2005年6月10日        労働者の力             第 183号



 このままでは東アジアは日本を見限る、

与党内に亀裂

東アジアとの断絶に踏み込みつつある小泉

川端 康夫


安保理常任理事国問題―各国の複雑な思惑

 中国各都市における反日暴動の発生は、ある種、唐突でもあり、かつその性格がわかりにくいという点で、多くの疑問、問題を残した。少なくとも中国政府、もしくは中国共産党が主導したものではないことは明らかだ。そして、その規模においては、膨大な人口をかかえる中国からすれば小規模である。だが、その中国各都市への波及の仕方は、おそらくはインターネットのネットワークが各都市を結んでいることを物語る。
 中国政府は、早速、インターネットの非公式窓口の抑制に乗り出す決意を固めた。非公式な交通網(インターネットがその最大なものとなっているだろう)の存在、拡大は、一党独裁を堅持しようとする中国共産党にとって、きわめて警戒すべきものである。
 だが、こうした国内的事情が根深く横たわっているとはいえ、中国政府は表立って反日暴動を非難することはせず、その後急速に対日批判を強めはじめた。その要因の核心部分に、小泉首相の靖国参拝問題にこだわる姿勢があることは今は誰も疑わないことである。
 中国と韓国が日本への批判的姿勢を強めた第1の契機は、国連安保理常任理事国問題にある。そして反日暴動以降、日本との関係が冷え込む中において、とりわけ中国政府は、日本の常任理事国入りに正面から反対する態度を公式に表明するにいたった。日本がアジア地域の代表として常任理事国になるということへのコンセンサスは今はない、ということだ。その中国がドイツに対しては、むしろ歓迎の意向を示していることをみれば、その本音は明らかである。
 アメリカ政府は日本の常任理事国入りは歓迎するものの、他の3国、ドイツ、ブラジル、インドに対しては態度を決めかねるという、アメリカとしては控えめな表現で、アナン事務総長が進める国連改革の方向性に抵抗する構えを、最近になって公的に示した。インドやブラジルのみならず、イラク侵略に抵抗したドイツも推薦の対象にはならない可能性を示したのである。日本だけは別だ、というわけだ。アメリカにとって、日本の常任理事国入りは、自国の票がひとつ増えることを意味するからである。

世界とアジアの将来像をめぐる確執 
 
 以上の簡単な素描からも充分に浮かんでくる事実は、いわゆる超大国アメリカ帝国主義とその他の諸国、諸地域の潜在的な対抗関係が垣間見せていることだ。すでに今世紀前半、トロツキーはアメリカ帝国主義とユーラシア大陸との問題を指摘した。つまり、トロツキーはヨーロッパ合衆国への闘いとアジアにおける民衆運動の興隆が相互に結びつくことを通じて、アメリカ合衆国と対抗し、かつその内部にアメリカ革命に向かう運動の形成・拡大を、いわば世界革命への過渡的な構造として着目したのである。『ヨーロッパとアメリカ』で展開されたトロツキーの視点は、世界規模にまで拡大されてもいた。この視点を修正する必要は今もない。
 ブッシュのネオコン政権は、9・11以降、アフガン侵略を契機にユーラシア大陸のど真ん中、言いかえればロシア、中国そして南アジアの潜在的結節点であるカスピ海周辺国への相当規模ともいえる介入を拡大してきた。とりわけ、グルジアやウクライナへの介入は大きな成果をアメリカに与えた。グルジアのシェワルナゼは、親友であったはずのベーカー元国務長官によってひっくり返されたのだ。しかもこの地域は、地政学的に重要であるばかりか、石油地帯であることも指摘されなければならない。石油資源はアメリカにとって格別の意味を持つ。そして石油取引がドルで行われることも決定的な意味をもっている。巨大な資金がドルの形で流通し、そしてアメリカに還流することがなければ、巨額の財政赤字を拡大しているアメリカ財政は即座に破綻する。そのためにも世界の石油資源に影響力を行使する必要があるのだ。
 イラクのフセインは、石油資産輸出をドルからユーロに変えた。これが最終的にアメリカというトラの尻尾を踏んだことになった。そしてアメリカはイラク侵略後、即座にイラクの石油取引をドル決済に切り替えたのだ。
 こうして、アメリカはヨーロッパ大陸を相手に数100年もの間、イギリスが果たした役割を全世界規模で展開しなければならない位置に立たされている。
 ユーラシア大陸の両端に存在するイギリスと日本を番犬に、アメリカはユーラシア大陸がその内的結合を強化し、結果としてアメリカに対抗する勢力へと成長することを何よりも好まない。EUにイギリスが組み込まれることを阻止できなかったアメリカは、今、東アジアに日本が組み込まれることを徹底的に阻止する腹づもりである。
 東アジア諸国と日本の関係が多少冷え込んでも、日本の為政者の一部はこうしたアメリカの態度を背景として頼りにできると考えているのだ。そして経団連の奥田も。いわば、トラの威を借りる狐だ。

東アジアに見はなされる日本

 この20年をとってみても、東アジア経済の大々的な成長は、経済的にアメリカ、日本、中国、韓国相互の結びつきを加速してきた。そして、各国ともに経済的諸関係がこじれることは望んではいないのが本当のところだ。韓国や中国のみならず、シンガポールにまで憤激を呼び起こした「新しい歴史教科書」の後援事業体に名を並べているのは、多くは国内的産業、とりわけ建設土木関係の大会社が多い。その中にNTTが含まれているのは、NTTが中国市場に関心を持ってこなかった現われだろう。奥田のトヨタも中国市場進出はほとんど試みてはこなかった。日本市場で成功しなかった携帯のノキア、フィルムのコダックなどは中国市場で成功を収めている。
 しかし、中国の反日暴動の直後の東京株式市場が300円もの「暴落」を示したように、中国進出日本企業関係者に与えた衝撃は大きかった。中国市場抜きには日本経済はほとんど成り立たない、そうした実態が形成されている。もちろん中国サイドにも同じようなことが生じている。両国関係が安定していることが経済的には望ましいわけだ。
 しかし、日本がアメリカの威を借りて、東アジアへの対抗姿勢を強めるのであれば、大陸サイドは日本を見離して、独立的共同市場圏を目指していくかもしれない。今進んでいる諸問題は、こうした可能性をも示したのだ。その場合、日本はアメリカドルの圧力に縛られ、大陸アジアとアメリカという巨大な勢力圏の狭間で呻吟し、沈降していくという姿が見えてくる。アメリカが日本経済の浮上のために手を差し伸べることは、プラザ合意以降の今日、考えられないことだからだ。「東アジア共同体」構想の中心どころに日本が居続けることは今後ますます難しいことになって行くことは間違いない。大陸はアメリカと直接に結ぶかも知れず、あるいはEUとの関係をさらに重視し、日本を無視する態度を強めるかもしれない。安保理問題での中国のドイツへのエールはそうした関係をも予測させるものだ。
 
与党内部への波及は深刻

 公明党が小泉首相の靖国参拝問題にクレームをつけたことに続いて、河野衆院議長が取りまとめとなって、歴代首相経験者を糾合し、小泉に慎重な行動を求めたことは、小泉の行動が日中間の大きな問題となったことを示すものであった。小泉はあいもかわらず、中国からも韓国からも靖国参拝には1定の理解が得られていると強弁しているが、信ずるものは誰もいない。小泉の「裸の王様」ぶりは、「個人の信念」で行動すること、それをトップダウンで行うことなどに最近特に見られることだ。郵政私有化問題について、小泉は、党執行部の意向に反して、修正には応じないと述べる。国会論議でも、なぜ、いま私有化なのかという当然の質問には、民でできるものは民で、と答えるだけで、少しも内容的に進まない。外交問題でも内政問題でも、小泉は、「俺をとるか、とらないか」という態度で、取らないのであれば、衆院解散問題をちらつかせる。そして、公明党の神崎は、郵政問題反対議員への選挙協力拒否を公言し、反対派議員の切り崩しをはじめた。中国問題では小泉への批判を行うという重い腰をあげたが、それ以外はやはり小泉自民党の生命維持装置の役割を忠実に果たしている。郵政問題に関する公明党の主張もまた具体論には一切入らず、空虚そのものである。
 今の小泉体制には、論議を深めるという視点がない。東アジア問題は、日本の将来を左右する大きな要素である、という感覚が彼には欠如している。内的には、おそらく中国への対抗心、あるいは伝統としての大陸蔑視などがあるのではなかろうか。中国政府の教科書や靖国問題へのクレームに対して、「内政干渉」と言い張る小泉サイドの言動には、大陸諸国との協調、共生への視点がひとかけらも感じることができない。
 確かに小泉は、党内的には橋本派潰しに成功したが、それはいわゆる旧保守本流が、90年代以降、政治的展望を統一的に持ち得なくなってきたことの裏返し的表現である。旧保守本流が内外的に果たした役割は、プラザ合意以降の日米関係の質的変化によって基本的に終えんさせられた。アメリカは日本を庇護する意味を認めず、むしろ責務遂行を求める方向にシフトした。日本市場は管理主義的保護状態の撤廃に追い込まれ、規制緩和の名のもとに新自由主義の荒々しい資本主義が横行することとなった。
 一方では利権集団でありながら、同時に国家財政の全国への配布を行い、一種の社会保障的な公共事業を推進してきた旧保守本流の外套が剥ぎ取られ、ここに単なる利権派閥としての旧橋本派の瓦解が基礎付けられたのである。
 単に政治茶番劇に終わるかもしれない郵政私有化問題は、橋本派切り崩しの最後の切り札として持ち出されているが、より大きな着目点は、反小泉勢力の有力筋がアジア問題に言及し始めていることにある。河野の動きは彼独自のものかもしれないが、少なくとも小泉のもとで冷や飯を食わされてきた旧保守本流勢力が新たな結集軸を、アジア問題に見つけようとしていることは明らかだ。
 そのことが容易な問題だとはいわないが、にもかかわらず、日米同盟にひた走る小泉や日本版ネオコン、安部らの勢力への対抗軸を見出す可能性は否定できないことだ。
 中国政府の公然たる日本の安保理常任理事国入り反対の態度表明や韓国ノムヒョン大統領のこの春にはじまる一連の日本政府へのクレーム発言は、東アジアをとりまく政治状況が明確に変化し始めつつあることを示している。そして、それがまた日本国内の政治状況にじわじわと波及し始めている。このことを、対米関係重視一辺倒だった日本政治に、新たな歴史的変動、すなわち対米重視か、大陸重視かの分かれ道を形成していくことになると見ておく必要があると考える。
 国連改革問題は、戦後世界秩序の深刻な動揺を背景とした問題であり、そこには、次の世界をどう構想するかという極めて重大な問題が投影されている。しかし、小泉ならびに彼に追随する勢力、そして日本外務省にそのような視点と構えが恐ろしく欠けていることを、この間の事態ははしなくも暴露した。その意味で、中、韓両国の日本の常任理事国入り反対表明は、本質を突いた対応なのだ。それゆえにまた、自民党を中心にうすぼんやりと浮上し始めた外交をめぐる亀裂も、決して消えることのない深さを持たざるを得ない。より強さを増す「もう一つの世界」を求める世界の民衆運動と連携しつつ、この亀裂に独自に介入する日本民衆の視点も問われている。 (6月9日)
 
 石原都政を追撃せよ
7月都議選・大久保青志(世田谷)福士啓子(杉並)本村久美子(板橋)さんの当選を
          

 石原都政が揺らぐ中、今月24日、都議会議員選挙の告示がなされる。投票日は7月3日の日曜日。
 石原都政は、国の舵取りを担う小泉と並んで、日本国家を右翼的方向へと引っ張る尖兵の役割を果たしてきた。「新しい歴史教科書」の強引な選定指示や日の丸、君が代問題での目に余る強硬な行政指導と職員への弾圧攻撃、さらには「ばばあ発言」に見られる性差別推進と見られる発言などがあり、そしてその背後には秋葉原再開発にともなう疑惑などの問題が横たわっている。こうした石原都政を打倒する試みは諸勢力の共同で石原を打ち破る候補の擁立などが模索されてきたが、高支持率の前にいささか決め手を欠いてきた。石原は、その政策において大衆受けする一発勝負的なパフォーマンスを打ち上げることがある。結果的に都財政に多大の負担を強いた金融機関への「外形標準課税」、あるいは自動車の排気ガス規制がそうである。人気取り政策打ち上げは、ポピュリスト政治家の常套手段であり、それに隠れて復古主義的方向への政治の舵取り、そして利権誘導がなされてきた。
 都政は、国政に比してはるかに都民の関心が薄い。おそらく都民の大多数は石原がその都政執行で何をやっているのか、ほとんど知らないであろう。それにはマスメディアが石原の執行行為の負の側面をほとんど正面から取り上げないようにしていることも背景にある。近年のマスメディアの御用メディア振りはまさにはなはだしい。それゆえ、現状へのある種の閉塞感ともあいまって石原人気が支えられてきたのだが、石原に批判的な民衆サイドは、それを切り崩す決め手を見出せないできた。高支持率が背景となって、都議会各派も多くは石原と正面から対抗しようとする気概を喪失してきた。とりわけ言及すべきは板橋区選出の民主党土屋の存在である。この男は、まさに石原都政の右翼政策の尖兵というべき人物である。また都議会公明党も都政への批判的質疑へのはなはだしい野次攻撃を繰り返している存在である。
 しかしその石原都政が失墜し始めた。長年の側近、浜渦を強引に副知事に迎え、その浜渦に都政執行のほとんどをゆだねて、石原は週に3日登庁の優雅な生活を送ってきていた。浜渦は都庁官僚からすれば、石原に接する関門であり、石原の代理として他の副知事をも配下に見るある種の独裁権力を行使してきたのだ。
 今回の浜渦辞任は、明らかに都庁トップ官僚たちの抵抗の結果である。そして石原は官僚機構と妥協せざるを得なかった。
 すでに一部には石原の早期退陣説が出てもいる。浜渦という代理執行官を失った石原都知事には、官僚機構を押し切る力も意欲もさほど残されてはいないだろう。
 官僚たちの抵抗には、石原の任期が今期限りだという読みも背後にあったはずだ。高圧的な官僚への態度が、任期切れという状況が明白になるにつれて威力を失ったのだろう。都知事前任者の「市民派知事」青島は、あっという間に官僚機構に牛耳られる存在となり、市民派の信頼を失った。繰り返すが、都民にとって都政は縁遠い存在だ。関心も薄い。しかし、日常生活に都政が関与する度合いは極めて高いのだ。石原の反動ポピュリスト的振る舞い、青島の「変節」は、ともに失敗に結びついた。都政の有効的執行のためには、市民との提携(市民参加の都政)が不可欠であることを、これは物語っているのだ。
 今回の都議選は、したがって、石原追撃の選挙である。共産党を除けば総与党化に近い状況の現都議会。生活者ネットも純野党勢力とはなりきれないほど、都議会は石原支持勢力が圧倒してきた。市民派勢力は、ほとんど都議会に結びつく手がかりを見出せないまでに、この10余年の勢力変動はすさまじかった。都議会民主党の大半がもともと保守系であることも事態に拍車をかけた。民主党に投票しても、その票は結果的には石原都政を支持する票となってしまうからである。
 しかし、このような都議会で、唯一の市民派無所属都議として孤立しつつも石原批判の態度を堅持してきた杉並の福士啓子さんは、今回も議席継続に挑戦する。また、かつては最大党派であったこともある社民党は、議席ゼロからの脱却をめざして、これも本来は市民派である大久保青志元都議を世田谷に出す。さらに板橋区では生活クラブ生協関係から無所属で本村久美子んを市民派共同候補として擁立する動きになっている。しかも、この3名の背後には、社民党、新社会党、そして市民派の共同した支持がある。このことは、ここ数年の間、市民派活動家の中に拡大してきた左派、市民派共同の選挙闘争の追及が少しずつだが実を結び始めていることを示している。
 われわれは、上記の3名の当選のために闘うとともに、他の選挙区においては共産党候補への投票を推薦する。
 今回選挙は激戦である。民主党が都議会での最大党派確保に挑戦しているからである。上記3名もそれぞれの選挙区での激戦を免れない。市民派候補の勝利を勝ち取るために闘おう。(K)

 

夏季一時金カンパのお願い
われわれ国際主義者全国協議会は、「日本左翼の失われた10余年」からの脱却をめざし、今後も奮闘を続ける決意です。夏季1時金カンパへの協力を要請いたします。
振込先 労働者の力社
口座番号00110-2-415220
 
   
金子さちさんのご逝去に哀悼の意をささげます
        

 
 「ネコさんが死んだ」と携帯から聞こえるが、何のことなのか分からなかった。
 先月、とにかく治療を終えて、退院したのでは。がんに対する免疫力をつけるために中国医学の診療を受けに仙台に行ったのでは。復職と治療のために娘さんとともに住む家に引越しすることが決まったのでは。どういうことなんだろう。

 病院に駆け込むと既に、彼女は霊安室に寝かされていた。白い布が亡くなったことを確認させた。
 すでに娘さん、妹さん、勤め先のMさんがいた。彼女は3、4日前から胸が息苦しいと、病院に電話したところすぐに診察を受けるようにとのこと。31日に病院に行ったところ即日入院となった。肺に水が溜まっており厳しい事態であるとのこと。それでも翌日の朝食は食べたという。午後に突然心不全を起こした。医者は手の施しようがなかった言っていた。若い先生だった。

 金子さんとの付き合いは、68年の東京学芸大自治会選挙の手伝いに行ったときから始まった。付き合いといっても、彼女と同じ場で共に活動したことはなかった。同じ専従であったとか友人や連れ合いを媒介とした関係であった。ただ、個人的に印象に残ることは運転免許をとったばかりの3里塚からの初めての帰りの運転、こわくて首都高の車線変更ができず、とんでもない出口に降りた「首都高記念日」的なものに、彼女がなぜか同乗していたことであった。それから30年、彼女と車に乗るといつもその時の怖さを言っていた。彼女の突然の死で個人的関係はおわった。

 しかし、彼女との政治的関係は私にとって終わらない。彼女の死によって呼び起こされるものは、彼女が出席した第13回第4インター世界大会、日本支部にかかわる決定がなされた大会である。

 第13大会の日本支部に関する決定は次のようなものであった。
 「女性同志たちを除いた旧日本支部の状況を第4インターナショナルとしての資格欠如と判断している。その根拠は、自らが起こした性差別問題に第4インターナショナルの基本的な立場から対処できないばかりか、9年間経過するにもかかわらず男性メンバーの側が自己批判、総括を行いえていないこと、その結果、女性同志たちが独自のグループを結成する事態をもたらし、女性と男性が別個の組織に属するという異常な事態を引き起こした点にある。
 この判断は、JRCLと全国協議会の2つのグループ(どちらのグループにも所属していないと考える男性メンバーをも含む)には第4インターナショナルを名乗る資格がないことを意味し、日本支部の非存在に直結している。そして、こうした事態に1切責任がない女性同志たちは『女性同志の意志に応じて女性同志を第4インターナショナルのメンバーとみな』される。第4インターナショナルと2つのグループとの間には当面、直接の組織関係(支部あるいは支持組織)はないが、『同志的関係を維持』し、インターナショナルが2つのグループの性差別問題の克服を中心とする支部再建の努力を援助する――これが当面する関係となる。
 日本支部再建(まずは支持グループになること)の基準は、@女性と男性の統一した組織が形成される、A全国的に組織されたグループとして存在し、われわれの綱領全体にもとづいて活動する、B強姦問題によって招いた不信を克服する――の3つである。」
 彼女は、日本支部の女性を代表して参加した。そして、この決定に関わった。
 第13回世界大会の決定がその後のわれわれの運動を根底から規定しているにも関わらず、そのことについて彼女と話したことはなかった。われわれが組織の再統1を果たすには具体的に女性同士と討論を始めねばならかったのに、彼女とそのことを話したことはなかった。あれから13年も経過したのにまだまだ時間があると思っていた。個人的な関係と政治的な関係は別であるかのごとく、切れきってはいない関係に安住していた。

 彼女がこの13年間、第4インターに対しどのような組織的スタンスで生きてきたのかは知らない。しかし世界大会に提起をしに渡欧したその気持ちや、大会決定を引き出した契機となって以降の彼女の葛藤こそは支部再掲の鍵となる思いだったのではないか。なんの話しも始められなかった。もう彼女はいない。

 この決定から、13年。日本支部の再建を願うわれわれは未だ途につけていない。われわれは、申し訳ないことに佐々木問題を起こすに到った。しかし、この佐々木問題を1年以上取り組むことを通して、理解したことは、組織内女性差別の取り組みの経験を抜きにしての組織統合はありえないということであった。

 彼女の死を受けて、第13回世界大会の決定を捕らえ返してみたいと思う。
 第4インタナショナルのメンバーであった彼女への手向けになればと思う。
 さようならネコさん。哀悼をこめて「スズキくん」より。
                                 2005年6月8日        鈴木武
 

 イタリア
再建党内部で「批判的左派」創設
―イタリアの左翼紙に現れた観点―

 ローマで4月23日、24日の両日開かれた全国会議は、イタリア左翼に広範な興味を呼び起こし、さらにメディアで論評された。この会議は、共産主義再建党(PRC)6回大会期間中に、「もう1つの再建は可能だ」との題名を付された動議4に結集した活動家が開催したものだった。我々はここに、2つの左翼日刊紙、「イル・マニフェスト」(注1)、及び「リベラツィオーネ」(注2)に掲載された2つの論評を再掲する。


―「リベラツィオーネ」―
「批判的左派」の誕生、それは、プローディの手の中で踊ることなく、ベルルスコーニを追放するための綱領的再結集だ!(ベアロリス・マッチア)

 「今日ここに、動議、『別の再建は可能だ』、の新たな政治的グループが生まれている。このグループは、『批判的左派』潮流となり、党全体に役立つ1つの道具になりたいと思っている」。このように述べて、PRC上院議員団指導者のジジ・マルバルバは、ローマにおける全国会議を極めて冷静に締めくくった。この会議は、大会における第4動議の経験に連続性を与えたいと願った党の200人を超える闘士達(その多くは若く、そして社会運動や労働組合と女性の運動に参加している)を結集していた。
 サルバトーレ・カンナボ(「リベラツィオーネ」編集長代理、かつPRC全国指導部の1員)の予備報告という形で午前中の討論で定式化された提案は、2日間に亘って参加した、また特に土曜日に参加した活動家にとっては自明であるように見えた。この土曜日には、会合は8つの作業グループに分割され、その各々には充分な参加者があった。そしてそこで、行動に向けた豊かな1連の提案が生み出された(不妊治療医療に関する国民投票への参加から始まり、5月15日の反戦デモ、不安定雇用反対、社会的賃金支持に向けた運動まで。最後の問題に関しては、ロンバルディでPRCが起草した条例を、再建党が政府の1部となっている全ての地方で、モデルとして役立てるべきであるとの提案がある)。 「1つの道具であり同時に1つの政治的構想でもあるような、そして分派あるいは中央集権的な<党内党>ではない、そのようなグループを我々は構築したい」と、カンナボは予備報告の中で説明した。そして、「我々は、むしろPRCの内部活動に革新の1要素を導入したい」、「それは今や、異なった諸実践並びに構想の共存を許容すべきであり、そこには未だ再建党党員ではないが、党の経験を注視しつつ追い続けている人々もが対象とされる」と、マルバルバは結語で語った。
 「さらに、ピエルト・フォレンナの行動もまたこの方向に動いている」。それ故新たなグループは、「運動を築き上げ、社会的対立を鼓舞することによって、党の現路線を修正するために努力しつつ、我々自身が選択に直面していると分かった大会の路線を検証してみることを提案するのであり、内部的な結晶化を拒絶するのだ」。
 現情勢に関する限りこの会議は、(地方選挙の)結果が生み出した情勢を取り扱ってきた、全体としての中道左翼のやり方に関する否定的判断を再確認した。そして、新たな(国政)選挙を要求する点においての失敗、さらに政府打倒闘争への具体的取り組みを明らかにする点での失敗を批判した。「来るべき数週間、数ヶ月、プローディのゲームに付き合うことなく、ベルルニスコーニ政府打倒という課題は、中心的目的でなければならない」。実際今でも「我々は中道左翼内部におけるPRCの自律性回復に焦点を当てている」。「『クウィリナーレ』における交渉をめぐる言葉使いが示すように」、言われている自律性は全く儀礼的である、とカンナボは語る。
 最も緊急を要する行動には、人工的な妊娠促進医療に関する法律に反対する国民投票がある。「PRCと中道左翼にとって決定的な試練である」と、「女性行進」のナディア・デ・モンドは強調した。しかし同時に、「法律30」反対の運動、労働協約刷新と撤兵を要求し(6月2日が闘争日となる可能性がある)、公共財産を防衛するためにモラッティ法に反対する動員、という課題もある。「そして今や、政府反対の大規模なデモを準備すべき時だ。この課題は以前、ジアンニ・リナルディニが提案したものだった。しかしそれは、殆どの左翼が完全な沈黙をもって抑えこんだものだ」。
 会議は、満場1致による全国調整委員会選出をもって終了した。同時に会議は、(PRCの)全国指導部メンバーとしてサルバトーレ・カンナボ及びフランコ・チュリグリアットを、全国代表としてジジ・マルバルバを、さらにスポークスパーソンとしてフラビア・ダンジェリを指名した。

―「イル・マニフェスト」―
「エレ」の再編、「批判的左派」となる(ジウブ)

 PRCの新たな要素が形となった。2005年4月23日、24日、前回のベニス大会期間中に提出された第4動議グループの会合がローマで開かれた。この動議は、ジジ・マラバルバとサルバトーレ・カンナボ連名のものであり、同大会で6.5%の支持を得た。この新たに現れたグループについて、PRC指導者のファウスト・ベルティノッティは、対話相手であってほしいと望んでいる。というのも彼は、彼の下の多数派だけでは地方大会を乗り切るには不充分である多くの地方組織の書記局内部にこのグループが存在していることに、非常な関心をそそられているからだ。さらにプローディとの連携に関わる相違を含んだこのグループの姿勢の故に、彼はより多くの興味をも持ちつつこのグループを注視している。この点に関してカンナボは、「我々は新たな選挙への呼びかけをもっと力を込めて押し出すべきだ」と説明する。さらに、「『クウィリナーレ』における交渉(『ユニオン』―オリーブの木に代わる新たな中道左派選挙連合、訳注―頂点における論争)をめぐる言葉使いが示すことは、野党が今取りつつある穏健路線及び『ユニオン』との関係で、PRCが自律性を取り戻すべきだ、ということだ」、と続ける。
 「批判的左派」、これが、会合に出席した新たな「綱領的グループ」のおよそ200名の闘士達が選択した名前だ。そして彼らは現在まで、さらに大会時点の勢力関係においてさえ、彼らの雑誌である「エレ」の名前で知られていた。
 「1つの道具であり同時に1つの政治的構想でもあるような、そして分派あるいは中央集権的な、〈党内党〉ではない、そのようなグループを我々は構築したい」、とカンナボは説明する。そして続けて、「我々は、PRCの内部活動に1つの革新を起したい」(彼は今も「リベラツィオーネ」の編集長代理だ)、「党内活動は、その内部で異なった諸実践の共存を許容すべきであり、そこには再建党党員ではないが党の経験を関心を持って追い続けている人々もが含まれる。そのような人々がいることは、ピエルト・フォレンナ(PRCのモンテチトリオ・グループに個人として合流するために、左翼民主党を最近去ったこの党の前スポークスパーソン)の例で示されている」と語った。
 新たなグループ会議の議題には以下の3つの主要な軸が設定された。即ち、不妊治療に関する「法40」に反対する国民投票において、「賛成」を組織する活動への「確固とした」3加、また、ロンバルディで再建党が提案した社会的賃金に関する地方条例の拡張、そして、6月2日の共和国デーにおいて、伝統的な軍事パレードに対抗する「平和パレード」をローマで組織すること、だ。
 カンナボはさらに次のように強調した。「ベルルスコーニ打倒にむけて決起しようとの強い願いがある。現在までこの問題に関しては、『ユニオン』からもPRCからも明確な約束は何もなかった。しかしこの行動は、プローディに手を貸すという目的に奉仕するものであってはいけない」、PRC内の新しい内部グループは、「それ故、現政府とその
経済政策に反対する大規模な社会的結集を準備するという目標を、自分自身に設定する。この課題は、1時FIОM(CGILに所属する金属労働者の労働組合、主要な全国組合であり、最近左派が指導部に着いた)書記長のジアンニ・リナルディニが提案したものだった。しかし当時その働きかけは、ほぼ完全な沈黙で迎えられた」。

注1。「イル・マニフェスト」は、ロザンナ・ロザンダやルシオ・マグリのような人々の下に、当時のイタリア共産党から左に分裂した部分が1968年に創刊した日刊紙。
注2。「リベラツィオーネ」はPRCの日刊機関紙。
(「インターナショナル・ビューポイント」5月号電子版)
 
ヨーロッパ政治情勢の新たな局面が次第に明らかに
左翼代替勢力への高まる要請、具体的挑戦各国で

―フランス国民投票―
「ノー」は、左翼の立場から

                  ミューレイ・スミス

 土曜夜10時、最後の投票所が閉められたとき、結果はギロチンの刃のように下りてきた。フランスの有権者は、EU憲法案に対して「ノー」の投票を行ったのだ。投票前の最後の数日、全ての世論調査は「反対」の勝利を予測していた。しかし、ほぼ55%というその多数の大きさには、何の曖昧さもない。さらにまた明白であることは、そして殆ど一様に「賛成」陣営に席を占めてきていたメディアが結局認めたことは、この戦闘が「左翼の立場に立つ反対」によって勝ち取られた、ということだ。
 ジーン―マリー・ル・ペンやフィリッペ・ドゥ・ビリエのような極右指導者はもちろん勝利を宣言するテレビに登場した。しかし投票の政治的かつ社会的内容が示すことは、反対票のかたまりは彼らの支持者から来たものではない、ということだ。

誰が何故

 社会的分類を見れば、肉体労働者の81%、失業者の71%、事務労働者の60%、「中間的専門職」の56%が「反対」に投票した。「賛成」が多数を占めた社会的層は、管理者層と知的専門職層(62%)、及び大学卒業者(57%)と年金生活者(56%)だけだ。
 年代別で見れば反対は、18―34才の間で59%を、35―49才の間で65%を占めた。賛成は65才以上の年令層で多数を得たに過ぎない。
 政治的には、左翼支持者の67%が「反対」を選択した―共産党と革命的左翼支持者ではほぼ1致して、しかしまた、社会党支持者でも59%、緑の党支持者でも64%が―。さらに、支持政党なし層でも61%は「反対」に投票した。2つの主要右派政党、UMP並びにUDFの支持者のみが、憲法賛成に大量投票した(76%)。
 極右を有権者の15%と評価した場合、それが意味することは、それ以外の「反対」40%は左翼と支持政党なしの層から出てきた、ということだ。そして投票理由を問われたとき「反対」に投票した人々は、フランスにおける経済と社会の状況、特に失業の問題に、さらにこの条約の「あまりに自由主義的な」性格に言及したのだ。
 さらにその35%は、憲法条約再交渉の可能性に対して希望を表明した。統一した「左翼の立場に立つ反対」のために運動した人々が何ヶ月も言い続けてきたように、反対投票した人の殆どはまさに、彼らが排外主義者や反ヨーロッパ主義者やその他の何かであるから反対したのではなかったのだ。彼らは、新自由主義と、フランス並びにヨーロッパにおけるその破壊的な作用に反対して投票したのだ。

左右を問わずヨーロッパ主流派の路線が俎上に

 この投票の政治的作用は多面に及ぶことになるだろう。「シラクは不信任され、ヨーロッパは不安定に」と、月曜日付けの「ル・モンド」はその1面見出しで語った。シラクはおそらく、首相のジーン―ピエール・ラファランを手近なスケープゴートとして解任するだろう(実際そうなった―訳者)。ラファランはニコラス・サルコジに置き代えられるかもしれない。この人物は日曜日夜のテレビで、フランスの有権者はもっと新自由主義的な政策を欲したが故に反対に票を入れた、などという何とも独特の分析を加えた人物だ。もし彼が指名されるならば、それこそ、フランスの有権者が目にすることになるものだ。あるいはシラクは、サルコジの指名には人々の怒りをかうものが多過ぎる、と感じるかもしれない(実際に指名された人物はドピルパン―訳者)。
 いずれにしろ大統領自身が今や実のところ不信任されたのであり、その弱体化は深刻だ。そして、2007年の大統領選挙への再度の立候補をいかにすれば今尚彼が想定できるのか、それを知ること自身が困難だ。
 左翼の側ではLCRのみが、鮮明かつ曖昧さの余地なくシラクの辞任と議会解散を要求した。
 しかしもちろんのこと、負けた者は右派だけではない。社会党と緑の党指導部多数派もまた、彼ら自身の支持者によって不信任されたのだ。そして両党内の国民投票後の戦闘は、苛烈になるべくしつらえられたように見える。「賛成」投票に向けて運動を率いたオーランド、ストラウス―カーン、ジョスパンなどの党指導者は、「反対」を守り抜いたファビウス、エマニュエリ、レンコンなどのグループにおとなしく党を渡しそうにない。
 ヨーロッパレベルでは、不安定となったものはもちろん「ヨーロッパ」それ自身ではなく、新自由主義的ヨーロッパという構想だ。そして、左右のヨーロッパの指導者が日曜夜に次々に語ったことを聞く限り、彼らがこの敗北から何らかの教訓を引き出した、という兆候は全くない。彼らは次々と画面に登場し、聞き分けのないフランス人を叱り付け、そして、仕事はこれまでどうりに続く、と語った。
 彼らの殆どにはもちろん、条約批准の場として議会を選択したのだから、今後闘わざるを得ないものとして、国民投票ほどの面倒なものが待ち受けているわけではない。しかしフランスにおける「反対」は、EU諸国の殆どでこれまで起きたことのなかった論争の幕を、ヨーロッパレベルで切って落とす可能性を作り出した。
 新自由主義的ヨーロッパに対する敵対者は、攻勢に出る好機を手に入れた。それは、この憲法に対する拒絶のためばかりではなく、それが起草された反民主主義的なやり方を打ち破るための、さらに新たな提案を起草するための憲法制定会議をヨーロッパの民衆が選出する、という要求のための好機である。

信頼に足る新たな左翼へ
―広がる草の根からの議論―


 LCRは、前進のための道筋を議論するためのヨーロッパ社会フォーラムを呼びかけた。「反対」の勝利がフランスでは左翼の側に、急進的な反資本主義的勢力建設に向けた新たな可能性をいくつも広げた。さまざまな党の、及び無党派の闘士達の間での協力、労働組合や社会運動活動家との協力、これらのものが繰り広げられた数ヶ月は、真の推進力を生み出し、多くの期待を巻き起こした。フランスで「輪番」と呼ばれているもの―新自由主義政策における高度の連続性を保ちつつ、左右の政府が規則的に交代する模式―を打ち破ることのできる左翼勢力をいかにして構築すべきか。このことに関する議論が既に始まっている。
 これらの議論は確実に続く。シラク並びに誰であれ彼が指名する首相が加える、新自由主義的攻撃に対する途切れることのない社会的抵抗という背景を、この議論が背にすることにも何の疑いもない。必要なことは、社会党指導部に体現された社会自由主義に対する、信頼に足る代替勢力を建設することだ。国民投票翌日に発表された声明の中でLCRは、過去数ヶ月に亘って増大してきた、統一した「左翼の立場に立つ反対」を支持する100にのぼる委員会がその組織を残し、ある種の全国会議に向けて活動するよう、提案した。その声明はさらに、昨秋「200人のアピール」を出す手助けとなった、政治組織の会議をも提案した。前述した委員会の基礎は、このアピールにあったのだ。「反対」運動に3加したいくつかの勢力は、2007年の新たな「輪番」を用意するための、社会党の覇権を前提にした新しい左派連合への引き込みに誘い込まれるだろう。
 しかしその展望は、LCRだけではなく、共産党内の活動家を含むその他の多数の活動家によって、さらに何人かの社会党員によってさえ、闘争の対象とされるだろう。フランスにおける急進的な反資本主義勢力建設にとって、見通しがこれほどに開けたことはかつてなかった。来る日々が決定的だ。
注)筆者は、スコットランド社会党の元国際組織員であり、現在はLCRで活動している。(「インターナショナル・ビューポイント」5月号電子版)


=ドイツ―ノルトライン・ウェストファリア州議選=
社会民主党(SPD)惨敗―背景と今後

                            サディアス・パト

 5月22日のノルトライン・ウェストファリア州における地方選結果は、SPD(及びその連立相手、緑の党)にとって、彼らの強力な地盤における大敗となった。この地方は、最大の人口を持つ地域であり、SPDはここで39年間も政権を保持してきたのだ。
 結果の第1報が発表されるや否やSPD書記長は、今秋の総選挙を明らかにした。

出し抜き?

 SPDは得票率を5%以上も落としたが、その1方キリスト教民主党(CDU)が7%以上得票率を伸ばした。その結果CDUが、自由党との連立の下で政権を手にできることになるだろう。
 CDU党首、アンゲラ・メルケルが首相としてシュレーダーと代わりそうだ。
 他方で、新たに形成されたネオ改良主義党、「バールアルタナティフ」(職と社会的公正党)は、2.1%に達したものの、議席を得るには至らなかった(ドイツでは、5%条項という、議席獲得への堰がある)。
 有権者の60%しか投票しなかった。この事実は、全般として支配的諸党に幻滅している層が、人口中で増大する一方だ、ということを示している。この結果に驚くべきものは何もない。選挙前の全ての世論調査がCDUの勝利を示していた。人々を驚かせたものは総選挙の告知だった―緑の党の党首ですら、先の公表が行われるまで、そのことを知らされていなかったのだ―。
 この決定の背景の1つは、ドイツ議会の上院において、CDUが今や連邦政府の政策の大きな部分を阻止できる、という事実だ。しかし他方でこの策謀にはもう1つのもくろみがある。それは、他の諸党、特に「バールアルタナティフ」に、選挙のキャンペーンと準備に僅かの時間しか与えない、ということだ。

真の代替勢力のために

 急進的左翼のかなりの部分、前社会民主党員、活動的諸個人、そしていくつもの労働組合機構専従活動家達からなるこの新党にとって、今回の選挙結果は少しも悪くはない。2%を越えれば何であっても成功だ、と指導的メンバーは前もって語っていた。
 総選挙をPDS(東ドイツ前支配党の後継政党)との協力の下で行う計画がある、という噂がいくつか流れている。もっとも、PDS指導者の1人はその噂を既に断言的に否定していた。
 秋の選挙で最もありそうなことは、政権をCDUが引き継ぐ、ということだ。ドイツにおける急進的左翼全体は、次の連邦議会に左翼の反対勢力を確保する闘いに参加しなければならない。それは、SPDにその場所を残すためということではなく、左翼の代替勢力に向かう極を建設するために、である。
注。筆者は、革命的社会主義者同盟(RSB、第4インターナショナルドイツ支部の1分派)とFI国際委員会のメンバー。
(「インターナショナル・ビューポイント」5月号電子版)
 
 
 
 
 
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