2002年10月10日        労働者の力             第 151号


 小泉第二次内閣の成立と日朝国交交渉
 東アジアの冷戦構造解消へ全力を尽くせ

 
川端 康夫
 


小泉の転換と柳沢大臣の更迭

 一内閣一閣僚にあれほどまでに執着していた小泉は、十月に入っていともあっさりと内閣改造を行った。この改造の核心点は金融監督庁の長であった柳沢の更迭である。公的資金投入を拒否し、ペイオフ解禁を断行しようとしてきた柳沢は無念の涙をのんだ。他には責任論が政府内外に高まっていた農林大臣と有事法制問題で無能さを露呈した防衛庁長官が更迭された。
 この小泉の人事は、次のような意味でまさに皮肉である。というのは、柳沢は小泉自身であったからである。小泉「改革」が登場したとき、その経済政策は徹底した新自由主義政策の貫徹としての意味を持った。市場の論理にすべてを任せる、民間にできるものはすべて民間移行、ゼネコン救済のための公共事業に枠をはめる。このことは金融界において護送船団方式を止め、有力銀行に資金を集中することを意味していた。これがペイオフ解禁の意味である。柳沢はそうした政策の最も忠実な履行者であり、いわば小泉のつゆ払いであった。
 だが大リストラを政策的に推進し、資本の収益率を上昇させようとした小泉の経済政策の大枠組が、こうした新自由主義政策の実現にとって最大の障害になった。消費の落ち込みに端を発する長期不況は、同時に株式市場を直撃し、日経平均が一万円どころか九千円をも割り込んだ。財政再建も大リストラの強行による利潤率の回復も、すべてが吹っ飛んでしまう景気後退が加速したのである。
 株価九千円という数字は、日経平均が一万七千円あたりをうろうろしていた時期に、経済破綻の象徴として語られていた数字だ。九千円台まで落ちたら日本経済は底なしの奈落に落ち込んでしまう、そうした心配がなされていたのだ。そして現在その奈落が見えてしまった。大銀行が株式市場の急落によって直撃されている。景気の底入れがはじまった、などという数ヶ月前の「意図的、政治的」な楽観論はいまはどこにもみられない。日銀はG7で、日銀による株式買い入れという方針を各国金融当局に説明してまわった。公的資金投入はすでに既成事実といっていい。大規模補正予算の編成を行うことも同じく既成事実化しているとみるべきだ。問題は時期だけになっている。
 
その時次第のいい加減さ 
 

 小泉も竹中も、以上の方向性を表面では否定している。これが小泉第二次内閣の皮肉さの第二の点である。すなわちこの内閣、あるいは自民党執行部、さらには自公保三党連立首脳のどれもが、明らかな虚言を弄し続けている。たとえばこの臨時国会において有事法制の修正成立を断固として推進すると三党首は言う。誰もが本気にするわけはない話である。たとえばこの臨時国会での補正予算はない、と山崎幹事長は言う。これも誰も信じない。
 こうしたいい加減さ、でたらめさはようするに政治的無責任の表現であり、系統性のない、その場しのぎの政治であることを物語っている。
 権限が集中された竹中の場合、この虚像は頂点に達している。竹中は小泉路線を忠実に歩んだ柳沢を追い落として権限を集中したが、それは明らかに小泉内閣の路線転換を体現した。事実、第二次小泉内閣が成立してすぐ行ったことが、ペイオフ実施の二年延長だった。新金融監督庁の長としての竹中が行ったことである。しかしその竹中は依然として新自由主義政策の本筋を突っ走っている、というふりを続けている。つまり彼は大銀行救済という政策実態をあからさまにすることなく、公的資金注入を行いたいという虫のいいことを考えているのである。小泉が登場したときに掲げた「改革」のアドバルーンはすでに中身が空っぽになってしまっている。しかし彼小泉も竹中もアドバルーンが空中に漂っていることに唯一の望みを託しているだけである。
 
小泉に差し出された金正日の贈り物 
 
 突然の日朝国交交渉という金正日の差し出した縄に飛びついたことで、小泉の支持率は再び大きく回復した。アドバルーンに一時的に空気が注ぎ込まれたわけである。
 このこと自体は、日本民衆が相当の健全な政治感覚を保持していることを物語る。週刊文春や新潮などの一部右翼マスメディアが相も変わらず小泉攻撃の金切り声を上げているが、彼らの時代錯誤とインチキ性は民衆から完全に無視されているのである。
 いわゆる拉致問題は依然謎に包まれている部分もあるが、金正日が相当部分をさらけ出す覚悟をもって、拉致問題の存在を認めた事実は明白である。過去十年余続けられてきたいわゆる北の「瀬戸際外交政策」からの全面的転換であろうことは断言していいだろう。
 拉致問題の規模が思いもよらぬほどのものであることは大きな衝撃を多方面に与えている。「拉致問題」は存在しないとする北の立場を受け入れてきた人々や政党は一時的に苦しい立場におかれるかもしれない。だがそれは北がスターリニズム、それも一族支配に歪められた奇矯な政治体制であることを正面から認識し得なかったことの「つけ」である。
 世界のなかで唯一国交のなかった北との国交交渉がはじまるということは、この地域に残されてきた「冷戦構造」の一つが解消に向かうことを意味する。もちろんわれわれは、それがたやすいとか、南北の対立が一気に解決するとか、というふうには楽観はしていないが、それでも二十一世紀の初頭を飾るおおきな歴史的動きであることは否定できないことである。この点でわれわれは小泉の決断を評価する。しかし小泉および日本支配層の覚悟の程にはまったく信頼が置けない。「拉致問題」を振りかざす右からの抵抗に彼らは早くも腰が引け始めているのだ。
 もう一つの問題は、北の政治体制にある。朝鮮労働党の一党独裁という政治体制、一種の鎖国である外交的位置に何らかの変動が起きない限り、つまり社会主義的な民主主義が作動し始めない限り、北と南の関係が安定的に、開放的に結合していく保証は確保されない。そして東アジアの将来も、この地域における社会主義的な民主主義の確立の度合いに左右されよう。
 われわれは北の実情をほとんど知ることができていない。多くの報道がなされているが、いずれの側のものであれ、何らかの作為、宣伝臭を感じざるを得ない。ただ経済的停滞が相当のものであり、農業生産の落ち込みがひどく、実質経済的破綻状態におかれていることは読みとれる。工業からの援助、たとえば肥料などの供給なしに農業が自足的に回転することはありえないからだ。
 もう一つ指摘すべきは、この夏に集中的に問題となった「脱北」政策の問題である。「脱北」問題は、それが東欧崩壊の引き金となった東ドイツからチェコ、ハンガリーへの脱出、そしてオーストリアへの逃げ込みという図式を脳裏に描いた政策である。韓国のNPOの多くが関係していたこの政策は、金大中政府の「太陽政策」と客観的には対立していた。北の経済的困窮を背景とする中国への脱出者が出なくなるということはありえず、また「脱北」政策推進の立場が消滅することもないにしても、今回の日朝交渉への踏み出しは、金正日による「脱北」政策への対応方針になっていることは事実である。そしてこの点においてとりわけ、北京政府がおそらくは好意をもって受け入れているに違いない。
 アメリカは当初、とまどい的反応を示しはしたが、結局は日本政府の対応を支持した。もちろんアメリカ政府は、日本による抜け駆けを今後は認める気はなく、アメリカと韓国、日本の協同協議の枠組みをたがはめした。ブッシュ政権のタカ派である国防総省にとっては、この「ならず者国家」の一つである北が鮮やかな転換を示した事実はおそらくは認めたくはないに違いない。しかし、いかに軍国主義者であろうとも、中国とロシアという二つの安保理常任理事国の全面支持を受けた金正日の転換を受け入れないことは不可能である。

小泉はアメリカのイラクへの戦争に正面から反対せよ 

 アメリカ下院はブッシュのイラクへの戦争にゴーサインを出した。だが出したにしても、民主党サイドの抵抗はそれなりのものがあった。アメリカ財界も「戦争よりは景気」に傾いている。ニューヨーク株式市場の急落は全世界的株安に拍車をかけ、対イラク戦争が引き起こすであろう原油価格の上昇がさらなる経済的悪循環に導くことを恐れている。一頃の戦争熱はさめ始めている。イギリスブレア政権も労働党議員の多くからの抵抗を受けている。イギリスはいまやヨーロッパにおける大衆動員の三大拠点国になっている。多くの労働者がブレアの労働党から離脱を開始している。
 われわれは、もちろんサダム・フセインを支持はしない。イラク民衆によるその打倒を願うものである。だがアメリカ軍とイギリス軍によるサダム打倒の戦争が、地上軍の大規模な投入なしにはありえない以上、イラク民衆が正面から戦火にさらされることは火を見るよりも明らかだ。それはイラク民衆をむしろサダムの下に走らせるだろう。アメリカ軍はアフガン進攻に際して多く出た、民間人への誤爆に対する保障のそぶりもみせていない。軍事目標に限定された空爆と明言したにもかかわらずである。その文脈からすれば、イラクへの侵攻は、すざましい民間人の被害を生むことは確実だ。
 日本政府は、アメリカによるイラクへの戦争に正面から反対することによって、この東アジアで生じた「冷戦構造」解体への動きを真に実らせることができる。そうすれば、小泉を支えているアドバルーンにももう少し空気が入るに違いない。もっとも、いかに定見のない小泉でもここに自らは踏み込めないだろう。日本民衆の巨大な圧力、その行動的表現が求められている。(十月十一日)
 
 危険に満ちた世界の幕開けと革命派の責任(2)
   ―民衆的抵抗から社会主義的革新へ―
 
 V かつてない力を持つに至った民衆との衝突―歴史的力関係
 
労働者、民衆への深い依存

3―1.支配層全体へと向けられる民衆的拒絶は、新自由主義がつくり出した深まる矛盾の単なる反射物ではない。そこには民衆による主体的判断という本質的要素が介在している。
 支配層が遂行しているものをより普遍的なレベルで全体としてとらえ、批判し、そして不信へと高める民衆の能力が拒絶をつくり出している。反グローバリゼーションの運動に鮮明に刻印されている、ある種自然発生的な国際主義は、この民衆的能力の高まりをこの上なく示している。
3―2.その点で現代世界が、民衆総体の力が歴史上かつてないほどに蓄積された時代であることを再認識しなければならない。権威への従順と受動的依存は、基本的に過去のものとなった。個人の自由(実は利得獲得)の無制約的解放をうたいあげる新自由主義ですら、この歴史的現実を歪曲してではあっても反映している。
3―3.それゆえ、現代世界は、そのシステムの機能全般を深く労働者、民衆に依存している。いくつかを例示すれば、
・日常的生産、生産技術
・生産性の創造的向上―QC運動の客観的意味
・社会的諸機能の日常的維持と保守管理
などにおける労働者・民衆の役割は、誰もが否定できない重みを持っている。現代では軍事ですらそういえる。ハイテク化された軍隊は、膨大な数の労働者による技術的支援なしには動けない。今回持ち出された「有事法制」が総動員の論理を持たざるを得ない根拠がここにある。
 また、現代資本主義が特に先進工業諸国では、GDPの六〜七割の民衆的消費なしには失速することも明白な事実である。
3―4.ここにみる依存の本質はしかし、提供される労働力の量であるとか、消費の量だとかの量的依存ではない。本質は任務を主体的に遂行しうる能力であり、しかもそれを集団的作業のなかで自主管理的に内的調整を計りつつ進める、集団の能力、自治能力である。
3―5.個人が微細に断片化された作業のみを行い、それらのつなぎをすべて資本が指揮するというシステムを仮に想定すれば、それがたちどころに破綻するであろうことは明白だ。何よりもそのような指揮能力を資本自身が持っていない。テイラーシステムの行き詰まりを打破する試みとして、ボルボの労働集団再評価の試みが脚光を浴びたことには根拠があったのだ。新自由主義者の一部には、資本の指揮をコンピュータに代行させることで上述した仮の想定を実現しようとの夢想がある。しかしそれは現実にあまりに無知な夢想であり、とうてい実現の見込みはない。
 高度に発展した分業に基礎をおく現代の生産と、そこに結合された複雑な社会諸機能をもつ現代社会のシステムは、労働者、民衆のもつ集団としての高度な自己管理能力なしには一瞬たりとも動かない。それは端的に、ゼネラルストライキによる社会の停止として明らかにされるだろう。資本はスト破りを雇うことはできる。しかしバラバラな個人としてのスト破りは、結局非効率で混乱した「成果」をもって、労働者、民衆の集団的能力を逆説的に証明するだろう。それゆえ資本が実際に雇うことのできるスト破りは、労働者間の対立を利用した別の労働者集団なのであり、個人ではない。システムは結局のところ、集団としての労働者、民衆を必要としている。
3―6.上述の集団的自己管理能力とは、いわば自ら進んで協同する能力であり、その基礎には、労働者民衆の能動性とその内部での同権的民主主義、および知的水準の飛躍的上昇が不可欠なものとしてある。しかしこれらのものはどこにでも、いつでも自然にあるものではない。

歴史がつくり出した民衆の力

3―7.労働者民衆はこの能力を、歴史的な積み上げのなかで、いわば歴史に訓練されてまさに獲得した。
3―8.その歴史的要因は第一に、資本主義生産様式のもっていた歴史における進歩性である。資本主義は地方的に孤立していた農民を労働者階級に変え、自らの生産の必要に従って労働の規律を強制し訓練した。その規律はまさに集団的労働のゆえに不可欠なものだった。同時に以前の時代よりも急速に高度化する生産は、労働者への知的訓練をもブルジョアジーに強制した。総じて資本主義の文明化作用と呼ばれるこれらの過程を通じ、労働者は自ら協同する階級へと成長する養分を提供された。
3―9.第二に、労働者階級は絶えることなく自らの運動をつくり出し、ブルジョア社会への対抗社会として独自の自治空間を作りだし発展させた。資本主義は、その基軸である搾取関係のゆえに、このような労働者の反抗を否応なくともなわざるをえなかった。二〇〇年を越えるプロレタリア運動はいまや世界の普遍的現実である。
 この二〇〇年を越える年月はまた、プロレタリア運動自身の拡大、伝播、深化にとどまらず、そこで創造、蓄積された自治―思想、精神、組織、運動方法など―が、他の階級、階層の運動にまで波及、浸透する年月でもあった。当事者が自覚的であるか否かは別として、現代における多様な運動は、多かれ少なかれ、プロレタリアート運動が培ったものをひな形とし、あるいは参照点として豊かにされた。プロレタリアートからの独自性を自らの立脚点として強調する「グリーン」の運動が最も強力に展開されている地域が、プロレタリア運動の最も長く厚い伝統をもつ地域と重なっていることは偶然ではない。
3―10.二〇世紀、もう一つの強力な運動が発展した。植民地解放運動である。この運動もまたプロレタリア運動から刺激を受け、その蓄積を活用した。 植民地解放運動が当該地域民衆の意識覚醒を進め、民衆総体の力を決定的に高めたことはあまりに明らかだ。全世界の圧倒的多数を占める旧植民地地域の民衆を、いまやどのような帝国主義者も意のままに扱うことなど決してできない。その点で、たとえば石原に代表される日本の復古主義者は、現実に目を閉じているにすぎず、その前途には転落が待ち受けているだけである。
 資本主義にとって歴史的条件は、古典的帝国主義の時代とは画然と変化した。
3―11.労働者民衆はこうして、特に自らの運動を通して、内部の相互関係を模索し、試行錯誤しつつ民主主義と内部的規律を結合し、自主的能動性と自治的問題処理能力を鍛えた。総体としての自己管理能力は、まさに自身の運動のなかで最も実のあるものに高められた。
 資本主義も結局は、この能力に依拠する限りで自身を成長させた。資本主義と労働者民衆の総体的能力の上述した相互関係は、戦後資本主義の成長のなかに典型的に示されている。レギュラシオン派はこの相互関係をフォーディズムという規定の下に具体的に掘り下げた。
3―12.一方、一九一七年十月革命は、全世界でブルジョア支配総体が挑戦にさらされるという特殊な歴史的情勢をつくり出した。旧体制の権威の不動性は破壊された。この局面でブルジョアジーは、自身の体制の優越性を事実上「民主主義」ただ一つに絞り込み、全世界に売り込むことを強制された。国際共産主義運動におけるスターリン体制の成立は、この戦術の有効性を格段に高めた。こうして特に戦後、「民主主義」は全世界で体制公認の最高価値となった。
 しかしこれは同時に、体制、旧支配層の手を縛るものでもあり、また民衆のより深い民主主義への希求を後押しするものでもあった。現実に民衆は、特に六十年代末以降、民主主義をより広範により深く実質化すべく大胆に歩を進めた。代表との交渉という制度化された民主主義の枠をはみ出る、より自主管理的、より直接民主主義的な挑戦は、全世界で不可逆的に進行した。
 
民衆無視の新自由主義は転落する
 
3―13.こうして現代世界は客観的に、民衆の同意、民衆の能動的で積極的な関与なしには機能しないものとなった。これが現代を規定する客観的な現実、歴史的力関係である。
 それゆえ、資本主義にもし歴史的可能性がまだあるとするならば、それはこの客観的な現実に自身が適応できるか否かにかかっている。
3―14.ところがソ連崩壊によって、ブルジョアジーには、時代は変化したと映った。十月革命の呪縛は消え去り、民主主義の位置は相対化した。資本主義こそが至上のものとなった。
 民主主義には明らかにブレーキがかけられ始めた。特に平等や権利に対する敵意が目立って高まり、民主主義の制度への閉じこめに向けて圧力が加えられている。九・一一後の欧米諸政府の対応は、彼らの変化を如実に示している。そして欧米における「極右」の台頭にも、ブルジョアジーのこの転換を鋭敏に嗅ぎ取ったという性格が多分にあると思われる。
3―15.同時に「資本の自由」を至高のものとする新自由主義にもまた、民主主義への敵意が内包されていた。実際、新自由主義の下で、資本の自由に介入する民衆的権利に攻撃の矛先が向けられた。サッチャーやレーガンが最初に手をつけたものは炭坑ストや航空管制官ストへの暴力的弾圧だった。
 とりわけ戦後資本主義の底に隠されていた、資本の自由と民主主義の対立的関係は、新自由主義によってあらためて表に引き出された。
3―16.その上に新自由主義は、その論理のなかに民衆による自治的介入を想定していない。すべては市場を通すだけで自動的に作動するのであり、民衆は投資家あるいは消費者として個人的に関与する役割を与えられているだけである。
 社会を、生産を能動的に集団として管理する民衆の能力、その決定的役割を、新自由主義は本質的に拒絶している。このような新自由主義の資本主義観を、あえて大胆にいうとすれば、「資本だけで進む資本主義」である。それと対比したとき、ケインズ派の資本主義は、「労働者と共に歩む資本主義」となろう。
3―17.したがって七〇年代以降に始まった資本主義の新自由主義的転換は、民衆の力の飛躍的上昇という歴史的現実を無視し、それに逆行するものであった。民衆の力を根底において必要としないその論理は新自由主義にとって、現代にあってはスターリニズムの場合と同様、最終的なつまずきの石となる。
3―18.現代世界の未来は、民衆の集団的自己管理能力の豊かさを生かしうるか否かに本質的にかかっている。それは民主主義の抑圧とは決して両立できないのであり、その意味で民主主義は未来への基軸の位置を占める。
 資本主義、民衆の要求する「もう一つの世界」、そして社会主義は、具体的にかつ根源的に民主主義をめぐって闘争することになる。 


前号の内容
T 新自由主義の四半世紀
 社会の貧困化
 生産にしのびよる荒廃
 希望のための拒絶
U 固有の社会を作れない新自由主義
 生まれない新しい社会
 ニューエコノミー 破壊される、社会の持続可能性
 新自由主義の拒否が不可避に        

 
 ―ブラジル大統領選挙―
                原則が反故にされている
                                ダニエル・ベンサイド
 

 ブラジルの労働者党(PT)は、過去二十年間の道のりにおいて、社会闘争と自治体統治の一定量の経験を蓄積しつつ、特筆すべきことだが、「参加型民主主義」を介して、階級的独立の政策を発展させてきた。これらのうち立てられた原則は、大統領選挙運動期間中にいま反故にされようとしている。
 
 階級的独立を結集した労働者党
 
 PTは一九七九年〜八〇年の大産業ストライキの波のなかから誕生した。それは、世界のなかでも最も集中された工業労働者階級の一つをつくり出した(特にサン・パウロ郊外)、一九七〇年代の大規模な工業化と独裁への民主主義的抵抗(特にムッソリーニのイタリアにおける立法を範とした労働規定を介して労働組合運動を支配しようとする企図に対する)の結合された結果であった。PTの設立は、教会、軍、そしてポピュリズムが大きく影響を与えてきていた国の政治的伝統との、文化的、歴史的断絶を記すものだった。
 一九八〇年代初頭の最初の選挙でPTは、全国平均としては僅か三%を得ただけであったが、サン・パウロ州では全国最高の一〇%を得た。これは、そこでの労働者運動の特別な強さと、ルーラとして知られるその指導者ルイス・イナシオ・ダ・シルバの影響力に結びついていた。これはしかし、大陸サイズの国における全国規模の階級的独立という経験にとっては出発点でしかなかった。そこでは長い間、軍と教会が唯一の現実的集権的勢力を構成してきたのだ。
 都市と農村の大衆運動の猛烈な成長から生まれ出たPTは社会に根付き、八〇年代を通して八九年の大統領選に勝つ準備を整えるまでに発展した。この前進は民衆的闘争への活力に満ちた関与を基礎に生み出された。PTが据えた政綱は、綱領あるいは正確な戦略的目的を規定するものではなかったが、強い階級的感情(「労働者は労働者に投票せよ」)と、国益を名目として労働と資本を結びつけるすべてのポピュリズム的折衷案に反対する階級の政治的独立への確固とした愛着を表明していた。
 他方、この大衆的だが多元的な党は、社会主義の観念に関する開かれた論争を特徴としていた。それは国際的経験(キューバ革命の影響)と相異なる急進左翼の潮流(毛沢東主義者、トロツキストあるいはカストロ派起源)の経験によって生気を与えられた。そして後者の諸潮流はPT形成に参加していた。諸潮流の承認、党大会への対立する運動と決議案の提出、指導部内での少数派の代表権は現在まで、緊張と党内対立という代償を払ってではあれ、党の統一の維持を可能としてきた。労働組合指導者たちの歴史的核という正統性は党が分裂を避けることを助けてきた。
 
 前進のなかに現れた逸脱への道
 
 その存在の二〇年においてPTは、社会的闘争における、諸制度また自治体指導における経験を積み重ねてきた。党は最大の都市(サン・パウロ)の自治体選挙で二回勝利し、リオ・グランデ・ド・スルー州の首都、ポルト・アルグレを四期統治してきた。しかし、社会的不平等がひどいものになっている一つの国で、確かにPTは吸収同化あるいは汚職という現象を免れなかった(汚職は第一期サン・パウロ自治体政府の支配を失うことに導いた)。
 それゆえ、改革派潮流が提示する像に反して、党が最左翼かつ急進的であるポルト・アレグレで、党の正統性が最も堅固に保たれているということは、留意するに値する興味深いことである。「参加型予算」の経験は、直接民主主義の諸形態と、法的制度と市民の間の一種の二重権力を発展させるようにみえる。さらにまた、最初の二回の世界社会フォーラムを組織することでポルト・アレグレはある意味で、資本主義的グローバライゼーションへの抵抗の首都となった。
 いま秋の選挙をもってPTは、その歴史上おそらく最も仮借のない試練であると思われるものに近づいている。政治エリートの腐蝕、ラテンアメリカ全体を揺さぶっている危機、メルスコル(注1)とウルグアイ間関係の再組織化、そしてアメリカ自由貿易地域計画は、動乱の一時期の幕を切って落とした。選挙前の数ヶ月、ルーラは四〇%前後の数字で世論調査をリードしている。この状況においてPT指導部は、勝利の可能性に幻惑され、自由党との連携を介してすでにブルジョアジーを安心させ、債務問題についてのIMFに対する再保証と国際社会民主主義との強化された結びつきを雇用主団体に請け合っている(注2)。この方向が党が確立した諸原則に反し、深い不満と内部の鋭い分極化に導くことには疑いがなく、それはすでに目に見えることである。(インターナショナル・ビューポイント誌七・八月合併号)
注1。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ間の関税連合。
注2。PTは副大統領候補に、大繊維業経営者であり、自由党指導者であるホセ・アレンカールを登用した。だがこれは、アルゼンチンに生じた社会経済危機がブラジルとウルグアイに広がりそうになっているこの時期には、支配階級を沈静化するには事実としてまったく役に立たない。しかし一方それは、雇用主と地主の攻撃に直面している大衆を武装解除する可能性が高いのだ。
訳者注。今月七日の第一回投票でPTのルーラは四七%得票し第一位となった。第二位は現大統領の後継者である社会民主党のセラで、得票率二三%。決選投票は十月二十七日の予定。
 
―アルゼンチン―
          選挙を前に左翼は?
                               ヒアン・フィリペ ディベス
 
   二〇〇一年十二月の革命的日々以来、アルゼンチンで引き続く危機と進行中の運動過程という関連において、反資本主義左翼は少なからぬ試練に直面している。左翼もまたそれ自身の限界を克服しなければならないのだ。
 
 流動化を強める政治的配置

 実弾発砲と二人の青年失業者の冷酷な殺害を伴った、六月二十六日のブエノスアイレス郊外での道路封鎖に対する警察権力の暴力的抑圧は、大きな民衆的憤激と政治的危機の鋭い深化をもたらした。こうして暫定大統領、ドアルデは敗北を認め、二〇〇三年三月の大統領選挙および立法機関の選挙を発表することとなった。
 昏睡状態に陥っている急進党と分裂し衰弱したペロニスタ党を前にして、世論調査はいま、二人の主要な反対派の人物を押し出す動きを示している。その一人は、中道左派の指導者、エリザ・キャリオだ。この人物は、その新自由主義的行き過ぎを削り取った人道的資本主義を唱道し、教会諸部門と三つの主要な労働組合連合の一つ、CTAの支持を受けている。もう一人はルイス・ザモラであり、彼はデモ参加者が彼らの仲間と真に見なしているただ一人の国会議員である。そして彼は反資本主義、反帝国主義の方向性を防衛している。
 昨年ザモラによって始められた運動はしかしながら数的に弱く、またアルゼンチンで左翼と呼ばれるもののなかではまさに少数部分でしかない。ここでいう左翼とは主にトロツキストであり、残りは社会主義革命を好ましいと主張する小さなカストロ主義者のCP、失業者運動のなかではかなり強い毛沢東主義組織(PCR)、そしてエコロジスト、フェミニストさらに反新自由主義傾向をなかに持つ人道主義者党である。
 
 問題はトロツキストの政治的未熟
 
 トロツキスト的極左派は、主要な組織された政治勢力であり、人民会議(注)、失業者運動、階級闘争派労働組合への組織戦、さらに官僚支配の外にある労働組合内部で活動している。しかしながらこの勢力はまさに分裂していて、全国規模で存在する四つの組織に分かれているのだ。それは、労働者党(PO)、労働者社会主義運動(MST)、社会主義労働者党(PTS)、社会主義運動(MAS)であり、さらに数多くの小グループがある。そしてこの分裂は、激化させられた対抗心、自己顕示的観念、大衆運動への操作的姿勢を伴っている(もっともこれらの習慣は、他の左翼諸組織によってもまた採用されているものであることは触れておかなければならない)。
 したがってトロツキストは一般に、矛盾した形で受け取られている。肯定的な面では、闘争における役割と自己組織化への敬意がある。否定面では、「機構のやり方」を用いて、自律的運動の代わりに彼ら自身を使う傾向への不信がある。先のかっこ内の言い方は、人民会議のなかで論争され共通に使われている用語だ。
 さらにこれに加えて、自身の現実を「前衛党」とみなし、勢力間の関係と目下の潜在的革命的可能性を過大評価する、トロツキズムのある種の傾向がある。これは最近の全国失業者連合の大会(二〇〇二年六月二十二〜二十三日)で明白に示された。ここで失業者運動の左翼は、「権力問題が日程に上がっている」と宣言する決議を採択し(目下の任務は、権力の展望に向け労働者の多数を獲得することであるとした少数派の立場に反対して)、改革派との行動の統一を拒否し、一般的に極端な左翼の方向を擁護した。
 
 緊急の課題―革命的左派の弱点克服
 
 これらの特性の下では、一つの勢力の成長をもってしても、あるいは現存する組織の足し算であったとしてさえも、政治的代替を可能とする力の出現を不可能なものとする。そしてルイス・ザモラは、彼がキー的役割を果たすことを可能にしている、彼への大衆的認知がありながらも、現在に至るまで新しい政治勢力形成に向けた主導性を発揮するどのような責任をも断ってきた。
 そうではあっても、幅広い反資本主義と反帝国主義の政治運動、「やつら全部一緒に出ていけ」との拒絶の叫びに積極的な応答を提供できる統一し民主的な運動が緊急に必要とされている。革命的マルクス主義の戦闘的活動家と諸潮流が、労働者、失業者の経験を、彼らの自治的運動の事業として、なかんづくその政治的集中化として認め、先の道を彼らが前進することを手助けできるようになることが望まれるべきことである。(インターナショナル・ビューポイント誌九月号。中見出しは訳者)
注。昨年十二月の危機のなかで、ある種自然発生的に生まれた、居住地域での民衆の自治的決定機関。草の根からあらゆる民衆が参加する直接民主主義の形態をもつ。
―アジア・太平洋―
          新しい国際主義の誕生
                   ピエール・ルッセ    

 資本主義的グローバライゼーションへの集中した抵抗は、社会運動の新しい国際主義を生み出している。今年三月二十九日から四月一日にかけてシドニーで開催された第二回アジア・太平洋国際連帯会議(APISC)は、この問題が戦闘的政治党派にとっても同様に課題であることを示した。オーストラリアの民主社会党(DSP)がこの地域的会合のイニシアティブをとったが、その第一回会議は九八年にシドニーで開催された。それは、オーストラリアにおけるアジア連帯行動への長い経験(特に、東チモール、インドネシア、フィリピンに関連した)を反映している。そしてこの会議の独創性は、異なった歴史と思想的観点を持つ革命的あるいは進歩的政治党派の参加という点にある。

 多様性の共存と協同への挑戦
 
 アジア太平洋地域における革命運動は極めて多元性に富みそして今後もそうであろう。しかし、特に七〇年代、八〇年代に刻印されたセクト主義的伝統を断ち切る、政治的対話と実際的共同への願望がこれまで示されてきた。そして資本主義的グローバライゼーションへの社会的抵抗の高揚と集中性がいま、関わりのある諸党派に対し、初歩的な対話を越えて進む好機を提供している。彼らは、彼らが共に行動することを可能とする新たな共通の国際的責任を分かち持っている。
 かなりの程度まで、アジアの諸党派の相違にはまったく驚くべきものがある。確かにアジアは、その言語、文化、植民地時代と現代の歴史、さらに経済発展と社会構造などの分野で、世界でも最も相違に満ちた地域である。しかしながら、諸党派の異質性に対しては、それ以上のものが関わっている。労働者運動および革命運動の大きな国際的潮流は、この広大な地域にこの間活発に存在してきた。しかしそのどれもがその卓越性を長期にわたって確保するということはなかった。それは毛沢東主義の一時的成功という事実があったとしても、そうである。その一方で、新しい活動家世代はますます、以前の時期の観点と一体化することからは距離を置いている。
 上記の会議は諸事情のこの状態を表現していた。いくつかの諸国(マレーシア、ビルマなど)、また地域(南太平洋)には党間の関係はまだ作られていない。しかし、一ダースの党は、この地域的過程の連続性を共に確かなものとした。その内のいくつかは毛派起源のものであり、たとえば、共産党マルクス・レーニン主義―インド解放運動、フィリピンにおける共産党の危機から出現した組織などだ。他には、パキスタン労働党(LPP)やFIのスリランカ支部であるNSSPのようにトロツキズムに関係している党がある。またオーストラリアのDSPそれ自身、一五年前までFIのオーストラリア支部であった。他の党は、それらに国際的なイデオロギー的ラベルを貼ろうとすることが無益であると思われるほどに特殊な民族的歴史をもっている。これは特に、インドネシア人民民主党(PRD)、東チモール社会党、また韓国の「労働者階級の力」の場合当てはまる。世代の更新もまた明瞭だ。特にPRDは、スハルト独裁体制の失墜に先立つ数年間における青年の闘争の刷新を通して建設された。インドネシア共産党(PKI)が文字通り血の池のなかで消されて以来いまや三〇年―一世代!―である。
 相違は単に国際的次元だけではない。九八年の第一回APISC当時から、フィリピン社会党(SPP)が例えオーストラリアのDSPに最も類似した構成をもっていたとしても、フィリピン代表はいくつかの組織を含んでいた。四月の第二回会議では、これはパキスタン代表にもあてはまった。インドネシアの「縁辺占領地域」の解放闘争に関与している運動の参加もまた承認された。
 この民族的、地域的多元主義は、参加国数が増大する将来においては、必然的にさらに一層確実にされなければならない。
 
 反グローバライゼーション運動を核に
 
 第一回と第二回の主な違いは、そこで交わされた討論の性格に関係している。九八年には討論は、対話への意欲、連帯感そして協同への希望を示そうとするものだった。しかし〇二年ではそれは、アジアを貫いて共通に行動することに関わるものとなった。社会フォーラム過程の国際化は、上記の願望が具体的な姿をとることを可能にしていた。進歩は質的である。
 世界社会フォーラム(WSF)は明らかに、シドニーで代表されたものよりもはるかに広い勢力を含んでいる。会議は、〇二年一月、ポルト・アルグレで採択された社会運動アピール、〇四年インドでのWSFの組織化、アジア社会フォーラムの枠組み、さらに〇三年春のフィリピンでの会議への支持を宣言した。
 その初めから、アジアの運動はWSFに参加してきた(たとえば、フォーカスオンザグローバルサウスネットワーク、フィリピン債務連携からの自由、貧者のタイ連合)。しかし、ポルト・アレグレの観点は、世界のこの地域における戦闘的活動家の大多数にとっては抽象的あるいは知られないままになっている。インドでのWSF開催の見通しと、地域的過程の登場は、この状況を変え、「地方的ブロック」が互いを知らないまま存在し、かつ戦争の危険がまさに現実であるこの地域に、連帯を基礎とする共通の帰属性を作り上げることを助ける。
 資本主義的グローバライゼーションへの集中した抵抗は、社会運動の新しい国際主義の枠組みを提供している。シドニー会議は、政治党派もまたこの過程の一部であることを示した。
 もちろん、特に多くのアジア諸国での政治状況を考慮した場合(反テロ闘争を名目とした抑圧的弾圧)、このすべては未だもろいままである。そうであっても、将来何が起ころうとも、有意義な教訓を引き出すためには経験ははるかに十分深まった。(インターナショナル・ビューポイント誌七・八月号)
 
 ―フィリピン―
            革命派再編の進行
                                ピエール・ルッセ
 

 第二次大戦の後、東南アジアの革命過程は長い間インドネシアとヴェトナムの発展が駆動した。しかし、一九六五年のインドネシア共産党(PKI)に対する血の弾圧と一〇年後のヴェトナム民衆の歴史的勝利(もっともそれは非常に困難な条件の下で達成された)の後、闘争の連続性が最も堅固な形で確保されたところはフィリピンであった。
 
 革命派の多元化
 
 一九七五年から八五年まで、フィリピンの革命運動で優勢な位置に着いた勢力は毛沢東主義者のフィリピン共産党(CPP)であった。七二年の戒厳令布告をもって、極左勢力の初期の多元性には終止符が打たれた。PKP(親ソ派となった別の共産党)は屈服した。反スターリニストのマルクス主義潮流(何の痕跡も残さずに消えてしまった小さなトロツキストグループを含む)に関する限りは、それらは活動を維持できないことがわかった。大きな損失を被りながらもCPPは、基本的には単独で、マルコス独裁への大衆的抵抗と活発なゲリラ闘争を組織した。こうしてCPPは、後にまで続くヘゲモニーを勝ち取った。
 しかしこのヘゲモニーには八五年〜八六年、巨大な民主主義要求運動の集中的圧力と軍の反乱の下で、大統領選挙に際して独裁が崩壊したとき、亀裂が生じた。そのときCPP指導部は、農村が都市を包囲するという彼らの教条とはあまりにかけ離れた戦略的配置に従って体制が打倒され得る、などとは信じなかったのだ。その新しい巡り合わせのなかで、何人かの個人や急進左翼の少数派潮流(独立的マルクス主義者やキリスト教社会主義者)が彼らの活動の場を拡大した。そして毛派の党内部での相違が発展し、九二年の除名と分裂に達した。極左派の多元性が復活した。
 毛派の運動の危機は、世界情勢の転換と歩を並べて、フィリピンの戦闘的活動家に根本的な問題を提起することになった。それらは、他の諸国の経験を統合し、さまざまな革命組織との討論に踏み込む必要性を示していた。まさにそれは、CPPから分裂したグループにとってまったく新しい取り組み方の必要性でもあった。
 
 革命的労働者党
 
 こうして、マニラ・リザルの地域構造が、オーストラリアの民主社会党(DSP)に類似したものとして成長した。他方群島南部の中央ミンダナオのグループ、革命的労働者党(RPM・M)の名称を採用したこの部分は、第四インターナショナル(FI)との結びつきを確立し、その内部に恒常的オブザーバーの組織的位置を得た。
 FIとRPM・Mとの間に確立された結合は、一つの好機である。RPM・Mは、合法性を未だ得ていない段階でも一〇〇〇名の党員を擁し、すべての領域(大衆運動、選挙運動、非公然活動)で活動できる、社会に根付いた組織である。そしてそれはまた、FIにとっても一つの試練となる。FIは、独裁下のフィリピンで、困難なゲリラ戦の枠組みのなかで経験を積んだ戦闘的活動家の世代の財産の運び手である異なった伝統を一つの党へ統合しなければならない。人は、ヨーロッパ的観点が確かな歴史的現実性をまったくもたない国においては、ヨーロッパ風の方法でトロツキストになるわけではない。それゆえ、RPM・Mは、自身を他のCPP分裂組織と同様にマルクス・レーニン主義者(ML)と規定しているが、それはかつての方向との断絶を刻印するためのものである(CPPは自身をマルクス・レーニン主義・毛沢東思想と規定している)。しかしヨーロッパでは、頭文字のMLは毛沢東主義者によって占有されていた。
 その上で、全国規模の新しい革命党の建設は確定されたとはほど遠い状況にある。RPM・Mはこれまで、国の中央部と北部で、CPP起源の他組織との合同を追求してきた。しかしこれは、部分的には政治状況の複雑さのために失敗であった。南部は国軍とイスラム勢力間の潜在的戦争状態のなかで生きている。このなかでは武装集団が増殖する(それらのなかには、時折彼らの以前の同志を暗殺するCPPの武装集団も含まれる)。このような状況においては、降伏とならない政府との和平協定に調印することは難しい。ミンダナオのRPM・Mが正しくも拒絶したそのような協定を統一した組織の一翼は受け入れてしまった。それゆえ合同は挫折した。
 しかし合同に向けた新しい試みが、首都におけるCPPの分裂に起源をもつ勢力と、特にオーストラリアのDSPに近いグループとの間で進行中である。それはミンダナオにおけるわれわれの同志たちが好意をもって、但し急いでそれに参加するということではなく、見守っている試みである。こうして、FIがRPM・Mのような組織との結合をうち固めた国のなかですらも、政治的再編の広大で長期の過程という脈絡において、革命派の再結集という問題は提起され続けている。(インターナショナル・ビューポイント誌七・八月号)見出しは訳者。
 
―韓国―
        「労働者階級の力」の形成
                               ピエール・ルッセ
 

 韓国の労働者運動は、軍事独裁への抵抗において極めて重要な役割を演じ、その立場のゆえに重い対価を払った。韓国民主労総の活動力はその一部をこの財産に負っている。しかしながら、たとえばフィリッピンとは異なって、九〇年代以前にはここではどのような戦闘的党派も全国的基盤で設立される可能性はなかった。反共的抑圧の暴力のみがその原因ではない。半島の地政学的状況(ソ連邦、中国、日本との近隣性)、五〇年〜五三年の過酷な戦争、国家の分割、南部への米軍駐留は、明らかに後にまで続く重い諸関係を残した。ソウルは、中国の周りにワシントンが張り巡らせた非常警戒線における要となった。
 問題はより全般的であり、革命運動それだけに関わるものではない。実際軍事体制は、それ自身の周りに真空をつくり出してしまった。独裁から出現する形では、ブルジョア的要素あるいは古典的改革派の性格においてすら、政治的多元主義の生きた伝統はどのようなものもなかった。
 新しい党は、しかしまさに特別な危機的様相のなかで建設されなければならなかった。前反体制派の金大中の大統領選出が象徴した民主主義への接近は、アメリカ支配の下で、かつ資本主義的グローバライゼーションがその指令を強制し始めたその時に起こった。伝統的社会民主主義がヨーロッパで「社会自由主義」へと自身を転換しつつあるその時に、どうすれば伝統的社民建設への道があり得るだろうか。軍事体制へのかつての民主的反対派の一部はその上いまや、「現代的」ブルジョア自由主義の党の創出によって魅惑され、また闘争を放棄し独裁の継承者である企業のなかに、さらに労働者運動に対する正面からの反対側に自分の位置を見いだしている。
 民主労総の一翼は現在、民主労働党(DLP)の設立を支え政治的挑戦への対応を試みている。この党はかなり幅広い組織ではあるものの、労組の支持にもかかわらず選挙レベルで割り込む可能性はほとんどない。
 その中でいくつかの極左勢力もまた再結集しつつある。「労働者階級の力」(PWC)は、軍事体制の時代以来分散させられていた戦闘的活動家の中軸を、多様ではあるが非スターリニズムであり、また流血のなかで鎮圧された八〇年の広州蜂起から鍛えられた階級闘争の伝統を基礎におくマルクス主義の綱領的観点をもって結集している。このタイプは、民族戦線潮流とは別個なものである。後者は、独裁当時は優勢であり、朝鮮労働党の構想(解放運動の流れのなかで金大中との同盟)に極めて近いものであった。
 PWCは成長したとはいえ、数の上ではまだささやかなままである。しかし労働組合への現実的根付きと、新自由主義的グローバライゼーションに対する抵抗運動での活発な役割(特に、アメリカとの地域的自由貿易協定締結反対闘争)を保持している。PWCは現段階では選挙に挑戦はしない。彼らの強みは何よりもまず、その根源にある。PWCは、反独裁と生きるための労働者運動の権利を求めた闘争の年月の刷り込まれた経験を継承する最も戦闘的な伝統の一つを代表しているのだ。(インターナショナル・ビューポイント誌七・八月号)
 
   ホームへ戻る