2003年11月10日        労働者の力             第 164号

衆議院選挙―小泉自民党の後退と菅民主党の躍進
保守二党による権力独占を突破する展望を


川端康夫
 

 
 
 十一月九日投票の衆院議員選挙は小泉自民党が議席を減らし、同時に比例区部分では民主党が自民党を上回り、民主党の躍進の原動力となった。保守新党は議席を減らし、自民党に合流し、社民、共産もある程度予測のうちとはいえ、それぞれ九議席と六議席に落ち込み、小選挙区で敗北した社民党の土井党首は辞任するに至った。自公連立内閣は院内の安定多数を確保したが、選挙に示された自民党の組織的衰退の姿は、この党がさらに一層公明党・創価学会の組織票に依存した選挙を行なわざるを得なくなるであろうことを示した。二大政党制への接近と評される今回の衆院選挙は、小選挙区制度における投票率の極度の低下現象とあわせて、社会的上層の権力独占・たらい回しの構造が日本においても現象し始めたことを意味する。政治から疎外される層の政治への動員は、この保守二大政党構造を突破する新しい、公正・平等の社会にむけた闘いを切り開いていくところにのみ、期待できる。
 
小泉―凋落の始まり
 
 安定した内閣支持率、公明党の全面的な支援、小泉はこの総選挙に相当の自信を持って臨んだ。目標は自民党の単独過半数獲得と自信満々に述べた時には、小泉は先の総裁選で宿敵野中を引退に追い込み、今回の比例区公認で、中曽根を無念の引退に追いやり、そして幹事長に阿部晋三を起用し、右翼メディアのいうところの「小泉王朝」時代を切り開らくことになんら疑いを持っていなかったであろう。
 しかし、小泉自民党は比例において民主党に敗れ、議席総数も選挙前よりも十議席下回り、単独過半数には届かなかった。
 各種のマスコミ論評では、イラク派兵問題に示される説明責任を欠いたアジテーションの空虚さの底が割れた、あるいは長年の経済停滞によって痛めつけられた旧来の自民党支持層の空洞化が進行した、とかが指摘されているが、この二つ共に本当だろう。そして結果として、無党派層の過半以上が民主党に投じたという決定的な現象は、小泉が登場した三年半前、無党派層が小泉に相当に動いたという場面が暗転したという、これまた決定的な事実を示した。空虚な絶叫が意味をもたなくなれば、小泉の役割もない。今回選挙で、小泉の凋落の運命が刻み込まれたのだ。
 ある自民党内の反主流派の人物は、敗北であり党内政変の余裕はないが、同時に(党内政変のためには)敗北が小さすぎたと述べている。この「小さい敗北」を支えたのは公明党の支援であった。自公連立内閣を構成するこの両党の間には、年金問題などの係争問題に、何一つの共通性もなかった。したがって、両党の選挙協力、連立はまさに「野合」に他ならない。
 振り返れば、自民党の弱体化はこの統一地方選挙ですでに明らかだったのである。各種首長選挙、とりわけ、北海道と徳島で、自民党は最終盤における公明票の投入によって辛うじて滑り込んだのだ。とにかくも勝利ということで覆い隠された小泉自民党の翳りが今回、より明らかに示されたのである。
 来年は参議院選挙である。参議院選挙には公明党は独自の闘いを全力で行うことになる。その時に小泉の自民党はいかなる局面を迎えることになるだろうか。「小泉王朝」は極めて短命であるかもしれないのである。
 
木に竹を接ぐ民主党 
 
 小泉から離れ始めた無党派層が民主党を押し上げた。事実としてはこうである。二大政党論というよりも、反、非自民の流れが再び回復軌道に乗った、と評すべきであろう。しかし結果が物を言う。選挙後では二大政党体制を期待する層が六九%という読売新聞の調査結果が出ている。しかしその中味を詳細に見ると、政権交代を現実性として認識している比率は相当に低い。相変わらず、自民党に大勝させたくないという感覚の範囲と言うことができる。
 民主党はマニフェスト選挙を闘い、田中長野県知事を含んだ閣僚予定名簿を公表するなど、あの手この手の選挙活動を行った。自由党との「合併効果」もあり、出口調査の段階では二百議席以上も期待できるとの声も飛んだ。そうした「政局問題になる」幻想はすぐにしぼんだが、一七七議席は一応躍進としていいだろう。
 連合は総力を挙げて民主党への支援を行った。反創価学会の一部の宗教団体も民主党支持にまわった。マスコミの二大政党あおりもそれなりの効果を民主党にもたらしたであろう。
 しかし新民主党は菅と小沢という「木に竹を接いだ」ものである。その内的矛盾は別に探そうとしなくとも明らかである。安定的な党体制はとうてい、期待できない。そうとなれば、民主党は今回の一発の勝負ということに賭けるしかなかったともいえる。時間が経過するほどに、民主党の内的きしみは拡大するであろうし、不安定な迷走が以前の鳩山時代のようにぶり返すことになるかもしれないのである。
 要するに、今回の選挙結果が、今後の政治の基軸、すなわち自公vs民主、という構造のもとでの二大政党体制を安定し、確定した、とはとうていいえない。小泉の自民党も、菅と小沢の民主党も、その政策の核心的なところでの不協和音が依然として鳴り響いている。政治の迷走、あるいは漂流は、その本質において依然として明確に持続しているのである。
 
小選挙区並立制の陥穽―低投票率

 別表に見るように、小選挙区制度に入ってからの投票率の低下は甚大である。自己の投票行為の結果の実現性ということを考えた時、勝者一人の小選挙区は選択の幅を狭め、したがって投票行為への引力も減少する。制度的に大政党有利を保障するものだから、民意の多様性はまさに制度として無視される。こうして人為的に誘導される低投票率の結果は、社会的な相当多くの層が政治的に排除されることを前提とした社会的上層の政権構造となる。アメリカを端的な例として、論理ではなく普遍的現実は投票行為が社会的上層に偏ることを示しているのだ。
 以前の時期、すなわち五五年体制といわれた頃は、保守勢力は投票率の向上に力を注いだ。つまり、組織票を持つ社会党、共産党に対して「草の根保守票」を掘り起こさなければ自民党は勝利が難しい、という構造があったからである。
 しかしそれ以降、いわゆる無党派層がまさに層として登場してくるに従い、かつその層が概ね反、非自民党色を示すことが多くなるに連れて、政権与党である保守勢力はむしろ低投票率を好むようになってきた。前回、森前首相は「有権者が寝てくれれば…」と公然と語った。そこには社会党総評構造といわれた野党陣営の組織票構造が解体したこともある。
 現在の政権党は投票率上昇には魅力を示さず、さらに無所属候補や小政党候補の選挙への参画を押しとどめる政策を制度として採用することにより、選挙戦そのものの単調化をも演出してきている。
 こうした方法は、小選挙区制度の現行のあり方をさらに比例部分を削減縮小することを通じて改悪する動きで加速されようとしている。これは民主党もまた同じ発想に陥っている。民主党のこの発想にこそ、この方式の制度の特質が示されている。というのも、今回の選挙結果では、民主党は「あと五%投票率が上がれば」、政局問題に持ち込めただろうと自らも認めている。民主党の躍進の原動力は、非組織票である無党派層の支持にあったからである。にもかかわらず、民主党は少数派勢力の撲滅を目指して、小選挙区制度のさらなる純化を求めているのである。
 小選挙区制度はまさに、新自由主義の政策が社会的な弱者、少数派を排除するのと同じく、政治的少数派を排除する制度に他ならない。そしてこれは前述した投票行為の現実を前提にした時、社会的下層の、政治からの排除を意味する。
 現在、左翼に問われていることは、こうした制度を悪用して社会的上層による政権独占の狙いを積極的に打破していくことである。それは何よりも、選択肢を失ったと感じている、「排除された」人々の積極性を引き出すことを可能とする、将来に向かう展望の再構築から始まる。
 
民衆的政治への障壁をっどう突破するか
 
 土井党首が辞任した社民党、小選挙区でゼロ敗の共産党は、こうした小選挙区制度によって集票力をさらに減退させている。前回に比べて社民党は二六〇万、共産党は二二〇万減らした。社民党には解体、民主党への吸収という道もささやかれている。
 だが、政治的少数を刻印されている両党の比例部分での総得票数は四五〇プラス三〇〇、合わせて七五〇万票になり、これは総有権者を一億人とした場合の七・五%である。民主党が二二%、自民党が二〇%であり、公明党は八・七%となる。すなわち、相対的に、社共勢力が極度の弱体勢力なわけでないことは確認しておくべきことだ。
 社民党も共産党も、党勢弱体化の流れには明白な主体的要因がある。
 この両党共に、資本主義と共に歩む政党というところは希薄だった。全然ないというわけではないが、資本主義の枠内に留まるというところは掲げてきてはいなかった。その点は民主党とは違う。問題は、改良ではない社会主義あるいは共産主義への展望が前世紀の最後の十年間に急速に崩れたところにある。ソ連邦・革命中国を中心にした東側陣営と結び、帝国主義に抗するという政治的立場の前提が崩壊した。社会党は、護憲の党へ、そして共産党は資本主義の民主的運営という立場(新綱領草案)へと切り縮められた。路線の是非は別として、トータル政党という実質がここに失われることとなる。言いかえれば、変革、革命の党の立場の喪失である。両党は実質的に二一世紀に対応する党としての位置を喪失したのである。
 結論を言えば、「解党出直し」が求められているのだ。先に確認したように、七・五%という得票率は多いとはいえないが、けっして少ない数ではない。そして以下に述べることから、私は、資本主義の枠内に留まる現在の二大政党(自民、民主)が擬似的二大政党であり、真の意味での日本の方向的分岐は、新たに生まれる変革、革命の政党がその一端を担うと考えている。
 それはすなわち、アメリカ帝国主義との関係において、それに結ぶのか、それとも現在の同盟関係から離脱するのかという二つの対立する方向性が不可避的に顕在化するだろうという考えから、そう主張するのである。そしてまた、現代資本主義が社会的排除を不可避的に高めざるを得ないからそう主張するのである。こうして社会的上層の票の取り合いゲームは社会の現実をまったく反映しないものとなり、空虚化するのだ。
 つまり、現在の少数派は未来の大衆政党を形成する可能性を、自己変革の過程を通じてではあるが、保持している、ということである。
 
問われる左派の自己革新―反資本主義の新たな左派勢力へ 
 
 イラクへの自衛隊派兵問題が小泉内閣の命取りになりかねなくなっている現在、隣の韓国もイラク派兵問題で揺れている。アメリカは強引なイラク侵略に踏み切ったが、予測されたとおり、イラク民衆の抵抗に出会い、旧フセイン軍の残存勢力が行う日常的な戦闘行為は日々イラク民衆の支持を拡大しているように見える。具体的にそうなるかどうかは別として、民衆全体を巻き込む侵略軍へのゲリラ戦の様相をも示し始めた。
 小泉のイラク派兵は、イラク再建の後方支援活動という口実である。だがここには、始めに自衛隊出兵があるのであり、世界的に孤立している米英軍に世界的支持があるということを演出する手段なのだ。
 このアメリカ軍のイラク侵略は、原油地帯を支配下に入れると共に、イスラエルと提携して、中東全体を押さえ込む手始めに他ならない。
 原油地帯の軍事的支配こそ、アメリカ帝国主義が進める資本主義のグローバリゼーションの政策的極地である。このグローバリゼーションは帝国主義が全世界を隅々まで収奪の対象とし、各国の自己防衛の障壁を解体し、そして産業と農業の構造を破壊してしまう政策なのだ。
 抵抗するものは軍事的に破壊する、このような資本主義的グローバリゼーションの武装にこそ、アメリカによるイラク侵略の本質がある。同時に中東地域全体の制圧は、アメリカ帝国主義にとって常に潜在するライバルのユーラシア大陸を不断に統制下におこうとする試みの重要な環でもある。
 イラク派兵をめぐる独・仏連合のアメリカへの抵抗は、資本主義間の対立が現在持つ性格を垣間見せているのだ。
 日本資本主義は、アメリカへの輸出を主体に戦後経済の骨組みを作ってきた。アメリカがそうした構造に耐えきれなくなり、そこに最大利潤形成を新自由主義政策として、グローバリゼーションを推進し始めた時に、日本経済は輸出大国から輸入大国への転換を迫られ、関税、非関税の障壁の撤去を呑まされた。日本経済の構造的な長期的不況とは、こうしたアメリカ経済の政策転換によって作られたものだ。
 新自由主義のグローバリゼーションの破局的作用は、それに抗する民衆の抵抗、さらには開発途上国などの抵抗をも生み出している。メキシコのカンクンでのWTOの失敗はその流れの強まりを示した。アメリカ帝国主義の攻勢に抗しようとすれば、経済的には不可避的にアメリカ離れをしなければならない。詳細には入らないとして、要するに、経済構造のアメリカ離れは、すなわち政治と軍事のアメリカ離れに帰着する。日米同盟の破棄―これがこれからの左翼の基本的軸心であり、そこにおいて大衆を結集しうるし、保守勢力内部の擬似的二大政党化を打破する民衆的左派が登場していくのである。
 こうした新たな二一世紀のあり方を具体的に展望できる社会変革の政党への努力こそ、増大する棄権層を動員する、新しい平等な社会にむけた「希望」である。
 すでに社民党や共産党という独自の党勢力を維持するだけでは先が見えている現実において、現在ある力量を最大限に生かして、新たな二一世紀の展望を切り開こうとする努力を推し進めることが必要なのだ。
(十一月十三日)  
 
  電通労組10・17東京集会!
九名の原告団、不当配転取消しを提訴
                  
 十月十七日、NTT十一万人リストラで、構造改革という企業利益の最大化の為に、賃金三割カットの「退職・再雇用」を拒否し、東北等から首都圏に「見せしめ・報復」の遠隔地・異業種に不当配転配転された電通労組組合員九名は、東京地裁に「不当配転取消し」を求めて提訴した。
 提訴後の東京地裁司法記者クラブでの記者会見に続いて、水道橋の全水道会館で開催された「一〇・一七不当配転取消し裁判勝利決起集会」には、電通労組はもとより宮城県共闘、首都圏各組合、市民団体など約一二〇名が結集した。
 集会では原告でもある電通労組大内委員長は「十一万人リストラの違法性、不当性を暴き出し企業の横暴を許さない社会的な闘いを」「リストラ攻撃が持つ雇用破壊の意図を明らかにする」「NTT構造改革、リストラがもたらす公共サービスの切捨てに対し、社会的なNTT包囲を」「NTT労使一体のリストラ攻撃に対し、NTTの中でリストラ反対を闘う全ての労働組合が共同の闘いを」の視点を明らかにし、小泉構造改革を打ち砕き、戦争と新自由主義、経済のグローバル化に反対し闘う事、裁判闘争が、NTT労働者に勇気を与える事を確信すると述べた。
 全労協をはじめ、神奈川県共闘、全国一般全国協議会、全統一労組、東京東部労働組合、そしてNTT十一万人リストラ反対宮城県共闘等、反リストラ闘争を支援しNTTを社会的に包囲しようとする支援連帯の挨拶がなされ、NTT内からは通信産業労組、NTT関連労組、大阪電通合同労組、四国電通合同労組と十一万リストラに反対する全ての労働組合が一同に会し共に闘う決意が述べられた。
 工場閉鎖、中国移転攻撃に日本本社での闘いを続ける韓国シチズン労組も七名参加し、国際的な労働者連帯が闘争歌と合わせ訴えられた。
 更に、ATTC―JP、仏・郵政電信電話労組(SUD−PTT)からはグローバリズムに反対し、公共サービスの私物化、民営化との闘いが不可欠、インドでの世界社会フォーラムで会おうとのアピール。
 弁護団の新美弁護士は「NTTの不当配転の違法性、社会的ルールの破壊を明確にし、家庭生活と職場生活の両立を法的にも確立する裁判にしよう」と意義と争点が提起された。
 九名の原告から、それぞれ個性的ながら闘う熱い決意が述べられ、前田電通労組全国協議長の「団結頑張ろう」で散会した。
(電通労組ホームページより)

 

 

   10・22池明観講演会(T・K生の時代と「今」)

      大成功

 
 十月二十二日、東京一ツ橋の日本教育会館で「T・K生の時代」と今、という表題で、T・K生こと池明観氏の講演会が実行委員会主催で開催された。池明観氏はT・K生名で、岩波書店の『世界』に長期にわたって韓国の軍事独裁批判のレポートを連載し毎号大きな反響を呼び起こした。『世界』編集部もT・K生の正体をつかもうとする軍事政権サイドの執拗な追求に抗して、最後まで池名観氏とその情報ルート、連絡ルートを防衛し通した。
 韓国民主化回復後、池明観氏は連載を打ち切り、韓国へ帰国し、現在は翰林大学日本学研究所の所長を務めると同時に、金大中政権、ノテウ政権に深く関わりを続けてきた。その池明観氏が自らの正体を公式に明らかにしたのがこの八月。北部朝鮮を建国間もない時期に離脱した池明観氏は、はじめてこの春に北部朝鮮を訪れ、その悲惨な実態に声も出ないほどに愕然としたという。また発足を支えたノテウ政権の実態にも深く憂慮せざるを得ないともいう。
 招聘の、アクト新聞社、NPO労働者運動資料室、同時代社を連絡先として実行委員会を組織したのは、社民党系、旧共産党系、新左翼系を横断する形の集まりである。
 日本教育会館の定員三〇〇席の会場には、三〇四人の参加者がつめかけ、満員盛況となった。始めに同時代社の川上徹さんが司会をかねて池明観氏の経過を紹介し、次に労働者運動資料室の山崎耕一郎さんが、実行委員会を組織するに至った経過を文書の読み上げの形で行った。池明観氏の講演は一時間半を越えるものとなった。フランクフルト学派の哲学者であり音楽学者でもあるアドルノの「啓蒙の弁証法」を紹介しながら、「人類はなぜ野蛮化していくのか」という、ドイツ解放を直前に控え、アメリカ亡命から帰国の時が近いことを実感しながらアドルノが一九四四年に絶望していた状況を自己に重ね、アメリカのイラク侵略などの現状への無力感の広がり、辛さを語った。さらにT・K生の「時代」にふれ、『韓国からの通信』を執筆し続けてきた考え方が次の世代に継承されていないという人間的哀しさを述べた。同時に氏は、教育会館の集まりを主催した集まりが過去の闘いの時代を共有し、過去に自己批判をしながら、憂いを共にし、悩みを共にするというところに一筋の希望を抱くとも語った。次いで氏は、「革命の心情を抱いて社会改革を続ければ問題ないですが、これを失っていくときの問題です。そしてこの間に世代が変わるようになると、次の世代の人は前の世代の人の経験なしに出発するわけです。私のような人間の場合、日本統治時代のことが頭の中にあってたまらないのです。アジアのために日韓が和解できる日が来るならば、アジアは明るくなるんだという希望が頭の中にあってたまらないのです。しかし、日本統治の経験のない世代はそれがわからない。こちらがいくら説明してもわからない。そういう問題です。〔そう考えると〕歴史の内部においては人類の救済はありえないと思わざるをえない。こういう次第で、私は変革への勇気と情熱をかなり失っている状況に立たされているのですが、それでもなお、これからどうすべきかを考えるのです」と語り、そして最後に「我々ができることは、そんなに大きなことではない。できることからやっていこうということを申し上げたい。それは我々の環境をヒューマナイズすると言ってもいい。私はこれまで日韓文化交流の委員長をしたり、いろいろな韓国政府の責任ある仕事もやってきました。韓国でも日本でも、さまざまな美術展、文化展などが行われます。それは京都のあとは東京へ、仙台へ、さらに札幌へと行くでしょう。それをそこで終わらせないで、さらにソウルや釜山まで伸ばしてほしい。なぜならば同じ文化の中で我々は共通の考え方をしているから理解できるからです。これを基礎に、ともに語り合う時代を作らなければならないのです。ゆくゆくはそれが上海、北京へと伸びていく。そしてそれが北の平壌にまで伸びていく。そんな時代を我々は市民の力で作っていかなければならない。東アジアの文化の時代です。支配ではなく協力する関係。これをどう作るかということです。」と結んだ。
 長時間の講演を簡単に紹介するのは無理であるが、「講演は、哲学的・歴史的な範囲を含み、時代と知識人の役割にも及び、実行委員会が期待した以上の内容のもので、大成功だった」(実行委員会総括より)。
 講演会の成功は、実行委員会を組織した集まりの今後の活動に弾みをつけていくと思われる。文中引用箇所は、実行委員会によるテープ収録文書から。
 

  ―マルクス主義論争―
 方向は第五インターナショナルなのか?

                    ミッシェル・レビ
 
―「第五インターナショナル」は、共産党宣言にマルクスが書いた「ヨーロッパと世界を徘徊する妖怪」ではないが、流布し始めた一つの構想だ。最近、フランスの雇用側新聞―冶金産業ブレティン―はこのように、第五インターナショナルの危険について語った。かれらがこの着想をどこから得たのかを私は知らない。しかし第五インターナショナルについて語る前にまず、歴史上の四つのインターナショナルについての簡略なバランスシートを作ることが必要だ。

第一から第三、各インターナショナルの過去と現在

 一八六四年のロンドンでの第一インターナショナル創立に際しては、マルクスがその創立宣言を起草した。その宣言は次の有名な定式を結論に置いている。すなわち、「労働者の解放は、労働者自身が行う任務である」、というものだ。マルクス支持派とプルードン支持派は国際労働者協会(IWMA)に参加した。もっとも前者がインターナショナルの主要文書のいくつかを起草し、はるかに大きな影響力を持っていた。そして二人の男の関係は常に疎遠であった。ブリュッセル大会(一八六八年)においては、マルクス派とパリコンミューンの未来のヒーローであるエウゲン・バーリンのような左派プルードン派の同盟が、生産手段の集団所有を提案する集産主義綱領の採択を可能とした。バクーニンおよびその支持者との関係はより複雑であった。そしてこれは、分裂と、一八七二年のアメリカへの不幸な移転(マルクスの見事とは言えない考えの一つ)後の解散へと導いた。
 IWMAは現在、自身を一八六〇年ロンドンで創立されたものの後継者だとみなすような、無政府主義的反体制派の組織の中にのみ生き残っている。その存在は今日むしろ象徴的なものである。しかし〇一年、より活動的かつ公然たる自由追求社会主義者の潮流が、「国際自由主義者連盟」(SLI)のネットワークを創始した。それは、労働者総同盟(スペイン)、自由オルタナティブ(フランス)、ウルグアイ無政府主義者連合その他のような重要組織を含んでいる。加えてわれわれは近年、反新自由主義運動内部での、無政府主義潮流の重要な発展を目にしてきた。そのあるものはIWMAと提携し、他のものはSLIと提携しているが、多くは国際的結びつきを持っていない。
 一八八九年フリードリッヒ・エンゲルスによって創立された第二インターナショナルは、帝国主義戦争に対するその数支部の支持をもって分裂させられた。それは二〇年代、決定的に改良主義方向を採って再建され、自身を新たな名前―社会主義インターナショナル(SI)―のもとに第二次大戦後再度組織した。SIは現在、サンディニスタやファラブンド・マルチ戦線のような解放戦線から、トニー・ブレアの新労働党のような親帝国主義党にまで及ぶような、主にヨーロッパとラテンアメリカ起源のまったく異質な諸党と諸運動の集まりである。そこでは、中道的傾向の社会民主主義―すなわち、社会自由主義―が、ドイツSDP、フランス社会党、スペインPSOEでのように、優位を占めている。その目標はもはや、フリードリッヒ・エンゲルス、ウィルヘルム・リープクネヒト、ジャン・ジョーレスの時代でのように、資本主義の打倒と社会の社会主義的変革ではなく、むしろ親自由主義的資本主義の「社会的」経営である。社会主義インターナショナルは政治組織機能としては実効性がなく、むしろ討論クラブ、政治―外交部門として機能している。
 第三インターナショナルは、反帝国主義と革命的性格の下におけるプロレタリア諸党の国際的共同を作り出そうとする、もっとも有意義な試みだった。多くの権威主義的特質や軍隊タイプの規律にもかかわらずそれは最初の数年間(一九一七年から二四年)、アントニオ・グラムシ、クララ・ツェトキン、アンドレス・ニン、ホセ・カルロス・マリアテギのような人々が参加した真の国際機関だった。レーニン死後それは、スターリン主義官僚制指導部の下で、「一国内での社会主義建設」というソビエトの政策の道具へと序々に転換するようになった。そうであっても、なお共産主義者の闘士の中では、スペインでの「国際旅団」(一九三六年から三八年)へのかなりの参加が示すように、本物の国際主義的感覚は生き残った。
 一九四三年スターリンは、彼の同盟者であったチャーチルとルーズベルトの要求に従い、共産主義インターナショナルの解散を決定した。しかし世界の諸共産党の、ソ連共産党(CPSU)に対する政治的、イデオロギー的、そして組織的な全体的依存性は引き下げられなかった。一九八九年以降の「現存する社会主義」という間違った名前の下にあったものの解体を持って、第三インターナショナルの後継者たちは、僅かの例外を除き彼らを政治的周辺化ないしは社会民主主義への転身へと引き込んでしまった危機に入り込んだ。イタリアの共産主義再建党のようないくつかの党は、スターリニスト的過去と決別し、急進的かつ社会運動への貢献に開かれた新たな方向に向かう中で、真に正しい位置を確定することに成功した。
 
 第四インターナショナル―過去と現在
 

 一九三八年レオン・トロツキーによって創立された第四インターナショナルは、共産主義インターナショナル内の国際左翼反対派、反官僚主義潮流から出現した。しかしそれは、その闘士たちがフランスの六八年五月の日々で、アメリカの反戦運動で、またラテンアメリカ数カ国の独裁政権への抵抗で重要な役割を果たしたとしても、トロツキーおよび多数の他の指導者の暗殺―ファシズムあるいはスターリニズムどちらかの手で―と無数の分裂―それは自身を大衆運動へと転換することが一度もできなかった―によって、弱体なままであった。その闘士と指導者たち―エルネスト・マンデル、リビオ・マイタン、ウーゴ・ブランコ、ラウル・ポント、アラン・クリビーヌ、ダニエル・ベンセード―の助けの下に、第四インターナショナルは、スターリニストの惨禍から一〇月革命の遺産を救い出し、革命的マルクス主義の理論と実践を刷新することを追求した。
 筆者が属している第四インターナショナルは近年より強くなって成長したものの、組織人員、財源双方で依然弱体なままに留まっている。フィリピンとスリランカを例外としてその勢力は基本的にヨーロッパとラテンアメリカに集中している。その活動家たちは組織的潮流として、イタリアのPRC、イングランドとウェールズの社会主義連合、ポルトガルの左翼ブロック、ウルグァイの広域戦線、ブラジルのPTのような幅広い再結集を生み出す活動に参加してきた。トロツキズムに共鳴している他の組織や党派とは異なり第四インターナショナルは、自身を唯一の革命的前衛だとは考えない。そしてその目標は、大衆的性格を持った新たなインターナショナルの形成に貢献することだ。そしてその場合、第四インターナショナルは、その新たなインターナショナルの一つの構成要素にすぎないものであろう。
 
 世界資本主義の新段階と新たな民衆的国際主義
 
 資本に対する国際主義的抵抗という問題は、今日焦眉の現実性を獲得するに至った。資本はこれまで、地球全体にわたるほどの絶対的かつ限界なき力を及ぼしたことはなかった。以前はそれは、今日世界のすべての国民にその原則、政策、教条、利害を課しているようには、けっして強制できなかった。資本主義的自由市場と自由な利潤という厳格な基準に従って、人間の生活を支配し、統治し、管理する、このようなことを定めとした現在ほど濃密な国際的法制度のネットワーク―IMF、世界銀行、WTOのような―は、以前はまったく存在しなかった。多国籍企業と金融市場は以前は、その独裁を現在ほどに野蛮な形ではけっして機能させることができなかった。そして結論的に、唯一の帝国主義国家の権力、アメリカ合衆国の権力が、今のように広範囲にわたり、傲慢であったことは今まで全くなかった。今日われわれは、副司令官マルコスが「ヨーロッパのザパティスタ」へのメッセージ(九五年八月二八日)に書いたように、民衆、人類、文化そして歴史に対する貨幣と国際金融資本の軍隊による真の戦争を目撃しつつある。
 八〇年にロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーの下で始まった資本とそれに奉仕する親自由主義諸政府の攻撃は、ベルリンの壁の崩壊と東欧諸国における資本主義の復古の後にその絶頂に達した。西側の全ての首都では、「ユートピアの死」(あるいは革命やマルクス主義の)と「歴史の終わり」が勝ち誇って宣言された。
 九四年のザパティスタの蜂起が暗闇に灯をともすように現れたのは、左翼の敗北という方向感覚喪失を伴ったこの一連の流れにおいてであった。そして二年後、「新自由主義に反対し、人間性回復を求める第一回大陸間の出会い」が、チアパスの山中で開催された。それは、世界的広がりのある影響力をもち、いくつかの潮流下にある北と南、ラテンアメリカ、合衆国、ヨーロッパの闘士、活動家、知識人を、極めて長い年月の中ではじめて結集した出来事だった。
 この出会いの後に、「新自由主義が代表する恐怖のインターナショナル」に反対する希望のインターナショナルの建設というあの歴史的呼びかけが現れた。「真実の第二声明」が描くようにそれは、以下のものを生み出すという広大な任務だ。すなわちそれは、「われわれの闘争すべてと特定の抵抗を集約する一つのネットワーク。新自由主義に反対する抵抗の一つの国際的ネットワークであり、また人間性を求める一つの大陸間ネットワーク。この国際的ネットワークは、相違と類似を確認しつつ、世界的広がりで他の抵抗との結び合いを追求するだろう。この国際的ネットワークは、それを通じて多様な抵抗が互いに学び合う手段となろう」、というものだ。九六のチアパスの会合は、反新自由主義闘争という大運動の最初の行動とみなしてよい。そしてこの闘争は今や、世界のあらゆる隅々に現れている。この先駆性はどのような直接的後続をも得なかったとはいえ、―ザパティスタの手本に鼓舞されたこの型の他の出会いを組織する、ヨーロッパ、ラテンアメリカの試みは成功しなかった―、それは出発点、新たな国際主義、反新自由主義、反帝国主義の誕生の起点であった。
 数年後、シアトルでの巨大な抗議が起こった(九九年)。そしてこれがこの新しい国際主義の主要な方向、「世界的抵抗運動」となった―これは右派報道機関によって「反グローバリゼーション」運動と誤って性格づけられている―。この「諸運動の運動」は、まさにプラハ、ストックホルム、ブリュッセル、バンコク、ワシントン、バルセロナ、ジェノバ、そして最近ではフィレンツェで抗議の引き金を引くことになった―数万、そして数十万そして今や百万人のデモをもって―。そして世界社会フォーラムがポルト・アレグレで(〇一、〇二、〇三年)、ヨーロッパ社会フォーラム(〇二年)、他の地域的、大陸的会合が開催された。
 
 発展中の国際的ネットワーク―多様性のエネルギー―
 
 もう一つの世界を求める運動は幅広く、そして必然的に不均質だ。しかしそれは、直接的に世界的広がりをもつ国際的なかつ国際主義的性格の下に出現した。その多様性にもかかわらず、そこにはいくつかの基礎的な考え方についての合意がある。それは、「世界は売り物ではない」、「もう一つの世界は可能だ」、「反戦」などだ。これらは一般的な原理ではあるが、それらが真剣に守られるならば、深く破壊的な潜在的可能性をもっている。いくつかの中心的要求についても統一がある。南の諸国の債務取り消し、課税逃れ地域の抑止と金融取引への課税、遺伝子操作作物の凍結その他(このリストはすでに長いものになっている)がそれだ。結論的にそこには、敵の特定についての幅広い合意がある。すなわち、新自由主義、IMF、世界銀行、WTO、アメリカ帝国だ。支配的秩序に対する代案に関しては、システムの「調整」からその革命的(社会主義的)変革に至るまで、われわれは回答の幅広い広がりを目にしている。
 この多様性は障害であり得るが一方、強さの源でもある。世界的抵抗運動が包含しているものは、労働組合、フェミニスト、マルクス主義者、無政府主義者、環境主義者、解放を求めるクリスチャン、いくつかの色合いをもつ社会主義者、小農民と先住民運動、非政府組織(NGO)、知識人、そして他に何らかの所属を持つわけではないが抗議し、行進し、闘い、他の人と討論したいと願っている多くの若い人々、女性、労働者である。それは、出会い、論争、相互学習のための他に類を見ない好機だ―その中で各自が、自分自身の考え方と確信を放棄することなしに、他の人々のそれらを見いだし、彼らの思想と実践の中にそれらの統合を試みる一つの文化的交換過程―。これらの成分すべての混合と融合は、爆発的カクテル、世界的抵抗運動という国際主義的文化を生み出しつつある。この過程は未だ始まりの中にあり、共通の方向を持つというにはほど遠い。しかしわれわれは、急進的、戦闘的そして運動を組み込もうとする制度の側の試みに反対する、運動の持つ共通の精神の形成を感じることができる。
 世界的抵抗運動は、あるいは少なくともそのもっとも組織的な表現である世界社会フォーラム(WSF)はすでに、一定程度の国際的な組織を持っている。国際執行委員会がすでに存在し、議員フォーラムが昨年ポルト・アレグレで動き出した。しかしこれらの機関は、フォーラムそれ自身のように、極めて不均質であり、国際的政治力としては機能しない。それらの目的はより限定されたものである。すなわち、WSFと大陸規模のフォーラムの組織化だ。より重要なものは、WSF内で主要な力を作り上げ、政治的主張のいくつかの要素―反帝国主義かつ反新自由主義―を含む文書と抗議への共同した働きかけに対する呼びかけを発行してきた社会運動のネットワーク―ヴィア・カンペシーナ、ブラジルのMSTとCUT、ATTAC、その他―だ。
 
 新しいインターナショナルの素描
 
 これは「第五インターナショナル」に帰着するのだろうか。二つの明白な理由でそうはならない。第一に、われわれがここまで語っているものは社会運動であって、政治組織や世界的な社会変革の構想ではない。第二に、世界抵抗運動とその機関は、調整され、人間化された、国民的かつ民主的な資本主義の可能性を今なお信じている部分を含む―想定されることだが―極めて不均質なものだ。同様の不均質は国際議員フォーラム内にも見いだしうる。
 欠けているものは、運動内部で資本主義を越える代替構想と抑圧者も抑圧もない新しい社会構想の輪郭を提案しうる、政治組織―党、戦線、運動―のネットワークだ。ヨーロッパにおいて、は、何らかの種類のものはすでに存在する―ヨーロッパ反資本主義左翼(EACL)評議会でありこれは、PRC(イタリア)、LCR(フランス)、左翼ブロック(ポルトガル)、社会主義連合(イングランドとウェールズ)、赤緑連合(デンマーク)、そしてその他のいくつかを含む―。それらの間には相違があるがしかし、これらの潮流は、資本主義的グローバリゼーション、新自由主義政策、そして帝国主義戦争についてかなり近い考えかたを共有している。それらはまた、「積極的」な代案、反資本主義かつ反家父長主義、環境主義かつ国際主義に対する精神をも共有している。すなわち、「持続可能な発展に基づいた、女性への抑圧と労働者の搾取のない、社会主義的で民主的な社会―下からの自主的に管理された社会主義」(EACLの〇二年六月評議会声明)だ。
 この経験が他の大陸に拡張され、巨大な世界的抵抗運動内の、広い意味でもっとも急進的な政治的立場を含んだネットワークを作り上げることができるとすれば、われわれは一つの「新しいインターナショナル」を手にするかもしれない。その場合それは、全ての潮流が過去の労働者と社会主義者のインターナショナルの歴史と必然的に一体化しているわけではないが故に、必ずしも「第五」と呼ばれる必要性はない。それは、「反資本主義左翼国際評議会」や「新インターナショナルのための潮流」と、あるいはその参加者の創造的想像力が案出するかもしれない何か別の名前で呼ばれるかもしれない。
 この新しいインターナショナルは、四つのプロレタリアインターナショナルの肯定的な貢献を選り分けながら、統合できるだろう。それは、バブーフとフーリエ、マルクスとバクーニン、ブランキとエンゲルス、ローザ・ルクセンブルグとレーニン、エマ・ゴールドマンとベナベントラ・デュルッティ、グラムシとトロツキー、エミリアーノ・ザパタとホセ・カルロス・マリアテギ、アウグスト・シーザー・サンディノとファラブント・マルチ、さらにエルネスト・チェ・ゲバラとカミリオ・トーレス、ホーチミンとナジムヒックメイト、メディ・ベン・バルカとマルコムXの、さらに他の多くの人々の遺産であるだろう。しかしながら、その主要な参照点は現存する社会運動、そして第一に新自由主義に対する世界的抵抗運動であるだろう。
 過去のインターナショナルの中では、その中で多様な政治的意見が思考と実践に収れんする可能性を持っていた、多重的で、多様かつ民主的な運動として―明らかに今日かつてとは全面的に異なる政治的条件においてだが―ひらめきとして役立つかもしれないものは、おそらく第一インターナショナルかもしれない。これは、IWMAが組み立てられ、その中で機能した形態が現代に再現できるということを意味しない。この新しい国際主義勢力がどのような組織形態を取りうるかを予想するのは不可能だ―集中性のない連邦か、組織的ネットワークか、あるいはまた定期的に会合する単なる評議会か―。しかしそれは不可避的に、柔軟性をもち、開かれたものであり、かつ形式化された官僚構造を持たないものでなければならない。理想をいえば、それは、党と戦線だけではなく、左翼雑誌、調査研究グループ、社会運動組織、知識人をも含んでいることが望ましい。
 
 現行システムへの湧き上がる憤りから
 
 この新しいインターナショナルの政治的―社会的領土の境界はどのように確定できることになるだろうか。反帝国主義と反資本主義―すなわち、社会的不正、搾取、抑圧の廃止にとっては、たとえそれだけで十分ではないとしても、世界的広がりをもつシステムとしての資本主義の打倒が一つの必要条件であるとの確信―が基本的基準であるということは、私にとっては明白であると思われる。自由な、民主的な、平等主義的な、連帯的な、エコロジカルな、フェミニズムの社会という新しい社会の輪郭―私および私の同志にとってこれは社会主義社会だが、それは論争に開かれた問題であり得る―は、もう一つの基本要素である。しかし、新しいインターナショナルの共通基盤と政治的綱領をわれわれが確定するのは、このネットワークあるいは連邦の形成過程においてである。
 新しいインターナショナルは、ザパティスタの経験から学ぶべきものが多いと思われる。何よりもそれは、反抗、反従順、確立された秩序への非和解的反対の精神だ。九六年の「銀河間」遭遇は新自由主義的資本主義に対決する―世界のあるいは人間の商品化に対決すべき―闘争を、抑圧され排除された者たち、労働者、農民、先住民、女性すべての、新自由主義的熱狂の犠牲者である事実上すべての人間の共通目標と定めた。この闘争はそれ故、人間性のための、人間の尊厳―あらゆる点で、マルケスとチェ・ゲバラの革命的ヒューマニズムと関係があり、一方同時にチアパスでの先住民共同体の経験とも関係する概念―のための闘争である。
 民族解放ザパティスタ軍(FZLN)のもう一つの偉大な貢献は、地方―自治のためのチアパス先住民の闘争―と全国民―メキシコにおける民主主義とアメリカ帝国主義支配と対決する闘争―、そして国際的課題―新自由主義に反対し人間性を求める戦争―間関係の強調である。ザパティスタの思想と実践において、この三つの運動は、いくつかのNGOの貧困な定式、「世界的に考え、地域的に活動せよ」よりも極めてはるかに弁証的な構想の中に、最初から結び合わされていた。
 結論的にザパティスタ主義は二一世紀の国際主義に、抽象的でも過度に単純化したものでもない、一方で相違の認識に基づく新たな普遍主義―「多くの世界がはまりあう一つの世界」への熱望―を提供している。
 われわれはどこから始めるべきだろうか。わが同志ダニエル・ベンセードが表現するように出発点は、憤りという何物にも代えようのない力、不正に対する無条件的拒絶、忍従を拒否する姿勢である。まさに「憤りは始まりだ。それが立ち上がり、歩き始める方法なのだ。あなたがいったん腹を立てそして反乱した時にはじめて、あなたは後で何が起きるかを知ることができる」のだ。
 世界中で、現存するシステムに反対する憤り、力あるものへの反抗、もう一つの世界は可能だとする希望につき動かされている力を結集できるならば、われわれは新たなインターナショナルの成分を―数に関わりなく―手にすることになる。
注。この論文は初めは、マルクス主義のスペイン語雑誌である『評論・反乱』向けに書かれたものである。(インターナショナル・ビューポイント〇三年三月号) 
 
 
 
 
 
 
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