2003年2月10日        労働者の力             第 155号

アメリカによるイラクへの戦争に反対する
 

二月六日・東大駒場
元国連イラク査察官・スコット・リッター氏の講演
 


 一九九一年から九八年まで七年間、イラクの査察現場でもっとも有能な米国人主任査察官として活躍したのがリッター氏。「イラクの歴史と政治と潜在兵力について世界一くわしい人物の一人」といわれています。大量破壊兵器そのものだけでなく、製造設備や輸送システムのすべてをつきとめて廃棄する仕事に専心したリッター氏ですが、九八年にはUNSCOMに対するアメリカ政府の介入が目にあまるとして抗議のため辞任。リッター氏はCIA職員として旧ソ連の軍縮査察に携わったのち、海兵隊情報将校として湾岸戦争に従軍。二〇〇〇年大統領選ではブッシュを支持した生粋の共和党員ですが、現在はブッシュ政権のイラク進攻計画を確かなデータにもとづいて牽制する一番手ごわい論客に数えられるでしょう。今回の来日は、イラク情勢と過去の査察実態を十分理解しないまま対米追従に甘んじる日本の政府と世論に正しい情報を提供できればと、市民グループの招きに応えたものです。(グリーンズ・ネットワークHPより部分転載―編集部)
 
(1)
 
 なぜ私の国がイラクに戦争を仕掛けようとしているのか、その理由は一説によればイラクは大量破壊兵器を持っているからだと主張されています。私はイラクのいわれるところの大量破壊兵器を武装解除するためにイラクで七年間任務につきました。それは難しい仕事でした。
 一九九一年に始まった国連査察の当初、イラクは査察に対する妨害をしましたが、それにもかかわらず、われわれ査察官は大変大きな成果を上げることが出来ました。一九九六年までに大量破壊兵器の九五%は破壊を確認しました。これには工場・設備が含まれます。残りの五%というわからない、説明のつかないものがあったのですが、それを補うために九四年から九八年までイラク全土をもっとも厳しい監視査察、現場立ち入り査察をおこなう体制で厳しく調べましたが、しかしそれでもイラクがまだ大量破壊兵器を所持しているという証拠は一切発見できませんでした。
 しかしそれでも国連安保理決議の一〇〇%の大量破壊兵器の廃棄ということには至らなかったわけですから、われわれの仕事は完全だったとはいえません。

(2)

 査察がうまく成功裏にいくには、三つの要素が必要です。一つは、イラクが完全に協力してくれることです。二つ目は、イラクの大量破壊兵器の除去という国連決議をした安保理が、決議を採択した以上は、そのためのバックアップ、協力しなければそれにふさわしい手段をとるというバックアップ体制をとること。三つ目には、イラクに法の枠組み、決議に従うことを求めるならば、査察する側も、国際法その他の法の枠組みに従わなければなりません。
 私が査察官をしている間に限っていえば、イラクは十分な協力はしていなかった。そして国連安保理はイラクが抵抗するという中で、決議を執行するためのバックアップはしてくれませんでした。最大の責任はイラクにあります。しかし三つ目の要素を考えていただきたいのですが、九一年の査察が始まった時からアメリカは、イラクのフセイン体制の転覆ということをアメリカの政策の最優先とし、査察よりもそれが優先されていたという事実があります。アメリカは政権転覆という優先課題を抱えていたために、査察をこの目的のためには使うけれども、そうじゃない場合には使わないという態度をとり、それが九一年から九八年までの第一次の査察活動を非常に歪めました。
 アメリカは査察をフセイン打倒のために使おうとして、査察のプロセスを、フセイン身辺の悪行の証拠を集めるために悪用、乱用し、イラクを不必要に挑発して軍事行動を引き金に使おうとする非常に不適切な行動をとりました。

(3)

 イラクはたしかに完全に査察に協力しなかったのですが、けれどもイラクに査察体制の実施を停止させた責任があったわけではなく、アメリカが査察を歪ませる行為や政策を遂行したために九八年に査察を中断せざるをえない、イラク側からいうと国連決議に基づいておこなわれていた査察が、アメリカの単独行動主義的なナショナルな政策追求に使われるという非常に不本意な状況になりまして、それで査察は中断せざるを得なくなったのです。
 それ以来四年査察の空白があり、その間イラクは様々なことをやれた可能性があります。そのことに対してわれわれが憂慮を持つのは当然です。四年の空白の間、私は査察の続行を強く主張してきました。
 当初からイラクへの武力攻撃ということは言われていたのですが、そうなる前に国際法の枠組みの中でやれるだけのことをやり尽くして、その上ではじめて戦争ということがあり得るわけで、法の枠組みの中でイラクの残った懸念される脅威というものを調べ尽くし、それについて手を尽くすことが必要だという私の立場を主張してきました。
 昨年の秋、イラクは査察の再開を認めました。今回はイラクは査察を無条件で受け入れるということを承認しました。もう一つ、今回の国連決議は、イラクが協力しない場合は深刻な事態を招くという文言があり、国際法の枠組みの中での法の執行ということがしっかりとバックアップされています。ですから私が先に申し上げた三つの条件の内の二つ、イラクの協力と安保理のバックアップということは満たされています。ところが第三番目の執行する側の法の枠組みにしっかりと則っておこなわれるべきということが満たされていません。なぜならアメリカ合衆国は、依然としてイラクの大量破壊兵器の廃棄、除去というよりもサダム・フセイン体制の転覆に政策の最優先順位をつけているからです。

(4)

 アメリカは表面では査察を求めるといっていますが、実際はそうではありません。なぜならイラクの大量破壊兵器の廃棄、除去が完全に行われれば、もともとの国連決議に従ってイラクに対する経済封鎖を解かなければならない。イラクへの経済封鎖が解かれれば、イラクはもう一度国際社会復帰する。そうなればイラクはフセイン政権を維持したまま国際社会に復帰するわけで、アメリカはそれは絶対に容認できないのです。アメリカはイラクの大量破壊兵器の武装解除を望むといっていますが、それは査察を通してではなく、軍事的にイラクに武力侵攻し、占領して、サダム・フセイン政権を転覆し、武力で残っているかもしれない武器をみつけて取り除きたいというのがアメリカの狙いです。ですから査察が平和理に完了するということは、アメリカにとっては望みに逆行することです。もしイラクが査察に完全に協力し、そして何も見つからなかったとすれば、どうでしょうか。
 イラク側の協力が万全に行われる査察をし、何も見つからないということになれば、それは非常に望ましい事態です。しかしアメリカはそういう事態というものを望まないし、想像もしたくない。
 
(5)
 
 私を含めて多くの人が、依然としてアメリカがイラクは大量破壊兵器を開発、保持しているというならば、その裏付け証拠を出すべきだと指摘してきました。昨日まではアメリカは提出できなかったのですが、二月五日、パウエルはアメリカが反証できない決定的な証拠だと考えるものを提出してきました。パウエル国務長官はは「その証拠は確かな反証できない証拠だ」と言いましたが、私にいわせればこれは状況証拠であり、何一つ確定的にイラクが依然として大量破壊兵器を保有ないしは製造開発していることを示す材料は含まれていません。パウエルさんは写真を見せて「塹壕の中に武器がある」主張しましたが、これは誰も裏付けられないのですね。また傍受記録テープを示し、これはこうこうこういう意味だと主張したのですが、どのような文脈で誰がどこでどんな会話していたのかがわからなければ、なんら証拠にはなりません。また彼は亡命者の証言を多用していましたが、私も沢山の亡命者から証言を得た経験がありますが、イラクの亡命者は大体は信頼が置けず、あのような証言を証拠だということは出来ません。ロケットがあると言ってますが、ロケット・ミサイルの写真も見せないで、それが証拠といえますか。幻の証拠です。十八台の移動式の生物化学兵器の製造工場があるといいましたが、それは絵を見せただけで写真も、他に確たる裏付け証拠もないのです。これが証拠になるでしょうか。
 昨日のパウエルの主張したことを査察官が一つ一つきちんと検証すれば、査察官によって退けられてしまうでしょう。ですから査察というのはアメリカにとってもパウエルにとってもは敵なのです。ですからアメリカは査察を抹殺したい、終わらせたいということなのです。パウエル長官の発表の目的は、国際社会に査察について疑いを植え付けるためのものです。

(6)

 二月八日には査察が再開され、一五日には次の結果報告が行われます。
 しかしアメリカは査察官が何もみつけられなかったら、どうやって支持を得るつもりなのでしょうか?
 ですからアメリカは査察は無効なのだ、どんなに探しても見つけられない、唯一イラクの大量破壊兵器を廃棄する方法は、武力侵攻して力で廃棄するしかないとアメリカは主張するのです。(テープ収録・文責は編集部) 
 危険に満ちた世界の幕開けと革命派の責任(5)
   ―民衆的抵抗から社会主義的革新へ―

   Z 補論―プロレタリアートか市民か               

変革主体としての市民概念

7―1.以上の確認の上でわれわれには、避けて通ることのできない問題が提起されている。それは階級の問題、すなわちプロレタリアートの歴史的位置と役割である。
7―2.現在の、特に日本における民衆運動における脱階級的傾向は明白な事実だ。変革主体として代わって多用されているものが「市民」である。そこにおいてはプロレタリアートはもはや、特別な位置を持ってはいない。
 社会主義革命をプロレタリアートの歴史的任務と規定している社会主義革命派は、このような民衆的意識の現状についてどのように考え対応すべきかを、明確にする責任がある。それは、実現されるべき変革の内容を問う問題でもあると見るべきだからだ。
7―3.その上でわれわれは先ず、「市民」概念が民衆においては何よりも変革主体として意識されている事実から出発しなければならない。その概念は、現状変革への労働者、民衆内部の強い希求が生み出したものというべきである。変革を否定し、あるいはそこに絶望している者に「市民」は不要である。そうであるがからこそ事実として、自民党を代表とする既成エリートは「市民」概念を敵視する。
 したがってわれわれは、「市民」概念を全否定はしない。
7―4.問題はそれゆえ、プロレタリアートから「市民」への変革主体の民衆における転換にある。それが示すものは何なのか、その歴史的客観的根拠と、現状変革に占めうる位置について、社会主義革命派として評価しなければならない。その上でわれわれは、新しい光に照らして、労働者階級の歴史的位置を再確認しなければならない。
7―5.「市民」概念浮上の歴史的経緯をみれば、そこに特に先進工業諸国の労働者階級の現状変革能力に対する失望、深い懐疑が対になっていることは明白である。
 少なくとも十九世紀以降、労働者階級は事実として社会変革、社会改良の最も活力ある担い手であった(三章)。労働者階級の変革主体としての位置は、マルクス主義の規定とは相対的に独立して、誰もが認めざるをえない現実であったというべきである。むしろ逆にマルクス主義は、社会に現れた現実に立脚し、その成長と可能性に生命力の源を得た思想であった。
 しかし戦後、特に六〇年代後半以降、この労働者階級には外見上明白な保守化が顕著になった。その一方民衆総体は、より全般的に社会の前進を求めていた。特に青年や、新しく運動に流入してくる人々はむしろ要求を急進化させた。この状況の中で労働者階級の変革能力に不信が生まれることには一定の必然性ある。そしてその延長上で、新しい変革主体を探し求める努力が始まることも必然だった。その根底には何より身、現状の変革を求める民衆の絶えることのない、むしろより広まる希求がある。
7―6.労働者階級とその運動には、確かに不信に値する重大な弱さが表面化していた(4―10)。
 運動の側面で具体的には第一に、労働組合運動の改良主義化が、運動を労働組合員の狭い特殊利害の防衛と体制への順応に閉じこめた。企業内労働組合が基軸であった日本では特に、運動の中に内在していた要求の社会的拡張の要素は意識的に排除された。この中で労働者運動が社会の中で占めていた先進的位置、民衆的吸引力は大きく後退した。
 ところで特殊利害の防衛かそれとも闘争の社会総体への拡張か、は労働者運動登場以来運動の中で論争され、闘われ続けてきた歴史的対立軸であった。この中で戦後のケインズ枠組みは前者、改良主義派に積極的に依拠する体系(4章)のゆえに、改良主義派を強化した。したがってこの戦後の一事をもって、労働者運動が必然的に、確定的に改良主義化するとするならば、それは明らかに歴史的現実を無視する一面化である。
 第二に、運動の中で進行した官僚化は、運動自体を著しく上意下達的なものとした。そのことにより運動総体は創造性を後退させ、ただ図体の大きさだけを頼りにする単なる圧力団体へと変わり始めた。そしてこの変化もまた、ケインズ枠組みにおける民主主義の制度化と相互に補強し合う関係を持っていた。
 第三に、この官僚化は、当時強力であったそれ自身官僚化の産物でもあるスターリニズムによって、事実上、左からの擁護を受けた。それゆえ内部からの批判、確固としたプロレタリア民主主義の要求はねじ曲げられ、まさにか細いものにされた。
 この誰の目にも明らかであった内部民主主義の弱さが、官僚化の生み出す運動の硬直性、他の運動への閉鎖性の進行を許した。そしてこのことが、民主主義へのより深い問い返しと探求が進んだ七〇年代以降、労働者運動の社会的権威を大きく失墜させる重大な要因ともなった。
 第四に、第一から第三の要因総体の重なりは、労働者運動の中で成長しようとしていた活力あふれる創造的世代、急進的青年労働者を労働運動から排除するものとなった。何よりも、反乱を始めた青年労働者への資本、権力からの排除攻撃を、運動の指導部は黙認した。さらにその上一部は、組織的統制処分として指導部そのものにより排除され、また一部は自ら見切りをつけ運動の場を他へ求め、そして多くは闘争を止めた。
 労働者運動は、それを歴史的に引き継ぎ発展させるはずであった担い手たちを大量に失った。もちろんわれわれを含め、労働者運動の転換に向け、模索を続けてきた労働者も少なくはない。しかしそれでもその部分は、生まれようとしていた層全体との比較では少数だった。
7―7.一方において、ソ連を始めとする労働者国家の非民主主義的状況が広く知れ渡り、さらにスターリニズム化した「マルクス主義」理論の貧しさも際だちつつあった。マルクス主義は社会変革階級闘争として規定し、その上で労働者階級を社会変革の基軸におくことを最も鮮明に主張する思想であった。
 しかしそのマルクス主義がまた、スターリニズムの僭称の下で、大きな不信に包まれていた。

二つの新たな変革主体構想

7―8.社会革新を労働者に期待することは本来誤りである、との見方が力を得る素地は確かに生まれていた。
 この素地を背景に二つの新しい変革主体構想が登場(あるいは再登場)した。
 第一は、いわば「貧民革命論」ともいうべきもので、闘争や運動へのエネルギーをもっぱら貧しさや抑圧の反映としてのみ一面的にとらえる見方に連なる、古くから続く素朴な考え方である。それは、農村が都市を包囲する、とする毛沢東派の戦略にも影を落とし、さらにおそらくは、現在のイスラム勢力のテロリズムを擁護する心情にも通底していると思われる。この観点に立てば、もはや貧しくもなく、ひどく抑圧されているわけでなく見える先進工業諸国の労働者は、変革主体になりようがない。
 しかしこの単純で素朴な観点は、歴史上のあらゆる社会変革運動の事実を直視するならば、容易に克服が可能である。要するに民衆は、部分的には豊かさを手に入れ初めて、社会革新の闘いに入ることができるのだ。そしてこの観点は、一定の改良によって革命は永遠に過去のものとなった、とする支配層の流す卑俗な宣伝を助けるものであることに留意しなければならない。
 「市民」概念は、前者の対極に登場した、といってよい。確かに「市民」は、貧しさゆえに立ち上がる民衆、ではない。
7―9.歴史的事実として、社会主義の諸思想は労働者階級と深く結びついていた。労働者が個々の要求を、労働者としてあり続けることを前提に実現しようとするならば、仲間総体の改善を求めるか、それとも個人的に取り引きし、抜け駆け的に特別待遇を求めるかしかない。後者は仲間への裏切りでありその上、集団労働の効率性と安定性を保持しなければならない資本にとっては受け入れ困難な要求でもある。労働者の分断と競争が資本にとって利益であるとしても、その条件はあくまで労働者全体に明示されたルール化が必要なのであり、恣意的な完全な個人取引は成立しない。
 労働者は自己の要求を、全体化することによってのみ実現する存在である。まさにそれゆえ、人々の生存条件を社会システムとして普遍的に改善しようとする社会主義の理念は、労働者にとって自然でかつ必要不可欠な理念でもあった。膨大な産業予備軍の重圧の下で失業を常に意識せざるを得ない労働者にとって、生活の社会的支えは何よりも必要なものだった。社会主義理念に背を向ける労働者は究極的に、労働者からの個人的脱出を夢見る者か、個々のブルジョアジーの「善意」を心底信じる者に限られただろう。
 労働者階級と社会主義理念のある種の一体性は、本質において現代でも変わるわけではない。変化しているものは以下の表面的現象である。
 第一に、社会主義理念の一部は、社会保障システムその他の形で実現した。その上で、それ以上の実現可能性を否定し、労働者に断念を迫るキャンペーンが手を変え品を変え繰り返されている。ソ連崩壊とケインズ枠組みの行き詰まりが、格好の材料として、このキャンペーンに全面的に利用されている。この中でとりわけ日本において、社会主義に同調してきた知識人や、労働運動指導部が雪崩を打って社会主義批判派に鞍替えした。労働者の社会主義への懐疑と不安は高まらざるを得ない。
 第二に、産業全般で進行した第三次産業化は、偽装的な労働の個人化を進めた。集団労働としての本質は変わっていないものの、表面的には、個人的な労働契約と、自由な裁量による自律的労働が演出されている。その限りで、労働者のまま個人的可能性が拡張しうるとする錯覚が、意識的に醸成されている。
 第三に、特に青年に強い自由への渇望がある。いつの時代にもあったこの渇望は、制度的、物質的、心理的制約が小さくなった現在、第二点とも相乗りして、さらに強められている。この傾向は集団性への拒絶として現れ、その延長上に社会主義への忌避もまた表現される。ここには、ある種の無政府主義やプルードン主義的傾向の再興も含まれる。
 第四に、新自由主義に内包され、臆面もなく表出されている労働者への軽蔑がある。この軽蔑は、労働者を受動化し、独自の思想的立場を持つことを放棄させるよう仕向けるものである。
 以上の諸点はしかし、資本主義が労働者という存在を抜きには存立し得ないという現実も、また労働者のそこから帰結する社会的特性をもなんら変えるものではない。それゆえ、社会主義理念は、労働者階級の懐深くで依然息づいているだろう。社会主義への敵意で際だつ新自由主義が、同時に労働者への軽蔑をもあらわにする事実は、社会主義と労働者階級の一体性を逆説的に示唆している。
7―10.したがって、変革主体におけるプロレタリアートの否定の内には、想定される社会変革が社会主義の実現とは異なるものであること、あるいは社会主義的変革への保留が暗黙の前提として含まれていると考えるべきである。
7―11.上述した「市民」概念登場を準備した諸関係、および現に展開されている市民運動の実相をまとめると、「市民」概念は以下のものから構成されていると考えられる。
 1、現状変革への意志、その底にある現状への否認
 2、民衆力量の前提、ある種の自信
 3、個人を基礎とする民主主義、個人の発意と自主性の尊重および諸個人の自   由な結合
 4、社会全般の民主主義化、それ以上の変革の留保
 以上に加えて非暴力も付け加えるべきかもしれない。

市民―民衆に拡張された主体

7―12.いずれにしろ「市民」概念には、何らかの社会階級あるいは社会階層との結合はない。そのような社会的規定性を取り払った、変革意志を持つ民衆の総称、あるいは代数的概念というべきかもしれない。今「市民」について明確にできることは、先にみた運動の性格、あるいはそこに参加する人々の意識と行動の性格である。それ以上のことがらについてはおそらく、受け手によって相当の広がりがある。
7―13.「市民」は実際のところ、その使用される場において多義的であり、一定のあいまいさと抽象性はまぬがれない。しかし同時に、みてきたようにプロレタリアートという限定を外して、変革主体をもっと広い民衆に拡張しようとする側面は強く刻印されている。この側面がおそらく現代において意味を持っている。
 すでに確認したように、広範な層に広がる民衆全般の力の飛躍的上昇は歴史的現実である(3章)。また、社会全般に拡張されるべき、執行領域を含む民主主義は、その担い手として民衆総体を想定する。そして後者は前者によって、客観的には可能となる歴史的条件が生まれている。その点において「市民」には、「自ら統治する民衆」を意味する限りで歴史と現実の根拠が確かにある。

市民を通じた労働運動の刷新

7―14.ここにみた「市民」と社会変革の関係を客観的に性格づければ以下のようになるだろう。すなわち、目の前にある課題、民主主義の多面化と深化、に即刻着手する闘いが当面する総力的闘いとして認識され、その闘いに見合った変革主体が「市民」となる、そのような関係である。
7―15.このように問題を整理したとしてしかし、「市民」の課題に見合った変革能力がそれによって自明となるわけではない。プロレタリアートの変革能力への不信を背景に浮上した「市民」ではあるが、その「市民」の変革能力の源となるものが何であるのかは依然明らかにならない。実際にも民衆としての「市民」の圧倒的部分は他ならないプロレタリアートとその家族なのだ。
7―16.おそらく、「自覚した」民衆という側面を強調することで、「市民」の可能性を基礎づけようとする考え方もあると思われる。しかしそれは一種の「前衛」主義であり、それだけではむしろ危険な要素―代行主義と大衆操作の悪弊―となるだろう。その上に、どのような運動であれ前衛的層は必ず存在するのであり、前衛的性格を持って運動全体の可能性を主張することはできない。
7―17.それでは、「市民」を構成する社会諸階層の内、プロレタリアートを除く諸階層の人々が特別に変革の意欲と能力に富んでいるということだろうか。しかし残念ながら、歴史は逆の事実を残している。そしてまた、もし先の仮定が正しいのであれば、われわれの前にある課題はもっと別の性格のものであったに違いない。
7―18.こうして問題の核心は、結局のところ、現実の「市民」の圧倒的部分を占めるプロレタリアートのところに戻ってくる。真実の問題は、「市民」という回路を通して、「市民」が象徴的に体現する民主主義の再定義に照らして、「プロレタリアートが自身の変革能力を飛躍させることにある。
7―19.プロレタリアートの概念はもともと、直接生産労働者という狭い限定から発している。その限りでそこには確かに、ある種の理念的狭さ、利害の特殊性が固定されがちであったことは否めない。職能別労働組合を基盤とした欧米の労働者運動にあっては、特にその傾向は強かったと思われる。それゆえ「市民」がその枠を払う上で貴重な役割を果たしたことは間違いない。欧米の労働者運動には現在、確かに新しい血が流れ込み、新しい出発が始まっている。
 そして現実においては、産業の高度化が必然的に、プロレタリアートの概念を、賃金労働者階級として拡大した。集団的労働契約の形で、資本の専制的指揮下に組み込まれ、客観的な搾取関係の下におかれたこれらすべての者は、そこに留まろうとする限り、その社会的関係が否応なく強制する普遍的な従属境遇、疎外された立場におかれる。そこから発する要求と、その実現のために必要とされる行動の性格は、最終的には平等を求める連帯した行動へと収れんする以外にはない。その意味で、プロレタリアート、労働者階級は、今もなお、より拡張された舞台の上で生きている。
 そして「拡張された」、それゆえに多様性ある現実は同時に、平等と連帯の対象と内容の拡張をも準備する。端的に、女性労働者や移民労働者の存在は、労働運動の刷新をその内部から突きつける強力な活力となっている。その意味で、「市民」という形で客観的に提起されている真実の問題を、現実の労働者階級の中に響かせる回路は、労働者階級の深部で確実に成長している。スターリニズムの桎梏からの解放と新自由主義および社会的退行圧力が、他方で強力な刺激となることもまた明らかである。

市民―民主主義の拡張と深化

7―20.「市民」概念に込められた民衆的希求―民主主義の拡張と深化、すなわち全般にわたる自治連帯的管理による社会の再建―は、歴史が人類にまさに今提起しようとしている課題である(2・3章)。この課題に対するプロレタリアートの一時的立ち遅れを、民衆はいわば「市民」の形で克服しようとした。民衆は、歴史的課題に、まさにどのような回路を通ろうとも、挑戦しようとする意志を改めて示した。
7―21.その挑戦の進展の中で、プロレタリアートの担う理念的価値が、それゆえプロレタリアートが、まさに生命を吹き返す。すなわち、十全に発展させられた民主主義の基底をなすものとして、平等と連帯が、新自由主義によるさげすみをうち破ってより力強く復活するだろう。
 そしてそうであるならばその理念的価値は、歴史と現実において、闘争と日々の労働においてそれを現実に体現し、かつその下で訓練されてきた社会的実体、プロレタリアートを中心に実現される以外にない。その価値を現実の場において、プロレタリアート以上に有効に生かし前に進めることのできる社会的階層は現実にはいない。
7―22.実際のところプロレタリアートは、その本質的な「無産者」、すなわち他者を縛ることのできる財を持たない者として、最も根源的な民主主義の担い手である。労働者は結局のところ、議論と説得を通してしか他者の行動に介入できない存在なのだ。
7―23.不平等と個人的分断を栄養源とする資本主義経済とその文化と、この労働者世界の本質こそ、最も非和解的であった。それゆえ資本主義はその全歴史を通して、最も強く労働者階級を警戒し、弾圧の矛先を労働者階級に集中して研ぎ澄ましてきた。
 労働者階級の現状がどうであれ、資本主義にとって労働者階級が何者であるかを、すなわち本来的反逆者としてブルジョアジーは明確に認識している。

市民の真実―労働者階級の復活

7―24.それゆえ、民主主義の希求の先には、資本主義そのものとの対立が厳然と控えている。プロレタリアートの本来的特性とその能力を迂回する限り、民主主義の希求は途半ばとならざるをえない。しかし民主主義がその真の要求を貫くとき、それはプロレタリアートの、そして全民衆の自治的世界の実現として、否応なく資本主義と衝突する。
7―25.この衝突をプロレタリアートは、社会を現実に、実態的に組織している者として、その独自の社会・経済要求と共に闘い抜くだろう。民主主義の要求と一体となったそれこそまさに社会主義である。
 そしてそのような形で社会主義が、民衆の実際の必要に従った、全社会の民衆的連帯的管理を意味する限り、それは全民衆の綱領となるだろう。
7―26.プロレタリアートを迂回し、資本主義との対決を回避しようとする限り、民主主義はその真実の姿を実現できない。それは歴史の中で繰り返えされ、また現在のヨーロッパ社会民主主義諸潮流の姿の中に示されている。
 現代資本主義に対する民衆的抵抗の進展、そこにおける民主主義要求の発展の中で、「市民」はその真実の姿を現すだろう。まさに労働者階級の復活として。      
  
前号までの内容
T新自由主義の四半世紀
 社会の貧困化
 生産にしのびよる荒廃
 希望のための拒絶
U固有の社会を作れない新自由主義
 生まれない新しい社会
 ニューエコノミー
 破壊される、社会の持続可能性
 新自由主義の拒否が不可避に
 以上一五〇号
Vかつてない力を持つに至った民衆との衝突―歴史的力関係
 労働者民衆への深い依存
 歴史が作りだした民衆の力
 民衆無視の新自由主義は転落する
 以上一五一号
W資本主義―迫られる決死的跳躍
 ケインズへの決死的賭け
 新たな選択―労働者の受動性が頼り
 新自由主義、資本主義救出能力不在を露呈
 資本主義を越える道へ
 以上一五二号
X支配層―能力の錐体と資質の劣悪化そして冒険主義
 押し潰される支配の担い手
 不可避的な政治の機能不全
 グローバリゼーションの武装
 新自由主義の政治的無能
 冒険主義浮上の力学
Y歴史的挑戦を内包する民衆の対抗政治
 民衆に預けられた未来
 統一戦線と民主主義
 民衆的抵抗がつくり出す綱引き
 社会主義革命派の責任
 以上一五三号
  ブラジル 決議                                      PT社会主義的民主主義潮流(DS)全国調整委員会
 

        民衆的勝利の次は何か?
                  


参加型民主主義と社会協約の民主的空間を求めて

 
 ブラジル労働者党(PT)政権の誕生は、かなり複雑な政治的選択をPTに突きつけている。その最大の要因はブラジル経済に対する国際資本主義の圧力の大きさである。ルーラ政権は旧政権から引き継いださまざまな国際的重荷を背負っている。PT内部の論争はブラジルの将来を左右する。(編集部)

T

 二〇〇二年十月の選挙結果は、ブラジル社会における力関係の大移行を示している。PTはルーラの六一%の得票をもって、共和国大統領を勝ち取った。そして上院一九議席、下院九一議席を持つ、国会内最大党となった。PTの勝利は民衆の勝利であり、新自由主義の深刻な敗北であった。PTとルーラは民衆的利益の防衛と一体となる歴史という基盤の上で、変革への願いの触媒として活動した。この展開は人々の間に、国家の代替方向間の闘争の中で、諸選挙がある部門を演じ得るとの考えを復活させている。
 他方でわれわれは、種々の州政府選挙で第二回投票に進出し、有意義な票数を得、さらにアクレ、マット・グロッソ・ド・スルー、ピアウを勝ち取ったとはいえ、リオ・グランデ・ド・スルーを失った。それ以上にPSDB(ブラジル社会民主党、前大統領の党)とPMDB(ブラジル民主主義運動党、軍事独裁下の合法野党に起源を持ち、前政権に参加)は、国家の主要州で多数派である政府を得た。
 PTの勝利の示した力関係の移行は、同時に右翼部分との提携によって限界づけられている。さらにそれは、選挙によって拒絶された経済政策の中心要素を継続させるとの、ルーラとPT指導部多数派の約束によっても限界づけられている。それは批判しながらも受容という形で、IMFとの協定とその結果の継承の「不可避性」を想定させるよう表現された。もう一つの重要な側面は、選挙キャンペーンが幅広い政治動員を引き起こしたとはいえ、最近の時期での重要な大衆的社会動員の不在である。
 
U
 
 選挙はブラジルの新たな政治状況を切り開いた。一方には、新自由主義政策の継続に向けた相反する国際環境―世界的抑圧、中心的諸国における保護主義の成長、アメリカの干渉主義と一国中心主義、右翼民族主義の伸長―がある。新自由主義は一連の諸国を、深い危機へと導いた。もっとも顕著な例はアルゼンチンだ。そしてますます国際的に疑問視されている。
 他方、われわれの前には、悲惨な経済的、社会的結果を伴った、この国に適用された新自由主義政策十年の累積的効果がある。それは人々の不満の成長、国民の富の重要な部分の所有者が代わり、脱国有化された期間を通したエリートの相関的変調、そしてフェルナンド・エンリケ・カルドソの周りに築かれた連携の分解である。
 選挙は、公然たる危機、新自由主義モデルの消耗のまっただ中で行われたが、この国家的危機は来るべき時期、長い間変わらないだろう。新自由主義の敗北に続き、別個の利益をもった異なったセクターは、危機から抜け出す道をめぐって、明確な成果が見えないまま闘っている。ブラジル社会に今ある対立が今後も継続しそうなこと、民主的かつ民衆的セクターがもっている動員の刷新された可能性は、社会主義的左翼を強化する見込みを明らかにした。支配階級が長い間確立してきたヘゲモニーは一撃を受けた。そして状況は、民主的で民衆的な代替路線を作り上げる仕事により良いものとなっている。
 
V

 ルーラ政府の性格はさしあたり、未知の巨人のままである。この政府は、フェルナンド・エンリケ政府反対の化身として、国家における変革に対する巨大な期待を基礎に選出された。しかし他方、選挙運動中に形成された連合、党の民主主義を傷つけた決定、そしてエリートと「市場」に保証を与えようとした宣言はすべて、国家の政治方向における誤った継続を示していた。われわれは選挙運動期間中、この誤りをすでに明らかにしていた。
 ルーラ政府の性格は、社会的政治的対立の進展を通じてはっきりするだろう。PT内閣は、選挙結果と政治闘争がつくり出す勢力関係を出発点としつつ、変革に向けた議会と社会の多数派をいかに確保するのかの問題に直面するだろう。しかし戦術的主導性以上に、戦略的選択をしなければならないだろう。それは以下の間の選択だ。すなわち、われわれの構造改革綱領の適用による民主的民衆的陣営の社会的基礎の強化と、われわれの敵との約束作成との間、参加型民主主義を基礎とした政治と伝統的方法の政治との間、新しいヘゲモニー建設に向けた前進と、後退のリスクを伴った、両義的で危険な道半ばの立ち止まりとの間でだ。われわれの挑戦は、新政府の前に今置かれている限界を乗り越え得る選択を建設することである。
 
W

 ブラジル社会の未来にとって中心的な対立は、次の時期迫るだろう。国家は、国家的国際的金融資本の投機的運動が極めて攻撃しやすいものとなった。そしてIMFの後見はその目的としてこの状況を、政府を「市場」の人質としつつ期待するに違いない。市場の眼前での政府の行動の自律性と国民主権を実行するための条件を再建することは、本質的戦略目標でなければならない。
 これはあらゆる前線で遂行されるべきである。それは、政治的社会的動員を介した力関係移行の深化、参加型民主主義と資本の運動を圧倒する公的統制のメカニズムの制定、ブラジル国家が今直面している後見状況との闘いである。
 一連の戦略的問題はすでに新政府に対して提起されている。それらは中でも、農地改革、FTAA(アメリカ大陸自由貿易協定)に際しての国民主権の確証、IMFへの従属との闘い、金融システム特に新政府と中央銀行の関係の規制、課税問題である。これらの問題の中で賭けられているものは、アメリカ帝国主義であれ、投機的資本であれ、「市場」として知られている他のものであれ、それらに対する権力の譲り渡しに反対する民主主義と国民主権の防衛である。
 PTの勝利をもって幕を開けた新しい政治的条件を考慮に入れてそれらに対することが必要である。それらは単に政府の問題ではあり得ない。それらは社会全体にとっての問題であるべきだ。われわれは、選挙の多数派が政治的多数派へと転換する過程をつくり出さなければならない。そしてその多数派が、民主主義と国家にとっての主権の道を正統化し、維持するのだ。国民主権の防衛は、民衆的主権と本物の民主主義の実践に向けた基本的条件を守ることである。
 
X

 二〇〇一年末、レシフェでのPTの前回の全国大会決議の中で提案された、新しい社会契約という考えは、選挙運動における中心テーマとして現れた。それは、生産、経済成長そして国内市場の発展を優遇する一つの協定のための全社会部門への呼びかけとして提案された。PTはこれまで常に、さまざまなブルジョア政府が提案してきた社会協約への申し出を批判してきた。それは民衆多数の従属を強制する、すなわち必要であるかもしれないし必要でないかもしれないものを制定することになるであろう想定上の政府の合理性に、社会的な対立というものが従属させてしまうものだった。
 われわれが守ることのできる、また守るべきことは、新しい社会協約が参加型民主主義と、対立を交渉し解決するための民主的空間の上に据えられるべきであるということだ。そしてそれは、多数の利益を片隅に追いやってきた歴史に終止符を打つという新政府の義務の結論であるだろう。これは、国民理念に社会的性格を加えうる展開である。
 
Y

 民主的で民衆的運動は、いかなる観点からもわれわれの未来にとって決定的である、前例のない歴史的経験に乗り出した。PTのDSは自らを、PTとブラジル左翼が直面している挑戦を分かち合う、この過程の不可分の一部と見なしている。われわれは、この目下の過程に介入し、この決定的経験を、新自由主義的グローバライゼーション、市場と寄生的金融資本の圧政、ブラジル社会を特色づけてきた不平等、歴史的排除と不公正にうち勝つための闘いに結びつけるために、PTに圧力をかけるだろう。われわれの展望は、この経験を、民主的で国際主義的な社会主義による資本主義への置き換えを視野に持つ展開へ統合することである。
 
Z

 ルーラ政府の構成は最初の試練である。PT本体への介入を通してわれわれは、これが党の最先進の経験に基づいて民主的に行われるよう追求する。強化されたPTは今日、ブラジル社会の主要な政治勢力である。党は、その連邦政府の構成において、自分自身の言葉を持つべきである。
 同時にわれわれは、来るべき時期、われわれの党が前回大会で採択した諸決議を、意を新たにして守ることが必要だと信じる。これらはその中心に、新自由主義モデルとの断絶、国民主権と収入および権力の再配分に基づいた発展、さらにルーラ政府の経験は社会主義的価値の刷新に寄与すべきであるとの理念を保持している。それらは、重大な政治的試練の前夜に党を統一しうる戦略的観点を定式化する党の能力を示した。この能力を保持することは、この新しい歴史的転換点においては、より一層重要である。
 
[

 選挙結果は国家に対するPTの関係を質的に変え、党建設の全過程に影響を与えている。PTは成長しているが同時に、より政治的に異質な集団構成となっている。その論争を、社会のすべての部門が注目そている。与党としての責任が一定の討論の進め方における慎重さを必要としても、そのことは論争と決定の民主的過程を妨げるべきではない。
 DSは、党の論争において、責任をもちかつ公明正大なやり方で立場を明らかにしつつ、ブラジル社会のすべてのレベルでの権力への挑戦を目的とする運動建設においては、多様性が強さの源泉でありうるし、またそうあるべきであると自覚し介入するだろう。党の選出議員と活発な社会運動のよりいっそう緊密な関係は、これらの運動の、政府との関係における自律性が戦略的に重要であるだけに、運動建設において戦略的重要性を帯びる。
 選挙運動に際してPTが、支配的エリート、市場そして中枢諸国政府、なかでも合衆国からの強い圧力に従わせられていたとするならば、これらの圧力は連邦政府の頂点における党に対して増大するだろう。しかし同時に、投票箱から生じる権限がわれわれにブラジル社会の深い変革を遂行する正統性を与えていることも真実なのである。(二〇〇二年十一月三日「インターナショナルビューポイント」十一月号)

 
                    
 
 
 
 
 
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