2005年2月10日        労働者の力             第 179号

〜広がる非正規雇用の波紋〜
社会的貧困のすざましい進行に           反撃できる労働者の闘争を


―全国一般全国協書記長・遠藤一郎さんに聞く―
 


二層分解は戦略的攻撃


―遠藤さんのところは全国一般だから、中小企業で、産業別、企業別でかなり状況はばらばらだと思いますが、その辺を含めて、全体に現在の労働者のさまざまな労働状況の全般的な傾向と、その上で今年の春闘をどういうふうに構えているか、全国協を中心として、連合なり全労連を含めて、まずお話ください。

遠藤 労働者の状況は、失業率が四・四%ということで若干改善された。企業業績も中国との貿易の拡大で改善されているし、企業収益はこの間のリストラ効果ということで、急角度で上昇している。だけど、労働者の実感としては、こうした状態はまったく感じられない。基本的には急激な下層の拡大、貧困の拡大、年収でいえば二極分解ということで、年収三〇〇万世帯が約三割。これ、世帯です。実際に今の低賃金労働者は、年収二〇〇万とか二五〇万とかの労働者が続々出てきている。昔でいうと、パート労働者が、正社員労働者の扶養家族の範囲の中で、家計補助をする。しかし今はそんな話ではなく、夫婦合わせて一五〇万とか二〇〇万の年収、やっと三〇〇万を越えるかという状態になって、そいうことで生活が直撃されて、年収三〇〇万時代の経済学という本がベストセラーになる事態が労働者の生活を直撃している。これが一つの特徴。
 もう一つの特徴は、失業率が四・四%に改善された。しかし、何が何に置き換えられているかということでいうと、正社員から非正規・有期雇用労働者に置き換えられているという形。非正規社員率でいうと、三二%。女性でいえば、五二%が非正規雇用労働者。雇用の問題でいうと、非常に不安定な雇用に置き換えられている。これは、今景気が悪いからとか、企業の業績が悪いからしょうがなくて、という話でなくて、政策的にそうなっている。オリックスの宮内が規制改革会議の議長を六年やって、新自由主義的な規制緩和、構造改革推進を行った。彼の論理によれば、ペンシル雇用、つまり、鉛筆と同じで、芯の部分だけ正社員、周りはみんな非正規でいいんだ、と。鉛筆で考えれば、芯は二割くらい。このような基本的政策として、雇用の不安定化が推進されている。
 宮内は、エリートとアザーズという言葉を使って、芯はエリート。これは付加価値の高い仕事をやる。それになりたかったら必死に努力をしろ。アザーズ、その他、脱落組だ、極端いって。このアザーズは、世界の最低の労働力の賃金水準に限りなく引きつけられる、これはしょうがないんだ。だから日本でも二極分解は当たり前。アザーズになりたくなかったら、自分で努力しろ。自助努力すればエリートになれる。このアザーズを全部面倒見ると思ったら、日本経済は沈んじゃう。
 こういうことを堂々と宣言している。こういう新自由主義的な政策の対労働者への適用が、二極分解と非正規社員ということで、この数年間、はっきりと流れている。

闘いの主役は誰か

 こことどう立ち向かうかと考えないと、景気がよくなったから正社員の賃金が少し改善されるんじゃないかとか、そういうレベルの話ではない。〇五年春闘について、連合は連合で、非正規労働問題をいっているが、本当に正規社員を含めた二重構造への階層分化、その下の方がどんな状態になっているか、非正規化問題はイコール貧困の問題だ。ここのところについてどういうふうに闘うかということは全然見えない。一応今のトレンドだから、非正規労働者に対する権利の問題とか、賃金の問題、均等待遇とかは一通りは言ってはいるが、しかし肝心の、圧倒的な貧困層が急激に拡大しているということについて、どう対応するかということが見えてこない。
 全労連の春闘方針の最大の特徴は、トヨタを攻める。もともと彼らは昔からだけれど、大企業の儲けのマップを作って、内部留保から見ればこれだけはき出せるということで、その典型に今年はトヨタを攻める。それ自身、日本経済の回復の中心部分で、利益で一兆円を超えるというところだから、攻めるということでは、ある意味で象徴的運動なんだけれども、しかし主体がよく見えないという不満がある。
 もう少しリアルにわれわれの運動の組み立てをいうと、たとえば東京南部に道路公団の下請けの料金収集の労働者が八〇〇人ぐらいいる。三〇年ぐらい前から組織して、ある程度高齢の労働者で、ああいう仕事だから、二四時間勤務という非常に過酷な仕事で、営々と築き上げて、だいたい年収四〇〇万くらいのところまできた。そこに青天の霹靂の公団民営化攻撃。猪瀬がとくとくとして、経費削減がなぜ出来ないんだとさんざんやったわけだ。三年前に、下請け単価三割五分切り捨てとなった。経費の節減を公団に要求すれば、公団は下請けに丸投げするわけで、その結果賃金を三年間で三割五分カット、四〇〇万の年収を二六〇万にする。それを三年計画でやってきた。それに対してずっと闘ってきたんだけれども、結局押し切られて、一年一〇%カットを六%カットにすることとなった。もともとこの人達は正社員、それを公団の下請けは、三割カットでは正社員だけでは誰も来ない、一年契約のパートにすると切り替えてきた。それに対して、ふざけんじゃない、やっと正社員にさせて生活向上させてきたのになんだという喧嘩をしてきた。これは民営化攻撃の典型。民営化のつけがどういうところに回ってくるかという典型。おまけにそこにETCという自動通過装置が出た。そうすると人は減らせるはずだ。
 要するに、世論から公団がべらぼうな無駄遣いを糾弾されて、それをどこに転化していくかというと、下請けの労働者だ。賃金を三割五分カットし、人員を二割カットする。これで生活できるかということだ。今年、三月一七日、公団下請けの労働者がむしろ旗を掲げて春闘に登場する。貧者の行進。四時から日比谷で集会。
 次に、タクシーの労働者。この前テレビで特集をやっていたが、仙台が舞台だった。オール歩合で規制緩和でどんどん会社が増える。オール歩合で最低賃金を割ると、会社が最低賃金を補填する。東京都の最賃が一番高くて、七一〇円の時給。普通の働き方をすると八時間。年間で一四七万六八〇〇円。地方に行けばもっと安くなる。一番低いのが沖縄で六〇六円で約一〇〇円低い。これがタクシー労働者のすれすれの水準。失業して行き所なくなった労働者の最後の拠り所がタクシーといわれている。それが必死で稼いでこれだ。最近の規制緩和で、貨物の物流の運送値段は際限なく低くなって、もともとあれは登録制だったのだが、それが外されて報告義務だけになった。物流の運賃値下げ競争が始まって、零細の輸送会社はタクシーと同じようになっている。
 それから介護の労働者。登録ヘルパーの賃金はどうなっているかというと、毎月渡り歩いている。要するに、いくつかに登録して必死で介護件数稼いでも、一〇万稼ぐのが並大抵でない。今、全国協で半専従やって貰っているある組合員は介護やっているが、入らない時は月に三万か四万。入っても月にせいぜい一〇万。また仙台で繊維関係をやっている労働者もそれくらい、これも正社員だ、最賃。タクシーも登録ヘルパーもそうだ。それと非正規がだいたい同じレベル。
 その部分が膨大に増えている。真ん中がまったく少なくなって、上が若干いる。くびれたボタン型の賃金分布になっている。
 問題は、これで自分たちはいいのか、こんなことで生活ができんのか、と。

生活まるごとが要求

 だから先ほどトヨタの話をしたが、トヨタを攻めて象徴的キャンペーンをやるのはいいんだが、主体は誰なんだと。たとえば、トヨタの組合がベアを要求しないで、一時金を年間二四〇万要求した。最低賃金で一四〇万そこそこ。トヨタの正社員労働者は一時金だけで二四〇万要求しても、満額回答でるだろうといわれている。そのトヨタを本当に誰が攻めるのか。二極分解している労働者、底辺層がすごく増大している。ここでは、ありとあらゆるものが崩壊している。社会保険に入っていない。離脱企業。雇用保険も入っていない。労働保険である雇用保険と労災保険、強制加入の最低保険すら入っていない。だから、いざ労災がおこった後に、遡って払って労災を適用させようとする。トラックは悲惨だ。解雇された時に雇用保険に入っていない、日常茶飯事だ。われわれは、雇用保険に入って
いない場合は、二年間遡って入らせる。雇用保険料を支払うのは経営者だから、手続きだけさせて、金取るのは社会保険事務所が、雇用保険事務所が、職安が、逃げた会社から取ってくる。雇用保険は適用させるという闘争をやって、二年間遡って取る闘争をやっているが、労災を含めて全部崩壊している。社会保険、医療保険の方だが、社会保険庁自身が離脱を進めるわけだ。「どんどん徴収率が悪くなる。自前で国民健康保険に入ってくれ」、となる。自前で国民健康保険に入って、愕然とするのは、たとえば子供を産む。国民健康保険には休業補償というのがない。自営業者だから。だから、産前産後は無給になる。普通企業は無給だけど、社会保険から休業補償と出産手当が出て、その結果ほとんど有給と同じになる。国民健康保険にはそういうことはない。そういう事態にぶつかった時に、始めて分かる。
 だから、単に年収が三〇〇万を切って生活が大変だということだけじゃなく、セーフティネットが下から瓦解している。そういうところが問題だ。そこから反撃をどうするのかというところが最大の問題だ。そういう意味で、今年は東京労組も結集して、三月一八日にストライキを結集して、自分たちの課題を突きだす。文字通り、これで生活しろというのか、俺たちを殺すのか、というストライキをやる。

労働力トラストと人間としての尊厳、労働組合運動の原点が改めて問題に

 もう一つは、いま郵政民営化が騒がれているが、われわれの仲間にも郵政の労働者がいるが、郵政民営化を許さないという闘いをやっている。もっといえば、新自由主義政策が、NTTの攻撃だと思う。今度NTTは扶養家族手当をおかしいとといいだした。扶養家族がいるとか、子供養っているとか、まったく仕事とは関係ないところで手当を払っているのはおかしい。その財源をゼロにして、全部成果給の原資にする。要するに、年齢給、年齢にしたがって給料が上がっていくところを越えたわけだ。要するに、おまえが子供三人持っているのは、おまえの勝手だろう。能力、成果とは関係ない。要するに、労働力の再生産には、企業は関係ないというわけだ。資本主義の最初には、一五時間働かせて、少年労働、少女労働をやらせて、労働力の再生産費なんか端から考えていなかった。それじゃだめなんだ、労働力は単純な商品ではないのだ、ということでずっと闘ってきて、再生産費ということを含めて闘ってきた。
 そういう歴史的な積み重ねに対して、扶養手当を払うことが、成果主義のあり方かたからいえば不平等である。労働力の再生産費なんかは自己責任です。私達は労働力を一〇〇%買い取ります。一〇〇%使わせて貰います。それは、成果に基づいて評価します。というところまではっきり言いきっている。五〇歳停年で三割カットの再雇用にしたってそうだし、それからそれに従わなかったら、非人間的な長距離配転、遠隔地配転をするという考え方もそうだ。もともとが労働力なんだから、自分たちがとことん使い切って、どこに飛ばしても構わない。これが新自由主義そのものだと思う。その裏方に、労働者の貧困化があり、もう一方に資本が労働力を完全支配する、そして資本主義の出発の頃のようなあり方、使い方にする、という狙いだ。もともと、労働組合は労働力を高く売るために、労働者同士の競争を団結によって抑制し、交渉をして生活向上を図るという側面、それは売り買いの労働条件。そして労働過程については、資本が事実上支配し、全部支配することに対して、それに介入し、労働の過程全体に労働者の要求を反映させるという二つの側面がある。後者のところで、権利を放棄した上に前者のところで、たとえばNTT労組が成果主義賃金の極まったあり方として、扶養家族手当を支払っているということに対して文句を言って、成果主義の原資に切り替えさせるというところまで行くというのはなんなんだろうか。これは、この一〇年来の新自由主義政策の最終的結論ではなかろうか。
 それに対して、貧者の行進と、労働を自分たちに取り戻す闘いをやることが必要なんだ。これが〇五春闘の考え方だ。そういうことを全国キャンペーンとしてやっていく。
 非正規問題とは、一般的な権利剥奪とか均等扱いされてないということではなく、正社員を非正規に置き換え、しかも正社員の最下層が正社員のままで、どんどん貧困化させられる、という問題をきちっととらえて反撃するという組み立てをする。
 外国人労働者も同じだ。外国人労働者の、ワーキングビザの対価は二〇万だ。年間で二四〇万。それに若干の一時金が二ヶ月分あっても二八〇万。しかも有期で一年ごと、毎年毎年四月からの更新があるから、不安になる。それで、ジョブ・セキュリティ、安定した仕事で安心して働ける仕事を保証しろということになる。
 だいたい反撃の担い手は見えてきた。問題は反撃の担い手を主体的に組織して力に出来るのか、ということだ。それを中心にして、組み立てをしたいと思っている。

再賃闘争が一つのつなぎ目

 
―相談件数とかは増えているか。

 相談件数はべらぼうに多い。年から年中相談ばかりだ。しかも相談の中味が悲惨。今頃の時期になると、不安、更新が出来ないとか、契約がうち切られそうだ、とか、いきなりダウンさせられるとかの相談が増える。
 前に言った組織の問題でいうと、向こう側の攻撃の中で、下請け単価の切り下げや非正規化が進むとともに、下請け企業自身の統廃合が進む。合併して何とか生き延びようとするわけだ。先の道路公団下請けの場合もそうだ。その中の不安感が拡大して、従来四〇〇人ぐらいだったのが、ここ数年間で倍、八〇〇人ぐらいになった。しかもそういう中で、どうやって防衛するかという形。労働組合の組織率自身は二割。しかも大手をひっくるめての二割。非正規とか中小はどうしようもない組織率だ。やっぱり反撃の仕方が目に見える形で進まないと効果的ではない。
 トヨタを攻める場合、豊田市の近くには外国人労働者の町がばーっと広がっている。そこは口入れ屋がずらーっといて、その構造がフィリピンでいえば、フィリピントヨタの労働組合を、権力と一体となって弾圧するという構造なんだ。それが国内にもあるわけ。それであれだけの収益が得られる。トヨタは確かに本工の終身雇用を守っている。だから本工は二四〇万の一時金なんだ。しかしトヨタの一兆円を超す収益の基礎は、本当に悲惨な外国人労働者であり、海外の企業なんだ。そこでは、人に優しいとか、自然に優しいとかのはなしじゃない。そういうところの視点で、トヨタをどう攻めるかとなる。そうすると、みんな繋がってくるわけだ。だが、全労連の春闘方針を見ると、そのところが全然見えてこない。ただキャンペーンとして、日本の巨大企業はこれだけ内部留保してます、これで許せますか、と。それは許せないよな。ただ、それで終わりなのだ。許せますかと言った時に、一時金で二四〇万貰っているトヨタの本工労働者、終身雇用が守られている本工労働者を相手には、われわれの連帯の対象が見えてこない。だから、もう少し分析して、分解して、どこからどう攻めるのか、攻める主体は何なの。外からトヨタはひどいと言うだけで終わるのでは、キャンペーンとしてはどうぞ、ということになる。
 今言ったコンセプトで、全国で各地の運動をどう組み立てるか、その一つの象徴として最賃問題。リビング・ウエッジとか、いろいろな言い方があるのだけれど、ものすごく分かりやすく、生活できる賃金のための最低賃金の引き上げをもう一度全国的に。全国協としては、中小のわれわれの課題としてやろうと考えている。
 
―最賃について、全国闘争として、対政府闘争を組み立てるようなことあり得ないのか。 

 去年の大会で、京都でこの数年取り組んだ最賃の闘いを整理して、それを一つの材料にしながら、各地の、地域最賃、最低賃金審議会への取り組みをきちっとやろうと確認した。それをやりながら全国闘争へつなげていく。審議会は最近の情報公開で、傍聴可能になった。具体的に目の前で、どんな仕組みで、どんないい加減さでやられているかを実感することが大事だ。継続的に積み上げる。
 去年九月、最低賃金研究会を厚生労働省が作った。今年の四月までに整理をする。僅か九月から四月までで整理するというのだが、中味的には産業別というか、業種別最賃を廃止したいということを答申するためだけの研究会だ。要するに低い水準の業種に一本化するということだ
 こういうことを見ていると、みんな怒り始める。
 
雇用の社会的保証をどう要求するか

―失業率が若干下がって四・四%となっているが、積極的に求職活動をしない人も多い。失業が基礎にあって、労働条件のめちゃくちゃな解体がある。セットなんだ。失業者がいなかったら、向こうはそんなめちゃくちゃなことは出来ない。だから、失業者、昔の言葉で言えば産業予備軍にどう立ち向かうか。

 この間その分野で一般的には、失業給付を増やせとか、もっときちんと職業訓練をしろ、とか、雇用創出のプランを作れ、自治体に雇用創出の環境を整備させろ、とか、一般的なそういうことはずっと言ってきたし、やってみた。基本的には、仕事よこせ運動だ。政府と自治体が仕事を提供せよ。それからリストラ企業がある地域から引き上げるとすれば、企業が自治体に金を出して、そこで仕事を保証させる。それはペナルティだ。フランスのルノーの合理化で、それをやった。しかし、流行は、失業者ユニオンで、自主生産で、仕事を作る、ということだ。でもそれは、現実に現在の大量失業状況に対応する方針としては、私にはぴんと来ない。自助努力でやってくださいという政府の意図とどう違うのか。オーソドックスな仕事よこせ運動は、一般的な予算獲得運動では何も面白みがない。主体を組織して、自治体に押し掛けるとか、昔で言えば、全日自労のような、自治体に仕事をよこせと言い、なおかつ夏、年末にはボーナスを出させるために自治体の前に座り込む。このような全日自労の闘争があった。しかし今は全然だめ。
 前の労働省は、失対事業は失敗であったと総括して、一切に受け付けない。じゃ、失敗だったとしたら、そうじゃない方法を、要求しているが、残念ながら現在は手がかりが見つかっていない。
 
―雇用保障という面から言って、国有化という視点が出てくると思う。イデオロギー先行ではないイギリスの労働組合が、歴史的に国有化要求を堅持し続けている理由も、そこにあると思うが。
 
 日本型ワークシェアリングを含めて、はっきり議論が出来てない。だが、たとえば、自治体の残業をなくして、その分を雇用に回すという議論をやった。県庁を見れば、夜中でもこうこうと電気をつけている。雇用創出をどうするか、ターゲットを絞って、ワークシェアリング、分かち合いをし、財源を作る。少なくとも自治体員と同じ仕事をするのだ、それが基本なのだ。それをもっと押し進めれば、国有化問題になるし、フランスの失業者対策では、特別警察官(街頭案内、少年指導など、。なおフランスの警察官には労働組合組織の自由がある―編注)を増やした。そんなことを含めてやりようはある。別に警察官を増やせとはいわないが。
 基本的には、失業者問題については、オーソドックスにやらければならない。

―長時間ありがとうございました。(二月二日収録。文責編集部)
注。なお、住宅・医療・教育・交通など、すべての労働者の生存を普遍的に支える社会的要求の問題や、労災・産業事故などに論点は広がったが、紙面の都合でその部分は割愛した。
 
 ―国際反戦運動への訴え―
問題の中心にはパレスチナ問題がある!

        
ミッシェル・ワルショウスキー           


―筆者は、イスラエルのオルタナティブ・インフォメーション・センター(AIC)の創立者であり、著述家かつジャーナリストである。ここに再掲載するものは、ベイルートの日刊紙「ア・サフィール」、二〇〇四年九月一八日付に発表された、「反戦運動の世界的連合の我が同志たちへの手紙」と題された彼の訴えである。この発表日付は、当地で開催された国際反戦運動会議の期間中であった(IV編集部)―

レバノン会議の重要性

 前回の国際反戦会議では、次回会合地がレバノンのベイルート、と決まった。その地の会合にはイスラエルの活動家は誰も出席できない。そのことははっきりしていた。しかしそうであっても、私はこの決定に心から賛成した。
 何といっても、反戦運動がアラブ世界に根を下ろすことは、最高度の重要性をもっている。この世界は、現在イラクとパレスチナで二つの戦闘が闘われている最中の、帝国主義的攻撃の前線なのだ。
 イスラエルの法律は、シリア・レバノンの法と同様、AICに所属する私のイスラエルの同僚がベイルート会議に参加することを不可能としている。そうであっても、一定の明確な成果を示すことは重要だ。イスラエル人に関するアラブの決まりは、イスラエルとの関係正常化に反対する正当な闘争に由来する。その一方イスラエル市民がアラブ諸国に旅することを禁じるイスラエルの法律は、活動家間のいかなる協力をも阻止しようとする意識的な政策に基づいている。より正確に言えば、それが阻止しようとするものは、その目的が「正常化」(即ち、平和と正常性という虚偽の印象を生み出すこと)ではない種類の全ての連携であり、むしろはっきり言ってそれは、帝国主義戦争、植民地主義的シオニズムそして我々の地域における占領に反対する我々の闘争の調整を目的とした連携だ。
 この手紙で私は、世界的戦争の問題と同時に、パレスチナ問題の中心性と反戦運動とを強調したいと思う。市民社会と政治的社会の幾百万という活動家の目に、パレスチナは何故それ程重要なのだろうか。新自由主義と戦争に反対する全てのデモにおいて、イラクやいかなる他の旗ではなく、何故パレスチナの旗が至る所にあるのか。それは、イスラエルの占領が最も野蛮かつ虐殺的だからなのか。そうとは言えない。不幸なことにひどい状況はいくつもある。例えばチェチェンでは、ロシア軍は紛れもない民族大虐殺を遂行している。
 それは、世界の民衆にとってパレスチナ民族運動がひらめきの源だからなのか。これも違う。パレスチナの運動よりも有効性を示し、勝利により近づいている民族解放運動はいくつもある。
 何人かの「イスラエルの友人」は、イスラエル・パレスチナ紛争問題が中心的であるとする主張は、反戦運動と反グローバリゼーションの活動家には反ユダヤ主義があることを確証する、と非難するだろう。ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、あるいはアジアにおける我々の運動が常にどれほど、もちろんのこと反ユダヤ主義を含む人種主義反対闘争の前衛であったか、そして「イスラエルの友人」の場合はそうではなかったか、ということを知っている以上、この全く中傷的な告発に私は賛成できない。

世界支配の実験場

 パレスチナ問題の中心性は、それがブッシュ政権とその同盟者が着手した世界的戦争の利害関係を、この地球上のいかなる他の対立よりも強く集約しているという事実によって説明可能だ。それが私の観点だ。
 実際にもパレスチナ問題はこの戦争の実験室だった。あらゆる方法、主張や正当化の論点、あらゆる構想と技術は、それが世界の他の地域での実践に移される前に、パレスチナで試された。我々がイラクにおける「検問所」に注目するならば、それらがパレスチナの「管理所」の映しであることを特筆しなければならない。また、イラクの収用所における拷問に示された拷問の恐るべき状況に注目しても、その多くは古くからのイスラエルのやり方なのだ。ジュネーブ会議の宣言、より一般的には第二次世界大戦後の政治秩序、これらと一国主義の観念はもはや適合しない。そして、ブッシュの新しい戦略の枠組は、ここ一〇年のイスラエルの政策では中心部にあるものなのだ。二〇〇〇年以降イスラエルは再度、パレスチナ民衆に対する予防的で世界的でかつ永久的な戦争を続けてきた。そしてここではパレスチナ民衆は、「存在自体が脅威」とみなされているのだから、敵以上のものとなっている。
 何かについて思い出すことがないだろうか。ある者は、ブッシュとシャロンの戦略の間にある類似性について、アメリカ大統領の背後で行われる「ユダヤ人の謀議」の結果として説明しようと試みている。その謀議とは、アメリカ大統領を操作してイスラエルの利益に奉仕する政策を実施させようとする、というものだ。
 しかしながらもっと単純な説明があるのだ。それは即ち、過去一五年に亘って、アメリカ、イスラエル、さらにヨーロッパの政治家からなる一グループ―専門家、現役を引いた元高官、そして実業家―が、ソビエトブロック崩壊後の新たな世界戦略、つまり世界に関する新たな未来像を一緒になって描き上げた、ということだ。彼らの何人かはイスラエルのリクード党と関係をもっていた。彼らはネオコンとして知られ、様々な研究センターやシンクタンクの中で、「イスラムの脅威」、「文明の崩壊」、「世界的予防戦争」といった考え方を展開してきた。そこにおける主な仮説は以下のようなものだ。即ち、ファシズムに対する勝利後に確立された世界的政治秩序はもはや適切ではなく、新たな脅威はもはや「共産主義」ではなく、「歴史は終焉した」としてもイスラムのテロリズムがあり、この脅威に対抗して世界を守る権利がアメリカにはあり、イスラエルはこの新しい世界戦争の中心に位置し、そして、アメリカの一国主義が国連の多国間主義に置換わるべきである、というようなものだ。イスラエルのネオコンは、ネタニアフと彼の派閥という形で、同類がワシントンにおける権力に着く五年前の一九九六年、権力に駆け上がった。アメリカの政府がイスラエルの手法を真似ている、との強い印象を人が持つ理由がこれだ。パレスチナ民衆に敵対するイスラエルの政策はある程度まで、世界規模におけるネオコンの戦略にとっての一種の地域的実験なのだ。この戦略は世界の再植民地化を基礎とするものであり、地方的協力者を介したアメリカの同盟者とアメリカの支配を強制し、こうして世界的なアパルトヘイトの一システムを確立しようとするものである。
 
民衆は同じ戦争に直面している

 しかしそれは、見境のない軍事力と直面する中ですら展開されている民衆の極めて強力な抵抗を理由として、今イラクで失敗しつつあるように、パレスチナでは失敗するに至った。
 それは定義に従えば、彼らの世界的支配に対する未来の挑戦を中立化するという目的に向けて、予防戦争を行使する一国的戦略だ。二一世紀の始まりにあるものは、もはや地域的対立ではなく、むしろ同一の新植民地戦争の一部をなす地域の諸戦闘であり、そこでは一方にアメリカ帝国主義があり、他方には世界的資本主義と植民地支配に抵抗する地球の民衆がいる。
 パレスチナ問題を中心と考える第二の理由は、この世界的で永久的かつ予防的戦争の前線が、イスラエルが今隔離壁を建設中のまさにその場所に設定されているからだ。この設定の下では、壁の東方、クァルキリア、テュルカルムには悪の枢軸、「赤い国家」があり、壁の西方、クファルサバ、ツルヤギルには、ブッシュの文明がある、とされる。こうしてイスラエルは文明の前線にあり、野蛮人と戦っている。そして一方パレスチナは、マクドナルド、マイクロソフト、三菱、そしてラガード等に表される文明と対決して闘う世界の民衆の巨大な軍隊でその第一線にある。
 壁は単にイスラエル人とパレスチナ人を隔離するだけではない。それは同時に、世界的規模における生と死に向けて一つの戦争を先導しつつ、世界を二つの世界的な社会勢力へと分断する、普遍的な隔離壁でもあるのだ。帝国主義国家内部にすらある、世界的公正を求め、戦争に反対する巨大な運動の存在は、世界を「文明の崩壊」に至らせようと試みる人種隔離戦略に対する巨大な挑戦だ。反植民地主義運動の存在を考えれば、これはまたイスラエルにも当てはまる。この運動は、規模ではつつましいとはいえ、巨大な規模でアパルトヘイト体制を築き上げようとすることに対して、またパレスチナ民衆を敵とする永久的かつ予防的植民地戦争政策に対して、日々の活動の中で挑戦するその能力において重要な位置をもつ。
 植民地主義及び占領と戦う準備が我々にある限り、そして占領軍に従軍することを拒絶する兵士、真の共存、ユダヤ人とアラブ人の間の「タ・アヤシュ」のために闘う意思のある男と女がいる限り、この地域の民衆に降りかかる破局を避けるチャンスは広がるだろう。
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇〇四・一二月号)

 
 
   
=USA=
終わりかそれとも始まりか
                     
「流れに抗して」編集部
 


―以下に掲載する記事は、アメリカの社会主義組織、「ソリダリティー」が発行する雑誌、「流れに抗して」が掲載した「編集者からの手紙」である―(IV編集部)

 結局選挙は終わった。まだはっきりしたことは分からないが、この号が読者の手に届く時までには、次の四年間誰がホワイトハウスを占拠するのかが分かるだろう。「流れに抗して」の本号は投票日夜にやっとの思いで完成したが、その時は、ブッシュが僅差で、しかし二〇〇〇年の時とは異なりあくどい手口で票を盗んだとの汚名なしに、勝つように見えた―結果は疑いのある暫定票次第とされているオハイオ州において、将来逆転がないという条件で―。この論説はそれ故、ブッシュがほぼ確実な勝者であるとの仮定を基にしている。この選挙は、戦争が基本的かつ決定的な問題となった、一九六八年以降で始めての選挙だった。それ以来多くのものが変化した。しかしその時も今と同様、反戦運動がむなしくより小さな悪に自身を縛り付けたが故に、親戦争派の民主党が親戦争派の共和党に敗北したのだった。

空虚な選択

 もちろん、いわゆる「価値」をめぐる問題から始まり、経済さらに二〇〇〇年の盗まれた選挙というひりひりするような記憶をも含む、他の多くの課題がある。しかし、イラクが大失敗となったという事実が、ブッシュ一味をこれほどにまで弱々しくした要素だった。確かに、ブッシュの悲惨な戦争に対する民衆の怒りから沸きあがる真性のエネルギーと投票者の結集を目にすれば、そこには今も尚驚くべきものがある。しかし他方で民主党エリートは、「もっとうまい戦争のやりかた」というキャンペーンを展開することで、民主党の反戦的中核支持者に対して人を小ばかにしたような侮蔑を明らかにした。
 ジョン・ケリーの政策は、共和党中道層、つまりかつてそのようなものが存在していた時代にそう呼ぶことが慣わしであったもの、にぴったりと合わされた。それ故、この選挙の最大の逆説は、ケリーを救おうとしたアメリカ平和運動の絶望的な努力であった。そして彼の振る舞いに添えられた彼らの努力の見返りにこの運動の指導者たちがケリーから得たものは、まさに彼らが要求したもの、即ちゼロ、絶対的なゼロだった。
 戦争をもっとうまくやるというようないかがわしい構想に代えて、ブッシュの戦争に反対して運動する民主党の候補者であれば結果はもっと良かった、と言えるのだろうか。しかしそれは、現実を抜き取った空虚な議論である。民主党は帝国主義の党なのであり、この党は銃が火を吹いている時、その選挙民が考えることとは関係なく戦争に反対しないのだ。それとも反戦運動は、想定可能な選択肢であったラルフ・ネーダーの自立的運動や緑の党に対する支援によって、独立的戦略に基づくより大きな影響を及ぼす可能性があったのだろうか。悲しいことではあるが、それに対する答えを知ることは到底できないだろう。
 民主党は反戦票をつかんでいた。そしてそれを彼らは保証済みとみなした。他方共和党は、福音主義派票という大きな塊を確保していた。そしてそれが以下に関する限り成功の秘密だ。つまり、何百万人という勤労民衆(全てがというわけではないとしても、その殆どは白人)が宗教的基盤を基準として、医療や生計賃金や社会保障という問題に関して彼らを苦しめることに最も緊密に関わってきた党に投票するのだ。言われる通りこれは、アメリカだけの現象だ。
 この大統領選のより広い意味をもつ顕著な特色は、この社会と世界が直面している底深い数々の危機と選挙運動との間にあった溝である。中東一つだけを考えても危機は以下のように列をなす。占領が作り出した手に負えない混乱と帝国主義がイラクに生み出した内戦の始まり。イランに対するアメリカあるいはイスラエルの先制攻撃という、レーダーの照準を合わせた脅迫。ダルフールにおける大量虐殺、住民抹殺そして飢餓。
 これに加えて、企業の暴走的な世界化がもたらす破壊的な影響、並びに破局的な気候変動。数億人もの人々がより貧しくなる一方で、薄い層のエリートが豊かさを増すというような、ラテンアメリカにおける不平等の深刻な成長。中国の際立った経済成長と、同時的な爆発的社会的諸闘争と生態的危機。ロシアの事実上の内部的分裂。アフリカ、アジア、東欧におけるHIV/AIDSの惨害、そして鳥インフルエンザや新しい世界的伝染病の脅威。

戦争と大混乱

 ケリーに最も近いグループがはっとするような世論調査結果を持ち込み、彼の注意を喚起したのは九月半ばだった。この結果が示していたものは、投票すると見込まれる有権者の決定的多数(信頼性水準約九五%で、六〇±三%)が、肉体的活力が外見上目立つ候補者をより好む、というものだった。
 八月を通してそのような証を見せつけることに失敗したことによって、ケリーはブッシュにはるかに遅れをとることになった。それは、選挙を盗み取るざるを得ないどころか、そんな必要もなく彼が勝つように見えるほどだった。折り良く応じつつ、民主党指名受諾演説において彼は、イラク及び「テロとの戦争」におけるブッシュの不手際という問題について、批判的に弁じた。
 四七分間の中で彼は、国連、兵器査察、合衆国の国際同盟政策、さらに占領後のイラクに関する政府自身の情報評価における、最高統治者の外交的破綻について議論を挑んだ。この演説に見られた驚くべき特徴は、ケリーが全く触れなかったことだ。それは、アブグレイブとグァンタナモ、拷問と収用者に対する辱めであり、そこには死をもたらした殴打や拘留中の子供に対するレイプなどの例が含まれる。この脱落は偶然ではなかった。というのも、九月三〇日に行われた対外政策に関する、想定上は「決定的な大統領選討論」の中でもこの問題は切り出されなかったからだ。
 本来的に機能している民主主義の場合、アブグレイブの残虐行為に責任のある部隊の上に連なっている全ての公務員、つまり国防総省長官にまで至りそれ故当然彼を含む全ては、その任を解かれるはずであり、さらにこれらの暴露があったからには政府そのものが資格を失うはずである。しかしイラクに民主主義構築の仕方を示すものと思われている大国、アメリカ合衆国では、政府が倒れないどころか、野党はそのような犯罪を選挙の争点とすることすらも拒否するのだ。
 民主党は、ブッシュを破りたいと心から思えば思うだけ、アメリカ帝国主義に忠誠を誓う党として留まる。彼らは、イラクにおけるブッシュ一味の行為を実際の名前、つまり戦争犯罪並びに人間性に対する犯罪(市民の住む界隈に対する爆撃と囚人に対する拷問)、と言うことはとてもできず、またそれを望まなかった。そしてこれらの犯罪は、国連事務総長が不法であると公然と表現した侵略の過程で犯されたのだ。
 「判断におけるこの統治権限者のとてつもない誤り」という彼らの批判が何であれ、ケリーと民主党は、イラクの冒険が現在抱えている真の状況についての討論を、アメリカの公衆の前で始めることができなかったし、またそうするつもりもなかった。ぐらぐらの半議会システムと米軍が支援する一人の「強力な人間」の政府を手掛かりに、イラクはかろうじて一体のままであるかもしれない、というものが「楽観的な」筋書きだ。しかしもっとありそうな結末は、一九七〇年代のレバノン型に大なり小なり分解し破裂した国を伴った、殆ど想像を超えた惨事だ。
 「判断の過ち」に関する論争の陰で民主党がとった反対の実際的役割は、真実の殆どが網目から漏れ出さないようにする濾過システムの一部としての働きだ。真実は次の通りだ。つまり、一月に設定された選挙の実験を遂行するためには、おそらくは何千人というイラク市民の命を奪うことになる「連合」軍の攻撃が必要とされる、ということだ。しかし、長期に亘ってしつこく押し売りされてきたその選挙が例え延期されることがあったにしろ、イラクの分解は止まらないかも知れない。
 アメリカの同盟国から大軍と資金支援を得ることによって、ケリーならばイラクでの仕事に成功するとの想定に希望をかけた民主党は、世界の大多数が知っていることを語ることはできなかった。それは、正気にある中東の政府やヨーロッパの軍事大国であれば誰であれ、とんでもない面倒に足を取られるつもりなど全くない、ということだ(「皆さんはポーランドを忘れている」、とジョージ・ブッシュならば我々に思い出させるかもしれない―これは正確な引用だ)。

不安高まる国内

 不可避的に、帝国的征服戦争は我々自身の社会内に跳ね返ることになった。九.一一以来ブッシュ政権がおそろしく露骨に利用してきた恐怖の文化がこの政府に可能としたものは、「権利章典」をずたずたにすることだった。それは、「アメリカ合衆国愛国者法」、告訴も裁判もなしで可能なグァンタナモでの無限定的拘留、そして民族的かつ人種的識別調査の復活を通して進められた。
 アメリカ資本主義の長期的に見た健全性と安定性という立脚点から見た場合、皮肉なことだがこの統治は、歴史の中で最も破壊的なものだったと思い起こされるかもしれない。金持ちと企業社会アメリカに対する法外な税の贈り物は、不定の将来にまで続く年間の連邦財政赤字五〇〇〇億ドルという形で、構造的な政府財政危機を成長させた。次の経済下降期には、時の政府がどのようなものであれ、利用可能な財政的選択肢は想像することも難しい。

「投票を抑えこめ」

 ホワイトハウス、議会、司法の支配を巡る抗争の枠内でだとしても、同等のあるいはもっと大きな意味をもってすらいる根源的重要性を孕んだ諸闘争が、合衆国における民主政治の未来を巡って吹き荒れていた。右翼の側では明々白々に、共和党の工作員と政府機構が匂いをぷんぷんとさせながら、「黒人票を締め出す」ために動員されていた―例えばミシガン州の共和党官僚、ジョン・パーパジョウジはそれをおおっぴらに進め、それは、党指導部が彼に縛りをかけ、猿ぐつわをかませ、最後は選挙運動期間中だけの小部屋に押し込めるまで続いた―。
 民主党側について言えばこの選挙は、単にブッシュを破ることに関わっていただけではなった。彼らの期待としてはそれはまた、社会的公正運動の側からのどのような自立的挑戦をも永久に一掃すること、に関わっていた。民主党が二〇〇〇年選挙直後から四年に亘る「ネーダー排除」キャンペーンを浴びせ、州の投票箱からネーダーを遠ざけるためにかなりの費用を支出した理由こそこれなのだ。この費用は実に、共和党員たちに選挙を掠め取らせまいとする行動に対してと同じ程だった。穏健な保守として運動を展開する民主党の戦略は、企業権力に挑戦する代わりとなる勢力の不在にかろうじて依拠するものだ。左翼の側の真空が民主党に可能としているものは、常に右へと動く「中道」を彼らが追い求める時、労働者と特に黒人の票を当然自分のものと思わせることだ。
 ラルフ・ネーダー、ピーター・カメホ、そして彼らの支持者が何故信頼に値するのか。それは、選挙運動を最後までやり通す中で示された彼らの勇気と忍耐力の故であり、そして中でもその理由は、そのような代わりとなる勢力の重要性―そしてそれに堅固かつ十分な根を持つ新たな政党を通して表現を与えることの―なのだ。我々は今、二〇〇〇年に語ったことをここで繰返す。即ち、ラルフ・ネーダーの訴え(あるいは緑の党の訴え)に同意しながら、ブッシュを打ち負かすために民主党に投票したとすれば、それは票を無駄にしたことなのだ、と。そして現在は、より厳しくすらある課題が我々の前にある。
 第一に、数多くの段階で―ファルージャのようなイラクの人口集中地が粉々につぶされることに対する大衆的な抗議から始まり、武装抵抗者に対する道義的で法的な支持、さらに徴兵再開に対する根強い民衆的恐怖を高めることにまで及ぶ―反戦運動を再結集する緊急の必要性がある。
 第二に、ネーダー/カメホとデイビッド・コップ/パット・ラマルクのそれぞれの支持者の間に広がった緑の党内部の溝には、橋が架けられなければならない。最良の場合緑の党は、アフリカ系アメリカ人とラテン系アメリカ人の実体ある指導部を持つ、権威ある第三の党となる潜在力を持っているのだ。これを成し遂げるためには、再度和解する精神と構造的諸問題と取り組む意思、この両方が必要となる。そしてこの党には確かに、今年この党の多くの活動家に選挙権が奪われたかのような感覚を残した、構造的問題があるのだ。
 最後に合衆国の左翼には、困難な政治的時期に現実的に、しかし狼狽することなく立ち向かう必要が残る。右翼過激派が方向を決める政府が権力の座に戻った。この政府は、分裂した国とイラクにおける真の破局に向かう潜在的可能性に責任を負う。変わることのない我々の優先順位は、土台から運動を組上げることでなければならない。この選挙の結果は果たして、一九九九年にシアトルで火が着いた希望に終止符を打つものなのか、それとも新たな始まりの印となるのか、それを決めるものは運動の対応いかんである。
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇〇四.一二月号)
 


=スリランカ=
NSSPの同志達からのアピール

 
NSSP(ナヴァ・サマサマジャ党―第四インターナショナルスリランカ支部)
 
 
 死神のような津波が東南アジア中を洗い流し、スリランカは最も手ひどい打撃を受けた。この津波は数万人もの人命と、二五〇万人以上の人々の住居を奪った(このアピールは津波直後のものであり、人命その他の最終的な損失はおそらくこの何倍にものぼる―訳注)。沿岸地域の労働組合メンバーを含む我々の多くの同志達は、確実に被害を受けている。
 我々の同志達が受けた打撃については、その詳細やはっきりした数字はまだ分からない。しかしこれらの地域では、生活と産業の基盤全てが打撃を受けたのだ。北部と東部の諸県(タミール人とムスリム民衆が殆どの)における状況ははるかにひどいものであり、この地域の財産は丸ごと破壊された。家族の何人かを、さらに財産を失ったこの地に暮らす人々は、我々の援助と助けを必要としている。さらに、数百の村が村ごと押し流され、それと共に家族全部が消えてしまった、という例も多い。
 我々がこれまで知る限り、これらの地域には十分な緊急援助が届いていない。それ故、差し迫った支援を必要としている同志達を助けることが我々の責任となった。
 我々はまさにそのようなものとして、彼らを援助するための資金と様々な品物を集め始めている。そしてこのような環境を考慮して我々は、二〇〇四年一二月三〇日に開催を予定していた党の年次大会を取り止めた。
 皆さんに訴える。このまだ伝えられていない惨事について全ての同志と組織に手短に伝え、困窮した人々を援助する手立てを見つけるように、と。
 先進諸国や債権保有国が真心から現在の状況と困窮に懸念を深めているならば、スリランカの債務を取り消すよう、これらの諸国を急き立て、運動を進めることが必要だ。
 また我々は世界中の全ての支持組織に、困窮した人々に直ちに資金援助を行うよう訴える。この目的のために我々は、以下の窓口を通した資金援助を同志達にお願いする。
Corporation Co-op & Mercantile union
Ink.Bank Code: BCEVLKLX
Bank of Ceylon
Fifth City Branch
York Street
Colombo 01
Sri Lanka
(詳細は、NSSPのウェブサイトにて)
(「インターナショナル・ビューポイント」電子版一月号)
 

 
 
 
 
 
 
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