2001年3月10日        労働者の力               第132号

森のあいまいな退陣表明と世界同時株安
デフレ口実の大衆収奪強化と闘う戦線を
川端 康夫

 
「寿命が見えた」自民党

 森喜朗首相(党総裁)は、三月十三日の自民党大会において総裁選の前倒しを提案し、事実上の退陣表明を行った。それと軌を一にするがごとく株式相場の急落が始まり、世界同時的な株価下落の様相を示し始めた。以前から「三月危機説」が流れていたが、株式の急落はこの間の自公保三党連立内閣による財政たれ流しを嘲笑したのである。
 市場は森首相の即刻退陣を求めている――これがおおかたのマスコミ論調であり、退陣引き延ばしへの失望感が株売却を導いたというわけだ。
 日経平均が一万二千円を割り込むに至った株価は、大慌てした政府・日銀が対策を表明して一時的な小康状態を見せてはいる。だが世界同時的な株価下落現象はアメリカ経済の株バブルが本格的に崩壊していく兆候を示しているがために、森総理の余命はほとんど短期のものにならざるをえまい。ダメもとでも政府体制が懸命に危機突破を図っているのだ、という体裁をつくらなければ、市場は好意的反応を示さないだろうという見方からそういえるのである。
 緊急経済対策を口実に総裁選挙を引き延ばすという理屈は自民党内で粉砕されつつあるようであり、抵抗線を必死に引いている亀井政調会長を除いては四月実施という線が固まりつつある。では「後継はだれか」ということになるが、これに関してははっきりしたことをいう段階にはない。
 昨年、いわゆる加藤の乱が失敗した後であり、小泉純一郎(森派会長)以外の有力候補は見あたらない。だが、これには橋本派が抵抗し続ける可能性が高い。野中弘務前幹事長の名前も出ているし、その他のダークホースも取りざたされている。石原待望論まで飛び出る始末だ。永田町「応仁の乱」説が出るほどに政治的混迷は底深い。長年の自民党政府体制の底が見え始めたといっても言い過ぎではなかろう。
 
デフレスパイラルに突入

 経済の低迷が続いてきたが、それは今や政府自らが「デフレ」と呼ぶに至った。すなわち二年続きの物価下落に直面した政府は、デフレの定義を国際標準に切り替えてデフレ状態であると認めた。
 日本経済が直面しつつある事態は、デフレの悪循環である。すなわち、この間続いてきた消費の低迷が物価下落の圧力になり、その下落が企業活動の拡大を押しとどめる力として作用し、それがさらに賃金引き下げとなり、さらに消費が下落する。
 こうしたデフレのスパイラル(渦状)に入ってしまえば、土地も株も、つまり企業の資産価値(時価評価に転換することが決まっている)がスパイラル曲線をもって下落することになる。結果はいうまでもなく「不良資産の悪無限的拡大」に他ならない。
 こうした日本経済の危機的状況が示す真の深刻さは、アメリカ経済の減速が明らかな事実となっていることによって、世界不況の始まりに転化する可能性を増しているというところにある。戦後期によくいわれた「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪を引く」状況は、今や「アメリカが風邪を引けばアジアが肺炎にかかる」構造となっている。
 アジア経済は、金融危機からの脱出とその後を消費ブームを謳歌するアメリカへの輸出によってくぐり抜けてきた。日本も基本的には同じである。つまり対米輸出と同時にアジアへの輸出の伸びによって日本経済は支えられてきたのだが、対アジア輸出の相当部分は東アジアで加工されるハイテク製品の部品が占めている。アメリカ経済の景気後退は、即座にアジア経済の後退であり、日本経済の後退である。
 さらにつけ加えれば、こうした貿易構造によって日本に流入する資金が再投資先としてアメリカの株式市場や債券市場に環流することによって、貿易赤字のアメリカ国家財政を支えている。こうしてできあがった貿易と金融との構造的な危機が、日本マネーのアメリカ流入減退に伴って進行するならば、最低でも環太平洋経済システムが機能不全とならざるをえない。
 アメリカ経済依存の状況にますますのめり込んでいる日本経済への、アメリカのいらだちは高まる一方となるであろう。世界の三本目の柱といわれ、二十一世紀には最大の牽引力になることも一時期待されたアジア経済、環太平洋経済は今や世界的不況の引き金となりかねない位置に転落してしまっている。

新自由主義政策の破たんは明らか

 もちろんこうしたことは、ネオリベラリズム(新自由主義経済理論)のインチキ性を物語るものだが、それが主要には二つの要素から成り立っていることを明らかにしておく必要がある。
 その第一は、過去十年余りアメリカ経済が拡大してきたことによってネオリベラリズム理論が「一世を風靡」するに至ったにもかかわらず、全世界的に見た場合の経済状態は少しも引き上げられてはこなかったという事実である。経済的拡大と見えたものは、実は世界的な格差の拡大と富の集中ということでしかなかった。
 「北」の繁栄と「南」の貧困化が全面化し、いわゆる「最貧国」は社会的解体というべき状況にまで追い込まれている。つまり全地球的に経済が成長したということはなかったのである。
 第二は、ネオリベラリズムが基本的には利潤率の引き上げを労働コストの削減に求める理論であることの影響。アメリカで進行した労働力市場の二分化、つまり社会の相当部分がマクドナルド労働(低賃金の不安定雇用労働)に移行したことの結果は、アメリカ社会がほんの少しの景気後退によってもただちに大きな影響を受けてしまうことを示すだろう。
 貯蓄率がほぼゼロであるアメリカ社会は、今流行の用語を使えば社会的な「セーフティネット」を著しく欠いた構造という特質を示している。301K型の年金ファンドによって誘導され急上昇した株式相場は、株価のわずかな低落にほとんど耐えられない。
 「自前のセーフティネット」構築を意識した瞬間に、資金は株式市場から撤退していくことになる。そして大衆資金の撤退が始まれば、株に依存した経済拡大は崩壊する。今、アメリカで始まっている事態の深刻さはここにある。
 日本において消費が低迷している最大の要因も、特別の説明を要しない。ネオリベラリズム理論の導入は、要するにリストラ、つまり首切り合理化と労働コストの引き下げを意味する。貯蓄率が相対的に高い日本社会は、年金や退職金への不安が高まるにつれて、ますます消費性向を減退させる。
 ほぼ十年に及ぶ経済停滞は、結局は消費の縮小を伴って進行した。それは一年単位でみればさほどのものではなかったかもしれないが、それが十年に及べば、ダイエーを危機に追い込むまでの力となったのである。
 消費性向の後退につれて、価格破壊はさらに加速し続けた。低価格化の過当競争が進んでいる。一部の例外を除けば、ここでは価格引き下げが競争に勝ち抜く唯一の手段である。そのためリストラがさらに進む。縮小の競争であり、もはや国内市場は経済拡大の牽引力とはなりえない。すなわちデフレである。
 三月十七日に公表された各シンクタンクの経済成長見通しは、軒並みに下方修正された。ある機関はマイナス成長の数字をも示した。
 
宮沢財政の破たんと終わり
 
 バブル崩壊後の日本経済を再生してくれるとの期待を担って登場した宮沢元首相の政策は、もちろんネオリベラリズムではなく、その持論でもあるケインズ政策である。新自由主義理論の太鼓持ちどもは、その説を放棄することはなかったが、同時に宮沢理論を攻撃することもなかった。
 彼らの好きな「小さな政府」理論は、大きな財政支出の必要性を唱える宮沢の登場にとって、いささかも妨げにはならなかった。
 その宮沢による大規模な財政出動が引き続いたが、その効果は周知のごとくである。宮沢は、「最大の借金をした大蔵大臣」として政策の行き詰まりを事実上認めた。年々の財政支出は、銀行とゼネコンに吸い込まれ、しかも何らの効用も示さないままに政府・自治体の借金総額は約七百兆円に迫った。
 土地バブルの崩壊がもたらした資産デフレの拡大に財政出動は対応しきれなかったのであるし、宮沢の手が届かないところで進行するネオリベラリズムによるリストラ政策の枠組みがまたあらゆる努力の足をひっぱったという事実もある。
 というよりは、宮沢は経済・財政政策の大枠を組みかえるところには少しも踏み込まなかったのであり、このことによって自民党的なたれ流し政策の単なる推進者になってしまったのである。
 宮沢財政は、もちろん自民党にとってはそれなりの効用はあった。自民党は自らの支持基盤に資金を供給し、その支持をつなぎ止めることはできてきた。その路線の最大推進者が亀井である。正しくは、亀井の政治的野心を満たすための大盤振る舞いが大型財政出動によって支えられたのである。
 しかしながら、こうしたことによって自民党の政治的基盤をつなぎとめようとしてきたことが、さらに巨大な経済的危機の枠組みをつくり出してしまった。七百兆円に及ぶ財政赤字を埋めるための政策的展望は、どこからも出されてはいない。ただ漠然と、大衆収奪の強化がどこからともなく語られているだけである。
 したがって日本財政の限界が明らかになっていることによって、金融の役割が再び強調されることになった。すなわち日銀がゼロ金利政策に復帰することが避けられない事態になっている。昨年秋、強引にゼロ金利政策を停止した速水日銀総裁の責任追及が進むことになるのである。
 宮沢が、すでに財政の限界に突き当たり、速水がゼロ金利への復帰を余儀なくされる。この事態は、彼ら両人の役割が終わったことを意味するであろう。
 柳沢金融監督庁長官は、株式買い上げ(株式相場維持のため)に対する公的資金投入やむなしとする宮沢見解を牽制し、むしろ金融機関(銀行)の直接償却に踏み込む形で不良債権を一挙に処理する政策実現への政治的プッシュを強調した。
 これは「血を見る」荒療治につながるもので、金融機関の淘汰・再編、建設業界と流通業界に山積している借入金および「過剰労働力」の整理、あるいは企業淘汰をやむなしとする考え方である。
 一時的な対症療法は無益だとして、いわば銀行だけを救済するためにこそ、公的資金投入を集中すべきだというわけである。
 彼、柳沢には、国際的圧力が加えられているのである。
 日本経済が「世界恐慌」の引き金にならないようにするためには、日本経済の足を引っ張っている不良債権問題を一挙に解消せよ、という国際的圧力である。こうした荒療治は当然にも自民党の支持基盤を直撃し、自民党政府体制を根底から揺さぶることにつながるからこそ、宮沢財政は手が出せなかったのである。
 しかし外圧は、そのようなごまかし策をもはや許さないところに至っている。柳沢の立場は、日本政府が国際的に追い込まれている状況の反映であり、欧米の要求に応えようとするものである。
 宮沢財政は、政府部内においても明らかに影響力を失いつつあるといわなければならない。
 
人為的インフレ政策を準備
 
 しかし自民党の利害からいっても、他に手段が見あたらないことからいっても、結局は財政出動が要求されることになる。日本経済のさらなる失速が世界経済に与える影響は深刻であろうから、株価を維持し、金融機関の不良債権問題をさらに大きな枠組みで処理する財政計画が日程に上らざるをえない。財政の限度をいっている場合ではない、ということにならざるをえないのである。
 この中で調整インフレへの圧力もさらに高まることになろう。何よりも土地と株の価格上昇が求められるのであるから、インフレーションによって債務を消していくことが追求されることは火を見るよりも明らかだ。
 「健全財政の常識よ、さらば去れ、退陣せよ」ということである。
 次期内閣が誰によって組閣されるにせよ、予測される経済危機を回避するためになりふり構わぬ政策が追求されることになるのは避けられない。現在までの「禁じ手」が全面的に解禁されることは、ほとんど確実だといっていい。アメリカ大統領ブッシュも、こうした要求を行うことに森との日米首脳会談を行う意義を見いだしているようだ。森のハワイ行き(実習船えひめ丸事故現場での花束投入)スケジュールがキャンセルされた。そのような暇はないというアメリカの要求によるものだろう。
 予想される「調整インフレ」政策に関して、三月十八日のNHK番組日曜討論において政府筋は望ましい物価水準の設定が必要だと述べ、その実施の可能性をにおわせている。
 土地と株の価格下落を止めなければならないという論理において、デフレ対策を強調したのであるが、しかし金融を全面的に緩和し、同時に紙幣を大量に供給するということに他ならない調整インフレ策に市場が「的確に」反応するかどうか、大きな疑問が残されているのである。
 昨年秋以降、企業の設備投資が大きく減退し始め、アメリカ市場の好調が明らかに終わりつつあるといった実物経済が悲観的な様相を示している時に、貨幣を大量に供給したところで、それが投資の呼び水になるとは考えられない。
 考えられることは、日本の資金がアメリカにさらに流れ込むことが見込まれているということであろう。アメリカの貿易収支は未曾有の赤字高を記録している。それを埋め合わせるために、海外からの資金流入が必要なのだが、日本のデフレーション現象がその足かせとなってはならないというわけである。
 日本はさらに資金をアメリカに供給しなければならないのであって、そのためにこそゼロ金利が求められていることに留意しなければならない。
 こうしたことは、政策体系のすべてが民衆の立場とは正反対の観点からたてられていることを意味する。調整インフレ政策は大衆収奪の別の表現であり、株式市場への公的資金の投入は銀行を救済する手段である。
 現在、失業率は史上最悪の四・九%になっている。二〇〇一年春闘における連合組合の交渉は惨めな結果に終わった。そうして建設業界と流通業界に山積みとなっている過剰雇用の解消が一挙的に加速されていくのであるから、いわゆる「国を挙げてのリストラ政策」がさらに加速されるのである。
 
労働者運動の力強い復活を
 
 では野党サイドはどうか。民主党の菅幹事長は同じNHKの日曜討論において、「市場にゆだねよ」と主張して政府の株相場維持策を批判した。市場原理主義の立場において政府と対抗しようというのである。この点は自由党も同様であった。社民党や共産党が「民衆の立場」からの見解を主張した程度であるが、具体性は示せなかった。
 つまり野党サイドはニュアンスの違いはあれ、流行語であるセーフティネット概念に言及し、その観点からする政策の必要性を述べるのではあるが、具体的施策に欠けていた。
 ここには六百八十八兆円に及ぶ公的債務の圧力を受けていることは、明白に見てとれた。野党陣営も日本経済の「苦境」に対する視点に問題を抱えているといわざるをえない。
 民主党の菅が「市場にゆだねよ」「株の国家管理は反対」と主張するときに、そのネオリベラリズムの姿勢がさらけだされる。いわば柳沢的な観点からの姿勢に他ならない。
 連合の企業連組合が資本と一体になったリストラ政策の推進者であり、さらなる失業の増大を結果として求めているのであるが、その連合を支持基盤とする民主党の立場には、資本にすりより、自民党よりも役に立つという売り込みを行うことによって「暫定政権」形成、政権党への飛躍という魂胆を実現しようとしているというべきなのだ。
 改憲派の鳩山の民主党、財界との癒着によって政権に接近しようとする菅の民主党、こうした得体の知れなさが民主党から民衆の離反を不断に招いているのであって、最近の地方首長選挙における民主党の不振はまったく当然というべき事態なのだ。
 長野、栃木と続く県知事選挙での自民党の敗北は、また同時に民主党の敗北でもあったことを自覚するべきなのだ。ネオリベラリズムの政策は放棄されなければならない。
 はたして民衆にとって銀行救済は必要なのか。公的資金の投入がなぜ直接に民衆に向けられたものではないのか。つまり雇用を拡大し、労働時間短縮によって失業を解消し、社会保障に資金を投入することによって民衆の生活を防衛する。あわせて大衆課税の軽減や消費税引き下げなどが、野党サイドから出される必要性は明らかではないか。
 市場に任せては民衆生活は防衛できない。民主党のネオリベラリズム政策体系とは真っ向から対立する政策体系が絶対的に必要なのだ。つまり国の財政は民衆の利害の観点から管理運用されなければならないのであって、銀行や大資本を救済するために使われてはならない。
 いずれにせよ、日本経済の落ち込みの進行は階級関係の激化を客観的に不可避なものとし、階級間の政策的方向性の対立はより明白なものとなっていく他はない。労働者民衆の立場からする明白な政策方向が出されなければ、社会的に「強い政府」を求める風潮がさらに高まるであろう。
 東京に広がりを見せている石原現象が全国に波及する可能性は無視はできない。労働者運動の力強い復活こそが、これに対抗する民衆の力を引き出すのである。    (三月十八日)

   ブラジル地方選挙
PTの勝利にたじろぐ右翼
エロイサ・エレーナ、ベート・バストス

  赤い波の存在、その大きさが確認された。二〇〇〇年十月三十日に行われたブラジル地方自治体選挙の結果は、国の南北において労働者党(PT)に好ましいものであった。フェルナンド・エンリケ・カルドーソ(FHCと呼ばれることがある)大統領に対する全国野党としてのPTの力強さは、右翼をたじろがせ、二〇〇二年大統領選挙に向けて新しい政治環境をつくり出した。

選挙結果

 六州都での勝利、ポルトアレグレとベレムでの再選、サンパウロとゴヤーニア両市での市長奪還、北東部のレシフェとアラカジュ二つの州都での勝利、後者では第一回投票での勝利だった。ペロタス(リオグランデドスル州)やビトリアダコンキスタ(バイーア州)、インペラトリス(マラーニャン州)、ゴベルナドールバラダレス(ミナスジェライス州)、クリシウマ(サンタカタリーナ州)といった主要都市での勝利。カシアスドスル(リオグランデドソル)とサンタアンドレ(サンパウロ)での再選。
 PTは、一九九六年の選挙では百五議員、今回選挙では百八十七議員を獲得し、七八%の増勢となった。ブラジルには五千五百の地方自治体があるが、PTはその三%において統治をしている。PTが掌握している首長の自治体住民は二千五百万人となるが、これはブラジル総人口の一五%に相当する。上位六十二大都市でみると、その二七%で勝利した。一九九六年選挙では、わずか五都市の市長を獲得しただけであった。二四〇%の増加である。これら六十二地方自治体(うち二十六都市は州都)は、ブラジル有権者総数の約四〇%である。これらの都市でPTが獲得した票数は、一九九六年の三百六十万から二〇〇〇年の七百八十万へと一一八%増となった。
 これらと同じ都市でPSDB(ブラジル社会民主党、社会自由主義系、現大統領は同党所属)は四百五十万票、PFL(自由戦線党、軍事独裁時代の政党由来、基本的に大統領支持)は三百八十万票、PMDB(ブラジル民主運動、軍事独裁時代の合法野党、大統領を支持し、その政府に入閣している)は二百五十万票であった。
 PTが掌握した町政は、州別数の上位からみると、サンパウロの三十八、リオグランデドスルが三十五、ミナスジェライスが三十四となった。サンタカタリナでは十三、そのうちの五町は重要なものである。マトグロッソドスル州、ここでPTは与党であるが、一から十一となり、最大の増加率となった。同じく与党となっているアクレ州では各種首長の三二%を掌握した。

勢力伸長

 PTの選挙における勢力伸長は、これまで勝利したことがなかった町でも実現した。バイーア州のサルバドール、ピアウイ州のテレジナ、リオグランデドノルト州のナタール、サンパウロのオサスコなどで多数の票を獲得した。リオデジャネイロでは、PT内部に分裂があり、候補者もあまり良くなかったが、第二回投票での敗北はわずか一万五千票の差しかなかった。
 PTが最大政党として第二回投票に進んだ十六の町では、そのうち十三で勝利を収め、敗北したのは、クリチバ(パラナー)、サントス(サンパウロ)、カノアス(リオグランデドスル)だけだった。PCdoB(ブラジル共産党、元毛沢東派、アルバニア派、大統領選ではルラ候補を支持してきた)と協力してオリンダ(ペルナンブコ)で勝利したが、フォロタレサ(セアラー)では敗退した。
 ベロオロゾンテでは、PSB(ブラジル社会党、左翼社民系の小政党、ルラ候補を支持してきた)と連携して副知事を獲得した。ここは、大統領の政党PSDBが第二回投票に進んで敗北した唯一の州都である。またPDT(民主労働党、ポピュリスト中道左派、社会主義インターナショナルに加盟)と連携してリオデジャネイロのニテロイにおいて勝利し、PDTの対立候補を支持した州知事を敗北させた。
 PTは全体としてみると、地方自治体議員を一九九六年の千八百人から今回選挙の二千四百八十五人へと三八%増加させた。だがアマパ、アラゴアス、アマゾナス、ロライマ、エスピリトサントの各州では首長を獲得していない。
 選挙結果のマイナス面も忘れてはならない。PTが与党だった四十九の市で敗北したことである。いずれも有権者五万以下の小都市である。敗北の原因は、これら自治体が実行した事業に関する宣伝不足と、とりわけ当該地域の右翼がPT候補に対して結束したことがあげられる。この事実に、PTは大きな関心を寄せている。リオグランデドスルでは、政治的な分極化が依然として続いており、得票第一位となり、ベージェやサンタマリア、ペロタスなどで勝利したが、与党であった十五町で敗退した。
 ミナス州では十五町で敗北した。与党であった事実と、党の分裂状態がこの結果をもたらしのだが、イタマール州知事に対する態度が定まっていなかったことも関係している。リオデジャネイロでは、党内の対立とPDT指導部の交代などが、重大な敗北をもたらした。PTがはっきりしないプロジェクトを認めたことが、その一因となっている。
 右派の政治評論家たちは、今回選挙での中心問題は当該地域の問題であり、有権者は町政公約で投票する候補者を決めたのだと解説している。この単純明快な解説は、選挙運動の全国性や、景気後退や失業、絶望の大統領といわれるFHC政権を支持した候補が敗北した事実に意識的に目をつむったものである。今回選挙のテーマが自治体問題に限定されていたと、深く考えずに結論を出す一部のPT指導者も、この種の分析を行いがちである。

今後の課題

 この種の分析が直接に生み出すものは、PTの赤旗や旗にある星、あるいは政治主張の空白さ、批判などを「忘れさせる」ことである。選挙運動のスタイルは、PTの戦闘的な伝統とはかけ離れ、より悪いことには、ブラジル人民の多数が期待したものとも違っていた。
 PTの成功は、様々な要因が重なって実現した。PTの公約は、すでに成功裏に実行されたことがある具体的な措置、方針を包括的にまとめあげたものだった。PTは統治能力ある存在として選挙に登場し、このことがこれまで一度も自治体統治に関与したことがないPT候補者に対する対立候補の批判を弱めさせることになった。
 民族や腐敗の問題もまた、基本的な要因であった。首長候補者の資格として、正直であることを多くの有権者が願っていた。社会が必要とする投資を腐敗が少なくさせることも、圧倒的な多数の有権者は理解していた。首長や地方自治体議員が関与した数多くのスキャンダルが、この問題に全国的な関心を集めていた。
 それなりに有利だった地方的な状況に加えて、以上に述べた要因があり、さらに中央政府への抵抗、反対という主体的な要因もあった。これがPTの勝利の原因なのである。この主体的な要因を抜きにしては、PT勝利の全国的な本質を理解できないし、個々の候補者や自治体ごとに分析すると、その結果は間違ったものにならざるをえない。

全国的な勝利

 PTの勝利は全国的なものだった。PTへの投票は、その統治能力と誠実さを支持したものだけでなく、PTが現政権に対する野党であることへの、そして変革を願う意識的なものでもあった。全般的にみて、PTが熱心な運動を展開し、その赤旗や星を誇示した選挙では勝利した。自らをはっきり打ち出さなかったり、中途半端な主張を繰り広げた選挙は、敗北した。
 PTの勝利は、この数年間にPTが積み重ねてきた抵抗闘争や力量の成果であるといえよう。根本的な変化、変革が要求されており、多くの人々にとってPTこそが、その変革を象徴しているのである。一般的にいって、PTが勝利した選挙では、左翼諸党との協力が存在していた。
 PSDBやPMDBを補完するような選挙同盟(つまり候補者リストでPTが当選がおぼつかない下位になる)を形成したPT地方指導部は、立派な結果を実現できなかった。ミナスジェライス州ゴベルナドールバラダレスでは、州指導部の下にPFLとの選挙同盟が形成された。指導部は、この同盟がなければ選挙に勝てないと主張した。PT全国中央執行委員会は、この同盟を拒否し、結局単独候補者リストを作成し、そして勝利した。残念なことであるが、全国指導部に報告せずに、こうした選挙同盟が形成された場合があった。
 PTは大きな課題に直面している。それは、次の大統領選挙で勝利できる社会的、政治的なブロックを形成することである。今回選挙の勝利によって、明確な目的、政権綱領、勝利の意志をもつ政治指導部形成などの準備を一層推進する必要に迫られている。
 国際通貨基金(IMF)や世界銀行、世界貿易機関の構造調整計画に代表される処方箋を遂行しようとする勢力に抗して、人々に基礎をおく民主的な側は、新しい世界が可能であると考える。PTが組織しようとする社会的、政治的な勢力、ブロックの力の源泉は、基本的に人々の闘いと行動にある。しかし、そうした力は、政治的な対決を通じてのみ形成されるのであって、PTこそが、その対決のための主要かつ最も価値ある手段なのである。
 地方自治体選挙期間における経済力の不正使用や公共財を個人的利益のために使ったこと、通信手段の独占、投票箱の操作といった事実が議論となり、PTや民主的な勢力の側に好ましくない雰囲気をかもし出している。こうした民主勢力側の弱さ、不完全さの印象をさらに強めているのが、私的な利益以外をしか表明していない政治綱領を有する非常に多数の小政党の存在である。
 PTと、これに連携する諸政党にとっての緊急の任務は、立法府のイニシアティブでもって大統領の再選を廃止し、公的資金で選挙運動を行い、政党の公約厳守を制度化するなどの政治改革を追求して全国的な議論を巻き起こすことである。また世論調査や通信手段の不公正な利用なくすよう適正に管理する必要もある。
 だが、PT自らが代表していると主張する膨大な社会層の民主的な意識を形成していくという巨大な課題を実行するためには、これらの措置だけでは不十分である。民主的な意識は、数百万の人々が政治に参加して市民権を獲得し、膨大な社会層を邪悪な支配につなぎ止めている社会からの排除と貧困という鎖を断ち切ることを通じてのみ形成される。PTは、自治体機関を通じて市民参加型の政治を実行し拡大してきた。市民参加型予算作成やその他の行政措置は、政治意識を高め、民主主義を強化していく学校である。
(インターナショナルビューポイント誌2月、328号)

ブラジルでWSFを開催
反グローバリゼーション
新しい世界が可能である

エリック・ツーサン


見事な対照

 世界社会フォーラム(WSF)開催は、ブラジル南部の都市に全世界からネオリベラリズムによるグローバリゼーションに反対する様々な運動の代表を大々的に結集しようとするもので、実に大胆かつ果敢な計画であり、一種の賭でもあった。
 WSFの目的は、スイス・ダボスで資本の側がその支配と商品化とを世界規模でさらに拡大しようと会議を行っているまさにその時に、新しい世界を創出するための道筋を描き出し、そのために優先すべき行動計画を作成することであった。つまりWSFは、ダボスの世界経済フォーラム(WEF)に反対・対抗して、新しい別の世界が実現可能であることを明確にすることを目的としていた。
 この計画、賭は、どの点から見ても当たった。すなわちネオリベラルによるグローバリゼーションに反対する多数の運動がまさに全世界から代表を派遣したこと、参加者の様々な立場を集約する宣言を出したこと、高水準の議論、社会運動・議員グループ・地方政府代表による三つの追加的な宣言の発表などが、その証左である。またダボスのWEFとポルトアレグレのWSFとに対するメディアの取材は大々的であると同時に、両会議が人類が直面している根本的な二つの選択肢を象徴するものとして系統的に報道した。
 WSFは、ブラジルの組織委員会(土地なし農民の運動であるMSTや労働組合運動CUTなどの社会運動とNGOsが構成する)が一年間にわたって準備してきたうえで開催された。ブラジルの委員会は、ラテンアメリカ以外の大陸で活動する運動、例えばATTACやCADTM、フォーカス・オン・グローバルサウス、ジュビリーSud、フランスのルモンド・ディプロマティクなどと連携して体系的に準備してきた。
 こうしたブラジル委員会のイニシアティブをリオグランデドスル州(千万人の住民)政府と同州州都ポルトアレグレ(住民百三十万人)市が支援した。双方とも、労働者党(PT)が統治している。
 一月二十五日、ほぼ四千人の参加者でもって開会された。戦闘的な演説(州知事、その前は労組指導者のオリボ・デュトラの演説など)や完成度の高い文化作品の発表などが、五日間におよぶ日程の基調を伝えていた。
 開会式の後、WSF参加者約一万人が「生命のための行進、新しい世界は可能だ」をテーマにシティセンターに集まり、デモンストレーションを行い、最後は野外コンサートで締めくくった。
 二十六日から二十九日にかけては、毎朝同時に四つのテーマで議論の場が設けられ、テーマによって違いはあったが、それぞれ四百人から九百人程度の参加者があり、討論が展開された。全体としてみると結局、十六回の議論が大きな社会問題にあてられ、新しい世界形成に向けた道筋を議論した。
 毎朝、議論を行ったが、その午後にはワークショップが開催された。四日間でほぼ三百六十のワークショップが開かれたが、それを組織したのは様々な運動体であった。これらのワークショップの後には、ルラ(PTの指導者で、ブラジル大統領候補となった)やクアテモク・カルデナス(メキシコPRDの指導者、同じく大統領候補となった)、フランス農民運動のジョセ・ボベといった個人による一種の「信仰告白」にも似たスピーチが行われた。
 さらに三百五十人の各種議員が参加した世界議員フォーラムと、ポルトアレグレの新市長であるタルソ・ジェンロが主宰した世界自治体フォーラムも開催された。また青年キャンプも行われ、千人以上が参加した。同様に先住民や土地なし農民運動の多数の活動家が参加したキャンプも行われた。
 WSは一月三十日、来年(二〇〇二年)もダボスのWEFと同じ日程でポルトアレグレに結集することを決定して終了した。

様々な運動の集約として

 一九九八年十月の多国間投資協定(MAI)をめぐる闘い、一九九九年十二月のシアトルにおける世界貿易機関(WTO)の闘い、二〇〇〇年九月にプラハで行われた国際通貨基金(IMF)・世界銀行(WB)年次総会に対する闘い――これらの闘いや運動の後にポルトアレグレで開催された第一回WSFは、人類の基本的な要求を満たそうとする非常に多数の多様な運動が集中していく重要な一歩であった。
 WSFまでの二〇〇〇年には、極めて意義深い行動が数多く展開された。それらの行動は、相互に関連しあって体系的に実現されてきた。すなわち二〇〇〇年二月にバンコクで開催された第十回国連貿易開発会議をめぐる闘い、四月のIMF・WB春期総会(ワシントン)闘争、六月にジュネーブで行われた社会開発評価国連サミットの行動、七月の沖縄G7サミット行動、九月のプラハ闘争、十月にブリュッセル、ニューヨーク、ワシントンで展開された世界女性行進、同月のソウル(第三回アジア・ヨーロッパ会議)、十二月にフランス・ニースで行われたEUサミットに対する闘い、同月のダカール行動(抵抗から創造へ)などが一連の行動である。
 こうした行動を通じて、様々な運動相互に共通の立場が形成されていった。そうした運動としては、ブラジルのCTUや韓国のKCTU、アルゼンチンのCTA、南アフリカのCOSATUなどの労働運動に代表される社会運動、農民運動、ATTACのような市民運動、エクアドルのCONAIE、メキシコのサパチスタといった先住民運動、世界女性行進、フォーカス・オン・グローバルサウスやATTAC、CADTM、ヨーロッパ反失業行進といった国際的なネットワーク、「××(土地、家、仕事など)なし」人々の運動、エコロジストや平和主義者の運動、戦闘的左翼、次のテーマで結集するグループ――@第三世界の債務帳消し(ジュビリー二〇〇〇やジュビリーSudなど)A貿易に関するネオリベラル攻撃に反対Bトービン課税支持――などがある。

集約した内容

 以上のような運動相互間で合意された内容は、次のように要約できる。
 ネオリベラルによる資本主義のグローバリゼーションに代わる民主的かつ国際主義的な新しい世界像の必要性、両性間の平等を実現する必要性、WBやIMF、WTO、ダボスWEF、G7、多国籍企業などの正統性危機(不信の増大)を拡大する必要性、第三世界の債務帳消しと構造調整計画の破棄を支持すること、貿易に関する規制緩和を止めさせること、食品や生き物に対する遺伝子操作に反対し、知的所有権に関連する現行の貿易規定に反対すること、例えばコロンビア計画などの軍事的政策に反対すること、自然の論理を重んじて共生するタイプの開発を行う人々の権利擁護、トービン方式で資本移動に課税し、それを財源とする、先住民の諸権利擁護、土地改革の必要性と大幅な労働時間短縮、東西南北に共通する闘いの必要性、ポルトアレグレで行われたような住民参加による予算作成の経験を拡大すること――などである。
 これら主要点のすべて、あるいはほぼすべてはポルトアレグレのWSFに結集した社会運動が採択した宣言に網羅されている――次のウエブサイト(www.forumsocialmundial.orgあるいはattac.org、当面はスペイン語、ポルトガル語、英語のみ)に発表されている。また同じ内容は、二〇〇〇年二月のバンコクアピールや二〇〇〇年六月のジュネーブ宣言でも見られる。非常に勇気づけられる内容である。
 それでも、いくつの大きな問題が論議の対象として残っている。すなわち、WBやIMF、WTOは「廃止」すべきか、それとも改革の余地があるのか、周辺国においては、債務支払い停止のために闘うのか、それとも交渉方式によるのか――といった問題がそれである。
 ダボスのWEF会場は有刺鉄線で囲まれ、軍隊と警察が防衛した。ポルトアレグレのWSFは、利益よりも人類を優先するすべての人に開かれていた。ダボスは贅沢、ポルトアレグレは高潔さがあった。ダボスには従来の国際機関の正統性が危機にあり、ポルトアレグレでは新しい世界の可能性があった。
 非常に多くのメディアがポルトアレグレの会議を取材した。ほぼ五百人のジャーナリスト(ダボスよりも多い)が集まった。最も熱烈な資本主義支持(例えばCNN)のメディアをも含めて、彼らは世論が転換点を迎えたと感じたのであった。つまり、ますます多くの地球市民がネオリベラリズムの攻撃に反対するようになっている、と。ポルトアレグレに結集した人々は、新しいメディアを通じてスイスの反ダボスWEF行動と一貫して接触を保ち、連帯を表明したのであった。
(インターナショナルビューポイント誌2001年2月、328号)

解説

  第一回世界社会フォーラムが一月二十五―三十日、ブラジル・ポルトアレグレで開催された。世界社会フォーラム(WSF)には、草の根活動家、ネオリベラリズムや企業支配と世界的に闘っている国際的な非政府系組織(NGO)や社会運動の活動家などが結集した。このフォーラムは、スイスのダボスで最富裕かつ最強の企業、法人を集めて開催される世界経済フォーラム(WEF)と時期を合わせ、しかも対照的な活動を行おうと計画されたものである。WEFが参加者の利益、利潤を増やす方法を議論するのに対して、世界社会フォーラムは、グローバリゼーションに反対して闘う人々が集まって、ネオリベラリズムにとって代わる実現可能な新しい世界を創出していくための議論を始める、発展させる場をつくり出そうとする。全世界から社会変革を追求する組織を代表する一万人近い個人がポルトアレグレで開催されたフォーラムに結集し、その全日程を通じて各種のワークショップや会議に参加し、実現可能な新しい地球規模の経済社会構造の形成に関して議論を展開した。
 スイスのダボスで同じ日程(一月二十五―三十日)で開催された世界経済フォーラムは、グローバリゼーションに反対する抗議者たちに対してバリケードを築いた。同フォーラムは、スイス在住ドイツ系企業家クラウス・シュワブ(フォーラム理事長)が一九七一年に設立したもので、企業の重役や各国政府首脳など「グローバルな指導者」が集う、今日の世界で最重要な会議の一つになっている。そしてWEFは、多国籍企業と、その動向に大きく影響する各国政府の政策決定者とが前例がないほど緊密に接触する場となっており、各国政府がグローバルビジネスに関して協調する場ともなっている。