2001年7月10日        労働者の力               第13 6号

参議院選挙
小泉の似非改革路線と闘う政党・候補者に投票を
社民党、共産党、新社会党へ投票を
川端 康夫

  
福士さん、五位当選
 
 先月の東京都議選やその後の各首長選挙にも小泉ブームの影響が顕著に示された。都議選においては自民党は低迷を脱し、全議席とほぼ同数の議席を確保したばかりでなく、各選挙区の一位当選者の多数を占めた。その後行われた秋田市長選挙などでも自民党は優位を示した。
 小泉ブームと自民党そのものへの投票とはもちろん一致するものではない。現に杉並選挙区では無所属候補の福士敬子候補者が五位当選を果たし、選挙区全体では「革新」系が多数を占めた。「逆風」をはねのけた選挙戦であり、福士陣営の終盤戦の盛り上がりがネット(生活者ネット)候補者を上回り、かつ自民党公認候補を落選させた原動力でもあった。
 しかし、小泉ブームがとりわけ都市部における自民退潮を食い止めたことは事実である。
 
改革の底が割れつつある
 
 参議院選挙はこうした小泉ブームのもとに行われる。野党サイドにとっては守勢を余儀なくされる苦しい状況であり、各党の政治的・組織的な真価・力量が問われるところでもある。
 その小泉ブームであるが、彼の掲げる「構造改革」は二カ月を経過した今もはっきりした姿を現さない。具体策は参議院選挙以降ともアナウンスされているが、小泉は実態なき「改革」の虚構で自己のブームを持続させるつもりでもあるらしい。
 われわれから見れば、小泉「改革」の方向性はすでに明らかである。まず第一に小泉は外交路線において米ブッシュ共和党政権への迎合を明らかにした。第二に「聖域なき改革」が意味するものが大衆収奪と弱者切り捨て路線にほかならないこと、第三に消費税大幅引き上げに言及することを極力避けていること、第四に靖国参拝が意味する国家主義傾向への傾斜である。
 今回のサミットでは小泉の経済政策に対する国際的疑問に正式に回答することになるが、それは消費をさらにそぎ落としていくことになる大衆収奪政策、マイナス成長の可能性、デフレスパイラルの可能性という小泉と竹中が推進する政策体系の危険性を懸命に弁解、弁護することに終始することになろう。
 塩川財務相は、先日のサミット予備会議で何の根拠も示すことなくマイナス成長は回避できるとし、小泉も「日本発の恐慌は回避する。そうした事態への対応はできている」と、これも根拠なき声明を行っている。
 こうして田中外相騒動のバランスシートは日本外交のブッシュ共和党への従属の確定であり、売り物の「経済構造改革」は国際的に指弾される度合いを強めただけである。ミサイル防衛計画や京都議定書批准問題の双方において日本はアメリカへの従属をさらに深めていくことになろう。
 
国家主義潮流との野合
 
 だが一方、田中外相の「親中国路線」を叩いた文春や中公、さらにはサンケイグループといった右翼マスコミ陣営は、石原を持ち上げつつ国家主義風潮を押し上げ、石原・小泉という組み合わせによる新しい国家主義政党立ち上げに期待をつないでいる。日米同盟と日本国家主義は本質的には相容れないが、この勢力は、その両者の間にある「あいまいさ」を利用していくつもりなのだ。
 舛添というおっちょこちょいの自称国際政治学者がいるが、これが小泉と石原の協力体制にはせ参ずると公言していることなどに、これらの「ワイドショー内閣」の政治的インチキ性が露呈されている。
 総体として日本の経済的行き詰まり、外交的隘路、政治的金属疲労といった現象は小泉内閣はもとより民主党をも含めた小手先の「新自由主義経済」の路線では解決できない根本的な問題である。つまり日米同盟の戦後構造が経済的なメリットを発揮できない時代に入っているのである。
 
アジア民衆との結合を
 
 自民党や石原、右翼マスコミの立脚点の反対側に出口がある。教科書問題や靖国問題が示していることは、この勢力がますます袋小路に入り込みつつあることである。ネギとシイタケ、畳表へのセーフガード発動は、発展しつつある東アジア経済の有機的結合に対する視点が皆無に等しいことを明らかにした。これでは日本経済の将来展望を描くことはまったくできない。
 日本はアジア民衆との結合を深めるなかにおいてこそ、将来の経済展望を見いだすべきであって、アジア民衆との距離を広げつつ、NTTが典型なような単独で世界的な大資本間競争戦に勝つ抜こうとするような誇大妄想的幻想は持つべきではないのである。
 野党サイドにおいても民主党は小泉以上の新自由主義路線で自民党に対抗する構えを示している。この党も民衆に寄り添った「改革」を指向していないことは明らかである。安保外交政策に党内的一致がなく、党首の改憲論はチェックされず、雇用の流動化(解雇促進)政策も自民党と同じ土俵にある民主党を野党として支持することはとうていできない。
 小泉の大衆収奪政治、国家主義的反動政治という本質的土台と闘うのでなければ、民衆サイドに立つ政党とは決していえない。
 今回参議院選挙においては、反自公保を掲げ、かつ民主党より左の政党、候補者、すなわち社民党、共産党、新社会党とその候補者への投票を呼びかける。もちろんこのことは、彼らが信頼でき、代表権を委任できるということではない。相対的支持である。    (七月十日)
 


グローバリズムに対抗する国際連帯仙台集会


 【仙台】「グローバリズムに対抗する国際連帯仙台集会―フランス労働運動の新潮流を迎えて」が六月十三日、仙台市で開催された(主催は実行委員会、事務局、宮城全労協)。
 フランスから参加したのは、SUD(連帯・統一・民主労組)のPTT(郵便電信電話)組合員のエルヴェ・ケレンさんと、RAIL(鉄道)のジョエル・ピエールさん。
 SUD―PTTは一九八〇年代後半、CFDT(フランス民主労働総同盟)中央から除名された首都圏地域を中心に結成され、その後フランス労働運動の高揚の中で急速に拡大してきた。PTT以外にも国鉄や教員を初め影響力を拡大し、また様々な社会運動の中心的な担い手になっている。
 冒頭、一九九七年のユーロマーチ(反失業ヨーロッパ大行進)の記録ビデオが上映された。時間不足が残念であったが、それでもユーロマーチの熱気は十分に伝わるものがあった。説明役のジョエル・ピエールさんは、実際にこの行進に参加したという。
 「果たして成功するのかという心配もあったが、行進が各国を通過するたびに連帯の輪が広がり、最後の六月十四日に合流し、アムステルダム市内を埋め尽くしたときは身体が震えるほどの感動であった」
 二人は集会で、SUDの経過、理念と方針、運動実態を各々報告した。なかでも興味深かったのは、労働運動とともに社会運動が発展しており、SUDはそこに参加するとともに、社会運動の担い手としても重要な位置を占めている、という点であった。
 労働運動や社会運動また農民運動でも、大衆的な抗議の激しさを伴って闘争が展開されている。日本では極めて困難な、もっと健全な大衆的実力闘争の伝統とでもいうべきものが息づいている、あるいは復活しているということだろうか。
 SUDの二人は当日、宮城全労協傘下の組合と個別の交流会をもち、当日たまたま仙台地裁で行われていたJRの不当労働行為に関する場に参加して日本の裁判システムを体験し、また集会終了後には多くの組合員たちと懇親した。
 懇親の場で熱っぽく語られたのは組合民主主義の問題であった。SUDは「指導部の知りえた情報の組合員と組合組織への開示」こそが組合民主主義のキーポイントである、と強調した。
 その具体的施策においては、相当の経験の蓄積があり、また日常的な検証もなされているとの印象を受けた。組合民主主義へのこだわりが並大抵ではないことは、組合専従の交替システムの徹底(現場労働者から二年間で二期まで)からも感じられた。
 言葉の壁に加えて、労働運動や階級闘争についての相互理解を確かめつつ交流しなければならないので、互いに一方通行の感はぬぐえないが、それでも次に向けたステップであった。日本の労働現場からヨーロッパを訪れる際には、貴重な経験となるだろう。
 ジョエル・ピエールさんは、「(国鉄労働運動に触れて)日本がこれほど悲惨だとは思わなかった」と集会で述べた。数時間を経て「SUDより前から闘い続けている労働者たちが、この日本にいることを知って感激している」という懇親の場における彼女の最後の言葉が印象的であった。       


    「陳独秀后期思想学術検討会」について

          佐々木 力氏にインタビュー                                                                  

  五月下旬、中国浙江省温州市において、上記表題の研究会が開かれた。この表題中の「后期思想」とは、陳独秀がトロツキー派になって以降の思想を意味している。ということは、文字通りトロツキズムについて中国内で正面から議論されたわけである。われわれにとって重大かつ感慨深いこの研究会には、日本から二人の研究者が参加していた。今回その一人である東京大学の佐々木力氏にお話を聞くことができたので、氏の了解のもとでその内容を以下紹介する。テープ収録を編集部の責任において文章化した。紙面の関係で上下の二回に分載することをお許しいただきたい。(編集部)

復権する陳独秀の后期思想(上)
  

中国トロツキズムに光が当てられ始めた
 
――中国で「陳独秀后期思想検討会」というものが開かれたことを聞きました。これはどういう研究会だったのでしょうか。
 今度の会は、二つのグループが主催団体でした。一つは中国共産党中央党史研究室第一部です。ここが党史に関してかなり細かに調べている。確かに毛沢東主義が中心にありますが、それにとらわれない。一九七八年以降は、ケ小平路線で古い中国の言葉で「実事求是」です。例えば陳独秀について何か「正統的」でないことをいう場合、前置きをして、これは「実事求是」だからと、今までの常識をくつがえします。
 さらに今年は建党八〇年です。建党時のことを取りあげれば、どうしても当時の最高指導者、陳独秀に光を当てざるをえません。もっとも最近わかったことでは、一九二一年七月下旬とされる建党日については学説的にはあやしい。例えば最近の石川禎浩氏の研究では、実際に建党宣言を発した日は一九二〇年十一月七日となっています。このときの中心がまさしく陳独秀なわけです。
 もう一つの団体は、中国現代文化学会陳独秀研究会というものです。ここには三つの要素があります。一つは陳独秀生地の安徽省安慶市の人たちで、誰であれ地元の偉人には偉人として敬意を表するという立場です。次に陳独秀の政治思想にアクチュアルな関心をもつ学者たちがいます。全国にいるようですが、政治学者です。第三が中国の老トロツキストです。
 陳独秀は中国共産党の建党者というだけではなく、中国トロツキストの最大の人物です。
 大陸に残った中国トロツキストでは鄭超麟が最も有名ですが、中国共産党の獄中に相当長い間いた人が彼以外ににも何十人もいることが「伝説的」には知られていました。事典の普通の記述では、陳独秀はトロツキズムから離れたことになっていますが、それにもかかわらず、今回それらのトロツキストたちが出てきたのです。
 こういうわけで、北京から共産党のかなり指導的な人が何人か、また中国科学院の有力な人、たぶんこれも共産党周辺の人と思われますが、この人たちを含めた会議となりました。

――佐々木さんはどういうわけで参加することになったのですか。
 今回の研究会については、対象が「后期思想」であること、また先ほどの老トロツキストの参加も間接的には耳にしていたので特に強い関心を持っていました。今回の研究会には中国トロツキズム最有力研究家である唐宝林氏の強い意向があったように思われます。彼はこの七月で定年を迎えると聞きましたが、その前に「后期思想」の研究会を持ちたかったようです。その場合は国外のトロツキズム運動の知識を入れるということも含め、国内で小規模でやるよりは、外国人の参加も得た方がよいという政治判断もあったのだと思います。
 それで唐宝林氏から私に招待があったので、弘前大学の研究者と二人で参加したわけです。

――会議の実際の様子はどのようなものでしたか。
 およそ三十人の参加でした。研究会の準備の実務を中心的に切り盛りした人はトロツキー派の老人です。この人は温州出身で、それで温州で開催となったようです。実は温州はトロツキー派の拠点だったところで、今も結構住んでいて、彼らが手弁当で会議を準備しました。ある老人は、獄中も含めこの四十年ほどまったく健康だったのに、会議が近づいたらワクワクして眠れなくなり、体調を崩して入院するハメになったと快活に話していました。
 彼らにとってはそれほど力を込めた会議だったようです。温州は靴工場や織物工場などの工業地帯です。ケ小平以降の改革開放では、今は深圳が先進地帯ですが、温州は建国以来の工業地帯としてつくられた。だからここでは労働力が必要とされ、彼らのようないわばすねに傷をもつ人たちも働きやすかったわけです。
 会議は三日間の日程で行われました。講演という形ではなく全部アトランダムな発言です。中国共産党の官僚が、司会やお目付役としているわけですが、彼らが冒頭に「禁じ手はない、思ったことはどんなことでも話してください」と発言しました。この研究会が、陳独秀がトロツキー派になった以降の研究会であることを承知の上での発言です。もっとも「全部を出版できるとは考えないでください」との発言も付け加わりましたが。
 一番発言が多かったのは老トロツキストたちで、何にでも口を出すという感じで、とにかく元気。この人たちが全国から、数は伏せますが、参加しました。温州からが最も多い。
 
次の道の模索
 
――会議の意味あるいは特徴点をどう考えていますか。
 陳独秀研究会の実態については、私自身は今回までほとんど知りませんでした。私が知っていたのは「陳独秀研究動向」という季刊程度の薄い冊子です。これは市販本ではないのですが、これに鄭超麟が書いていたことがありました。
 しかし研究会がこれまで十回近く開かれていたことは今回初めて知りました。一九八九年秋頃から一年ないし二年に一度、各地で開かれてきています。
 今回はその中でも特別な位置にあります。
 第一は、トロツキー派になって以降の陳独秀を対象にし、それを本格的に議論する初めてのものです。
 第二に、中国トロツキストは、中心部分が一九五二年十二月二十一日深夜に一斉逮捕され、全国レベルに逮捕が波及していくわけですが、その一九五二年以来、トロツキストがかなりの数で参加して発言する会議も初めてです。
 第三に、トロツキーに関心をもつ人たちが外国から参加することも初めてです。その意味で歴史的な意義をもつといってよいと思います。

――従来の中国共産党の路線からみると驚くべき会議ともみえますが、どうしてこれが可能になったと思われますか。
 確かな根拠に基づいたことはいえませんが、背景は指摘できます。何よりも「実事求是」の復権があります。党のコントロールがまったくなくなったとは思いませんが、天安門以降では、陳独秀は民主化を社会主義の方向で進めていくうえで、かなり重要な意義をもっています。
 社会主義の内部からもっと民主主義をという場合、アナーキズムはもういませんが、トロツキー派は香港で実際に活動しているわけです。しかも陳独秀の後期思想は民主化にも関係してくるらしいということで、相当熱心に読まれている。著作集が一九八九年以降に二度ほど編まれ、何度も刷りを重ねています。
 他方でトロツキズムの国際的動向も注視されています。「陳独秀研究動向」には、党のかなりの幹部の人の海外見聞が載っている。労働組合運動や組織活動に注目した、それらの海外トロツキストの動きの紹介もまた、陳独秀の後期思想への関心を高めていると思います。アメリカの報告を書いた党の指導的人物は「托匪(注)は友党としていいみたいだ」と個人的には言い出したりしています。そのへんが海外のことを知りたいという欲求になっているのでしょう。
 
――何が主要に討論されたのですか。
 三つあります。一つは陳独秀がどうしてトロツキー派になったのか。二点目は参加者が一番熱心に議論した点ですが、トロツキー派になって以降のプロレタリア独裁論、民主主義論。天安門以降、民主化が叫ばれて、陳独秀の名が浮かんできます。それが自然なのは、五・四運動(一九一九年)時代の彼のスローガン「民主と科学」、すなわち「デモクラシーとサイエンス」。中国語では「徳先生と賽先生」。
 これを首尾一貫させ、民主主義の追求の果てにトロツキー派になった、そう考えていいからです。その意味では、近代中国の研究者には民主というとまず陳独秀なのです。このことが理解されないと、何で陳独秀がそんなに話題になるのかがわからない。
 第三は、伝記的事項として陳独秀は最後までトロツキストであったという点。この点では私も一定の貢献ができました。私に印象深かったことは、温州についた最初にトロツキー派の老人が、陳独秀は最後までトロツキー派だったと話したことです。彼らは世代的に離れているので、陳独秀とは接触してはいなかったわけですが、しかし自分たちが読んだ陳独秀の論文や文献からの印象からそういっているわけです。
 (以下次号に続く) 

注 トロツキーは中国語では托洛茨基と表記される。トロツキー派は「托洛茨基派」、略して「托派」となる。匪は匪賊と使われるように反逆者やアウトロウなどを指す。国共内戦時には共産党は国民党によって「共匪」と呼ばれた。ここでいわれる「托匪」もそうした文脈で中国共産党が使用したものだろう(編集部)。

国際青年キャンプ、その教訓を学ぶ
                   主催者にインタビュー
第十九回国際青年キャンプは、七月二十二日(日)から二十八日(土)の一週間、イタリアのローマ近郊で開催されることになった。これは、欧州の第四インターナショナル組織のイニシアティブによって過去十八年間開催されてきた革命的な青年を結集する国際キャンプである。今回の青年キャンプは、イタリアのjジェノバで行われるG8サミットに抗議する二十一日の大規模な闘争に引き続いて数百人の戦闘的な青年を結集して行われる。キャンプでは、資本主義のグローバリゼーションに反対する諸行動の教訓が導き出されるとともに、衰退期に入った資本主義の野蛮さに取って代わる「新しい世界の可能性」について議論することになっている。第四インターナショナルとそのイタリア支部を長きにわたって指導してきたリビオ・マイタイン同志が、七月二十一日の日曜日夜にイタリアの若い同志とともに開会を宣する。一週間にわたる議論や各種教育活動、楽しいキャンプ行動は、二十八日の大集会でもって終了する予定である。インターナショナルビューポイント誌は、主催者の一人にこれまでの教訓やキャンプの内容などについてインタビューを行った。


――七月のG8サミットに対する行動は、資本主義のグローバリゼーションに反対する運動にとって次の中心的な目標の一つですが、どんな行動が行われると考えていますか。
 ジェノバG8に抗議するデモは、反グローバリゼーション運動にとって非常に大切な行動です。とりわけ三月に闘われたOECDナポリ会議抗議デモが大きな支持を受けたのですから、今回のサミットに対して動員する対象を青年層や労働運動においてもっと拡大することができます。これから七月まで、あらゆる可能性をつかまえてジェノバ行動を、より大衆的に大規模にしていく必要があります。そのために毎日、様々な社会層、とりわけ不安定雇用層や学生、失業者に働きかけてデモの準備活動を行ってもらったり、デモへの参加を拡大していきます。

――第四インターナショナルと連帯する青年キャンプは、G8サミット抗議デモにひきつづいて、その翌日にイタリアで始まります。二つの行動がどのように関連していると考えますか。
 今年の国際青年キャンプは、資本主義のグローバリゼーションに反対する国際的な運動やこれに関連する議論と無関係なものではありません。というのも、今回のキャンプの中心的なテーマの一つが、反グローバリゼーション闘争そのものだからです。ジェノバ行動の直後にキャンプが開催されるという事実それ自体が、ジェノバ行動に参加した戦闘的な青年の少なくとも一部と一週間行動を同じくする可能性を提供しており、それを通じてジェノバ行動を初めとする反グローバリゼーション運動を総括し、各国における運動を政治的、社会的に強化していくために有効な教訓が導き出されるでしょう。

――イタリアの青年たちは、反グローバリゼーションの運動にどのように合流しているのでしょうか。
 イタリアにおける反グローバリゼーション運動の大きな特色は、青年の参加、動員にあります。グローバリゼーションや環境破壊、ネオリベラルによる社会的諸権利や民主主義の剥奪といった問題に関して、青年が行動に起ち上がっています。
 現在のイタリアでは、かなりの青年層において戦闘化、政治化の現象が生じています。様々な闘いの準備や調整にあたる組織の数は多く、しかも多様です。そうした組織としてPRC(共産党再建派)の青年組織である共産主義青年、ソーシャルセンター、ヤバスタ、学生組織などがあります。地域や学校、職場、労働現場で日常的にグローバルな資本の攻撃に対して闘争や運動をどのように組織するのか、あるいは地域ごと、課題ごとの個別の運動をより全般的な反グローバリゼーションの運動にどのようにして合流させていくのかという難しい問題は、確かに存在しています。

――あなたは共産党再建派青年組織GCのメンバーであり、第四インターナショナルと関係するバンディエラ・ロサのメンバーでもありますが、二つの組織の活動について教えてください。
 GCは現在、共産主義政党と結びつく唯一の青年政治組織――全国的であり、ネオリベラル政治に代わる左翼路線を提出できる――です。その結成以来、とりわけ大学と高校に集中的に働きかけてきました。シアトル闘争以後、GCは、反グローバリゼーション運動の強化・発展のために取り組み、様々な国際行動にイタリアの青年を組織し動員しました。GC内部では、その建設に貢献するとともに、ネオリベラルに対する世界的な闘いが必要であるが、それと同時に資本主義に代わるまったく新しい社会のための反資本主義の闘いもが必要であるという革命的な政治見解の普及に努めています。

――キャンプはイタリアで開催されますが、国際的なものであり、かつ自主運営されます。どんな風に具体的な準備は進められていますか。
 キャンプのテーマや討論題目、政治活動やレジャー活動の内容については、イタリアが単独で決めてはいません。キャンプのプログラムは、第四インターナショナルと連帯する青年組織が議論をして決定したものです。各国の青年組織が、キャンプにおけるフォーラムや集会などでの議論を組織する責任を共有しています。キャンプは、政治議論をする場だけでなく、経験を交流・共有し、共同の作業をしたり、リラックスして楽しむ場でもあります。そして一切の活動が青年のイニシアティブによって実行されます。
(インターナショナルビューポイント誌5月、331号)

ブラジル
FTAAに関する国民投票
アロイジオ・メルカダンテ(労働党)


米国の本当の狙い

 米州自由貿易協定(FTAA)は、米州地域の貿易自由化を推進するものと主張されているが、その本当の狙いははるかにこれを越えている。
 FTAAはもちろん、アメリカ合衆国の戦略であり、自らが特権を行使できる経済圏を拡張することを通じてラテンアメリカに対する支配を確立・強化しようとしているのである。FTAAの導入は、自由化の拡大、経済・金融の規制緩和を意味しており、これはラテンアメリカ諸国の政治的な弱体化をもたらし、その経済をより不安定なものとする。
 FTAAへの統合過程が進展しており、一九九四年十二月にアメリカのマイアミで開かれた第一回米州会議以降の進行軌道上にある。
 会議では、九つの交渉グループと三つの特別委員会が設立され、これらが関税障壁や各種補助金の削減、反ダンピング政策、補償方法などを規制する規則や基準を決定することになった。これら以外の極度に敏感な問題、例えば投資(資本逃避や国有化などに対する外国資本の保護策)、政府の購入活動(外国資本にも市場を開放)、知的所有権(企業、特に医薬品とバイオテクノロジー分野での企業利益を保護する)、サービス(この分野を外資に対して大幅に開放する)といった問題も処理されることになった。
 それ故に、以上の点に関する提案が実現されるなら、それは全分野で影響を与えることになるし、その影響は十分に予測可能である。というのは、合衆国(US)とそれ以外のラテンアメリカ諸国全体を対比した場合、その規模(USの国内総生産GDPは、この半球の七一%)ばかりでなく、生産性や生産規模、効率性、競争力の面でもUSが他を圧倒しているからである。
 こうした事情があっても、いくつかの小国経済に利点がもたらされる可能性は排除できないが、そうした利点があったとしても、それら諸国はUS経済の衛星圏としての地位を強めていくばかりである。また少数の事業や部門がFTAA統合過程の恩恵を受ける可能性は、確かに存在する。しかしながら規模が大きくなったラテンアメリカ経済は、FTAA実現の結果として、得るものよりも失うものの方がはるかに多いだろう。
 そしてブラジルこそは、失うものが最大となる。ブラジルは、多国間貿易を行う大陸規模の経済であり、単なる輸出先にとどまることなく、この地域でUSのヘゲモニーに対抗できる潜在条件を有している唯一の国である。
 ブラジルの生産構造とその資源は、US経済を補足するものではない。そうではなく、例えば自動車、鉄鋼、オレンジジュースなどで、USと競合しているのである。ブラジル生産システムの統合水準や生産規模、技術開発力などは、USのそれらに比較するとはるかに低いが、それ以外にも道路や輸送手段といった社会的な経済基盤が非効率であり、こうした諸条件によって、グローバル経済における生産性や競争力といった面でブラジルは非常に弱い立場に置かれている。
 こうした状況において商品、サービス、資本の流入を自由化するなら、ブラジル生産システムの構造と力学に破滅的な影響を及ぼすことになる。

新植民地主義への回帰

 最近数年間の経験は、FTAAが実現したならどんな事態となるかをはっきりと説明している。商品市場を外部に急速に開放したことは、「レアル計画」による通貨の過大評価と相まって、さらに脱工業化を引き起こし、外部経済との商品交換において損失を拡大した。
 例えば一九九四年から一九九七年にかけての期間、USへの輸出は五・二二%ほど増加したが、同国からの輸入は一一五・六二%と飛躍的に急増した。そして一九九九年の通貨危機のために一九九〇年代初めの「過大評価」が幾分修正されたが、それにしても一九九四年から二〇〇〇年の期間、貿易収支は依然として極端な赤字だった。
 だからブラジルにとってFTAAに関する問題とは、統合の形態やその条件、あるいはタイムリミットにあるのではない。問題の核心は、FTAAがあれこれのグループにとって一時的な利益があるとしても、ブラジル全体の戦略的な利益と合致していない点にある。こうした状況を十分に考慮して、われわれを新植民地主義の状態に戻しかねないFTAA提案に「ノー」と回答する必要がある。
 ブラジルは、スーロ・ゴメス大臣やイタマール・フランコ、フェルナンド・エンリケ・カルドーソ両大統領の指導によって世界貿易機関(WTO)に加盟したが、それは間違いだった。同じ間違いが、FTAAに参加するというブラジルの態度表明や地域経済協定撤廃を阻止しようとするイニシアティブの不在、ブラジルの主権や独自性を維持できるような新しい統合を模索する討議を促進するイニシアティブの不在として繰り返されている。
 FTAA計画には、西ヨーロッパの共同市場統合と共通するものはない。
 ヨーロッパ連合(EU)は、三十年以上の十分な時間をかけて検討された。しかも米州よりもはるかに均質な経済圏での交渉であり、そのうえで大陸規模の各種機構・制度、労働市場、貿易自由化によって大きな打撃を受ける経済主体への補償措置がつくられた。FTAAの場合は、EUのような条件はなく、労働市場はUSとメキシコを隔てる国境を壁として分断されている。だから、これまで述べたのと同じ理由で、FTAAという新植民地主義的な計画に対する政治的な抵抗を行うことが重要なのである。
 われわれPTは、以上を考慮してFTAAに関連するすべての問題を議論する特別の委員会を創設するよう議会に提案している。そしてFTAAに関する国民投票を行うプロジェクトを導入しようとしている。
 FTAAとは、われわれが服さなければならない歴史的な道というわけではない。FTAAに関して「ノー」ということは、ブラジルの主権を守ることである。サムエル・ピンエイロ・ギマラエス大使は最近行ったインタビューにおいて、FTAAに「ノー」ということは、自給自足経済の立場をとったり、USを初めとする各国や経済圏との経済交渉を拒否することを意味するのでないと主張した。それは、すべての交渉において国民的利益を非妥協的に守る基準を確立しようとすることなのである。
(インターナショナルビューポイント誌5月、331号)
イタリア共産党再建派(PRC)
         次回党大会へ論争始まる
                      リビオ・マイタン

PRCに攻撃が集中

 PRCは、選挙運動の間やその結果が発表された以降も、激しく攻撃されてきた。
 オリーブの木連合のスポークスパーソンやいわゆる民主派系・左派系ジャーナリスト、知識人指導者などは、PRCに対する理由なき攻撃を繰り返し、ことにその書記長に対してはベルルスコーニが選挙に勝利して首相になるのを助けたと非難した。
 事実、意識的かそうでないかは別にして、これらの人物は、原則とは完全に無関係な「政治屋」的な発想を駆使した。「理念、綱領、プロジェクト、そんな物はくずかごに放り込んでおけ」。つまり重要なのは、選挙に勝って議席を増やし大臣の椅子を獲得することだ、というわけである。オリーブの木のある候補者は、PRCとの政治合意は非常に困難であり、PRCと連立して政権を担うことはそれ以上に困難であると認めた。
 そうしたこと以上に、この五年間にオリーブの木は、ネオリベラル・親帝国主義路線をとり続けただけでなく、基本的に民主主義に反する選挙制度を採用したりして、自ら選挙の敗北を準備してきたのであった。
 その選挙制度は、上院のシステムを訂正しようとせず、下院に関してはベルルスコーニの政党と合意をして、共和国大統領の警告を無視して詐欺的なものとした。
 要するにPRCを非難するすべての人は、たった一つの本質的な事実を想起すべきなのである。すなわちPRCが要求した比例制の選挙制度であったなら、ベルルスコーニが多数派になることはなかったのである。
 もしオリーブの木とPRCとの間で選挙協定が締結されていたとしても、両者の得票が同じようになっただろうとは何も証明されておらず、むしろPRCの支持者の一部が棄権に回り、オリーブの木支持者の一部は中道右派への投票に転換したと考えられるのである。
 PRCが、前ユーロコミュニスト党(旧共産党)であるDS(左翼民主党)左派のみならず、一貫して中道左派政権を批判してきたいわゆる戦闘的左翼の一部からも攻撃されたきた事実を強調しなければならない。上院の比例区(定員の二五%)でPRCへの投票を呼びかけた人々は寛大であったが、定員一人の小選挙区では立候補しないというPRCの決定がオリーブの木の獲得議席を三十程度増加させるであろうことを忘れた人々は、上院選挙でのPRCへの投票を呼びかけることを拒否した。
 この記事の筆者である私は、日刊紙マニフェストの攻撃対象となった。この急進的な左派新聞は、上院ローマ選挙区PRC候補による短いアピールの掲載を拒否したが、同紙は投票日の直前になって、その一頁全体を使ってリビオ・マイタンやその他のPRC候補に投票すべきでなく、オリーブの木候補にむしろ投票すべきだと主張した。これに反撃する時間的余裕はまったくなかった。私の対立候補は、アマート政権の閣僚を務めたDSであり、アマート連立政権が行ったすべての決定――コソボ戦争を初めとする社会経済政策と政治決定――を支持したのであった。

戦闘的野党のイメージ

 PRCは、こうした攻撃にもかかわらず両院で五%の得票を実現し、上院で四議席、下院で十一議席を獲得した。連立の外部にとどまった政党のうちで唯一四%の壁を突破して議席獲得に成功したのであった。その他の小政党では、緑の党がことに不満足な結果に終わった。緑は、社会主義インターナショナルに属する小さな社会主義組織と「ヒマワリ」という名の統一候補者名簿で選挙を行ったが、二・九%の得票率だった。
 一九九八年十月にPRCから分裂して結成されたイタリア共産党はわずか一・七%の得票に終わり、DSは同党に下院小選挙区で数人の議員と上院議員を割り振り、DS補助輪の役割を辛うじて果たすことになった。
 PRCの選挙結果は、所与の状況においてのみ満足できるものであることを認めなければならない。
 一九九六年選挙では八・六%の得票率だったからである。ただし一九九九年の欧州議会選挙では四・三%の得票率にとどまった。以上の事実から引き出される結論は、PRCが依然として戦闘的な野党のイメージで大衆的な影響力を確保しているのであって、部分的な例外はあるにしても本当に社会的に定着しているとはいえない、ということである。PRCの選挙運動は完全に自律的に行われ、書記長の戦闘的な奮闘が特筆され、選挙集会には多くの青年が参加した。
 疑いもなく最大限の成功を示すイニシアティブはローマで実現された。ここの集会には、多数の知識人が参加し、非常に熱情的な雰囲気が醸し出された。書記長の演説で最も情熱的だったのは、そして最大の拍手が送られたのは、次のような発言だった。
 「資本主義と技術革新は社会の進歩とは別個の無関係なものであり、現在、その根元的な矛盾が露わになりつつある。他方、政治は、市場と企業との論理を批判できることを、その批判の最高の高みである革命を再び進めようとすることができるという条件においてのみ、意味をもつのである」

PRC内部の議論

 PRCの機関、全国政治委員会は五月二十六、二十七日に会議を開き、選挙戦を総括した。これは事実上、来年春に予定されている次回党大会に向けた議論の開始であった。
 中央の指導機関である書記局内部に存在する対立する見解が表明された。特にDSあるいはリベラル左派に対する態度の取り方と、組織問題に違いがはっきりと現れた。
 共通の前提は、自律した党建設を追求することである。しかしながら現局面において追求すべき路線に関して見解の分岐が存在する。一方は「継続派」と呼ばれ、この派にとっては旧共産党は依然として基準点であり、かつての党のあり方を刷新する必要を多くは認めない。そして近い将来に党大会を予定しているDSに対しては、その路線の転換を要求する。
 微妙な違いを別にして、DSのジレンマは次のようなものである。すなわち政党としてのオリーブの木総体を初めとするアメリカ民主党型の党建設を追求するのか、それともオリーブの木を連合体として維持し、その内部でDSがヨーロッパ型社会主義路線で社会民主党としての役割を果たすのか、というジレンマである。
 PRCは、セクト的な態度をとらないよう十分に配慮しており、いわゆる穏健あるいはリベラル左派との対話を行っている。PRC書記長は「複数主義左翼」を提唱したことがある。フランスの経験に言及したが、現在では作業仮説として主張しているようだ。
 主張の結論において書記長は、フランス共産党の現在的な困難とLCRおよびLOという連立政権に属さない二つのトロツキスト組織が果たす役割に注目している。フランスの具体的な条件下で存在している運動と路線は、イタリアで、PRC内部で見出されると予測しているのは、根拠がないわけではない。
 発言の最後で次回党大会で議論されるべきテーマについて、次のように言及している。すなわち国内・国際情勢の体系的な分析、ネオリベラルによるグローバリゼーションの論理と大胆に決別することを促進する路線の明確化、以上を視野に入れたシアトル―ポルトアレグレ型の運動構築の三点である。
 われわれは、そうした考え方を共有しており、第四インターナショナル内部で議論されているのと基本的に同じ問題だと考えられる。そうだとしても、こうした政治的な考え方、方法論と党の実際の姿との間には大きな落差が存在していることを強調しておかなければならない。
 今回の選挙戦では、問題のある運動があった。それらは、一部指導者にみられた選挙主義や完全な日和見主義の主張や実践としてあった。それらの行動は、党規約に違反するだけでなく、選挙運動のために定められた行動基準にも反するものであった。
 党指導部は、両院議員グループのそれぞれの代表を選出するという定められた任務を実行した。下院では前の代表が多数で再任されたが、上院ではミラノを基盤とするアルファロメオ工場の労働者活動家であるトロツキストが満場一致で選出された。このトロツキストは、フィアット社を不当解雇されたが、先のメーデーに結成されたコバスという労働組合連合体の中心的指導者の一人である。
 上院の建物において、このトロツキストが同じく上院議員であるフィアット社の経営者に遭遇する機会があろう。トロツキストは、彼の不当解雇に関して裁判で二度にわたって勝利を収めている。現在、控訴院の判決を待っている状況である。
(インターナショナルビューポイント誌6月、332号)
 

PRC上院議員に聞く


 ジージ・マラバルバは、三月十三日の選挙で選出された三人の上院議員の一人である。一九七〇年代初めにミラノにある自動車工場アルファ・ロメオで働き始め、この工場で二度にわたって闘われた厳しい闘争に参加した。最初は民営化に反対する闘いで、二度目は新しい経営者であるフィアットによる工場閉鎖との闘いであった。彼は、PRC内部で第四インターナショナルを支持するグループ、バンディエラロサと共産党再建派(PRC)の指導者の一人である。
 彼はまた、戦闘的な労働組合連合組織シンコバスの創設者の一人であり、現在、そのスポークスパーソンを担っている。この組織として彼は、イタリアにおける反グローバリゼーション闘争と反失業ヨーロッパ行進を展開した。

――選挙結果についてどのように考えていますか。勝利すると思っていましたか、それとも予想外の勝利ですか。
 予想は非常に困難でした。しかしミラノでも全国レベルでも立派な選挙運動を展開したと自負していました。選挙戦では、社会闘争の重要性と労働界の代表を議会に参加させる必要性とを強調しました。私の選挙区では、PRCは多数の票を獲得しました。
 いずれにしても私が選出されたことは、党全体が非常に良好な成績を獲得した結果です。五%の得票率を実現し、議席獲得に必要な四%の壁を突破しました。この壁を突破したのは、二つの中道左派と中道右派の連合組織以外ではPRCだけです。

――労働組合での位置と関連して議会でどんな活動を実行しようと考えていますか。
 現役の労働者が議員になったということは、議会全体でおそらく私だけでしょうが、労働現場における諸闘争への強力な関与を実現することになります。そしてイタリアでは現在、現場における闘争が活発化してきています。
 国民、とりわけ青年のますます多くが結集しつつある、ネオリベラル政策への反乱である反グローバリゼーション行動を代弁することが非常に大切だと考えています。
 ネオリベラル政策はまさにベルルスコーニとその政権の路線の核であり、だからジェノバで行われる七月サミット抗議行動から始まって、反グローバリゼーション運動こそが私たちの社会的、政治的な反対闘争の中心となるべきだと考えます。
(インターナショナルビューポイント誌6月、322号)