1991年3月10日         労働者の力             第19号

帝国主義のアラブ制覇を許すな
米・多国籍軍は中東から即時撤退せよ
90億ドルの戦費支出糾弾


(1)

 二月二十八日午前十一時(日本時間)、ブッシュ大統領はイラク軍の壊滅をの確認し、戦闘行為の一時的な停止を発表した。多国籍軍はイラク南部に深く侵攻し、共和国防衛隊を包囲し陸空からの集中攻撃によって壊滅させたとされる。多国籍軍=アメリカ軍の戦争目的はここに果たされた、イラク軍は戦力を失った、ブッシュはこう声明し、イラク政権の「降伏」を要求した。この声明には、抵抗があれば容赦なく攻撃することが付け加えられている。
 イラク・フセイン政権はその前日の二十七日(日本時間)、国連決議をほとんど全体として受け入れる声明を発表していた。このイラクの声明は地上戦開始直前から開始されたソ連のイニシアティブによる停戦への動きに対応する一連のイラクの譲歩の最後にあたるものであったが、にもかかわらずブッシュはイラク軍主力の壊滅まで一切の停戦を拒否する姿勢を貫徹したのである。
 フセインの指揮下にあって世界四番目の軍事力を誇り、かつそのなかで最精鋭を喧伝された共和国防衛隊は地上戦開始から百時間で壊滅してしまった。イラク軍は抵抗らしい抵抗、抗戦らしい抗戦を展開することなく、砂漠の中に消滅した。多国籍軍の報道によればイラク陸軍の抵抗は皆無に等しいか、あっても微弱なものであったという。イラク陸軍は圧倒的な空からの攻撃におさえこまれ、補給路をたたれ、そしてなによりも戦闘意欲を喪失して崩壊した。
 アメリカ軍とその同盟軍は撤退するイラク軍をサンドバッグのように叩きのめした。イラク軍の自壊が、戦闘を一方的なものにし、多国籍軍は退却するイラク部隊を、まったく勝手放題に空から攻め、陸で包囲攻撃したのである。イラク陸軍の死者は十万人を越えるとも伝えられている。まさに一方的虐殺である。
 イラク軍の自壊は圧倒的な戦力差のもとでの闘いを自覚せざるをえなかった兵士たちの志気の崩壊ということを理由にあげることができようが、それはフセイン独裁政権によって強制的に駆り出された兵士たちの意識が無意味な軍事的冒険と自殺行為への疑問に転化したことによるものだろう。フセイン独裁の軍隊はイラク民衆のなかに強固な基盤を持たない、まさに人民に対する独裁の軍隊であることを、敗戦のなかで一挙にさらけだした。

(2)

 フセインの独裁は命運をたたれたに等しい。アメリカ主導のもとに、国連安全保障理事会は三月三日、イラクへの経済封鎖の継続を認めた。イラクにおけるフセイン政権の存続を認めないという意思がここに明らかにされている。また多国籍軍によって破壊しつくされたイラク南部地域では民衆の反フセイン・反バース党の暴動が起きているとつたえられる。
 フセイン政権は、三月四日の時点においても敗戦の事実を公的には発表してはいない。政権継続の意思は依然強固なようにみえる。にもかかわらず、その政権を支えた強権独裁の基盤は弱体化している。ポストフセインを意識する様々な勢力が行動を開始している。民衆の支持を欠くフセイン体制は、自らに加えられる帝国主義の圧力に耐えることは不可能であろう。
 イラクは米軍による徹底的な爆撃によって、その生産・交通施設がほぼ全面的に破壊された。イラク人民は敵意にみちた軍隊によって包囲されている。戦争による被害のみならず、クウェート侵攻と破壊・略奪への賠償要求は苛酷なものとなってのしかかってくる。
 イラク民衆は、フセインの独裁に代わる、新たな、さらなる強力な軍事力で武装された帝国主義の支配(直接か間接かは問わない)に導かれつつあるのである。
 イラク経済の再建は容易ならざるものであり、かつ国家それ自体が危機に直面することになるであろう。クウェートが人工国家であるとすれば、イラクもまた人工的にひかれた国境線をもつ存在だからである。ヨルダンが典型のように、中東地域総体が人工的にひかれた国境線をもっているのであり、それを越えて存在するアラブ世界という共通の紐帯が強調される理由、根拠がここにある。
 いまや、帝国主義はこれらの人工的な国境線の監督者として君臨する考えを隠していない。彼らのいう「中東における安全保障」とは、彼らの都合による中東世界の新秩序の形成にほかならない。
 イラクおよびこの地域の民衆の立場が考慮されることは問題外とされるであろう。イラクにおけるクルド民族の存在や多数派シーア派の意向は完全に無視されるであろう。
 帝国主義とアラブ王政の実質的な「カイライ政権」――これがフセイン独裁に代わる体制として準備されるだろう。
 こうした事態は、中東世界が一方における帝国主義の直接・間接の統制と、他方におけるアラブ民族主義やシーア派革命、原理主義などとの対立、前者による後者への軍事力を背景にした抑圧の持続、進展をもたらすことになるであろう。
 「アメリカによる平和」が石油利権の掌握とイスラエル国家の強力な安定的存在として貫徹されていくとき、この平和がきわめてもろいものであることを否定することはできない。イラクおよびアラブの民衆に強固な基盤をもたないままにアメリカ帝国主義はその秩序をおしつけるのであり、そこでは敵対意識にみちた民衆の海が生み出す様々な反帝国主義、反米の意識や感情の噴出を押え込むために必要な軍事力を常時張りつけ、そして緊急展開部隊の体制を維持しつづけなければならないものとなろう。だがアメリカ帝国主義はあらゆる手段を使って、その新秩序を全世界に押しつけようとするであろう。最大の武器として、現在世界では唯一の世界制圧軍隊を誇示しつつ。

(3)

 すでにアメリカ帝国主義の支配者どもは湾岸諸国からの戦費のかさ上げを声高に叫び立て、さらに日本とドイツへの戦費要求をつり上げようとしている。すなわちサウディアラビアが借金によって米軍戦費をまかなうにいたっているに続き、首長国連邦からも絞りとり、そして日本とドイツという経済大国からも絞りとろうというのである。
 「世界の憲兵」アメリカは、世界をその軍事力の脅威のもとに置くだけでなく、経済的収奪を行い、「同盟国」の資金によって自らの軍隊を養い、その軍隊によって同盟国自身をどうかつするという、まさに類例を見ない方法による新たな世界秩序の一元支配の準備に入っているのである。
 もちろん世界政治総体の構造においてこのようなアメリカ帝国主義の狙いが実現しきっているわけではない。ソ連が示した懸命な介入の努力やフランスの意図的な牽制などが他方に続いている。
 アメリカ帝国主義が「世界の憲兵」として自己の自由裁量のままに行動することを歓迎する民衆は全世界のどこにもいないであろう。だからこそアメリカ帝国主義は国連を隠れみのにする必要があった。それは、いまでも一応続いている。
 ソ連およびソ連カードによってアメリカ帝国主義の一極支配を牽制しようとするフランスなどの勢力は、国連を再度アメリカ帝国主義に対抗する手段として利用することに努めるであろう。
そうした努力は、国連を国際政治のかけひき・ゲームの場として利用することによってではなく、「世界の憲兵はいらない」という全世界の民衆の声と結合していくときにはじめて意味をもつものである。そのために必要な出発点は、不必要な戦争を仕掛け、軍事的解決を唯一の手段として発動したアメリカ帝国主義の方法を否定する立場に立ちきることにある。
 フランスの社会民主主義の大統領であるミッテランが多国籍軍に加わり、イラク人民への虐殺行為を参加したことは、フランスのアメリカ帝国主義への「牽制」が国家的政治かけひきでしかないことを示すのである。
 ソ連にとっては、「ポスト冷戦」の世界が協調と協議の政治へと移行するであろうという「新思考外交」の期待がアメリカ帝国主義の「世界の憲兵」としてのむき出しの戦争発動によって打ち砕かれたことを意味している。ソ連における現在の保守回帰を支えるソ連軍部にとって、こうした状況は深刻な危機意識をともなった、さらなるペレストロイカ否定への衝動を強めさせることとして作用する。強力な「連邦堅持」の声はさらに高まるであろう。だが、そのようなスターリニズム体制への回帰に等しい反動が袋小路であることはあらためて言及するまでもない。
 アメリカ帝国主義は一極支配構造への欲求という、まさに危険な道に入り込みつつある。アメリカの民衆にとってもまた全世界の民衆にとっても、こうした「世界の憲兵」がまさにアメリカの多国籍資本のための憲兵であるという事実は変わらないのである。
 ソ連が依拠すべき力は、武器の近代化と拡充によるアメリカ軍への対抗ではなく、世界民衆の「世界の憲兵」への抵抗の意思である。

(4)
 
 日本において政・財・官・労をつらぬいた「帝国主義日本への道」への動きが始動した。湾岸危機、湾岸戦争の半年を通じて、政治における公民両党、労働戦線における「連合」は、帝国主義日本の実現、すなわち軍隊の帝国主義軍隊化とアメリカ帝国主義との全面的な同盟の実現にむけ、一斉に行動を開始した。
 日本政治は、消費税とリクルートによる土井社会党の躍進という事態を一時の幕合いとすべく、帝国主義日本の完成にむけた政治構造再編に一挙に踏み込んだのである。
 鍵となるのは公明党と「連合」である。前者は公然と、後者は隠然と、そしてその共通項目は「国連決議支持、多国籍軍支援」である。ここでは九〇億ドルの是非の選択こそ決定的な一里塚と意識されている。役にも立たない自衛隊輸送機派遣が「いちじくの葉」とされながら公明党の自民党路線への合流が演出されている。
 「連合」においてはその矛先は土井社会党に直接にむけられている。
 一切を「国連決議順守」に切り縮め、他の反戦的スローガンを力ずくで排除した二月十三日の彼らの「湾岸集会」こそ「連合」が土井社会党に正面から挑戦を開始した象徴である。しかもその集会は十六日に予定されていた社会党・総評センターなどの五万人規模の反戦集会をつぶすためだけに開催され、そして彼らはその狙いを実現した。
 いわゆる土井的要素が社会党ブームを形成したという事実の前に迂回を余儀なくされてきた「連合」は、湾岸戦争に反対する声が圧倒した一月の社会党大会の状況に危機意識をかきたてられたのかどうか、意識的な土井体制への挑戦を始めたのである。
 九〇億ドル支出はやむをえないという、日米同盟論の論理が土井社会党への攻撃の論理となった。
 土井社会党を押し上げた民衆の気分、意識と対決し自社公民の大連立に踏みだそうとする「連合」の役割は、「保革逆転」状況の再転換の、社会党的基盤をそぎおとすところにむけられている。
これら一連の事態は、都知事選にきわだって示された。自社公民統一候補としての磯村擁立にむけて行動したのは公明党であり、社会党独自候補擁立をつぶす役割は「連合」が引き受けた。
 そして、左派から名のりをあげた高沢寅男代議士に対しては全電通が不支持、さらには社会党支持見直しの脅しをかけた。そしてついに電機労連は磯村支持を明らかにした。
 日本における湾岸戦争反対の大衆行動はこうして、戦後の大衆的反戦構造の集約点になってきた社会党・総評構造の最終的変質をめぐる右からの攻撃に直面した。それは国労に対する執ような解体工作とも連動する全般的な活動なのである。

(5)

 イラクという、わずか人口一千六百四十万の国の、その独裁のもとに縛りつけられ、背伸びしきった五〇万の軍隊に対して世界の帝国主義の力を総動員して遂行されたアメリカの戦争は、まさに典型的な帝国主義の戦争である。
 世界政治の構造変化において、一極支配をめざすアメリカ帝国主義の新秩序に加わるのか、それともその新秩序の最大の抑圧の対象とされ、世界資本主義の矛盾の集中する第三世界の人民とともにアメリカ多国籍資本の支配に抗すべく進路を定めるのか。日本人民に問われているのはこのことである。
自公民・「連合」の新帝国主義確立への策動と徹底して対抗し闘い抜かなければならない日本政治情勢の新たな局面が始まったのである。
   三月四日
3/20国労闘争団中央集会へ

中央委を利用した闘争封殺を許すな

中労委の場での国労とJRの和解をめぐる交渉の中で、中労委側が、「まず最初に整理する」としてきた「東日本出向差別事件」について、さる一月三十一日の事情聴取において、国労指導部がJR総連並みの出向協定の締結と審理の「凍結」に応じる姿勢を示したことは、国労をめぐる政府・JR・右派の切り崩し工作の実態を垣間みせるものであった。
 一方的な出向を強制されている組合員をはじめとする下部からの反発で、当面、JR総連並みの出向協定締結は先延しされているものの、事態は依然として流動的である。
 昨年、中労委は労働側、使用者側、中立側、それぞれ三人で構成される「三者委員会」を発足させ、国労とJRにかかわる事件の調停作業に乗り出した。
 国労は、昨年の大会と、それ以降の中央委員会その他で、「採用差別事件」「配属差別事件」「脱退強要事件」「出向差別事件」、その他すべての係争事件について、中労委の場で全面一括解決=和解をめざすという基本姿勢を確認し、その場合、とりわけ「地元JRへの全員の復職」という各地労委命令を基本とするという立場を繰り返し確認してきた。
 また、昨年十二月には、出向について、「本人の意向を尊重し、強制にわたることのないよう厳正公正に行なう」など、国労としての態度を明らかにしていた。
 今回の個別的和解への踏み込みは、こうした機関決定を無視するものであり、会社案での協定締結は、国労組合員に対する一方的な出向強要に組合が「ゴーサイン」を出すに等しいものであった。また、広域採用と同時に、下請け関連企業に一方的な出向を強要され、「出向者連絡会」に結集して労働委員会闘争を闘ってきた組合員にとって、今回の「審理凍結」の受け入れは、白旗を掲げることに等しいものであった。
 こうした本部の意向は、その後何回かの全国地本代表者会議や東日本エリア代表者会議などで、強い異論が出されたほか、出向者連絡会や東京地本の各分会や、各地方からの要請行動の中で、集約することができず、三月十日に予定されている中労委の事情聴取では、@出向協定の締結、A出向事件での審理「凍結」などの合意にはいたらず、ひとまず先送りされる見通しになっている。
 今回の事態の特徴は、「中労委労働者側委員」である、連合幹部が中心的な役割の一端を担っているということであり、その背後には、国労を企業内労使協調路線に取り込もうとするJR各社と自民党政府が座っている。そして、国労機関の側では、日常的に会社側との交渉にあたる各エリア本部の専従役員の多くが、党派的立場のいかんにかかわらず、この動きを推進する役割の中心を担ったということである。
 こうした上部機関の動揺をよそに、二度目の解雇から一周年にあたって、さる二月十六日には、北海道・九州から、首都をめざした国労闘争団のキャラバンが出発し、三月二十日の首都総結集に向けて闘いがはじまっている。
 たび重なる国労指導部の動揺は、国労の路線転換にかける、政府・JRの重大な決意を示している。解雇撤回・地元JR復帰を中心とする、原則的勝利を勝ち取る道か、国家的不当労働行為を不問にする和解・企業内労使協調路線への転換か――国労をめぐる、闘う勢力と政府・JRとの綱引きは、依然として続いている。

 【集会案内】

解雇撤回! JR復帰! 闘争団全国キャラバン中央集会
■とき 三月二十日 十八時
■場所    明治公園
■スローガン
 *一千四十七名の解雇撤回!
 *労働委員会命令完全履行!
 *JR職場の労働条件改善! 安全輸送確立!
  地方交通線切り捨て、第三セクター化反対!
 *反首切り、反差別、働く者の権利を守り、九一地域春闘に勝利しよう!
 *米自由化反対! 命と健康をはぐくむ農業を守り、原発と環境破壊に反対しよう!
 *自衛隊の海外派兵阻止! 小選挙区制に反対、統一地方選挙勝利! 消費税廃止!

主催 国鉄労働組合
共催 国鉄闘争支援中央共闘会議

日本小委員会の報告と提案
       一九九一年二月


 第四インターナショナル日本支部は一九八二年以降、女性メンバーと三里塚空港反対闘争で支部とともに活動していた女性たちが、日本支部メンバーの重大な性差別、性暴力、強姦を告発するという状況に直面してきた。
 JRCL(日本革命的共産主義者同盟)とその指導部は、この告発に対して個別の問題として取り扱うという対応を行った。これらの問題がすべての男性メンバーに共同の責任がある組織内の重大な性差別の中で生じたという集団的な理解が欠けていた。そのうえ個々のケースは整合性のない一貫しない方針で処理された。
 その結果、ほとんどすべての女性同志がJRCLの組織的枠組みのもとで活動することを停止する状況がもたらされた。
 強姦や性差別問題を取り扱いえないという無能力は、JRCLの全般的危機の状況を明らかにし、その危機を拡大し、二グループへの分裂(JRCLと全国協議会)へ導いた。この中で全国的な組織活動は大きく弱まった。
 約××人の女性同志が第四インター・女性解放グループを組織している。そのグループとしての中心的な活動は、支部の中で起きた事態についての討論である。(略)
 女性同志たちが男と共通の組織に参加できないと考え、男性と女性のメンバーが別々のグループへ分裂しているというこの状況はこのうえなく深刻である。
 このことは、男性メンバーの側が組織活動において女性への抑圧と闘うわれわれの基本的立場を実践する能力を根本的に持っていないことを示している。われわれの基本的立場とこれら男性グループの現実との間に重大な不一致があり、それゆえ、これらのグループがいかなる意味でもインターナショナルを体現したり、インターナショナル内で公式の位置を持つとみなすことは不可能である。
 JRCLと全国協のメンバーが、なぜこうした問題が起きたのか、なぜ彼らの対応を女性同志たちが不適切であると判断したかについて理解を進めていく討論を継続していけるかどうかは、また日本労働運動の中で女性に対する差別・抑圧のあらゆる現れに対決していく彼らの活動の発展にかかっている。
(一節略)
 このような状況に対する日本小委員会の提案は、以下のとおりである。
 *女性同志の意志に応じて女性同志を第四インターナショナルのメンバーとみなす。
 *(一節略)
 *JRCLならびに全国協と同志的関係を維持する。インターナショナルはとりわけ、分裂以前のJRCLの組織活動のあり方が提起したあらゆる問題について同志たちと討論する。
 *東アジアにおける日本の位置、JRCLがかつて日本支部として存在していたことの重要性にかんがみ、インターナショナルがすべての日本の同志たちを積極的に援助し、われわれの活動に彼らを結合していくことはいっそう重要である。インターナショナルにとって、日本支部の再建は決定的に重要である。(略)
 *IECは日本の組織状況の進展を把握するものとする。積極的な進展があった場合、言いかえれば、女性と男性の統一した組織が形成された場合、IECにそのグループと公式の関係を持つ権限を与える。そのグループが全国的に組織されたグループとして存在し、われわれの綱領全体にもとづいて活動し、強姦問題によって招いた不信を克服するという基準を満たすならば、IECは支持グループとして公式に承認することができる。
(日本からの参加者による共同訳)

第13回世界大会決定について
(第四インターナショナル日本支部)全国協議会全国運営委員会

 第四インターナショナルの第13回世界大会が本年二月に開かれ、決定の一部として別掲の「日本小委員会の報告と提案」を採択した。

 「日本小委員会の報告と提案」(以下、「提案」と記す)の主張は明白である。「提案」は、旧日本支部の状況に関する判断、それにともなう当面の措置、再建の基準からなっている。
 「提案」は、女性同志たちを除いた旧日本支部の状況を第四インターナショナルとしての資格欠如と判断している。その根拠は、自らが起こした性差別問題に第四インターナショナルの基本的な立場から対処できないばかりか、九年間経過するにもかかわらず男性メンバーの側が自己批判、総括を行いえていないこと、その結果、女性同志たちが独自のグループを結成する事態をもたらし、女性と男性が別個の組織に属するという異常な事態を引き起こした点にある。
 この判断は、JRCLと全国協議会の二つのグループ(どちらのグループにも所属していないと考える男性メンバーをも含む)には第四インターナショナルを名乗る資格がないことを意味し、日本支部の非存在に直結している。そして、こうした事態に一切責任がない女性同志たちは「女性同志の意志に応じて女性同志を第四インターナショナルのメンバーとみな」される。第四インターナショナルと二つのグループとの間には当面、直接の組織関係(支部あるいは支持組織)はないが、「同志的関係を維持」し、インターナショナルが二つのグループの性差別問題の克服を中心とする支部再建の努力を援助する――これが当面する関係となる。
 日本支部再建(まずは支持グループになること)の基準は、@女性と男性の統一した組織が形成される、A全国的に組織されたグループとして存在し、われわれの綱領全体にもとづいて活動する、B強姦問題によって招いた不信を克服する――の三つである。
 
 われわれの組織名称について。
 われわれの組織名称は「第四インターナショナル日本支部全国協議会」であった。世界大会の決定は、第四インターナショナル日本支部の呼称を認めないということである。一方、組織名称は全国総会で決定したものであり、それ以外に新しい名称を決定する場は存在しない、という事情がある。したがって当面、第四インターナショナル日本支部を()内にいれるという暫定措置をとり、できるだけ早く全国総会を開催し、新しい名称を決定していきたい。
世界大会初参加の印象記(1)

第四インターを実感

                                       高山 徹

多彩な大会構成

 第四インターナショナルの世界大会にはじめて参加した印象を報告する。
 印象を報告するとあらかじめ断わったのは、私の語学力が原因で大会の討論の三分の一も理解できなかったからである。大会では、英語、フランス語、スペイン語の三つが使われ、発言者はこの言語のどれかで発言し、それが他の二つの言葉に同時通訳される。一人当たりの発言時間が決まっているためであろうか、多くの発言者は非常に早口で、同時通訳者がその早口に抗議をすることもあったほどだった。事情に精通していることと、相当の語学力とが大会論議を理解する鍵である。
 なお、第一三回世界大会は、旧日本支部に関してきわめて重大な決定を下した。歴史的アイデンティティーの喪失ともいうべき激しい衝撃を感じたが、これについては稿をあらためて感想を述べたい。
 世界が重大な転換期にあることには、誰も異義をはさまない。第四インターナショナルはこれを自覚し、労働者階級の側の重大な後退の中で、この転換期をどの方向に舵をきるのか――われわれと共通した問題意識のうえで世界大会が開かれた。議案書を読むかぎりは、当然であろうが、こうした方向ははっきりしていない。この問題意識がどれほど深められるのか、方向への糸口がその一端でも見出されるのか――これが大会に臨む私の関心事であった。
 世界大会は、約××の支部から××人の代議員をはじめ、オブザーバー、ゲストなど多彩な参加者で彩られ、まことに世界大会というにふさわしい構成であった。このこと一つだけでも、インターナショナルというものを具体的に強力に感じさせた。
 アジアからの参加は、日本の他は香港(中国)、スリランカ、インドだけというさびしさであった。参加支部の数からいえば、最も多いのはおそらくラテンアメリカであり、また、この地域が勢力としてもはっきりした上昇傾向にあった。欧州から参加した支部も数は多いのであるが、組織建設上の問題に直面していたり、内部対立があったりして全体としては停滞傾向といえよう。中近東地域からは湾岸戦争という事情があってきわめてかぎられた参加であった。アフリカからの参加は、アジアと同様きわめて少なかった。
 大会は、十一日間という日程であった。時間は十分ありそうなものであるが、実際にはかなり強行な運営であった。だいたいは、午前九時開始、十二時半食事休憩、二時半再開、五時小休止、七時半終了という予定であるが、終盤では真夜中近くまでつづく有様であった。また、夜九時半頃から各種の小委員会(テーマ別)が開かれ、それが十二時までつづくことも多かった。体力も相当に必要である。
 昨年春にアメリカのSWPを中心にしたグループが第四インターナショナルからはなれたためか、多数派と少数派との関係は前者が圧倒しており、前回の世界大会の雰囲気を知らないので具体的な比較はできないが、会議の運営としては多数派にとって安定していたのではないかと思う。
 しかし、発言はとても活発で、議長が発言を促す必要はない。議題の報告が行われているときにすでに発言申請者が所定の用紙を提出し、その人数が予定数よりも多い場合がほとんどだった。そうした場合、一人当たりの発言時間が縮められることになる。
 
湾岸戦争での議論

 世界大会が湾岸戦争のさなかに開かれたことは決して偶然ではないという発言があった。新しく湾岸戦争の議題が冒頭に取り上げられた。形式的には、第四インターナショナルが中心になって世界の労働者運動や反戦運動と共同の宣言を採択していくための宣言案の内容をめぐる議論であった。その基調は、アメリカ帝国主義を中心にする帝国主義側の狙いが「新しい世界秩序」の形成にあるとし、帝国主義の敗北をの立場から「イラクへの侵略反対」「帝国主義はただちに撤退せよ」というものである。
 世界大会がこうした局面で開催されていること自体が、歴史の転換期とその転換期で中心的な役割を果たしうるし、果たさなければならない第四インターナショナルの現在の歴史的位置をはっきり示しているという意味であろう。つまり、湾岸戦争は、帝国主義の側からする「新しい世界秩序」形成のための闘争であり、労働者階級、人民の側からはそれとは別の「新しい世界」を構築していくための闘いであり、その方向を定めていくものだからである。
 実際に湾岸戦争反対の大衆運動は、日本を完全な例外として世界各地で大きく発展しており、各国の第四インターナショナル諸組織はその先頭に立って運動を展開していた。また湾岸戦争反対の運動は、一国的だけでなく、世界的なつながりをもった反戦運動の高揚を予感させるものがあった。
 論点は多岐にわたったが、中心は二つ。
 一つはイラクに対する態度である。アラブ世界大衆の強力な反帝意識、フセイン支持感情を背景にして、イラクの側に立って闘う、イラク防衛という発言があり、その意味をめぐって討論された。結局、イラク防衛とは、当然にもフセイン支持を意味するのではなく、連合軍の爆撃を受けているイラク人民の防衛の意味であるということになった。これはまた、帝国主義の敗北をという立場がイラク・フセイン体制の勝利を訴える立場ではないこととして了解された。
 もう一つの中心的な論点は、イラクによるクウェート併合を非難するのかどうか、クウェートからのイラク撤退を要求するのかという問題であった。これは、一面ではとくに西側世界での反戦運動の中で平和主義者がイラクと帝国主義の同時撤退の立場を掲げていることから派生した問題である。他方では、クウェートという人工的な国家の国境というものをどう考えるのか、民族の独立、自決という問題を具体的、政治的に考えていく必要の問題を含んでいた。イラクと帝国主義の同時撤退要求に反対することが確認された。
 これらの論点は同時に、反戦運動の統一を維持し拡大するために、われわれの反帝国主義の立場と「平和主義」とをどのように妥協させつつ反帝国主義の側に獲得していくのかという問題を提出していた。また、アラブ、イスラム世界では、原理主義が大衆の素朴な反米意識、フセイン支持の気分を利用して反帝国主義意識の高揚を抑止し、運動の政治化を妨げている状況を、いかにして反帝国主義運動の独立的構築へと発展させていくのかという問題として提起されていた。
 また重要な論点の一つは、イラク人民の側に立つ、あるいはアラブ大衆の側に立つといった場合、それは当然「アラブ革命」の展望と深くかかわっており、この点をかなりの発言者が強調したことである。しかしアラブ革命の展望それ自体の論議はなかったようである。
 報告者が討論の集約発言の中で、「インターナショナルは二つの圧力を受けている。その根源は、一つは西側の平和主義であり、もう一つは原理主義的な民族主義である」という主旨を述べたが、ほとほとと感心してしまった。つまり、少なくとも私にとって、第四インターナショナルというものがこれまで何か抽象的な存在であったことを痛切に感じさせられたからである。
 インターナショナルを情勢分析や理論問題のかぎりで論じているときには感じないことであるが、現実の運動を議論する場合、どうしても日本の運動の観点から論じる傾向がある。世界大会での発言の多くも自分たちの運動の経験を基礎にしていた。そして、こうした議論の全体を通じて反戦運動総体の国際的な任務が浮き彫りにされていく過程を目撃したことは、まことに貴重な経験であった。インターナショナルを体で実感した。        (つづく)

社会主義の危機と経済学再建の課題(その3)
織田進
2 「資本主義のレギュラシオン理論」(2)


  マルクス主義のドグマ化に反対

 前回はレギュラシオン理論の主張内容から、いくつか主なテーゼを取り出して整理してみた。今回は、この理論の方法の特色とその意義について考えてみたい。
 レギュラシオン学派は、広い意味でマルクス主義に依拠することを自認するが、その仕方は彼らなりのものである。
 ロベール・ボワイエは、「人間は、かれらの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係に……はいる」(『経済学批判』序言)という、「マルクス主義唯物論」の有名な定式に関連して、彼らの留保を表明する。
 『第一に、生産諸関係は生産諸力の一定の段階と厳密に照応するというのは、おそらく誤りであろう。第二に、経済的構造と法的・政治的上部構造とに二分するというのは、経済的なものおよび物質的生産諸力の状態による最終審級での決定といったことにとらわれない社会分析をしていこうとする場合、その助けになるどころか、これを阻害してしまう』(『レギュラシオン理論』、藤原書店、六九ページ)
 アグリエッタは、マルクス主義を支持する彼の立場を次のように説明している。
 『本書が主張する理論的命題は、いかなる社会的既定性とも無関係な、普遍的な経済的合理性という仮定を退けているという意味では、マルクス主義のなかに位置づけられる。しかしそれは、マルクス主義をひきあいにだす人々の間で現在認められている見解、すなわち、マルクスが資本主義の機能《法則》と資本主義を必然的に終末へ導く傾向とを発見し、それを決定的なかたちで定式化したかのような見解とは一線を画している』(『資本主義のレギュラシオン理論』、大村書店、六ページ)。
 彼らは、マルクス主義を解決済みの定式としてとらえることに反対する。いかなる社会的闘争もあらかじめ定められた調和的均衡(ブルジョア経済学の市場原理であれ、社会主義のユートピアであれ)にまちがいなく導かれていくとする、いわば「神学的」理論体系にたいして、彼らは反対する。その逆に、マルクス主義が革命的である理由は、すべての神学に敵対するところにある。
 社会諸関係の具体的な分析に入っていくときに、大きな意味で「方向」を示すものとして、マルクス主義の理論は彼らによって承認されている。だが、歩きだすまえにゴールまでの地図を手にするわけにはいかない。
 歴史の主体は社会諸関係である、と彼らは主張する。現実の社会諸関係が、新たに歴史をつくりあげていく。世界史は、定められたステップを一段ずつ上ってきたわけではない。

  教条化の根拠

 マルクス主義の教条主義的ドグマ化の責任は、スターリン主義の支配にもっぱら負わせることが正しいのか、それとも理論自身が出発からその誘因をはらんでいるのか、そこには解明を要する問題点がいくつもある。しかしいうまでもなく、マルクス自身はこのうえなくとらわれない批判と独創の人であった。
 現実を深く切り裂く革命的理論は大衆をとらえ、物質性を獲得し、それ自体が歴史となり、新しい社会の「精神」へと高められていくのであるが、それは同時に固定的な体系として「神聖な教条化」の危険に身をさらすことでもある。そこには、革命的理論の宿命的なパラドックスがある。しかしそれは、理論が「革命のパラドックス」の一部分であることから逃れられないということに他ならない。
 ことにマルクス主義は、ロシア革命の勝利をもたらした理論として、「先進資本主義」に立ち向かう革命的周辺世界の共同体の「精神」になった。教条化・神聖化しやすい土壌と構造のなかに、マルクス主義は深く取り込まれていった。マルクス主義のアジア化ともいうべき現象が強く起こったのである。このマルクス主義のアジア化に対しては、ヨーロッパの共産主義運動からの批判はそれほど強くもなく、有効でもなかった。一部には、資本主義先進国文明の非人間化へのアンチテーゼとして称賛する傾向さえ生まれた。だが、ヨーロッパの左翼のこのような態度が、無責任さをふくんでいることはいなめない。アジア化したマルクス主義が政治体制としてどれほど非人間的であったかについては、ようやく全貌が明らかにされつつある。
 マルクス主義の教条主義的理解を批判し、そこから脱却しようとするとき、マルクス主義の歪められた歩み自体を歴史的分析の対象に置くことが重要である。そのことは、新しい意気込みで登場した理論が、自戒を忘れ、ごうまんにおちこむ危険にたいして自覚的であるために役立つであろう。レギュラシオン学派にとって、マルクス主義とその歴史におけるレギュラシオン的分析をおこなってみることが、有意義であると思われる。

  「危機」の具体的な理解

 新古典派の経済理論では、それぞれ一個の《経済主体》として平等な単位が、極大効用の獲得という同一の動機に導かれて合理的行動を展開し、《一般的均衡》に到達する。これにたいしてレギュラシオン理論は、経済を本質的に階級の闘争関係として認識する。
 経済は諸階級の利害の衝突であり、しかもその衝突が再生産されていく。衝突する利害がなぜ構造自体の完全な破壊に到達せず、再生産が可能になるのか。社会は自らの再生産を構造の原理として保有していなければ持続せず、そもそも社会たりえない。諸階級の闘争が同時に諸階級の利害の永続的な実現であるという構造が成立しなければならない。そしてこの構造こそが、レギュラシオンである。レギュラシオンは、階級闘争のなかから出てくるといえる。
 経済的・社会的危機はレギュラシオン・メカニズムとの関係においてレベルを異にする。ロベール・ボワイエによれば、それは次の五つのレベルに区分できる。
 最初に「外的」撹乱からくる危機がある。「外的」ということのなかには、外国や戦争、自然災害なども入ってくる。蓄積体制は、「外的」な衝撃の強さに比例するショックを受けるが、危機への対処によっては別のレベルの危機が誘発される。第二は、循環性の危機である。これは、経済的拡張期に蓄積された諸矛盾の清算に対応する。この危機では、諸制度はゆっくりとした、部分的な影響をうけるにとどまる。次のレベルでは、調整システム自体が危機にある。それは、危機が支配的な調整メカニズムによって解決されないことが明らかになることで示される。新しい種類のコンフリクトが生じたのであり、新しいレギュラシオン・システムが産出されなければならないのである。
 第四に、いっそう高度な危機が発展様式の危機として出現する。蓄積体制そのものが危機にあり、制度諸形態の一連の組み合わせが危機にある。最も重要な制度諸形態の内部で矛盾が激化し、限界に到達したことがあらわになる。最後の危機は、支配的生産様式の最終的危機である。この危機レベルは、社会的諸関係総体の崩壊を意味している。現行生産様式を廃棄し、新たな生産様式を採用することができるかどうかに、社会の存続がかけられる。
 これらの「五段階危機説」は、いく分図式化されすぎているようにも思えるが、「資本主義の危機」の一言で説明が完了したと錯覚するような伝統的理論のあい昧さを克服しようとする努力として、認めることができる。すべてを同じ色でぬりつぶす教条主義の方法が、社会を階級闘争としてとらえること自体を不可能にしてしまうことからすれば、危機の具体的な類型化に取り組むレギュラシオン理論は、マルクス主義の史的唯物論の有効性の回復に道を開くものといえるかもしれない。

  「純粋経済学」への批判

 レギュラシオン学派の方法的特徴のもう一つの点として、「純粋経済学」に反対することがある。「純粋経済学」とは、制度としての貨幣を商品交換の論理において非本質的なものとして排除し、労働時間や効用のような「原理」から交換の必然性を展開する経済学である。これらの「原理」は、交換を可能にする同質性として交換に先立って設定されていて、そこから交換価値を実体として認識する論理が必然的に展開される。だが、このような方法は、社会化の過程において把握されなければならない要素を、その前提にしてしまうという点で誤っている。
 『社会的実体を所与とするのではなく、生成する結果としてとらえなければならない。そのためには、交換を社会化の過程として、社会形成の根源的きずなとして認識しなければならない。それは商品社会の出発点に暴力を据えることだ、とアグリエッタは言う。暴力はあらゆる社会制度を脅かし、社会秩序を蝕むものだから、この暴力を厄ばらいし、手なづけるために貨幣という社会制度が要請されるのである。ここで価値という超越的原理に代わって、暴力が社会形成上の概念として経済学の始源に設定される』(斎藤日出治『レギュラシオン学派の貨幣認識と国際通貨・金融問題』・アグリエッタ『基軸通貨の終焉』新評論、一九七ページ)
 この批判は、《一般均衡理論》にたいしてだけではなく、マルクス主義経済学の、古典派経済学が『自然的』原理に設定する交換の諸要素とその論理的展開の延長上に、『資本論』の価値法則を理解する傾向に向けられている。経済ははじめから社会的・政治的なものと分離できない。交換はすぐれて社会的行為であり、社会化の過程として成立する。社会化の過程としての交換が永続性を獲得することは、商品経済秩序が形成されることであるが、それは、制度としての貨幣の出現を契機として可能になる。いいかえれば、交換は異なる価値の闘争であり、この闘争としての交換が再生産されるための、レギュラシオン・システムとして、貨幣が産出されるのである。したがって、貨幣はそれ自体の諸形態をもって、人類の歴史を具体的に規定することとなる。
 政治的なものと経済的なものを一体のものとして産出していく相互規定のメカニズムを通して、社会が再生産されていく。現実的な経済学は、このメカニズムの構造諸形態・制度諸形態をとらえることを課題とすべきであって、「純粋経済学」の論理の迷路から抜け出るべきであろうというのが、レギュラシオン学派の忠告のようである。

  「国民国家共同体」の経済的構造

 私はかつて、次のような問題意識を提起した。
 『資本主義国家の発展には、一つの基本的方向が存在した。経済的利害が対立している諸階級を、国家の担い手として単一の「国民」へ、より深く、より全面的に統合せんとすることが国家の発展の一貫した方向であった。……諸階級を「国民国家」の積極的な支持要因として組織すること、いわば「階級闘争の国民化」によって、諸階級を統合する国家構造をつくり出すこと、これが現代資本主義国家がめざした発展の方向であった。こうした新しい階級統合の「柔構造」は、今日の帝国主義中枢諸国の共通の政治形態である「現代民主主義」によって実現された』(『ボナパルチズム論再考』)
 私は、「現代民主主義」の最大の特質を、「国民国家共同体」へのプロレタリアートの統合に求め、その構造の原型が、第二次世界大戦のなかから生まれでたものであると考えた。私はその議論を、第一次世界大戦後のドイツ革命の敗北の原因を分析することから出発させ、さらに一方におけるファシズムと、他方における反ファシズム統一戦線との対抗そのものが、この統合の構造を積極的に準備していったものであると論じた。
 だがこの問題領域が、政治的にだけ設定されてはならないことは明らかである。「階級闘争の国民化」というとき、国民経済における階級闘争のあり方が解明されなければならないことはいうまでもない。この点に関して、レギュラシオン理論から学ぶべききわめて多くのものがある。
 レギュラシオン理論の方法は、蓄積体制を把握するときに賃労働関係を軸にする。それによって、資本主義経済にたいするプロレタリアートの側からの規定性を把握する。労働者階級を「消費ノルム」の設定を主要な制度として「終身的に統合」するフォード主義的成長システムという概念は、第二次世界大戦後の資本主義の高度成長を、単に技術革新によって説明したり、新たな植民地支配の成果に還元するのではなく、戦後資本主義が構築するにいたったあらたな階級闘争の構造から解明する根拠を与える。
 問題をこの側面からみると、高度工業化資本主義諸国のプロレタリアートの「帝国主義国民国家への階級統合」という歴史的に特殊なあり方を、単純に屈伏・敗北としてではなく、階級的利害の特殊な貫徹形態としてとらえることになる。戦後資本主義に高蓄積をもたらしたフォード主義が、プロレタリアートの歴史的な階級闘争をも契機とするレギュラシオン様式であることが把握される。このような意味において、現代はプロレタリアートの時代であるということができる。

  「勤労者民主制」
    ――レギュラシオン学派のプログラム

 レギュラシオン学派にとって、未来はいかにあるべきだろうか。「フォード主義の危機」としての現代資本主義の危機の克服の基本戦略は、民主主義を基礎とする新しいシステムを確立することであると彼らは提案する。それは、「勤労者民主制」と名づけられている。
 アグリエッタは次のように述べている。
 『いま問題にしているのは、非常に大きなスケールの社会革新である。この社会革新がフォード主義的経済成長と異なるのは、このフォード主義的成長体制が一九世紀の市民社会における資本主義発展と異なるのと同様である。実際、歴史的に変化するのは、賃労働階級を資本主義に統合する質なのである。現行の賃労働階級の終身的な統合は、もっぱら量的な、分配面での社会進歩にもとづいているが、このような統合にかわって、いつまでつづくかわからない危険な過渡期が終わるときには、生産や消費の仕方に関する決定過程への賃労働者の積極的な参加が不可欠となるであろう。政治的プロジェクトの課題は、このような民主主義原理を一群の経済制約のなかで具体化できるようなルールや制度を用意することである』(アグリエッタ『資本主義のレギュラシオン理論』、大村書店、日本語版への序文)。
 ロベール・ボワイエも、最新の情報化技術の革命と結びつけて、経済の勤労者による管理を実現していこうとする「社会民主主義モデル」としての「勤労者民主制」について、『入門・レギュラシオン理論』(藤原書店)のなかでいくらかふれている。
 詳細について知っていないので断定は避けたいが、「勤労者民主主義にもとづいて、資本主義経済を管理する合理的なシステムをうちたてること」が、レギュラシオン学派の当面のプログラムであるように思われる。また彼らは、ヨーロッパ統合についても積極的な態度を示している。アグリエッタは、破産したドル本位制を隠蔽している投機化した変動相場制に代わるべき新しいレギュラシオン様式として、ヨーロッパ単一通貨に向かって前進すべきであると主張する(『基軸通貨の終焉』)。
 こうしてみると、レギュラシオン学派の位置は、八〇年代の世界情勢のもっとも重要な特徴であった新しい民主化の波のなかでとらえることができるものと思われる。この民主化の波は、ベトナムをめぐる対抗の後に世界をとらえた。ソ連・東ヨーロッパの民主主義「革命」や韓国その他の軍事独裁国家における民主化としてそれは起こり、二〇世紀末にむかう世界情勢を今日でも規定している。レギュラシオン学派が、この世界的な潮流のなかでその役割を自覚的に果たそうとするものかどうかについては私はまだ判断できないが、少なくとも彼らのプログラムが、民主化のための経済的理論として、いま進行している時代に適合する性格を持っていると、私には思える。
3・17現地集会に総結集しよう。
            九〇年概成を阻む未買収地二十一・三ヘクタール

 四半世紀も闘いつづけてきた三里塚闘争は現在、大きな山場を迎えている。
 成田二期の九〇年概成を、第五次空港整備計画の主要な獲得目標としてきた政府・空港公団は、今年四月からを初年度とする新たな第六次空港整備計画においても、空港完成どころか概成の見通しも立たない状態に陥っている。
 公団は五空整当初、概成とは「主要施設が完成し、航空機の発着が可能な状態」といっていた。だが、その定義も「空港らしい形ができた状態」と後退させている。いくら予算を計上しようとも、あるいは概成の定義を変更しようとも、二期工事予定地の未取得地二十一・三ヘクタールの存在が二期工事を阻み、政府・公団をますます苦境に追い込んでいる。
 この窮地の乗り切り策が、成田治安立法の発動による団結小屋の封鎖・撤去であり、「軒先までの工事の強行」である。しかし、これは、未買収用地取得の困難性をより鮮明に浮かび上がらせている。

あと一歩を「もう二十五年闘ってみよう」と決意する反対同盟

 いま、反対同盟結成から二十五周年を迎えようとする三里塚農民は、いくつもの厳しい局面を闘い抜き、八九年十二月事業認定失効から二年目を迎えた。時間は、事業認定失効をより効果あるものとするであろう。すでに、収用問題を抱える千葉県は、委員の任命を先送りして、責任を回避しはじめている。そして強権発動・収用を依然として断念しない政府・公団を追いつめるものとなっている。
 勝利までいま一歩という中、「ここに住み、生活していることが闘い」という基本原則のもとに反対同盟は用地内を住みやすくし、かつ営農をつづけるために、作業小屋「案山子亭」の建設、そして東峰出荷場の建設計画を発表した。また「二十五年闘って、もう二十五年闘ってみよう」と、反対同盟結成二十五周年記念行事を盛大に呼びかけている。

混乱をつくり出す地域振興協議会

 勝利まであと一歩の見通しの困難さ、「強制収用実力阻止」型運動の主体的困難性は、「ここ数年は膠着状態のままで、いつまでたっても決着がつく状態ではない。県は強制による不幸な誤ちを繰り返したくないだろうし、二期用地内の農民にとっては死ぬまで収用の脅しをかけられた状態が続く。であれば、お互いに譲り合うしかない」(石井新二談)との認識を同盟内にも生み、そして県一市七町の首長らをメンバーとする地域振興連絡協議会が発足した。そして地鎮祭、シンポジウムと動きをはじめた。
 だが成田闘争の平和的解決を唱えながらも、横堀団結小屋の砦の成田治安立法による「除去」をめぐっては、熱田さんの「横堀新畑」で地権者不在をよいことに、大根を抜き、野積みされた落花生をひっくり返し、麦を踏みつけ、砂利を入れるという暴挙を働いた。
 このようなやり方は、「地元に相談もなく一方的に閣議決定を行った空港建設の強行と同じで、既成事実を暴力的に推し進め、それを押しつけてくるやり口」であって、「虫けらのように扱った人々と協議することなど理解できない」とする協議会批判声明が横堀住民によって出された。また地鎮祭についても「生きているものの思い上がりとしか思えない」と反対同盟の声明を公表した。
 こうした協議会問題をめぐっては、同盟内の思惑の違い、三里塚に心をよせる支援の当惑を巻き起こしている。これが、政府・公団のもくろむところであるだろう。いたずらに動きに左右されることなく、同盟と支援の信頼関係、団結を固めていく方向で対応することが求められている。
 ともすれば、「膠着状態」の中で漫然と時の流れに身をまかせることなく、現地との関係を強める運動をつくり出していかなければならない。
 3・17現地集会に総結集しよう。

3・17三里塚現地集会への招請状
  三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)
「二五年闘って。もう二五年闘ってみよう」

二期工事をどんどん進めておいて「話し合い」はねえよ
       熱田一
 反対同盟はどういった誤ったことをやったか。自分の土地を守る闘いだっぺよ。いっこう誤ったことしてめえ。むこう(政府)が人の宅地に入ってきたから出た問題であってよ。
 そりゃ、政府が引き上げりゃ問題ねえよ。きれいに引き上げてもらえれば、平和な成田、芝山がまた誕生できる。
 彼らがいるから犠牲者が出る。できもしない空港の見苦しい姿をさらけ出しているんだよ。
 政府は「話し合い」をいっているが、二期工事をどんどん進めておいて「話し合い」はねえよ。土地を売る気などないものに「話し合い」する必要なんてあんめえよ。俺は微動だにしないよ。二十五年の闘いを生かして、同盟の基本どうりやっていくということだ。
 三月の現地集会に大勢の人が参加してくれるように期待しているから。

政府が反省しなくちゃ、日本は法治国家だといいながら法を無視してるのは政府だから
    小川源
 今から二十五年前に勝手に閣議決定しておきながら、一回の話し合いもないまま、強制収用をやってきた国に対してわれわれは立ち向かってきた。それらのことを全部ふせておいて今は「話し合い」をしましょうとは。
 政府が反省しなくちゃ、日本は法治国家かといいながら法を無視してるのは政府だから。
 日々、弾圧にさらされながら、姿勢を曲げないでいるけれど、精神的な打撃は言葉で言い表せないほどある。それでも二期工事は絶対にやらないと政府に言わせない限り話し合いには絶対に応じないよ。政府が間違っていて、われわれに権力をふりかざして弾圧をかけ、この間に逮捕者や犠牲者が出てる。
 それなのに「地鎮祭」なんて、あんまりわれわれを愚弄するんじゃないよ。
 また、一昨年の十二月で事業認定はもう失効してるにもかかわらず、政府は成田新法を適用して使用禁止、撤去というようなことをやっている。
 反対同盟の威信にかけて、事業認定は失効したとはっきり示させたい。そうでないかぎり、われわれ用地を持っている人間としては絶対に話し合いには応じられない。われわれの方針には変わりがなく、九一年は一致団結して勝利したいというのが目的だ。政府の出方に対応してあくまでも闘っていく。

俺たちに強制収用しようとやってきた場合に、どちらが正しいかといえば、俺たちの方が正しいんだ
   石井武
 「話し合い」、「話し合い」と運輸省が言い出してからもう二年近くたつのか。おととしの十二月十六日にこっちが声明を持っていった直後に、運輸省が対等の立場で話し合いたいと言い出して、あれから二年もたっている。それからなんの進展もなく政府はやる気もないわけだ。「話し合い」という恰好いいポーズをとっているだけで、事業認定の失効を認めるわけじゃなし。対等の立場に立つと言っても、俺らが百歩ゆずったって無効は事業認定失効は認めねばなんえわけだ、法的に。
 最近、腹たつことがあって、この間、小川源さんと一緒に出かけようとしたら、ある警察官が、「木の根とか要地内は要するに警戒区域だから、そこから出た車は検問しなきゃなんねえ」って言うんだ。
 俺たちに言わせれば、俺たちはもうここに何十年も前か住んでいるんだよ。後から何の相談もなくここに空港の位置を決定し事業認定しておいて、しかも事業認定が二十年すぎて失効してそれから一年以上すぎているのに、ぬけぬけと法の番人とかそういうことを言ってるわけだよ。
 政府が「話し合い云々」と言っているけれども、むこうが失効を認めないかぎりは話し合いする気はないし、むこうも話し合う気はおそらくないと思うね。ないから今日までズルズルきているわけだ。
 むこうが事業認定が失効している現在でもしてないと言いつづけて法を曲げて、俺たちに強制収用しようとやってきた場合に、どちらが正しいかと言えば、俺たちのほうが正しいんだ。その点では、やはり同盟だけでは力が足りないんだから、多くの皆さんに結集していただいて、徹底的に闘う以外にはない。
 多くの人が集まって、われわれの結束が固いということを権力に見せてやりたい。そのために大勢の人に結集してもらいたい。

二期工事阻止、廃港に追い込むために皆さん集まってください
      秋葉哲
 闘いも二十五年、四半世紀になるが、農民の闘いとしては素晴らしい闘いだと自分でも思う。
 旗開きのときに、石井さんが「もう二十五年続くかもしんねえけど、それまで闘うんだ」って宣言したけど、そのとうりだよ。
 二期工事阻止、廃港に追い込むために皆さん集まってください。
   一九九一年二月

集会名称 二期工事阻止・空港廃港3・17三里塚現地集会
日時   三月一七日(日)午後一時集会開始 三時デモ出発
場所   芝山町横堀 反対同盟現闘本部前集会場
主催   三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)
連絡先  千葉県山武郡芝山町香山新田一〇六―四
     пZ四七