2002年4月10日        労働者の力               第 145号

 
 
   政権末期の様相を呈する小泉連立内閣
 小泉内閣打倒の大衆的反撃を
 
川端 康夫
 


 小泉マジックの効き目が薄れ始めてから数ヶ月になる。一月の田中真紀子前外相の更迭を契機にして、小泉人気は一気に崩れ始めた。四月の現時点では支持と不支持が拮抗する状況に至っている。政権末期との評価が出始めている。この事実はこれまでの歴代の総理大臣の例を見れば意外な評価となろう。支持率が五〇%をきる程度ではむしろ支持が高いと評価されるべきものだったからである。二〇%を切れば危ないとかいわれるもので、前首相の森喜郎の支持率が一〇%そこそこまで落ち込むに至って初めて内閣交代が必然的なものとなったという過去の事例から見れば、小泉の現時点での支持率は例外というほど高いはずである。にもかかわらず小泉内閣は政権末期を意識しなければならない段階に立ち至ったのである。彼、小泉はつい先日、自民党内部の会合で、総辞職ではなく解散総選挙を選ぶとまで語った。彼も政権末期という雰囲気を知らないふりはもはやできないのである。

 効き目を失った小泉マジック

 もちろん小泉の高支持率には二面性が示されていた。すなわち自民党主流を称して「抵抗勢力」と呼び、自らを国民の支持を背景として自民党流の政治手法を打破する「改革の人」と演出したことに支持を集める根拠があった。その支持とはいわゆる無党派層を基本にしたものであるが、それだけではなく他党支持層からの支持をも集めた。無党派層の支持は最近の選挙での動向を基本的に左右する力を示してきた。それだからこそ小泉の高支持率は脅威的であったわけである。だが無党派層が離れ始めればこのマジックの効用は一挙に解体してしまう。なぜなら小泉は自民党という政党の議会的数に依存しなければならないからだ。そしてこの過程は支持が落ち込めばなおさら深まるから、なおのこと支持の離反を招くことになる。つまり、小泉マジックが効き目を失えば、後は悪無限的な支持率低下のスパイラルしかない。この力学を誰もが感じざるを得ないが故に、支持率の一定の低下が即座に政権末期の印象を与えてしまうのである。決定的には横浜市長選の現職の敗北であろう。小泉が前市長の支援に消極的であったという事実はあったにしても、問題の本質は、自民党系列の首長や各級議員が小泉支持から利益を得ることがなくなり始めたというところにあるのである。
 公明党が農林水産相の辞職を公然と求め、参議院での採決を欠席したという事実は、数ヶ月前には考えもできないことだった。
 
 正真正銘の大資本代理、小泉
 
 小泉に復活の手だてはないだろうか。それはまったく見込みがない。彼の一年に及ぶ政治は、労働者のみならず中小企業主や小売業者などの広範な層に犠牲を押しつけてきた。小泉はまたアメリカ軍への支援という名目を持って自衛隊の海外派兵に踏み切り、そしてその上に有事法制という戦争体制の基礎作りに踏み込もうとしている。彼の対外政策はアジア民衆との距離をさらに拡大するだけのものであった。こうして小泉の政策のすべてが無党派層はおろか、草の根的な自民党支持層をも敵に回してきたというのが、実は小泉ブームの背後で進行してきたことである。
 事実、小泉はそのポピュリズム的姿勢をもって、日本大ブルジョアジーの直接の手先として政策実現を行おうとしてきた。大ブルジョアジーというよりもより正確には大銀行の手先といって過言ではない。中小金融機関を意識的に破綻させ、大銀行に資金が集中するように制度的に誘導してきた。ペイオフ実施はまさにそうした中小企業向けの金融機関からの資金の吸い上げを政策化したに等しい。彼は同時に、政府系金融機関の廃止を公言し、その推進に意を尽くしている。問題の郵貯・簡保資金のみならず、住宅や商工、農林関係の公的資金機関の廃止を進めようとしている。その狙いはどこにあるのか、彼は何も説明はしない。ただ民間にできることは民間に、と述べるだけである。だがこうした私有化構想の実体は極度に悲惨な事態を導くだけである。
 たとえば中小金融機関の大幅な整理は、多くの中小企業がその支えとしている金融機関がなくなることを意味する。大銀行が中小・零細企業に目を向けるということはほとんど考えられないことであり、そこに生じる巨大な空白は、商工ローンのような高利貸しが埋めていくことになる。そこにはサラ金企業も当然に進出することになろう。それだけではない。中小金融機関の整理に伴う債権回収の強化はただでさえ長期不況のさなかで体力が弱っている中小・零細企業からの資金回収を強化することとなり、中小・零細企業の倒産がさらに加速されることになる。
 整理回収機構の役割は債権回収だけである。金融機関の行き詰まりの結果、その債権が整理回収機構に移された瞬間に、当該の企業は新規融資を受けられないままに一方的な資金回収に迫られられるのである。そこでは倒産はほとんど必然である。こうした状況を緩和することが政府系金融機関の役割である。だがそこを小泉は解体しようとつとめているのだ。
 アメリカ直輸入の新自由主義経済論が小泉内閣によって振りかざされているが、そのアメリカでの中小・地域密着型の金融機関が数多く存在し、それが政策的に保護されている事実を金融庁は知らせようとはしない。東京の浅草のある金融機関に関するニュースは多くの人々はすでに耳にしていることと思う。ここでは、長年地域経済に寄与してきた金融機関が金融庁によって破綻させられるという事態になった。それに対して地域の商工業者が破綻阻止の法廷闘争を始めた。金融庁の恣意的な中小金融機関への破綻指示が地域の怒りを買った。金融庁の役割はまさに明白である。
 小泉はこうした例に見るように、資金を大銀行に誘導し、それによって大銀行を支援するという手法をとっているのであるが、さらに彼は表面はともかく内心では大銀行への再度の資金投入の容認を心に抱いている。三月危機がささやかれていた時期、公然と大銀行への公的資金投与が政府部内で論議された。その三月危機は金融庁による投機筋への恫喝である空売り規制とP・K・O(プライス・キーピング・オペレーション)、すなわち株価維持政策によって先送りされたが、事態の本質は何ら変化していない。のみならずペイオフ解禁による中小企業の金融状況の悪化が今後進むことになる。
 小泉の現在の政策は、一方でデフレスパイラルを阻止し、他方で大銀行防衛のための不良債権整理、つまり体力の弱った企業を倒産させる、ということを表面的には軸としている。いいかえれば、小泉はアクセルとブレーキを同時に踏んでいる。だがそのアクセルにしても、財政出動を回避し、金融緩和によるインフレ誘導への期待という中身のないものにとどめているから、実質的にはデフレスパイラル回避策はとられてはいない。つまりは小泉には、多方面からの圧力に妥協するポーズをとりながらも、自らの姿勢は基本のところで一貫させたいとの内心の思いがあるのであろう。だが繰り返しいうように小泉の基本姿勢はつまるところ、いわば「国破れて大銀行あり」である。ここに小泉が大資本の直接の政策実行者であるという性格がもっともよく示されているのである。

 大資本、金持ち優遇策と大衆収奪の強化

 大銀行の擁護は、すなわち大資本の擁護であるが、圧倒的多数の勤労階層と中小・零細企業に犠牲を押しつけ、それによって大銀行・大資本を防衛するという手法が国内経済の低落を加速している。デフレスパイラルは、まさに労働賃金コスト切り下げを中心にし、さらに下請けに価格引き下げを強要するといった諸政策がさらに加速されることを意味する。
 国内経済の大半を壊滅的事態に追いやりつつ、大資本と大銀行だけが生き延びるということを想定する頭脳の中を想像することは難しい。
 だが、今年の春闘に見るように、大資本は賃金コスト切り下げに最大の関心を寄せている。史上最高の利益を上げたトヨタ資本は賃上げに一歩も譲歩しなかった。日経連会長を兼ねるトヨタの奥田会長は、今後は賃上げという概念はあり得ない、との見解を公表した。国際競争に対応するために資金を優先するというのである。この手法はNTTの大首切り、賃下げに典型的に貫徹している。NTTは労働者を犠牲にした資金を海外投資で湯水のごとく浪費し、これもまた史上最大の赤字を記録した。NTT経営陣が責任をとって退陣するという話はしかしながらどこからも出てはこない。むしろ大首切り、賃金切り下げを実行しているという点が評価の対象とされている。公明党の坂口厚生労働大臣はNTT問題に関する国会答弁において、何かまずいことがあるのなら労働組合が何とかするのではないか、などと人ごとのように述べているし、小泉本人もリストラを控えろと企業に言う気にはなれないと公言している。NTT大合理化に抵抗している闘う労組活動家に対してNTT資本は旧国鉄で行われた「人活センター」のような組織的対応を検討している節がある。まさに首切りと賃金切り下げが「国策」として小泉内閣の下に強引に、強権的に推進されているのである。
 医療費の本人負担の三割への引き上げや大資本の利益のための税制改革、あるいは相続税の大幅軽減への動きなど、金持ち優遇策と大衆収奪の強化の流れが加速されている。
 
 ポスト小泉への危険な動き
 
 熱しやすくてさめやすいブームを起こすことが多い日本の民衆文化にあって、それを作り出すのが巨大マスメディアの役割であるが、そのマスメディアが背を向け始めれば、雪崩は一挙のものとなる。まだマスメディアが小泉に明確に背を向けたとはいえないが、少なくとも一頃ほどの手放しの持ち上げぶりは姿を潜めた。
 鈴木宗男問題や加藤紘一あるいは辻元問題とさまざまに問題が噴出し、小泉の政治手法の問題点が直接に表面化するということには必ずしもなっていないが、早くも次のポピュリズム政治家、石原待望論が右派論壇に浮上し始めている。これはまさに危険な動きだ。 石原の政治的体質は小泉以上の反動性を露骨にするものだ。最大の特徴はアジア諸国民に対する敵意と軽侮を政治的本質にしているところにある。小泉もまたそうした点を共有しており、そこに外交的矛盾が幾重にも重ねられているのであるが、石原はより露骨である。
 かつて労働戦線統一の音頭をとった山岸が最近、ポスト小泉に期待される人物として小沢と石原の名を上げたが、この一時は労働界を牛耳った人物が反動政治家を首相候補として名指しするという事態に、今日の労働組合運動の弱体化の最大の表現を見ることができる。いや弱体化というのは正しくない。指導部の変質というべきであろう。企業連組合の会社派としての体質が政治的に反動的なブルジョア政治支持にまで拡大されているということにつきる。
 
 大衆攻勢によって小泉打倒を
 
 山岸的な問題の立て方は労働者階級とは何らの共有点を持たない。こうした「連合的政治」の究極的到達点というべき発想とは断固として決別し、労働者階級の利害を真に代表する流れが新たに作り出されなければならない。小泉退場がより危険な反動政治家に場を譲ることになることを阻止するのは、小泉を退陣させる力が大衆的反撃と攻勢によって生み出されるときである。その意味で、今春の小泉が強行しようとしている有事立法などに対する大衆的反撃が作り出されなければならない。永田町政治のごたごたのなかで政権交代が進むことを阻止する大衆的攻勢こそがいま必要である。
 その点では、現在の民主党が包含する政治傾向にも警戒しなければならない。労組官僚機構の代弁者としての側面を持つ民主党は、その政策の根底に新自由主義がおかれている。こうした新自由主義に基づく経済的政策の多くは現在の小泉内閣の政治基軸とは全く重なる。民主党は単に支持組織である連合の一部としてのNTT労組が大合理化を受け入れているというだけではなく、その発想の根底においてNTT大合理化を支持していると言わなければならない。それは国労指導部の多くが組織延命のために闘争団を切り捨て、そこで連合への加盟を可能にし、連合傘下の旧国労勢力との合体をはかるという姿勢に傾斜していることとも重なる。
 民主党が大資本の代弁者として行動する可能性はかなりの程度大きいのであるからこそ、われわれは民主党支持を掲げたことはない。だがこうした民主党と連合が結合する流れにあって、昨年秋以降進行している「平和フォーラム」の大衆闘争への積極参加は大きく評価されるべきである。旧総評系労組が中心であるが、これが民主党内部の左派的動きと結びついていることもあらためて留意されるべきである。民主党内部の動きが一時ほどの精彩を欠いてはいても、民主党執行部が有事法制をおおむね容認していることを見れば、こうした大衆運動と結合しようとしている勢力の存在意義は大きい。
 有事法制阻止の大衆運動を全国で作り出そう。小泉内閣を大衆闘争で打倒しよう。
 (四月八日)
 有事法制阻止へ 連続行動に参加しよう

★有事法制反対 市民・労働者の集会とデモ
 日時:4月16日(火)18:30〜
 会場:日比谷野外音楽堂・終了後国会デモ
 主催:テロにも報復戦争にも反対・市民緊急行動 平和フォーラム
★STOP有事法制!4・19大集会
 日時:4月19日(金)18:30〜19:30
 会場:日比谷野外音楽堂・集会後国会・銀座デモ
 主催:日本山妙法寺、キリスト者平和ネット、陸・海・空・港湾労組20団体
★世界の人々とともに戦争を止めよう!有事法制に反対 全国集会
 日時:4月20日14:00〜16:00
 会場:芝公園23号地・集会後パレード
 主催:実行委員会
(連絡先、許すな!憲法改悪・市民連絡会議、日本消費者連盟、市民のひろば)  

 私有化への断固たる拒絶
―電通労組員の見た韓国労働者の熱い息吹―
 


 高橋喜一さん(電通労組全国協議会事務局長)は二月二十五日、韓国通信労組ソウル地方本部の代議員大会に招かれ、日本のNTT合理化問題や電通労働運動について発言した。おりしも韓国は、民営化反対の巨大なストライキ闘争の波に包まれ、激しい攻防はいまも続いており、発電労組三千人への解雇通告に対して民主労総は反撃を呼びかけている。高橋さんに訪韓の印象などを語ってもらった。(編集部)

政府との全面対決

 韓国はいま民営化をめぐる政労対決のただなかにある。IMFが指示し、金大中政権が推進してきた構造調整(構造改革)の最重要課題の一つが国有企業の民営化であり、鉄道、電気、ガス、通信などの公共部門で全面対決の状況にあった。
 二月二十四日、ソウルで労働者大会が開催された。そこには間に合わなかったが、緊迫した空気がはりつめていて、労働者の闘争の熱気を肌で感じた。労働者や支援する学生たちは寝袋を抱えてソウル大学に集結してきていた。
 二十五日、鉄道、電気、ガスの三つの組合がストに突入した。労働者たちの篭城。連帯ストも始まった。金属労組や公務員労組をはじめ労働者たちが次々に結集してきた。民主労総は十万人の動員だ。七〇年安保を前後する反戦闘争や、七四年に仙台で闘われた「ゼネスト貫徹共同闘争委員会」の記憶がよみがえった。
 金大中大統領はストライキ指導部三十七人に逮捕状を出していた。指名手配された指導部たちが明洞大聖堂に立てこもっているという。機動隊が取り囲み、防衛隊と対峙している。
 闘争の状況は敏速に市民に知らされていた。学生宣伝隊が組織され、街頭でチラシがまかれ、地下鉄でもビラがまかれていた。ストに公然と敵対する動きは見られなかった。

心が離れれば死ぬ、心が一つになれば生きる!

 韓国通信労組は民主派が過半数を占めていないため、今回はストライキに入っていない。そういう拮抗したなかで私は、ソウル地方本部での講演と代議員大会で、電々民営化からNTT十一万人リストラにいたる経緯と多数労組である全電通‐NTT労組の状況を報告し、「あなたたちは日本の電々・通信労働者が選んだ悲惨な道、民営化を支持してはならない」と訴えた。
 労働者たちとの話のなかで、とくに印象に残ったのは、「なぜ日本労働運動は元気がないのか?」という問いかけであった。「我々も厳しい時代をくぐり抜けてきた、日本もチャンスが到来しているのではないか!」、と。彼らは、とくに若者たちの組織化にあたって、「文化」を重要視したのだという。たしかに私は、彼らの歌やシュプレヒコールに、日本の労働運動には欠如している「文化」を感じることができた。「心が離れれば私たちは死ぬ、心が一つになれば私たちは生きる!」と彼らはコールしていた。チラシの見出しには、「子供たちの未来を考えるならば、この総罷業は避けられない!」と書かれていた。
 後ろ髪が引かれる思いで帰路に着いた。私たちはかつて青年運動のなかで、「国際主義の労働運動」を第一の柱に掲げた。その精神が鼓舞された数日であった。NTTリストラ反対!構造改革反対!の闘いを通して、彼らと再びまみえたいと思う。(三月十日談)

        アルゼンチンは今
        民衆の力の誕生
          
エルネスト・エレラ                                             

 
 ある人々は、一八七一年のパリコンミューンを思い起こしている。もちろん、それが似た出来事であるからではなく、「遂に発見された政治形態」(注1)というマルクスの言及のなかの精神に気づかせるからである。ここには前革命的危機、二重権力、革命的日常、動乱状態があり、ブルジョアヘゲモニーの危機、支配に対する国家機構の正統性の完全な欠如がある。諸々の事柄が多彩に生じ、それは増大し、かつ過去を再現してもいる。もっとも、それらを、多分トロツキーならそういうであろうが、日常生活が破壊されている光景の中で、論理的に整理することは困難である。そこでは、「市民社会」、「大衆」、「民衆」が反抗状態にあり、どのような政治的―制度的仲介もなしに直接参加民主主義の形態を用いつつ自主管理を行っている。
 誰もがもはや眠らない。隣組、地区あるいは人民会議―そう表現されている―が夜開かれ、そして全般化した。何千人もの人々が何百という集会の中で意見を交わし、耳を傾け、熟考し、提案している。こうして彼らはその週のデモと抗議を組織している。
 
 協動
 
 連邦議会の中央公園では毎日曜、ブエノスアイレスの共闘会議が開かれる。ここで、青年、失業者、労働者、貯蓄をかすめ取られた人々、家主、女性、子供が、党の旗を掲げ、問題に賢明に対応しなければならない左翼組織の闘士共々、一同に会する。もっとも、これら左翼の存在、特にさまざまなトロツキスト組織(PO、MST、MAS、PTS)、共産党そしてコリエンテ・クラシスタ・コムバティヴァ(階級闘争潮流。この中ではPCRという毛派が優勢)の政治的比重は問題にならないほど小さい訳ではない。
 前記諸会議は、二つのCGTという労働組合官僚機構の支持のもとで政府、カトリック教会によって提案された「多部門間討議」に対する反対の中で作り上げられた。問題となっているのはしかし、「国の問題を討論するため」に上部から仕掛けられたこの策謀の拒絶だけではない。政治家への反対、主には政治家の腐敗の隠蔽に対する直感的感情のあることはその通りだ。しかし議員であるレイス・ザモライ(「自治・自由」)は、侮辱されたり疑惑の念で見られることなく集会、デモそして「なべたたき」(注2)に参加できる。それ以上に、下からの力は「それ自身を目的にする」覚醒と反新自由主義、反資本主義の諸要求の前進をともなった運動を発展させている。
 金融に限定される救出案と最高裁の悪名高い「却下決定」への憤激として始まったものは、真の過渡的綱領の方向で進んでいる。
 以下のような要求が掲げられている。対外債務の支払い拒否。IMFとの関係断絶。アメリカ大陸自由貿易地域構想の拒否。ドル化反対、単一の南米通貨を。銀行の国有化。私有化された公共的企業の再国有化。投機的金融資本への課税。すべての破産の凍結。失業者への即座の食料、医療援助。百万の雇用創出。月三八〇ドルの失業手当。労働柔軟法の破棄。賃金、家賃への十三%税の撤廃。公共料金不払いに対するサービス停止の凍結。すべての負債、信用の一対一での通貨交換(ペソ切り下げによる銀行資本救済策への対抗要求と思われる―訳者)。小規模貯蓄者の現金引き出しの即座の許可。負債超過企業の民衆への引き渡し。教育、保健予算の増額。すべてのレベルでの自由かつ公的な教育。軍事、警察支出の削減。弾圧責任者に対する裁判と処罰。政治家への特典供与と費用支出の縮小。
 「(政治指導者、支配政党であるペロン派、急進党、フレパソに関しては)全員が退場すべきであり誰一人残ってはならない」との総体の要求に今や、「自由かつ主権を持つ憲法制定会議」、そしてなかんづく、(国家予算審議のための)「議会での人民会議の五人の代表」のスローガンが加わっている。人民会議では、キューバとコロンビアプラン(麻薬を口実にしたコロンビアへの米軍介入作戦―訳者)の議題が常にある。そしてそこで帝国主義者の経済封鎖解体の要求が取り上げられ、連帯デモが組織されている。
 そこには明らかに、アルゼンチンでの大衆闘争を、シアトルやジェノバの反乱、資本主義的グローバライゼーション反対運動と世界社会主義フォーラム、コロンビア、エクアドル、ボリビアの反乱、そしてきわめて広範な青年層の強烈な急進化に結びつけている一つの鎖がある。
 
 諸階級の包含
 
 人民会議の「社会的構成」はどのように定義されるべきだろうか。とりあえずは以下のように言うしかない。すなわちそれは労働者階級のものでも、中産階級の無定型な協同でもない。人民会議はいわば、「多階級的」だということだ。それは社会的枠組みの深い変異と新自由主義モデルの強制がもたらした荒廃効果を表している。しかし何よりもまず、この人民会議は「民衆」(この言葉は、イタリアのアントニオ・ネグリやパオロ・ヴィルノが使用した「大衆」よりも適切だ)である。ここではどこであれ、小規模な貯蓄保有者、主婦、労働者、失業者誰もがもはや自尊心を傷つけられることなく、共通の帰属意識を見いだすのだ。
 一月二十八日の日曜日、この共通の「民衆的」一体性は、広大な規模で表現された。ピケテロス(注3)の二万人はラ・マタンザ(ブエノスアイレス州)の地点から歴史的な五月広場まで行進した。労働者階級のこの巨大な隊列は、ピケテロスと「なべたたき」の間の反乱的統一を促す、町内会と小商人の熱い支援で迎えられた。
 商店は略奪をおそれてシャッターを下ろすどころか、デモ隊にコーヒーや軽食をふるまった。運動の中で自己組織化が進み、新しい経験が社会的実習によって発展させられる場合は、どんなときにも二者択一的問題が差し迫ったものとなる。この民主的急進主義を、いかにして能力ある真の社会主義的オルタナティブへと移行させていけるのか、これである。
 (インターナショナルビューポイント誌三月号)
 注エルネスト・エレラは第四インターナショナル統一書記局員
 注1、マルクス『フランスの内乱』
 注2、人々がなべをたたきながら街頭を行進する民衆的示威行動
 注3、失業労働者の運動
 注4、人民会議の参加者は、町内会( vecinos )あるいは隣組( neighbours )として知られている。                  
グローバライゼーションとパレスチナ抵抗闘争の課題
           
ナッセル・イブラヒム/マジェッド・ナザール                   

1‐1。最近十年にわたって、反グローバライゼーション運動への民衆の支持がますます増大してきたことには疑いがない。この支持はしばしば大衆的爆発として噴出した。一九九九年のシアトルがもっとも有名だが、権力の明らかな蛮行に対しては、ワシントン、ジェノバ、ロスアンジェルスその他でも同様に示された。この不満の表出に対して、グローバライゼーションを推進する論議は大きくはグローバライゼーションそれ自身を、経済と文化の次元にわたる広範な領域における重要な分析的観念としてより一層押し出してきている。政治、社会の研究者はこのようにして民衆的な反グローバライゼーション運動への巻き返しを策動している。
1‐2。同時に、反グローバライゼーションに向けての民衆的支持と運動を助ける分析の枠組みの発展は、多国籍企業に支配された世界市場の動向に挑戦する組織的枠組みの創出を意味している。反グローバライゼーション運動は、多国籍企業の世界政治に反対する大義ある闘争である。その世界政治こそが、国内および国家間、さらには南北間の社会矛盾の増大に貢献しているのだ。グローバライゼーションの政治は、環境を絞め殺し、貧困と無知を深める。それらこそが文化的、宗教的摩擦が爆発へと至る条件を形成しているのである。
1‐3。グローバライゼーションは、情報通信革命の産物であり、経済、政治、文化の諸領域を揺さぶっている。この過程は発展途上国では資本によって、多国籍企業の世界的支配を助長するために利用される。同時に西側先進諸国の帝国主義的な現実の行動は、西側の権力が、すべての文化と民族にとっての到達点となるべきであると見なす自らの社会文化モデルを強制しようとするものである。そしてこの行動には依然として西側の資源的、イデオロギー的動機が付属している。
1‐4、多国籍企業と西側帝国主義の結合した支配は、必然的に西側諸国家が世界における民衆の多様性を抑圧し、他の民族的、文化的、社会的特性を自らのものに包摂しようとする形で、他の諸国家の支配へと帰着するのである。同時にこの支配の政治は、犠牲となった民族と文化のなかに、世界を戦争と自壊の輪のなかへと導く破壊的暴力と対立にむけての条件を作り出す。
1‐5。グローバライゼーション論争の枠組みは、一般的に現代の経済的権力、特に多国籍企業に関連した帝国主義の役割についての検討を考慮に入れている。グローバライゼーションはしばしば、多国籍資本の要求に対する国家の側の不承不承の同意のように描かれるのだが、しかし上記の観点から見れば、グローバライゼーション対反グローバライゼーションの枠組みは、より相互補完的基盤の上で作用している商業的利益と帝国主義的野心の相互関係を断定する概念的枠組みを提供する。
1‐6。この観点においてわれわれは一方の目的を他の目的から分離できないということを理解できる。多国籍資本の経済的利益と西側権力の帝国主義的野心は同一線上にあり、互いに支え合っている。これは、国際関係分野での様々に異なる力の日々の適用を通して鮮明に観察できるだろう。われわれはそれを、ガット協定や、アメリカが主導してきた種々の戦争で、人種主義や環境破壊に反対する会議のような国際会議で、また国連におけるアメリカの妨害や言い訳を通して知ることができる。
1‐7。人間としての豊かさを守るためには、この過程に社会的に、道徳的にまた文化的に抗する切迫した必要性がある。このような抵抗は、科学的、技術的発展に対する拒絶を必要としない。それらのものは、すべての民族、国民、社会階層に役立つべきであり、また役立つことができる。それらの進歩は、何十億もの人々の貧困と悲惨を糧にして利益を熱愛している企業集団、特定の国民、文化にのみ帰属させてはならない。
1‐8。パレスチナ問題は、帝国主義的現れをとったグローバライゼーション過程のもっとも悲劇的実例の一つである。

パレスチナ民衆の悲劇と世界的抑圧におけるイスラエルの役割

2‐1。第一次大戦終結時点でイギリスは、一九一七年のバルフォア宣言に基づき、ユダヤ人のためのパレスチナでの故国創出に着手した。イギリスの委任統治時代を通して大英帝国は、排他的で人種主義的な植民計画であるシオニスト運動の変わることなき援助者だった。一九一六年のシケス―ピコット協定に従ってパレスチナに押しつけられた委任統治を通じて、大英帝国はシオニスト運動を防衛し、政治的、経済的、軍事的に支えた。大英帝国が三〇年間にわたってパレスチナ民衆の抵抗を野蛮に抑圧した後では、第二次大戦終結によりシオニストがパレスチナを占領する土壌はすでにできあがっていた。
2‐2。第二次大戦の終結および資本主義体制盟主としてのアメリカの登場をもって、シオニストの計画のスポンサー権はアメリカの手に移った。武装したシオニストギャングは一九四七年―四八年、非武装のパレスチナ民衆に戦争を仕掛け、パレスチナの地の七八%の上にイスラエル国家を創立することに成功した。一九年後、一九六七年六月イスラエルはアラブ諸国を攻撃し、パレスチナ全土、エジプトのシナイ半島、そしてシリアのゴラン高原を占領した。
2‐3。これらの戦争の結果、百万人以上のパレスチナ民衆は彼らの家、土地から追い払われ、近隣アラブ諸国(ヨルダン、シリア、レバノン)のキャンプで生活する難民となった。これらの難民人口は今日およそ四百万人を数えるが、この人々に対してイスラエルは、国連安全保障理事会の定めた国際法に背き、故郷への帰還を否認している。
2‐4。これらの植民行為はユダヤ大衆の存在の十分な保障という大義の下に正当化されたのだが、西側勢力の行動は世界的勢力関係の形成における決定的な段階で実行されたのであり、西側勢力がそこを通って中東における世界資本主義の利益を守ることのできる回廊を作り上げることに役立った。
2‐5。そのようなものとしてイスラエルは、帝国主義自身の目標を正当化するためにユダヤの戦略をを使いつつ、この地域における帝国主義的計画の一部として創立されたのだ。このやり方においては、ユダヤ民族の多数もまた中東での植民計画の犠牲者である。ユダヤ人の利益は、アラブ諸国民の敵意を引き受け、パレスチナ民衆を追い立てることの中には存在しない。ヨーロッパにおけるユダヤ戦略は、パレスチナ民衆を西の植民地主義的野心の犠牲にすることを正当化しない。
2‐6。労働者の世界的分裂の中で、イスラエル国家は帝国主義の国境警察となった。そしてそのようなものとして、果たすべき三つの義務を負った。すなわち、アラブの資源と、特に石油に対する支配、アラブ諸国内からのどのような革命的高揚にも対抗する砦としての行動、そしてその当時ソ連によって代表されていた中東における共産主義の前進への対抗がそれである。
2‐7。パレスチナ民衆の悲劇は、帝国主義的グローバライゼーション政策の結果である。そしてこの政策は、抑圧、占領、そしてその地域的攻撃におけるイスラエルに対する無制限の支持に基礎をおいているのである。パレスチナ民衆はこの過程の犠牲者であり、イスラエルは人権の拒否、占領、そして自由な軍事的攻撃を通した地域的支配の道具である。
2‐8。シオニストの観念は、排他的ユダヤ人国家としてのイスラエルという外観を西側の文化的、人口統計的モデルの表現としてのイスラエル像に結びつける。排他的国家としてイスラエルは、パレスチナ民衆の一つの民族としての存在を永遠に否認する。
2‐9。従って、パレスチナ民衆の権利の承認は、イスラエルの植民地的存在に対する脅威を意味する。西側モデルの表現としてイスラエルは、イスラエルの政策とその実行を、「野蛮な東」と「アラブのテロリズム」への抵抗線を敷くことになる、西の価値と生活様式への防衛、防護として認めるよう資本主義諸国に「強いる」。そして一方アメリカおよび他の資本主義諸国がイスラエルに提供している無条件の政治的、物質的支援は、彼ら自身の世界支配を強化することを基礎とする戦略を支えているのである。
2‐10。イスラエルの否定的役割は、パレスチナの占領やパレスチナ民衆の権利の否認にとどまるわけではない。それはまた、イスラエルの地域的また世界的ですらある役割をも包含している。イスラエルは、その行動と政策を通してグローバライゼーション過程のもっとも汚らしい、暴力的な相貌を映し出しつつ、グローバライゼーションの帝国主義的勢力の地域的先鋒として奉仕している。このことは、イスラエルのアラブ諸国に対する連続的攻撃および世界のもっとも血にまみれた独裁的で人種主義的体制、たとえば南アフリカのアパルトヘイト体制やラテンアメリカのファシスト独裁体制、そしてアフリカの軍閥などとの関係で明白である。
2‐11。以上を総合すれば、イスラエルと帝国主義の同盟は偶然的なものではなく、またそれに感情的、宗教的動機があるわけでもなく、さらにヨーロッパでのユダヤ戦略への応答でもない。反対にこの同盟は、アメリカの世界的政策のもつ政治的、経済的、軍事的野心への配慮においてイスラエルが守っている利益を表現しているのである。この観点から見れば、イスラエルはパレスチナ民衆の権利に対するアメリカによる連綿とした拒絶を補強し、中東諸国を西側の軍事的、政治的支配の下に留めおくことを助けている。

パレスチナ民衆の否認

3‐1。パレスチナ人という存在の否定は、民族浄化、体系的隔離、基本的な人権と市民的権利の否認、および歴史からのパレスチナ人の削除というイスラエルの植民戦略を通して達成されている。植民過程に関するイスラエル人の物語は、侵略とパレスチナ占領を正当化する宗教的神話に根拠づけられ、かつ同時に一九四〇年代末と五〇年代初頭のパレスチナの連続的民族浄化のような歴史的事実を拒絶している。
3‐2。現在ではイスラエルの占領に対するパレスチナ人の政治的、軍事的抵抗の形態すべてがいかなる手段をもってしても終わらせるべき「テロ」と表現されている。そしてそれによって、人権というものの根源である人間存在としてのパレスチナ人の現実的存在は無視されている。
3‐3。西側メディアの中では、イスラエルの攻撃、戦争、そして大虐殺は、「民主的なイスラエル」の自衛の権利として描かれる。このような表現においては、イスラエルは民主主義を理解しないアラブ人やパレスチナ人に対決しているのだ。こうしてイスラエルは、正義と懲罰の基準を設定し、その意志に従わないすべての人々の上に支配を及ぼす権利のある文明と民主主義の象徴を意味することになる。
3‐4。同時に西側メディアは、西側の人々の想像の中にアラブ人やパレスチナ人についてのゆがんだ像を作り出す。それは憎悪と悪意を助長する決まり切った型を作り上げている。このような構造がアラブの宗教的、文化的信念の尊厳を傷つけ、「文明の衝突」の条件を生み出すのである。
3‐5。これら全体をまとめれば結論として、パレスチナ民衆に対するイスラエルの否認は世界的メディアの中での西側によるアラブの歪曲と組になった一つのものである。双方の見地がともに、「他者」の個性と人権を否定し、文化的特性を否定し、人間的経験を否定するという人種主義次元において結合する。イスラエルは、他の民族に正義をもたらす権利をもつ優越した存在であるかのように立ち現れている。

和平への過程とグローバライゼーション

4‐1。和平実現に向けたイスラエルの構想は、その平和の条件を定める権利を持つものがイスラエルただ一人であるとの想定を前提として実現されるべきだというものである。それはイスラエルの軍事力、アメリカの支援、アラブ世界が未開だという認識に基づいている。これは無理にでも捜すとすれば、パレスチナ民衆の人権を実現する余地を含んでいるといえなくもない。
4‐2。しかしその余地は、一連の否認の上にあるものである。すなわち、帰還権否認、エルサレムへのパレスチナ人の歴史的、政治的権利の否認、入植地撤去の否認、パレスチナ主権国家の否認などだ。
4‐3。この和平の改作を押しつけるためにイスラエルは、パレスチナ人の生活を劣悪なものとする十分な心づもりができている。その手段は、彼らの移動や物資運搬の制限、暗殺、拘禁、包囲、家屋や農業資産の破壊である。
4‐4。イスラエルは平和を望まず、虐殺を追求している。
4‐5。一九九〇年代はじめのマドリード会議で幕を開けた和平過程は、アメリカ・イスラエル連携枠組みの中に設定され、それはソ連崩壊と湾岸戦争の結果のおかげで展開した。この過程においては、冷戦後の時代へのアメリカの構想、「新世界秩序」と「新中東」へのイスラエルの願望とは一致した。
4‐6。マドリード会議の後には一連の経済会議が引き続いた。カサブランカ、ドーハ、アンマン、カイロの会議で中東、北アフリカ経済構造の再構築が追求された。それらはこの地域に、すでに危機にあった国家体制から世界市場での自由化された経済に向けての最後の一押しを与えるものだった。これらの会議の目標は、アメリカとイスラエルの政治的、経済的利益を押しつけることによって、アラブ―イスラエル紛争、およびパレスチナ―イスラエル紛争に終止符を打つことだった。
4‐7。これは二重の強制だった。そこには、パレスチナ民衆のどのような要求の受け入れをもイスラエルに強制することなしにイスラエル国家を政治的に受容することと、他方で同時にアラブ諸国の社会・経済的自由化の強制があった。
4‐8。アラブによるイスラエルへの直接・間接のボイコットの取り消しは、この過程の主要な経済的象徴である。
4‐9。オスロプロセスの到達点は、中東、中央および南アジア、さらに極東市場のイスラエルへの開放と同一線上にあった。そしてそのプロセスとは、パレスチナではパレスチナ民衆によって拒絶された諸条件を亡命中のうち砕かれたパレスチナ指導部が受け入れるという形のものだった。そしてまたこのプロセスは、占領地に作られるイスラエル―アメリカ主導の自由貿易ゾーンにおける安価な労働力としての未来に、パレスチナ民衆をさらすものだった。
4‐10。第二のパレスチナ民衆のインティファーダは、抵抗とこの構想にたいする拒絶の精神と意志を映している。
4‐11。パレスチナ民衆は、国連決議に基づく戦略的選択として和平を提案している。その国連決議は、イスラエル国家の傍らでの真に独立したパレスチナ国家を創出することになる、一九六七年六月四日国境へのイスラエルの完全撤退と、パレスチナ民衆の帰還権の実行を要求しているのである。

パレスチナ民衆と反グローバライゼーション

5‐1。国民経済の自由化に加えて、構造調整プログラムの実行と、政治的降伏としてのイスラエルとの和平への命令、このような形でグローバライゼーションプロセスの含むすべての国内矛盾は中東では暴力的に現実のものとなった。これらの現出は、急進的イスラム潮流の登場、文化的、宗教的紛争の噴出、帝国主義的軍事勢力の干渉、さらにアラブ諸国での民衆的不満の成長を含んでいる。
5‐2。帝国主義的構想に対するパレスチナ愛国勢力の英雄的抵抗は、上述したプロセスに対する抵抗の核の位置にある。しかしながらパレスチナ民衆は悲劇的なことに、政治指導者の暗殺、家屋取り壊し、耕地の破壊、そしてパレスチナのインフラの破壊に対決している者が自分たちだけだということを見いだしている。
5‐3。アラブ諸国の指導者とヨーロッパの仲裁人の努力は、残念ながら苦い皮肉を提供している。それはパレスチナ民衆に、彼らの主権と独立を否定することになる入植地を受け入れさせようとしているのである。
5‐4。反グローバライゼーション運動の役割は、パレスチナ民衆の闘争に対し、成功を願うという問題ではない。そうではなく闘争を分かち合い、闘争の勝利に向け援助するという問題だ。パレスチナ民衆の権利、自由、また独立を防衛する旗を掲げることは、世界中の反グローバライゼーション運動にとっての義務である。それは、新自由主義的グローバライゼーションに対するオルタナティブへの誠意と献身の表現である。
(インターナショナル・ビューポイント誌三月号)
注。マジュド・ナッサルは健康労働委員会連合の代表理事であり、ナッセル・イブラヒムは、オルタナティブ情報センターのメンバー。