2003年10月10日        労働者の力             第 163号

アメリカ一辺倒の小泉内閣を打倒しよう
社民党、共産党へ投票


川端康夫
 

 
 自民党総裁選において、小泉に対する挑戦は二つの方向からなされていた。一つは経済政策、二つは国際路線からするものである。新自由主義政策と自衛隊の海外派兵・参戦国化を進める小泉内閣は、同時に郵政や道路公団に象徴される最大派閥・橋本派の利権基盤を解体することをも目指してきた。したがって、小泉への対抗は経済政策においては需要喚起論を生み出し、軍事問題では軽武装論の立場、さらには外交的には対米一辺倒への抵抗が潜在し、そして最大の利権集団である橋本派からの抵抗を受けることになった。これらの対抗を代表したのが、橋本派の野中である。
 しかし野中の対抗プランは空中分解した。肝心の橋本派がまとまらず、さらに保守本流系統にあるはずの旧宮沢派系列も分解した。野中の政界引退という結末は、小泉の力というよりも、日本政治の背後にあるアメリカ帝国主義の圧力の大きさと、それに振り回される日本政界の矮小さをまさに印象づけた。そして総選挙が事実上告示されている。アメリカ帝国主義の言いなりと化した小泉内閣はもとより、同じく新自由主義の立場に立ち、かつその徹底化を宣言する民主党もまた民衆に敵対し、社会的上層を保護する。二大政党化現象という幻影に抗し、社民党、共産党を批判的に支持して闘わなければならない。
 
 二人目のポチ―小泉
 
 イギリスのブレアがブッシュの愛玩犬プードルと言われているが、小泉の勝利は二人目の愛玩犬の存在が、より明確化したことを意味する。いくつかの特徴点を拾ってみる。
 まず第一に竹中の位置はアメリカブルジョアジーの意向を国内政策に反映させることにある。その新自由主義政策の意味するところは、極論的に言えば、低下しつつある日本経済をさらに弱体化させること、それによってアメリカのお褒めを受けることにあるといって言い過ぎではない。竹中は休暇の度にアメリカ詣でをし、アメリカ財務当局に政策の理解を求め、承認され、そして国内においては対抗的政策提起に対して、「そういうことはアメリカが喜ばない」という答弁を露骨に行う。彼が最大にやりたがっているのは、銀行の「国有化」である。この「国有化」は、仮に国家が公共的機能を体現して私的資本に代わって金融業務を行うというのであれば、幾分かではあれ、積極的、前向きなものを認めることもできるのだが、竹中の意図はその正反対である。日本国籍の私的銀行を外国籍の銀行に転換するという中味すら含んで、すなわち外国資本に売り渡すために、銀行への査定を幾重にも厳重にする。「不良債権処理」は、デフレ下において年々増える不良債権化の圧力の下では、まさにいたちごっこなのであるが、彼、竹中は国際的にはIMFが行っている役割を国内において果たし、経営健全化の名の下に個別銀行を追いつめる。しかも「国有化」のためには三兆円の投入も辞さない大振る舞いをするのだ。そして同時に個別銀行における猛烈な「貸し渋り」を惹起しているのだ。もちろんここで言う「外国籍」とはアメリカ国籍に他ならない。そして貸し渋りはとりわけ中小企業の資金欠乏状態を激化させ、景気全体の悪化を促進する。竹中の位置はまさに日本経済の位置低下を望むアメリカブルジョアジーの先兵といって過言ではない。
 第二に、国際路線において、対テロ法やイラク侵略支持が示したものは、完全なアメリカ追随である。イラクにおける英米軍の窮地は、アメリカが国連安保理に「多国籍軍形成」の承認を求めているところに明確である。アメリカは、イラク占領の継続とそこでの支配の主導権を維持することを望んでいる。しかし、この方針は容易には国連に受け入れられない。さらに、イラク民衆の侵略と占領への抵抗はますます激しさを増し、アメリカの傀儡として成立している統治評議会の機能は事実上ゼロである。さらにアメリカは派兵国家の数を拡大するためにトルコ軍一万人のイラクへの派兵を求めた。イラク北部クルディスタン地域へのトルコ軍出兵という事態こそ、イラク人が最大に反発するものであり、とりわけクルド民衆にとっては恐怖の対象でさえある。統治評議会自身がトルコ軍を拒否する声明を発したのだ。
 また、占領行政、軍維持の費用も財政赤字に悩むアメリカ政府に追い打ちをかけている。すでに湾岸戦争を越えた政府支出に対して今後さらに五〇〇億ドルを越える支出が必要とされているのである。
 誰がこの費用を負担するのか、日本政府は五〇億ドル以上を支出する予定と言明している。英米軍の勝手な侵略の後始末を、自衛隊のイラク中南部地域への派兵、そして費用分担で行うという小泉内閣の方針は、まさに世界的に孤立し、窮地にあるアメリカのつっかい棒となることなのだ。
 こうして小泉内閣が進めようとする政策は、アメリカの世界的な軍事と経済、そして政治に無批判的に追随することによって、つまりアメリカの支持のもとで政権を維持するということに尽きるのである。
 ここまで述べてきたことは、もちろん事態の一面である。アメリカ支持の強化と金融資産(とりわけ郵貯・簡保資金)のリスクマネー化は、グローバリゼーションに方向を確定した日本の多国籍企業の要求でもあるからだ。彼らの成長展望は、「アメリカの強さ」に全面的に依存している。この限りで小泉は「ポチ」にならざるを得ない。またその限りで現時点では、日本大資本と歩を並べる者は、誰もが「ポチ」化する。
 
 公共サービスを売り渡す新自由主義政策
 
 三点目としての新自由主義政策の遂行という点で、総裁選は郵政と道路公団の私有化問題を浮上させた。
 しかし、国有資産、すなわち国民の資産を一部私的資本に切り売りすることの是非が問われたわけではない。小泉への反対派は、いずれも鮮明ではなかった。
 小泉による新自由主義の論理においては、国の資産があたかも国民から独立したものとされている。税金で蓄積された公的資産は、まさに国民共通の、国民共有の資産であり、公共サービスを維持することは税金徴収という作業の最大の目的のはずである。そうしたことを抜きにしては、税金を徴収すること、あるいは「国民の義務としての納税」そのものが拒否されなければならない。
 小泉は、問題を「官と民」に分け、「民にできるものは民に」、「官が民を邪魔してはならない」と言う。だがこの用語法そのものに詐術があるのだ。彼は「民」ということによって、「民」は国民であるかのように装う。しかしこの「民」は実は「私」でしかない。そうして小泉は、「官」とは国民からは独立した超越物のように言う。だが、これも実は、国民の総体が国の実態を構成しているのである。だから小泉の論理は国民資産を「私」に勝手に売り飛ばす、ということに他ならない。もちろん私は、ここでは国家の階級的性格ということはふれない。小泉の用語法を捉えて、その問題所在を指摘しているだけである。
 では小泉は売り飛ばして何をするのか、公共サービスを放棄し、私的資本の活動領域をひたすら拡大しようという。これは大ブルジョアジーの要求するところであるし、さらに言えば、日本市場への参入を狙うアメリカ資本の強く求めることに他ならないのだ。
 高速道路はそもそも建設費が償還された時点で無料化するはずであった。つまり国が維持する一般国道へ移行することである。その観点から言えば、この点だけを取れば、民主党が提起した無料化の方向性が正しい。小泉の場合は有料化のままに、その優良路線を私的資本に売り渡すということであり、本末転倒も甚だしい。
 道路公団問題は、田中角栄が生み出した方式の現存する代表的なものである。鉄建公団に並んで、税金ではなく財投資金を駆使した資金調達の方式は、同時にこうした公共的サービスが「有料」という形で国民から別の形の収奪を実現するところに最大の問題がある。道路は必要だとすれば、国費を投入すべきなのだ。民主党、マスメディアを含め、問題の核心は意図的に隠されている。厳然たる著しい不平等という社会的現実に対し、社会的費用を誰の負担で、誰に向けるのか、結論的なこの問題はまったく不問にされている。
 膨大な赤字に直面している財政において小泉や自民党からは、「防衛費」削減などの言葉が出てきた試しがあるだろうか。その反対である。ヘリ空母の導入などという大軍備化の道が堂々とまかり通っている。イラク支援の名目で、反テロ支援の名目で、巨大な支出も当然とされている。

 アメリカ追随かアメリカからの離脱か

 経済政策において小泉批判の急先鋒となってきたのは亀井静香であるが、彼の経済政策は単なる景気浮揚策であり、財政出動以外には何も言うべきものはなかった。この点に関しては同じく候補の名乗りを上げた高村も水準は変わらない。高村はケインズ主義の論理を中途半端に主張しただけである。旧宮沢派の系統の多数も含めて、アメリカの求める新自由主義政策への迎合の中で、亀井や高村の中途半端な論法では抵抗線を引くことはできない。
 アメリカ政府そして日本多国籍資本が要求する新自由主義のグローバリゼーションそのものへの対抗がないところでは、大幅な財政赤字を覚悟しても景気浮揚のための財政出動という、彼らなりの明確な結論は出しようがないのだ。直接的にはアメリカ(そしてIMF)が、自国以外に健全財政を要求するからである。そしてより本質的には、EUの財政赤字制限条項が示すように、多国籍資本が財政規律を厳しく要求する。そこには彼らの生命線である国際金融秩序の安定が賭けられている。
 外交路線、安保路線においては、野中の姿勢が際だって小泉と対抗するものだった。野中は古賀と共にテロ対策法に棄権したが、七月のイラク特措法にも棄権している。野中の反小泉の姿勢はこの間一貫しており、それはアメリカ一辺倒への抵抗からくるものだ。橋本派の特徴ともなってきていた親中国の姿勢がこうした小泉のなりふり構わぬアメリカ一辺倒、軍事的な突出、集団自衛権承認を含んだ日米同盟強化に対する抵抗感を生むのだろう。
 しかしそうした野中の姿勢が現実的な強さを打ち出すことはなかった。中国自身が対アメリカとの関係において、慎重さを崩していない。立候補者たちがこうした野中の姿勢に及ばなかったのは当然としても、問題はこうした点で小泉と対抗するということがなかったことである。つまり、アメリカの支持を支えにした小泉の政策に、正面から対抗するような視点は一つもなかったということこそ、自民党が陥っている政治的無内容の現実的表現があるのだ。そしてこの点で民主党も完全に同一である。
 アメリカからの離脱、すなわち日米同盟強化論に正面から対抗するのでなければ、小泉の論理を突破できない。野党陣営に求められていることはこうした事実である。それを自民党総裁選の内的力学が示したのだ。
 来るべき総選挙において、われわれはアメリカ追随と新自由主義路線に対抗する政治勢力の前進を勝ち取るために闘わなければならない。そのことは同時に、いわゆる二大政党論による政権交代を唱え、反自民なる論理で自らの新自由主義路線の本質を覆い隠す民主党の立場を暴露することでもある。現在の社民党、共産党が以上に述べた日本政治の核心的性格を正面から意識しているとはとうてい言えない。にもかかわらず、この二つの党は新自由主義の攻撃にさらされている労働者階級に足場を置く政党である事実は変わらない。そうして、唯一の市民派議員として活動し続けてきた川田悦子さんの闘いも忘れるべきではない。
 社民党、共産党に批判的に、そして川田さんには連帯の意志を持って、投票するように訴える。
(十月九日)  
 
  電通労組 新たな闘いへ 
10・17東京地裁に不当配転取消しを提訴!
                  
 
NTTの11万人リストラ攻撃!

 〇〇年八二〇〇億、〇一年七一八〇億、〇二年七一八〇億…この莫大な経常利益、海外投資失敗による約二兆円を特別損失で単年度処理できるNTTが進めている11万人大リストラ攻撃!
 NTTは、最大株主(NTT株四八%を所有)である小泉政権の「痛みを伴う構造改革」のもと、持株会社体制(NTT四分割)によって見せかけの赤字構造転落・経営危機をあおり、「企業利益の最大化」の為に労働者犠牲を推し進めました。
 
中高年労働者を狙い撃ち!

 五〇歳以上のNTT労働者をすべて退職させ、三〇%賃下げ・労働条件を切り下げアウトソーシング孫会社に再雇用するという「五〇歳定年制の実質的導入」は「中高年労働者の雇用・賃金の年齢差別」に他なりません。
 新たに作られた「業務委託会社である」孫会社は、NTTの儲からない部門を切り出し、業務委託料も年々引き下げ「五年くらい走らせて伸びる企業と整理する企業を見極める」(NTT宮津前社長)という五年でポイの働くものの夢も希望も、雇用さえ奪う会社なのです。
 NTTは「退職・再雇用」に応ずれば六〇歳定年後も「年金受給年齢までは雇用保障」するというが、その中味は一年単位の契約社員、低賃金と劣悪な労働条件、仕事に合わせた隔日勤務や、遠隔地勤務という厳しいもので「雇用保障」とは名ばかりです。
 すでに孫会社では、政策的な赤字構造のなかで成果主義賃金の徹底、手当削減、そして再雇用時の約束である「地元で今と同じ仕事」が反故にされ職種転換、広域配転が強制されてきています。
 
 理不尽な退職攻撃、抵抗し闘う労働者!   
 

 NTTリストラは「会社分割」「整理解雇」であり現行法では商法や労働法に違反する違法行為そのものです。
 NTTは、違法行為を隠蔽するために「本人同意」による「退職・再雇用の選択」であるという「法の抜け道」を最大限活用し、「退職に応じなければ今の仕事を奪い全国広域配転」という脅しと恫喝によって労働者を退職に追い込んできました。「仕事と家庭の両立」という社会的流れのなかで成立した「育児介護法」。しかし、NTTリストラは仕事を奪い、家庭生活を破壊することであり、「社会のルール」そのものを無視・破壊するものでしかありません。
 この攻撃が成功したのは労使一体の協議会体制をとるNTT内最大労組であるNTT労組の全面協力があった為です。
 「退職拒否」を貫く数多くの労働者が、会社の人権侵害攻撃、広域配転攻撃という「報復」に屈することなく全国各地で闘い抜いています。
 
 金儲けのためなら・・投げ捨てられる公共サービス!
 
 NTTは競争に勝ち抜くため利益の最大化を図ってきました。各地で多くの営業窓口は閉鎖され、「116」「113」等も集約に次ぐ集約と、要員不足の」なかでなかなかつながりません。更に、小泉構造改革攻撃によって「受益者の適性負担」「地域格差料金」の動き、利用者の声を無視し公衆電話の撤去が相次いでいます。
 また、NTTリストラは地域雇用や関連会社の労働者にも大きな影響と犠牲を強いています。NTTは、固定電話サービスについて新規の投資をうち切りました。これによってNTTの仕事を受注していた中小企業は経営危機を招き、そこで働く労働者への労働条件切り下げ・解雇などの攻撃が拡大しています。
 私たちは、NTTリストラ攻撃がNTT労働者のみならず関連企業の労働者、ライフラインとしての通信を利用する全ての人々に大きな影響を与え犠牲を強いる極めて社会的な問題として受け止めています。
 NTTは、NTT法で規制される「公益企業」であり雇用と公共サービスを守ることは社会的な責任です。企業の社会的責任も、二兆円の海外投資失敗という経営責任もとらないNTT経営陣の「経営姿勢」は社会的にも糾弾されなければなりません。
 
 NTTを社会的に包囲しよう!
 内と外からの共同の闘いでNTTリストラを打ち砕こう!

 
 NTTのリストラ計画が明らかになって以降、全国の労働現場で怒りの声が湧き上がるなかで、私たち電通労組はNTTリストラ反対!「計画の白紙撤回」を掲げ闘ってきました。
 NTTは削れるものは何でも削れとばかりに、特別手当、退職金制度を改悪し、諸手当も廃止してきた。そして一方では、社宅などの企業内福祉に振り向けられてきた金を大幅に削減し労働者負担を増加させてきた。更に、孫会社(アウトソーシング会社)では、「コスト競争力の強化」の名の下に「派遣労働者業務の社員化」によってこれまでNTTで働いてきた派遣労働者が解雇されようとしています。
 ここでも多数組合であるNTT労組は、積極的に会社施策を推進してきています。
 世界でも有数の企業NTTが、労働者の雇用・賃金・生活を守らないとすることを許すなら、他の企業経営者もNTTがやっていることとして同様の攻撃が拡大する事は明らかです。
 私たちは、NTTリストラ問題を、全労働者の問題、社会的な問題として捉え「NTTリストラは社会的不正義」であり、そうしたことを許す社会も「不正義」だと考えています。
 私たちは、労働者、民衆の社会的反撃で今の社会のあり方を変えていく闘いが必要であると考えNTTリストラ反対の闘いを、その中に位置づけ闘ってきました。
 職場でのストライキを含む熾烈な闘いはもとより、地域、全国でリストラの不当性を訴え、国会質問等でNTTリストラの違法・脱法性を問い、NTTを内外から包囲する闘いを全国の闘う仲間の支援を受けながら展開してきました。
 
 報復攻撃を許さず!不当配転取り消しを求め提訴!
 
 NTTは、NTTリストラ反対をかかげ「退職・再雇用」を拒否して闘ってきた私たちの闘いに対し、人権も無視した「報復人事」を行い、宮城七名山形一名の労働者に首都圏への広域配転と、更に横浜・東京の労働者にも不当な異種職種配転攻撃を行ってきました。
 これまで培ってきた仕事を奪い、広域配転によって労働者と切断し、隔離するために創った新たな職場に閉じ込めるという退職拒否者に対する攻撃は、今後雇用選択対象(五〇歳)になる労働者に「退職しなければああなる」という「見せしめ」のためだけでしかありません。
 電通労組は、九名の組合員への広域不当配転攻撃に対し、来る十月十七日、東京地裁に「不当配転取消し」を求め提訴します。今回の提訴が、退職を拒否し不当配転攻撃を受けながらも断固として頑張っている全国のNTT労働者への勇気と、今年度、雇用選択を迫られている全国の仲間(五〇歳労働者)に闘う希望を与えるものであることを確信しています。
 私たちは、闘いの旗を掲げながら全国のNTT労働者に「NTTリストラに反対し闘おう!」と訴え、結集を作り出すために闘います。
 戦争と経済のグローバル化が世界を席巻し、有事法制、イラク派兵問題など、戦争のできる国作りやリストラ・失業、医療・社会保障制度の改悪など労働者・国民の犠牲による小泉構造改革が激痛を伴って私たちに襲いかかっています。電通労組は、反グローバリズムの旗を掲げながら、反動と労働者・民衆に対する攻撃を深める小泉構造改革と対決する闘いの一翼としてNTTリストラ反対闘争を全力で闘い抜く決意です。
 電通労組に熱き連帯と、原告団に力強い支援をお願いします。(二〇〇三年一〇月)
(電通労組呼びかけを転載)

10/17NTT十一万リストラ粉砕集会

 十月十七日(金)午後六時三〇分
 全水道会館(JR水道橋東口)徒歩二分 

 

          講演会


T・K生の時代と「いま」
―東アジアの平和と共存への道― 


講師 池 明観
日時 二〇〇三年十月二十二日(水)午後六時
会場 日本教育会館(地下鉄神保町駅下車)
入場料 千円
主催 10・22実行委員会
連絡先 アクト新聞社/NPO労働者運動資料室/同時代社
 

 

  ブラジル
新しい危機の要素

              
<インプレコール・アメリカ・ラティナ>


 労働者党(PT)指導者、ルイズ・イナシオ・シルバ、ルーラの〇二年大統領選の勝利をもってブラジルは新たな政治的、歴史的段階に入った、このように語ることが決まり文句となった。ルーラ政権はまだ始まったばかりだ。しかしわれわれは、「新たな危機の諸要素」が上記段階の枠組み内で出現しつつある、とまさに今言うことができる。政府の経済政策は現在まで、非常に保守的な色合いを特徴としてきた(より高い財政黒字を得るための相当な課税強化、インフレ抑止策としての高利子率、中央銀行の自立保障、他)。ただしいくつかの分野では例外もある(国際貿易交渉、通信・エネルギー部門におけるいくつかの手段、農地改革枠組内において社会運動を結びつけて練られた働きかけ)。
 「新経済状況」とわれわれが名付けるものは、上記の保守的政治方向に対する反対の中に出現している。この反対は、以前の二〇年間にPTの軌道の中心部にあった社会的、政治的部門の内部に現れている。
 この増大しつつある反対は、党に緊密に結びついている大衆組織の諸個人と並んで、党の政治、社会、文化部門の個々の代表者が公表した宣言という形をとってきた。以下にこれらのとりあえずの概観を明らかにする。
 
 諸宣言
 
 大統領ルーラに宛てた〇三年五月一日づけの公開状という形で、四人の司教、芸術家、文芸批評家、人権活動家、フェミニストなど―そのすべてが過去二〇年に亘るPT建設に歴史的に結びついてきた―が、アメリカ自由貿易地域(FTAA)と中央銀行の自律に反対して登場した。
 〇三年五月二十九日、三〇名のPT下院議員が署名した宣言が公表された。この宣言は、中央銀行と財務省の超マネタリスト政策に異議を唱えている。この政策はこれまで、インフレとの闘いとの口実で国を景気後退と失業増大に投げ込んできたのだった。この宣言は、PT左派(社会主義的民主主義、社会主義者勢力、左翼的結集)と潮流に所属しない個々の活動家が共同して働きかけた成果だった。
 〇三年六月十日、ルーラとPTに歴史的に結びついてきた知識人署名の、年金改革に関する政府計画に反対する「警告宣言」が公表された。署名者たちは政府計画の撤回と健全な基礎に基づく討論の公開を要求した。〇三年六月十二日には、主にPTに結びついている何十人もの進歩的経済専門家が、現行政策の元になっている「経済政策モデルの反転」を要求する宣言を発表した。
 この声明書には特に、もっともよく知られたブラジルの経済専門家の何人かが署名した。彼らの内の多くは、八九年から〇二年にかけて、ルーラの選挙綱領の作成に協力し、あるいはNGOの市民研究所内で彼に助言してきた。
 
 PT系列大衆組織の働きかけ
 
 〇三年六月三〜七日のCUT(ブラジル最大の労働組合ナショナルセンター)第八回全国大会に集結した二七〇〇名の代議員は、年金改革政府提案に異議を唱えることに同意した。彼らの内の八〇%はPTと一体化し、さらに九〇%は政府を構成する諸党と一体化しているにもかかわらずだ。
 しかし改革の対案構想の内容と並んで、大会と社会におけるこの論争においては、使うべき戦術に関して意見の相違が見られた。結論的には、多数派潮流(労働組合結集、PT多数派に近い)の提出した決議が、代議員の約五三%を得て採択された。最後の瞬間までさまざまな潮流が、より大きな多数の支持を得る可能性のある提案をまとめようと試みた。しかしこれは、中でも年金に対する「最高限度」に関する相違の故に不可能だった。それ故、その中で社会主義的民主主義潮流支持者が活動している「社会主義と民主主義のCUT(CSD)」潮流は、対案の決議草案を防衛した。そしてこの決議案は、「階級的労働組合潮流」(その中で、ブラジル共産党―PCDB―支持者が活動)とPTの「マルクス主義潮流」によって支持された。
 しかしながら、大会が最終的に承認した決議は、政府計画に重大な変更を要求している(退職年齢、年金額、他の権利拡大)。
 六月十一日には、ブラジル全土から集結した三万人以上の労働者が、政府提案の年金改革に反対して首都ブラジリアをデモした。このデモは当初は、その指導部がPT多数派と結びついている「教育労働者全国連合」(CNTE、CUT傘下)によって呼びかけられた。しかしそれは、すべての公務部門労組とCUT大会によって支持された。そしてデモ参加者の大多数はPT支持者だった。したがって、CUT大会とこのデモ後には、PT議員団と他の連立左翼諸党議員団には、労組の観点を取り入れた形で政府案を修正するよう強力な圧力が残った。
 
 系統的反応
 

 ルーラ政府の政策に対するPTの歴史ある部分からのより系統的な反応を物語るこれらの諸見解は、上院議員、エロイザ・エレナ(社会主義的民主主義潮流メンバー。彼女は十五回世界大会のブラジル支部代議員であり、ミゲル・ロゼッタ入閣問題に関する白熱した討論の際、ブラジル支部の政治判断を情熱的に防衛した―訳者)がまとめた批判の多くの点に収れんしている。そしてこのことによって彼女は、党多数派からの統制処分で脅迫されることになった(この統制処分は、警告から党除名まで拡張されている)。エロイザは六月十一日のデモのスターだった。このデモに彼女は「三〇人の宣言」に署名した下院議員と共に参加したのだ。そしてこれらの下院議員の何人かは、CUTに緊密につながっているとはいえ、「多数派陣営」(ルーラとホセ・ディルシューの潮流。後者は大統領府秘書長であるが、その役割は他国での首相の機能に近い)に属している。また三人の下院議員は党指導部からすでに制裁を受けたか。あるいは処罰の脅しを受けている。
注。インプレコール・アメリカ・ラティナは、特にラテンアメリカ向けにスペイン語とポルトガル語で記事を発信する、第四インターナショナルの新しい電子版内部通報。(インターナショナル・ビューポイント九月号)
 

  第六回ヨーロッパ反資本主義左翼大会
       新しい闘いを前にした中間段階
                 フランソワ・ベルカマン

 ヨーロッパ反資本主義左翼(EACL)評議会を押し進めるにあたって、中心を占める一つの考えがある。それは、急進的な新しい政治勢力に向かう前進は巨大な息吹をもった社会・政治経験に結びついている、というものだ。イデオロギー論争とは異なるこれらのものは、再編と政治的収れん、力の蓄積、社会への根付き、さらにまた大衆と若者に訴えかける綱領の発展に導くことになるものだ。この観点から見た時、〇三年は確かに重大な年となった。そこには、その政治的衝撃が世界中で感じられることになった戦争があり、その後にはヨーロッパの数カ国で、共通の要求をめぐる労働者の目を見張る再動員が続いた。
 しかし逆説的なことだが、この強力で求心力ある動力は、今回の中間段階においては未だ、分析上のまた戦術上の結論を容易にし強化するものを生み出してはいない。またそれは、政治的で組織的な強固な弾みを生み出してはいない。テッサロニカ(EUサミットの開催地―訳者)の新たな動員に対する序章であるアテネでの会合は、影響全体を把握するにはあまりにも早すぎた。
 
 戦後の反戦運動
 
 問題を考える出発点は、疑問の余地なく、強力な国際的反戦運動の役割だった。ヨーロッパにおけるこの運動の発進点は、フィレンツェのヨーロッパ社会フォーラム(ESF)だった―素晴らしい討論が生み出した政治的強さと百万の強力なデモ―。全体を引っ張った力は完全に急進的勢力から生まれた―政治的にも社会的にも―。他の諸勢力―社会民主主義諸勢力から法皇に至るまで―が合流することになったその主導性は依然として、かの急進的諸勢力の名の下にある。これらの諸勢力はいくつかの諸国で、特にイタリアとスペインで、この幅広い統一戦線の頂点で紛れもない決定的影響力を働かせた。あるいはそれ故イギリスでは、これらの勢力がブレア政権を困難に追い込み、労働党をぐらつかせた。フランス、ドイツ、ベルギーのような諸国においてすら、ブッシュ―ブレア枢軸に反対した政府は、「神聖同盟」を創出することにも、街頭や市街の占拠を止めさせることにも成功しなかった。
 しかしながら、この好ましい評価は以下の三つの事実によって相殺される。第一に、最大限に条件に恵まれていながら運動は戦争を止められなかった。そこには、底辺からの運動、大国間矛盾、「中立的」国際諸制度のマヒ状況そして、アメリカ帝国主義のイデオロギー的、実際的孤立があったのだ。頓挫というこの要素は、大衆内部にある程度混乱した感情を生み出した(勝ったのは誰か、誰が最強なのか)。(ほとんど)闘うことなくイラク軍が破れたことは、「止めようのない力」とのこの印象に油を注いだ。北部朝鮮、シリア、イランに対する脅迫とパレスチナにおける彼の行動によってブッシュは、上記の大衆的印象を強めようとしている。
 第二に、戦争中に非常に明らかとなり、かつ少なからず驚かされるほどであった、大西洋ブロック内部の矛盾がある。そしてそれは消え去ってはいない。この諸矛盾はこれ以降、ヨーロッパ社会に痕跡を残すだろう。
 第三に、この巨大な反戦の波は直近の国民的選挙において、運動を率いた諸党を利するという点で、明確だったわけではない。特にそれは、運動が最強だったイタリアとスペインに当てはまる。この運動の党であったイタリアのPRC(共産主義再建党―訳者)は、この党の演じた非常に重要で目に見える役割の果実を収穫することはなかった。イタリア左翼全体として(得票率において)前進したとはいえ、ベルルスコーニが真に罰を受けるということはなかった。スペインではアズナール(首相―訳者)の得票は持ちこたえた。すなわち、統一左翼(IU、スペイン共産党を核とする左翼―訳者)は予測されていた崩壊を回避して僅かに前進したけれども、PSOE(スペイン社会労働党―訳者)は右派の有権者にほとんど食い込まなかった、ということだ。
 これら三点は論争を提起する。そしてその論争が自動的に一致に至る、ということはないだろう。
 
 EUの仕掛ける攻勢
 
 しかしヨーロッパ政治情勢に確実にのしかかることになるものは、EUによる―〇三年九月から〇四年六月に至る―長期の攻勢である。それは、超国民的な国家を生み出し、十分な民衆的正統性を勝ち取りうる新たな段階にEUを到達させようとするものだ。作戦の真の性格は明確となるだろう。それは、反民主的、反社会的、かつ軍国主義的となる。しかしそのことは、論争もまた明確となる、ということを意味はしない。
 そこには二つの理由がある。ヨーロッパ資本主義の調整と安定性に関わるあらゆる機構に影響を及ぼすこのように原理的な選択の前では、保守的で合法主義的な観念からなるあらゆるやり方が争闘の舞台に入り込むだろう。憲法草案に承諾を与えるよう加わる圧力は巨大なものであるはずだ。選択は、諸政党と諸個人の経歴の将来に影響を及ぼすだろう。ヨーロッパ統一の始まり以来流行となった詐術のすべてが再現するだろう。すなわちそれは、「より小さな悪」、将来文言を修正する可能性、「どちらかに決めるべき」との議論、投じた票が民族主義右翼―極右と混じり合うという恐れ、アメリカと対抗するために共にたち、破局となりかねないヨーロッパの危機を回避すること、その他だ。ヨーロッパ社会民主主義がそれらの攻勢と歩を並べることには疑いがない。事実上それは、「諮問会議」(一年以上の間、憲法草案を準備してきた)の中での協力を通してすでに起きている。
 ESFに参加した勢力を含み、そこにも及ぶいくつかの共産党においてすら、憲法賛成投票を支持する立場―もちろん「批判的」に―が強まる可能性はある。他方において、民族主義的左翼(ギリシャ、ポルトガルの共産党、フランスのシュベヌマン派、小さな毛派のまたスターリニスト党の大衆)もまた、民族的主権(そしてこのようにしてブルジョア国家)の名の下にEUを拒否しつつ立ち現れるだろう。
 政治的明瞭化を達成する道は複雑な過程だろう。最初はそれは、明瞭さよりはむしろ混乱を生み出すだろう。ヨーロッパの反資本主義左翼は、EUに断固として反対であると共に、もう一つのヨーロッパを支持する断固とした親ヨーロッパであるという試練に直面する。「民族的左翼」との対立はむしろ単純であり、実際は漫画的であるが故に、親EU「左派」との論争はまったくより困難なものだろう。なぜならば、この論争はイデオロギー的抽象性がより少なく、より明確に政治的となるからだ。つまり、民族主義的撤退に反対して、もう一つのヨーロッパに対する全般的展望とその輪郭を深めるだけでは十分とはならないのだ。
 EUが作成し統制する調整と基準は、ヨーロッパの市民の日常生活にますます干渉している。直接的にも間接的にも、それらは階級闘争の具体的条件にますます影響を与えている。部分的要求の「ヨーロッパ単位の」作成、国家機構のヨーロッパにおける包摂、全ヨーロッパ的政治展望、ヨーロッパ単位の労働者運動と社会運動、これらのものなしには、ますます数を増す戦闘的層とますます懸念を深めている人々を、われわれの対案に獲得することにはならないだろう。
 EUに代表される、ブルジョアジーの帝国主義国家創設の深まりと加速は、反資本主義左翼の諸組織に対して、一つの好機を提供している。
 
 雇用側の攻勢と労働者の対抗攻勢
 
 予測できたことだが、ヨーロッパの諸政府が社会的戦線での攻勢に進んだ時点では、イラクの戦争はほとんど終結していなかった。それはとくに、反アメリカ主義に乗って人気を高めた諸政府に当てはまる。リスボンEUサミット(〇〇年三月)以来、彼らは戦略を保持し、年金攻撃への青信号(〇二年三月のバルセロナサミット)に合意していた。雇用側のヨーロッパレベルの同調水準は著しい。
 しかし今回は、労働者階級の反応もまた同調した。オーストリア、ドイツ、フランス(さらに次いでポルトガル、スペイン、イタリア、イギリスが、部分的だが強硬な闘争をもって)は、ゼネラルストライキで揺さぶられた。
 労働者階級は再度、政治的光景の前線を占めた。この戦闘はブルジョアジーを驚かせることとなった。彼らは、労働者と左翼の世界の「消失」に関する彼ら独特のイデオロギーを信じ始めていたのだった。法則は再び据えられた―諸条件が正しく出会うならば、労働者は強力に、そして巨大な数で偉大な精神のこもった闘争に取りかかる―。過去の敗北が疲労と悲観主義の痕跡をたとえ残していてもそれですら、新自由主義は依然まったく大衆的に不人気なままであることを、この闘争は証明した。ストライキは、人々の間で今も強力な正統性を保持している。それはメディアの病的な興奮にあえて反撃するまでもなく、だ。
 それ以上に、〇一年春のイタリア金属労働者の闘争が示し、フランスにおける教師の直近のストライキが確証したように、新たな戦闘的世代が誕生しつつある。この現象は次いで、労働組合運動再活性化および諸勢力の階級間関係と同じほどの重みをもつイデオロギー的環境の分野において、非常に重要な変化に帰着する。
 それにもかかわらず、この再生は今も矛盾に満ちている。それは未だ始まりにすぎない。それは、右翼政府と嬰児の締め殺しを狙う雇用側の野蛮に直接脅かされている。
 現在の活動水準は、始まりのサイクルにあったこれまでよりも高い。オーストリアは戦争以降で最大のゼネスト(二十四時間)状況になった(総計三百万の労働者のうち百万人が参加!)。イタリアではほとんどこの二年間、ストライキの活力が存在してきた。何百万という労働者がいくつかの機会をとらえて、政治的要求(戦争)、自分たち自身の要求双方のために街頭を占拠した。フランスでは、街頭に進出した何百万もの労働者という形で、至近の「静かに広がるゼネスト」が、行動日の印象深い連続、六八年五月以来最大のストライキ運動を迎え入れた。
 他方でこの巨大な活力も勝利するには十分ではない。オーストリアでは右翼政府が、一時的に後退した。半ファッシスト党のFPOEを含む政権にとっては、労働組合官僚機構の権力を攻撃することは困難だ。労働者の反攻が頑強であるフランスとイタリアではしかし、ベルルスコーニとシラク―ラファランの両政権は、譲歩しようとはしていない。反対に彼らは秋に、二〇世紀を通じて労働者が築き上げてきた獲得物に対する反社会的攻撃を遂行しようとしている。その目標は明確だ。すなわち、労働組合の弱体化、労働者の志気の弱体化、競争強化だ。EUに支援され、ヨーロッパブルジョアジーが急いでいる、という信号が出ている。それ故シュレーダーの赤緑政府は、全戦線(年金、保健、雇用と解雇の条件、失業給付その他)での攻撃に乗り出した。そしてこの攻撃は、ドイツ労働組合運動に第二次世界大戦以降最大の危機を引き起こしている。確かにドイツは、ヨーロッパ新自由主義の予定表において「立ち後れ」てきていた。
 こうしてわれわれは、再動員という今回においても、労働者と労働組合運動の結集力に及ぼした過去二〇年の敗北の影響を感じることができる。
 われわれは、社会的抵抗を再建し、活力ある民主的な労働組合運動を再組織する必要がある。雇用側と労働者の対立に生じるこの激化に対して、世界的公正のための運動、とくにESFと各国社会フォーラムの貢献がどのようなものであるかを、われわれは来る数ヶ月に知るだろう。
 
 社会民主主義の悲惨な返り咲き
 
 社会的権利の共通基盤の破壊と労働組合運動のもつ重みの縮小というこの逆行において、社会民主主義はこれまで積極的かつ芳しくない役割を演じてきた。そして社会民主主義は自ら、新自由主義政策に熱を上げて支持を与えたことと引き替えに、高い代償を支払った。すなわち、その議会基盤を荒廃させたのだ。しかし、「古典的な」綱領(ケインズ主義、公共サービス、社会保障、生活水準)への回帰が完全に排除されているからといって、その政府への返り咲きまで排除されているわけではない。
 これは実に思うに任せない状況だ。しかし、真の左翼政治勢力が不在である状況では、右翼のたたき出しの意味することは、代わりとなる綱領のどのような痕跡も欠いた、新自由主義左派の回帰である。つまり、イタリアのオリーブの木と左翼民主党(DS)、スペインでのPSOE、そしてフランスでのフランス社会党(PS)の回帰だ。あらゆる観点から見てそれはうっとおしい光景だ。何よりもそれは、その前任者とほとんど違いのない新自由主義政策という結果になるからだ。その時この新自由主義左派は議会多数派を形成するために、おそらくイタリアで(PRC)、スペインで(IU)、フランスで(PCFと緑の党)、政治的支持を必要とするだろう。社会民主主義の貧弱さは、いくつかの共産党内の嘆かわしい混乱につながる可能性がある。すでにドイツの民主社会主義党(PDS)は、ベルリン市とメックレンブルグ・フォルポメルン州の政府内のSPD連立相手として、最終的な連邦政府内での働きを疑いなく期待して、酷い緊縮政策を採用することになった。多元的左翼政府(フランスの前、社、共、緑政府―訳者)の後においても明らかに、フランス共産党(PCF)の惨状はPCF内部ですら理解されていない。
 
 中間段階、そして新しい闘い
 
 今日の状況は矛盾に満ちている。世界的尺度における政治的、社会的領域に関する大衆の歴史的介入の巨大さと、現段階でそれが未だ制度的構造と政治、社会組織に強く影響を及ぼすに至っていないという事実、この両者間には明らかな段差がある。
 伝統的な官僚機構(労働組合および政党)は、前例のない後退を経験し、大運動での独占支配と政治主導権を、国際的レベルを含み、失った。
 しかしわれわれは、代替勢力としての始まりの位置にいるにすぎない。
 世界的公正を求める運動の高揚は、真に歴史的な出来事、解放を追求する新しい精神、個々から発する活動、そして希望を通しめざましく創造を遂行しつつ、二〇年に亘る(八〇年―九九年)深い退却の傾向をひっくり返した。この運動は非常な正統性を得ているが、しかし未だ深く根を張ってはいない。新しい社会運動は労働者運動(とくに労働組合運動)を活気づけ鼓舞したとはいえ、それは後者を目覚めさせる助けになったにすぎず、その活動家構造を強化する助けにまではなっていない。労働組合運動は、国民に依拠しつつ前の時期に対比すれば強力で重要な戦闘を率いた。しかしこれは未だ、特に職場においては、労働組合思想の真の再生という点では始まりにすぎないようにみえる。世界的公正を求める運動に直接端を発する反戦運動は、社会と大きな伝統的大衆組織に与えた衝撃という点で非常なものだった。しかし、この極めて政治的な事実も、もっとも「平和主義の」諸国においてすら、二義的な役割を演じただけだった。「新」組織は、その組織人員の分野で重要な強化を達成したわけではなかった。
 もっとも重要な立ち遅れは明らかに、社会的活動と政治的関与(選挙および政党)の間にある遅れだ。このずれは、説明可能で一時的とはいえ、しかし現実のものである。この観点からいえばここには、何千という青年が革命的諸党に自己を組織した、六八年五月と共通するものは何もない。それ故この事実は現在のところ、社会民主主義左派に対する、代替的「新」勢力(社会的、政治的)の相対的弱さを意味する。
 ヨーロッパの反資本主義左翼にとっては、二つの事柄が問題となっている。それは、社会的戦闘に従事することと、主要な選挙闘争に参入することだ。この左翼は固い信念と多くの戦術的諸経験を持っている。そしてこれらのものは、この左翼が幕を開けつつある段階に寄与することを可能とするはずだ。
 この新しい状況は、諸共産党に対しても問題を提起する。代替的左翼の弱さ、極度に反民主的な選挙制度、さらに「右翼をうち負かすこと」の困難を前提として、ある種の戦術的術策が正当化される可能性がある。危険性は、術策から政治的婚約にまで至ることだ。かってよりも深く新自由主義にはまりこんだ社会民主主義と共に政府に参加することは、急進主義のサイクルの終わりを意味し、党をぼろぼろの状態に取り残すだろう。フランス共産党の悲しむべき経験を、誰であれ忘れるべきではない。
 このアテネ会議でEACLは、EUが使用する用語法に従うならば、「反資本主義左翼のヨーロッパ党」を示す特別の潮流(歴史、伝統、政治的同調性をもった)として打って出る決断を行った。これは重大な踏み出しであり、間に合わせのものではない。各国において、またヨーロッパの大陸レベルで、急進的で多元的、かつ民衆を代表しセクト主義を排した勢力の最大限を再結集する方向に前進するための、これは全ヨーロッパ的訴えだ。
 しかしわれわれはそのような布陣の起動を、〇四年六月のEU議会選挙における政治闘争に合わせるわけではない。われわれは同時に、社会自由主義の諸政策と闘い、幅広く統一した社会的諸勢力との討論が可能な選挙ブロックを作り上げるために行動する。


注。EACL評議会には、民主的な社会主義社会という目標と並んで、明確な反資本主義、国際主義、反人種主義、フェミニズムの方向を共有する諸党、運動、連合が参加している。
 

 
 
 
 
 
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