。彼らは現在では、旧来のビジネスに復帰するにとどまらず、エストラーダ大統領のおかげで、大きく拡大してさえいる。こうして新しい取り巻き連中が経済の主要な部門のほぼすべて――プラスティック、食料、飲料、不動産、通信、水利、電力、運輸、銀行に至るまでを独占するに至っている。
 彼らはまた、インサイダー取引によって株式市場を操作さえしており、しかも、手際よくやっていないので、そうした取引がすぐに表面化してしまう。ベスト・ワールド・リソーシーズ事件の場合、エストラーダの親友が株式市場の操作に関与していた。
 こうした厚かましい経済運営が大きな原因の一つになって、外国からの投資が大幅に減少している。今年六月でみると、昨年同期には十億ドルあった投資がわずか五億ドルに半減してしまった。八月第一週末には、外国からの投資が最大で七〇%も減少して三億ドルとなり、今年の最低を記録した。このことは、国外、国内の投資家がフィリピン株式市場の公平さに対して信頼しなくなっていることを物語っている。
 このため支配階級エリートのうちでエストラーダに贔屓にされていない部分や教会聖職者層でさえ、冗談めかして「わが国ビジネスの競技場は水平ではない」と語っている。アジア開発銀行や世界銀行のような資本家階級が支配する国際機関でさえ、公正なビジネス環境を形成せず、そのために新規の経営者をフィリピンに招き寄せられないエストラーダ政権を批判している。
 そのうえ前記銀行が行った研究によれば、フィリピンでは貧富の差が拡大していることが明らかになっている。この研究は正しくも、フィリピンでは十五家族が国内ビジネスの五五%を支配していると分析している。
 規制緩和や民営化、市場開放といったグローバリゼーション政策は、こうした家族がビジネスを拡大する絶好の機会を提供している。彼らは、あらゆる種類、分野のビジネスに制限を設けられないままに乗り出して、中小の事業家をビジネス世界から追い出している。そして、これらの連中のほぼすべてが、大統領の側近となっている彼らの友人から「ささやかな」援助を受けて、問題なしで国境を越えてさえ事業を拡大しているのである。

下降局面に向かう経済

 以下の指標が示しているように、経済は一貫して下降を続けている。
 国民総生産(GNP)――政府は今年のGNP成長率目標を四・五%としてきた。今年七月、エストラーダ政権のいわゆる経済専門家らは、年成長率が三・九%になるだろうと発表した。年間人口増加率が二%で、しかも外国への出稼ぎ労働が経済で大きな比重を占めていることを考えると、三・九%の成長率は実質上ほぼゼロを意味する。
 ペソの対ドル交換率――一ドルが四四・六ペソから四五・五ペソの間を変動している。エコノミストは、今年末までには一ドル五〇・〇ペソに下落するだろうと予測している。
 政府は、これについて次のように説明している。
 諸外国の利子が高く、そのため資本流出が多い。
 通貨ペソの下落は、多くの外国投資家を誘致することになる。
 ペソ下落によって、外国出稼ぎフィリピン人からの家族宛送金が増える。
 だが実際には政府の説明とは違い、ペソの下落は、国の財政支出のうち社会サービスや福祉に配分する分を、金利上昇によって債務の利子支払いにあてる分に自動的に回していくようになることを意味している。
 実際の経済活動としてドルに対するペソの下落は、生産のための輸入品価格の上昇となる。この事実は、フィリピン製造業のほぼすべてが輸入原材料に多くを依存しているために、最悪の結果を招くことになる。そのため国内の中小製造企業は、製品価格を上げるか、価格が上昇した原材料を入手できないために事業を閉鎖するかのどちらかを選択せざるを得なくなる。前者を選択すると、低価格を武器とする外国製品との厳しい競争にさらされるし、後者を選択すると、失業の増加を意味するドミノ効果の引き金を引くことになる。

インフレと失業

 インフレ率は確実に上昇してきた。今年七月のインフレ率は年率換算で四・三%、昨年七月は三・九%だった。政府が測定しているインフレ率には、石油製品の価格上昇とペソの対ドル下落という二つの影響が含まれていない。
 ペソの購買力は急速に低下している。一年もたたないうちにほぼ五%低下し、昨年一〇〇ペソだった製品が今年では一〇五ペソになることを意味している。最悪なのは、ほぼすべての生活必需品価格が値上がりしたのに、都市部、農村部を問わず労働者の基本給がまったく増えていないことである。そしてインフレ率は、上述した理由から今年末までに倍加するものとみられている。
 二〇〇〇年七月の失業率は一三・九%となり、これも日々上昇している。フィリピンの労働力人口は三千万を超えているが、その一四%が失業しており、労働年齢にある人の七百万人に仕事がない。中小企業が閉鎖している割合からして、そしてグローバリゼーション政策の中での一方的な雇用政策が行われている状況からして、失業者の数は確実に増加していく。これに加えて五十万人の学生が労働市場に流入し、学校に行かない若者も労働年齢に達している。
 新規に労働市場に参入してきた若者のうち、ほんのわずかしか雇用されないから、失業者は増加し、国の内外における経営者の搾取、収奪の潜在的な犠牲者である労働予備軍人口が増えていくことになる。
 八月第一週には、一万人以上の労働者がストを行っていた。ストライキの理由は、政府や国軍が支持している経営者による不当労働行為である。だが、これらの労働者はレイオフされた。現在、労働力人口の二二%が不完全就業の状態にある。
 全人口の三〇%以上が貧困線以下の生活を送っている。この人々は、生活必需品、つまり食料、住居、衣服、健康などに関して最低限の必要を満たしていないのである。七千万の人口のうち、ほぼ千八百万人が人間的とはいえない条件で生活をしている。実際、ミンダナオ・イスラム自治地域(ARMM)では、五七・九%の人々が惨めな、貧困線以下の生活を送っている。
 それゆえに、この地域で政府対MILFやその他の革命的グループ間で戦争が行われているのは、地域環境に原因があるのではない。革命的な諸グループやMILFがこの地域で勢力を大きく拡大しているのには、社会経済的な理由が確実にある。だからこそ、政府は問題の解決に向かうのではなく、総力戦を選択したのである。
 本年七月、国家財政の赤字が六百七十億ペソに達した。これは、国際通貨基金(IMF)や世界銀行が設定した限度額六百億ペソをすでに超えている。超過支出は、ミンダナオ――厳密に言うと貧困線以下で生活をしている人の割合が最も高いARMM地域――での全面戦争費用を賄うためである。
 広範に行われている政府関係者の汚職や腐敗のために、数十億ペソという巨額の国家資金が失われている。事実、政府の役人でさえ、予算全体の一〇%から二〇%の金が政府内部の汚職や腐敗のために失われていると認めている。

ミンダナオ問題の位置

 エストラーダの統治方法やスタイルを最もうまく表現するのは、一九七二年以前の戒厳令時代と権威主義的な独裁者マルコスのスタイルが結合した伝統的な依怙贔屓である。エストラーダ大統領とその事業を支持するものには、ほぼ無制限の贔屓が与えられる。友人の利益になるとあれば、大統領執務室さえ貸してしまう。その代償として、その友人、つまり取り巻きは、その庇護者である大統領を喜ばせるためには何でもやることになる。
 大統領は、国家的な利益と彼の取り巻きの利益とをしばしば混同する。しかし敢えて大統領の邪魔をしたり、反対するものは、ひどい結果を招くことになる。一九九八年の大統領選挙でエストラーダを支持しなかった人々は、その報復を現在でも受けている。つまりビジネス界の人物であれば、その事業が失敗してしまうし、政治家であれば、その出身地や選挙区がひどい苦痛を味わうことになる。
 エストラーダの統治スタイルは、あまりに個人的である。彼は、統治のパートナーとしての政党を必要としない。彼個人として、いついかなる時でも万難を排して、人々とともにあることを示したがる。だからこそミンダナオに赴き、軍服を着て兵士の前でミンダナオでの総力戦を宣言したのである。
 エストラーダ政権陣営に属すると思われる人々も、そうでない人々も両者ともに、現政権がその任期をまっとうすることはないだろうと考えている。様々な事態――解決できない経済危機、ミンダナオ問題のさらなる深刻化、国際情勢――が、エストラーダの早期退陣を予測させている。
 大統領が七月二十四日に行った演説のほぼ三分の一は、ミンダナオでの戦争にあてられた。彼は事実、大統領任期の二年目をミンダナオで迎えた。そしてミンダナオ総力戦方針を打ち出したために支持率が上昇したと一時考えられた。
 しかしミンダナオ戦争の現局面は、主としてフィリピン国軍とMILFとの間で戦われており、政治、経済の双方に悪影響を及ぼしている。すでに使い果たされて残り少なくなっている政府の資源を、非生産的な軍事支出のみならず、非常に破壊的な軍事冒険の強行にもよって激減させている。ミンダナオ問題の解決のためにはMILFが率いるモロ民族とフィリピン共和国政府との間で包括的な政治解決が必要であり、軍事的には解決できないことを歴史は幾度となく証明してきた。その政治解決とは、少数民族の自決権に関する正しい回答を含む必要がある。そのためには、ミンダナオの人々と関係諸政党との間で十分に議論され同意される必要がある。
 エストラーダ政権のMILFに対する「総力戦」方針は、彼を泥沼に落としこみ、もがけばもがくほど深く沈み込むんでいく。国軍がMILFの主要な陣地アブバカルキャンプを陥落したが、これによって戦争が終結することはなかった。
 戦争の現局面を左右しているのは、行動力を極めて高めてゲリラ勢力に転じたMILFの側である。このために国軍の死傷者が急激に増加している。

準軍事組織の復活

 国軍は、薄く広く配備されているので、同時に多くの地域を掃討したり占拠することはできない。だからこそエストラーダ政権は、民間の準軍事組織CAFGUを全力をあげて復活しようとしているのである。これは、市民に対する途方もない人権蹂躙が原因で長期間禁止されてきた。現在、エストラーダの将軍たちは、CAFGUの復活を正当化できるような状況をミンダナオでつくり出そうとしている。
 大統領は、三万五千人のCAFGUをミンダナオに配備する計画である。その役割は、MILFの攻撃から一定の地域を守備することである。エストラーダとその将軍は、CAFGUを用兵すると総力戦遂行の費用が安くなると言う。この主張の最大の矛盾は、MILFがその最大の陣地アブバカルを失ったために、すでに敗北し解体して、指揮者がいない状態になっていると彼らが自慢していることにある。そして彼らは、全力を尽くして議会の承認を獲得しようとしている。ミンダナオに数千人のCAFGUを募集し配備している。
 CAFGU復活には、広範な反対――議会野党、教会、人権擁護運動、実業界など――がある。エストラーダ政権の側は、これら反対勢力をMILFの支持者であり、逮捕・訴追されるべきとしていやがらせを強めている。
 ファシスト体制の影がミンダナオの人々の上に覆い被さっている。特にエストラーダが非常大権ないし特別大権の承認を議会に求めており、それが実現すると、この気配がさらに強まると考えられる。この点については、七月二十四日の大統領に抗議するデモに何が生じたかを考えるだけで明瞭である。デモは、あたかも国が戒厳令下あるかのようにファシスト的なやり方で追い散らされた。デモの指揮者たちが逮捕され、多くの行進者が警察の襲撃を受け負傷した。
 ミンダナオ問題に対する政権の現在的な対処には、完全に異なったやり方、立場をもった政権内部の諸勢力の存在を示し明らかにした。それぞれの勢力、傾向は、ことにMILFとの関係の取り方(初期の段階から一九九九年第四四半期まで)や一般的には和平の考え方などについて完全に不一致である。歴史上の事実や教訓を無視して、ミンダナオの非軍事的な諸問題を軍事的に解決しようとする傾向が支配的である。
 イスラム諸国会議機構(OIC)は、MNLFとバングサ・モロ闘争との関係で歴史的かつ重要な役割をもっている。事実、OICは、その国際路線をMNLFと同調させた。七月にマレーシアのクアラルンプールで開催されたOIC外相会議(IFMC)は、フィリピン共和国政府とMILFとの双方に対してミンダナオ戦争の停止を要請した。これによって、MILFが導くモロの闘争が国際問題として浮上することになった。

総力戦戦略を宣言

 エストラーダ政権の対MILF「総力戦」戦略、その後にフィリピン共産党と新人民軍(和平交渉が行き詰まってから)に対しても宣言された総力戦方針は、アキノ政権の「全面戦争」方針の焼き直しである。
 フィリピン軍は、陸軍八個師団のうち五師団、海兵隊では四旅団のうち三旅団、精鋭のレンジャー、PNPが戦闘地域に配備されており、ミンダナオに配備される計画の三万五千CAFGUのうち二万以上が配備されることになっている。今年七月現在で国軍は、二万以上の高性能火器、ライフルをキリスト教徒自警団を中心とする市民に配布している。
 より多くの重火器がミンダナオに配備されることになっている。その資金は、エストラーダが最近訪米をしたときに要請した一億千万ドルの軍事ローンがあてられる。
 MILFは、BIAF四師団以上を中央ミンダナオに配備している。これには、MILFの武装民兵や、彼らが支配的なすべての自治体に配備している一種の警察組織は含まれていない。現在、MILFの大規模な軍事組織は小規模なものに再編成されており、機動力を高めてゲリラ戦に向けている。彼らの中心陣地が陥落しそうになったとき、重要な武器や軍事設備を遠隔の安全な場所に移動した。実際、中心陣地には国軍の最終攻撃を遅らさせるための少数の兵力しか残していなかったのである。
 政府は、対MILF戦争の費用を一日平均二千万ペソ使っている。すなわち今年三月から六月までに二百五十億ペソ支出したことを意味しており、これはいくつかの省の年間予算よりも多い。そのうえ政府は現在、議会に圧力をかけて百四十億ペソの増額を要求している。
 政府の総力戦とは対照的にMILF/BIAFは、自らの土地を守るジハード(聖戦)として宗教上の責務を着実に遂行している。食料、兵たん、財政、軍事設備などを確立・増加し、自立できるようにする五カ年計画が成果をあげている。そして高性能の武器(機関銃と迫撃砲)を積載した輸送船三隻が到着し、MILF/BIAF側の努力をさらに実り豊かなものにした。
 フィリピン国軍は軍事戦略面では、アメリカによって訓練されている。したがって国軍がMILF/BIAFを「陥落」させて、その地にフィリピン国旗を立てることには象徴以上の意味がある――アメリカ指導の軍事戦略における不可欠な一部である。
 アメリカは、実際の戦闘に関しては、その手先を介してMILF/BIAFの陣地や基地、移動などを人工衛星で撮影した写真をフィリピン国軍に提供している。そして国軍中心部隊の小隊長全員が、GPS(人工衛星を使った位置把握システム)をもっており、それで移動方向を知るようになっている。
 だがゲリラ戦であるから、これといった戦場や戦線、陣地が明確に存在しているわけではない。ゲリラの側が攻撃の場所や時間を決める。確かに人工衛星は、ゲリラの動きに関する数多くの写真をもたらす。今年の一月から三月の間にMILF/BIAFは、高度に機動的なゲリラ戦への戦略転換を決定した。彼らのスローガン「勝利か、さもなくば殉教を」は、陣地を防衛するためでなく、その大義とバンガサモロ地域全体を守るために実行されている。

OICの役割(略)

イスラム教徒とキリスト教徒との衝突

 いわゆるイスラム教徒とキリスト教徒との衝突の激化は、フィリピン国軍の心理作戦部門が暗に陽に扇動していることに深く関係している。最近、ミンダナオのキリスト教徒に対する一連の待ち伏せ攻撃、虐殺が行われ、国軍はただちに実行者をMILFと断定した。国軍の通常の説明は、モロ・イスラム教徒の犯行であるからMILFによるものに違いない、というものである。これに続けてキリスト教徒はモロの攻撃から自衛するために武器を要求していると説明する。そして政府は武器を配布する。
 こうした一連の事態の結果として、上述の政府支配地域を別にしたミンダナオのほぼすべての町村でキリスト教徒が組織され、いわゆる敵、MILFに対して自衛武装した。
 エストラーダとその将軍たちがミンダナオにおける「総力戦」を宣言したのとほぼ同時に、アブサヤフが再登場したのは決して偶然ではない。国軍の手先たちが、この過激派、テロリスト集団形成に関与した役割は別にして、彼らはキリスト教徒の間に反モロ/イスラム教徒の感情、雰囲気醸成については直接かつ積極的な行動を展開している。これによってもまた、キリスト教徒の反モロ自衛武装が正当化されている。
 当初、国軍とその宣伝工作機関は、アブサヤフとMILFとは異なってはいないという点を広めることができた。現在は、こうした図式の間違いが露わになり、アブサヤフは身代金目的の誘拐といった反社会的な行動に専念するようになっている。アブサヤフは、誘拐事業で国内的のみならず国際的にも成功を収めるようになり、二億ペソ以上をすでに稼いでいる。
 アブサヤフの誘拐行動がフィリピン経済に深刻かつ多大な悪影響を与えたので、これを操作する国軍関係機関がアブサヤフという過激派、犯罪集団に対する支配力を失ったのか、それともモロの人々を不合理な存在として世界に印象づけようとする作戦の一部なのかをいぶかる状態が生まれている。
 アブサヤフの操作とその誘拐事業とは、エストラーダ政権が国家をいかに統治し運営しているか、この点を明瞭に反映している。現政権の内部では、汚職や腐敗行為はその内容や実行される時や場所を選ぶことなく普遍的である。

和平への動向

 OICは今月(八月)、一九九六年にMNLFと政府との間で調印された和平合意が実行されているかどうかを調査する委員会を派遣する。この調査委員会は、MILFに関しては調査対象にしていない。MILF指導部は、和平交渉の次のラウンドを中立国で開催したいと提案したが、政府側は即座に反対した。
 MILFは、和平交渉を外国で開催することに固執する理由として、政府がMILFに対して行ういやがらせや取締りをあげている。政府は、自らが状況を完全に支配しているイメージを与えようとしており、MILF交渉団に安全交通権を保証するかのような態度をとろうとしている。政府は現在、MILFが主張している無条件での和平交渉に対して態度を表明していない。
 他方、MILF側が展開している国際的なイニシアティブは、豊かな収穫をもたらしている。クアラルンプールでIFCM―OICが認定した事実上の交戦状態は、その程度がより強められるだろう。これに基づいてMILFは、友好的な、そして強力なOICのいずれかの参加国で臨時政府を樹立することさえ可能となっている。こうした政府が樹立されるなら、エストラーダ政権はマルコス独裁政権以上に困難な問題に直面することになる。
(インターナショナルビューポイント誌9―10月、324号)