1991年1月10日         労働者の力            第17号
世界史の転換の中で運動の自己変革を

通じた新たな飛躍を闘いとろう

      ソ連邦の危機とスターリニズムの終焉

                         川端康夫


    (一)

 東欧諸国共産党政権の崩壊と脱「社会主義」体制の成立という事態は、一九九一年を迎えて、さらにソ連におけるペレストロイカの危機――連邦解体と経済危機――の事態に引き継がれた。
 世界は米ソという二大国を中心とした東西対立の政治力学から大きく変わりはじめている。そして、ソ連のペレストロイカの「危機」はこの変化がいまだ新たな均衡に到達してはいないこと、完結してはいないことを示している。
 イラクのフセイン政権の軍事的冒険主義にたいするアメリカ帝国主義主導の大遠征軍の派遣は、東西対立時代の幕引きに続く新しい世界が、前の時期に引き続いて世界経済における深刻な南北の対立、拡大する経済格差をなんら克服することなく持続していることを明らかにした。
 「革命の二〇世紀」は、以前にもまして深化する世界的、地球的矛盾の露呈・噴出に直面しつつ、その克服方法としての「社会主義」国家との結合、「社会主義経済」への移行という展望の挫折として終わりつつある。
 スターリニズムの崩壊が何によって引き継がれるのか――優勢な資本主義経済のもとで、いかなるオルタナティブを掲げ、いかなる主体勢力が世界的に形成されてくるのか。
 一切は今後にある。
 政治的再編をめぐる流動はますます高まるであろう。流動はスターリニズムとして刻み込まれた体系の徹底した批判の貫徹を前提条件として、はじめて新しい結実のてがかりをつかむにちがいない。
 第四インターナショナルおよびその日本支部を構成してきたわれわれもまた、過去の深刻な反省の視点をもって新たな歩み、試みを開始した。しかし、依然としてその出発点にたっただけであることを実感せざるをえないのである。
 歴史の転換期において、われわれは、旧来の公式にとらわれることなく大胆に左派勢力の再編の渦中に身を投じ、新たな時代の新たな主体勢力の真剣な追求、模索の協同努力が必要とされていることを痛感する。

   (二)

 世界史の転換は、まさにソ連・東欧圏の崩壊、そして進行しているソヴェト国家の危機によって刻印されている。
 この歴史変動の結果がいかなるものに到達するか、ここで明言することはできない。それは予言の部類に属するであろう。だが、ロシア革命の成果を防衛し、それを今後につなげていくためには、鎖国的な経済体制と強権的国家体制の粉砕が絶対的に必要な条件となっていることは明らかである。そうした激変にソ連が耐えられるかどうか、楽観的な観点を提出することはできない。しかしソ連の体制のいきづまりが転換を不可避なものとしている。後戻りはもはやできないのである。
 ペレストロイカという「上からの改革・革命」は文字どおり危機に瀕している。シェワルナゼの辞意表明は、この国に暗雲がたちこめつつあることを明らかにした。それは、軍とKGBが描き出しつつある連邦防衛のための強権化という暗雲である。
 ソ連の危機は連邦の危機であり、「社会主義経済」システムの危機である。
 連邦の危機は強権的独裁を放棄する道を選択していくときに、この独裁のくびきのもとにおかれ続けてきた諸民族が離反と自立の傾向を増大させたという不可避的な状況の産物である。このことに抵抗しうる社会的、経済的要素は現在ほとんど存在していない。
 現在、経済的結合の必要性のみが、この巨大な連邦の解体を阻止しうる要素なのだが、その経済システムが全面的な混乱におちいっている。
 ソ連は、明らかに内的求心力を失い、その権力は分散し、宙にただよいはじめている。党が力を失った現在、軍とKGBの暴力が連邦をつなぎとめる最後の手段として構想されつつある。
 シェワルナゼは民族自立化への弾圧強化に反対するという立場において、辞任声明に踏み切ったという(『朝日』一月四日朝刊)。また同じ紙面には、バルト三国の一国ラトビアの首都リガにおいて内務省警察特別部隊が主要印刷所を占拠したと報じられた。七つの共和国への内務省軍の派遣が実施される状況である。シェワルナゼの警告はまさに現実味を帯びてきている。
今日、ペレストロイカを進めるという立場からすれば、論理的には連邦の解体という可能性を除外できないないという認識が必要である。
 バルト三国の離脱はその併合の経過からして必然的であり、諸民族共和国もまた、ソ連邦からの離脱の内的エネルギーを高めることも自明といえる。ソ連邦はこの七〇余年の歴史を通じて、結果としてこれらの諸民族を連邦につなぎとめるべき成果を生み出さなかった。
 ロシア革命の歴史的意義は泥にまみれてしまった。民族を圧制から解放し、諸民族の自由な結合のうえにソビエト社会主義共和国連邦を形成するという理念は、はるかな昔に独裁的抑圧による統合にとってかわられた。抑圧の軽減は当然に諸民族の自立―連邦からの離脱にむすびつく十分以上の根拠が形づくられてきたのである。
今日までのままの姿で連邦を維持することに利害を有する層はどこにいるか。それは、これら連邦を支配してきた特権的官僚以外には存在しない。
 本来の意味でソヴェト社会の建設をになうべき労働者階級は現在のソ連には存在してはいないといって言い過ぎではない。長年の抑圧と監視のもとで、階級としての訓練、存在はいっさい解体されて来てしまった。
 この現実は、官僚層に対抗して民主化を推進する左翼的なオルタナティブ勢力にとっての社会的基盤がきわめて脆弱であることをも示している。事実において、連邦解体の危機の進行速度は、労働者階級の再生とイニシアティブへの挑戦に必要であろう時間をはるかに上回る速度で進展している。
 各共和国は、経済的混乱の拡大のなかで、ますます自己の利害の観点から行動する衝動を強めている。それがたとえ官僚層が転化したマフィアであれ闇屋であれ、それらを非難することはできても、共和国の自立化と自己防衛衝動の強まりという必然的力学そのものをなくすことはできない。
マフィアや民族主義者に対抗する力、社会的勢力の登場がこうした現状を克服する可能性をあたえる。だが、党の官僚的独裁の廃止、解体にかわる民主主義的力はいまだ不在のままである。民主主義の力、それを支えるプロレタリアートの政治的形成と登場は、党の独裁の解体と市場導入による生産と消費の有機的関連を実際に経験することをつうじて社会の再組織化の主体勢力へと自らを高めるという過程を、好むと好まざるとにかかわらず必要としている。すなわち迂回としての時間の余裕が必要とされていることにほかならない。
 こうした過程をつうじて――それは危機と背中合わせの過程であるが――あらためて各共和国、諸民族の自由な意思による協同が再建しうるかがかかる。だが、たとえいかなる困難な過程が横たわっていようとも、労働者階級の自立した活性化がなければ、この連邦はもはやこれ以上やっていけないのである。
 連邦の既存の枠組みをそのまま維持しつつ、複数政党制と民主主義を導入しようとするペレストロイカの当初の観点はすでに明白な臨界点に達している。民族共和国の自決の承認のうえに、ペレストロイカのさらなる推進を決断しなければならないのである。 

   (三)

 経済的な結合の進展がソ連の再生、十月革命の成果の防衛のための鍵である。
 ペレストロイカが不可避なものとなってきた理由の最大のものは、この「社会主義経済システム」が国際市場を通じた競争戦で敗北したことにある。
 トロツキーは、一九二七年『ロシアはどこへ行く?』のなかで次のように述べている。
 「ゴスプラン……は、全問題を次のように定義している、『……獲得した地位を固守し、かつ経済事情の許すところではどこでも、確実に、年一年と――たとえ僅か一歩ずつでも――社会主義に押し進む。』この言葉は、……誤った結論に導く可能性をもっている。『たとえ僅か一歩ずつでも』年々社会主義に向かって進めばよい、というこの言葉は、速度はほとんどまったく度外視してもよい、ただ社会主義の方向にさえ向かうなら、われわれはついには目的地に達するであろう、と言うふうに解釈される可能性がある。このような結論は根本的に誤っているであろう……」
 「さらに重要なことはわが国全体の発達速度と世界経済のそれとの関係である。……われわれが世界市場に入り込んだことは、われわれの期待を大きくするのみならず、同時にまた諸々の危険をも増加することになるのは、きわめて明白である。これらの危険の源は常に同一物である。すなわちわが農民経済の分散形態、われわれの技術的幼稚、ならびに現在われわれに比して世界資本主義の生産力が著しく優越していることである」
 「……ブルジョア諸国家の根本的な経済的優越の原因は、資本主義がさし当りにおいてはなお社会主義よりもより安価なかつより良き商品を生産するという事実にあるのである」
 「……われわれは次のような歴史の根本法則を知っている、――勝利は結局においては、人類社会により高い経済水準を保障する政体に帰するのである、と。
 歴史的闘争問題は、労働生産力の総体的係数によって決定されるのだ――もちろん一挙になされるのではないが」
 「……資本主義的技術および経済は当分はなお著しく優越するであろう。われわれは険しい坂道に直面している。……このときにあたって確実な道を見いだす方法は、ただ世界経済の尺度を手にする以外にない」
 「……しかし保護主義――そのもっとも徹底したものは外国貿易の独占である――が決して全能者でないことはいうまでもない。それは資本主義的商品群の侵入を阻止し、これを国内の生産および消費に応じて整理することはできる。……しかし他方においてわれわれは、真の生産を実現する場合にのみ、社会主義的保護主義を維持しうるのである。将来もなお外国貿易独占は、発達不十分な国内工業がいまだ耐ええないような外的襲撃にたいして国内工業を保護するであろう。しかしそれはもちろん工業の発達そのものに代わることはできない。
資本主義的世界経済にたいしては、ソヴェト国家は一つの――巨大なる――私的資本家のような関係にたつ。すなわちそれは自国の製品を輸出し、他国の商品を輸入し、信用を求め、外国の技術的補助手段を買い入れ、最後に外国資本を合弁会社および利権譲渡の形で誘導する……」
 「社会主義の勝利の問題は、きわめて近い将来においてヨーロッパにプロレタリア革命が発展するだろう、ということを前提にすれば、もっとも簡単に解決しうる。この『変化』はけっして荒唐無稽なものではない。
 ……ソヴェト連邦の経済と、ソヴェト・ヨーロッパの経済が結合すれば、社会主義的生産と資本主義的生産との相対的係数の問題は、たとえアメリカがいかに頑強に抵抗しようとも、われわれに有利に解決されるであろう。
 しかしもし、われわれを包囲する資本主義的世界はなお数十年は持ちこたえるであろう、ということを条件的に前提とするなら、問題は複雑になる」
 「このような変化が実現したならば、ヨーロッパのプロレタリアートは、次にまたアメリカのプロレタリアートはどうなるだろうか? 資本の生産力はどうなるだろうか?
 もしこの条件づきで仮定される数十年が波乱に満ちた数十年、惨虐なる内乱の数十年、経済的沈衰、否崩壊の数十年であるならば、換言すれば単に久しきに亘る社会主義の陣痛の過程ならば、この過渡期におけるわれわれの経済は、単にわれわれの経済的基礎の、比較にならないほどの強い安定だけによっても、勝利を占めるだろう。
 これに反して、もし、今後数十年間の世界市場には、あたかも一八七一年から一九一四年の間に発展した拡大再生産のような新しい発展的平衡が保たれるとすれば、問題はまったく別になる。この新しい『平衡』の前提では、生産力の新しい黄金時代が出現しなければならない。……
 ……もし資本主義的生産が今後数年間、否数十年に新しい大発展をなすべきであるならば、――それは、われわれ社会主義国家は、……われわれが根本的な歴史的判断を誤ったことを意味するものであろう。またこれは、資本主義が未だその歴史的『使命』を果たし尽くしていないということ、ならびに発展しつつある帝国主義的形態がけっして資本主義の崩壊、その断末魔の闘争、その腐敗の形態でなく、その新しい黄金時代の前提条件にすぎない、ということを意味するものである。ヨーロッパおよび全世界における新しい、長きにわたる資本主義的再生の場合には、後進国における社会主義は次から次へと絶大なる危機にぶつかるであろう、ということは火を見るよりも明らかである。それはいかなる危険か? 新しい戦争……の形においてか? あるいはわれわれよりもはるかに上等でしかも低廉な資本主義的商品――外国貿易の独占ならびにこれに関連するその他の社会主義経済の基礎を粉砕する商品の――大洪水の形においてか? ……もし先進諸国の資本主義が単に持続の機会のみならず、長きにわたる生産力発展の機会をもつ場合には、後進国における社会主義が困難な立場におちいる、ということはすべてのマルクス主義者の熟知するところである」
  
   (四) 

 ソヴェト経済は「労働生産力の相対的係数」にかかっており、その点において敗北の現実にある。
 ソヴェト経済は、その経済の尺度を世界経済の尺度に代え、国家の力を投入して社会主義的保護主義を維持しつつ生産性の飛躍を実現し、そこに「資本主義が長きにわたる生産力発展」を実現している現実に対抗する力を獲得することにかかっているのである。生産と消費のあいだの切断、原価計算、製品の質を無視した中央集権型の指令経済は破産した。この破産からソヴェト経済を救い出し延命させる方策として、世界経済の尺度および市場を鏡とし、そこにおいて検証された生産原価と品質による生産の再構築が必要なのである。
これは、無責任の体系と化した官僚的指令経済のくびきをたちきることを意味する。指令経済の解体は不可避である。すでにその崩壊は、経済の闇化、物資の隠匿、横流しの横行として表現されている。
 闇経済、横流しの経済の悪循環との闘いは、世界経済の尺度に一日もはやく立つことにある。「資本主義の長期にわたる発展のもとで」「後進国における社会主義が困難な立場におちいる」という状況のもとにあるのである。そして一九二七年当時とちがって、現在のソ連の「後進性」は、まさに官僚的指令経済が生み出し、そして拡大再生産させていることの結果であるからである。
 世界市場における敗北のもつ意味は、この体制が世界経済の調和のとれた発展を生み出す力と能力をもっていないことの歴史的証明であった。
 しかも、この経済体制は、資源の浪費、環境の破壊という点において資本主義に優るところは少しもなかったのである。資本主義経済の浪費の体系にたいするオルタナティブを形成するなにものも生み出さなかった。
 まさに、官僚層の利害という観点以外の価値判断基準をもたない、鎖国状況のもとでの閉鎖された経済体制にほかならなかった。
 「ペレストロイカと民主化は政治と経済の混乱を招いただけだ」と主張する中国は、資本主義経済の国際的圧力に対抗する方法として、唯一党の独裁と官僚統制を堅持すること以外の方法をもたないのである。こうした方法に、楽観的な将来的な展望がありうるであろうか。ますます基盤を拡大する民主化の要求に官僚機構、すなわち党の独裁は受身であり、その陣地を懸命に維持するということに追われるだけである。
 だが、それは民衆の共感に支えられるはずが、民衆を抑圧することによってしか生きられない体制に転じたことしか意味していない。これは、単に民衆との対立ではない。民衆を抑圧しなければ存続できない「社会主義政権」とは、まさに存在そのものの矛盾である。

  (五)

世界は、資本主義が拡大、蓄積する諸矛盾――それはまさに第三世界に集中的に犠牲を強いている――に立ち向かうための新しい国際的運動と方向性を要求している。西側資本主義と対抗し、植民地解放と結合して国際的陣地を形成した「労働者国家」の後退、いきづまりは、第二次大戦以降の第四インターナショナルの一つの路線的基軸であったパブロ主義の世界の終わりを客観的事実としてしるした。
 インターナショナルにとって、教条的なセクト主義の道におちいることを回避させ、世界革命のダイナミズムに不断に接近させるうえで大きな力となったパブロの方法の系譜ではあった。
 しかしながら東西対立のなかにあって「労働者国家」と植民地革命との同盟の側に立ち、その闘いの世界的発展を推進するなかでスターリニズム官僚の打倒の大衆的エネルギーをつかみ、スターリニズムに代わる前衛党を建設するという歴史的目標を実現できないままに、その時代の終わりをむかえた。
 インターナショナルは、こうした現実から、現実にそくして新たな時代に対応する以外に、有効な手段を見出すことはできない。
 それは、前提として世界資本主義の矛盾に対抗するオルタナティブ運動を、政治的民主主義に基礎づけられた新たな国際的潮流の形成にむすびつけていく諸勢力の協同の実現のために闘うことを要求している。
 世界的なオルタナティブのための要素は、エコロジー、フェミニズム、人種差別との闘いなど、具体的な表現をとって既成の社会主義の諸概念に根本的な再検討を必然化させつつ登場している。先進資本主義において、資本主義のもとに包摂されている労働者運動の多数派は、賃金と労働時間という「固有」の利害にとらわれ、固定化した運動にたいする外部からの圧力と打撃をこうした諸運動から受ける度合をさらに強めるであろう。
 階級概念を教条的に純化し、そのうえに階級の前衛党論を描いてきたマルクス・レーニン主義の政党イメージもまたここにおいて根底的な見直しを迫られている。抽象化され、純粋に論理的世界において抽出された前衛党概念は、「唯一の前衛党」というところに到達することによって袋小路におちいった。他の政治傾向、勢力を国家や自前の暴力装置に依拠して押しつぶすということを第一義的党派闘争とするスターリニズム起源の内ゲバ主義が最大の帰結であり表現である。 
 このような内部ゲバルトの世界に無縁であるとしても、前衛党理論が依拠する論理的基礎が階級への基底還元論であるから、多元主義、複数主義との矛盾を内包することになるのはすでに明らかとなった事実である。
 社会主義的民主主義――それが意味するものが複数党の存在を前提とし、政権交代を前提とするものであるならば、前衛党概念それ自身に検討の矛先を向けなければならない。
 もし、政権交代を前提とするものでないのであれば、社会主義的民主主義は、スターリニズム体制のもとで、衛星政党を残存させてきたこととなんら本質においても現象においても違いはない。
 スターリニズムの崩壊が刻印されている今日、世界的な新たな左派運動は、「唯一の前衛」「一枚岩の党」を導き出す論理構造から徹底的に無縁でありうるための新たな構成原理を複数主義、多元主義を尊重しつつ、さぐりださなければならないであろう。
 この努力をつうじてのみ、労働者国家の危機が要求するスターリニズムとの決別とそこでの新しい労働者階級の再生の闘いと結ぶ、新たな時代における世界的な国際主義的連携が可能となるであろう。
 東西対立の壁の解消を背景とし、世界資本主義の拡大する矛盾とたたかう世界的な新しい政治勢力の形成が東西両陣営の境界をこえて組織される展望を来世紀にむけて描き出すためにこそ闘わなければならない。
一九九一年を、新たな時代の出発としての九〇年代を切り開く、飛躍の年とするためにともに闘おう。   一九九一年一月

社会主義の危機と経済学再建の課題(その1)
織田 進

1、ソ連邦解体の危機


  ペレストロイカ開始以来最も深刻な危機

 今日ソ連邦は、ペレストロイカの開始以来最大の危機に直面している。危機はゴルバチョフ政権の中枢をとらえ、改革を推進してきた指導部の結束も崩れつつあるようにみえる。
 危機の最大の要因は、経済の混乱である。改革の諸施策は、外交面で成功をおさめ、政治的民主化の点でもかなりの前進をなしとげたものの、経済の分野でおちいった袋小路からはまったく脱出できないでいる。ゴルバチョフ政権が経験的にうちだしてきた一連の立法や行政措置は、国民全体を納得させて改革につき進ませる説得力と、新しいシステムを軌道に乗せることができる整合性を持つほど根本的ではなく、また多くの重要な施策は共和国政府と経済機構の当事者によって無視され、ネグレクトされている。このため、経済改革の指揮者としての連邦政府は、日々事実上無能化していっている。
 経済危機が、一時的・部分的現象ではなく、いわば原理的な危機であることは明白であろう。ゴルバチョフは当初、体制の民主化と自由化のなかで経済改革も推進されうると確信していた。官僚的な非能率を一掃して、労働者と農民の勤労意欲を引き出していけば、生産性の向上が実現し、その成果がさらに政治的な改革を促進するという展望をいだいてきた。
 だが、現実には改革は、具体的な方策を見出だしつつその実現の責任をになう現場の主体を欠いていた。改革が改良的、漸進的に進まないことが明らかになるにつれ、政策はしだいに体制の根幹にかかわるものになっていった。古いシステムの主たる受益者である行政機構と企業の官僚から既得権を奪い、所有と管理の原則において、国有計画経済の土台を侵犯しかねない変更がくわだてられているという危機感が官僚たちをおそうにつれ、改革への抵抗は組織的で執ようなものになり、民族主義の闘争とからみあって事態は複雑化した。 そこでゴルバチョフ政権は、抵抗を打ち破るために強権化の度合を強め、憲法上の強大な権力を大統領に集中することで、困難を打開しようとしている。だが、改革を推進する勢力がきわめて未成熟で、弱体であるという現実を飛び越えることができるとは考えにくい。とはいえ、保守的官僚層が旧体制を再構築できるほど強力であるわけでもなく、それゆえ、古いシステムはまさに崩壊しつつあるにもかかわらず、新しいシステムはいまだ機能していないという、いわばシステム不在の状況にソ連経済は入っているのである。工業化された広域の国民経済は、システム不在で円滑に循環することはできない。
 したがって、現在のソ連邦経済の危機は、ブレジネフ時代以後の長期衰退の危機とは明確に区別すべき、システムの全面的な混乱、解体、麻痺として表現されている転換期の危機であり、旧体制の破局なのである。これは、新しいシステムへの「革命的な移行」によって急速に救い出されないかぎり、広範な崩壊が、おそるべき欠乏と飢餓が国民を見舞うことになりかねないほどの深刻な危機である。改革の運命は、この危機が間に合って解決されるのかどうかにより決まるであろう。
 だが、その「革命的な移行」とは何か、それが未だ明らかではないのである。どこからということは分かっていても、どこへということが分かってはいない。そのため、この危機からの脱出はきわめて困難である。このような難問にこたえる教科書は、マルクス主義の経済学の歴史上、まだ書かれてはいない。

  諸傾向の立場

 ゴルバチョフ政権が経験的に引き寄せられてきたのは、市場経済をより広範に導入するという政策である。ゴルバチョフはそれを、社会主義の旗を降ろさずにやろうとする。社会主義の旗を降ろさないということは、核心的にはソ連邦の枠組みを防衛することを意味している。あくまで連邦をまもりながら、その枠組みのなかで市場経済を上から組織していこうとしているのである。だが、連邦の経済的枠組みの実体は国有計画経済の諸機構からなっているのであり、「連邦の枠組みを防衛しながらの市場化」が、そのテンポと規模において強いブレーキをかけられることになるのは明白である。
 これにたいして、いわゆる急進派と呼ばれる部分は、連邦の枠組みを防衛することを拒否し、各共和国の単位でより急速で、全面的な市場化を推進すると主張している。共和国単位の市場経済化がはたして現実的であるかについては検討すべき問題があるが、その点を別としても、それがソ連邦解体への確かなシナリオであることは疑いえない。ソ連邦の解体は、市場化のなかで資本主義化に対抗する最大の防波堤から、共和国経済が切断されることを意味する。ソ連邦は、現代の世界の資本主義と社会主義との歴史的な対抗関係のなかで、今日まで、代わるものが他にない極としての位置を保ってきたからである。したがって、いわゆる急進派の立場が、その是非はともかく、連邦を解体して各共和国経済を資本主義的市場経済化に傾斜させていく性格を有していることは否めない。
 いわゆる保守派官僚の立場は、彼らの既得権の源泉としての国有計画経済を防衛することである。官僚特権の基盤であった国有計画経済の諸機構が改革によって危機にさらされているわけであるから、政治的な民主化にも反対する。だが、彼らも時代が変わったこと、要求を実現するには大衆の支持をえなければならないことを知りつつあるから、ペレストロイカに公然と背をむけることはできない。彼らがペレストロイカにたいする反革命を組織し、ソ連邦の枠組みを軍事的な強権発動で防衛するという展望が成立するとは、考えにくい。そのような企図は、もし試みられたとしても、国際的な孤立と労働者・人民の離反によって、失敗するに決まっている。したがって保守派官僚の当面の戦術は、ゴルバチョフに圧力をかけ、その左足をひき戻すことである。だが同時に、この勢力には強固なイデオロギー的一貫性に支えられているという特徴はまったくなく、彼らがもとめているものは権益の確保なのであるから、彼らと急進派をへだてる垣根が、明日取り払われたとしてもおかしくはない。
 今日のゴルバチョフ路線は、ソ連邦の防衛と市場経済化を両立させることにしぼられている。そこに、社会主義の革新としてのペレストロイカの経済的現段階が設定されている。この立場から、最近ゴルバチョフはかじの向きを急進派よりから保守派よりに変えたように見える。だが、そうした危機をのりきる戦術的対応が、かりに一時的に効果を持ったとしても、民衆の強い支持のもとで改革を最後までなしとげる勢力、「上からの革命」を真に民衆的な革命に転化しうる勢力が未だ登場しないうちに、すでに「上からの革命」は破局の危機をむかえるにいたったという事実を変えることはできない。

  ソ連邦の解体は回避しうるか?

 いまやソ連邦は、解体にむかう危機を走りはじめている。はたしてソ連邦の解体は、回避しうるのであろうか?
 西ヨーロッパ・アメリカは、ゴルバチョフ政権によるソ連邦の防衛政策を支持している。これは、地球規模の危機管理と、ヨーロッパの安定秩序を形成するうえで、ソ連がいまや脅威ではなく、むしろソ連邦の解体こそが新たな危機要因を醸成する危険を生み出すこと、ゴルバチョフ政権は、共同の危機管理ヘゲモニーのパートナーとして望みうる選択の内の最良のものであると確認しているからである。したがって、ソ連邦の危機にたいしては、これら資本主義諸国がいちはやく積極的な支援にかけつけている。そしてこの国際的支援の親ゴルバチョフ的性格は、ソ連の諸勢力にとっても、問題を現実的に立てようとする場合に、無視できない要素となっている。 各共和国政府にとっては、連邦の枠組みにとどまることは、歴史的な民族抑圧の継続であり、これをそれぞれの民族主義に熱情的に組織されている国民に受け入れさせることはきわめて困難である。だが、国民経済としての自立をはかるうえで長期的に見た場合には、連邦が抑圧的にではなく積極的な相互扶助の枠組みとして働くものとなるなら、市場経済としての各国民経済は、連邦にとどまることが有利である。なぜなら、市場経済は国際的交換の経済であり、どの共和国経済も、まだ単独で世界市場に立ち向かえる条件を確立しているとか、近い将来に確立できるとかいうことはできないからである。経済危機が早期に解決される場合には、この利点は説得力を持ちうるが、そうでなければ民族主義が事態を押し切るだろう。
 この点では、比較的発展した工業経済や比較的強い自給力を有する共和国と、そうでない共和国との立場は違ったものになる可能性が大きい。連邦には、ロシア共和国といくつかが残り、ヨーロッパに近い共和国は連邦を離脱するということになるかもしれない。だが、ロシア共和国が連邦を離脱した場合には、連邦は解体する以外にない。
 軍やKGBは、連邦制度とともにある。彼らは連邦を防衛するために全力をつくすであろうが、冷戦構造が終焉した現在、彼らの政治的立場は、単独で目的を達することができるほど強いものではない。
 このようにみると、ソ連邦の解体を回避する要素のうち最も強力なものは、ゴルバチョフ政権に対する国際的支援であると言えそうである。だが、国際的支援は、ゴルバチョフ政権そのものにとってかわることはできないのであり、各共和国の人民が連邦離脱を決定的に選択すれば、それを阻止する力はどこにも存在しない。また、ゴルバチョフ以外の政権が成立して、ソ連邦を救出するという展望もない。
 したがって、どれほど短期であるかをあらかじめ言うことはできないが、ゴルバチョフ政権が経済の混乱を収拾し、その改革を軌道に乗せることができるかどうかを試されている短期間に、ソ連邦の運命も決せられるのである。そして、ゴルバチョフ政権が敗北するとき、ペレストロイカを「社会主義の革新」として実現しようとした努力が、敗北に終わるのである。
 私は、ソ連邦がロシア労働者と農民の血であがなわれた革命の成果であることを歴史から学んだ。だが同じこの連邦が、はるかに巨大な労働者と農民、知識人の血をまったく無為に流させ、真に恐るべき奴隷制度を打ち立てることによって生き延びたことも事実である。これらの実際にあったことと、いまある連邦とを、人々の現実の感性のなかで絶対に切りはなすことはできないのである。
 ソ連邦の人民が今日行使できる権利のなかには、ソ連邦の歴史を閉じることも含まれている。彼らがその権利を行使するのかどうかは、彼らが決めることであって、私たちが口をはさめる筋合のものではない。彼らがその権利を行使することにたいし、ゴルバチョフ政権が連邦の軍事力によって弾圧し、阻止しようとするする場合には、私たちは世界中の抑圧された人々が必ずそうするであろうように、民族自決を支持してゴルバチョフ政権に反対しなければならない。そのような弾圧は、ペレストロイカ自身の解体以外のものをもたらしはしないのである。
 ソ連邦の人民がそのように決断するなら、ソ連邦は葬り去られ、ロシア革命から始まった二十世紀社会主義の歴史は、そこで閉じるであろう。社会主義は、もはや未来形で語るべきものとなろう。それもまた、人民自身の選択である。
 だが、そうなるであろうか。
 そうならないということは、私は言えない。

  マルクス主義理論の責任

 ゴルバチョフらペレストロイカの指導者たちは、経済改革の経験的手探りの結果、市場の導入にいきついた。いきづまった国有計画経済は、計画自体の改革によっては救い出すことができなかった。このことは私たちに、どのような問題を提起しているのであろうか。
 「真に革命的な民主的改革」がおこなわれた場合には、市場への屈服ではなく、計画経済の民主化として危機を打開しうると主張する人々もいる。だが、このような仮定は、仮定のままで終わる。「真に革命的な民主的改革」がおこなわれない理由を、その仮定は人々に分かるようには決して説明できないからである。そして、従来のトロツキズムの立場からは、しばしばこのような説明が出てきたものである。
 はたして、国有計画経済は今日、その本質において敗北を宣告されたというべきであろうか。それとも、国有計画経済には、現在の試練をのりこえることによって切り開かれる新しい未来が待っているのであろうか。
 現実のゴルバチョフ政権の歩みは、その手探りがまったく経験的であることに弱さがある。理論的な予見に支えられない経済政策は、危機に先行され、対策が後手にまわる。市場は、ひとたび街頭に姿をあらわすや、すでに自己の論理でソ連経済を支配しはじめている。しかも、もっとも醜悪な形態において。
 現実に生じている事態を統制するためには、すくなくともそれを理論的に解明する努力が必要である。今日までの国有計画経済では、経済学は現実を把握する理論としては不要であった。支配勢力の政治的選択によって経済の方針が決定され、マルクス経済学にはその方針の適切さを証明するためにすべての現実を「説明」する役割だけがあたえられてきたからである。今日の危機においては、そのような経済学が何の役にもたたないことは明らかである。ペレストロイカの指導者たちは、羅針盤を持たないで嵐の海に船出しなければならなかったのである。
 マルクス主義経済学は、いまや、その責任を果たすべきもっとも重大な試練を迎えている。このことは、ソ連邦の内と外とを問わない。問題は、国有計画経済の手法の問題にとどまらない。なぜなら、一歩進もうとすれば、それはこれまでマルクス経済学の基本命題とされてきたものを検討する必要に迫られるからである。
 国有計画経済が、今日比較検討されるべき経済は、二十世紀後半の資本主義経済であって、十九世紀的資本主義や第一次世界大戦以後の資本主義ではない。第二次世界大戦直前の世界恐慌からはじまる資本主義の変貌は、マルクス経済学の再確立の出発点に置かれるべきものであった。もちろんそのような努力がなされなかったわけではない。国家独占資本主義の理論をめぐり、あるいは構造改革の革命理論をめぐって、社会主義の再確立をめざす国際的な論争は一時期活発におこなわれた。
 それにもかかわらず、これらの論争は、ソ連邦として存在する「現存社会主義」の国有計画経済自体の解明と批判を論争の対象に設定しなかったし、その改革を自己の課題にしなかった。そして、社会主義的プロレタリアートの運動は、「現存社会主義」と「現代資本主義」との巨大な生産力ギャップ、第二次世界大戦以前とは逆の成長力ギャップのもとで、プロレタリアートが資本主義の側に引き寄せられていく現実にたいして、まったく無力であった。
 資本主義諸国のプロレタリアートの運動が体制内化していくことにマルクス主義理論が抵抗できなかったことと、ペレストロイカの現瞬間の危機にマルクス主義経済学が立ち向かえないこととは、同じ問題であるというべきではないだろうか。今日ほど、マルクス主義経済学が時代遅れになってしまっている時代はないのである。
 現代資本主義の成長と繁栄、そこにおける「市場経済」を解明することを、マルクス主義経済学の立場からなしとげうるとすれば、それは、ペレストロイカの危機を経験的に打開しようとする人々への理論的な貢献として、きわめて大きな意味を持つであろう。同時にそのことのなかにこそ、国有計画経済の現実と本質を理論的に解明する手がかりがふくまれることになろう。そしてそのような、実際に生きて試される理論として以外には、マルクス主義経済学が存在する理由を見出だすことはできない。ソ連邦の解体の危機の時代には、この分野はもちろんのこと、すべてのマルクス主義的「学界」の訓詁学者には失業の、すべてのマルクス主義的教条主義者には引退の道だけが残されることになるだろう。

政治的代行主義に対する痛烈な批判 
トロツキー著『われわれの政治的課題』(藤井一行・左近毅訳)によせて
                    高木 圭


現代的話題の書

 青年トロツキイの幻の書とされてきた『われわれの政治的課題』が、この度ロシア語原典からの翻訳として刊行された。左翼関係の著作としては、近年異例なほど読書界で話題になっているという。また、十一月初旬に東京で開催されたトロツキイ・シンポジウムのため来日したソ連邦の参加者たちの間でも、訳者の一人である左近毅氏が本書の解説部分のロシア語訳を配ったため、大いに話題が沸騰していたとも漏れ聞く。
 ソ連邦における指導者としてゴルバチョフが登場して以来、とりわけ、彼がペレストロイカを開始して以来、「社会主義」とか「共産主義」とか「マルクス主義」とか「レーニン主義」に関する「常識」が全面的に揺らいでいる。特に、社会主義革命論にとって不動の「正統」とされてきたマルクスとレーニンの権威が再検討の対象とされるのは必至であるとされている。たとえば、ボリス・カガルリツキイは、マルクス主義の基本的な教義が擁護されるべきであるとしながらも、ロシア革命の戦略・戦術をめぐってボリシェヴィズムの路線のみが唯一支持されるべきものと考えるべきではもはやないと明言している。特に、スターリン主義官僚の全体主義的暴虐の危険性の察知に関しては、メニシェヴィキの方が早く、そしてそれなりに論鋒も鋭利であったから、というのである。
 トロツキイの『われわれの政治的課題』の価値、とりわけレーニン主義的党組織論の批判的評価をめぐる論争は、今後必ずや沸騰するであろう。私はそれを全面的に歓迎すべきだと思う。トロツキイのこの書が、たとえレーニン主義の批判になっているとしても、その再検討を回避すべきではない。今や、いかなるタブーをももうけることなく、マルクス主義・レーニン主義の基本的教義について、いかなるものが死んで、いかなるものが生きているのかを、より根源的な立場から厳密に再検討し、われわれ自身の運動を豊かにする糧にすべきだと思う。そういった手順こそ、もしマルクスやレーニンが本当に偉大な思想家であったなら、彼ら自身歓迎しないはずはないと信ずるからである。

ボリシェヴィキ-メニシェヴィキ論争の一環として

 左近氏の解説に述べられている通り、本書は一九〇三年に開催されたロシア社会民主労働党・第二回大会における多数派(ボリシェヴィキ)と少数派(メニシェヴィキ)の分裂にまつわる論争の一環として執筆された。刊行は、一九〇四年夏ジュネーヴにおいてのことである。周知の通り、この論争でトロツキイはメニシェヴィキの立場に立った。このことは、トロツキズムは「レーニン主義の敵」であるという、スターリン主義者のレッテル貼りの最初の理由ともなった。
 トロツキイの本書での「敵」はまさしくレーニン本人である(スターリンではなく。彼はこの当時単なるマイナーな党人の一人にすぎなかった)。レーニンのボリシェヴィキ的組織原則は、トロツキイによれば、政治的代行主義へと結びつく。それはプロレタリアに対する不信に基づく組織論なのである。トロツキイは、レーニン主義は必ずや、かつてフランス革命のジャコバン独裁が恐怖政治を導いたように、「プロレタリア独裁」ならぬ「プロレタリアに対する独裁」を引き起こすであろう、と断言する。
 トロツキイは書く――「改良主義とブランキ主義の、二つの日和見主義的形態。これは、民主主義的インテリゲンツィアがプロレタリアートの階級運動にもち込む、特殊な要素が原因となっている。民主派のインテリゲンツィアは、ブルジョア革命の熱気にまだ酔っているうちは、陰謀による権力奪取にひかれ、――ブルジョア革命の伝統が過去の領域へと入るにつれ、反革命的改良主義へとかたむいていく」(本書、二一二ページ)。トロツキイによれば、組織の物神崇拝は二つの形態の日和見主義を生み出しがちである。改良主義に劣らず、ジャコバン主義=ボリシェヴィズム=レーニン主義も日和見主義なのである。なぜなら、どちらもプロレタリアートの自己解放の運動をバイパスしようとしているからである。
 『われわれの政治的課題』の基本は、政治的代行主義の批判である。それは、レーニンの権威にも決して物おじせず、実に堂々としていて読む者を引きつけずにはおかない。真剣な議論の対象とされるべき所以である。

ボリシェヴィキ=トロツキイの立場との関係

 このようにトロツキイのレーニン主義批判の舌鋒は極めて先鋭である。われわれがさらに見ておかなければならないのは、この青年期のトロツキイのレーニン批判の立場が後年ボリシェヴィキになってからの彼の政治的観点とどう調和するか、という問題である。周知のように、トロツキイは一九一七年になって、レーニンが彼の永続革命論の見解を支持するにいたったのを見、さらに、ボリシェヴィキの鉄の組織が革命にとって必要であると判断し、ボリシェヴィキになった。それ以降のトロツキイは最期まで、ボリシュヴィキ=レーニン主義者を自称し続けた。
 レーニン自身も、トロツキイを最良のボリシェヴィキとして認め、遺書においても、トロツキイの非ボリシェヴィキ的過去をとがめだてすることのないように書き残すわけである。
 トロツキイははたして青年期のボリシェヴィズム批判の立場を撤回したのであろうか。部分的にはそうであろう。私は『われわれの政治的課題』でトロツキイは、少なくとも部分的にはレーニンの真意を誤解していたと思う。レーニンは理論の人としてよりはむしろ実践の人として著作を書いた。その文章のスタイルと判断内容は、良くも悪くも「プラグマティック」であり、「即物的」であった。けれども、彼は一流のモラルの人であり、堂々と自分の見解を変えることを潔しとした。しかも誠実な論理をもって。
 本書とともに、トロツキイがレーニンの死の直後に書いた『レーニン』(邦訳は河出書房新社刊)をひもとく必要がある。そこには、レーニンの人となりと組織原則の真意が実に深い理解をもって書かれている。この書をレーニンについて書かれた最良の書の一つであると私は見なす。
 そして同時にトロツキイは、『われわれの政治的課題』におけるボリシェヴィズム批判の有効性を、これまた少なくとも部分的には信じ続けていたと思う。それは、一九三〇年代半ばに綴られたある手稿から推測できる。そこには「レーニンが機構を創った。機構がスターリンを創った」と書かれてある。レーニン死後のトロツキイは、レーニン主義の積極的遺産をスターリンに抗して守らなければならなかったことを忘れるべきではない。
 私のある友人は最近、私に向かってロシア革命の歴史に関して、路線はトロツキイのものか、スターリンのものか、どちらかしかなかったと述べた。レーニンについての評価が困難であることを議論している最中でのことである。この言葉が、レーニンに関する「謎」を解く手掛かりを与えてくれる。レーニンは、そして彼の組織論は、極めてアンビヴァレントであった。
 日本のある作家は、「英雄」という題をもった次のような文章の書き遺していた。興味深い重要な文章なので全文を引用しておこう。

 彼はヴォルテエルの家の窓からいつか高い山を見上げていた。氷河の懸った山の上には禿(はげ)鷹の影さえ見えなかった。が、背の低い露西亜人が一人、執拗に山道を登りつづけていた。
 ヴォルテエルの家も夜になった後、彼は明るいランプの下にこう云う傾向詩を書いたりした。あの山道を登って行った、露西亜人の姿を思い出しながら。……

 ――誰よりも十戒を守った君は
   誰よりも十戒を破った君だ。

   誰よりも民衆を愛した君は
   誰よりも民衆を軽蔑した君だ。

   誰よりも理想に燃え上がった君は
   誰よりも現実を知っていた君だ。

   君は僕等の東洋の生んだ
   草花の匂のする電気機関車だ。――

 この文章の出典は、芥川龍之介の『或阿呆の一生』である。この文章で話題になっている「露西亜人」とは、言うまでもなくレーニンである。またこの作家は、『侏儒の言葉』でも、「レニン」という項目でこう書いている。「わたしが最も驚いたのはレニンのあまりにあたりまえの英雄だったことである」。
 芥川の文章が教えるのは、レーニンがいかに「弁証法」的に理解されなければならないか、ということにほかならない。つまり、レーニンの思想は決して文脈抜きに形式論理的に理解されてはならない、ということである。『われわれの政治的課題』の著者の若いトロツキイは、レーニンが民衆を「軽蔑」する姿を見、それを糾弾した。それは、半面正しく、半面誤っていた。正しかったのは、レーニンの創ったボリシェヴィキ党組織からスターリン主義官僚が出現することを予見した点においてである。誤っていたのは、レーニンがそれを、民衆への「愛」によって厳しく統制していたことを見ていなかった点においてである。これが、芥川のレーニンに関する所見がわれわれに教えてくれることであり、また、われわれがトロツキイのレーニン主義に対する態度をどう理解すべきかについて教えてくれることである。

レーニン組織論の現在とトロツキズム

 レーニンの観点は、歴史が雄弁に示したように、一九一七年以降のトロツキイによって引き継がれた。レーニンはブルジョア民主主義がほとんど存在していないところで、革命の効率よい展開のために、目的意識性が最も貫徹できる革命党組織建設を推進した。否、そうすることを余儀なくされた。それは決して間違っていたわけではない。しかし、その組織原則が、いかなる時、いかなる場所で適用可能かどうかは大いに議論の対象とされてよい。
 レーニンは今おとしめられている。彼の思想を葬り去ろうとしている人々によってのみではない。彼の遺体を遺族の意向に反してミイラ化したり、彼の思想、とりわけ彼の党組織論を物神化しようとする人々によってもである。
 私はレーニンの思想を物神化する人々とともに、それを全面的に否定しようとする人々にも反対する。後者もまた、レーニンの真意に反して、その思想を物神化し、それを否定しているからである。レーニン主義を全面的に否定し、その遺産をスターリン主義者(「トロツキズムを超克」してしまった、「反スターリン主義」をスローガンに掲げる現代のウルトラ・セクト主義者をも含む)のものにしなければならないいわれはない。これが、ボリシェヴィキ=レーニン主義者を名乗った晩年のトロツキイの真意でもあったのである。
 レーニンの組織論(スターリン主義の組織論ではなく)は依然としてわれわれの遺産であり続ける。われわれは今や同時に、こう言うべきであろう。若きトロツキイの『われわれの政治的課題』も、われわれの重要な政治的遺産になった、と。それというのも、歴史の予見に関して、この書はほかのどれよりも洞察力を発揮していたことが今や明らかになったのだからである。
      (大村書店刊・二、五七五円)