2005年12月10日        労働者の力             第 189号

 
国鉄問題についての基本的立場

戦線統一をもって、全民衆的対政府闘争への飛躍を


国際主義労働者全国協議会運営委員会
 


はじめに
 
 9月15日、東京地裁民事36部(難波孝1裁判長)は、国労闘争団の1部297名が国鉄精算事業団の権利義務を継承した「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(鉄道運輸機構)を被告として提訴したいわゆる「鉄建公団訴訟」の判決を言いわたした。判決は国鉄によるJR採用名簿作成に当って、国労差別があったとして1人当り慰謝料500万円の支払を命じた。この判決は裁判所が初めて、労働委員会の認定を追認したもので、国鉄裁判闘争の大きな転換点となりうるものである。この小論は、判決の意味と国鉄闘争の今後における位置を検討しようとするものである。

国家の戦略的攻撃としての国鉄解体

 国鉄分割・民営化が強行され、1047名がJR不採用となってから18年が経過した。この間、旧国鉄時代の巨大な累積赤字を切り捨てて、債務ゼロで出発したJR各社は、東、東海、西で株式上場を果し、民営化の成功が喧伝されてきている。しかし、本年4月25日の福知山線尼崎駅付近の事故は、この「民営化の成功」が、安全性を無視した極端なまでの人減し、他私鉄会社との競争のための安全性無視のスピードアップ、日勤教育という異常なまでの人事の強権的管理など、営利第一主義に傾斜したJR各社の実態をさらけ出した。こうした現実の最大の原因が、「国労解体をめざした分割・民営化」(中曽根元首相)の強行であり、それは究極的には総評の解体を目的としたものだった。
 分割・民営化攻撃に敗北した結果としての旧国鉄内各労働組合の弱体化は、安全輸送を最大の眼目として、運行の安全、正確さを追求してきた旧国鉄内部での労働組合運動の弱体化でもあった。労働組合の、主体的な職場と労働安全の構築、そこにおける労務担当者などの管理者との日常的な緊張が、旧国鉄を営利主義に走る動きからくい止めてきたのであるが、労働組合運動の弱体化は、そうした現実の根底からの解体としてあらわれたのである。
 旧国鉄の解体は、現在の郵政解体と同様に、いわゆる新自由主義の発想の下に、日本国土の公的連絡網を解体し、さらに営利優先の政策体系は、地方の過疎化促進のみならず、地方の切り捨ての政策となった。アメリカの強い要求に従った規制緩和を中心にした市場原理主義の導入は、大店法導入による地方都市のシャッター街現象などを生み出し、ここに生れる都市と地方の矛盾、対立は、都市住民の地方救済を非とする意識をも生みだし、その結果としての「小泉劇場」を導いたのである。
 旧国鉄の解体は、レーガン、サッチャーの後追いをしようとする中曽根が総評解体を主目的とし、「戦後政治の総決算」の国家戦略の最大・最初の切札として強行したものだった。
 分割・民営化に抵抗した労働者への攻撃は言語を絶するものだった。そして、その攻撃が本質において今でも持続していることを、福知山線の事故は明らかにしたのである。 
 
国鉄闘争敗北を導いた戦後労働運動の弱点

 国労そして総評の敗北は、総評運動全盛期の華々しさとは裏腹に、その中にはらまれていた日本労働運動の少なからぬ難点が、資本の不退転の攻撃に直面して露呈したことの結果であったろう。戦後日本の労働運動は企業別組合を基本とし、その結果、労働者組織の社会的形成という点においては、まことに脆弱であった。また、春闘方式の定着以降、社会構造の基本デザインを描くという点においても、戦後革新勢力は、革新自治体戦略などの部分的例外はあれ、基本的に貧弱なままであった。そうした弱点が、一定の社会的波及力を持った春闘構造が頭打ちとなるにつれて、一挙に表面化したのである。
 三池闘争が、総資本と総労働の闘いと言われながらも、総評運動は、三池労組、或は炭労への連帯ストライキなどの「総労働」としての戦術方針を具体化することはなかった。国鉄解体反対闘争もまた、ローカル線切捨てに始る一連の過程において民衆運動、あるいは「国民運動」として具体化することはなかったのである。つまりは、グランドデザイン的な意味での自己の社会的方針、言いかえれば、ローカル線切捨てに始まる、日本社会の過疎化を極限まで推し進めるといっても過言ではない、そうした自民党政府体制の、現在でいえば、新自由主義経済システムへの転換の大波に対抗する戦略的視野が不在であった。労働側は伝統と化していた、労使関係論の枠組を出ず、総じて職場闘争、職場における抵抗の路線に切り縮められていった。

国鉄内の組織防衛闘争となった国鉄解体阻止闘争

 総評労働運動における伝統的な社会的基盤の弱さと社会的グランドデザイン不在は、国鉄解体阻止闘争を社会的大衆闘争として組織する踏み出しを結局は封殺し、闘争は結果において国鉄各労組の「組織防衛闘争」になってしまった。その最たるものが旧国鉄動力車労組の国鉄解体推進への転身であった。旧動力車労組の主流派は、その路線転換と共に、国労解体の攻撃の先兵の役割を果し、新生JRにおける最大の労働組合組織、JR総連を組織することに成功するに至った。
 国労もまた、動力車労組とは違った意味でだが、組織防衛の闘争に傾斜した。当時の国労主流は、解体・民営化の攻撃との妥協を試み、伊豆の修善寺大会における左派の反撃に直面し、国労からの分裂を選択した。国労組織は各所で大混乱状況に陥り、分裂や脱退が相次いだが、弱体した中での六本木委員長の体制で全国組織の統一防衛に成功した。しかしながら、国労本体の混乱にあいまって、進行しつつあった労働戦線統一の影響は、国鉄解体阻止という大目標を国民的政治課題にすることを大きく妨げた。国労は、活動家への国鉄の集中的攻撃に直面し、まさに職場における組織防衛闘争に集中せざるを得ないものとなった。国鉄当局の国労切崩しの攻撃は、いわゆる「人活センター」などの組織への活動家の集中的送込みなど、激烈を極めていた。その意味では、国家的不当労働行為というJR不採用事件の温床は、旧国鉄動力車労組の転身、国労の当時の主流派の分裂と新組織形成という、中曽根内閣の攻撃との対峙の戦列を作り上げ、それをテコに社会的な運動を組織していくという大目標に集中できなかったという運動側の現実にも培われていた。国鉄内の各労組は、基本的に労使関係論の枠組を出ることはなかったのだ。
 今でも国労本部はそれをマイナス的に引きずっている。すなわち、いわゆる「政治解決」の、JR各会社との取引への固執である。国労本部は、「国家的不当労働行為」と規定しながらも、その「国家」を正面の対象として認識し、そこで戦列を組織するということに関心は示してこなかった。その最大の表れが、いわゆる「4党合意」問題である。JR各社を免罪するという枠組の上になされた4党合意は、自民党との妥協であるが、分割民営時における自民党の基本姿勢が、採用差別におけるJRの免責にあったという事実を前提として承認する政治解決方針であった。この自民党のJR免責方針は、国鉄解体に際して、最高裁から派遣された人物が設立準備の法律関係の処理に当ったということからも、国家的方針としての位置づけがわかる。これがJR各社が、労働委員会の如何なる決定をも無視し、法廷に持込んだことの背景である。まさに、司法はこの点に関しては独立していないのだ。難波判決も当然、その枠組にある。

鉄建公団訴訟判決の位置

 9月15日、東京地裁民事第36部合議係(難波孝1裁判長)は、いわゆる鉄建公団訴訟に関する判決を言い渡した。この訴訟は1987年の国鉄分割・民営化でJRへの採用を拒否され、1990年に国鉄精算事業団を解雇された国労闘争団の一部が2002年提訴したもので、1990年解雇を無効とし地位確認を求め、その後損害補償請求を追加したものである。
 9・15判決(難波判決と言う)は、特徴的には「折衷判決」と言われもので、(1)JRの採用基準とされた、@昭和58年4月以降、停職処分6ヶ月以上の処分歴のある原告(3名)、A昭和61年度の採用時55歳を超える原告(1名)、地元JRでないJRから採用通知を受けたが辞退した原告(1名)の請求を棄却し、(2)その余の原告に対しては、国鉄分割・民営化の過程で旧国鉄によって「採用差別」のあった事実を認定し、原告1人あたり5000万円、総額14億1500万円の慰謝料の支払を命じた。
 JR不採用問題で東京地裁が初めて旧国鉄の不当労働行為を認めたのである。分割・民営化されたJRによって切捨てられた原告団にとってはじめて勝取った「国家的不当労働行為」認定の判決である。
 今回の判決では「旧国鉄は原告らが国労に所属していることを嫌悪し、原告の勤務評価を恣意的に低くし、JR採用候補者名簿に記載しなかった」と不当労働行為を認定、慰謝料の支払いを命じた。また、同機構の「3年以上経過して時効になっている」との主張は、「3年の最高裁判決までは、原告らがJRに採用される余地がなくなったと知ることはできなかった」と退けた。
 JR不採用問題については、各地の地労委や中労委が、不当労働行為に当たるとの判断から、JRに救済命令を出したが、JRが命令を不服として行政訴訟を起こし、中労委命令を取り消す判決が1、2審で出され、最高裁で確定した。最高裁判決は、小法廷で行われたが、1票の差の多数見解だった。JR採用差別問題の根の深さが示された判決でもあった。難波判決は、以上のように、ある意味では画期的であり、連続敗北の国鉄訴訟の大きな転換点と言える。
 だが、難波判決は最高裁判決を前提としたものであり、かつ、非常に作為的な判決という性格を持っている。
 前述したが、「国鉄改革法」つまり国鉄解体・民営化法には最高裁が法務省に判事を出向させ、「JRに不当労働行為責任を負わせない」法案づくりを進めたという周知の経緯がある。JRが裁判所に期待をかけ、労働委員会審査を軽視したことの背景だ。だが皮肉にも、JRの労働委員会審査軽視が、難波判決での鉄道運輸機構の1部敗訴の原因ともなった。すなわち、今回訴訟は損害賠償請求が加わり、実証的な証拠調べをしなければならないことになったからだ。つまり、国鉄、精算事業団が「不法行為はしていない」と強弁するとしても、それを原告1人1人について採用基準を満たしていないということを実証しなければならない。それができないのだ。不採用の理由は国労組合活動家、というだけなのだからである。
 今回の判決では、旧国鉄が決めた、1983年4月以降停職6カ月以上の処分を受けた者などを候補者名簿に載せない、との基準について「適切に適用される限り合理性がある」と認め、組合活動で処分された人などの賠償請求を退けている。組合員らは再就職のため同事業団に移ったが、90年3月末に再就職促進法が期限切れになったことを理由に、最終的に1047人が解雇された。この解雇についても、判決は「事業団就業規則に基づき、合理的な理由があった」と認めている。
 この判決について、鉄建公団訴訟主任代理人の加藤晋介弁護士は、国労に対する「採用差別」の事実を明確に認定し、その責任が、時効消滅していないと判断した点は評価できるが、他の諸点を以下のような趣旨で批判し、第2審で徹底的に争う態度を表明している。
 第1に、「採用差別に不当労働行為責任を限定した結果、5人の原告の請求を棄却し、採用差別という不当労働行為によってJRに不採用とされたと認定した原告らに対し、原告らがJRに採用されていれば得られていたであろう賃金・退職金・年金の差額の賠償を認めておらず、極めて不当である。」
 第2に、「難波判決は、原告らが確実にJRに採用されていたと言う証明がないとして、期待権侵害と精神的損害の慰謝料として原告1人当り500万円の支払を命じたに過ぎず、18年余呻吟してきた原告や家族の苦しみを償わせるには、極めて不十分なものである」。
 第3に、「国家的不当労働行為の一環たる採用差別を認定しておきながらこの様な極めて低額の賠償しか認めないことは、被害者救済にほど遠く、難波判決は「賠償金支払」判決を規準に和解誘導して、原告らの忍従のもとに国鉄闘争の終結を図ろうとする、極めて政治的な判決と言わざるを得ない」。
 
より鮮明になった裁判闘争の位置

 原告団と運輸機構の双方共に控訴したが、判決の意味を押えておくと、第1には、JR発足時の不当労働行為の認定、最高裁判決と難波判決によって、解決のための政府責任が明確になったこと。第2には、加藤弁護士が指摘するように、和解誘導に向けた裁判所のイニシアティブの発揮の側面が明らかにあり、第3には、5名の原告を排除したJRの対応をそのまま認容し、今後の原告団内部差別の拡大を策していること、である。すなわち、今後法廷闘争の参加が拡大する可能性があるが、JRが国鉄に提示した「採用基準」を合理的と評価し、その採用基準をそのまま準用していることは、今後の法廷闘争拡大ということがあった場合、あらかじめ排斥されてしまう原告が増大することにつながるのである。さらに判決は、昭和58年4月以降、処分を受けた動労組合員はいなかった、と述べ、組合差別には当らないとの判断を補助理由としているが、この昭和58年以降という事実は当時の動力車労働組合が国鉄解体を支持し、国労解体を図ることが明確になった日付なのだ。旧動力車労組から処分者が出るわけはないのである。
 難波判決は、慰謝料支払命令は出したが、これほどの大量解雇を出した政治の責任については、どこにも問わないのである。多くの解雇者と家族が長年苦しんできた。政府には、国鉄改革法国会制定の際に繰返し述べ、決議された「1人も路頭に迷わせない」という明確な表明をふまえれば、取り残してきた旧国鉄問題の全面的な解決を図る責任と義務がある。中曽根が、今も露骨に公言するように、国鉄分割民営化には、国労、そして社会党解体という政略的性格が濃厚に刻印されている。そうであればなおのこと政府の責任は明確にされなければならない。
 東京高裁での係争事項は、解雇問題が主位的請求としての解雇無効問題と予備的請求としての旧国鉄・精算事業団のなした不法行為への損害賠償請求が中心となる。いまや、政府の関与を否定できない段階に入った第2審での法廷闘争を闘うと同時に、全面解決に向けて、対政府大衆闘争の新たな高揚を作り出していかなければならない。
 国労闘争団全国連絡会議(神宮義秋議長、36闘争団・966名)は、8月29日、「JR不採用事件の政治解決促進を求める国労闘争団アピール」を出し、「私たちは、政府や政治の判断・責任によって、この事件の早期解決を強く望んでいます。…闘争団員の実態調査に基づき確立された『国労の基本要求』に基づいて、解決に向けた話合い開始が、関係当事者間で早期に促進されることを求めると共に、闘争団組合員は総団結して解決に向けて真剣に、積極的に対応できる姿勢を持ち合せています」と述べた。(被解雇者は、他に旧全動労63名、千葉動労18名)。全国連絡会議は、国労本部と闘う闘争団の激しい対立という経緯を踏みながらも、「総団結」方針を掲げたのだ。また、国労弁護団の呼びかけで、鉄建公団訴訟の加藤弁護士、全動労弁護団を含む「東京地裁判決研究会」が11月1日に開かれた。さらに来年2月にむけて、7・15集会(国鉄闘争戦線の統一をめざして、各界文化人や弁護士、労働運動の先達が呼びかけた集会)をはるかに超える、国労本部も参加する統一した大集会開催の動きも出ている。(7・15集会実行委員会は解散したが、事務局機能は残されている)。
 JRとの会社内交渉という枠組での解決は明らかに限界があり、行き詰って行くであろう。問題の核心は、難波判決が明確にした、政府責任の不当労働行為にあり、1047名の原状回復と損害賠償支払を、政府はいまや拒否は出来ないのである。
 しかし国労は昨年の大会において、解決要求を決定したが、具体的な要求を政府(運輸機構)に出してはいない。各訴訟の原告団も請求を出しているが、政府には出していない。
 本格的に対政府大衆闘争を立ち上げ、それを基軸にしようとすれば、まずは1047名総体(原告団を含む)の解決要求の統一が必要だ。また、1047名の当事者、国労、建交労、弁護団、支援組織の統一交渉体制を形成することが必要となる。そのためには、国労そのものの積極的なイニシアティブの発揮が不可欠なのである。国労本部は、鉄建公団訴訟に積極的に参加することに踏切る必要がある。

対政府大衆闘争の高揚に向けて

 1047名問題は、今や、国鉄闘争の中心課題となっている。それを否定することは当然、出来ない。しかし、その1047名は、支配者階級が、ケインズ主義的福祉国家路線という戦後的枠組から、荒々しい弱肉強食の新自由主義の枠組への強行転換を図る上で、最初の攻撃として、しかも戦後史上最大量の解雇攻撃を仕掛けられたのである。その点でこの闘争は、掛けられた攻撃に見合った、全民衆的闘争への展開という、戦略的視点をも要求される。国鉄闘争は、新自由主義の攻撃に対して、まさに半失業、反リストラの民衆的闘争の、核心的闘争の位置にあり、またそうならなければならない闘いなのだ。
 郵政解体攻撃に見るように、旧来の3公社5現業の公労協は今やない。しかも小泉と自公両党は、公務員定数削減、賃金切下げ、さらには自治体への民間委託や、地方ごとの賃金格差の検討など、1000兆円を超えるまでの巨大化した国と自治体の国公債発行高を、サラリーマン増税などの労働者からの収奪の強化で進めようとしている。とりわけ公務労働者への攻撃は、郵政で示されたように、労働強化と長時間労働、賃金切下げのリストラ攻撃に直面している民間労働者を公務労働者に対立させる形で世論形成が進められている。国鉄の場合がそうであったように、公務労働は、民衆の生活を基盤的に支える社会的サービスを、区別なく誰をも排除することなく、普遍的に提供するために必要な労働を担うものである。あるいは今はやりの言葉で言えば、社会的セーフティ・ネットを維持する労働である。公務労働への攻撃は、社会のセーフティ・ネットワークへの攻撃である。これは、アメリカのハリケーン大災害が暴露してしまった、アメリカ社会の低所得層切捨ての社会構造を、この日本で実現しようという攻撃の一部をなしている。
 日本の労働運動は、今後、相次いで拡大されるFTA、EPAの枠組と共に、さらなる自由化と規制緩和の荒波を受けていくことになる。それは農業もそうだ。賃金切下げのスパイラルはさらに続くだろう。そして企業収益は、この人件費削減、下請企業へのしわ寄せ、第三世界労働者の極低賃金での収奪をバネにして回復しているという。だから、民間労働者を公務労働者と対立させ、公務労働への「敵意」をかき立てるやり方は、本来は成り立たないものである。
 国鉄闘争の敗北が、その後の闘争の基調を作ったものであるがゆえに、今後の国鉄闘争は、社会的な新自由主義攻撃への階級的反撃を開始する、規模の大きな社会的闘争として作り出される必要があるのである。民間労働と公務労働を敵対させようとするキャンペーンを大衆闘争自体の力でうち砕いていかなければならない。そこにおいては、民衆の団結が可能であること、連帯の中に未来があることが具体的な形で生き生きと示されること、それが決定的に重要となる。それは特に、競争と分断の中で、連帯という経験を奪われ、それ故に個人的にはい上がりにしか未来を感じることができず、その可能性を閉ざされれば絶望の中に放置されてしまっている青年労働者にとって特に重要である。勝つためには新たな対政府闘争に攻め上がり、否が応にも広範な社会闘争の中軸に位置せざるを得ない国鉄闘争はその意味で、民衆的団結の新たな形成に対しても、主体的に貢献する意思を示さなければならない。
 そのためにこそ、鉄建公団訴訟の全体化を含む国鉄闘争の統一した力が必要なのだ。「統一」は、民衆的包囲をテコとした国鉄闘争の全面解決のためにこそ、不可欠なのである。戦線統一はまさに国鉄闘争の戦略課題といえる。国労本部は4党合意以降、無理矢理に「労使関係」論にこだわり、行政訴訟敗北後に展望のなさを暴露してきた事実がある。あるJRでは関連会社への採用などが検討され、ほぼ合意に達したこともあった。しかし、それはやはり、「国の不当労働行為」免罪した上での折衝である。しかも、大きな流れになる前に、福知山線事故が押流してしまった。
 今や国側が裁判を無視し続けることが出来ない以上、国労本部は、過去の行き方を率直に改め、反政府大衆闘争を、激しい公務員への攻撃に直面する日教組や自治労を含んだ共同闘争の再構築の先頭に立つべきなのだ。国労本部はその第一歩として、「鉄道運輸機構」を相手取る訴訟に踏切るべきである。
 われわれは、国鉄闘争を闘う勢力の戦略的課題としての戦線統一を支持し、支援戦線の大統一、中央共闘と国鉄共闘の統一を基軸にし、支援戦線を大統合するための闘いを支持し、闘う。 
 
 フランス
燃え広がる反乱に直面し、右翼政府、非常事態を宣言
          
ミューレイ・スミス          

 フランスの町や都市周辺の貧しい郊外で、毎夜の暴動は現在2週間も続いている。この事態に対し11月7日、首相、ドミニク・ドゥピルパンは政府の対応を発表した。それが、非常事態を宣言する権利を政府に与える1955年の法律を生き返らせることだった。この法律は単に、必要と思われる地域に夜間外出禁止を課す権利を知事(イギリスの州に相当するフランス地方政府機関の政府指名管理者)に与えるだけではない。それは同時に、集会やデモを禁止し、報道を管理し、一定の場所に人々が向かうことに禁止命令を発し、夜間に家宅捜索し、さらに人々を自宅軟禁とする、そのようなことすら可能とする法律なのだ。

内に抱えた「植民地」に再び1955年法

 1955年法の活用は高度に象徴的である。それは元々、アルジェリア独立戦争の時期に、独立勢力の戦士と彼らを支持する民衆を圧殺するために導入された。それから50年後にこの法律は、多くがその同じアルジェリア人の孫である若者達に対して使われようとしている。何故ならば暴動が起きた地域は、単に貧しかったり無視されていた、というだけではなかったからだ。そこはまた、北アフリカや中央部アフリカ出身の人々が集中的に住む彼らの故郷でもあるのだ。これらの若者達の圧倒的多数はフランスで生まれた。それ故彼らはフランスの市民権を持っている。しかし彼らは、フランス人として他の人々と同じではない、とはっきり気付いている。アラブ系とアフリカ系の若者達は二級市民なのだ。彼らは、資格を得て学校を卒業したとしても、あるいは大学に進んだとしてすらも、仕事を見出す機会は彼らの白人の競争相手よりもはるかに小さい。その上彼らは、人種主義的でいじめのような恒常的警察支配、ナイトクラブ入店に際しての事実上の肌の色による拒絶、その他にさらされている。
 1955年法の使用は、これらの若者達に政府が提供すべきものは唯一抑圧だけである、ということを認めたに等しい。これらの郊外を復興するための周期的な試みは、結局殆ど結果を残さなかった。若者達の一世代は、ぞっとするような、益々ゲットーのようになる住宅団地で、そこから脱出する望みは殆ど持てないまま、社会によって拒絶されていると感じつつ成長してきた。彼らには、この社会が大声で宣言する平等の約束が自身に適用されるようには見えていない。この地域に関わりのある人々にとっては、非常事態の持つ意味が効力を失ったというわけではない。パリ郊外にあるオウベルビリエル住民の30歳になるジャメルは、この法律の50年前における元々の目的を思い起こしつつ、「ル・モンド」紙の記者にそれを簡潔に語った。「この国では、バングルール(北アフリカ人に対する人種主義的用語)はバングルールのまま、ということだ。これは重大だ。我々を彼らが真のフランス人とはみなしていない、という証拠はあなたが知っている通りだ」と。「人々は爆発寸前だ。我々は既に団地の中に閉じ込められている。今や彼らは、我々を自宅の中に監禁する法律を通そうとしている」と、彼の友人のオマールは付け加える。

怒りの爆発―排除と侮蔑への反乱

 人々―若者―はもう「爆発」した。多くの点から見て驚くべきことは、郊外が爆発したことそれ自体ではない。驚くべきことはむしろ、その爆発がもっと前に起きなかったということだ。暴動は、パリ郊外のクリッチ・ソウス・ボアスでの2人のティーンエージャーの死が引き金となった。彼らは、警察から逃れようとした際に感電事故を起こし死亡したのだった。しかしそれは、ぎりぎりで抑えられていた怒りを遂に噴出に導く最後の一押しとなった。その出来事は確かに、突然起きた、たった1つの事件という訳ではまるでなかった。若者達―殆どがアラブ系とアフリカ系のーは、警察の野蛮な取り扱いが原因で日常的に死んでいるのだ。通常その後に起きることは、地方的な暴動と抗議デモであり、その後事態は再び静まってきたー次の事件まで―。今回、鬱積した怒りは爆発に至り、反乱は他のパリ郊外に広がり、次いでフランス全土に広がった。暴動の規模を示すものは、30以上という、非常事態が宣言された地域の数だ。それらは、英仏海峡から地中海地方にまで広がるフランス中の主な都市にまたがっている。
 反乱に対して使われるようになった、「暴動」という単語は、事実上人を欺く用語だ。反乱は、互いを知り合っている若者達集団の手によるものだが、それは怒りの爆発であり、彼らはその怒りを、財産破壊行為―自動車、学校、商店、バスなどの焼き討ち―と憎悪の対象としての警察に対する襲撃へと振り向けているのだ。それを1人の若者は、マドリードの日刊紙、「エル・パイス」に対し次のように表現した。つまり、「我々は我々が感じていることをどう説明したらよいかわからない。我々が知っていることは、火を使う話し方だけだ」と。
 彼らの怒りの矛先は、彼らの直接的攻撃対象のその前方に、つまり2007年の大統領選挙における強硬派右翼の希望の星であるニコラス・サルコジ内相に向いている。彼は、彼らを「下層階級」と、さらに「壊疽」と表現し、彼らが住む郊外をホースで洗い流すと脅したのだ。それ故、これらの怒れる者達が突き出している政治的要求は、サルコジの辞任ただ1つだ。

抑圧を支えとする右翼

 この反乱にはもちろん否定的な側面はある。彼ら自身の居住地区における八つ当たり的な破壊は、彼らの隣人や家族に対し確かに損害を与えている。それは十分過ぎる程容易に分かることだ。そしてこれは、彼らの共同体を世代間で、またフランス人と移民の間で分断するために、政府の手で利用され得るし、実際まさに今利用されている。
 しかし、社会から何の未来も提供されない人々の絶望感が反乱の形で爆発する際、それが整然と整理された、「政治的に正しい」形で行われることはめったにあることではない。フランスで今起きていることは、まさに1960年代に北アメリカのゲットーで、さらに1年にイギリスで起きた爆発、暴動を思い起こさせる。
 暴動はこの2週間、フランスの政治生活における中心を占めた。右翼政府は、サルコジの挑発的な諸発言から、問題の所在について政府が懸念と理解を持っていることの口先だけの保証へと、表面的には主役を交代させてきた。しかしその最後の1線は、次から次へと警官を増派することだった。そして、その結果として情勢は好転せず、最終的に1955年法を頼みとする事態となったのだ。1000人をはるかに超える若者達が既に逮捕されている。この雰囲気の中で、極右は願ってもない出番を得た。国民戦線指導者のジャン・マリー・ル・ペンは、これらの怒れる者達からフランス市民権を剥奪することを要求した。彼のライバルである、「フランスのための運動」指導者であるフィリップ・ドゥ・ビリエルは、政府は「共和国の統一を脅かすという点で、反フランス反乱の力の程を見定めてこなかった」、と語った。極右と与党のUMP双方とも、郊外への軍の派遣を要求して騒ぎ立てた。

左翼の活動に試練

 主要な野党である社会党は、1955年法の使用を拒絶しなかった。彼らは、その法の適用においては「慎重である」ことが必要と語ることに留め、その1方では、「何よりも秩序と安全の再確立が必須とされている」と語る。社会党よりも左の諸勢力は、何十年も続いた無視、制度化された人種主義、そして警察の野蛮性に暴動の責任の所在を認め、それとは異なる対応を示した。第4インターナショナルフランス支部のLCRは最初からサルコジの辞任を強く要求した。この要求は共産党指導部も取り上げた。しかし共産党指導部は、党内の、主には郊外においてこの党が行政権力を握っている地方自治体からの圧力と攻めぎ合わなければならず、結局、警察と怒れる者達に等しく責任を帰すしかなかった。
 諸政党(LCR、共産党、緑の党、市民オルタナティブ)、いくつもの労働組合、そして人権諸団体などが署名した非常事態反対の共同声明が、11月8日に出された。統一的な働きかけを組織するという考えを基に、いくつもの議論が始まりつつある。その働きかけには、夜間外出禁止例が出された地域で、命令を無視してデモを敢行することが含まれている。最初のデモは11月9日、ボビグニで行われた。ここは、パリの北東にあるサン・ドニ県の県都であり、反乱が始まったところだ。このデモは、LCR、共産党、そしてこの地域の主な労働組合によって支持された。しかしフランスの左翼は、そのような働きかけの先にはさらにそれ以上に重要なこととして、騒ぎが収まった時、反乱が爆発した郊外における現在の活動を発展させる必要があるだろう。確かに左翼は、近年これらの地域での活動が余りに弱かったのだ。
注)筆者はスコットランド社会党の前国際担当活動家であり、現在はLCRで活動中。(「インフランス
燃え広がる反乱に直面し、右翼政府、非常事態を宣言
 ミューレイ・スミスターナショナル・ビューポイント」電子版11月号)
 
年末カンパにご協力を
 総選挙での小泉の圧勝によって、自民党内では、首相のトップダウンが乱発されています。自衛軍保持の自民党の新憲法草案が発表される反動化の攻撃です。が、先の総選挙では、実は郵政反対票の方が多数でした。また、この秋の管制塔連帯基金運動は、目標の1を越える巨大な拠金運動となりました。流れを変えるうねりが確実にあります。私たちは、反小泉のうねりを、さらに押上げて行く努力を続けます。年末カンパへのご協力をお願いいたします。
郵便振替00110―2―415220労働者の力社
    スリランカ
2005年大統領選挙に関する
セイロン産業商業1般労働者組合(CMU)執行委員会の声明

        
書記長 バラ・タンポ        

 ―訳者解説―
 11月17日、スリランカの大統領選挙が行われ、「統一人民自由連合」(UPFA―スリランカ自由党、スリランカ共産党、JVP―人民解放戦線、国民遺産党などの選挙共闘、後者2つはシンハラ民族主義強硬派)のラジャパクサ現首相が当選した。以下は、そこに向けたスリランカ左翼の政治声明の1つ、セイロン産業商業1般労働者組合(CMU)の声明であり、「インターナショナル・ビューポイント」電子版11月号に掲載された。同電子版には、新左翼戦線の声明(政策綱領)も紹介されている。新左翼戦線の大統領候補、チャミル・ジャヤネスティは、NSSP(第4インターナショナルスリランカ支部)の指導的メンバーだ。しかしこの2つの声明の中では、CMU声明の方にスリランカ政治のこの間の流れが取り上げられている。そのため、スリランカ情勢についての一般報道の少なさを考慮し、今回はCMU声明を紹介する。尚、新左翼戦線の声明は本紙ホームページ上に掲載予定。
 


 スリランカにおける最初の大統領選挙は、UNP(統1国民党)が与党であった議会が1978年8月31日に採択した憲法の下で、1982年10月20日に行われた。
 J・R・ジャヤワルデネ大統領は、1978年憲法体制を作るために、1977年の総選挙で彼が得た圧倒的多数を利用した。この憲法には、実権を握る大統領を選出するための特別な条項が含まれていた。この大統領は、国家元首であると同時に、政府の指揮者と軍の最高司令官を兼ねるものとされていた。そしてこの大統領は、内閣を指名し解任する権限を持つと同時に議会をも解散できた。大統領はさらに「戦争と平和を宣言」し、公共保安法の下で非常事態をも宣言できた。この非常事態宣言の下では、一定の期限内における議会の同意を条件に、文字になったどのような法律をも修正し、あるいは棚上げすることができることになっている。

非民主的政体は変わらない

 CMUは、1978年憲法における実権を持つ大統領に対する諸規定を、完全に非民主的なものとして弾劾し、それ故1982年の大統領選のボイコットを呼びかけた。その際我々は、誰が選出されようとも、選出された候補者が何を約束していたとしても、どの候補者も実権的大統領職の権力を付与されるべきではない、と態度表明した。
 その後大統領選は、1988年、1994年、1999年に行われた。これらの選挙もまた1978年憲法の下で行われたものである以上、CMUはこれらの選挙で、どの候補に対しても支持を呼びかけなかった。チャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガは、1994年における彼女の大統領としての最初の選出に先だって、実権的大統領制の廃止を約束した。しかしながら彼女は、同じ憲法体制の下で1999年に再選された後ですら、その約束を果たさなかった。
 クマラトゥンガ大統領が指名した現職首相であるマヒンダ・ラジャパクサは現在、彼の選挙綱領の中で以下のように述べている。即ち、もし選出されたならば、「実権的大統領制の廃止を想定した憲法案を提出し、国が直面する他の諸課題に対する回答を与える」つもりだ、と。さらに彼は、それは全ての勢力の合意を基に行われるだろう、とも語っている。とすれば、それは不可能である。何故ならばそのためには、野党であるUNPとその政治的同盟者であるセイロン労働者会議とスリランカ・ムスリム会議の同意が必要となり、それらは全て実権的大統領制の廃止に反対しているからだ。
 最も遠慮なく発言するラジャパクサの同盟者であるJVPですら、彼との間で文書の形で交わされた協定の中で、上記の方向を投げ捨ててしまった。そこでは、2005年から動き始めている第6期全権大統領府の任期終結を待ってはじめてこの大統領制を終結させる、との合意が行われているのだ。これはまさに、彼らの望みが次の6年間ラジャパクサが全権大統領となることにある、ということを意味している。JVPは明らかに、今回の機会にラジャパクサが彼らに特典と特権を備えた大臣職と他の役職を与えることを期待している。そしてラジャパクサの選挙綱領もまた、大統領としての彼の下で実行されることになっている「行動計画」のために、6年という期間を想定している。
 それ故、人々が2005年11月17日に決定することになっている問題は、現実にはただ1つであり、ラジャパクサに投票するか、それともラニル・ウィクラマシンハに投票するか、ということだ。つまりそれは、1978年憲法の下で、実権的大統領の権力を6年間にわたってこの2人の内のどちらに与えるのか、ということだ。彼らは選出された後に、そこで獲得した権力を情勢に対して行使する可能性を得るだろう。しかし、彼らを支持する諸政党やその他の諸組織や諸グループの、また彼らに投票する人々の期待を、彼らのどちらが、あるいはどの程度満たすことができるかは、彼らの個人的信念や意図、また能力には関わりなく、結局情勢の、主に経済的、政治的さらに軍事的現実にかかっているのだ。

新自由主義は引き続き、「和平」は霧の中に

 2人の主要な候補が属する政党間の違いは、社会的かつ経済的な原則的問題を巡るものではない。UNPとSLFP(スリランカ自由党、ラジャパクサの党―訳注)双方とも、またJVPも同様に、この国における現在の資本主義経済システムの保持に関与している。そしてこのシステムは世界的な市場経済に従属している。それ故この2党が各々率いてきた各々の政府はどちらも、世界銀行や国際通貨基金のような世界的諸制度が強制してきた諸条件に従ってきた。それは、外国投資や外国からの借款を得るためであり、彼らの開発構想は、さらに同様に、今も残っている借款の利払いや公共的支出は、そこに依存しているのだ。彼らはまた、世界貿易機構が課す貿易に関する厳格な制限にも従っている。彼らの間の違いは、UNPとSLFPが交代しながら率いた体制の下で既に成し遂げられたもの以上に、さらなる公共的企業の私有化や国家資産売却を進めるべきか、あるいはそれをどの程度まで進めるか、を巡る枝葉の問題だ。
 他方2人の候補者は、LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)と直接取引すべきか否か、そして取引するのであれば何を基礎としてか、という重要な問題に関して異なっている。それは、その大部分がLTTEの軍事的なまた部分的に行政的な支配の下にあり続けている北部と東部の諸州の問題に関して、またその地域にスリランカ国家の主権が及ぶ可能性がないという点に関して、LTTEと交渉すべきか否か、ということである。
 しかし、シンハラ民族主義の要求に応える形で、ラジャパクサが文書の形でJVPとJHUに与えた保証の元になっている憲法の基礎は、彼が選出されたとしても、LTTEに受け入れ可能な基礎に基づき彼がLTTEと交渉することすら排除している。他方で、北部と東部の諸州における行政に関しては、LTTEとの交渉についてのウィクラマシンハが採るより現実的な立場ですらも、彼が選出された場合、SLFPの支持がなければLTTEとの意味のある交渉には行き着かないかもしれない。
 前UNP政府によってLTTEとの間で開始され、現クマラトゥンガ政府によって留保付きでここまで継続されてきた今の休戦協定の継続は、こうして不確実となっている。ところが一方で、ラジャパクサが大統領になったとすれば、防衛支出のよりいっそうの重大な増大を伴って、現在の非常事態が拡張されることは十分にあり得る。それは、大統領になる者がウィクラマシンハであるとしてもあり得ることだ。

労働者が直面する困難には回答がない

 上述した問題とは別に、労働者の独立的大衆組織としての我々の組合にとって特に懸念される問題は、ラジャパクサとJVPとの間で交わされた協定全体の中に、労働者に関わるものがただ1つしかないということだ。そこで述べられていることは、「労働者、農民、工場所有者、企業家、ビジネス共同体、消費者が直面する問題を解決する点では、…JVPの諸提案が受け入れられ、ラジャパクサはそれらの提案の線で行動するだろう」という言及で全てなのだ。そこには、労働者や農民、工場所有者や企業家、ビジネス共同体や消費者などとの関係で、それらの諸提案がいかなるものなのかを示すものは全くない。
 ラジャパクサの選挙綱領には、学生、農民、女性、公務員のような様々な国民各層に対する約束や保証が含まれている。しかしながら、私有部門の何百万人にも上る賃金労働者に適用可能なそこでの言及は、それが意味するものが何であるのかは別として、「被雇用者信用基金」と国有銀行と私有銀行の参加を手段として、この層の労働者に提供されることになっている低利の住宅ローン方式ただ1つである。わが国の経済が依拠しているこの国の労働者の圧倒的多数に関して、その選挙綱領が語るものはこれで全てである。極度の低賃金といかなる意味でも雇用保証の全くない条件の下で、大資本企業によってすら利用されている臨時的条件や口入れ業者を通して行われる雇用のような、今日労働者が直面している大問題はそこでは全く触れられていないのだ。十分な代償もなしに行われている常用労働者の削減問題と、「全国労働者諮問評議会」に代表を出している全労働組合が要求してきた法律に基づく全国1律最低賃金もまた、全く言及されていない。
 先の選挙綱領における特に重要な欠落は、雇用条件や賃金と契約期間に関する基礎的保証と共に、結社の自由や団結権や団体交渉権のような、労働者にとっての基本的な人権を具体化しようとしてきた「労働者憲章」についての言及が、そこに全くないことだ。ラジャパクサは、彼が「労働者憲章」を法律の中に移そうと努力していた1997年に、クマルトゥンガ大統領によって労働大臣を解任され、その職は大統領が取って代わった。それ以来そのような政策は人民連合政府によって放棄された。とはいえ、彼にとってそれは忘れ去ることのできないものだったはずなのだ。

今回の選挙は何も解決しない

 選挙綱領によれば、その内容は「6年間に亘って実行されるはずの『行動計画』に転換され、その実行は関連する省庁に任せられる」ことになっている。
 こうしてラジャパクサの計画の実行は、それがどのようなものであろうとも、大部分彼が選出された時に彼が指名する首相とその他の閣僚次第となる。彼はそれらの人物を、現在の議員の中から選ばなければならないだろう。しかしそれらの議員は、2004年4月2日の総選挙で選出された。 彼の選挙綱領の中で想定されたものとしての「新スリランカ」を建設するために彼を手助けする人物として、彼が誰を信頼するにしても、今日あるがままのスリランカを前提とすれば、従って我々の組合はその誰をも信用できない。
 元首相としての、また野党指導者としての、双方の時期におけるウィクラマシンハの指導性の下における諸政策を考慮した時、彼が率いる政府からはどのような場合であっても、我々は労働者の利益になるものを全く期待できない。むしろ逆の方の可能性が高い。
 このような背景において我々の組合は、今回の選挙で誰が選出されるとしても、今日人々が直面する大問題のどれ1つであれ、解決されるとは期待していない。


訳注)この宣言を起草したバラ・タンポは、戦後の第4インターナショナルを支えた著名なトロツキスト活動家であり、労働組合指導者としても国際的に名を知られている。80年代前後、国際自由労連のアジア担当オルグとして活動し、労働組合代表として日本にも何度か来訪している。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版11月号。尚、本文中の中見出しは、読み易さを考慮し訳者が挿入した)
 

 
 
 
 
 
 
 
 
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