2003年6月10日        労働者の力             第 159号

英米支配下のイラクへの自衛隊海外派兵を許すな
自衛隊を利用した火遊び―イラク復興支援新法の実態

 川端康夫


 有事法制を民主党との取引で成立させようとしている自公保三党連立政府は、イラク侵略戦争の短期終結直後から、イラクへの「復興支援」と称し、自衛隊派兵に向けて動き出した。有事法制成立後に国会会期延長を行い、そこでイラクへの自衛隊派兵を可能にする新法を制定しようというのである。そもそも小泉内閣は、イラクへの米英の侵略戦争決行をにらんで、反テロ対策法を利用したインド洋でのアメリカ軍への支援活動を公然と行った。反対を押し切ってイージス艦を送り込み、アフガンでの戦闘行為を実質的に終了させているアメリカ軍支援とは、イラク攻撃艦船支援の隠れ蓑にすぎなかった。そしてまた、この内閣はイラク侵攻軍からの感謝のメッセージを受け取っているのである。
 自公民三党幹事長はこの連休を利用して、イラクのバスラを訪れ、自衛隊派兵の条件作りを行おうとした。だが、戦闘終結直後のバスラにおいては、ほとんど道楽でしかない自衛隊のためにわざわざ仕事を作ってくれるような余裕もなく、まして地域がイギリス軍担当地域でもあり、邪魔者同然に帰国せざるを得なかった。だがさすがアメリカは違う。「同盟国」日本を、イギリスと違って、うるさいと邪険にはしない。こうしてアメリカの応援を受ける形で小泉内閣は山崎自民党幹事長を先頭にイラクへの自衛隊派兵の具体化を急ぎ始めた。これに対し小泉はサミットから帰国して態度を決めるといっているが、答えは聞くまでもない。
 このイラクへの自衛隊派兵をめぐっては、問題の出所が山崎であることが明白であり、そしていかにも名聞も大義もありそうもないが故に、自民党内からも保守新党からもとまどいの声が上がった。ところが肝心の民主党菅代表の口からは、慎重(前向き?)に検討したいというエール同然の応答が聞こえてきたのである。有事法制に続く菅民主党の、党内融和のため?の自民党政府への再度のにじり寄りの表れなのか、どうか。
 しかし、その前に問題のイラクの情勢およびパレスチナ情勢について検討してみなければならない。
 
 国防省から国務省へ―イラク直接軍政統治
 
 前号で私は、イラク戦争における米英の勝利は、しかしながら何事の解決でもなく、イラクはCIAが支援したバース党の反革命クーデター以前の状況、つまりは「振り出しに戻った」だけにすぎないと述べた。そして一月後の今日、そうした予測は日一日と正当性を増しているように見える。米英はイラクにおける何らかの形の暫定政府の樹立を断念したと発表した。イラク民衆の占領軍への抵抗はようやく激しさを見せ始めた。
 北部地方のクルド人問題は混乱を一層拡大しているようである。フセインにより強行された北部、キルクーク地帯でのアラブ化政策の強制力が取り払われた瞬間に、追放されていたクルド大衆がキルクーク一帯に帰還し始め、本来の所有地の返還を求め始めた。土地、家屋を無条件に没収されたクルド民族はまさに悲劇ではあるが、その土地を有償でフセインから払い下げられたアラブ民衆やアッシリア民族などの少数民族の立場も立てようがない。
 軍政府の樹立の公表は、とりわけ南部における多数派勢力であるシーア派からの強硬な反発を受けている。米英軍占領当局トップのブレマー行政官は一日、イラク各派による全国会議を中止させ、代わりに自ら選定する代表者を暫定統治の諮問機関とするとする方針を決定。二日には復興人道支援室(ORHA)を占領当局に統合すると発表した。それによると、(1)米英による省庁運営の補佐役としてイラク人代表者三〇人程度を選定し、「政治評議会」とする(2)別にイラク人代表者三〇〇人程度で「制憲議会」を設け、新憲法草案の策定を委ねる(3)これらを総合した「イラク暫定行政機構」を七月中旬までに発足させる―という。すなわち「暫定政権」は作らず、新憲法承認後に選挙で新政権が選ばれるまで米英がイラク統治を続けるわけだ。
 一日にこの方針を通告された各勢力は、従来の方針であれば七月に予定された三回目の全国会議を暫定政権へのステップと見なしていただけに、この会議中止の通告に怒り心頭。米英がこうした国内各勢力を切り捨て、自らのお手盛りの行政機構を作ることの最大の動機が、イラク民衆の押さえ込みにあることは明かだけに、イラク国民会議(INC)は三日、「米国に全国会議を中止させる権限はない」とし、米国抜きで全国会議を強行する考えを表明した。
 米占領軍は同じ一日、イラク戦争前から戦後復興計画策定にあたってきた国防省組織ORHAを「合同軍暫定当局(CPA、占領当局)に統合する」と発表。ORHAは消え、復興人道支援も含めたすべての占領政策がCPAに統合されることになった。CPAはフセイン政権崩壊後、イラクの政権機構を代行する期間として発足したものである。ブレマーは五月十三日にそのトップに任命された。国防省管轄から国務省管轄へと移行した結果である。
 六月三日にはバグダッドでINCの指導により数千人が反米英のデモを行った。米英軍に対して撤退を求めたもので、撤退しなければ暴力に直面することになると声明した。
 INCは一時アメリカの期待を担ったアハマド・チャラビが率いる組織だが、チャラビは国防省から国務省へ、すなわちブレマー米文民行政長官へと権限が移行する過程で、アメリカから切られたと自らを見なすようになり、対立はここ半月で決定的になった。チャラビの「汚れた手」への評価は行き渡っており、どこまで民衆の支持を得られているかを疑問視する向きが多い。またシーア派内部の権力抗争も激しさを増しており、暗殺事件も発生した。
 さらにブレマーとチャラビの決裂の背後には、国防省のネオ・コンと国務省のパウエル、その背後にいるベーカー元国務長官の対立がある。ネオ・コンの事前の構想は国外の反体制派を糾合する政権構想で、具体的にはイラク侵攻の前に大々的に演じられた国際的会合の形である。しかしこうしたネオ・コン派の構想には徹底的に国務省が抵抗し、国務省は国外勢力をイラク戦後復興には使用しないと突っ張ったのだ。同じく総司令官を務めたフランクスも国務省の「中道派」についた。ORHAに代わるCPAのトップにブレマーを任命したのはフランクスであった。フランクスはアフガン型戦争を狙ったネオ・コンに抵抗し、二五万人の大量投入でなければイラク侵攻はできないと態度を明らかにしたのだ。
 イラク人口の六〇%を占めるシーア派が政権多数を掌握していくことになるのは自然だが、当初アメリカ国防省を牛耳るネオ・コンが当てにしていた暫定政権構想、独裁打倒、民主政体の速やかな樹立というシナリオが崩壊したことを意味する。国務省は幾多の反体制派は堕落し、とうていその統治能力は信頼するに足りずとの見解を堅持したのだ。
 
 先の見えない泥沼の拡大―二〇世紀初頭とは異なった世界
 
 そのことは同時に、イラク反フセイン派に急速に支配体制を樹立させ(アフガンのように樹立したことにして)、それをもって次のシリアやイランへの侵攻作戦に移行する、という冒険的な急進的構想を、すでに影も形もなくならせたことをも意味する。ネオ・コンの目的は明らかにイスラエルの中東における強大化である。だがその冒険主義性はアラブ世界との、まさに「文明の衝突」に突き進まざるを得ない―と国務省とベーカーは理解したのだ。ベーカーの考え方は、彼の主催するシンクタンクの提出した報告書に見られる。アラブにはアメリカにとってはっきりと信頼できるいくつかの「大国」がある。その安全を保障し、中東における突出した軍事的脅威が生起すればそれを軍事力で解体し、押さえ込む、ということである。
 こうして国務省がイラクで選択した道は、アメリカが憲法を策定し、その成立の上で、選挙を行なわせる―これは一応は自らの政府が憲法を策定した形をとった日本モデルをもはるかに越えるものではあるが、パウエル派はGHQ型で長期にアメリカの支配権を確立する方策を選んだのだ。しかしそれに従順に応じるイラク人勢力が確固としたものとして生まれてくるだろうか。イラク民衆の本来有している革命的エネルギーの強さは歴史的に証明されている。
 他方では、すでに一部でアフガンをまねた王制復古の必要性が語られ始めている。アメリカ流民主主義の押し売りの目的と王政復古という選択肢はまさに矛盾としかいいようがなかろう。だがそれも日本型モデルに入ると国務省筋は言い張るのかもしれない。ヨルダン王室を押しつける構想もイスラエルは抱いているようだ。つまり、サウジ・アラビア、ヨルダン、イラクの旧王室は、すべて、マホメットの子孫と称する同一の王家なのだ。この広大な地域をフランスとイギリスはまさに恣意的に分割しただけなのである。
 そしてさらにクルド問題が解決しようもなく、かつサミットも解決できなかった国連と米英統治の関係が今後さらに問題を紛糾させていくことになる。
 エビアンサミットはイラク復興に関して、ただ聞こえのよい八方美人的な決議を上げたにすぎない。シラクは依然として終了直後の記者会見において、イラク侵攻は国際法に反すると言ってのけたのだ。その声明の八方美人性は、何よりも国連の役割を評価しているところに表れている。その時にすでにアメリカ軍はイラクを軍政におくことを実施していた。
 そしてブレアが議会の調査を避けられない情勢ともなっている。
 イギリス議会は、ブレアに「大量破壊兵器はあったのかなかったのか」を鋭く問いただす構えにある。ブレアが大量破壊兵器の存在を証明できない結果となったならば、ブレアの支持率はさらに急降下すると予想されている。アメリカにおいても、民主党のクシニッチ下院議員が米軍女性兵士リンチさんの捕虜救出劇の真偽を問う質問状を提出した。リンチさんがいた病院には兵士は一人もいず、病院関係者も何一つ抵抗しなかった、という証言があるのだ。
 まさにイラク情勢さらにイラクをめぐる情勢は、米英にとって、ネオ・コンであろうと、ベーカー・パウエルであろうと、そのいずれの路線をとってしても、先の見えない混沌を拡大していくだろう。
 以上が最新のイラクにおける直接軍政への強行移行の状況である。
 
 NATOの介入とパレスチナ
 
 NATO外相会議がエビアン・サミットと並行して開かれていた。NATO外相会議はすでに画定していたNATO活動の東方への無限的拡大の方針を追認し、その具体策として、第一にイラクへのポーランド軍の投入への全面支援を確認した。同時に外相会議では、折から急ピッチで進み始めたパレスチナとイスラエルとの間の「二つの国家の平和共存」へ向けての「ロードマップ」履行開始に伴い、いくつかの国がNATO部隊による平和維持軍を送り出すことも提案した。ブッシュは、エビアン・サミットを途中で放り出し、単独行動主義そのもので中東諸国との会談、そしてシャロンとアッバスとの三者会談を行い、前者からは反イスラエル闘争を含むテロ拒否宣言を引き出し、後者ではパレスチナ自治政府からの暴力停止の呼びかけと、二〇〇五年までのパレスチナ国家樹立を目指すロードマップ履行開始の合意を引き出した。
 これについて詳細に踏み込む余裕は今はないが、冒頭の話に戻れば、NATOという姿を通して、イラク侵略に反対したヨーロッパ諸国がイラク復興、そしてパレスチナ和平への具体的関わりを持つことをアメリカにある程度まで確認させた、ということである。アメリカにとって、独自の欧州軍設立構想への野望を隠さないフランスとドイツを牽制する手段はNATOの枠組みである。NATOが無制限に東へ進出するということは、その名前の「北大西洋条約機構」からは明らかな逸脱であるが、欧州軍構想を阻止するためにはアメリカは他に選択の余地がない。だがそのNATOが米英の単独行動であるイラクに関わるとなると問題は複雑なことになる。その上にNATOはアメリカがすべてを独占したいイスラエル・パレスチナ和平にもクチバシを鋏もうとしているのである。
 ブッシュは、とりあえずはパウエル路線で動いている形であるが、パレスチナ合意の枠組みは一見して極めてもろいものだ。最大の係争問題の一つである東パレスチナ帰属問題は取り上げられもせず、もう一つの入植地問題も内容の理解は両者で異なっている。シャロンはあくまでパレスチナの犠牲による和平、平和共存の成立という線を崩してはいない。彼の背後にいるシオニスト右派のカナンの地すべての占拠という圧力にシャロンは正面から抵抗することができていない。またする気もない。しかし入植地問題はブッシュからする絶対的条件である。シャロンは再びウルトラシーを使ってブッシュの圧力を逃れようとするだろうか。ここで言うウルトラシーとは、何らかの手段を使ってブッシュを大統領の座から引き下ろすことである。シオニスト右派はすでに和平を進めた労働党の首相を暗殺したことがある。アメリカのイスラエルコネクションとしてのユダヤ人勢力は政治的に強力である。このブッシュへの圧力を効果的に使おうとはするだろう。なにしろ大統領選は来年である。 
 他方、アッバスはアラファト排除を絶対条件とするアメリカとイスラエルの要求を受け入れることは、自らの基盤であるファタハとの距離を開き、首相就任の目を潰しかねない。さらに今までの幾度の和平合意が崩された最大の問題である入植地からの引き上げは、常に入植者のサボタージュによって結局は潰された。サボタージュを押さえ込むために必要なイスラエル当局による強権発動が効果を発揮しない場合、ハマスは遠慮なく活動を再開するだろう。ハマスの唯一の条件は入植地の完全撤退であるからだ。
 国連とロシア、EUを巻き込んだロード・マップ路線はネオ・コン路線の対極にある。こうしてイラク問題と同じく、パレスチナ和平問題も「中道派パウエル」の路線で進んでいるが、両者ともに極めて強引な手法を背景にし、とりわけ後者においては、アメリカはパレスチナのシオニスト右派と対決しなければ貫徹しない性格のものである。果たしてパウエルはやりきれるか。
 仮にNATOの平和維持軍が投入されるという事態になった場合、それは単なる兵力引き離しと監視ということではない。入植者の抵抗を実力を持って排除しなければならないのだ。ここでは統制されるべきはイスラエルである。シャロンである。このことに関しての国際社会の世論分裂はほぼ無いであろう。抵抗はシオニスト右派からだけである。
 
 民衆自身のアラブとは―マルクス主義の力強い復活を
 
 しかし今年に入って本紙は国際面を含め、集中的にイラク問題、パレスチナ問題を取り上げ、概観してきたが、踏み込めば踏み込むほどに、この地域が、オスマントルコ帝国解体後に英仏帝国主義によって恣意的に国境線が引かれた人工国家の集合体であるという特質に気づかざるを得ない。こうした人工国家の枠組みをそのままに維持して、中東問題は果たして「解決」することがあるのだろうか。欧米帝国主義がよってたかって中東世界の民主主義を押し潰した後には、アラブの専制独裁王国が残り、他方に反革命のボナパルティズム、バース党の独裁体制が残っただけである。そして今、原理主義的な汎イスラム主義に抗するイデオロギー的存在は、極めて少数の勢力に追い込まれた、何らかのマルクス主義者の運動である。マルクス主義は、東西冷戦の厳しい時期をくぐりぬけられなかった。強力だったイラク共産党運動も、クルディスタンの運動も、冷戦論理の中で解体された。つまりソ連スターリニズムは、共産主義者の闘争よりも、この地域のボナパリスト、ナセル主義者やバース党との結合を重視したのである。そしてさらに、パレスチナ解放民主戦線などに投影されたマルクス主義も、いまは軍事とテロリズムに傾斜した原理主義集団に呑み込まれてしまっている。
 だとすれば、軍事テロに傾斜した汎イスラム運動に抗する道は、極めて弱体な勢力に追い込まれてはいても、唯一マルクス主義運動の再構築にある。第四インターナショナルは、非宗教・民主主義の国家構築が前提だと主張する。そうした上で、アラブ民衆は王室の同一性による再統合ではなく、民衆自身の選択による地域的再統合を、あるいは再々編を展望できる。人工国家を維持するために軍事独裁を必要とするバース党のようなボナパルティズムもここでは完全に放逐されるだろう。同時に百年近くに及ぶオスマントルコ帝国解体以降の植民地支配の後遺症を取り除くことになるのである。
 
 イラク民衆とは無縁な「イラク復興支援新法」
 
 日本政府は以上のような混沌の最中にある中東地域に自衛隊を出したい一心で、新法を作ろうとしている。ネオ・コンの行動隊長ウォルフォウィッツ国防省副長官は、中東での出番が無くなった結果、北部朝鮮問題に乗り出し、ついでに日本政府にイラクへの自衛隊派兵の希望を伝えた。当然、ブレアと並んで、二つの「ポチ」帝国主義国家の片割れであることを目指している日本政府は、福田官房長官が期待に添いたい旨を回答した。
 だが、アメリカ軍の求めるイラク復興支援とは、実は「非戦闘地域での輸送・通信などの後方支援」であり、イラク民衆に直接に支援活動を行うこととは無関係な、アメリカ軍を手助けする役割なのだ。これがイラク復興支援新法の実態なのである。
 もちろん国防省に巣くうネオ・コンが国務省との争いに敗れている以上、イラク復興事業に口を挟める状態にはない。従ってウォルフォウィッツはリップサービス以上のことを述べたわけではない。日本政府が彼に言って欲しいことを述べたにすぎない。
 本当に必要なことは、まずはユニセフなどの行っている具体的な救援活動であり、そして全世界が真っ正面からイラク復興に力を注げるようにするための国際的枠組み、つまりはアメリカの軍政ではなく、当面は唯一の枠組みと言える国連を中心にしたイラク復興の人道支援の枠組みづくりに力を注ぐべきなのだ。こうしたことを棚に上げた新法など、一部国防族の利害には関わっていても、イラク民衆とはまったく無縁であり、同時に自衛隊を利用した火遊びであるにすぎない。
 人道支援、復興支援という言葉にだまされてはならない。米英軍の直接統治下におかれるイラク―国連に対しては形式以上はさせるつもりはない米英軍は、まずは何よりも肝心要の原油の国際取引の実権を掌握することに全力を上げるだろう。要するに、イラクの石油資源を事実上独占的に管理することこそが、アメリカ国務省の最大の目的といっていい。「イラクのものはイラクに」として米英軍政統治を批判する声のほとんどは、この原油を事実上米英が支配することに抵抗しているのだ。現に、OPEC総会は現在のイラクには政府を代表する人物がいないことを理由にイラクへの招請状は送付していない。
 日本のイラク復興支援新法は、その第一に、治安維持活動に当たる米英軍などへの「後方支援」と明記し、国連を中心にする枠組み形成を始めから対象としていない。法案はこれを「安全確保支援活動」と位置づける。第二は「人道・復旧・復興支援活動」で、イラク人への生活関連物資の輸送など、第三が「大量破壊兵器処理活動」で、大量破壊兵器が発見された場合、自衛隊がその化学処理活動を行うとされる。そして自衛隊の活動地域は「現に戦闘が行われておらず、活動期間を通じて戦闘行為が行われないと認められる地域」であり、武器・弾薬以外の補給、輸送、修理・整備、通信など。人道・復旧・復興支援は、食糧、医療、医薬品などの生活関連物資の配布や医療活動のほか、被災した施設・設備の復旧活動を上げる。
 このように見ると、大量破壊兵器云々は単なる添え物にすぎず、人道支援はすでに国連関連や赤十字が動いており、自衛隊が出てゆく必要はまったくない。唯一理屈がありそうなのが米英軍への後方支援なのである。国際社会の協調と米英軍の単独統治とは相矛盾する。そしてイラク人の米英単独統治への反発はますます高まっていく。その米英軍の後方支援に乗り出そうとしている日本―イラク新法は百害あって一利なしである。イラク新法を葬り去ろう。
(六月五日) 
 
 請う 夏期一時金カンパ
     国際主義労働者全国協議会(労働者の力社)

 
  第四インターナショナル第十五回世界大会
      ―反資本主義闘争の中心で―
   再出発、幕開け、結集、位置の再確認

        
フランソワ・ベルカマン
 
 今大会を概括しようとすれば、以下のように性格付け得るだろう。すなわち、反資本主義闘争の中心における、政治の再出発、幕開け、再結集、位置取りの確認、である。雰囲気は温かく、振る舞いは慎重で、論争は情熱的、そして決定に向かう姿勢には責任感があった。前大会(九五年七月)の約八年後に、敗北と募りつつある野蛮と対決しつつ、「確信を保持」してきた古い世代の意識の再結集があった。同時に、国際的運動の高揚の中ですでに鍛えられ、引継の準備ができている新しい世代が活発に参加していた。これらは、政治文書が討論に向けて提起した論点および、未来に全体として焦点を当てた投票との対比で、古い論争、偏向、そして分派的紛争を相対化し、そして新たな展望は広範な多数を持って採択された。
 
 反資本主義闘争の心臓部で
 

 FIの諸国組織および闘士は今、反資本主義闘争の中心部分に位置している。これは最近の事柄というわけではない。他の人々(しかし彼らは極めて少数だった)と共に、八九年―九一年の転換点から彼らは国際的キャンペーンを先導することに関わっていた。それらは当時は無視されたものの、シアトルやジェノバの動員、ポルト・アレグレやフィレンツェの社会フォーラム、そして帝国主義戦争に反対する民衆の世界規模の高揚に到達することになるものだった。
 われわれの潮流を、周辺化とセクト主義から「救い出した」ものは以下のものだった。解放に向けた典型的闘争の分野で「動き」つつあったものとの結合を果たすこと、(優勢な風潮に抗する)大衆運動を建設すること、統一のために闘うこと、最も先端的なイデオロギー論争に参入すること、がそれである。そしてこれらすべてはわれわれの伝統において、極めて豊かであった。
 それらに加え、われわれの諸組織内での、そして討論、最も異端的なものをも含むあらゆる種類の討論が可能であったインターナショナル内部での内的幕開けがあった。それ自身を押しつけるような大きなうねりがまったくない場合、古い世界が安泰であり、大衆を動員する新しい解放の期待が即座には見えない場合、もはや明らかなものは何もないが故に、その場合生き残るものは教条だけである(以下の新しい問題に関してわれわれ自身がどうであったのかを思い起こそう―ザパティスタ主義、ユーゴスラビアの恐るべき「民族問題」、民族抹殺と大虐殺に相対する「国際的諸制度」の役割、賃金労働者階級とその組織の構造的弱体化、「歴史の終焉」、その他)。このような状況において革命的マルクス主義者であると主張する組織にとっての選択は、極めて単純となる。一つは、外に向かって扉を開け放つこと、内部的弁証法を自由に進行させることだ(不均質性、迷い、分散という不可避的な一群の問題と共に)。あるいはもう一つは、理論と分析の「教条化」を通した論争の弾圧、「正しい」政治路線の強制、活動規律の強化、「無謬の指導性」の結晶化だ。この新自由主義的な反革命的期間からは、どのような革命的組織も無傷で脱することはできない。すべてが敗北を処理しなければならなかった。すべての者が内部的危機を逃れられなかった―不可避的に。そしてわれわれは、正しい選択を行ったと確信している。こうしてわれわれの前には、現実性と回答すべき諸問題がある。
 
 大衆運動の高揚、反資本主義勢力の再生
 
 主要な難しさは、現在の世界で現におきつつあるものを測定することだ。一五回大会は「九〇年代末は世界政治情勢における転換点を成す。新しい局面が幕を開け、それが、活動、綱領、戦略、そして労働者運動と社会運動の組織、これらの根底的復活を日程に載せた」(1)と言及した。われわれのインターナショナルは、資本主義的グローバライゼーション反対運動になろうとしていた動きの、確信の乏しい誕生を細心の注意を払って入念に調べ、さらに「反グローバル」運動、あるいは「諸運動の運動」を呼びかけてきたが、それはこれをわれわれの活動の中心に置く以前であった。こうして、シアトル以前に書かれた「抵抗」に関する文書は、われわれの闘士、われわれの諸国組織、そしてインターナショナルを「主体的要素」における変化に向けて、それなりに準備してきた。運動の発展を―セクト主義と傲慢さを排して―尊重しつつ、われわれがそこに存在し、その運動が建設される助けとならなければならない、そのように語ることには、われわれの隊列の中には最初から準満場一致があった。シアトル(九九年十二月)から、ポルト・アルグレ、ジェノバ、フィレンツェを鋏んで〇三年二月一五日の歴史的日付(戦争に反対する民衆の世界的高揚)に至るまで、そこから出現し、明確にし、自身を組織すべき多くの潜在的可能性が未だ残されている国際的社会運動の、全体的再建の動力、は未だ作動中だ。
 この新たな力強い動力は、三つの容易には弱まらない矛盾から刺激を受けている。第一に、帝国主義と大企業による野蛮な軍事的、経済的、反民主主義的攻撃は今、この新しい社会運動の形で彼らに対する障害知ることになった。そしてこの社会運動は、自身を打ち固めてきたのであり、三年間の内に、すべての資本家政府を圧力の下に置きつつ、反戦の「単一の世界戦線」を生み出すことができた。第二に、八五年―九五年の時期の敗北後に生まれた不利な力関係に帰因する賃金労働者運動の持続的弱さと上にみた運動との間に生まれた、解消されない、悩ましい同調の欠如がある。そして賃金労働者運動は、その闘争能力を非常にゆっくりと回復しつつあるにすぎない。最後に、未だ非常に弱体なままにとどまっている政治的に組織された反資本主義的代替勢力の傍らでの、二〇世紀を通して労働者と民衆の運動を支配した勢力(社会民主主義、ポスト・スターリニズム、社会ポピュリズム)の前例のない歴史的危機がある。除外されるべきではない激動的出来事(統制不能の効果を持つ戦争、世界経済の崩壊など)がなければわれわれには、「今もって労働者と民衆運動の多数を結集する〈社会新自由主義〉を打ち破る、また反資本主義、国際主義、環境主義、フェミニズムを基盤にした運動を(再び)築くという戦略的任務」がある。この闘争は、戦争への反対と新自由主義への反対という二つの問題をめぐるものである」(2)。
 労働者運動の現在の危機は、革命的マルクス主義組織の単なる強化によって解決できるものではない。何故ならば始まりつつある局面は、極度に少数派のままにとどまっている革命的左派の弱さをだけ特徴としているわけではないからだ。そこにはまた、大衆的規模における、社会主義意識、反雇用主の要求、戦闘的介入、労働組合組織、これらの劇的後退という特徴もあるのだ。その上主体的要素における断絶もまた、青年の巨大な急進化の一部としてその印を残している。後者は今、特に歴史がかつて経験した中で最大のデモをもって、すべてのレベルにわたるそれ自身の社会的経験を通じた一つの「政治的世代」を創出する過程にある。
 社会運動の大規模で全面的な刷新を予示するこの異質的一体は、ふさわしい計画を要求する。その計画は唯一、全反対勢力、急進的潮流すべての、新しい政治的構造(党、運動、提携、連合)における合流であろう。その構造は多元主義であると共に反資本主義、戦闘勢力であると共に討論の場、選挙態勢であると共に議会外運動、他のすべての政治勢力、改良主義者、社会自由主義と相対する社会運動の対話者であると共に、浄化の要素である。そのような構造の中で革命的マルクス主義者は、革命的綱領を備えた前衛的「革命党」に向かって可能な限り素早く通過するという隠された、あるいは公然とした目標を持つ「加入戦術」を実行しない。彼らは、この幅広い党の共同先導者、共同組織者、共同指導者である。それは、現代の闘争の経験を共有し、社会主義のために闘う能力のある大衆的反資本主義党に向かって共に前進するためだ。
 
 新しい大衆的インターナショナルのために
 

 FIは、活動と組織の三つのレベルに対応し、国際的レベルにおいてと同程度に国民的レベルで支えられた提案をまとめた。
1、グローバライゼーション反対の国際運動は、ある種の意識、闘争方法、綱領的提案、そして国際的構造を特徴とする。それは、そのまさに存在から、新しいインターナショナルの方向を示している。
それは、彼らの意識が国際主義に結びついている若者の間で当然の熱意をかき立てる。それは、この形の組織に組織されたことがある、あるいは今も組織されている人々に歴史的記憶を呼び起こす。
 「歴史上存在したインターナショナルの建設は、各時代で大規模な社会的、政治的発展に結びついた新しい任務と結びついていた。再組織化というこの新しい政治サイクルは、その最初から、新しい大衆的革命的反資本主義・反帝国主義のインターナショナルの問題を提起する」(3)、FIの任務と役割についての決議はこう語る。そして次のように十分に留意する。「われわれは、これらの新しい勢力からの重要な寄与のない、新たなインターナショナルの創出に向かう質的な踏みだしなど想像できない」(4)。しかしながら、「世界における大きな政治的出来事の衝撃の下における……明晰化と分化の過程」(5)が必要となる。
 この新たなインターナショナル、あるいは少なくともその建設に向かう道における最初の一歩は、現在の運動と動員から出現するだろう。それはその前にあったもののどれとも似ていないだろうし、確かにインターナショナルに基礎を置いた革命的マルクス主義党ではないだろう。それは、現在の歴史的に前例のない、資本主義の世界的で専制的な君臨に対する、大衆的「自然発生的」応答であるだろう。そしてそれを定着させるものは、その国際主義と直感的反資本主義であろうが、しかしまたあらゆる観点から見たその非常に大きな異質性でもあるだろう。それは確かにその五つの先代とは違うだろう。すなわち、一八四八年の共産主義者同盟、第一インターナショナル(一八六四―一八七六)、第二インターナショナル(一八八九―一九一四)、共産主義インターナショナル(「第三」、一九一九―一九四三)、第四インターナショナル(一九三八年創立)がそれらだ。
 
 運動の必要に沿った政治的明晰化
 

 われわれの目標は、世界的公正運動に政治組織を押しつけるために、その運動の中ですでに感じられている割れ目に沿った、短期的な政治組織的急襲を行うことではない。逆にわれわれは、その運動を建設し、独特の戦闘的運動としてそれを強化し、さまざまなレベルにおけるその潜在的可能性を現実化しなければならない。その可能性は、社会―政治運動として、討論と協力の空間として、いくつかの自律的キャンペーン(トービン税、第三世界債務取り消し、公共サービスの防衛、現代奴隷制反対)の支え手として、諸社会運動(労働組合、失業者、エコロジスト)の会合として、単一の世界戦線(反戦運動)として存在している。われわれは討論と論争を放棄しないし、もしそれが起きるならば政治闘争も放棄しない。
 というのもわれわれは、ただ運動内部にある戦術的かつ戦略的な意見の相違に言及できるにすぎないからだ。そしてこの後者は、この後者に自然発生的に結ばれているわけではない賃金労働者階級の自分たちだけの活動から生まれるわけではない。同様にそれは目下のところ、自然発生的に政治的形態へと至ることもない。それとは逆に、実際には非常に広く行き渡った、教化すらされた「反政治」がそこにはある。戦略的な意見の相違は、この二重の挑戦、運動が勝とうとするその意志の中で直面しているこの二重の耐え難い矛盾に委ねられている。「諸運動の運動」のもつ強い要求をいかにして体制に課すべきか。そしてそれを越えて、いかにして資本主義的グローバライゼーションを止め、それをもう一つの社会に代わらせるべきか。そのためには社会の中にある力が必要である。そしてその力は、他でもなく世界的規模における搾取され抑圧された大衆であり、その決定的中核は、アメリカとヨーロッパの帝国主義内部に配置されているのだ。
 われわれは、社会運動内にあり、戦略を提出する、大衆的性格をもった一つあるいはそれ以上の政治的構造を必要としている。社会的、経済的あるいは民主的な大きな要求のための終点にまで至るどのような闘争も、その実現のためには、国家のレベルである政治的―制度的レベルに不可避的に導く。これは言葉の確かな意味における政治である。そしてそれは、選挙上の問題、政府の政策、現存諸党との関係そして、この「他の可能な世界」へと至る一つの戦略に関して立場を定め、論争に入り込むことを伴う。政治は事実上どこにでもくまなく存在しているが、隠されているのだ。しかしそれは健康ではない。何故ならば、諸党は、それぞれの歴史、政治文化、綱領、戦術、社会、諸運動そして諸制度内へのそれらの差し込みをもって現実に存在しているからだ。
 大衆的規模での政治的明晰化は、三つの軸をめぐって明らかに進行中だ。その内の二つは、何百万という男女の生活、労働条件を直接に左右する。すなわち、戦争政策(武装した帝国主義)と新自由主義政策(反社会戦争)がそれだ。そして第三に、「新しい社会運動」、より一般的には大衆的解放を目的とする運動、これと政党の関係に触れる、運動それ自身内にある問題軸がある。それは二つの、しかし異なるレベルにある前線に関する明確化を伴う。つまり一方には、社会自由主義(新社民をヨーロッパではこのように呼ぶ―訳者)左派の覇権と抗争する政治闘争があり、同時に、急進的革命的左派内部での、セクト主義と「前衛主義」に反対する同志的政治討論がある。
2、ほぼ十年間FIは、社会自由主義左派の覇権を打ち破るために、広範な多元的反資本主義派の再結集を求め、他の非セクト主義的急進左派潮流と共同してきた。新しい反資本主義の政治潮流がもっと素早く、地域的あるいは大陸的結合を見いだすためには、論理的には資本の運動に対抗するという点だけで十分なはずだ。ラテンアメリカでは、今現在は力を落としているが、サン・パウロ・フォーラムが一例だった。最近になって、いくつかの諸国の反資本主義―反帝国主義潮流間で、集中過程を再起動させるため諸会議が開催された。ヨーロッパでは、〇〇年三月以降年二回(EUサミットに合わせて)、「ヨーロッパ反資本主義左翼」が会合してきた。そこに結集している代表的諸党と運動は、赤―緑連合(デンマーク)、左翼ブロック(ポルトガル)、LCR(フランス)、SSP(スコットランド)、社会主義連合(イングランド)、イギリスSWP、その他だ。最近PRC(共産主義再建党、伊)が、共産党の連合であるヨーロッパ統一左翼にとどまる一方で、先の会議に参加するようになった。アジアでは、DSP(民主社会主義党、オーストラリア)の働きかけの下で、急進的な反帝国主義諸党と社会運動の非常に幅広い連なりの形で、「アジア太平洋連帯会議」が二年ごとに会合している。
 これらは将来有望なものではあるが、未だその発展は弱々しい。そしていずれにしても、世界的レベルへと直接向かうにはあまりにも差が大きい。しかしそのことは、社会運動の発展との結合の中で、世界的会合を目指す試験的方策を除外するわけではない。
3、世界的公正を求める運動に関するわれわれの観点、および反資本主義勢力の結集に与えられた優先性を考慮しつつわれわれの大会は、短期的に新しい組織的構造に到達するものではない、なんらかの一致をさぐるために、革命的左翼潮流との討論、働きかけ、会議に向け道を開いた。
 われわれは、これら三つのレベルをもつ働きかけ(「諸運動の運動」と結びついた政治的明晰化、多元的反資本主義派の再結集、国際主義的革命左翼との対話)を、区別されたものではあるがそのすべてが新たな大衆的反資本主義インターナショナルに寄与する場であると考えている。
 
 再出発と位置の再確認
 
 十四大会から十五大会の間に、七年七ヶ月が過ぎ去った。そして社会のあらゆるレベルで、歴史的次元をもつ崩壊が起きた。
 われわれの組織は困難をかかえつつも上首尾をもって、八五年―九五年の「地獄への転落」および解放運動の近年の再生に対してきた。そのような過程がわれわれの思考と決定を活気づけてきた。こうしてわれわれの大会は、FIの再出発および政治―組織的な位置の再確認双方に向かって前進した。
 弱体化の長期過程の後では、われわれの組織を強化することが第一に必要となる。FIはインターナショナルとして今日存在している。思考と行動のためのこの集団的道具なしには政治はあり得ない。そしてFI組織強化の問題は、われわれの指導性の構造、同等性と公開性のある働きかけの仕掛け、われわれの教育的学校、研究集会、定期刊行物、これらの思慮に富んだ再構築に帰着する。これは二重の修正を含むものである。
 われわれ独自の組織的目標の画定、われわれ独自の機能的手順、党員の努力の統合と構造化、組織関係に関する、および政治の訓練、民衆に映る姿、宣伝と扇動、これらのものに関する弱さにわれわれは確かに、そして長期に悩まされてきた。この問題はもう一つの弱点に関係している。すなわち、「運動内でのわれわれの潜在的な影響力とわれわれの組織がもつ政治的、組織的強さの間には、重大な段差がある」(6)のだ。
 回答は単に社会主義に向けた宣伝(その種々の側面―戦略、過渡的な反資本主義要求、社会のひな形、搾取と抑圧の歴史、労働者運動―に関する)の問題にとどまるわけではない。
 回答は以下のことを示すことにある。すなわちFIは、「日々の活動の中で大衆的作業と諸運動を遂行するにあたって、特別の政治的機能を持っている」、ということだ。従って「これは特に、われわれの考えのためのより規則正しく持続的な宣伝、より首尾一貫した扇動、政治的かつ戦略的論争への関与、そしてこれらすべてを支える強化された組織体制を必要とする」(7)。
 
 われわれ自身の再定義
 

 問題は確かに組織的なものである。しかし問題はそれだけで済むわけではない。真の問題は、短期的、中期的に適用できる政治的目標を画定し、考える能力なのだ。それ故FIの再生はセクト的自己主張に至ることはなく、開放、対話、協力、一体的再結集の第一歩へと導く。「FIとしてのわれわれの原則的任務は、労働者と社会運動の世界的規模での広大な再組織化、われわれの考えでは大衆的影響力を持つ新しい国際主義的、多元的、革命的、戦闘的勢力から成る組織に貢献することにある」(8)。この主張は、FIが遂行できるかもしれないものについての重要な修正を示唆している。つまりそれは、「社会主義革命の世界党」(その創設時にFIが採択した目的)ではないし、そのような未来の党の中核ですらない。先の宣言とわれわれを隔てている六十五年は、革命的勢力結集の過程を刻印したものではなかった。むしろそれは、仲違い、分かれた道筋、そして分裂を印してきた。われわれは他の多くのものと並んだ一つのトロツキスト潮流であり、他の多くのものと並ぶ一つの革命的潮流である。巨大な戦闘的奮闘、正しい分析、そしてトロツキスト運動内部での上首尾の闘争を助けとして、FIが革命的過程の頂点へと運ばれる、そのような見通しを持つことができたかもしれない一時期は終わった。われわれは困難な歴史的一期間を、この過去を主張することは今なお可能だが、通過したと、さらに果たすべき重要な役割、大きな政治的責任をわれわれが持っていると考えることに満足している。しかしその役割は、他の急進的、非セクト的潮流、特に新しい諸党と新しいインターナショナルが引きつけるであろう新しい勢力との体系的協力を通したものであろう、そのようにわれわれは確信する。この位置の再確認は、われわれの一体的提案の中に反映されている。それはまた、われわれの規約の書き換えにも導いた。新たなインターナショナルの中で、FIは他と並んだ一つの潮流であるだろう。それは明確に一定の連続性を含むだろう。しかしそこにおける主要な特徴は、新しい綱領の上での再建である。その綱領の刷新は、新たな社会的、イデオロギー的配置に基づいて明白に遂行されるだろう。(インターナショナル・ビューポイント五月号)
注、筆者はFI国際執行委員会および執行ビューローの一員。
1、大会が採択した決議。表題は「新たな世界情勢」
2〜8、大会が採択した決議、表題は「FIの任務と役割」
*なお、大会が採択した決議全文は、日本革命的共産主義者同盟との共同翻訳、・編集の下で後日発行予定。

別記事 かこみ

 第四インターナショナル(FI)は、今初春ヨーロッパで十五回大会を開催した。四十ヶ国からの組織を代表する代議員、オブザーバーが討論し、世界政治情勢(これは、スターリニズムおよび資本主義のグローバライゼーションに対する抵抗のバランスシートをも含む)、FIの任務と役割、規約修正および前文、さらに二つの綱領的文書―「レスビアンおよびゲイの解放」、「エコロジーと社会主義」―からなる諸決議を採択した。大会は、少なくとも年一回会合し、その中から執行ビューローを選出することになる新しい指導機関、国際委員会を選出した。この二つの機関は、大きく刷新され、若返った。
 
  

 

 
 
 
 
 
 
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