2003年5月10日        労働者の力             第 158号

03年統一地方選挙の示したもの
左派の弱体化と左右に拡散する「市民派」
有事法制拒否・脱アメリカの戦略展望を

 川端康夫


 統一地方選が終わった。選挙前から予想されていたように、投票率は軒並み低く、与党三党を突き動かすほどの結果は生まれなかった。それを踏まえる形で小泉は、与党三党の議席数を背景に、個人情報保護法案や有事法制などの昨年の国会を通過しなかった諸々の悪法案を強引に通そうとしている。イラクへのアメリカの戦争を何らの説明責任を果たすことなく支持した小泉内閣は、いまやますますアメリカ帝国主義に無条件に追随する姿勢を明らかにしている。そして与党連合に加わっている公明党は、北海道知事選挙で示したように、恒久的与党路線とも言うべき方向に向いている。野党サイドを見れば、民主党内部の亀裂は相当に深く、鳩山系列の自由党との合流路線をめぐって揺れている。社民党は予想通りの後退を示したが、同時に共産党の後退も目立つものがあった。総体的には、左派の後退の印象が強い。このことは何を意味しているのだろうか。
 
既成政党の衰退
 

 イラク戦争反対は八〇%近く、小泉は相当程度の逆風を覚悟で支持に踏み切った。だがそのことは地方選挙には反映しなかった。ある新聞の調査では、無党派層は半々で小泉支持、不支持を分け合っていた。その無党派層のほとんどがイラク戦争には反対していたのである。イラク戦争への対応と小泉への対応には大きな落差があった。その理由を推し量ってみれば、とりわけ東京に示されたことだが、イラク戦争反対キャンペーンを大きく盛り上げた、今年に入ってからの青年層の大動員には、おしなべて反政党、非政党の色彩が強く示されていたことは事実であり、社民党や共産党を押し上げる方向性を欠いていた。既成政党と大衆動員を実現した青年層との距離は一夕一席ではなかなか埋まらないものであることを示していた。しかしその事実を指摘しても、話は始まらない。なぜそうなのかが分析される必要がある。それは後で触れることになる。
 次いで自由党の一定の伸長が依然として持続している事実が特徴の一つとしてあげられるべきだろう。
 それに加えて、さらに特徴点を上げれば、いわゆる無所属候補の伸長ということがあるが、そこには新たな特質を見いだすことができる。もちろん地方議会選挙は以前から無所属が最大多数であるが、ここで言う無所属とは政党離れを強く押し出した無所属候補である。
 東京における石原は史上最高の得票数を獲得した。そして、神奈川県知事選での松沢知事の誕生も、非自民の無所属候補である。彼はしかしながら実態としては松下政経塾出身者という民主党の右派部分からの当選者であり、横浜市長選に続き、松下政経塾出身者による県政の奪取である。これらの部分がいわゆる左派の範疇にはいるとは思えない。右派市民運動と言うべきものが確実に登場している。
 他方、明らかな非与党系無所属候補、いわゆる市民派候補の伸長も目立つ。静岡県議選、堺府議選での新人候補の当選を上げることができる。堺市の場合は、社民系、新社系、市民派系が統一した運動を展開したという特徴を持つ。この場合は支援にたった大阪全労協、全日建連帯労組、全港湾労組が候補者に統一会派運動を呼びかけ、それが実現したというまったく新しい過程である。
 社民党は全国で立候補者の九割近くが当選したが、それは候補者を絞った、あるいは立てられなかった地域が多いことの結果であり、体力の衰退を見るべきである。共産党の頭打ちは鮮明であるが、それにもかかわらず一定の争点のある地域では健闘した。長野が典型である。
 総じて言えば、既成政党の体力がおしなべて落ち込み、その隙間がいわゆる市民派(左派、右派を問わず)候補で埋められるという傾向が顕在化した。自民党の場合、北海道知事選挙に辛勝できたのは、最終盤での公明党票の投入の結果である。
 自由党の一定の伸長にも、こうした右派的市民票と言うべき性格を見いだすことができる。自由党は小泉の無原則、憲法概念の本質的無視ということに対する国連中心主義と憲法の制約を見据えるという柱があり、それが一定の層を引きつけているのである。
 公明党は相変わらず全員当選を果たした。そしてその勢力はいまや衰退を隠せぬ小泉内閣の最大の支柱になりつつある。
 
漂う民意

 統一地方選挙の争点は何であったろうか。決定的なものはなかった。市町村合併をかかえた各自治体においては、合併の是非をめぐり争点が生じたが、その他は全般的に争点不在というべき状況であった。今やどの候補も環境を言い、福祉を言う。翻って言えば、野党サイドに与党派候補を打ち破りうるような政策的新鮮さ、鮮明さ、透徹さが見られなかった。戦争反対は今後の日本の政治にいかなる転換をもたらすのか、ここまで踏み込まなければ戦争反対派を自らの陣営に引き寄せられない。その点では、ここ十年以上も引き続いている政治的空白を埋めることができなかったことはいうまでもない。
 右派市民派というべきものが生まれるほどに、今後の日本という存在に関する将来展望がまったく見えていない。すなわち、仮に名付ける右派市民派は、概ね改憲派であり、武装派である。その点では旧来的、自民党保守本流的意識をはるかに越えた公然たる帝国主義派である。その論理は、たとえば住基問題では政府への反対の論陣を張り、個人情報保護法でも反対を表明する。徹底した個人主義に立脚し、ここでは市民派的な装いをこらす。その個人主義とは「有資格」個人、結局は「持てる」個人の自由表現である。しかしその強い階級性は、官僚体制との対決を焦点化する戦術の中で意識的にぼかされている。その限りで彼らは限りなく不透明な新右派なのだ。
 自民党政治に苛立つ市民派は、左派サイドの落ち込みという軌道をたどって一種の層として自立的な行動へと傾斜してきたが、その自立性にかつては一定存在していた革新的要素という規範が今不透明化しつつあるのである。すなわち「市民派」概念は左右両派の区別を失いつつある。
 ここにおいて、政党政治の全般的衰退という現象が示す政治的苛立ちの拡大が、はっきりと左派サイドからその脱出の方向性を与えられていないことの結論が見いだされる。不満ではあるが、その先が見えない。このことは民意がまさに全般的に漂流しつつある状態を引き出す。
 石原の得票が示すものは、一種のポピュリズム状態に東京の政治が陥っていることに他ならない。石原が具体的に東京都政で何をやっているか、ということは、一般の都民には見えない。彼が時におり、耳目を引き寄せるためのパフォーマンスをやることが見えるだけだ。小泉の場合も同じ側面があるが、こうした実態のない空気のような石原人気を崩していくためには、崩すという意志を強固にもった人々の結集が必要だ。すなわち、言い換えれば、人々に石原都政の現実の有り様を伝達しうるある種のネットワークが広範に形成されていかなければならない。つまり、市民層に石原のやっている現実を伝え、そこに世論を形成していく活動である。
 巨大マスメディアが垂れ流す一面的報道が世論操作上、大きな位置を占めていることは言うまでもない。こうした操作に対抗する民衆的世論形成力こそが、今の左翼陣営が決定的に欠いているものなのだ。
 
経済と戦争

 平和はいいが、経済はどうしてくれる?野党陣営に突きつけられる最大の問題はこういうことだったろう。つまり、平和の問題は十分に争点になりうる水準の重さを持つが、しかしそのことを実現するテコを欠いていた。平和という政治選択が経済的苦境からの脱却の方向性を内包している、ことが求められた。このような高度の政治問題を内包して平和問題が提出されるこ
とは、滅多にないとはいえ、戦後の歴史にはっきり刻印されている。それは昭和の二〇年代における労働者階級の戦略的方向性を根本から問うた問題である。壊滅した日本経済をいかなる方向性で再建するのか。戦争勢力と平和勢力、今から言えば相当に素朴な規定ではあるが、少なくとも日常の経済闘争が戦争と平和という戦略問題と切り離せずに存在していた時期があった。
 現在の日本がおかれている状況は、こうした二〇年代階級闘争が直面せざるを得なかった政治的・社会的状況に類似しつつある。言い換えれば、三〇年代に入って以降の労働者運動は、政治と経済の分離を深め、その分断が左派労働運動を解体に追い込んできた。経済はアメリカと緊密に結合し、政治は東側陣営を向く。この内的乖離こそが総評運動、ひいては社会党の基礎を掘り崩した。その結果が現在である。
 二十一世紀の現時点で、昭和の二十年代が繰り返されるわけはない。東側陣営という言葉ももはや死語だ。故に東側つまり「社会主義陣営」と結合した経済建設―平和経済論!―という概念も歴史の中に消えている。それを復活させようとしても笑いものになるだけだろう。
 しかしアメリカが今や真の意味で「戦争勢力」である事実はだれもが否定できまい。アメリカは全世界をその圧倒的に卓越した軍事力の下に置こうとしている。
 経済で言えば、日本経済は戦後の長き間のあり方、つまりアメリカ経済に輸出することによって、自己の経済再建を成し遂げ、あるいは瞬間的とはいえ、アメリカ経済を追い越した、との幻想を持つことができた、そのような経済的環境にはない。八〇年代以降、アメリカ経済はその国家的力を背景に日本経済との競争戦の段階に突入したのだ。アメリカは日本経済社会の戦後的ありようの解体を国家戦略とした。国内的に人為的インフレを実現しつつ、内外価格差をも輸出ドライブの原動力としつつ、輸出拡大に依存する社会経済は、関税、非関税障壁の全面撤廃というアメリカの要求の前にあっさりと崩れた。アメリカは日本経済がアメリカ型になることを執拗に要求し、そしてそれを実現させるために全力を投入した。もちろんその前提には、日本はアメリカレベルになることができない、そうなった暁には日本経済は崩壊するとの確固とした読みがあったのは当然である。なぜならアメリカ型とは輸入大国になることであり、国際収支は全くの赤字に転化していくことを意味する。その場合、日本はアメリカが決め手としている紙幣の永遠の増刷を行うことができないからだ。
 こうして日本経済はアメリカの庇護の下に拡張してきた、その基礎を失った。規制緩和は戦後経済システムの放棄を意味する。輸入大国化への道は、同時に物価の下落、つまりデフレスパイラルの始まりである。ユニクロ現象である。いわばアメリカの罠にひっかっかたわけだ。
 日本経済の出口が見えないということは、つづめて言えば以上のことであり、インフレターゲット論とは、日本経済の十年を否定することと同義である。というのも、物価上昇を人為的に維持するための最低の前提は為替管理を行わなければならないということだ。だがそれはWTO体制とは矛盾するのであるし、変動相場制と対立する。
 こうした隘路から脱却する道、展望はあるのだろうか。すでに明らかにしてきたように、筆者は出口の展望を東アジア共同経済圏の方向においている。つまりは経済的な脱アメリカである。そして経済的な脱アメリカは政治的・軍事的脱アメリカを意味する。日米同盟、つまりは日米安保破棄の政策はここにおいて経済的展望と結びつくのである。
 それ故、今度の統一地方選挙に現れた左派の弱体化を克服していく道は、この日本左派運動における政治と経済の分断を克服していくこと、すなわち安保破棄(廃棄)と日本経済再生の展望を一体のものとする方向性を明確にしていくことにある。こうした観点を社民党、共産党ともに受容しなければ、将来の展望はさらに曖昧模糊としたものとなるだろう。

STOP!有事法制

 有事法制をめぐる国会審議は連休明けを待って本格化しつつある。政府与党の言う「有事」とは北部朝鮮を意識した概念である。北部朝鮮がその国内的一党独裁体制を維持する鍵はいまや軍事独裁しかないが、そのことを言い換えれば、海外進攻軍隊とはとうてい言えない軍事力である。仮に北部朝鮮が軍事的な脅威であり得るとすれば、それは地上進攻能力をもつ軍隊が存在していなければならない。しかし、それは陸上国境線を接する韓国の場合に当てはまるが、海を隔てた日本には当てはまらない。有力な地上兵力を輸送しうる海上戦力を北部朝鮮は持っていない。
 従って、なぜ今「有事法制」なのかという問題は、ただ日本がアメリカの世界的軍事戦略の有機的一翼を担いうる軍隊を保持する国家へと転化するための一里塚を築くために他ならない。アメリカの最終的戦略目標が中国に置かれていることは誰もが承知のことだ。有事法制体制とは、結論的には上述してきた東アジア民衆の共同の経済的努力という方向と真っ向から衝突する体制である。
 有事法制を阻止しよう。五・二三。東京明治公園へ!(五月八日)
 
STOP!有事法制大集会
5月23日(金)午後6時

明治公園(JR千駄ヶ谷、地下鉄銀座線外苑前)
呼びかけ 陸海空二〇労組団体、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット、戦争反対・有事法案を廃案へ!緊急市民行動
 
  書評  鄭超麟著/長堀祐造ほか訳
『初期中国共産党群像1・2――トロツキスト鄭超麟回憶録』

           平凡社・東洋文庫(各巻三〇〇〇円)

     中国トロツキストの不屈の苦闘を記録
              佐々木 力

 
 生涯の長い時間を獄中で送った革命家は少なくない。十九世紀フランスのブランキはその中でも最も有名なひとりであろう。だが、彼以上の記録をもつ革命家がいる。本書の著者で、中国を代表するトロツキストとして知られる鄭超麟その人である。彼は蒋介石の獄中に七年、毛沢東のそれには二十七年居た。都合、三十四年である。現代中国の政体の特性を知らしめてくれるエピソードと言うべきではないか。
 鄭超麟で特筆されるのは、前述の在獄期間記録だけではない。彼は中国共産党初代総書記の陳独秀の弟子として、一九二〇年代を通して中共でも指導的地位を占めていた。その後、二九年、師とともにトロツキズムに転じた。が、「トロツキスト=過激派」という世間のイメージとは裏腹に、彼は実に淡々とした静謐な生き様で著名であった。実際に起こったことを虚飾の言辞をもって歪めるのを極度に嫌った。したがって、トロツキズム運動の実像を何ら知ることなく、その運動を貶める言説を恥ずかしげもなく御都合主義的に公表した御仁を「笑うべきだ」と断言してはばからなかった。
 こういったたぐい稀な生涯を送った中国トロツキストの自伝が本書なのである。本書には特別ドラマティックな革命のシーンが描かれているわけでは必ずしもないが、初期共産党の著名人の男女関係についての秘話、共産党の有力な指導者たちがトロツキズムの原則を受け入れてゆく様態の描写はこの人の筆によるだけに信頼ができ、まさしく熟読玩味に値する。
 私にとってとくに興味深かったのは、下巻に収録されている「陳独秀とトロツキー派」であった。陳独秀といえば、北京大学文科学長時代に一九一九年の五四運動を指導し、その後、中国共産党を創党し、しまいには中国トロツキズム運動の指導者になった、中国近代史上、稀にみる知識人である。その彼は、晩年、トロツキズムを棄却した、とされてきた。だが、鄭超麟はそうではなかったことを教えてくれている。「結局、組織の面からも理論の面からも、陳独秀は死に至るまでずっとトロツキー派であった」(下巻、二七〇頁)。これは、極めて貴重な証言である。
 実際、陳独秀は、一九三七年夏に蒋介石の監獄を出て以降、抗日のための「民族的・民主的闘争」の陣形構築を唱えながら、スターリンの大テロルを先鋭に批判してやまなかった。しかも、三八年秋には、トロツキイによる中国国外脱出の呼びかけに肯定的に応え(結局、国外には出なかったけれども)、自らがトロツキストの一員であり続けていることを明言しているのである。もし中国トロツキストの主流多数派が実際にそうであったような「極左セクト主義」の軌跡を歩まず、陳独秀の指し示した方向を進んでいたらと想像力をたくましくしてみたい気もしないではない。それ以上に、社会主義の大儀の保持にとって、民主主義(プロレタリア民主主義)の保持が枢要であると訴えた独秀最晩年の言説こそが、現代に継承されるべきなのではないか。
 重要なこととして、日本帝国主義軍隊が中国に侵攻した一九三七年夏以降のトロツキイの中国革命に対する戦略が陳独秀のものにきわめて似ていた事実を私たちは今日知っている。この事実に照らし合わせても、中国トロツキズム運動史における陳独秀の位置はやはり重い。
 鄭翁は一九七九年に獄外に出た後も、節を曲げることなく、九八年八月、トロツキストとして生涯を閉じた。節操という文字すら忘却してしまったらしい現代日本の物書き連の言説に惑わされないためには、是非とも本書はひもとかれねばならない。魂のこもった真実の人間の文章が本書には盛られているのである。
 私が最初に中国大陸を訪れたのは一九九八年九月から十月にかけてであった。当初は鄭超麟翁を訪問する予定も組み込もうとしたのであったが、出発直前、鄭翁が亡くなってしまい、会見は永劫不可能となってしまったのだった。
 だが、二〇〇二年五月末、南京大学で開催された第七回陳独秀学術研討会に出席した後、その会議への参加者の長堀祐造(慶應義塾大学)、李梁(弘前大学)両氏、それに私の三人は、鄭超麟がかつて住んだ上海のアパートを訪れることができた。以前の希望が鄭翁の死去によって無惨にも挫折してしまっただけに、故居訪問の機会が実際に得られたことはうれしかった。そこには鄭翁の四弟の孫娘で鄭翁を看取った鄭暁方女士が娘と住んでいた。鄭翁の遺品として、本書のドイツ語訳・英語訳等を含む自著のほか、中国語版『レーニン全集』、それから陳独秀が晩年書き残した文章を篆書体に書き直した聯が飾られていた。その文章を日本語に直して引用しておけば、「行ないに恥ずべきことなく心常に平らか、身は艱難に在れど気は虹の如し」となろう。
 この聯を鄭翁はことのほか愛していたという。そのことは軸装に仕立てられた聯の壮麗さからも十分に察しられた。この文章を陳独秀は蒋介石の獄中に在った時分に綴ったのだが、その文意から、毛沢東の獄中に二十七年間も留め置かれた鄭超麟がこの聯を愛した理由は自ずから明らかとなろう。省みれば、陳独秀を始めとする中国トロツキストが遭遇した運命は上記の独秀の文章に一言で言い表されていると言っても過言ではないかもしれない。
 鄭超麟は一九九八年に九十七歳で逝き、そして彼の無二の盟友王凡西も昨年十二月三十日、長い闘いの末、異国のリーズに九十五歳で仆れた。二十一世紀東アジアの社会主義の行く手にはどのようなことが待ちかまえているのであろうか? 少なからざる苦難があるであろうことは間違いない。だが、鄭超麟らの文字通りの不屈の苦闘を鑑として、私たちは闘い続けなければならない。なぜ彼らが蒋介石にも、毛沢東にも屈せず、自分たちの大義を守護しようとしたのかに改めて思いを馳せねばならない。彼ら中国トロツキスト運動の担い手たちは、あの世から私たちの闘いがいかなるものであるのかを見守るに相違ない。
 (本稿は、週間『読書人』四月十一日号、に掲載された書評を部分的に書き改め、増訂したものである)
       (ささき・ちから/東京大学教授/日本陳独秀研究会会長)
  21世紀における軍国主義と帝国主義
            

             クラウディオ・サファティ                     


 軍国主義、戦争そして資本主義、これらの間の関係は、二十一世紀が開けると共に新たなつながりを帯びることになった。ブッシュ政権が採用した「無制限の戦争」、新政治綱領は、アメリカ資本主義の軍国主義における重要な変化を印し、資本の世界化と軍国主義はかつて以上に、帝国主義支配の二側面としての姿を明らかにしている。
 
 軍国主義と資本主義―歴史的一体性
 
 「軍国主義は資本の歴史の中で特別の機能を持っている。それは蓄積のすべての歴史的局面に付随している」(1)、ローザ・ルクセンブルグはこう述べた。彼女の分析は、今日、資本と軍国主義の関係に内在する「歴史的連続性」を人に呼び起こさせるかもしれないものを今もたらしつつある。そして彼女の分析は今日もその適切さを失っていない。彼女は明らかにする。「全世界を戦域とする資本の世界的競争局面としての、蓄積の帝国主義段階。ここで採用される手段が、植民地政策であり、国際的借り入れシステムであり、利権領域をめぐる政策であり、そして戦争だ。暴力、だまし、略奪が何らの隠し立てもなくおおっぴらに使われる」。これは、「資本が活動する経済領域を他の側面、多少とも偶然的と見なされている軍事攻撃、外交政策の側面から切り離すブルジョア的自由理論」に反するものだ。
 「政治的暴力は経済過程の乗り物であり、その道具でもある。蓄積に現れる姿がとる二面性は、資本主義的再生産が展開する諸条件に由来する同じ有機的現象を隠すものだ」、このようにルクセンブルグは、極めて現代的な形で強調した。
 エンゲルスはデューリングに反論する論争の中で、軍国主義と資本主義における技術発展の関係を分析している。戦争のやり方は兵器生産に依り、そして兵器生産自身は経済状態に、より正確には、「生産に応用されようが物の破壊に応用されようが工業は工業のまま」(2)なのだから、工業的、技術的発展に依存する、歴史はこのことを指し示す。エンゲルスは、資本主義が世界を圧するようになった後に起きた急激な変化に注目する。「近代的軍艦は一つの生産物であるだけではなく同時に、近代大規模工業の見本、すなわち浮かぶ工場だ」。彼にとっては、「ヨーロッパを軍国主義が支配し呑み込んでいる」のだ。この定式は一九一四年に火を噴いたヨーロッパ帝国主義間の戦争で悲劇的に確証されることになる。
 
 工業的技術の中心を占める軍事
 
 兵器生産は今や単に「近代的大規模工業の見本」にはとどまらない。第二次世界大戦以降兵器生産は、生産様式の基本を成す工業的展開軌道の心臓部に位置してしまったのだ(航空宇宙産業、電子産業、原子力産業)。アメリカの、それだけではなく他の帝国主義諸国の軍事支出は、ソ連が代表する脅威に対抗するとの想定の下で、引き続く五〇年の中で極度の高水準に達した。そしてソ連では、強固に結びついた支配階層とその寄生的存在を守るために、すさまじい額が捧げられたものの、同時にそれは、生産資源と財源の出血を生み出した。
 第二次世界大戦以降の突出した事実は、アメリカの経済と社会における、軍事―産業システムの深い埋め込みである。そしてこれは、ソ連の消失によってもいかなる形であれ弱まることはなかった。むしろ反対にそれは今、打ち固めの新段階に入りつつある。軍産システムのこの強化は、以上の一連の要素に支えられている。すなわち、産業集中、兵器企業と金融資本のかつて以上の親密な結びつき、クリントンが九九年に手をつけ、ブッシュが大幅に強化した軍事予算増大、それに情報通信技術(ICT)のより強められた配備だ。これらの技術は、レーガンの先制防衛戦略(スターウォーズ)から利益を得、「情報支配」と「ネットワーク中心の戦争」(3)において決定的役割を演じている。そしてこれらは九〇年代、ペンタゴンの戦略家たちのお気に入りのテーマだった。
 軍事的至高性はアメリカの軍事企業に、ICT開発における中心的位置を占めることを可能にした。九〇年代にそれは、民需企業が支配的だったのだ(いわゆる「ニューエコノミー」とその連携した立ち上げ)。
 軍需企業は地上軍のための新兵器システムも開発しなければならない。高度に洗練された兵器で武装した兵士が遂行する「市街戦」(ペンタゴン専門家が採用した表現)は軍事予算の中で重要な位置を占めている。その目的は、南の諸国(南米のそれらはアメリカの戦略に貼りついている)の巨大な集団を成す住民に対する戦争を、そして時に北の都市の「危険な階級」に対する戦争を遂行することだ。こうして人は次のことを思い描くことができる。すなわち、(アメリカの)連邦と国家制度内での大きな影響力を軍事産業グループが第二次世界大戦以降獲得してしまったということ、そして、社会的、私的生活側面にますます関わる非軍事的対象(4)にまでの「国土安全保障課題」の拡張と共に、このグループは軍―安全保障システムの形成を加速するだろう、ということだ。ここに見た後者は、来る年月に、冷戦期の「軍産複合体」の役割をはるかに越える重要な役割を演じるだろう。この軍―安全保障システムの形成は、アメリカ国家に相当な権力を与える。
 
 21世紀の帝国主義
 
 われわれは資本支配の「国家形態」の衰退からは遠いところにいる。そしてこの衰退はハートとネグリによれば、その内部では資本と労働が仲介手段なしに対立し合う「帝国」へ至る道を準備することになる(5)。資本はその支配を維持するためには、政治的機構、制度(司法や軍隊その他)なしに済ますことはできない。これらのものは、支配的資本主義国家という枠組み内で二世紀の間に構築され、強められ、合理的に整備されてきたのだった。先の論者たちが語るような意味での「世界資本主義」は今存在していない。一つの社会関係としての資本は、確かに国境や他の障壁(たとえば社会政治組織の諸形態)を越える傾向を持つ。マルクスが語ったように、「世界市場は資本という観念それ自身に内在している」。しかしそれは、危機においてと同様、資本間、帝国主義間の競争性において表現される矛盾を刻みつけた過程である。軍事力を伴った国家間関係およびそこに付随する暴力に解きがたく結びついた相貌を、資本の世界的拡大が常に帯び、かつこれからも帯び続けることになる理由がこれだ。
 他の帝国主義諸国に対するアメリカの圧倒性は明白である。これが、二十世紀に起きたような帝国主義間戦争の勃発がありそうにない理由の一つだ。アメリカとEUの一部門の大西洋を越える資本の統合は今も続き、二十世紀末における「グローバライゼーション」について特有の特徴の一つを作り上げた。アメリカとEUの支配階級は一定程度確実に、資本家間の競争に関してマルクスが描いたような状況にある。すなわち、「彼ら仲間同士の競争の中でほとんどなかった愛すら失われているとはいえ」彼らは、「全労働者階級に対抗する種々のフリーメーソン的社会を作り上げる」のだ。そしてわれわれがそこに付け加える必要があることは、それらがさらに、彼らの支配に従う諸国の民衆に対抗するということだ。
 
 資本と軍国主義のグローバライゼーション
 
 支配的資本主義諸権力間での戦争がありそうにないからといってそのことは、二十世紀初頭マルクス主義がはっきりさせた帝国主義と戦争の関係を時代遅れのものとするわけではない。中国共産党官僚統制下での中国の資本主義的転換が経済領域でもしアメリカを脅かすことにでもなったとすれば何が起こるか、これを考えてみるだけで十分だ(6)。カウツキーが想像したような、帝国主義の矛盾を克服することを資本に可能とさせる一極帝国主義は確かに日程には上っていないのだ。資本のグローバライゼーションの現局面において、戦争はその役割を保持し、さらに拡大している。
 資本のグローバライゼーションは、地球規模での価値の拡大再生産として定義
される資本主義の拡張を意味するわけではない。それはむしろ資本の側での略奪的作戦に導いている。そこでは彼らの「財産権」(金融資産に関する)が資本に、生命それ自身の活動をかすめ取ると同様に金融収益を集めることを可能としている。「現存する人口に比べれば、生活の必要のために生産されているものが多すぎるなどということはない。現実はまったく逆だ。巨万の大衆の欲望をまともに、人間らしく満足させるためには、まったくほとんど生産されていない」(7)。
 この矛盾を基底として、資本のグローバライゼーションは一つの不平等水準に達した。そこではほとんどのアフリカ諸国が押し潰され、九〇年代の進展を通して、アジアとラテンアメリカの「新興市場諸国」が危機に投げ込まれた。そしてその国家は、資本による生産者の収用というこの過程において常に主要な役割を果たしてきた。それはいわゆる「原資蓄積」の局面においてばかりではなく、資本の支配に地球の民衆と領土を従わせることがその目的であった植民地獲得の時期もまたそうであった。
 「市場」および自由貿易を平和と民主主義に関係づけるごまかしとは正反対に、国家の暴力は今、かつて必要とされていた以上のものがある。資本のグローバライゼーションは、資本がその財産権を行使し得る領域の拡張と定義できるような、商品化の進展を伴っている。そのようなことは実際、「市場」の存在にとっては第一の条件だ。なんといっても市場の目的と効果は、一方において生産者をより「自由」にしつつ―すなわち資本の作用によりとらわれたものとしつつ―も彼らの依存性を増大させること、および他方では、特に支配された諸国において新たな社会集団を奴隷化することにあるからだ。商品化に関わるこれらの領域はただ地理的なものだけではなく、私的領有の新分野に及ぶ。それはたとえば、生物圏(汚染権取引)、生命過程(種子その他の特許)、そしてその間断のない拡大が人間的自由に対する深刻な脅威を意味するようになっているだけにますますもって、知的所有権といったものだ。これらすべての対象は、暴力の使用なしには確保され得ない。
 アメリカが資本のグローバライゼーションの中心である。九〇年代に見られた軍国主義の強化は、他では健全な経済機能に付加された追加的な臨時処置といったものではない。資本と軍国主義のグローバライゼーションは、ローザ・ルクセンブルグが規定したように、「同一の有機的現象」がとる二つの姿なのだ。そしてそれらが最も相互依存的なものとなっているという姿がまさにアメリカなのだ。九〇年代に高い「安全」を求める貨幣資本の流れを、九七年のアジア経済危機後にはより加速したテンポでアメリカに引き寄せることを可能にする上で、政治・軍事力は決定的だった。
 最後に、アメリカ経済は〇〇年の景気後退で打撃を受けた(8)。本稿でそのメカニズムを検討する余裕はない。しかし、理解すべき重要なことは以下のことだ。すなわち、アメリカが資本のグローバライゼーションの心臓を占めるとするならば、アメリカはまたその矛盾の心臓でもある、ということだ。そしてその矛盾は、通常景気後退を特定するために使われている指標が測定しうるものよりはるかに深い。これらの矛盾の急速な発展は、アメリカが金融資本の支配が生み出した世界的荒廃の海の中に「繁栄の島」を築き上げた(「ニューエコノミー」)と考えた人々が偽りを言っていた、ということを示すことになった。経済的矛盾は増幅され、そして〇一年九月十一日後に決定された予算案の実行によっても緩和されてはいない。ちなみにこの予算案に対しては、「階級戦争」との言葉が使われたのだった(9)。
 ここに見た関連の中に置いた時、ブッシュ政権が関与してきた「限界なき戦争」はそれ自身、過去二十年間にわたる資本主義の軌跡につながっている。この政策は、金融寡頭政治の利害を表現している。彼らの物質的基盤はまさに、自然資源(もちろんのことその第一番目に石油が来る)の略奪に依拠し、そしてそれが最も傷つきやすい社会階級や人々に対してその存在自体をたとえ危険にさらし脅かそうとも終わりのない債務返済を課すことに依拠しているのだ。現在アメリカと「国際社会」の他の支配的諸国が行使中の支配―直接的管理、委任あるいは保護領という形態を通じて―は、被支配諸国の経済発展に刺激を与えることに対しては、建前も可能性も持っていない。それは、二十世紀初頭における帝国主義による植民地獲得以下ですらある。過去二十年のアフリカ大陸の悲劇的例が示すように、今日程に上っているものは、帝国主義支配の結末に耐えることのできない「南」の国家をバラバラにすることなのだ。
 生産者が作り出した価値の搾取に適合的に特権を与え、かつむしろ略奪を力づけるそのような社会支配様式にその存在が支えられている社会階級は、極めて短期的な気遣いを持つことしかできない。彼らは、人間にとっての破局的な、社会的、環境的結果に何ら配慮しない。彼らはただ、彼らの財産権に十分な使用領域と安全を彼らにもたらす政府と国家制度を必要とするだけだ。金融資本がその論理の拡張に成功すればするほど、彼らは一層軍事力の成長を必要とする。(インターナショナルビューポイント三月号)
*著者は、フランスの経済学研究者、大学教官。


注1.ローザ・ルクセンブルグ、「資本蓄積論」二巻三二章「資本の活動分野としての軍国主義」
注2.フリードリッヒ・エンゲルス、「反デューリング論」第U部政治経済V
注3.軍事的卓越性は今や、通信の効率性、情報手段の能力、兵器誘導の精度その他による。
注4.「グローバライゼーション」の防衛と一致する「国土安全保障」概念の拡大はクリントンの下ですでに提起され、ブッシュ政権により発展させられた。
注5.ミッシェル・ハートおよびアントニオ・ネグリ、「帝国」
注6.アメリカの軍事計画の重要な部分(ミサイル防衛システムを含む)は中国に直接照準を当てている。
注7.カール・マルクス、「資本論」、第V部十五章「法則の内部的諸矛盾の詳説」
注8.経済分析局の数字に従えば、企業の資本収益率は九七年に下降し始めた。
注9.「ビジネス・ウィーク」(〇三年一月二〇日付)がブッシュ提出減税案に関する特集につけた標題。
 

 戦争政策への抵抗を
 
 以下は、フランスLCRによるジルベール・アシュカルへのインタビュー。ジルベール・アシュカルは、政治科学のパリ第八大学の教官であり、最近刊行された「野蛮の衝突」の著者。
 
―ブッシュが狙っているイラクの新しい体制とはどんなものか
 
 戦争の準備を始めた時からアメリカは、軍事的かつ恒久的な自分自身の存在をイラクに築き上げることを想定してきた。数ヶ月前に彼らが考えたものは、軍事占領と傀儡政府の組み合わせだ。もっともその政府は、イラク住民のある種の民族グループ代表から作られると考えられていた。しかしながら、彼らが組織しようと試みているイラク反体制派の見せた、素晴らしさとはかけ離れた姿と、反体制派内で有力に見える勢力―イラクイスラム革命最高評議会―の、ワシントンとの取引の用意があるとはいえテヘランに緊密に結びついている状況を前にして、アメリカの選択は現在、国土に直接的軍政を敷くことにあるように見える。
 これが現在の状況と九一年の第一次湾岸戦争との間にある大きな違いだ。九一年にアメリカはサダム体制を打倒しなかったがそれは、世界の状況と、どのような軍事的介在をも禁じていたアメリカ国内状況に原因がある。当時ワシントンは、イラクの状況が彼らの統制できないものとなり、地域が不安定化することを回避するために、サダム・フセインを権力にとどめる方を、むしろ選んだ。こうしてワシントンは、わざと共和国防衛隊を壊滅させずに助けた。
 九一年三月、戦争終結後に国を揺るがした反乱に際してアメリカは、体制が南部と北部で反乱を血の海に溺れさせるままにした。南部では、共和国防衛隊の進攻が可能となるよう米軍が撤退さえ行い、鎮圧のためヘリコプターを使うこともイラク政権に許した。こうして何万人もが死ぬことになった。
 今日アメリカは、サダム・フセインを打倒するという目標を確定したがそれは、彼らが国内状況と同様に、世界の状況が変化した―他の世界との格差は特に軍事面で広がった―と信じているからだ。九月十一日後の政治的環境をワシントンは、対テロ戦争との口実の下で、事実上限界のない長期の軍事介入を始めることが可能となったと理解したのだ。
 
―アメリカは、世界中に軍隊を展開する一時代に乗り出したかのように見えるが

 その通りだ。九月十一日以降アメリカは、直接であれ同盟を通してであれ、あるいはその二つの組み合わせの下で、全世界を軍事基地の網で覆うことになった。アフガニスタンでの戦争を口実にして彼らは、中央アジアの心臓部に基地を設置した。彼らはカスピ海地域に彼ら自身の位置を築き上げたのだ。この地域はエネルギー供給という分野で重要な地域だ。しかし同時に、アメリカにとっての潜在的対抗国と想定されている二カ国、ロシアから中国に延びる巨大な大陸の心臓部に位置しているが故にここは、相当に戦略的重要性を持つ地域なのだ。
 さらにまた、以前のソビエト諸共和国を巻き込んだNATO拡大の新段階が最近生まれた。
 ここに、ブッシュ政権が明らかにしている軍事介入の全計画を付け加えるならば、今日われわれはアメリカの軍事的拡張の今までとは異なる水準を事実上前にすることになる。そしてアメリカはすでに、フィリピン、コロンビア、アフリカの角、イエメンで軍事的に介入している。さらに彼らは、ブッシュの「悪の枢軸」の中にイラクと共に括られた二カ国、イランと北部朝鮮を脅迫している。同時に彼らは、ヴェネズエラのチャベス政権を倒そうと変わらぬ努力を傾けている。
 冷静終結以降ワシントンは、その目標として、アメリカと残りの世界との軍事的格差を広げることに取りかかった。それは今や彼らの軍事支出が世界全体のそれの四〇%を数えるまでに至り、まもなくわれわれは、彼らが他のすべての諸国の合計と同程度を支出するような状況に入ろうとしている。
 しかしながらこのスーパーパワーは、全面的に強力なわけではない。ここにはアキレスの踵があり、戦争機構を阻止できる力、軍国主義の流れを逆転できる力がある。端的に言ってアメリカの民衆だ。この後者は、戦争機構を停止する能力として、ベトナム戦争の時にすでに明らかになった。この運動は、第一次湾岸戦争まで、アメリカの戦争機構の大量使用を阻止する効果を示した。
 そうであれば、最近数ヶ月のアメリカにおける反戦運動の注目すべき発展の中に希望の基礎がある。ワシントンがその大規模な軍事作戦を刷新して以降、運動がその幅広さでこれまで知られていたいかなるものも越えることになるとは、九月十一日のわずか一年後では誰も想像しなかった。そして反戦運動の前進は続いている。それは、特に別のグローバライゼーションを求める運動内で示されている青年の急進化と結びついている。
 残されている時間を前提にすれば、イラクに対する戦争を止めることはほとんど不可能だ。しかしながら、われわれが長期の軍事介入という計画と相対していることを前提とすれば、志気喪失を回避した上で、目標は今や、持続する反戦運動の建設でなければならない。ワシントンは、「テロとの戦争」は何十年も続く、と語ったのだ。われわれはこの機構を止める運動を作り上げ、アメリカ政治の攻撃的路線を停止させなければならない。(インターナショナル・ビューポイント三月号。なおインタビューは開戦以前に行われたものであり、前半部分は紙面の都合上割愛した。) 
 
 
 
 
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