2001年6月10日        労働者の力               第135号

ブッシュ政権とEUのアジア本格登場

展望なき日本外交

川端 康夫

 田中外務大臣の初の外国訪問としてマスコミが集中した北京でのアジア欧州会議(ASEM)の第三回外相会議の内容や意義は、ほとんど報道されなかった。各社のニュース欄は田中外相の一挙一動を追いかけるに終始した。ASEMが過去においてさほど意味を持たないものであったとしても、今回のこの会議は、中国の首都で、アメリカ抜きの国際会議が開催されたという点で象徴的であった。同時にEU(欧州連合)が南北朝鮮和解にむけて積極的な後押し政策を表明し、北部朝鮮との対話を進行させるというブッシュ共和党政権の撤退策に正面から水をかけたことを受けた会議であった点で、また歴史的であった。この点を掘り下げない日本マスコミの程度の低さが如実に現れたということ以上に、日本政治もマスコミも、こうした歴史的・象徴的外交的会合の意味と位置には触れたくとも触れようがなかったのだろう。「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を検定合格させた日本政府の傾向をかかえているのであれば、日本外交の将来展望に触れることを回避するという衝動が働くこともおおいにありうることだ。

孤立主義路線に走るブッシュ政権

 共和党ブッシュ政権成立後の行動は、なにか理性的なところがあるとはどこにも感じられない。けいれん的で発作的な政策展開と行動が目につく。この政権は、自己の政権の正統性を疑われるところがあるからなのか、突如のイラク空爆を行ってみたり、パレスチナ和平から手を引いたり、ミサイル防衛計画のために旧ソ連と結んだミサイル制限協定の破棄を言い出したり、あるいは地球温暖化を緩和するための京都議定書の批准を否定したり、数限りなく前民主党政権の反対を進めようとしている。その最たるものは、朝鮮半島の和平促進への「まった」であり、原発推進への転換、アラスカ原油開発の大規模な推進などである。
 こうしたブッシュ陣営のなかから、ブッシュの政策に異議を唱えて共和党上院議員が一人離脱し無所属に移行した。これによって共和党は上院での多数派を失った。
 ブッシュの一連の政策には、もちろん明確な特徴が示されている。特徴とは、アメリカの国益だけが押し出される「新孤立主義」というべきスタイルである。つまり前民主党政権はグローバルな帝国主義秩序をうち立てようとしたことに対して、ブッシュ共和党政権は世界はどうでもいい、アメリカが防衛できればいい、という態度を露骨に示している。しかもそれにつけ加えて、共和党のアメリカとは、アメリカの民衆全般を意味するのではなく、アメリカの巨大資本を意味するということが急いでつけ加えられなければならない。
 アラスカ原油開発の促進とはアラスカの自然とイヌイットの生存環境をさらに破壊するという方針である。原発推進への転換の意味はいうまでもない。京都議定書問題は、純粋にアメリカ産業資本の要望に応えただけである。
 ミサイル防衛計画への着手とは、世界がどうなろうとも、アメリカだけは防衛されるという発想の表現であり、世界が「崩壊していく」とすれば、そこに当然にも生起するテロリズムや国家テロの波状から自己を防衛するという発想を正直に表現しているものだ。
 ブッシュには地球や世界という概念はない。アメリカ資本がグローバリゼーション化を全世界に押しつけていることは、全世界がアメリカ資本(金融的・産業的)の利益至上主義によって解体されていくことを意味する。それに対して、ブッシュは世界は、あるいは地球は「野となれ山となれ」の立場で対処しようとしているのである。
 
アメリカの「新世界秩序」構想の行き詰まり
 
 もちろんこうした立場の背景には、民主党のクリントン政権がその政権末期において、シアトルのWTO会議に失敗し、またパレスチナ和平に失敗した事実がある。民主党政権も明らかに行き詰まっていたのだからこそ、ゴアは勝利できなかったのである。グローバリゼーション化政策がアジア通貨危機を皮切りにした世界的な経済的動揺を導き出したし、民主党はその突破口を見いだせなかった。
 シアトルの失敗の後、WTOのための新たな計画はいまだかけ声に終わっている。ブッシュ政権がこの方面に意欲を燃やしているとはどこからも感じ取れない。他の諸国やEUなどのブロックとの協調をもって新たな「資本の」秩序を作り上げるという意欲はもっていないようである。
 その割り切りが、「新孤立主義」を導いている。「孤立主義」はモンロー宣言以来の伝統でもあるが、それが文字通りの意味で政策化されたことなども一度もない。
 モンロー時代は「南北アメリカに手を出すな、アメリカが支配する」という意味であり、第二次大戦前夜の孤立主義風潮は、ヨーロッパ人は勝手に殺し合え、ということにつきた。ヨーロッパ大陸から逃げ出してきた人々が多いアメリカ白人社会では、大陸の悲惨な戦争と抑圧、民族的対立・紛争と手を切ってしまいたいという心情は根強かったのである。
 そして今のブッシュ政権の孤立主義的傾向も、クリントン政権の「新世界秩序」形成努力の行き詰まり・挫折の上に、「知ったことではない」という心情に訴えようとするものだ。だが繰り返すがアメリカの孤立主義が貫徹されたことはなく、その意味では大衆欺まんのスローガンであった。ブッシュの展開しようとすることは再び軍事力に訴える「世界秩序づくり」の方向である。彼の父親が湾岸戦争を頂点とする軍事力行使で対応したと同じようなことを考えているのであろう。そういえば国務長官パウエルは湾岸戦争の時の統合参謀長であった。
 しかしここでも出口はない。湾岸戦争によってもソマリアへの出兵によっても、アメリカは何一つ解決することはできなかったのである。

EUと中国、アメリカ――新三角関係?

 EUの南北朝鮮対話促進外交団の派遣は、アメリカから見ればまさに「出過ぎ」であるはずだ。戦後アジアでの帝国主義は、アメリカの軍事力に最終的には依存した。ヨーロッパ帝国主義は、香港返還を最終として、表舞台からは永久に姿を消したはずであった。
 この一掃されたはずのヨーロッパ帝国主義が、いまEUの姿をもってアジアに乗り込み始め、しかもブッシュ政権の新アジア政策とは異なったアプローチをとって開始されたのである。
 中国政府がその意味を知らないわけはない。彼らは積極的に北京会議を受け入れたと信じられる。最近の報道によれば、江沢民は中国共産党の内部会議においてブッシュをバカ呼ばわりしたという。これが外部に流れているのは意図的なリークの結果だろう。通常では考えられない内部機密情報の漏洩である。江沢民はつけ加えて、彼らの手の内が出尽くすのを見守るとも述べたらしい。
 ブッシュ政権と江沢民政権の最初の出会いは、海南島沖での米軍偵察機と中国軍機の衝突と偵察機の海南島緊急着陸問題であった。中国政府は意外にも「柔軟姿勢」で幕を引くことになった。中国軍機の行動はたぶんに意図的な行動であり、それが両軍機の空中接触事故につながったことは明らかである。中国政府はこれを機に米軍偵察機のスパイ行為の停止を強硬に求めても不思議ではなかったが、それは一方的に「緩和」された。
 すでにその時点で、EUの朝鮮半島和解促進代表団の動きが入っていたのだろう。これが中国政府の「余裕」をもたらしたものと思われる。
 江沢民にとってみれば、EUの動きは中国伝統の「夷をもって夷を制す」政策の展開のための条件を作り始めていた。クリントン時代、中国は対アメリカ政策の切り札を欠いていた。ロシアは実力に欠け、日本は日米同盟の枠組みから「逸脱」する気はないし、政治的にも感情的にも歩み寄れなかった江沢民訪日は失敗だった。
 だが新興EUが外交的にアジアに直接に乗り出し始めたことは江沢民にとって対米、対日の新しいカードの可能性を提供することである。

迷走を始めた日本外交

 EUの対中経済投資は江沢民政権にとって経済的には日本をけん制しうるレベルにある。高速鉄道網(中国新幹線)の受注をめぐる日本とEUの争いは、現状のままであれば、フランス・ドイツに有利な状況とも見られる。日本の政治風潮は日本新幹線を国家プロジェクトとして売り込むレベルからはほど遠い。EUのアジア外交参入は、もちろん経済的な動機によるものであり、拡大する中国市場への参入を地理的に近接している日本に独占させるつもりはさらさらない。
 そして何よりもEUが、南北朝鮮の和平への動きを促進するという政治的カードを切ったからである。EUの踏み出しは、ブッシュ政権の新孤立主義や日本国内の国家主義風潮の台頭と比べれば、きわめて巧みな選択であった。
 日本外交は大陸との関係、東アジアとの関係をどのように展望するかというところで、客観的には窮地に陥っている。すなわち「教科書問題」での「のらりくらり」は通用しない。そこにブッシュの軍事力依存が強まり、その圧力が「集団的自衛権の承認」であるからこそ、中国政府の警戒心は高まりはしても低くなることはない。
 石原が田中外務大臣にエールを送り、中国に屈服するなとわめいている。小泉の外交感覚がゼロに等しいことは靖国問題、教科書問題への対応に明らかだ。すべてが国内政治の感覚で語られており、そこに石原や中曽根がしゃしゃり出る。
 EUのアジアへの登場の影響は歴史的に大きい。それと対照的に、日本外交が小泉政権のもとでさらに迷走状態に陥っていくことは確実である。外交問題は外務省官僚いじめでパフォーマンスを行うのとはレベルが違うのである。
   (五月三十一日) 

6月24日 東京都議会選挙投票
杉並選挙区無党派
福士敬子(よしこ)さんの当選を


石原都政とただ一人闘い抜いた福士さん

 石原都政と真っ向から闘うただ一人の無所属議員として名を馳せている福士敬子さんは、今月投票の都議会議員選挙での再選を期して選挙戦に突入している。
 二年前の都議補選で圧倒的な支持を集めて都議会入りした福士敬子さんは、青島前知事に幻滅した無党派層が拡散する隙をついて都知事に就いた石原都政の勢いにのみこまれがちな都議会で、唯一といっていい石原反対派の立場を貫いてきた。
 これは別に「はじめから反対ありき」ということだったわけではない。福士さんの立場は、出されてくる政策に対して、基本的に市民派としての立場から「是々非々」で臨むということにあった。「是々非々」の立場から、福士さんは石原のパフォーマンス的政策の一つ一つを点検していくなかで、そのインチキさを見破っていった。そしてその立場から、議会内諸会派が石原都政への迎合姿勢を示したにもかかわらず、たった一人であっても反対の声を明らかにしていった。
 勇気なしにはなかなか難しい。議会事務局はじめ官僚機構の諸セクション、さらには他会派からの圧力にさらされながらの行為だった。
 「三国人」発言にはじまり、左派・革新派への暴言を繰り返し、アジアにおける日本の帝国主義国家の再現を夢想する石原の本質を明らかにしようとしてきた、ただ一人の都議会議員といって言い過ぎではない。石原の実体なきパフォーマンス政治の空虚さ、インチキさを徹底して追及し続けてきたのも福士さんただ一人である。議会外での活動との結びつきもまた福士さんが軸線となった。
 一例として、三多摩日の出の最終処分場反対の闘いをあげておこう。この闘いは大きな社会的影響を与え、三多摩の各市町村はそれぞれに程度はあれ、リサイクル対策などのゴミ減量化を政策として取りあげなければならない立場に追い込まれもした。しかし石原都政はそうしたあらたな動きを広げ、深めるという方向ではなく、「お上に逆らう不届きもの」「一部左翼の運動」という姿勢でもって、強制代執行に踏み切り、あまつさえ反対闘争陣営に代執行代金の支払いを求めるに至った。大気汚染対策を打ち上げた石原の政策が単なる人気取りのパフォーマンスでしかない実態が日の出の闘いを通じて明らかにされていったのである。この闘いのなかに常に福士さんの姿があったことはいまさらいうまでもない。
 一人会派という制約がありながらも、彼女の都議会活動は他の「並び都議」とは質が違う。福士敬子さんの都議会活動は都民の目線、無党派の目線に貫かれ、石原人気に逆らうことを回避しようとする他の党派所属議員とはまさに「質が違う」ものである。これらは付属資料に詳しい。
 
石原陣営のお膝元・杉並で闘う福士さん
 
 福士議員がこの度の都議選での再選を期すということは、まさに石原的「国家主義的」ムードとの闘いを再度、断固として継続するという意志の現れである。
 小泉ブームの陰に隠れて浮上している「国家主義」風潮のそもそもの火付け役が都知事・石原慎太郎である。石原と小泉、そして田中真紀子を掛け合わせ、その「おどろおどろしい」組み合わせによって「改憲政党」と「改憲政権」を作り上げようとする動きも、一部右翼マスコミによって煽られている。「平成の妖怪」になりつつある中曽根がその動きを公然と主導しようとしていることも、いまや周知のことだ。
 長らく続いた自民党政府体制の行き詰まり、反自民ムードを石原的な国家主義でさん奪しようというのである。この道が政治的な破局に通ずることはいうまでもない。だが、それは具体的な現実の運動と闘いを通じて明らかされるべきことも、また真実である。
 福士敬子さんの闘いは石原との闘いを貫徹することによって、無党派層が石原・小泉の疑似改革派支持に流れている現状への異議申し立てを行っている。もちろんこうしたことは現在の東京的な世論の流れに逆らうことであり、追い風的な支持を獲得することは決して容易ではない。
 杉並選挙区は東京山の手地帯の代表的選挙区であり、革新的ムードは伝統的に強い地域だが、同時に石原軍団の伸晃が衆院議員の一角を占めているところでもある。保革が真っ向からせめぎ合っている地域と言いかえてもいい。衆参両院選挙では「浮動票」「無党派層」の動向がもっとも注目される地域でもあり、都議会選挙も保革入り乱れての激戦が繰り広げられてきた地区でもある。
 パフォーマンスで都民の支持を集めている石原都政、それを上回る大衆的支持をムードとして集めている小泉内閣。その一角に国務大臣(行政・規制改革担当大臣)として起用された石原伸晃。杉並は石原・小泉の結合を体現しているのである。 
 ここでの当落動向を制するといわれる無党派層が、石原伸晃陣営を中心に、石原慎太郎と小泉の双方の高支持率のムードを背景とした流れにのみこまれることは大いにありうる。「無党派の風」がいまのところ少なくとも革新サイドに追い風になっているとはいえない。
 
「無党派の風」は今回はあてにはできない
 
 長らく区議を勤めてきた福士さんが都議に挑戦したのは前回(四年前)の都議選。これは惜しくも次点で涙をのんだが、二年前の補選において大量得票で当選を果たした。反自民の風が福士さんに集中したというのが実態だったろう。ここが実は問題で、補選の大量得票によって、支持者も有権者も「福士は大丈夫」という楽観的気分がなきにしもあらず、というところがある。しかし「風頼み」選挙は、今回は少なくともあてにはできない。
 自治市民93の組織は市民の手作りの組織であり、ボランティア選挙でまかなうしかないというのが福士陣営の現実である。他党や他組織のような金権選挙をやるわけにもいかないし、そのような力量もない。また人海戦術をくりひろげる力も当然ながら、ない。
 にもかかわらず、どれだけ福士さんの議会での活動、地域での活動、市民運動との深い結びつきを杉並区民に届けられるか、知らせることができるか。選挙戦のポイントはここにかかっているようである。
 福士敬子さんの卓抜な議会活動がさらに継続できるように、杉並区民に対して全国から熱い思いを届けることもまた重要なことだ。福士再選を期して全国から、杉並区民に声を届けることを大きな運動としていこう。
 福士再選をかちとろう。

【資料】
★議案に対する賛成と反対
                         自  共  公  民  無  ネ   社 都  福士
臨海地域開発事業会計予算
(破綻を隠す他会計との統合処理)   ○ × ○ ○ ○ × ○ ○  ×
東京スタジアムの買い入れについて
(ずさんな企画、運営、試算)          ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ×
浜渦副知事の選任
(後日都民およびフライデー記者に暴力)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ×
銀行事業等に対する事業税の特例 
(浮かれていいのか外形標準課税)      ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ×
高等学校建設と清掃工場プラント建設
(学校を統廃合して新建設など)         ○ ○ ○ ○ ○  ○  ○       ×
教育委員の任命(女性問題の他、
 個性を無視したエリート教育指向)       ○ × ○ × ○ × ○    ×
晴豊1号橋他建設 
(不要不急の巨大橋梁建設など)           ○ × ○ ○ ○ ○ ○    ×
東京都特殊疾病等に係る医療費助成拡充× ○ × × × × ×    ○
 (注 ネは東京生活者ネット)

★福士敬子(よしこ)さんの歩み
1939年 韓国・釜山に生まれる
1957年 佐賀県唐津東高等学校卒業
1983年 杉並区区会議員にトップ当選
1993年 「自治市民93」を設立
1999年 都議補欠選挙で当選。以来わずか2年で、数々の成果をあげる
      ●議員報酬の削減を実現
      ●むだな大型事業をそのままに、税収不足のたびに見せしめ的
       な 増  税の外形標準課税に反対。増税分は不要な土木・建設投資に
        消えた。

            ●福祉予算を削りながら、市民生活には何の役にも立たず、経費ば
       か りかさむ福祉・医療データコンピュータ化のICカードを止めさせた。
         ●なぜ5万人もの大規模施設にしたのかも不明な東京スタジアムの買
       取り。ずさんな企画・運営で初年度赤字見込み4千万円が、再度きち
       んと試算させたら4億1千6百万円に。試算もないずさんな計画を放
       任せず反対。   以上 福士さんのチラシより引用(一部省略)。

フランス地方選
                          連立政権左翼の後退
                                                          ジャン・マレウスキ(統一書記局員)

 フランス地方選挙に関する世論調査では、連立政権を構成する左翼(プルーラル・レフト)が勝利すると予想されていたが、実際の結果では後退となった。二〇〇一年三月十一日と十八日の二回、投票が行われた地方選を総括する。

裂け目が広がった社会

 連立政権左翼の敗北は右翼の勝利を意味しない。事実、右翼は、パリとリヨンの市長選挙で敗北したのであった。この敗北は、右翼が勝利したのではないことを象徴している。フランスの市町村選挙制度は変則的な比例代表で、第一党となった(候補者)リストが四分の三近くの議員を獲得することになり、小政党に不利である。そうした制度もあずかって、連立政権左翼が第二回投票の結果、パリとリヨンという二大都市で勝利を収めた。
 他方では、右翼が勝利をしたと主張する根拠となる選挙結果も実現された。右翼は今や、人口三万以上の百三十九市町村で多数派となり(十八日投票よりも二十三増加。そのうち六は人口十万以上)、連立政権左翼側の百十四を大きく超えた。
 こうした結果ではあったが、総括点の主眼は別のところにある。
 第一回投票の特徴は、高い棄権率と批判的左翼(連立政権左翼とは別の左翼)獲得票の意義深い目標突破である。この事実は、連立政権に対する不満が拡大していることを表現している。
 第二回投票は、棄権票や批判的左翼への投票は連立政権左翼候補者に流れたが、その流れは過去よりも小さかった。この事実は、過去二十年間、右翼から左翼への政権交替(この枠組みにおいて資本家の利益を実現する政策が実行されてきた)に寄与してきた進歩的な有権者層内部に大きな分断状況が生まれていることを示唆している。
 投票日の十日前にフランス最大十二企業の決算が発表され、二〇〇〇年の大幅増益が明らかになった。一九九九年には最大三十企業で千二百十億フランの利益であったのが、二〇〇〇年では最大十二企業で千二百六十七億フランの利益となった。これが、ジョスパン首相率いる左翼連立政権が富の再配分を実行したのではないことを明確にした最初の事実だった。
 地方選直後、INSEE(国立経済統計研究所)が「家計の資産と所得」を公表し、それを報じたルモンド紙(三月二十三日)は「一九九七年以降の経済成長は貧困を減らさなかった」と見出しをつけた。
 確かにジョスパン政権下で失業者は百万人から減少したが、「一九九六年一月から二〇〇〇年五月にかけて貧困率に変化はない」。すなわち世帯の七・三%、四百二十万人が貧困線以下の生活を送っている。貧困率は二十五歳以下の青年層で一番高く、ほぼ二〇%に達しており、マグレブ(アフリカ北西部のチュニジア、アルジェリア、モロッコ三国の総称)出身の移民労働者世帯でも非常に高く、ほぼ四分の一世帯が貧困線以下の状態にある。
 「法の制定後に民間部門で創出された職のほぼすべて(八分の七)は、最低賃金の一・三倍以下、すなわち月額七千四百フラン以下という低賃金である。民間企業で最賃の一・三倍以下の労働者は二〇〇〇年で四〇%」、一九九九年では三二・五%だった。つまりたった一年間で七・五%も増加したのである。
 同期間に有期雇用は大きく増加した。一九九九年は三三・八%、二〇〇〇年は二〇・三%の増加だった。
 ジョスパン首相の主張とは裏腹に、一九九七年以降に創出された職百五十万は、それ自体として所得再分配となってはいない。アルバイトなどの有期雇用や低賃金雇用が拡大し、他方では搾取の強化による利潤の拡大が進行したのであった。
 左翼連立政権が自画自賛する別の根拠である週三十五時間労働制度は、職の創出に有利に作用したが、他方では搾取率の強化を伴う労働市場の規制緩和をもたらしたのであった。
 一九九五年の公共部門労働者のストライキ以降、「社会問題」がフランスの中心問題であり続けている。ジャック・シラクは、「社会の裂け目」を修復すると公約して一九九五年大統領選挙で勝利をし、その公約を実現できなかったため一九九七年の議会選挙で敗北するに至った。リオニル・ジョスパンもまた、その自己満足的な主張に対する不満が増大しており、シラクの教訓を学ぶ過程にあるといえる。

心はやる戦闘性

 過去二十年間、大量失業という状況にあって、民間企業におけるストライキによる喪失労働日は減り続けてきたが、一九九九年(昨年の数字はまだない)には相当に増加した。
 三十五時間労働制の適用と賃金をめぐる紛争のためであるが、民間部門のストによる喪失労働日は、一九九八年の三十五万三千六百日から一九九九年の五十七万三千五百六十日へと六二・二%の増加となった。
 公共部門のストライキ日数の増加が緩やかであったとしても、前年よりも六万八千三百日も拡大した。そして「一九九九年に観察された事象が二〇〇〇年でも持続することになる」。
 戦闘性の拡大は、フランス労働総同盟(CGT)の研究所CSAが行った調査でも明らかである。二〇〇〇年秋の調査で労働者の六七%が自らの利益を防衛するためにデモに出るとしており、六六%がストライキ、三六%が労働現場の占拠を行うとしている。一九九六年(一九九五年十二月の巨大なストとデモが行われた後のジュペ政権下)の同じ調査と比較すると、デモに出る労働者が六ポイント、ストライキで一一ポイント、占拠で三ポイント増加している。
 闘争の三形態別の戦闘性指標を作成すると、労働者の六二%というのは非常に高い数字である。
 戦闘性は、社会に大きく広がっており、女性五六%、男性六六%、事務系七七%、ブルーカラー労働者六五%、民間六一%、公共部門六三%となっている。
 高い賃金労働者(月額二万フラン以上)の方が低賃金労働者(同七千五百フラン以下)よりも高い戦闘性を示している。前者では、その五六%が前述の闘争形態の少なくとも二つを行う用意があるとしており、後者では四六%が戦闘性を示しているに過ぎない。
 不満・不平や戦闘性が社会に大きく広がっていることを示す事象として、高級管理者の四九%が高い戦闘性指標を示し、五四%は自らの利益を守るためにストライキをも辞さないと回答している。
 社会紛争も広がっている。コメンテーターは一九九五年、「代用手段によるストライキ」について多くを語った。その当時、ジュペ政権の宣伝にもかかわらず、公共部門で盛んにスト行動が行われ、ことに公共交通に影響を及ぼした。
 一九九五年以降、二十六の広範囲な影響を及ぼす社会的な紛争のうち、わずか一つ――一九九九年の三五時間制に関する鉄道労働者のスト――だけが、世論の賛成よりも反対が多く、他の紛争は支持された。
 一九九五年以降で平均すると、紛争や抗議行動を支持したのが四一・四%、共感を示したものが二八・二%、一〇・九%が無関心、反対ないし敵対と回答したのは一六・七%にすぎない。
 また、公務員労働者が特権を享受していると描き出そうとする一切の宣伝・扇動にもかかわらず、民間労働者は公務員労働者のストを支持した。そして賃金生活者のアイデンティティが変化したことを示す証拠がある。すなわち「管理者は今や社会運動の側にある」――一九九五年十月に公務員労働者の賃金凍結に五七%が反対したが、二〇〇〇年三月ではその数字は八二%となっている。
 「一九九五年以降、社会的な紛争の新しい局面が始まった」あるいは「社会の批判的な見方、つまり労働者への圧力の発展、グローバリゼーションの影響」が指摘されている。
 以上の事実全体が、二〇〇一年三月地方選を解釈するうえでの基礎である。つまり自らの利益を守るために闘おうという意志は、現政権とは距離をとろうとすることに他ならないからである。
 こうして「ミッテラン時代」に左翼同調者が「偉大な人物による統治」を認める傾向があったのに対し、現在では左翼同調者はジュペ政権下の一九九五年よりもより積極的にストライキを闘う決意(一九九五年の六三%から六五%へ増加)がある。右翼の同調者に関していえば、ジュペ政権下ではわずか二五%のみがストを闘うと回答したが、現在のジョスパン政権下では五四%が闘うと回答している。
 あたかも「左翼」や「右翼」の名前で実行されたネオリベラル政策の結果として、旧いスローガン「労働者の解放は労働者自身の任務である」が大規模に再発見されたようである。

緑の党

 ブルジョア日刊紙レゼコー(3月26日付)で論説員は、上述の分析に関して「地方選第一回投票で緑の党と極左派のリストが明確に示したのは、社会的な戦闘性の回復と深まりであると考えられる」とコメントした。
 地方選第一回投票の結果は、その程度に違いはあるものの連立政権左翼に反対している候補者に票が移ったことを示した。一月末に行われた世論調査では、「あなたが居住する自治体の統治を誰に委ねますか、連立政権左翼ですか、それとも右翼ですか」の質問に対して、回答者の二七%が「両者に違いはない」と回答し、二二%は「どちらの勝利をも望まない」と回答した。
 以上の状況は部分的だが、緑の党にも該当する。同党は、現政権に二人の大臣を送っているが、脇役的な存在にとどまっている。緑の党は、「連立政権左翼」のリストに反対し、独自リストを提出した選挙区では、一九九九年の欧州議会選挙でダニエル・コーンバンディを筆頭とするリストが収めた得票率九・七二%を上回る成績をあげた。
 今回選挙で緑に投票した有権者の少なくとも一部は、自らの独立性を誇示し、それを通じて政権与党第一党の社会党に従属しないことを表現したかったのである。
 緑の平均得票率は、パリで一二・三%(左翼で第二党となり、二十三議員)、リールで一五・五%、タランス一八%、エブルー一六・三一%、モンペリエ一二・五%、ポー一二・三七%となった。
 パリ近郊の選挙区ではピエールフィット二四・四二%、モルー二三・五三%、ビルジューイ二三・〇六%、モントルーユ二〇・一七%などとなっている。
 緑に投票した有権者は、若者が中心で、その多くは雇用されている。メディアの一部は、緑に対する支持を「ブルジョア的なボヘミアン」と表現した。賃金生活者の意識変化と高い賃金を得ている者をも含む戦闘化傾向は、緑の獲得票に関して別の解釈を可能にしている。
 三月二十一日付ルモンド紙に発表されたIPSOS調査によると、緑の同調者の半分以上は以前の政府よりも「左翼的な」政策を実行する政府を望んでおり、多くの若い反乱者にとって「左翼的な政策」とはミッテラン・ジョスパン政権のそれであり、これが「左翼的な政策」と名前で知っている唯一のものである。そして「よりミッテラン・ジョスパン的な政策」が受け入れがたいものであることに疑問はない。
 緑が集めた有権者は、政権与党のリスト支持に役だった。そして緑への投票者すべてが同党が参加している政権に批判的であると考えるのは、少なくとも不公平だといえる。
 緑は、連立政権左翼リストの不可分の一部を構成しており、そのリスト最大の注目点は、緑の指導者ドミニク・ボワネが率いていたドール市のもので、一九九五年の左翼連合と緑の党の合計票を超えず、五百票減、率で四%の減少となった。
 しかしながら緑の党が独自リストで選挙に望んだところでは、同党への浮動票があり、特に以前はフランス共産党の拠点だった選挙区では、立派な成績を収めた。

「市民派」リスト

 連立政権左翼の左に位置するリストは、前述の不満をすくい上げることができた。こうしてツールーズでは、あるリスト(その中で名前が知られたメンバーが音楽グループ、ゼブダの一員で、かつてLCRと協力したことがある人物)は連立政権左翼の左に明らかに位置し、一二・三八%の得票率となり、緑の六・一五%、LCR、LOの得票を大きく超えた。同様なリストが、他の選挙区でも相当な得票をした。
 これらのリストは、それぞれに異なった選挙運動を展開した。それでも共通の傾向として、程度の違いはあるが政権には批判的であり、また政治それ自体にも批判的だった。メディアは、これらリストを「市民派」と呼んだ。連立政権左翼は、第二回投票までの期間、これらリストをためらうことなく取り込もうとしたが、それなりの成果をあげたようである。
 これらのリストの背景には、政府の政策に反対する左翼潮流を活性化させるうえでの左翼革命派の能力に関する否定的な判断がある。しかし、これらリストの主張がどうであれ、ツールーズの場合のように第二回投票では連立政権左翼が、これらリストの票を吸収した。これらリストに投票した有権者たちは、これらリストを一貫して支持するわけでなく、むしろ連立政権左翼への拒否感の表現としての投票行動である。
 これらリストは、地域的に限定されたイニシアティブであり、全国性を獲得しようと試みたり、あるいはメディアの取材で地域を超えて有名になったとしても、全国性はない。それでも、これらリストは、従来緑の党や革命派に投じられていた票のみならず、連立政権左翼とは初めて決裂しようとする票をも獲得した。

突破を実現した革命派

 ルゼコーは「革命派は左翼を土壌にして繁栄する」と書き、共産党機関紙ユマニテは「LO―LCRは驚くべき成果をあげた」とし、リベラシオンは「革命派は根拠地を確保した」と述べ、ルモンドは「革命派と市民派リストが政権左翼と競合した」と見出しをつけた。
 一九九九年の欧州議会選挙とは違って、革命派の中心的な二組織であるルット・ウーブリエ(LO)とLCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナルフランス支部)は、統一リストを形成せず、多くの選挙区で競合した。
 LOは、LCRとの協定を拒否して百二十九のリストを提出した。LCRは、九十三のリストを支持し、政府の政策に反対する他の左翼勢力の再結集にある程度成功を収めた。
 労働党(ランベール派、PT)の百四十六リストとも競合した。PTは「地域民主主義と世俗主義(宗教と教育・政治の分離)」を旗印とした。全般的に厳格なコーポラティストの主張であり、かなり古くさい世俗主義傾向があり、他の革命派と同じ傾向とみられるのを強く拒否する。そしてPTが実際に長年にわたって、他の戦闘的な左翼との共同行動に一切反対してきた事実が、PTへの投票を特徴づけるのを難しくしている。だが、いずれにしても、左の立場から政権左翼に反対する有権者の票を獲得したのである。
 LCRとLOとが市町村選挙と県会議員選挙の双方で収めた成績は、決して無視できないものである。総得票数は五%を超え、LCRは二十自治体で二十八議員を獲得し、LOは二十五自治体で三十四議員を獲得した。
 LOは、選挙戦を一貫して闘ってきた伝統があり、LCRよりもいつも良好な成績を獲得してきた。しかし今回選挙では、ほぼ同じ得票率となり、LCRがリストを提出した選挙区で平均四・四四%であり、LOは四・三七%となっている。
 両組織が一体となった選挙区(少なくとも一方だけがリストを提出した選挙区)での平均得票率は六・二三%で、この数字は、一九九五年の大統領選挙でLO候補が獲得した五・三%や一九九九年の欧州議会選挙でのLO―LCR統一リストの五・〇三%を超えた。
 以上の実績から革命派を支持する有権者層というものが形成されたと考えることができる。この有権者層は、政府の政策に反対するだけでなく、改良主義方針とは別の新しい左翼方針を提出するリストを支持もするのである。
 批判的な左翼が獲得した票の重要性は、LOとLCRが直面している責任の重さを強調している。選挙結果と、前述した急進化、社会的な戦闘性の深まりという事実は、社会リベラリズムに代わる新しい路線や政治的・社会的なプロジェクト、闘いの枠組み、戦略、すなわち労働者を代表する政党の登場を要求しているのである。

総崩れした共産党

 今回の地方選は、フランス共産党(PCF)の後退を改めて示した。共産党の決定が連立政権左翼リストで闘うことを意味していたとするなら、PCFの得票を非連立政府左翼や批判的左翼のそれと比較することができないが、保有していた地方自治体拠点のいくつかを失ったのである。
 第一回投票では、ドランシー、モンリュソン、サンスの町で敗北し、第二回投票ではニーム、タルブ、エブルー、ラシオタ、ラセーヌ、ディエップ、アルジャントゥーユなどで敗北した。これらは、敗北した中でも大きな拠点選挙区である。アルルなど二つの町で勝利したが、そこはPCF全国指導部に対する反対派が多数派を占める選挙区であった。
 一九三〇年から一九七〇年代にかけてフランス共産党には地方自治体方針があり、これにそって運営された共産党系自治体では、右翼あるいは社会民主主義が統治する自治体とははっきり区別されていた。しかしながらネオリベラル攻撃によって、共産党が支配していた自治体では工業が衰退した。また共産党が社会党系自治体に参加したことは、地方自治体政策における共産党の独自性を完全に消滅させたわけではないが、相当程度に浸食してしまった。
 こうして最近では、PCF系自治体でも他の自治体と同様に公共事業の民営化が進行し、文化面や社会保障関係の支出削減、公営住宅制度の廃止、企業への減税などが行われた。
 PCFは、現政権において重要でない地位を占めているだけ(社会民主主義潮流が長期にわたって保持してきた「社会主義への平和的な道」という改良主義主張とは違っているが)であり、その存在を知られることが少ない。PCFは、独自のプロジェクトがなく、政権の政策を追認するだけで、そうしたことを党機構の力を通じて実行し、党を運営している。
 それでも人口一万以上の八十四自治体(三月前は百十一)を支配し、人口三万以上の自治体は二十九(三月前は四十一)、二つの県を運営している。日刊機関紙ユマニテは、刷新の努力を行っているが、苦しい状態が続いている。
 党指導部は、自治体に関する課題に直面している。ロアーズ出身の議員は、党書記長の辞任を要求した。他方、ローヌ出身の議員は、公開状を出して党指導部全員の辞任を要求した。また別の議員は、共産党出身閣僚の辞任を要求した。書記長は、これらの要求を無視して、十月に予定されている次回党大会で打ち上げるべく「新共産党」を準備している。この新共産党なるものは、明確な政治理念に裏打ちされたものでなく、一種の機構いじりである。

右翼の危機(略)
極右(略)

継続するジョスパン政権

 これまで述べてきた労働者の戦闘性や急進性の高まり、政治的な分極化、代議制の危機――こうした現象がフランス社会の深部からの動きを表現しているとするなら、地方自治体選挙結果がジョスパン首相の大統領をめざす計画を脅かすことはない。逆説的であるが、連立政権左翼が今回選挙で後退したことは、右翼の大物大統領候補予定者がその威信を弱めていることや、その対抗馬の大統領選への意欲を強めている事実と相まっている。
 ジョスパンは三月二十八日、社会党全国指導部の会議で地方選について報告した。
 「連立政権左翼のリストが敗北したと総括する」。ツールーズの「市民派」リストに言及して、「この左翼と対話しなければならないとしても、それは彼らの側に移ることであってはならない。彼らの側に移動することになれば、何も成果がないままに失うことになる」と述べた。政権の方針に関しては「社会リベラル政策を実行していない」と報告した。
 しかし経済・社会政策を変更することに問題がないわけではない。三月二十二日付リベラシオンは、政府の優先事項として三点、歳出管理(つまり公務員の賃下げと社会保障の削減)、減税(全員に関係する付加価値税でなく、高所得者への減税)、財政赤字の削減(公共支出の引き締め)をあげた。
(インターナショナルビューポイント誌4月、330号)