2005年9月10日        労働者の力             第 185・6号

 
自民圧勝・民主惨敗―第44回総選挙
警戒要する第3次小泉内閣の攻撃


川端 康夫



 9月11日投票の第44回総選挙は、事前の各種調査が示したとおり、自民党の圧勝の結果となった。自民党は大都市部で完勝状態となり、民主党を完全に追い落とした。公明党は3議席減らして31議席。民主党の獲得議席は113議席にとどまり、改選時よりも62議席減らした。共産党は現状維持、の比例区で9議席、社民党はプラス2の7議席、国民新党はこれも現状維持の4議席、新党日本は1議席にとどまり2議席を落とした。無所属は18議席、そして新党大地が比例で1議席を確保した。郵政反対組は33選挙区で立候補し、反対組は当選が15議席、自民党公認は13議席、そして民主に流れた議席は4議席である。
 このように見れば、自民の1人勝ち、民主の1人負けということになる。公明党は、埋没に怯え、共産党は現状維持で、党勢退潮に歯止めをかけ、社民党も同じ手応えをつかんでいる。両党共に、小泉批判という点でははっきりしていたし、「構造改革」がもたらしている弱者切り捨て、社会的格差の拡大を明確に批判したことが、将来を危惧する層を引きつけることになった。また新党日本は得票率が2%を越え、政党要件を満たした。田中長野県知事の主張が明快で具体的だったことが支持されたのだろう。
 茫然自失状態になった民主党は、岡田代表が辞任し、特別国会前に新代表を両院議員総会で選ぶことになる。
 投票率は前回より7%上昇した。
 小泉は、特別国会で首班指名を受けた後、直ちに郵政民営化法案を再提出し、10月中の成立を期すとしている。法案成立後に再度組閣を行い、後継者作りを意識した内閣にする事を表明している。
 郵政法案は、参議院反対派から賛成に転じる動きがあり、また衆院3分の2はたとえ参院で否決されても衆院に差し戻して可決できることから、成立は確実だ。
 
民主党、首都圏で完敗

 民主党は首都圏の1都3県、71小選挙区で、5議席しか取れなかった。東京が1、埼玉が3、1000葉が1である。神奈川は全敗した。勝ったのもすべて薄氷を踏む僅差での勝利である。東京の菅は土屋の追い上げを辛うじてかわした。他の現職候補はみな終盤の競り合いで敗れた。ハリケーン小泉が首都圏を直撃したのである。また、1区現象と呼ばれる道府県庁所在地の都市部でも、自民党は32対13と大きく勝ち越した。前回は26対19であった。すなわち、今回総選挙は都市部における無党派層の30%を越える割合が自民党に投票した。さらに投票した有権者の60%以上が郵政民営化に賛成であり、またそのうちの60%強が小選挙区で自民党候補に投票している。郵政反対派は、地方選挙区で強みを示し、従来のタイプとは逆転している。
 この郵政選挙は、小泉が仕掛けた「民営化、是か非か」を、めぐって最後まで闘われた。完全に小泉ペースである。民主党は年金などを押し出し、小泉ペースを逃れようとしたが通じず、選挙戦初頭に、郵貯・簡保の縮小、廃止という「対案」を出した。これは、都市部有権者の郵政民営化賛成論に押され、急ごしらえに出したものだ。だが、これはさらに事態を悪化させた。なぜ、国会審議や採決時に、そうした方向性を明らかにしなかったのだ、という疑問が必ずやつきまとうからである。小泉は、民主党が「郵政民営化法案に賛成しておけば、こんな事態にはならなかった」と評しているが、それはおいておいても、民主党の態度が真に不透明、という印象を与えたのは間違いない。「改革」に対して「守旧」、また労働組合の圧力に押されている、等の攻撃を回避しようとして逆の効果を生んだ。
 郵政問題で、民主党の国会質疑の基調は、ユニバーサル・サービスの維持と、いうなればセーフティネットの確保にあったはずだ。郵便局にさほど重きを置かなくてもいい都市部住民とちがって、地方、過疎地での郵便局・郵貯は絶対的に欠かしてはならないものである。そして、今回の郵政法案はその点をめぐる妥協や修正が相当に重ねられて作られてきたという経過を持っている。その点がぐらついて、どちらの民営化が適しているかを争うことでは、一貫性もなく、また説得的内容もなく、小泉のデマゴギー的「改革連呼」に対抗できるわけがない。いわば、民主党は、大資本に対して、自己を売り込み、その容認を得て自民党に対抗する政権党になろうとしたのだ。これでは何のために国会論戦を行ったのか。無意味である。政権党であろうとするならば、国の進み行く方向、いかなる国の形を作るのか、いかなる階層の利害を表現するのかを明確にしなければならない。民主党に左右の明らかに異なる潮流が存在してはいても、財界に売り込むことによって政権の座に手が届くということなどはあり得ない。すでにその座には小泉自民党が座っているのだ。
 いずれにしろ、今回の総選挙は、小選挙区制が持つ危険性、あるいはダイナミック性というものをまざまざと示した。民主党は総得票数で、劇的に負けたわけではないのだ。東京でいえば、比例区得票で、自民党は2540000票、民主党は1900000票。その差は600000票、10%の差である。しかし選挙区では完敗したのである。この制度が、いかに民意を歪めて表現するのかがはっきりと示されている。民主党は従来、小選挙区制度の恩恵を受ける立場にあった。そして、さらに小選挙区制度の特質を高める意図を持って、この党は比例部分の廃止をも提案してきた。だが、それが完全につまずいたのである。風の一吹き、数千票の行き来で、議席ががらっと変わる。このような選挙制度を長く持続させることは100害あって1利なしだ。

小泉自民党はどこへ行く?

 今後、小泉自民党はどこへ行くか、少なくとも、現時点では、少しも明らかではない。小泉も、他の自民党候補も、郵政民営化が「改革」の入り口だという以外は何も語らなかったからである。小泉は、「私の任期中は増税はない」「靖国は適切に対応する」という言葉の切れ端を発しただけであった。イラクはどうする、外交はどうする、財政赤字はどうする、年金をどうする、いっさい具体的な発言はなかった。「構造改革」で何をするのかも、中身はなかった。まさに「人気取り政治家」ポピュリストとしての性格が出ている。
 しかし、ホリエモンが岡田民主党代表に対して、「小泉改革は強いものをより強くする改革だから、私はそちらを選ぶ」と如実に語ったごとく、「小さな政府」論のもとにあらゆるセーフティーネットの切り崩し、大衆課税と消費税の引き上げ、資本減税の継続・拡大などを、327議席を背景に押し出してくるであろう。両党合わせた3分の2議席は、あらゆる議案を参議院がどういおうと通過させることができる議席数である。つまり、議会的には、やると思えば、何でもできる議席数なのだ。もちろん、公明党がいるから参議院の数を考えれば、公明党への配慮は必要だ。公明党の連立政権内での位置は重要である。だがこの両党が合意すれば、ほとんどすべてが可能なのだ。
 いまや、2大政党時代ではないし、小泉の続投までが期待もされている。最初の小泉ブームの時に改憲への踏み出しが起こったように、改憲が急速に日程化してくる可能性はある。いまや、衆院だけをとれば、改憲のための必要な議員数を確保するために民主党に配慮する必要はない。だが、改憲発議は両院で行うものだから、この問題だけは衆院が独走するというわけには行かない。、
 その1方で、小泉内閣は、内外共に路線が行き詰まっていることも事実である。イラクからは次々と多国籍軍は撤退を進めており、自衛隊の駐留するサマワ周辺の不穏さも増している。12月の撤退期限を延長するとしても、自衛隊には具体的な仕事がない。給水活動はやめてしまった。任務は基本的に終わったと漏らしている幹部もいるようである。その自衛隊の駐留延長を行うのか否か。アフガンのためにインド洋で給油活動をしている海上自衛隊の活動期限も切れる。
 一方、イラクの泥沼とハリケーン・カトリーナに足を取られたブッシュ政権は、小泉の圧勝を機に対日要求をさらに強めるはずだ。イラクでの「協力」のみならず、在日米軍基地再編問題、牛肉問題と次々に難題が続く。
 さらに、三位一体改革公務員人件費削減基本指針、政府系金融機関統廃合、年金問題の協議、医療費削減の制度改革、税制改正大綱、サラリーマン増税など、来年度予算に向けた課題が、「構造改革」の具体化が山積しているが、郵政問題に集中してきた関係で、ほとんど手つかずの状況にある。
 現在、経団連を始めとする財界諸団体は、小泉の勝利を大歓迎し、「構造改革」のスピードを上げることを要求している。おそらくほとんどが民衆に痛みを求めるものとして具体化されてくることは間違いない。巨大与党の存在は多少の遠慮をも無用のものとするだろう。
 しかし小泉政権は、これらの問題を力押しで進めることが本当に可能だろうか。すべてがより具体的に民衆に迫る問題なのだ。小泉「改革」の具体的姿は、これから問われるのであり、小泉は今回眠り込ませ封じ込んだ民衆の怒りに、これから対峙しなければならない。小泉の前途には客観的には、巨大な嵐が待ち受けているのだ。
 相当の緊張が、野党陣営にも、運動側にも要求されている。小泉の攻撃に正面から対決し、民衆の「怒り」を体現し受け止める存在となりうるか否かが問われる。

東アジア・サミットと靖国問題

 同時に、国際関係、外交問題が新たな局面に入っていることが指摘されなければならない。その関係で靖国参拝問題はきわめて重大な問題を引き起こすのだ。
 12月に開かれる東アジアサミットは、新しい試みだが、アジアの地域的な市場開放をめざした、初の首脳会談である。これは、別項論文に詳説されているが、ASEANを軸にして開始されている、日本ルート、中国ルートを1つに統合する目的の設定がなされている。東アジアの市場開放の動きは共通市場への発展のダイナミズムを秘めているが、それは大東亜共栄圏の焼き直し的な性格を持つ日本側の構想「東アジアコミュニティ」がそれ自体で成立せず、東アジア・サミットに吸収されたことを示している。このサミットに小泉は出なければならない。そうしなければ、東アジアサミットは、中国に主導権を握られてしまう。
 この東アジアの統合への動きに小泉はどう対応するのか。小泉の年内靖国参拝がささやかれる中で、東アジア全域に躍動し始めた市場開放から共同市場への展望を、靖国に参拝することで、自ら壊してしまうのか、どうか。小泉が靖国参拝を行うということは、東アジアにおける地域統合への道を拒否することになるのだ。
 東アジア・サミットには、日米同盟とは異質な、アメリカから相対的に自立した東アジアという歴史的展望が内包されている。
 日本ブルジョアジーは、今のところ、つまみ食い的に各種FTAの締結を急いでいるが、「東アジア・コミュニティ」構想が潰れた以上、いつまでも問題の所在から逃げているわけにはいかなくなるだろう。これもまた、小泉政権が直面する難題である。
 われわれは、大資本主導の日韓FTA交渉などに反対である。だが同時にわれわれは、アメリカ離れを必然的に伴う東アジアサミットの今後のダイナミズムに注目する。これは、日米同盟関係をめぐり、日本政治の将来に重大な影響を与える問題であり、日本政治に新たな分岐をもたらすことも必然的なのである。そして同時に、靖国問題に終止符を打つことになるかもしれない重大問題なのだ。
(9月12日)
 
 第17回総会コミュニケ          
 国際主義労働者全国協議会は、8月20〜21日、**で第17回総会を開催した。
 総会には、1、「資本主義のグローバリゼーションと新しい左派」を寺中が提案し、2、「中国の現状と展望」について織田が報告、3、急転する東アジアと日本政治情勢を川端が提案、4、3里塚について川端が報告、5、財政について、新沼が報告、提案した。
1、「資本主義のグローバリゼーションと新しい左派」は、グローバリゼーションの進展の中における、社会構造の分解と亀裂の深化を指摘し、新たな保守と新たな左派の形成を準備していると提起した。さらに議案は、こうした構造変化は同時に国際的な政治状況―とりわけ急激に変化していく東アジア情勢―の影響を受け、そうした中で、旧来からのさまざまな左派の結合のための引力が生み出されていくと指摘した。
2、「中国の現状と展望」は、未だ分析の中間報告であると断り、口頭報告の形で提起された。報告は、4章にわけて行われたが、結論的に、中国の社会・経済を、毛沢東路線の負の遺産を引きずった、外国資本に依拠した開発独裁型の市場経済化と規定した。この市場経済型と共産党独裁は矛盾しているが、矛盾は何らかの形での爆発を準備せざるを得ない。経済的にも、表面の派手な経済膨張の陰に、膨大な不良債務が隠されていると指摘した。
3、「急展開する東アジア情勢」については、レジメ報告の形で提起され、討論の末、文章化して発表することが確認された。別項報告参照。
4、日本政治情勢はこれもレジメ報告であったが、郵政法案否決と衆議院解散、総選挙に対する対応をめぐる討論となった。討論を受けて文章化することとなり、それはホームページに掲載されているが、新しい左派に向けた闘いを基本的目標におくことが第1点。次いでそこに向けた現局面の対応において、主要な論点は、従来の社会党・共産党への投票呼びかけを1歩踏み出して、この選挙を小泉打倒選挙とし、
「今回の衆議院選挙は、小選挙区、比例代表並立制の下で、少数政党にはさらに厳しい選挙となる。…労働者政党である社民党、共産党を支えていかなければならない。もちろん、この両党が20世紀政治のしがらみから脱却し、民衆に開かれた政党へと脱皮していくことを期待してのことである。…従って、われわれは、比例区では、社民党・共産党への投票を呼びかける。しかし、この両党は選挙区では社民党は候補者が少なく、共産党も全選挙区には立てていない。選挙区においては、小泉自公政権打破のために有効な投票行為を行うことが必要となると考える。」
 と結論づけた。
5、3里塚に関しては、別項決議参照。
6、財政他。略
以上。
 
   
第17回総会決議
小泉政権による管制塔占拠闘争の損害賠償請求強制執行弾劾!
管制塔占拠闘争元被告防衛!
1億円カンパ完遂をもって、三里塚空港開港阻止闘争の大義に対する連帯を高らかに明らかにし、民衆の抵抗権圧殺をはね返そう!
   
2005年8月21日 国際主義労働者全国協議会        

 

 今年3月末、法務省は三里塚空港反対闘争における元管制塔被告16名個々に対し、1978年3月26日の管制塔占拠闘争に付随する器物破損損害賠償金、利子を含めた1億300万円を取り立てるため強制執行に着手した。最高裁での損害賠償請求確定から10年が経過し、時効寸前の強権発動だった。しかもそこでは、賃金からの天引きと債務支払いの義務を雇用主に課す、という実に卑劣な手段が使われている。
 一方時を同じくして国交省は、B滑走路の計画変更を策した。三里塚農民の粘り強い抵抗によって先行きの目処が立たない中での「北側延長」への転進である。しかしこの転進は、空港南側に生活する農民に対して騒音地獄をあたかも懲罰でもあるかのように永久に押しつけるばかりか、航空機の安全に重大な危険を残す、まさに欠陥計画への乗り換えでしかなく、空港「完成」を見せかけるためのつじつま合わせ以外の何物でもない。
 住民を無視した杜撰で独り善がりの計画、それに起因する破綻、しかしそれを強権で覆い隠し乗り切りを策すという、三里塚空港建設に付きまとってきた暴政が、こうして小泉政権の下で今再び顔を出している。

 1978年3月26日の管制塔占拠闘争並びに当日一体的に展開された空港包囲の闘争は、強権に次ぐ強権の末にたどり着いた政府の開港スケジュールを完全に破綻させた。重ねられた政府の暴政は、連帯した民衆の力によってまさに痛打を浴びせられた。それ故時の運輸相は三里塚現地に出向き、当地の農民に謝罪し、以後の強権的手法の見合わせを約束せざるを得なかった。以来三里塚空港は、片肺空港として、機動隊が常駐し鉄条網に囲まれた異様な空港として、また不便で世界1使用料の高い空港として、政府の失策を象徴する姿を晒し続けてきた。
 そのような背景の中で先の損害賠償請求は、最高裁での確定以降も執行されることなく放置されてきた。確かに謝罪した以上は国交省(当時の運輸省)には、請求をあえて実行する道義的資格はなかった。
 27年後小泉は、上に見てきた歴史的経過を1方的にひっくり返そうとしている。しかしそこにはまさに道理がない。問題を「解決する」のではなく、強権で取り繕い、権力の意思と力を見せ付け民衆を恫喝しようとしているだけだからだ。ここに現れた小泉の手法は、靖国3拝を強行し、さらに閣僚の歴史改ざん発言を放置し、戦争責任問題をひっくり返そうとしてきた手法にまさに重なっている。
 しかしこの小泉の姿は、新自由主義的反改良以外の策を見出せず、民衆に抵抗する気力はない、との思い上がった思い込みを頼りとして、社会の解体、民衆の排除と切り捨てに突進する支配階級のある種余力のない姿を現すものに過ぎない。民衆の切実な要求に向き合うことができず、人々に真に依拠することができないない彼らの真実の姿は、例えば現在のアジアとの関係における文字通りの袋小路に鮮明に示されている。彼らには問題に取り組む力がなく、彼らの見せかけの「強さ」は、民衆がまだ声を上げていない、というかりそめの条件が支えるに過ぎない。
 しかし民衆は支配階級が依存するこのような条件をまさに連帯によって突き崩すことができるし、また私達は突き崩さなければならない。そのような闘いの1環として、三里塚空港の問題を巡って今回小泉が仕掛けた攻撃を、民衆的連帯で切り返そうではないか。

 今回の暴挙に対して元被告16名は、結束して怒りと抗議を表明し、カネで痛めつけ闘いの火を消そうという小泉政権のけちくさい目論見を、堂々と全額を払い切ることではね返すことを決断した。
 我々は、あの3月26日の闘争を共に担った者として、そしてあの開港阻止闘争に共同して責任を負う者として、元被告達の決断に断固として連帯し、彼らを防衛する。 
 元被告達にいかなる負担も負わせてはならない。三里塚農民の大義を高らかに知らしめ、民衆の抵抗権が何であるかを示し、そして時の福田政府をつまずかせ、結局は退陣に至らしめたあの管制塔占拠を中心とした全1連の闘争の成果をカネで傷付けることが可能だ、などと考えた小泉政権のお粗末さを、民衆の連帯の力で暴露しようではないか。
 1億円強という今回の請求金額は、今の新自由主義経済政策の下で我が世を謳歌している者達とは別世界に住む私達にとって、確かに気が遠くなるような金額だ。しかしそのような重荷を例え課せられたとしても闘い続けることを可能とする民衆の連帯の力を、新自由主義の暴虐が全民衆に襲いかかっている今こそ示す必要がある。
 この損害賠償請求を、3月26日の闘争に駆けつけ、心を寄せ、さらに三里塚農民の大義に馳せ参じた人々全てへの攻撃として受け止め、その完済を共同の事業として達成しようとの共同の呼びかけが、「管制塔被告連帯基金」の呼びかけとして既に発せられている。我々はこの呼びかけに全力で応えると共に、その事業を共に担う。
 全ての人々に訴える。上記の「管制塔被告連帯基金」に11月末日までに寄金を集中しよう。この損害賠償というけちな企てを堂々と受けて立ち、連帯した抵抗の大義が民衆内部に脈々と生き続けている事実を、再度紛れもない形で支配者に見せつけてやろう。そして、歴代の政府が背負わされた欠陥三里塚空港という「重荷」は、周辺農民に犠牲を押し付けたままである限りは決して取り除かれることがない、ということを改めて知らしめようではないか。


管制塔被告連帯基金
 郵便振替口座00130−3−445762 (加入者名)管制塔被告連帯基金
 (送金の際は通信欄に領収書必要の有無とメッセージ、氏名公表の可否をご記入ください)
 管制塔被告連帯基金支援ウェブサイト http://jioos.podzone.net/

 

 第17回総会議案 
急展開する東アジア

              
川端 康夫


 今年(5年)の12月、マレーシアにおいて、ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日本、中国、韓国)にインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国の東アジア・サミットが開催される。恒例のAPECなどに慣れてきた感覚からすれば、この東アジア・サミットの構成国は意外な感じも持たれよう。このように、東アジアにおける状況は急展開しつつある。本議案は、ここに至る過程と問題点、および、われわれの課題を展開することを目的とする。

新自由主義のグローバリゼーションとWTO、FTA

 東アジア・サミットへの力学ないしは過程は複雑である。だがそれに入る前に、基本動力が新自由主義のグローバリゼーションの加速にあることを指摘しなければならない。新自由主義的グローバリゼーションは、資本が自由に横行できる単一の世界市場の創出を目指すものである。95年に成立したWTOは、前身であるGATT(ガット)の「無差別貿易自由化原則」を引き継いだものだが、それは、ワシントン・コンセンサス―ウオールストリートとアメリカ財務省そしてその配下にあるIMF(国際通貨基金)が作る国際経済秩序―の表現形態である。新自由主義のグローバリゼーションというワシントン・コンセンサスが押し進める枠組みそのものは、世界各国の多国籍企業が支持するものだが、同時に、EUがアメリカ主導の世界秩序への対抗手段としてのヨーロッパの政治・経済統合という側面を持っているように、世界単一市場化とは一見逆流するように見える大規模な地域統合が進んでいるのである。理由はある。
 ガット時代の主導権は、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本が握っていた。だが時代の推移につれて、ガットはWTOに移行し、その中では第3世界諸国の発言力が増し、また公正貿易を求めるNGOや反WTO運動の力に押されて、WTOの機能そのものが不全となってしまった。99年のシアトルの反対運動による挫折、3年のカンクンでの、インド、ブラジルが代表した南の抵抗である。
WTO自身は、1年に中国が加盟し、6年にはロシアが加盟する予定となっており、15近い国が参加する巨大な組織である。現状ではその巨大さが逆に世界各国、地域の複雑な利害対立を調整できずに、立ち往生しているという実態がある。
 そこで登場したのが、FTA(フリートレード・アグリーメント、自由貿易協定)で、WTOの体制の下でマルチラテラル(多国間)の貿易自由化の追求よりも、より容易な2国間ないしは複数国間での貿易自由化協定を結ぶ動きが加速化した。
 FTAそのものの生みの親は、やはりアメリカである。アメリカとしては、ガット、WTOに主軸を置く考えであったが、90年代に入って、EUの大規模な地域統合イニシアティブに対抗する形で、NAFTA(北米自由貿易協定)の準備に入り、アメリカ、カナダ、メキシコの3国で実現させた。アメリカの予定では、今年(5年)末には、中南米諸国も加えた形のAFTAへと発展することになっている。南米では、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイのメルコスールなどがAFTAに対応する想定だ。しかし、カンクンWTO閣僚会議などを見れば、南アメリカ(ラテンではなくイベロ・アメリカという言い方になりつつある。)の現状では実現は難しそうだ。イベロ・アメリカは自立の方向を向いている。
 アメリカの方針転換の影響は大きく、世界各地で自由貿易協定などの地域協定が結ばれることになった。
 FTAは、多国籍資本にとっては、行き詰まったWTOに代わり、その抜け道を作る方策なのだ。すなわち、現在の世界市場は、複雑に絡み合ったいくつもの地域協定や自由貿易協定よって結合されたものであり、新自由主義のグローバリゼーションはFTAの回路を通じて展開されているのである。地域の経済的統合化・経済共同体への動きという側面は当然あるが、そのイニシアティブが多国籍資本及びそれと結びついた国家戦略のもとにあるままでは、民衆を食い荒らすだけのものとなる。とりわけ東アジアで、日本の多国籍資本と日本政府の主導においては、その意図が公然と表明されているだけに、危険なものである。
 
東アジア・サミットへの過程と力学

 EU、NAFTAの動きが大規模に展開されているにもかかわらず、東アジアでは動きが進まなかった。理由はいくつか上げられるが、先ず第1は、域内貿易がさほど発達していなかったことである。日本を先頭とする「雁行発展」で経済は大きく発展していたが、その貿易輸出対象がアメリカであったり、EUであったりしていて、域内相互の貿易率は低いままだった。地域協定を進めるための前提に不足があった。第2には、地域協定を先導すべき日本にそうした意欲がなかったということがある。日本は戦後長らく、アメリカの貿易圏に組み入れられ、アジアにありながらその視線はアメリカに向けられていた。また、ガットの多国間自由貿易主義の恩恵を長く受けてきた。戦後日本の貿易立国は、制度的にガットに守られてきたのである。マルチラテラル方式に関心が集中していた。
 1990年末、マレーシアのマハディール首相は、東アジア経済グループ構想を発表した。これは、当時のECやNAFTAの進展に対抗するもので、ASEAN、中国、韓国、香港、日本、将来的にはベトナム、カンボジアなどを包摂するアジアの経済統合体の提唱であった。だが、これは除外されるアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、特にアメリカは、排他的経済ブロックだと強く反対した。最終的には、日本がこれら3国を代弁する形で反対を表明し、流産した。
 67年に発足したASEANは、84年ブルネイ、95年ベトナム、97年ラオスとミャンマー、99年にカンボジアが加わり、加盟国数10となり、東南アジアをカバーする地域統合体へと発展した。ASEANの始まりはインドシナの共産主義に対抗する政治的なものだったが、次第に域内の経済統合への努力も開始されていた。域内諸国の相互関係は希薄で、水平分業の発展は細々したものだった。域内の関税引き下げの推進などの努力は各国利害の対立で容易には合意に達しなかった。だが、ASEANは、92年にASEAN自由貿易地域を発足させ、経済成長の中でASEANは目標の8年を5年前倒しで3年に達成した。目標というのは、農業加工品を含むすべての工業品の関税を引き下げ、5%以下にすることである。現在、ASEANの先発メンバー、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシア、ブルネイの6カ国の域内関税は原則5%以下である。
 ASEANはさらに、全域の域内関税の廃止、投資の原則自由、熟練労働者の移動の自由などを目標に掲げている。これが実現されれば、ASEANは自由貿易地域ではなく、経済共同体へと踏み出すことになる。
 ASEANの結束は、地域に手を伸ばしている日本、中国に対する小国の結束である。ASEANは、地域統合を進展させると同時に、域外諸国との関係を進めてきた。93年、ASEAN拡大外相会議を発足させた。日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、EU、ロシアなどが参加する。96年には、EU、アジア1カ国(ASEAN7カ国と日本、中国、韓国)によるASEM(アジア欧州首脳会議)を設立した。そして97年には、ASEAN+中国、韓国、日本の首脳会議、ASEAN+3を制度化した。東アジアの地域的統合への道筋はASEANが切り開いてきたのである。

アジア通貨危機そして中国、韓国の攻勢

 97年7月、タイで発生したアジア通貨危機は、マレーシア、フィリピン、インドネシア、香港、韓国、さらにはロシア、ブラジル、アルゼンチンへと拡大した。この通貨危機は東アジア経済に重大な打撃を与えた。インドネシアではスハルト体制が倒れるまでに危機は深刻だった。
 通貨危機の原因は、東アジア諸国が成長のための資金をヘッジファンドのような短期資本に依存したことにより、投機の対象となったこと、さらには資本市場の自由化を急ぎすぎたことによる。その背景には、IMFが資本市場の自由化を強く迫っていたことがある。アメリカ主導のIMFの政策は、アジア通貨危機をさらに悪化させた。
 通貨危機の悲惨な経験は、通貨対策の検討へと進ませた。
 0年5月、ASEAN+3外相会議は、@資本フローについてのデータの交換A通貨スワップ網を強化し、すべてのASEAN諸国に拡大する。これにより、日本、中国、韓国、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポール、の8カ国の中央銀行は、相互に通貨を預け合うことになった。IMFにもいくらか保険をかけたことによって、今回はアメリカの反対はなく、中国が積極的にかかわったことに特徴があった。
 中国は、通貨危機以降、明らかに政策転換し、0年11月のASEAN首脳会議において、朱鎔基首相が「中国・ASEAN自由貿易地域の創設」を提案し、衝撃を与えた。日本の反応は冷たく、実現不可能という態度だったが、中国の積極姿勢は、2年ASEAN首脳会議で、10年以内の「中国・ASEAN自由貿易地域」の創設を含む「包括的経済協力枠組み協定」に署名した。さらに3年1月、ASEAN首脳会議において、朱鎔基首相は小泉首相に、日中韓FTA締結の検討を提案した。小泉は消極姿勢に終始した。
 韓国の動きも積極的である。99年11月、ASEAN首脳会議の合間に行われた日中韓首脳会談の席上、韓国金大中大統領は日中韓の経済協力強化について、それぞれの研究機関の共同研究を提案した。現在、日本のNIRA(総合研究開発機構)、中国のDRC(国務院発展研究院)、韓国のKIEP(対外経済政策研究院)が貿易・投資問題を研究している。
 また、ノムヒョン大統領は3年2月の就任演説で、東北アジアの日中韓共同体形成を呼びかけた。だが、唯1の国家首脳として出席した小泉は何らの反応も示さなかった。そして韓国は、ASEANとのFTA交渉を5年1月に開始し、9年までに関税を撤廃する予定としている。
 
立ち遅れた日本の焦り

 日本が地域共同体に踏み出さなかった理由の1つはアメリカへの気兼ねであるが、もう1つは国際競争力の弱体な日本農業の問題もあった。日本が最初に結んだFTAはシンガポールとのものだが、シンガポールには農業がなく、農業問題が発生しないから容易であった。ついでメキシコとの締結があるが、農業問題での全面的な折り合いがつかず、限定的なものとなっているが、特にNAFTA成立のもとで不利益を被っている日本の自動車産業の圧力のもと、農産物の犠牲を払っても早期締結すべきという圧力があった。メキシコの例は、今後のASEAN、韓国との交渉の先例になりうる問題である。
 韓国との問題は、複雑で容易なことではなかった。そしてそれは交渉が始まってからも引き続いている。というのも、新宮沢構想の際にも、日本はアジアを再び支配しようとしているのではないかという反発があり、日韓FTA構想の提案も日本の韓国経済支配の構想という疑念が持たれたのだった。交渉難航の理由には、日本がEPA(経済パートナーシップ協定)というFTAよりも拡大した関係構築を構想し、その中には韓国労働運動を韓国政府が抑制せよ、というとんでもない要求まで含まれていること、及び、靖国、教科書をめぐる両国関係の冷却があると思われる。
 2年1月、小泉は東南アジアを歴訪し、シンガポールにおいて「東アジア・コミュニティ」構想を打ち上げた。これは「東アジア共同体」と訳されたが、その訳語は訳しすぎのようだ。この中で小泉は、「日本・ASEAN包括的経済連携構想」を打ち出した。中国に立ち遅れた焦りの現れとも言えるが、ともかくも日本もASEANの圧力のもとに地域統合の方向に舵を切ったのである。
 1年後の3年12月、東京において「日本・ASEAN特別首脳会議」が開催された。ASEAN首脳が域外に全員出るというのは始めてのことで、ASEANと日本の親密な関係を見せつけ、日本とASEANが「東アジア・コミュニティ」創設の中核になると強調された。客観的に、この会議は日本が中国に主導権争いを仕掛けた印象を与えた。実際には包括的FTAは、ASEANと中国、ASEANと日本という別々のコースで進んでいるのである。ASEANは、この2つのコースを使い分けながら、両大国からの圧力を減殺しようとしてきたのである。
 翌年の7月、ASEAN+3外相会議は、中国の提案により、ASEAN+3首脳会議を東アジア・サミットとして定例化することを合意した。日本は日本・ASEAN首脳会議で、「東アジアコ・ミュニティ」をASEANと日本が中核となって創設することを強調した以上、日本は東アジア・サミットにしゃしゃり出ることはできなかった。ASEAN、韓国、中国が開催国へと名乗り出、第1回目にクアラルンプールが選ばれた。次回以降は、北京とソウルのいずれかになる。東京の出番はこない。東京会議を日本外交の勝利と自負していた日本外務省は、中国によって強烈なしっぺ返しを受けたのだ。
 だが、ここにもホスト国であるASEANの意向が働いたのであろう、参加国は「東アジア・コミュニティ」が意図したオーストラリア・ニュージーランドと中国が関係を深めているインドの双方を加える形になっている。
 ここまでが、経過の簡単な要約である。東アジア・サミットが今後いかなる方向性を示すか、それは未定としかいいようがないが、だが弾みのついたダイナミズムは消えることはあるまい。

FTA、EPAの展開―日本の場合

 FTAの拡大に対する日本政府の立場は、きわめて鮮明だ。日本政府は、日本の多国籍企業が東アジアで自由に活動できる枠組みの形成をねらいとしている。そして、FTAを越えた投資協定、投資環境の整備、さらに各種基準、手続きなどの共通化、つまり日本スタンダードの東アジアにおける形成をも射程に入れている。こうした立場は、経団連が提起した構想、いわゆる奥田ビジョン(3年)と対をなしている。要するに、東アジア自由経済圏を日本主導で作り、政治的・経済的制覇をめざし、それを通じてグローバル競争に挑むのである。ここには明白に大東亜共栄圏のこだまが響いている。東アジア諸国家全体の共栄のための東アジア共同体ではない。すべては日本多国籍資本の利害が優先するのである。日本が進めるFTAを越えるEPAは、悪名高く、反対運動によって流産に追い込まれたMAI(多国間投資協定)の焼き直しなのだ。
 したがって、日本外務省や経済産業省の方向性は中国への対抗が機軸に据えられるのである。立ち遅れに焦った日本は、オール日本と称して、4年5月、東アジア共同体評議会を会長中曽根で立ち上げた。副会長である元外務大臣柿沢弘治は、東アジア共同体に日本が主体的に取り組まない場合、不利益として@EU、NAFTAなどの地域統合の中で孤立化するA中国主導の東アジア統合で日本は周辺国家化するB「脱亜入欧」「対米依存」の惰性から脱出できないC「少子高齢化」の中で日本経済社会は萎縮する、の4点を上げている。この指摘は正しい。同時に、中国に何らかの形でも、対抗せざるを得ないわけである。
 対抗にはさまざまな方向が考えられる。経団連提言(奥田ビジョン)の場合、中国、韓国抜きであるが、そこはASEANと日本を結ぶシーレーンの問題が即座に浮上する。すなわち、台湾である。経団連が集団的自衛権に熱心であり、また小泉内閣がアメリカと共同の台湾防衛問題に踏み込んだことも、こうした「ビジョン」に関係しているだろう。だが、東アジア共同体評議会は、そうした方向性にあるとは今のところ、読めない。とりわけBの項目は、奥田ビジョンがアメリカ軍との共同なしには成立しないのとは明らかに異なる。
 さらに奥田ビジョンの最大の難点は、肝心のASEANが日本との関係を優位にはおいていない、という事実がある。東アジアサミットの成立ということ自体がそれを物語っている。中国、韓国を除外した東アジア(経済)共同体は、始めから成立していないのだ。

FTAの将来

 FTAあるいはEPAの進展は、ASEAN側には国内工業への打撃となり、日本側には農業の解体および労働市場の開放に伴う労働条件悪化のさらなる打撃を伴う。そしてASEANの農業も、輸出特化型への強引な転換の圧力が伴うだろう。ASEANの工業製品市場への打撃にもかかわらず、ASEAN側は技術移転や資本導入などを将来の利点として見込むということもあるだろうが、それらはすべて資本の利害の観点からのものだ。ここにはFTAの荒波に直撃される民衆の姿はいっさいない。経団連の方向性は、国内農業を犠牲にする多国籍企業の利害しかない。それもASEAN民衆を食い物にして展開するのである。しかし、農業を見れば、アメリカは自由化を唱えつつも、国内農業に手厚い支援を与えてきており、それを背景にする国際競争力によって他の国に市場開放を迫る。またEUはその予算の半分が農業保護に使われているのである。他方で、ASEAN農業が迫られるであろうプランテーション型農業は、その現実が示しているように、大資本経営の輸出特化型であり、現地農民の食糧自給すらも危うくしている。総じて、農業は、グローバリゼーションには向いていないのだ。
 最近のドイツでは、EUの東への拡大に伴い、ドイツ資本は、ドイツの労働者、労働組合に対して、工場の東方への移転か、それとも賃金切り下げを呑むかの二者択一を迫った。こうした資本の攻撃に有効に対処できなかった社民党シュレーダー政権は急激に支持率を落とした。このようなことがFTA、EPAを通じて日本労働者にもさらに激しくおそいかかってくることになろう。さらに労働市場開放の圧力もまた、現状のままではさらに労働条件切り下げの契機につながるだろう。FTA、EPAの将来像は、大資本主導のままでは民衆がさらなる新自由主義の荒々しい攻撃に直面させられる、という像だ。

将来の東アジア

 われわれは、東アジアの地域的統合を支持する。しかし、可能であり、必要とされる統合は、見てきたような将来像を必然化する大資本主導のものとは対極にある。その観点からまた、東アジア・サミットが底流においているアメリカからの脱却という方向性も支持する。いずれにしろアジアの地域統合と日本が進める日米同盟は現に鋭く矛盾しているのだ。東アジアの共通の平和、自立した安全保障の確立が必要なのである。
 この事実が日本支配階級に万力のように圧力を加えている。その焦点こそ対中国外交なのだ。
 将来の東アジアに関して、次のような予測がある。2020年における中国のGDPは世界の総GDPの20%を占め、アメリカ11%、日本5%をはるかに上回る。(OECD、「2年の世界」)
 こうした予測は、中国と経済力競争を行うのは無意味であることを示している。また、東アジア共同体評議会が正しくも指摘しているように、日本の周辺国化と停滞・萎縮という現実に直面していくことになる。昨年なくなった京都大学名誉教授の森島通夫さんは、90年代半ばから、こうした将来像を避けるために、東アジア、とりわけ、日中韓3国経済統合を強力に主張し、財界首脳にも直接説いてきた。さらに彼はその必要があるならば、日本は社会主義化すべきだとも主張した。日本経済の将来についての危機意識は、それほどに深かった。競争ではなく、協力が唯一の道である。
 その上で、現在及び今後の中国の国内矛盾が容易なものでないことを直視する時、われわれには、両国支配層とは独立した、民衆に根付く真実の協力のあり方を探る課題が課される。新たな左派はそこに国際展望を、民衆のの展望として構想しなければならない。
 そうした方向性の中で、大資本の利害のみを追求する現在のFTA構想と対抗する民衆側の視点、環境などの基本的生存権、公正な貿易、「渡り鳥」的な資本活動の制約、労働条件・賃金の適正な規定などの諸問題、さらには基本的人権の保障、民主主義の定着・確立などの各国民衆の共同の連帯した活動が求められる。すなわち、「もう1つの世界は可能だ」とする世界社会フォーラムのスローガンの東アジアにおける具体的実践が、民衆の東アジアを作り上げ、東アジア共同体を内実的に準備するものとなるだろう。
 
アメリカ
破局に陥った都市―ニューオーリンズ

            
ロバート・カルドウェル・ジュニア
 

 大都市ニューオーリンズの殆どの住民は、8月28日の土曜日までカトリーナの潜在的破壊力に気付いていなかった。その時からこのハリケーンが当地を襲うまで48時間もなかった。ニューオーリンズでは、猛威をふるう熱帯性の嵐は通常のことであり、ハリケーンは「母なる自然」の力を季節毎に思い起こさせるものだ。この街の住民として私は、これは果たして言い伝えられてきた「ビッグワン」であるのだろうかと常に推し測りながら、退避すべきか否かの選択に何度も直面してきた。
 ハリケーン、カトリーナは、ルイジアナの住民がこれまで経験したものの中で最悪の惨害となった。しかしこのひどい結末は、自然の行為であると同時にそれと同程度には、人間の無感覚が生み出したものでもある。
 世界が今見つめているように、調査のためにちょっと立ち寄るかのように人々はスーパードームに集められたが、そこで彼らが分かったことは、食料も水もあるいは適切な医療体制もない苦痛に満ちた不衛生な場所が自分達の場所だということだけだった。ひどい浸水地域の人達は、ヘリコプターによる吊り上げで救援されることを頼りとして、屋根の上まで逃げた。多くの人々が、屋根裏に閉じ込められて、あるいは救援を待ちながら命を落とした。その1方で数百人もの警官が、略奪から財産を守るために急派された。
 中心部のビジネス街と家屋の多くを含んで、少なくとも市の半分は海水面かそれ以下にある。通常の条件の下では、大量の排水ポンプが市内から雨水を排出する。しかし「正常な」条件の下でも、市の貧困地域は常に小規模な浸水にあってきた。都市の「自然」災害、社会的混乱、さらに都市計画(の欠如)に対して、ハリケーン、カトリーナが新たな教科書的典型となることは請け合いである以上、このような大災害の原因となった誤った政策の社会的側面の検証に着手することが重要だ。

優先順位の間違った方向付け

 ニューオーリンズは資本主義によって「発展を遅らされた」都市だ。社会サービスは慢性的に資金不足状態であり、一方勤労民衆は低賃金のサービス職頼り、そして彼らの子ども達は機能不全状態の公立学校に通わされている。
 かつての大きな港、70マイルに亘る石油化学の回廊、そして歴史的重要性、これらにもかかわらずこの都市は、第3世界のカリブ諸島のように、その生計を観光産業のおこぼれに頼ってきた。そうであれば、大統領ブッシュと議会によって、カトリーナの洪水が来るまでルイジアナのハリケーン対策が嘆かわしいほどに資金不足にされたことも、驚くことではないのかもしれない。
 洪水による水浸しからニューオーリンズを救うはずの設備が危機的状態にあることを説明した人達を、ブッシュと議会は無視した。2003年に行われた全米女性機構のビル・モイヤーのインタビューで、科学者のダニエル・ツベルトリングは、ハリケーン対策費用がイラクでの戦費支出のために削られたと述べた。
 今回議会は湾岸の援助に対して105億ドルを承認したが、しかし2004年にハリケーンに襲われた時フロリダは、160億ドルを受け取った。この総額を、イラク戦争の初年度に対して議会が充当した1620億ドルと対比してみて欲しい。
 ハリケーンのその時ルイジアナ州兵のほぼ半数は、州の外に派遣されていた。例えば2歩兵旅団の3000名のようにその何人もが、伝えられているように危険な高水位対策用装備と共にイラクにいた。

計画された破局が見せた人種と階級の力学

 ハリケーンの矢面に立った人々が貧しく黒人であったことは、CNNを見つめた全ての人には明白だ。これらの犠牲者の窮状はニューオーリンズにおける現にある人種と階級の不平等性を強調している。しかし以下の例もまた、合衆国内に長く存在している人種主義の別の側面を理解するためのレンズを提供する。
 貧しい人々はハリケーンに対して最も準備が不足していた。緑の党の候補者で元ブラックパンサーであったマリーク・ラヒムは説明する。「ハリケーンは月末に襲った。しかしこの時期は、貧しい者が最も脆くなっている時期なのだ。フードスタンプでは充分なだけは買えず、月の3週間分にしかならない。それで、月末には誰もが食料が尽きているのだ。現在彼らはフードスタンプを、あるいはどのような金も手に入れる方法が全くない。そうであれば彼らは、生き残るためにはできることは何でもやるしかないのだ」と。
 最貧困の人々は、移動手段も食料も金もないままに置かれていた。しかし、ハリケーン対策計画のどれにも、また連邦、州、さらに地方出先機関が行う最悪想定演習のどれ1つにも、彼らの退避に向けた準備が全く抜けて落ちていた。しかし災害計画当局は、ニューオーリンズの112、0人の人々は移動のための私的な手段をどのようなものでも全く持っていない、ということを知っているのだ。2003年に「タイムズ・ピカユン」紙は、カテゴリー5級のハリケーンに見まわれた場合この街区は殆ど死に直面するだろう、という5回連載を掲載していた。
 以前は事実上退避場所を提供した多くの公共施設(ニューオーリンズ大学の寮のように)は、今や自分達だけのために自活することを期待されている。つまりこれが、私有化と新自由主義イデオロギーの予期しない論理的発展であり、そして白人優位主義の継続なのだ。
 NBCの生放送された福祉コンサートの中で、ラップ歌手のケイン・ウェストは次ぎのように説明する。「ジョージ・ブッシュは黒人のことなど気にかけない」…「貧しいもの、黒人、豊かでない者をできるだけゆっくりと助けるために[アメリカは作られた]」と。確かにテュレイン病院(私立病院)は、慈善病院、地域設立精神病院、さらに患者が貧しい、圧倒的に黒人である病院よりはるかに先に退避できた。
 カトリーナは初めてのハリケーンではなかったし、ルイジアナを襲った初めての大洪水災害でもなかった。ハリケーン、ベスティーの際は、殆ど完全に貧困ライン以下の、99%が黒人の地域であったより低地の第9区は、隣の富裕な白人の山の手を「救う」ために意図的に水浸しにされた。
 制度上の政策は支配階級の利害を優先するが、それらの政策の別の面は支配階級のイデオロギーの仕出し屋―最もひどく痛めつけられている犠牲者、つまりアフリカ系アメリカ人を責める多くの労働者階級の白人を含んで―に向けられている。そして今度はそれが、現にある人種と階級の不平等性をより鋭いものとする。マリーク・ラヒムによれば、町を白人の自警団がパトロールしていたという。「ピックアップトラックに乗り込み、全員が武装し、彼らの共同体に所属していないと彼らが思う若い黒人を見つけた場合、彼を撃つ」のだという。

犠牲者に対する非難

 FEMA長官、ドン・ブラウンと支配的メディアの偏向の双方ともが、死者数の高さの「原因はかなりの程度事前の警告を気に留めなかった人々にあるようだ」と指し示す。ブラウンのコメントは、数十万の人々が避難しないという愚かな「選択」をした、とほのめかす。しかし現実は、ニューオーリンズ住民の数万人には退避命令を実行する手段がないということなのだ。
 市内の数万もの人々が助けを切に求めているのにもかかわらず、レポーターと右翼のインターネットの輪唱は、流すニュースと書き込み板を人種主義的な略奪の作り話で1杯にした。脚色と黒い人々の陰謀で満たされた略奪の無法性という話が、恐怖の中に未だ釘付けにされている何千という人々と彼らを地獄の中に留めている政治的決定から、焦点を逸らした物語を提供したのだ。当局者達は、緊張した傍観者達を命令の約束で慰めた。彼らは店を略奪から守るために軍の部隊を使うつもりだ、というわけだ。しかしそうすることによって彼らは、ただでさえ不足している資源を、その命は重要性が低いと彼らが考えた住民達の探し出しや救援や避難からほかへ移してしまったのだ。

精彩を欠く対応

 連邦出先機関の対応は余りに僅かであり、余りに遅かった。合衆国は飢饉や災害が襲った地域に人道救援物資を空から落とすという歴史を持っているのにもかかわらず、ヘリコプターが着陸できないために、あるいは敵対的銃撃の報告のために、物資が届けられないままになっているとメディアは報じていた。
 合衆国がイラクで爆弾を落とすために敵の銃火に対抗できる航空機を送ることができるとすれば、彼らがこの国の都市に物資を空から落とすことができない訳がない。しかし国土安全保障省長官のミッチェル・チャートフは、2000人あるいはそれ以上の人がコンベンションセンターで食料も水もない状態で不衛生な環境の中にいる、というNPRの現場レポーターの主張をあっさりと払いのけた。
 その後の報告は、15000―20000人がコンベンションセンターで死体と並んだ惨めな状況の中にいた、ということを確証している。ところがコンベンションセンターは、水の来ていない土地にあり、従ってヘリコプターの着陸という軍用輸送法で届けることが可能だったはずなのだ。
 市長のレイ・ナーギンはこの遅い対応に怒りを爆発させた。「それらはここにない。くそったれと言いたいほどに遅すぎる。もうけつを上げ、何かをやれ。そして、この国の歴史で最大級の呪われた危機を心に留めよう」と。

環境という引き金

 この惨害を注視するならば、環境の要素を無視することはできない。ニューオーリンズは多くの都市と同様に、危険にさらされた場所に築かれた。しかし、地球温暖化と海岸侵食という環境的問題がこの都市の危険性を悪化させてきた。
 ハリケーンがこの都市に近づく時、かつては湿地と湿原がその効果を遅らせる助けとなった。しかし侵食は、海岸の湿地と湿原のハリケーンの力を吸収する能力と程度を低くした。海岸侵食には2つの原因がある。
 1つは、デルタを形成したかつての豊かな川の細粒土が、今は浅瀬を外して深みへと直接導かれ続けていることだ。それは河川航行の容易化を考慮に入れた結果だ。第2は、石油並びに天然ガス採掘とパイプラインの必要のために建設された運河からの塩水侵入だ。
 地球温暖化は、死に結び付くほどのハリケーンシーズンの原因となってきた。「ボストングローブ」紙のコラムニスト、ロス・ゲルブスパンは、地球温暖化は「旱魃の長期化、より激しい豪雨、熱波回数の増大、さらにより激しい嵐を引き起こす」と説明している。カトリーナは、「南部フロリダをかすめた相対的には小さなハリケーンとして進み始めたが、メキシコ湾の相対的に熱い海水表面温度によって極度の強さで満たされた」。

結論

 ニューオーリンズが水浸しになっているときブッシュ政府はぶらぶらと時を過ごしていた。政府と議会は、基本的な予防的な施設を備えることに失敗し、適切に救援計画を整えることができず、その代わりに金持ちのための減税とイラクにおける戦費支出を選択した。これは1連のブッシュの失策の最後に連なるものであり、貧しい人々と黒人大衆に対するある種の「本土での戦争」のように、次第に募る住民感情によってそのように見られている。
 多くのハリケーン難民は正しくも見捨てられたと感じている。しかし支配階級は、カトリーナが襲うはるか以前からニューオーリンズを見捨てていた。人種主義、環境災害、そして社会計画を犠牲とした「市場」に対する資本主義的服従は、長い間ニューオーリンズの印となっていた。
 公共的資金は結局は僅かずつこの州に流れ始めるだろう。ホテル、カジノ、チェーンストア、さらにディズニーランドの開発が、痛切に必要とされる資金を対象に競争を繰り広げるだろう。そしてそれらは、ハリケーンの前に、その最中に、そしてその後に民衆が必要とするものに応えることのできないシステムを強化することに奉仕する。
 しかしニューオーリンズは、それとは違った精神で再建され得る。それは、環境的に持続可能な計画、公共的避難計画を含む、良質な大量交通施設、強化された公務労働システム、安定した結び付きのある職の創出、新たな公立学校、公共的医療システムへの刷新された投資、さらに参加型の住民評議会の育成、などと共にある精神だ。そして最後のものは、労働者階級、貧しい人々、さらに抑圧された者達の中での、新たな参加型の、急進的な民主主義にとっての保育器として機能するだろう。
 そして合衆国の民衆は、現在あるものの代わりとなる構想を下に援助できるだろう。第1に我々は、イラクに派遣された部隊を合衆国に戻すよう要求しなければならない。そして我々はこの撤退を、国民的優先性の焦点を、勤労民衆と被抑圧民衆の必要に焦点を当てたものへと、変革することにつなげなければならない。その手始めは、ニューオーリンズと合衆国南岸の基盤的施設の再建である。
注)筆者は、ニューオーリンズの第9区住民であり、緑の党と「ソリダリティー」で活動している。
(「インターナショナル・ビューポイント」電子板9月号・1部省略)
 
―ドイツ―
社会民主党(SPD)の危機と新たな「左翼党」

            
マヌエル・ケルナー


 5月22日のノルトライン・ウェストファリア州議選は、ドイツの政治情勢並びに特にドイツ社会民主主義における重大な転換点を記した。SPDは最後の領地(州政府)とそれ以上のものを失った。そこは、彼らが39年間も保持してきた伝統的な要塞だったのだ。
 SPDは初めて、ただ単に棄権によってだけではなく、保守派であるCDU(キリスト教民主同盟)によって票を失った。そしてこの党の候補者達はこの選挙の後、ノルトライン・ウェストファリア州(ジュッセルドルフを含むドイツ西部の伝統的な工業州―訳注)でCDUは「最大の労働者党」となった、と勝ち誇って宣言した。

混乱と新しい要素

 果たして我々は、29万人に達する元のSPD支持者が、CDUは彼らの利益の最良の防衛者だと本当に考えた、と信じるべきなのだろうか。全くそんなことはない。この現象はむしろ、絶望のある種の条件反射を意味している。
 CDUは事実上SPDと変わりのない計画を擁護している。彼らはSPDよりもさらに先まで、賃金労働者や失業者やその他の社会的権利侵害を進めたいと思っている。しかし、彼らが社会民主主義者「よりも有能」でないことがあろうか、というような議論は続き得る。この議論が意味することは、「彼らの方が経営者により近くはないのだろうか、そうであれば、より多くの生産投資、より少ない失業、さらに快適な1日と緊縮財政圧力の縮小を確実にする能力において彼らが足りないのだろうか」、というようなものだ。
 その1方SPDは長期にわたる期間の中で初めて、その左に現れた新たな政治勢力、社会問題を彼らの諸要求の前面に置いた勢力、にも票を奪われた。即ちそれこそ、「職と社会的公正のための選挙対案」(WASG)だ(本紙6月号3照―訳注)。
 この勢力は、自身を確立し、さらに必要な署名を集め、全ての選挙区に立候補者を揃えることに成功しただけではなく、2.2%の得票率を獲得することにも成功した。即ちこの新しい党にはおよそ18万人もの人々が投票したのだ。このうち6万人は5年前には棄権していた。そして5万人は元のSPD支持者だ。

SPDの沈下

 ノルトライン・ウェストファリアの選挙以降SPDは、連邦単位の世論調査で絶え間なく下降を続けてきた。そこで示された数字は、30%という想像上の壁の下方に固く貼り付けられ、最近では26%となっている(フォルサ調査)。この党はさらに党員をも失い続けている―数年前の90万人近くという数字を起点として、今では60万人以下に―。これらの数字が表す危機の深さを測るためには我々は、何10年も前に戻らなければならない。
 1958年ゴーデスベルクにおいてSPDは、マルクス主義に関わるものを全て排除し、資本主義に代わる社会構想としての社会主義を放棄する新しい綱領を採択した(ここで採択された綱領の中で社会主義は、単に「倫理的」な関わりとしてのみ現れている)。そこでの目的こそまさしく、伝説的に有名な30%という「ゲットー」から抜け出すことだった。
 実際に「同志潮流」が発展中であり、その頂点は1972年だった。その時SPDは45%以上を得票し、初めて多数党となった。ここに至る背景は、当時の資本主義社会において不可欠だった改良の必要性と結び付いた、60年代後半の反乱だった。SPD指導者、ウィリー・ブラントは、システム改良の必要性、新しい解放の精神の統合、さらにSPDの基盤である労働者階級に対する社会的支援に関わる利害を、同時に表現した。
 それこそ、労働者階級出身の青年に対する大学の開放、「オストポリティーク」(注1)、そして「もっと多くの民主主義に挑戦せよ」というスローガンに関わっていた(権威主義的で頑固で保守的な共和主義者であったコンラット・アデナウアーと彼の継承者を否定的に対照しつつ)。
 さらにそれは、50年代と60年代の経済拡張が増殖させた特定の感じ方に関わっていた。即ち、システムの限界に触れることなく、賃金労働者大衆の生活条件と運命を少しづつ絶え間なく改良することは可能のようだ、という感じ方である。これらの条件においてSPDは、かなりの数の被雇用者の精神(そして幻想)を表現し(しかし率直でないやり方で)、同時に新たな階層に向けて扉を開いた党としての役割を保護することができた。
 今日SPDは、再度30%という足かせの中に囚われたように見える。この党の下降は明らかに、停滞的かつ憂鬱な諸傾向を伴った下降する資本主義の要求を動機とした、新自由主義的転換の結果である。その転換以降ブルジョアジーは、利潤率低下に対抗するために、大規模な社会的退化、賃金切り下げ、労働条件劣悪化、その他を要求している。
 ゲルハルト・シュレーダーは、「新しい中道」票の獲得が必要だ、と語ってきた。しかし今回、新しい「中間」層の票は何かしら不安定な現象であることを明らかにしたが、その1方で、SPDの民衆的選挙基盤に起きている腐食はまさに明白だった。
 70年代前半、知的文化の世界は「左翼の側」に立っていた。そして右翼は後ろ向きであり、輝きがないと思われていた。しかし今日、愚行と逆行的な反啓蒙主義は新たな流行だ。その1方、社会的権利、賃金労働者と非抑圧者の利害の防衛に関わり、市場(利益、と読め)に抵抗する者は全て、「後ろ向きの保守派」とみなされている。
 大分以前には、SPDの基礎における政治生活は、労働者の精神を表現し、彼らの政治表現に一致していた。しかし長期にわたってこの党は退化し、今では政治的経歴を積み上げるための相互助け合い機構と成り果てた。
 労働者運動から出現した党としてのSPDの特性を保つ残されたねじは、労働組合機構とその指導部との結びつきしかない。しかしその結び付きも今では全く不確かなものとなっている。他の人々と共にWASGを発進させた者達こそ、その労組(中でも、IGメタル―機械金属産別労組―並びにベルディ―最大のサービス産別労組―)の中間機構の人々なのだ。そして労組指導部の多数は、SPDとのつながりをスムーズとはとても言えない形で維持しているとはいえ、彼らの下部のこの動きを大目に見ている。

新しい「左翼党」に向けて

 新「左翼党」―どのような速さであろうと現在の形で形成途上の―はある程度は、議会の信任投票での自身の敗北を自ら組織することで、総選挙前倒しを追求したゲルハルト・シュレーダーが生み出したものである。
 ノルトライン・ウェストファリアでの敗北の後シュレーダーは、何事も起らなくとも首相を続ける気がなかったが、とはいえさらに辞任する気もなかった。彼が望んだことは、社会的抗議と党内での批判の新たな波を早期に断ち切ることであり、さらにSPDの左に立つ新党の形成をより難しくすることであった。しかしこれら全てのみごとな計算は、十分な結果に結び付いているようには見えない。
 社会的抵抗は既に自ら組織し始めている。この側面では、6月末エルフルトで開催されるドイツ社会フォーラムが重要となる。SPD内部の批判は成長中だ。その1方新「左翼党」は、例え未だ公式的に存在している訳ではないとはいえ、世論調査の中では体系的に位置を高め、投票意思のある者の中で今や11%の支持に達している。
 既にSPD指導部が行動を起こし、シュレーダーは「彼の政策」、例えばアジェンダ2をもはや提起できない。彼は、「富裕層」に対する象徴的な課税や、ハルツ計画に含まれたある程度の行き過ぎの修正(例えば、何十年も働いた労働者に対する失業手当支給期間上乗せの再導入、その他)を含む、政策構想の修正を強制されることになった。
 オスカー・ラフォンティーヌ(注2)―ノルトライン・ウェストファリアでの地方大会に先立つ2週間前にWASGに合流し、連邦議会選挙に向けた州の候補者名簿(注3)の首位に選出された―に次いで、SPDでは2番目に知られた人物、バーデン・ビュルテンブルクのウルリッヒ・マウラーが先頃、WASGさらに新党「左翼党」に合流した。35年間にわたってSPD党員であり、長年地方議員を務めてきたウルリッヒ・マウラーは、バーデン・ビュルテンブルクではSPDの最高指導者だった。
 世論調査における新党の位置が上がる程度に応じて、彼の例に続く他の党員が出てくるだろう。その上WASGは今や、日毎に150人の党員を獲得し、つい最近党員7000人という制度的敷居を越えた。
 そして、連邦議員選挙を共に闘うためのWASGとPDS(民主社会主義党、旧東ドイツ政権党の後継政党―訳注)の連携という発表が、ある種の希望の波と、熱狂すらをも巻き起こした。先週末のドルトムントにおける小さなドイツ共産党(DKP)の祭りには、PDS、WASG、アタック、ドイツ社会フォーラムの代表、そしてもちろんDKP党首のハインツ・シュテアが参加した。
 後者は、彼の党としては今年中に生み出される可能性のある新党に参加するつもりはないが、選挙の連合は支援したい、と明らかにした。上述した連合は、法律上の理由で公式的には、PDSの「開かれた候補者名簿」として機能するだろう。というのもPDSとWASGの指導部が、シュレーダーが物事を早めたことに応じた総選挙に必要な速さでの新党創出は不可能、と感じているからだ。しかしながらPDSはその党名を「リンクスパルタイ」(左翼党)に変えるだろう(事実そうなった―訳注)。
 これが1つの連合に帰着することは極めてはっきりしている。そしてそれが事実上そのように振舞うことにあらゆる者が関心を寄せている。ノルトライン・ウェストファリア州議選では、大規模に「投資」したPDSに比べて、はるかに少ない予算しか準備しなかった新参のWASGが2.2%を得票し、1方PDSは0.9%でしかなかった。このことを前提としたときPDS指導部には、以下のことが極めて鮮明となった。即ち、西で彼らの党が突破を果たすことがもはや期待できず、SPDの左に選挙上の具体的な突破を果たす可能性はWASGに体現されている、ということだ。
 そうであれば、これは現実には1つの連合―その主要な部分を、東ではPDSに、西ではWASGにおく―に帰着する、ということを認識しないいかなる振る舞いも、PDSを彼ら自身の「ゲットー」に閉じ込める危険をおかすことになる。しかしその時、ラフォンティーヌとPDS指導者のグレゴール・ギジに率いられたこの左翼党は、その始めから極めて「右派的」とならないのだろうか。

反資本主義的発展への挑戦

 確かに、新しい勢力の綱領と姿は反資本主義的ではないだろう。その基礎を成す理念はケインズ主義であり、国際主義的観念の欠如は既に民族主義的保護主義への偏向(東ヨーロッパから移住してくる安い労働力への反対)に明白だ。
 この勢力内部で、革命的かつ反資本主義的左翼は思想潮流としての彼らの議論を強化しなければならないだろう。彼らは、賃金労働者と排除された者達の利害に関わる具体的な要求を前に進め、戦略論争を主導し、また、社会的最低基準と賃金の引き上げ、賃金削減なしの時短、軍事的冒険ではなく社会的目的への資金投入、さらに良質の社会サービス、その他を要求する全ヨーロッパ的な運動から始めつつ、国際行動と国際路線に向けた主張を展開しなければならないだろう。
 WASGの指導的個人がPDSのそのような人物よりも「左翼側に」立つ、ということを示すものが例え全くないとしても、次のことは現時点で十分にはっきりしているように見える。即ち、新たな「左翼党」は、左に向かう傾向を表現していること、さらにそれが社会的抵抗を勇気付け、PDS指導部が地方でSPDとの連立政権政策を推し進めることをより困難にしている、ということだ。
 ギジが連邦段階で連立政権を作るという疑念に根拠はないと語った理由こそ、そこにある。しかしながら彼は数日後、「変革された」SPD、「新自由主義の」シュレーダーが実権を握ることのないSPDとの連立の可能性はあり得る、と付け加えた(「シュテルン」紙において)。これら全てが示すことは、この新党において反資本主義左翼が自身の声が聞き届けられるようにしなければならない、ということだ。この党は中期的には、その進展の中で改造という道筋を十分に取りうるのだ。
注1) 東ドイツ並びに他のソビエト諸国との対話を開始した政策。
注2) オスカー・ラフォンティーヌは以前は、SPDの主な指導者の1人。
注3) ドイツの選挙制度によれば、議会で議席を得るためには、党は全国で5%という得票の敷居を越えることを要求される。WASGは最近になって西ドイツに生まれたばかりである。1方東ドイツでは、社会民主主義の左で政治的領域を占めている勢力はPDSだ。これら両者とも、全国で得票障壁を越える確実性を持っていない。総選挙が9月に予定されているとしてもそれ以前に両者が合同できる可能性はない。それ故PDSは彼らの候補者名簿をWASGに開放することを提案し、西で名簿の構成を決定する党はWASGという原則を受け容れた。
著者紹介
筆者は月刊紙『社会主義新聞』の共同編集者の1人。第4インターナショナルに加盟するドイツの2つの組織の内の1つである「国際主義的社会主義左翼」(ISL)の協力者でもある。
(「インターナショナル・ビューポイント」電子版7・8月号)
 
ロンドンでの爆弾「テロ」に対する二つの声明

レスペクトを代表する声明
  ジョージ・ギャロウェイ

 我々は、今日命を落とした人々の家族と彼らが愛した人達に対して哀悼をささげると共に、ロンドンにおける爆弾の破裂で傷を負った全ての人々に心からの同情を表明する。日々の生活に赴こうとしていた勤労民衆に狙いを定めた暴力行為を大目に見ることは誰であっても決してできない。被害にあった人々は、政府の決定には一度たりとも関係していなかった。それだけではなく、それらの決定に責任もない。彼らは完全に無実である。彼らを殺害し、傷つけた者を我々は厳しく非難する。
 この国においてであれイラクにおいてであれ、無実の生命が消されるようなことは、近年になって安全と平和が失われるようになった、まさにこの世界が生み出したものである。
 我々の世界からこのような暴力の原因を取り除くために、我々は休むことなく努力してきた。アフガニスタンとイラクに対する攻撃はイギリスにおけるテロ攻撃の脅威を高める、と我々は主張した。そしてその主張は、この国の安全保障機関の見解でもあった。しかし悲劇的なことに、ロンドン住民がそのような警告を無視した政府の対価を支払うことになった。
 我々は、この国の民衆を蔽う危険を取り除くように、政府に要求する。その手本はスペイン政府の行動であり、その手段は、イラク占領を終わらせることと、その代わりに、中東におけるより広範な対立に対する実のある解決を発展させることに全面的に注意を注ぐことだ。
 ただその時にのみ、この国であれ外国であれ無実の人々は、不必要な暴力の脅威から開放された生活を享受できる。


ヨーロッパ左翼党議長、ファウスト・ベルティノッティの新聞声明

 「ロンドンで起きたことは、野蛮な凶行である。平和を愛する民衆が動員されなければならない」。
 再度暴力が世界を壊しつつある。あらゆる場所、あらゆる都市、あらゆる国が荒廃と死の舞台となりうるし、実際なっている。
 あらゆる民族グループ、あらゆる年齢、あらゆる条件の女性と男性は、彼ら各々の罪のない生活が破壊されるのを目にしようとしている。これは野蛮に満ちた暴虐だ。今日テロリズムがロンドンと世界をひっくり返しつつある。そのぞっとするような背景にあるものは、戦争とテロリズムの螺旋だ。それら双方ともが人間性に対する敵である。
 先週土曜日、エジンバラでは白い腕輪をまとった大きな行進が、貧困と戦争に反対して平和的かつ非暴力の言葉を発した。今こそ反戦運動は、戦争とテロリズムに反対する全世界的な決起において要となる運動とならなければならない。民衆だけがこの恐るべき暴力を止めることができるのだ。
注一) ファウスト・ベルティノッティは、イタリア共産主義再建党書記長。
ジョージ・ギャロウェイは、労働党の左側に昨年創立されたイギリスの新たな左翼党、レスペクトの、ベスナル・グリーンとボウ選挙区から今年選出された下院議員。
(「インターナショナル・ビューポイント」電子版七・八月号)

 
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