2005年11月10日        労働者の力             第 188号

 
米軍の世界的再配置と日米同盟の変質
狙いはアジア太平洋全域での共同軍事行動


川端 康夫

米軍再配置の概要

 全世界的に進められている米軍の再配置(トランスフォーメーション)は、その特徴として、第1に、重装備軍から軽装備・高速機動部隊への転換、第2に、在日、在韓米軍の北方重視から南方重視への転換が上げられるが、同時に第3として、日米両軍の全面的な共同作戦行動への移行が進められるものとなっている。
 米太平洋軍のカバーエリアは広い。米西海岸から太平洋、インド洋、中東、アフリカ東海岸まで。米国が「不安定の弧」と呼ぶこの地域に加えて、潜在的脅威とみなす中国がある。米戦略の重点は欧州方面からアジア太平洋へとシフトしていく。嘉手納基地の最も重要な機能は空中給油機能である。KC135空中給油機が15機常駐。滞空時間を飛躍的に延ばす空中給油は、戦術の幅を大きく広げる。同基地を離陸後、韓国との国境周辺上空で、待ち受けた在韓米軍機に給油する訓練が日常的に行われている。在韓米軍と在日米軍の垣根は、今やないのである。韓国では、再配置に伴う在韓米軍の自由行動枠の拡大に対して警戒心が広がっている。つまり、台湾海峡紛争に在韓米軍が出動するという可能性に対しての警戒である。この様な観点は日本政府からは少しも聞えてこない。
 米軍再編と在日米軍のかかわりは、米西海岸ワシントン州から陸軍第1軍団司令部を神奈川県のキャンプ座間(座間、相模原市)へ移転、東京・横田基地の日米共同使用。西太平洋に原子力空母が追加配備され、ハワイが母港となる。横須賀を母港とする空母キィティー・ホークの退役に伴い、新たに原子力空母を配備する。グアムには原子力潜水艦が昨年末に1隻追加され計3隻体制になった。米海軍第7艦隊が大幅に補強されるのである。
 再編に伴う日米協議の中で、沖縄海兵隊の1部グアム移転、神奈川県の横須賀港を母港とする空母の艦載機が離着陸訓練を実施する厚木基地(綾瀬、大和市)の機能移転―の2つは、住民との摩擦を軽減するいわば駐留の安定化措置とされている。だが移動先は岩国だ。問題を移し替えるだけである。

日米両軍の関係―空洞化する「極東条項」

 「仮に米本土から(広域を担う)司令部が来ても、日本の安全のためであれば何ら問題がないのではないか」。昨年10月20日の参院予算委員会で、大野功統防衛庁長官は、日米安保条約の「極東条項」解釈を否定する重大発言をした。  発言は与野党に波紋を広げ、政府内でも問題視され、翌日の同じ委員会で「説明が不十分だった」と修正に追い込まれた。しかし、この発言はまさに本音であった。当初、外務省は、座間への第1軍団司令部移動にかなり抵抗した。つまり、「極東条項」に触れるという解釈であった。だが外務省主流の抵抗は、小泉の柔軟に考えようという一言でもろくも潰えた。
 キャンプ座間への移転が浮上した米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)は、朝鮮半島・台湾海峡など極東有事にとどまらず、地球の半分に対処する司令部である。1方、「極東」の範囲は「フィリピン以北の台湾や韓国を含む日本周辺」が政府の統一見解である。これは明らかに対立する。大野発言は、政治的に労力もリスクも少ない運用解釈で切り抜けようとすることであり、小泉の方針でもある。
 「極東」は、1960年の安保条約改定の前後から与野党の激烈な論争の的となってきた。だが、自民党国防部会などで、第1軍団司令部の移転を容認する勢力は、「今だって日本からイラク戦争に行っているのだから、第1軍団司令部移転も許される」(中谷元・元防衛庁長官)。
 まさに、米軍再配置は、日本自衛隊が、今まで掲げてきた「専守防衛」論を放棄し、自ら米軍と共に戦争行動に踏切ることが出来る体制の整備なのだ。

再配置と普天間基地問題

 1996年の安保共同宣言では、日米両首脳が在沖米軍基地の整理・縮小の方向性を確認。その後、日米特別行動委員会(SACO)最終報告で普天間飛行場の返還が合意されたが、いまだに実現していない。
 保守系の稲嶺知事は、普天間飛行場など米軍基地の整理・縮小を、県内移設で進める日米特別行動委員会(SACO)合意を「あくまでも順守」してきた。だが、「米軍再編はSACO合意の枠を大幅に超える」と判断、独自に米軍再編への「県案」を作成した。兵力の大部分を占める海兵隊の県外移転という保守県政としては異例の方針を打ち出したのだ。
 米軍再編に伴う日米協議が決着した。普天間飛行場は新たな移設先が決まったが、県が求めた「県外移転」は一顧だにされなかった。
 しかも、在日米軍の再編に関する中間報告をめぐり、最大の負担軽減策となる沖縄の海兵隊の7000人削減について、米政府は、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設の実現を条件とした。普天間の辺野古崎への移転がなければ、第3海兵遠征軍司令部など在沖海兵隊7000人のグアムなどへの移転もないというのだ。沖縄県の稲嶺恵1知事は名護市辺野古崎への移設案を拒否する意向を表明しており、政府は来年3月に予定される最終報告に向け、強引な「説明」を始めている。さらに、ブッシュは記者会見において、日米協議の結論には今後共に変更がないと言明した。
 米日両政府が勝手に合意し、それを「変更がない」と言いきる―これが民主主義を標榜する両国家の「民主主義」なのだ。こうした日米協議がまかり通ることを許してはならない。明らかに憲法改悪の先き取りである。
(11月9日)
 
 三里塚管制塔元被告連帯基金、目標達成
さあ、受取れ!1億300万円の熱い魂だ
         11月11日に決行
          

 法務省・法務局が強行した管制塔元被告への1億円損害賠償請求に対し、この8月に正式に呼びかけられた管制塔被告支援基金カンパ運動は、目標日時とした10月末日の直前、目標額である1億300万円を突破した。その後もカンパは送られ続けている。
 元被告団と廃港要求宣言の会や三里塚闘争に連帯する会や支援党派などは、この1億300万円を11月11日(金)、12時に皇居前和田倉噴水公園に大結集し、「怒りの結晶を一緒に叩きつけ」(11・11集会呼びかけチラシより)に行くこととなった。管制塔被告と連帯しようとする全国の広範な運動は、瞬く間に、、そして急激に、まさに大方の予想もしないスピードで拡大した。そのリアルタイムの数字は、管制塔被告連帯サイトに報じられ、10月31日の集計打切りまでの数字を今でも見ることが出来る。27年の時を超えて、三里塚闘争に結集した人々を再び結び合わせ、さらにまた新たな仲間たちを全国で連帯の輪に加え、怒濤の勢いの連帯カンパ運動が展開されたのだ。
 この元管制塔被告への損倍攻撃は、明らかに小泉の意識的な攻撃だ。空港会社や国土交通省などが、元江藤運輸大臣が土下座し、反対同盟との「和解」の実現をめざした三里塚円卓会議での合意があった、損害賠償請求の不履行という方向性そのものを小泉は、時効直前になって覆し、元被告への第3債務者差し押えという強硬手段に出たのだ。勝ち組社会を推進し、民衆からの大収奪で財政再建を行おうとする小泉は、三里塚という歴史的な大衆的反対闘争との「妥協」を絶対に許容できないのだ。
 小泉の下で、自民党は結党60周年大会を開き、その場で、小泉「改革」を明治維新、戦後改革に続く第3の改革という歴史的位置づけを行おうとしている。このあまりにも自分勝手な位置づけは、小選挙区制という選挙制度上に生れた衆院3分の2議席を背景にするものだが、同時に小泉の下にひれ伏す自民党という、極めて異例の党体制を作り出した。小泉の基本姿勢は、民衆の抵抗、対抗に対する非妥協的攻撃である。その政策は、決して改革ではない。骨の髄までの民衆への攻撃である。郵政民営化の強行に始る小泉改革は、次の手始めとしての公務労働者への全般的攻撃に始り、サラリーマン課税を強行し、そしてこうした労働者層にたいしてプチブル層の意識を敵対化させる手法を強めるであろう。憲法改悪から教育基本法改悪なども政治日程にのぼっている。まさに自民党のいう「第3の改革」こそ、民衆を徹底的に切り捨てる、新たな時代の自民党の大攻撃にほかならない。
 こうした小泉の全面攻勢にたいする、まさに闘う側の全面的反撃、その突破口を管制塔被告連帯基金運動が切り開いたのだ。まさに11・11集会呼びかけがいう「我々は再び不可能を可能にした」との勝利の雄叫びは、小泉が始めた民衆への総攻撃を正面から迎え撃ち、その総体をうち砕く意思を現しているのだ。
 被告団そして連帯した支援団体は、11日の夜に大勝利報告集会をも予定している。当日、集会会場は超満員で溢れかえるものとなっているだろう。
 管制塔被告連帯基金の勝利が小泉内閣と対決する民衆の大闘争の突破口となるべく、共に奮闘しよう。(11月9日。K)
 
 
    -新自由主義に抗する労働者運動への模索-
寄稿
解雇をめぐる労働相談の現状と課題

         
宮城合同労働組合執行委員長 星野憲太郎        

 ―新自由主義の攻撃に対する労働者の組織的抵抗が後退する中、合同労組やユニオンによる個人労働相談が各地で取組まれている。生活破壊と個人の尊厳破壊に苦しむ労働者の現状と闘いの課題を示すその実情を、今回寄稿していただいた。

反失業の闘いとして始まった個人労働相談活動

宮城合同労働組合は1964年の結成で、今年9月に第45回定期大会を開催した。半世紀近い運動経験を持つ古参の合同労組であり、良く言えば防御が堅い、しかし古参労組特有の閉鎖的体質が抜ききれていないと感じている。我々はその名のとおり、結成当初から個人加盟の利点を生かす事のできる合同労組であったが、本部オルグが中小零細職場に乗り込んで団交を指揮するなど、単1労組の利点が生かされたものの、個人加入の利点を生かした活動は長い間行われてこなかった。個人を対象に労働相談を始めたのは宮城全労協を準備した時期、反失業闘争の1環として1990年代に入ってからである。
先ず、労働相談センターの名前で専用電話を宮城全労協準備会の事務所に設置した。そして全国1斉労働相談キャンペーンと日程を合わせてチラシを配布し、テレビ局に取材依頼したりして宣伝を始めた。相談といえば組合結成、争議といえば春闘ストライキと倒産それに不当労働行為しか経験のない相談員ができることは、相手の話しを真面目に聞くことに尽きた。開設にあわせて労働法の定期学習会をやり始めたが、誰かが「かえって頭が固くなって対処がヘタになるのではないか、実践をやりながら必要な学習をやろう」と、もっともらしい提案を行ったので定期学習会はそこで打ち切りとなった。
現在、宮城合同労組に月15件位の電話相談が寄せられている。大部分電話だけで終了しているが、交渉が必要だったり文書が必要だったりする場合には、なるべく早く面会することにしている。特に解雇の場合は対処が遅れると打つ手が狭まるので夜でも休日でも相談する体制を取っている。相談内容については全国各地のユニオンとあまり変わらないと思うが、全国で急増している外国人労働者からの相談は少ない。1つ接点ができると対処しきれないくらい相談が増えるだろう。相談体制も含めて今後の課題となりそうだ。
次に最近の相談の状況について幾つか述べる。相談は職場の団結が難しい状況から個人単位の闘いとなる。どうしても法律を武器に権利を守ることに力点が置かれる。そこで法律の動向に十分注意しながら闘ってきた。

解雇、雇い止めとの闘い

(1)整理解雇
倒産や夜逃げに対しては労働債権の確保、また支店など事業所閉鎖に対しては可能な限り雇用確保の取り組みを行ってきたし、現在進行中のものもある。前者の倒産や夜逃げではサービス業、製造業、運送業の何件かについて労働福祉事業団の未払い賃金の立替払制度を利用して未払い賃金・退職金を確保した。失業者の支部を結成して先ず団体交渉を申し入れ、未払い賃金を書面で確認することから始めた。夜逃げに対しては賃金台帳、労働者名簿を押さえる行動をとった。給付を待ちこがれる労働者に対し労基署のペースは遅い。何度も足を運び状況を確認しながら認定にこぎつけ、いずれの場合も1年程度かかって給付となり、立替払い金が組合員1人1人の通帳に振込まれた。時間と忍耐が要るが、それでもこの制度は貴重であり、制度廃止の動きに対しては闘う必要がある。後者は、地方支店の廃止や赤字部門の縮小を理由とする退職勧奨や解雇であり、雇用確保の立場から団体交渉を申し入れてきた。団交を繰り返し金銭解決した事例が大部分だが、決裂して仮処分や本訴となることも想定して、裁判所でも通用する中味の不当解雇の主張を行うべきである。また金銭解決の際にはサービス残業があれば未払い賃金として請求し、また残業手当が支払われている場合でも計算基礎に職責手当など当然含めるべき諸手当が含まれてないことが多くあるので必ずチェックする。これに加えて債権とまでは言えないが、1時金・賞与の日割分と年次有給休暇残分の買取りを要求する。これらもほとんどの場合、解決金に加算させた。

(2)勤務成績不良を理由とした解雇
1方、「能力不足」を理由にした解雇がこのところ多くなった。これは個別労働契約の増加と関係が深いと思われる。また民間の就職斡旋事業の伸張とも関係がある。リクルートの求人票をみると、ハローワークのものが労働条件にほぼ限定しているのに対し、労働条件とは別に使用者の事業目標と使用者が労働者に要求する生産能力が具体的に挙げられている。使用者はこれらを労働契約の内容とみることになる。成果を上げないと債務不履行とみなす。その結果、成績不良を理由に簡単に解雇する。請負契約の解除とあまり変わらない。ハローワークの民営化ともなれば、成果目標達成が雇用の前提とされる労働契約が1挙に増大するであろう。勤務成績不良を理由とした解雇を団体交渉で解決できない場合、ひどすぎる懲戒解雇も同じだが地位保全の仮処分の申し立てを行うことが多い。整理解雇の成否が経営上の必要性で判定されてしまう傾向に比較して、成績不良がきわめて著しい場合でも、指導・教育訓練を尽くしたか、配転など解雇回避努力を行ったかが判定材料とされるので比較的闘いやすい。裁判は勝訴または勝利和解をかちとってきた。しかしヘッドハンティングで採用された場合などの地位特定社員、専門性を評価されて採用された専門職社員については「企業の期待に反した場合、解雇しても解雇権の濫用に当らない」とする確定判決がかなり出てきて定説化されてきており、これが1般職に拡大しかねないので今後注意を要する。

(3)非正規・有期雇用の解雇、雇い止め
相談は雇い止めに関してのものばかりではなく、契約期間内の解雇も多い。しかし雇用継続を要求する相談はほとんど無く、予告手当の不支給や離職票の離職理由を労働者の意思にされてしまったことに対するものが大多数を占めている。大分前までは非正規・有期雇用といえばパートタイマーのことであり主婦の短時間労働のことであり職種も小売業の販売員などに限定されていた。使用者もパートタイマーを補助戦力として雇用し、パートタイマーは人事考課の対象外であり、よほどのことがない限り契約期間を意識されることもなく反復雇用され続けた。しかし近年の状況はそうではない。企業は主戦力についても年齢性別に関係なく非正規・有期雇用にどんどん切り替え、人事考課を適用して成績が悪いとみれば簡単に解雇・雇い止めを行い、あるいは契約期間中に「来期は延長しないから次の仕事を見つけなさい」と突きつけ、精神的打撃を与えて期限より早めに退職に追い込む。さらに派遣社員となると働き続ける権利はなしに等しい。例を出せば、派遣先企業が派遣元の人材会社に戦力外通告すると人材会社は労働者に対し新たに県外の派遣先を提示して退職に追い込む。こうした事例が今年3件あった。大手・中堅企業の正規労働者の場合、首切り目的で遠隔地への配転命令を下すことがよくあるが、大手の人材会社は時給900円程度、住宅手当の契約無しの派遣労働者の首切りに遠隔地への配転を使っている。
全国のユニオンの闘いでも非正規・有期雇用労働者に対する権利防衛の闘いの困難性をよく聞く。我々も状況は同じで、雇用を守りきれたケースは少ない。
しかし雇い止めの相談をとおして製造業で支部を結成したこともあり、やり方に工夫をこらし、また各地の経験を取り入れ、権利防衛の闘いを繰りひろげていきたい。

解雇に対する行政・司法の動向

労働基準法は18条に第2項を追加し「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」となった。小泉首相は、就任直後から、「解雇しやすくすれば、企業は安心してもっと人を雇う」という小泉的発想で、解雇ルールの生成を打ち出していた。政府案は「解雇することができる」という原則の明記、これに日弁連他の反対意見は労基法の主旨である禁止規定及び最高裁判決の原文遵守。白熱した攻防を経て18条の2が2004年4月施行された。
では労働局、労基署の実務はどうか。相談窓口は相変わらず「不当解雇の争いは民事のレベル」とだけ説明して終わりにしている。むしろ以前よりも言明を避ける態度が目につく。
1方、金銭解決制度の導入は経団連の要請により労基法に組入れる準備が本格的に開始された。裁判所が「復職困難」などの要件を認めれば金銭の支払いで解雇できることになる。今でも解雇無効の仮処分では初回の審尋から金銭和解の打診が行われる。最初から本訴で始めても、書面による弁論が終る時点で和解が入る。蹴ればいいのだが、そうすると「非常識」の心象を与えてしまうので一旦は和解を受け入れることにしている。支店閉鎖による解雇の和解で仙台地裁の裁判官が、原告組合員の要求を聞かないまま被告会社との間で和解金額を決めて強力に指揮した事例もある。また、宮城県地方労働委員会の個別労使紛争処理のあっせんは2004年度に17件を扱い、全て金銭解決で終了したと聞いている。つまり司法と行政の場で金銭解決制度の実績が長年培われてきたと言ってよい。この実績を労基法に明記することにより新設されたばかりの解雇権濫用禁止規定(18条の2)の意義を消滅させようとしている。

年収200万時代と労働相談

中高年リストラの勢いは衰えていない。退職勧奨を受けている中高年労働者にたいしては、頑張り続けられるように時々飲食の場を設けたりして話し込むことにしている。退職金を上乗せして退職しても仕事がない。仙台圏はまだましだが、他の市町村では若年層でも就職口が少ない。再就職先がなく、やっとたどり着いても年収200万程度しかも非正規・雇用ばかりだから、本人も相談員も何とかいじめをはね返して、企業に居残る方策を考える。
これだけ非正規・雇用が職場に増えると企業の側の正規労働者に対する風当たりが強くなる。3年勤務してきて突如労働契約書を作るといわれて署名したら、1年契約と書き込まれていた事例の相談があり、すぐさま錯誤無効を主張した文書と定年60歳を規定した就業規則の優先を主張した文書を提出した。労基署の見解では、これが採用時の労働契約であれば、その他は就業規則が生きるとしても1年契約が生きることもあるとされている。
サービス残業は企業が強引なリストラで人員縮小した結果、増加してきた。正規社員4名、非正規社員2名の事業所で労基法41条(管理監督者)を根拠に正規4名全員を非正規2名の管理監督にあたる立場のものと強弁してサービス残業させサービス休日出勤させるケースがあり相談を受け、労基署と協力し是正させた。残業手当がないと正規でも県内の若年層は年収200万程度であり、非正規の水準と変わらない。
では、年収200万時代を迎えて賃上げ要求の相談、組合結成の相談があったか。賃下げに対する相談はあるが、「何年働いても賃金が変わらないから相談したい」というケースは未だにない。しかし、宮城合同労組各支部の若い組合員からは日常的に低賃金に対する不満が出されており、わずかな賃上げ原資の配分を厚くするなどそれなりに対処してきた。未組織職場の若年層は転職に活路を見出しているのが現状だ。

今後の課題

あれこれの時代的要因や労働者の意識の変化があったとしても、労働運動の後退が職場の団結基盤を崩壊させた結果、個人労働相談の必要性が高まってきたと言える。だとすれば、各地域の労働相談活動をより強化し全国につなげ、資本主義の横暴に対抗する社会的運動に押し上げなければならないと思っている。
 

 ブラジル左翼
課せられた試練
―以下に紹介する情報の多くと引用文は、10月14日付けでオルタナティブ通信社、カルタ・モイアーから発信されたベレナ・グラスによる論考から引いた。また後掲したラウル・ポントに対するインタビューは、第2ラウンド(本文3照―訳注)の始めにカルタ・モイアーによって発信された(IV編集部)―

労働者党(PT)委員長選で左派候補僅差敗北

伯仲した力関係


 PT指導部選挙に立候補した左派候補は、党委員長を僅か3・2%の差で逃した。10月13日に発表された選挙第2ラウンドの公式最終結果によると、元ポルト・アレグレ市長で社会主義的民主主義潮流(第4インターナショナルブラジル支部)のメンバーである委員長候補、ラウル・ポントの得票率は48・4%だった。
 1方、党多数派陣営の候補者であり、ルーラ大統領に近いリカルド・ベルゾイニは、5・6%の得票率。しかし投票した党員数は総計で228、175人、党員総数の30%を僅かに越えたに過ぎなかった。
 第2ラウンドでラウル・ポントを支持した様々な左派諸潮流は今、将来の党執行部の構成を多数派陣営と交渉中だ。ベルゾイニは、2003年に紛糾を引き起こした年金改革をルーラ政府が押し通したときの年金相だった。その彼は新たな執行部について、PT諸潮流全てが代表されていると感じることのできる「統一を体現する執行部」を実現したいと語った。これによって、単一の声による党の支配という形と手を切り、2006年におけるルーラ再選への挑戦に向けPTを準備できる、と彼は信じている。
 ラウル・ポントもまた、PT内の新たな勢力関係を指摘する。彼は、ベルゾイニの勝利が僅差であったこと、さらに新全国指導部において多数派陣営が最大割り当てを占めるとはいえ、全部を合わせれば、81人の全国執行委員中41人は反対派から選出されるという事実を示す。「これは我々に、指導性における新たな正統性を与えている」、と彼は語った。同時にしかしながら彼は、書記長職を彼にというベルゾイニからの申し出を受けるべきか否かについて、彼と彼の支持者での討論はまだ行われていない、とも付け加えた。

路線転換への左派の挑戦

 不法な党資金支出と議会における政治的腐敗に関する破壊的な嫌疑の後ではまさに、PTが今どのような方向を採択すべきかが、12月に予定された党の全国会合において中心に置かれている。自身は銀行労働組合指導者であったベルゾイニは、新たな党代表として、「労働者の諸闘争、国家主権、さらに基本的諸権利享受の民主化に原理的に結び付いた新しい道」を発展させたい、と力説している。「明確な左派」潮流指導者であり、指導部選挙第1ラウンドでは僅差でラウル・ポントに遅れを取り、第2ラウンドでラウルを支持したバルター・ポマールはしかし、過去3年のような政策が続くのであれば、我々は200年の選挙に勝つことはできない、と語っている。
 1方ラウル・ポント自身は、党がもし民衆階級内部の伝統的支持者を当てにするつもりなら、最低賃金、年金、さらに所得税などの1連の問題について政策を変化させることが必要になる、と強調する。「合図がなければならない。来年(選挙の年)以前に我々があらゆる問題の解決に手を着ける、ということはできない。しかし、政府が足場を置いている側について明確な合図を送ること、政府が約束した構想の前進を追求中であること、それが基本だ」、と彼は語る。
 彼の敗北は既定のこと、と見られていたもっと早い時点で発表されたコミュニケの中では、ラウル・ポントはもっと踏み込んで詳しく述べていた。彼は以下のように書いた。「結果がどうであれ我々は、今までと同じ旗と同じ理念を掲げ続ける。即ちそれはPTにとって必要なこととして、我々の政府からの自律性であり、民衆多数が抱える問題へのPTの関与を回復し、我々の構想の再選を可能とする経済的社会的発展の綱領を描き出すことである。さらに、公然たる討論並びに党の機構と党員の活発な参加による政策策定、それらを内容とする可能な限りの最も幅広い内部民主主義の防衛。また、党指導者達にかけられた嫌疑を審査するための、同時に告発を受けた彼らの防衛権を保障し、党自身を守ることのできる機関としての党倫理委員会を、必ず創出することなどである。党の刷新に対するこのような方針を持って、私は全ての党員に党大会への積極的な参加を呼びかけたい。そのような党員の参加の下で党大会は初めて、PTの最高決定機能という性格を確かなものとするだろう」。
 1方でラウル・ポントは、1定数の下院議員と活動家が社会主義自由党(PSOL)に合流するためにPTを離党した事実を、またそれが今回の党指導部選挙における左派の好機に確実に打撃を与えた事実を「重大な誤り」として悲しみながら、行動における統一を呼びかけた。「我々の敵が右翼と中道右派であるとするならば、我々の最大の敵が帝国主義であるとするならば、左翼の立場に立つ最大の党として本分を尽くさず、他の部分を引き付ける磁極として行動しないことは、PTにとって政治的誤りとなるだろう。PT以外の諸党に呼びかけることに、私には何の問題もない。それらの諸党のPTに対する態度が極めてセクト的であることを私は知っているが、それに直対応すべきだとは私は考えない」、と彼は語った。

第2回投票直前の
ラウル・ポントに対するインタビュー

 マルコ・ワイスシャイマー

 ポルト・アレグレ元市長で、PT創立メンバーでもあるラウル・ポントは、PT指導部選挙第2ラウンドはルーラ政権支持派と反対派の間の対立とはならず、PTを危機に導いた政策に関する論争となるだろう、と語る。リオ・グランデ・ド・スルー州下院議員かつ社会主義的民主主義潮流支持者であるポントは、多数派陣営支持者の連邦下院議員、リカルド・ベルゾイニ(注1)の対立候補として10月9日予定の選挙第2ラウンドに挑戦する。
 ポントは選挙第1ラウンドで、「明確な左派」の候補者であったバルター・ポマールを僅差で破って第2位に着けた。現在ポントは、党の左派を統一するという挑戦をもって新たな闘いを準備している。それは、1方では離党で脅しをかけている反体制派に対案を対置しつつ、多数派陣営を打ち破るために1方でより穏健な部分の支持を獲得するという挑戦だ。
 これはウルグァイ出身のガウチョ(牧童という意味の他に、スペイン系ヨーロッパ人と先住民の混血住民を表す意味でも使われる―訳注)の人生において、新たな政治的挑戦を意味する。ポントは彼の政治活動を60年代後期の学生運動の中で開始した。その当時彼は、リオ・グランデ・ド・スルー連邦大学学生中央指導部代表に選出された。
 カンピナス大学から政治学の博士号を得た経歴を持つ卒業生として彼は、大学で政治社会学と経済学の教鞭をとった。4つの議会任期を連邦と州の下院議員として活動しつつ、彼はまたポルト・アレグレの市長をも勤め、そこで参加型予算の導入に関わった。
 公共的管理に関わる政策としての民衆参加並びに市民権強化の確固とした擁護者であるポントは、「ポピュリズム批判からPT建設へ」、「PT小史―その起源から第1回大会まで―1979〜1991」、「民主主義、参加、市民権―左翼の構想」などの著作を執筆している。2002年に彼は69、453票で、再度リオ・グランデ・ド・スルー州の下院議員に選出された。この時彼は、PTの候補者の中では第1位であり、全当選者中では2位だった。
 以下のインタビューの中でポントは、PTがその歴史を通じて最も深刻な危機に直面している時において、リカルド・ベルゾイニとの対立が帯びる意味について分析している。彼は、多数派陣営が押し出している分極化を拒絶する。彼らの主張に拠れば、第2ラウンドにおける対立は、ルーラ政権を防衛する者とそうしない者との間にある。ポントは、党における新たな方向の必要性をPT党員多数に確信させようと努めている彼のキャンペーン基調を示しつつ、「ベルゾイニは汚く、人を惑わす論争を仕掛けようとしている」と語る。

―あなたの観点では、PTが歴史上で最も厳しい危機を経験している時期における第2ラウンド選挙がもつ意味とは何か―

 第1ラウンドから我々が引き出し得る主な結論の1つは、党がもつ行動主義の強さと活力をそこでの争いがこの上なく示したということだ。我々は、党指導部の引継ぎという問題だけではなく、さらにまた、大波となった腐敗弾劾の渦中でこの数ヶ月に使われたような、党に対する直接的攻撃へと変形されたキャンペーンに対抗するよう党員大衆に語り掛けた。党の行動主義的基盤はこの訴えに反応した。
 我々の敵の多くは、先のキャンペーンを政治勢力としてのPTを破壊するために使おうと追求した。そして我々の戦闘性は、このような試みに対して精力的に反撃した。今第2ラウンドにおいて我々は、この結集を強化し、党に新たな方向性を与えるために努力する必要がある。

―あなたが候補者となったという好機をどう見ているか―

 多数派陣営反対の6潮流を全部合わせれば、党指導の現在のあり方、また特に経済分野での、ルーラ政府の政策のいくつかの実行にあたって党が行ったやり方、これらに批判的な基本方針に賛意を表した党員が170、000人に近いということになる。これらの声は、党と政府の向きを変えようという熱意をはっきりと示している。我々は現在の路線には批判的だ。さらにそれらの路線を修正したいと思っている。しかしそのために政府の防衛を止めたり離党したり、はしない。このような姿勢は党員から大きな支持を受けた。そして我々は、このようなことが第2ラウンドにおいても表現されると信じている。それが起こるという保障はないが、そのための条件はかなりある。

議員と活動家の1グループと共に、プリニオ・デ・アルダ・サンパイオが下した離党という決断は、第2ラウンドにおけるあなたのキャンペーンに打撃を与えるものか―

 プリニオ、イバン・バレンテ、そしてその他の同志が下したこの決断は政治的誤りだ、と私は確信している。それは悲しむべき態度であるがその理由は、それが左翼の解体と断片化をもたらす道であるからであり、またブラジル左翼が築き上げてきた最も重要な経験に新たな方向を与えることにはいかなる意味でも助けとならないからだ。
 それは確かにある程度我々に打撃となるだろう。しかし私は、プリニオ候補に支持票を入れた党員多数は党に留まり、第2ラウンドでは我々を支持する、と信じている。それ故私は、それらの票の多数を失ったとは考えていない。現在まで知らされていることに拠れば離党決定は、「社会主義人民行動」潮流(APS)の範囲に限定されている。カトリック教会、社会主義フォーラム、さらに社会主義ブラジル潮流とつながっている幅広い部分(これらはプリニオを支持した)は、第2ラウンドでは我々と共にあるだろう。しかしそうであっても、彼らの離党は悲しいできごとだ。
 第1ラウンドの際私が参加したいくつかの論争においてプリニオは、第2ラウンドでは最大の票を得た左派候補を支持する、と発言した。左派陣営の他の候補もそれと同じ姿勢を示した。離党することで彼はこの統一を弱めてしまった。

―この障害の克服と党の方向転換をどのように展望するか―

 我々は新しい道に立って党を方向付けるという目標を手がかりに、この間党を導いてきた多数派陣営のやり方に反対している勢力全ての統一を守る。この目標に沿って我々は、最初から我々が主張してきたものを踏襲する。それは今年末までの党大会要求であり、我々はそこで、関わりがあるとされた不法行為の精査、並びにそこに責任を追うべき者達の不信任、という諸段階をやり通したいと願っている。大会は、ただ単に我々の綱領を時宜にかなったものとし来年の選挙に向け党を準備するということを扱うだけではなく、それはまた、方向転換に、短期的には政府の方向転換に適合した諸政策をはっきりさせることにも関わっているのだ。
 我々は変えたい。その対象は例えば、財政黒字に最優先性を置く政策であり、それは、この国が生産した経済の重要な部分の金融収益への移行を確実にする仕掛けなのだ。
 我々は、第2期に挑戦する政府と党を準備したい。このためにこそ我々は、現在まで実行されてきたものとは異なる連携政策が必要となっている、と主張している。我々はまた、PTが考える社会主義についての戦略的論争再開という考えを防衛する。我々は、我々の戦略のために、理想社会についての磁方位を再定位する必要がある。そのことなしには我々はどこにも行けない。

―リカルド・ベルゾイニは、第2ラウンドはルーラ政府を守るかそうでないかの争いとなる、と発言したが、あなたは同意するか―

 そのような区分けはごまかしの対立だ。ベルゾイニは汚く、人を惑わす論争を仕掛けようとしている。問題はルーラ政府に対する賛否ではない。党全体が論争してきた問題は、我々が今現在陥っている危機なのだ。それは、採用されてきた連携政策が良好な結果を生み出したのかそれとも否定的なものだったのか、をめぐる問題だ。それこそ我々が論争し応えなければならないことだ。

―その連携政策は結局のところ党にとって肯定的だったのか―

 我々の政府に力を貸したこの間の勢力と共に築かれた政治は、その政府が主張した諸改良と諸政策を具体化するものだったのだろうか。そうではなかったということが明らかだと思われる。
 下院議長選出に際して今我々は再度諸困難の中に置かれている。我々の批判を整理し、我々の決算書を作成することはこの総括から進行するのであって、多数派の言うような人を惑わす対立に基づくものではない。
 この政府はPT全体が選出した。したがって党全体がそれを防衛する。そのために我々に必要なことは、その前進をいかに図るか、そしてこの政府が犯し、われわれに高い代償を課している過ちをいかにして繰り返さないかを、討論することだ。
注1)リカルド・ベルゾイニは、第1回投票では辛うじて122、745票を獲得した。一方他の候補の数字は以下の通り。ラウル・ポント―42、857、バルター・ポマール―42、742、プリニオ・デ・アルダ・サンパイオ―39、96、マリア・デ・ロザリオ―38、662、マルクス・ソコル―3、9096、そしてジェジェ―1、940。多数派陣営に同調しなかった6人の候補は、こうして合計169、290票を獲得した。第1回投票後プリニオ・デ・アルダ・サンパイオ―ルーラ政府支持を唯1拒否した候補―は、彼を支持したもののPT離党をまだ決定していない党員達に、第2回投票ではラウル・ポントへの投票を呼びかけつつも、PSOLへの合流を決めた。バルター・ポマールとマリア・デ・ロザリオもまた第2回投票でのラウル・ポント支持を呼びかけた。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版10月号。関連記事本紙HP上にも)
 
パキスタンの同志からの地震に関する訴え
  
   《パキスタンとインドの北部を襲った地震については疑いなくあらゆる人が知ることになる。我々は、LPPと、既にアフガニスタンでの援助を組織してきた社会団体である「労働者教育基金」、「ハリッドゥ・マムード」の行動に関し、ファルーク・タリクから以下のメッセージを受け取った―IV編集部》

パキスタン労働党(LPP)、「労働者教育基金」と共に、「パキスタン地震被災者救援労働者キャンペーン」(LRCEVP)発足を先導

 LPP支持者は救援トラック1台を仕立てた。このような率先した活動はまた、「労働者援助ライン」と全国労働組合連合によっても支えられた。救援キャンプは、ラホール、カラチ、ハイデラバード、イスラマバード、ムルタンに設営されつつある。LRCEVPは寄付金、医薬品、毛布、食料を集めている。LPP党員は救援委員会を発足させるために最もひどい打撃を受けた地域に出かけようとしている。
 多くの仲間が地震によって直接的に被害を受けた。LPP議長のニザール・シャーの故郷の村は事実上破壊され、党の副議長、ナヒード・エフェンディは彼女の1族の何人かを亡くした。
 パキスタンにおけるかつてない最悪の地震から3日が過ぎてさえどのような援助機関もまだ到達できていない地域が、北部地域にはいくつかある。
 ナヒード・エフェンディは、彼女の兄弟はひどく体調を崩したために、被災地域のバラコットから戻ってきた、と今朝私に語った。彼が語ったことに拠れば、彼は1つの墓穴に8体の遺体を埋めたという。バラコットとその周辺の村全体が悪臭を放っているがそれは、遺体が放置され、引き取り手が誰1人いないからだ。ナヒードはこの地震で、母方の叔父とその家族の殆どを亡くした。
 ニザール・シャーはラワルコット(カシミール)から、ようやくいくらかの援助が到着したが余りに遅く少な過ぎる、と報告してきた。彼はその地域で犠牲者の援助に当たっている。彼もまた何人かの親類を亡くした。
 ラホールに設置された救援キャンプは今日(10月11日)、現金と食料品の形で、約50万ルピー(8000ドル)を集めた。その内現金の15万ルピーは、3日目になっても野外で寝ている人々が緊急に必要としているテントを買う助けとなった。我々はさらに赤ん坊のための哺乳瓶100個と遺体を埋葬するために100体分の布を送った。
 通行人の反響はすごいものだった。我々は、キャンプをラホールの最も人通りの多い最良の場所に設置することができた。我々の手元には寄付を訴えるスピーカーが1つある。我々の何人もが箱を手に、寄付を求めて全ての自動車、バイク、バス、自転車に駆け寄る。警官や情報機関の人間でさえ我々に何100ルピーと寄付をした。
  2000ルピー(33ドル)を箱に入れるために立ち寄る女性がいるかと思えば、片方では5ルピーの寄付がある。寄付の状況はこのようなものだった。我々は現金で15万ルピーを集めたが、これは原理主義者を含む他のどのグループも太刀打ちできないものだった。
 我々の40人を超えるメンバーが募金キャンペーンに立ちあがった。その熱意は、2人の同志が徹夜でキャンプ設営を手助けしたほどのものだった。今日3人の同志が、数日間被災者を援助するためにカシミールへ向かった。
 我々は明日次のトラックを送る予定だ。いくらかでも寄付できるのであればぜひ知らせてもらいたい。我々は今それを必要としている。
支援方法
寄金先口座

BANK ALFALAH LTD(LDA PLAZA, KASHIMIR ROAD, LAHORE PAKISTAN)
口座名 LABOUR EDUCATION FOUNDATION
口座番号 01801876

医薬品並びに食料品の送り先

Labour Education Foundation, Sufi Mansion, 7 Egerton Road, Lahore, Pakistan.
Tel: 0092 42 6303808, Fax: 0092 04206271149
Labour Party Pakistan, 40 Abbot Road, Lahore, Pakistan
Tel: 0092 42 6315162, Email: labourparty@gmx.net www.laborpakistan.org
(本紙に送金代行を希望する場合は、通信欄に「パキスタン救援カンパ」と明記の上、本紙口座にお振込みください)

タリク・アリ、ラホール救援キャンプで演説

 有名な左翼活動家であり、著述家であるタリク・アリが今日の午後ラホール救援キャンプを訪れた。彼はここで演説し、外国からの援助の殆どは通常、腐敗した官僚と当局者達によって呑み込まれる、と語った。被災者に届く部分は10%にも満たない。今回の地震後に外国の援助がパキスタンに届く時、このようなことが起こり得ることを我々は恐れている。
 彼はまた、高層建築建設業者を批判し、高い危険性があるパキスタンのような国においては、あらゆるビルディングは3階以上にすべきではないと示唆した。さらに彼は、世界のメディアも当地のメディアも全てがイスラマバードで崩壊した高層マンションに焦点を当ててきたが、その1方で被害を受けた残りの地域を無視している、と語った。
 地震が明らかにした衝撃は、パキスタンのような貧しい諸国では実は地震以前ですら貧困や失業という形で、普通の人々に感じられてきた、とも彼は語った。今回の地震はそれらの状況をさらに悪化させたのだ。
 タリク・アリはラホール救援キャンプの仕事を高く評価し、他のグループがこの例に続くよう促した。
 この後彼は、救援品を積み込んでバラコット地域に向かう2台目のトラックの出発に立ち会った。
 キャンプの3日目には通行人からさらに現金で55、000ルピー(1000ドル)と、様々な品物の形で25万ルピー(4、500ドル)が集められた。そこには、820体分のカファン(遺体を包む布)、子ども用の500個のプラスチック哺乳瓶、粉ミルクやパック詰ミルク、砂糖、紅茶などを含むその他の食料品、毛布、医薬品が含まれていた。
注)ファルーク・タリクは、LPP書記長。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版10月号)
 
 
 
 
 
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