2005年5月10日        労働者の力             第 182号


 
―JR西日本での大惨事について、鉄産労でインタビュー


 分割民営化反対闘争敗北の責任を痛感、闘いはここから。
 安全風化の底にあるもの―職場の団結の解体、安全を問う労働者の「非協力社員」視―こそ、分割民営化の思想だった!
     

 


 
 JR西日本福地山線での大惨事について、鉄道産業労働組合のみなさん(国鉄退職労働者を含む)に聞いた。インタビューは4月28日と5月1日に行われた。
 なお、別掲の組合声明を参照されたい。また、宮城全労協声明は以下のサイトに掲載されている。
http://www.ne.jp/asahi/miyagi/zenroukyou/

被害者にお詫びしたい

●事故直後であり、原因は特定されていませんし、情報も錯綜しています。第1報から現在まで、どのような思いでしょうか。

A 何をやっているのか、JRはどうなってしまっているのか。国鉄OBとして、ふがいない気持ちだ。会社の責任は当然だが、労働組合もどうなっていたのか。我々の時代は「安全綱領」がすべてだった。「安全は輸送業務の最大の使命」と肝に銘じた。そのことを実現するために、真剣勝負の日々だった。

B 民営化のツケであることは明らかだ。JR西日本の責任はいうまでもないし、その労働組合も問われている。社会全体が効率優先になっていることも問題だ。しかし同時に、あるいはその前に、「我々の責任」をどうするかという思いがある。我々は鉄道労働者として、JRの営利第1の経営方針をひっくり返すことができないまま、今日にいたっていることは事実なのだから。200円で切符を買って乗った人々がどうして殺されなければならないのだ。被害者に謝罪したい。

C 第1報を聞いたとき、JRであれ国鉄OBであれ、労働者の多くは「民営化の破綻」を問う前に、申し訳ないという気持ちでいっぱいだったと思う。大変なことをしてしまったと。怒りはいま「JR」に向けられている。その場合の「JR」とは「労使」だ。抗議をしっかり受けとめたい。そこからあらためて民営化の問題に立ち返って、闘いに向かいたい。

D マスコミ報道はJR西日本の経営姿勢を糾弾しても、「国鉄分割・民営化」にはふれない。それは体制側の方針なのだろう。民営化が世の中の「主導原理」だった時代を検証して、終わらせないといけない。それが鉄道労働者にとっても、利用者にとっても、問われていることではないか。

安全は空気や水ではない

●これまで事故原因に関して報道されていることについて、どう思いますか。

D テレビでコメンテイターたちが好き勝手なことを語っていた。運転士を「犯罪人扱い」し、家族まで責めたてる。事故後、数日間はとくにひどかった。そういう報道姿勢は事故を本当に教訓化していくこととは違う。

B 運転士が大きな精神的負担を抱え、1分30秒を少しでも回復するためにスピードを上げていたという。しかし、マスコミ報道には疑問を感じる。会社側は事故直後に、机上計算として133キロという数字を強調した。事故原因が「制限速度オーバー」とは別にあることを印象づけたかったのだろう。JR西日本の「安全無視の体質」からすれば、運転士は、133キロ以下なら脱線しないと教育されていてもおかしくはない。ならば「70キロの制限速度」とは何か。JRにとっては安全上の制限速度ではなく、「利用者の快適度」のための制限速度だったと理解すべきだ。

D 無責任な発言も横行している。有識者を名乗る人たちが「ハンドルを切って」などと、鉄道ではありえない話を平然としている。民営化論者たちは、マスコミ全体もそうだが、「公共鉄道の安全性は自明のこと」という。これもおかしい。安全は「空気や水のように」存在しているのではない。運転士は莫大な教育・訓練費をかけて育成される。熟練度を高めるために必要な施策、システム、安全思想がどうだったのか。そこに構造的な問題があるとすれば、当然、分割・民営化自体が問われるべきだ。

C 民営化論者は、分割・民営化についてはあくまでも正しいということだ。とくに猪瀬直樹氏の発言には怒りにふるえた。「ヒューマン・エラーを起こすような職員を雇ったJR西日本が悪い」というのは、事故を起こした個人が悪いということであって、JRの責任を追及するものではない。小泉首相たちは、国鉄民営化はすばらしい、だから郵政も民営化だといってきた。彼らはどのように弁明するのか。明確な責任が必要だ。

安全の要は「個人責任」ではなく、職場の団結だ

●西日本の安全管理に問題があったと一斉に報道されています。

C そのような報道には、率直にいって、いまさらという感がある。しかし問題は、次につなげるための論議としてどうするかだ。たとえば、今回の事故で主要な問題とされているのは、運転士であり、西日本だ。しかし、かつての安全綱領は日本国有鉄道の安全綱領だった。運転士だけに適用されたのではない。ダイヤ作成者も安全第1でなければならなかった。9州で発生した事故は全国の問題であり、北海道でも一斉に改善策がとられねばならなかった。

B カーブの速度を落としても、それだけでは安全施策にならない。前後のどこかでスピードアップすることになるからだ。その場しのぎのツジツマあわせでは、全国で列車は立往生することになる。安全第1にダイヤを見直す。ここに踏み込まなければならない。国鉄時代、東北本線の特急は120キロだった。在来線は当時80キロだ。ところがいま、在来線がかつての特急のスピードで走ってもなにも感じなくなっている。新幹線が200キロになって、乗客もスピード感覚を錯覚している。在来の通勤電車が特急並みに走っているという現実を問い直してみるべきだ。

A 国鉄と政府・自民党が合理化によって営利主義に走ったとき、我々は安全第1で闘った。減速闘争は順法闘争だった。法を守れば減速になるということだ。違法は向こう側だった。今回、23歳の運転士とベテラン車掌だという。プレッシャーで押しつぶされそうだというが、労働組合がどのように闘争してきたのか。そこが問われているのだろう。

D とくに若年層は「イエスマン」でなければ職場にいられない状況にある。ミスをしたら自己責任になる。ミスは同僚によって上司に報告される。監視体制が敷かれている。会社の責任ではなく、あくまでも個々の労働者の責任だ。これは西日本だけのことではない。

C 職場の団結がなくなったということだ。これが「国鉄改革」の現場の姿であり、ミスをして孤立し自殺に追い込まれるということの本質だ。自己責任とは、かばいあいが許されないということだ。密告しなければいけない。ミスをした人には、同じ所属労働組合員でさえ近づかない。これでは、安全綱領が明記していた「職責をこえて協力する」ことなど、ありえない。

痛苦な思いを胸に、安全復権の闘いへ

●鉄産労はJR東日本に対して労働委員会闘争を展開中です。「オーバーラン」問題が争点になっていますが。

D 「あの事故は西日本の問題」だということは認められない。「日勤教育」と称されていることはJR各社に共通の問題だ。東日本に対して、今回の事故を含めて、不当性をただしていきたい。

B ミスを個人責任にして、恫喝、イジメで差別しても安全対策にはならない。逆に、閉塞感を増すだけだ。それが今回の西日本の事故につながった。労働委員会で我々は、イジメであり、パワーハラスメントであり、それは不当労働行為だと主張している。JR側は「不当労働行為の第何条に書かれているのか」と反論した。この大惨事は他人ごとなのだ。それですり抜けようとするJR東日本の態度を許しておくわけにはいかない。

C JRからすれば、安全綱領を覚えている労働者がいる限りは「国鉄改革」、つまり国鉄解体は終わらないということだ。そして、安全を考える労働者を「非協力社員」として攻撃するような労務政策をあらためないかぎり、JRの安全危機はますます深まっていく。大惨事の痛苦な思いを胸に、国鉄安全綱領の復権をかかげて、今後とも闘っていきたい。

〈資料〉
JR福地山線での脱線・転覆事故に対する声明


鉄道産業労働組合(2005年5月1日)

 4月25日、JR福地山線において死者107人、負傷者500人にも及ぶ脱線・転覆事故が起きた。我々はこの大惨事の被害者とその家族、親戚、友人知人の人々に対して心からの哀悼とお見舞いの意を表明し、謝罪する。同時に、我々と全国の鉄道労働者や国鉄退職労働者たちの多くが、今回の脱線・転覆事故発生に心を痛め、被害者に弁解の余地もなく申し訳ない気持ちであることを、あわせて表明させていただく。
 我々はこれまで、国鉄の分割民営化に反対し、JRの安全無視の経営に異義を唱えて闘ってきた。しかし、JR各社は「安全第1」の公共鉄道輸送業務を実施してこなかった。我々は鉄道労働者としてその責任を痛感している。
 もちろん、JR西日本の非は明白である。また、今回の事故がJR西日本1社の問題ではないことも明らかだ。JR各社ならびに国鉄分割・民営化を強行した政府・自民党の根本的な責任が問われている。小泉首相は郵政民営化の正しさの証明として「国鉄分割・民営化」を例にあげてきた。分割・民営化の結末が今回の大惨事であった。小泉首相はその責任をとらねばならない。
 かつて日本国有鉄道は安全綱領を持ち、その第1条に「安全は輸送業務の最大の使命である」と明記されていた。国鉄労使の対立の大半は、スト権ストを除いて、安全問題にあった。国鉄労働者は「安全第1」を闘いの柱にすえ、政府・自民党の「営利第1」の民営化に反対して闘い、敗北した。
 民営化によって出発したJR各社は「安全綱領」を捨て去った。安全は口先だけのお題目となった。JR各社は増収を社員に強制し、安全の責任を労働者に押しつけ、増発とスピードアップを重ねた。安全第1を主張する社員に対しては、会社方針に反する非協力的社員として差別し、攻撃した。このような強権的、官僚的な職場管理が事故の背景にあることは明白である。
 メディアに登場する民営化論者たちは、猪瀬直樹氏を始めとして、あたかも「公共交通の安全性は自明のこと」であるかのように主張している。しかし、安全は無前提的に存在しているのではない。完全確保のためには労使の責任と利用者の信頼に応える職場体制が不可欠である。そのような職場体制は闘いの歴史のなかで築き上げられるものだ。全国各地で発生している事故を他社の問題として扱ったり、運転士などの「自己責任」にすりかえたりしてはならない。まさに国鉄「安全綱領」の精神を復活させ、「職責を越えて」教訓化し、共有化させることが、職場の団結としてなされなければならない。
 我々は被害者たちの怒りと悲しみを受けとめ、国鉄OBとともに安全輸送の誇りをかけ、民営化による営利第1主義の経営に断固反対し、今後とも安全第1の鉄道事業を追求していく決意である。
(以上)

〈資料〉国鉄安全綱領
「安全の確保に関する規程」(管理規程)昭和39年4月 総裁達第151号


1 安全は、輸送業務の最大の使命である。
2 安全の確保は、規程の遵守及び執務の厳正から始まり、不断の修練によって築きあげられる。
3 確認の励行と連絡の徹底は、安全の確保に最も大切である。
4 安全の確保のためには、職責をこえて1致協力しなければならない。
5 疑わしいときは、手落ちなく考えて、最も安全と認められるみちをとらなければならない。

(注)以上が「綱領」全文、当時のまま。
これに続いて、第1条「規程の携帯」、第2条「規程の遵守、励行」、第3条「従業員の修練」からはじまる各細目が定められていた。

〈緊急声明〉
JR西日本、兵庫県尼崎で脱線事故
分割・民営化がもたらした最悪の結末

2005年4月26日/宮城全労協

 恐れていた事態が現実になった。
 25日午前、JR西日本・福知山線の快速電車がカーブを曲がり切れずに脱線、マンションに激突した。死者は70人を越え500人近い乗客が負傷する大惨事となった。犠牲者は増え続けており、捜索活動がいまなお続けられている。
 事故原因は調査中である。複数の要因が可能性として指摘されている。徹底した原因究明がなされなければならない。JR西日本は自己保身と早期営業回復の思惑を捨て、原因究明に全面的に協力しなければならない。
 各種メディアは激しい市場競争、過密ダイヤ、人員削減、車両の強度不足や旧式の安全装置、近畿大都市圏からの収入への依存体質などが事故の背景にあると1斉に報道した。しかし、それらすべては明らなことだったはずだ。そのようなことがなぜ放置されてきたのか。事態を掌握していたはずの国土交通省もなぜ対応を先送りしてきたのか。われわれはJR西日本ならびに小泉政府、国土交通省を糾弾し、明確な責任をとるよう要求する。
 とりかえしのつかない事故が起きるのではないか・・不安と予感が全国のJR現場にただよっていた。国鉄退職労働者たちも、顔をあわせるたびにその話題を口にしていた。営利至上主義が安全をおびやかし、労働強化が1触即発の危機を日常化させ、重大事故につながりかねないケースも発生していた。にもかかわらず、危険を指摘する現場の声は無視されてきた。事故は偶然に起きたのではない。JR西日本に特有のものでもない。JRそのものを、そしてこのような事態を許してきた交通政策、経済社会システムそのものを問い直さなければならない。
 小泉首相は国鉄を例にあげて郵政民営化の正当性を主張してきた。「国鉄民営化によってサービスが向上し、ストライキもなくなり、利益もあげている」。このような発言を繰り返してきた小泉は、今回の事故の責任をとらねばならない。中曽根元首相は、国鉄労働運動と総評の解体が民営化のもう1つの目的だったと明言してきた。そのツケがこのような形で回ってきた。この大惨事はまさに、国鉄分割・民営化の結末である。中曽根もまた、分割・民営化の責任を明確にしなければならない。
 「公共交通の安全性は自明のこと」だと新自由主義者たちは強弁している。しかし、安全を実際に守るのは労働者である。公共鉄道の安全のためには、会社・当局に対しても利用者に対しても、できないことはできないと主張する労働者がいなければならない。そのためには労働者の自発性や労働者民主主義が不可欠だ。民営化攻撃はこのような労働者を排斥して安全性の根幹をつぶしたのだ。JRは強権的で硬直した労務政策で労働者を監視する1方、「お客さまのニーズに応える」を大義名分として安全の危機をごまかしてきたのだ。
 JR北海道で事故が多発している。尼崎脱線事故のまさにその日、陸運局はJR北海道本社に異例の立ち入り検査に入っていた。日本航空で重大事故の懸念が強まっている。これらは氷山の1角にすぎない。介護現場で悲劇的な殺人事件が発生している。この半年、全国の主要病院で533件の医療事故があり83名が死亡していたと発表された。原発事故の危険性は増大する1方である。「構造改革」の社会改悪に歯止めをかけねばならない。
 大惨事の悲しみと怒りを胸に、国鉄分割・民営化の非をさらに訴え、構造改革攻撃と対決する闘いを作り出していこう!(以上)
 
 
またも筋違いの事故調査
          

 JR西日本の大惨事に対しては、タブーを排した、あらゆる要素、原因可能性を対象にした真剣な事故調査が要求される。交通システムの安全性を高め、事故の再発を防ぐためにこそ調査はなされなければならない。そしてそれが、終局的には事故の被害者の無念に応える道だ。
 しかし現在行われている調査は、このような要請にはまったく逆行している。警察、国交省航空機事故・鉄道事故調査委員会(以下事故調)、JR西日本が、それぞれの思惑の下、各個バラバラに動いているのだ。
  
警察は撤退せよ

 最大の問題は、警察が第1優先の調査権限を持っていること。関係者の事情聴取(取調べ)、証拠確保など、すべて警察の権限だ。事故調は、彼らの許しを得て、また彼らが確保した証拠を、しかも乏しいスタッフで調査することしかできない。これが事故の真の原因解明のガンとなることは、航空機事故の際、常に大問題として指摘されてきた。しかしそれは今回もまったく省みられていない。
 今回のような事故に対して、技術的素養のまったくない警察が、しかも第1優先でなぜ出張ってくるのか、到底尋常なことではない。警察組織の目的は、捜査、すなわち、「個人責任」の追求だ。その性格から、システム改善が目的となる事故調査には、警察はまったく不向きなのだ。責任追及という性格は、関係者を威圧するだけであり、むしろシステムの改善を阻害してしまう。
 三菱自動車の欠陥でトラック運転手が死亡するという痛ましい事故があった。しかし警察は、この事故「捜査」で、3菱自動車の欠陥を突き止められなかった。自動車事故は、この種の問題で警察に、辛うじて技術的素養と経験が蓄積されている分野だ。しかしその分野にして、警察捜査とは、このようなものなのだ。
 諸国では常識となっていること、すなわち、事故調査から警察の権限を取り上げることは急務だ。
 
深刻な予断がある

 報道では現在、事故の原因としてカーブへの高速進入がもっぱら取り上げられている。
 ところで高速進入は事実であるとしても、しかしそこに至るシナリオは複数ありうる。第1は運転手の操作ミス。第2は車両制動機構の不具合。第3は運転士の突発的体調不良、その他だ。ところが報道を見る限り、第1以外はまったく想定からは外されている。あらゆる可能性が検証されるべき事態において、これはまったく異常だ。
 第1の想定の下で、ATSやATCの設置が力説されている。これは当然必要なことだ。しかし、もし、第2の想定が現実の問題であったとしたならば、ATSやATCでも事故は防げないのだ。
 その上に、報道されているオーバーランは制動不具合との関連が10分に疑われてよい原因要素だ。むしろ、車両異常の可能性は、当然にも最初から想定に入れるべき要素というべきだ。もしかしたら死亡した高見運転士は、まだ浅い経験の中ではいかんともし難い不具合に遭遇し、しかしそれでも必死に列車を減速しようと絶望的な努力をしていたのかもしれないのだ。
 現在の事故調査の流れには、深刻な予断が入っている。あらゆる可能性の調査を要求しなければならない。(神谷) 
 
 
   
=フランス=
高まる社会と政治の緊張
―闘争の新しい波と、EU憲法案反対という妖怪―

        
ミューレイ・スミス


 2005年の最初の3ヶ月、政治・社会情勢に1つの転機があった。1方には、階級闘争における明確な上昇があった。そのもっとも目につく兆候は、1連の全国規模のストライキ並びに示威行動だった。他方、EU憲法案に関する国民投票に向けた運動は、否認を勝ち取る現実的可能性を手に、その速度を高めている。この2つの要素の結合が、政治的不安定及び潜在的危機の増大という、ある種の雰囲気を生み出しつつある。

社会に充満する「不機嫌」

 フランスにおける前回の大きな社会的対立は、年金改革を巡る政府計画に反対する大衆的決起という形で、2003年春に起きた。この決起の柱は、3ヶ月に亘る教員ストライキだった。しかしその規模と戦闘性にもかかわらず、この運動は敗北した。その理由は基本的に、統一したゼネストに向けた闘争の構築を、主要な労組ナショナルセンターが拒否したことだった。そのゼネストがもし行われたならば、おそらく計画の放棄を政府に強制していたはずだ。
 この敗北後には、階級闘争の急速な下降が現れた。そしてこれは、自信をもって攻撃をさらに先に進めることをジーン―ピエール・ラファラン政府に可能とした。2004年春の健康保険改革は、2003年におけるものよりもはるかに低い水準の抵抗があっただけで議会を通過した。直接関係する従業員の相当な抵抗にもかかわらず、国有電力企業、EDFの私有化手続きが開始された。これらの従業員たちは、労組ナショナルセンターによって、単独での闘いという状況に放置された。社会的前線で後退させられた労働者階級の有権者は、政府を撃ち返すために投票箱を使った。その手段が、2004年3月の地方選において、次いで同年6月のEU議会選において、左翼、特に社会党に大量に投票することだった。
 しかしもちろん、選挙におけるここでの政府の後退は、彼らに方針変更させるには至らなかった。そして社会党は、「2007年を待ち、我々を権力に戻せ」と言う以外、投票者に言うべきものを何も持っていなかった。結果として起きようとしていたものは、不機嫌、と2004年秋に広く評されつつあったある種の空気の助長だった。2003年の敗北の結末はどこまで波及するのか、さらに、労働者階級の戦闘性に及ぼしているその影響はどこまで残るのか、この疑問が回答のないまま残っていた。

再度闘い始めた労働者

 この疑問に対する回答は、2005年の初めの数週間に与えられ始めた。過去20年に亘って左右の政府が遂行してきた新自由主義の諸方策の累積的作用が、労働者階級に後退圧力をかけてきたことには何の疑いもない。失業率が10%から大きく離れることは決してなかった。労働市場の規制は今も解体され続け、雇用の不安定性は広がり続けている。公共サービスと「福祉国家」はどんどん腐食されてきた。株主たちがうまみのある配当を懐にしている1方で、賃金は停滞したままだった。
 これら全てが、労働者の物質的諸条件を悪化させ、そして彼らを防衛へと押しやってきた。しかしそれにもかかわらず、抵抗能力は依然として強力に保持されているということ、特に労働組合が統1した行動を呼びかけた場合にはそうだということが、過去10年に亘って繰り返し示されてきた。このことは、最近数週間に改めて確証された。
 1月の18日から20日まで、3日間のストライキとデモがいくつも行われた。18日には、業務縮小と郵便局閉鎖に反対して、郵便労働者がストライキに立ち上がった。先の攻撃は、郵便事業の私有化に向けた準備として明確に認識されている。19日は鉄道労働者と電力労働者の番であり、それは業務縮小に抗議するものだった。そして20日、公共部門労働者は一体的決起に結集した。300000人以上の労働者が、70以上の町と市でデモに繰り出した。1月20日は特に教員の強力な決起で特筆される。彼等はストライキに立ちあがり、2003年のスト敗北後の時期には見られなかったほどの規模で街頭に現れたのだった。
 国民的抵抗の先頭を切る次の挑戦は、2月5日の土曜日にやって来た。500000人以上にのぼる公共部門と私企業部門の双方の労働者が、フランス全土の120の町と市でデモに立ちあがった。デモは当初、労働時間延長を可能とする法の「柔軟化」、という政府の計画が呼び起こした脅威感の下で、35時間労働の防衛として呼びかけられた。しかし、賃金問題がすぐさま前面に来た。社会党主導政府が週35時間労働に関する法を導入した際、雇用の柔軟性の増大、並びにある種の賃金凍結が、この法に付随していた。そして、現政府による35時間労働への攻撃をもって労働者は、より少ない賃金と引き換えにより多く働く、という問題に今や直面しているのだ。2月5日に労働者たちは、両方の問題にノーと声を上げた。

抵抗の新たな波

 これらの労働者のストライキとデモに平行して、学校の生徒達の大規模な運動が姿を現した。それは、フィロン計画に対する抗議の中で始まった。この計画は、生徒の大衆にとっては、教育の質を低下させ、選別を強め、特に、高等教育資格を生徒達に与える試験であるバカロレアの価値を低める恐れのあるものなのだ。こうして生徒達は教育改革反対のデモに立ち上がった。
 しかし運動は同時に、より幅のあるある種の不快感、全ての者に対する平等な教育という理念と現実との間にある溝への抗議、成功しようとの精神的圧迫が生み出す不安の反映、そして職に着ける見込みは不確実さが増すばかりという見通し、これらの表現でもあった。1月20日時点では、運動はまだ限られた規模で現れていた。しかしそれはたちまちの内に雪だるま式に膨れ上がった。2月10日には、生徒達は100000人以上のデモに立ち上がった。もっともこの運動も、2月休みで中断し、この時期にはフランスの3つの学区全体でよろめいていた。しかし休みが終わった時の3月8日には、さらに大きなデモ―フランス全体で165000人―が決行された。
 2つの生徒連合は、メディアの利用を独占しがちである社会党内の2つの別個の潮流と結び付いていたとはいえ、この運動には、非常に高い水準の自己組織化、という特徴があった。この運動の規模にもかかわらず―あるいはそれ故に―、教員組合は、彼ら独自の行動を生徒達の決起と真に協調させることに失敗した。
 これらのデモにおいて、特にパリにおいて、「破壊集団」という現象が明らかになった。それは、以前の運動で起きたことのあるようなショーウィンドー割りのためだけではなく、デモ参加者を襲撃し、彼らから略奪するために、デモにやって来た若者の1団のことだ。彼らの1部は退学生徒だが、その多くは依然、大部分が工業高校にということではあっても、在学していた。
 彼等は、パリの北部と東部及びその郊外にある貧困地区出身である傾向が高く、また移民という背景をもつ出身者、という傾向も非常に高かった。彼らのこの状況に責任ある者に対してではなく、彼らの目には特権的であると見える他の若者に苛立ちをぶつけていたこれらの1団に反対し、デモ参加者を守ることはもちろん必要である。しかしこの現象の規模は、若者のある全体層がもつ疎外感を示す一定の指標だ。社会的選別の進展はこの層を、袋小路にされた雇用や失業、という未来へ追いやってしまったのだ。労働者運動と左翼にとってこれは、それを無視するならば自身を危険にさらすことになる、という問題だ。
 3月6日のデモはもう1つの相貌をも明らかにした。それは、発展途上にある新自由主義政策への全般化された挑戦、という相貌だった。大部分が田園であるクルーズ県の首都であるギュレーという町でデモを行うために、半ば北極圏という気象条件の中、6000人もの人々がフランス全土から集まった。このデモの場所には偶然の要素は全くなかった。この県の市長と各自治体議員からなる250人以上もの人々が昨秋、公共サービスの縮小と閉鎖に抗議して、集団で辞任したのだ。ギュレーには全左翼諸党が登場した。そこには、第1書記のフランソワ・オーランドという人物の形で、社会党もが含まれていた。しかしながら多くのデモ参加者は、公共サービス防衛のデモの場に社会党指導者は何か場違いだ、と感じた。それというのも、それらの解体に彼自身の党が大いに貢献してきたからであり、さらに彼自身今、その精神が公共サービスとは正反対のものである新自由主義的憲法草案を擁護している最中だからだ。当然の結果としてオーランドは、あられのような雪玉といくつかの卵で歓迎を受けた。

2003年以降最大の決起

 労働組合が呼びかけた次の行動日は3月10日だった。そしてこの日には、2003年春の運動以降では最大の決起が起きた。115の町と市のデモに1000000人が3加し、この日が平日であったために、その多くはこのデモに参加するためにストライキを決行した。いつも通り最大の隊列は公共部門の労働者だった。そこには例えば、1月にはストライキを行わなかったバスと地下鉄の労働者が含まれていた。しかしいかなる疑いもなく最も重要な発展は、私企業部門の労働者の広範な3加だった。ここには、工業と自動車のような伝統ある戦闘的部門だけではなく、さらに食料産業や多くの小規模工場の部門、またサービス部門も含まれていた。
 2003年春に私企業部門は、そこの多くの労働者が大きな行動日には参加したとはいえそれでも、年金改革に直接脅かされていたわけではなかった。しかし今回は、公共部門と私企業部門の両方で、賃金と労働条件の問題が結集の中心にあった。そして私企業部門の労働者は、2年前の運動の頂点を記した2003年3月13日の1日ゼネストを越えて、その日より強力に登場した。
 2月5日と3月10日は、全ての主要な労組ナショナルセンターによって呼びかけられた。ここにはいつもは抑制的なCFDT(民主労働総同盟、社会党との結びつきが深い―訳者)が含まれていたが、このナショナルセンターは、2003年における運動からの脱落を未だ償ってはいなかった。デモ隊の構成は、CGT(労働総同盟、フランス最大、伝統的に共産党系とされている―訳者)の決定的な重みを確証した。このナショナルセンターは1般に、最低でも他の労組連合と同程度の規模でデモを組織する能力がある。しかし3月10日のデモにはそれと並んで、「労働者の力」、UNSA、CFDT、さらに教員を組織しているFSUのような他の労組連合の重要な隊列も登場した。戦闘的な「連帯派」の連合(SUDの諸労組を含む)もまた重要な位置を占めた。
 これらが表す社会的空気は、単に全国的な大行動にだけ切り縮められてはならない。先の諸行動は、地方的争議の積み重なりを、つまりその多くは短期間の、私企業における、主に賃金を焦点とした、そしてしばしば成功を見ている争議を背景として起きているのだ。格好な事例が、パリ北部オルネーのシトロエン自動車工場におけるストライキ勝利だ。シトロエンは反組合経営で悪名高い企業だ。しかしここで1984年以降で初めてのストライキが闘われ、そして1982年以降で初めて勝利したストライキとなった。さらにそこには高度に積極的な発展があった。このストライキの先頭には戦闘的な青年労働者が層として立ったのだ。
 殆どの争議の中心が賃金であることは確かだが、全てのストライキが経済的課題を争点としている、というわけでもない。いくつかは、要員縮小と新たな「企業文化」がもたらす人間的な結末に抗議する中で起きている。鉄道網は1月に、自然発生的ストライキの波で打撃を受けた。これは、女性の車掌が深夜1人で乗務していたときレイプされる、という事件の後で起きた。そして2月には、オルリー空港でのスチュワーデスの事故死の後、空港の全職員がストライキに立ち上がった。それは、空港管理者が彼らの仲間の1人に事故の責任を取らせようとした時に起きた。この事故の本当の原因は要員不足にあったからだ。

見せかけの譲歩

 政府はこれらの運動に対して、極めて些細な譲歩を行うことで対応してきた。生徒の運動に直面したフィロンは、バカロレアに直接影響する計画の1部を取り下げることを余儀なくされた。しかし残りの部分は3月24日、法律とするために票決に付された。3月1日の後政府は、公共部門に関する話し合い開始を明らかにした。それは3月22日に始まり、暫くの間だらだらと続きそうだ。私企業部門に関して言えば、3月18日の組合と雇用者の会合は、結局何の役にも立たないことが分かった。賃金に関する交渉は6月10日まで、つまり都合良く憲法についての国民投票の後に、棚上げされた。
 政府は今、企業の生み出す利益への労働者の関与を容易にすることで、私企業部門の労働者をなだめようとしている。政府側の、喜んで交渉するというにはあまりに僅かのこの合図に、諸労組は飛びついた。しかし、例え最低限だとしても譲歩と見えるもの全てに対する批判は、与党多数派内部から、さらにはるかに鋭い形で、経営者組織であるMEDEFの会長、エルネスト―アントイヌ・セリエールから出てきた。セリエールと彼の組織はこれまで常に、労働者階級に対する全くかすかな譲歩であれそのいかなる噂に対しても、さらにあらゆるためらいをも批判する形で、政府に対するある種の右翼野党であるかのように振舞ってきた。政府に関して言えば、諸労組の動きの中で彼らが示すしぐさはどれであれ、ある程度ゼネストに対する恐れとしてくくることはできる。しかしその側面で労組指導部は2年前と全く同様に、全面的な動員に乗り出すそぶりをまるで見せていない。従って状況を説明するものは、ゼネストとは別のところにある。

不安に捉えられた支配階級


 政府がそうせざるを得ないと感じているけちくさい譲歩、しぐさ、あるいは外面だけの方針変更は全て、計画されているEUの憲法体制に関する、5月29日に確定された来るべき国民投票を巡る、膨らむばかりの政府の不安に密接に結び付いている。この数ヶ月の世論調査は、「否認」投票に対する支持の着実な増大を示してきた。3月末までに2つの別々の世論調査が初めて、「否認」支持が各々51%と52%という具体的な形で、多数であることを示した。3月25日に公表された世論調査では、この数字は55%へと上昇した。これらの指標の検討にはある程度の慎重さが不可欠だ。第1にこれらの世論調査は、有権者のおよそ半数はまだ投票自体も、またどちらに投票するかも決めていない、ということも示しているからだ。第2に、「承認」を呼びかける運動は今始まりつつあるに過ぎない。そしてその運動は、政府、メディア、産業界、並びに金融部門などの諸集団、さらに社会党によって、「否認」諸派が手にすることになるものよりももっと潤沢な物質的資源を手に遂行されるはずだ。しかしそうであっても現在の推定範囲の中では、憲法案の中に実在するものについての理解の広がり、及びもう1つの1撃を政府にぶつけたいという願い、これらの組み合わせは、彼らの計画を台無しにしかねないのだ。そしてこれこそが、シラクやラファランやその他、さらにフランソワ・オーランドを苛立たせている。
 現在までのところ「否認」キャンペーンは、1992年のマースリヒト条約に関する国民投票の時よりもより明確に、左翼に傾くという特徴をはっきりさせてきた。しかし、右翼側の「否認」もまた存在している。それは、ジーン―マリー・ル・ペンの国民戦線、与党であるUMPの少数派、そしてフィリップ・ドゥ・ビリエルの右派カソリック、「フランスのための運動」から現れる。現在彼等はキャンペーンを先導しているわけではない。しかし、今組織されようとしている論争の方法が意味することは次のことだ。つまり、「否認」を擁護するための放送時間を確保できる党は4つであり、そのうち3つは右翼ないし極右となる、ということだ。こうして、「否認」派の右翼の声はおそらく、キャンペ―ンが進むにつれもっと大きく響くだろう。この場に登場する左翼は共産党只1つとなるだろう。これまでLCRとリュット・ウーブリエール(「労働者の闘争」、フランスのもう1つのトロツキスト組織であり、LCRとはたびたび選挙共闘を組んできた―訳者)は、民衆を代表する水準が10分ではないとして排除されてきた。「承認」の側に立つ党は、右派の2党、UMPとUDF、それに社会党と緑の党となるだろう。1方、憲法案に反対している前記諸党内の力のある少数派には、そう振舞う時間が与えられる可能性がある。
 左翼側の運動は急速に速度を増している。共産党とLCRは双方とも、反憲法案キャンペーンを早くから開始した。そしてこの両党は今、「否認」を要求する左翼側で急速に増大中の諸グループの中で、主要な政治勢力だ。上述した諸グループは今、フランス全土でおおよそ350ある。さらに共産党内部にはいくつかの潮流があり、そのいくつかは、反憲法案統1戦線建設に他の潮流よりも積極的に関与している。しかし全国書記、マリー―ゲオルグ・ビュッフェを中心とする指導グループは、急進左翼、特にLCRとの協力度合いを制限しようと努めている。それは、社会党主導政府への将来の参加に障害を作らないためだ。そこに共産党にとっての問題がある。何といっても反憲法案キャンペーンこそ、疑いなく党を再び活気付け、さらに2002年の選挙での惨状の後、党を復活させる助けとなってきたのだ。
 しかし反憲法案運動は只単にシラクとラファランに対決するだけではなく、また社会党指導部にも逆らって遂行されている。この事実が、社会党指導部と共に政府に復帰するという構想の正当化を、共産党指導部にとって難しい問題とする。世界的公正運動であるATTAC並びに1種の反自由主義シンクタンクであるコペルニクス協会は共に、反憲法案運動に活発に関わっている。さらに社会党内及び緑の党内に、極めて重要な分裂があらわとなった。社会党内における昨11月の党員投票結果は、60対40の比率で「承認」支持に軍配を上げた。フランソワ・オーランドはそれで決まったと考えた。しかし彼は間違っていた。

憲法草案国民投票という妖怪

 「新世界」潮流指導者の1人であるジーン―ルク・メレンコンのような、社会党左派指導者の何人かは最初から、党の規律に縛られるつもりはないと広言し、憲法案に反対する他の勢力と共に活発に運動してきた。今やそこには、元全国書記のアンリ・エマニュエルが合流するに至った。但し彼はそれにもかかわらず、急進左翼と協力するつもりはないと明らかにした。そして、大統領候補者に望みを抱いている社会党のナンバーツー、ローレン・ファビウス並びに党内の「否認」キャンペーン指導者は、左翼的「否認」感情の増大に力を得つつ、その立場を公然たる反対に向かって次第次第に明確にしつつ、じりじりと斜めに進んできた。反抗のこの広がりに直面しオーランド指導部は、周期的に統制手段の脅しをかけてきた。しかしこれまでのところ彼等は、何らかの手段を取る前に撤退した。そしてそれが優柔不断の印象を与え、そのことで党の権威をさらに弱める傾向が続いている。1方緑の党もより小さな規模で、社会党と同じ問題を抱えている。この党は、52対4というもっと僅差で「承認」の立場を決めたのだ。
 おそらくもっとも華々しい展開は、CGTがとった立場だった。フランスのこの主要な労組ナショナルセンターは過去10年、書記長のベルナール・チボー並びに彼の前任者のルイス・ビアンヌの下で、共産党とのその伝統的なつながりから離れ、「合理的」で「非政治的な」労働組合主義へと移動し続けてきた。そしてそれは、今やその1部となったETUC(ヨーロッパ労組連合―訳者))の主流派のより近くまで来た。
 しかしチボーは、憲法案を支持するETUCの立場を取り入れることに挑戦し、CGTをそこに獲得することまでは、敢えて踏めなかった。それはあまりに遠くまで橋をかけることになっただろう。彼の狙いは、立場をもたないナショナルセンターを目指すことだった。1月末の圧巻な投票において彼は、大会の間に行われる、産別組合及び地域組合の代表で構成されたCGTの議会、全国連盟評議会の手で、驚くほどはっきりと否認された。今CGTと航空労働者の「結束」派双方の代表は、「脱左翼反対」グループに3加を進めている最中だ。そして、3月19日のブリュッセルのETUCデモから憲法問題を外したままにしておく、というETUC指導部の意図にもかかわらず、「ノー」バッジを着けたCGTの強力な登場が、この問題を中央演壇に正々堂々と、また隠すことなく据えることになった。
 こうして、脱左翼「反対」に向かう動きが明確に建設途上にある。最近のデモ、特筆的にはギュレー及び3月10日のデモでは、参加者殆どとは言わないまでもその多くが「ノー」バッジを着けていた。この動きは、フランスの世論の空気と完全につながっている。この10年の間、社会的抵抗だけが相対的に高い水準を保っていたわけではなく、世論の空気もまた新自由主義への反対を1層はっきりと表してきた。このことを反映するものが、例えば公共サービスに対する人々の愛着を定期的に示しているあらゆる種類の世論調査であり、また、2003年の運動のような運動、並びに現在の決起が、人口のおよそ3分の2から常に支持されてきた、という事実だ。こうして、新自由主義の価値を体現するものとしてこの憲法案が見極められ、かつ標的にされればされるほど、それに比例して左翼の「否認」キャンペーンは強さを増している。

立ち昇る危機

 それとは逆に、「左翼の観点からの承認」を主張し、同時にシラクから距離を取ろうとするオーランドのもくろみは、深刻な困難にぶつかった。憲法案が追求するものは、EUが今建設に努めている新自由主義のヨーロッパを基礎に据え、また体現することだ。それは、ヨーロッパ支配階級の中心的計画だ。それは、25カ国の全ての政府、多国籍企業、産業と金融の指導者によって支持されている。社会民主主義を含む主要政党もまたそれを支持している。憲法案に対する「イエス」は、新自由主義と軍国主義に対する「イエス」を意味するのだ。それ故、「左翼の観点からの承認」のようなことは事実上決してあり得ない。
 しかしオーランドと社会党指導部は、それがあり得るかのような振りをしなければならない。それ故彼等は、シラクと並んでキャンペーンしている、と見られてはならないのだ。もちろん彼等は、上下両院合同会議が2月末にこの憲法案を承認した際には、彼と並んで賛成投票しなければならなかった。しかし、さらに合同のキャンペーンを遂行するならば、それは死の接吻となるだろう。こうして社会党は追い詰められ、緑の党との合同キャンペーンを、両党内の少数派だけではなく残りの左翼の殆どが「否認」を支持している状況の下で思い描くしかなくなった。
 この全てが合算されて、ある種の潜在的な政治的危機が生まれている。セリエールの不満たらたらにもかかわらず、国民投票キャンペーンが終わるまで、もっと主要な攻撃には何であれ、敢えて踏み込むつもりがラファランにはない理由がこれだ。彼は、社会の熱を下げ、ストライキとデモの継続という状況を背景として国民投票キャンペーンがなされる、などという悪夢のシナリオを避けることを目的に、少なくても象徴的な譲歩をさらにいくつか行わざるを得ないことすらあるかもしれない。
 フランスにおける「否認」の勝利がもしあるとすれば、その影響は広範に波及するだろう。それは、憲法体制構想に深刻な打撃を与え、EUに制度的な危機を引き起こすだろう。それは、フランスだけではなく、さらにヨーロッパの中だけにも留まらない、新自由主義の攻撃に抵抗している全ての人々に対して、とてつもなく大きな激励となるだろう。フランス人の「否認」という危険に気付いたが故にEUの指導者達は、シラク1人の圧力に、つまり公共サービスの自由化に関する悪名轟くボルケシュタイン指令を再検討することに、同意することになった―但し撤回するということではなく―。フランスでは、「否認」の勝利は、既にパンチを受けてふらついているラファランだけではなく、シラクをもさらなる信用失墜に追い込むだろう。確かにシラクは、キャンペーンにおいて中央の演壇を占めることを、日を追って余儀なくされるはずだ。それはまた社会党の危機を解き放つことになる。それ故ヨーロッパとフランスの両方の広がりで、賭けられているものは高い。それが、敗北を避けるために支配階級とその諸党ができる限りの努力をしようとしている理由だ。そしてそれこそ、支配階級の悪夢を現実に変えるために、来る2ヶ月間、左翼側の「否認」派が全力を振り絞ろうとしている理由なのだ。
(「インターナショナル・ビューポイント」3月号電子版)
 

 
 
 
 
 
 
 
 
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