2003年1月10日        労働者の力             第 154号

イラク民衆を殺すな!ブッシュ政権のイラク攻撃を止めさせよう!
小泉内閣はアメリカに手を貸すな!自衛艦を戻せ!
  
川端 康夫
 


 ブッシュ政権によるイラク攻撃が秒読み段階に入った。二月初めとも予測される攻撃開始に向けて米軍はイラク周辺への戦力増強を急いでいる。小泉政権は米軍支援のために昨年末、イージス艦を強引にインド洋に派遣した。ブッシュ政権がイラク査察の結果如何に関わらず、フセイン打倒を掲げてイラク侵略を強行することへの公然たる支持の合図である。表面ではイラク攻撃の自制を求めつつ実質で支援する小泉の二枚舌外交を許してはならない。ブッシュによるイラク攻撃を阻止するための闘いを強めよう。一月一八日日比谷野音へ!
 
大惨禍の予測 
 
 国連の秘密調査報告によれば、米軍による攻撃の初期段階で約五〇万人のイラク国民が負傷し、交通網や基盤設備の破壊によって一〇〇〇万人が緊急食料援助を必要とする状況に陥るとされ、湾岸戦争をはるかに上回る深刻な被害を予測している。負傷者五〇万人の内、直接の戦闘行為によるものは一〇万人と推計され、避難所などの支援が必要な難民は二〇〇万人に上り、、九〇万人以上が隣国イランなどに流出すると見られる。以上はWHOなどが人道支援計画策定の目的でまとめたものである。
 アフガニスタンの例でも明らかに、アメリカは戦渦に巻き込まれる民衆に対しては何らの関心も抱いていない。おそらくはここで推定されている以上の大惨禍が引き起こされるであろう。イラク攻撃を通じて、アメリカ支配層の冷笑主義、民衆の運命に対する無責任が赤裸々に示されてくることになろう。理由はどうでもいい、アメリカ軍産複合体は、不断に「敵」を必要とし、いなければ「つくり出す」のである。
 ブラジルのルーラ政権誕生を受けて、元アメリカ政府高官は即座にルーラ政権を「悪の枢軸」の候補者と認定したほどである。
 アメリカでも日本でも、米軍のイラク攻撃は既定の事実とされている。CNNなどのアメリカマスメディアは世界の情報物量を圧倒している。全世界的に高まる反戦運動は、その存在すら無視されている。一定の抵抗を示した安保理常任理事国もアメリカの実力行使を最終的に阻止する力量はない。世界の支配的エリートは受動的に追随するだけである。
 攻撃阻止はまさに全世界の民衆の肩に掛かっている。
 
全世界的な反戦のうねり 
 
 アメリカでは九月にワシントンで二〇万人、サンフランシスコで一〇万人、全米では一五〇都市、五〇万人が反戦の行動を行った。依然イラク攻撃を支持する風潮は強いものの、単独攻撃を支持する割合は三〇%を切っているとの世論調査もある。九・一一によってかき立てられた軍事的対決の感情は明らかに後退している。まして、アルカイダやビン・ラディンが全くの後景に退いている状況では、ブッシュ政権の行動の正当性はどこにも見いだせないのである。
 世界的にもイラク攻撃反対のうねりは大きく高まっている。とりわけブッシュのプードルという役割を果たしているイギリスブレア政権の下で、ロンドンでは同じく九月二十八日に四〇万人が反対のデモを行った。労働党内部でも反対の声が高まり、さすがのブレア政権も動揺を隠せないまでになっている。
 ドイツではベルリンで一〇万人がデモ行進を行い、総選挙で敗北必至と予測されていた社民党・グリーン連合の辛勝を導いた。社民党はイラク攻撃反対を明言することによってキリスト教民主同盟を退けることができたのである。
 イタリアは空前の高揚にある。十一月九日には百万人がフィレンツェでデモを行った。
 これら各国では共通して労働者のストライキ闘争が同時的に進行している。ドイツの公務員サービス労組、イギリスの消防士・公務員・鉄道・医療労働者、イタリアでのフィアット・公務員、フランスの公務員。これらは新自由主義政策による攻撃への反撃であり、まさにブッシュが進めるイラク攻撃準備が、世界的な新自由主義政策の暴力・軍事的側面であることに正面から対応しているのである。
 韓国でも十二月十四日にソウルで十万人が反米デモを行った。その同じ月、韓国民衆は軍事主義的な北への対決姿勢を掲げるハンナラ党の大統領候補に煮え湯を飲ませた。
 そして来る一月末の世界社会フォーラムは、ラテンアメリカにおける反戦闘争の高揚を示すだろう。
 戦争を前にして、世界的な、かつてない反戦の動員が始まっていると思われる。攻撃を阻止するチャンスはあるのである。
 
見透かされた本音 
 
 ブッシュ政権のイラク攻撃の理由はいずれも根拠がまったくない。そればかりではなく、文字通りのご都合主義とダブルスタンダードの典型である。彼らが列挙する理由は以下のようなものだ。第一はアルカイダとの共謀。これは今やほとんど語られない。第二は大量破壊兵器の開発と保有。査察団はその証拠を見つけられていない。にもかかわらず、アメリカとイギリスは「公開されていない」根拠によってイラク側の主張を否定する。第三は民衆抑圧と独裁。これは中東全域がほとんど同様であるし、世界的に見ればどこにでもある現実である。とりわけイスラエルのパレスチナ民衆への一方的攻撃がすぐ隣に存在している。第四は国連決議違反。違反の本家本元はイスラエルである。そもそもアメリカ自身、国連憲章やその他の取り決めの束縛を嫌う体質を濃厚に持っており、そのように行動しているのだ。
 こうしてブッシュのあげる理由は、恣意的であるばかりではなく、予測される大惨禍との間に著しい不均衡がある。誰をも納得しない代物なのだ。
 隠された本音は、新自由主義的グローバリゼーションメカニズムの暴力的確立と維持にある。新自由主義のグローバリゼーションは、世界的な社会的解体、社会的秩序の危機を導いた。それはますます拡大するであろう。ここに噴出する世界的な民衆の抵抗を暴力的に鎮圧することが目的化されており、イスラエルのシャロンがそのまさに「先導モデル」の役割を果たしているのである。
 冷戦終了後のアメリカは、軍事帝国主義へと急速に傾斜してきた。湾岸戦争を皮切りにセルビアへの攻撃、アフガニスタン攻撃と続き、そして今のイラクである。さらにこの傾向を表現する「悪の枢軸」論はキューバやベネズエラ、そして先に述べたルーラのブラジルまで候補生として入れられつつある。
 だが何故イラクなのか、という問題は残る。北朝鮮に対する「対話」の姿勢と一八〇度違うイラクへの対応の裏には明らかに原油問題がある。地政学的に原油地帯の中心に位置するイラクを封圧することは、同時に原油地帯総体を長期的に「安定」させることにつながる。この帝国主義諸国の共通利害が背景にあるからこそ、ブッシュは単独行動に踏み切ることが可能なのだ。
 また同時に東西対立期に促成されたこの地域の軍事ボナパルティズム政権を放逐し、ある種の直轄支配に近づけることも大きな狙いである。直接にはシリアへの恫喝であるが、より大きくはアラブ支配層そのもの、とりわけサウジへの圧力としての効用を見ているのだ。ようするに「二つ三つのイスラエル」の創出を狙いとしているといわなければならない。
 これは一九世紀型帝国主義への舞い戻りに他ならず、屯田兵国家としてのイスラエルタイプを中東全域に確立する手始めの攻撃なのだ。
 
アメリカの本質的脆弱性が軍事主義を 
 
 アメリカの軍事主義化は、アメリカ自身の政治的・経済的脆弱化が生み出している。政治的、イデオロギー的、道義的にアメリカはその「威信」を極度に低下させている。アメリカの裏庭のはずの南アメリカはベネズエラやエクアドルそしてブラジルと反米、非米政権を誕生させている。ドイツのシュレーダー政権は先に述べたが、韓国の新政権もまた、反米とはいわずとも非米的である。反米、反グローバリゼーションはいまや世界的流れになりつつあるかの様相を示している。
 その経済はどうか。ニューエコノミーの幻想は既になく、外国資金に依存する経済は、イラク戦費、減税、資本市場てこ入れなどによってさらに拡大する一方である。この巨額の債務を誰が負担できるのか。いまや「有事のドル」は過去のものとなっている。ニューヨーク株価の下落、ドルの下落がその事実を示している。
 アメリカは軍事能力にのみ依拠する、「暴君」化の道をひたすら走っている。
 以上は国際的関係だけの問題ではない。ベトナム戦争時に現れた国内分裂が顕在化しはじめている。このことはアメリカ経済の進めてきた「労働のマクドナルド化」が拡大している社会の分極化によってはぐくまれている。IT革命が引き起こしているマスメディアの相対化を含め、インターネットを駆使した大衆的動員が拡大している。イラク攻撃反対には、AFL・CIOのスウィーニー会長も参加している。労働者の経済闘争も港湾ストやニューヨーク公共交通を先頭に拡大している。
 ブッシュ政権は客観的には弱い政権なのであり、かつ本当のところは大統領選挙に敗北した政権なのである。その弱さを補うためにブッシュは、異常な手段による支配強化を求めている。メディア統制はもとより、反戦動員の徹底した黙殺、治安機関の肥大化、国土安全保障省の創出、反テロの大衆扇動。
 にもかかわらず、イラクへの単独攻撃への支持は低い。
 現在のアメリカにおける反戦動員の質は、明らかにベトナム反戦時と比べて高い。ベトナム反戦時は、あまりの死傷者の多さへの直接的反応であった。しかし現時点ではそうした状況は未だ存在していないのである。
 
日本政府に協力させるな! 
 
 ブッシュ政権の弱さは、彼が「同盟国」の支持を不可欠にすることを意味する。イギリスと日本の比重は、とりわけシーレーンからの陸上への攻撃であるがゆえに高い。イギリスと日本を「同盟国」から脱落させることがブッシュの攻撃を阻止する第一歩となる。ドイツは既に脱落している。イギリス民衆のブレアへの詰めよりは、イギリス内閣内に攻撃延期の声を浮上させている。
 客観的にはイラク攻撃はブッシュ政権にとっても同盟国の政権にとっても危険な賭けに他ならない。小泉の侵略荷担を阻止する大衆的動員を勝ち取ろう。
(一月十一日) 
 二十一世紀のマルクス主義
  
               
高木 圭
 アメリカのイラクや北朝鮮に対する攻撃的姿勢が強まる中で、日本の労働者や市民の政治的意識は再度高揚に向かっていくだろう。その時にどういう理論的枠組みを提示したらいいのかということが確実に問題となってくる。今の日本の論壇の中では、反戦などの多少ともリベラルな政治的展望を出しているのは、東大の法学・政治学研究家の藤原 帰一の「デモクラシーの帝国」。岩波から昨年出ているが、彼くらいがいま目立つところだが、私たちはそれをさらに深化させて問題を切開しなければならない。日本の経済にせよ政治にせよ、再度、マルクスとエンゲルスが唯物史観として規定した考え方で深くえぐり、提示すべき時期だ。

社会主義の前にあるもの―光か闇か?

深い理念的崩壊

 今の日本は、社会主義がほとんど灰色から真っ黒のイメージで受け止められている、世界でも僅かな国の一つである。一般的民衆はもちろん知識人までもが崩壊してしまったという意味では、極めて特異な国である。
 十月にダニエル・ベンサイドが来日し、公的・私的に何度か討論したが、彼はフランスに帰る直前に漏らした感想で、日本の左翼は深刻に敗北してしまったようだ、聴衆の集まり具合もそうだが、なによりも質問の出方がそうだと印象を述べていた。フランスは四月の大統領選挙以降、フランス共産党の解体、解党ということも日程に上っている。フランスのマルクス主義陣営の状況としては、六八年の五月以降、トロツキストなり非共産党的左翼が大衆運動を担ってきていた。それが議会選挙においても雪崩現象を起こしている。ベンサイドがその流れの中心にいて活動を続けているという事情が上述の印象を生み出したのだといえる。
 一つは今の資本主義経済の不況ということで、単に左翼知識人が十年前に崩壊したというだけではなく、今の若者たちの対応が極めて悲観的状況である。大学生の学力も顕著に停滞している。朝日新聞が昨年十二月に学力の特集を組んだ時に、佐藤学という教育学の教授が、日本人の小中学生の学習時間が一時間を切っており、アジア諸国で最低となっている、意欲がほとんどない、一般的に知識人も子供たちも、生きるための理念を喪失している状況であり、深刻に総括しなければならないと述べていた。

理論的刷新の節目

 長く振り返ってみると、社会主義の理論的基礎はマルクス主義ということになる。共産党宣言が出版されてから百五十五年を数える。その百五十年以上前の理論がそのまま現代に適したイデオロギーとしてあり続けることはないというのが一般の受け止めであるとも思われるが、しかしアメリカの『フィナンシャル・タイムズ』で昨年のある時期、「生きているマルクス」というような大きな記事が、資本主義擁護の論客によって執筆されていた。まさに皮肉な事態である。
 二〇〇三年の今日から見れば、マルクスの時代は産業資本主義のもっとも進んでいたイギリス資本主義の離陸の時代であった。マルクスが亡くなる時期がその最盛期である。その後、第二インターナショナルが帝国主義の時代への突入をめぐって修正主義論争に入っていく。そこにおいてレーニン、トロツキーが新しいマルクス主義の答えを出していく。今は、ちょうど同じような節目にあたっているのではないだろうか。百年前のその時にはカウツキーが権威者であり、エンゲルスの直系として頂点にいた。そのカウツキーですら、第一次大戦に際して、積極的ではないにしても肯定的評価をしてしまう。そこでもっとも先鋭な時代認識を示したのが、一九〇五年革命を経験したパルブスやトロツキーなどのロシアマルクス主義であった。その枠組みが二〇世紀の後半まで引き続いた。
 現在、トロツキーが提供した永続革命論による、いわゆる後進地域の社会主義革命への展望を高く掲げること自体すらが清算的に疑問符をつけられている段階である。それに対して、極めて絶望的な形でのイスラムという文明、アメリカ型の資本主義とは正面から対立するような人々が絶望的な自爆テロに走っている。解放の手続きとしては、まったく誤った手順で対抗している段階である。
 マルクス主義の側とすれば、これまで既成の社会主義に旗を掲げていた理論をとらえ返し、そこで現実をはっきりと切開することが必要だ。すなわち、ソ連の労働者国家、スターリン主義官僚国家をいかに理論的に総括するかということが極めて重要になっている。この点では、トロツキーの理論、分析がますます生きている。彼はスターリン主義体制の確立過程を見ながら、テルミドールと答えた。急進派の没落、保守派の台頭というフランス革命のアナロジーで説明したのである。今の段階で、エリツィンやプーチンのロシアを評して、ソ連の農業集団化の優れた研究者で歴史家であるダニーロフは、数年前にはっきりと第二のテルミドールと規定した。彼は一九九六年、岩波の『思想』において、ロシアはようやくトロツキーを認識し始めたと述べてもいる。

テクノクラート改革の中国

 一方、中国はどうか。昨年秋に指導部が江沢民から胡錦濤に代わり、いわゆる人民民主義国家であると自称している。有名なソ連史研究家である東大名誉教授の渓内謙氏は、中国の現在の指導部を評して、理論を問題にしないテクノクラート集団であるとしている。これはソ連の七〇年代のコスイギン、ブレジネフ指導部に似たところがある。彼らも理科系の出身で、社会主義の理念を問題に乗せることを回避する性格であった。フルシチョフ改革の方向性を葬り去り、それ以降の希望を断ち切り、その結果、テクニカルに乗り越えようとした。この点で今の中国指導部は、ある種、類似している。ただし、胡錦濤の方が江沢民よりは知性の面で優れていると言える。
 中国の今をどう認識するか、それを改めて確認すると、先頃中国から追放されたある女性ジャーナリストの指摘がある。彼女の指摘は基本的に正しい。ケ小平以降の市場経済採用以降の中国共産党の路線的問題を鋭くえぐり出している。だから中国から追放されたわけだが、しかし彼女も展望は出していない。
 東西問題と中国では言っているが、沿岸地方と内陸地方の経済格差は相当の開きがある。この絶望的な人たちをどうするかが大きな問題だが、彼女は抽象的な社会運動の復興ということを対置しているだけに留まっている。マルクス主義も支持しないという。彼女が学んだマルクス主義はスターリン主義であり、マルクス主義の理論的可能性はそこからは見えてこないのは当然なのだが、しかしそういう問題を抱えている。
 今はアメリカが主導する市場原理主義のグローバリゼーションが横行している時代であるが、にもかかわらず九〇年代後半以降、それに真っ向から対抗する勢力が生まれてきている。そこに新しい理論的位置づけが与えられなければならない。マルクスが登場して以来の過去の運動の真摯な総括と現代の資本主義に対する冷厳な分析なくして、社会主義運動の未来なし、という厳しい態度で臨まなければならない。こういう方法に徹していく時に、日本においても、社会主義がはっきりと再認識されてくるだろう。
 
戦後資本主義の特性―自然に敵対する帝国主義
 
 一九世紀の末から二〇世紀の初頭にかけての資本主義の転換期、産業資本主義の段階から帝国主義の段階へと資本主義が突入していく時期において新しい資本主義の認識が必要とされた。それと同じく、現在において、どのようなところが新しい資本主義の段階としてとらえられる必要があるのだろうか。
 その最大の問題は、自然環境に対する問題であろう。もちろんその他の問題も軽視することはできないのだが、なによりも「自然に敵対する帝国主義」として現在の段階をとらえることがまず必要なのである。
 すなわち、帝国主義段階は相変わらず続いている。しかしそれは、以前の段階とは相当に違った様相を呈しているのである。

リスク社会

 第二次産業革命以降、波状的な科学技術革命が起こった。マルクスが資本論第一巻第四篇で、相対的剰余価値の生産として展開しているが、このこと自体は国際的視野で書かれているものではない。しかし資本論に先立つ、一八六〇年代初頭に書かれた『経済学批判要項』という本とか、機械論草稿などでは、科学技術の問題を真剣に理解しようとしていることがうかがえる。こうしたマルクスの努力に関して、未だ生産力が低いレベルにあったスターリニズムのソ連ではまったく理解できなかったものであった。今の中国においても似たところがある。馬車馬的な工業化だけが日程に上っていた。
 帝国主義の地理的拡大は、二〇世紀の半ばには飽和状態に達した。第三世界の国民革命が波状的に展開され、ゲバラの闘いまで続いた時代である。
 それに対して、近代科学の高度な技術力により、自然や資源に対する高度な負荷を負わせながら、資本主義的成長が維持された。すなわち、科学技術による高度な「リスク社会」が到来したのである。「リスク社会」概念はドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックが言いだしたもので、法政大学出版局から『危険社会』というタイトルで翻訳、出版されている。これは、二〇世紀半ば以降の資本主義を、それまでは圧倒的に世界的に貧しかったのが、地理的な格差が圧倒的に広がった時代としてとらえる。先進資本主義諸国、とくにアメリカの場合は、「発明は必要の母」というような形が発展してきた。以前の時期は「必要は発明の母」であり、「必要」があまりにありすぎて、「発明」はそれに追いつくのがせいぜいだったのだが、どんどん物を必要以上に買わせるという時代が到来した。アメリカでは、豊かさということが、欲望がとどまらないアフルエンザ、つまりインフルエンザからの造語だが、買わないとなんとなく心理的に落ち着かない、そして買ってくるとすぐに物置にしまい込まれてしまうという状況までも生み出された。
 ただし地球は有限なわけだから、いかに宇宙時代といっても地球以外の月や火星の資源を利用することは並大抵の力ではできない。当面は無理で、今は幻想を振りまいているだけである。とにかく、天然資源は有限で枯渇する。環境負荷が増大する。自然環境の破壊、地球温暖化や化学物質による汚染などによる一般の市民生活への直撃が進んでいる。

変革主体の拡張

 これはレーニンやトロツキーの時代、二〇世紀前半の革命的マルクス主義を率いていた人々が、まったく予想がつかなかったということは言い過ぎかもしれないが、基本的に革命のスローガンに乗せることがなかった環境社会主義というオルタナティブなスローガンを掲げることが必要な段階となっている。
 「エコロジカル・ソーシャリズム」と定義するが、ブッシュの例に見るように一九世紀末以来の帝国主義の時代は依然続いているが、同時に自然環境問題をはっきり認識した資本主義の段階規定をはっきり持つべきなのである。
 これは、変革の主体の側の変化、再編の認識をも迫ることである。現在、労働者階級の意識が分化し、新自由主義の攻撃にさらされつつ、立ち上がりを準備している段階と言えるが、ベンサイドは「昔はトロツキストというと農民に対する理解が十分ではないという言われ方をしたが、今はフランスでは農民というとトロツキストになってしまうんだ」といっていたが、こうした時代なのである。農民は地域経済を守るという意味においても、資本主義に真っ向から衝突する可能性が十分あり得る時代になったことを意味する。さらに「超階級的」なとらえ方ということにもなるが、一般の「住民」もはっきり被害者になりうる時代である。「市民運動」「住民運動」の掘り起こしの必要性が高まっている。たとえば電磁波公害、食品問題など。伝統的な階級的認識だけではすまない全般的な運動を労働者は市民と共に闘わなければならない時代なのである。
 
歪曲からの脱却 
 
 しかし社会主義イデオロギーというものは、本来的にはエコロジー的感性を持っていたと考えるべきなのである。ウイリアム・モリスという人がそうで、明治の社会主義が日本で立ち上がった時には、マルクス、エンゲルスと共にモリスの肖像が掲げてあったという。さらに最近知ったことでは、ロシア革命の初期には、ロシアの特有の自然観で、ベルナツキーという人がいて、彼はマルクス主義派ではなかったが、ソ連建設に参加したリベラル派だ。彼は自然環境を念頭に置いた自然観と社会主義建設の共存を計ろうとした。これはベンサイドの著書、マルクシズム・インナータイムズという名で英語に翻訳されたものに出ている。
 環境思想に対して敵対的思想が表面に出てきたのは、第二インターナショナルの改良主義とスターリン主義の二九年以降の五カ年計画で馬車馬的な工業化に走り出してからと考えていい。
 日本では有名な足尾銅山の鉱害問題で、荒畑寒村らは社会主義の旗の下、渡良瀬川の鉱害に抵抗する農民運動を組織していった。こうした感性が取り戻されなければならない。
 ところが環境問題に対する対応でも、低開発諸国で環境負荷が一番悲惨である。これは、自分らが生き延びるために、環境問題を配慮に入れる余地は何一つないという悲惨な状況の反映である。ここにも帝国主義が生きており、階級的認識が必要であることが示されている。
 これに対して、新しい科学的理性での冷静な、今のテクノロジーに対するリスク評価、および自然循環型のエネルギーの開発などの社会運動をタイアップさせて、新しい環境社会主義のプログラムを立ち上げていかなければならない。
 こうしたことは、現在の政治的社会的経済構造というものの、もっと下にある自然環境、地理的な環境の認識がなければ、今後の社会運動も展開できないということを意味する。
 
 経済モデル―計画化、市場、ソビエト民主主義
 
モデルは一つではなかった 
 
 次に経済モデルを考える必要がある。社会主義として考えれば、現在までにユーゴ型の自主管理社会主義モデルや大きな実験としてのソ連のモデルがある。ソ連型はまずは革命直後の二一年三月までの「戦時共産主義」、その後の新経済政策、いわゆるネップ体制が始まる。これは二七年の暮れから二八年まで続く。これには三つの方針があった。トロツキーは計画化の要素を増大させ、工業化のスピードを上げるべきだと提起していたが、しかしネップの清算を主張はしなかった。それに対してスターリンは、二七年の暮れから起こる「穀物調達危機」を乗り切るために、ブハーリンと対立してネップの清算に走る。ここでスターリンははっきりと党内民主主義の全面的廃絶と急速な工業化と農業の集団化を決意する。そうしなければ穀物調達危機を乗り切れないという事実と理論的にも彼はエンゲルスの農業問題を引いて、エンゲルスがいう農業の集団化は農民の合意が必要だという文章に抗弁して、エンゲルスは資本主義国家における集団化を言ったわけで、すでに社会主義化しているソ連においては合意はいらないという極めて強引な論理を展開する。
 この二七年の暮れの時点では、トロツキーはアルマアタに国内追放されており、二九年の年初には国外追放される。アルマアタで彼は初めて理論的なブハーリン主敵論からスターリン主敵論へと転換する。同時に彼はスターリンが理論的なレベルではない、極めて凶暴な敵であると認識し始める。
 トロツキーが一九三二年の第一次五カ年計画の終わりの年、みんなが、たとえば日本では河上肇などが工業化の成功ということで、数字だけを見て、スターリンの社会主義計画経済は大成功していると評価している時に、ソ連経済は危機に陥っているという論文を反対派ブレティンに載せる。これはスターリンの第一次五カ年計画の具体的総括の文書としてもっとも優れているというだけではなく、マルクス主義の経済理論としても最も優れている文書である。
 経済理論モデルにおいては現在のシカゴ学派を中心とする新自由主義モデルの、国家ができるだけ介入しない方がいいという理論に対して、ケインズ学派は二九年の大恐慌を教訓に、部分的な国家の経済統制への介入を資本主義の枠組みにおいてやろうとした。それに対してわれわれは、スターリンの計画経済、あるいは毛沢東のスターリンモデルである人民公社や大躍進は、基本的には労働者農民の民主的権利の全面的抑圧、さらに市場は消費者の自立的なチェック機能という意味もあるわけで、それを抑圧するものであること、および計画化が経済理論家の学問的自由を抑圧する形での極めて歪曲化された計画化であったと見ることができる。

計画要素は不可欠

 従ってトロツキーが言っていた計画化、これは経済理論家の学問的自由の下での計画、および市場、消費者の自立的チェック機能を伴った市場体制、それからソビエト民主主義、生産者の自立的な発言権。この三つが組み合わされたトロツキーの過渡的な経済モデルが当面のわれわれの経済モデルとなるだろう。
 左翼反対派の中での経済理論家であり、かつスターリンの「左傾化」を評価してトロツキーと袂を分かったプレオブレジェンスキーは市場を評価せず、また第四インターナショナルの今日に最大の貢献を果たしたエルネスト・マンデルも、ペレストロイカが本格的に始まるまではソ連邦における市場問題を正しく認識していなかった。
 社会主義というからには、計画化は重要視されなければならないわけだが、これは環境・資源政策上、計画化ということ、世界的、地球規模での計画化を避けて通るわけには行かない。そういう意味では現在の中国は開発独裁型政権といわれるが、計画化という点では機能停止状態にあると言わなければならない。もちろん新自由主義に一方的に翻弄されている今の日本よりはまだしもまともとは言えるが、しかし計画化を復権し、かつ同時にイデオロギー的な民主主義を復権しなければ、中国の長期的な生き残りもなくなる可能性もなきにしもあらず、ということが言える。
 
 政治理論―プロレタリア独裁とプロレタリア民主主義
 

理論探求の遅れ 
 
 政治理論という点で言えば、マルクス主義の理論はフランス革命や一八四八年のヨーロッパ規模の労働者の高揚、およびパリコンミューンを念頭に置きながら形作られた。現実においてどうするのか。主権者が蜂起して勝利するのは良いけれども、権力を維持するためには独裁体制を取らなければならない、と。
 ところがマルクスは、それを理論的に練り上げるところまでは行かなかった、と言わざるを得ない。やはり一九世紀的経験でしか、彼は総括できなかった。このことははっきりと認識されるべきである。
 この点でトロツキー、あるいはトロツキー以上に民主主義の観点を強く主張したのは、中国の民主主義のチャンピオンだった陳独秀ではなかったかと考える。つまりプロレタリア民主主議論を復権する必要があるということである。
 まず独裁論について言えば、ロシア革命以降、レーニン、トロツキーのボルシェビキ党は一党独裁論を考えていたわけではなかった。あくまで原則は多党制であった。だが左翼エスエルがレーニンを狙撃したりして、原則の維持が難しくなり、結果として多党制は実現できなくなった。
 さらにネップに突入するにあたり、レーニンは分派制まで非常措置として禁止する中で、経済的な市場化を図っていく。これは状況規定的な認識であったと考えるべきである。
 こうしたボルシェビキの独裁に関して、ドイツの右翼的理論家であるカール・シュミットが『独裁』という本を執筆した。これは日本語では未来社から出版されている。彼は右翼ではあるけれども、かなりの理論的シャープさを持っている。彼は独裁を「ディクタツーラ」というラテン語で表現した。ローマにおける「執権政治」である。執権政治は大体は半年くらいの期間、特別な軍事的危機において、返すことを条件に執政官に権力行使を認めるという制度である。ユリウス・カエサルなどがそうである。本来のローマにおける位置づけで、言うなれば、「委任独裁」である。
 ところが、ジャコバン独裁やレーニンの独裁は、「主権独裁」であり、何時権力を返すか、が保障されていない独裁である、とカール・シュミットは規定した。いつ権力を返すのか、委任独裁は返すことが条件付けられている。そうした概念規定をシュミットはしたのである。

多元主義を基礎に

 ソビエトや中国の独裁は、いかなる独裁であるのか、はっきりと見つめなければならない。私はプロレタリア独裁が少なくとも一定期間は必要だろうとは認めるにしても、これはプロレタリア民主主義と一体となったものでなければならない。これがトロツキストの当然の要求である。何らかの民主主義なくして永続的政体の確立はない。
 その場合、そもそも一体主権者は誰なのか。国民一般なのか、それとも労働者のソビエトや農民のそうしたようなものか。レーニンは階級に主権があるとし、全権力をソビエトへという考えを提起した。それをどう見直していくべきなのか。どのような定式化が可能なのか。
 最低、われわれは党内における分派の自由ということをはじめとして、一党独裁の否定、多元主義の採用というところからはじめて、改めて全面的な見直し作業を進める必要がある。これが健全な政治権力の保持につながるのではないかと考える。
 
 アメリカ主導のグローバリゼーションに抗して

対抗する新しい国際主義

 
 二〇〇一年の九・一一の世界貿易センタービルへの自爆テロによって、歴史の新たな段階に入った。もともと一九九〇年代後半から世界的に新自由主義的攻撃への反撃が高まってきていた。その頂点は九九年のシアトルにおけるWTO反対運動の高揚である。新自由主義的グローバリゼーションに抗する人々は、IT革命を通じて形成されたネットワークを活用して、国際的に集まりだしている。
 グローバリゼーション自体がアメリカのペンタゴンが利用して作りだしてきたものだが、九〇年代に入って民衆が利用できるものになったのである。今年は第三回目のポルト・アレグレでの世界社会フォーラムが開かれる。世界社会フォーラムは今や、民衆サイドの「情報国際主義」の象徴的存在になっている。アジア規模においても、今後インド、中国を含んだ情報国際主義の時代が訪れてくることになろう。
 ブッシュの帝国主義はイラクを狙っているが、産軍共同体の利害を反映していると同時に、石油産地の中心という地政学的意味も当然ある。こうした帝国主義に対して、われわれは「もう一つの世界は可能だ」という立場から、全面的に対決しなけれならない。

東アジアを舞台に

 さらに二十一世紀における東アジアの積極構想として、東アジアの政治経済共同体を目指さなければならないだろう。森嶋通夫教授が唱道してきた構想でもあるが、彼は中国内部でもこの構想をアジテーションしている。東アジアの政治経済共同体を作り上げることは、政治的には、日本における天皇制を相対化し、イデオロギー的にも日本における国家主義的右翼思想や潮流を全面的に弱体化させていくことになる。さらに経済的には、現在の日本経済が陥っている長期的不況からの脱却の道を提示していくことになる。現在の数十年規模になるであろう構造不況に対しては、資本主義的枠組み内での出口を見いだせないレベルであると考える必要がある。
 中国、朝鮮、台湾との共同の経済圏を日本の生き延び策として本格的に考える必要がある。もちろん地域的、リージョナルな経済の保護ということは課題として残るにしても、総体的な経済共同体を志向することが先ず前提になる。
 そして変革の主体としての労働者階級の復権。連合体制下では十分な抵抗もできないことはもはや明らかである。ここには失業者と移民労働者が含まれる。さらに地域経済の担い手としての農民。
 ブッシュは、京都議定書を破棄し、原発再開をすすめるなど、環境資源問題に対する反革命の立場にある。これに対する世界的ネットワークが必要である。
 社会主義思想の復権は、ソ連の失敗という時代において、われわれがアドバルーンを上げなければ進まない時代である。中国は失敗したとは未だ言い切れないが、日本なりの国際的労働運動と結合しない限り、再度の左への旋回、活性化はありえないだろう。
 こうしたアジェンダ、課題設定が予見として、マルクス主義の第三段階を切り開くことになると考える。半世紀レベルのグローバルデザインが求められている。このことは、東アジアの地政学的環境が提出している課題でもある。
             (一月六日収録。文責は編集部)  
 
  寄稿

中国トロツキストの最長老
王凡西先生(
一九〇七―二〇〇二)を追悼する

 

                     佐々木 力                


 英国リーズで老年の日々を送っていた中国トロツキストの最長老、王凡西先生が二〇〇二年十二月三十日午前、リーズの病院で心臓発作のため逝去された。年末年始を中国の太原と北京ほかで過ごした私は、一月二日北京大学で講演し、三日に帰国したのだが、長堀祐造氏(日本陳独秀研究会事務局長・慶應義塾大学)からの連絡で先生の訃報に接した。先生は一九〇七年の生まれなので、満年齢で九十五歳の死であったことになる。二〇〇一年九月半ば、リーズの御宅を親しく訪問した私の友人李梁氏(弘前大学)に対して、先生は盟友鄭超麟(一九〇一―一九九八)ほど長生きはしたくないと漏らしたというが、いざ亡くなってみるとやはり「巨星墜つ!」の感なしとしない。
 王先生は一九〇七年浙江省の杭州と上海の間の町海寧で生まれた。海寧は双つの山に挟まれていることから、先生の筆名の双山ができた。王先生は北京大学で学んでいた一九二五年に中国共産党に入党した。一九二五年から二七年までは中国労働者革命の高揚期にあり、そのインパクトを受けての入党であった。二七年の革命の敗北後にモスクワの東方勤労者共産主義大学=クートベ)に留学、ソ連共産党左翼反対派のスターリン批判文書に接して、翌二八年左翼反対派活動に投ずることになった。二九年に帰国後、周恩来のもとで活動したが、ほどなくトロツキストとして共産党から追放された。直ちに、三〇年から三一年まで、二七年までの共産党最高指導者陳独秀らともに反対派活動を展開した。三一年五月の統一組織、中国共産党左翼反対派に合流、その後、三七年まで断続的に逮捕され、その年月の大部分を獄中で過ごした。
 陳独秀が亡くなった一九四二年五月前後、中国トロツキスト組織は分裂、王先生は、彭述之らの多数派に抗して、鄭超麟らと別組織を結成、それは後に中国国際主義労働者党になった。一九四九年に中国共産党が大陸での覇権を掌握しようとするや、鄭超麟は国内に残り、王先生は香港に活動拠点を移すという分業¢フ制を確立するという合意が成立した。鄭超麟はかくして、一九五二年暮れから七九年まで二十七年の長い年月を監獄で過ごすことを余儀なくされる。他方、香港に移っていた王先生は、一九四九年十一月末に香港からさらにマカオに追放されることになった。その地で一九五七年に綴られたのが自伝『双山回憶録』であり、それこそ、私たちが日本語で読むことのできる『中国トロツキスト回想録』にほかならないのである。
 周知のように、一九六〇年末から青年の急進化の波が世界を席巻した。その現象は香港の青年たちをも例外とすることはなかった。王先生は、アナキズムの影響を免れていなかった香港の青年たちをマルクス主義、そしてトロツキズムへと導くのに影響力をふるった。王先生は七五年春、七十歳を目前にして、居をマカオから英国リーズに移した。英国の中国トロツキズム運動研究者グレゴール・ベントンの援助によったものであった。先生が最晩年を過ごしたのは、この地であった。しかし、この遠隔の地にあっても、王先生の思想は中国の青年たちを動かさないではおかなかった。別言すれば、民主運動を推進していた青年たちを毛沢東思想の神話から解放するのに威力を発揮し、一九八九年天安門事件を頂点とする行動に向かわしめたのは、王先生の毛沢東思想を批判した著作であったと言われる。当然、中国の青年たちは、密かにそのような著作をひもといたわけである。
 私が王先生と直接書簡をもって交流し始めたのは、最初に中国大陸に旅行した一九九八年秋以降のことであった。先生はパーキンソン病を患っており、筆を執るのがままならないと漏らしながらも、震える手で真情を綴った書信を寄せてくれた。時に、書簡はロンドンから手伝いに訪れていた女性の手によることもあった。震える手で書かれた宛名の二〇〇〇年暮れに発信された年始状の中には「To Comrade Sasaki Chikara, From Wang Fanxi 2000」といった内容のカードが一枚同封してあっただけで、実質的文面はまったくなかった。ともかく、挨拶を送らねばならないという心情だけが滲み出た書状で、私を感激させずにはおかなかった。
 二〇〇一年五月末に浙江省温州で開催された陳独秀後期思想学術研討会に出席した後、浙江大学での講演のために杭州を訪れた私は、その王先生ゆかりの地(先生はこの地の商業学校で学んだことがある)から、温州会議に出席した広州の劉平梅氏ら老トロツキストたちのサインを集めた書簡を先生宛に送付した。その後、杭州から上海まで急行列車で旅した途中に海寧の駅を通過して、私は感懐を新たにした。
 二〇〇二年十二月に刊行された『トロツキー研究』第三十九号は、私も編集に深くかかわった陳独秀特集号であった。そこには、王先生の論考もが二篇収録された。それは、先生が長堀氏に翻訳収録するように依頼したものであった。私も英文で書かれた先生の陳独秀小伝の訳稿の筆を執らせていただいた。長堀氏は私のその志を王先生は喜ぶだろう、と告げてくれたものだ。先生は、その特集号を死の直前、目にしたものと信ずる。
 最晩年まで王先生に接する機会のあった人によれば、先生のトロツキストとしての反資本主義と反戦への意志は衰えることがなかったという。
 前記李梁氏によると、王先生の自宅の書棚の上には、一九一九年の五四運動を「総司令」として指導した北京大学文科学長時代の陳独秀の肖像写真が飾られていたという。「今、陳独秀のことをどう思っているのか?」と尋ねた李氏に、王先生は「彼は私の師である。今もって尊敬している」と断言したという。
 王先生の死によって中国革命の英雄時代を経験したトロツキストの世代はこの世から姿を消したことになる。だが、たとえば、王先生が鄭超麟とともにロシア語原文から中国語に訳したトロツキイの『ロシア革命史』といった著作は未来の中国人たちにひもとかれ続けるであろうし、また、毛沢東思想批判の古典というべき御自身の著書もが影響力を持ち続けるに相違ない。
 王先生は中国共産主義の創始者陳独秀のもとで今や安らいでいるに相違ない。陳独秀の没後ほどなくして、彼が最も信頼していた活動家陳其昌(一九〇〇―一九四二)は日本帝国主義の手によって生命を奪われた。その後の中国トロツキズム運動を支えたのは鄭超麟と王先生であった。すなわち、中国の二十世紀トロツキズム運動の大将陳独秀は、彼の近習小姓役を務めた陳其昌を引き連れてこの世を旅立った。その後は副官の鄭超麟と王先生がその運動を文字通り生命を賭けて守護した。彼ら副官たちも今や陳独秀のもとへ行ったのである。彼らは二十一世紀の東アジアにおけるトロツキズム運動を見守ってくれるであろう。
 日本陳独秀研究会は、王先生の師の陳独秀の著作を邦訳紹介するだけではなく、先生が「ペテロ流の殉教精神」の持ち主として称賛した鄭超麟、そして王先生の革命思想を必ずや後世に伝えるであろう。
            (日本陳独秀研究会会長・東京大学教授)
 第三回世界社会フォーラム(WSF)にむけて


                  エジュアルド・マニュソ 


 ポルト・アレグレでのWSFは建設途上の政治空間―代替路線と新自由主義的グローバライゼーションと帝国主義に対する抵抗を発展させるための空間―である。それは、社会運動、NGO、批判的知識人、新しい政治的前衛層そして急進的活動家を結合する収れんの過程である。その基礎的綱領文書は「原理の章典」であり、その方法は参加型民主主義と多様性の尊重である。最初の二回の非常な成功の後、WSFの優先事項は今、諸大陸レベル、諸地域レベルでの課題をもったフォーラムを通して進展を国際化すること、戦略と代替路線に関する討論を発展させることである。
 
 抗議から実際的改革へ
 

 第一回と第二回での主な会合は、四つの軸―富の生産、富の取得、市民社会、政治権力―をめぐって組織された。第三回フォーラムは集中的に、何らかの戦略思考を発展させることに挑まなければならない。そしてまた同様に、世界的権力の構成、軍事化対平和、不寛容に反対する権利と闘争、文化、情報と対抗ヘゲモニー、さらに国際的制度、経済的利益および権力問題に対する世界的運動の身構え方についての討論を継続することに挑戦しなければならない。
 ここにおける基本問題の一つは、上述した戦略を発展させることを、運動に参加している異なった諸勢力が進んで引き受けることである。帝国主義のグローバライゼーションに反対する諸運動は情熱と戦闘性を失わなかった。しかしわれわれは、現在の世界状況について現実的理解を持つべきである。そこにおいては、ただ一つのスーパーパワー、アメリカ合衆国が、多国間協調と人権への気遣いや、以前の数十年、この国が口にしてきた民主主義の言い回しすらをも放棄しつつ、より一層帝国のように考え、行動している。われわれは、世界中の百カ国以上に八百の軍事基地を置き、頭抜けた経済的、技術的力をもつ帝国について語っている。
 新自由主義的グローバライゼーションと北米のスーパーパワーが支配する世界の状況と対抗して、国際的諸関係と国際的諸制度を民主主義的なものにするため、われわれは何ができるのだろうか。平和の達成とその維持、第三世界の人々を死に追いやる飢えと伝染病の根絶、また同様にわれわれを抑圧する外国債務の根絶はどのようにして可能なのか。そして、資本主義システムが生み出しているとてつもない破壊から、どうすれば地球を救い出すことができるのか。
 
 道は切り開かれ始めた
 
 WSFは帝国主義の「全面的反革命」に対する根源的反対派を代表している。それ故それは、革命的輪郭と運動力学を持っている。ビットリオ・アグノレットが述べるように、「われわれは戦争と新自由主義に反対する一つの世界運動であり、新しく急進的な何者かであり、実行可能で民主的な、テロリズムに対するただ一つ代わりうるものである」。
 スターリニズムは死んだ。社会民主主義は社会自由主義へと転換し、そして鋭い危機へと入っている。そして第三の道は、資本主義に代わるものでは絶対にない。反資本主義的、国際主義的左翼は、ポルト・アレグレの精神によって刺激を受け、新しい政治文化を創出しつつ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ双方で、社会で、また選挙で成長してきた。われわれは今二〇〇三年WSFが、この運動を建設する上での新しい入り口に到達し、その戦略欠乏を克服し始めるものとなることを望んでいる。というのもわれわれは、「われわれが求める世界に達するための戦略」をまったくもって必要としているからだ。極めて原則的な二つの問題に対する回答を必要としている。もう一つの世界とはどのようなものか、そして、それをいかに作り上げるのか、がそれである。
 より大きな公正と平等と連帯をもつこの世界を作り上げる道に関してわれわれを導く新しい戦略的観念についての核心部分を、われわれは既に持っている。民主化された政治権力(政府の地方的、地域的レベルで)と社会運動(その自律性と戦闘性を常に維持したままでの)の間の、その双方が「世界を変革する」という目標を分かち合った、成長する提携の「複合的不均等」発展から生じている観念がそれである。これがポルト・アレグレにおけるWSFの総合である。
 エルネスト・ブロッホにとっては理想郷とは、まさに「空想的地平線」―そこに向かって歩こうともわれわれが決して到達することのない何物か―であった。この旅は意味と方向を持っている、しかしその目的地には決して到達しない。しかしこれは基礎である。何故ならばまさにそれは、運動を生み出し、道を作り、そして結局は、決して闘争をあきらめないからである。(「インターナショナル・ビューポイント」十二月号。中見出しは訳者)
注。著者は、ポルト・アルグレ市長室国際関係調整員。 
 
                    
 
 
 
 
 
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