2005年1月10日        労働者の力             第 178号


日米同盟に抗し、東アジアの共同体形成をめざそう
東アジア民衆と共に闘う新たな労働者政党を

川端康夫


日米同盟の下の二大政党 
 
 小泉首相は年頭に当たり、今度の通常国会においては郵政分割民営化法案の成立に全力を上げるとの決意を表明した。一方、中曽根元首相は昨年末、小泉を批判し、憲法や教育基本法などの国家的事業に力を注ぐべきだと苦言を呈した。
 こうした戦術的選択の幅はあるものの、昨年の国連総会おける小泉の国連安保理常任理事国入りに向けての積極発言、さらにはアメリカブッシュ政権への無条件的支持、イラク多国籍軍への参加、さらには相も変わらぬ靖国参拝の姿勢、それに加えて一連の増税路線など、小泉内閣の全体的姿勢は政治的経済的に反民衆的方向性が極めて明確だ。小泉打倒がいまや民衆的課題であるが、にもかかわらず、政治の場においてはこの問題は限りなく不透明である。
 二大政党時代といわれ、民主党は政権獲得を目標としているが、実は民主党の目指す政治というものが限りなく不透明なのだ。小泉は憲法問題について、民主党との協議を提唱している。民主党が総体的には改憲路線にあることは事実であるが、その上で注目すべきことは、昨年を通して明らかになったことは、岡田新体制がアメリカ民主党との提携に力を入れている事実である。すなわち、小泉が共和党ブッシュ、岡田が民主党という図式が米国大統領選挙との関わりで鮮明になった。すなわち、小泉も岡田も、アメリカ帝国主義との結びつきを政治の基本に置くという点においては違いがないのである。ブッシュとケリーの違いは、ブッシュの方が危険な側面があるものの、アメリカ帝国主義の性格を決定的に変化させるようなものではない。現に、世界的世論はどうあれ、イラク民衆のアメリカ大統領選に対する関心は極めて低調であった。
 こうしたアメリカ帝国主義との結びつきの「差異」を基礎とする二大政党制は民衆にとっては無意味である。問題はアメリカ帝国主義と結ぶのかそれともアジア民衆と結ぶのか、その本質的分岐において、日本における二大政党制というものが成立するとすれば、真に成立するのである。
 
アジアの孤児―日本 
 
 日本はアジアに友人と言えるような国を持たない。それ故、安保理常任理事国入りに関して、日本をアジア代表として推薦する雰囲気が全然ないのである。中国も日本を推薦する気分にあるはずがない。要するに、安保理にアメリカの票が一つ増えるだけだとの評価である。ドイツの場合は大きく異なる。現在のイラク問題に対するフランスとドイツの立場はアメリカとは大きく異なっている。またEUの形成と拡大に際したドイツの立場は、ブラントの東方外交に始まり、戦後補償の貫徹を含め、ドイツはヨーロッパの中で警戒されるという歴史的位置を克服することに成功した。ドイツはヨーロッパ世界において明確に脱皮したのだ。
 こうしたアジアにおける日本の政治的「孤立」の背景と要因を求めることは簡単である。まずは第二次大戦の侵略問題。第二は戦後補償問題。第三は歴史解釈問題などなど、山積みである。本質において、善隣外交というものがほとんどなかったのだ。ほとんど、というのは、田中内閣時代の対中国関係修復があったからである。だが、これもよく見ればアメリカニクソン政権の尻馬に乗っただけであるとも言えるのだ。
 日本の戦後保守政治には、根深く戦前を引きずる「アジア主義」的系譜があり、それは戦後においては東西冷戦の下で、強力な反共主義と結びつく国家主義的なものとして現れた。それが岸の系譜である。小泉は岸の系譜の現在的表現なのだ。
 戦後日本政治は反共主義の下、アジアにおける各種の独裁政権と結び、戦後賠償という形で、これらの独裁政権を後押しし、さらにその見返りとして、ひも付きの経済進出を行った。民衆的な視点からすれば、戦後日本政府は基本的に、第二次大戦における侵略という事実を真摯に総括したとはけっして言えないであろう。現在においても、戦後補償を求めるアジア民衆の闘いは続いているが、日本政府は拒否の姿勢を崩さず、司法もそれに追随しているのである。日本のこうした基本的姿勢は、小泉の靖国参拝に受け継がれているし、石原の極度の国家主義言動や都政に表現されている。ここに、日本がアジアの孤児であることの歴史的、現在的要因があるのだ。
 
危機に漂う日本経済―展望はアジアにしかない 
 
 日本経済は八〇年代におけるプラザ合意を機に、アメリカ経済に庇護される存在からアメリカ経済に奉仕する立場へと転換させられた。関税障壁、のみならず非関税障壁撤廃という規制緩和の名のもと、国内産業保護、輸出市場主義の立場は突破された。アメリカ経済は、洪水のような日本産業の輸出ドライブに対して正面から牙をむきだしたのである。コンピュータをはじめとする最先端産業を防衛するアメリカのむき出しの反撃は、日本の開発したコンピュータのトロン技術を、非関税障壁という名目で押さえ込み、さらにはNECがアメリカに売り込みを図ったスーパーコンピュータ契約を破棄させるところまで行った。ICに関してはアメリカからの輸入を数量目標で強要し、それを請け負ったアメリカ企業は濡れ手に粟の状況で世界有数の企業に成長した。こうしたことは銀行業界でもおこった。アメリカは日本経済がアメリカを浸食することにこれ以上は耐えられないことを正面から突きつけたのだ。
 いまやアメリカに依存して経済運営を続けることには明確な限界が生じてしまっている。最大輸出相手国もすでに昨年、アメリカから中国へと移行した。日本経済は中国をはじめとする東アジアの経済的共同体を目指さなければ二一世紀に乗り出せないのだ。
 そのためにはドイツがヨーロッパで行ってきたように、東アジアの不戦同盟という枠組みが前提となる。北東アジア共同の家などの構想が左はもちろん、ブルジョア経済学の立場からも打ち出され始めている。現状のままでは日本経済はアメリカと中国の狭間に立って浮遊し続ける以外にないという危機意識が登場しているのだ。
 東アジアの不戦同盟的枠組みが前提とされるのであるから、日本は全面的な善隣外交へと視点を改めなければならない。ここに現在進められている改憲の動きがいかにアナクロなものであるかを解く最大の鍵がある。アメリカの仮想敵国は当然にも中国である。日米同盟は中国を意識したものである。その日米同盟にはっきりした日本の軍事力を公然と加えること、ここに最大の改憲論の狙いがあるであろう。これが明白な以上、ブルジョア経済的にも改憲論ははっきりとマイナスな展望なのだ。日米同盟の中には二一世紀の日本の展望はない。
 
日米同盟を脱し、東アジア共同体へ
 
 日米同盟ではなく、東アジア共同体への展望が必要なのだ。繰り返せば、この展望をたてる時に、真の意味での二大政党潮流が日本の中に生まれるのである。私は、日本の左翼潮流の再生の土台がここにあるとも考える。
 二大政治潮流、あるいは二大政党論の設定には、依然としてアメリカ経済との関係が強力に作用するからである。トヨタの自動車輸出一つをとっても明白であり、また三菱など、軍需産業の存在もそうである。さらに、アメリカ国内に塩漬けになっている巨大な日本マネーの存在も大きい。日本はアメリカ国内のドルを動かせない。動かせばアメリカの財政を直撃し、世界恐慌の引き金を引くかも知れないのだ。
 そうであるから、東アジア経済共同体に対する抵抗も大きなものがあるだろう。さらにいえば、アメリカそのものの牽制と介入が強まることもある。アメリカの有名な学者、フランシス・フクヤマは昨年、東アジア経済共同体にアメリカが入るべきだという主張を行っている。つまり、アメリカが入らないような東アジア共同体は作るべきではないというのだ。そういうのであれば、アメリカが入らないEUも作るべきではなかったということになる。アメリカはNATOによってヨーロッパを自らのヘゲモニーの下に組み込んできた。EUの構想にはこうしたアメリカ支配からの脱却の展望が潜んでいる。欧州軍構想がその現れだ。したがって、類推が許されるならば、ここでも東アジアの共同体構想はアメリカのヘゲモニーからの脱却が当然の前提とならざるを得ない。
 かくして、日米同盟と東アジア共同体とは完全に矛盾するのである。
 小泉と対抗する左翼政治潮流、左翼政党は東アジア共同体の展望において、日米同盟からの離脱をめざす政党である。けっして日米同盟の枠組みの中で相争う自民党と民主党ではない。このことは明確な事実だ。
 そしてまた、改憲勢力が東アジア共同体の展望を担うこともあり得ない。日本民衆は、民主党とは別個の左翼政党を展望し、準備しなければならないのだ。
 
新たな世界的運動のうねりそして新たな政党への時代 

 イラク反戦闘争を通じて、ワールド・ピース・ナウが生まれ、同時に多様な形の行動団体の結びつきが始まった。これは九〇年代以降最大の成果である。労働組合の行動参加も、じわじわと拡大してきている。このことも、九〇年代以降で特記すべきことだろう。
 いわゆる右翼労戦統一によって、総評が解体され、連合が誕生して以降、社民
党から民主党への雪崩が起きた。そして小選挙区制度の導入による少数派政党の苦境が続き、いまや改憲阻止勢力は院内において圧倒的少数勢力となってしまった。これはまさに一時代の終わりである。東西対立時代を反帝国主義勢力として保守派に対抗したこの戦後民主主義勢力は、ソ連邦の解体と時期を重ねて、政治の表舞台からの退場を余儀なくされたのである。
 これは世界的にも進行した現象でもある。九〇年代、左翼は世界的に追い込められた。レーガンとサッチャーの主導する新自由主義の攻撃は、それまでのケインズ主義による福祉国家政策の行き詰まりに乗じて、労働者階級に対する正面からの攻勢となり、社会民主主義勢力は世界的に対抗力を失った。多くの場合、これら社会民主主義勢力は新自由主義の攻勢に屈し、いわゆる社会自由主義と呼ばれるものへと転身し始めた。新自由主義を自ら採用したのである。そのことによって、彼らは保守勢力と対抗し、自らの位置を維持しようとした。ヨーロッパ社民の多数がそうであり、日本の民主党の路線も同様である。
 だが、すでに周知のように、新自由主義路線とはもはや余裕を失った資本主義のぎりぎりの政策である。この路線は、階級対決の予測しか持たない。サッチャーがイギリスで行ったことは、労働組合を法的に抑圧することであり、レーガンがアメリカで行ったことは、航空機パイロットをすべて首切ることを通じた強権支配であった。
 社会民主主義勢力の衰退に乗じた新自由主義の攻勢は、ソ連邦の解体に伴う世界的なスターリニズム起源政党の解体の進行とともに、九〇年代に労働者運動の困難な局面を世界的に導き出したのである。だが、九〇年代後半以降、新たな世界的な規模での反資本主義の運動が始まった。それはフランスにおいて、九五年暮れの公務員ストライキ、イギリスにおいて同じく九五年のリバプールの港湾労働者の捨て身の闘い。そのうねりは、九九年のシアトルに始まる反WTOの全世界的闘いへと結びつき、そしてイラク反戦の世界的闘いへと結実した。
 新しい運動の世紀が始まったのである。いまや一〇万人を越す人々が集まる世界社会フォーラムは三度目の会合を通じて、新たな世界的運動の結集の軸となった。そしてその場を通じて、新たなインターナショナル形成への努力も始まっている。このインターナショナルは、もちろん第四インターナショナルの延長ではない。九〇年代後半に始まる世界的な新しい運動エネルギーの表現体だ。アジアにおいても、そうした運動の明確な現れがある。
 日本におけるいわゆる旧左翼の衰退は時代的必然であると同時に、こうした世界的な胎動を反映し、日本における新たな政治的、社会的運動を次の時代に向けて準備する闘いを要求するのである。
 一昨年、昨年において、社民党、共産党、新社会党、新左翼諸勢力、市民運動を結びつけた共同の選挙闘争を求める運動が起こされた。この動きは、最終的には結実はしなかったが、九〇年代の日本においては考えもできなかった運動である。
 新たな労働者政党、その形成への胎動がここに始まっている。その闘いは、東アジア経済共同体をめざし、そしてまさに東アジアにおける不戦同盟と善隣外交を基礎にする東アジアの新たな世紀をめざすものであるはずだ。そしてそれは、九条改憲阻止の闘いと、選挙共同をめざす運動を通じて築かれるであろう。二〇〇五年。六月の都議会選挙が、東京における上記の闘いの皮切りとなるだろう。そしてそれは二〇〇七年の参議院選挙、あるいは時期は不明なれども衆議院選挙への取り組みを通じて、新しい左翼潮流を生み出す闘いへの挑戦となるだろう。共に闘おう。
 (一月一二日)
 
 
 評価制度を根源的に問いかけ、
電通労組首都圏支部「見せしめD評価」撤回連続スト
           

 NTT東京支店光IP販売PTは、NTT一一万人リストラ・退職強要を拒否した労働者が、全国から集められた職場だ。今年末一時金では、ここでまたも三割近くの労働者にD評価が出された。昨年末、今年夏、そして今回と三度目だ。明らかなこの「見せしめD評価」の暴挙に対し、電通労組首都圏支部は、一二月一〇日、一二月一六日と、二波のストライキで応えた。労働者の生活を人質≠ノ取り、屈従を強制する卑劣な目論見に対して電通労組首都圏支部は、「会社が五回の暴挙を行うなら、一〇回のストで、一〇回やるなら二〇回のストで応えるだろう。若い労働者は、労働組合の闘いを知らない、中高年は忘れている。労働組合とはいったいどういうものなのか、この闘いではっきりと示そうではないか!」、と決意を表明している。

ねばりと自信、中高年パワー!

 第一波は、一二月一〇日、東京支店光IP販売PT千住ビルでのスト行動。
 朝八時、組合員が続々と北千住拠点に結集し、ビルの壁、門扉に「スト決行中」の横断幕、組合旗、首都圏支部旗が貼られる。制止しようとする会社職制に対して、組合員の糾弾と怒号が飛び交い、怒りのストライキ行動が開始された。当然の組合活動の貫徹だ。
 東京労組NTT関連合同分会・木下孝子さんの支援を受け、 横澤首都圏支部書記長の司会で始まった構内集会は、見せしめ、嫌がらせの「D評価」に対して徹底的に闘うという組合員の決意を見せつける場となった。
 大内電通労組委員長の、徹底して闘う、との決意表明に続き、D評価を受けた当該からは、「三回連続でD評価を受けている労働者もいる。四人に一人がD評価の職場など他にない。」と怒りの発言。各分会からは、賃金を「支配の道具」にし、労働者の生活を「人質」にする成果主義評価制度と断固闘うという決意が表明された。二四年前NTTを職業病を理由に解雇された東京労組NTT関連合同分会・木下さんからは、不当解雇撤回まで闘う決意と支援連帯の挨拶。
 まさに虐げられた中高年パワーの炸裂だ。中高年の持ち前はねばり≠セ、と組合員は自身満々。NTTが中高年労働者を排除の対象として差別し、いじめ、追い詰めてきたことへの満を持した反撃だ。
 第二波は、東京支店=品川ツインズ行動。
 一二月一六日、夏の抗議ストでは見られなかった多数の警備員が敷地内の境で待機していた。ビルの中に入ると、中にも数多くの警備員。大内本部委員長、横澤支部書記長らが五人ぐらいの警備員にブロックされて押し問答。中に入れないつもりだ。やがて、その間をぬって支援の労働者や、支部の組合員が次々と中に入ってしまった。そして書記長のハンドマイクによる抗議行動やスト決行中の横断幕が張られると、警備員や管理者達は遠巻きに見守るだけ。
 ストライキ集会は横澤書記長の挨拶で始まり、本部委員長、首都圏委員長、古舘さん、佐藤さん、と電通労組に対しての差別評価を糾弾する怒りの声明を上げる、さらに、支援の応援メッセージ。この日駆けつけた支援の団体は、全統一ケイメック分会、全統一光輪モータース分会、全国一般全国協、NTT関連合同労組、ATTACジャパン、鉄建公団訴訟原告団、芝浦工大教職組合など。挨拶の合間、合間にシュプレヒコール。会社に対して怒りの抗議行動が続く中、出社してくる社員に「真紅の旗、成果主義を撤廃させよう」の折込チラシが配られた。物々しい雰囲気に、チラシを受け取る人は二割位。しかし、出社する人垣が八時頃から一〇時頃まで絶えない。ここにも都合よく人を使う会社の勝手な姿勢が現れているのだが、抗議の声は否応なく届く。結局用意したチラシは全てが手渡された。最後に、東京支店長への申し入れ書を読み上げ、手渡して、怒りの抗議ストが締めくくられた。
 今回の二波のストライキ行動を、首都圏支部は今後の運動に自信となる抗議ストだったと評価している。

労働と賃金を問う新たな闘い

 電通労組首都圏支部は、嫌がらせ配転を攻勢的に迎え撃ち、むしろ闘いの戦線拡大につなげてきた。首都圏の闘う仲間との交流を精力的に重ね、さらにワールド・ピース・ナウや日韓FTA交渉反対闘争など、首都圏ならではの行動にも活発に取り組んでいる。そして一昨年秋には、不当配転を断罪する提訴にも踏み切り、司法の場にも闘いを広げた。この闘いは、通信労組との連携というもう一つの闘いの広がりを追求するものでもある。
 そして、夏から展開されている評価制度に対する今回の闘いによって、電通労組の新たな闘いの可能性を追及する試みには、さらに新たな戦線が加わることになる。この闘いを電通労組は、社会的に展開する、としている。
 大企業を中心に全般化している成果主義・評価制度が、多くの労働者を資本に対して無力化し、その結果労働者の苦しみはさらに倍化されている。しかし労働者の無力化は実のところ、現代の生産を深いところで傷付けてもいるのだ。それ故また、富士通を典型例として、成果主義・評価制度は綻びを見せ始めている。電通労組首都圏支部の今回のスト行動は、これら全体に正面から挑むことを宣言するものだった。
 そして首都圏支部日野委員長は、団体交渉で組合の追及した評価基準、評価結果の公表、東京支店光IP販売PTの評価実態の説明要求に会社が何ら回答できず、全て持ち帰りになった、と報告している。「努力するものが報われる評価制度」なる謳い文句のインチキは、労働者が正面から闘いを挑んだとたんさらけ出されたのだ。
 しかし資本は目の前の利益のために、労働者の闘いの不在を前提に、「綻び」をさらなる「破壊的労務政策」で隠そうとする。
 NTTでも「成果業績重視の処遇体系見直し」が早くも提案されているという。年齢賃金、扶養手当の廃止と成果手当、成果加算への組み換え、さらに「降給のしくみ」なる究極の賃下げシステム。生活賃金の徹底した破壊であり、賃金の一〇〇%成果主義へのシフトである。戦後労働運動が、春闘を通して闘いとってきた生活賃金としての賃金体系がNTTとNTT労組によって解体へと手が付けられようとしている。しかしそれは他の産業の場合と同様に、産業としての、何よりも公共サービス事業体としてのNTTを確実に蝕むだろう。
 しかし電通労組の闘いは、闘いの不在という経営の勝手な思いこみをひっくり返し、まさに闘いによって成果主義・評価制度の真実を暴き出すものとなる。電通労組は、労働と賃金の社会的意味を、改めて多くの労働者に問いかけようとしている。(神谷)
 
 

    
読書案内
『野蛮の衝突』
作品社、二二〇〇円)
                 ジルベール・アシュカル著、湯川順夫訳
 


 冷戦後の世界が、なぜこのようなテロと戦争の時代になってしまったのか。「文明の衝突」論はなぜ間違っているのか。イスラム原理主義をどうとらえるのか。そういった問題をじっくりと考察した本です。
 著者は、フランス・パリ大学の教授ですが、レバノン出身で、イスラエルのレバノン侵攻に抗して実際の戦闘を闘い抜いた経歴の持ち主でもあります。
 中東世界の人であり、マルクス主義者でもあるアシュカルは、アメリカ帝国主義の野蛮を取り上げ、次にイスラム原理主義の野蛮を掘り下げる。とりわけ、この項は精彩があり、極めて説得力があります。
遠い日本で漠然と考えられる、帝国主義に抗するイスラム民衆の一部としてイスラム原理主義がある、という抽象的見解はアシュカルによって、見事なまでに論破されています。オサマ・ビン・ラディンらのテロリズムは、イスラム民衆勢力の一部ではない。彼らは、イスラム原理主義の野蛮そのものなのだ、とアシュカルは述べています。一読を勧めます。労働者の力社でも扱っています。


EU・ヨーロッパ左翼党の創立
二つの左翼の展望―重なりと分岐

    

        フランソワ・ベルカマン                  

 十一カ国の共産党を起源とする十五の諸党は、ヨーロッパ左翼党(ELP)を創立するために、五月八―九日、ローマで大会を開いた。この大会を組織したイタリア共産主義再建党(PRC)は、希望と調和を象徴することをねらいとした美しい文書を準備した。急進的左翼諸党の統合を目指した試みは失敗した。国際主義的接触を示し、新たなヨーロッパ政治組織の国際的つながりを強調するために、ELP以外の、あるいはEU以外の二十の共産党及び進歩的諸党がゲストとして招待された。しかしながら全体として見た時、ELPの外観は依然として、共産党世界とその多様な差異から構成されるものに留まっている。
 大会は以下の形で三つの目標を実現した。即ち、規約の採択(棄権三票、反対十一票)、マニフェストの採択(棄権四票を除く満場一致)、そしてEUによる認知を得るに十分な(注一)、ELPの公式構成党リストの達成だ。
 しかしその後にELPが見出したものは、自身が直面する問題であり、それは自身が持つ諸矛盾、方向性、連携勢力、組織的結集力などからなる新組織の現実だ。ELP代表者に新たに選出されたPRC指導者、ファウスト・ベルティノッティが述べたように、「それは、困難だが有用かつ必要な事業だ…」ということになる。左翼の政治的展望にとって、ELPが意味するものとは何だろうか。

新自由主義左派と反資本主義左翼との間で

 二つの基礎的文書が採択された。一つは規約だ。その前文は、党の政治性格を示すが故に重要だ。もう一つはマニフェストであり、それはより長くかつ具体的だが、ELPの政策と戦術を明確に展開している。この二つの間には、規約がマニフェストよりも明らかに穏健になっているという形で、注目すべき違いがある。
 採択された文書に対して関心を持つべき点は、これらがELP内部の対立をどの程度明らかにしているかという問題ではない。そうではなく興味を引く点は、これらの文書を採択しつつもELPが、一つの「ヨーロッパ党」としてどのように機能するのか、ということにある。
 これらの文書を通してELPは、新自由主義的社会民主主義(そして確実にドイツ緑の党)の左に自身の位置を定めた。しかしそれは同時に、自身を反資本主義左翼から明確に区別してもいる。後者との間でELPはいくつもの一致点を持つに至った―少なくともいくつかのメンバー党との間では―。それは、現代資本主義に対する観点、社会に関する分析と表現を現代化すること、新たな反対勢力と諸運動を考慮に入れること、さらに諸国とヨーロッパの水準で統一行動と協力を可能とする重大な諸要求に関する広大な分野、に関わるものだ。しかしこれらの一致点は、そこへの取り組み方には非常な違いがある、ということもまた明らかになっている一致点だ.
 同時にまた重要な不一致点もあり、それは特に政府問題とブルジョワ国家の問題に関わるものだ。スターリニズムの伝統は、社会民主主義及び大資本の諸党との政府内での協力、という「例外的な」可能性の問題を導入した―一九三〇年代、人民戦線の時期に―。次いでユーロコミュニズムはこの理念を、一九七〇年代初頭以降一般化した。諸共産党、特にもっとも非スターリニズム化され、そこから解放された党においては、その道を歩み続けることを妨げる原則は今や何もない。その政策の対象が今や新自由主義の社会民主主義、であったとしてもだ。それを示すように先の二つの文書には、第二インターナショナルに関し以下の単純かつ全く信じられないような言及しかない。即ち、「第三の道、という社会民主主義の考えは失敗した。それは、この展開(新自由主義及び戦争―編注)に抵抗せず、何らの代わりとなる路線も持たず、こうしてそれに手を貸したからだ」、と。確かにそれはその通りだろう。しかし我々は過去二〇年、幾多の結末を伴う、社会民主主義における一九一四年以来最大の綱領的、社会的、組織的変遷を見てきたのではなかったのか―そこにあるものは、それ自身の社会的基盤、そこに連なる諸組織そしてその活動家を侮辱してきた、その上新自由主義システムを放棄するつもりのない社会民主主義なのだ―。

反資本主義?

 ローマ大会の諸文書は合理的に、即ちそれらを過去の世紀のマルクス主義―共産主義者の伝統の思想的束縛に還元することなく読まれるべきだろう。これらの文書には、実質のある一定の実利主義が含まれている。それらは、いくつかの党を味方に引き入れ、または排除するために、まとめられてきた。これは公然と論争された原則というよりも、ELPの歩みの開始を示す折衷だ。
 しかしそう言ったからといって、それらが厳しい折衝を経なかった、ということを意味するわけではない―大会総会が諸党の大立者の声明を次々と聞いていたその一方で、同じ建物の地下室では二つの「作業グループ」が会合していた。論争がここにあった―。
 したがって我々は、前文の最初の章句を過小評価すべきでない。そこでは、「我々は、ヨーロッパ大陸において代わりとなる進歩的な左翼の民主的な諸党を、統一する。これらの諸党は、我々の状況、我々の歴史、そして我々の共通の価値が多様であることを原理に置き、平和で社会的に公正な社会に向け、今日の社会的諸関係を首尾一貫して転換するために努力している諸党だ」、と謳われている。
 この章句は、秘密のベールの陰に沈み込むことを準備しつつある党のために書かれたように見える。堅苦しい言葉使いを好む者はいない。しかし、考え方と理論的定式を薄め、隠そうとするこの願いには、何か悲痛なものがある。そしてそれは、マニフェストにおいてよりも規約においてより多く、主張の内容に対し当然の結果をもたらす。社会主義、あるいは資本主義後の社会を示しかねない他のどのような表現への言及も同様だが、「資本主義」あるいは「資本主義システム」という記述は注意深く避けられている。「国際化とグローバリゼーション」に付いて文書が語る際その特徴づけは、「リベラル」であり、「政治的展開と決定の結果」である。ところがグローバリゼーションは何よりも、今日の資本主義の厳密な論理から、投資と貿易における世界市場の異常な拡張、それ故多国籍大企業の圧倒的な役割から発している。しかしそれは忘れられているのだ。文書が要求するものは「売り物でない世界」だ。しかし人は、「平和、民主主義、持続可能性そして連帯からなる新しい世界」というその実質上の定義には、唖然とするほどにまごつかされる。
 一方規約には「社会問題」がない。しかしマニフェストではそうではなく、それは、生活と労働のあらゆる条件に関わる社会的要求(エコロジー、健康、家父長制、教育、性的志向、その他)を広範に展開している。それ以上にそれは、社会的結集と運動について力説している。しかし、規約もマニフェストもどちらもが、これらの要求を強制し、「首尾一貫した転換」をもたらすための戦略的な結論を引き出さないのだ。
 第一にELPは、一つ、つまり「金融的覇権集団」を除いて、社会階級の存在を無視している。ELPは被搾取階級についての「命名」を避けている(人がそれを労働者/勤労者/賃金労働者階級あるいは「搾取された労働世界」と呼ぼうが)。しかしこの階級は、多数派社会勢力であり、社会におけるその位置により、その内在的活力と自己組織が力関係を変える力を持ち、政治の進展に介入し別の政策、実際もう一つの社会を強制する可能性を持つ階級なのだ。
 ELPはこうして、社会的な、また政治的な危機にも、「転換」に含まれた衝突にも取り組んでいない―全ては徐々にであり、無定形であり、「上から」であり、議会において、だ―。
 しかしながら現実には、勝ち誇る新自由主義を逆転し、過去二十年の巨大な社会的後退を帳消しすることは、EUと国家に支援された政府と使用者からの猛烈な抵抗に遭遇した。そうであればマニフェストに盛り込まれた社会的な要求を適用することは、租税と経済政策の見直しなしには、富の再配分と公共サービスの大幅な刷新なしには、つまり私有財産に対する根源的な浸入なしには不可能なのだ。社会の変革に至る大激変を引き起こすはずの「首尾一貫した転換」に関しては、言うまでもない。
 われわれは、ELPが「もう一つの世界」を求めている、ということを疑ってはいない。しかしそれだからこそ我々は、ELPには反資本主義の戦略がない、ということを特に言わざるを得ないのだ。

…新自由主義の社会民主主義と共に

 それにもかかわらずELPは、例え間接的にだとしても、非常に要約的なやり方で、かつ非常に特殊な角度から政治に取り組んでいる。「左翼は、我々の社会を形作るために、我々の政治的代替物を何とか作りだし、それを民衆の中で成長させ、要求される多数を勝ち取るために、世界とヨーロッパの中で責任を引きうける意志がある」(注四)、と彼らは語る。
 この定式―「責任を引きうける」―は、そのような文書の中で鎮痛剤ではない。それは議会主義の優越を確証するだけではない。それはまた、「党」を司令部の位置にも置くのだ!そこで語られている党は、「形作り」、「作りだし」、「成長させ」、さらに多数を「勝ち取る」党である。ここには、運動と「世論」を導く党の極度の舞い戻りがある。
 同時にこの章句は何よりも、想定される政府参加の自由に対する予防手段としての役割を演じている。しかしこの参加は、依然として新自由主義に留まっている社会民主主義(及びその同質政党)との協力に帰着するに過ぎない。他方、何といっても最小限綱領は―もし信用を失うことを望まないのであれば―、勤労民衆の役に立つ社会的体力回復、という大きな計画を実行する約束なのであり、そしてこの民衆は、新自由主義の政策及びEUの主要な機構との決裂を要求するだろう。
 我々はここで、EU/ヨーロッパに関し(以下参照)、ELP諸党の道程に重くのしかかるであろう二つの中心的政治問題の一つに触れている。
 ここで検討している文書はどれ一つとしてこの政府問題を扱っていない。それはまた、ローマ大会参加者の発言にもなかった。ベルティノッティ(PRC)とブッフェ(PCF、フランス共産党)は、社会自由主義の諸政策を激しく批判した。しかしそこでは、政府協定の問題は除外されている。ベルティノッティはこの一年、新自由主義のEUの象徴であるプローディ率いる新たな中道左派政府のために努力してきた。ブッフェは社会党を攻撃しつつも、深く意見が割れている党に先んじて、この問題に完全に関わり続けている。PDSは、過酷な緊縮政策に責を負うベルリンの地の首座である自身の身を持って「証を立てつつ」、SPD(及び緑の党)との左派連立に狙いを定めてきた。スペインでは統一左翼(IU)が、(これは正当なことだが)右派を追い出すために彼らの議会票を使い、少数与党のPSOE政府創出を可能にしている。IUは入閣しなかった。しかし疑いなくそれでもそれは、彼らの望みよりもサパテロの望みをより多く扱うものとなるはずだ。
 左翼は確かに、社会主義者の党との関係で大きな戦術的問題に直面している。新ケインズ的綱領を新自由主義と置き換えることによってヨーロッパの社会民主主義は、彼らの民衆的基層とのつながりを切断し、その魂を失い、彼らの活動家を幻滅させてきた。しかし、真の信頼に足る左翼政治勢力がないという状況においてこれらの勢力は、メディアの支援を得つつ、選挙機構として立ち直ることに成功してきた。有権者大衆は、右派を締め出すために極めて実利的に、「社会主義者」に投票している。しかしそれは、社会自由主義の諸政策への支持を意味するわけではない。
 この回復力学は、ただ社 会民主主義に対してだけ働き、連立に参加してきた共産党や緑の党に対しては、全くあるいは極めて限定された程度でしか作用しない。社会的退化に対する共同責任の故に、彼らは少数派あるいは下級将校政党として、はるかに高い犠牲を支払わされている。「左翼」の有権者の場合、失望、混乱、拒絶という現象ははるかに暴力的なのだ。この違いは社会民主主義者が持つ幾分違った本性と関係している。諸共産党(そして緑の党の勢力)は分裂し、意見が割れている。
 結果として彼らの生き残りは、益々もって社会民主主義者の善意に依存する。そして社会民主主義者は選挙においてより強くなる。しかしそれは、思想的に、政治的に、さらに組織的に彼ら自身を益々空洞化しつつ、ということだ。そして新自由主義の「左―右」二極化に立つ政治の再構築のために、次いでブルジョア国家が彼らの援助(資金、メディア、諸規制)に駆けつける。共産党や緑の党の勢力は(革命的反資本主義勢力は言うまでもなく)、これらの利点を活用することはできない。
 社会内の力関係が不利なままである限り、また広範な民衆内部で混乱が支配的である限り、左翼と右翼の新自由主義政府が互いに機械的にその任を引き継ぐことになる。
 「左翼の左翼」の任務は、急進的かつ統一した、多元主義的かつヨーロッパ規模の、この社会的に荒廃した駆動力を打ち破る能力のある、左翼の立場に立つ新たな幅広い政治勢力に向かって、的確に活動を進めることである。

EU

社会自由主義中道左派政府への共産党と緑の党の通路は、EU(及びその創立文書、即ち憲法)の容認、さらに社会民主主義の新自由主義諸政策の容認によって条件付けられる。従ってELPは、EU憲法草案に明確に反対しているという点で大きな問題を抱えている。彼らは、一つの社会―政治構造としてのEUに対する具体的な分析を公然と提起する必要性(それは、ELPの全構成諸党にある)を前にして、後ずさりしている。それなしには、いかなる戦略も、いかなる代わりとなる方針もあり得ない。こうしてELPの指導者達は、公式には憲法に反対しているのだが、規約の中でもマニフェストの中でもその事実に言及しない。経済生活、幾百万の民衆の労働と生活に関わる諸条件、政治体制、諸民族の問題、民主的自由、超国家制、などの問題を、EUは益々左右している。それは、ヨーロッパと世界の勤労民衆と被抑圧民衆に敵対し、ヨーロッパブルジョアジーに奉仕する点で、中心的道具なのだ。
 規約の中では、「EU」という用語すら出てこない。「ヨーロッパの党」にとってこれは全く異様なことだ(注五)。
 ELPを形成する諸党は、それらが「多くの問題に関しさまざまな観点を持ち、対立のない一つの勢力ではない」ということを、規約の中で認めている。しかしこの率直さが先の巨大な政治的問題を解決するわけではない。ELPのマニフェストは、「ヨーロッパ」と「EU」の間にあいまいさを引き起こしている。それは、批判を展開し、EACLのマニフェストの中に見出し得る一連の要求と提案(注六)を提起する。
 そこには、ヨーロッパ反資本主義左翼との広範で強い一致点がある。そこには、開放運動再構築の始まりを意味してもいる諸結集の新しいサイクルに対する包容力も含まれている。それは、諸闘争と論争における前進にとって、可能性のある領域だ。
 しかしマニフェストは、EU国家のヨーロッパ諸制度の分析の手前で立ち止まる。
 「結局、ヨーロッパ連合の危機の中心にあるものは民主主義である」と、メッセージは末頼もしく見える。マニフェストはそれを強く短い章句で極めてうまく語っている。それは、検討を始め、そこから政治的かつ実践的結論を引き出すための見事な出発点だ。
 しかしマニフェストは、反社会的なEUを押し付けるために必要となった半独裁的性格(例えば、執行かつ立法機関としてのEU委員会の圧倒的な地位、執行機関の顎で使われるEU議会、透明性を欠き統制の及ばない中央銀行)を説明する代わりに、そこで手を引くのだ。「民主主義の危機」は、以下のような点にまで切り縮められている。「何十年もの間ヨーロッパ連合は、文化と言語の大きな多様性を無視して―民衆無しに、時に民衆と敵対して―、上から建設されてきた」、と。
 「民衆の自己決定」という重要な問題は、「文化と言語の多様性」にまで切り縮められた。その上で文書の中で、以下のように民主化の諸手段が現れる。「被選出諸制度、ヨーロッパ議会、そして国民議会が、代表委員会(経済社会委員会と地域委員会)と同様、統制と行動に関するより大きな権力を手にするように、我々は行動したい。討論中の『憲法条約』に関する我々の全般的見解がどうなろうとも、我々は大国の独裁に反対である」、そして次に一種のより全般的な展望が以下のように続く。「EUの中では、種々の利害が互い(一体どちら側にいるのか?―筆者)に衝突している。我々にとってこれは、階級闘争と労働者の利益及び民主主義の防衛にとっての、固有の諸組織と諸制度を持つヨーロッパ社会と中でもヨーロッパ議会に関わる、新たな政治空間を生み出す」、と。
 戦略的問題(新自由主義諸政策、社会民主主義との協力)に関してELPがこれまで示してきたものと同じ用心深さが、EUに関しても繰返されている。EUは、ヨーロッパの帝国主義諸(大)国が抱いている主要な政治構想だ。それ故人は、次の事実を避けることはできないのだ。つまり、この構想に反対するものは誰であれ、政府に戻ることから排除される危険を犯すことになる、ということだ!

ELPは仕事に取り掛かったが…

 人々の中の最も組織され政治的に鋭敏な部分の中では少なくとも、「ヨーロッパに関する」関心が成長している。EUは、主流的「ヨーロッパ党」に対してかなりの資金援助を与えている。
 ELPはおそらく、緑の党、社会党、ブルジョア諸党(有権者の分捕り合いのために互いに戦っている)と並ぶそのような「党」に向かう第一段階として成功した。最初の実際的な試験はEU議会選挙である。人々の広範な層の間の関心の欠如や棄権にもかかわらず、この選挙は過去におけるものよりも大きな政治的重要性を持つだろう。EUのメンバー国、二十五カ国で行われるこの選挙のもつ、同時的で広範な性格は、三億三三〇〇万人の潜在的投票者の半数が例え釣りや映画に行くとしても、この選挙を世論調査よりも全体を合わせたより意味のある民衆的諮問とする。
 ここでELPは、GUE/NGL(注七)のように、議会グループを作る状況に果たして入るだろうか。ELPは、EU議会によって認められ、補助を与えられるだろうか。その補助はELPに、大西洋からロシアまでの間でおおっぴらに活動するに当たって、極めて重要な財政的基盤を与えるかもしれない。
 キャンペーン、民衆に認められた地位、運動への取り組み、同時的につながった動員、真にヨーロッパ的な国際的な機能、これらに関するもう一つの疑問―要するに、ELPは実体的に党として機能し得るのか、と言うことだが―がある。ここで問題としている「党」は本当のところ、人が通常理解しているような党というわけではない。これは一つの同盟ではないし、あるいは連合ですらない。ある種の民族的自律という強い匂いが、大会会場に漂っていた。そして規約は、満場一致を要求することによってこの精神を清めた。
 これは二つの問題を提起する。第一に、東欧諸国の(元)共産党と西のより幅広い諸党との間の関係がある。実際この関係はベルリンの壁崩壊以降、EUという統一的要素にもかかわらず、その違いが益々強まる諸関連を背景に進化してきた。あるものはスターリニズムから悲痛な思いで身を引き剥がし、無情な資本主義に順応した。その一方他のものは、社会民主主義、世界的公正を求める運動、そして反資本主義左翼からなる、矛盾した圧力のもとにある。
 もう一つの困難は、ELP指導部という層における一体性に関わっている。
 PCF、PRC、そしてPDSの間には、新しい綱領の探求において一見して多くの違いがある。スターリニズムの解体は、緩慢かつさまざまの紆余曲折に彩られた過程だった。しかしそれは何よりも、各々の国において極めて異なったものだった。ヨーロッパレベルでの新たな機能的枠組としてのELP構築に際して、組織を横断するいくつかの個人間の結び付き(指導者及び活動家)が再活性化された。しかし、ELP指導部の周囲に殺到した諸共産党の間には、言うまでもなく旧来からの対抗関係がある。一例だが、PRCが最もスターリン主義的な諸党(ポルトガル共産党―PCP、ギリシャ共産党)を排除しようとした際、PCFがPCPの支援に駆けつけた。PCPは自身がELPに入ることなく、ELP会合のオブザーバーとして、左翼ブロック(ポルトガルのEACL参加勢力)をベルティノティが認知することを阻止できた。
 それ以上にPCFとPRCの間には、古くから続く対抗関係が今も続いている。この二党の政治的輪郭は、この五年止むことなく違ってきた。ELP議長にベルティノティを(従ってPRCを)推した党がPDS(スターリニズムの残存物を残しつつも、悪名が知り亘るほどに最も穏健な党)であるということは、意味深長だ。

ELPはどこへ?

 ELPを貫いている多くの矛盾はしかし、この枠組を必ずしも麻痺させるわけではない。それは、もう一つの政治的駆動力が、即ち「多元的」あるいは「中道左派」左翼という新たな経験に向かう主な諸党間における接近が作動中だからだ。直近の入閣経験によって傷付き、内部が割れたPCFは、その総括が未だできていない。しかし多数派は、もう一度過ちを犯すつもりのようだ。PDSは、SPD(ひどく弱体化した)と緑の党による政府への対応を思い描きつつ、ベルリン市政府(過酷な緊縮政策を押し付けている)においてその最初の一歩を踏み出した。PRCはベルルスコーニ追い出しに貢献し、プローディ政府に参加したいと思っている。IUはPSOE政府に加わらなかったが、サパテロはその支持の下で決定権を確保した。ギリシャにおける右派の直近の勝利の後では、シナスピスモスに対して問題は提起されていない。次の二年ないし三年に亘って(期間としては短いが)、「中道左派」の順番が再度始まる可能性が高い。
 しかし、多くのものはヨーロッパとEUメンバー諸国における政治と社会の状況次第となる、と言ってもそれは今の世界にあって紋切り型とは言えない。
 反社会的で反動的な残酷さを通して現在の右派政府は、代わりとなる強力な急進派がいないという条件の下で、「より小さい悪」という考え方の価値を間接的に高めた。社会民主主義は、選挙で右派を打倒するための唯一の使用可能な道具として再登場するだろう。
 それはまた、反資本主義左翼に対しても一つの試練を課すだろう。後者は、我々の要求を支持し、使用者の政府に反対する社会的、政治的、市民的左翼からなるあらゆる勢力との統一行動の下で、諸決起と諸闘争に参与するだろう。しかしそれでもそれは、街頭におけると同様投票箱においても効果的となっている制約(益々反民主主義的となっている選挙法の故に)を免れるわけではない。「左派政府」への合流を促す圧力が―その勢力が持つ社会的、政治的重みに応じて―反資本主義的左翼にのしかかるだろう(注八)。
 その圧力に屈服することは、その政府が新自由主義政策と効果的かつ根本的に手を切るものでない場合、深刻な過ちとなるだろう。そのような政府の登場は、非常に巨大な社会的決起が、階級間の力関係を揺るがすばかりではなく、労働組合や社会諸組織内部をも揺るがす場合でなければ起こり得ないだろう。
 ELPは我々の党ではない。その今の重心は、「ヨーロッパ党」という問題が日程に上った十八ヶ月前に我々が予測し得たものよりも、さらに右に寄っている。
 PRCは、失望という基盤の上で戦略を変えた。確かに巨大な社会的急進主義は、政治的領域にまでは拡張しなかった(選挙及び党組織の側面で)。二〇〇三年六月からPRCはプローディ率いる中道左派との、政府連立を含む連携に傾いた。それは、イタリアだけでなくヨーロッパ規模における深刻な誤りだ。PRCは、他の共産党の何百という政治的活動家を魅惑し、教育し、彼らにやる気を起こさせてきた。この党は、現代の急進主義の中で、政治的かつ知的な刷新、つまり急進的で「議会主義を超えた」党という理念において、先導的役割を果たしてきた。そして、ヨーロッパ反資本主義左翼に極めて接近してきた。それは今も社会的急進性を特質として残している(ELPの他の共産党とは異なり)が、その政治的展望を変えてしまった。
 ELPは、社会的自由主義と反資本主義左翼の間に身を置いている。ELP(及びその主な諸党)が、新自由主義の綱領に基づいて社会民主主義と共に政府にもし参加するならば、それは左翼内部の新たな状況と反資本主義左翼との異なった関係を作り出すだろう。
 我々は諸闘争と諸決起内部にいるだろう。そして我々は、具体的な要求と目標に基づく行動の統一に、いつでも応じることができるだろう。しかし論争と政治闘争は、そのような政府の政策がある以上、別の展開を見るだろう。
 現在からその時まで、生活と労働の諸条件を巡って累積する社会―政治諸経験に基づいて論争が引き続く。この共産主義者/代わりとなる左派と反資本主義左翼の間における活動家個々の接触及び組織的接触は、この明確化過程にとっては好条件だ。
(「インターナショナル・ビューポイント」八・九月号―一部割愛)
注.筆者は、第四インターナショナルの執行ビューローメンバー。なお、注は紙面の関係で割愛した。

 
 
 
 
 
 
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