2006年7月10日        労働者の力             第 19 6号

北朝鮮のミサイル発射訓練について
日本政府は制裁ではなく、正常な国家間関係回復に真摯に努力すべきである

  
寺中徹

 
 7月5日未明から夕刻にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)は、計7発のミサイルをロシア沿海州沖合いに向けて発射した。多くの諸国はその直後から即座に、北朝鮮に対する批難と抗議を明らかにし、日本政府も強い批難と共に、万景峰号の半年間入港禁止を始めとする「制裁」を発動した。そしてこの制裁については、日本共産党や社民党を含む全政党が容認の構えにある。
 一方北朝鮮は、7月6日、ミサイル発射を公式に認め、「自主的な国防力強化のため我が軍が正規に行った軍事訓練の一環である」(以上朝日新聞)と発表した。
 7月8日現在日本政府は、アメリカ、イギリス、フランスと共に、国連による制裁に道を開く共同決議案を国連安保理に提出し、7月10日にも採択を目指すとしている。報道を見る限り、この提案に向けた日本政府の強硬さと突出は際立っている。しかし、中国とロシアがこのような決議案には明白に反対を明らかにしている以上、日本政府の方針の成否は今だ定かではない。
 我々は、金正日政権の今回の行動は極めて危険な政治的過ちである、と考える。それは批難を免れない。
 しかしだからと言って、いたずらに危機と批難を煽り、1直線に制裁に突進する日本政府の対応が容認されてよいわけではない。それは問題の解決には何の役にも立たず、むしろ問題をさらに悪化させるだけの破壊的な対応である、と我々は考える。危険が1段高まっている今だからこそ原点に立ちかえり、日本と北朝鮮の間に戦後厳然と引き続いてきた客観的な戦争状態を解消し、正常な国家間関係を回復するために真剣な努力を払うべき時である。それはこの地域周辺各国の民衆全てにとって、平和的な生存の必須の条件なのだ。日本民衆はその努力こそを「我々の政府」に要求しなければならない。

金正日政権の深刻な過ち

 報道されている限りで北朝鮮は、今回のミサイル演習に当たって、ミサイルの飛行コースや着弾海域の事前通報を行わず、その近隣の航空機と船舶の、従ってその乗員と乗客の安全を無視した。これはどのような理由があろうとも許されることではない。
 一方で金正日政権は、彼ら自身が国際的に交わしてきた「ミサイル実験自制」の約束を、いとも簡単に反故にした。おそらくそこには、彼らなりの理由があるのだと思われる。しかし今報道されている限りで今回の行為を正当とする根拠は、「自衛力強化」という一般的主権行為の問題に過ぎない。それは、一旦交わした国際的約束を覆し、国際的約束に対する金正日政権の真剣さを深刻に傷つけることと引き換えにするには、あまりに釣り合わない理由であり、諸国の民衆を説得できるものではない。
 さらに平和を求める世界の民衆は、いわゆる大量破壊兵器とその運搬手段の廃棄を真剣に希求している。今回のミサイル演習がその希求に冷や水を浴びせるものであることもまた明らかだ。もちろんこの大量破壊兵器の問題に関しては、明らかなかつあまりにご都合主義的な二重基準があること、その限りで、単に北朝鮮のみを責めることが公正さを欠くことは確かである。それ故また、大量破壊兵器の廃絶に何らの真剣さをも示さないいわゆる核大国に、少なくともこの問題に関する限り北朝鮮を批難する資格がないことも、また指摘しなければならない。
 しかし大量破壊兵器の、必然的に自国民をも巻き込まざるを得ない筆舌に尽くし難い破壊性を前提とすれば、そして益々緊張が高まる世界においては、それはどこにあっても、誰にとっても危険極まりないものであり、それ故その廃絶を願う民衆の要求は真剣に考慮されなければならない。金正日政権は今回、世界の民衆のこの願いに明らかに背を向けた。金正日政権が社会主義を自称するのであれば、その存続を最終的に支える者は、自国の民衆と世界の民衆以外にはどこにもいない。民衆の願いに背を向けた金正日政権はそれ故今回の行為によって、彼らの生命力をむしろ傷付けてしまったのだ。
 アメリカによって北朝鮮と同様「ならず者国家」と名指しされ、そのアメリカから何十年にも亘って目と鼻の先から大量破壊兵器によって脅迫され続けてきたキューバは、現在その防衛を大量破壊兵器に依存してはいない。彼らが頼りとしているのはキューバ国民の自国に対する誇りであり、当のアメリカをも含む世界の民衆の、そして特にラテンアメリカ全域の民衆のキューバ国家体制に対する信頼と敬意である。キューバと北朝鮮の地政学的環境には確かに違いはある。しかし金正日政権が終局的に目指すべき方向は明らかだと我々は考える。もちろん北朝鮮に大量破壊兵器依存からの脱却を求める我々には何よりも、自国の大量破壊兵器依存、あるいは同盟関係を通した「核の傘」からの脱却を自国政府により強力に求め続け、それを実現する闘いが義務となる。
 金正日政権の今回の行為は上に見てきたように幾重にも重った悲惨な政治的過ちと言わなければならない。そしてそのような過ちの結果として、日本国内において日朝関係の正常化を願ってきた、在日朝鮮、韓国の人々に深刻な打撃を与えることになった。現に朝鮮総連と民団の歴史的和解は当面遠のいた。そしてこの事態はまた、いわれなき差別に長年苦しめられ、今も苦しんでいるこれらの人々の権利回復の闘いに新たな障害を生み出すかもしれない。
 このような障害は、この地域の冷戦構造打開に努力してきた韓国の民衆と盧武鉉政権、そして中国政府の前にも確実に出現する。
 我々は、そして世界の民衆は、何よりも北朝鮮民衆のために、彼らの政権の選択が深刻な過ちであると言わなければならない。金正日政権に対する批判を明らかにし、その過ちからの早急な脱却を要求しなければならない。

日米両政府の批難と制裁に理はない

 日本とアメリカは、世界の主要国の中で(同時に世界の殆どの国の中で)北朝鮮と正常な国家間関係を結んでいないただ2つの国家である。「国際的に孤立した北朝鮮」という言い回しは日本のマスメディアの常套句であるが、上の現実を直視するならば、孤立しているのはむしろ日本とアメリカ、と言うべきであろう。
 そしてこの2カ国と北朝鮮の関係は、法的には戦争状態にあるのだ。日本は、北朝鮮との間で第2次大戦の終結手続きを未だ済ませていない。一方アメリカは、朝鮮戦争以来未だ休戦状態のままである。そして日本は朝鮮戦争においてアメリカに基地を提供し、兵站協力を行い、日米安保条約の下に今尚多くの基地を米軍に提供している。それは即ち、日本と北朝鮮の関係が事実上二重の戦争状態にあることを意味している。それ故その適否は別として、北朝鮮が日米両国の行動に対して深い警戒を抱き、両国に対して「戦争の論理」で対することには、1定の根拠を認めなければならない。
 この両国と北朝鮮の関係は明らかに異常であり、この地域の緊張と不確実性の根源には、冷戦構造の消失の後にも消されずに残された恒常的戦争状態という、この異常が厳然とある。この関係が周辺諸国にとって共通の危険要因であることは論を待たない。
 この異常は何としても解消されなければならない。それは、日米、北朝鮮3国の問題であるばかりではなく、周辺全ての国にとっての必要である。
 しかし日米両政府はその必要に現実には完全に背を向けている。両政府は上に見た意味における「戦争状態」にむしろ日々新たな命を与えている。アメリカ政府は北朝鮮を「ならず者国家」と呼び、日本政府は「拉致問題」を両国間の最大の問題に仕立て上げた。事実上両政府は、北朝鮮国家を「犯罪者国家」として、いわば懲罰以外の対処が不可能な国家とみなしているに等しい。そうであればその論理的結論は、金正日政権の打倒と除去によってしか問題の解決はない、ということになる。それが制裁の論理の帰結である。
 何故ならば、金正日政権が日米両国政府の「制裁」によってその政策を変える可能性は殆どゼロだからである。何よりも両国家の手は真黒に汚れている。過去において両国は北朝鮮民衆に塗炭の苦しみを与えてきた当事者なのだ。その上日本は、過去において朝鮮民族に過酷な植民地政策を行使した当事者でもある。その歴史の清算が事実において全く済んでいないことを、また在日の同胞がいわれなき差別に苦しめられてきたことを、朝鮮民族に属する全ての人々は知っている。そしてこの人々には、韓国の民衆のみならず、中国東北部の朝鮮民族の民衆もが含まれている。北朝鮮政府が幾つもの「犯罪行為」に手を染めてきたとしても、またこの政権が自国の民衆に対して過酷な抑圧体制を敷いているとしても、それを批難する資格を、ましてその政権に制裁を加える資格を、これらの人々は現在の日米両国には決して認めないだろう。付け加えるならば、中国政府の北朝鮮支援には、中国東北部における朝鮮民族の存在という「民族問題」が厳然と存在していることを、そしてこれらの朝鮮民族の人々が、北朝鮮の同胞の運命に深刻な関心を寄せているという事実を、忘れるべきではない。その限りにおいて中国政府は、軽々しく北朝鮮を見放すことなどできないのだ。こうして金正日政権は、真黒な手を持つ日米政府が強硬になればなるほど、自国を越えた朝鮮民族の広がりにおいて支えられるという、逆説的な関係が生まれることになる。両国の圧迫政策は、金正日政権の独裁にむしろ正当性を与え、イラクのサダム政権がそうであったように、政権の求心性と安定性に力を与える可能性のほうが高い。そして政権に対する民主的反対派の成長には、強い逆風が作り出されるだろう。
逆に金正日政権がもし日米両国の制裁に屈するとするならば、それは即座に、この政権に対する北朝鮮を越えた朝鮮民族の広がりにおける容認をかき消し、おそらくは政権自体の消滅に直結するはずだ。この政権の正統性は、結局は抗日民族解放戦争に淵源を持つからだ。それ故金正日政権は決して制裁には屈せず、その重荷は全て民衆の肩に乗せられることになる。
 日米両国の制裁政策は、客観的には金正日政権の過酷な独裁を助けている。日米両国の現政策は事実において、政権に対する自律性ある民主的反対派成長の余地を限りなく狭める点において、金正日政権の独裁体制と共犯関係にある。そして、民主的反対派の成長が不十分であるならば、一定の将来例えこの政権の自壊があるとしても、そこには、イラクの現実が赤裸々に示すように、ただ混乱だけが残されるであろうこともまた明らかだ。
 それ故、制裁政策に固執する限り何事も解決されず、それは終局的に軍事的攻撃以外の道を残さない。そしてその道は、民衆への甚大な被害を残すだけで、また何の解決にもならないことは、イラクにおいて現実に示された。そしてより一般的に、明白な買弁政権や傀儡政権でない限り、独裁体制の除去に成功した「制裁」政策など事実としてないのだ。こうして日米両政府の制裁政策は、法的に見た、あるいは客観的な意味における「戦争状態」を、何の実効性も保障することなく、生々しい戦争状態に限りなく近づけ、それを長期的に固定する役割しか果たさない。
 無意味なだけではなく、むしろ危険を高め、結果として周辺諸国民衆全体に対する事実上の抑圧しか意味しないこのような政策は、1刻も早く停止されなければならない。日本国民は、周辺諸国民衆に対する国際的責務として、その停止を誰よりも強く要求しなければならない。

日本政府は「脅威」扇動の火遊びを止めよ

 しかし、周辺各国の民衆には何物をももたらさないこの「戦争状態」の持続は、北朝鮮の独裁体制と日米両国の軍事・治安部門、そして特に権力の獲得と維持にそれを利用しようとする日本の一派には確実に実利を生み出している。今回のミサイル発射を捉えた日本政府の「張り切り」には特にその気配が濃厚に漂っている。時はまさに小泉後継をにらんだ暗闘が展開されている最中であり、その意味で権力中枢にある種の空白が生じているのだ。「危機」を声高に叫ぶ無責任な機会主義者の跳梁に目を凝らさなければならない。
 そもそも北朝鮮のミサイルは、ことさらに「脅威」とされるものではない。「脅威」と言うのであればむしろ、それこそ自国のミサイルの何十倍もの強力な破壊力によって、しかも生々しい戦争状態の中で脅迫されている北朝鮮政権とその民衆が感じている恐怖感は、到底日本の比ではない筈である。その上日本は、数トンもの人工衛星を打ち上げるロケット技術をもち、毎年の発射でその技術を高度化させている。ロケットとミサイルは技術的には全く区別できない。要するに、戦争状態を前提に北朝鮮から日本を見れば、日本は立派なミサイル保有国なのだ。
 一方で日本は、既に何十年も前から、何よりも米軍基地の存在の故に、ロシアと中国のミサイルにしっかりと照準を合わされてきている。そしてこれらのミサイルの方がはるかに多数であり、なおかつ強力である。北朝鮮のミサイルが「脅威」であるとするならば、日本ははるか前からその何十倍もの脅威にさらされてきた。これらの事実を伏せて北朝鮮のミサイルをことさらに重大視し、今回の政府の突出を演出する者は、まさに目先の権力のために敢えて火遊びに手を出す愚か者であり、その軽率さと無責任さこそ批判されなければならない。
 今回の政府の突出には、中国政府に1泡吹かせたい、との実に狭量な、かつ視野の狭い思惑も見え隠れするのであり、それだけに1層その軽率さが際立っている。日本の戦略的対外方針の危うさは、保守層からもこの間かなり公然と指摘され始めている。日本の対外行動を動かす基準の欠落が今回改めて示された。そしてそれは、いささか危険な性格を帯び始めた。日本政府の今回の行動は、その視野のあまりの狭さの故に、彼らの思い描いた通りの展開に結びつくとは思われない。しかし今回の国連における決着がどうであれ、日本政府の今回の選択は特に東北アジアの国家関係に重大な傷を残し、日本の将来のアジアにおける可能性にむしろ障害を作り出すだろう。結果として日本の対外戦略を巡る支配層内の亀裂は、深層においてさらに確実に深まるだろう。結局日本政府の今回の選択は、日本支配層の求心力を弱めることに帰着する。日本を取り巻くアジアにおける歴史的な力関係が、またそのことに対する無自覚がそれ以外の結果を残さないのだ。
 そして日本政府の火遊びは、この地域の民衆にとっては迷惑以外の何物でもない。民衆をいわば人質にしたパワーゲームの横行を我々は強く弾劾する。
(7月9日)
 
平和の国政共同を求める2つのシンポジウム
  脱皮に挑戦する市民運動―政治への働きかけに新風

          

 社会党崩壊以降明確に姿を現し着々と歩を進めてきた改憲策動は、昨年総選挙における自公「圧勝」を好機として、急速にその足を速めた。選挙直後には、教育基本法改悪案と国民投票法案の今通常国会への上程と採択が既定方針視され、そして7年以降の改憲発議もが射程に入れられた。
 平和運動内部の危機感も急速に高まり、その中で、改憲阻止の重要な手掛かりとして反改憲の共同国政選挙闘争に向けた、新たな模索が昨秋以降開始された。ワールド・ピース・ナウに結集した新鮮な感性を持つ若手の市民活動家が中心となった、「『平和の結集』をめざす市民の風」(以下「市民の風」)の動きだ。その呼びかけ人には、各地の市民活動家と共に、1般には日本共産党に近いと見られている自由法曹団に所属する弁護士多数も名を連ね、注目を集めている。そしてこの運動の中心的組織者の1人である小林正弥千葉大学教授は、雑誌「世界」を始め各媒体でその主張を精力的に展開している。6月終盤から7月初めにかけて、この意欲溢れる呼びかけに応える形で、以下に紹介する2つのシンポジウムが都内で相次いで開催された。

「守るのではなくつくる」運動

 1つは、「これからの社会を考える懇談会」(略称、これこん)が主催した「平和への共同は可能か」と題されたシンポジウムで、6月24日文京区民センターで開かれた。「市民の風」から小林正弥氏と河内謙策氏(弁護士)がゲストスピーカーとして招かれ、両氏の問題提起が参加者との間で率直に議論された。参加者は主要に首都圏の各政治グループの中心的活動家だが、あくまでも個人の資格での参加だ。50名以上になった参加者の政治的広がりは、急進左翼から共産党まで相当に幅広い。
 論点は具体的選挙対応の問題(選挙区か比例区かなど)を含め多岐にわたった。民主党の評価とその内部の護憲派への働きかけの可能性、既に否定的姿勢を明らかにした共産党(後述)の問題、より1般的に政党論理の問題、そして現情勢の性格に関する見解や政策的枠組の踏み込んだ見直し等、必ずしも深められたわけではないが、意見交換は率直なものだった。その中で、これまで運動に参加したことがない層が参加できること並びにその場のあり方に関する研究の重要性は、共通の問題意識だった。不可能に見える状況を何とか創造的に打破したい、との思いは共通であり、その中で、我々自身が変わるべきである、との小林氏の主張は好感をもって受け止められたように見える。
 もう1つは、7月7日に日本教育会館ホールで開かれた「今こそ市民の風を!7参院選・平和の共同候補を求めて、7・7シンポジウム」。この場には全国から950人が参加した(主催者発表)。
 プログラムのハイライトは、上原公子国立市長、川田悦子元衆院議員、ジャーナリストの斎藤貴男氏、評論家の佐高信氏、音楽評論家の湯川れい子氏の5人のパネリストが「市民の風」のきくちゆみさんの司会で展開したパネルディスカッション。各々経験を積みかつ個性豊かな5人の意見交換に、会場は真剣に耳を傾け、そして爆笑、拍手と敏感に反応した。
 このパネルディスカッションの1つの論点は、政党論理をどう超えるかという点。その必要性と重要性を各氏共強調しつつ、上原氏と川田氏は自身の経験を上げながらそれは可能であり、希望をもちたいと語り、佐高信氏は、政治が孕む「なまもの」という性質を指摘し、それを扱うしたたかさの必要性、ありていに言えばある種の取引の必要性に触れた。
 1方薬害エイズを追及した運動の経験を上げながら川田氏から提起された若者を動かすことの重要性も共通の論点となり、そのためにもリアリティーをもった訴えが必要だと論じ合われた。その中では特に上原氏から、守ろうでは守れない、「守るのではなくつくる運動」が必要と強調され、全体の賛同を得た。同時に9条の会の広がりを含め、改憲に対する広範な不安の存在が、それ故改憲阻止は可能な課題、との認識も共通に確認され、その中で平和を作り、共同をつくる点で私達が試されている、との川田氏の発言は、会場に対する1つの問いかけとなった。
 このパネルディスカッションの時間の制約と論議の不十分さは明白。しかしそれを越えて、民衆の側からの自律したこのような政治への働きかけが始まったことは、それ自身に意義がある。今回のシンポジウムの成功は時代の要請を明らかにしている。
 なおシンポジウムは、神田香織さんの講談、「井戸掘り5平」を挟んで各地の発言の後、小林正弥氏が締めくくりの発言に立ち、最後に、7参院選への市民の参加を含む、改憲阻止への多様な共同を呼びかけた「7・7アピール」を採択して閉幕した。
 上記2つのシンポジウムを通じて小林正弥氏は、改憲が問題になっているということは「憲政」の非常事態を意味し、それはその底に秩序の不安定化という問題が横たわっていることを意味する、と指摘し、それ故に勝利が可能な運動であり、対抗する側にも通常時を超える関わり方が要求される、と強調した。勝利を実現する手立て、先のシンポジウムの中でも強調された「守るのではない」運動の意味等、民衆の側から既成概念を越えたさらに活発な建設的論争を巻き起こすことが必要となっている。

政党が脱皮を要求されている

 革新勢力の共同した国政選挙闘争という構想とそのための実際的努力は、この間も繰り返し試みられたが、いずれも実を結ぶことなく終わってきた。唯1の成功例は、糸数慶子参院議員の実現に結実した、前回参議院選挙における沖縄選挙区の事例にほぼ限られている。このような現実を前に「市民の風」の動きには、経験を重ねてきた政治活動家の懐疑も相当に色濃い。
 まして共産党は、5月20日付け「赤旗」紙上に、「市民の風」の運動を真っ向から批判し、「政党への介入」、とまで断罪する無署名論文を掲載している。無署名論文であるということは、党としての姿勢、ということだ。つまり共産党は、共同した国政選挙という考え方に対して、現時点では強烈な反対を示している、ということになる。確かに議会選挙は、政党存立の核心をなす。それ故この論理を超える共同が容易でないことは事実であり、共同を巡る過去の幾多の流産にも、この事情が大きく影を落としている。
 しかし現在の改憲策動の強さと議会内力関係を前にしたとき、各政党の自力更生を待つだけで対抗可能だとは、おそらく誰も断言できないはずだ。何らかの大胆な踏み出しがどうしても必要なのであり、そのことに敢えて挑戦した「市民の風」の勇気には、敬意こそが払われるべきだろう。
 小林氏の指摘する「非常事態」について付言すれば、確かに今日本は、社会の根本的立て直しが迫られている。そして日本の支配層は、そこに確固とした展望をもって臨んでいる訳ではない(本紙前月号1面)。その意味で自公が手にしている衆議院の圧倒的多数も1皮めくれば、一過的な選挙戦術と選挙制度に助けられた見掛け上の議席数に限った多数なのであり、国民多数を確実に結集できる強さを示すものとは言えない。そして現実に、公明党の助けなしには当選のおぼつかない選挙区が多数出現するほどに集票力を落とした自民党の現状が端的に示すように、社会末端に到達する彼らの支配装置は明らかに疲弊している。そして、自民党に代わる保守勢力と目される民主党について言えば、その社会的基盤の脆弱性はあまりに明白だ。
 まさに社会総体の秩序と成り立ちが不安定化しているのだ。その意味で、改憲策動の足下には巨大なリスクが潜んでいるのであり、改憲派自身がそのことを自覚している。「ここで失敗したら改憲は2度と不可能」との彼らの言葉は、その不安の吐露に他ならない。さらに、教育基本法改悪案と国民投票法案が今通常国会で結局継続処理された背景にも、この不安が確かに影を落としている。
 今回のシンポジウムで語られたように、改憲策動を押し潰す可能性は確かに開かれている。問題は、社会の先行きに言い知れない不安を抱きつつ揺れ動いている多数の民衆をどちら側がつかむのか、にかかっている。その鍵はおそらく、未来に向かう希望をどちら側が表現するのか、にあると思われる。その意味でまさしく「守るのではなくつく」らなければならないのだ。反改憲の諸勢力が具体的な共同に現実に到達することは、確実に、人々に明確で信頼に足る行動の手掛かりを与え、確かな希望を生み出すだろう。7・7シンポジウムの成功は、その手始めの実証であると同時に、共同への人々の願いの強さをも示した。(神谷)
 
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マリー・ジョルジュ、アルレット、ジョゼ
 
―もし我々が語り合うとすれば、それは何か

           
オリビエ・ブザンスノー
 


 反自由主義左翼は、昨年全体を通してその強さを十分に示した。大統領選挙においてこそそれが存在すべきであり、またそれ故統一されなければならない。我々の名前は、次期大統領選に関する世論調査に現れている―反自由主義派並びにEU憲法条約案への国際主義的反対派として共に、あるいは別々に上げられている名前は4つ―。

統一は、今闘うために必要だ

 1年に満たないうちに、2005年5月29日の国民投票の局面で、さらに今春の闘争局面で、憲法の拒絶と「初期雇用契約」(CPE)の撤回という形で、自由主義は2つの後退を蒙った。これらの勝利は、資本主義の搾取の日常的作用に苦しんでいる人々の中に、大きな希望を巻き起こした。
 我々の4つの名前は、左翼の立場からの「ノー」運動の際に表現された多様性全てを、各々単独では結集できない。しかしながら、我々は責任を共有している。多くの人々は、反自由主義の統一候補が可能なのか、あるいは必要か、それを知りたがっている。5月2日以来特に同じ名前の集団の中で表現されてきた統一的な精神に単に対応するためだけであったとしても、確かにそれは必要だ。
 しかしそれは可能なのか。さらに先に進むための諸条件は、既に現れているようには見えない。しかしながら、我々を共にするために克服されるべき障害は誰もが知っている。それは社会自由主義に対する拒絶の問題であり、多元的左翼(注1)の戦略を繰り返さないという問題である。
 長期的道筋の中で右翼を打ち破るということは、約束としては立派なことだ。しかし今すぐ右翼と闘う方がもっとよい。今日我々は、失業と不安定な職に対決して、可能な限りの統一をもって、またセクト主義を排して、1つの広範な運動を作り上げなければならない。何故ならば、「機会の平等」に関する法律、並びにCPEの兄貴である新規雇用契約(CNE)が今もって機能しているからだ(注2)。それ故、それらとの直接的衝突を明日まで棚上げすることなく断固として闘うことは、右翼が権力に着いて以来なされたことを、将来元に戻すことを紛れもなく意味する。
 そして我々は、我々にこれまで降りかかってきた諸悪をきっぱりと取り除くために、自由主義の諸政策全てに終止符を打たなければならない。それが左翼が権力にあった時期に実施されたものであったとしてもだ。即ち、右翼を打ち破り、5年のうちにそれが舞い戻ることのないようにする、ということが意味することは、何百万もの人々が溺れないでいることを可能とするような、社会的かつ民主的な緊急方策の実施、ということだ。
 左翼に対する社会自由主義の覇権に具体的に対抗するためには、我々は、もう1つの左翼、金融のまた自由主義のヨーロッパが下す指令を拒否する左翼を登場させなければならない。我々が権利を守りあるいは新たな権利を勝ち取りたいと思うならば、最強のものが手にしている特権に挑戦する以外の選択肢はない。経済と我々の生活に対する多国籍資本の束縛に立ち向かうことが意味することは、全ての者の労働の果実に対する1握りの大企業が手にする、増加する一方の搾取に対する反対だ。
 解雇を禁止する立法を効果的に行うことは、当局が「首切り人」から助成金を取り上げない限りは想像不可能だ。それらの助成金はそれほどに気前よく彼らに与えられていたのだ。そしてまた、利潤から資金を得ることがないのならば、収入を増加させたり、教育過程の全ての若者達に自由に使うことのできる手当てを支給することも想像不可能だ。そして最後に、農業多国籍資本に立ち向かわない限り、遺伝子改変作物の1事凍結のような、残念ながら今は野放しにされている手段を勝ち取ることも想像不可能だ。人々に富を統制する手段を与えることによって富を再配分する、このことを提案しない左翼は、約束だけは沢山あるが、一旦権力を獲得すれば、その左翼的政策を実行するつもりのない左翼なのだ。
 最後に、左翼ならば多元的左翼という新しい経験の中で道を誤ることがあるはずがないと確信しているからと言って、それ自身に保障はないのだ。「多元的左翼」は1つの形式ではなく、今も社会党の戦略、即ち彼らの政策の主要骨格に対する責任を負わせるために、選挙協定を中心に他の諸政党を随伴させる、という戦略なのだ。

社会自由主義に対抗する左翼を

 それ故希望は、右翼に反対することと同時に、例えば社会党との連立政府や選挙連合を拒否することによって、社会自由主義に抵抗することにある。それは我々を周辺に追いやることはないだろう。社会党指導部を反自由主義に転換させることが我々に可能だとの考え、あるいは、左翼首脳会議において我々が意味ある影響力を行使できるとの考え、これらは幻想だ。反自由主義と社会自由主義の間には、統合可能なものは全くない。我々の日常生活を左右する経済の決定に1定の影響力を持つ普通選挙権を妨げている第5共和制は、以下のような形で構築されている以上、益々もって上のように言わなければならない。即ち第5共和制の下では、現実に全体の性格を決定する者は、マリー・ジョルジュ(共産党書記長―訳者)ではなくフランソワ・ホーランド(社会党書記長―訳者)であり、アルレット・ラギュエル(もう1つのトロツキスト組織、「労働者の闘争」の著名な活動家―訳者)というよりはセゴレーヌ・ロイヤルであり、オリビエ・ブザンスノーというよりもドミニーク・シュトゥラウス・カーンであり、ジョゼ・ボベ(反グローバリゼーション運動で著名な農民運動活動家―訳者)というよりはパスカル・ラミーなのだ。
 それ故我々は統一候補について、その候補が反資本主義的であるならば賛成である。我々は、配役よりもむしろその脚本と内容に関心がある。2つの進路が想定可能だ。1つの進路は、EU憲法案国民投票運動をもって始まり、社会的諸闘争に対する支援と共に引き続き、民衆階級と若者に向けられた緊急方策という1つの計画を人々に明らかにし、そして、反自由主義派、反資本主義派、国際主義者、フェミニスト、さらに環境派の諸勢力の結集に至る。他の進路は、社会党の翼の下での政府刷新に左翼的な表紙を与えることで終わる。
 良い脚本があれば配役を選ぶことはたやすい。2002年4月21日における左翼の8人の候補と2007年におけるただ1人の候補の間には、適切な中間がなければならない。多元的左翼のナンバーツーは、ほとんど身なりを調えることもないまま元に引き戻されつつあるように見える。それはそれだけの問題だ。今日と明日の諸闘争はそれよりも価値がある。それ故我々は出合う必要があり、そこで1定の対話があると考える。我々は直ぐに様々な闘いの中で出会うことになるだろう。それは確かだ…だが、何故4人で会食しながらではないのか、と尋ねるのだろうか。しかし、それこそ誰かに指図される問題ではない。
*この論文は、パリの日刊紙「ルモンド」4月28日付に発表された。
*筆者は、2002年の大統領選におけるLCR(第4インターナショナルフランス支部)の大統領候補。
注1)多元的左翼は、社会党が支配し、共産党と緑の党を含んだ政府連合に与えられた名前。1997年から2002年までライオネル・ジョスパン首相の下にあった。
注2)CNEは、被雇用者20人以下企業の経営者に、採用の最初の2年間、理由を告げることなく労働者を解雇する権利を与えている―26歳以下の若者に対してCPEがもっていた効力とまさに同じ―。
(「インターナショナル・ビューポイント」電子版5月号)


【解説】

 来年の大統領選挙を前に今フランスでは、誰が候補者として登場するのかが、1般メディアを含め、政治的関心の焦点となっている。左翼に関しては、候補の絞り込みが、特に社会党並びにその有力支持勢力から強く主張されている。

統一候補か否か

 この背景には、左翼支持者の中に今も残っている前回大統領選の「トラウマ」がある。フランス大統領選は2回投票制であり、第1回投票の上位2者による決選投票で大統領が選出される。しかし前回は、総体としての左翼票は第1回投票で8人の候補者に分散し、社会党候補者であったジョスパンが第2回投票に進出できなかった、という驚天動地の結果となった。その結果第2回投票は、右翼のシラク対極右のル・ペン、という、左翼にとって屈辱的な選挙となった。このようなことを2度と繰返してはならず、第1回投票1回だけで確実に左翼を勝利させる選挙態勢が必要、これが候補絞り込み派の主張だ。
 しかしこの1見良識的に見える主張には、人を欺く重大な問題が潜んでいる。それは、前回の結果には社会党自身の責任が決定的に関わっているという事実を不問にし、投票の分散という現象だけに問題をすり替え、机上の算術で選挙を考えるという、極めて安易で不誠実な立論だからだ。
 しかし先の悲惨な結末の根底には、80年代以降連綿と闘われ続けてきた新自由主義政策に対する態度、という核心的な問題が厳然と横たわっていた。社会党は特に90年代以降、事実上この新自由主義を容認し、ジョスパン政権の下ではその実行者となった。そして、より自由主義的なEU執行機関には、社会党に連なる行政担当者と官僚も数多い。社会党は事実において民衆の要求に背を向けたのだ。前回の社会党の惨敗はそれ故に起きた。
 新自由主義とそれを容認する社会党に対する民衆の不信は以降さらに深まっている。昨年のEU憲法条約案の国民投票における否決は、その事実を鮮やかに示した。社会党支持層は大きく分裂し、多くは党の「支持」呼びかけを拒否し、極左派、共産党、反新自由主義運動勢力が統一して取組んだ「左翼の立場に立つノー」運動に合流したのだ。
 単一左翼候補という構えそれだけでは、社会党と民衆との間に開いたこの深い裂目に対して何の回答にもならない。それはむしろ、その裂目とその原因を単に覆い隠すものであり、それ故無力だ、とLCRは主張する。社会党は先ず、新自由主義と決然と闘う姿勢を確立すべきであり、何よりも、現下の民衆の抵抗に真摯に取組み、その闘争の統一に責任を果すことでそれを自ら証明しなければならない、これがLCRの態度だ。

社会自由主義

 同時にLCR並びにヨーロッパの第4インターナショナルの同志達は、社会党そしてヨーロッパ社会民主主義は上のような態度決定はもはやできない、と判断している。
 新自由主義との厳しく困難な闘いを民衆が続けてきたこの30年近くを経て、新自由主義との対決に方向を転じた社会民主主義勢力は結局1つも現れなかった。むしろ彼らは、イギリス労働党、フランス社会党、ドイツ社民党、イタリア左翼民主党に明らかなように、日を追って新自由主義への同調を進めてきた。そうであればもはや、それを偶然的な、あるいは一過性の現象と考えることはできない。確かにこの進展の底には、ブルジョア支配層と彼らの党機構の制度的融合という、社会的で有機的な過程がある。いわば社会的基盤において、社会民主主義は文字通り労働者民衆との切断を深めているのだ。
 これら全体をとらえて第4インターナショナルは、これらの社会民主主義勢力を現在「社会自由主義」と性格付け、そこからの民衆の自立、並びに左翼における全く新しい質を備えた政治枠組の創出を、自らの主要な課題としている。
 いずれにしろ、ヨーロッパ社会民主主義が労働者民衆の指導勢力足り得ないという事実、そしてそれを放置することは民衆への災禍に転化するという事実は、まさに現実である。同時にその1方で、反資本主義左翼が彼らを押しのけ、彼らに代わる力を蓄えていないという現実がある。この現実が、民衆が党―政治を置き去りにし、具体的な課題をめぐって権力と直接衝突するという、現在のヨーロッパにおける特徴的現象の背後にある。この不安定で、ある種の危険を孕んだ1時期を具体的にどのように闘うのか、ヨーロッパの同志達はそこで今苦闘している。
 LCRは、前回大統領選、その後の諸闘争を通じて、議会に議席は持たないものの、フランスではもはや無視できない政治勢力となっている。とりわけ、反自由主義抵抗運動の中でその影響力は極めて大きい。それ故次期大統領選に対するLCRの対応は、あらゆる既成政治勢力と主要メディアの注視の的となった。単一左翼候補をもくろむ社会党は特に警戒を隠さない。
 この中でLCRは既に述べてきた観点から、今年初めの大会で、新自由主義との対決を曖昧にする左派統一候補論を明確に拒絶し、独自候補擁立を決定した。1方で共産党は、LCRと社会党を仲立ちし、LCRを巻き込んだ上での左派統一候補を追求している。おそらく今LCRには、左翼のエリートからは無論のこと、右翼に勝ちたいと素朴に願っている民衆のかなりの層からも、統一候補への合流を要求する強力な圧力がかかっている、と想像できる。ここに紹介したブザンスノーの論文はこのような状況の中で書かれている。
 このような圧力に対してLCRは、新自由主義政策を決定的に押し潰すという、民衆の核心的な要求を達成するための最も適切な闘争路線と政治枠組とは何か、と問いかけている。その点で、事実上の社会党候補を意味する統一候補は、明らかに中心問題の解決には全く役に立たない。それ故にむしろ単一候補は、左翼総体に対する一線を越えた幻滅に帰着する危険性をもっっているのだ(ル・ペン支持増大にその危険性は既に0している)。それ故に、左翼統一候補構想はまさに不適切ということになる。さらに、大統領選挙を右翼と社会自由主義の対抗にすることは、現実の民衆の政治意識に応えるものでもない。この5年の抵抗拡大を経た次期大統領選挙においてこそ、社会自由主義に代わる左翼的対案が民衆の前に提示されなければならないのだ。LCRにはこの基本的観点の上で、日々変化する生々しい現実に即応する緊張を孕んだ戦術展開が課されている。
 民衆の活力と左右の力関係において格段の落差のある日本ではあるが、ヨーロッパ社会民主主義と反資本主義左翼の間で論争されている問題は、左翼再編に当たって問われる問題として、本質は同質だと思われる。ここで論争されている問題をどう考えるか、日本の我々も無関係ではない。

 キューバ
       フィデルとトロツキー

           
セリア・ハルト
 

 LCR週刊機関紙「ルージュ」の以下に紹介するインタビューは、昨年死去したフランスのマルクス主義歴史家、ピエール・ブルーエを記念したシンポジウムに参加するため、セリア・ハルトがフランスを訪れた際に行われた。

革命は今も展開中だ

―現在まで15年間に亘って、キューバ社会が決定的に崩壊したとの説が、1定の間を置いて繰り返し流されてきた。フィデル・カストロ自身が、キューバにおける不平等の高まりを強調したことがある。我々は、これらの獲得物を維持し発展させることが可能なのだろうか、それともそれらは消滅が宿命付けられているのだろうか―

 私はキューバ革命に全面的に1体化していると自覚しているが、その革命を代表している訳ではない。私の発言はあくまで個人的見解だ。
 さて、キューバにおける社会主義革命の社会的獲得物は、今も明白だ。例えば、大きな社会的平等性、また誰もが、合衆国やヨーロッパ―即ち、はるかに豊かな国々―に比較可能な水準において手にできる教育システム、ラテンアメリカのいかなる他の諸国をもしのぐ保健システムがある。そしてそれらは、ヨーロッパで起きていることに反して、私有化や解体の途上にあるわけではない。
 しかし、キューバ革命が「特別な時期」(注1)―エネルギー不足、公共交通の崩壊、最低限度にまで切り詰められた食料配給、等々…いわゆる「社会主義陣営」諸国との貿易協定、並びに引き続いている帝国主義の封鎖が作り出したもの―の諸困難をこの間に克服できたとするならば、その理由は、全体としてのキューバ国民が守ったものが革命であり、あれやこれやの社会的便益ではなかった、ということにある。
 我々が今経験中の諸困難は、物質的な必要に関係してはいない。通商の自由化と外貨所有の自由化―導入された資本主義的機能だが、それらを1定の人々は、1920年代におけるロシアのネップに対応させることで正当化している―は、社会的差異化と「ニューリッチ」の出現に導いた。昨年11月17日の演説で司令官(フィデル・カストロ)は、それを以下のような形で定式化した。即ち、「この革命を破壊できるものは全くただ1つその革命自身だけである。そしてそれを何としても破壊できない唯1の者こそ彼ら(合衆国、帝国主義者)なのだ」、「しかし我々は革命を破壊することができるのであり、それは我々の誤りから起きるだろう」と。この彼の発言は、「数万人にも上る寄生者が何物をも生産せずにあらゆる物を呑み込んでいる」ということを強調する中で行われた。
 同様に外務相のフィリッペ・ペレス・ロクェは国連で、キューバにとっての危険はブルジョア階級の生成だった、と力説した。官僚制と市場経済の浸透、ここに危険が横たわっている。我々はその官僚制の基礎を打ち壊さなければならない。何故ならば、ブルジョア階級の発展が可能となるのは、それらの基礎の上においてだからだ―我々は旧ソ連邦やポーランド、さらにその他のところで、管理者、権力者であった官僚達がいかにして所有者になり、資本家になっているのかを、今目にしている―。
 キューバでは、1980年代の東ドイツとは異なり、「レーニンは生きている」。要するに、官僚主義的反革命は完遂されなかった。我々は、官僚制の基礎を打ち壊すために、その現実を利用する必要がある。何故ならば、資本主義的復古という危険はそこから生まれ出るからだ。

―ベネズエラ革命の進展は、キューバを締付けている鎖を緩めさせる可能性を生み出しつつある。この進展が未だ始まりに過ぎず、またこの2つの革命間の同時進展が例えあまり当てにはできないとしても、我々は今日、これら相互の相乗的影響について語ってもよいのだろうか―

 ベネズエラでは今、キューバの医師や医療補助員、さらに教員達が働いている。しかし彼らは、この国の政治生活にはいかなる部分においても参加していない。あなたには分かるように確かにここには、それを理由に干渉としてキューバが告発されることを回避する自制がある。しかし例えそうだとしても、この選択について私は同意できない。ベネズエラの進展に孕まれた新鮮さ、そこへの旅、今までとは異なる現実とそこでの議論を経験する可能性、これらのものは経験を豊かにするものだ。さらに、キューバ人が、特に若者達が―もちろんキューバ政府や国家ではなく―単に医師や教員としてというだけでなく、工場集会や住民集会やその他のものの中で、ベネズエラ革命に参加できるということが重要なのだ。
 いずれにしろ強調されるべきことは、キューバとベネズエラの間に築き上げられたつながりは、旧ソ連邦との間にあった結び付きとは異なっている、ということだ。何故ならばそれは、2つの革命的進展、即ち1つは既に堅固にされている進展と、もう1つは始まりつつある進展、これらの間に築き上げられるべき結びつきという問題だからだ。それらの両者とも真正の革命なのだ。それに反して旧ソ連邦との間にあった関係は、国家間の、しかも不平等な関係という問題だった。
 ベネズエラ―キューバ2軸関係のもつエネルギー、目下進行中のこの過程にボリビアが統合される可能性は、永久革命を現実化するものだ。そしてそれは我々に、真の統一戦線の建設という方向に向かって進行中の関係に基礎を敷設することを可能としている。

何故トロツキーか

―あなたにとって、トロツキーの理論的貢献がそれほど重要だと、何故思われるのか―

 我々はキューバで、モンカダ(注2)以来、永久革命の過程を通過して生き続けてきた。革命の連続性、その深化という問題は、キューバの革命家、特に「7月26日運動」(カストロのゲリラ活動と連携した都市の反体制運動。訳者がキューバに旅行した1996年当時、この運動の中心だったキューバ東部の港湾都市、サンチャゴ・デ・クーバ―モンカダ兵営の所在地―では、町のあちこちに同運動の大きな旗が掲げられていた―訳者)の革命家の思考ではその中心を占める問題だった。それらの人々の中で最初にメラが、次いでゲバラが、「トロツキスト」であると告発された。彼らはそうではなかったが、その告発には1定の合理的な中身があった。何故ならば彼らは、例えトロツキーを読んだことがなかったとしても、永久革命の方向に向かっていたからだ。キューバ革命が孕んでいる永久性は、左翼反対派の思想の中にあるのだ。
 キューバの中では、共産主義とは共産党のスターリン主義のことだ、と人々が考えていたために、反スターリン感情が常に存在してきた。その上共産党は、最後に革命に合流した勢力の1つだった。しかし、1961年にフィデルがキューバ革命の社会主義的性格を声明して始めて、「フィデルがもし共産主義者だというのならば、それならば私を入党させることも可能だ」、と人々は語ったのだった。
 革命についての私の考えの中には何か欠けているものがあると、私はいつも感じていた。それこそ、私がトロツキーを読むことを通して見つけ出したものだ。私はそのことで、社会的正義と個人の自由が矛盾することはないということ、我々はそのどちらかを選ぶよう宿命付けられているわけではないということ、そして、社会主義は両足で歩くことで始めて建設可能だということ、これらを発見した。

 物理学者であり、著述家であり、そしてキューバ共産党の1党員であるセリア・ハルトは、彼女が1980年代に東ドイツで物理学を研究していた時トロツキーの著作に出会って以来、自分自身を「フリーランストロツキスト」と表現している。その時期に彼女は、このいわゆる「現存社会主義」がどの程度にまで堕落し未来をなくした社会であるのかを、直に知ることができた。キューバ革命の2人の歴史的指導者、ハイデ・サンタマリアとアルマンド・ハルトの娘であるセリア・ハルトは、東ドイツから帰国した時、父親の蔵書の中にアイザック・ドイッチャーの著作を発見できるという大変な幸運に恵まれた。
注1)「特別な時期」という用語は、旧ソ連邦の崩壊後にキューバが投げ込まれた困難な情勢を表すために使われている。キューバは今ようやくそこから脱しつつある。
注2)フィデル・カストロは、1953年7月26日、モンカダ兵営襲撃に失敗し、逮捕された。彼は法廷で自身を弁護し、「歴史は私を放免するだろう」という名の、歴史に残ることになる演説を行った。この中で彼は、バチスタ独裁に対する革命闘争の展望を素描した。
(「インターナショナル・ビューポイント」電子版5月号)
 
 
 
 

 
 
 
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