1991年4月10日         労働者の力               第20号

統一地方選挙前半戦、東京都知事選の結果について

政治構造の「金属疲労」としての自社公民体制

総与党化状況を撃つ新たな労働者・市民の政治勢力形成を!


川端 康夫

 四月七日、統一地方選の前半の投票が行われた。総与党化、相乗りの全般化によって、争点に欠け、盛り上がりがないといわれた91年統一地方選の前半戦は、自民党の全般的な「復調」と社会党の大きな後退、その他の政党の後退という予測された結果をなぞることになった。

 自民党は、地方議会において ? の議席数を増大させ、リクルート・消費税問題による落ち込みからの「回復」を印象づけた。一方、大量の候補を擁立した社会党は、大きく後退して一時のブームがあっさりと過ぎ去ってしまったという事実を示した。社会党にとってはこれは明らかな敗北であり、痛手である。公民両党はもともと守勢の選挙であり、また共産党も同様である。
 91地方選挙の争点が不鮮明であったにもかかわらず、自民党は湾岸への自衛隊輸送機派遣や米軍への巨額の軍事費援助などの一連の路線が支持された、といい張る材料を得たことになる。ここで自民党の党内抗争やその結果として海部政権の命運がどうなろうと、それは労働者人民にとって主体的には本質的なものではなかろう。問題は別のところ、すなわち、あらためて社会党に集約されてきている。
 地方選挙を争点なきものにしたのは、野党、それもいまや社会党の側に主たる要因がある。民社・公明は明確に自公民ブロックを選択し、そして両党は、国民レベルで自民党との相違を表現する政治勢力から、すでに転落してしまった存在だからである。
社会党の混迷・迷走がきわだった東京都知事選挙が、こうした社会党に働いた力関係をもっともよく示した。
 社会党の問題――これがこれからの局面の最大の注目の的となるであろう。

 自社公民相乗りが全国化することによって盛り上がりを欠いた状況の中で、そのネジレ状況によって最大の注目を集めた東京都知事選挙は、鈴木現知事が対抗馬と目された自公民・連合候補の磯村を大差で破った。鈴木(万票)、磯村(万票)。および社会党候補の大原(万票)、共産党の畑田(万票)の結果である。
自公民三党と連合主流の支持を受け、本来圧倒的優位を占めるはずの磯村の敗北は、先の山梨県知事選における自社公民相乗り候補の敗北に引き続き、相乗り政治という惰性が現実に拒否されたことを示した。鈴木は、都新庁舎問題や企業優先の開発至上主義などの問題が山積し、明らかに大衆的支持の危機を迎えていたはずであるが、自公の強引な鈴木降ろしへの反発に支えられて勝利したといえる。
 社会党の大原は、立ち遅れのみならず候補者を選定する過程の混迷とその場しのぎの候補という印象が明白であり、同時に、連合主流が磯村支持にまわったこともひびいた。社会党の固定的支持票すら獲得できなかったという結果は、社会党内ですでに公然化している「責任」問題に油を注ぐことは明らかであろう。土井退陣を最終的な攻防線とする連合派の攻勢はすでに予告されているのである。
 畑田にとっての問題は、共産党の闘いが守勢であり、現状をとにもかくにも防衛するための選挙戦であったこと自体に求められる。この党は、都知事選において現状防衛という「目的」を果たしたが、にもかかわらず行き詰まった党の現状を打破する積極的な突破口を見出すものとは全然いえないからである。

 こうした選挙状況は、大方の予測通りとはいえ、その結果から引き出されるべき分析は、そのほかの諸要因と重ね合わせるとき容易ならぬ歴史的意味をもっているということができる。
 その最大のものは、全般化している「自公民」、「自社公民」構造が象徴する政治構造の行き詰まり、「金属疲労」とでもいうべき現象が表面化したことである。七〇年代の半ばから顕在化しはじめた社公民政治への動きは、その本来の性質がもたらす自社公民ブロックの全般化に到達し、まさに政治的な「よどみ」をもたらすものとなった。こうした「よどみ」は当然にも政治の頂点から地域末端までの利権構造という一連のつらなりにむらがる政治のプロの世界の「よどみ」でもある。だが、そうした「政治構造」の停滞は、社会構造が求める変化と改革への欲求と明白なズレを日々拡大してきているのである。こうした「構造的断絶」が総利権体制の定着と並行して作り出されているという現実こそ、自公民あるいは自社公民ブロックが期待されるほどの威力を発揮していない背景となっていると考えなければならない。
 確かに鈴木は、利権構造を東京において代表する存在である。それゆえに鈴木の再選は危ぶまれるところがあった。だが、にもかかわらず、それを追い落とそうとした当の磯村自身が自らこうした利権構造の本体である自公民構造の代表選手以外のなにものでもなかった。この両者の間の相違は、前者が中央政治に刃向かう姿勢となり、後者が中央政治の代弁者となった事実だけである。しかし、この見せかけの差は大きかった。差は、自公民(連合)の意味する政治の「よどみ」とその圧力への反発が作用するか否かとして表現されたのである。

 政治勢力集団あるいは政治のプロ集団の離合集散だけでは、政治構造の大きな枠組みを自由にできない――投票総数に占める割合いにして数%の移動が政治集団の動向を左右するのであるが、その底流として、自社公民体制に行き着いてしまった政治の「よどみ」への反発と抵抗があることは明らかなのである。
 われわれは、社会党復調(土井ブーム)は自公民体制への民衆の反発と抵抗の表現である、自公民体制は崩壊への歴史的な道を歩んでいる、と指摘してきた。
 数年にわたる一連の政治的激動の結果、民社・公明両党の存在位置は、ただ自民党の補完物となるだけのものに切り縮められた。そうしてまた、この両党は社会党(その一部を除いて)を自らの背後に引き寄せることによって自らの凋落を隠ぺいしようともしている。連合がその媒介をかって出ていることも明白だが、こうした一連の政治構造が限界を見せ始めたのが、土井ブームであったのである。
 一時の土井ブームは明らかに過ぎ去ったといえる。だが、それを生み出した底流に重大な変化があったということはできない。それゆえ、社会党に働く新旧二つのモメント(連合的なものと市民・女性的なものの要素)の関係は、今後とも対立することはあれ、融合することはないであろう。
 この一年、この党はあい矛盾する二つの要素が相克する様相を明らかにしてきた。その最大の問題は、湾岸戦争と日本の国際的役割にからむ諸問題であった。この問題は今後ともこの党を揺さぶり続けることになるであろうし、東西の冷戦構造における「中立・平和」という、この党に付託された戦後意識を今後あらためて、いかなる姿で政策的に路線化していくかは、容易な作業ではないことは明白である。社会党に働く「現実主義」、すなわち「日米同盟」論の圧力は連合勢力を通じてさらに倍加されよう。そして組織の脆弱なこの党にとって、連合という労組構造の組織的・財政的圧迫はまたどうにもならない足かせとなり続けるであろう。
 だが、いまや、こうした勢力が制御する政治構造自体の見せかけの「強さ」は「かげり」を示している。
 いわば過去十数年にわたって築かれてきた自社公民相乗りという、地方政界からはじまり中央政治を呑込もうとしている政治的上部構造は、それが完成する以前にまさに「金属疲労」の徴候をさらけだしている、といわねばならない。
 われわれは、ここに「過渡期」の特色を見出しうるのである。

 その過渡期とは、何から何への過渡期であろうか。また、時代全般を構造的に変容させるような動力を生み出すにたる過渡期であろうか。
 これらの問題に応える十分な材料が主体的にすでにある、とはいえない。だが、戦後構造、あるいは五五年型政治構造が国際的にはもちろん、国内的にも大きな政治変動の圧力のもとにあることは疑いえない。五五年型政治構造の「金属疲労」が、一方では政治の総利権、利益誘導政治のらん熟と腐敗を導き、他方の主役であった労組の資本への接近と融合、いいかえれば利権型政治への転落、ロビー政治化への接近が進んだ。こうした日本型というべき独特の第二労務部的性格を濃厚に示すビッグユニオン支配の形成は、民衆の政治的欲求との距離を他とは比較にならないほどに拡大している。
 戦後の一時期に較べれば、民衆的レベルの政治意識と労組構造のそれとの断絶は、雲泥の差とでもいうべきものだろう。それは、いまや不可逆的に進行しているようにみえる。連合形成はまさにその象徴である。
 民衆的政治意識が労組構造との一致を示さなくなってから久しい。社会党の長期低落なる現象は、以上の事実の反映の一つであった。とりわけ、大都市部におけるスプロール化と、労働者の地域社会の解体の進行が、この党を皮肉にも「農村党」化させてもきた。もちろんこれは一時の現象であり、いずれ農村部においても衰退は全面化していくことは避けられないことであった。
 労組は、政治主張をますます企業内、あるいは産業レベルの枠にとどめ、地域社会との断絶を拡大させる。そしてその企業内では、まったくの企業論理にもとづく「独特の企業内民主主義」、すなわち「憲法と労働法」が通用しえない構造がまかり通る。
 こうした長期低落を導いた全般的な断絶構造を埋め合わせる役割が、土井委員長に期待されたのであり、そして土井委員長が果たしたものであった。
 だが土井社会党は、社会党の構造を、その土台から変化させたわけでもなければ、将来にむかって進むべき方向をまとめ上げたわけでもない。労組は依然として、ひたすら企業とのゆ着を自民党政府体制とのゆ着へと推し進める構図に執着し、その展望にとっての障害を断固排除する構えを崩さない。また党内右派はまた自社のゆ着・取引に利益を見出している。
 社会党はまさに、土井社会党か、それとも連合政治か、本質的に統一しえない矛盾に衝突してきたのである。この矛盾の主要な原因は、繰り返しいうが企業とのゆ着を構造化してきた労働組合(=連合)のサイドにある。

 いずれにせよ、地方政治に始まる総与党化のすう勢は、それに反発し抵抗する民衆的底流を不断に拡大再生産し続け、その流れの中に、すでに公明と民社の両党の基礎の衰退を刻みこんだ。社会党の組織問題が最大の焦点になる局面が再び始まるのも遠いことではないといって過言ではない状況である。そして、この党の内部闘争が、従来型の労組依存型をそのまま引きずるということも、もはや考えにくい。いまだ明確な姿としては見えていないが、労組をもその一部に組み込むタイプでの広い「市民運動」、独自のネットワークをもつ全国的な広がりがなんらかの形で現れる流れにおいて、過渡期の姿が浮かび上がるということができるであろう。
 「湾岸戦争」における連合の果たした役割、春闘の「春談化」、国労に対する不当労働行為をもみ消そうと奔走する中労委の(連合の)労働委員、そして都知事選挙における連合派の自社公民ブロック選択。これらの一連の構造こそ、政治的上部構造の「金属疲労」をまざまざと物語っている。
 自公民に続く自社公民化の進展は、同時に政治的上部構造と民衆の流れとの断絶が、客観的にはさらに拡大することにほかならない。
 自社公民化のすう勢とその構造がもつ圧力は、現実問題としては確かに大きい。だがそれが示す内的脆弱さもあと一つの確かな事実である。
 こうした錯綜した状況を表現しているものとして、典型的には国労が直面させられている状況をあげることができる。国労の苦闘は、まさに政・財・官・労の結び付いた自社公民構造の圧力を不断に受けていることによる。国労運動を、自社公民体制、あるいは政・財・官・労のゆ着構造に合流させようとし、そのことによって労働官僚としての位置を再確保せんとする国労内の根強い傾向を克服しきれないのは、まさに現実の政治構造が作り出す圧力そのものに起因している。だがその反面、国労の闘いがもつ客観性は、国家の私物化、言い換えれば政・財・官・労のゆ着がつくりだし強制している理不尽な権力の独占に対する民衆的レベルの反発と抵抗の流れと重なるのである。
 社会党が土井委員長のもとで圧倒的な市民、市民派の支持を受け、その伸長が政治状況の焦点となったのは、民衆レベルでの直接的な政治参加の意欲が土井委員長によってかきたてられたからである。今回の東京での鈴木の圧勝にも同様の力が作用したのである。

確かに国労自身、衰退し続けた総評運動の主軸であったわけだから、他の労組同様、企業内主義的な労組の論理が市民的、民衆的な水脈からの距離を拡大してきたという過去の実態を否定はできない。
 それは明らかに今でも引き継いでいる性格でもあり、そうした過去をひきずった性格は、「国労の大国主義意識」に特徴づけられ、それはいまだに顕著な男子熟練本工労働者意識に裏づけられている。こうした労組官僚意識が、民同・革同両派を横断して存続し、企業内取引に走り、社会党と総評センターへの迎合のみを唯一の展望として考える意識をふだんに生み出してくる。その延長は当然連合への埋没である。国労は一部の闘いを例外として、必要な地域との積極的な運動的結びつきを軽視することとなっている。
 国労の闘いが、全国レベルで見るとき市民運動的意識と必ずしもかみ合ってはいないこと、また地域との結びつきがなされても多くは表層的なものにとどまっていることの背後には、主体的なそれなりの理由があるといわなければならないのである。
 十月会議が「社会的労働運動」を掲げつつも、その内容の深化・具体化に苦闘している現実を見ればなおよく理解できるのである。
 ここに今後埋めていかなければならない巨大な分野がある。だが、一つ確かなことは、労組の側に市民運動を引き寄せるという発想がすでに過去のものだということである。十月会議が掲げる「社会的労働運動」という名称自体、あらためて労働運動が社会運動の一翼となるためには主体的飛躍が必要だとの認識が意味付与されている。
 社会的視野から切断された産業戦士、企業戦士が直線的に「粗大ゴミ」に転化する論理は、また国労や他の左派労組の現実においてもほとんど変わりはないであろう。
 「市民派」の要素には、その行きかたは様々ではあれ、その底流に共通するものとして現在の社会構造、体制に対する意識的、現実的なオルタナティブへの志向がある。
世界的なポスト冷戦時代への転換という二〇世紀の巨大な歴史的節目において、「抵抗」と「対抗」が今日、いかなる共通の政治表現を取りうるかはいまだ明確なものはない。一切が今後の主体的な作業にゆだねられている。
 「社会主義」がとりわけ日本において、アメリカ帝国主義に対抗し革命中国にシンパシーを示すという意味を強く持った時代の共通の感性は、いまやない。労農人民の資本家政治と対抗する政治的現実性――言い換えれば資本家政府に代わる政府の展望は、あらためて組み替えられ、形成されなければならない。
 そして抽象的な概念表現としての「オルタナティブ社会」への展望の契機は、むしろ積極的に「市民派」的な広がりの中に先行している。
 全体としてのオルタナティブな現実性はまだ地平線のかなたに隠されている。こうした「過渡期」において、時として現実的成果を焦る意欲が、「現実主義」化の落し穴にはまりこむ危険が伴う。例えば、いま顕在化しつつある社会党内の対立の本質的性格を見誤ると、「ニューウェーブの会」の行った「抵抗政党からの脱皮」を求め、執行部の責任追及を行うといったような、的はずれの右派の先兵のような「現実主義」が飛び出てきてしまう。
 社会党内に横行する「現実主義」あるいは「政権政党化」論には、まさに必要な前提が欠けている。国際的、国内的な現状へのオルタナティブ論への格闘という前提である。これを欠いた「現実主義」は、ただ自民党政府体制へのゆ着的接近でしかなくなるであろう。 
 土井社会党が、「抵抗の党」であることは、確かに一つの側面からみればある種の限界を示すものである。「抵抗の党」は、戦後政治の歴史において、資本主義の復活に対抗する社会主義建設の方向の現実性を見失うにつれて、「反動化に抗する」という意味を付与された結果である。「護憲」の党の概念が、「抵抗の党」として表現されている――それが「土井社会党」である。だが「抵抗」が「市民派」の意識と結合している。
 ここに、土井社会党という新しさ、すなわち自社公民ゆ着という政治的上部構造に「金属疲労」をもたらす民衆の反発と抵抗を広範に引き出し、かつそれらが内包するオルタナティブ社会論に客観的につながるという、以前の時期にはなかった特徴がある。
 ニューウェーブの会は、現実性の認識において誤った回路に誘いこまれる危険性のきわどい立場に立っているといわなければならない。

 独立左派は、統一地方選において、様々な形でこうした民衆的レベルでのうねりに結びつき、また社会党がかかえる構造的矛盾に積極的にかかわろうとして活動してきている。社会党が土井ブームを背景に多くの市民的要素を引きつけ、衆参両院をはじめとして議席数を増大させてきた結果、独立派としての立候補よりは社会党との結合を重んじる傾向が増大してきたことは事実である。社会党労組構造に接近し、そもそもの基盤である独立的、市民的支持層と距離を置く姿も一部には見受けられる。だがその反面、社会党の土井委員長のもとでの伸長が市民的要素の動員によるところが大きいという事実が、社会党と独立派との距離を埋める要素ともなっている。
 連合に抗し、全労協に結び付く流れもまた部分的ではあれ、独立派と社会党内の一定の傾向との結びつきを作り、選挙選での協同につなげている。
 すでに明らかな政治的上部構造の「金属疲労」現象の進展の中で、将来問題はさておくとしても現在的には大局において、独立派の活動と社会党における土井委員長が体現する要素が一連の大きな流れのそれぞれの側面を表現するものであると理解しうるであろう。
 ここに独立左派にとって、いまや、より大きな政治的視野と政治感覚の飛躍が問われているといわなければならない。統一地方選挙での各地の闘いも踏まえ、独立左派が、さらに相互の共通認識を深化し、社会党を中心とする政治状況の構造変化に正面から取り組むべく、政治的・組織的な協同作業を「政治連合」の具体的姿として、さらに一歩さきに進めなければならない段階にきたと考える。

   一九九一年四月八日

第四インターナショナル、13回世界大会を開催
インターナショナル・ビューポイント誌三月十八日号(202号)


☆議案討論の状況と結果

 第四インターナショナルの第13回世界大会は、イタリアで二月七日から十七日にかけて開かれ、四十八カ国、八十組織からおよそ二百人の代議員、オブザーバーなどが参加した。六カ国(主として中東の地域)の代表は湾岸戦争のために参加できなかったが、メッセージを送ってきた。
 大会は、われわれの隊列に属する政治犯や革命運動、労働運動の政治犯、ブルジョアジーと官僚体制の弾圧の犠牲となっている人々を名誉議長団に選出した。
 大会の幕開けは、湾岸戦争とその背景、展望に関する報告と討論であった。第四インターナショナルのすべての支部と支持組織が帝国主義の介入に反対し、いわゆる「多国籍軍」の中東からの即時撤退のために活動していることが明らかになった。すべての国際的な革命的左翼を対象としたアピールが採択された。それは、帝国主義者の汚い戦争に反対する闘いを、できるだけ広範かつ統一した大衆動員をつうじて強化するためのさらなる行動を訴えるものであった。
 また、革命的な諸潮流がベトナム反戦闘争当時と同様の役割をこの巨大な反戦運動において果たしていないが、しかし湾岸戦争に反対する運動では、組織された労働者運動、労働組合運動の重要な部分が西ヨーロッパ資本主義諸国、前の東ドイツ、日本、アメリカで積極的に大衆動員を行っていることも明らかになった。
 大会は、一連の議案――世界情勢、ソ連情勢、ラテンアメリカと資本主義ヨーロッパの情勢、ラテンアメリカと帝国主義諸国における女性解放に関する諸問題、帝国主義諸国における女性解放運動の状況、大衆組織および第四インターナショナル指導機関のフェミニナイゼーション(女性化)、第四インターナショナルの指導機関建設について、それぞれ報告を受け、討論を行った。約百六十人の同志が討論に参加した。
 これらの発言は、この数年間に世界で起きた主要な変化を分析し、その意味を明らかにしようとするものであった。すなわち、資本家階級の攻勢と労働者階級の側が守勢に転じたこと、ソ連と東欧におけるスターリニスト体制の崩壊、中米革命の諸問題、ブラジルおよび南アフリカにおける労働者運動の再編の開始、ソビエト大衆の政治的再生と彼らが政治的、組織的自律を獲得する上での困難さと直面する諸矛盾を分析し、その意味を明らかにしようとするものであった。
 われわれの運動の民主的な伝統にそって、少数派傾向を組織した同志たちの立場を明らかにするものとして、対案や議案が提出された。指導部が提出した議案が圧倒的な多数で採択された。
 大会はまた、「エコロジーと社会主義革命」というテーゼ草案を討論した。この文章は内部で討論が深められ、14回世界大会で採決に付されることになった。
 大会はまた、宣言草案について議論した。このテキストは、この数年間、労働者運動と革命運動を揺り動かしてきた社会主義への信頼性の危機の原因を明らかにし、一九八九―九〇年のいわゆる「社会主義陣営」の崩壊によって加速された危機を明らかにしようとするものである。
☆新たな課題に応える宣言
 宣言の目的は、革命家たちが直面している、そしてこれからの数年間、彼らの活動のあり方に不可避的に影響をおよぼす新たに挑戦すべき課題について、できるだけ一貫した体系的な対応方法を提起しようとするものである。この採決は、さらに討論を重ねた後で行われることになった。
 第四インターナショナルは、人類が直面している新たな、苦痛にみちた諸問題について明確で完全な回答をもっているとは主張しない。第四インターナショナルは、こうした問題に関して討論を行おうとするすべての人々と議論する。だが現在、全世界の様々な諸潮流に参照点を提出しうる一貫した回答を提起しようと努力している唯一の国際組織は第四インターナショナルだけである。
 大会は次のアピールを採択した。
 ◆反動的な原理主義の登場に脅かされているアルジェリア女性たちへの支援、
 ◆ハッサンU世国王によって十七年間も獄中に放置されているモロッコ政治犯への支援、
 ◆国際通貨基金(IMF)の指令による大量解雇後、「消息不明」になる危険に脅かされているボリビア労働者運動の救援、
 ◆★小平体制によって厳しい判決を下された一九八九年の「北京の春」の指導者と活動家たちの釈放要求、
 ◆ハイチ人民との連帯。
 大会は、新東京国際空港建設反対闘争で三里塚農民を支援する運動のために十年間の獄中生活を送った二人の日本の同志に挨拶を送った。大会はまた、メキシコの革命的労働党(PRT)とスリランカのナヴァ・サマ・サマジャ党(NSSP)の、それぞれの政府の弾圧によって誘拐されたり、「行方不明」になっている同志たちの即時釈放を要求した。
☆古参トロツキストも参加
 高齢の大会参加者は、次のような人々であった。大会は彼らに熱烈な挨拶を送った。モリス・シュタイン、彼は、ボリシェヴィキ革命後にロシア共産党に加盟した、アメリカトロツキスト運動および第四インターナショナルの創始者の一人である。チャーリー・ヴァン・ジェルダーレン、彼は、南アフリカ出身で、一九三八年の第四インターナショナル創立大会に参加した経験をもつ唯一の大会参加者である。
 ブラジル労働党(PT)の書記長、ジョセ・ディルセウがアピールを行い、二十世紀末における社会主義の現実性を明らかにし、確認する国際会議を来年ブラジルで開催することを考えていると訴えた。大会は、この動きを満場一致で支持し、その成功のために積極的に貢献することを表明した。
 これら以外にオブザーバーとして大会に参加した組織は、ドミニカ共和国の人民民主組織、パラグアイの人民民主党(PDP)、スペインの共産主義運動(MC)とエウスカディの共産主義運動(MK)、フランスの労働者の力(LO)、ドイツの統一社会党(VSP)、前東ドイツの統一左翼、南アフリカの社会主義組織である。シリアの共産主義行動党(PACS)とウルグアイの民族解放運動(MLN)は、メッセージを送ってきた。
 スリランカの主要な労働者組織の一つであるNSSPは、大会期間中に第四インターナショナルへの加盟を申請し、数カ月後にそれが実現することになった。
 フランスの作家、ジル・ペローが挨拶を行い、帝国主義の湾岸戦争を激しく非難し、また、クリスチーヌ・セファティはモロッコでの弾圧を強く非難した。大会で最も感動的な一瞬であった。
☆東欧の変化を反映
 ソ連・東欧の情勢変化は、これらの国からのオブザーバー参加者にも現れていた。その一部を紹介すると、アレクサンドル・ブスガーリン、彼は、ソ連共産党のマルクス主義綱領派の指導者の一人で、先の党大会以来の中央委員。コルガノフ、彼は、ロシア共産党の中央委員である。
 また、ポーランド「連帯」の歴史的な指導者の一人であるヨゼフ・ピニオール。チェコスロバキアの大臣であり、憲章77の指導者の一人であったペトル・ウール、彼は、官僚体制のもとで九年間も獄中にとらえられていた。彼らは、第四インターナショナルのメンバーとしてそれぞれの国で革命家たちが直面していた諸問題を明らかにする貢献をした。
 大会は、ソ連でのレオン・トロツキーのほぼ完全な復権に注目した。彼の著作が大部数で出版されているのである。第四インターナショナルは、彼の法的な復権を完全に実現するために闘いつづける。
 大会は、現在の革命運動が直面している重大な諸困難を認めると同時に、それらを克服し、革命運動を発展させていく可能性の存在をも認めた。
 大会は、第四インターナショナルの指導機関を強化する基本方向を明らかにした。と同時に、他の革命的、反帝国主義的、反スターリニスト的諸潮流との関係を強化・発展させる方向を確認した。
世界大会初参加の印象記(2)

第四インターを実感

                                         高山 徹


 日本小委員会の決定について

 「日本小委員会の報告と提案」(以下、提案という)は、第四インターナショナルの歴史でも特異であるだけに、それをどのように解釈するかについて、多くの見解がありそうだ。ここでは、私が決定をどのように理解しているかを中心に述べてみたい。あくまでも私個人の理解であることを、はっきりと断わっておきたい。

 組織処分ではない

 提案の性格が組織処分ではないことに注意しなければならない。
 今回の決定が組織処分であれば、第四インターナショナル国際規約13条の「世界大会だけが支部を承認、除名、除籍する権利をもっている」から、支部を単位とする処分になり、「女性同志の意志に応じて女性同志を第四インターナショナルのメンバーとみなす」という決定はなされないはずだからである。
 今回の世界大会の決定は、旧日本支部の状況に関する政治的な判断を明らかにし、そこから政治的な結論を導いたものである。こうした政治判断による結果としての支部資格の喪失という事態は、第四インターナショナルの歴史ではじめてである。
 大会は、女性メンバーを除く旧日本支部の状況が非常に深刻であり、政治的な敗北と規定した。第四インターナショナルの基本的な立場――特に性差別、女性解放に関する革命党としての基本的な立場――を承認しながら、他方では自らの性差別問題を総括できない組織は、第四インターナショナルの支部たりえないと明確に判断されたわけである。
 こうした判断の根拠は、「女性同志たちが男と共通の組織に参加できないと考え、男性と女性のメンバーが別々のグループへ分裂しているというこの状況」と「男性メンバーの側が組織活動において女性への抑圧と闘うわれわれの基本的立場を実践する能力を根本的に持っていないこと」(特に、性差別問題について自己批判と総括ができないこと)である。そして「強姦や性差別問題を取り扱いえないという無能力は、JRCLの全般的危機の状況を明らかにし、その危機を拡大し、二グループへの分裂(JRCLと全国協議会)へ導いた。この中で全国的な組織活動は大きく弱まった」と規定されている。
 提案が決定されたことの意味は、組織処分以前の、もっと根源的な、非常に深刻なものである。

 「公式の位置」とは

 提案は、「これらのグループ(JRCLと全国協議会)がいかなる意味でもインターナショナルを体現したり、インターナショナル内で公式の位置を持つとみなすことは不可能である」という。「インターナショナル内で公式の位置」とは、第四インターナショナルの規約が規定する各国組織との関係のことである。第四インターナショナルの規約は、次のように規定している。
 国際規約30条は「各国に第四インターナショナルのただ一つの支部だけがありうる。……そのような過渡的テスト(あるグループが支部たりうるかの)期間の暫定的な要求にこたえるために、世界大会はある組織を『支持(シンパサイザー)グループとしてみとめうる。……『支持グループ』は支部候補とみなされる」となっている。
 つまり第四インターナショナル内部での「公式の位置」とは、支部であるか、それとも支持組織であるかのどちらかである。「体現」と「公式の位置を持つ」とは、同じ意味で使われていると考えられる。したがって厳密に解釈すれば、支部や支持組織を潜称しないのであれば、第四インターナショナルの支部をめざす組織として第四インターナショナルの名称を使うことは許されるだろう。しかし、政治的には、第四インターナショナルの基本的な立場での資格欠如と判断されているのだから、その点の克服なしで第四インターナショナルの名称をどんな形態であれ使うことは厚顔というべきである。

 「同志的関係」とは

 提案は、「JRCLならびに全国協と同志的関係を維持する」という。同志的関係という規定は国際規約にはない。ただし国際規約13条は先の規定につづいて「公式の支部が存在しない国にかんして、国際執行委員会は、第四インターナショナルの綱領の立場に到達したグループと協議をはじめ、支部としての承認以前にこれと兄弟的な協力関係をつくる権利をもつ」とある。「兄弟的」という言葉は、現在なら「兄弟姉妹的あるいは友好的」とでも訳されるであろう。これを援用した可能性はある。この点については、研究が必要である。
 「これらのグループ(JRCLと全国協議会)がいかなる意味でもインターナショナルを体現したり、インターナショナル内で公式の位置を持つとみなすことは不可能である」グループと同志的な関係を結ぶことは、厳密に考えればおかしいことである。この点は、「東アジアにおける日本の位置、JRCLがかつて日本支部として存在していたことの重要性にかんがみ……日本支部の再建は決定的に重要である」ことからの、二つのグループへの期待と見るべきであろう。
 13回世界大会が、次の世界大会をまたずに今後のIEC(国際執行委員会)に「女性と男性の統一した組織が形成された場合……そのグループと公式の関係を持つ権限を与え」たことは、こうした期待の現れであろう。また同時に、二つのグループの性差別に関する自己批判と総括のための活動と、第四インターナショナルが「分裂以前のJRCLの組織活動のあり方が提起したあらゆる問題について同志たちと討論する」こととを通じて、日本支部再建の条件を早急に獲得してほしいという期待の表明であろう。
 したがって二つのグループは、公式の位置を持たないものの、広い意味で第四インターナショナルの一部であるとみなされているといえよう。

 支部再建の基準は

提案は、「@女性と男性の統一した組織が形成された場合、IECにそのグループと公式の関係を持つ権限を与える。Aそのグループが全国的に組織されたグループとして存在し、われわれの綱領全体にもとづいて活動し、強姦問題によって招いた不信を克服するという基準を満たすならば、IECは支持グループとして公式に承認することができる」(丸数字を便宜上つけた)という。@とAとは同格と考えられる。先にみたように公式の関係が支部と支持組織の二つであることを考えれば、@の内容をAで展開して述べているのであろう。
 したがって支部再建(まずは「支部候補」としての支持組織になること)の基準は、@「女性と男性の統一した組織が形成された場合」A「そのグループが全国的に組織されたグループとして存在し、われわれの綱領全体にもとづいて活動」するB「強姦問題によって招いた不信を克服する」――の三つである(Aを二つに分ければ四つ)。
 
私の対応と問題点

 私は、日本支部の問題で世界大会(具体的には日本小委員会)に「女性同志、JRCL、全国協議会、どのグループにも所属していない同志全体を一つの日本支部とみなし、こうした意味での日本支部と第四インターナショナルとの関係の現状維持」を要請した。全国協議会の基本的な立場は、「日本支部問題の凍結」であった。旧日本支部の問題をなんとしてでも解決しようという世界大会の熱気の中で、私が「凍結」を「現状維持」に翻案したわけである。この点については、今後の議論を待ちたい。
 いずれにしても、われわれの日本での討論をこえたところで世界大会は決定したといえる。
 私は現在、私の対応の問題点について次のように考えている。
 第一に、日本支部の性差別問題をどう考えていたのかという問題である。第二に、あくまでも日本組織の立場からしか問題を考えていなかった点である。「提案」が指摘する深刻な状態にある組織が第四インターナショナルの支部にとどまる意味を十分に考えた要請とは決していえないものであった。第三に、女性同志たちと第四インターナショナルとの関係を考えていなかった点である。女性同志たちが男性とは共通の組織にとどまれないと考えるに至った不信を克服することなく、旧日本支部の状況を含めた関係の維持を第四インターナショナルに要請することは、この不信を第四インターナショナル全体に対するものに拡大するおそれが多いにあった点である。
 世界大会は、「そうした(自律した女性の)運動を構築することが、女性への抑圧と闘い真の社会主義を闘いとるための不可欠の条件であるという戦略的性格」(第13回世界大会決定「一九七九年以降の西側帝国主義諸国における女性解放闘争」から)を承認しながら、他方では自らの性差別問題を総括できない組織は、第四インターナショナルの支部、広くいえば革命組織たりえないと明確に判断した。私は、旧日本支部のあり方が決して正常とは考えておらず、その異常さ、矛盾を自覚し、その克服のために努力してきたと考えている。
 だが、この努力には、現実に存在する異常さ、矛盾を解決するために直接に何を現在的に行うべきなのかという観点が欠落していた。この欠落は、われわれの組織のあり方、思考の方法に自己批判的に総括すべき点があることを示唆していると思われる。これを明らかにすること自体が支部再建への重要な課題の一つであろう。
 日本小委員会の席上、「@組織内で再び性差別を起こさないようにするために、また、影響力のある大衆組織で性差別を起こさないようにするために具体的にどんな措置をとったのかA性差別についての総括はどうなっているのか」という主旨の質問が出され、次回に回答を述べることになっていたが、その機会はなかった。
 旧日本支部は第12回全国大会後で「綱領的な敗北」を確認した。そして綱領的な敗北の内容の検討とその克服の方向の模索がはじまったが、「組織内で再び性差別を起こさないようにするために、また、影響力のある大衆組織で性差別を起こさないようにするために具体的にどんな措置を」とるのか、という観点は欠落していたのではなかろうか。ともすれば、総括を抜きにして具体的な措置を検討することは問題の根本的な克服につながらない、ということから、この点が無視されがちである。具体的な措置を考えていくこと自体が、また総括の一部になるであろう。
 他方、われわれの自己批判、総括のための作業は、カタツムリの歩みに似て遅々として進んでいない。この作業は、われわれのレーニン主義組織論の見直しからはじまって、レーニン主義そのものの見直し、われわれの社会主義の再検討、マルクス主義とフェミニズムとの関係の検証など、問題領域の一定の確定を終えようとしている段階にある。だが、今後どれほどの時間を必要とするのか、まったく予断を許さない。
 女性メンバーを除く旧日本支部の大部分のメンバーの支部問題に関する考えを客観的に見れば、支部問題の根本的な解決のためには女性メンバーと男性メンバーが一つの組織を形成しなければならず、そのためには男性の側の自己批判と総括が不可欠であるが、その作業が進んでいないという水準にとどまっていたと思う。この状態は、一種の出口なしではなかったのか――世界大会の決定はこのように判断したということではなかろうか。
 世界大会の決定は、日本の支部問題に一定の解決をつけた。しかし、日本の組織問題は何一つとして解決していない。日本の組織問題とは、「綱領的な敗北」の内容をマルクス主義の検討や社会主義の再検討を含めて全面的に明らかにすることが不可欠である。その具体的な柱は性差別問題の自己批判と総括になる。問題は、こうした作業をどのような方法で進めていくかということである。
 私は、旧来の枠組みにとらわれるべきではないと思う。問われているのは、すべての男性メンバーであり、具体的な形態は別にしても、この人々の共同の作業として日本の組織問題を解決していう方法を考えるべきであろう。
 私は、日本支部再建の課題がきわめて重要であると考える。つまり日本組織の問題を解決する基本方向は日本支部の再建にあると思う。世界大会での実感は、第四インターナショナルという国際組織の枠組みがこうした作業を進めていく上で不可欠であると教えている。

不思議な感覚

 インターナショナル・ビューポイント誌の世界大会報告にあるように、世界大会でソ連共産党やロシア共産党の現役中央委員と同席した。隣に座ったこともある。世界大会の前にソ連共産党中央委員アレクサンドル・ブスガーリンとのインタビューがインターナショナル・ビューポイント誌に掲載されていたので、スターリニズムの崩壊はここまで進んでいるのかという実感はもっていた。しかし、その人物が隣に座っているというのはまた別である。本当に落ちつかない、「どうなってるんだい」であった。昨年のトロツキーシンポジウムでソ連からのゲストの話を聞いているのとは、状況はまったく違うのだから当然かもしれないが、単なる不思議以上の感覚であった。

国鉄の分割・民営化       4周年を検証するシンポ

広範な社会的反響

 三月三十一日、東京・八重洲の国労会館で、「鉄道は環境を救うか?――分割・民営化4周年を検証する」と題したシンポジウムが開かれ、国労組合員をはじめ、国鉄闘争を支援してきた労働者など約一五〇人が参加した。
 集会への参加呼びかけに、「大都市圏では、電車は自動車の一〇分の一以下の石油で走り、極端なローカル線でも五分の一の石油しか消費しません。乗用車は鉄道の二〇倍の労働力と八倍の土地を必要とし、事故の発生率は三〇〇倍、窒素酸化物の排出量は一九〇〇倍にも達します」といったように、大衆的な集会としては環境問題と国鉄問題とを結びつける、おそらく初めての試みであったが、社会的な反響は大きく、環境破壊と生活破壊に反対している高速道路反対の住民運動や環境問題と取り組んできたエコロジー学会の会員、さらに社会党の常松衆議院議員など、多彩な人々が参加したほか、賛同の呼びかけに対して、社会党の国会議員一七人をはじめ、党派や立場を問わない学者・弁護士など一〇〇人を越える各界の人々が応じるという、これまでにない広がりを持った催しになった。
 プログラムは、第一部の「分割・民営化4周年を検証する」で、国鉄問題を追及してきた評論家の立山学氏が、JR東日本とJR東海の会社間対立や東海道新幹線立て替え問題やリニア問題などに触れながら、民営化しさえすればすべてうまく行くという、分割・民営化政策の破綻を報告、弁護士の岡田尚氏は、九四本の地労委命令を無視することが、労働委員会制度自身を無意味なものにするとして、労働委員会と裁判所での国労側の勝利を基礎にして、会社側を追い込む闘いの必要性を訴えた。
 第二部の「公共交通の将来を展望する」は、パネルディスカッション形式で行われ、壇上に国鉄の幹部候補生でありながら、ローカル線切り捨て政策に反対して国鉄を退職した元国鉄四国総局資材部課長の大野慎介氏、「大浪費社会」の著者で、反原発運動のセンター、たんぽぽの会の宮嶋信夫氏、立山学氏、弁護士の中野麻美氏が上がった。
 大野氏は「私たちは常に、総合交通政策を作るように望んでいた。その考えは通らず、ローカル線の一方的な切り捨てが決められた。それで、退職した訳ですが」と切りだした後、化石燃料や重金属を地中から取り出して浪費するという現代文明の持っている問題点を、エコロジカルな観点から述べ、エネルギー効率の観点から、自動車に比べて非常にすぐれている鉄道輸送を見直す必要があると提起し、分割・民営化の過程は日本の民主主義の不在を示したと結んだ。
 宮嶋氏は、極限に達している自動車による環境破壊にもかかわらず、交通体系を鉄道から高速道路中心に転換した一全総と国鉄の分割・民営化は一体であると提起した。
 立山氏が、安全と地方交通線問題について提起した後、会場からの発言として、高速道路に反対して闘っている横一環状道路対策連絡協議会と、東京の落合地域・地下高速道路に反対する会の活動家から、「硝酸の雲ができるという自動車の氾濫による都市環境破壊に反対し、鉄道輸送を重視して自動車氾濫社会を見直せば具体的に克服できるという提案を作ることは非常に大切である」などの発言がある一方、国労組合員の側からは、国労高崎地本の貨物職場から「貨物職場では労働強化で、トイレに行く時間さえ取らせず、乗務員は携帯便器を持って機関車に乗せられている現状では、なかなか鉄道は環境を救うなどといえる状況ではない」という発言もあった。あえて発言すると前置きしたエコロジー学会の会員からは「期待して参加したが、まだまだだと感じた。タイトルに、鉄道は環境を救うか?と、?マークがついているが、鉄道労働者は環境を救う!と、自信をもって言い切る必要がある。労働条件とエコロジカルな観点は矛盾するのではなく、健康に働ける労働条件はエコロジーの基礎だ」いう激励の発言があり、司会を担当した中野氏の「働いている人にも利用者にも、人にやさしい鉄道を作ることの必要が明らかになり、その一歩になった」とまとめられた。
 実質的な鉄道の切り捨て政策であった分割・民営化から四年、貨物も含めた鉄道の復権が実質的に進行し、整備新幹線建設や東海道新幹線立て替え問題の浮上など、公共交通問題の解決が、私企業による自由競争では処理しきれないことが明らかになっている。こうした中で、分割・民営化に反対したことの正当性を基礎に、公共交通の将来を提起することが、国鉄労働者に問われているといえる。
 今回のシンポジウムは、これまで独自の立場から国鉄闘争にかかわってきた国鉄闘争センターを中心に準備され、国鉄闘争支援中央共闘などからもさまざまな協力を得て開催され、稲田国労委員長も参加して連帯のあいさつを行ったが、国鉄労働組合が国鉄労働者自身の課題として、政策を練り上げ、提起し、闘うことの必要性が浮彫りになった催しだったといえる。 
三里塚3・17集会
三月十七日、いつもの通り横堀において「二五年間闘って、もう二五年闘ってみよう!」という、一見穏健なようでもあれば、なかなか過激でもあるスローガンをメインに掲げて反対同盟(熱田は)主催による三里塚現地集会が開催された。
 全国から五六〇人の人々が集まったが、かつての現地集会を知っている者にとっては、正直にいってちょっと寂しい集会ではあった。それでも壇上にたった石井武さん、熱田一さんや小川源さんたちの面々は、そうした支援者を激励するかのように、相変わらずの元気な発言を行ってくれた。
 ここに掲載した写真「コンクリートの海に浮かぶ『緑の孤島』」、一坪共有地の姿が象徴するように、三里塚の攻防は文字通りの膠着状態にある。
 見ようによっては、闘いが飲み込まれようとしているようにも見える。逆に「概念は曖昧だが、十分に概成されたと思う」という運輸大臣村岡の言を典型とした、闘いを押しつぶすことのできない政府・公団の苦悩の図でもあるように見える。
 きっと、それはどちらも正しい見方なのだろう。だとすれば、悲壮感だけで闘いを持続させようとする、これまでの私たちの闘いの有り様もかえりみつつ、反対同盟の闘いのリズムを共有したいものだと思う。そんなことを想起させてくれた集会だった。
 いよいよ、畑や田圃の準備や種蒔に忙しい春がやってきた。これが生きるもののリズムであり、反対同盟の農民の生活と闘いのリズムでもあるように思えてしかたがない。

社会主義の危機と経済学再建の課題(その4)

2「資本主義のレギュラシオン理論」(3)


  レギュラシオン学派とトロツキズム

 レギュラシオン学派は、経済学のもっとも保守的な潮流の一つとして、トロツキズムを上げている。
 「われわれのプロブレマティークはマルクス主義者の二つの部類への分割を引き起こしました。一方で、レーニンのそれであれE・マンデルのそれであれ大師父(?)のそれであれ、正当学説を守ろうとする人たちは、かれらが資本主義についてしゃべったことを反復するしかなかった。たとえば私たちは、フランスのトロツキー派から激しく攻撃された。私たちは何もわかっていない、修正主義だ、マルクスに背いている、云々と。……だがこの手の反応は、教条的で政治優先的なものだといいたい」(ロベール・ボワイエ『入門・レギュラシオン』藤原書店)
 さらに、「じっさいマルクス主義諸派は、恐慌を資本主義経済が機能するために不可避的かつ必然的な現象として考えているではないか。また、彼らのうち何人かは、第二次世界大戦後においては成長の長期波動が枯渇すると予想していなかったか。にもかかわらず今日、マルクス主義の危機は、資本主義の危機よりもいっそう深刻にみえる」(ロベール・ボワイエ編『世紀末資本主義』日本評論社)。これは、とくにマンデルの『後期資本主義』および『現代の世界恐慌』をさしていわれている。
 「フランスのトロツキー派の攻撃」については私は知らないが、マンデルが代表するトロツキズムが、マルクス主義の正統的経済理論を継承するものであるというのは、うなづける。七〇年代から八〇年代半ばまで、われわれは情勢の経済的側面の理解を、もっぱらマンデルに依拠してきた。だが、マルクス主義の危機が資本主義の危機よりもいっそう深刻にみえるという皮肉な指摘には、無視できない真実が含まれていると認めざるを得ない。

  戦後資本主義経済についてのマンデルの説明

 マンデルの経済学とレギュラシオン学派の対立は、資本主義理解の原理的な分野にも存在するが、きわめて鮮明になるのは具体的な資本主義分析においてである。とくに重要な二つの問題があるように思われる。 
 第一は、第二次世界大戦以後の資本主義世界経済の発展をどのようにとらえるのかという問題である。
 マンデルは、第二次世界大戦以後の帝国主義の経済的繁栄を、もっぱら「第三次技術革命」と結びつけて説明する。
 「第二次世界大戦後の産業予備軍の再創出は、同様にまた、一九四五年から四八年にかけての西ヨーロッパや日本における剰余価値率の増大と実質賃金の上昇の結合も、それらが可能であったのは労働生産性の顕著な長期的上昇にもとづくものであり、いいかえればそれらは、相対的剰余価値の生産の『以前の水準をこえる大きな飛躍』に照応するものであった。まさにこのような意味において、第三次技術革命が解明されねばならない」(『後期資本主義』) 
第三次技術革命はアメリカを中心とする帝国主義世界において実現されたものであるが、その基盤となった高度の資本蓄積は、マンデルによればプロレタリアートの敗北の産物である。「軍備拡大と第二次世界大戦とが、過剰資本を再び価値増殖させるほどに資本蓄積の活況を許した。そのさい、剰余価値率の顕著な上昇が生じた。まずドイツ、ついで日本、フランス、イタリー等々。すなわちファシズムと戦争によって労働者階級がひどい状態にあるところで。そしてアメリカで。そこでは、第二次世界大戦中の労働組合官僚によるストライキ放棄、戦闘的な戦後二年間の後のタフト・ハートレイ法、『冷戦』への労働組合官僚の加担、これらがプロレタリアートの闘争力の著しい低下へ導いたのである。剰余価値率と利潤率の上昇は、第三次技術革命を容易にし……た」(『同』)
 第三次技術革命は、トロツキーの展望の核心にすえられていた第二次世界大戦そのものの中から生まれでてくるはずのプロレタリア革命の流産の結果、成立した。その成果として、生産力は大幅に上昇し、利潤率の上昇と労働者の実質的な生活水準の向上とが同時に実現し得た。超過利潤の源泉となった「技術地代」が、戦後世界経済における帝国主義の優位をもたらした。
 だが、この第三次技術革命は、超過利潤の源泉としての「技術地代」の強力な作用を全資本主義経済に波及させ、激烈な競争を通して資本全体の有機的構成を高度化させる。さらにこの革命の特徴は、生産ラインにおける半オートメーション化であるが、それによって剰余価値の源泉としての生きた労働は、現実の生産から次第に排除されていく。いっそうの技術的発展が完全なオートメーション化に近づいていくと、もはや剰余価値の生産自体があやうくなる。
 こうして、上昇が逆転して利潤率の必然的な低下の局面が到来し、古典的な循環を復活させて六〇年代末から始まる過剰生産恐慌局面を招来することとなったのである。

対立は成長のシステムとプロレタリアートとの関係の把握にある

 戦後資本主義の繁栄から危機に向かう構造をこのように把握するマンデルの立場は、マルクス主義の「正統的」理論であるということができる。ここでマンデルは、次のような歴史的難問に彼の回答を与えたのである。第一は、第二次世界大戦の時点で資本主義の寿命はもはやつきていると考えてきたことをどのように説明するかという問題、第二は、第二次世界大戦後の資本主義が経験した、新たな驚くべき長期にわたる繁栄は、何によってもたらされたかという点、さらに第三は、その予想されていなかった事態は、資本主義経済が宿命的な死にいたる病とされてきた過剰生産恐慌の周期的な到来から、もはや免れるにいたったことを示しているのかという問いである。
 すでに前号までに述べたように、レギュラシオン学派は、戦後資本主義経済の繁栄の構造をフォーディズム的成長の概念によって把握する。プロレタリアートを成長のシステムの中に包摂する新しいレギュラシオン様式をフォーディズムの構造としてとらえ、そこから戦後資本主義の蓄積体制を規定するのである。力点は技術的達成にではなく、賃労働関係におかれている。
 マンデルの場合には、階級闘争関係は「プロレタリア革命の敗北」として第三次技術革命を可能にした高蓄積の歴史的背景としては把握されているが、蓄積体制そのものを内側から規定する要素としてはとらえていない。生産のシステム自体は、ブルジョアジーの階級的要求と階級的意志によって一元的に規定される。
 これに対してレギュラシオン学派によれば、成長のシステムは階級闘争関係を核として成立しているのであり、そのことの理解から離れては、戦後資本主義経済の歴史的に新たな構造を解明することは、とうていできないということになる。

現代の景気循環と長期波動

 第二に、レギュラシオン学派が「フォーディズムの危機」として説明する六〇年代末以降の資本主義世界経済の同時危機を、もちろんマンデルはまさに古典的な過剰生産恐慌の復活として把握する。この過剰生産恐慌論こそ、不屈のマルクス主義経済学者マンデルの理論体系のうちで、「信念」ともいうべき核心に属する部分である。
 「一九七四年―七五年の全般的な景気後退は、古典的な過剰生産恐慌である」「深刻な景気後退と、足踏みする景気回復とが交替であらわれる長期にわたる低成長期、さらには停滞期が、今後一〇年間を特徴づけることになろう。……主要工業先進国のいくつかにおいて、プロレタリアートが決定的な敗北を喫したり、あるいは、……第三世界や主要労働者国家の経済的にもっとも重要な地域のいくつかにおいて、大衆運動が敗北したりすることのみが、このような状況を質的に変化せしめることができよう」「資本主義の経済恐慌は、つねに商品の過剰生産恐慌である。これは単なる外見上のことでも、『イデオロギー的偏見』の産物でもない。過剰生産恐慌は触知しうる一つの実在なのである。マルクス主義はその原因を解明しようと努めるのであり、たんにえせ理論による駄弁の海に溺れさせてしまうつもりはない」(『現代の世界恐慌』)
 マンデルは、一九世紀または第二次世界大戦以前の「古典的恐慌」と、今日の恐慌の姿に差異があることを認めている。違いはとくに、産業の景気循環から相対的に自立した信用循環が存在する点に示されている。「……信用循環は、産業循環に対して一定の自律性を確保していた。これによって一九二九―三二年恐慌の再来が、またも回避されたのである。(この信用循環の相対的独自性は、三〇年以上も前からつづいている『資本主義の老齢期』の基本的性格の一つである)」(同)。だがそれは、恐慌論が時代遅れになったことを意味するわけではなく、より包括的な理論的視野から補強される必要があることを示しているにすぎない。その要請にこたえるものが、「長期波動の理論」である。
 コンドラチェフの直観的な問題提起を精密化する形で、マンデルによって新たな生命を与えられたこの理論によれば、経済の短期的な循環がその上で行われる長期的な循環が存在するのである。それは、「拡張に向かう長期波動」と「停滞に向かう長期波動」との循環として歴史のなかにあらわれてきた。「拡張に向かう長期波動」においては、景気循環の上昇期が長く力強く、逆に「停滞に向かう長期波動」では、下降期が長く次第に破滅的となる。
 戦後の資本主義が恐慌を回避することができてきたのは、恐慌を用済みにする技術を開発することに成功したからではなく、「拡張に向かう長期波動」にあったからである。そして、「戦後の長期にわたる加速度的な拡張は、ファシズムと第二次世界大戦によって(そしてアメリカにおいては、冷戦とそれによる労働運動に対する破滅的な影響によって)、労働者階級にたいする搾取が強化されたことの結果である」(『現代の世界恐慌』)。
だが、いまや長期波動は逆向きとなった。景気循環はより古典的な様態で復活し、「恐慌の必然性」が経済をとらえ、社会的な危機の時代が到来するであろう。アメリカ・ヨーロッパ・日本などのプロレタリアートが重大な敗北をしない限り(ありそうもないことだが)、「先鋭な階級闘争」の時代にはいることは避けられない。労働者階級は五〇年前よりはるかに強力であり、社会主義革命が大きなチャンスを迎えるであろう。これが、七〇年代半ばのマンデルの展望であった。

「貧弱な問題提起」

 レギュラシオン学派にとって、「恐慌」を含む循環的な危機は、資本主義の危機の総体的な構造の一部を占めるにすぎないものである。「(循環性の)危機は、経済的メカニズム及び社会的規則性のただなかにおいて、それ故特定の国の特定の時期に支配的な調整様式のただなかにおいて、経済的拡張時に蓄積された緊張やアンバランスの清算局面に対応する。……制度諸形態はごくゆっくりと、ごく部分的にしか影響を受けない。なるほどこの危機は、金融集積や金融集中を加速することもあろうが、しかし競争の一般的形態を変化させることはないのである。『労働者規律』や所得分配を回復することはあっても、だからといって、支配的な賃労働関係を侵害することはないのである。……つまるところ、循環性危機の規模と形態は調整の諸様態にかかっている」(ロベール・ボワイエ『レギュラシオン理論』)
 循環的な危機が、賃労働関係の動揺と危機として現出する場合には、特定の調整システムが危機に直面しているか、蓄積体制の歴史的限界の到来が調整システムを危機に陥れているか、そのどちらかである。そのときには、社会は新たなレギュラシオン様式を産出することを求められているのである。
 危機の定義は精密でなければならない。その危機が、支配的生産様式の最終的な危機を意味するのかどうかは、粗雑に断定されてはならない。「制度諸形態の現在の諸限界が生産様式の内部では乗り越え不可能な閉塞を意味するということは、いかにしてたしかめられるか。この場合、資本主義一般の矛盾的性格を抽象的に論証するだけでは十分ではなく、むしろ、在来の制度諸形態が修正されたり新しい制度諸形態が出現したりするだけでは、これら諸矛盾がもはや暫定的にさえ超克され得ないということを示す必要がある」(同)
 経済を具体的な歴史的分析の対象とし、いっさいの神学的な超越的概念を拒否しようとする一貫した姿勢からすれば、レギュラシオン学派にとっては「長期波動論」は魅力あるアプローチではない。「七〇年代に起こった成長の反転は、コンドラチェフが二〇年代に提起した長期波動論に新しい生命を吹き込むこととなった。……われわれは今日、停滞と沈滞という下降局面にいるのであり、それは二世紀以上にわたってみられる経済の規則性に規制されたものだ、と。そういったことを望むらくは示そうというわけである。レギュラシオニストからすれば、こんなことがもてはやされるのはびっくり千万だ」(同)
 長期波動論は、彼らによれば、時期の区分や数値の基準が明白でない、第二次世界大戦以前と以後では、決定的な断絶があるのにそれを無視している、などのために、経験的な説得力がない。さらにこの理論は、こういった規則的な波動がどういう理由から生ずるか、それを満足に説明するような理論モデルは一つとして出されなかった。結局この理論は、真剣な分析の代わりにもっともらしい直観に依存する、実際には貧弱な問題提起であるとし、「遺憾ながら、長期的運動へのこうした問いが、レギュラシオン派のプロブレマティークと出会うことは、ほとんどないであろう」(同)と、彼らは断定する。