2003年12月10日        労働者の力             第 165号

小泉内閣のイラク派兵反対!
大運動を巻き起こし、小泉内閣を追いつめよう


川端康夫 

 
 
 小泉は何をどう説明できるのか
 
 小泉内閣はイラク派兵をめぐってふらつき始めている。日本人外交官二人の殺害を期に、与党内部からも派兵に慎重意見や反対意見が飛び出し始めた。国会議員に復帰した加藤紘一は反対意見を述べ、引退した野中に近い議員たちもその方向を示し始めている。またその動向が注目される公明党も慎重姿勢を示している。さらにいまや最大の「抵抗勢力」は防衛庁そのものとも伝えられ、前防衛庁長官の中谷も性急な派兵決定には乗れないとの見解を表明している。つまり、危ない、と言いたいのだ。防衛庁は派兵の前提条件として「完全装備」での派兵を口にしている。アメリカのアーミテージ国務次官補は「日本の派遣決意はぐらついていない」と、なんとしても派兵して欲しいとのメッセージを発している。
 政府は今週にも派兵の内容を閣議決定したいとしているが、その時には「非戦闘地域の特定はしない」とする考えのようだ。
 毎日新聞は四日、以下のように報じている。
 ―政府側は、自衛隊のイラク派遣の内容を定めた基本計画を閣議決定する際には、自衛隊の派遣先が「非戦闘地域」に該当するかの判断をしない方針を明らかにした。「非戦闘地域かどうかは自衛隊が活動する時に判断すればいい」と説明。基本計画決定後に防衛庁長官が策定する実施要項で判断する考えを示した。イラク復興特別措置法は憲法上の制約から自衛隊の活動地域を「非戦闘地域」に限定している。政府は基本計画で自衛隊の実際の派遣時期を明確にしない方針で、非戦闘地域かの判断も先送りする。政府は説明責任を果たしていない、として野党側が反発することも予想される―。
 さらに時事通信は同日、以下のように報じた。
 ―自民党は四日午前、党本部で国防部会を開き、自衛隊のイラク派遣をめぐる問題について意見交換した。
 席上、政府側は岡本行夫首相補佐官や外務省などによる八回の調査団の報告を説明した。しかし、十一月に行った専門調査団による報告が示されなかったため、出席者から「一番最近の報告がないのはおかしい」など不満の声が出た。浜田靖一防衛副長官は「しっかりした報告書を作らせてほしい。これまでの調査団の報告と極端に変わっていることはない」と釈明した―。
 つまり政府は、自衛隊調査団の報告を公表せずにほおかぶりし、「非戦闘地域に該当するかの判断」を先送りにしてとにもかくにも自衛隊を出してしまえ、という構えをするに至ったのだ。
 自衛隊の報告書は、攻撃の危険性を指摘したものだったのではないか。だから政府は公表を渋っているのだろう。
 小泉は、時期が来たら国民に説明をしたい、といっている。だが実態は、自民党にも十分な説明をするつもりがないのだ。
 
 イラクは全土が戦場
 
 イギリスのリサーチ会社によるイラク国民に対するはじめての大がかりな世論調査は、八〇%以上のイラク国民が米英軍の占領に不快感を示しているとの結果を報じている。
 
 ―英国の民間調査機関「オックスフォード・リサーチ・インターナショナル」は一日、イラク人の約八割が、イラク駐留の連合軍に不信感を抱いているとの調査結果を発表した。調査は、バグダッド大の学生らがイラク全土の家庭を訪問して対面形式で行ったもので、三二四四人から回答を得た。それによると、連合軍を「全く信頼しない」が五七%、「ほとんど信頼しない」が二二%を占める一方、「非常に信頼する」と答えたのは八%に過ぎなかった。
 また、宗教指導者に対しては四二%が「非常に信頼する」、二八%が「かなり信頼する」と回答。フセイン政権崩壊後、国民が宗教勢力を心のよりどころとしている実態を示唆している。
 しかし、イスラム法に基づく政教一致体制を望むと答えた人は1%未満で、今後の政治体制については、九〇%が「民主政府」を求めるとしている。ただ、「強力なイラク人指導者」を望むと答えた人も七一%にのぼり、イラクの具体的な将来像は国民自身もまだ描けていないようだ。(読売新聞)―
 
 米英軍の軍事占領は、さらなる社会秩序崩壊、民生の悪化を生み出し、さらにアメリカが用意した行政機構(統治評議会)への民衆の支持はほとんどない。
 フセイン軍の残党勢力などによる意識的、計画的抵抗戦闘は、日を追うごとに拡大している。国際テロ組織、アルカイダの侵入が伝えられ、現状ではイラクはアルカイダの天国ともいわれるようにもなっている。すでにアメリカ軍の死者は五〇〇人近くに達し、十一月は八〇人と最悪の数字を示した。「イラク全土が戦争状態」と米英軍当局自身が認めざるを得ない現状だ。
 さらにアメリカ軍の戦闘行為の激化は、さる十一月三十日、イラク中部のサマラで起きた民衆への無差別攻撃のように、民衆の敵意を増大させている。すでにイラク民衆は米英軍の攻撃によって一万人を越える犠牲者を出しているのだ。
 さらにイラク復興資金の源とされる石油施設への攻撃も組織的になされている。
 また読売新聞は次のように報じている。
 「AFP通信によると、イラクの反米武装組織『イラク解放国民抵抗戦線』のスポークスマンを名乗る人物が二日、中部サマッラでフランス共産党機関紙の記者に対し、首都バグダッド南郊で先月二十九日起きたスペイン情報機関員七人の殺害事件の犯行を認めた。
 この人物はスペイン情報機関員を狙った理由について、「車の特徴から米中央情報局(CIA)の車両と思い、攻撃した」と述べた。スペイン情報機関員は四輪駆動車二台に分乗していた。さらに『米国に協力するすべての外国人を攻撃する決定を下した。スペイン人だろうとかまわない』とも述べた。
 また、イラク中部サマッラで三〇日、反米武装勢力が米軍の2つの車列を襲撃、米軍の反撃で五四人が死亡(米軍発表)したとされる事件の犯行も認めたうえで、武装勢力側の戦闘参加者は十二人で、死者は二人だけだったと主張した。
 フランス共産党機関紙記者が入手したパンフレットによると、『抵抗戦線』はバグダッド、ファルージャ、ティクリートなどのスンニ派三角地帯や北部モスルなどで活動する反米武装組織の連合体で、今年九月末に結成された。
 また、『抵抗戦線』は『民族主義組織』で『イスラム的志向』を持つが、イスラム教スンニ派、同シーア派、キリスト教徒、クルド人をメンバーに含む全イラク的組織だとしている」。
 
 イラク情勢は、まさに日を追って、軍事的抵抗の拡大がすすみ、イラク民衆の占領軍やそのかいらい組織への反感もまた増大する一方にある。
 日本外交官の殺害は、韓国企業の職員、スペイン軍への襲撃とほぼ時期を一にし、抵抗勢力の攻撃対象が米英軍のみならず、その支援国部隊へと意識的・計画的に拡大されている。
 イギリスのBBC放送は、日本人外交官二人の殺害を論じて、自衛隊派兵は非現実化したという見解を出している。つまり、非戦闘地域などは存在しない、ということを認めたわけだ。もはや「地域」の問題ではない。部隊の「存在」が問題なのだ。
 
何のためのイラク派兵か

 イラクの武装抵抗勢力からすれば、日本を含めた米英軍以外の諸国の軍隊派兵は、明らかに軍事侵略と占領に同意し、侵略軍を補助する目的のものである。そして、イラク民衆の中には日々、こうした武装抵抗勢力の闘いを支持する雰囲気が強まっている。 
 現在のバランスシートはこうなるだろう。
 しかし日本政府の立場は、イラク復興の人道支援、である。
 この二つは真っ向から対立する。そしてそもそもの始めから、米英軍の侵略戦争をめぐって、国際社会は割れ、米英の戦争を公然と支持した国々は僅かに三〇カ国に過ぎなかった。
 しかも、侵略戦争の口実とした大量破壊兵器は、その痕跡すらも見つからず、イギリスではブレア政権による意図的な情報操作の疑いが濃厚にもなり、その中で、死者も出た。
 そうしたでたらめな戦争を支持した三〇カ国に日本も入っているのである。そして、戦争を支持した国々から、現在のイラクへの軍隊の派兵がなされているのだ。
 上述したイラクの武装抵抗勢力の論理には、一貫性があるのだ。日本は派兵を通じて、イラク占領に全面的に協力する国、なのである。
 したがって、イラクへの自衛隊派兵を阻止することは、イラク侵略と占領に反対することである。イラク民衆の自立的・民主的な社会の再建を支持することである。イラク民衆の自立的な自己組織の実情を伝えるニュースはまだ少ないが、イギリスのソーシャリスト・レジスタンス紙によれば、イギリス労働組合の代表団が十月にイラク入りし、イラク労働組合連合(未来の労働組合センターの準備体)との会合を行っている。イラク労働組合連合は、四月九日のフセイン体制倒壊後の五月十七日に三八〇名の参加を持って、準備委員会を発足させている。彼らは亡命先から帰国したグループと地下活動を遂行していたグループである。部分的なニュースではあるが、われわれはイラク民衆の革命的伝統が持続されていること、そしてさほど遠くないうちに、イラク民衆の自立的社会再建の動きが本格的に始まるだろうことを信じることができる。イラク民衆への連帯とは、米英軍か国連かという統治の形態をめぐる動きとはまったく異なる、民衆自身の社会再建に連帯し、支持することなのだ。
 米英軍の侵略はラムズフェルドとチェイニーの全石油資源を支配下に置くという野望の発露に他ならず、そのことこそ資本主義のグローバリゼーションの典型的姿といわなければならない。グローバリゼーションの武装―そして戦争、に対する貢献、これが小泉の国際貢献なのだ。まさにアメリカ貢献であり、戦争と侵略への貢献なのである。
 現役自衛官のなかに抵抗感が広がるのも当然である。日本自衛隊は、そもそもが違憲存在であるが、憲法第九条において、軍備を放棄している。その上で、自衛隊は専守防衛を旨として形成されてきた。その自衛隊が、交戦権を放棄している日本において、イラクに派兵し、しかも小泉によれば、「殺し、殺される」ことになることを強要されるのである。自衛隊はイラクで戦闘を行わざるを得ず、その結果、戦後はじめて「日本軍」は、交戦し、殺傷することになるのだ。
 
 イラク派兵反対の大動員を起こそう
 
 特別国会での論戦を恐れ、さらに臨時国会を回避し、そのようにして小泉はイラク派兵問題の論議を必死に回避しようとしている。前に述べたように、小泉は「説明責任をいずれは果たす」と言明してはいる。だが、すでに自民党内部にさえ、満足な説明をしようとはしていない。彼が、いつものように、空虚な形だけの演説で逃れようとすることは間違い。
 自衛隊イラク派兵法自身をも無視して、イラク派兵を強行することは、アーミテージを満足させるためだけに行われるのであるから、説明できるわけなどない。
 当面の目標は少なくとも三つだ。
 一つは、大衆動員を実現して、イラク派兵を阻止し、それを通じて、来るべき参議院選挙において、小泉内閣を倒してしまうことである。
 二つは、憲法九条の危機がすでに切迫した事態にあることを民衆に明らかにし、そして参議院選挙を九条を争点にして闘い、「九条護憲勢力」の共同の運動と力を強固に固めることである。
 三つは、資本主義的グローバリゼーションの武装に対抗する全世界的な行動と連帯し、イラク民衆の自立的闘いを支持する考え方を、明白に、大衆的に浸透させることである。
 春季闘争は、イラク派兵問題を中心にして動く。他に年金問題などの大問題が山積しているが、少なくともイラク派兵問題は明白に与党内部の亀裂を生み出し、すでに幻影と化している「小泉王朝」没落を刻むことになる。小泉は逃れられないジレンマにある。イラク派兵を遅らせれば遅らせるほど、イラク全土の戦争状態は激化する。派兵のタイミングはますますつかみにくくなる。そしてアメリカの苛立ちは高まる。しかし派兵を早急に実行しようとすれば、与党内部の亀裂が深まる。
 アメリカの支持を頼みとする小泉は、派兵強行を狙うであろうが、すでに派兵法が成立して以降に、この内閣は衆議院選挙への影響を危ぶんで、派兵問題を実質的に先送りしてきた。そして今度は参議院選挙である。参議院選挙に重大な関心を寄せざるを得ない公明党、そして参院自民党を率いるとされる橋本派の青木は、選挙への利害を考慮せざるを得ない。小泉のジレンマは深まる一方であろう。
 イラクに派兵して見ろ、そうすれば小泉内閣を倒すぞ。有権者の意識がそのように動けば、闘争は相当に成功したことになる。
 すでに来年三月二〇日には世界的な統一行動が呼びかけられている。昨年春のワールド・ピース・ナウを越える動員を、そして全国で広範に作り出そう。
(十二月五日)    
      
 
  岩手から―新しい反戦・平和運動の動き                  

個人のエネルギーのつながりが生み出す自在な展開

「平和をつくろうネット・いわて」(略称、平和ネットいわて)は、アメリカのイラク侵攻に対する県内の広範な反対意見を背景にして今春結成された。以後、三月二十九日には北上市の、さくら野百貨店前の広場で、約一二〇人を結集して、イラク攻撃に反対する集会・ピースウォーク。四月十九日には花巻で、二〇日には平泉で、ネットの会員によるチョムスキーの映画上映会。五月十七日には花巻で、「人間の盾」としてイラクに行っていた相澤さんの報告会。五月二〇日には「ストップ有事法制北上市民の会」との共催で、緊急の有事法制反対の集会。七月には岩手県知事、県内各市長村長に対して、イラク特措法に反対の意思表示を要請。今回衆議院選挙では岩手の各立候補者に「反戦・平和」の視点からの公開質問状などの多彩な活動が行われてきた。
 
強い反戦のエネルギー社・共とは独立して、しかし共に 
 
 この運動は、今まで我々が岩手で経験してきたのとは異なる、新しいいくつかの特徴を持っている。
 その一つは、この会は既成の労働運動や政党の下支えなしに作られ、しかも社共両党との友好的な関係を維持していることである。県内の反戦・平和の運動は、長期にわたる社共共闘の解体・消失の影響を受けて、分裂して存在してきた。しかし、ブッシュ政権の一方的なイラクへの軍事侵攻を阻止しようと立ち上がった世界的な大規模な反戦運動は、県内の反戦・平和運動の分裂状況を改善させる力として作用した。
 社共と共に反戦の活動をしていた、両陣営からは独立した、北上市を中心とした有志は、WORLD PEACE NOW が呼びかけた三月八日の反戦世界同時行動に応えようと「3・8世界に平和を北上集会 詩歌朗読と音楽と発言の夕べ」を企画し、約一〇〇名の結集で集会を成功させた。そしてその直後に、イラク侵攻を目の前にして、あくまで個人の集まりとしての反戦の会「平和をつくろう・イラク戦争反対・ネット・いわて」を結成した。この会は、強い反戦の意思を持ちながら社共共闘の動員中心の集会・デモに対して幻滅を感じていた人々を引き付け、三月二十九日の北上市での「平和ネットいわて」主催の反戦集会は一二〇名が参加し、それまでの反戦集会では表現されなかった、参加者個人個人が強い反戦の意思を訴える場になった。短いが心のこもった参加者一人一人の訴えに、強い共感と感動を禁じえなかったのは私一人ではなかったであろう。
 この会に集まってきた人々の共通の思いは、少しでも多くの人に、一緒に戦争反対の声を挙げて欲しいということであったろうし、このエネルギーは一時的ではあれ反戦・平和活動の分裂状態を乗り越えるだけの原動力となったのである。平和ネットいわてが現在もなお社共両党と友好的な関係を保っている背景には、会がこのような反戦のエネルギーの集まりになっていることがあるものと思われる。
 
非集権的ネットワーク―躍動する自発性 
 
 平和ネットいわてのもう一つの特徴として、従来我々が岩手では経験したことの無い組織体制がとられていることが挙げられる。インターネットを積極的に利用した情報交換をメインにして、ファックスや電話による連絡を併用して、距離的に遠い会員同士の情報交換が行われている。平和を目的にした情報であれば、個々の会員が伝えたいと考えれば誰でも会の皆に伝えることが出来るシステムが取られている。個々の会員の関わっている各地の活動・イベント紹介などの情報は、この会に入っているとずいぶんと広がったように思われる。また、会として何かイベントを行う際は、会員の中に反対意見が無いことが必要条件とされている。多数決で決める方法を避けることは、会としての迅速な活動にとってはマイナスかも知れないが、一部の人間に権力が集まり官僚的な会の引き回しが起こるような、会にとってもっと危険な事態は確実に避けられると思われる。決めたことを個々の会員が実行する義務も無いため、イベントなどの実行は最初に提案した会員を中心にして協力希望者が集まり、実行委員会が作られて行われている。
 女性会員は三割強であるが、七人の役員のうち四人は女性であり、会の活動を牽引するような積極的な提案や活動をしているように思われる。また、会合やイベントの際にも女性たちの生き生きとした発言や活動を多く目にする。彼女たちの平和を求める気持ちはひたむきであり、政治的な引き回しのようなものが入り込む隙間は無いように思われる。
 平和ネットいわてが今後どのような変化をしていくのかは予想できない。情報や意見の交換の方法もまだまだ未熟で、暗中模索といった感じであろう。しかし、新自由主義の野蛮な政策が吹き荒れる中では、結成の当初からの「戦争に反対する」強い思いや決意が会員の中で持続する限り、平和ネットいわての活動は発展しつづけると信じたい。(I)
平和ネットいわてのホームページ:

http://homepage3.nifty.com/peace-iwate/index.htm
 

年末一時金カンパのお願い
日本支配層とアメリカ帝国主義の、新自由主義と戦争のグローバリゼーションを打ち破る新たな左派創出のため奮闘します。ぜひ年末カンパをお寄せください。
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           フランスLCR十五回大会
新しい大衆的反資本主義党に向かう闘いへ

                       グレッグ・タッカー

 
 メディアのまばゆい照明の中で行われた三日間の濃密な論争―主要なテレビ最新ニュース配信のためずっと論争を撮り続けたテレビカメラ、翌日の新聞一面記事のためノートを取る記者たち―。この大会は、LCRの転換点を印す三日間だった。
 
新しい政治勢力の登場

 昨年の大統領選キャンペーンの成功に引き続き、LCRの同志たちは、今年の五月〜六月におけるストライキの盛り上がりで中心的な役割を果たした。結果としてLCR同盟員数は、三年前の前大会時点の倍以上になっている。それ故自信に満ちた組織にとっての中心的論争は、われわれの増大する存在感をフランス社会の実体的力としていかにして先に進めるのか、だ。LCRのスポークスパーソン、大統領候補オリビエ・ブザンスノーは述べた。「われわれは選挙では何百万もの勤労民衆に話しかけることができた。今年の闘争では、人々はわれわれが語るべきだと思っていることに耳を傾けている。彼らはわれわれからの訴えを欲している」。
 LCR多数派は二本柱で進むことを提案した。
 第一にLCRは、リュット・ウーブリエル(LO、労働者の闘争派、フランスのもう一つの重要な極左組織)との選挙協定を通して、来年の地方、EU議会選に大きな影響を及ぼすことになる。第四の勢力として―極右、与党の右翼、中道左派、そして今や極左―この二つの勢力は、前与党の左派連合を動揺させかけた。
 第二に、LCRは、反資本主義、フェミニズム、エコロジーの新たな党に向けたアピールを発した。新たな社会のための闘争に準備を整えている人々すべてを結集する挑戦に、一連の地方、地域の討論が来年末の全国会議を集約点にして断を下すことになる。目指されていることは、LOのような今ある諸革命派、信用が地に落ちた社・共・緑連合と手を切りつつある反対派、今年のストライキから新たに再活性化した労働者運動基層、大統領選第二回投票期間に反ルペンで街頭に結集した何千という人々、ATTACや社会フォーラム運動の、ジェノバ、フィレンツェ、エビアンに参加し、今月のヨーロッパ社会フォーラムのためにパリに来ようとしている青年たち、これらの総結集だ。
 
 民主主義を通じた団結
 
 第四インターナショナルの民主的伝統に沿って、一定数の異なった政策グループがそれらの観点を大会討論に提出した。それらの主な考えは、地方討論の中での厳密かつLCR機関紙を通した公開的な検討に付された。中心的論点は、ル・モンドのような主流日刊紙によって取り上げられた。このような常態的な公開性は組織を弱くする、と主張する方が好みのイギリス左翼の人々にとって、この大会は有益な教訓であろう。
 論争は時に鋭いものであったとはいえ、実体のある合意が固められた。根底的に反資本主義であり、決定的に民主的な新たな大衆的労働者党を建設する歩みに真剣に取り掛かるため、LCRの扉を開け放すという目標において、同志たちは統一した。論争で徹底的に議論された相違―働きかける中心的対象はどういう人々か、またそれは何を基礎にして―は、最終結論を強めることに奉仕したに過ぎなかった。(「ソーシャリスト・レジスタンス」十一月号)
 

  特集・第二回ヨーロッパ社会フォーラムを前に
 〈解説〉
 第二回ヨーロッパ社会フォーラム(ESF)は、十一月十三〜十六日、パリを中心に四市で開催された。数百の分科会などに、世界の六〇カ国以上から六万人の人々が結集し、十六日のパリは、十五万人のデモ隊で埋められた。これらは日本の一般紙ではまったく報じられていない。この熱気は、翌週十一月二十日ロンドンの、ブッシュを迎え撃った三十万人のデモ(平日としては史上最高)に引き継がれ、示された。本号で本紙が紹介する二本の記事は、このESFに臨むヨーロッパの同志たちの政治的構えである。第二回ESFについての報告は次号以降に掲載予定。
 前進への新たな一歩
                             
レオン・アギュレ

 フィレンツェでの最初の結集から一年後、第二回ESF(ヨーロッパ社会フォーラム)が十一月十三〜十五日、パリとかつて「赤いベルト地帯」であった、三つの町、サン・ドニ他で開催される。この催しは、社会運動と世界的公正要求運動が新自由主義のヨーロッパ建設に反対する闘いで新たに前へ一歩進むことを可能にするだろう。それは、社会的権利のヨーロッパを要求する運動と結集を通じて果たされる。そしてこの運動は、もう一つのヨーロッパ、労働者と民衆の社会的で民主的なヨーロッパへの展望を信頼に値するものとするだろう。
 
 フィレンツェの記憶
 
 一年足らず前のフィレンツェでの、第一回ESF開催を思い起こそう。
 一万人を越える活動家を巻き込んだ密度の濃い二日半の討論。さまざまな政治的色合いをもつとはいえ全てが、資本主義的グローバリゼーションが人間性に対し破壊的であり、別の世界が可能であると深く確信している、ほとんどが非常に若い世界的公正運動の活動家、組合活動家、フェミニスト、エコロジストからなる参加者。そして土曜の午後、アメリカがイラクに対し発動しようと準備していた帝国主義戦争に反対して、百万人のデモがフィレンツェの通りを埋めた。
 社会運動のこの会合から反戦の一つのアピールが出現し、それが二月十五日のヨーロッパ全域を覆うデモに導いた。そして世界社会フォーラム(WSF)の枠組みを通してポルト・アレグレに受け継がれ、このアピールは、地球規模で組織されたこれまでで最大の反戦デモに導いた。世界的公正運動はイタリアルネッサンスの発祥地の一つを完全に荒らし回るつもりでいる、このように何週間も触れ回ってきていたベルルスコーニと彼の政府は、はねつけられた。一年前のジェノバ反G8デモを特徴づけた激しい暴力と争いは弾圧機構の暴力に帰因し、デモ隊のせいではないということを、このデモは人々に理解し易くした。
 別の敗者の大物は、社会自由主義の潮流だった。ヨーロッパ労組連合(FTUC)と社会民主党の指導者たちは、討論の中で彼らの方向が非常に広範に拒絶されるさまを目にした。急進派の周辺化を狙った、社会運動を急進的左翼組織に反対させようとした彼らの試みは、遺憾ながら失敗した。このESFに姿を見せたものは、二つの左翼だった。一つは社会自由主義であり、他は、市場経済と利潤最大化追求が発する命令を拒否する左翼だ。この分裂は、政治諸組織と社会運動双方を貫いたのだ。
 
 パリが後を引き継ぐ
 
 パリESFは、上にみた躍動をさらに増幅する大望を見せるだろう。そしてそれは可能だ。フィレンツェ以後、イラクでの戦争に反対する巨大なデモが数々あった。さらにいくつかの諸国では、数々の結集とストライキが、時にはゼネストの形で、緊縮政策と社会的権利への攻撃、特に年金、社会保障、公共サービスへの攻撃に反対して起こった。フランスでは、公教育が何週間も続いたストライキで機能麻痺となった。
 世界的公正要求運動に関して言うならば、アンネマッセとジュネーブにおける反G8デモで、またラルザックにおける反WTOの二十万以上の巨大な結集でその活力を示した。
 これに付け加えて、九月のカンクンWTO会議における合意失敗および全ての要素が、第二回ESFをめざましいできごととするものとしてある。フィレンツェでのESFのように今回のESFも、EUとさまざまなヨーロッパ国家を支配する者たちに対してと同様、資本主義の正統性に対する反対を高めるだろう。
 
 論争と結集の五日間
 
 ESFでは、六〇の講演と二五〇のセミナーが新自由主義政策のあらゆる側面に光を当てる。そこでは大きな軸として五つが予定されている。
 それは
a、戦争反対、平和と公正の、世界に開かれた連帯のヨーロッパのために。
b、新自由主義反対、家父長制反対、社会的民主的権利のヨーロッパのために。
c、利潤の論理反対、社会的に公正で、エコロジー的に持続可能な社会のために、そして食料主権のために。
d、商品化の進行反対、情報、文化、教育に関する民主的ヨーロッパのために。e、人種主義反対、外国人排斥、排除反対、平等な権利、文化の対話のために、難民、亡命者に開かれたヨーロッパのために。
 である。
 これら五つの全般的な論争軸は、以下に掲げるような戦略性を持つ問題で補足される。すなわち、社会運動に対するフェミニズムの寄与、極右反対の闘いないしは来る年月において社会フォーラムがもつ駆動力と波及範囲、資本主義的グローバリゼーションに対する対応の中にあるヨーロッパ中心主義的未来像を避けるような世界的開放、政治諸組織と社会運動間の対立、そして最後に、障害者の権利、子供の権利、都市と全国の問題あるいはイスラムのような一般に過小評価されている一連の問題だ。
 この万華鏡は、資本主義的グローバリゼーションの結末に反対する種々の抵抗と結集に首尾一貫性を与えることを可能にする。さらに、これらのさまざまな多元的な抵抗が資本主義に対する首尾一貫した代替構想をめぐって統一できる時にのみ勝利できる、ということを示すことを可能にする。水曜日には、女性の権利のためのヨーロッパ会議が開催される―ESFの公式部分ではないとはいえ、それはESFの目的に完全に適合している。これを推進する目標は、女性の抑圧に関連する諸問題に光を当て、この抑圧を一層強める新自由主義政策を非難し、女性の闘争とフェミニスト団体を発展させ、そしてこれらの問題が全体としてESFによって取り上げられることを確実にすることだ。確実に巨大とならざるを得ない土曜日の街頭デモは、以下の要求で行われる―公共サービス、年金、社会保障の防衛、全ての差別の拒否、解雇禁止、戦争と全人間活動の商品化と地球の破壊への反対―。
 最後に社会運動の総会が、結集の五日間を完全に仕上げることになる。二〇〇四年は、新しいヨーロッパ憲法の導入、EUの拡大、社会的権利と公共サービスに対する深化した新自由主義攻撃を持って、鍵となる一年であろう。ヨーロッパ規模で待ち受ける数々の立ち上がりに対する支点を形成しうる社会的権利防衛への呼びかけを、この会合が発するとすれば、それは極めて重要かつ有益となろう。
 反戦動員の継続に関しては、二つの重要な行動が論議に上りつつある。そしてそれらをこの会議は引き受けるはずだ。その第一として、クリスマスと新年の間で、「戦争と全占領に反対し、パレスチナ民衆の権利を求めて」の組織が、パレスチナ、イラク、クルディスタンを横断するキャラバンを組織しつつある。第二に、イラクへの侵略開始を想起させ、占領終結を要求するために、〇四年三月二〇日のデモに向け、二〇〇のアメリカの組織が発したアピールがある。
 
 逃してはならないできごと
 
 ヨーロッパにおける資本主義的グローバリゼーションに対する代替的応答を論争すること、あらゆる分野におけるヨーロッパネットワークを確立し強化すること、過去半世紀にわたる獲得物である社会的権利すべての一掃が目的である新自由主義攻撃に反対する、大陸的広がりを持つ結集を支えること、それらがわれわれが手にすべきものだ。
 何十年もの間、国際主義は笑いものにされ存在を止めてきていた。世界と大陸規模の社会フォーラムは、この状況を克服するかけがえのない枠組みを提供している。それらは労働者運動に、社会諸運動を伴って、まさにもう一つの世界に向けた精神に信頼性を与えるに必要な種類の収束を生み出す余地を与えうる。すべての抑圧形態が放逐される搾取のない一つの世界、富が自由時間で計られる一つの世界、それらをわれわれは求めている。第二回ESFは、この方向に向いた一歩となることが可能だ。それは逃してはならないできごとである。
注。筆者は、革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナルフランス支部)政治局員。(「インターナショナル・ビューポイント」十一月号)
 
フェミニズムと運動
                               ナディア・デ・モンド

 ESFに一日の女性デーがあるのはなぜか。ESF内に丸一日の女性に関する討論日を組織するという考えは、フィレンツェの第一回ESFが提供したセミナーやワークショップにおける限られた討論枠という流れの中で登場した。この第一回フォーラムの枠組内では、女性たちが提起した主題に関する真の討論に利用可能な時間の欠如は明白だった。世界女性マーチの努力にもかかわらず、そしてこの運動がESF準備のヨーロッパ会議に最初から参加してきたにもかかわらずフォーラムの討論における女性の存在―特にフェミニストの―と彼女たちの影響力は、極度に限られたものとなった。これは、社会諸組織および社会諸運動を含んだわれわれの社会内に執拗に存続している家父長制(両性間にある支配関係として理解された)、そして全国的なさらに国際的な水準で組織された強い自立性をもつ女性運動の不在、この双方に関わっている。
 女性の権利に振り向けられた丸一日(当初われわれは、実際週末日を考えに入れていた)という提案は、この状況の均衡を回復し、ヨーロッパ諸国のさまざまな女性団体と諸運動間の結びつきを強めることを可能にするためになされた。

 複雑な過程
 
 着想は、ESFの各ヨーロッパ会合内に女性デーに向けた準備会議を入れ、こうして女性運動の伝統的境界および視野を越える動きを生み出すことだった。実際はこの方式は、実行するにはそれ程やさしいものではなかった。
 女性諸団体は全国レベルでは変わることのない諸困難―地理的なまた課題上の分散、財源および組織的で永続的な構造の欠如―に直面している。この問題が、上述した結集に向けた中味のある共同作業実現にさらに重なった。結果的に、組織的、政治的作業はフォーラム開催国が引き受けざるを得なかった。この状況における肯定的な側面は、さまざまな国々、特にフランスに巻き起こした大きな関心にある。後者では、数百の女性たちが、組織的にも非組織的にも、それまでに登録済みだった。おもに地中海沿岸地域の数カ国では、フェミニストグループが参加を集団的に準備していた。それは、問題に関する諸経験をを学び合い、銀行と軍隊とバチカンのヨーロッパに対する共通の抵抗戦略を作り出すために、その会議が真に役立つものとするためだった。
 事実として、今回の会議の目的の一つは、今構築途上にあるヨーロッパ―その「諮問会議」と当然そこから出てくる諸政策―に反対する、女性宣言の起草である。
 この宣言は、ヨーロッパの女性の諸権利と自由に関する中心的諸問題を中軸としたキャンペーンの提案と組になるだろう。そのキャンペーンは、性帰属と生殖に関する自由選択権から始まり、移民女性の権利と彼女たちの自律的位置を含む。それはまた、何よりもかつ主要に女性(特に老いた女性)に貧困を押しつけるEUの新自由主義政策への反対を含む。
 女性会議は第一に、ネットワークの構築における一段階として、また女性運動が大陸規模で活動できるようにし、ヨーロッパ次元の諸政策に取りかかることができるようにする運動と考えられている。
 午前中に予定されているものは、以下の主題についての闘争と抵抗に関する経験を交流する六つのワークショップだ。その主題とは、女性と戦争、暴力、自由な選択、移民と再生産、雇用・貧困・不安定雇用、力の具体化だ。
 扱われた諸問題は、午後の全体会議に提出され、その後その日の最後に採択される「諮問会議」に関する宣言に結合されることになる。こうして一連の進行は、女性デーをESFの公式開会に結びつけるだろう。
 
 世界的な公正を求める運動におけるフェミニズム
 
 「女性の権利のためのヨーロッパ会議」の開催は、フェミニズム陣営による非常な主体的努力の成果だ。そしてフェミニズム陣営はこの間、二つの仮説を基に、世界的公正を求める運動に参加していた。
 それは、
一、もう一つの可能な世界のための国際運動内で女性運動の存在は不可欠であり、支配的システムについての根底的批判は、フェミニズムなしには失敗を運命づけられているということ、および
二、女性運動は、自身を刷新し新しい世代に架け橋を渡すにあたって、主に若者―それらの多くが若い女性の―から作り上げられているこの多くのものが混じり合っている運動に全力を投入することで得るものを、あらゆる点で持っている、ということだ。
その成果は、主に「暴力と貧困に反対する世界女性マーチ」に対するヨーロッパネットワーク二〇〇〇年の持続のおかげだ。そしてこのネットワークは、この行進実現を可能とするために不可欠な最低限度の条件を満たしていた。
 最初の仮説との関連では、運動の論理展開と論議にフェミニズムを十二分に吸収するという点で、世界的公正のための運動が困難を抱えていたということは明白だ。フェミニズムはこの運動に、いくつもの原理的な論題を持ち込んだ。その中には、たとえば経済構造の再解釈がありそれは、実際には女性の責任に任されている家事労働についての認識と価格評価、あるいは社会的諸関係を説明するためのジェンダーというレンズの使用を通して、である。これらのテーマに関しては現在、十分な参考文献、研究者が構築した「専門的知識」、そして世界中どこにでも活動家が存在している。理論面でフェミニズムは、変革対象の多様性というような原理的概念をもたらしている(ここから、他との関連で優先される一つの矛盾、また進展を指揮することになる単一の前衛というようなものはもはやない、ということが結論になる)。すなわちこれは、一つの革命の展望(直接に苦しめられている人々の怒りとエネルギーを何とか結集できる場合にのみ成功可能な構想)の中に生活のさまざまな領域を統合する全体的取り組み方に対する必要性である。
 これらすべては、現在まで運動を特徴づけてきた諸勢力と諸理念、すなわちさらに自身をフェミニストの言葉ではっきり表現することがほとんどなかった一つの運動との関係では、絶対に周辺的なままに留まっている。運動内部でのフェミニズムの強力ではっきりした存在は不可欠な条件ではある。しかし世界社会フォーラム内部で、女性運動の理論的、戦略的蓄積が強力な影響力を持つようになるためには、それは必ずしも十分なものではない。
 構造化した社会的、経済的関係の中にうち固められてきた家父長制的文化の数千年は、社会フォーラムに重くのしかかっている。そしてそれは、闘争と組織の慣例、今までと異なった指導性に向けた訓練、そして運動の優先的内容の確定、これらの刷新をめざす試みに対抗する手強い惰性を示している。
 しかし原則の主張という観点からいえば、WSFとその種々の地域的結集体が労働者運動の伝統であるものと比べて進歩を印してきた、とは言うべきだろう。少なくとも言葉の上では、フェミニズムと家父長制的文化に対する闘いをこの運動は引き受けた。さまざまな国において運動に位置を占めている女性運動と国際的なフェミニストのネットワークは、フォーラムへの参入に開かれた戸口を見いだした。女性の権利と性的自由の分野で特に進歩的というわけではない、ポルトガル、イタリア、スイスのようないくつかの国では、社会フォーラムがその綱領に、フェミニスト、レスビアン、ゲイ、の活動家が提起した論題を統合している。
 上述してきたことは、さまざまな諸潮流、運動を構成している主題の「相互汚染」がそこで止まるということはないが、またその前進が問題として、部分的にはわれわれの手中にも置かれたままである、それらのことをまず示す徴候である。同時にそこには世界的公正要求運動内外でのフェミニストの思考に関する関心および女性運動の復活を告げる諸徴候がある。
 南の諸国では、女性組織の成長はこの間の数十年止まることはなかった。二〇〇〇年の世界女性マーチに対する、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの一定諸国における大きな支持がそれを証明している。社会フォーラムの枠組み内で女性のいくつかの運動は、この運動内における(若い)女性としての参加の特性的あり方に関する諸問題を提起しつつある。たとえばローマでの社会的排除と銀行のヨーロッパに反対する最近のデモでは、「反抗的な」青年の一団は、カンクンでの反WTO結集の期間中における農民女性の直接行動に刺激を受け、警察力と対抗しつつ、デモの中での直接行動および自身をはっきり示す独自の形態を追求することで、はじめて自立的な組織化を行った。
 イタリアでのフェミニストの討論議場の後に大きな論争が引き続いた。対立を排除しない行動諸形態はわれわれの運動内にあるのだろうか。そこにフェミニズム意識の芽生えはあるのだろうか。
 私の見方では、運動の枠組み内に引き込まれている若い女性が、従属的ジェンダーという彼女たちの状況、社会に現にある家父長制的関係、彼女たちが従わせられている差別、これらに気づくことはまったくもって自動的に進むものではない。しかし、われわれが同じ運動の部分として理解され、われわれの考えと経験を、人を引きつける方法で伝達できるならば、フェミニストの主張に耳が傾けられ、それらが取り上げられるための最良の可能性を、現在の環境は提供している。
注。筆者はイタリアの共産主義再建党(PRC)内「バンディエラ・ロッサ」派(第四インターナショナル支持派PRC党員組織)に所属。彼女はヨーロッパ領域で世界女性マーチをコーディネイトしている。(「インターナショナル・ビューポイント」十一月号)
PT急進派は党に留まり、闘

 九月末、ブラジル政府の右派的経済政策反対派の最前線に立つ上院議員、エロイザ・エレナは、党を出るつもりはまったくないと発表した。指導部がもし本気で彼女を黙らせたいと思うのなら、彼女の除名という代価を払わざるを得ないと思われる。エロイザは、社会主義的民主主義派(PT内の第四インター支持者組織)のメンバーであるが、彼女の出身州であるアラゴス州首都、マセオ市市長を争う来年の地方選に立候補するよう圧力を受けてきた。そしてPT指導部は、エロイザと他の三人の議員を排除するか否かを決めることになっていた会議を、十月末まで延期した。この期日設定は、先の選挙への立候補登録期限後を意図したものである。したがってそれは、広範に受け取られているように、別の党名の下で期限内に登録するために、エロイザに彼女の意志で党を出るように仕向ける一つの策謀である。少なくとも別の左翼の二党が、彼女に切符を差し出していた。しかし、上院議員の任期が終わりにさしかかっている元教員の指導者は、PT内に留まり、その内部で闘う選択をした。
 
 ◇◇◇
 
―エロイザは、ブラジル最大の日刊紙、『フォルア・デ・サン・パウロ』に、彼女の選択について以下のように語った。―
紙―PT残留によってあなたは、マセオ市長選への立候補をあきらめたのか?
エロイザ―私は選挙日程にしばられるつもりはない。私は今PT予備選に自分の名前を出している最中だ。私は市長に立候補したいと思っているが、彼らが願っていることをするつもりはない。貧しい家庭で育った一人の娘として私は、何度も裏口に回された。私は今、裏口から出るつもりはない。彼らがもし私を出したいと思うなら、彼らは見せかけの審問を実行し、その全体主義的な、新スターリニスト的な指を私に突きつけなければならなくなるだろう。
紙―あなたは除名を恐れないのですか。
エロイザ―私は、北東部の干ばつに苦しめられた奥地で大人になるまで育った。そこは人が飢えと孤立の中で生きることを学ぶ土地だ。労働党の中でずっと長い間防衛してきた年金を支持する投票をしたからといって、そしてその年金に対する姿勢がどのような民主的討論もなしに変えられたからといって、大統領府は私を処罰できない。年金に対する立場は、前回のPT全国大会で決定されたのだ。
紙―あなたは今も、ルーラ政府を信頼しているのですか。
エロイザ―経済政策は最初の九ヶ月間、保守的であり、市場にへつらい、前政府の政策を続けてきた。しかしこれは変わる可能性がある。しかしそれは、政府が自ら変わることを選択するからではない。そうではなく、客観的現実の圧力、そして、社会運動と党員多数の圧力のためだ。政府は変化を強制される可能性がある。
紙―ルーラ政府に関して、あなたがもっとも失望していることは何ですか。
エロイザ―政府がブラジル政治における最悪の犯罪者の何人かにへつらっているかたわらで、除名手続きに引き出されたことだ。これは本当にこたえる。さらに、われわれが野党であった時に人々に約束したことと、われわれが与党として今やりつつあることとの間に口を開けた巨大な淵に、私は滅入る気分だ。(「インターナショナル・ビューポイント」十一月号)
  
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