2004年3月10日        労働者の力             第 168号

七月参議院選挙に左派の共同戦線を
イラク派兵に反対し、憲法を生かす共同候補の擁立を
 

川端康夫

 

 日本政治情勢が大きく揺れ動いている。去る衆議院選挙の結果が示したものは、小選挙区制度の下での二大政党化への収れんであった。制度的に誘導されたものではあっても、代表制民主主義の下では、選挙結果は厳然と動かしがたい。社民党は議会政党としての存在が危ぶまれる事態に立ち至り、さらに共産党も勢力激減は明確である。保守二大政党化への流れは、来るべき参議院選挙において、社民党が二議席程度との予測もメディアによって流されている。共産党もその倍程度だ。戦後初めての海外派兵が強行され、憲法改悪の動きも加速されている。日本政治はまさに本質的な転換期を迎えている。保守リベラルの危機意識も野中元官房長官や宮沢元首相らの言動に示されているが、もっと直接の問題は、議会内部から護憲派勢力が消えてしまうことである。小選挙区制度を強引に導入した支配階級は、その狙いの最大を今や実現しようとしているのである。制度的困難さは、しかしながら、反対に、左翼勢力の共同行動を促す要素ともなっている。現在、各界の努力によって、参議院の比例代表選挙で、憲法を生かそうとする政党、団体、個人が共同の比例候補者名簿を提出し、選挙区でも共同候補を擁立する動きが進み始めている。社民党も共産党も、現制度の下では敗北は避けられない。いずれにせよ、変革への圧力は強まる。
 
世界的に進む社民主義、スターリニズムの終焉

 世界化した資本主義のもとに、世界的に社会民主主義はこの一〇年来、新自由主義の軍門に下り、社会自由主義という存在へと転身した。イギリスのブレアがその典型である。ブレアは労働党党首でありながら、同時にサッチャーなきイギリスブルジョアジーの代表そのものである。同じことが日本の菅にも言える。旧社会党江田派から出発した菅は、いまや政権交代を狙う民主党の党首であり、その政治手法はブレアを見習っている。
 世界的な共産党、スターリニズム勢力も、また既に過去の存在と成りつつある。あるのはその残骸に過ぎない。にもかかわらず、その存在の不思議さが注目されてきた日本共産党もこの一年の議会選挙での劇的な衰退において、世界的なスターリニズム崩壊の例外ではないことを明らかにした。日本共産党はさる一月の全国大会で、自らを社民政党化する方針を決めたが、その社民政党自体が世界的な危機の中にあるのである。
 左翼勢力の共同による選挙の構想は、まさに社会党―社民党、共産党という政党が、その歴史的生命力を使い果たし、文字通り終了しつつあること、そして同時に、新しい時代の新しい左翼政党が共同事業の中から準備されなければならないことを如実に示しているのだ。
 議会政党にとっては選挙は最大の闘争である。社民党も共産党も自党の利害をかけて闘い抜く方針であることは間違いない。しかし、もはや、それでは勝てないのである。勝てないとすればどうなるか。それは政党としての死そのもに他ならない。
 
混乱相次ぐ社民党―同時に新たな動きも  
 

 社民党は北朝鮮制裁法案の採決に際して、衆院が賛成、参院が棄権というバラバラの態度をとった。この法案に対する議員集団の反応は大多数が反対というものであったが、参議院選挙を気にして、議員団総会はやむをえず賛成するという最終的態度を決めたのである。だが、衆院を通過した段階で、参院サイドには相当の外部からの圧力があり、その結果参院議員団は衆院には無断で法案棄権の態度をとったのだ。
 参院側が衆院側に謝罪するということで決着はついた。社民党という党であるから、こうしたことが決定的な内部的亀裂になることはないが、しかしながら、ほんの一二名になってしまった社民党議員団が、その内部的意思統一も実行できないという事態を示したことはそんなに簡単に見過ごせるものではなかろう。党首も幹事長も参院にいるのである。
 しかし、こうして政党の体裁をまさになさないというべき社民党にも、内外から、危機意識が噴出し始めている。
 まずは東京都連合の常松委員長の「開かれた党」、「選挙において、社民党の名称にこだわるな」という趣旨の論文が社会新報に掲載された。さらに同じく旧社研に属する曽我祐次氏が太田協会の理論誌に論文を寄せた。曽我氏は、護憲政党から「新社民主義政党へ」と題し、要するに抵抗政党からの脱皮を提唱した。さらに外部でも、旧社会党系活動家の、系列を越えた結集の模索が出てきた。
 こうした動きは、社民党解体の危機に対して、急ピッチで始まったものだ。社民党そのものの動きが鈍いとはいえ、党内外からの動きの噴出は、党機構そのものに影響を及ばさないわけには行かないだろう。この七月の参議院選挙を前後して、社民党はおそらく大きな変動の時期を迎えることになる。
 
各地で進む共同への動き―新たな民衆的胎動を! 
 

 沖縄で長年持続してきた左翼共同の闘い(社会大衆党の糸数慶子さんが共同候補に決定)は、今、兵庫における「九+二五」や岡山、大阪などで、イラク反戦運動などを媒介として共同候補擁立運動が始まっている。東京においても、東京地方区での共同候補擁立が検討されている。「イラク派兵に反対し憲法を生かす共同候補擁立を求める懇談会」の代表呼びかけ人でもある前田知克弁護士は「各党は自分の党を脱藩せずに共同で護憲のために選挙戦をたたかえる。ばらばらでは平和憲法を守ろうとする勢力は皆負ける」と二月二十六日の懇談会の席上で述べている。
 比例選挙のための確認団体の基本的な考え方は以下のように討論されている。(懇談会報告文書より引用)
―@呼びかける対象は、憲法改悪に反対するすべての党、グループ、個人とします。すでに複数の党と公式、非公式に働きかけをした経過も参加者から報告され、また社民党の有志からも趣旨賛成のアピールが寄せられました。今後懇談会として関係政党、グループに正式に申し入れます。
A各党、グループに共同で確認団体を作るよびかけをするにあたって、選挙でどういう訴えをするかの大枠を固めておかねばなりません。「憲法九条と二五条を守り生かす。イラクからの撤兵」という方向で表現を工夫する。なお共同する各党と比例代表名簿登載候補者は、これ以外の独自の政策を訴えるのは自由とします。― 
 以上であるが、ここで想定されている対象は、具体的に社民党、共産党、緑の会(中村敦夫グループ)である。それぞれがすでに選挙への取り組みを決めたか、決めつつあるが、なかでも緑の会は、比例区選挙に一〇人を立候補させ、確認団体としての選挙戦を行う予定となっている。しかし、最低でも一〇〇万票といわれる当選ラインを確保することは相当に困難であろう。まさに「ばらばらでは皆負ける」のである。
 われわれは選挙共同に関しては、「平和市民」の闘いの経験を持っている。あの選挙は結局は市民派単独の選挙に終わったし、後味もいいものではなかった。しかし今回の試みは、左翼の大同団結をめざすものであり、状況ははるかに見込みがある。日本左翼運動の歴史的な転換を印す動きになりうるかも知れない。われわれは、世界的にも左翼の共同戦線構築を課題として闘っている。それは新しいインターナショナルのための闘いであり、左翼のリフォームではなく、建て直しをめざすものだ(国際面参照)。その目標と今回の試みの間にある落差は確かに大きい。しかし、その落差は現実の中にある芽の成長によってしか埋まらない。そしてそのためには何よりも、民衆が傍観者である状況を終わらせなければならない。その点で、今回の試みは一つの可能性だ。
 参院選挙の左翼共同を実現するために努力しよう。
 
案内
「イラク派兵に反対し憲法を生かす共同候補擁立を求める懇談会」は、同趣旨のアピールを発すると共に、以下に紹介する行動を呼びかけている。

★イラク派兵に反対し憲法を生かす共同候補擁立を、三・二九集会

 すでに候補を決めて走り出している政党を動かすには声を大きなものにしなければなりません。そこで思いを一つにする人が一同に会し、元気を分かちあい、ひろく各党、世間にアピールしようと、標記の集会を決定しました。

・三月二十九日(月)午後六時から。中野ゼロホール。参加費五〇〇円。規模七〇〇人。
・イラク反戦、憲法改悪反対などの諸運動からのアピール、該当する全ての政党・会派の出席と発言、共同候補擁立のための提起など。

★数百人の呼びかけ人と、数千人の賛同人を

 懇談会の趣旨を明確にするため「イラク派兵に反対し憲法を生かす共同候補擁立を求めるアピール」を作成しました。これをもとに呼びかけ人をさらに募り数百人へと拡大してください。事務局からの発信だけでは僅かです。できるだけ各自が趣旨を知人・友人に説明し、自主的に働きかけて下さい。
 数千人の賛同人を募り、あわせて賛同金(一口二〇〇〇円)をお願いします。賛同金の振込み用紙に「賛同の名前の公表の可否」を記入するようにし賛同者名を集約します。

★懇談会のホームページ
http:/kyoudoukouho.fc2web.com 
 

  寄稿 第四回世界社会フォーラム(WSF)報告
       
もう一つの世界は、必要!
 

           電通労組 日野 正美                  


 
 今年一月、インドのムンバイで第四回の世界社会フォーラム(WSF)が開催された。以下に見るように極めて大きなエネルギーが示された。また、初のアジア開催ということで、新しい要素も加わり、より豊かなものとなった。今回、電通労組の日野さんより報告を寄せてもらったので紹介する―編集部。
 
急転直下のムンバイ行きとナリタ

 ムンバイ行きには、実はちょっとした事情があった。当初予定していた仲間が体調を壊したため、年末段階ではインド派遣は断念せざるをえない雲行きだった。困ったな、残念だなと思っていたところに、ATTACのメンバーから私に打診が来た。ATTACのセミナーは各国から出席するので電通労組も参加してほしいとのことだった。何気なく「パスポートが何とかなればねー」と安易に言ってしまった。その一言が、私をムンバイに運んでしまったのである。
 出発前日まで文字通りドタバタで、WSFの認識も浅く、準備も不十分な中での初の「海外旅行」となった。成田での搭乗手続き、出国手続き、全て一人で初めての体験。事前「学習」をまったくしていなので戸惑いの連続だった。私はヴィザの関係でATTACの仲間たちの搭乗便から遅れ、一七日一二時の便で出発した。しかも、デリー空港の霧のため2時間半遅れ。結局、成田を出たのは一五時になった。
成田第二ターミナルビルから搭乗。ビルからは「横堀団結小屋と鉄塔」が見える。複雑な思いだ。飛行機が滑走路を滑り出すと今度は窓から「木の根ペンション」が・・。

一〇万人、二五〇〇団体の参加   

不眠のムンバイ第一日目(一月一八日:フォーラムは三日目)は、埃と喧騒、人、人の中でのWSF参加。
ホテルから、二〇人乗りのバスに三〇人を乗せ二〇分くらいで、WSF会場へ。「リキシャ」がガンガンとばして走っていく。交差点には、信号無し。三車線くらいの道路?を車が警告音を鳴らしながら走り抜ける。右追い越し、左追い越し有り。一〜二cmの間隔ですれ違う。その間(道幅一〇mほど)を、人間が横断する。無政府的な交通ルール無しの世界。ただ、人と相手車両には「ブツケナイ」という基本ルールは成立しているようである。
会場は、廃墟の工場跡地。立て看板、アドバルーン、横断幕、壁画(落書き)で埋め尽くされている。人、人、人。会場の大通りは、各国のデモ、パフォーマンス、踊り、コール、音楽、チラシ撒きで騒然としていた。登録団体は、二五〇〇団体、七五〇〇〇人だそうだが、一〇万人、いや一二万人参加の報道もされていた。やはりアジアの参加者が多く感じた。特に、参加者の半分以上が地元インドの参加者のようだ。ダリットの参加も多くいた。
ダリットとは、身分制度(カースト制度)が残るインドで、バラモン(司祭者:特権階級)、クシャトリア(王侯、武士階級)、バイシャ(農業、牧畜、商業者)、シュードラ(隷属民:最下層)の4階層のその下に階層化された「不可触民」といわれる人々で、スラムに住み、低賃金、未教育の環境におかれている。さらに、ダリットの女性たちは、低賃金、未教育のほかに、夫の暴力とアルコール依存(仕事場での差別によるストレスが妻に向かう)、またグローバル化のなかで農業が破壊され性産業に入っていくという状態におかれているとのことである。「セックスワーカー」のデモを会場で見たが、身分制度が故に彼女らの人権が奪われ、差別と搾取のもとにおかれていることからの撤廃を訴えていたものだったと改めて思う。裸足、スリッパ履きのインドの人々の熱気とそのエネルギーには圧倒された。
 日本からの参加者は、三五〇人くらいで、ATTACjapan、ピースボード、原水協、連合、NGO等が参加したようである。JR総連は一五〇名の参加だそうだ。全国動員のようである。
 アジア初の世界社会フォーラムは、昨年までのポルトアレグレとはかなり異なり、ムンバイのある州政府は、排外主義右翼の「シプセナ党」支配地で、ムンバイ市や州政府の協力は一切なし。また、「世界社会フォーラムは、企業財団から基金をもらっているNGO等が参加しており、本当のフォーラムではない」とする「対抗フォーラム:ムンバイ・レジタンス2004」も近くで開催されていた。事実、昨年までのポルトアレグレでのWSFは、フォード財団から約五〇万ドルに上る財政的支援を受けてきた。インドのWSF組織委員会は、大きな財団から基金をもらわないことを決めて開催を準備してきた。

反民営化セミナーで一一万人リストラ反対と民営化に抗する闘いを報告
 
 参加初日のわたしの仕事は、ATTAC−japan主催の「公共部門の反民営化セミナー」での闘いの報告。
 @「国民の財産」を私物化し企業利益の最大化を狙う電気通信の民営化は、儲からない公共サービスを切り捨て、そこに働く労働者と地域生活を破壊すること。
A民営化はコスト削減のもと一貫して労働者の削減合理化として徹底された歴史であったこと。
B「公共サービス」には、競争はいらない。「再国有化」を含めた闘いを展開すべきであること。
を報告、提起し、最後に「一一万人リストラ合理化」で強制配転撤回の裁判闘争を紹介した。
私の他に日本からは、国鉄民営化に反対し一〇四七名の解雇撤回を闘う「国労闘う闘争団」の佐久間さん、郵政民営化攻撃のなかで「トヨタ方式導入」と闘う郵政全労協の山口さんから闘いの報告があった。
 日本以外からのゲスト「福祉国家を目指すキャンペーン/ノルウェー」のアスピョルン・ワヒルさんは、「社会福祉(公共サービス)は、労働運動の発展の成果としてあった。しかし、八〇年代から労働運動との力関係の変化(弱体化)が、規制緩和、民営化攻撃を許してしまっている。」とし、「社会的合意から社会的対立の時代に入っている。権力の問題、階級の力関係、市場と市民の力関係に挑戦していく必要がある。広範な諸勢力を結集させる社会の下から運動の構築を」と基調報告。
パク・ハスンさん(KoPA:WTO及びFTAに反対する韓国国民行動/韓国民主労総)は、電力の民営化問題のなかで、電力産業の労働組合を民主労総など様々な社会運動団体が支えてきた韓国の社会運動の現実を紹介。
SUD―PTTフランステレコムのアラン・バロンさんは、@フランス電電公社の規制緩和、Aテレコスの企業支配、B多国籍企業にどう対決するかという三点にわたって報告。
フランス電電公社の規制緩和-民営化は、一九九〇年、一九九六年、二〇〇三年の三段階を経て実施され、この過程で労働者の雇用は、毎年一〇〇〇人のペースで減少し続け、国際競争の名のもとさらなる労働条件の切り下げが行われていること。
 こうしたなかSUD―PTTは、ドイツやセネガル労働者へのリストラ攻撃に反対し、連帯行動をとることで、リストラ案を撤回させるという勝利を獲得したこと。SUD―PTTは、多国籍企業のグローバル戦略に対して、労働組合運動だけでなく全体の社会運動でもグローバルネットワーク構築の重要性を強調していることが報告された。
 南アフリカ共和国の「反民営化フォーラム:APF」トレバー・ヌグウェンさんは、水道、電気の公社民営化反対の闘いを通して国営に戻させたことが報告され、イギリステレコム労組のジェーン・ロフタスさんは、イラク反戦の闘いを通し、ブレア政権の民営化攻撃と闘う陣形をつくり出す方向性を報告。
各国からの報告でセミナーは終了し討論する時間がなく残念であったが、公共サービスや社会福祉が、階級間の力関係に規定されていること、広範な闘いを再構築することで民営化攻撃を止めることが出来ること、それが可能であることが確認されたと思う。世界各地の闘いに学びながら、特に今回は韓国と日本のみの参加だったが、東アジア規模での闘いとネットワークづくりが求められているだろう。フィリピン電通労組(MKP)の所属するフィリピン・ナショナルセンター(マカバヤン)のプリモ・アンパーロ副議長もセミナーに参加していただき、交流もできた。フィリピン電通労組は、解雇一周年を迎えスト権投票にはいるかもしれないので委員長は参加できなかったそうである。
 また帰国後すぐ、SUD−PTT/フランステレコム労組のアラン・バロンさんからは、早速メールが届いており、電通労組の詳しい状況を報せてほしいと要望がきている。

韓日のイラク反戦ジョイントデモ

 今回のWSFは、イラクの侵略と占領に反対する声であふれていた。各国のデモは、「イラクに平和を」「テロリスト・ブッシュは、イラクから出て行け」のコールであった。WSFでの各決議は、アメリカの単独行動主義と戦争政策が経済のグローバル化と一体の関係であり、新自由主義的グローバリゼーションに反対し、イラク反戦に取り組むと宣言している。会場の展示物も「STOP USA」と「帝国」アメリカのイラク戦争犯罪を告発したものが目立った。
 そのようななかで一八日の夕方、韓国と日本の民衆による「イラク反戦集会とデモ」がWSF会場で実現。五〇数名の参加ではあったが、「韓国、日本のイラク占領加担の中止」「自衛隊のイラク派兵を止めよう」と訴え、「日韓FTA反対!」「NO、NO、WTO」「NO、NO、FTA」「PEACE FOR IRAKU」と韓国語、日本語、英語、でコールしながら、プラカード、横断幕を掲げ、デモストレーションを貫徹し、参加者から注目をあびた。

「グローバリゼーションとそのオルタナティブ」に参加して

 語学力が全くないので、スピーカーやパネラーの発言が半分以下しか理解できないことは、非常に残念である。二日目(一九日)「グローバリゼーションとそのオルタナティブ」(論争・パネルデスカッション)に参加。日本訳があるというので行ってみた。
 帝国主義的グローバリゼーションに対し社会主義が唯一の道とするインド共産党メンバー。二〇%の人が八〇%の資源を使用する世界から天然資源を平等に使える世界へ、貿易より環境を優先する持続可能な世界の提案をするドイツ環境NGO。外国籍企業の独占を市民がコントロールするため既存の仕組みを壊すこと。一つのものを世界に押し付けるのではなく、他のものに合わせていくことがグローバル化に対抗する手段とウオルデン・ベロー氏。一部を利するIMF、WTOを止めさせ、労働者の権利、途上国の権利を守り、多様化を重んずる経済を獲得するための行動。等々パネラーから発言があり、会場からも活発な意見が出された。
 日本人通訳を介したり、 通訳レシーバーで聞いたりで充分に受け止めることが出来なかったが、それぞれの方針(対案)を出し合い、行動を起こし調整を通してもう一つの世界をつくっていこうとするコーディネータの整理だった。
 「もう一つの世界は約束ではなく、築くもの。」「貧困に対して希望を与えるオルタナティブを」「もう一つの世界は、必要だ」という発言が、印象に残った。

逞しく生きるインドの人々

 二日目の午後からムンバイ観光を計画。有志を募りゴレガオン駅から「インド門」があるチャージゲート駅まで鉄道で行くことになった。ゴルガオン駅前にはCPI(インド共産党)の「鎚鎌」の旗が翻り、WSF歓迎の看板が掲げられていた。九ルピーで切符を買い列車に乗り込む。二〇秒程度しか列車は駅に止まっていない。扉なし。日本の戦後の買出し列車の状態が思い浮かんだ。車内放送無し、駅側の案内放送もなし。動いている間に降り、間髪いれずに乗り込まないと置いていかれる。全く管理されていないところが良い。自己責任で勝手に乗れと言う感じである。駅に「改札」がない。無賃乗車をする気であれば簡単に出来る。四〇分くらいでチャージゲート駅に着く。郵便局を探し、はがきを出し、[GATE WAY OF INDIA:インド門]へ向かう。不勉強でこの門がなにを意味しているのか分からなかったが、大英帝国の植民地侵略の象徴として建てられたものだということを現地について知った。ムンバイの街並は、大英帝国の植民地時代の建物が多く残っている。駅近くのバーで片言の英語で「サラダ」と「ポークソティ」を何とか注文し、ビールで一服する。
 帰りの列車がまたまた大変。殺人列車という物がどんなものかを体験した。乗る客が降りる客より先に突進して乗り込んでくる。車内で降りられなかった客との間で罵倒した声が飛び交う。乗る側も、降りる側も必死なのである。一〇億人のなかで生きぬく逞しさを感じた。東京のラッシュなんてたいしたことはない。
 ホテルに最も近いアンディヒリ駅(最終駅だったからよかった)で降り、「リキシャ」でホテルへ。乗る前に三人で五〇ルピーで行くように交渉し乗り込む。ホテルについたらメーターは二二ルピー。文句を言ったが五〇ルピー取られた。翌日は、一〇〇ルピーを要求されるも六〇ルピーを支払い、納得させた。“ボッタクル”「リキシャ」の運転手との駆け引きも一つの楽しみでもあった。

「一〇四七名の解雇撤回」要請ハガキ署名とATTAC総会等々

 最終日、フィリピン・ナショナルセンターのプリモ アンパーロ副議長のセミナーに参加予定だったが、会場を探しきれず参加できなかった。ストールを見てまわり、午後からは、ATTACの五〜六人で「一〇四七名の解雇撤回」を小泉首相に要請するハガキ署名を会場の大通りで実施。片言の英語で呼びかけ、一時間くらいで二〇〇名くらい集めた。
署名集め後、「女性・子どもの搾取的移動、特に人身売買を通しての移動との闘い」の論争・パネルに参加するも日本語通訳はなく、連日の行動の疲れが重なって眠ってしまった。
 今回のWSFは、社会の差別問題を取り上げた論議が多くあったように思える。インド開催がそれを引き出したともいえる。話せないのは仕方がないが、聞けるぐらいの語学力が本当に必要に思った。
夕方一七時からはATTACインターナショナル総会の情報交換会に参加。各国ATTACの取り組みについて報告があり、トービン税、水、医療、教育の民営化問題、反戦運動が紹介された。
@ 水・医療・教育の民営化に反対する取り組み
A インドにおけるコミュナリズム、ファシズム、ナショナリズムに対峙した運動
B 戦争と多国籍企業の問題として、反戦と反グローバリゼーションの闘いとして、三・二〇イラク占領反対世界同時行動とWTO香港会議への闘いが確認された。
 また、総会の最後に「ATTAC−インド」の結成が報告され、インドのメンバーが紹介され、次回ポルトアレグレへの参加を約束した。
WSF最終日ということで日本から参加した人達が一堂に会し(一〇〇名くらいか?)各グループの紹介と簡単な発言を受け、WSFで得たものを日本に持ちかえり運動をひろげていくことを確認しあった。

人間が主体となる連帯のグローバリゼーションを!

 九九年に開かれたWTOシアトル閣僚会議は、世界から集まった市民の力が「企業グローバリゼーション」という強大な力を打ち壊し、閉会に追いこんだ。シアトル以後、「もう一つの世界は可能だ」のスローガンのもとの世界経済フォーラム(ダボス会議)に対抗して開始した「世界社会フォーラム」。労働、農業、環境、人権、平和、貿易、さまざまな取り組み、目的を持つ市民が自力で結集し闘いを組織していく新しい運動が世界規模で始まっていることを実感した。
 シアトルで、ジェノバで、ポルトアレグレで、二・一五イラク侵略反対の世界同時行動で、カンクンで、世界の市民の力は、企業利潤の最大化のため地球環境を破壊し、人権、文化を奪う「企業グローバリゼーション」に抵抗し勝利し続けている。イラク侵略もまた、戦争が「企業グローバリゼーション」のもう一つの姿だということを明確にした。
 企業と資本を人間や自然の上に置いている「世界経済フォーラム」に対する「世界社会フォーラム」は、人間が主体となる連帯のグローバリゼーションだ。「企業グローバリゼーション」は、市民の、民衆の「連帯のグローバリゼーション」を地球規模でつくることを提供した。リストラ、農業破壊、戦争、社会的差別、貧困、BSE問題等々、「企業グローバリゼーション」と直結した問題だ。

 「近代的」建物とスラムが混在し、「勝者」と「敗者」が同じ空間で同居しているムンバイ。底無しの「貧困」のなかで生き抜く民衆。気の遠くなるような現実と課題。しかし、「もう一つの世界は可能」だということが現実に自分達の手元にきていることも確かだ。
 「グローバルな連帯は、ローカルな運動から生まれ、ローカルな運動はグローバルな運動から力を得ます」。ヴァンダナ・シヴァ/世界社会フォーラム「自然と人間二月号」より

 まず、自分たちの足元の運動をしっかりと持ち、グローバルな連帯を求めていく運動が「もう一つの世界は可能」に繋がっていくのだろう。
 三・二〇世界同時行動を成功させること。そこからはじめよう!
「もう一つの世界は、必要だ」それをつくろう!
 二〇〇四年二月八日記
 
フランス―LCRの新たな闘い
    新しい勢力へ!

 

               フランソワ・サバド


 FIフランス支部、LCRの全国大会は、〇三年一一月始めに開催された(本紙一六五号参照)。この大会は、新聞、テレビで大きく報道された。もちろん、「左翼」日刊紙「リベラシオン」では、一面を飾った。
 このメディアの関心は一部は、LCRの大統領選候補であった青年郵便労働者、オリビア・ブザンスノーの、〇二年大統領選キャンペーンにおける予想外の大健闘の産物だ。しかしその関心はまた、以下の大会決定によってもかき立てられた。すなわちそれは、フランスのもう一つの極左組織、リュット・ウーブリエール(LO、労働者の闘争)との、今年の二つの選挙―三月の地方選、六月のEU議会選―に向けた選挙協定を承認する決定だ。
 この間フランスの極左は、選挙で一定の重要な結果を記してきた。九九年のLO―LCR選挙協定は、EU議員五人選出に導いた。何人かの社会党の指導者は、前回大統領選におけるライオネル・ジョスパンの敗北と、第二回投票へのジャン・マリー・ルペンの進出を、極左のせいにした。
 LCRを長期にわたって指導してきた活動家の一人であるフランソワ・サバドによる以下の論考は、今回の選挙協定を締結する決定に関する、大会多数の見解をまとめたものだ。その見解は、当の決定と並んで、新たな反資本主義の広範な一つの政治勢力を創出するにあたって、LCRが呼びかけと働きかけを続行し、促進することに力を与えるものだった。
 フランスの同志たちは、左翼の抜本的かつ歴史的な再編に実践的に着手している。これは一五回世界大会決定の具体的実践例だ。一方日本においても、左翼の新しい基盤に基づく結集が一定の広がりをもって討論に上がり始めている。われわれも昨年夏の総会をもって、この討論を積極的に引き受け、前進させることを確認した。以下に紹介するフランスの同志の論考は、われわれの討論を進める上で、いくつもの参照点を含んでいる。検討素材として活用していただきたい―編集部。
 
一、LCR―LO協定

 組織の歴史上初めて今回のLCR大会は、全国的政治情勢を形作る一つの政治的できごとだった。これは、諸決定の複合した結果だ―LO・LCR間選挙協定の追求、新たな反資本主義政治勢力に向けた働きかけの発表、革命的マルクス主義を現代に合ったものとするLCRの能力(注1)。政治情勢に影響を与えるために利用可能なあらゆる手だてを使うことの決定を含め、LOと選挙協定を結ぶという組織の幅広い多数派の選択は、LCRの成熟を証明している。

政治的代表制の危機

 急進左翼と革命的左翼が今引き受けている役割は、底流にある諸傾向の生み出したものだ。なかでも第一は、国家の成り立ちにおける政治的危機だ。右翼および新自由主義左翼政府が交互に交代してきた。それにもかかわらず、それらを通じて一貫して実行されてきた二〇年以上にわたる新自由主義政策は、政治的代表制に全面的危機を引き起こした。この危機は、〇二年四月二十一日、大統領選第二回投票へのル・ペン進出という形で爆発した。これは、三〇〇万人が左翼革命派候補に投票したというもう一つの重要な政治的事実を部分的に隠した。極左の上昇という流れは、すでに大統領選におけるアルレット・レギュエの結果をもって、九五年に認められた。それは、九八年の地方選、九九年のEU議会選、さらに〇一年の地方選で確証された。四月二十一日のような心理的外傷の後では、それは、ぼんやりとしたものになりうる。確かに〇二年総選挙ではそのようになった。しかしそれでも今、フランスだけではなく一連のヨーロッパ諸国でも、急進左翼にとっての決定的に新しい空間が存在している。
 
既成勢力の政治占有は機能しない

 それは三つの要因の結果だ。その第一は、伝統的な社会民主主義の社会自由主義的転身。第二に、諸共産党の加速度的後退。最後に、われわれにとってもっとも決定的なものとして、新自由主義に対する社会的抵抗がある。労働編成の側面で被った諸敗北(柔軟性、臨時化、規制解体)、あるいは年金の敗北にもかかわらず支配階級は、労働者や青年の抵抗に向けた潜在力を破壊できなかった。世界的公正運動を通じた新しい世代の登場と並んで、九五年冬と〇三年春のフランスにおける社会的対立は、この抵抗を証明している。前与党の左翼諸党(社、共、緑―編注)の指導者たちが受け入れないものこそ、左翼に突きつけられたこれらの新しい要素なのだ。そしてこれが、地方選とEU議会選に向けたLO―LCR協定を敵視する、社会党指導者たちの激情噴出を説明する。
 彼らによれば、地方選第二回投票において彼らへの投票を呼びかけていないということで、われわれは右翼に利点を与えていることになる。しかし彼らがわれわれを責めているその罪はなによりも、この新しい社会的、政治的かつ選挙の強さを備えたわれわれの存在そのものなのだ。なるほど、LCRは、二%以上得票することがなかった限りでは「それなりに素晴らしかった」わけだ。物事が深刻となる場合その時は、社会党の指導者たちは民主的競争を好まない。
 しかしLCRは、自分たちの敵を間違わない。われわれにとっての敵は、経営者であり右翼であり、極右だ。そして、政治的戦闘からはじき出された何百万という労働者と青年をうんざりとさせてしまったが故に、前与党指導者たちが行った新自由主義政策が右翼の回帰に全面的な責任がある、そのような状況においては今日、反資本主義左翼が右翼および極右に反対するもっとも効果的な手段なのだ。したがってわれわれは第二回投票に対して、〇二年大統領選および議会選と同じ方針を再確認する。われわれは単一の投票を呼びかけない。われわれの支持者のある者は左翼に投票し、ある者は棄権するだろう。われわれは双方の考えを理解する。左翼の候補者がもし極左に投じられた票が欲しいのであれば、彼らはその投票者を納得させなければならない。責任は彼らにある、ということだ。われわれは、国民戦線(極右―編注)が勝つ危険性がある場合にのみ、左翼への一致した投票を呼びかける。
 この選挙におけるわれわれの目標は、政治と選挙の領域は右翼と新自由主義左翼と極右のものという考えを拒絶することであり、革命派と反資本主義の左翼をこの国の第四の政治勢力とすることだ。
 
二、新しい力

 一〇年間にわたって同盟は、運動の歴史的な周期全体の終了と、それ故「新しい歴史局面、新しい綱領、新しい党」についての討論を組織する必要性を認識してきた。一連の経験と試みに続く政治的発展が、この討論を吟味し続行することを可能としている。これはもちろんのこと、ブザンスノーの運動に対するわれわれの評価によって光をあてられているものの、多くの他の諸要素を考慮に入れたものだ。
 
克服すべきもの―左翼諸党と民衆との断絶 
 
 われわれの起源と歴史は、スターリニズムに対する左翼反対派として刻まれた。国際的にはスターリニズムの、フランスではPCF(フランス共産党)の問題が、階級闘争と党建設へのわれわれの介入に対し主要な問題を設定してきた。さまざまな戦術問題―共産党内分派活動、独立のグループないしは党、公然のあるいは「独特の」(注2)加入戦術、革命的青年組織―を別にして考えるならば、われわれの考え方は、スターリニズムへの反対派として形作られた。
 今日これはもはや問題ではない。なによりもまず、スターリニズムは死の苦悶の中にあるからだ。しかしより総体的観点から言えば、われわれはもはや単なる反対派ではない、ということだ。この間、労働者運動の全体的輪郭には、歴史的変化が生じてきた。労働者運動の再組織化と新しい政治勢力の建設においてだけではなく、階級に基礎を置く社会運動の再建においても、われわれは今、直接的責任を負っている。
 客観的にはスターリニズムは死んでいる。しかしこの進展は、伝統的な改良主義の物質的基盤を掘り崩し、社会民主主義の原理的転換を引き起こしている世界化した資本主義の中で、質的な諸変化を一体的に伴っている。社会主義諸党の「社会自由主義化」とわれわれが呼ぶものは、それらの社会的基盤、構造および指導部の類型を変えている。フランス社会民主主義は、ドイツやイギリスの社会民主主義のような大衆政党であったことは一度もない。さらに加えて、新自由主義とボナパルティズムがエピネイ(注3)の党を枯らした。「諸闘争、労働組合の合流、改良主義諸党の成長、左翼への投票、左翼政府」という方程式はもはや機能しない。左翼諸党と社会運動の断裂は深まる一方だ。今、民衆諸階級との構造的切断があるのだ。今や「改良なき」改良主義の社会自由主義的転換は、その進展が未だ完全ではないとしても、不可逆的流れになっている。
 
問題は「左翼内部の移動」ではない 
 
 こうして事実上、労働者運動全体には巨大な圧力が加わっている。ブラジル労働者党(PT)指導部は何年もの間、階級闘争と反新自由主義の闘いを力説してきた。ところが今日彼らは、金融市場とIMFが要求する新自由主義政策を実行し続けている。別の例は、イタリアの共産主義再建党(PRC)指導部とファウスト・ベルティノッティの転身だ。彼らは今、中道左派との、つまり、オリーブの木とロマーノ・プローディの諸勢力との連立という考え方を討論しようと準備中だ。ところがそのプローディは、紛れもなく新自由主義であるEU委員会の委員長なのだ。
 以上で述べたことは、上記転身の速度あるいは共産党や社会党内に出てくる可能性のある反対の動き、抵抗についてあらかじめ決めつける、ということではない。しかし、スターリニズムと社会民主主義の、別個であると共にまた共有してもいる諸危機は、労働者運動の形態を現に再編しているのだ。そしてこの点に関し特筆すべきことは、過去一〇年、共産党および社会民主主義内部の反対派には重要な発展がなかった、ということだ。
 社会党内反対派は、社会党の全般的展開によって確立された社会自由主義の枠組みから身を引き離すことがなかった。共産党内反対派に関して言えば、彼らは社会自由主義の出店になることと、郷愁として保持されているスターリニズムとの間を揺れ動いている。このような条件においてより大きな問題は、伝統的左翼内部の分割線を移動させるということよりも、新たな労働者運動の再建ないしは再組織化という問題であり、労働者の新しい政治勢力の建設という問題だ。
 
新しいエネルギーは伝統的勢力の外部に 
 

 こうして新しい政治勢力の問題が、歴史的、政治的に提起されている。一方情勢は矛盾に満ちている。〇三年春のストライキ運動は、新しい政治勢力に対する何千人もの活動家の熱望を確証した。これは、スターリニズムの終焉と社会民主主義の新自由主義的転換から生じている。そしてそれはまた、新自由主義に対する社会的抵抗を刻みつけている政治的諸関係に降りかかる。
 九〇年代中盤、特にその最後の時期以来、一つの転機が来た。世界化した資本主義は、新たな拡張周期という形で安定することはなかった。いくつもの危機、緊張、矛盾の折り重なりが状況を圧している。一〇年の間、間近になされたイラクでの冒険主義に似たいくつもの戦争が、これらの緊張の集約的形態となってきた。ブラジルの方向転換を含むラテンアメリカの諸危機は、この不安定性の実例だ。そしてヨーロッパの機能不全は、支配階級の内部矛盾を事実をもって示している。
 しかし、全体的な勢力関係は依然として労働者運動に不利なままだ。新自由主義の攻勢は続いている。確かに他方で、労働者運動、社会運動、反グローバリゼーション諸組織は抵抗している。そうであっても、広範な社会諸層の意識にのしかかっている革命的社会主義の構想に関わる危機の効果は、根強いものがあるのだ。広大な広がりをもつ、あるいは歴史的重大性をもつ社会的、政治的危機は、政治的解決という問題にいくつかの優先性のある簡潔な回答を与えるかも知れない。しかしそのような危機はまだない。アルゼンチンの情勢は、資本主義的諸関係の鋭い危機と、一方における政治的回答の弱さの間に起こるこの情勢移行の痛ましい実例だ。この観点から見れば、ブラジルにおける情勢は近い将来、決定的な試練の場を用意することになるだろう。
 このような全体状況は、革命的マルクス主義勢力に、一つにまとまった新たな反資本主義勢力に向かう道に沿って前進するという、より大きいといってもよい責任を課す。そしてそれは、勢力の諸形態と内容を明確にすることを要求する。社会主義をめざし闘うこの新たな反資本主義勢力、新たな党は、諸闘争に結びついた、労働者運動の社会的、政治的再編の成果であろう。それは社会運動に、それらが今手にしていない政治的協力者を提供できるだろう。それは、革命派単独の勢力から生まれるわけではないし、またただ単に宣伝から生まれることもないだろう。この新しい勢力は、急進的で社会的な、そして政治的な左翼からなる広範な諸層の組織と意識における質的な飛躍を画すだろう。それは社会自由主義を押し戻すことにより、左翼内部の力関係を覆さなければならないだろう。これらの諸関係がその下に発展する諸条件は明らかに、新しい勢力のための闘いを大きく左右するだろう。しかしもっともあり得ることは以下のことだ。それはすなわち、社会的かつ政治的分野における上げ潮を作り出しつつ、またかつての労働者運動の一部門が残すことになる過去の結果と、今登場しつつある世代の基本的寄与との間の本質的統合を行いつつ、その勢力の重心は労働者運動の伝統的諸組織の外部にあるだろう、ということだ。その潜在的可能性は、世界的公正運動のような、青年と諸社会運動の闘争の中にある。
 
資本主義との断絶 
 
 われわれが守っている諸理念は、資本主義の体系との断絶に含まれる諸理念だ。それ故われわれが欲する新しい党は、自由主義に反対し社会主義を求める闘争についての原理的諸問題を明らかにしようとしない伝統的」左翼の改良からは帰結しない。資本主義の秩序との決裂に関する諸理念は、その目標が政府にはいること、また社会自由主義に転身した社会党との同盟に見合うものとすることに限定された戦略の中では、その位置を見いだし得ない。そのモデルが依然としてドイツの「緑赤」連合のままである緑派との、あるいは一定の公共企業資本の開放に賛成する共産党との、「反新自由主義戦線」は無意味であろう、という理由がこれだ。それは、混同に混同を重ねることになるだろう。われわれの考えは、階級闘争に関わる一つの勢力という考えである。それは資本主義経済とその諸制度をうまくやり繰りするという考えを拒絶するのだ。われわれが目指しているものは、人民諸階級の全体的結集による資本主義の打倒、労働者政府を目指す立場に立つ一つの勢力だ。
 これは、その進展速度を予知しがたい長期的戦闘だ。諸選挙はその進行を早める可能性をもっている。LCRとLO間関係は、この展開の一要素を構成する。それはこの問題に関して、例えLOの立場が前進に対する障害であるとしても、である。
 われわれは、新しい勢力のためのわれわれの闘いをLO―LCR関係に切り縮めてはならず、客観的必要と具体的可能性双方の観点から出発しなければならない。これが、大会が採択したアピールの方向だ。すなわち、確定された目的の下に、われわれは、地域から全国にわたる全段階で、公開されたやり方で組織された方法をもって、強力な政治的内容をもつ働きかけを行う。その上でわれわれは状況を動かしている力学を評価するだろう。この展開の中で、LCRとその同盟員は、反資本主義の活動家および諸潮流との対話を強化しなければならない。彼らは行動と論争のための討論集会を生み出すだろう。
 この動きがLCRの枠を十分に越えて進み、一五回大会が採択した政治決議の言葉を使えば、「社会的、政治的左翼の広範な層の組織と意識における質的な飛躍を創出する」ならばその時、新たな党の問題は日程に上る。事態がどうなろうともわれわれは、上に述べた展開を通して、人民諸階級に根を下ろし、開かれた民主的な政党へのLCRの転換を続行する。
注1。大会はまた、新規約も採択した。この問題の論争は本論考では扱われていない。
注2。この用語は、五〇―六〇年代に実践された共産党ないし社会民主主義諸党における長期の非公然的加入戦術に対し使用されている。
注3。フランス社会党は、七一年のエピネイ大会で、中でもフランソワ・ミッテランによって(再)確立された。  

 
 
 

 
 
 
 
 
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