2004年11月10日        労働者の力             第 176号


米国大統領選挙―ブッシュの辛勝
深刻化する米国民衆の分裂そして日本政治の混迷


川端康夫


 十一月二日投票の米国大統領選挙において、現大統領ブッシュは辛うじて再選された。ブッシュの得票率は五一%、二五四人、民主党ケリーは四八%、二五二人、そしてラルフ・ネーダーは〇・三%である。ここではアイオワとニューメキシコ、オハイオの票は数えられていない。ケリーはオハイオの暫定票の開票結果を待たずに敗北を自ら認めた。暫定票開票結果を待つのであれば結果判明まで相当期間がかかるはずだった。しかしオハイオの暫定票は約一七万五千票、ブッシュとケリーの差は一三万六千票であるので、ケリー陣営は逆転の望みはないと判断したのだ。またオハイオ、アイオワ、ニューメキシコの開票結果が確定したとしても、総得票数で及ばず、法廷闘争にかける大義名分がなかった。
 前回、二〇〇〇年大統領選では、民主党ゴアの得票総数がブッシュを上回っていた。その意味で、フロリダの開票騒動を別にしても、ブッシュの当選には一定の正当性の疑問がまとわりついていた。今回は僅差とはいえ、ブッシュは総得票数において、ケリーを僅かに上回ったことによって、辛うじて、現職大統領としての正当性を主張できることになった。そして同時に、この結果は小泉にも辛うじて安堵を与えることになった。しかしこの彼の安堵には確かなものは何もない。
 
示されたアメリカ社会の分裂 
 
 開票結果は、ある種、南北戦争を想起させるような米国社会の分裂を明らかにした。北東部はケリー、南西部はブッシュ、西海岸はケリー。あるいは都市部と農村部の亀裂。さらに人種的な亀裂。白人系多数がブッシュ、アフリカ、メキシコ、東洋系はケリー。
 ケリーの追い上げは選挙戦終盤のテレビ討論において劇的なものとなった。ヴェトナム戦争時の六八年以来、久々の外交政策をめぐる対決において、ブッシュは自らのイラク侵略の正当性を十分に防衛できず、接戦に追い込まれた。ケリーは、開けてみなければ分からないとまでいわれる状況にまで追い込んだわけだが、しかし、それを上回るためには足りないものがあった。反ブッシュの民衆的うねりを真に動員できなかったのだ。
 選挙戦は空前の盛り上がりを見せた。若者の投票が大幅に伸び、ここにもブッシュの冒険主義的軍事主義に対する危機意識の深刻さが示された。そしてさらに、選挙戦は、互いに、「敗北したらこの世の終わり」の雰囲気で闘われ、またブッシュ陣営が終盤戦で仕掛けた中傷戦術、いわゆるネガティブ・キャンペーンは民主主義国アメリカのイメージを著しく傷つけるものだった。
 しかし、ブッシュの勝利は、「基礎票の勝利」といわれる。共和党支持層は、増大するキリスト教原理主義勢力の強力な支持を受けていた。ブッシュ陣営は前回選挙においてゴアに後れを取った理由は、選挙戦で「穏健な保守主義」を唱えたために、原理主義勢力の十分な支持を獲得できなかったとし、組織票を徹底的に固め、基礎票で勝利することを目標にした。とりわけ原理主義勢力を徹底動員するために、妊娠中絶反対を前面に押し出し、この中で、伝統的に民主党系であったカソリック系をも自陣営に組み込むことに成功した。民主党の派手な選挙民登録運動と対照的に、共和党陣営の選挙民登録は、静かながら深く広く浸透していたのである。南部地区一帯に広がるメガ協会形成運動に象徴されるキリスト教原理主義運動は、同時に米国の上流層の中に進行する保守化とともに、アメリカ社会の右傾化を象徴する。ブッシュ自身が原理主義者である。極めて排他的で、非和解的な集団である原理主義集団は、これまた、上流層の排他的自己防衛意識と重なる。自己以外の論理を拒否するこうした傾向は、ますます社会的意識の分裂を促進する。
 アメリカ社会は、深刻な分裂状況に突入したのだ。
 
分裂を回避できないアメリカ 
 
 アメリカ社会のこうした分裂は、新自由主義的なグローバリゼーションを推し進めるしかないアメリカ資本主義の現状を背景としている。新自由主義のグローバリゼーションは、同時に国際的な協調ではなく、単独行動主義と軍事主義化を加速した。イラク侵略時におけるフランス、ドイツとの亀裂を別にしても、ブラジルやインドという南の大国の抵抗によるWTOの行き詰まり、さらにラテンアメリカ諸国に進行する反米的な左翼政権の相次ぐ登場など、国際的な孤立があり、そして、新自由主義政策が意味する国内的な社会階層の分裂の拡大がある。
 社会的保障を軽視、あるいは敵視し、金持ち優遇減税に腐心する共和党政権はまさに国際的、国内的な孤立と分裂の仕掛け人なのである。他方の民主党にしても、その行き方に、国際金融業者ソロスのような「協調的」、「緩やかさ」を特徴としつつも、新自由主義のグローバリゼーションという基本枠組みには変わりはないが、軍事主義的冒険主義という点ではニュアンスは異なる。さらには、今大統領選が示したように、都市型の相互の個性の尊重という点でも、ブッシュ陣営のファンダメンタルの非和解性とは相当に色彩が異なる。ブッシュ陣営にとっては、リベラルとはいまや社会主義とほとんど同じなのだ。
 新自由主義政策は、完全な市場論理において、高所得層には優遇策となり、低所得層には、自己責任原則を押しつける。所得格差の増大はいまや天文学的なものとなっている。大企業のトップの年収はすざましい額である。こうした極度の社会階層の亀裂、これは、現在の日本で進行している事象を見れば容易に想像がつくことである。そこに社会保障制度への敵視が加われば、社会的救済、いわゆるセーフティ・ネットの不在が社会階層の分解を加速する。このような社会において、非和解的な排他的キリスト教原理主義の台頭は、この国の国民的統合という点から見て、最悪とも言える。原理主義は自己の原理しか認めないからだ。人種的複合性、階層的複合性、これらを特質とするアメリカ社会は、多様な質、価値観が複合し、共存する社会である。その複合的共存関係が破壊されつつある。そして新自由主義のアメリカは、この過程を本質的に回避できないのだ。
 
小泉と岡田―日米同盟の枠組み内での対立 
 
 ブッシュ政権の二期目はどうなるだろうか。国務長官パウエル、国務次官補アーミティージの再任はあるのだろうか。パウエルとアーミティージが次期には就任しないと言明した事実がある。ブッシュ政権内部の暗闘に嫌気が差したのだろうが、もっとも本質的には中東問題の根源であるパレスチナ問題におけるブッシュの独走的な、シャロン防衛の姿勢に対する不満だろう。さらにパウエルはイラク侵略は失敗だったとも公言しているのだ。少なくともパウエル時代の終焉は明らかだ。残るは、いわゆるネオコン勢力である。彼らはイラク侵略の正当化を絶対に防衛する立場であるから、単独行動主義傾向が後退することは考えられない。そして、パレスチナ問題においても、歴史的にシャロンとの関係が深い彼らネオコンは、さらにパレスチナ民衆への対決姿勢を強めるであろう。世界は第二期ブッシュ政権にさらに警戒を強めざるを得ないのである。
 フランス社会党のオランド第一書記は「自らの世界観を押しつけようとするアメリカに対し、ヨーロッパはもっと強くならなければならない。それが歴史的使命だ」と語った。
 ブッシュ再選は、まさに世界を落胆させた。海外でのブッシュ支持率は極めて低い。海外で、これだけ不人気な大統領も珍しい。イギリスでは、ブッシュ支持の労働党の凋落は著しい。先の地方選挙では労働党は第三党に転落したのだ。
 日本の小泉首相は、異例にも、選挙戦でのブッシュ支持をあえて公言した。大接戦が伝えられる中、冷や冷やもののはずだが、ケリーが当選した時には、どうするつもりだったのだろうか、理解に苦しむ。まさに小泉は、イラク侵略を真っ先に支持し、多国籍軍にも参加表明を行った、その立場を正当化するために、ブッシュ支持を公言したのである。
 日本国内での世論調査では、ブッシュ支持はケリー支持に比べてはるかに低い。小泉の立場と世論とは対立している。この落差は、明らかに日本の世論がイラク侵略を支持せず、イラク派兵にも反対であることを語っている。大統領選挙は、イラク侵略の是非をめぐって、正面から対決した選挙だったからである。
 日本の民主党岡田代表も、アメリカ民主党の党大会に参加し、ケリーを支持する姿勢を見せた。前述したように、共和党と民主党の違いは新自由主義のグローバリゼーションの進め方の違いに過ぎない。その意味で、自民党、民主党両党は、日米同盟という大枠組の中で、新自由主義の土壌の上で、それぞれが結びつく相手を特定した。そのような対立関係が国際的性格を帯びて、小泉と岡田によって意識的に作られたのである。
 だがこのような対立の性格は、国連常任理事国問題が明らかにしているように、日本がアジア代表として認識されてはいないという問題点を少しも解きほぐさない。アジアからの支持がない―これは日米同盟関係の根本的問題点である。日米同盟は、明らかにアジアを主要な直接の対象としている。そのような日米同盟を強調する両党が、日本における二大政党であり続けることは、アジアで客観的に進む政治、経済、そして階級的対立関係と鋭く対立するのだ。それ故、もし日本において、本格的な二大政党が民衆的基礎と現実の力を持つものとして成長することがあるとすれば、それはまず、何よりも日米同盟か、アジアとの連携か、という点をめぐる対抗関係になるはずである。
世界的に、そしてアジアで(たとえば韓国民衆に見るように)アメリカ主導の新自由主義的グローバリゼーションと民衆の衝突が抜き差しならないものとして発展する今後、日本政治を規定する先に述べた米国との関係をめぐる客観的圧力は否応なく高まるだろう。自民党と民主党の対抗という現在の姿はその意味で、新自由主義のグローバリゼーションが、いずれにせよアメリカ資本主義の覇権の下に確立されるはずだ、という根拠の薄い幻想の下に現出しているに過ぎない。現在の日本政治の諸関係には何らの安定もない。ブッシュが押し進めることになる新自由主義的グローバリゼーションの強行的突破という路線は、その不安定さを一層高めるだろう。
 日米同盟からの脱出―ブッシュ再選は、そうした方向性の必要をさらに明確にしたのだ。そして、新しい左派は、このような必要性に基礎づけられる。(11月5日)

 
日韓自由貿易協定(FTA)交渉を中止せよ!
11・1〜3韓国の遠征闘争団と日本の労働者、連続闘争を展開
           
 昨年一二月に始まった日韓自由貿易協定の第六回協議が一二月一日から三日にかけて東京の外務省で開かれた。日韓FTAに反対している韓国民主労総やKoPA(自由貿易協定WTO反対国民行動)、そして民主労働党などはこの協議に抗議し、交渉の中断を求めるために、八〇名の大遠征団を組織し、来日した。日本側も日韓FTA交渉に反対する十一月日韓共同行動実行委員会を組織し、三日間の連日行動を闘った。さらに民主労総とは別枠で、韓国労総(最近まで御用組合といわれてきた)も抗議のために来日し、十一月三日の外務省前行動では民主労総隊列と合流し、この二つのナショナルセンターは、反FTAで協同して闘うと表明した。
 日本側の実行委員会は、全労協傘下の中小労組政策ネットワーク、全日建連帯、国労闘争団、郵政ユニオンなどで、電通労組も全一連の行動に参加した。
 
新鮮さと活力に満ちた三日間行動 
 
 行動の要求は、交渉の中止の他に交渉内容の公開を求めるもので、さらに、生活と労働を破壊するFTA反対、戦争反対などのスローガンで闘争が組織された。闘争団の規模は連日二百名規模で、外務省には連日、一日行動の十一月二日には、国会前座り込みや、関係省庁、経団連行動、いずれも道路を挟んでの二時間ないし三時間の歩道上集会をもった。外務省には、交渉内容の公開、韓国政府代表団との面会を求めたが、日本外務省は最後まで拒否し続けた。韓国代表団は、三日の交渉には、外務省の裏口から庁舎内に入る始末だった。
 初日である十一月一日の行動では、激しい抗議行動に押され放しで、対応にとまどっていた警察機動隊が腹いせに、十一月二日には、闘争部隊の横断歩道上の移動を阻止し、抗議する部隊の一人、全日建連帯労組員を強引に逮捕する暴挙を行った。まさに超法規的な、自由進行の妨害である。
 宣伝活動も連日行われた。一日には有楽町マリオン前宣伝、二日は渋谷の宮下公園での集会とデモ。この集会には五百人が結集した。大部分が労働組合員。日本側から全労協の藤崎議長、全統一労組の鳥井さん、韓国側からはKoPA、民主労働党らの代表からの発言、シュプレヒコールの練習、歌声など多彩に集会が行われた。韓国労働者の戦闘性と活力、そして集中性は、スローガン、闘争歌など、行動にメリハリと工夫があり、日本側参加者に刺激を与えた。全一連の行動、集会には新鮮さがあった。その後のデモ行進は渋谷一周。
 
危険な日韓自由貿易交渉の交渉内容 

 シアトル、カンクンと、WTO枠組みの確立が、民衆、そしてそれに押された「南」の政府の抵抗でブレーキをかけられている。この抵抗をすり抜ける道として、七月にスイスのジュネーブで開かれたWTO一般理事会でドーハ開発アジェンダの基本骨格が合意された。それ以降、各国政府は二国間、地域間FTA交渉に拍車をかけている。日韓両政府は、日韓条約締結四〇年となる二〇〇五年の締結を目指して日韓FTA交渉を進めてきた。その内容は外交交渉であることを理由に、公開されていない。交渉開始に先立ち、昨年一〇月にまとめられた日韓の産官学による日韓FTA研究会報告は、対日赤字の増大など短期的には韓国に不利なものの、長期的には日韓産業の戦略的提携が進むことで両国に有利に働くとと結論づけている。しかし、不利に働く過程や戦略的提携が意味する企業統合のなかで必至となるリストラされる労働者の問題は、何一つ検討されていない。特に被害が大きいとされる韓国側からは、日韓FTAの中止論・慎重論の声が大きく上がっている。
 さらに、日韓FTA交渉では資本の自由な移動を保障するために、その障害となるあらゆるものを関税障壁、非関税障壁とみなし、その撤廃を検討している。日本政府は、韓国の活発な労働運動を非関税障壁ととらえ、これの撤廃、つまり韓国労働運動を抑圧、弾圧する条項を盛り込むことを検討している。消費者の立場に立っても、「貿易の迅速化」の下に、植物検疫や食品規格の緩和があり、健康や食の安全に影響を与えるものがあり、さらには教育、保健医療、エネルギー、水の問題など、公共サービスの私有化を促進させる内容が含まれている。
 このように、この交渉には、WTOで問題視されている多くの議題が含まれ、またWTOに持ち込まれていない危険な議題が検討されている。
 「自由貿易の促進」の名の下に、労働権・生活権・環境権・人権を破壊する協定が密室で検討されているのだ。
 日韓FTA交渉の内容を公開せよ。FTA交渉を即時に中止せよ。(K) 
 
     

イラク第四次派兵反対!
    ――王城寺原で実弾演習も強行―
              
 


 防衛庁長官は五日、陸上自衛隊東北方面総監に対して「イラク第四次派遣」の部隊編成命令を出した。第四次派兵は第六師団(司令部・山形県東根市)を中心に送り出されることが決定しており、編成命令は十月二十八日前後だとされていた。しかし、イラクで香田証生さんが拘束、殺害されるという事態が発生、派遣手続きが先送りされてきた。結局、ブッシュの大統領選挙勝利が確定したタイミングで編成命令が出されたことになる。
 香田さん殺害に対して日本政府が何ら対応できなかったこと、自衛隊宿営地へのロケット弾攻撃が頻発し「的」は明らかに狭まって来ていること、また十二月十四日に期限切れとなる自衛隊派遣の延長に対して反対の世論が多数であること、さらにサマーワで治安任務を担当しているオランダ軍を始め撤退表明が続いていること。このような中での緊迫した派兵であり、自衛隊員と家族には再び動揺が広がっていると報じられてもいる。共同通信社の世論調査(十一月三日実施)によると、「イラク自衛隊派遣延長」に反対が六十三%、「米国と協調路線を取っている日本のイラク政策」を見直すべきが六十四%となっている。この結果に細田官房長官は、「延長反対が随分多いが率直に受け止めたい」と述べた。しかし政府・与党は、第四次派兵を予定通り遂行し、期限延長を強行してそのまま派遣部隊を残留させる方針を貫いている。しかし、自衛隊の危機は確実に迫っており、小泉政権のブッシュ追随路線の破綻も深まっている。「逆境をはね返したブッシュの勝利に見習いたい」と権力者の高揚感をあらわにした小泉首相も、宿営地への相次ぐ攻撃を前に、「サマーワの治安情勢は予断を許さないものであると認識している」と答弁せざるを得なくなっている。イラク撤兵、期限延長反対の大きな声を上げよう!
 第四次派兵は五百人規模、山形県神町駐屯地からの三五十人前後が中心となり、福島県の福島駐屯地と郡山駐屯地からも加わる。司令部のある神町で隊旗授与式を行い、十一月中旬から三波に分かれ、仙台空港から出発する。八月に派遣された第九師団(司令部・青森市)は十一月下旬から順次帰国する。(なお、来年二月からの第五次部隊は中部方面隊<司令部・兵庫県伊丹市>の予定だという報道が、かなり以前からなされている。)
 一方、沖縄米軍による七回目の宮城県王城寺原演習がこの時期に強行される。防衛施設局によれば、米軍は十一月十二日から十二月九日まで宮城県に滞在、二十二日から十二月三日までに八日間の実弾射撃演習を行う。小泉首相は米軍再編の動きに合わせて、演習の「本土移転」を発言している。「本土分散演習」の恒常化は言うに及ばず、小泉発言によって地元住民の不安は大きく高まっており、抗議の看板建てなど、住民から抗議・反対の声が上がっている。
 イラク派兵と王城寺原演習に抗議して、十一月十二日、仙台緊急行動が呼びかけられており(主催・実行委員会)、宮城全労協や市民運動が関係諸機関への申し入れや集会が行われる。集会では、第三次派兵に反対して意見公告(八月六日、毎日、河北、東奥の各紙)を掲載した「市民意見公告」の井上澄夫さんが講演する。
 また十一月二十一日には、「憲法九条を守る宮城集会−自衛隊をイラクから撤退させ、戦争のない世界を−」が開催される(主催・宮城集会呼びかけ人会議、「九条の会」)。後藤東陽、井上ひさし、加藤周一、澤地久枝、三木睦子の各氏の挨拶・講演とアピール行進が行われる。
(11月5日/仙台)
 


EU深まる混迷―フランス・イタリアの選挙結果

イタリア
ベルルスコーニの後退、左翼の希望

 

           サルバトーレ・カンナボ           
 

 
 イタリアのEU議会選は、シルビオ・ベルルスコーニ政府の敗北となった。この選挙はまた、中道左派を統一しようとのロマーノ・プローディEU委員会委員長の計画の後退と共産主義再建党(PRC)の成功を示した。

混迷するEU

 六月の投票で示されたものは、ヨーロッパ統一計画の信頼性の喪失及び敗北という背景だ。これが、詳細に入る前にわれわれが思い起こすべきものだ。極めて低い投票率(イタリアでは、同時に行われた地方選がかろうじてその程度を抑制した)とポピュリストと民族主義勢力の成功が確証したものは、EUの進展は普通の人々の利害に反し、労働者の必要への回答ではないと受け止められている、ということだ。この失敗はまた、自由貿易政策と緊縮財政の主唱者であるプローディが責任を負うEU委員会に影響を与えている。それが右翼であれ「左翼」であれ、あるいは保守であれ社会民主主義であれ、敗者は、資本主義的グローバリゼーションの政策を監督してきた全ての政府だ。EU議会選後EUの諸政府は、EU憲法構想を推し進めることを決定し、ヨーロッパを支配する寡頭制とその民衆の間の溝をさらに広げている。これは、民主主義の正統性に関わる危機をあえて深める溝だ。
 いわゆる代替左翼の勢力は、前進や後退はありつつも、全体としてその地位を保持した。しかし、信頼に値する代替方向を示すという点では、依然として苦労している。この観点から言えば、代替左翼とヨーロッパ左翼党は、前途に未だ長い道のりを残している。そして成果は、少なくとも二つの要素に依存している。その第一は、具体的な目的、特に階級闘争の戦線における目的に基づいて、彼ら自身の間で協調したヨーロッパ規模の結集をどの程度まで築き上げることが可能か、ということだ。そして第二は、EUの運命を導く中道派と改良主義派との間の現在の「合意」に代わり得る、綱領の分野での堅固な代替路線だ。

ベルルスコーニの敗北

 イタリアでベルルスコーニは、卒倒するほどの敗北に遭遇した。それは、二〇〇一年総選挙との比較で二九%から二一%への下落(四百万票の減少)であり、前回のEU議会選との比較では二五%から二一%への後退だった。ここで現れた勝者は連立相手であり、特に五%を得票した北部同盟と、得票を六%へと伸ばした(三・九%から)UDC内の前キリスト教民主党がそれだ。国民連合内の前ファシストに付いて言えば、彼らは約一一%という安定した得票率を維持した。こうしてベルルスコーニが最も手痛く打撃を受けた。
 これが意味するものは、連立相手のより大きな権力を求める野心を彼が満足させなければならないということ、そして特にイタリアブルジョワジーとの関係で相対的に孤立していることを、彼が知ったということだ。イタリアブルジョワジーは、彼への信頼を取り下げないまでも、それを保留するに至ったように見える。ベルルスコーニの力と精神的土壌の拠点であったミラノでの敗北は、印象的な例である。
 しかしそれでもこれは、社会を代表する多数派の崩壊を意味するわけではない。確かにベルルスコーニの正統制に起きている危機は、まさに日々、諸矛盾と遠心的圧力を強めている。コンフインダストリア(注一)は、政府首長の信頼性喪失を反映し、距離をとった。しかしこれは未だ、社会的敗北と決定的な変わり目を意味しているわけではない。
 改良主義派のオリーブの木の政策もまた、この点では影響がある。彼らは自身を中でも社会政策の分野で代わりとなる戦線としてではなく、特にコンフインダストリアとの関係では、単にベルルスコーニの交代者としてのみ表現しているだけだ(これはまた、CGIL―注二―の政策に否定的な影響を与えているように見える)。
 「プローディの候補者名簿」の結果が示したように、オリーブの木の構えは選挙ではうまくいかなかった。三一・一%という得票は、オリーブの木を創立した諸党(Ds、マルゲリータ、SDi)が二〇〇一年総選挙で獲得した総計、約三三%に達せず、百五十万票少なかった。EU議会選に関しては比較が殆ど不可能だ。というのも、当時ルッテリのマルゲリータ党は存在していなかったからだ。

再建党の成功

 PRCは得票を率においても絶対数においても増大させた。これらの数字は、一九九九年EU議会選の四・三%、二〇〇一年総選挙の五%から六・一%、一、九二六、〇〇〇票へと上昇した。後者の数字は、一九九九年比では五十万票、二〇〇一年比では六万票の増だ。この票の理由に関する疑問はない。政治的結び付きを築き始め、信頼を政治諸党へと広げ始めた社会運動の長期の波から、再建党は利益を得つつある。何年も経た後で、選挙の側面での凝集過程が起きつつある。これは、二〇〇一年におけるジェノバと金属労働者のストライキで始まり、大規模な反ベルルスコーニデモ、平和行進、そして昨年続いた新たな労働者の結集(テルニ、ジェノバ、メルフィ、建設現場その他)を持って引き続いている諸闘争からなる大循環の結果だ。これらは、新しい、戦闘的で断固とした労働者世代を運動に呼び入れてきた。
 この反映はまた、他の政治勢力(コスッタのPdci、緑の党、オチェット、Di・ピエトロの新しいグループ)の好成績にも見ることができる。これらの勢力もまた、社会運動を、特に反戦運動をより限定的な程度でであれ支援した。これらの勢力は全体で、戦争、新自由主義に反対する一三%の選挙勢力を作り上げた。それは政治における重要な新しい要素だ。
 この空間においては、再建党の役割が中心的だ。われわれの「新しい再建」の出発点における選択―プローディ政府との決裂と中心としての社会的闘争―は、その最初の選挙上の成果を生み出したと、ジェノバから三年後に、シアトルから四年半後に、われわれは遂に言うことができる。
 実際再建党が持つ統一戦線の意図は、反ベルルスコーニの闘争における有用性としても認められている。諸運動の実践はそのような統一戦線の意図を表現してもきた―そしていまやこれらを、全般的な政治の次元でも同様に見ることができる。PRCは、ベルルスコーニに対する比妥協的な対抗において影響力を持つ、改良主義勢力の見地を変えるための有用な道具、として見られている。
 ところが再建党指導部は党に対するこの見方を、党がオリーブの木との政府協定に迅速に達すべき根拠としてみなしている。共通の綱領を叩き出すための、全ての反対派からなる「憲法制定会議」を、ベルティノッティ再建党書記長が提起した理由がこれだ。この見解はしかし、「政府問題の」転換に反対派を説得できず、党内の内部論争を引き起こした。
 上述した全体としての肯定的な評価の枠内で、われわれは一定の諸問題を心に留めなければならない。選挙運動はいくつかのPRCの困難を鮮明に示した。それは、地域状況に足場を築きつつ、国中に根を持つ広範な指導部を形成し、選挙の戦線で競り合うことのできる、それ自身のネットワークを持つ組織を建設するに当たっての困難だ。イタリアで有権者は、多くの地方自治体政府をも選出できた。PRCの地方選得票は全体で、EU議会選よりも十四万票少なかった。これは組織の脆さと地方における根の薄さの証拠だ。それ以上に問題は、二〇〇一年総選挙(この選挙では、中道左派勢力のどことも提携せず単独で立候補し、それ故はるかに困難な状況にあった)比での得票絶対数の増加が僅か六万票にしかならなかったことだ。これは、非常に強力な増加というものではない。それは結局「意見表明」票であり、再建党に単に貸し付けられた―そして将来なされる決定に依存する―ものに過ぎない。
 それでもこの統一戦線の意図は、広範な民衆の大衆―特に闘争中の労働者―がそれを求め続けているが故に必要だ。これはおそらく、他のヨーロッパの諸勢力も直面しているものと同じ難しい討論を意味する。これは知力と戦術的能力を要求する。PRCはこの過程を経験しつつあるが故に、疑いなく、中道左派に対する政治的自律性と社会運動と関係を保つ能力という持ち札を今、賭けている。

われわれの提案

 二〇〇四年六月三―四日に開かれた全国政治委員会で、バンディエラ・ロッサの同志達(PRC内第四インターナショナル支持者)は、以下の三つの側面を持つ政治文書を提起した。
 第一点は、ベルルスコーニ政府に対する反対に関わっている。ベルルスコーニ政府に社会的敗北を負わせる―未だ達成されていない―ことが可能な広範な歩みを構築するためには、敗北の流れを転換し始めた「新しい労働者運動」に向かう特別な方向を持った、闘争と運動から出発することが基本となる。「反対派の綱領的憲法制定会議」、即ち将来の政府に関する共通の会話のために社会運動がプローディのテーブルに着くことになるような道具に代えて、政府に反対可能な統一の見通しを確立する共同の政綱に到達するために、運動自身の決定作成機構から、社会的対立の領域からはじめよう。
 第二の側面、綱領の側面は、代わり得る社会の問題を提起している。新自由主義のヨーロッパの体系的危機の存在の中での、EU議会選における左右を問わない新自由主義政府の不承認は、変革への諸要求を表現している。これは、異なった社会に向けた内容、理念、諸提案に対する必要性を表している。右翼の政策に代わり得るものへの要求があるのだ。われわれはこれらを考慮に入れるべきだ。
 しかし、たとえわれわれ内部にベルルスコーニ政府を打倒する必要性について不一致が全くないとしても、統治は別の問題だ。このことは、有利な社会的諸条件という問題を越えて実質のある綱領的急進主義を必要とする。これは、オリーブの木の立場の中には見出せないものだ。そのような首尾一貫性もなく、困難な選択を行う能力や流れに逆らって泳ぐ能力もないとすれば、そこにあるものは、ポピュリスト的な反動的な反政治への道を切り開く危険だ。これは、六月十三日の投票が再度示したように、ヨーロッパに今も残っている一つの要素だ。イタリアでそしてヨーロッパでも同様に、社会民主主義と中道左翼政府の改良主義構想に代わる路線が必要とされている。課題は明確だ。それは、国連に関わらず戦争反対の首尾一貫した立場、軍事力と軍事費を削減する必要、EU憲法に反対を言うことだ。次には経済政策であり、ごまかしのない国有化から始め、不安定雇用に向かう傾向を逆転する公共部門の強化、そして新自由主義的教義の二十年を逆転する福祉国家概念の強化だ。それらは、職場においても同様だが、比例制と参加制の民主主義を再確立する憲法改革を含む。そしてまた、肌の色の異なる労働者に対する差別あるいは屈辱的仕打ちのない普遍的な市民権概念をも含む。右翼諸勢力への反対が直面する、代替的社会を求める挑戦は、屈服したり妥協したりすることのない、新自由主義に首尾一貫して対決し、明確に反戦の急進的綱領を要求する。もしそうでないのならわれわれは、番人の役に立たない交代を単に議論しているに過ぎないことになる。
 第三の側面は既成左翼の代わりとなる左翼に関わっている。見込みのない「反対派の憲法制定会議」の枠組内での「中道左派の左派」と自身を理解することは、再建党にとって誤りだろう。政治的かつ社会的連合として理解された、代わりとなる左翼の道に沿って進むことの方が、はるかに有益だろう。それは、反資本主義的左翼政治勢力間の、そして闘争中の新世代間の収斂を促進するだろう。首脳会議や終わりのない会議以上に重要なことは、綱領的な性格だけでなく、多くの社会的勢力、協会、運動に十分な地位を提供できる討論遂行のための場と手段を見極めることだ。そしてそれらの部分は、代わりとなる左翼の基本的な構成要素を構成しなければならない。それが意味することは、反新自由主義の極の境界を確定するために諸運動の経験を生かすことだ。そしてその極は、運動を代行することなく、こうして運動の自律性を尊重して運動が行った決定を徹底的に追及できるような、さらに改良主義の戦線から区別されたものである。
 その反新自由主義の極は、秋の反ベルルスコーニ運動で始まる社会対立の熱気の中で、主導性に関するその能力を直接に試されるだろう。われわれの提起は、オリーブの木の改良主義的な構想に代わり得るものとして、社会に関わる真の代替路線のための基礎的準備を用意するだろう。
(注)筆者は、PRCの全国政治委員会メンバーであり、党の日刊機関紙、「リベラツィオーネ」の副編集長。
(注一)イタリアの工業企業家を代表する協会
(注二)イタリア労働総同盟、最大かつ最も影響力のあるナショナルセンター。かつては共産党系。
(「インターナショナル・ビューポイント」八・九月号)
 

フランス
     拒絶と忍耐

         
アラン・レクレック/フランソワ・グロンドゥ        

 EU議会選結果は部分的に、棄権率の顕著な高さを背景としつつ、今春の地方選結果を確証するものだった。五七%もの棄権率は、今年三月の県及び地域圏選挙の場合よりもはるかに高かった。この中で、政権党の敗北、野党に回った社会党の勝利、民族主権を強調したさまざまなリストの期待以下の結果、政治生活における第四の極を築き上げようとしたLCR―LOリストの試みの頓挫、があった。前例のないような新自由主義的攻勢との対決における結集と社会的抵抗のための極めて困難な環境、その中で行われた選挙に関し、これらがそこから学ぶべき主要なものである。

拒絶された右派政府

 右派政府は二つの戦線で罰を受けた。それは凄まじいものであり、この政府は今春ほぼ全ての地域を失い、二二地域の内二〇が左派の手に落ちた。この敗北は今EU議会選で改めてはっきりした。首相ラファランの党、UMP(多数派民衆運動連合)は、僅か一六%、有権者全体に対しては七%に満たない票を得ただけだった。
 二〇〇二年に例外的な環境の下で生まれたUMPは、二つの別個の派閥に分かれた反動陣営の分裂を克服することを、その目標に設定した。フランスの右翼は、伝統的にさまざまな大きさを持つ二つの部隊に分裂している。一つはドゴール主義の伝統に立つRPRであり、もう一つはより自由主義的かつEU志向のUDFだ。フランスブルジョワジーはこの分裂を、ドゴール派がEU建設計画と経済的自由主義の立場に移った以上、政治の領域に残された不自然さであり、選挙における左翼に対する右翼の敗北に責任があるものと見た。極右候補、ル・ペンに対する反対の中で、二〇〇二年五月におけるシラクの準国民投票的選出というまたとない好機を利用して、新党は生まれ、そしてこの党が議会選でも勝利した。そして二年後、その敗北は明白だ。右翼の統一は達成されなかった。フランソワ・バイルーが率いたUDFは選挙の勝利を謳歌し、UMPの選挙の反転はあまりにひどく、それ自身が政府の正統制を掘り崩しているほどだ。
 反ル・ペン国民投票という状況の中で選出されたシラク大統領は、ラファラン首相の助力の下で、極めて過酷な新自由主義的な政策をこの二年間進めてきた。MEDEF(強力な経営者団体)が指示するこの政策は、年金や保健システムに挑戦し、EDF(フランス電力)のような公共企業を私有化し、一連の深刻な予算削減を通して、教育、研究、文化を野蛮なものとし、特に不公正な租税政策を通して、不平等性をさらにひどく悪化させた。「法と秩序」という主張と実践は特に青年と移民を傷付けているが、これによって強化された特別に反動的な光景は、あらゆる形態の社会的抵抗に対する嘲りと尊大さによってその度を増している。今回の選挙で罰を受けたものがこの政策なのだ。
 しかし今のところ、これらの後退と「社会的団結計画」の公表にもかかわらず、政府の道筋に変化はない。特に不人気な首相は今も留まっている。そして、健康保険やEDFに関する逆進的改革は、週三五時間労働に挑戦しようというニコラス・サルコジ経済相の新たな極めて野心に満ちた攻撃によって、今や倍化されている。
 政府の正統制に関わる不人気と非常な弱さという状況の中での掛け金の上に見た上昇は、政治的危機を構成する一つの要素である。そしてそれは、二〇〇七年の大統領選に這い上がろうとする右派指導者達の野心のぶつかり合いによって、さらに悪化させられている。UMPの創設者でありその主な指導者であるアラン・ジュペは、シラク派の不正資金調達に関わるスキャンダルに巻き込まれてしまった。シラクもまた前パリ市長として大いに関わっているものの、大統領免責のおかげで裁判はすり抜けるだろう。サルコジ経済相の大統領への野心はこの混乱を悪化させ、危機のもう一つの要素となる。
 反動派について言えば、いくつかに分かれた民族主義者のリストは、EUの他の諸国で見られた趨勢に比較して、彼らが期待した結果を得られなかった。一〇%を得た国民戦線(FN)は、二〇〇二年五月における結果よりも後退した。左翼であれ右翼であれ、EU建設に批判的な諸リストは、特に思わしくなかった。EUの構想さらにその政策を拒否する人々にとっては、棄権が逃げ場となっているように見える。というのも、上述したEUに対する感情は、大衆内部で大きな多数派的支えに恵まれていたからだ。実際、一八歳から二五歳の青年の内、なんと八〇%近くが投票しなかった。EUに関わるこの幻滅には、EUの政治システムがもつ不透明性、そして自己と一体化でき、かつ明確な世界的代替システムの不在を前にした、一定の諦めが伴っていた。それ以上にEUは論争の中には殆ど存在していなかった。それ故選挙運動の中心にEU憲法の問題を押し出すことは、事実上不可能だった。

主導権を握った社会党(PS)

 疑いなくこの拒絶がPSの勝利を説明する。この党は得票率三〇%をもって、左翼の中で選挙上の主導権を持つ最大の党となった。PSは右派に対する拒絶を利用はしたが、確かな立場に立った一定の姿勢をとることはなかった(例えば、この党はEU憲法に関して割れていた)。そしてこの党は、「明日の社会的ヨーロッパ」というスロ―ガンを中心に運動を進めたが、その実効性やそこに向けた行程に関する明確な約束は避けた。社会党の指導者達は非常に用心深い。そして彼らは、この勝利が意味するものが、依然として新自由主義的理念に大きく力を得ている彼らの綱領への広範な結集というよりも、むしろ「反対」票であることを知っている。彼らは、次の大統領選の年である二〇〇七年まで時を得たことを喜んでいる。それまで右派が抱え込んだいくつもの問題を当てにできるのであり、そればかりか、資本主義が新たに必要としているものへの社会の適応のあらかたがそれまでに方が付いているという事実をも、当てにできると思っている。実に人々の運命へのまなざしを欠いた選択だ。しかしそれでも彼らは、いくつかの決定的な問題に立場を定めなければならない。例えば、右派が遂行した社会の破壊という結果を元に戻すことに、自身が関わるべきか否かという問題がある。さらにEU憲法に関し、社会党の主要な指導者の本性的直感はそれを批准することにあるとしても(社会的ヨーロッパ建設の約束と、たとえこれが完全に対立するとしても)、その立場を決定すべきか否かという問題がある。
 PSの連携者達は、反右派のうねりからたいした恩恵を受けなかった。六・五%を得票した緑の党は、それでも六議席を得たとはいえ、前回得票には及ばなかった。市長として同性愛カップルの結婚に責任を果たした彼らの指導者、ノエル・マメールの華々しい、むしろ勇気ある主導性は、党にたいして貢献せず、むしろ党の分裂に光を当てる方向に作用した。これまでもっていた六議席の内四議席を失ったフランス共産党は、五%の象徴的な敷居に到達でき、極左を上回った。選挙における後退が続いている党にとっては、それでもかろうじて慰めだった。一九九九年の前回EU議会選でこの党は、七%近く得票したのだった。
 LCR―LOリストは二・五%の得票だったが、一九九九年と比べて後退した。その時同じ連合は、九〇万票以上(今回の倍)、五・三%を獲得し、五議席を得たのだった。それはまた、今春の地方選と比べても率で半減、六〇万票を失う後退だった。この結果は徹底的な討論を要するものだ。しかし、問題を余すところなく検討しているわけではないという前提で、とりあえず以下の点は指摘できよう。先ず、労働者、被雇用者、青年の間で特に強かった棄権が、極左に特に打撃となったように見える。また、諸闘争と社会的抵抗が全体として味わっている困難、及び年金に関する二〇〇三年のストライキ運動の敗北がもう一つの説明を提供する。さらに、首相であり、社会党指導者であったジョスパンが、ル・ペンによって大統領選の第二回投票から排除されたという四月二一日のトラウマが、再度「有効な」投票に向けての追加的な圧力に導いた。

ばらばらにされた抵抗

 上述した関連において我々は、選挙後の時期における社会状況と我々の任務を再点検する必要がある。右派が例え内部的危機に直面するとしても、そうであっても彼らはその逆進的改革を遂行するだろう。そして、この政策に対する反感を底流において反映する先の結果にもかかわらず、運動の結集は必要とされる水準にまでは現在高まっていない。社会的保護の改良は、闘いなしには敗北となり得るのだ。社会保障改革に反対する数多くの集団行動が生み出されてきた。しかしそこでは、改革に反対する労働組合ナショナルセンターは、特にCGTとFOは、結集の統一的展望を押し出すことがなかった。EDF(国有の電力供給事業者)の場合、関わった主要な労働組合であるCGTは、行動に向けた明確な呼びかけを発することが遅すぎた。行動日の提案があったとは言えそれは、組合員大衆に追い越されてしまい、それがまた先の訴えの調子を強めることを余儀なくさせた。被雇用者は決意に満ちた行動によって彼らの戦闘性を明らかにした―権力の象徴的な場所に対する電力供給の遮断、そして電力を止められていた家族のための電力再供給―。
 このことは、新自由主義的改革に反撃する実体的力を生み出すことが過去も今も可能である―戦闘的潜在力は存在している―、ということを示している。しかし何ヶ月もの間、諸闘争の収斂に向けたスローガンは全く無いままだった。興行関係のアーティストと技術者、失業者運動の組織者、調査員、病院、、EDF、教育…、これらの闘争において労組ナショナルセンターは、殆ど展望も無くバラバラの行動日を提案してきたのだ。年金を巡る決起の敗北は、賃金労働者の意識に重くのしかかっている。そしてそれがまた労働組合の用心深さを下支えしている。
 しかしそれでも、社会的力に対する新たな試みという目標は、それが右翼の政策を打ち破り得る唯一のものである以上、今も残っている。それは、社会的目標に関する行動の、最大限に幅広い統一を要求する。その目標とは例えば、電力と郵便サービスにおける公有性の維持、そして投機的資本の食欲に対するいかなる開放へも反対して社会保障システムを防衛すること、などだ。
 コペルニクス協会によるEDF被雇用者への連帯アピールに見るように、統一の訴えは存在している。このアピールには、フランス共産党、緑の党、LCRを含む政治的諸個人だけではなく、協会的運動や社会運動の活動家も署名している。この型の働きかけは労働者運動と結び付くことが可能であり、それ故政治的対立を広げることに向けた一つの合図となり得るだろう。
 社会党とその同調者達は、これら全てから逃げ回り、二〇〇七年のために待機している。今回の選挙結果は、社会党をその点で力づけるものであるが、EUに関してであれ社会問題に関してであれ、社会党の矛盾は日を追って明るみに出るだろう。週三五時間労働―「多元的左翼」前政府が行った中心的改良―に対するサルコジ率いる右派の新しい攻撃は、この法律の導入者に対して即座の反撃という問題を提起するはずだ。しかしこの問題は、二〇〇七年までは何もしないという彼らの目的との矛盾に再度入り込む。EU憲法に関してLCRは、国民投票のための統一キャンペーンをめざして、あらゆる諸組織、協会、諸党に働きかけてきた。この国民投票が可能にすると思われるものは、賃金労働者、青年、世界的公正を求める運動と闘争に関わっている人々が、一つの左翼に向けて新自由主義的なヨーロッパに対する「否認」を築き上げることだ。
 LCRにとってはもう一つの目標が残っている。即ち、急進的かつ反資本主義の左翼という新しい勢力の建設だ。大問題群(世界が進みつつある道筋についての分析、反資本主義的政策の主要な内容、主要な戦略的諸問題)についての代替路線に対する我々の努力を明らかにするために、LCRはマニフェストの作成を始めた。これは来年初めには公表文書として利用できるだろう。
(注)筆者は、LCRの政治局メンバー。
(「インターナショナル・ビューポイント」八・九月号)
 
 
 
 
 
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