2002年5月10日        労働者の力               第 146号

     
 有事法制阻止、郵便事業二法の成立阻止!
大衆闘争の高揚で小泉内閣を打倒しよう!
 
川端 康夫
 


 五月七日に有事法制が衆院で審議入りした。また郵便事業への民間参入を認める法改正をも提出する。この郵政事業法の改正案は周知のごとく与党三党の「事前審査」なしに政府権限で提出される。自民党はこの事態を例外として承認したが、自民党体制としてはまさに異例の事態である。しかも小泉は記者会見において、「自民党が小泉内閣をつぶすか、小泉内閣が自民党をつぶすか、である」と大見得を切って見せた。大衆受けを期待してのパフォーマンスである。しかし小泉人気は過去のものであり、口先だけのパフォーマンスで再び支持率上昇を狙っても無意味である。先月二十八日投票された三つの選挙で与党側は一勝二敗に終わった。いずれも保守の地盤である地域での二敗は政治の流れの変化を物語る。先日の横浜市長選挙に続く自民党の敗北は、小泉の「効用」が与党サイドにとって薄れたという事実を示した。スキャンダル国会はなお行き着く先を知らない。山崎幹事長個人の問題や鈴木宗男問題、田中真紀子問題があり、さらに小泉自身の実弟問題もある。また有事法制法案への疑問が自民党内部からも出され。郵便事業法案が上記のような問題をかかえている以上は、国会提出の「問題法案」が審議未了となる可能性はないとはいえない。そうすれば国会解散の可能性があるが、追い込まれた小泉にそうした力が残されているかは大いに疑問である。いま残っている問題は、「小泉の後がまがない」という保守論壇の主張である。野党連合には期待できないとして、これらの人々は、大資本の尖兵である小泉を支えるために動き出している。だがそれも時間の問題である。小泉の後とは、すなわち大規模な政治再編である。そのことは間違いない。小泉内閣打倒を掲げ、有事法制や郵便事業への民間参入を阻止する闘いをさらに強化し、小泉を追いつめ、廃案に追い込もう。新たな政治再編にたいする左派の準備は、こうした大衆闘争の高揚の中から生まれる。民主党が再編の軸となり、ここに新たな改憲勢力が生み出されないようにするためにも。

 小泉内閣をとりまく新たな政治環境と主要な矛盾

 小泉内閣の特質は、それが大資本の文字通りの尖兵であると同時に、日本における右翼潮流のあらゆる傾向のゴタマゼというところにある。それがいまこの内閣の最大の矛盾を生み出している。
 先日の靖国参拝は、昨年秋の中国、韓国への約束を正面から踏みにじるものだった。口先でアジア諸国民をごまかし続けることは不可能である。弁解に訪中した公明党神崎に対して、江沢民中国国家主席は強硬な反応を示し、韓国の反応もまたきついものであった。旧大日本帝国によるアジア侵略、中国侵略の象徴的施設である靖国神社への参拝は、それが公的であれ私的であれ絶対的に許されるものではない。非宗教的施設を作るというアジア諸国民への公約は、官房長官の私的諮問委員会で検討されていることになっているが、実際にはまったく進展していない。その上での再度の参拝である。小泉は事態を分かった上で、既成事実の積み重ねで突破することを考えている。
 この行動の背後には直接に日本遺族会会長の古賀がいる。さらに橋本派を代表して野中がいるのである。古賀は野中を介して橋本派代表の橋本自身から会長職を引き継いだのだ。野中と古賀はこれに先立って中国を訪れ、小泉の再度の靖国参拝への中国側の反応をはかり、そこで参拝を実現するための方策を練った。それが春季大祭前のぎりぎりの参拝であり、かつ公的か私的かを明示せず、同時に中国側へのリップサービスとして「有事法制への疑問」を公にすることであった。小泉はこの件に関しては橋本派と談合したのである。
 以上の経過は、保守・右翼潮流のなかの複雑な政治色彩の違いを表現している。
 小泉は保守・右翼潮流のすべてを代表するという常識では到底考えられないことを妄想している。
 そのひとつは外交関係である。小泉はアメリカへの絶対的追随とアジ諸国民衆、とりわけ中国民衆との結びつきを悪化させないことが可能と考えている。これはすでに見たように野中と古賀の立場を表現している。ただ小泉は野中とは違い、その路線が綱渡りであると思っていない。
 二つには、復古的排外主義と対外関係の安定を両立できると考えている。靖国参拝は旧帝国主義の美化そのものに他ならないのであるから、石原らの復古主義的排外主義路線に通ずるものであり、対米、対中関係では決定的な矛盾を含む。
 三つには改憲と通じる軍備の公然化である。小沢の「普通の国家」論にはじまる日本自衛隊の公式軍隊化と海外派兵実現の路線は、アジア民衆の存在を考慮した場合、きわめてデリケートな問題であることは明らかである。それゆえ小沢自身は「国連中心主義」を掲げて隠れ蓑にしようとしている。だが小泉はここでは中曽根らの行け行けどんどんの改憲・再武装というむき出しの帝国主義路線に従っている。
 こうして小泉は、石原に代表される旧帝国主義への復古主義的排外主義路線、中曽根らの公然帝国主義路線、安部晋三らのアメリカ一辺倒路線、そして野中や小沢が属する対中関係への配慮という大きな分岐のすべてを、その口先で代表できると考えているのである。
 田中真紀子問題は一つに対中国問題があった。アメリカ一辺倒の外務省首脳と田中真紀子が衝突することはその当初から明らかであり、就任当初、挨拶に来たアーミテージとの会見を拒否したことはその直接の理由はどうあれ、まさに象徴的であった。
 だが与党三党幹事長と会談したアメリカ国防省の某次官補は、日米関係を英米同盟関係に引き上げるという共和党ブッシュ政権の展望のもと、集団的自衛権の承認から防衛庁の省への格上げをも含む一連を全面的に支持して見せた。このなかにはイージス艦やP3Cのインド洋派遣も含まれる。与党三党の幹事長もこれらの唐突な提案には腰が引け、集団的自衛権承認は政治日程には入っていないとコメントせざるを得なかった。
 ところが六日付の『朝日』によれば、これら一連のアメリカ国防省の提案は、実は海上自衛隊が文書を持ってアメリカ第七艦隊に日本政府に申し入れてもらいたいと要請した結果だという。しかもその申し入れには、イラク攻撃が始まれば派遣
は困難になるからその前に派遣を実現させ、そうすればイラク攻撃に際して自由に支援できるという理由説明があったという。憲法も集団的自衛権もそして文民統制も無視した海上自衛隊のやり方だと『朝日』は糾弾的であった。
 この事実は決定的である。海上自衛隊のこの問題に関する責任者は当然解職されるべきだが全体の総括責任者である防衛長官、ひいては小泉総理大臣の責任も重大である。
 小泉はこの問題を放置するのか。それはできまい。しかし問題の本質は、反テロ対策法として海上自衛隊をインド洋に派兵し、そして有事法制を強行することによって戦争体制を作り上げようとする小泉自身の行動にある。海上自衛隊は小泉の意のあるところを察して行動したのだ。
 こうして、とりわけ九・一一事件の後で明白となり始めたアメリカの軍事力による世界制覇の戦略の一部に日本が組み込まれるか、そうではないかの分岐が現れている。小泉内閣をめぐる国際的政治環境は、いまや旧来の日本政府のおかれてきたものとは違い始めている。前述したさまざまな傾向があいまいに共存していることには無理が生じているのである。
 ここに新たな段階の政治再編の軸心が明確となり始めた。

有事法制の政治力学―その一

 有事法制問題は、対アジア外交の基軸がどこに置かれているのかを容赦なく明るみに出すことである。つまり日本周辺において日米同盟関係のもとにある日本に対して武力攻撃を行う国家、あるいは勢力が見当たらない以上、有事への体制整備とはアメリカが東アジアにおいて将来的に武力を発動する事態に備えるということである。
 アメリカが念頭においているものは当然にも中国であり、そして付随的には北部朝鮮である。中国を将来ともに軍事的に牽制し、その影響力の拡大を食い止めるという単線的な思考が、すべて軍部出身者であるブッシュ政権の首脳部によって抱かれている。これらの戦争家たちはイラクとイランそして北部朝鮮を名指しで「ならず者国家」と規定し、とりわけイラクへの侵略意思を明らかにした。北部朝鮮においても核査察やミサイル輸出などの問題を執拗に出している。すなわち東アジアにおいてもアメリカ帝国主義は自ら積極的な軍事力発動を準備し始めたのだ。
 より大きくとらえれば、このことはアメリカによるユーラシア大陸への軍事的牽制なのである。
 ユーラシア大陸の西側には拡大しつつあるEUの勢力があり、東側には経済大国化しつつある中国がある。EUは昨年、アメリカから見ればその守備範囲を超えて「生意気にも」朝鮮半島問題に踏み出した。北京におけるヨーロッパ・アジア首脳会談は、それが単なる政治儀式には留まらないことを実感させたのである。アメリカにとって、EU側のブッシュ路線への明らかな批判とそのヘゲモニーへの挑戦の始まりと映ったことは間違いない。
 他方、中国とロシアとは明らかに中央アジアの旧ソ連圏諸国をまじえた経済的政治的連携の深まりが進んでいた。そして北部朝鮮はロシアと中国との関係改善に取り組み始めた。このユーラシア大陸の両端の結合が深まれば、アメリカは大陸への発言力を失いかねない。この可能性、が当時一種の孤立主義路線に傾斜していたブッシュ政権の念頭に浮かんだに違いない。
 九・一一が転換の口火を切らせることになった。対アフガン作戦においてアメリカはイギリスと日本を副官役に動員するとともに、パキスタンを恫喝、屈服させ、そして中央アジアの旧ソ連圏諸国への軍事的展開を実現させた。さらに「テロとの戦い」においてグルジアへのアメリカ軍の展開をも実現させた。プーチンのロシアと対立するシェワルナッゼのグルジアがアメリカ軍の展開を利用しようとしたからである。
 「ならず者国家」規定はブッシュの年頭教書で公表された、九・一一後の戦略の象徴である。ここにおいてブッシュは東アジアと中東に置ける積極的な介入の糸口をつかもうとしたのである。すでに南アジアはパキスタンの屈服によって大枠はできた。東南アジアにもフィリッピンへの軍隊展開によって対応が進み始めた。残る大所は中東と東アジアである、というわけだ。最強の軍事力の全面発動が始まっている。
 中東においてアメリカは代理人国家であるイスラエルとその占領下にあるパレスチナ自治政府の問題と平行して、事実上はアメリカと結合しているサウディアラビアや湾岸諸国をさらにしっかりと掌握する必要があった。パレスチナ問題の解決をパレスチナ民衆の全面屈服、あるいはその地からの全面放逐とするシオニズム右派のシャロン政権は、「テロとの戦い」と称して全面的軍事侵攻と民衆虐殺の手段に出た。国際世論の憤激もあるが、より以上にはエジプトなどのアラブ有力諸国の困惑への配慮が、アメリカをしてイスラエル軍の「行き過ぎ」を抑えるという役割をはたさせたが、シオニスト右派の綱領がアメリカによって抑えられたということではない。一時的な撤収に過ぎない。シャロン政権は当面の最大問題である「植民」問題をいささかも転換する気はないからだ。
 シャロンはEUの介入に露骨な反発を示し、ジェニン難民キャンプに対する国連の査察を拒絶した。国連はあっさりと査察中止をきめた。アメリカは査察拒否に内々の了解を与えたに違いない。こうして世界はパレスチナ民衆の犠牲の拡大とイラクへの軍事侵略を目前にしている。

有事法制の政治力学―その二

 アメリカの世界戦略はもちろんアメリカの多国籍資本が推進する資本の新自由主義的グローバライゼーションと密着している。京都議定書問題におけるEUの役割をアメリカが忘れるわけはないだろう。EUの資本も新自由主義であることは間違いないが、アメリカ資本の一人勝ちに対する世界的競争戦が解消するわけはない。この競争戦は政治と軍事を必然的に必要とする総合戦なのである。京都議定書問題は何事も制約されることを拒否するアメリカ資本への挑戦だし、フランスを中心に高まっている資本取引に対する国際課税(トビン税)への動きもまた金融取引の完全自由化を求めるアメリカ資本への挑発と映るだろう。まさに経済と政治は切り離せない。
 日本資本主義もまた新自由主義路線を走っている。小泉人気を隠れ蓑にした日本の大資本は労働コストの切り下げを柱に資本収益率の上昇を図っている。それが結果的にデフレスパイラルを加速し、不良債権問題の深刻化や消費性向の低下と大型商業店の経営難を導いているが、大資本は自らの収益性にのみ関心を寄せ、日本経済総体の体力低下への対応は鈍い。
 国際的な資本間競争戦は地域的な囲い合いとその間のリージョン間競争を深める傾向を示している。すなわちリージョンの統合化とその中における資本移動の促進、労働力予備軍の創出による労賃コスト低下などによる国際競争力の強化が狙いとされている。
 日本資本主義はその伝統的な輸出主導主義による一般的な自由貿易主義―WTOでの枠組みに依存してきたが、当のアメリカは個別的自由貿易地域とWTOを組み合わせ、第三世界諸国やライバル帝国主義などへの市場開放の圧力とそれと相反する自国による独占的な経済領域を作り出してきたのである。
 EUの誕生とその拡大、欧州軍の創出への努力はEU資本の「自助努力」の結果である。こうした世界的資本間競争の総力戦に対して日本資本ははるかに遅れをとってきた。それが空白の十年を導き出した原因の主要なものの一つである。日本大資本は土砂降り輸出以外の方法を求めてはこなかった。世界的自由化のもとで自国市場の開放を求められ、物価引き上げ政策の維持が不可能になるにつれて、賃金切り下げ、首切り自由への転換、という方策をドラスティックに求める以外の道を見出せなかった。
 日本大資本は依然として輸出に依存する体質を抜けていない。世界の三極のひとつを占める日本の資本主義が輸出主導主義をいつまでも続けることは不可能である。現にアメリカは鉄鋼に関する反ダンピング法を発動した。アメリカはWTOの規定も守る気はないのである。こうして日本大資本はいやおうなく経済的競争戦が総力戦に転化していく状況を認識せざるを得なくなるのである。
 そこで生じるアジア諸国との関係は日本政治の今後に大きく関与してくることになる。小泉はシンガポールと自由貿易協定を結び、さらに他の東アジア諸国との自由貿易協定締結を目指す意向を示している。これは明らかに中国包囲網の形成をめざしている。だが、アジアの工場へと転化しつつある中国との関係には日本大資本は無関心でいられないはずである。
 日本はアメリカの副官帝国主義になることがはたして可能なのか。

 不可避的政界再編の行方と連合

 ではそうした政治再編の基盤は内容的にはどのように準備されているのだろうか。
 連合はこの五月二十一日に有事法制への態度を決めると報じられている。報道によれば、連合は今回提出の法案そのものは不備が多く賛成できないが、しかし有事法制そのものは整備する必要はあるとする意向であるという。有事法制が閣議決定された直後、連合は民主、自由、社民の野党三党代表を呼び、対応を質した。絶対反対を表明した社民党代表に対して造船重機労連などから厳しい弾劾がなされた。すなわち有事法制は必要だというのである。
 民主党の多くもまた同様の立場だ。民主党内部における左右の対立のうえにボナパる菅幹事長は、反小泉の基本的に政略の立場から今回提出法案に反対を決めただけである。基本視点に確固としたものがあるわけではない。事実、民主党の岡田政調会長は質疑の冒頭において、有事法制は支持する、東アジア地域は危険をはらんだ地域だと小泉に迫り、大いに喜ばせ、小泉に民主党と法案豊富化のための協議を行いたいともいわせた。また一年前の繰り返しである。二度目も茶番劇だ。その点では国連中心主義を掲げ、憲法のなしくずし改憲に反対する小沢の立場がより確固としている。
 以上のいずれも経済的には小泉同様の新自由主義だ。この点では再編の組み合わせにはどのような可能性もある。違いが出るのはやはり外交路線であろう。中心は中国問題である。中国との対決か中国への接近か。石原―中曽根的アナクロ路線が政治分岐の軸に来ることはありえない。いかに右翼メディアが騒ぎ立ててもである。それが現実化するとすれば、小泉同様政治的どさくさに紛れた人気投票となるときだけだ。中国への態度を測るためには有事法制への立場のとり方がめやすになるだろう。
 共産党は政治再編に関与することはなかろうが、社民党はわからない。が、それに深く関与すれば村山内閣の苦渋を再び味わうことになろう。ここにできるであろう内閣は日米同盟と改憲路線をベースに対中国の綱渡りを続けるだけだからだ。
 小泉内閣打倒。有事法制粉砕。
(五月七日)


三里塚反対同盟の岩沢吉井さんの逝去を悼む

 四月二十九日。三里塚反対同盟の老闘士であった岩沢吉井さんが逝去された。九二歳であった。通夜は二日の夜、告別式は翌三日の正午から行われ、反対同盟の人々を始め、旧三里塚闘争に連帯する会の人々、三里塚闘争を岩沢さんとともに闘った多くの支援の人々が岩沢さんとの別れを惜しんだ。
 岩沢吉井さんは反対同盟の幹部として一貫して闘い続け、同盟分裂後は熱田派に属し、朝倉という騒音直下の地に踏みとどまり、闘いを継続した。しかし年齢には勝てず、近年はご長男宅に移っていたが、今年三月脳溢血を起こし、療養に努めていた。ご遺族の話によれば、四月に入り病状は好転し、明るい見通しを持ったということであるが、しかし月末に入って急速に悪化し、二十九日の昼に亡くなられたということである。
 岩沢さんはインター現闘団にとって決して忘れることができない人だ。朝倉の地に現闘団の拠点を世話してくれたことに始まり、その後現闘団の解散以降もつながりは保たれた。
 現闘団生活を送った多数の若者たちは、朝倉の地に住む岩沢さんそして秋葉さんとそのご家族から多大の援助と激励、指導を受けた。また共産主義青年同盟創立大会で激励に立ち、全国各地の三里塚闘争に連帯する会や第四インター日本支部の集まりにも積極的に参加し講演してくれた。旧第四インターナショナル日本支部にとっても忘れられない人だ。
 旧第四インターナショナルが分裂し、その影響もあり、多くの若者たちの離散も生み出され、再結集を望む岩沢さんの期待に応えられていないことを残念に思う。そして岩沢さんが三里塚空港の廃港を最後まで求め続けていたにもかかわらず、その願いを実現する闘いを継続できないないことも心から無念に思う。
 だがいつの日か、岩沢のじいさんの叱咤激励に応え、第四インターナショナルの旗を日本に再び翻すことができると決意して、岩沢さんへのお別れの辞に代えたい。
 二〇〇二年五月七日  国際主義労働者全国協議会
  

 鉄産労闘争勝利報告集会

百五十名が参加
 


 鉄産労の仙台駅強制配転闘争の勝利報告集会・レセプションが四月十四日、仙台市で開催された。組合員、OB会、家族、全国各地の仲間たち、宮城の市民運動の方々と宮城全労協傘下組合代表ら百五十名が集い、勝利を祝った。組合結成から十九年、国鉄分割・民営化から、したがって強制配転との闘いを開始してから十五年、幾多の労苦を分け合いながらともに歩んできた日々の思い出話に会場がなごんだ。十三名の原告団を代表して高橋庄一さんがお礼と決意を述べた。「法廷闘争は勝利し、全員の原職復帰をかちとった。しかしJRは、これが不当労働行為の強制配転であったことを公に認めようとはしていない。闘いは続く。JR東日本社長が土下座して謝罪するまで闘いぬく」、と。出席者の前には遺影が並べられ、この集会の特別ゲストとして紹介された。四人のOBたち、二人の青年部員、組合が格別の恩義を抱く加藤滋さんら三人の仲間・先輩たちであった。支え合ってきた遺族と組合員たちは、遺影に勝利を報告し、花を捧げた。(写真/勝利を報告する原告団/経過は本紙前号参照)
 
        ポルト・アレグレ
 
     三重の大成功
          
リビオ・マイタン(第四インターナショナル統一書記局)                                                    
 
 ポルト・アレグレでの二〇〇二年世界社会フォーラム(以下WSF)は三つのレベルで大成功した。三つとは第一に参加の規模であり二〇〇一年よりもはるかに大きかった。ついで時代の主要問題についての政治的、理論的考察の深さ、そしてやがて起ころうとしている出来事と未来の目標についての明確性の程度だ。
 九月十一日以降、たとえ急速な消滅ではないとしても、運動の減速や後退を予期した人々は、彼らの期待や心配には根拠がなかったということを認めなければならなかった。その事実は、ほとんど同時期にうっとうしい雰囲気の中で会合していたダボスニューヨーク世界経済フォーラム(WEF)と対比すればより鮮明となる。
 「彼(WEF創立者のクラウス・シュワブ)が方式をやり直すことができなければ、世界はもはや耳を傾け続けないかもしれない」、『フィナンシャル・タイムズ』(二月五日付)はこのように結論づけた。
 
 溢れる、闘いへの意欲
 
 忘れがたい日々を覆った数々の講演、論争、デモ、会議のもつ幅広く多面的な性質は、もっとも活動的な参加者、ほとんど眠らずにつきあう心づもりであった人々ですら、会合の全体像をつかむことが難しいとわかったという程のものだった。それは、WSFが三つの要素、すなわち社会運動、青年、そして議員会合の「共存」を特徴としていた限りではなおさらであった。
 そのうちでも社会運動が世界的公正を求める運動の起源と成長で中心的役割を果たしてきたこと、また今もその背骨であることを忘れることは誰もできないだろう。その運動の気質と多くのレベルでの部分的闘争への参加によって、また今日の世界の現実とのより直接的対立を経験することによってこれらの運動は、もしそう言うことができるならば、ポルト・アレグレ左派のもっとも急進的構成要素を傾向として代表している。二〇〇一年、二〇〇二年双方で、もっとも苛烈で進歩的な宣言をこれらの運動が採択したことは偶然ではない。
 もちろんのこと、青年はこれらの運動にその最初から関わっていた。しかしながら、青年の参加のかつてなかったような幅広さ、また今回初めて当地に居合わせた巨大な数の青年の存在という事実を考えれば、今回の場合青年を相対的に自立的な構成要素と見なすことは正当であるように思う。二〇世紀の節目における青年の急進性に関する議論からアルゼンチンのできごとに至るまで、多くの事柄に関して起きた連続的論争は、学びへの渇きとわれわれの前に横たわっている闘争への関与に向かう活性化傾向を明らかにした。
 
 改良主義者の画策
 
 議員フォーラムにおいて問題が引き起こされる、ということは予測できることだった。
 実際のところ議員フォーラムは、いくつかの伝統的政治潮流、中でも社会民主主義者にとっては、ポルト・アレグレ運動に自身を引き入れようとする仕事のための好都合な枠組みだった。これらの新参者、しばしば過去の恥ずべき闘いの熟達者であった者たちは、大いに自制を示すということはなかった。ある者たちはPT内部の策謀に関わり(注1)、他の者たちはポルト・アレグレでは普通となっていた統一への意思を利用することで、紛れもない強請にふけった。
 いくつもの対立、中でもアフガン戦争問題での対立があった。アフガニスタンで進行している戦争と同様に、湾岸戦争、バルカン戦争を支持してきた党を代表している議員たちとの間で共通の宣言を引き出すことは困難だった。結局二つの並行的動議が採択された。まったく一般的な性格を持つ動議は満場一致で採択された。戦争に対するはっきりした非難を含まない他のものは、出席したPRC(イタリア共産主義再建党)議員とLCR(フランス革命的共産主義者同盟)ユーロ議員によって反対された。その上にこのフォーラムでは、さまざまな党や運動、ラテンアメリカ共産党の何人かの代表、フランス社会党の四人のメンバー、一人のドイツ社民党議員からの数多くの発言にもかかわらず、PRCの二人の代表の以前には、アフガニスタンでの戦争は非難されないだけではなく、言及すらされなかった(注2)。
 
 課題となる共闘関係
 
 社会民主主義潮流との関係の問題は、多分他の会合で、また二〇〇三年のフォーラムであらためて提起されると思われる。選挙での敗北によりもはや政府与党ではなくなり、彼らの肺に新しい空気を入れる必要を感じるようになる諸党との関係では、上記のことはさらに可能性が高い。社会民主主義者や他の者が負うべき重い責任を前提にすれば理解できることだとしても、純粋で単純な排除という対応はおそらく間違いである。
 事実上、ポルト・アレグレでは、そのような単純な行動方向は誰からも提起されなかった。
 われわれはどのような人との論争もおそれない。しかし同時に、最終的結合という領域に関してはいくつかの限定がある。われわれは、新自由主義と戦争に反対しない人々を運動の結合された一部と見なすことができないのだ。しかしある一定の、時期を限定した共同は、場合ごとに慎重に、という基準で可能であり得る。
 労働組合組織との関係においては、どのようなセクト主義的条件反射も回避するということがさらにより重要である。諸勢力間の現在の関係がどうであれ、また労働組合の現在の方向性がどうであれ、伝統的な労働者あるいは民衆運動と新しい運動の関係という問題は依然として意味を持っている。イタリアの世界的公正を求める運動はこのことを、労働組合によって発動されたストライキやデモに活発に加わる形で、全体として十分に理解してきた。
 二〇〇三年のWSFが、国際的あるいはブラジルのどのような流れの中で開催されることになるのか、誰も断言できない。しかし何が起ころうとも、今年三月十六日のバルセロナの巨万のデモは、運動が成長を続けていること、また来るべき数年間の闘争においてこの運動が決定的な役割を演ずるであろうことを示している。
 注1。WSFの開始に当たって、ポルト・アレグレの日刊紙は、他の人々に混じって、イタリア左翼民主党(DS)の指導者とイタリア知識人が署名した公式声明を掲載した。その声明は、参加型予算について恣意的なやり方で紹介することにより、参加型予算の理念を乗っ取っているとしてトロツキストと他の人々がイタリアで非難されているとし、一方先のDSメンバーは、特別の協会を作って参加型予算理念に正しく応答してきたとするものだった(しかしそのような協会については、イタリアでは誰も、何事も知らない)。この声明は事実上、参加型予算についてブラジルの文献を再発行して情報を広めている唯一の組織であるPRCへの攻撃であった。
 注2。サンパウロフォーラムの議長は、PRC国際部幹部のジェッナロ・ミグリオーレと筆者に発言を許可する前に、本文中で上げた五名の社会民主主義者を含め、およそ二十名に発言させた。われわれが最初から発言登録を済ませていたにもかかわらずである。PRCはWSF形成以来参加してきていたということに読者は留意していただきたい。(インターナショナル・ビューポイント四月号。中見出しは訳者)
 
恐怖政治にさらされるパレスチナ
           
フィル・ハース                   

 われわれがずっと強調してきたように、イスラエル軍はラマラ、ベツレヘム、ヘブロン、ナブルス、ジェニンさらに多くの他のパレスチナの町々の包囲攻撃続けている。これらの町から届くニュースには空恐ろしいものがある。何十人もの人々がすでに殺され、何百人もの人々が傷つき、千人以上が牢につながれた。多くの人々が行方不明だ。死体は腐敗しかけたまま放置されている。食料と水は底をつき、救急車は負傷者の手当を日常的に妨害されている。
 
 永久的占領への抵抗
 
 イスラエルのパレスチナ民衆に対する電撃戦は、反動的占領軍の冷酷な論理に従っている。それは武装抵抗への徹底的打撃と以下の方法によるパレスチナ全民衆への脅しと恐怖政治を目的にしている。すなわち、市民の無差別殺害、大量逮捕と拷問、しらみつぶしの家宅捜査、むちゃくちゃな資産破壊、外出禁止の強制、そしてパレスチナ指導部への侮辱という手段だ。
 これらのことはパレスチナ人自らが招き寄せたものだとのジョージ・ブッシュの主張は途方もないものだ。これは圧制者の加える暴力をその犠牲者のせいにするという帝国主義の典型的偽善である。パレスチナ人、ヤセル・アラファトではなくパレスチナ大衆が行ったことは、立ち上がり、はいつくばって生きることを拒否したこと、立ち上がり、まさに「もうたくさんだ」と言ったこと、永遠に占領され侮辱されたまま生きることを拒否すると言ったことである。これが第二次インティファーダが意味するものだ。
 ブッシュとシャロンは、イスラエルの侵略はパレスチナ人の自爆攻撃が引き起こしたものだと言い張っている。原因と結果をひっくり返すこのような主張で誰がだまされるだろうか。自爆攻撃は、パレスチナの闘士に対する暗殺攻撃の波、戦車、攻撃ヘリ、F―16戦闘爆撃機によるパレスチナ民衆への日常的な残忍な仕打ちに対して報復しようとする企て、絶望的な企てであった。たとえただ一つの自爆攻撃もなかったとしても、パレスチナ民衆は依然として残忍な仕打ちをうけていたはずだ。
 パレスチナで進行しているものは、シオニズムの最反動派が抱いている綱領の漸進的実行であり、それはユダヤとサマリア全体の「奪還」なのだ。アリエル・シャロンは一九九二年のオスロ和平合意をひっくり返してしまった。もっとも、その合意そのものはアラファトが行った痛ましい降伏であり、真のパレスチナ国家がもつべきもっとも基本的な構造を欠いた、まさにイスラエルの監視と支配の下で、バンツースタン(南アフリカのアパルトヘイト体制の中に創出された、エセ自治「国家」―訳者)のもじりの中で生きることへの同意であった。
 
 被抑圧者を防衛せよ
 
 市民を標的とする自爆攻撃は、社会主義者が擁護する大衆運動の方法ではない。自爆攻撃はパレスチナ民衆の闘争の国際的イメージを傷つけ、イスラエル内部での抵抗の成長を困難にする。しかしそれは、それが事実として何であるかに基づいて理解されるべきである。すなわち、それが絶望的民衆がとっている絶望的手段であることから出発すべきなのだ。自爆攻撃とシオニスト軍の行為の間に等号を付すことは、抑圧者が加える日常的で、体系的な暴力と抑圧される側の絶望的暴力との間の本質的区別を見誤ることである。
 自爆攻撃の始まる以前には、西側メディアがほとんど伝えることのなかったインティファーダのもっとも基本的な事実は、それが占領に対する抵抗闘争であり、建前上パレスチナ政府の統治下にあるとされていた、いわゆる「パレスチナ領土」内だけで遂行されていた、ということだ。一九八二年のサブラとシャティーラ難民キャンプの虐殺者、シャロンの首相選出以降はずっと、パレスチナ政府の破壊およびパレスチナ領域再占領がありうる状況となってしまった。彼の選出以前ですら、まさにオスロ協定への署名のそのときから西岸およびガザでの入植地建設という情け容赦ない計画、さらにそれに至る道路を建設するためのパレスチナ人家屋と土地の接収が続いていたのだ。
 
 真実の姿―民衆的抵抗対帝国主義
 
 パレスチナ政府の破壊と西岸、ガザの全面的「奪還」への青信号は、アメリカの「テロとの戦い」の開始によって与えられた。この問題への目くらましは、九月十一日直後、ブッシュとブレアがパレスチナ国家の必要性を偽善的に取り上げたときにつくりだされた。アフガニスタン攻撃に先立つ時期、アメリカはシャロンの手を押さえ、反タリバン同盟結成まで総力的攻撃を押しとどめた。タリバンの破壊がいったんなしとげられると、そのような見せかけは不要となった。アメリカは進む途上の一歩ごとにイスラエル政府と協力した。そしてシャロンは、パレスチナ民衆のあらゆる政治的、軍事的組織の破壊に向けて、アメリカの前進許可を得た。それは何ほどか、PFLP書記長の暗殺やファタハやハマスの数多くの指導者殺戮によって象徴されている。
 アラファトの標的化は、もちろんのこと、象徴的にパレスチナ人を侮辱するために仕組まれた。しかしアラファトの指導性は事実上惨々たるものになっていた。彼はパレスチナ民衆をオスロ合意の罠に導き、パレスチナ大衆のためにはほとんど何もしなかった、絶望的に腐敗した権威主義的なパレスチナ政府を指揮していた。
 インティファーダはアラファトが選択したものではなく、パレスチナ大衆が彼に強制したものだ。さらにその上、PLO指導部の振る舞いは、大衆的支持をイスラム的ハマス運動にやすやすと手渡した。ハマスはその広範な福祉、食糧計画をもって、何十万ものパレスチナ民衆から、民衆のために何事かを現実に行っている、また抵抗の唯一の組織であると見られていた。ファタハは、自衛という深刻な必要性から、またハマスに完全に出し抜かれないための配慮から、抵抗に引きずり込まれたのだ。
 
 パレスチナ民衆への全世界的支援を
 
 パレスチナ民衆へどのような打撃が加えられても、シャロンの現政策はただ永遠の暴力と対立を意味するだけであること、たとえ永久に戦時体制であったとしてもイスラエルの安全は確保できないということ、このことを少しずつわかり始めたイスラエル人の数は次第に増えている。「兵役拒否者」の出現、占領地へ行くことを拒否した何百人もの予備役兵、そして平和運動活動家によるラマラの包囲された人々に食料を運ぼうとする試み、これらは人々を元気づける兆候である。同様に、イスラエル狙撃兵によって発砲された国際的平和デモは、勇気を与えるイニシアティブであり、イスラエルに対して宣伝的打撃を加えている。しかしパレスチナ民衆は、国際的連帯という領域においてはるかに多くのものを必要としている。現瞬間において彼らは恐ろしいほどに孤立している。反動的ブルジョア民族主義者や半封建領主からなるアラブ指導者たちはパレスチナ民衆に真の援助を届けるために指一本上げようとはせず、石油の一ヶ月禁輸というイラクのきわめて控えめな提案すら拒否している。EUは「懸念」を表明する以外はまったくほとんど何もしてこなかった。
 世界中からの大衆的連帯運動だけが、パレスチナ民衆に直接的助けをもたらすことができる。世界的公正と平和を求める運動のパレスチナの主張に味方する巨大な部分とともに、いまいくつか励みになる兆候がある。それはロンドンの十一月三十日のデモでも目に見えて示された何者かであり、このデモはパレスチナ民衆支持の大衆的表出でもあったのだ。このような運動なしには、シオニスト右派と入植者の全綱領が最終的に実行されてしまう真の危険がある。そしてそれは、西岸とガザからのパレスチナ民衆の全面的排除を意味している。
 

  列車乗務員は依然攻勢にある


          グレッグ・タッカー(RMT乗務員部門全国書記)
         

 サウスウエスト鉄道(SWT)争議を徐々に掘り崩した策動にもかかわらず、国中の鉄道労働者は賃金および諸条件に関するストライキに参加し続けている。現在の争議が夏を越えて全国的行動へと広がる展望には変わりはない。
 
 指導部の優柔不断
 
 メディアにとってSWT争議とは、RMT(鉄道・海上・運輸労働組合)書記長選挙を有利にするための策略がすべてであった。このようなことは、六日間のストライキを闘ったSWT労働者に対する侮辱だった。彼らの争議は、国中の鉄道労働者がともに分かち合っている不満への応答だったのだ。北東部ではアライバ北部鉄道の車掌が、北西部では第一ノースウエスタン鉄道の運転士が、そして他のところで他の組合員が行動を起こしているのはなぜなのかへの回答が上の事実だ。SWTの労働者は、RMT指導部が争議に持ち込まれた政治問題と対決する準備ができていなかったがために失望させられた。
 RMTは、ストライキ当日には運行確保のために管理者をスト破りに使い、正常日には全従業員を飢えさせるために、自身の運行を混乱させてしまう、そのような腹づもりの会社と対決した。その上政府は、鉄道検査局と戦略鉄道局を通して経営側に立って直接に干渉した。
 このような攻撃に対処する唯一の道は、争議の拡大だった。しかしRMT指導部は、そのようないかなる行動も躊躇した。何事かをするためにわずかに一致したことですら実行し損なった。たとえば全国的争議基金を設立していながら、他の組織からの寄金を依頼する要請状は、書かれたにもかかわらず全く投函されなかった。その代わりに舞台裏では、会社と変わりがない組合側の支部代表たちは、争議終了を早期に実現するために、従業員のもっとも弱い部分を動員するよう尻をたたかれていた。ストライキの期間中、従業員は変わることなく一体であったという事実にもかかわらず、争議は当初は保留され、その結果生ずる士気の低下の後に、RMTの要求が何らの重要な前進を獲得しないままに終結を向かえた。SWT組合員の多数は、必要なエネルギーを持って争議を前進させられなかった以上、RMTに怒りを持ったが、そのまま放置されてしまった。
 
 夏のストライキが次の焦点
 
 しかしながら、依然として強力なままのアライバ北部鉄道の賃金争議や係員に対する過酷な扱いをやめさせるために行動中の第一ノースウエスト鉄道運転士とともに、問題は終結からはほど遠い。ポーツマスで今週末行われたRMT乗務員
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協議会は、今の雰囲気に対するよい指標だ。代議員たちは、鉄道の健全性と安全性を確保する真の独立的機関に向けた運動に同意しつつ、SWT争議を弱体化させた際の政府の役割について論争した。続行中の争議に向け実際的支援を与えつつ彼らは、鉄道労働組合に対し、全国的な集中交渉のための要求を優先的に進めるよう訴えた。
 同時に、鉄道の安全性に関して今年夏の全国的列車乗務員ストライキの見通しが日程に載せられた。RMTとの一年にわたる論議の後で、鉄道規則書に関して責任を負っている、レールトラック社の系列機関である鉄道安全委員会は、独立して行われたリスク評価を否認した。この評価は、車掌会の果たしてきた安全確保機能を守るものであったRMTの規則改訂提案を支持していたのだった。旅客の安全を犠牲にして人件費コストを低水準に維持しようとする経営者との共謀でこれが行われたことは明らかであった。協議会は、五月末までに問題が解決されていなければ、すべての会社で列車乗務員のストライキを行う投票に向け進むように訴えた。
 
 RMTの政治的前進に向けて
 
 協議会はさらに、新書記長ボブ・クロウの報告によって鼓舞された。彼は組合員全体への関与をより増大させるために、中央機関の再組織化に即座に着手していた。彼は「闘う組合の発展を助ける」ために的を絞った変更を概括し、また労働組合の政治的姿勢の変更についても語り、代議員たちに温かく歓迎された。ボブ・クロウのイニシアティブに基づいてRMT執行委員会は、RMT政策の四つの綱領項目への同意を表明していた十四名の新議員グループを支持することで一致した。その綱領項目とは、鉄道の再国有化、ロンドン地下鉄の私有化阻止、商船事業の防衛、そして反労働組合法の撤廃である。
 しかしこれらの変更ですら、協議会にとっては十分ではなかった。代議員は満場一致で、労働党に対する政治寄金を全国で即時に停止し、代わりに争議中のRMT組合員を支援する党への基金払い込みを訴えることを決議した。
 
 左派の確実な勝利を
 
 ボブ・クロウを含む代議員の三分の一は、協議会が始まる前の時間、社会主義連合での、労働党との関係の将来についての、ある種フラクション的論争に参加していた。六月の定期大会での論争がきわめて意味あるものになることは明らかだ。大会議事日程にのせられた一連の決議案は、クロウがすでに実行した変更の支持から労働党からの全面撤収に至るまで広がる一定数の選択肢を略述している。
 鉄道に関する労働党の政策を防衛するつもりのあるRMT活動家を見つけることはほとんど不可能だ。しかし組合内の右派が静かに退場しようとしているわけではない。ヴァーノン・ヒンスの引退によって生まれた副書記長ポスト補充選挙に関して、右派代表のミック・キャッシュはこれまでのところいい線を行っている。これは委員長選挙での左派の敗退と並んで重い一撃である。右派は明らかに、ボブ・クロウの封じ込めをねらっていて、後日の反撃のための待機にある。
 ボブ・クロウが抜けた結果副書記長席が空席となった。現在の副書記長選挙において、ボブ・クロウに戦略的支持を与えることのできる誰かの確実な選出にむけての左派の統一がきわめて重要だ。
 全国執行委員会でのロンドン地下鉄代表パット・シコルスキーはすでに国中の諸支部から有意義な支持指名を受けている。RMT活動家は彼が運動を作り上げる上で、頼りにされることは間違いない。(ソーシャリスト・アウトルック四月号。中見出しは訳者)
 
 フランス大統領選挙速報
 
 LCR大躍進直ちにルペン打倒へ
 
 
 フランス民衆の急進化を背景に、LCR(第四インターナショナルフランス支部)の若干27歳の無名の郵便労働者、オルビエ・ブザンスノーは4%以上を獲得した。第1回投票結果判明後LCRは、極右ルペン打倒に向けた労働者の共同した行動の最前線に立つことを決定した。