1990年9月10日         労働者の力              第13号

第二回総会提出文書から
討論のために

ソ連・東欧の事態をどうとらえるのか
                                    早川謡児

 
ポスト世界戦争の時代の新しい主体に含流するために

ソ連でのペレストロイカを背景として、一九八九年に東欧で起こった民衆革命は、スターリン主義官僚体制が民衆の手によって葬り去らねばならない非人間的な抑圧の体制であったことを、事実をもって完膚なきまでに明らかにした。官僚専制のもとでは、時に命がけであった第四インターナショナルの主張の正しさは、その点においては一点の曇りなく証明されたのである。しかし、束欧民衆革命が第四インターナショナルが構想した政治革命ではなく、当面、西欧資本主義への融合・統合に行きつく民主主義革命という政治性格をもっていたことは、第四インターナショナルの政治的な立脚点をも大きく揺さぶるものであった。

ソ連・東欧の事態をどうとらえるか。

先入観なくこのことを考え続け、われわれの従来の理論を再検討することの中
から、われわれの過去と現在を総括し、未来を構想しなければならない。

1東欧

東欧各国での自由選挙の結果と、誕生した新政権の(経済)政策によって、一九
八九年に東欧で起こったことが何であるのか、一定程度判断できるまでに事態は
進展した。
 東ドイツでは保守のCDU(キリスト教民主同盟)が大勝し、人々は西ドイツ資本主義への併台を選択したが、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアでも自由選挙で旧共産党が敗北し、民衆革命を主導した勢力が政権を握った。ブルガリアだけは旧共産党=現社会党が過半数を確保して政権を維持した。また、ルーマニアで過半数を獲得した救国戦線の政治性格があいまいなのは、他の東欧各国の
ような下からの民主化を支える勢力が未成熟であったからであろう。自由選挙で
誕生した政権は、ポーランド、ハンガリー、チェコで、それぞれ「市場経済への移行」をめざす緊縮・耐乏政策を展開している。ポーランドでは、「運帯」によって押し上げられた知識人による政権が、蔵相の名からとったバルセロービッチ・プランという超緊縮政策を展開(補助金のカツト、金融引締め、民営化、通貨ズロチの切下げ、貿易と為替の自由化、賃金凍結)して、一時的には年率千パーセントに達したインフレの下で賃金が凍結されている。ハンガリーでも財政赤字の削減、企業への補助金の五分の一への削減で物価が上昇し、労働者の六割の生活が低下している。ハンガリーの蔵相は「モデルは西ドイツである」と表明し、すでに株
式市場が誕生している。チェコでは、漸進的改革を主張する副首相に対して、急
進的改革を主張する蔵相の路線が勝利し、食料品などへの補助金が大幅にカットされた。ルーマニアだけは価格体系の改定に数年をかける漸進的路線をとっている(ブルガリアの資料は見あたず)。
 ポーランド、ハンガリー、チェコの各国では、経済の責任者にマネタリストが座っており、国営企業の民営化をはじめとする「市場経済への転換」とは、客観的には、再資本主義化と西ヨーロッパ資本主義への融合・統合を意味している。
しかし、疲弊した中央統制型計画経済の市場経済への転換は容易ではなく、すでに様々な矛盾が表面化している。東ドイツでは大量の失業者がすでに生まれて
いるし、各国で国営企業の民営化にあたって民間に資本がないことから、従来の
官僚がどさくさにまぎれて資本家に転化する、法外な安値で売却する、西側資本
による買収が問題化するという事態が報道されている。各国とも、通貨の国際的
な交換性を確保し、世界経済と国民経済の有機的な関係作りだそうとしているが、そのためには国家財政からの補助金に頼る、いびつな価格体系から脱却しなければならず、補助金の廃止にともなう猛烈なインフレーションによる国民への犠牲の転嫁は、どの国でも不司避なように見える。
 こうした事態に対する様々な批判はすでに生じている。ポーランドでは生みの親である「連帯」と政府が分裂し、ワレサは、先日の「連帯」第二回大会で「知識人を信用したのが問違いであった」とマゾビエツキ政権を批判し、大統領選挙への出馬に意欲を見せた。また、東ドイツの総選挙でのPDS(旧社会主義統一党)の善戦は、急速な西ドイツヘの併合に対する東ドイツ民衆の不安を表明したものであろう。しかし、こうした批判は、市場経済への転換という全体的な方向性に対する対案を欠いていることによって、総体としての方向性を左右することのできない、部分的な批判にとどまっていることに注目しなければならない。ワレサの政府批判が、政策的な批判ではなく知識人批判という情緒的なものであることは象徴的である。
 東欧においては今後、市場経済への転換を進める政府を軸にして、テクノクラ
ート、労働者、農民といった様々な国民各層の利害にまつわる要求や抵抗が表面化し、その混沌の中から、いわゆる「混合経済」の様々なバリエーションが生ま
れてくるのではないだろうか。
 もちろんその過程は、EC統合によってさらに優位に立つであろう西ヨーロッパ
資本主義への従属の過程であり、現在の東欧各国政府が考えている市場経済への転換が首尾よく成功する保障はない。むしろ西欧資本主義へ「植民地」的に従属していく可能性が大きいかもしれない。しかし、八九年から九〇年にかけて、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコの各国民が、自由選挙を通じてその方
向を選択したこと、そして、その方向性に対する現実的な対案がどこからも提出
されていないということは確かなことである。

Uソ連

 一方、ペレストロイカの発祥の地であるソ連の場合、現在までのところ「共産主義的目標の堅持、人間的な社会主義」をかかげる、ゴルバチョフがかろうじて事態を掌握している。しかし、急進的な改革勢力である民主綱領派は、先の党大会で「目標としての共産主義の廃棄、市場経済化の加速」などを要求し、その一部が大会後に脱党した。党組織をめぐる様々な駆け引きはあるものの、事態はソ連において本格的な社会民主主義政党(勢力)が誕生しつつあることを示している
のではないだろうか。
 ゴルバチョフはソ連経済のうちの七割程度を民営化するという展望を持ってい
るとも伝えられるが、分厚い官僚層の抵抗にあって市場経済化は進展せず、経済的困難は深まっている。また、党-国家の抑圧の解体とともに、暴力によって凍結されてきた民族主義が政治の表舞台に登場し、中央集権的なソ運国家は解体の危機を迎えているように見える。
 東欧は再資本主義化したが、自前の革命で共産党政権を作り上げたソ連は違う、というような見方はできないのではないか。ソ連と東欧を動かしている力の根源を同一のものとして見ていかないかぎり、ソ連・東欧の事態を本当に理解することは困難なように思う

V事態を規定している力

 一九八五年にゴルバチョフがボタンを押して始まり、戦後世界体制を根底から
変革するにいたった、ソ連・東欧の事態を規定している力は何だろうか。これまでの第四インターナショナルの「政治革命」の理論と、現実に起こったことの関係を整理することの中から、第四インターナショナルとは何だったのか、そして「われわれは何を間われているのかが見えてくる。
 ソ連・東欧の事態を生みだした経済的要因が、党-国家における中央統制型の計画経済の破綻であることは明白である。資本主義諸国での高度帰報化の進展に、情報の遮断によって維持されてきた党-国家が対応できなかったことも指摘されている。
 しかし間題の核心は、党-国家官僚体制の矛盾に挑戦を開始したゴルバチョフの後ろ盾にとどまらず、ゴルバチョフの当初の予想を越えて吹きだした、ソ連・東
欧の改革を推進しつつある勢力をどう規定にするのかということであろう。第四インターナショナルの従来の理論からすれぱ、それは、官僚的な方法ではあれ推進される工業化にともなって増大する近代的プロレタリアートであるはずだった。
しかし現実には、プロレタリアートの自主的な組織も登揚しているが(ポーランドでは主力にさえなったが)、事態を推進している、また事態の政治的方向性を決定する力として登場したのは、とりあえず世聞の呼び方をするならぱ、ソ運でも東欧でも成熟しつつあった「西欧的市民社会」ではないだろうか。
 サハロフなどの異論派の主張が西側に甘く見えることに対して、われわれは従
来、それはいまだに「政治革命」の主力であるプロレタリアートが動きだしていないからだと考えてきたが、現在までのところペレストロイカの中で登場してきたものの中心は、民主綱領派を中心とする社会民主主義的勢力とサハロフ的な民主主義者であり、プロレタリアートは炭鉱労働者などが改革派諸勢力の一翼として登場しているにすぎない。
 東欧民衆革命は、プロレタリアート」のヘゲモニーではなく、「市民」のヘゲモニーで勝利した。東欧民衆革命がなぜソビエト権力を要求せず、議会制民主主義
を要求したのかということは、そのことによって整合性をもって説明される。
東欧民衆革命の勝利とソ連におけるペレストロイカの進展が資本主義諸国との緊張緩和をともなっていることも、同様の理由から説明される。第四インターナショナルは、「堕落した労働者国家」における民主主義の復活はソビエトに基礎をおいたプロレタリア民主主義の復活としてあり、それは世界革命の前進と結びついていると考えてきたが、実際には、議会制民主主義として実現され、資本主義国との劇的な緊張緩和をともなったのである。
 ガルブレイズは、一九八八年に発行されたソ連の改革派経済学者との対談「資
本主義・共産主義・そして共存」の中で、「あなたの国のタカ派が私の国のタカ派
を助け、私の国のタカ派があなたの国のタカ派を助ける」というソ連の詩人の言
葉を引用している。ソ連における改革の推進が西欧資本主義国との融和に向かうというガルブレイズの指摘は、われわれの予測よりもはるかに現実的なものであった。
 われわれは東欧民衆革命とソ連でのペレストロイカを推進している力について、
先入観なしに詳細に検討する必要があるが、とりあえず言えることは、ソ連・東
欧のこの問の事態を通じて、一九一七年以来の東西の分断状況が克服されつつあるということである。その方法は、「労働者国家におけるスターリニスト打倒の政治革命、それと結合した世界社会主義革命」という第四インターナショナルの構想にそってではなく、ソ連・東欧に胎胚した「西欧的市民社会」による閉塞した
党-国家体制の解体・打倒と西欧的資本主義社会への融合・統合という方法によって。
 このことは、国際的な反革命なのだろうか。そうではないだろう。「労働者と農民、働く者が主人公」であると、公に宣言されながら、なに一つ人々の自発的な意欲と自由な思考が認められず、自らの運命を官僚の盗意のもとに置かれ続けた
人々が一九八九年、東欧で立ち上がり、自らが歴史の主人公であることを闘いによって証明したのである。
 これは、歴史の偉大な前進でこそあれ、「反革命」などと呼ばれるものではありえない。われわれは、現実を謙虚に見続ける中から、一九八九年東欧民衆革命の意味を明らかにしなければならない。
 そうした観点から見るとき、東欧民衆革命とソ連のペレストロイカから学ぶべき点が、「自由と民主主義」の観点であることは間違いない。自分のことは自分で決めるという近代的な個人主義の原則をかけて、人々は党-国家と対時し続け、東欧ではついにそれを解体したのである。従来、それらはブルジョア的個人主義の
観点であり、社会主義の思想と運動はそうしたものの上位に、それらを止揚して
存在するとされてきた。しかし、われわれを含めた社会主義の思想と運動は、本
当に「自由と民主主義」の観点を、十分に包含しえてきたのか。東欧民衆革命は
このことを問うた。そして民衆の闘いに心を踊らせながらも何か割切れないとい
う、われわれを含めた多くの左翼の心情は、東欧民衆革命が「自由の価値」「民主主義の価値」を、十分には包含しえてこなかった左翼運動総体への、いわばしっぺがえしだったことに根ざしているのではないか。彼らは闘いを通して「自由と民主主義」の観点が「搾取する自由」だけをさすものではなく、普遍的な価値を持つものであることを証明した。社会主義の再生は、「自立した個人による自由な運合」として、こうした「自由と民主主義」の観点を、社会の構成原理においても政治組織の構成原理においても、その内部に取り込まないかぎり、絶対にありえないだろう。(東欧・ソ連の人々のうち鋭い人々は、西欧資本主義が「金儲けの自由」のためには、「自由と民主主義」の普遍的な価値を放棄することに気がついている。チェコのハベル大統領は、チェコ政府との緊張緩和を優先するために、七〇年代初頭、二千語宣言に署名したハベルとの関係を避けた西ドイツの「自由
民主主義者」について述べた)。

W1917ー1918年

 ソ連・東欧の事態を「国際的な反革命」と呼ぶのは論外としても、われわれはそれに拍手していればよい、ということではない。一九一七年以来の東西の対立が西欧的資本主義社会への融合ないし併合という方向で克服されようとしている
事実は、一九一七年を存在の根拠としてきた第三インターナショナル以来のすべ
ての左翼に、その存在の根拠を根底から問いかけているからである。第四インタ
ーナショナルもまた、一九一七年を基点とする社会主義運動の世界的分裂の中で、ロシア革命と第三インターナショナルの側に立ってきたことは明白である。むしろ、われわれは「正統な第三インターナショナル」として自分たちを位置づけて
きたのである。ソ連・東欧の事態は、第四インターナショナル結成以来の帳尻を
あわさねばならない時代の転換点がやってきたことを明白に示しているのではな
いだろうか。われわれは一九一七年に始まり一九八九年に薫を閉じたと思われる、一つの時代を総括しなければならない(私には二十世紀の大半におよぶ時代の総括など、まったく手に余るので印象として述べる)。
 堕落する以前の第三インターナショナルは、「世界革命の勝利か、新たな恐慌、
新たな戦争か」(第三回大会・情勢に関するテーゼ)という認識の上に、政治方針
と組織方針を確定した。「ソビエト権力の樹立によるプロレタリア独裁」という目的、そのための「民主主義的中央集権」にもとづく共産党の建設、そして「大資
本・大農場の国有化を通した生産の社会化」という社会主義論や、「民族自決権の承認にもとづく民族解放闘争との運帯」という主張の一切が「革命か、さもなく
ば恐慌か戦争か」というところから導かれたのである(いずれも第三インターナシ
ョナル一-四回大会の諸決議より)。第四インターナショナルもま、その点を忠実
に継承した。世界共産主義運動は、いわば「世界戦争の時代における社会主義運動」として社会民主主義から分裂したのである。
 こうした初期第三インターナショナルと、その後の第四インターナショナルの展望は、第二次世界大戦の勃発によって悲劇的に証明された。
そして、第二次世界大戦を通じて、中国革命の勝利とソ連軍の東欧占領による上からの革命によって「社会主義」陣営は強化された。しかし、この展望はものご
との半面を言い当てたのにとどまった。二つの世界大戦をくぐり抜けた資本主義
は、戦後の混乱期を、各国共産党の政府への一時的包摂や弾圧など、さまざまな手法で乗り切ったあと、アメリカ帝国主義の圧倒的な力を背景に長期的な成長をとげ、各国の労働者階級を民主主義的資本主義の枠内に包摂するにいたったからである(織田進氏の研究参照)。
 二つの帝国主義戦争を通して世界資本主義は大きく変容した。それは、植民地
からの収奪を冨の主要な源泉としていた(どのくらいかは研究の余地があるが)古
興的な帝国主義から、国内市場の内包的発展と水平的な世界貿易の発展を土台とする、資本主義の新しいスタイルヘの変化であり、それは大衆消費社会の形成を軸に、民主主義的政体のもとに労働者階級の主要な部分を取り込むことに成功した(もちろん、石油をはじめとする資源の第三世界からの収奪その他がなくなったということではない。しかし、植民地からの収奪を資本主義の成長の主要な土台として説明することはもはやできない。植民地を失った敗戦帝国主義である日・独の繁栄と、植民地問題にかかわり続けた米・英・仏の衰退は象徴的である。われわれは今、そうしたことを解明する「現代資本主義論」を絶対に必要としている)。
 一方、二つの世界大戦の中から誕生した「社会主義圏」は、資本主義の変容に
対応して、必要となった変容に成功しなかった。国内市場を基礎にした内包的発
展を達成した資本主義にたいする、経済成長の分野での決定的な敗北と、民主主義的政体への非転換、官僚的党-国家体制の強権的な維持がその特徴である。戦争の中から誕生した二つの「社会主義」大国、ソ連と中国はともに、当時の帝国主義の最も弱い環であり、革命以前は強権的な支配のもとにあった。そして資本主義からの離脱は民主主義をともなわずに行われた(むしろ、そこには民主主義の成立する根拠がなかったと言うべきか)。しかし、その特殊性を、権力を掌握したスターリニストはもちろん理論的に明らかにせず、ソ連と中国の経験を一般化した。
 この点において、第四インターナショナルが労働者国家の非人問的な抑圧の実
態を指摘し、社会主義的民主主義の必要性を明らかにしえた功績は大きい。しかし一九八九年の事態は、社会主義的民主主義を確立する展望としての、われわれの「政治革命論」を激しく揺さぶったのである。
 一九八九年の東欧民衆革命は、「自由と民主主義」を要求して党-国家体制を打倒したが、東欧民衆の闘いを支えた大きなものが資本主義体制下における民主主義政体とそのもとでの大衆消費社会であったことは疑いえない。西欧における労働者階級のあり方に東欧の民衆は吸引されたのである(西欧における社会主義革命に吸引されたのではない。この点がわれわれの「政治革命論」と、起こったことの乖離をとく鍵かもしれない)。
 だからと言ってこれは「民衆の手による反革命」では断じてないだろう。時代の変化に適応できず、党-国家体制の手に権力を独占してきたスターリニストの支配を解体したという点で、これは大きな歴史の前進である。議会制民主主義の定
着は「自立した個人による自由な連合」を求める社会主義運動の観点から見ても、官僚的党-国家体制からの大きな進歩であろう。東欧民衆革命は、「自由と民主主義」の普遍的な価値としての側面を、闘いを通して時代に刻印した。社会主義の思想と運動も、その時代の精神をわがものとしなければ滅びることは必然である。
 たとえば今年のOAU総会には、半数の国の代表が自国での民主化・複数政党制を求める運動の激化のために参加できなかった。アジアにおいても、台湾、ミャンマー、ネパール、韓国などで、民主主義を求める闘いが展開されている。「自由と民主主義」をめぐる闘いは世界的性格を示しているのである。
 しかし「国有化による資本家の廃絶」が、社会主義に向かう基礎であるとすれ
ば、市場経済体制への復帰は後退であるうか。スターリニストは労働者国家にお
ける国有化をもって、社会主義の完成とみなしてきた。彼らにすれば事態は社会
主義の崩壊である。第四インターナショナルは、国有化を社会主義の前提とみな
し、政治革命にたちあがる人民は産業の国有化を前提としたうえで、その支配権
を官僚から奪い取るであろうと考えた。しかし現実には、少なくとも現在の東欧においては、国有化を維持したままの人民による民主主義的管理という方向には現実性がないことが明らかになった。それは、一度は「自主管理共和国」のスローガンに接近したポーランド「連帯」がそのスローガンをいとも簡単に放棄したことに端的に表れている。「自主管理共和国」には、現在のポーランドにおいて現実的な根拠がないと考えざるをえない。
 少なくとも、「現存社会主義国」の計画経済を社会主義そのものであると考えて
きた政治勢力と、それを、社会主義の前提と考えてきた政治勢力にとって、東欧
諸国の市場経済への復帰が戦略的敗北であることは確かなことだ。そして二十世紀の社会主義運動が、社会民主主義者の多くを含めて、基幹産業の国有化を社会主義を実現する政策的な基軸としてきた以上、それは社会主義運動総体の敗北と言わざるをえない。だが私は、社会主義運動の敗北=歴史の後退、ではないような気がする。歴史は、社会主義運動の敗北を通して前進し、社会主義運動の自已変革を要求したのではないか(ここには、歴史の進歩とは何であるのかという、別の問題も含まれているような気がするが触れない)。
 東欧民衆革命が、「自由と民主主義」を要求して党-国家体制を打倒し、東西対
立の解消を通じて幕を閉じたのは、第一次世界大戦以来の世界戦争の時代である。それは、社会主義運動の観点からすれば、社会民主主義と共産主義への分裂の時代であり、戦時の社会主義としての第三インターナショナルの時代であった。そしてこの事態は、「正統な第三インターナショナル」としての第四インターナショナルにも、自らが何ものであったのか、そして何ものにならねばならないのかを、強く問いかけているのである。
 東欧民衆革命を準備したゴルバチョフのペレストロイカは、「帝国主義と社会主義陣営」が非妥協に対立し、一方が他方を打倒しない限りこの対立は解消しないという、第二次世界大戦後の「東西対立の世界」がもはや仮象にすぎないことを自覚しつつ推進されたが、このことは、世界戦争を内包しない資本主義への戦後資本主義の変容という事実を踏まえたものであろう(「東西対立」とか「社会主義陣営と資本主義陣営の体制問矛盾」とか様々に言われてきたことには、一時期まで確かに根拠があった。しかし帝国主義者の侵略に心底身構えたスターリニス
トと、ドミノ理論にもとづいてベトナムの泥沼に足を突っ込んだアメリカの、双方の恐怖にはやはり大きな幻想という側面があったのではないだろうか)。
 多国籍企業が資本主義諸国の国境を越えて入り組み、EC統合が現実のものとなった今日の資本主義は、もはや帝国主義世界戦争に訴える動機と、そのための社会的な合意形成の能力を持っていないように思える。遠い将来、再び資本主義の様態の変容にともなって、世界戦争が現実化することが絶対にないとは言えないが、少なくとも相当の長期間にわたって、世界戦争を予測することはできない。
 イラクのクウェート進攻は、第三世界が依然「戦争の時代」にあることを示し、アメリカを中心とする資本主義諸国とイラクの戦争の危機は、安価な石油の確保にかける資本主義諸国の身勝手な「権利主張」を浮び上がらせているが、こうした第三世界との関係を除けば、資本主義にとっての世界戦争の時代は終わったの
ではないだろうか。世界戦争の根拠がなくなったという裏づけがあったからこそ、ゴルバチョフは軍縮のヘゲモニーを取ることが可能だったのであり、ゴルバチョフの平和攻勢によって、ヨーロッパの民衆は「ヨーロッパに敵はいない」という事実に突然気がついた。これはゴルバチョフの偉大な功績ではないだろうか。「新思考外交」は確かに戦争の時代の戦略ではない。
 われわれは今日、世界戦争の時代におけるわれわれの武器がもはや使い物にならないということを自覚しなければならない。それは、帝国主義戦争の必然性と、社会民主主義と共産主義の分裂の必然性を説いたレーニンの「帝国主義論」であり、暴力革命によるプロレタリア独裁とソビエト権力の樹立をといた「国家と革
命」の理論である。また、民主主義的中央集権にもとづく前衛党の理論であり、国有化と中央計画経済の理論である。こうした考え方の一切を根底から捉えなおし、ポスト世界戦争の時代における社会主義理論の構築と、主体形成の闘いに参加しなければならない。

(Vいくつかの疑間

 ソビエト圏の成立や中国革命に根拠をおいてきた世界戦争の時代の社会主義運動は、歴史的な力を使い果たした。しかし、それは社会主義運動総体の崩壊を意味しない。社会主義は、現代資本主義に対する原理的な批判として、高度に発達した資本主義諸国の現状にたいする、現実的な批判として再生されなければならない。それは、高度に発達した大衆消費社会=日本の現実そのものが、社会主義の思想と運動を生み出さざるをえないというところに根拠をおいて、はじめて再生されるだろう。そういう意味において、一九八九年、われわれの理論は借り物であったことが最終的に証明されたのではないか。命がつきていたことをわれわれは昨年知ったのではないか。世界戦争の時代の社会主義思想としての限界の中でスターリニズムを批判しえた思想としてのトロツキズムと第四インターナショナルの運動は、もうそのままでは使い物にならなくなった。そうした観点に立つとき、われわれの前には自分の頭で考えねばならない課題が山のようにある。東欧民衆革命から直接提起された問題に限って思いつくまま四つあげる。

【暴力革命と平和革命】
第四インターナショナルは、スターリニストが権力の座から平和的に退場することはありえないと主張し、さらにスターリニストによる「上からの改革」はあくまでも限定されたものであり、権力の排他的独占を保障する要としての「党の指導的役割」を自ら放棄することはありえないという立場をとってきた。しかし、     
ゴルバチョフによるペレストロイカの進展と東欧民衆革命は、こうした第四インターナショナルの予測が間違っていたことを示した。ゴルバチョフは自らの意志によって、憲法から「党の指導的役割」を定めた第六条を削除し、複数政党制にもとづく議会制度を導入し機能させることで、ペレストロイカを推進しようとしているし、東欧においては、ルーマニアを除く各国で「円卓会議方式」によって議会制度の導入が合意され、自由選挙の結果、ブルガリアを除く各国で、スターリニストが政権の座を追われ、民衆革命を主導した勢力が政権についた。東欧民衆革命はルーマニアを除き平和革命であった。
 東欧民衆革命が示したものは、国家権カの正統性が深く掘りくずされ、権力内
部の暴力装置を含めて、圧倒的多数の人々が権力から離反したとき、国家権力は暴力を振るう能力も意志も奪われるという事実である。東欧において自生的な根を持たないスターリニストの権力は、その後ろ盾であったソ運が「制限主権論」
を放棄し、各国の進路を各国民にゆだねたとき、すでに暴力を発動する可能性を
奪われていたのであろう。また、ゴルバチョフによるペレストロイカの進展は、一つの体制がその司能性を完全に喪失したとき、支配階層の内部から自らの支配
体制をいわば自己否定する勢力が生まれることがありうることを示した。支配階
層の頂点から呼びかけられたペレストロイカは、その内的な論理にしたがって、
複数政党制の承認と「党の指導的役割」の放棄に行きつき、既得権を防衛しよう
とする分厚い中間官僚層との攻防の段階に入った。深刻な反動がない限り、ソ連
においても共産党の排他的な権力は平和裡に解体されるであろう。
 こうした事態について、「それはソ連・東欧が労働者国家だったからで、資本主
義国での暴力革命の必要に変化はない」と言う人がいるようだが、それは皮相な
見解だろう。国家権力のありかを「常備軍と官僚機構」に見て、暴力革命の必要
性を説いたのはレーニンの「国家と革命」であったが、ソ連・東欧の事態は国家
権力が暴力装置と行政機構にだけ依存しているわけではないことを明らかにした
のであって、それは、資本主義国における権力の間題、「国家論」の問題にもつながっているのではないだろうか。
 ソ連・東欧において、国家権力の正統性は、突然やってきた危機によって解体
されたのではなく、何十年問ものうちに人々の間に徐々に蓄積されてきた力によ
って掘りくずされたように見える。長期の過程が東欧の平和革命を準備したので
ある。そのことは、資本主義国における社会主義運動にも、戦略をめぐる示唆を
与えているのではないか。資本主義の正統性を掘りくずそうとするわれわれの闘
いは、いかなる過程において多数になりえるのだろうか。恐慌や戦争という資本
主義の危機を想定し、そこでの「大衆」の意識の質的な変化を予想する理論は今
も有効だろうか。われわれは、現在ただいま、今ここで、資本主義の正統性を、
民衆の間で掘りくずしていく、社会主義の理論と運動を構想せねばならないので
はないか。それは、危機に備え、権力を急襲する「暴力革命」を準備する理論で
はなく、平時にあって人々を資本主義から離反させていく、長期にわたる「平和
革命」の理論ではないのか

【議会制民主主義とプロレタリア民主主義について】
東欧民衆革命を達成した主体である「市民」は、議会制民主主義を要求して勝
ちとった。第四インターナショナルの伝統的な立場は、「ソビエト諸党の合法化と
ソビエトの創設」である(民主主義にかかわる第四インターナショナルの近年のテ
ーゼはだいぶ違うようだが)。
 はっきりしていることは、昨年の怒涛のような闘いの中で、もしも「社会主義の基礎を承認する諸政党」に合法化の枠を限るべきだというような立場をとる者があれば、それは即座に超反動として民衆から打倒されたということである。「その枠を決めるのは誰だ」という間いに、この立揚が応えられないからである。また、議会制を越える直接民主主義の機関としての「ソビエト」が、かけらすら姿を現さなかった以上、「議会制民主主義にもとづく自由選挙」の要求はそれ以外にありようのない要求だった。ソ連においても、二人一票の秘密投だよる自由選挙」がペレストロイカの重要な柱として推進され、保守派を追い落とす有力な手段となっている。さて、このことは議会制民主主義というものにたいするわれわれの従来の考え方を変える必要を提起しているのではないか。議会制民主主義を、われわれは「ブルジョア独裁の一形態」として、一言でかたづけ軽んじてきた。
 しかし東欧・ソ連の事態が示したものは、「議会制民主主義を乗り越える」という
課題は、いまだに世界のどこにおいても現実的なものとして提起されるにいたっ
ていないという事実ではないか。議会制民主主義はソビエト制度にもとづくプロレタリア民主主義によって乗り越えられるのだろうか。私には疑問だ。

【計画と市場の問題】
 東欧における「市場経済への転換」の動向に対して、反スターリン主義的社会
主義者の多くが、市場経済化に反対し「民主主義的計画経済」を対置している。
しかし少し考えると、「民主主義的計画経済」という言葉は、「平等で、かつ自由
な社会」という社会主義の理念をそのまま言い換えた一つの抽象にすぎないこと
がわかる。この立場を、抽象的な理念ではなく、実際に導入できる制度として最
も熱心に主張してきたのはエルネスト・マンデルであるが、どうも疑わしい。
たとえば、ユーゴの混乱について、マンデルは従来「労働者自主管理は、政治的な自由、反対党の存在を認めるというプロレタリア民主主義と一対でなければ機能しない」としていたが、自由選挙を経てもユーゴがうまくいくとは思えない。生産を真の意味で社会化していく具体的な道筋はどこにあるのか、明らかではない。

【プロレタリアートという概念について】
 すでに述べたように東欧民衆革命の主体はプロレタリアート」ではなく、「市民」であった。ソ連においても、プロレタリアートの独立労働組台の登場などは報じられてはいるものの、それは今のところペレストロイカの枠内の一部にとどまっているようである。重要なことは、闘いに参加する民衆の内部におけるプロレタリアート」の数的割合ではない。プロレタリアート」が、闘いの方向性、政治的性格を規定する主体として登場するのかどうかということである。どうも、ソ連・東欧を見るとき、闘いの政治的性格を規定している主体はプロレタリアート」と規定するよりも、「市民」と規定したほうがすっきりするように事態が進展しているように思える。プロレタリァート」はこれから登場するのか。それとも「市民」こそ、これからの闘いの主体なのだろうか。社会主義の主体をどう構想するのか。理論的な探求が必要である。

Y新しい主体に合流するために

一九八九年の東欧民衆革命は、社会主義の約束を反古にして、野蛮な党-国家独裁になり果てた第三インターナショナルの裏切りを最終的に断罪し、西欧的資本主義社会への融合・統合というかたちで、東西対立の時代、世界戦争の時代に最終的な幕を降ろした。このことは、社会民主主義と共産主義への社会主義運動の分裂の根拠がなくなったことを意味していると思える。
 それはまず何よりも、第三インターナショナルにつらなる諸勢力は、自らの存
在意義の真剣な再検討と、新しい主体への脱皮に成功しなければ、生き延びることさえできない(従来のままであれば、生きている必要がないのだから)時代がはじまったことを意味している。
 しかし一方で社会民主主義もまた、世界戦争の時代にあって民衆を裏切ってき
たことに違いはない。それはそもそも、民衆を祖国防衛にかりたて、互いに殺し
あうことを強要した一九一四年の裏切りに端を発するものである。ポスト世界戦争の時代の社会主義運動の新しい主体は、第三インターナショナルにつながる勢力の自己革新とともに、社会民主主義勢力の自己革新を通して二つの勢力の中から、その分断を止揚するかたちで登場するのではないだろうか(唐突に決めつけるならば、鍵は「国民国家を乗り越える」可能性にかかっているように思う)。
 この点で、ドイツ社会民主党のベルリン新綱領とラフォンテーヌの著書「国境を越える社会民主主義」が一九一四年の裏切りに対して、おずおずとではあるが言及し、実質的な自己批判を行っていることは注目される。国民国家の構成要素へと、自覚的に自己を組込んでいる社会民主主義勢力によって、こうした自己批判はなぜ可能になったのか。少なくとも、発達した資本主義諸国相互での世界戦争の時代が過去のものとなり、欧州の国境がますます低くなってヨーロッパ(資本主義)合衆国が現実のものになっているということが背景にあることは確かである。
 ポスト世界戦争の時代の社会主義の、新しい主体をつくりあげる闘いを能動的
に準備するためには、われわれは、われわれでなくなることを決意し、宣言しな
ければならない。
(非常にあらっぽい仮説であり、多くの皆さんの批判が寄せられれば幸せである)。

国労第55回金国大会が間いかけたもの

闘争団を中心に国労運動の脱皮を


 大会を主導した闘争団さる四月一日の千四十七名の解雇という事態の中で、内外の注目を集めた国労の第五十五回全国大会は八月二-三日、東京で開催され、解雇撤回闘争、職場からの差別撤廃と労働条件改善、労戦間題、役職員の削減問題などをめぐって議論が交わされた。
 今回の大会で議論をリードしたのは、不当解雇以降、試行錯誤を繰り返しなが
ら長期に闘い続ける体制を作りあげつつある闘争団所属代議員であった。彼らは、上部機関が四月一日以降の明確な展望を示せず、いまだに「短期決着か長期闘争か」などという不毛な動揺を繰り返している困難な状況下で、「食い、かつ闘い続ける」体制を自前で作り上げることに挑戦してきた。
 「地本内二百九十一名、九つの闘争団では、決戦の場である首都での闘いに闘争団員を送りだしつつ、長期に闘う自信が出てきている。地本全体で生活資金を集約する討論もはじまった。闘えば闘うほど、敵の弱点が出てくることに確信をもとう」(旭川)
 「しっかりした生活確立こそ敵への最大の攻撃と意志統一している。『北海道の雇用状況では冬は越せない』という幹部もいるが、冬を越せないと考えている闘争団員は一人もいない。大幅な妥協による解決は誰も求めていない。中労委での解決が必要なときは、中央委員会の開催を」(札幌)
 組織的な自活体制の観点が必要。闘争団の全国交流と全国会議、交流のため
の情報紙の発行を」(門司)など、自信を深め、胸を張った発言が注目された。会
場前で配布された稚内清算事業団分会のビラは、事情聴取を開始した中労委の動向が「不当労働行為を棚上げして、地労委命令を無視した内容で整理するよう政府・独占の要請を受けたもの」であるとして、「政府・独占は、国労の路線変更として『国鉄の分割・民営化』の現実からの意識改革と全労協からの脱退を突きつけているといるものと言われている。
国家的不当労働行為を働き、地労委命令で不当労働行為を断罪されている者が、こともあるうに謝罪しなければならない相手の国労の路線変更を突きつけるという厚顔無恥の政府・独占の行為は厳しく断罪されなければならない。これに手を貸す者も同様である」
と、訴えていた。こうした闘争団の闘いを踏まえるかたちで、本州の代議員から
も、「三月闘争で九割の組合員がストに入ったことは、大きな前進。早期解決のため、解決水準を下げるのではなく、地労委命令を基準にした解決を。JRが和解を拒否するなら、ただちに命令獲得の全国署名を開始しよう」(東京)
など、昨年の十一月から今年三月にかけての四波のストライキを闘った自信を感
じる発言があった。

残る方針の不鮮明さ

しかし、こうした闘争団組合員の頑張りや、それに応える本州での闘いの前進にもかかわらず、今回の国労大会は分散し、盛り上がりにかける印象を与えたままで終了した。それは何よりも、清算事業団の解雇撤回闘争がいまだに、本部から職場までの総力を上げた全国闘争として意志統一されず、「和解による早期決着」路線を含む様々な政治的思惑が入り乱れているからであり、さらに、労働戦
線をめぐる方針のばらつきが表面化し、党派的な対立、抗争が前面に出たからである。
 表面的な強硬姿勢にもかかわらず、千名の争議団化、そして地労委での連戦連敗によって追い詰められた政府・JR各社は、国労指導部を篭絡することで事態を打開しようとしており、この問、水面下で「和解決着」にむけた組織介入が続いてきた。政府・JR各社の条件は、@分割・民営化反対のスタンスをかえ、現状を承認すること、A闘争至上主義を改めること、B全労協から脱退することーであり、これを条件に、解雇問題については「国家的不当労働行為」を棚上げにした上での「広域再採用」などでの決着を狙っていると思われる。そして、国労を各
社ごとの企業内組合へ転換し、企業内の協調体制の中に封じ込めようとしている
のである。「正常な労使関係の確立」の名によって、この条件にすり寄るうとする
部分は国労から一掃されていない。
 今大会を前にして国労が全国で百十九名の書記を十月一日以降に半減するという計画が新聞報道され、国鉄闘争を闘う多くの人々を驚かせた。それは、書記労働組台と合意できなくとも一方実施するという、実質的な首切り提案だったから
である。この「財政再建案」作成には、国労の外郭団体である財団法人国労会館、伊豆大川教育センターに天下っている幹部OB(社会党系・革同系)が深く関与しており、彼らは国労の資産を私物化し、国労本体への資金提供を押さえた上で
この問、解雇撤回闘争や全労協運動など、国労運動の質的転換を支えてきた書記局と左派中執を切ろうとしたのである。政府・JRの工作に呼応する右派の陰謀であった。この計画は、最も打撃の大きい東京地本を中心とする協会派などの大会での抵抗でくいとめられたが、総団結しなければならない、この時期のこの混迷は国労の現状をよく表していた。
 また、今大会で革同系の代議員は、一斉に「首を切られた全動労と共闘しない
のは不自然」という論理で「国労・全動労・国労支援中央共闘・全労連の四者共
闘」を主張した。これに対して社会党系の代議員からは、西日本と東海の一部革
同系機関が全労連地方組織(県労連)に参加したのは大会決定違反だとして、「それならば、『私の地本は県連台に参加する』という事態にもなる。ただちに脱退するよう指導せよ」などの発言がされた。国鉄闘争勝利の大きな条件が連合傘下組台への闘いの拡大である現状では、全動労・全労連との共闘関係が問接的になることは、国労支援中央共闘の場では、共産党系幹事を含めて合意されている。今大会での革同系の発言は、国鉄闘争勝利のためというよりは、セクト的利書を優先させたものであったことは否めない。西日本エリア本部の全労連加盟も噂されている。昨年の大会で全労協参加を決定した国労だが、全労協運動の実態と方向性が不鮮明なものにとどまっていることが、国労内の社共対立の激化をもたらしている。
 大会は、書記長集約で解雇撤回闘争について、「地労委命令を無視した解決水準の引き下げは認めない。JRが中労委での解決を拒否するなら、命令獲得の全国署名に踏みだす」「長期体制の確立こそ、短期決着の条件であり、長期体制を作りながら、秋の中労委闘争に集中する」、全動労共闘については、従来どうりの国労・中央共闘を中心として闘う、書記削減間題については、一方実施は行わず書記労との合意を得て行うことーなどを確認して終了した。
中労委を介した政府・JRの介入が秋にむかって強まる中、大枠として闘いの旗
を守ったと言える。しかし政府を相手にした千名の解雇撤回闘争が、一体いかな
る政治性格を持ち、解雇撤回闘争を通じて九〇年代を闘う国労にいかなる質が間われているのかという根本的な問題は、依然として議論されず積み残された。十月会議系の勢力を結集した国鉄闘争センターは、国労大会にむけたビラの中で「命令獲得・JR復帰まで闘う長期闘争体制」「企業の壁、本工・臨時の壁を越えて団結し、市民運動や反差別の闘いと連帯する新しい労働運動」への脱皮を訴えたが、闘争団と家族の頑張りを基礎に、国労運動総体の企業内組合主義からの脱皮をめざして、闘い続けねばならない。
 


寄稿
                   出獄の挨拶
                                    和多田粂夫


お礼申し上げます
 八月三日早朝の府中刑務所へのお出迎え、午後からは盛大な歓迎会を催していただき有難う御座居ました。出獄当日は金曜日でありましたし、私の所属する第四インターが組織分裂状況にあることもありまして、精々二-三十人来てくれればいいところだろうと考えていましたので、百人を越える懐かしい顔に対面した時、驚きと戸惑いの入り交じった歓びで胸が一杯でした。反対同盟、連帯する会、管制塔弁護団、その他各方面から来て下さった方々、今は分裂状況にあるとはいえ、あの三・二六闘争を共に担った同志達の皆さん、十一年五カ月という長期に渡る御支援、並びに多額の生活資金カンパをいただき本当に有難う御在居ました。この「労働者の力」紙をお借りして遅れましたが、お礼の言葉にかえさせていただきます。

転換期を生きるために

 八月三日の出獄以来、早四週間が経過しております。出獄しても毎日記そうと
心に決めていた日記も、その当日からやめてしまいました。でもタバコだけは折角十年以上も強制されたとはいえやめていたのですから、そのまますいますまい
と思っています。獄中生活で失われた歳月は決して取り戻せるものではありませ
ん。この人間としての働き盛りを丸々十年以上も無駄に過こさねばならなかったことは大層悔しいことではありますが、ここはスッパリ諦めて、その分長く生きるしかないと考えています。年齢が四十九にもなりますと、額は禿あがり、白髪も増え、腹の筋肉もたるみ気味でありますが、ここは一番勝負を賭けてみるべきだと思っております。単純にできているというか気持ちだけは三十代の頃と変っておりせんので、今後ともいろいろと騒ぎを持ち込むこととなろうとは思いますが、なにとぞよろしくお願いします。
 八月三日の歓迎会では、あまりに多くの懐かしい顔に接したということもあり、また第四インターの分裂と衰退状況の中にあって、こうした機会は当分あるまいという焦りの気持ちから、とりとめもなく現在の私の問題意識の一端を興奮気味に話してしまいました。長いこと人前で話したことがありませんでしたので何を言ったのか理解できなかった方が多かったのではと思いますが、要するに次のことにつきます。この八○年代末から始まった歴史的転換期は私達が予測しているよりはるかに根源的な転換であり、それに応えるには根本的な自己変革が、それも日常的に問われているのではないかということです。私達が深く関わってきた三里塚闘争についても同じ観点から今一度分析し、今後の展望を出すべきではな
いでしょうか。

私の近況報告

 さて、出獄後の私の近況ですが、出獄の当日からはしばらく興奮状態が続きま
した。一度に三時間以上眠ることができないのです。一時は熱を出して下痢が続
きましたが、それも八月十五、十六日の原君の墓参と大山登山を境としてスッキ
リ治りました。最近は一日五時間眠れるようになり、興奮状態は完全に醒めつつ
あります。体はどこも悪いところはなく、血圧も正常ですのでそろそろ働き出してもいいのではないかと思っています。私は獄中時代からいろいろと考えてきたことでありますが、管制塔の同志達と討論した上で、現在、この幾つかに分裂した第四インターの組織現状に立って、統一に向け動き始めております。"今更統一なんて"と奇異にさえ思われる方もいらっしゃると思いますが、なんとしても統一して組織再建の道を歩まねばならないと考えております。
 もし統一に向けて働いてみよという方がいらっしゃいましたらぜひ、管制塔の前
田君か私のところまで連絡していただきたいと思います。こうしたお願いを分裂
した組織の機関紙に載せてもらおうとすることは相当に厚かましいことではあり
ますが、ここは管制塔の元被告に免じてよろしくお頼みしたい次第です。
 この文書を読んで"あいつはまだ頭は正常に戻っていないのでは"と心配されて
いる方もいるのではないかと思いますが、私をはじめ管制塔組は正気であります。ぜひ御力添えのほどよろしくお願いします。
                一九九〇年八月三十一日

  

全国協議会、第二回総会を開催
社会主義の見直し、支部再建を模索

基本方向の正しさ確認し、活発な論議

全国の同志、読者の皆さん。私たち第四インターナショナル日本支部全国協議会は、暫定組織協定の定めにそって八月に第二回総会を開催しました。
昨年八月の結成総会に続く第二回総会は、結成以来の私たちのささやかな活動が蓄積してきた成果を確認し、今後の私たちの活動のあり方や社会主義の進むべき方向をめぐる模索の在りようの一端を明らかにしようとするものです。

第二回総会の議題は次の五点でした。ここに私たちがこの総会で果たしたいと考えていた課題が示されています。
1世界史の転換とインターナショナル
2第一三回世界大会とわれわれの態度
3労働運動・大衆運動・統一戦線活動
4女性差別問題の中問総括と克服のために
5組織・財政・その他

 私たちが旧「日本支部」から独立し、かつ日本支部の一員であるという関係に立つ全国協議会を結成して以後の一年間は、文字どおり激動の一年でした。私たちが結成総会で確認した社会主義の見直しの必要性が、ソ連・東欧で誰にも予見できなかった形で劇的に進行していった事態の中にまきれようもなく示されました。現実が私たちの進もうとしている方向のはるかに先をいくという、歴史の激動期に特有の事態が発生し、私たちは自らの理論や政治的能力、イデオロギーの弱さを痛感させられるとともに、それらの根本的な見直しを迫られました。
 また結成総会は、いわゆる七〇年代同盟の「破産」を確認し、第四インターナショナル日本支部の新たな根本的な再建を自らの課題として設定しました。組織内女性差別に端的に示された日本支部の破産、弱さをどのように総括し、それをいかに主体的に克服していくのかーーこの課題に応える場として、私たちは自らのあり方を「再建に向かう過渡的時期の組織的核心は、両性間の組織的断絶の現状から出発して、協同にいたる道筋を見いだしていくことにある。全国協議界は、構成する分派、グループ、同盟組織、個人の自立を基礎にした協同の場である」(結成総会確認文書「日本支部の『綱領的破産』と再生の基本方向」)と確認しました。私たちは自らのあり方を全面的に見直し、その作業を通じて社会主義、人類の解放にいたる道筋を模索しようとしてきました。「人類の危機」が現在の支配者層からも叫れるほどに、事態は深刻になっています。人々は様々な形で危機からの脱出のために闘っています。こうした運動の一つひとつは非常に力強く、かつ創意にあふれ、人間の解放に向かう大きな流れの一部になっていくものと思われます。問題は、こうした流れが社会主義の方向と一致していくのか、また、一つの流れに合流していくのかという点にあります。私たちが自らの「ペレストロイカ」を主張したのは、一つの大きな流れに合流していくであろう現在の様々な運動の一部として自らをとらえかえし、その上で一つの流れに合流していく過程にささやかであれ主体的に参画したいと考えてのことでした。

 昨年の結成総会は「自分自身のペレストロイカをもとうとするわれわれは、……一切を間い返す決意をもって、社会主義の変革の運動に加わるべきである。社会主義の変革は、国際共産主義運動の歴史的総括と、その諸論争の再検討をともなう、長い時問と曲折を経過する過程であるだろう」(結成総会文書「ペレストロイカと社会主義の変革」)と確認しました。
 こうして出発した私たちの活動は、文字通りささやかなものでした。機関紙「労働者の力」の定期発行、三里塚や労働運動などの大衆運動での取り組み、トロツキーシンポジウムをはじめとする統一戦線活動、第四インターナショナルの一部としての活動などを展開してきました。
 私たちが結成総会以後の一年間に実現してきた成果は課題の圧倒的な大きさに比べても、また、それ自身の大きさという点でもきわめて小さいものです。しかし私たちは実現された成果の小ささを嘆きませんし、嘆く必要もないと考えています。
 第二回総会は、中心議題に関して確認文書を採択しませんでした。総会に提出された諸文書は本号から本紙上で順次発表されますが、率直にいって、これらの文書にはかなりの幅があります。総会では、これらの文書をめぐって率直な、時には実に厳しい論議が展開されました。私たちは、こうした厳しく率直な議論を通じて結成総会で確認した新たな出発点、方向性の正しさを再度確認しました。そして、様々な立場を相互に許容しあうことができる組織の中でこそ、社会主義の見直し、日本支部の新たな再建、真に民主主義的な組織に向けた模索ができることを確認しました。
 私たちの七〇年代同盟が基としていた一つの時代は明確に終わりました。スターリニズムの最後的な崩壊とソ運・東欧の事態が時代の明確な転換をなによりもくっきりと表現しました。そして第四インターナショナルの一部として私たちがもっていた一つの思想体系がそれ自体ではこの新しい時代に対応できないこともまた明らかになりました。このことは、第四インターナショナル規模でも同じでした。今年の六月、アメリカのSWPを中心にしたいくつかの組織が第四インターナショナルからの離脱を最後的に表明しました。
 時代の転換という激動の局面、しかも主体の側がそれに追いついていないという危機的な状況にあって、なによりも心すべきは、唯我独尊的な態度に陥らないようにすることです。私たちの一年間は、この点で合格点に達しています。いわぱ、結成総会で確認した基本的な思想、政治方向とその実現の方法を正しさを確認したのです。だが、私たちの社会主義の根本的な見直し、真に社会主義、人類の解放を追求していくにふさわしい組織のあり方の模索はまだはじまったばかりであり、結成総会の時点からの進歩はわずかです。私たちは、この点にいささかの幻想をもつことなく、「協同の場にふさわしい新たな旅立ち」を継続していく考えであります。
 第二回総会は、「日本支部」、社会主義婦人会議や日本共産青年同盟などの人々に公開したものとして開催することを私たちは確認しました。それは、日本支部を新たに再建するという課題が七〇年代同盟を担ってきたすべての同志、仲間たちにとって共有すべき課題であり、この課題の実現に向かう過程を日本支部をともに構成し、支部の一部として、支部再生を課題としているすべての同志に開かれたものにしていきたいと考えたからです。こうした総会への参加はむろん、協議会への組織参加を意味するものではありません。X×人の参加者があったことを報告しておきます。今後も私たちの組織はもちろん、無制限というわけではありませんが、可能なかぎり開かれたものとして運営していくつもりです。

 第四インターナショナル日本支部協議会の第二回総会は、来る世界大会への代議員の派遣を確認し、人事・体制については結成総会の決定を継続することを確認しました。

全国協議会の組織活動方針について

1全国協議会結成以来のこの一年問、世界は歴史的な大きな変化を示した。ソ運、東欧どの「社会主義国」「労働者国家」の多くは、かつてのスターリン主義的一党独裁体制を放棄し、複数政党制へ転換し、本格的な民主化を模索しつつある。その過程で、共通して原則としてあった「民主集中制」の見直し、再検討が行われ、放棄が決定された国もある。
 現段階の結論がどうであれ、世界中の「社会主義」国の国々と左派勢力のすべての人々は、改めて「民主集中制」について思考し、討論したに違いない。
2日本支部の昨年の「分裂」の大きな要素も、女性差別問題の総括討論のなかから教訓化した「民主集中制の見直し・豊富化」をめぐる対立にあった。世界的な「民主集中制」をめぐる対立と分解が、わが同盟にも貫徹していたのである。そのなかで全国協議会は、再検討・豊富化を含めた積極的な「見直し」派として、出発した。
3現時点で、われわれは、「民主集中制」を放棄するとか、なにがなんでも固執し防衛するとかの結論的な合意はない。従来の日本支部の「民主集中制」や、文字の解釈にこだわるのではなく、民主主義の側面をより重視し、自由な発想や討論からいろいろ模索しようとする段階である。
4そのような段階でも、一九八O年代に露呈した日本支部の「民主集中制」の限界と間題は明確であり、放棄されるべきと考える。そもそも同盟規約は六〇年代の日本共産党の規約を参考にしたように、スターリン主義的な一枚岩主義的な色彩の濃いものであった。それを貫いていたのは、男性、女性の違いもまったく意識しない性格のものであった。
それは現実として男組織であった同盟の組織内女性差別の温床となり、官僚主義がそれを助長した。その延長線上で加速させたのが、一一期6中委のレーニン主義を強調した決議、一二回大会の全国単一組織を強調した組織方針であった。そして、全国協議会には、それらの決議を主導したり、積極的に賛同した人々も、多く結集している。個々人の総括と自己批判、そして政治的責任の意をこめて、性差のない一枚岩主義的な同盟の民主集中制の放棄を明確にし、自治・自決権、自已決定権などを尊重する民主主義の側面をより発展させる「民主集中制」の豊富化を追求すべきである。
5われわれは、昨年の結成総会で以下のことを合意・確認した。
『「自由な共産主義者の結合体」としての革命党を追求する組織という基本概念から出発して、新しい革命論と同時に組織論を追求していく必要がある。したがって現在では、組織形態としては大きな枠しかできない』
『全国協議会は個人の自立を基礎に、構成する分派、グループ、同盟組織、個人の自立した諸活動を尊重しつつ、協同行動を追求し、また、女性の自治・自権、同数委員会を追求する。さらに、女性、青年の組織、グループを含む各種大衆組織・活動家組織との相互討論関係の形成を追求する。』
『協議会の運営に際し、これまでの多数決主義、上級下級主義を廃し、全体の協議で合意しえる内容のみを決定・確認とする。また、協議会が確認することには反対しないが、自分がその行動に参加するには積極的になれないような場合、「行動に参加しない権利」をも認めあう。従来の思考にはない自由で大胆な発想を尊重しあい、互いに高めあう』
これらの台合意内容を今なお尊重し、より発展させることが必要である。その発展が現在と将来にも通ずる「民主集中制」の豊冨化として結実するか、「民主集中制」と矛盾し、放棄するかの選択に結論づけるに違いない。すくなくても、歴史と全世界の労働者・人民は、スターリン主義的な「民主集中制」の放棄を選択したのは明白である。
6国際的、歴史的な女性解放、改革、民主化要求などの昂まりの中で、組織内女性差別問題の総括を含めた「民主集中制」を巡る対立は、日本支部の「分裂」の大きな要因であった。それは国際的な大流動と再編の反映でもあった。この一年問、われわれは、小さい勢力ながら、試行錯誤的な討論と実践を積み重ねつつ、活動を続けてきた。その中で、「労働者の力」発行などを通じて、ソ連・東欧問題などの間題提起し、少なくない注目と反応を受けている。また、労働運動では昨年の10月集会の成功と全労協の結成に一定の役割を担うことができた。さらに、「分裂」を固定化するのではなく、再建を目指すべく、国際執行委員会を仲介に時代社との協議も続けており、可能な限り、三里塚闘争など大衆運動でも協同関係を追求してきた。
これからの一年、これらの活動をさらに強化・拡大すると同時に、一三回世界大会の討論に積極的に参加していく。世界大会に対するわれわれの態度と代議員は、九〇年*月に臨時総会を開催し決定する。