2006年2月10日        労働者の力             第 191号

 
改革・開放の現段階と今後の中国
迫り来る「新しい階級」と市場経済の衝突(下)

織田進
 

 
前号の内容
1、改革・開放の合意はどのように形成されてきたのか
 @毛沢東体制からの離脱
 A「社会主義市場経済体制」から「私有財産制」へ
 B党の「変質」
2、経済成長はどのように達成され、何をもたらしたのか
 @人民公社の解体と」農業改革
A急速な工業化・「持続的成長」の要因

2.経済成長はどのように達成され、何をもたらしたか

B 急速な経済成長の矛盾
 急速な経済成長は、中国社会に新たな、重大な矛盾を生みだした。
 それは、中国が極端な階層社会に変わりつつあるという問題である。
 世界銀行の推計による中国のジニ係数(*)は、改革・開放のスタートの時点では0・158であったが、2000年には、国際基準が規定する絶対的不平等ライン0・4を突破して0・458にまで跳ね上がっている。しかしこの数字は中国の庶民の実感とはかけ離れており、ある民間調査機関は、国際基準が定めた社会的動乱がいつ発生してもおかしくない危険ラインである0・6にほとんど達していると推計している(何清連前掲書)。中国は、人口の1%が国の社会的富の過半を所有する国家となっているのである。
 *1%の人口が占有する  社会的財産の比率。たとえばジニ係数0・5の国は、1%の人口が全体の財産の半分を所有していることになる。世界銀行のレポートでは、24の「先進  的民主国家」の平均ジニ係数は0・34であり、日本と北欧は0・3を下回っている。
 改革・開放以前の中国でも、党と国家の高級官僚が国の富を無制限に簒奪していた。この時代の絶対的な不平等は、国家・社会に対する党の支配構造として存在していた。官僚に与えられる富は、党と国家の機構の中で占めるその個人の地位によって規定され、政治的変動が生じればいつで剥奪されるものであった。
 しかし今日の不平等は、私有財産の不平等である。人口の1%の富裕層が占有する富は、その個々人に属するのである。これらの富裕層は、国家・地方権力を掌握する政治エリートと企業を支配する経済エリートからなり、しかも2つの層は重なり合っている。
 富裕な上層部の富がますます増大していく中で、都市にも農村にも、その底辺に、貧困で無力な人民の膨大な層が堆積して行っている。
 農村では、2元的戸籍制度のもとで、人口の7割を超える農村部人民の大多数が、社会の下層に閉じこめられている。
 都市部の貧困層の主力は国有企業の従業員・元従業員である。これらの層は失業者、レイオフ中の無職者、生活保護者、早期退職者、生産停止中の国有企業の職員その他からなっており、これに地方・農村から職を求めて出稼ぎに来て都市の隅々に滞留している大量の農民が加わる。これらの貧困層は所得水準がきわめて低いため、自分や家族の将来に向けて教育その他の投資を行うことは不可能であり、浮かび上がる手段も機会もない、切り捨てられた存在である。
 解放以前の中国の都市や農村に存在した絶望的な貧民・下層社会と、巨富を占有する支配集団とが、ごく短期間に対極に形成されたのである。
 こうした格差は、成長する東南部沿岸地帯と停滞する西北部辺境地帯との地方間格差として広がりつつある。取り残された西北辺境の問題は、少数民族自治、宗教対立の要素をはらみ、先鋭な政治的対立の様相を呈している。最近中国政府は、「西部開発」を重点施策として打ち出している。それは、深刻化するエネルギー危機を背景に、主として資源開発として進められようとしている。こうした開発は、民族自治の基盤となる地方・民族産業の独自な発展をもたらすよりは、むしろ全国経済への従属を深め、地方間・民族間の不平等を拡大しつつ、これらの地域のいっそうの経済的・政治的統合を強権的に実現しようとするものになっていく可能性が大きい。

 ある研究者は、中国の階層分化を次のように推計する(何清連前掲書)。まず社会の上層を構成するのは、政治的・経済的エリート集団であり、これは全人口の1〜2%をしめる。ついで上層の中間層は、高級知識人、諸企業のマネージャー、外資系企業のホワイトカラ−等であわせて4%、下層の中間層は技術者、知識人、教育・文芸・マスコミ関係者、下級管理職者、個人経営の商工業者等で約12%、すなわち中間層はあわせて16%程度である。これに対し、一般労働者と農民は人口のおよそ7割に近い下層であり、そこから上昇する可能性はほとんどない。さらにその下に、都市と農村の失業者・生活困窮者が存在し、およそ14%を占めている。この層はいわば解放以前の中国に広汎に存在した疎外層の再来である。従って現在の中国の下層・疎外層は人口の8割を超えている。
 さらに、中国経済の急速な成長が生み出した新たな階層分化は、世代を超えて受け継がれていく、世襲の身分制へと固定しつつある。
 この階層社会構造は、専制支配体制である政治権力構造と一体化しているために、固定され、世襲されていくのである。それは、事実上の身分制である。民営部門の巨大企業の支配集団はほとんど例外なく高級官僚の縁につながる者たちであり、党の高級官僚の子弟であることなしには次世代の政治エリートに加わることは不可能である。これらエリート集団は自らの集団の内部ですべての権益を配分しており、その行為が合法の枠を極端に超えた場合には汚職として摘発されることもあるが、多くの場合は内部で処理されて表面化されることはない(「1999年から2001年までの3年間で、組織腐敗によってもたらされた中国の経済損失額が、毎年GDPの14・5%から14・9%に相当するという指摘もあった。」(田暁利前掲書)。

3.中国はどこへ向かうか

 社会主義的現代化、改革・開放の20年を通じて、中国は急速な経済成長を成し遂げると共に、極端な階層社会に転化した。
 今日の中国は、未だ転形期の国家であり、終着点がはっきり見えているわけではない。ここでは、この未だ例を見ない特異な転換期を経過しつつある中国が今後どのような方向に進む可能性があるのか、若干の思考実験を試みてみたいと思う。

@「新しい階級」の形成

 われわれは、ソ連を始め東ヨーロッパの「社会主義諸国」で、1990年前後に相次いで「社会主義」独裁政権が打倒され、それらの政権を担ってきた各国共産党が回復不可能な打撃を受けたことを見てきた。これらの諸国では、スターリニスト官僚による専制支配体制の打倒の結果として、国有計画経済から市場経済への転換が起こった。国有計画経済は、スターリニスト党官僚支配体制の不可欠の基盤であったが、その体制の終焉と共に歴史から消えた。
 これに対して中国では、市場経済化を軸とする経済の転形は、漸進的過程として遂行され、共産党の国家支配は全く揺らいでいない。それどころか、80年代の末に生じた民主化を求める人民の闘争は粉砕され、その敗北の上に、上からの市場経済化が推進された。
 中国では、共産党自身が市場経済化を組織したのである。新しい市場経済の担い手の本体は、共産党官僚の内部から供給され、国営企業・私営企業の全体をつらぬく経済支配集団を構成し、政治支配集団と一体化している。
改革・開放を総路線とする経済の全面的市場化の過程で、中国に事実上「新たな支配階級」が形成されたのである。この「階級」の力の根源は、国家権力の独占にある。経済的な支配力を基礎として政治権力を掌握したというのではない。その逆である。この「階級」の基盤は、まさに政治権力そのものなのである。
 だが、実際にはこの「階級」は、本当は新しくはない。スターリニスト官僚専制国家である中国の支配「階級」としての官僚集団が、市場経済化した国家と社会の新しい構造の中で、引き続き支配「階級」としてあり続けていくための転形に、今のところ成功しているということである。
 この「新しい階級」の形成こそ、ケ小平改革の結論である。
 なぜこのようなことが可能だったのか。
 
 改革・開放に基づく経済成長の基本構造は、市場経済への転換のための資本と市場の、国家による提供と創出である。いわば「資本主義的原始的蓄積」が国家の意思と行為によってなされたということができる。
 20世紀末の4半世紀にわたったこの期間の対極をなすものは、それに先立つ4半世紀の毛沢東時代、いわば「社会主義的原始的蓄積」期である。
 その時代は、農村・農民経済の徹底した収奪によって国有工業経済の資本と市場を創出した時代であった。その基本的手段は農業集団化と指令制計画経済であり、スターリンによって完成されたソ連国有計画経済建設と本質的に同一の戦略に基づくものであった。
 ケ小平の改革・開放路線に基づく現代化は、それとは逆向きの過程であった。新たな市場経済の主役となる私的資本は、中国内部においては国有財産の流出(*)によって創出された。したがってこの半世紀を概括すれば、前近代的私的経済部門たる農業資本が国有計画経済部門に強制的・半強制的にいったん蓄積され、再びそれが近代的私的経済部門の私的資本へと転化する過程であったと言える。この形態転換の一貫した主体は、スターリニスト官僚専制のアジア版である中国共産党の国家である。
*「国有資産管理局が統計資料やサンプリング調査、典型的な事例にもとづいて大まかにとりまとめた結果、1982年から92年にかけて生じた流出、損失は5000億元余りに達するとの結論を得た。この数字は、1992年の全国の国有資産総額2兆6000億元余りの約5分の1に相当し、92年度の財政総収入4188億元よりも800億元余りも多い。・・・それは毎日1億3000元の国有資産が流出していることを意味する。」(何清連前掲書)
 なお、氏はこうした資料に基づき、現代中国の原始的な資本蓄積のプロセスは    90年代前半に完成したと主張している。
 中国における「資本主義的原始的蓄積」を決定的に助けたのは、20世紀末世界経済を規定したグローバリゼーションと情報化の波に乗って、国外から提供された資本と市場であった。中国国有計画経済の転形期となった20世紀最後の20年間は、香港・台湾・東南アジアの経済を主導する華僑・華人経済圏の国際的な発展・成長の時代であった。中国の経済成長の原動力となった外資の過半は、華僑・華人資本が提供したのである。21世紀初頭のグローバリゼーションの半面は、大華人経済圏の躍進であると言えよう。

 中国経済の全面的市場化が実現され得たもう1つの要因は、毛沢東によって破壊された党と国家を引き継いで、ケ小平路線への転換を推進した高級官僚集団が形成されたことである。「反右派闘争」や「文化大革命」を通じる毛沢東の反知識人・反文化人政策は、高級官僚・知識人階層に甚大な被害を与えたが、それにもかかわらず科学・技術部門と上級テクノクラート層は、基本的には保護されてきた。毛沢東主義の一面は軍事強国化路線であり、近代的軍事力建設の目的に必要な科学・技術部門と理科系知識エリート層は、深刻な破壊を免れたのである。実際、江沢民と胡錦涛以下の政治局常務委員の全員が、清華大学をはじめとする理科系の大学・専門学校の出身者である。
 ソ連・東ヨーロッパの市場経済化は、同時にスターリニスト官僚集団の政治的崩壊過程であったが、中国では、市場経済への転換を組織する官僚集団が、共産党内部に生き残っていたのである。ケ小平はゴルバチョフの敗北から学び、「民主化勢力」への妥協を拒否し、党指導部の結束を維持した。この過程で趙紫陽は失脚し、江沢民体制の反民主主義的基本性格が確定したのであった。

A「党国家体制」と全面的市場化の矛盾 

 それではこの「新しい階級」のもとで、中国はどこへ向かっていくのであろうか。
 中国の知識人の間には、この大きな問いに対して、基本的には対極に立つ2つの考え方がある。
 第1の考え方は、今日の矛盾は、望ましい発展のための1時的な副作用であり、様々な対策が適切に講じられれば、中国は安定した成長の軌道を描いて全般的な「小康社会」に到達できるとするものである。「中国経済は今後さまざまな問題や挑戦に立ち向かうことになる。その間多くの局地的な危機と動揺が出現する。しかし、現状の発展の趨勢や、問題に対処する姿勢と方法から見て、局地的な問題は全国的な危機や動揺にまで広がることはない。・・・全体的に見て中国の抱えるさまざまな問題は長期的な問題であり、徐々に経験を積み、模索しながら、古い問題を徐々に解決して初めて改革が可能となり、新しい体制が確立されるのである。これが中国にとっての最善のルートである。」(樊綱『中国・未完の経済改革』)
 今日の中国は「原始資本主義」の段階にあり、したがって様々な格差の増大や不均衡は避けがたく生まれてくるが、極端な矛盾は成長によって克服され、いずれ「普通の資本主義」に到達していくのであり、中国の指導部もそのように進んでいくであろうという見方は、日本や欧米の資本主義諸国の政府や財界に支配的な見方である。
 第2の考え方は、これとは対照的に、中国が重大な対決へ、いわば新たな「革命」へ向かっているとする。「もしも5パーセントの権勢者が権力を利用して金銭を巻き上げるのを社会が許すなら、残る95パーセントの金銭を奪われた人たちは最終的に暴力を用いて、巻き上げられた金銭を力ずくで奪い返すだろう。これこそ、中国の歴史上、くりかえし上演されてきたドラマである。中国のWTO加盟後、権力によって支えられた国内独占資本は引き続き発展し、国際資本と内外融合し、中国の政治利益集団を共同で支え、政治利益集団・経済利益集団・外国資本の三者による共同統治の構造を形成するだろう。社会の危機が次第に深まるにつれ、政府の主要な任務はまたもや歴史の古い道に戻る可能性が強い。それは、軍隊と政治の独裁手段をもって、過去1世紀半にわたり中国で繰り返し出現した伝統的危機、すなわち最下層の騒乱を防止することである。中国の歴史はぐるりと1回りしたのち、新たな歴史のサイクルに入った。」(何清連前掲書)
 この2つの考え方は、今日の中国社会が、急速な経済成長とともに重大な矛盾を生み出して、前例のない危機に直面していることについての認識は一致しているものの、その先の展望については大きく分かれている。

 現在の中国が抱えている根本的な矛盾は、発展する市場経済と共産党の一党独裁・官僚専制国家体制との間にあることは明らかである。
 第1に、全面的な市場経済化による急速な経済成長と、そのもとで新たに醸成されている社会的矛盾の深刻化は、議会制民主主義に立脚した法治国家のルールの確立を、緊急な政治的課題として提起している。リスクとリターンの公平なルールが法的に制度化されなければ、内外の資本に安定した活動空間を保証することができず、階層化する社会は国民的正当化の根拠を得られない。
 第2に、スターリニズムの特有の政治構造である「党国家体制」(小林弘二『ポスト社会主義の中国政策』)は、巨大な非合理の体系である。行政のすべての場面で権限が二重化し、国家と党の機構が平行するこの構造は、それ自体が非効率と浪費のシステムとして、別の意味における「大きな国家」である。こうしたシステムは電子のスピードで展開する今日のグローバル経済に適時に対応することができないため、党・国家の二重性を排除し、党と国家を分岐する必要が生じる。
 第3に、「党国家体制」においては、地方分権の進展が国家統一の危機を醸成する要因に転化してしまう。国家の中央と地方の関係が党の中央集権体制に規定されている場合には、通常の意味での地方自治はあり得ないため、地方分権の要求は国家への反逆の要素を持つことになるからである。そして、本来は自治の問題として解決されるべき少数民族問題や宗教問題が、党の中央集権とイデオロギー的統一に対する挑戦と見なされて、しばしば重大な政治紛争に発展し、市場経済が必要とする安定した統一国民国家の体制を脅かすのである。
このような理由から、全面的な市場化の中で、共産党指導部の予想を超えて中国の矛盾は拡大して行くだろう。彼らの支配の唯一の基盤である権力の独占が、その成果である市場経済の利益と、本質的に背反せざるを得ないからである。
 ここに、「新しい階級」の脆弱性が生まれてくる。「新しい階級」の成員たちは、この矛盾を感得せざるを得ない。彼らは、その脆弱性の故に、安定した将来を描くことができない。そのため、彼らの多くは、自らの資本と財産の海外逃避の衝動にかられることになる。ましてその「資本蓄積」が、必ずしも正当とは言えない手段によってなされたものである場合にはなおさらである。ある資料によれば、2000年の資本海外逃避額は480億ドルに達したが、これはその年の外国企業の対中投資実行額407億ドルよりも多いのである。

B中国の進路

 私は、共産党による国家権力の独占と強権的支配の今日のシステムは、発展する市場経済と長く共存することができないだろうと予測する。矛盾は急速に大きくなり、社会的対立の緊張が高まって、様々な爆発的形態をとるであろう。
 したがって、中国が高度経済成長を継続していく中で、議会制民主主義に基づく新たな国家制度の確立と、中国共産党の一党独裁制から多党制への転換が、常に迫られ続けることになる。
 すなわち、「民主化」である。中国の矛盾の根本的解決は、まず「民主化」から始まるのである。前項で取り上げた二者択一への答えは、中国国家が「民主化」の課題をどのように解決しようとするかによって決まってくる。
 中国の「新しい階級」は、自らこの課題に積極的に答え、権力独占の漸進的放棄につながる「上からの民主化」の過程を開始するであろうか。
 現在のところ、中国共産党はこうした方向に進む動きを全く見せていない。逆に、あらゆる反国家的潮流を封じ込め、「民主化勢力」を芽のうちに鎮圧して、独裁的党国家体制をあくまで守り抜こうとしている。彼らは、高成長する経済が諸階層の利害の対立を緩和し、人民の不満が爆発的に先鋭化する危険を防ぐであろうと判断している。
 他方、この矛盾を一挙に、革命的に打開する力を持った勢力が、近い将来に下から成長してくる見込みがあるようには思われない。人民の小規模な抵抗や暴動は頻発しているが、隅々まで張り巡らされた抑圧網をかいくぐって、中国共産党の対抗勢力が全国的に結合し、拡大していく条件は、未だ成熟していないと思われる。こうした発展が起こるためにも、一定の「民主化」が必要であるが、天安門事件以後の中国政府は、民主化勢力の徹底した封じ込めと、民族的・宗教的な要素も含む反政府的な潮流にたいしては、過酷とも言うべき厳重な抑圧を続けている。
 したがって当面する一定の期間は、権力独占の放棄につながるリスクを排除し、「党国家体制」を堅持しながら、中国共産党が漸進的に進める「改革」の過程となるだろう。だが、そのような虫のいい漸進的「改革」では、事態の本質的な解決を図ることは出来ないのである。
 最もありそうなことは、遠くない将来において、劇的な「上からの民主化」が始まることである。そしてこの「上からの民主化」は、議会制民主主義と多党制への道を開き、中国共産党の「党国家体制」からの転換へと向かっていくであろう。このとき、「中国型の社会主義」は、実質的な終焉を迎える。
 結局、ソ連・東ヨーロッパのスターリニスト体制がたどった道を、東アジアの条件下において、異なった速度で、中国もたどることになるだろう。本質的に反民主主義の制度であるスターリニズムは、ヨーロッパの先例にならってアジアに移植されたが、「上からの民主化」を通じる自己解体の過程も、ヨーロッパからアジアへ波及したことになる。
 中国の「上からの民主化」を主導する勢力もまた、最初は、ソ連の場合と同様共産党内部から生まれてくる可能性が高いと思われる。そのときは、個人としてであれ集団としてであれ、「中国のゴルバチョフ」が、いずれ登場するであろう。毛沢東主義は「中国のフルシチョフ」の打倒には成功したが、「中国のゴルバチョフ」によって引導を渡されることになるのである。
 しかしながら場合によると、事態がこのようには展開しないで、中国共産党が現実の諸矛盾と折り合いをつけ、全体主義的な一党独裁体制を相当長期間にわたって生き延びさせることに成功する場合も、全くあり得ないとはいえない。それは、諸勢力間の利害のバランスがもたらす、引き延ばされた過渡期というべきものとなるだろう。こうした特異な展開が、どんな新しい社会への過渡となるのかは、現在の私には構想することができない。

 私は、中国に誕生した「新しい階級」について、若干の考察を試み、そこから生じ得る未来の可能性についても言及した。
 われわれは、今日の中国と、その支配者たる「新しい階級」が、30年に及ぶ毛沢東主義の時代のアンチテーゼとして生まれたことを知っている。深刻化する社会危機の中でも、「改革・開放」の中国共産党が権力を維持し、指導部の結束が保たれている最大の要因は、全人民に耐え難い苦難をもたらした毛沢東主義の否定に立脚しているからである。
 ケ小平は、「先富論」を掲げて改革・開放を開始した。それは、私的富を罪とする毛沢東主義の禁欲的統制に対するアンチテーゼであった。「先富論」こそ、大衆に毛沢東の禁欲的統制の時代の終わりを告げる新しい時代の象徴であった。この「欲望の開放」の行き着いた先が、今日の階層社会であり、その受益者たる「新しい階級」なのである。
 今日の中国は、毛沢東主義の挫折の裏面である。
 われわれは、20世紀において10億を超える中国人民に夢と苦難と絶望を強制して歴史から退場した毛沢東主義とは、何であったのかを考えなければならない。われわれは、文化大革命のさ中において文化大革命をとらえ得ず、毛沢東の時代にあって毛沢東主義を把握し得なかった。
 毛沢東主義とその時代の総括は、われわれを中国をとらえ直すための1つの重要な視座に導くであろう。
 われわれはこの考察を、20世紀スターリニズムの研究の1部分として行わなければならない。スターリニズムの総括は、その批判を綱領的立脚点としてきた者たちが引き受けるべき最も重要な課題であるが、その責務は未だ十分に果たされてはいない。毛沢東主義に歴史の光を当てることは、20世紀の最大の謎であるスターリニズムの勝利と敗北を解明する上で、重要な寄与をなすであろう。
 中国のスターリニズムは、まもなくその時代を終えようとしている。
 そして、20世紀世界スターリニズムの歴史は、本当の終焉に到達するのである。
 ミネルバの梟は夕暮れに飛ばなければならない。     (完)

 
 ボリビア
統一、そしてボリビア左翼の展望

    
レムベルト・アリアス
          

IV編集部より
 選挙におけるエボ・モラレスと「社会主義のための運動」(MAS)の勝利以前に書かれたこの論考で、レムベルト・アリアス(第4インターナショナルボリビア支部の革命的労働者党・闘争派、POR・コムバーテのメンバー)は、ボリビア左翼の統一問題を扱っている。そこで彼は、2005年3月の短期しか続かなかった統一協定に注意を向けさせる。この協定には、MASを含む全左翼が参加していた。その上で彼は、2006年1月に開催予定の「全国労働者民衆会議」について概説している。この会議には、MASに批判的な諸勢力も参加する。

 2005年3月9日にCOB(ボリビアの労組ナショナルセンター−訳者)本部で署名された「左翼統一協定」は、長く続かなかった。しかしこの統一は新たな協定を通じていつでも刷新可能だ。とはいえその協定は今後、一連の展望を採用しなければならないだろう。その展望とは、その統一に、長続きする具体的な代替的勢力に転化する可能性を与えるものでなければならない。同様に来る「全国労働者民衆会議」も、そこに参加する社会運動にとっては、代替勢力となる可能性をもっている。

この間の政治情勢の概観

 国家行政権力は、2005年12月18日に総選挙と知事選を行うことを可能とする法令を交付することによって、「下院議席配分戦争」に終止符を打った。議席を巡るこの紛争は、ラパスやオルトやポトシという州都において、それなりに想定可能な一連の抗議を巻き起こした。即ち、住民の大衆的結集は全くなかったものの、国家財源の追加的な分け前を守るためには何でもする用意ができていた政治的エリートからは、強硬な反応が生まれたということだ。
 そういう訳でこれらの下院議員たちは、数ヶ月前の炭化水素(主要には天然ガス資源−訳者)を巡る闘争における彼らの行動と比べ、もっと精力的にこの議席を巡る闘争に参入した。コカバンバ地方は西の諸州に背を向け、まさにこれが、政治的分離主義という形をとっている。
 それと言うのも、その後に追求された目標は、地方利害、寡頭支配層の利害を基礎として、国家の中央集権性に反対する攻撃を始めること、さらにもし可能ならば、MASの指導者であるエボ・モラレスが国家首脳となることを阻止することであったからだ。
 MASは今日、その名前にもかかわらず、社会主義の立場を守るとは主張していない。この党はむしろ、自身をある種の民族主義の党として押し出している。エボは彼の党を、「革命的民族主義運動」(MNR)のそれとは全く異なった「新しい民族主義」の党と描き出し、先住民の参加諸形態とも全く異なる参加の形態を促進しようとしている。
 MAS内の幾つかのイデオロギーを結び合わせるこの傾向は、副大統領候補としてアルバロ・ガルシア・リネラを迎えると共に度を高めた。ガルシア・リネラは「グラムシ主義者」を自称してはいるが、現実には「アンデス資本主義」に好意的な立場をとりつつある。
 しかしながらこれは、MASに対する幾つかの左翼諸党の支持を引き付ける妨げにはならなかった。それらの諸党には、親中国派のボリビアマルクスレーニン主義共産党(PCMLB)、レネ・モラレスの民主的社会党、ゲバラ主義者グループなどが含まれる。とはいえこれらの諸党は、エボへの支持を公式のものとする協定に署名したものの、批判的姿勢を保ち、彼らの疑念をはっきり述べることを躊躇していない。

革命的統一協定と社会の深い亀裂

 寡頭支配層に対決する民衆運動と社会運動の高まる結合を示す形で、統一へのCOB参加が、2005年3月9日に署名された「ボリビア人民の尊厳と主権を求める協定」という文書を通して具体化された。
 しかしこの協定は、2人のボリビア民衆運動最大の指導者、即ちジャイム・ソラレスとエボ・モラレスが相互に仕掛けた個人的対立と侮辱を主な理由として破られた。ここには国有化と革命過程における兵士の役割に関する不一致があったが、それは、彼らの間にある意見の相違を正当化するものとして、権力獲得戦略に関する基本的な原理の不一致を表していた。
 炭化水素に対する支配を失うまいとする右翼の側が、選挙で不正を働くことがないとすれば、今日多数票がMAS支持となることは、疑問の余地のないもののように見える。とはいえ、エボの党が全左翼票を引き付けることができているように見える以上、もしCOBの「政治の道具」が立候補していたとすれば、MAS支持票が結果として影響を受けることは避けられなかっただろう。
 多国籍企業、伝統的な新自由主義諸党、例えばMNR、MIR(革命的左翼党)、ADN(民族主義民主行動)、UCS(市民連帯組合)、NFR(新共和主義勢力)などと、そして特にサンタクルスの寡頭支配者は、「議席配分を巡る戦争」によって選挙を妨害する作戦に成功しなかった。資本主義と帝国主義の利害に従属する新自由主義的な経済政策の再確立という目的をもったクーデターを試みない限り、右翼は、登場しつつある新たな社会勢力、そしてその背後のボリビア社会運動に反対することはできないだろう。既に何人かはそのクーデターを予測している。
 何人かの議員は、権力の座に留まり、その上で国の富を強奪し続けるために、また「ゴニ派」(1)の経験を追い求めるために、選挙の実行、憲法制定会議の召集、また200年1月の出来事(2)に関するゴンザロ・サンチェスと彼の閣僚の起訴を避けようとしていた。これらを理由として何人もが、国を分裂させ不安定化させるため、かの「議席配分を巡る戦争」を利用しようと駆り立てられたのだ。

協定の綱領

 「尊厳のための協定」の第1点は、この協定は政治的分断とイデオロギー的教条主義を乗り越える政治−社会合意である、と明記している。この下で、そこに参加する諸組織は、ブルジョアジーとその手下に対する敵手となることが想定されている。協定はまた、エルアルトとチャパレがこの国の貧しい者達と抑圧されている者達の本部であるとも明記している。この点はこうして、この国が経験してきた近年の危機の期間中、エルアルトの街が果たした役割に対する認識を明らかにしている。
 第2点は、帝国主義及びその新自由主義的経済モデルの干渉に対する、永続的闘争を宣言している。この経済モデルは、ボリビア経済の私有化、「資本主義化」、「多国籍企業化」、さらに自由貿易協定とアメリカ州自由貿易圏(ALCA)の強制を通して、ボリビア民衆多数を、のしかかる貧困、飢え、社会的排除、さらに失業などの苦しみの中に放置している。民衆運動が現在分裂しているとしても我々は、この協定の方向で闘いを継続している。
 第3点は、選挙人から始まり、この協定が生み出す指導部の合同を梃子として完成されるべきものとしての権力獲得を、戦略的目標とする。そしてこの合同した指導部は、政府と対決し、金融、鉱山、銀行、農業などの寡頭支配層と対決して行動する、としている。
 この点が、憲法制定会議の性格についての厳しい論争を引き起こした。確かに一定の急進的潮流は、憲法制定会議が資本主義国家がそれ自身を再組織するための単なる手段として現れる可能性がある以上、「民衆労働者会議」の要求を強調し、社会解放をめざして闘っている。
 第4点は、国の天然資源と特に炭化水素の取り戻しを達成し、ボリビア国家の民族的解放と、特に北アメリカの兵士が享受している免責特権の拒絶による主権の尊重に向かうための統一を定めている。
 5点目は、状況の分析である。その分析の立脚点は、外国に雇われた人種主義的政府がその行動によって、多国籍企業や我々の天然資源の略奪者の、詐欺にまみれた行為に力を貸す形で、我々に強制している侮辱に満ちた諸条件との対決だ。
 最後にこの協定は、ゴンザロ・サンチェス、彼の閣僚、警察さらに軍に対する起訴を扱っている。ここに上げた誰もが、2003年10月の死に対する責任を負うことを次から次へと拒んでいる。この点は署名者達に、可能な限り早期に裁判を開くために闘うことを課している。COBは、労働者の、また搾取された者達の防衛に関与する中心的な実質部隊として、この任務に全力をあげて取り組んでいる。
 COBとMAS、さらにその他の政治、社会組織(3)は、この協定に署名しそれを決定した。そこには、「民衆の革命的政治指令」と呼ばれた指導性を手段として、上述した歴史的任務を達成するという目標があった。不幸にもそれは続かなかった。改良主義者と革命派、さらに民族主義者と社会主義者にとっては、共同の作業という形で分析し討論することが必要である。その対象は、何よりもプロレタリアートが果たすべき役割と、その役割が作り出す同盟者の問題であり、さらに権力獲得と社会主義建設に向けた戦略である。この点で歩みを止めることは、文字通り誤りであり、全く不適切な選択となる。不幸なことに今日、COBとMASの勢力は、先の文書とそこに述べられた戦術が敷いた目標から遠く隔たっている。

目前の会議について

 MASが現在そこから脇によりつつある第1回「全国労働者・民衆会議」は、ゴニとメサと対決しつつ炭化水素を防衛するための歴史的な闘いに参加し、2003年5−6月の危機の際には、上院議長のホルマンド・バカと、下院議長のマリオ・コッショの権力掌握を阻止した社会諸部門を含んでいる。
 この会議の目的は、飢えと失業と貧困に反対し、炭化水素と天然資源の防衛を求める1つの「革命的政治の道具」を建設することだ。この道具を生み出すために、COB、ボリビア鉱山労組連合(FSTMB)、そしてエルアルト地方労働者連合(COR)(4)は、一定の共通見解に達し、こうして、これらの分野の社会的かつ政治的指導性の欠如が残した真空を埋めつつある。統一政綱を構成する基本的要求は以下のものだ。
●炭化水素並びに国の天然資源の国有化を要求する闘争
●総選挙と知事選の分析と、選挙後に社会運動が直面する挑戦に対する評価
●権力の道具としての、「先住民衆会議」(5)の打ち固め、そしてその位置の確固とした主張
●憲法制定会議の見通し、性格、そしてそれが成し得ることに対する評価
●COBと労働組合、並びにボリビアの民衆諸組織の強化に関わる、幾つもの挑戦に対する評価
●「全国労働者民衆会議」に対する結論と宣言
 この会議は、2006年1月8日における、諸組織、社会諸部門、「生きている諸勢力」、左翼の諸党などを再編する大デモをもって始まるだろう。このデモは、エルアルト市のセジャを出発し、エルアルト公立自治大学を終結地点とする予定だ。そしてこの大学で、全体会議が開催される。
 「ボリビア民衆の主権と尊厳のための協定」への署名からエルアルトに向けて計画された会議にかけて、左翼諸勢力の再編過程は進行途上にある。そこに込められた目的は、社会諸運動と搾取された労働者に、社会変革の構想に向けてこれらの運動の全てを統合できる、革命的指導性を与えることだ。それはまさに、腐敗した国家官僚機構の助けを得て人々を搾取し、国の富を強奪している、そのような資本と多国籍企業と対決して有効に闘うために必要とされている。
 選挙に参加した民衆的な政治諸勢力は今から直ぐに、敵を権力からきっぱりと追い払うために団結しなければならない。そしてこれらの勢力は、間違いなく民衆の勝利となるものを梃子として、労働者による政治権力行使の見通し、社会主義建設の展望、さらに搾取される者も搾取する者もいない社会の建設の展望を前進させなければならない(6)。



(1)ゴンザレス・サンチャスのあだ名であった「ゴニ」に由来する。
(2)既に立証済みだが、60人以上の死者を出すに至った民衆への発砲命令は、サンチャスによって下された。しかしアメリカへ避難した彼は、ボリビアに帰国しない限り裁かれる可能性がない。
(3)MASとCOBを除く主要な署名組織は、フェリッペ・キスペが指導する「パチャクチ先住民運動」(MIP)、MASの上院議員、ロマン・ロアイザ率いるボリビア勤労農民連合(CSUTCB)、「オスカー・オリベラ水・ガス防衛運動」における調整機間、COR、そしてエルアルト住民委員会連合(FEJUVE)。
(4)エドゥアルト・ロドリゲス・ベルツ政府は、他のボリビア市民と協力して憲法制定会議のための委員会を組織するよう、COR書記長、エドガー・パタナを指名した。しかしこれは、「会議」3加予定の全組織が革命的闘争の綱領の作成に向けた自律的献身の義務を負う以上、「会議」の組織化に直ちに悪影響を与える。それは即ち、同志パタナがこの指名を拒否すべきことを意味している。
(5)「先住民衆会議」は、2003年5−6月の危機の際にエルアルトとコカバンバで設立された。
(6)IV編集部注−本論考の筆者が所属するPOR・闘争派は、第4インターナショナルの歴史ある支部である。この組織は、1952年の革命の際には重要な役割を果たし、その後も国際トロツキスト運動の数々の分裂に耐えてきた。そして、ウーゴ・ゴンザレス・モスコソの指導性の下で第4インターナショナルの支部に留まってきた。80年代に入ってPOR・闘争派は、非合法下にあったものの、ボリビアの革命的左翼の再編に参加した。この再編は、第4インターナショナルボリビア支部としての統一PORを誕生させた。しかし再編されたこの組織はうまく生き残ることができず、1995年の第4インターナショナル第14回大会は、ただ支部の消滅を確認するしかなかった。現在のPOR・闘争派は、統一POR崩壊の時点で、第4インターナショナルに忠誠を誓う闘士の1団が設立した。これらの闘士達は現在、主にCOB内部で活動し、左翼の統一を支持している。(「インターナショナル・ビューポイント」誌電子版1月号)

 
 イラク
イラク諸労組の共同声明
  イラクにおける世界銀行並びにIMFの計画を懸念する

 
 イラク経済は、経済封鎖、戦争、占領によって、過酷に痛め付けられてきた。イラクの労働組合とその連合は、イラク民衆にまともな生活基準を提供する点で、原油資源と鉱物資源を持つこの国の能力を信頼している。労働組合とその連合は、戦争と占領が、イラク民衆の、特に労働者の生活・社会基準に劇的な下落を引き起こした、と考えている。
 アメリカの兵士は、イラクの石油労働者が彼らの経費を四散させないよう見張っている。労働組合とその連合は、原油と天然資源に対するイラクの完全な主権の重要性を力説する。それはそれらを、この国の完全な再建を確実にするような方法で開発するためである。我々は、イラクにおける世界銀行並びにIMFの政策に関し、以下の点を強調したい。

1)国際金融システムの決定作成機構において、イラクの代表性をもっと強め、透明性を高めること。
2)対外債務に対する構造調整条件強制の取りやめ。
3)公共サービスと国有企業に対し、その私有化を要求することなしに、資金提供に同意すること。
4)前政権の政策に起因してイラクが負った負債を取り消すこと。
5)社会的なサービスに関する支出の削減、特に食料分配システムに対する政府支援の廃止やそのシステムに含まれる品目数の削減などの拒否。
6)公共的に所有された事業体、特に石油、教育、保健、電力、運輸、建設部門の事業体の私有化に対する全面的な拒否。
7)イラク民衆の生活費上昇という悪影響を考慮し、石油製品値上げの拒否。
8)労働者の権利を確かなものとし、国際的な労働基準と人権条約に合致する新たな労働法、年金法、そして社会保障法を採用すること。世界銀行並びにIMFもまたこれらの基準を尊重しなければならない。

 この声明に署名した労働組合とその連合は、その立場をイラク政府と国際金融諸制度に分からせるための恒久的な調整委員会結成を発表した。 これらの組織はまた、国際金融諸制度がイラクにおける彼らの政策に関し、 労組連合との交渉と討論、対話にとりかかるよう要求する。
 最後にこれらの組織は、上に述べられた諸要求に対するあらゆる可能な支援が提供されるよう、国際労組組織の助力を求める。

イラク労働者総連合(前IFTU)
バスラ石油被雇用者1般組合(現在石油労働組合イラク連合―IFOUを形成中)
イラク労働者評議会・労働組合連合
クルディスタン労働者組合総連合
クルディスタン労働者・職人組合連合
(「インターナショナル・ビューポイント」誌電子版1月号)
 

 
アメリカ
交通労働組合、ニューヨークを活動停止へ

      
スティーブ・ダウンズ

 35000人の怒れる労働者、尊大な経営者、一般組合員の圧力下に置かれた労組指導部、何十年も続く公共部門縮小攻撃、経営者と労働者の間に横たわる根源的な分裂、そして言われてきたことと全く違う状況、これらをひとつに混ぜ合わせたとき、人はどのようなことに遭遇するだろうか。2005年12月、ニューヨーク市はまさにそのようなものとしてストライキに見舞われた。
 将来採用される労働者の年金基金への払い込み割合を現職労働者よりも多くするようにとの、経営側の土壇場の要求に対抗して、交通労働者組合(TWU)第100支部指導部は12月20日にストライキを呼びかけた。
 第100支部委員長、ロジャー・ツーサンはそれまでに、組合は賃金切り下げや将来の労働者の福祉切り下げは受け容れないということ、また交通という職業を将来の労働者世代が「中産階級」に入る入り口として維持する点で組合は断固としているということ、これらをはっきりとさせていた。それにもかかわらず経営側は、先の要求を押し付け続け、むしろストライキを早めた。 しかし実は双方において、このストライキの根は何年も遡る。

ストライキ要求運動

組合側について言えば、ツーサンは元々、「新路線」派(ND)の候補として2000年に支部指導部を勝ち取っていた。そしてNDは80年代後半、当時の組合指導部が受け容れつつあった明渡し―新採用者に適用された、賃金と福利のより低い水準―に反対することからその歩みを始めていた。
 NDは今は存在していない。しかし、組合機構と支部組合員の中にある明渡し容認傾向に対しては、今も強力な反対が続いている。実際、スト権投票日と労働協約満了期限の間の5日間には、何百人もの組合員が、ツーサンが明渡し反対の立場を弱めるかもしれないと心配し、明渡しを含む協約が提案されたならば何であれ反対投票すると誓約した文書に署名していた。
 この問題に関するツーサンの緊張を示すように、支部の組合防衛細目は組合員に、スト権投票が行われた12月10日の組合員集会への、「非公式な」文書と署名の持ち込みを禁止した。そこには、「明渡し反対」と単に述べるだけの文書も含まれていた。
 一方経営側について言えば彼らは、TWUを強制し何らかのものを放棄させたいと思っていた。初任給の切り下げ(警官)と労働時間延長(警官と教員)という形をとった、警察職員と教員との鮮明な特徴をもつ協約が成立した後では、ニューヨーク市長のブルームバーグとニューヨーク州知事のパタキにとっては以下のことが重要なことになった(交通労働者は、州の代理人である都市交通局―MTA―と交渉する。そしてこの機間の長官はパタキによって指名される。しかし、バスと地下鉄は殆ど全体がニューヨーク市内で運行されている以上、市長もこの交渉に強い利害関係をもっている)。 即ち、何かを明渡すことなしには何物も得る可能性はない、ということを交通労働者に受け容れさせるということだ。
 そして、ストライキに向かう潜在的エネルギーは、交通労働者の間のある感情によって増幅されていた。その感情とは、経営側の立場を代表する白人の億万長者達(MTA長官のカリコウと市長のブルームバーグ)が、圧倒的に黒人とラティーノ(中南米からの移民―訳者)で構成されている交通労働者と組合役員を敬意を持って扱ってはいない、というものだ。この感情は、交通部門の労働力の大多数が黒人とラティーノであるということを理由として、交通労働者はその職に対する尊敬を全くと言ってよいほど受けていない、という彼らの中の確信とぴったりと符合していた。

意欲満々のストライキ!しかし…

 しかしながら、実際にストライキが呼びかけられた時、それは殆ど誰もに―殆どの交通労働者を含んで―驚きを与えた。双方の側で見せかけだけの姿勢がとられていた。その一方でしかし組合指導部は、ストライキに向けて組合員を準備させるためには殆ど何もしていなかったのだ。
 その時まで組合は、市中全体にはストライキ事務所を設立できていなかった。さらに、ピケット行動隊長に対する訓練も全く行われていなかった。殆どのピケット行動隊長は、事実上ストライキが始まった日の直前の数日に指名された!市内全体に広がった現場に対するピケットラインを適切に結び付けるための仕組みも全くなかった。
 もっと重大なことがあった。それは、組合が組合員や市の労働者に向けて、何が問題であるのかをそれまでに鮮明にしていなかった、ということだ。この問題と、労働協約満了期限に至る数ヶ月におけるその他の準備の問題は、単に強力なストライキを実現したはずだ、ということには留まらない問題だ。それらは、例えストライキに至らなかったとしても、組合建設に大いに役立ったはずなのだ。
 組合員は準備の不充分さを分かっていた。しかし例えそうであったとしても、多くの交通労働者の中にあった感覚は、「今こそその時だ」というものだった。市とその経済にとっての彼らの重要性をここぞと示す好機(クリスマス商戦の絶頂期―訳者)を前提として、彼らはまさにストライキを抱き止めた。組合員大衆は、ピケットライン設置とそこへの人員配置を確実に行わせるために歩み出た。
 ニューヨーク市内では3日間、バスも地下鉄も動かなかった。何百万人もの人々は、彼らが行かなければならなかった所へはどこであれ、歩いて向かった。ビジネスの損害は、何億ドルにも上った。しかし労働者が1旦ストライキに立ち上がると、彼らと彼らの組合は、市のボス達による集中的な攻撃目標となった。
 ニューヨークでは、公務従業員がストライキを行うことは非合法だ。彼らがそれを行えば、ストライキ労働者各々が、ストライキ1日当たり2日分の賃金を失うことになる。それに加えて組合は罰金を課され、また組合費徴収を経営側に課す権利を失う危険を犯すことになる。しかしストライキを妨げるにはこれだけの罰則では不充分だった。それ故MTAとブルームバーグは掛け金を引き上げた。
 彼らは、組合にストライキ1日当たり100万ドルの罰金を課す、という判決を得た。さらにまた各々の労働者に対しても、1日当たり25000ドルにも上る罰金が考えられようとしていた。そして組合役員は投獄で脅されていた。
 市で発行されていた諸々の新聞は、ストライキ反対の世論感情を煽ろうと試みた(しかし世論調査は、市の住民多数が組合支持であることを示していた。またこの支持は、毎日何箇所ものピケットに対しても示された)。一方で、市長ブルーグバーグがストライキ労働者を「チンピラ」や「利己主義者」と呼んだことは、ストライキ労働者の、黒人やラティーノであるが故に標的にされているという感情を、なお一層燃え上がらせた。
 MTAは闘いをさらに厳しくする用意ができていた。しかし一方組合はそうではなかった。ストライキに入った労働者は、通勤通学鉄道に対してもピケット要員を送るよう要求したものの、組合指導部は対応しなかった。ストライキに先立つ集会では支援を誓った市の労働者陣営指導者達は、どのようなデモも組織せず、あるいは、彼らの組合員をピケットラインに送り込むことすらしなかった。こうしてストライキ3日目にツーサンは、話し合い再開のためにストライキを終結すべきだと勧告した。

組合運動の未来を賭けた綱引き

 この勧告は、協約が結ばれない限り組合が仕事に戻ることはないという彼の約束に反していた。多くの交通労働者は仕事に戻ったが、そこには、誇りと安堵と、そして、今や協約上の明渡しが目の前にあるのでは、という心配、これらが入り混じったものがあった。そして心配の種となっているその明け渡しは、組合がもっと十分に組織され、ストライキの展開に向けて準備ができていたとすれば、阻止できたかもしれないのだ。
 我々の心配は正しかった。ストライキ終結5日後に組合員に提案された協約案には、無視できない明渡し条項が含まれていた。そして得たものはただ僅かなものに過ぎない。賃金は、この協約案以前にMTAが提案していたものと変わっていない。交通労働者はこれでは、物価上昇に追いつくことなどできない。しかし組合はストライキ以前、年金計画の変更も、医療の福利に対する支払いも受け容れる意思はない、との立場を保持していたのだ。
 その後になって指導部は1つの取引を受け容れた。それは、健康保険に対して賃金の最低1・5%を払うよう初めて全組合員に求めるというものだ(この拠出割合は、協約が続く限り上がって行くだろう)。その上ツーサンは、年末年始にかかる商戦期間中の協約満了期限という条件が与えてきた利点を交通労働者が使い切った後になって、協約満了期限を1月中旬にまで1ヶ月先に動かすことを受け容れてしまったのだ。
 今回の協約案の中心的な「売り」(何人かは唯一の「売り」と言っている)は、組合員のおよそ半数が、90年代後半に年金基金に払いすぎた分の還付を受けることができるというものだ。しかしこの点ですらも、知事パタキの事務所が発表した彼の意図によって疑問の渦の中に投げ込まれてしまった。彼は、還付を可能とするために必要な新たな法案に対し、拒否権を行使すると言うのだ。
 提案は支部執行委員会によって圧倒的に承認されたものの、組合員大衆の中では強力な反対に遭遇しつつある。何人かの組合役員とストライキ当時のピケットライン行動隊長の多くを含む協約案反対派は現在、1般投票の際は協約案を否決するよう、支部組合員を組織的に説得している(承認提案は1月初旬の全員投票で、僅か7票差だが否決された―訳者)。
 MTAに対して「ノー」と言い、仕事をしないで歩いていたことで、仲間の労働者と自分自身を当初は誇りに思っていた多くの組合員は今、ストライキの成果とは何であったのかといぶかっている。協約案承認の成否がどうであれ、今回の成り行きの最も重大な結果は、まさに、ストライキによって花開いた連帯とやりきったという感情を掘り崩してしまうことかもしれない。
 ストライキに立ち上がる意思を持ち、今後採用される労働者を守るために罰金を払う意思を持っていた第100支部の組合員が、その行動の結果仮に、自分達は結局お人好しだったのだという感情にとらわれたまま終わるのだとすればその場合は、組合を強化する可能性を持っていたはずの協約闘争は、その代わりに、組合を弱体化することで終わることになるだろう。
注)筆者は、ニューヨーク市の地下鉄運転士であり、ND派創立者の1人。(「インターナショナル・ビューポイント」誌電子版1月号)
 
 
 
 
 
 
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