1990年10月           労働者の力               第14号

国連平和協力法案粉砕  自衛隊の海外派兵を阻止せよ

イラクはクウェートから撤退せよ  多国籍軍の即時解体


川端 康夫

 イラクのフセインボナパルティズム政権によるクウェート侵略、併呑という軍事冒険主義は、米ソ協調、東西対立の終了という時代における世界政治構造の複雑さをさまざまな形で凝縮的に明らかにした。スターリニズム型社会主義の行き詰まりとそれによってもたらされた東西対立関係の終了、そこにおける反植民地革命と「労働者国家」の反帝国主義同盟関係という戦後史の一時期の性格が終了してしまったという時期にあって、民族主義運動がボナパルティズム独裁として表現されている。とりわけ社会主義運動の廃虚ともなっているアラブ世界において、その傾向は顕著である。社会主義運動にたいする徹底した弾圧と民衆にたいする強権の独裁に彩られたフセイン政府に代表されるボナパルティズムを、反帝という文脈でくくってしまうことはできない。東西対立時代の論理に依拠できない新たな時代が「国連中心主義」を浮上させている。だが、まさに帝国主義の時代が不断につくりだす矛盾、限界が本質において社会主義運動の真の復権を要求していると言わなければならない。

 1 民族ボナパルティスト、独裁者フセインの冒険主義がクウェート国家の併合に向けられ、一日のうちにクウェート完全占領が終了してのち、世界の帝国主義はまさに大急ぎで、サウジアラビアと湾岸諸国防衛の名目で大量の遠征軍を組織した。
多国籍軍と称するアメリカ軍中心の連合軍は、サウジアラビア防衛の範囲をはるかに越える戦力によって武装し、イラク制圧の準備を整えつつあり、その真の狙いがフセイン政権の軍事的壊滅にあることははっきりしている。
 フセインとそのバース党政権の行為を支持する者は数少ない。ほとんどは、その侵略行為を批判する。だが同時に、帝国主義者ブッシュによるベトナム侵略以来最大の軍事力の動員とフランス、イギリスのスエズ戦争を思い起こさせる軍隊派遣―それを国際連合が承認したかのようにしむける行為にたいして、また同様に世界の人民は警戒の意識と嫌悪感を持ち始めた。
 フセインとブッシュ、このいずれにたいして、より強く反発するか。色分けはこのようにして導き出されているように見える。だが問題とされているのはその両者への闘いを貫くことである。全世界の人民、とりわけアラブ世界の民衆にとってまさに無益である戦争――それは破局的な、核と化学兵器の公然使用の戦争となる可能性をもっている――に反対し、阻止することである。湾岸地域の帝国主義軍とイラクのクウェートからの撤退が要求されなければならない。

 2 日本では自民党政府による自衛隊海外派兵への動きが全面化した。
 アメリカとその同盟国軍にほかならない多国籍軍への直接的協力としての二十億ドルと周辺諸国への援助二十億ドルの「中東貢献策」なるものを実施するとともに、「国連平和協力隊」への自衛隊派遣の法制化が提案されようとしている。
 公然たる軍備と武装への野望を隠さない自民党と民社党の政治傾向は、「国連中心主義」が一定程度持っている世論形成力を利用する手のこんだ術策に訴えたのである。長年の狙いであった海外派兵に道を開く絶好の機会と捉え、「国連平和維持軍」への参加という幻を演出している。
 世界秩序防衛の責務を果たす日本という幻影のもとにアメリカ軍と同盟し全世界を対象とする日本軍隊像がうろつきだした。事態は、日本とアメリカの同盟関係による多国籍軍への直接の支援、協同体制への踏み切り、および国連中心主義を名目とした自衛隊海外派兵法制化の動きとして煮詰まった。
 いま持ち出されている「国連中心主義」は、日本政府にとってアメリカ軍とともに行動する海外派兵のための政治的マヌーバーに過ぎないことも明らかである。海外派兵がなんらかの形であれ、いったん法制化されたなら、国連中心主義のマヌーバーはいつでも簡単に投げ捨てられるであろう。アメリカ帝国主義が国連中心主義に本質的に服したことなどは一度もない。その同盟国軍隊としての日本軍隊を形成するという、自民党政府およびその露ばらいの役を買って出ている民社党方針を粉砕することは、日本人民の最大の課題となった。
 アメリカの軍事的同盟者としての軍隊の派兵と軍事費の負担は、日本がアメリカとの国家同盟にあり続けるかぎりつきまとうのである。これと対抗する人民の論理は、アメリカとの同盟関係を清算せよ、と明確にする以外にはありえない。日米同盟関係の問題が、日本人民にとってあらためて、歴史的進路選択を問う問題として登場した。

 3 国連中心主義の主張がアメリカ帝国主義への牽制という役割をある程度果たしていることは事実である。とりわけ、アラブ問題の一定の解決にとって、パレスチナとイスラエル問題を避けて通ることができないという認識を浮上させる側面を伴っているからである。
 ソ連、中国の態度には明らかに多国籍軍としてのアメリカ軍の展開とイラクとの直接的な軍事衝突、すなわち多国籍軍によるイラク攻撃という図式への警戒と牽制、そして対案の意識がこめられている。ソ連は当初から国連中心主義をとり、具体的には国連軍の組織化の方向を提唱し、アメリカ主導による多国籍軍の正当化に対置した。中国はより穏和な解決を国連機能の発動に期待した。
 ソ連が、イラク制裁に関して国連軍による軍事力発動というニュアンスをこめた発言を行っている理由は、アメリカ軍である多国籍軍を解体しそれに代わる実体をもった政策が要求されていることを意識しているためであろう。
 ソ連(および中国)の力の衰退の影響は覆い隠せない。このことは、多国籍軍の展開に明確な批判の態度を表明しえていないことに明らかである。
 だが、アメリカによる大量の軍隊派遣とイラクへの戦争の準備の進行に関して、ソ連が屈服した、あるいは共犯者となったという評価はあたらない。ブレジネフ時代の軍事的プレゼンスに依拠する影響力拡大、膨張という脈絡でゴルバチョフのソ連が独裁者フセインを支持することはもはやないと言うべきなのである。新しい論理のもとでは、ソ連はイラクの侵略行動の批判者である。ブレジネフ時代のようなパワーポリティックス政策の放棄は必要であり当然である。
ソ連(中国)にとって、国連機能によるアメリカの規制の模索は、アメリカの政策の矛盾をついていくことになろう。国連にたいするアメリカの二面性はパレスチナ問題に顕著であるし、グレナダ、パナマに示されたアメリカ帝国主義の中南米諸国人民にたいする直接の武力侵略は、国連憲章の主旨からして、まさに制裁の対象そのものだからだ。

 4 現在までのところ、一方では、日本政府の海外派兵論やドイツ軍隊の同様の志向への道の誘い水のような役割をはたし、他方では、平和的、政治的解決と国連機能のもとでの安定(一時的なものにすぎないものではあれ)を模索するという新たなシナリオが、イラクとアメリカ以外から提出され始めた。パレスチナ問題解決をふくむミッテラン構想の提唱は、ソ連(そしてたぶん中国も)の立場と共通する文脈を持っている。これは、国連中心主義を持ち出したソ連、中国にとって成果である。アメリカ政府による国連中心の集団安全保障機能への賛意を引き出すものともなった。
 どさくさまぎれに乗じようとする日本政府の平和維持法構想にたいしては、中国はすでに重大な懸念を表明した。ソ連にとっても統一ドイツの軍事力がヨーロッパ共同体の範囲を越えることは承認できるものではない。
 アメリカは、ソ連の「国連軍構想」に対応したほうがいいという政治判断をした。ソ連、中国を武力行使の敵対者に追いやることは、あまりにも政治的に拙劣な行為である。アメリカは国連の機能に従おうともしなければ、そのような機能を作り上げようともしてはこなかった。
 アメリカが多国籍軍に訴え、国連の機能を極力低めようとしてきた背景には、イスラエルの侵略と占領を既成事実化し、同時にそうした事実を許容するアラブ世界の秩序を構築するという意図があるといわなければならない。国連機能はアメリカにとってここではまさに制約であり有害なのである。
 ブッシュの国連機能重視発言は、こうした政策体系への世界的反発に対処するマヌーバーにほかならないであろう。ブッシュは多国籍軍の解体を言うのでもなく、イスラエのパレスティナ占領からの撤退にも言及しない。だが、明らかにアメリカ軍を中心とする多国籍軍の行動は制約されつつある。

 5 「国連中心主義」は、国際政治の新たな駆引きのテーマとなった。
 国連が、東西対立時代の終了という局面において、いかなる実効ある存在となりうるか、多くの疑問符がつけられる。
 相互に利害の対立する国民国家の存在という現状をそのままにして矛盾と対立を克服することは不可能であるという理論上の問題のみならず、アメリカ帝国主義を規制しうる力を持ちうるか、超大国支配という現実の矛盾を克服できるかという現実的課題としても問題は山積している。
 日本の自民党政府の国連平和協力隊構想は、ドイツと日本の安保理常任理事国への展望が背景となっている。大国(=アメリカ)主導の国連、大国(=アメリカ)による国際秩序形成への全面参画ということにほかならない。まさに非軍事国家を理念とする戦後国家像への最終的挑戦である。
 いくらかの可能性が国連にあるとすれば、世界の憲兵として行動する野望を隠さないアメリカ帝国主義を抑止し、かつ相互に軍事的プレゼンスに頼り、針ねずみのごとく武装し、軍事侵略に解決の手段を見いだそうとする諸関係に対して、民衆レベルの民主主義と平和への行動を背景とする、非軍事的ななんらかの解決あるいは妥協としての調整の機能、役割を一定の期間、はたしうるかどうかである。
 こうした機能への民衆的レベルの期待感を頭から否定することはできない。全世界的に社会主義への現実的期待と運動が重大な挫折、困難に遭遇している今日、一挙的な矛盾の根本解決=国家の廃絶を展望し、対置することは夢想であるし、最後通牒主義でさえある。
 国家の止揚の課題はまさに長期的な、世界社会主義の闘いを必要とする。
 矛盾の止揚としての国家の解消、死滅へとつなげていく、世界社会主義の新たな歩みを人類の新たな歴史段階として獲得しうるかどうか、その方策はなにか。国家の世紀であった二〇世紀の終わりを迎えようとしている今、きわめて重い歴史課題があらためて問われていると言わなければならない。

 6 最悪の部類に属するフセイン独裁体制の軍事冒険主義の発動は、正当化のための多くをアラブ統一と帝国主義との対抗の論理に依拠している。その権力の実態がまさにボナパルティズム独裁そのものであるがゆえに、以上の論理は虚偽そのものにほかならない。
アラブ世界の代弁者の姿をとって仕掛けたイランへの侵略戦争は、シーア派革命の姿をとった民衆エネルギーの爆発におびえるスンニ派などのイスラム支配層の支持を受けた。その目的の達成が不成功に終わるや、次にイスラム支配層にたいする民衆の反抗の代弁者の装いをもって、アラブ石油資源へのヘゲモニー掌握を日程にあげたのである。
 ボナパルティスト・フセインの行動が、民衆のレベルで一定の正当性を持つかのような根拠は、まさに世界帝国主義が支配する政治的、経済的秩序にたいする強烈な抵抗と反発が存在していることによる。さらに、イスラム諸国の王政の姿をとる支配層の石油富豪という姿は、貧困にあえぐ民衆の反発を不断にかき立てるだけである。
 イスラム革命としてさまざまに噴出する民衆のエネルギーは、それがこの地帯における社会主義運動の歴史的敗北、壊滅という現実に即しているだけに、不断にボナパルティズムの落し穴に導かれる。
 ボナパルティズムは社会主義運動の撲滅を通じて自己を増殖してきた。
 民衆への強権と独裁を共通にするボナパルティズムは、それぞれの利害にもとづく東西両陣営の支持をとりつけ、パワーポリティクッスをあやつり、あるいはあやつられながら再生産されてきた。
 東西対立時代の明らかな変化は、こうしたボナパルティズムにとって死活をかけてきた国際的政治構造に重大な変化が始まることを意味する。石油地帯に存在することをもって国際的パワーポリティクッスのはざまに権力の国際的保証をとりつけてきた、そうした政治構造の変化が避けられない時期に、イラク・ボナパルティズムの自己肥大化と軍事的拡張が石油資源にたいするより強大なヘゲモニー獲得を目的として開始されたことは、単なる偶然であるとはけっして言えない。
 反帝国主義的な性格を帯びて不断に再生産される民衆のイスラム、アラブ民族主義のうねりにより強固に結び付くのでなければボナパルティズム権力の基礎の動揺は解体の危機につながるであろう。より強く帝国主義に結び付き、その庇護のもとに、民衆の不断の敵意に囲まれながらも強権に依存して生き延びようとするエジプト、ムバラク政権の道かそうでない道か。
 前者の道がいまやイスラム世界の一大潮流である原理主義の姿をとる新たなボナパルティズム台頭への歯止めにはなりえないことはすでに明らかである。まさに、現実の脅威となっている競争者としての原理主義を封圧し、帝国主義との新たな妥協の関係を手にいれようとするボナパルティストとしての展望が、肥大化と軍事的冒険主義へとおしやる最大の力学であると言わねばならない。

 7 民衆のエネルギーがボナパルティズム以外の道を見出せないという現実にこそ、最大の矛盾と悲劇が示されている。シーア派革命であれ、原理主義であれ、バース党政権であれ、民衆と支配層という図式の止揚は実現されない。強権と独裁が例外なくつきまとう。まさに帝国主義の時代が生み出した世界の行き詰まりの典型の一つである。
 社会主義運動が突き当たっている困難がさらに行き詰まりを何倍にも増幅させている。社会主義の再生、それも全世界的な視野をもった社会主義の再生を歴史的に、まさに改めて本格的に問うものである。アラブ、イスラム世界に社会主義の新たな流れを登場させていく課題は、きわめて多くの困難と弾圧をくぐり抜けねばならず、多くの時間と努力を要求するものであるだろう。
 アラブ、イスラム民衆の直面する歴史的袋小路、行き詰まりの打破は絶対的な必要であり、その可能性を切り開くためにこそ、民族主義の装いをもつボナパルティズム独裁体制を支持するいささかの選択も採用されてはならないのである。
 フセインボナパルティズムの軍事侵略は絶対に否定されなければならない。ボナパルティズム支配の容認のもとで、「アラブはアラブにまかせよ」というスローガンにとどまることも誤りであろう。
 クウェート人民だけがその国家の将来を決定できる。
 イラク軍のクウェートからの無条件撤退、民衆の力によるフセインボナパルティズムの打倒、社会主義の道を開けというスローガン、視点が、帝国主義は一切の石油利権を放棄せよ、多国籍軍の全面撤退と同時に掲げられる必要があるのである。   
  一九九〇年十月三日

トロツキー没後五〇周年記念国際シンポジウムの成功を


 海外ゲストや日程が確定

 トロツキー暗殺から五〇年。国際シンポジウムが、きたる十一月二日と三日に東京大学農学部を会場として開かれる。さらに翌四日(日)、記念講演会が東京渋谷区の幡ヶ谷区民会館ホールで開催される。また、歓迎交流のレセプションは、十一月二日夜七時から、東京日暮里のホテル・ラングウッドで予定されている。
五月から準備してきた実行委員会は、このほど海外ゲストとシンポのスケジュールが明らかにした。確定した海外ゲストは、ソ連からの参加が中心であり、ペレストロイカのもとで着実にトロツキーの復権と研究が進んでいる状況を反映している。ソ連での最近の研究がいかなる形で進んでいるか、それがペレストロイカの現実といかに関わりを持っているのか、あるいは反映されているのか、なまの報告と討論への大きな関心がもたれている。
予定されているソ連からのゲストは、レニングラード教育大学教授でソ連共産党中央委員会の党史概説編纂委員会メンバーであるスタルツェフ氏、マルクス・レーニン研究所員のポトシチェコルジン氏、元ソ連科学アカデミー歴史研究所員のビリク氏、ルムンバ民族友好大学助教授のエレーナ・コテレニェツ氏、ソ連科学アカデミー国際労働運動研究所員のパンツォフ氏、およびモスクワ市ソヴィエト代議員のカガルリツキー氏である。
 他の地域からは、まずメキシコ、コヨアカンのトロツキー博物館を管理しているトロツキーの孫のエステバン・ヴォルコフ氏が招待を快諾してくれ、さらにフランスのトロツキー研究者であるピエール・ブルーエ氏、スリランカの古くからのトロツキストであるバラ・タンポ氏、第四インターナショナル統一書記局からサラ・ジャーベル氏の来日が確定した。
 エステバン・ヴォルコフ氏はトロツキーの長女(ベルリンで自殺)の子息であり、コヨアカンのトロツキーのもとにひきとられて成長した。ブルーエ氏は膨大なトロツキー伝(日本語訳は未訳)の著者である。バラ・タンポ氏はCMUの輝ける委員長としてアジア全域の労働運動に関わっている。サラ・ジャーベル氏はレバノン出身で現在はパリで活躍している。
 その他、東京国際シンポへの参加希望が寄せられている。ベラ・クンの孫をふくむ複数のハンガリー大学の研究者や、ソ連の複数の研究者などであるが、実行委員会の財政能力の制約によって、やむをえず招待を断念している。
 さらに、中国の老トロツキストの鄭超麟氏(上海在住)からは、このような招待ははじめてであるが、高齢(九〇歳)ということと、まだ中国ではトロツキストが国外へでる許可は降りないのが残念だという主旨の返答が届いた。 

 トロツキー暗殺五〇周年のシンポジウムは、今年春大規模に開催されたドイツ、八月のメキシコのほか、ブラジル、イギリスなどで開かれ、東京がアジアでの唯一の開催という位置をもっている。ソ連のパンツオフ氏は中国トロツキズム運動の研究者であり、中国での最近のトロツキズム研究者(招待状を出している)の参加があれば、日本の研究者とあわせ、国際的にもユニークな検討と討論がさらに期待できる。スリランカ、ベトナム、インドネシアなどの南アジアにおけるトロツキズム運動の発掘は進んでいるとはいえないが、バラ・タンポ氏の参加はそれを補ってくれるであろう。

 ソ連の研究者とその他地域のトロツキスト、トロツキー研究者の突合せ、討論が現実のものとなったことは、まさにペレストロイカの時代を痛感させるものである。

 なお、国際シンポジウムは四つのセッションにわかれるが、分散会方式ではなく、連続して開催される。第一日目は、午後十二時半開会で、トロツキーと文化、トロツキーとアジア。第二日目は、午前十時開会で、現代資本主義とトロツキー、ペレストロイカとトロツキーのセッションの順で予定されている。ビリク、パンツオフ、コテレニエツ、ポトシチェコルジン、バラ・タンポ、サラ・ジャーベル各氏のほか、日本人研究者から中野徹三、桑野隆、針生一郎、降旗節雄、塩川喜信、上島武の各氏が発表する。
 四日の講演集会は午後二時から七時までの予定である。講演者は、スタルツェフ、カガルリツキー、ヴォルコフ、ブルーエの各氏の報告が予定されている。
 参加費は、シンポジウムと講演集会の通し券(三千円)、講演集会だけ(一千円)に分かれている。レセプションは八千円の会費である。
実行委員会は財政規模の膨張という事態もあり、賛同人のより以上の拡大と賛同費の早期払い込みを呼びかけている。シンポジウム開催にこぎつけられた実行委員会の労に応えるためにも、要請に応え、シンポジウムと講演集会の成功に力を注ごう。

世界政治情勢の変容とトロツキズム

                 高木 圭


1ソ連邦のペレストロイカと東欧「共産党」政権瓦解後のインターナショナル

 議論を始める前にトロツキズムの原則、すなわち第四インターナショナルの綱領的立場を確認しておくことにしよう。それは、「帝国主義打倒、植民地革命擁護、労働者国家擁護、スターリン主義官僚打倒!」という基本的スローガンにまとめることができる。要約すれば、「労働者民主主義にもとづく社会主義社会の建設」ということである。革命論の基本姿勢としては、資本主義の最も弱い環から権力を奪取し、また民主主義的最小限綱領から闘争を始め、最終的には社会主義的生産・分配の世界的システムを建設して行くという「永続革命」の戦略・戦術を採用する。
 このような政治的イデオロギーによって規定されるトロツキズムは今、どのような歴史的情況に置かれているというのであろうか。
 現在の世界政治情勢は、ソ連の共産党書記長(現在、大統領)ゴルバチョフが一九八五年にペレストロイカを始めたことを重要な一要因としている。この「建て直し」の必要性は、ソ連経済が一九七〇年代以降、極度の困難性を抱え込み市場原理の導入を迫られたことと、それに伴い民主主義的権利を大幅に復権しなければならなくなったことから生じた。
 この時ゴルバチョフがとった政治イデオロギーは「新経済政策」(ネップ、NEP)のイデオローグであり、かつ民主主義的価値の擁護者であったブハーリンの思想に近かった、と言うことができるかもしれない。このことは、一九八七年のロシア十月革命七十周年記念の演説を読めば一目瞭然であろう。彼は左翼反対派の思想には依然として、首尾一貫「否」の姿勢を貫いている。
 一九八九年になって、東欧諸国に「民主主義革命」が席巻し、「共産党」政権が将棋倒しのように瓦解することによって、事態は急を告げるにいたった。
 このような事態をいったい、われわれはどう捉えたらいいのであろうか。それはトロツキイが唱道していた「政治革命」なのか、それともブルジョワ・イデオローグの多くが言っているように、「社会主義」とか、「共産主義」とか、「マルクス主義」とかのイデオロギーの解体を意味しているのであろうか。
 確かにある意味で、「スターリン主義官僚」は打倒された。しかしながら、左から労働者の力によってでは必ずしもなかった。そして、資本主義的市場経済原理は復活しつつある。
 われわれは、図式的な情勢の理解の仕方を戒め、現実に則した極めて歴史的・弁証法的な頭をもって事態に対処しなければならない。そうでないと、東欧の事態をストレートに社会主義に向かう「政治革命」と捉えたり、またゴルバチョフの改革が既成の図式に当てはまらないからと言って、「反革命」呼ばわりしたり、果ては「マルクス主義」(その現代的形態としてのトロツキズムまで含めた)の終わりを叫んでみたりするという、悲喜劇的役回りを演ずることにもなる。
 われわれがこれまで掲げてきた、「労働者民主主義にもとづく社会主義社会」の実現という歴史的目標を、とりあえず図式化して捉えてみることにしよう。横軸に所有の社会化(反資本主義)の軸をとり、縦軸に民主化の実現度(反官僚主義)をとるとする(付図を参照)。それぞれの軸のプラスの方向に歴史が動いたとすると、われわれの目標である、社会主義的な生産・所有システムが建設できたことを示すことになる。
 もちろん、それぞれの軸のプラスの方向に歴史が進展することが望ましい。けれども、歴史は数学的図式の世界ではない。具体的な歴史的背景・過程をもって進行する、すぐれて弁証法的な進路をたどる。昨年の東欧の事態は、民主化の軸に関してはプラスの方向をとったが、所有の社会化ということに関してはマイナスの方向に進んだ、と見ることができる。換言すれば、歴史は鉄道のスイッチバック方式のように進まねばならないことがあることを示しているのである。
 革命的マルクス主義にもとづく左からの「反官僚革命」はありえたであろうか。論理的にはありえたであろう。しかし、それが可能であるためには、東欧労働者・農民が、西欧諸国以上の経済力と成熟した政治的力をもたねばならなかったであろう。が、彼らが知っている社会主義イデオロギーと言えば、政治的抑圧と経済的停滞とに不可分に結びついたスターリン主義のみであった。歴史を上り詰めるには、スイッチバック的進路が必然的であったとは言えないまでも、蓋然的であったと推測することが許されるのではなかろうか。
 要するに、いかに困難であっても、東欧プロレタリアートが西ヨーロッパの労働者・農民とともに、新たな歴史的展望をもった反官僚主義的な社会主義建設を目指す方向に進むように努力することが今後の政治的課題としてわれわれに依然として課され続けているのであり、マルクス主義の理論的武器を放棄することが日程に昇っているのではないことを確認すべきなのである。
 このような新たな展望のもとでのみ、東欧労働者が反動的イデオロギーに捕らわれたり、ゴルバチョフがキューバを初めとする労働者国家の支援を停止したりする反動的政策に反対することができるのである。
 いずれ、資本主義が反労働者的であったのと同じように、スターリン主義官僚も、恐らくわれわれが予想していた以上に反動的な歴史的役割を果たした、と言うことだ。われわれはこれまで以上にトロツキズムの政治的原則を高く掲げて闘わねばならない。といっても、決してトロツキズムを教条主義的にただ守護すればよいと言うのではない。現代の情勢に適合的なように、創造的にマルクス主義的理論を構築し、労働者・農民の多数を獲得しなければならないと主張しているのだ。

2 トロツキイの思想の原像とその「修正」

 トロツキズムと言っても、さまざまな思想の幅があることは認められねばならない。まず、レフ・トロツキイの思想の原像を復元してみよう。
 それは第一に、ロシア社会主義革命を展望する永続革命の綱領として生誕した。ここで確認すべきは、トロツキイもレーニンも、ヨーロッパ社会主義革命の一環としてロシアにおけるプロレタリア権力奪取を試みたのであって、一九一七年十月のボリシェヴィキ革命をもって、社会主義が一朝一夕に実現できると考えていたわけではない、ということである。資本主義の最も進んだところを超えることによってのみ社会主義が実現できると考えていた点で、彼らはやはりマルクスの古典的弟子であった。ただ彼らはそういった社会主義への国際主義的道がロシアのような後進国からでも始められると考えた点で、古典的マルクス主義とは異なっていた。否、晩年のマルクスも、ロシアの社会主義運動の革命的貢献をある意味で予測できていたとすら言うことができるかもしれない。
 トロツキイの思想の第二の要点は、ロシア革命の成果をスターリン主義官僚から擁護しようとしたことにある。トロツキイはソ連の工業化を、ある時には市場原理の導入によって、またある時には計画原理の採用によって、急ごうとした。いずれの時も、労働者・農民の下からの民主主義的動員によってこのことを遂行しようとした点で、彼は首尾一貫していた。スターリンは反対に、官僚主義と民族拝外主義によって、人民の血を流すことによって、このことをやろうとした。スターリンが一九二〇年代末以降やろうとしたことは、所有の社会化ではなくて、「国有化」の名のもとの、官僚による財産の「私物化」であったとすら言えるだろう。スターリン主義体制のもとでの経済的停滞と政治的抑圧は一体のものと見ることができる。
 スターリン主義官僚のボナパルティスト的路線が、政治的抑圧を背景としたものだったがゆえに、トロツキイはレーニンが病床に伏すようになった一九二二年頃から、労働者民主主義を掲げた闘争を展開することになる。左翼反対派を結成し、分派の自由を掲げてである。
 第三に、トロツキイの社会主義理念そのものが、スターリンのものとは大きく異なっていたことに注意すべきである。彼の文化論は最大限、精神の自由を認めるものであった。彼は一九二〇年代、前衛的芸術家たちと隊伍をともにし、ロシア文化の「黄金の二〇年代」を実現するのに力を尽くした。スターリンによる一九三〇年代以降の時代は、それに代わって文化的画一主義と偏狭な民族主義の支配する精神的衰退の時期であった。偉大な精神は沈黙を余儀なくされた。哲学的にも、トロツキイはレーニンの自然科学的唯物論とは異なった洗練された見解をもっていた。
 トロツキズムは二十世紀前半における最もすぐれた形態のマルクス主義であった、というアイザック・ドイッチャーの指摘は正しいと言われねばならない。
 トロツキイの死後、このトロツキズムの理念は一定程度「修正」されねばならなかった。ミシェル・パブロが一九五一年の第四インターナショナルの第三回世界大会において、労働者国家群の軍事力に依拠して、トロツキズム・イデオロギーの独自性を希薄化させることによってである。この時、トロツキズムはスターリン主義官僚との闘いの刃を鈍化させた、と言いうるのではなかろうか。
 パブロ主義の定着によって、『裏切られた革命――ソ連はどこへ』の労働者国家論は、少なくとも熱心には読まれないものになった。だが、それだけ人民の、たとえ「スターリン主義的」という形容詞を伴ったものであれ、社会主義への希望は熱いものだったとも言いうる。それゆえ、パブロ主義をトロツキズムからのまったくの逸脱と捉えることはできまい。けれども、一九九〇年の現時点の後知恵から言って、われわれはパブロ「修正主義」をこそ総括し、これと決別し、トロツキズムの原点に復帰せねばならないのは確実なようだ。
 パブロ主義は、軍事優先的な問題把握、戦術左翼主義、内実を知らないままでの労働者国家の「国有化」・「計画経済」の物神化などの弊をももたらす思想であった。それが労働者大衆運動への結合の希求から生まれたという事情は十分理解した上で、やはり総括は急がれねばならない。
 今日、日本支部の同志たちの中で、東欧の現情勢からの負の衝撃を最も強く受け、思想的に混乱している人びとが、かつてパブロ主義の使徒と規定してよい活動家だったのは決して偶然ではない。われわれはトロツキズムへ、すなわちマルクス主義の原点に帰り、そこからわれわれ自身の生きた思想を構築しなければならない。

3 現代資本主義をどう把握し、その矛盾といかにして闘うか

 われわれはいま、トロツキズムとは何か、マルクス主義とはそもそも何なのかという原初的問いにまで遡って考えなければならない時点にいる。古典的マルクス主義は、近代資本主義の成果を継承し、その矛盾を抜本的に乗り越える社会思想として構想された。したがって、それは静的なものではない。換言すれば、教条化してはならない思想なのである。なぜなら、資本主義も動的に変化するのだから。資本主義が矛盾をはらむ政治経済体制である限り、それの乗り越えの思想体系もまた動的に変容し、新しく生まれ変わらねばならない。
 この論理は決して奇弁ではない。レーニンやトロツキイも、あるいはローザ・ルクセンブルクやアントニオ・グラムシも、時代に応じてマルクス主義を創造的に改変してきた。われわれが依然としてマルクス主義者であり、トロツキストであると名乗るのが正しいとすれば、それはわれわれが教条的に彼らの教義を墨守しなければならないというのではなくて、彼らと同様の思考の方法で、かつ彼らの思想の遺産を最大限活用してものを考えるということを意味する。もし、マルクス主義が破産したというのが正しいなら、それは、個々のマルクスの言明の妥当性が失われた場合のみでなく、マルクスの思考法が全面的に有効性を失ってしまった場合のことなのである。今われわれが発動しなければならないのは、まさしくマルクス的思考法なのである。マルクス的思考法を放棄することでは断じてない。
 マルクスの時代の産業資本主義期の主要矛盾は、恐慌という現象に現れた。そしてレーニンの時代の帝国主義期の矛盾は、主として資本主義列強間の戦争であった。現代の主要矛盾は何か。われわれの時代にも、確かに「恐慌まがい」の現象や戦争は存在するが、しかし、そういった矛盾の発火点からのみ変革を展望することは大いなるアナクロニズムであろう。
 それでは現代資本主義の矛盾とはいったいいかなるものなのであろうか。
 現代資本主義の第一の矛盾は、地球生態系の危機として現出しているとは考えられないであろうか。資源や土地は、資本主義によって「乱開発」されている。とりわけ、いわゆる「第三世界」の自然は資本の思いのままに破壊されている。生産力は地球規模で社会化されねばならず、資源生態系は社会的に統制されねばならない。地球環境問題を抜本的に解決できるのは断じていわゆる「エコロジー産業」ではない。労働者・農民、すなわち直接の生産者が、資源や生態系を統制しなければならない。エコロジストのある者は、マルクス主義者に「生産力主義者」というレッテルを貼ることによって、マルクス主義を「超克」した、と吹聴した。しかしながら、地球生態系を保全できるのは、部分的な生態系保全策を提起しているエコロジストではなく、政治経済体制総体を生産者の理性的統制のもとに置くマルクス主義者の綱領のみであろう。第四インターナショナルの来るべき第十三回世界大会の議題の大きなテーマの一つは地球生態系問題である。この問題を本質的に解決できるのは、社会主義イデオロギーで武装したプロレタリアートと農民だけである。
 第二に、先進資本主義諸国と後進諸国の経済格差は増大した。いわゆる「現存社会主義国」の経済問題も、この世界経済システムの大きなパースペクティヴのもとで見られねばならない。したがって、相変わらず、レーニンとトロツキイの永続革命の綱領は有効性を失っていない。われわれの政治的綱領が最も生きているのが、ラテンアメリカの諸国であるのは偶然でない。メキシコ、ブラジルのトロツキストは永続革命の綱領のもと権力奪取のために奮闘している。「サラ金」地獄にも比すべき泥沼の貧困から抜け出す道は、この綱領のほかにはない。主要に経済的な意味での帝国主義の時代は続いているのである。そしてアジアでは、フィリピンと韓国の労働者が永続革命の綱領の必要性に目覚めつつある。
 第三に、先進資本主義諸国の内部的矛盾もある意味で拡大した。地価の絶望的暴騰、税制の改悪、労働組合弾圧、農漁業の抑圧、女性差別、天皇制に現れているような時代錯誤的民族主義イデオロギーの強制などが、国内的階級闘争の火種になっている。在日アジア人の民主的権利の問題、アジア人出稼ぎ労働者の防衛なども、われわれが取り組まねばならない重要な問題である。
 今日、富裕化し肥え太っているのは、特定資本のみである。私有化、民有化イデオロギーを批判し、所有の社会化、生産者による統制の有効性を訴えなければならない。もちろん、スターリン主義的な官僚的「国有化」の思想は破産した。労働者・農民が直接参加しうる活性化した社会化の思想こそが出現すべき時である。
 以上のような諸問題に応えうる社会主義の綱領が作成されるべき時である。マルクス主義は資本主義の最良の遺産の後継者でありながら、それを批判し乗り越えて行くべき思想であることを忘れてはならない。資本主義の矛盾が存在し、その命運が尽きる時が必ずや到来すると予見可能な限り、マルクス主義は健在である。その健在さを現実に証明しなければならい。

4 社会主義イデオロギーの遺産と現代

 現代において破産を宣告されたのは、スターリン主義的社会主義の理念である。しかし、それは余りにも歴史的に強力であったがゆえに、未だにわれわれの中においてすら、影響力の痕跡を見出しうるかもしれないほどである。
 われわれが社会主義の「遺産」として歴史的に学びうる思想は、必ずしもソ連・東欧型「社会主義」のみではない。ドイツとフランスの社会民主主義やスウェーデンに代表される北欧型社会民主主義、それにキューバの社会主義などの綱領には、われわれが具体的に学べる点が多々ある。日本の政治の無政府性に慣れ切った目には、ある意味で新鮮ですらある。それらは最低われわれの最小限綱領には生かされうる。ヨーロッパの先進資本主義国の支配的思想は、今後、社会民主主義だろうとも言われている。が、それには「親帝国主義」の銘が打たれている。それを超える思想を構築しなければならない。
 トロツキズムは、官僚的抑圧、画一主義のイデオロギーとも言うべきスターリン主義と異なるのみならず、マルクス主義の旗のもとにそれと最も勇敢に闘争してきた思想である。
 それはまた社会民主主義とも異なる。社会民主主義は、なるほど資本主義本国ではかなり「魅力的」な政策を掲げる場合もなかったわけではない。けれども、帝国主義に抑圧された他の諸民族には排外主義的態度をとってきた。レーニン主義はこの点で明確に社会民主主義よりすぐれていた。
 今後、一定程度、社会民主主義的イデオロギーは優勢を誇るかもしれない。しかし、国際主義、世界的規模での社会主義の実現、労働者の直接的民主主義の綱領を掲げうるのはわれわれのみである。かといって、もちろんわれわれも個々の綱領に関しては歴史的に無謬ではない。そこで現在しきりに問題になっている複数政党制がクローズアップされる。われわれ自身の「誤謬可能性」=「可謬性」を率直に認めつつも、われわれの思想の卓越性を訴えてゆく姿勢を組織原則的にも実現しなければならないであろう。
 われわれは、社会民主主義やスターリン主義傘下の労働者に対してセクト主義的・最後通牒主義的態度はとらないし、またとってはならない。スターリン主義につながれていた人びとの間からは最近、公然たるトロツキイの支持者が登場してきた。また周知のごとく、東欧・ソ連にはトロツキストが登場してきた。われわれは全世界の社会主義勢力の最左派として自らを位置づけるべきである。
 われわれの内部のある者にはイデオロギー的混乱が見られる。かつてスターリン主義万能の時代のトロツキストの絶望的苦闘に思いを馳せるべきである。われわれ日本支部は確かに安穏たる情況にあるわけではない。だが、情勢はトロツキストにとって必ずしも不利ではない。われわれはまず、マルクスの古典、トロツキイの原初的思考に帰って見るべきである。
 アジアにおけるインターナショナルと日本支部の再建のために、勇気を奮い起こして困難にともに立ち向かおう!

大村書店刊
『転換期の中米地域』――危機の分析と展望
加茂雄三 細野昭雄 原田金一郎 編著


 大村書店から『諸君の大統領、われらの首相』に続いて本書が刊行された。同社が「ユーロセントリズムというこの中心部偏向を是正し、周辺的視座による新しい思想・理論を構築することにより来るべき地球市民社会の建設を目指すためには、周辺部の歴史・文化ならびに、周辺部で生まれた思想・理論を深く識る必要がある」として発行をはじめた「ペリフェリ選書」の最初の書である。
 第四インターナショナルに関係する事柄だけをとりあげても、一九六〇年代はじめのキューバ革命の評価をその基礎の一部とする再統一、六〇年代末からのラテンアメリカのゲリラ戦術を中心にした革命路線論争、ウーゴ・ブランコの国際的な救援運動、ニカラグア革命連帯活動、女性運動に関するラテンアメリカを一方とし西欧をもう一方とする路線上の傾向の違い――など、われわれの路線や運動に深く関係する事柄に事欠かない。しかし、正直いって、われわれのラテンアメリカに関する知識は貧弱ではなかろうか。
 一九九二年がコロンブスがアメリカ大陸を発見して五〇〇年にあたるというので、また、その年にスペインのバルセロナでオリンピックが開かれるということもあって、スペイン語圏への関心が急速に高まりつつあるといわれている。このことは逆にいえば、日本社会の中でスペイン語圏への日常的な関心がいかに弱いものであったかを物語っている。
 こうした状況の中で出版された本書は、その題名にはっきり出ているように、中米地域だけを対象にした、一種の専門書である。編者前書きで、「本書出版の契機になったのは、一九八八年六月に筑波大学で開かれた日本ラテンアメリカ学会第九回大会におけるシンポジウム『中米危機とその背景』である。……シンポジウムで発表された諸報告を基礎とし、それらにシンポジウム以降の中米情勢に関連した動きに関する論評等を加えて作成したものである」と述べられている通り、一つの思想、方向性をもった書としてではなく、それぞれの筆者の立場から、それぞれの問題に焦点をあてたものである。
○本書の構成
 本書は七章、三つの補章、二つの資料からなっている。目次を紹介すると、第T章 中米史の現段階(加茂雄三)、第U章 転換期の国際関係と中米地域(細野昭雄)、第V章 中米共同市場の理念と現実(原田金一郎)、第W章 対中米援助の国際比較試論(狐崎知己)、第X章 ニカラグア混合経済論争(原田金一郎)、第Y章 ニカラグアにおける革命と女性(松久玲子)、第Z 章米国の対中米政策(狐崎知己)、補章は、今日のパナマにおける一〇の考察(ラウル・レイス)、エルサルバドルにおける人権問題(セグンド・モンテス)、中米における社会正義の鼓動(ウイリアム・ボリンガー)、そして中米首脳会談和平合意文書と中米復興開発国際委員会報告書の二つの資料である。また、一九七〇年代末から現在までの「中米現代史年表」がついており、中米関係の理解を助けるものになっている。
 この書は先に述べたように中米を対象にした専門書であるが、それにも関わらず、われわれにとって直接の関心を呼ぶ部分もある。ニカラグアの混合経済論争と、ニカラグアにおける革命と女性がそれである。また、第一章の中米史の現段階と第二章の転換期の国際関係と中米地域も、全般的な理解に欠かせない個所である。
 ニカラグアにおける混合経済論争は、一九八六年六月にニカラグアの首都マナグアで開催された混合経済に関するセミナーの内容を紹介しつつ、その論点の意味を執筆者の観点から明らかにしようとするものである。「革命ニカラグアの提起している問題は、ソ連(ペレストロイカ)、中国(現代化)、ポーランド(連帯の自主管理組合運動)など、現存社会主義各国におけるさまざまな試行および変革に通底するものであるといってよい」と執筆者が結論的に述べているように、混合経済に関する問題はなにも後進地域の革命として出発せざるをえなかったニカラグアに限定した問題にとどまらず、社会形成に深く関わるものである。
 資本主義世界の周辺部といわれる場所での経済建設をどのように展望するかについては、これまでもさまざまな理論、論点が存在した。現実をみるとき、それがブルジョアジーの側から、あるいは労働者国家の側から提起されたものであれ、いずれも「後進世界」の経済建設を中心にした社会の形成に失敗していることは明らかである。今年二月の選挙で、サンディニスタが敗北したため混合経済の行方は不明であるが、ここで討論された内容のもつ意味は大きいといえよう。
 本書は、それぞれの問題が専門的見地から書かれているので、読む人の側の問題意識によって読み方も大きく変わりうるという性格をもっている。読者は、まず自分の問題意識に合うところから読み進んでいくと、さらに関心が広がり、中米地域の理解を通じて今日の世界の理解を深めていけるのではなかろうか。
  (高山徹)
ラテンアメリカのマルクス主義
           ブラジルPTが主催して中南米左翼政党が会合

 アメリカのパナマ侵略、東欧官僚体制の崩壊、ニカラグア選挙でのサンディニスタの敗北、ペルー大統領選挙での統一左翼の敗北、いくつかの革命組織における社会民主主義潮流の成長、アメリカの「低強度戦争戦略」の成功といったこの間の一連の事態を背景にして今年七月四日、ブラジルのサンパウロでラテンアメリカとカリブ海の左翼政党の会議が開かれた。
 この会議では様々な新しい問題が討論された。参加者の一人、メキシコの革命的労働者党(PRT、第四インターナショナルメキシコ支部)のセルヒオ・ロドリゲスは、会議の様子を以下のように伝えた。

 会議を主催したのは、ブラジルの労働者党(PT)である。この党は最近の選挙で三千百万票をとり、勢力を強めている。PTの党員は六五万人で、ラテンアメリカ大陸で最大の労働組合連合組織のCUT内部で最大の影響力をもっている。
 主要な討論点は次の五つ。ラテンアメリカにおける資本主義の攻勢、東欧の危機、キューバの現状、ラテンアメリカ左翼の経験、社会主義と民主主義の社会をめざすわれわれの計画――である。
 資本主義の攻勢に関する討論には、現在の力関係の評価とラテンアメリカに適用されている緊縮政策の評価が含まれていた。アルゼンチンのトロツキスト、ナウエル・モレノが設立した社会主義運動(MAS)は、東欧、第三世界、帝国主義諸国を問わず大衆運動がかつてなく攻勢だと主張した。
 MASは、今日の最大の敗北者は帝国主義政府といわゆる「社会主義諸国」の官僚であると主張した。他の出席者は、この分析に反対し、パナマ侵略を帝国主義の白鳥の歌だとするMASの見解はとりわけ同意できないと批判した。
 参加者の大部分は、この間のラテンアメリカ革命運動が味わってきた困難を次の二つの要因で説明した。第一は、平和共存とペレストロイカを利用した帝国主義の横柄な態度であり、第二は、対外債務とIMFが強制する「構造調整」との利用である。これらは、本質的に人民を経済的に苦しめる手段である。参加者は、ラテンアメリカ、米国、カナダを含むブッシュの自由貿易地帯構想に直面する中で、この過程の深い理解に到達し、対決していく基本方向を探った。
 
東欧の危機に関する討論
 この討論は、主としてこの危機が生まれた理由とその意味を明らかにすることに集中した。東欧の事態は参加者の大部分にとって、官僚的支配モデルの危機としてあった。ドミニカ共和国共産党書記長、ナルシソ・イサ・コンデが事態をトロツキストの言葉である「政治革命」と使って説明したのは、ある種の驚きであった。
 討論の主要な論点は、「官僚制の崩壊」「社会主義への移行」「単一政党制の危機」「社会主義的民主主義の欠如」などというものであった。参加した各政党の代表の多くは、緊急の戦略問題に応えること、つまり社会主義と民主主義との関連を再確立する必要性を強調した。PTの指導者、マルコ・アウレリオ・ガルシアは、社会主義社会建設における複数政党制の必要性を述べた。彼は、普通選挙権、宗教の自由、民族的諸権利などの一連の民主的権利がいまだ獲得されておらず、その実現をブルジョアジーに委ねることはできないと語った。実際、民主主義は、ブルジョアジーと、労働者が先頭に立つ社会との闘争領域たりつづけている。彼は、この問題におけるブルジョアジーの現在のヘゲモニーを奪う必要があると述べた。
 キューバ共産党(PCC)のカルロス・アルダーノ・エスカランテは、次のように主張して、キューバの状況を説明しはじめた。「キューバには危機はなく、これからも危機はない」と。これは、ラテンアメリカの左翼全体にとって大切な革命にとって明確に危険な何かを追い払おうとする試みであるかのようだった。エスカレンテは、彼の考えを単一政党制に関連して述べ、これを帝国主義の包囲という客観的条件に依存する戦略的問題ではなく、戦術問題だとした。そしてキューバはソビエトの忠実な友人であり、同意しないその行動についてもしばしば支持してきたと語り、一例として一九六八年のチェコスロバキア侵入をあげ、キューバ共産党は最初、これを政治的にも道義的にも正当化できない行為と分析していたが、この立場を変更させたのは、ソビエトを政治的に支持する必要だったと説明した。

キューバでの民主的選挙の条件
 PTの指導者、ジョアオ・マーチャドは、参加したすべての組織に対してキューバ革命防衛の必要を訴えた。だが彼は、単一政党制の問題とキューバにおける民主主義の限界の問題とをはっきりと区別した。
 メキシコPRTの代表は、キューバ共産党がブルジョア的民主主義にもとづいて、あるいはサンディニスタの元外務大臣、ミゲル・デスコートが額にピストルを押しつけられた投票と定義したニカラグア型のようなものでさえの選挙を組織することを誰も望んではいないと指摘した。また、キューバには反革命軍はいないし、反逆を図ろうという強力なブルジョア勢力もいないし、戦争で六年間も痛めつけられるということもなかったと指摘した。だから、キューバで自由選挙を行う条件は、金のための不平等がないという状況において存在している。複数政党制は、民主主義の権利であり、マルクス主義は思想の闘いを恐れない、と述べた。
 別のPT指導者、ジョセ・ディルセウは、キューバにおける主要な問題は党と国家の融合から生じていると述べ、非常に無頓着なオチャアの処刑を防衛したエスカランテは、党と国家の分離の問題は次のキューバ共産党大会の中心点になるだろうと述べた。
 この会議は、一つの局面の終わりと新しい局面の開始を記した。あるものにとっては、武装組織の時代の終わりであり、コロンビアの前ゲリラ組織M19の大統領候補、ナバロ・ウォルフがガビリア新政権の保健相になった経験が示したような合法闘争の時代のはじまりを意味している。

見直された武装闘争
 他のものはより深い意味を見出している。すなわち、革命を二つの陣営あるいはブロック間の対決と見る時代の終わりである。「社会主義陣営」の破産は、左翼の戦略のみならず、実践方針にも同様に影響を与えた。どの左翼ももはや、いわゆる「現存社会主義」諸国の一変種とみられたくないと考えている。武装闘争は、軍事国家への対応という面が多かったのだが、いま、新たな視点から再考されている。武装闘争を行うという決定は、勇気ある戦士たちの小さなグループの権威主義的な決定であってはならず、人民の民主的感覚に依拠した正統性をもたなければならない。
 こうした方向転換はまた、武装闘争を行っていない諸組織にも影響をおよぼした。ブラジルのPT、ペルーの統一マリアテギスタ党(PUM)、ウルグアイのツパマロス、メキシコのPRTは、岐路に立っている。合法闘争と社会主義への革命戦略とをどのように結合するのか、という岐路に。
 人民の力を発展させる方法の問題が、この二つの闘争形態の矛盾をとく基本的部分である。なぜならば、これは、合法闘争への参加にも反対しないし、武装闘争にも反対しないからである。人民の力は革命戦略の学校であり、改良闘争を権力獲得を準備する闘争へ向ける。これはまた、資本主義の枠内で大衆を民主的に参加させて教育する民主的社会主義のための闘いでもある。二つの闘争形態を結合する戦略には、人民の力と慈善を混同することをはじめとするラテンアメリカ左翼に伝統的な危険が存在している。
 あるものは、サンパウロ会議をラテンアメリカ連帯機構(OLAS、一九六〇年代にキューバの影響下に結成された反帝国主義戦線)の経験と比較した。
 しかし、二つの重要な違いがある。第一は、政治的理論的な面で影響力をもった当時のキューバのようなモデルを今日の左翼はもっていない。さらに、この会議は、すべての教条主義と決別したいと考える革命家たちの複数主義を反映していた。これは、わが大陸に新しい左翼が出現した結果である。会議は、こうして国際社会主義の危機のただなかで活力を取り戻させる経験であった。
(インターナショナル・ビューポイント誌9月17日号)
9・30 三里塚現地集会、嵐の中で開催
 「またしても」とか「よくもまあ」としかいいようのない三里塚の雨。「ナリタは違憲の巣 二期工事糾弾 考え直せ成田空港 九・三〇三里塚現地集会」は、というわけで台風20号の上陸・接近が伝えられる中、横堀集会場で三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)の主催で開催された。
 風雨に耐える者、はねのける者、それぞれつわものたちが全国から駆けつけてきた。その数、主催者発表で五六〇名。
 定刻より遅れて午後一時すぎ、石毛博道さんと寺内金一さんの司会で集会は始まった。会場の正面には、「成田治安法粉砕!」「農産物自由化反対!」「用地内の人権侵害を許すな!」「二期工事阻止!」と書かれた垂れ幕が、これも参加者と同様に強まる雨と風にも負けず最後まで頑張っていた。
 堀越昭平さんの開会宣言が集会の皮切りだった。続いて世話人を代表して石井武さんが、闘争開始から来年の六月で二十五年、四半世紀になろうとしている三里塚闘争は、事業認定も失効しており本当ならすでに勝利している。それを名実ともに勝利するには、闘いは平坦ではないだろうし、誤解を招くようなこともあるかもしれないが、反対同盟は最後まで闘い抜くと決意を述べた。
 さらに、用地内農民の決意を元気一杯の小川源さんが披瀝する。熱田一さんからは、熱田さん自身が敷地の所有者でもあり、またつい先日、他の団結小屋とともに成田治安法の再適用を受けた横堀団結小屋脇に建設される「作業場」のためのカンパの要請が行われた。
 続いて八月に出獄をかちとった管制塔戦士の和多田粂夫さんが壇上に上がり、若干緊張した表情で出獄の挨拶と決意表明を行った。
 その後、弁護団や関西新空港に反対する泉州の仲間の発言や連帯する会の上坂さんなどからの発言を受けた。
 集会後、降り続く雨の中、中郷までのデモ行進を行った。

社会をみる晴雨計
最近の世論調査から

モスクワニュース紙39号(10月7―14日)


 全ソ連邦世論調査センター(AUCSPO)は、九月七―十九日にかけて全国規模の世論調査を行った。ソ連の十一地域、二十四のセンターから、回答者の総数は一三三〇人。質問に対する答えはパーセントで表示してある。

質問1 レーニン像について
 レーニン記念像が各地のソビエトの決定によって、多くの広場や街頭から撤去されていますが、次の考えのどれに一番近いですか。
断固反対      ……57
地域の住民が望むならそうすべきだ       ……33
わからない     ……10

質問2 大統領布告によってソルジェニーツィンなどに市民権が復権されましたが、これについてどう考えますか。
現在進行中の民主化の現れである        ……19
これらの人々に社会的に謝罪すべきであり、迫害を加えた関係者を裁判にかけるべきだ          ……27
国を離れることを強制された人々に市民権を与えるのは当然だ        ……41
彼らの市民権回復には賛成できない       ……6
わからない     ……14
(複数の記入を認めた質問なので回答の合計は一〇〇%を越える)

質問3 イラクの侵入について
 在イラクのソ連軍事顧問団をすぐに引き揚げるべきだと思いますか。
そう思う      ……59
反対        ……11
わからない     ……30

 ソ連軍の艦船をペルシャ湾に配備して対イラク海上封鎖を強化すべきだと思いますか。
そう思う      ……15
反対        ……64
わからない     ……21

 ペルシャ湾の紛争に対して誰の責任が大きいと思いますか。
クウェートのアミール反動体制         ……3
イラク大統領サダム・フセイン         ……38
国際シオニズムと帝国主義           ……11
それ以外の国家、個人、組織          ……6
わからない     ……42

質問4 消費財の不足について
 最近、商店の棚から様々な商品がなくなっています。タバコ、パンなどの不足の第一原因は何だと考えますか。
社会主義的計画経済 ……18
いわゆるペレストロイカ            ……12
ペレストロイカ反対勢力のサボタージュ     ……33
商業部門のマフィア ……36
わからない     ……6
       (複数回答)