2002年2月10日        労働者の力               第 143号

 二十一世紀における新たな社会主義のための闘い
 
反帝東アジアの政治経済共同体を
 
高木 圭   

 
 ブッシュ政権の成立と九・一一テロ
  
 二十一世紀の最初に起こった象徴的出来事は、アメリカの指導が共和党に変わったことだった。フロリダでの開票が紛糾した背景には、ブッシュ政権の成立という事態がきわめて憂慮すべき事態を招くだろうというアメリカ民衆の危惧があった。
 就任したブッシュは、真っ先にクリントン時代の政策からの大転換を表明した。原子力発電の復興、迎撃ミサイル配備計画、地球温暖化問題に関する京都議定書の拒否、さらにパレスチナ問題についてイスラエルタカ派のシャロンの明確な支持など。これらは、アメリカの帝国主義的要素を前面に押し出すものであった。二〇世紀になって覇権を握ったアメリカ帝国主義が、新しい世紀に、きわめて荒々しい形で登場したのだ。
 日本においては、小泉も劇的な形で登場した。前森首相の不人気退陣を受け、大変な支持率を集めた。自民党政治の行き詰まりの中で、小泉の改革パフォーマンスが受ける構図ができあがった。しかし小泉は靖国公式参拝を公約にするなどのきわめて国家主義的傾向を持ち、都知事石原などの掛け値なしの右翼の期待を全面的に集める政権として出発したのである。
 小泉もブッシュも、ともに新自由主義の信奉者である。資本主義「原理主義」者である。ブッシュは、イスラム原理主義に対するアメリカ原理主義を掲げたように、極めて露骨な力の政策の信奉者であり、他方の小泉はまた、露骨な日本軍隊の海外派兵を強行し、戦争準備国内体制とでもいうべき有事法制を強力に推進する形で動き出した。新自由主義経済の信奉者はまた同時に力の政策の信奉者でもあるという事実を、この両者は実証した。
 こうした帝国主義への対抗勢力としては意味のあったソ連は解体し、いまやロシアのプーチンがブッシュのパートナーとして現れている。帝国主義を掣肘する対抗勢力の不在―これが現在の世界状況である。
 それに対してどのように応えるか。新自由主義のグローバリゼーションに抗する大衆運動が世界的に組織されてきていた。シアトルからジェノバに至る世界的大衆抗議運動の展開こそ新しい世紀の将来を切り開く可能性を持った運動であった。
 だが、突然に不幸な形で、イスラム原理主義、オサマ・ビン・ラディンに率いられるアルカイダが登場した。九・一一の世界貿易センタービルとペンタゴンへの自爆同時テロは、その悲惨さで世界を震撼させるとともに、オサマ・ビン・ラディンを犯人と一方的に決めつけたアメリカと帝国主義諸国の全面的な報復戦争を招いた。
 アルカイダ、タリバンはもともとアメリカが、対ソ連戦略の中で育成してきた。『インタナショナル・ビューポイント』誌に、同時テロの直後にクリヴィーヌ同志が「フランケンシュタインの怪物」を書いたが、見事にポイントをついていた。まさにアメリカというフランケンシュタインがつくり出したアルカイダ、タリバンという怪物がその創造者に逆襲したのである。
 アメリカに代表される帝国主義的「原理主義」に対して、最も超歴史的なイスラムの宗教的原理によって対抗するという形が前世紀の後半期に存在するようになってきた。イラン革命はその代表であるが、それは将来の政治経済体制をどうするかなどとは関係のない形での情念的対抗であった。
 さらに昨年秋以来、シャロンの登場によってイスラエルはパレスチナ自治区を絶望的状態に追い込んできていただけに、イスラム過激派によるテロの火種は十分にあった。アメリカ自身再三再四の警告を出していた。
 ところが九月十一日の同時テロが起こり、自爆テロによってあのような悲惨な形で、アメリカの経済的象徴であるワールド・トレードセンタービルが崩壊してしまう。アメリカの軍国主義の象徴としてのペンタゴンも攻撃された。
 ブッシュは前代未聞の新しい事態が起こった、新しい形の戦争が起こったと語り、先述したようにイスラム原理主義と闘う帝国主義原理主義という構図を描き出そうとした。これに対しての反論で、一番的確だったのは、アメリカの有名な言語学者で、きわめて気骨ある知識人のチョムスキーの「九・一一にはアメリカに報復の資格はない」という論文である。この翻訳が『文芸春秋』に出たというのも驚きだが、きわめて率直に、これまで国際司法裁判所で有罪になった国家というのはアメリカとイスラエルしかない、と指摘している。
 今度のテロ攻撃はおそらくはブッシュの登場を直接的な契機にしている。この一連の出来事の中で主役の犯罪者はブッシュであり、相手役がオサマ・ビン・ラディンである。両方とも許すことができない犯罪を犯したのだ。
 
階級利害の貫徹としての小泉改革 
 
 小泉人気とはなんであるのか。日本の国家構造は利権構造であった。土建・ゼネコンなどが象徴するものや官僚主導型への反発が田中真紀子などの多少痛快な発言に反応する。ジャーナリズムが小泉のパフォーマンスをおもしろおかしく報道する。また知識人というのも、五十嵐慶喜氏のように、あるいは政治家でいえば、民主党の鳩山代表のように、六五〇兆円を超える財政赤字を立て直さなければならないから「小泉改革」を支持するという。彼らは小泉のやり方が弱いものいじめ、労働者へ痛みを押しつけるやり方であるということを見抜こうとしない。あるいは見抜きたがらない。
 小泉の政治理念は、市場原理主義や新自由主義の国内的適用で乗り越えようとするものである。それは「犠牲の分かち合い」として表現されている。他方ブッシュは、大型減税を政策的柱にする。しかし、この大型減税は一言でいえば金持ち減税である。共和党のタカ派に共通する論理は、アメリカという多民族国家において白人のエリート層や資産家がアフリカ系やラテン系への社会福祉予算を負担することを拒否する、そのための税金は払いたくないという立場が押し出されており、それに応えるための大型減税である。小泉にもブッシュにも共通に、露骨な階級的立場が貫徹しているのである。
 新自由主義のもとに大規模な首切りが奨励されている。小泉内閣がそれを公然と後押ししている。何千、何万という規模の大リストラがつぎつぎとすすめられている。そして、その「受け皿」とされる「新しい産業」はこの不況下では立ち上げようがない。現在五・四%に達している失業率はますます上がっていくだけである。
 小泉が現在やっている「構造改革」というのは一部の大資本家のみが現在の構造改革の利益を受けるだけで、NTTの大首切りと賃下げ、郵政民有化問題、あるいは教育部門の労働者など、公的部門もふくめて、労働者がリストラと賃下げの「痛み」を一方的に受けることになるだけだ。
 今のブルジョア階級には、橋本元首相を中心とした景気回復を中心的にすすめようとする、旧来の利権構造や官僚機構に依存した、いわゆる「守旧派」と、小泉首相を中心とした「構造改革」の二つの路線があるが、、新自由主義を唱え、日本国家主義とアメリカ連帯を結合するという点で、小泉がタカ派であるというべきである。しかし橋本元首相に頼っている人々も度し難いから、日本の二十一世紀の数十年は、九〇年代が「空白の一〇年」といわれたが、そのいい方で言えば、混迷・迷走の数十年となるだろう。
 
新自由主義への対抗軸としての社会主義 
 
 社会主義のイメージとしていえば、第一の基軸にならなければならないものは「反戦」である。現在のブッシュが採っている戦争指向政策の根底には、父親のブッシュが湾岸戦争の時に使った以降の備蓄された武器を消費し軍事産業を盛り上げるという産業政策がある。こういう指向性を生み出す軍需産業構造そのものを福祉などの産業に大きく転換していく、切り替えていくということが必要である。
 内橋克人氏が北欧経済の地域経済を重視した経済というものは、食料(フーズ)、エネルギー、ケア(看護や介護など)を重視した社会構造だと指摘しているが、軍需産業をこちらの方に転換していくことが重要である。日本はフーズ、食糧自給ということでは世界で最も絶望的な危険な状況にあるのではないか、またエネルギーに関してもそうである。ケアに関してもきわめて遅れている。アメリカ型の反動的な介護保険は、論理的にもさまざまな矛盾を持った問題のある制度である。エネルギーに関しては、プルトニウム備蓄路線をまだ捨てていない。反戦、反帝国主義、環境を重視した、政治的な意味での社会主義を打ち出していかなければならない。
 経済的側面であるが、ここで一つ強調しておきたいことがある。ブントという党派の荒派、日向ブントともいう。それを率いていた荒氏=日向氏がマルクス主義を放棄したことについてである。彼の書いていることを読むと、どうして今までマルクス主義を擁護していたのかまったく理解ができない。『情況』に彼が書いたことによれば、今まで社会主義を名乗ってきた国家体制や経済体制は一度もうまくいったためしはない、故に社会主義というイデオロギーもマルクス主義、レーニン主義もすべて間違いだったのではないか。私は故にマルクス主義から引き上げる。これが彼の言い分である。
 ぜひとも引き上げて頂きたい。ブントという勢力はロシア革命以降の体制をまともに総括したことはない。彼らはまずトロツキーを読まない。ネップ期がどうであり、スターリン体制の成立がどうであったのかなど、全然学ばない。私たちはソ連型社会主義を社会主義とは考えずに労働者国家と従来呼んできた。社会主義計画経済ということについて、スターリンの市場を絶滅させる政策に対してトロツキーはブハーリンと共に全面的に反対した。さらに労働者の民主主義、ソビエト民主主義を全面的に抑圧することになるとして、彼トロツキーはプレオプレジェンスキーという経済学の盟友とも袂を分かってまでして闘い抜いた。
 そういうことで、私たちは、ソ連邦の解体によって社会主義経済体制の考え方が破綻したというブルジョアマスコミの宣伝とは決して相容れない。トロツキーはスターリン型経済体制は社会主義ソビエトロシアを自壊に追いやるであろうとして闘ったわけだから、荒氏のような考えはとんでもない間違いである。荒氏はブルジョアマスコミとまったく理解を同じくしている。彼は二、三年前から自由主義に目覚めたのだそうで、経済上の自由主義、つまり市場経済の重要性について考えてきて、ついにマルクス主義、レーニン主義はすべて誤りであったとして社会主義からの決別を成し遂げたわけだ。彼らが現実的な政治や社会の分析を怠って、いわば宗教的な、哲学的ブランドとしてマルクス主義を信仰していた報いが現れてきたのだ。
 そういった意味で、ロシア革命以降のソ連型社会主義の総括ということはきわめて重要である。この点に関しては旧社会党を支持していた人々、知識人の中に、はっきりとトロツキー派の総括をまともに受け入れようとしている人たちが生まれつつあるし、共産党系のマルクス経済学者の中にもはっきりとトロツキー派の総括を認めている人たちがいる。数年前、東京でグラムシ・トロツキーシンポジウムが組織されたが、その際グラムシ研究家のサイドから、グラムシはスターリンよりはむしろトロツキーの教えに忠実だったのではないか、少なくともトロツキーの側によっていたのではないかという提起がされた。こういったことは今後ますます起きる可能性がある。
 
東アジアとの合流なしに日本の二十一世紀はない 
 
 では、現在、日本が一国だけで現在の危機を突破できるのだろうか、できはしない。
 二〇〇一年に出版された本で、森嶋通夫氏というイギリスで活躍されている経済学教授、ケインズ派の経済学者であるが、彼が岩波から『日本にできることは何か−東アジア経済共同体を提案する』という本を出した。私はかなり期待していたのだが、読んでみて失望もした。彼は九五年に岩波の同時代文庫に『日本の選択』(残念ながら絶版である。中古書店にも出物はほぼない。図書館で探してください―編集部)を上梓し、ここで「東アジア政治経済共同体」を本格的に提起した。その本に比べれば今回のものはインパクトに欠ける。『日本の選択』は、日本の現在の保守政治がどうしようもない行き詰まり現象を起こしているということや、天皇の戦争責任の糾弾とかが展開されており、中国共産党に未来を託すというようなところまで踏み込んで論理を展開した。この最後の所は気に入らない所であるが、しかし東アジアの経済圏構想というのは森嶋氏だけではなく、かなりいろいろな人たちが言い出しはじめている。ただし私たちがこれを念頭におく場合、当然にも南北朝鮮の統一という課題があり、日中関係がかなり重要になる。とくに日本の場合に中国市場に進出する、あるいはユニクロのような、中国を世界の工場にするという発想では共同経済圏はできない。たしかに現状では中国が東アジア全体の工場になる可能性はないとはいえないのだが。
 
東アジアにおける中国―鍵を握る中国労働者階級 
 
 中国社会を私たちは労働者国家と規定してきたが、最近中国のオールドトロツキストたちと討論する機会があったが、そのとき彼らからは人民中国は文字通りの意味では一度たりとも労働者国家であったことはないということを断言された。考えてみればそうである。
 中国共産党は、党の軍隊である農民軍によって権力を掌握した。「鉄砲から政権が生まれる」というのは陳独秀の言葉だが、毛沢東のオリジナルのように流布されている。実際これが彼らの勝利の秘訣だった。しかしその延長に政治と経済を作り上げていけるかどうかは大きな疑問符がつけられていた。毛沢東は大躍進運動で経済的な大破綻を引き起こす。それは文化大革命によって最終的結論にまで押し進められた。そして毛沢東は、帝国主義に対して多民族国家である中国を、中国共産党の結成以来の公約である連邦制を捨て、強引に単一国家として建設した。「反帝国家」として建設したという「功績」はあるものの、労働者の解放という点ではまったく問題を未解決のままに残した。
 これはケ小平が改革解放路線を打ち出しても、未解決のままの問題である。その時にはっきりと見なければならないものは、労働者がかなり悲惨な状況にあるという事実である。彼らもある意味で市場原理主義に乗ろうとしているのだが。
 今の国営企業の改革に関しては部分的には支持しなければならない点がはっきりある。たとえば中国の小さな国営レストランに行ってみると、私営レストランよりはるかにサービスが悪い。悪すぎる。彼らは売り上げということにはまったく関係がない。労働意欲はともかく消費者に対しての対応がきわめて悪い。
 全面的に、あらゆるところで国営をやるということはおかしなことで、トロツキーが『裏切られた革命』で言っているように、社会主義の目標というのは決して国営という官僚の統治下におくことにあるのではない、ということである。まさしく消費者とサービスを提供する側が両方ともに活力をもたらすような公的空間を拡げていくことが正しいあり方である。共生の道が正しい。
 中国社会主義では、特別区の労働者の権利はまったく剥奪された状況にある。農村から職を求めて流れ込んでくる膨大で低廉な労働力がそうした状態を支えているが、しかしある程度の安定が生まれ、労働者意識を持った人々が集団として育ちはじめたとき、はたして事態はどうなるのか。ここにはっきりと共産党が解決できないきわめて根源的な問題がある。いま共産党は資本家党員の存在を容認したが、そうした「見張り付き」の党の統制ということと、農民や少数民族、労働者の自覚ということが明確に現れ始めている、これが共産党にとっての脅威である。
 一九八九年の天安門事件以降の政治課題、つまり天安門問題は解決されることなく休火山のように鬱屈して残っている。今の中国の活力、成長の構図があるわけだから表に出ては来ないが、いずれ相当に大きな形で表面化してくるであろう。獄中三十年にも及ぶ彼ら中国内部の老トロツキストたちは、活動は許されないけれども、潜在的なイデオロギー的可能性は相当にある。
 だから、森嶋氏はトロツキー派を批判して、マルクス主義の原則を今でも守ろうとしているといい、共産党は柔軟だと評価しているが、これは明らかにリップサービス。しかし資本主義中国という側面だけを見て、無産階級の中国という点を見なければ、今後の中国を見誤ることになる。
 ドイッチャーの言葉を借りれば、中国は「未完の革命」だったということを再認識する必要がある。反帝国家でありつつ、世界的に唯一活力ある成長を遂げている中国。その活力は一般民衆レベルでも強力に作用している。とにかく本が売れて売れて仕方がないという状況にあるらしい。これもきわめて例外的で、日本では売れない。
 中国共産党がこうした民衆レベルの活力を生み出しているとは思わないが、中国共産党自身、同時テロと報復戦争の問題や小泉の靖国参拝に対する対応など、相当の健全な対応を示している。やはり、労働者国家という用語は使わないとしても、反帝国家としての健全性は持っている。すなわち人民中国の健全性である。さまざまな活力を持っている中国における労働者階級の目覚め、これはまさに膨大な、何億人という規模の目覚めだが、その際に労働者民主主義を徹底的に掲げ続けた陳独秀の歴史的意義が出てくる。
 
日米安保体制からの離脱が前提である 
 
 私は森嶋氏の東アジア共同体論は基本的に支持するし、これからの数十年の東アジアにおける社会主義の再建への重要な貢献だと思う。しかし中国における労働者の目覚めと一体化した東アジアにおける社会主義の未来という構想が練り上げられていかなければならないのである。
 そうすると、今の小泉の行っているブッシュへの際限のないすりよりは、日米安保体制にさらに寄りかかる路線であり、そのアメリカ軍の主要な想定対象が中国であり、北部朝鮮であることを考えれば、なおさら犯罪的政策と言わざるをえない。二十一世紀の今後の数十年がおそらく日本の保守支配層のもとでは混迷の時代となることは明らかだから、中国に対抗しようとする政治的動きは、その意味でも二重に犯罪的である。
 帝国主義ブッシュと決別し、反帝国家である中国人民との合流こそを政治的・経済的に考えるべきであり、これが二十一世紀の私たちの最大の課題であると考える。もちろん環境や経済政策、社会政策などさまざま、考えるべきことがあるが、その大前提として、東アジアとの合流という大枠を追求すべきと考える。
 (二〇〇一年十二月二十七日収録。見出しは編集部)
 

アフガン労働者連帯への協力を
国際主義労働者全国協議会(労働者の力社)  


 アフガニスタン暫定政権が発足しました。アメリカの武力制圧を背景にした連合政権であり、アフガン民衆自身の政権とは言えない政権です。北部同盟各派やその他の土着勢力はいずれもイスラム教原理主義の色彩を帯びており、帝国主義の武力と資金に依存している以上はなおさら、女性や社会主義勢力への抑圧と弾圧という底流には大きな変化は現れないでしょう。
 宗教的原理主義はイスラム教圏諸国における社会主義運動の徹底的抑圧の上に拡大してきました。一方ではサウディ・アラビアに代表される絶対専制的イスラム王権国家が帝国主義と結合してきました。他方ではイラクやシリアに見られるバース党支配の独裁政権が発展しました。イランや崩壊したタリバン政権が代表したイスラム原理主義社会もまた徹底した宗教専制社会です。これらの諸国においては民衆の、民衆による民主主義は存在すること自体不可能に近いものです。
 社会主義運動は民衆自身による社会を新たに構成しようとする唯一の運動としてこれらアラブ支配層の徹底的弾圧にさらされ続けてきました。社会主義運動が力を持つためには民衆による民主主義が形成されていく過程が必要です。言いかえれば民衆自身の主体的結束が強化され、民衆が専制政権をうち倒していくに足る力を獲得していくに応じて、民衆自身の主体的社会建設が可能となっていきます。
 私たちはこうした視点から、現在各種NGOによってさまざまにすすめられている人道的なアフガン民衆支援運動に、もう一つの視点を加える必要性を感じます。それは、民衆自身の運動を作り上げようとする闘いへの支援です。
 パキスタン労働党(LPP)は、アフガニスタン労働者革命協会(ALRO)との密接な協力の下で、アフガン労働者連帯キャンペーンをはじめることを決定しました。LPPとALROは、すべての世界の左翼組織および労働組合に向けて、このキャンペーンを支援するように訴えています。
 私たちは、このパキスタン労働党の国際的支援要請に応えることにしました。
 パキスタン労働党は第四インターナショナルに所属し、パキスタンにおいても近年飛躍的に強化されてきた宗教的原理主義組織と真っ向から対抗する組織と運動を築こうとして闘ってきました。その闘いの大きな一つに、隣国アフガニスタンで非合法化され、指導部が亡命を余儀なくされているアフガニスタン労働者革命協会との連携があります。

 このカンパは次の口座へ送られます。

Education Foundation Donation 口座番号(ドル口座) 017967128 Standard Charted Grindlays Bank, Gulgerg Branch Main Boulevard, Gulberg Lahore Pakistan
*教育基金(Education Foundation )は1993年LPPの支持者によって立ち上げられた登録NGO。

 読者のみなさん、同志のみなさん、労働者の力社の郵便振替口座に寄金をおよせください。いくらでも結構です。通信欄にはアフガンキャンペーンとお書きください。
 郵便振替口座
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         アメリカの戦争とEU
民衆のヨーロッパか資本独裁のヨーロッパか
                         
フランソア・ベルカマン                                               

 イスラム原理主義起源のテロ組織によるアメリカへの攻撃は地球全体を揺るがした。もはやどこも、アメリカですら安全ではない。別の野蛮、全面的な私有化の後では、国家は最も破壊的で致命的武器への独占的支配を失ってしまった。われわれは真の政治的転換を目にしている。復讐への最初の欲求の噴出に続いて、ブッシュ政権は急速に世界的戦略の実際的遂行へと歩みを進めた。
 アメリカはEUを彼らの戦争に引き入れることにすぐ成功した。傲慢なやり方で国連を素通りして彼らは、ヨーロッパの抵抗をうち負かす合法性と権威の枠組みとしてNATOを使用した。北大西洋同盟条約のまったく恣意的な解釈は、より煮え切らないあるいは政治的安定性のより低い政府に対して法的覆いを与えただけでなく、NATOをグローバル資本主義の軍事的手段へと転換させることを引き起こした。
 しかしEUが、「NATOの連帯」の下にいったん戦争に向かって足並みをそろえてしまうと、ブッシュはNATOを脇に置いて軍事作戦の指揮を独占した。
 
立ちふさがる政治の壁 
 
 ブッシュは自らの国での一致した政治的合意から利益を得ているように見えるものの、しかしながらその外では巨大な政治的困難に直面することになった(注1)。
 
 軍事作戦の限界
 

 一九六五年から七三年に至るヴェトナムに対するアメリカの戦争との比較を考えてみることができる。そこではアメリカは、インドシナ全域を石器時代にまで逆戻りさせるまでに十分なほど爆撃する能力があった。しかしこのようなことは、当時の国際的関連の故に不可能であった。
 ビン・ラーディンと彼の組織、さらに彼を保護したアフガン政府への攻撃においてもまた、政治的要素は以前と同じく決定的となった。イラクに対する提携という点と比較すれば、「テロと対決する同盟」を結集することは困難であり、帝国主義陣営、残りの世界、とりわけアラブ世界の双方においてそうであった。このことはイラクとの戦争における政治的関係とは著しく異なり、アメリカの覇権の限界を今日明らかにしている。
 当時アメリカは確かに術策を使わざるをえなかった。しかし真の問題はただ一つ、「社会主義陣営」、背後に控えた全一連の非同盟第三世界とともに、何よりもまずソ連の中立化であった。帝国主義陣営においてヨーロッパは間違いなく付き従った。九〇年から九一年において、汎ヨーロッパの興隆局面の中でEUがその内部的反抗を押さえ込むように闘ったために、アメリカの覇権は完全であった。
 
 政治的正統性の衰弱
 
 一九九一年と二〇〇一年の距離には相当のものがある。一〇年が過ぎ去った。世界中の何百万もの男女(そして子供たち)が、「すべての人の繁栄、安定、平和」を意味すると想像されていた「新世界秩序」に苦しんでいる。資本主義の新政治機構は新しい戦争(一〇年の内で三番目の!)を引き起こした。かつてなかったような社会的不平等がまさに拡大し、野蛮なものとなってしまった。
 地域的分断とこの新資本主義の落ち着かない状況がまた、社会的、国家的管理のメカニズムを弱めている。世界におけるアメリカの社会的、人道的威信は、未だかつて見られなかったほど低いものとなった。いくつかの支配層向け新聞によって提起された疑問が、「彼らは何故われわれをそれほどまでに憎むのか」となってしまう時点までに、威信の低下は進んでしまった。過去五〇年間で、アメリカとEUの間の雰囲気が経済的、政治的、外交的摩擦によりこれほどまでに憂鬱なものとなったことはかつてなかった。
 
自律性の模索に苦闘するEU

 限界と内的緊張のすべてをはらみつつ、過去五年にわたるEUの発展は、世界の状況の新しい要素となっている。客観的にみてEUは、アメリカのヘゲモニーとの競合に向かうのではなく、アメリカのスーパーパワーとの関係での位置変更へと向かっている。
 
 域内安定への切望
 
 アメリカ政府が戦争に従事していることはヨーロッパに直接衝撃を与えている。アメリカ帝国主義が世界資本主義の安定に責任があるのと同じく、ヨーロッパ支配階級は関与から逃げ出すことができない。国際的性格の戦争は、大中小を問わず、すべての権力が自らの筋肉を動かすことを強いるのだ。しかしながら、EUの上層世界の中では、こうしたことは歓迎できる展開ではない。彼らの優先対象はユーロの導入と景気後退への対処でありさらに共同体諸制度への正統性の付与である。ユーロは依然まだ強いドルに押さえつけられているし、諸制度への正統性付与は困難であり、それはむしろ複雑な機構すべてと、メンバー諸国間の矛盾を直接に揺さぶりかねないものである。こうしたことにアメリカの主導性は助けにならない。帝国主義ヨーロッパはただ一つのこと、すなわち政治的安定性それだけを切望している。
 
 距離を取れ
 
 アメリカのあからさまな圧力の下でヨーロッパは即座に戦争に引き入れられた。とはいえ、EUはメンバー諸国間での共通の観点を獲得しようとする挑戦には首尾よく成功した。それは、アメリカとの関係での一定の距離を取るということを含んでいる。帝国主義陣営全体を通じて最も熱の入った好戦的議論を展開したブレアですら、このEU共通の政治的方向性に同意した。それはビン・ラーディンとタリバン政権の排除という目的に限界を区切った狙いすました攻撃、体系だった人道主義的声明、シャロンを政治的に従属させることを暗に意味するパレスチナ問題の「公平な」解決、完全に透明な外交である。すなわち、EUの相貌は「平和的」帝国主義、人道主義的で民主的特質のものである、というわけだ。
 この自律性―実のあるものというよりは多く精神的なものだが、その空虚さは、復讐心に満ち宗教的臭いに包まれたブッシュによって助けられ、後景化している―は、EUの頂点における総意を反映している。諸政府、最も些細とは言えない政府(たとえばドイツ)も、社会の圧力の下にある。自律性への意図はまた、イラクとシリアへの戦争の拡大に対するEUによる反対を公然と用意するものだ。一方アメリカ政府の一部はかつて(今も未だに)戦争拡大を目標にすえていた。そうした事情からヨーロッパの支配階級は、(国ごとにさまざまなレベルで)マスメディアが疑問を表すように許可を与えた。それらはドキュメンタリーのTV放映、ニュース放送者による批判的コメント、反戦デモの報告に及ぶ。ヨーロッパの世論は覆い隠されても、監視されてもいない。反アメリカという底流は、永続する存在となるかもしれない。アメリカの軍事戦略とその土台の欠陥ということが、政治または報道の専門家によって、すでに論議されてきているのだ。
 
 ヨーロッパの独自利害
  
 こうした事実はもう一つの疑問を引き起こす、すなわち、ヨーロッパ支配階級はなにゆえに戦争の動きに入り込んだのかということである。それには疑いなく一連の理由がある。第一には、アメリカが望んだからだが、それ以上に第二に、戦争が不可避となる瞬間以降は、一線上に並んでいた方が良いからだ。ヨーロッパ支配階級はアメリカに対抗し、同じ国際的勢力関係上に身を置き、同じ目的を追求している。すなわち、周辺の被支配国との関係の中で自らを維持し、アメリカ、EU、日本の「三極」内に居場所を確保し、外交的かつ地域経済的影響力を獲得し、戦利品とりわけ原材料の入手の分け前を得ることである。
 EUはこの戦争という新しい経験に、チャンスを掴むやいなやちゅうちょなく関与した(一九九一年のイラクの場合に比較して)。その関与とは、アフガニスタンでの軍事攻撃に先行して「政治的集団」を創出しようとしてアメリカが直面した巨大で複雑な困難性への関与である。「連携」は最終的に落ち着くところに落ち着いたものの、アメリカは以前には経験したことがないほどの交渉と駆け引きをしなければならなかった。その相手には、アラブ世界での伝統的臣下も含まれていた。
 
EU分裂の真実
 
 別の注目すべき政治的特徴は、EU諸国家間の分裂である。しかしそれは真実の姿ではない。
 
 EUのほころび?
 
 一人ずつバラバラにヨーロッパの政治家は、アメリカ民衆とその政府と連帯すべくアメリカに殺到した。感情のおもむくまま涙しながらブレアは、アメリカ議会に向けたブッシュ演説を見守った。軍事的努力の支援についてのEU大国諸政府首脳間の「私的」会合は、EU諸制度を厚顔にも無視するもので、誤ったものだった。シラクはゲントサミット前に、ブレア、シュレーダーと一時間会っていた。おのおのはそれぞれの軍事的野心を持っていた。ブレアは自らを紛れもない「戦争指導者」、中東地域の大言壮語の尊大な活動家に仕立て上げた。先約の手はずを整えて最初にブッシュにあった人物であるシラクは、「彼の兵士」を「戦いかつ必要あらば死ぬ」ために差し出した。ベルルスコーニは、イタリアは医療品や看護婦ではなく兵士を送ることを可能とすべきだと要求した。
 EU体制にとって、この外見上のごたごたは何を意味しているのだろうか。それは第一に、EU政府は今やEU委員会ではなく、ただ議事日程を管理しているだけであるということである。これは政府の不始末、失敗でも、プローディの無能力でもない。それは今EUが経過している段階の問題である。
 ヨーロッパは、EU委員会が主導性を発揮していた単一市場の建設から、「共同体」国家機関(通貨、軍、その他)の局面へとたどってきた。これはメンバー諸国家間の力関係に直接関わる。目下進行中の戦争は、この傾向をただはっきりさせ、強めるだけである。この点から見れば今の「不協和音」は理解できるものとなる。
 
 同質化進む支配階級
 
 外見とは逆に、われわれはEUの上部における同質化と国民からの超越性を目にしている。しかしながらEUでの常のように、それは不均質であり矛盾しており、摩擦を伴う過程であり、そして潜在的危機の源である。なぜならば、国民国家の機構は、不均質を管理するように仕立て上げられた共生的制度の枠組みの中に閉じこめられているからである。
 最初に帝国主義ドイツが跳躍を成し遂げた。社民党と緑の党のおかげで支配階級はその勝利を祝っている。その軍はついに国境を越えることになるだろう(コソヴォでは人道的任務であったから、実際の戦争は今回が初)。それは疑いなく、一九二〇年代以来の影響力範囲としてのアフガニスタンの回復となり、真の大国として国連安全保障理事会に席を占める展望に結びつくだろう。
 ブレアは抜け目なくかつ厚顔に、EUとアメリカの間の伝統的な両義的位置という、この国の切り札を切った。それはイギリスとは果たしてEUでのアメリカのトロイの木馬なのか、それとも刷新されたEUの未来の最高の勝者なのかと世界がいぶかるほどのものだ。実際は、自らをブッシュサイドのポピュリスト的戦争主席として押し出しつつ、人気という資本を使いたいと思っているのだ。彼の人気は、ヨーロッパ通貨連合(ユーロ、ECB=ヨーロッパ中央銀行その他)への加入についてイギリス人の同意を取り付けるために築き上げられるものだ。もし彼が通貨統合への加入をみごとやり通せるとすれば、それはこの国における一つの文化革命になる。
 フランス。二線級の資本主義国でありながら、「普遍的」な政治・文化上の影響力によって重要性を維持しているこの国は、EU指導部における位置と主導性を保持するために、EUにおける仏・独の駆動力という枠組みにしがみつくことを余儀なくさせられている。そうでないとしたらフランスはイギリスとドイツの、同時的に上昇する力の狭間にますます落ち込むことになるだろう。このことがもちろん大統領選挙キャンペーンでもあるとはいえ、最近のシラクの興奮を呼び起こしている客観的根拠である。
 
 権力集中途上の矛盾
 

 イギリスがもしユーロに合流することになるとすれば、EUの頂点における空前の経済的・政治的・軍事的集中が生まれることになる。これは三つの大国の間で分かち合われる、国民からの真の超越に移行するに充分な条件となろう。正式なものであるか否かを問わず、それはEUのメンバー諸国家の間に、より全般的で増大する一方の権威主義的位階性を確立し、ヨーロッパ帝国主義の諸機構に正統性を付与するかもしれない。EU全体に政治的リーダーシップとその最高位者を押しつけるだけでなく、一連の加入する周辺諸国(東へEUの拡大)を従属的位置に置くことを促進するかもしれない。というのは、EUの現在のメンバー、特に大国は、これらの後続諸国が新生ヨーロッパを導き出すための時期を共有するとは想定していないからだ。ニースで導入された「強化された協同」というルール(メンバー諸国が作る集団は、一定のテーマに関してEU建設を加速するために彼ら自身の協定を結ぶことができる)は、こうして天からの授かりものとなる。EUは、底辺から頂点まで、ますます狭く、ますます濃密な一連のサークルで構成されたピラミッドとして自己を打ち固めようとしている。
 これはEU内部での努力のねじれた力学に光を当てるものでもある。いかなる出来事も重要な行為も常に三つのレベルに衝撃を与える。メンバー諸国家間の関係、当然にもEU「共同体」の構造、そしてアメリカとEUの関係がそれだ。アメリカの戦争はそのことを確証している。
 
内部の戦争

 戦争は国家の発展、特に直接の抑圧機構の発展においては強力な要素である。この戦争は特に、国家の内と外の双方でそれを証明した。
 
 広範囲に広がる問題
 
 EUに関して戦争は、単純な抑圧を越えた別のレベルでの大きな問題を明るみに出している。
 通貨統合の管理(インフレーションの管理というただ一つの義務だけを負わされているECB)だけでは、国際的戦争と、深刻で長期化することの確実な景気後退によってかき乱された世界ではまったく不十分であることが示された。読者がそうは考えないとしても、安定協定(マネタリスト的厳格さを持つ)は予算不足という観点からは深刻な困難性に陥っている。利子率は変動していてさらに変動し続けるだろう。これらすべては何らのセーフティネットも制度的支援もなしに置かれている。第一にアメリカにおいて、国家の経済的介入が再開した(もっともこれは、ケインズ的景気対策と混同されてはならない)、その時にEUはまったく力不足の状態にある。
 
 権力確立への機会
 
 しかしながら、EUの支配階級が巨大なチャンスが訪れたと理解しているものは、権力レベルの事柄である。
 ヨーロッパ軍に関して、アフガニスタンでの戦争に参戦している諸国の間に、ヨーロッパ軍部隊の創出と軍事手段として問題を押し出すための合意が大きくなりつつある。問題は引き続き、増大する予算、兵器類の同一基準化、そしてヨーロッパ工業(「ヨーロッパ航空防衛産業」と「スペース社」)の支援である。
 この問題は尻に火がつくような問題である。そのわけはアメリカとの間でもう一つの競合が始まったからだ。すなわち、この五年の間EUは東欧諸国のEUへの加入を促進しようと挑戦してきたにもかかわらず、アメリカはNATOに彼らを統合する歩みを加速させているのだ。
 
 焦点は民衆的抵抗
 
 上述の事柄があるとしてもしかし、支配階級が関心を集中させているものは、疑いなく「内部秩序の維持」の問題である。テロリズムと対決する闘いはすばらしい口実を提供した。EUが直面している障害は、国民国家の警察と司法機関によって排他的に守られていた自律性に関わっている。ヨーロッパ共通の外国人犯人引き渡し権限、ユーロ警察の財源と権益の拡張、ヨーロッパ検察官部門、これらが具体的な問題だ。
 EUの「テロリズムと対決する戦争」は、内部の敵に対する「全地球的かつ長期」の戦争である。これはビン・ラーディンやその他を越える、非武装の断固たる対政府闘争を遂行し、社会の原理的基礎の変更を追求するすべての行動と組織を、例え総体的多数の活動を通じているとしても犯罪とするような、テロリズムの定義を要求している。ビン・ラーディンの爆弾は天からの贈り物である。『ウオールストリート・ジャーナル』は「バイ・バイ・シアトル」と見出しを付けた時に、その喜びを隠すことができなかった。
 資本主義のグローバライゼーションに反対する運動は消滅はしなかった。その反戦闘争への方向転換は成功した。しかし、より広範な層の動員がはるかに困難であることと、この新しい環境において攻撃的な精神が鈍っていることは否定できない。そしてなかんずく、運動の優先度は疑問の余地なく変化している。
 
 鍵は社会運動、階級闘争
 
 EU諸国政府とEUそれ自身による権威主義的攻撃に関する真の試練は、「戦争状態」の名の下に労働者の闘争を減退させようとする、実際には停止させてしまう試みである。すでにレイオフは、この一〇年での記録的水準に達した。そしてそれは大きな不確実性を生み出している。景気後退は、それが深まる度合いに応じて、ブルジョアジーをして新しい社会的敗北の強制を強めるようにし向けることを可能にするだろう。それの影響はまた、急進化する青年層に支援された戦闘的運動の復活をその初期段階で侵害するかもしれない。
 いくつかの国の制度的レベルでは、政治的平衡は右に揺れてきた。これから六ヶ月の間(次はデンマーク)、EUの手綱をスペインが握った際にブレアとアズナブールによって作成された共同声明が、この変化を集中させる役割を果たすことになるだろう。政治的分裂が強まるだろう。抵抗と前進の鍵は社会的闘争の中にある。
 
 注1 国家体制に加え、国土を破壊し、社会を砕くことと、軍事的勝利の後に多国籍資本の搾取の条件の安定性、他の支配領域の支配の安定を再確立することとは別の問題である。軍事力の行使は政治的限界に衝突するのだ。
 (インターナショナル・ビューポイント二〇〇二年一月・二月合併号より訳出。見出しの一部は訳者による追加)