2002年1月10日        労働者の力               第 142号

 2001年9月

「同時多発テロ」は何をつくりだしたか
 
織田進   

 
 テロリズムとの戦い

 先の見えない「勝利?」

 九月の同時多発テロに直面したアメリカは、世界戦略の重大な転換を行った。
 ブッシュ政権は、クリントンの国益擁護と「人権」の二面外交から、自国の利害を至上の目的に置く事実上の「孤立主義」へ進みつつあった。しかし、同時多発テロが加えた未曾有の衝撃のもとで、ブッシュは「国際テロリズム」を鎮圧する「世界の警察官」の役割に立ち戻ることを宣言した。この転換は、予期できなかった攻撃に直面して即座になされたものであり、必ずしも十分に考え抜かれたものではないように見える。また、「国際テロリズム」の軍事的な根絶と言う単純な目標以外は、明らかではない。だがそれは、アメリカの世界戦略の明らかな転換であり、今後国際情勢に大きな変化をもたらすことが予想される。
 アメリカはアフガニスタンを実効支配するタリバン政府を「オサマ・ビン・ラディンの共犯者」と名指し、どう見ても国際法に違反する一方的戦争を仕掛けてわずか二ヶ月で打倒して、反タリバン勢力の連合による暫定政権を成立させた。今アフガニスタンは、事実上アメリカの占領下にある。暫定政権が、長期的に内戦を凍結できるかどうかは疑わしいが、当分の間はアメリカを中心とする軍事力と国際支援に依存して存続していくだろう。北部同盟やその他の民族勢力は互いに対立し、それぞれの利害が必ずしも一致しない隣接諸国家との同盟関係に依拠して自己の利害を追求しようと身構えているが、嵐のようなアメリカの軍事力行使を体験した後では、現在の構造を変えようとする勢力が登場するのは容易ではない。
 タリバンは打倒されたが、「テロリズムの根絶」は程遠い。源がある限り、テロへ向かう流れは発生しつづける。ブッシュもまた、「この戦いが長く続くことを覚悟しければならない」と重ねて強調し、問題の根が深いことを確認した。だが、どのように問題の根源に迫ろうとするのか、軍事攻撃に引き続いてどんな政策を展開しようとしているのか、アメリカは未だ明らかにしてはいない。

 「結束」足下の暗闇

 テロの衝撃に耐えるための国民的結束を創り出すことに、アメリカは成功した。もしイスラム「過激派」が、アメリカへの政治的な打撃を意図して九月のテロを組織したのであれば、彼らの闘争は成功したとはいえないだろう。直接に生み出されたものはアメリカの国民的結束であり、「テロリズム」の国際的な孤立であった。だが、もし事態の教訓をより本質的に受け止める努力を欠いて、直接の結果だけに目を奪われているならば、自らの内部に源を発する新たな闘争の流れがアメリカを引き裂くことになるだろう。なぜなら、アメリカはそれ自身の中に世界をかかえこんでいる、唯一の国家だからである。
 アメリカ国民は、自らに「無差別」に加えられたテロへの報復を遂行するブッシュ政権の軍事行動に対して、挙国一致の支持を与えている。だが、繰り返し強行された無差別空爆によって殺戮され、家も財産も肉親も奪われて難民として国内・外を流浪している、アフガニスタンの国民は、この非合理で残虐なアメリカの攻撃を、絶対に許さない。アメリカの突然の襲撃は、貿易センタービルに劣らない廃墟を、はるかに大規模に、はるかに徹底的にアフガニスタン全土に出現させたのである。たとえそれがアメリカの怒りを一時的に慰めたとしても、全世界の虐げられた民衆の眼前で繰り広げられたこの蛮行が、不問に付され、忘れられる日は決して来ないだろう。自らにいかなる責任もない「罪名」によって不当に生存を脅かされ、尊厳を奪われたこれらの人々が、いつの日かアメリカに立ち向かうかもしれない「テロリスト」の膨大な予備軍を構成していったとしたら、その時アメリカは自らが目指したものとは反対の結果を生み出してしまったことに気付かなければならず、逆にテロの側は根拠地を拡大することに成功したことになる。
 今日の世界で繰り返しテロが発生する原因を明らかにし、その克服のために努力することこそが、テロに対する根本的な戦いである。テロリストが掲げる「大義」そのものの根拠を消滅させることができなければ、テロを封じ込めることは出来ない。

 アメリカに課せられた責任

 イスラム過激派がテロを組織する「大義」はどこにあり、どのようにしてその根拠を奪うのか。それはいわば「ビン・ラディンの煽動」を無力化することである。しかもそれは、人々の生命の重さを基準にすれば、なんら不可能なことではない。その決断をアメリカが行うべきである。アメリカ以外に、そのプログラムを実行できる国はないからである。
 第一は、パレスチナ人民の国家を独立させ、その自立的発展のために国際的な開発支援計画を提示、実行することである。
 第二は、イラクに対する経済封鎖を解き、人道支援を拡大してイラクの国際社会への復帰を図ることである。イラクの周辺諸国に対する侵略的な野心に対して、軍事的・政治的に防衛網を築くことと、このことは別の問題である。
 第三は、「イスラムの聖地を土足で踏みにじる」に等しい湾岸諸国への多国籍軍の駐留を中止し、撤退することである。
 そして最後に、絶望的な窮乏化を強いられている全世界の諸民族とその国家が、自立した経済と文化の再建と興隆の道を進むことができるために、国際的な支援プログラムを作り上げ、「先進諸国」の負担において実現をはかることである。
 アメリカがたとえ「世界の警察」への復帰をどれほど強く決意しようと、政治的な解決から切り離された軍事的抑圧だけで、「国際テロリスト」を封じ込めることは到底出来ないのである。

 アフガニスタンの隘路

 「近代化」の矛盾とその打開
 ―アフガン論争

 タリバン政権は打倒された。アメリカに対するその抵抗は、無力であったように見える。だが、何故なのか。
 ここで二〇年の時間をさかのぼってみたい。
 一九七〇年代の終わりに、ソ連のアフガン軍事介入をめぐって、第四インター日本支部のなかで論争があった。一つの立場は、アフガン革命と労働者国家の利益を擁護するために、ソ連の軍事介入を支持する立場であった。もう一つの立場は、私自身が主張したものであったが、ソ連の軍事介入に反対し、ソ連官僚とその傀儡であるカルマル政権の打倒を通じて事態を打開すべきだと言うものであった。
 この論争は、一つにはソ連の「世界化」の矛盾についての認識の相違、もう一つはアフガン社会、ひいては「低開発・従属国」全体の近代化の矛盾についての認識の相違に起因していた。
 当時私は問題を次のようにとらえた。
 第一に、ソ連の軍事介入には「勝利」の展望がなく、「泥沼」に足をとられたソ連の「絶えざる出血」が「しだいに、ソ連官僚体制の無視できない打撃を蓄積」していくだろうと情勢を展望した。「・・・アフガンの諸矛盾がソ連自身の体内に逆に食い込むことになっていると言う事実・・は、八〇年代全体を通じてソ連官僚がかかえ込むことになる本質的な矛盾の尖鋭な端緒であるだろう。」
 第二に、ソ連と対抗しているアフガンの「反革命ゲリラ」を伝統的な部族共同体の「戦闘隊」ととらえ、その強固な紐帯と再生産構造は、過酷な自然条件の中で「固有の共同体規制によって営む農業経済」を基礎としていると規定した。この農業経済は深刻な危機にあえいでいるが、そこで生み出される分化が共同体規制の内部からの革命的な解体に向かって進むことを阻む強力な二つの要因が存在している。その第一は高地・乾燥地農業の死活的課題である灌漑管理を部族的・家父長的秩序が提供してきたと言う歴史的事実であり、第二は共同体規制の意識的な再生産をイスラムが引き受けてきたことにより、共同体の経済が宗教共同体の「高い精神的防壁」に守られてきたことである。
 第三に、当時のアフガン社会の矛盾を伝統的部族共同体村落に対する「上からの近代化・工業化の敗北」が生み出したものとしてとらえた。この近代化の政策は「七八年四月革命」までは、部族共同体支配層の支持を基盤に置く王政によって追求されたが、部族支配層のヘゲモニー争いとネグレクトによって失敗し、革命以後はソ連の支持・支援に依存する人民民主党が事実上独裁的に組織した「強力な国家」のリーダーシップのもとで展開されたが、その官僚的なソ連スタイルの政策はアフガン人民全体を敵に回すこととなって孤立した。
 第四に、ソ連の側もゲリラの側も決定的な勝利を実現する本質的な力を欠いている中で、帝国主義「国際反革命」は、アフガンの重荷を直接引き受けることを避け、「アフガニスタンが、ソ連軍とその指導者の、物質的・精神的な厄介の種であり続けること、その結果、ソ連が自分で撤退するところまで追いつめられる」ことをもくろんだ支援以上のことを展開しないであろうから、内戦は長期にわたって継続せざるをえないし、そのなかで、両対抗勢力の消耗が積み重ねられていくものと、展望した。
 最後に、これらの予測から、事態を本質的に打開できる新しい革命勢力の登場こそが要求されていると結論付けた。そしてこの新しい革命勢力が「革命的」であるといえるのは、この国の「本当の問題」である「くりかえし、前期的な共同体規制を再生産するこの国の経済的隘路」を打開しうる近代化・工業化を推進する「単一の国民国家」の建設を掲げて戦う点においてであると主張した。そしてそのような革命勢力が、人民民主党の内部から生まれる期待を表明した。
 以上が、八〇年八月当時に私の論じた「アフガン問題」であった(「」はいずれも『第四インターナショナル』三七号・八〇年九月、「アフガニスタン‐革命と反革命の構造」から)。

 「国民」なき政府の敗北

 今日の現実はアフガニスタンが、歴史的隘路からいささかも抜け出ることができず、それどころか、むしろ事態はいっそう悪化したことを示している。
 ソ連の撤退後、泥沼化した内戦の諸勢力に働きかけて民主的国家機構と国民経済の建設にむけて統一させるイニシアティブをとろうした外部勢力はなかった。アフガニスタンからの撤退が一つの契機となってソ連邦が崩壊し、冷戦構造の終結をもたらして、アメリカを唯一の軍事超大国とする新しい国際秩序に取って代わられることが明らかになる中で、アフガニスタンはアメリカにとって戦略課題ではなくなり、アメリカは手を引いた。隣接諸国家はアフガニスタンが対抗的外国の拠点とならないために、同盟関係に立つ諸部族・諸軍事勢力への主として軍事的観点からの育成・支援を継続したが、アメリカの介入の「成果」を引き継いだパキスタンが育成したタリバンが優位にたち、アフガニスタン全土をほぼ制圧した。だが、パキスタンのタリバンへの支援は、主として軍による軍事的教育と軍事物資の支援であって、国家経営の近代化や経済再建を可能とするものではなかった。難民青年を母体とし、パキスタン聖職者のもとで神学校に学んだ学生集団であるタリバンは、アフガニスタンの困難な国家再建の諸課題を引き受けるには経験も実務的能力も未成熟であり、実質的な機能は敵対軍事勢力に対する戦闘に限られていたが、悪いことに、内戦における軍事的支配のスタイルがそのまま国家経営のモデルとなっていった。
 タリバンの支配秩序の基準となる唯一の法体系は、コーランに厳格に基づくイスラム法であった。イスラムは宗教として政治・経済・文化の総合的内容を豊かに有しているが、宗教である以上、現世に適用するには必ず「聖なる者」の解釈を通過しなければならず、その際に起こりうる恣意性を制限するための、慎重なチェック・システムが存在していなければならない。タリバン政権にはかかるシステムが存在してはいなかった。このため、タリバンの政策は極めて狭く、国民全体の合意に立脚することが出来ず、パシュトゥン各部族の長老支配に部分的に依拠した、軍事的支配にとどまった。国民としての統合の基礎となる経済再建はなしえず、麻薬や武器の生産などの地下の非合法経済や、パキスタンやアルカイダなどイスラム「過激派」を含め、生き延びるために外部への依存が欠かせない要素となった。こうして、国民を統合する国家の構造を築くことが出来ていない結果、アメリカの戦争に直面したタリバン政府が、徹底抗戦を国民に呼びかけても、呼応する「国民」が存在しなかったのである。

 鍵となる革命主体の構想

 こうしてタリバン政権は崩壊した。八〇年当時の論争において私が提起した「新しい革命勢力」は、事実として、この二〇年の内戦の中で形成されて来なかった。当時の展望は、現実的な根拠を欠いたものであったといわざるを得ず、そこには、単なる状況認識の差異に帰せられない、方法上の問題が存在していたと考える。
 理論はあってほしい姿を提示する前に、現実を規定する諸要素の正確な把握を試み、どのような蓋然性が現実を構成しているのかをとらえようとした上で、未来に向かう戦略を提起しなければならない。アフガン社会の歴史的現実的な矛盾の構造、ソ連・アメリカその他の外部勢力を含む内戦の諸要素の分析とその展開の予測においては、私の展望は基本的に正しかった。しかし、その上に展開されるべき新たなアフガン革命の主体の構想に関しては、現実的な根拠がなかった。このことは、ソ連や東ヨーロッパの「労働者国家」が相次いで崩壊し、資本主義的市場経済の中に生き延びるための展望を模索するにいたった事態を予想し得なかったことと無縁であるとは言えない。それはさらに、現代における「国家と革命」のテーマの検討を我々に迫る。
 世界が新しい世紀を迎えた今日、アフガニスタンが経験してきたものと本質的に同一の困難が、ほとんど全体としてのアフリカ諸国を見舞っている。中南米やアジアの順調に近代化・工業化の道を歩んできたとされる諸国家においても、事態は単純ではない。それぞれの国内には、さまざまな「アフガン」が存在し、その「底なし沼」は埋められてはいない。例えば突然に経済をパニックが襲ったときなどには、この暗黒の深部は国家の統一を引き裂き、新たな矛盾と対立を先鋭化させる。そのとき前面に浮上するのは、民族・部族であり、宗教であり、いわば前近代の「血の共同体」のよみがえりである。対立と抗争が、脆弱な基盤に立つ「近代国家」を内部からむしばむ。資本主義の世界支配が成立した後、新たに市場に引き込まれた諸民族・諸国家の経済が、トータルに近代化・工業化に成功するという目標は、多くの場合達成されなかった。伝統的経済の分解と没落が生み出す膨大な貧民は、都市に吸い寄せられ、そこで新たな「底辺」を形成し、国家の基盤を脆弱で矛盾に満ちたものにしている。
今日のアフガニスタンは、忘れられた国家の悲劇としてだけではなく、世界が直面し、するであろう隘路の困難を尖鋭に提起し、二十一世紀の世界戦略の見直しを迫っている。

 未定の「進歩か野蛮か」

 各民族と国家がそれぞれごとに、近代化のレールをひた走って来た二〇世紀の戦略は、新しい世紀においても持続しうるであろうか。レールから脱落したものは淘汰され、世界は同一のゴールにやがて到達して、さらに新しいゴールを設定して再び進んで行くことが出来るのか。それともこのレールそのものがどこかで決定的に分岐し、近代的秩序に包摂されない「前近代」の拡大と再生産を背景に、世界は収斂ではなく拡散に押しやられ、生み出された環境・自然破壊や核拡散、そしてますます大規模化するテロの脅威の中で、人類は存亡の危機に直面するのであろうか。
 この問いは、二〇世紀の最終局面において世界を規定する「運動」となった資本主義的グローバリゼーションの意味と展望にたいして、向けられている。

 グローバリゼーション

 束縛なきグローバル資本の破壊力

 二〇世紀末から、グローバリゼーションとして展開されている経済的運動は、情報通信技術の革命的な発展を基礎としている。驚くべき短期間で世界を網羅したインターネットは、情報伝達・交換の仕組みを根本的に変えた。
今やインターネットを通じて、金融資本の国際的な移動、流入と撤退が瞬時に行われている。金融資本に無制限に与えられた投機の自由は、特定の国家・地域経済の急激な興隆をもたらし、逆にパニックを引き起こしもする。九〇年代末のアジアで、タイ・インドネシア・韓国・香港等が経験した経済危機の大きな要因は、巨額ヘッジ・ファンドの投機であった。直前まで輝かしい経済成長を記録していたこれらの諸国は、今日も未だ回復過程にある。
 インターネットによって、技術移転の速度は飛躍的に上昇し、国家・地域間の技術格差が急速に相対化した。この新しい環境は、中国・ロシアなど長期にわたって経済分野の先端技術で遅れをとってきた大国が、旧体制から引き継いだ生産システムを改革して世界市場に参入する大きな可能性を作り出した。もちろんそのことが、これらの国家に新たな矛盾を発生させることにもなるが。
 こうしたいわば「交通形態の革命」は、財の売買のシステム自体をも大きく変化させた。グローバル化する生産資本は全世界を対象として低価格の購買を追求し、さらにその製品の有利な販売を追求して全世界に展開する。生産の基幹的要素である労働力商品は、技術移転の容易化、スピードの増加とあいまって、グローバル化する資本がそこから超過利潤を産出する最大の標的となっている。安価で勤勉な労働力を求めて行う生産資本のグローバルな移動には、限界がなくなった。
 国境の束縛から逃れて利益を追求するグローバル資本の行動は、バブル崩壊から不況局面に入った日本・アメリカを源とする、デフレの世界的波及を加速している。グローバリゼーションは、雇用の縮小を通じて過少需要をグローバル化している。アメリカ・EU・日本など高度資本主義諸国では失業率が高止まりし、中国など近代化・工業化の途上にあるかつての「低開発」諸国家では、伝統的共同体産業の解体が進行し、巨大な生産人口が工業部門に排出され、都市へ移動している。中南米やアジア・アフリカのすでに「離陸」過程を歩んできた諸国の経済は、商品と金融の自由なグローバル市場に包摂され、熾烈な競争と投機の圧力にさらされて破綻の危機にある。

 アメリカへと収れんする反抗

 いまやグローバリゼーションは世界経済の現実である。それは、単一の自由市場への、全ての国家と経済の包摂を追求する。金融資本・財・技術のグローバルな移動が何者によっても妨げられないことを要求する。すなわちそれは、ただ一つの軍事大国となったアメリカの世界戦略の経済的側面であり、アメリカ資本主義固有の「標準」のグローバル化を追求するものである。またグローバリゼーションは、国民経済の一国的枠組みを破壊するため、国家の経済的イニシアティブを無力化させる。二〇世紀の前半、危機の「調整」(レギュラシオン)の手段として開発されたケインズ主義的コントロールの余地が縮小し、国民と経済が巨大グローバル資本に無防備にさらされる。
 だがそれゆえグローバリゼーションは、アメリカとアメリカに依拠する資本主義と、それによって抑圧され収奪されるものとに、世界を引き裂いて行かざるをえない。この時代は、新たな抵抗と闘争のグローバル化を生み出す。グローバリゼーションはアメリカの世界支配と同義であり、グローバルな闘争がアメリカを標的とすることになる。九月のテロは、まさにそのことを象徴した。それが、グローバリゼーションの中枢に対する闘争であったという意味で、さまざまな個別の集団がインターナショナルに結合した闘争であったという意味で、さらに、現代の情報通信技術の発展そのものに依拠した闘争であったと言う意味で。
 こうした闘争の拡大は不可避であり、九月は始まりに過ぎない。

 アメリカ帝国主義との闘い

 グローバリゼーションが独走して、世界が回復不可能な分裂を深めていくのか、それとも新しい「調整」手段(国際的枠組みにおいて働くものでなければならないが)を開発して軟着陸に成功するか、それを決定するのはアメリカ資本主義の支配階級である。
 果たして彼らはこの課題を自覚するであろうか。テロ後の「転換」は、今日の世界のより本質的な認識と、新たな長期的戦略の構築へと進むであろうか。自ら選ぶにせよ強制されてそうするにせよ、彼らがどのような道を選択するかに、これからの世界がかかっている。したがって我々は、ベトナムでの敗北に始まり冷戦の終結に至る政治経験と、情報技術革命を牽引力とする八〇年代〜九〇年代の経済発展を通じて、新たな世界観を獲得していったと思われるアメリカ資本主義の支配集団が、いかなる階級であるのかを、知ることに努めなければならない。
(二〇〇一年一月八日。中見出しは編集部)

テロ攻撃へのイタリア社会運動の対応
脱線から新たな挑戦へ
 
フラヴィア・ダンジェリ  


 暑い秋に向かうエネルギーの蓄積

 九月はじめの数日、われわれがイタリアの暑い秋に向かっていることは明確であると思われていた。ジェノバ後の七月末、国家の抑圧に反対する巨大なデモがあった。八月全体を通じて、反グローバライゼーション運動は、常に新聞の見出しを飾った。九月はじめの日々、強力な社会運動の組織化の要素が明らかに存在していた。この生まれ出ようとしていた運動は明らかにベルルスコーニ政府を困難に直面させる力をもっていた。すべての町や小さな村々で、社会フォーラムが生み出された。それは七月の国際的デモに向けて盛り上がる中で成長したジェノバ社会フォーラムを反映していた。これらの組織は、種々の共同体組織やセンター、労働組合、そして政治組織、そしていかなる組織にも参加していない多くの人々を、共に結集した。
 最初の会合であるローマ、ナポリ、ミラノの会合は、それぞれ一〇〇〇名を越える人々を結集し、大きな可能性を示すものだった。同時に九月九日、十日、こうした会合の一部であるジェノバ社会フォーラム(GSF)の会合は、イタリア社会フォーラム形成に踏み出すことを決定した。これはジェノバのデモを調整した全国組織から単純に構成されるのではなく、種々の地方フォーラムを巻き込み、可能な限り広範な運動の建設をめざすものであった。

九・一一事件の衝撃とそれへの即応

 このような中、九月十一日の事件と戦争に踏み出すNATOの動きは真の衝撃となった。
 運動はこの国際的危機に即座に対応し、テロリズムと戦争の双方に反対し、考え方と動員の中心課題とすることができた。運動はこうして反イスラムの人種主義的十字軍に対するオルタナティブを表現した。ところでこの十字軍は中道左派からの何らかのまともな反対に出会うことがなかったし、さらにその上にベルルスコーニをそのスポークスパーソンに仕立て上げたのだった。反グローバライゼーション派は、九月二十日以降、さまざまな町でデモを行い、社会的対立について民主的に表現する広範な領域を確保できた。ローマ、ボローニャ、トリノでは数千の人々がデモを行い、ナポリでは九月二十七日NATOサミットに抗する大衆動員に三万人が参加した。
 共産主義再建党はこの動員過程に全面的に参加している。明白に反戦デモとなった再建党の全国デモには五万人の人々を引き入れた。

 新たな課題への挑戦

 運動の全体予定はそれゆえ、九月十一日の出来事によってくつがえされることになった。新自由主義のグローバライゼーションの批判から、戦争と帝国主義の攻撃に対する反対へと移ることが一直線にいかないことは明らかだ。この移行は、以前の時期の動員の前線で活動してきた人々の多くに、入念な分析とある種の飛躍を求める。この観点から十月二十、二十一日、フィレンツェで行われることになった全国会議は運動サイドの、抵抗と即応的反撃への能力を試す、重要な機会となろう。
 同時に来るべき数週間は、運動のさらなる発展に向けた豊かな可能性を提供している。十月十四日のペルージャからアッシジまでの伝統の平和行進では今年、反グローバライゼーション運動における新たな指導層が登場することだろう。反グローバライゼーション運動は、有力な平和主義の要素の包含によってその基盤を拡大する可能性を示している。平和主義はコソヴォ戦争以来、イタリアにおける強い感情であり続けてきたのだ。
 他方、右派政府の提出した予算案によって後押しされた資本家の政策に反対する社会的闘争の集中という点での具体的可能性が存在している。極めて重要な要素はこの観点から見て、工業全般にわたるストライキが十一月九日に設定されたことである。その翌日にはGSFによるWTOに反対する全国デモが設定されている。このストライキはGSFの構成メンバーであり、ジェノバデモで重要な役割をはたしたFIOM(左派が主導する金属労働者組合)によって呼びかけられた。今、反グローバライゼーション運動とFIOMが挑戦すべきことは、この二つの動員の調整と相互作用の具体的形態と目的の共有点を確認することである。
 戦争反対から、WTOとイタリア経営者評議会の双方の新自由主義政策への反対に至るまで連なる要求が上記二つの動員サイドに収まることができるならば、運動はもう一つの未踏地に達したことになるだろう。これは決して些細なことではない。
 (ソーシャル・アウトルック十月号。中見出しは編集部)

  ATTAC―JAPAN(首都圏)が設立
 もう一つのグローバライゼーションを                  
                             

 二〇〇一年十二月九日、東京でATTAC―JAPAN(首都圏)が設立された。設立会議には、日韓投資協定の問題、多国籍企業の行動(トヨタのフィリピンでの労組弾圧)、民営化問題、移住労働者の問題、野宿者問題、食品安全の問題、農業問題、反戦など、各分野で活動している人々がおよそ五〇名参加。
 また滞日中のATTACケルンのマリア・ミーズさんが、ドイツの現況報告を含め連帯のあいさつをおこなった。
 運動体名称が首都圏となっているのは、すでに関西のATTACが設立されているため。両組織はおのおの独立している。この世界的運動のもつ開放性を反映し、二つの運動体は当面、連携しつつも独自に活動をすすめる。
 ATTACは、「市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション(連合)」の略称であり、最初フランスで結成された。すべての外国為替取引に課税する、「トービン税」を、途上国支援の資金として創出しようとする運動だ。したがって、本質的には投機的である金融取引の国際的自由市場を規制することと、グローバライーゼーションが不可避的に拡大してきた途上国の貧困と地域破壊への対抗を結合する性格をもっている。
 現在の新自由主義グローバライーゼーションの基礎には、自由な投資の至高性(多国間投資協定―MAI―が体現する)がある。そしてそれを現実化するテコとして、実物経済から完全に切断され、「信用操作」によって日々巨大化する巨額の金融資本―貨幣―がある。さらにこの金融資産の保有と管理運用の主体は、極度に集中され、民衆からまったく隔絶され、それ故何らの民衆的統制も受けない、一握りの巨大多国籍産業資本と金融資本である。
 この三者が相まって、生身の人間の必要にはまったく責任をとらず、必然的に人間を破壊する生産と再生産(投資)のサイクルが作られた。しかもそのサイクルは、人間的規制を欠き、資本の価値増殖の危機を根底にかかえることによって、極度に不安定かつけいれん的なものとなっている。
 ATTACの運動はまさに、このシステムの心臓部に痛撃を加える位置にある。それゆえ、この運動は、全世界のに急速に拡大中だ。この世界的運動への日本からの合流は、フランスATTAC代表、ベルナール・カッセン氏の二〇〇一年の来日を機に呼びかけられた。首都圏ではその後四回の相談会が開かれ、今回の設立が準備されてきた。各相談会には多様な人々が参加し、運動の目的や活動内容について丁寧な討議が重ねられ、今後も討論は開かれている。新自由主義のグローバライゼーションに反対する世界的運動がそうであるように、参加者の自主性を尊重し、相互の民主的関係を重視する国際主義的運動への挑戦がここにある。
 九月十一日の事件とその後の展開は、新自由主義のグローバライゼーションのつくり出した、世界全体への破壊的作用と、それに対する既成支配権力のむき出しの強権―民衆殺戮―への依存を隠しようもなく暴き出した。民衆の必要を民衆の連帯の中から実現しようとする世界的運動がまさに求められている。ATTACの運動はその具体的柱の一つとなろうとしている。日本における二つのATTACがその一翼となるべく、われわれも力を尽くさなければならない。
 ATTAC―JAPAN(首都圏)は当面、一月末ブラジルのポルト・アレグレで開かれる第二回世界社会フォーラム(五万人規模の結集が予測されている)に参加し、世界の運動、息吹と直接交流することから活動を開始する。
 なお、ATTAC―JAPAN(首都圏)は年会費一口三千円の個人会員と会費二口以上の団体会員で構成されるが、政党、党派は会員となることはできない。また情報交換は基本的にインターネットで行われ。ATTACのニュース・レター「サンド・イン・ザ・ウイールズ」の日本語版は、以下のウエブサイトに公開されている。
 
◎ウエブサイトアドレス 
 田中徹二
 tetsuji@jca.apc.org
 
◎会員申込先
 会費 個人年間一口三〇〇〇円以上、団体年間二口六〇〇〇円以上
 郵便振込 口座番号00150‐9・251494
 加入者名 アタック・ジャパン
◎ATTAC JAPAN(首都圏)連絡先
・〒1130001 
 東京都文京区白山1‐31‐9 小林ビル3F 
 ピースネット気付 
・TEL 03‐3813‐6492
・FAX 03‐5684‐5870(アタック宛)


◆資料◆
 ATTAC結成の御礼とお願いより抜粋

  
 ATTAC JAPAN (首都圏)は何をめざすのか。それを一言で言えば、今日の弱肉強食の経済である新自由主義的グローバリゼーションによって奪われた"雇用、福祉、社会保障、人権、文化、環境、自治、平等など"を実現していく民主主義的空間を奪回することにあります。
それは同時に民衆による下からの意思決定機構を構築することでもあります。
 そのための一手段として、巨額な投機的国際金融取引に対して重税を課そうとするトービン税要求が有効です。おりしも一月前の十一月十九日フランス国会は最高〇・一%のトービン税をかける原則を採択しました。もし、全世界で〇・一%課税が実現しますと、年間に約一六六〇億ドルの税収が得られ、これは途上国での最悪の貧困を解決するために必要な額の約二倍もの資金となります。世界を駆け巡る投機的資金と並んで経済のグローバル化を推進しているのは、多国籍企業やWTO(国際貿易機関)などの国際経済機関です。これらに対する監視と異議申立ての行動の強化をめざしていきます。
 私たちはまた、 日本の社会運動がバラバラに行われるのではなく、反グローバリゼーションの視点からのネットワーク化をめざします。そして高揚する世界の反グローバリゼーション運動と意識的結合をめざします。
 ATTAC JAPAN (首都圏)は、今後の主な活動として、来年一月三十一日から二月四日にかけてブラジルのポルトアレグレ市で開催される第二回世界社会フォーラムに参加します。また、四月もしくは五月に「マクドナルド解体事件」で著名になったフランス農民同盟のジュゼ・ボヴェ氏を招へいし、全国で反グローバリゼーションの集会を開催していく企画を立てています。
 つきましては、みなさまに私たちの運動の主旨にご理解をいただき、ぜひ会員になっていただくことを訴えます。会員は、所定の会費を納入された時点で確認し、趣意書や規約を送付致します(前もって、ご希望される方はお申し出下さい)。
 もちろん、カンパは大歓迎です。ともに希望と未来を取り戻す運動に参加しましょう。


    パキスタンとカシミール

第四インターナショナルフランス支部機関紙『ルージュ』によるファルク・タリクへのインタビュー                                                                                              


 支配階級の無責任

―パキスタンでの現在の政治環境におけるカシミール問題の重要性とは何か

 カシミールは、インドとパキスタンを三度の戦争と、あわや戦争という局面に何度も向かわせた主要な問題となってきた。カシミールは、それ自身の独自の文化、言語、伝統、そして領域と何千年もの歴史を持つ独立した民族である。現在カシミールは二つの部分に分割されている。一つはインドに編入されているが、他の分割部はパキスタン支配階級によればカシミールの多数派部分だとされている。そして双方ともにカシミールをそれぞれの国家の不可欠の一部と主張している。だが両方ともに誤っているのだ。
 過去十年間、宗教的原理主義者がカシミールに入り込んだ。そして民族闘争の色彩を宗教的闘争に変えようと試みている。彼らはパキスタン軍のある部門の支援を得ている。
 インドはこれらの「ムジャヒディン」をテロリストと呼んでいるが、パキスタン軍事政権は彼らの闘争を民族解放のための闘いと言明している。カシミールのこれらのムジャヒディンの闘争の性格付けが、二つのブルジョア国家間の主要な対立点の一つである。
 事実は、これらの国家の双方ともが、国内問題から注意を逸らすためにカシミールを政治的なフットボールとして使ってきたということだ。カシミールは双方で排他的愛国主義をかき立てるためにこれまで利用されてきた。
 
―歴史的背景は?

 独立時点では、以下の点が、イギリス帝国主義、国民会議派、ムスリム同盟が一致した打開策だった。すなわち、イスラム教徒が多数派である州はパキスタンに結集し、残りがインドとなる、と。
 カシミールはイスラム教徒多数派の州だったが、一九四七年時点での支配者はヒンドゥ教徒のラジャ(藩王)だった。そして彼は一方的にカシミールはインドに合流する、と宣言した。
 これは多数の住民感情に反するものだった。この結果が二つの新しい独立国家間の最初の戦争となった。戦争中パキスタン軍はカシミール地域を占領した。その間に国連が介入し、休戦となった。合意された解決案は、カシミール人が望む合流先がどこであるか、彼らの意志を知るための住民投票を行うことであった。
 しかし、この解決案はカシミール民衆の独立の権利に機会を与えるものではない。パキスタンが戦争中に奪取した部分は、アザド・カシミール(独立カシミール)として知られている。しかし事実上そこはパキスタン占領地であり、そこにはかいらい政府が置かれ、真の民主主義は全くない。
 一方、提案された住民投票は、あれやこれやと弁解しつつ、決して行われなかった。そしてインド、パキスタン間では、一九六五年次いで七一年と戦争が行われた。六五年の主な問題はまたもやカシミールだった。
 八〇年代、カシミールの独立をめざす民族闘争は双方の地域で、誘拐、ハイジャック、吊し首を含んだ新しい曲がり角に直面した。
 インドの占領地域では大衆運動が噴出したが、それはこの地域に六〇万人を越える軍隊を展開したインド軍によって押しつぶされた。
 九二年のムジャヒディンの手によるカブール陥落後、ソ連占領と対決する戦争に参加したムジャヒディンは、他地域へ「イスラム革命」を拡げるためにカシミールに向かった。
 彼らはパキスタンの軍情報部から支援を得た。カシミールでのイスラム戦争を闘うために若者を集めはじめていた新しいイスラム組織によって、多くの訓練基地が設けられた。これはインドによってカシミール問題への外国の支配と呼ばれたが、パキスタン支配階級はこれをカシミールの自由のための闘争と言明した。
 今パキスタン軍事政府は岐路にある。タリバンをテロリストと決めつけた一方で彼らは、カシミールのテロ活動を依然として民族闘争と見なしている。彼らはもはや二つを両立させることはできない。彼らはカシミール問題に関して為すべきことで選択の余地を持たない。
 他方でインド支配階級は、パキスタンはテロ国家であると規定されるべきだと試みる最良の条件を得た。それは、カシミールでのテロリズムを抑制するよう、アメリカ帝国主義に多くの圧力を加えている。インド支配階級は、対テロリズム戦争が発動されるべき次の地域はカシミールでなければならないと要求している。
 しかし、インド支配階級の目的は、カシミール大衆の民族闘争を抑圧することにある。カシミール民族闘争内には、異なった潮流がある。ヴァジパイ政権にとって、カシミールの解決とはより多くの自治である。しかし闘争はそこよりはもっとはるかに先に進んでしまった。パキスタン労働党は、社会主義の基盤の上での、インドからもパキスタンからも自由な、独立したカシミールを支持している。
 
 地域的危険の高まり
 
―地域全体の政治問題が係わるまでになっている核問題の重要性とはなにか?
 
 ここではそれは白熱した問題だ。インド、パキスタンの支配階級の双方とも、核武装を誇示している。双方とも最も貧困の拭いがたい国家であるにもかかわらず、軍事費の浪費は巨大なものとなっている。パキスタンではGDPの四五%にまで達している。二つの敵対国家の手中にある核兵器は安全なものではないし双方の民衆にとってはなおさらだ。
 パキスタンの軍事政権とインドの極右政権それぞれが、相互の敵対意識ということに政権の基礎を置いているということがより真実だ。
 双方ともが核兵器は使うためにあるのではなく、それぞれの国家を守るためのものだと主張している。双方ともが、これらの兵器があるおかげでだれもその国を攻撃できないと主張している。しかし事実は、核実験後の九八年末、二つの国家がカルギルで戦争に入った、ということだ。
 事実上、この二つの支配階級の支配下での核兵器の所有は、世界全体の平和を危険にさらすものとなった。
 宗教的原理主義者は、双方の極めて強力な勢力だ。これらの勢力がもしたまたまこの兵器を獲得することにでもなるとするならば、世界の歴史上かつてなかったような新しい危険な状況が生まれうる。
 
―アフガニスタンでの国連の政治的、軍事的プロジェクトについてはどう考えるか?

 アフガニスタンに対する国連の計画は、アメリカ帝国主義に好ましい政権を復活させる以上のものではない。それは今、前国王、ザフィル・シャーの残像の下での幅広い政権として語られている。しかし、北部同盟のカブール攻略はシナリオ全体を変えてしまった。北部同盟は現在、他のグループに彼らの条件を押しつける位置にいる。カブールの権力は非常に象徴的なものだ。それはカブールを得た者がアフガニスタンを支配する者であることを意味している。
 それは同じように国連の優先度を変えるだろう。幅広い基盤に立つ政府は依然として北部同盟に依存したものになるだろう。(十一月二〇日。原文はパキスタン労働党のウェブサイトに掲載。見出しは編集部)
 


 
アフガン労働者連帯キャンペーン(AWSC)始まる
 

 
 パキスタン労働党(LPP)は、アフガン労働者革命組織(ALRO)との密接な協力の下で、アフガン労働者連帯キャンペーンをはじめることを決定した。
 LPPとALROは、すべての世界の左翼組織および労働組合運動に向けて、このキャンペーンを支援するように訴えている。
 このキャンペーンの主な目的は、闘争に立ち上がっているアフガン労働者が生き延びることを助けることである。それは、アフガニスタン内部や、パキスタン難民キャンプに支援物資を配分し、アフガン労働者を助けることになる。またそれは、アフガン労働者の進歩的組織を強化するだろう。それはアフガン労働者に、日々の必要物を、緊急性の基準に基づき集め、運ぶことになる。
 アフガニスタンでの何年にもわたる宗教的原理主義者によるすべての民主的権利また人権に対する抑圧は、左派勢力の組織を絶対的に弱い立場のままにしてきた。多くの者が、アフガニスタンでの社会主義を主張したが故に生命を落とした。残りの人々は、亡命先でも地下での生活を送っている。彼らの家族は、宗教的原理主義者により拷問にかけられ、死を宣告された。しかしいわゆる帝国主義勢力の勝利は、アフガン左派勢力にとってよりよい状況を生みだしているわけではまったくない。彼らは依然として、社会主義思想を拡げるためには極めて困難な生活を強いられている。
 闘いに立ち上がっているアフガン左派勢力の生存を支援し、彼らの組織化を促進するためには、活発な国際的支援が必要である。LPPは数年間、アフガン左翼支援活動を行ってきた。彼らは今、アフガン左翼が思想と戦略を練り上げるよう援助するため、パシュトゥー語での月刊誌発行の計画を立てている。
 LPPはすでに、ALROや他のアフガン左派グループを通してキャンプ内の難民に配布するための、衣料、薬品、毛布、靴、その他日々の食料品を集め始めた。LPPは、これらの物資を積載した最初のトラック便を十一月二十四日に送り出すよう計画している。
 
 できることをやってください

 組織の場合は最初三百ドル、個人の場合は最初百ドルを支払うことで、AWSCの正式支援者となります。このキャンペーン建設のため、是非とも支援を。具体的には以下のことを要請します。

1、物資の収集
 各国で日用品を集め、船便で以下へ送ってください。
Education Foundation,40Abbot Road,Lahore,Pakistan
 毛布や衣類のような物資の使い古しは、パキスタンで安く手に入ります。よろしければお金を送ってください。そうすればあなたに代わって私たちがそれらを買うことができます。
2、ボランティア
 もしあなたに時間があり、旅行するお金があるのであれば、このキャンペーン建設を手助けするためにパキスタンに来てください。私たちは、このキャンペーン支援のための国外からのボランティアを必要としています。このために是非急いで私たちに接触をお願いします。
3、寄金
 以下の銀行口座への寄金を送るよう要請します。
Education Foundation Donation
口座番号(ドル口座)
017967128 Standard Charted Grindlays Bank, Gulgerg Branch Main Boulevard, Gulberg Lahore Pakistan
 
AWSC創立委員ジョエブ・バッティ(LPP中央委員会議長)

E-mail:labourparty@gmx.net 
Website:www.labourpakistan.org

TEL:9242631562,6301685
FAX:9242631562,6303808

*これまで登録のスポンサーは省略
*教育基金(Education Foudation )は一九九三年LPPの支持者によって立ち上げられた登録NGO。
(インターナショナル・ビューポイント十二月号)