2006年11月10日        労働者の力             第 200号


―北朝鮮の核実験と安倍新政権の1ヶ月―
露わになり始めた現実対処能力のあやうさ


  
寺中徹

 安倍政権が発足して1ヶ月強が過ぎた。支配層中枢は、上々の滑り出し、と見ているようだ(例えば、10月14日付け朝日新聞朝刊への中曽根元首相の寄稿)。その最大の根拠は、支配層の大方が懸念していた対中、対韓関係の行き詰まりに、早々と打開の道をつけたことに置かれている。そしてそれは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の核実験に対する日本の対応に力を与えるという形で実際に効力を明らかにし、今後の日本の対外関係に新しい可能性を開いた、と評価されている。果してそうだろうか。

現実への屈服と消せない矛盾

 確かに北朝鮮の核実験は、対中、対韓関係修復のもつ「価値」の大きさをいやがうえににも知らしめるものとなった。靖国への言及を一切行わない、という意図的なごまかしで辛うじてこぎつけた対中、対韓首脳会談ではあるが、その背後に靖国参拝の断念が隠されていることは誰もが察知している。その点で安倍の年来の主張は現実に対応する力をもっていなかったのであり、安倍は明らかに現実に屈服したのである。その屈服は「村山談話」の踏襲を含め、従来の政府見解の枠を守るという形でその後にも拡張されざるを得なかった。しかし先に触れた「価値」の大きさを前にしたとき、この屈服に対して、安倍支持派からも大きな反発は起きようがなかった。その意味で、その後の補選結果を含め、北朝鮮の核実験が安倍にとって追い風となったことは確かだろう。
 しかしこの過程はまた、対中、対韓関係がもつ日本にとっての重みを紛れもない形で明らかにするものでもあった。この現実を軽視することはもはやできない。日本政治は今後アジアとの関係で、唯我独尊的な小泉的路線をより一層非現実的なものとする、と言ってよいだろう。尚この点で、日中、日韓首脳会談後にアメリカ筋から流されたリーク情報は意味深長だ。それは、ブッシュ政権が対中関係について小泉に相当きつい苦言を呈していた、というものだが、それはまた暗に、安倍に対しても相当な圧力が加えられた、ということを示唆している。要するに日本のアジアにおける行動は、国際的に厳然と制約されているのである。歴史が創り出したこの制約は、本質においてアジア諸国民衆の力の高まりを根源とするものであり、それ故今後それが弱められることはない。日本を取り巻く国際的構図の客観的現実は今回改めて露わとなった。
 日本支配層はこの現実を受け容れるしかない。先の寄稿において中曽根はこの観点を、「長期的戦略」に立った「国益」に基づく歴史認識の封印と説く。その心は隠忍自重というところだろうか。しかしこれが支配層の深いところで受け容れ難いものであり続けていることは、現在の安倍につながる流れの戦後一貫した存在に示されている。そして中曽根にしても、少なくとも先の1文の中では、「長期的戦略」の中身については語っていないのだ。何のための隠忍自重であるのかという問題は、アジアにおける民衆の力の高まりがより一層進みさらに進もうとしている今、彼らには過去よりももっと重い形で残されている。しかしその本質的な問いに対する回答は、主観的な願望としてではなく現実性のあるものとしては、明確になっているようには見えない。そうである限り、彼らの矛盾は決して解けないのである。
 その矛盾は今や安倍自身の中に取りついた。この政権内部からこの機に乗じて、日本に課せられた軍事的制約を一挙に低めようとするばかりか、中川昭一自民党政調会長や麻生外相を先頭に、核武装をも現実の選択肢に加えよ、とする主張が公然化している。これは本質的には、安倍が手を着けた対中、対韓関係修復を危険にさらす性格をもっている。しかし安倍は、政府と個人という形式的区分けを楯にこのような動きを事実上容認し放置している。先の対中、対韓関係修復に際しても示され、安倍新政権のこの1ヶ月のもう1つの特徴であった意図的なごまかし・曖昧戦術がここにも顔を出している。しかし先に見た矛盾の深さは、早晩小手先のごまかしを許さないだろう。自身の中に矛盾を抱え込んでいる安倍を待つものは混乱の拡大である。それは彼らの成果とされたものの中に早くも姿を現している。

核廃絶かパワーゲームか

 10月8日に北朝鮮が強行した核実験は全世界の民衆から強い批難を招いた。我々もまたその批難を共有する。それは何よりも、現代世界におけるいわゆる平和利用と称するものも含めた核の廃絶が極めて切実かつ重大な課題となっている、と考えるからだ。そして同時に、金正日政権が主張する国家の防衛という観点においても、核兵器依存は結局のところ有害無益、と考えるからだ。金正日政権は一刻も早く核開発を断念すべきであり、それは何よりも、膨大な開発費からの開放という1点だけでも、彼らの民衆の苦難を軽減し、そして彼ら自身にとっても助けとなるだろう。
 同時に日本の我々は、世界における核廃絶と、その一環としてのこの地域における核廃絶を真剣に追及することを今こそ明確にしなければならない。北朝鮮の核実験、核開発を批判する出発点はそれ以外にはあり得ない。金正日政権の今回の選択に対する世界の民衆の批判と懸念の深さ、真剣さは、先の出発点を現実の政策、行動につなげることでしか、北朝鮮の民衆には伝わらないだろう。日本に関して言えばそれは、例えばアメリカの核の傘からの脱却が問題となる。そしてこの地域に残された客観的な戦争状態の一刻も早い解消を要求する問題である。
 その観点から見たとき、国連安保理が採択した「制裁」は、特に事実上アメリカが実行主体となることを含みとする点で、北朝鮮民衆に届くメッセージとしての意味をもたず、無意味であるばかりか不誠実である。その決議は、現代世界の核大国、中でもその最大の受益者であるアメリカの特権と無責任な行動に何の制約も課さず、結局のところ核廃絶とは何の関わりも持たず、現状の極度に差別的かつ抑圧的な体制の固定化を目的としたものでしかない。それ故この決議はおそらく、金正日政権の政策変更に結び付くこともない。既にアメリカ国内からさえも、米朝の直接交渉が、即ち一定の取引が不可欠との議論がかなり声高に出されている。
 このような無意味で偶発的軍事衝突の危険を招きかねない決議の採択に向けて、安倍政権は最先頭に立った。そしてそれを、主流マスメディアを含む支配層多数は「成果」と持ち上げた。
 しかし「成果」とは一体何のことだろうか。既に見たようにこの決議採択は、核廃絶にはおそらく結び付くはずのないものなのだ。そうであれば成果の意味を煎じ詰めれば、金正日政権をより過酷な状況に置き、日本との関係でより弱い立場に置いた、という単なるパワーゲーム上の「得点」しか意味しないことになる。その深部にはおそらく、いずれは避けることのできない戦後処理交渉を念頭に、対日賠償要求を値切る可能性という極めて即物的であさましい思惑が潜んでいることも間違いない。またその「成果」の一部には、対中、対韓関係における日本の地歩の改善という、これまたこの地域全体におけるパワーゲーム上の思惑が確実に加算されている。中国の立場の「苦しさ」や、日米両政府がまさに全力で足を引っ張った事実を棚に上げ、盧武鉉政権の太陽政策「失敗」がことさらに強調されている。これは裏を返せば、日本の「優位性」や日本政府の立場の適切性を主張していることに他ならない。
 結局、北朝鮮の核実験をめぐってマスメディアを含めた日本の支配的上層を蓋った議論は全て、アジアにおける支配権力間のパワーゲームへの関心でしかなかった。ここにおいて「唯一の被爆国」という立場はまさに飾りとされ、非核を願う被爆者と日本民衆の切実な思いは足蹴にされた。
 この思考の下に発想する限り核武装論が公然化することは半ば必然と言ってよい。核武装論が北朝鮮の核実験を批判する立場を失わせることは当然であるが、そもそもはパワーゲーム思考そのものが、金正日政権の思考と同質なのだ。その意味で、日本における核武装論の政治中枢からの発信は、日本の上層による北朝鮮批判の上に見たいかがわしさを、いやおうなく白日の下に引き出すものとなる。それは日本の主張に対するアジアの民衆の共感を一挙に崩壊させずにはおかないものである。自民党多数が核武装論の先頭を走る中川昭一の抑え込みにかかっていることには十分な理由がある、と言わなければならない。そこには彼らが手にしたと思い込んでいるパワーゲーム上の得点を帳消しにしかねないリスクが潜んでいる。
 それにもかかわらず中川は強気であり、了解を求めてアメリカにまで出向いた。アジアは、中川の目には入っていないらしい。しかしそれは、アジアの現実を心底では受け容れ難い日本支配層の現実を表す一端に過ぎない。その意味でそれは安倍自身の矛盾でもあるが、安倍には自身に抱え込んだこの矛盾を鎮めるものが結局ないのだ。中川のような動きは今後も次々に生まれてくるだろう。そしてアメリカ支配層の一部は、この機会を日本をより強くアメリカに縛り付け、核の傘を民衆多数に公然と容認させる好機とすべく、中川らの動きを利用するつもりなのかもしれない。6カ国協議の再開は、米、中、朝3カ国による秘密交渉で決定された。日本は米、中の橋渡しどころか蚊帳の外に置かれた。日本支配層が手にしたと舞い上がったパワーゲーム上の立場とは、要するにこの程度のものだったということになる。その限りで日本は、今後もアメリカに振り回されざるを得ない。
 日本の民衆は、核廃絶に向けた真剣さを今改めて問われている。権力者のパワーゲームとは明確に一線を画した核廃絶の要求と主張と行動が極めて重要であり、その上で初めて、安倍の小手先の術策が抱え込んでいるほころびの芽は確実に広がることになる。

現実が安倍を迎え撃つ

 そして安倍の足下に潜むほころびは何よりも現実が表に引き出すだろう。日本に広がる悲惨はもはや並のものではない。労働現場の悲惨、障害に苦しむ人々の悲惨、介護現場の悲惨、子供達の悲惨、医療の悲惨など、数を増し深刻さが増すばかりの悲惨に対し、安倍は何らかの具体的回答を用意しているのだろうか。大資本減税の姿勢を逸早く明確にする一方で、先の現実に対しては、もっぱら抽象的かつ半ば教条的な観念図式に添った観点を示すに止まった安倍のこの1ヶ月は、そこに重大な疑問を投げかけるに十分である。真実の程は不明としても、朝日新聞は官僚機構の困惑を伝えている。加えて、「成長」に全てを預け現実を切り捨てる中川秀直自民党幹事長の主張は、とうてい現実に耐え得ない。
 我々はその現実を、労働者民衆の生々しい要求を背景に闘争として、政治の場に登場させなければならない。労働者民衆は今、緊迫した局面を迎えている教育基本法改悪を巡って、沖縄を先頭に米軍再編を巡って、そしていくつもの課題で、闘争の渦中にある。それらの闘いの重なりは、アジア外交に関して既にその姿を露わにした安倍と与党の現実対処における底の浅さを、確実に暴き出し彼らを追い詰める力となる。(10月5日)
 
北朝鮮の核実験反対!制裁反対!
  市民、労働者が東京でデモ、沿道も注目

    ―10.22ワールド・ピース・ナウ緊急アクション
          
   朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の核実験に対し、安倍新政権は、ひたすら「脅威」なるものを煽りたて、国連安保理の制裁決議を大義名分として、米軍と一体化した「制裁」を追求している。この機に乗じて日本の世論を一気に右に誘導し、自衛隊の軍事行動に対する制約を外そうとの策動も急速に強められている。果ては政治の中枢で、日本の核武装を要求する主張までも飛び出した。しかしこのような主張を容認する空気が民衆の一部に生まれていることも事実であり、また主流メディアの批判的姿勢も総じて弱い。
 このような危険な状況を前にワールド・ピース・ナウは、北朝鮮の核実験反対、戦争につながる制裁反対、東北アジアを非核の地域に、をスローガンに、10月22日の緊急の集会とデモを呼びかけた。準備期間は短かったが、当日この行動に約300人の労働者、市民が駆けつけた。北朝鮮をめぐる今回の緊張した情勢に対して、目立った大衆行動が伝えられない中で初めてとも言えるこの行動を、数社のメディアも取材した。
 集会は、東京、常磐橋公園で午後1時45分から始まった。ワールド・ピース・ナウを代表して高田健さんが、特にこの地域における核廃絶に向け、対立を煽ることのない平和的な解決の必要を訴えた後、平和フォーラム、日韓ネット、沖縄反戦一坪地主会関東ブロック、たんぽぽ舎など、いくつもの運動団体が発言に立った。各発言者とも、各々の運動が追求してきた課題に重ねながら、今回の事態における対話の重要性を強調した。そして最初に述べた日本政府の対応に対する強い批判が表明されると共に、今回の問題をいわば好機としてさらに拍車がかけられようとしている安倍新政権の国家主義的施策に対する闘いの強化が、共通して呼びかけられた。そのような闘いとして特に、教育基本法改悪との闘い、また11月19日に投票日が迫る沖縄県知事選の糸数候補必勝の闘い、に触れた発言が多かった。
 ワールド・ピース・ナウから、10月21日のイラク特別措置法延長反対首相官邸前抗議行動の呼びかけを受けた後、デモは午後2時半出発。コースは、日比谷公園を出発点とする通常の銀座コースを逆にたどる。もっとも当日は、日比谷公園を解散地点とする他団体のデモもあるとの理由で、解散地点が朝日新聞社近くの小緑地に変更させられた。ワールド・ピース・ナウは、デモの傍らで沿道の通行者にチラシを手渡す行動も行ったが、チラシを手にデモに見入る人々も数多く目につき、デモに対する注目度はいつもよりは高いように見えた。その点で今回の緊急行動は価値ある行動だったと言える。数寄屋橋交叉点では、「桃色ゲリラ」の1団がデモに合流、デモ行進は一段とにぎやかさを増した。
 急ごしらえの行動だったが、若者から高齢者まで幅広い人々が駆けつけた今回の行動は、民衆の自発的な行動を可能とする場として、ワールド・ピース・ナウが重要な役割を果たしていることを改めて示した。(K)
 
   
提訴3周年!10・17NTT反リストラ裁判闘争報告集会
企業の横暴を許さない社会的闘争として勝利を!
       3年の闘いを糧に新たな闘争宣言

 

 NTT11万人リストラの不当性、不法性を司法の場で断罪すべく電通労組が提訴した裁判は、3年が経過、今年9月の証人尋問をもって証拠調べは終了した。あと残るは来年2月14日の最終準備書面提出のみ。
 この節目にあたって開催された標記集会において、電通労組及び同裁判原告団は、40名を超えて駆けつけた支援諸労組・諸団体の労働者と共に、新たな闘いへの踏み出しを確認した。

連帯の重なりに激闘の痕

 集会は、「大変な3年間だったが、これを価値あるものとしなければならない」との、司会をつとめる横沢原告団長の開会あいさつで始まった。
 まさに大変な3年間だった。電通労組の首都圏での反リストラ闘争は、宮城県から首都圏に配転され単身赴任を強制された8名と、首都圏で異職種職場に配転され遠距離通勤を強制された2名が、3年前首都圏支部を結成することから始まった。この内9名が今回の裁判の原告団。この僅か10名(以後の配転者を含め現在は16名)の小さな集団が、以後、自身の職場で様々な問題に立ち向かい幾度もストライキに立ち上がるだけではなく、吹き荒れる労働基準解体攻撃に社会的に対決すべく東京中をかけまわった。さらに、ワールド・ピース・ナウの行動や、韓国の労働者遠征団を迎えた日韓FTA反対闘争、ATTAC―JAPANを足場とした反グローバリゼーション運動にも精力的に取り組んできた。もちろん、通信労組やNTT関連労組との連携も意欲的に追及してきた。これら多方面の活動は、自身の病気や家族問題、さらに介護など、何人もの組合員が月に何度も故郷を往復する中で展開された。
 これらのエネルギー溢れる行動力を背景として、裁判は常に、法廷に入りきれない傍聴者に見守られてきた。同時にNTT当局も小さな組合を相手に、毎回10人を超える管理者を法廷に送り込むことを強制されている。
 この3年の激闘を物語るように、集会では9つの団体が連帯のあいさつに立った。
 全労協の藤崎議長が労働政策の大転換に対する総反抗を呼びかけ、全統一労組の田宮委員長は中小職場の現状を踏まえつつ労働基準防衛の切実さを訴えた。鉄建公団訴訟原告団の高橋さんは、1047名の統一した闘いの現状を報告しつつ団結まつりへの結集を呼びかけた。郵政ユニオンの須藤さんは、公共サービスの防衛と非正規職の問題を提起した。NTT関連労組の塚本さんは、同じNTT労働者として反リストラを闘う決意を述べ、職業病闘争を26年間闘ってきた木下さんは、争議解決に向けたNTT包囲の戦線拡大の手応えを語った。神奈川労組共闘会議の竹内さんは、成果主義の影響の深刻さに加えて、米軍再編に対する神奈川での底深い民衆的抵抗の持続について触れた。さらに、ATTAC―JAPANの栗原さんは、世界の反グローバリゼーション運動の中での労働者運動の重要な位置を紹介しつつ、日本における労働者運動再建への熱い期待を述べた。
 そして韓国山本労組の3名が連帯あいさつの最後に進み出て、代表の金永花(キム・ヨンファ)さんが、多国籍企業の渡り鳥的行動の無責任さを糾弾し、韓国工場の占拠闘争を紹介しつつ日本における親企業本社行動への連帯を訴えた(日本語通訳、大畑さん)。
 会場にはこれ以外にも、様々な闘いを背にした多くの労働者がいた。また遠く宮城からも、宮城全労協とNTT反リストラ宮城県共闘の連帯メッセージが届いていた。

次への挑戦を宣言

 集会名には確かに「裁判闘争報告」と銘打たれてはいた。しかしこの集会の本当の眼目は、むしろ新たな闘争の呼びかけにあった、と言うべきかもしれない。
 開会あいさつを受けて大内本部委員長は、リストラ反対の共闘を社会運動として発展させたいと考えた今回の闘いの立脚点を振り返りながら、20万NTTが今や本体3万となったという、リストラの歯止めなき進行と公共サービス機能の必然的な麻痺状況という現実の確認に立ち、社会的闘争へのより大胆な踏み出しを呼びかけた。
 次いで基調提起に立った日野本部書記長は、上記の観点をよりはっきりと打ち出した。企業の横暴を打ち砕き、労働者が生きるに値する社会的ルールの確立を目指す社会的闘争、そして新自由主義的グローバリゼーションに対決し、公共サービス破壊を許さない闘いが改めて明確にされた。これらの主張は、先に紹介した連帯のあいさつで表明された訴えと確かな共鳴を見せていた。そして基調提起は結論として、「世界を席巻し利益の最大化のために狂奔する多国籍資本と道を掃き清める政府に対し私たちは、新自由主義に反対する運動と闘いを創りだしていかなければなりません。労働者の闘いと、新自由主義に反対し社会運動を進めている全ての力を結合し社会の隅々から反グローバリズムの旗を掲げ人間社会の在るべき姿を労働者・民衆の要求として推し進めていく必要があります。その意味でも、私たちは労働組合のあり方、団結・組織のあり方を真摯にとらえかえし、企業内労働組合の枠を越えた団結体としての労働組合として地域と職場に根ざしたゼネラルユニオンを目指し、社会的労働運動をつくりだすため奮闘することを最後に決意し、集会基調とします」と結ばれた。次の段階に向け電通労組は、一つの決断を行おうとしている。
 集会にはささやかだが新しい試みもあった。連帯のあいさつの後に組合員全員が前に出て、高橋前書記長の指揮の下、韓国山本労組の仲間と共に1つの歌を斉唱したのだ。韓国の争議の場で歌われている「鉄の労働者」の日本語訳だが、1部を電通労組向けに変えているという。何回もの練習の痕が窺え、堂々とした歌声が響いた。
 以後、古舘さんの弁護団アピール代読、緒方首都圏支部委員長による、東京地裁に向けた公正判決要請署名、並びにNTT東日本に向けた不当配転撤回要求署名に対する協力要請(1月下旬集約)、成田さんの裁判闘争報告、小宮さんの原告団決意表明と、ぎっしりと中身の詰まったプログラムが続いた。小宮さんは、3年前の提訴集会が韓国シチズン労組と共にあったことを思い起こさせながら、現実の闘いが国際的広がりの中にあることを強調し、同時に労働者を見下すNTTに対する率直な怒りと労働者の連帯に対する確信を、承認尋問で会社側弁護士を絶句させた独特の語り口で説得力を持って語り、会場を沸かせた。
 最後に後藤さんの音頭で団結ガンバローを三唱し盛り沢山の集会は終了した。
 多国籍大独占資本の「成長」が難問全てを解決する、という安倍新政権のとんでもない民衆切り捨て無責任政策の下で、労働者にはそれこそ根こそぎの生活破壊が迫ろうとしている。客観的にはとうてい現実性のない政策であり、それ故混乱は必至だ。しかしその混乱は、民衆の確固とした反撃が登場しない限り、労働者民衆の悲惨へと必然的に転嫁されるだろう。労働者運動は、再構築に向けた各方面からの真剣な努力が今こそ待ったなしに要求されている。電通労組はそこに向けて自覚的に踏み出そうとしている。(編集部)

 NTT反リストラ裁判証人尋問を終えて  
 NTT反リストラ裁判は9月13日の第8回証人尋問を最後に証人尋問の全日程を終了した。証人尋問全体を通観することで裁判の現局面を明らかにしたい。
 会社側の基本的スタンスは、@NTTリストラ自体の是非をめぐる総論部分は論争を避ける、A原告それぞれの各論部分において業務上必要性をでっち上げる、B原告の被害について揚げ足取り的に無効化をはかる、というものであった。
 @について言うならば、リストラの企画者として証言にたった東日本本社管理者は、リストラの正当性を全面に掲げるのではなく、「単身赴任など今時どこの企業でもやっていること」という極めて消極的な証言、あるいは97%が50歳退職・再雇用を選択せざるを得なかったことをもって「処遇の多様化(50歳退職・再雇用)はすばらしい制度」などと開き直ることに終始した。原告側は、リストラの根拠として会社の主張する2年度1000億円の経常赤字が見込まれたとする「経営危機」がまったく存在しなかったこと、2年度は633億円の黒字でありリストラの削減効果として会社の主張する350億円を差し引いても283億円の黒字であったこと、NTT企業年金減額申請が厚生労働省から却下された際の厚生労働大臣の会見(NTTに経営危機は存在しない)、そもそもリストラを企画したのは東日本ではなく持株会社に他ならないこと、世界的金満企業グループの黒字リストラに他ならないことなど、全面的な反論を行い会社側主張を退けた。
 Aについては、原告らを「余人をもって代えがたい」高スキル者に祭り上げ、例えば長年電報の受付をやってきたから接客に長けており営業に向いていたとか、機械部門や工事部門などで働いてきた原告らを電器通信設備を理解しているから営業に向いているなどという、デタラメ千万な褒め殺し≠ノ終始した。原告側は、社内システム体系化プロジェクトや光IP販売プロジェクトなどがそもそも退職拒否者の隔離職場に他ならず、業務上必要性などカケラほどもないことを原告全証言をもって明らかにしてきた。具体的には、体系化PTは2年間で採用された提案がたったの1件も無かったこと、光IP販売PTは8千万円稼ぐのに10億円の費用をかけている≠ニいう途轍もない非効率であることなど、会社証言が嘘とデタラメの集大成であることを暴露してきた。
 Bについては、原告らの健康破壊について「お酒のせいでしょ」などという取るに足らない「言いがかり」に過ぎず、およそ議論の対象になるものではない。
 会社は一貫して守勢であり、原告側は単身赴任、長距離通勤、異職種配転の怒りを法廷で堂々と表明し、誰の眼にも事態白黒をはっきりさせたのである。
 9月29日、札幌地裁は同様の「見せしめ配転」を「業務上必要性はなかった」「人事権の乱用であり違法」「原告らへの不法行為が成立する」と原告全面勝訴、会社完敗の判決を下した。リストラそのものの違法性、不当性こそ明らかにしなかったものの、ほぼ原告の請求を認める当然の判決であった。全国7地裁で争われている不当配転無効訴訟の最初の判決としてその意義は大きい。2・14結審に向け最終準備書面、最終意見陳述など最後の闘いが続く中、全面勝利を勝ち取るまで闘い抜こう!(電通労組・P)

イラン
戦争なのか、影で終るのか?

         ハウサン・ゼファー

   国連安保理がイランに課した核の諸活動停止期限の5日前、イラン大統領マムード・アマディネジャドは、華やかな見せびらかしでもって、イランの中央部に新たな重水製造工場を開設した。これは2年前に始った経済制裁や軍事的攻撃の可能性をめぐる宣伝キャンペーンという文脈において、テヘランによる西側に対する新たな侮蔑であった。
 この2年前に始る宣伝キャンペーンは、イスラム社会を目標とした、アメリカとその同盟諸国の要求受入れ強要のための心理的戦争である。テヘラン体制が、中近東の枠組に関しての彼らの提起に従うことを求めている。戦争屋の評価は、テヘランは核保有クラブの仲間入りを果すためには、いまだ3年ないし5年を必要としている。そこで、外交術の余地がまだあるのである。
 アメリカ帝国主義とその同盟諸国によるアフガニスタンとイラクの占領は、地域を通じて大きな抗議を増大させてきた。イランにおけるイスラム社会が、革命的ないし民主主義的な道程の欠如という中で、地域の巨大な不満の受益者となった。この事実こそ、イランの体制がアメリカやその同盟者たちの要求を前にして言葉を濁らすことを許している正確な理由である。
 イランの体制はイラクにおけるサダム・フセイン体制の運命から教訓を引出してきた。イラクにおける戦争とイランに対する脅かしの間の違いは、サダム・フセイン体制は大衆殺戮の武器を持たなかったが、他方イランは疑いもなく自らを核兵器で武装することを追求している、ということにある。第2次湾岸戦争の直前、サダムは大衆殺戮の武器を持っていないと断言し、かつその証拠を示したばかりか、内政干渉の脅しを避けるために無数の提起と譲歩を生みだした。イラン、特にその大統領は反対のことを行っている。
 確かに、テヘランの体制は核兵器を求めていることを否定している。しかし同時に、イランの指導者たちは、彼らは核を所有する過程にあるという印象を与えるためにあらゆることを行っている。彼らはあらゆる機会をとらえて、軍事部門、とりわけイスラエルを攻撃できるロケットの部門における進歩を強調している。核への野心を隠すどころか、彼らはあらゆる機会をとらえてこのことをはっきりとさせつつ、時には、政治的軍事的野心の識別を難しくするようなやり方をするのである。
 政権は絶え間なく繰返している。アメリカが弱体化し、そしてイラクとアフガニスタンで泥沼に陥っているので、イランは何ごとも危険にさらしてはいないと。アメリカの公然たる世論がすでにこれらの国々からのGiたちの撤退を要求している時に、新たな戦線を開く危険はおかせないのである。それ以上に、イラクやアフガニスタンあるいは全世界のアメリカ人に対して、数千のカミカゼ部隊を送ることを含む攻撃という形の報復を思い起させる。イスラエルとテヘラン政府が後援するヒズボラの戦争の後の地域的状況は、巨大な国々による急速で強力な対抗措置を求めているがそれはより難しい。

核エネルギー、シャーの遺産

 イランの核計画は1974年に溯る。それは確かに軍事的要素を持っていたが、それはソ連邦に対するものであったがゆえに、問題とはされなかった。イランはイスラエルの同盟国でありそのことによってアメリカは爆弾を求めるのを許した。環境をよりよく理解するために、われわれはその当時の地政学的な地域状況を思い起す必要がある。60年代の早い時期、中国に国境紛争を仕掛けられたインドは、核への道を採用した。始めはアメリカの密かな援助、次いではソ連邦。インドは核兵器を1970年代の終りには保有し、1980年代半ばには運用可能とした。この状況は、パキスタン軍によって耐え難いものと判断されたが、中国の不可避的なしっぺ返しによってその直後にはその不満も終った。北京はパキスタンに対抗核爆弾の技術方式を提供し、そのことは中国の核兵器という重みを照し出した。。
 特に弾道ミサイルの分野で、中国は北朝鮮に対する中間主義的な援助において、アメリカの怒りを買わないように貫徹した。しかし装備計画は、パキスタンの限られた手段を遙かに越えて、75%をサウディ・アラビアの真の「イスラミック爆弾」を展望した資金提供を受け、湾岸諸国やマレーシアとともに残りをカバーするほどのものだった。1980年、サウディと中国を接触させたのはパキスタンであった(両者ともにその当時はいかなる外交的関係も持っていなかった)。それでワハビト王国は中距離ミサイルを購入することができ、その行為は原理主義的王国が核所有の方向への最初の段階を表現した。シナイ半島との取引で、サダトはエジプトの核計画を放棄せざるを得なかった。それは半ば凍結され、そして部分的にはムバラクに移転させられ、そしてサダトの暗殺後は1980年代にイラクのサダム・フセインに移された。アラブ・プロジェクトの別のライバルが同じ頃に現れた。アルジェリア、リビアそして小国シリアにさえも。彼らのプロジェクトの何もこれまで決定的なところには行っていないが、カダフィによる放棄は疑いもなく確定的であろう。 
 イランが皇帝時以降、核武装を求めてきたと糾弾されることは、このような罪と見なされる関係においてである。イランの北部国境、それはアフガニスタンまでの延長と同様に、核防衛なしにソ連邦と接触する西側の唯一の防衛ラインであり、アメリカは、ソ連の攻撃を思いとどませるために、イランに好意的であった。
イランのリーダーたちに、初期的な技術的方法をもって時間を与えた責任は、ユーロディフ工業をともなったフランスにある。その時、イランはフランスとともにユーロディフ工業という、ヨーロッパのウラニウムを豊かにする企業の株主となり、そして国家の目的のために、ピエルラ工場(それはそれだけで世界的必要の3分の1をカバーした)の10%の製品を使用する権利を獲得した。これと同時にイランは100億ドルを原子力エネルギー委員会(AEC)を通じてフランスから借入れた。この巨額の返済は、ユーロディフのサービスを1981年に受入れることにはじまることになった。1979年の革命以降、ユーロディフにおけるイランの関与は凍結された。著書「原子力の事件」において、ドミニク・ローレンツは、ユーロディフとイランの裁判の重要性とフランスにおける1986―8年のテロリストの攻撃の間の関係をさし示している。イランはこの係争問題を放棄したが、しかしイランのリーダーたちは、サダムのイラクによる侵略の恫喝に対し、1980年代の半ばに係争問題を再度引きだすこともあるようでもあった。最初のイラク戦争、そしてとりわけアメリカによる1991年のバグダットへの攻撃のすべては、彼らの国の弱さを明示したものだった。
 1988年の後、フランスはあきらめ、ユーロディフ問題を決着した。1988年のイラクとの停戦の後にテヘランはソ連に向った。その際、イランはアゼルバイジャンや中央アジアにおける独立運動に対してのソ連を援助し、そしてチェチェン主義(それはますますサウディ―パキスタン・スンニ同盟を頼りにしていた)に対するいかなる援助も保留することを引替えにしたものだった。

アメリカは困惑している

 このテーマを演じつつイランの現在の指導者たちは、独自の政策を求めてヨーロッパ人を引きつけてきたし、そしてアメリカ人それ自身は、宣伝紙的宣言のおおげささに隠れて、テヘランによる貴重な援助を受けた。最初はアフガニスタンにおいてカルザイに対する反―タリバーン政府を固めること、そして現在、もっと根本的に、イラク。生れはイラン人である大アヤトラ(大高僧)シストラの恒常的支持を受けることがなければ、アメリカのバグダットにおける状況はより困難、むしろ危険であるかもしれない。というのもイラクにおける主要な戦闘は実に、外国人か海外で訓練を受けた戦士たちが相手である。ある面での軍人たちはアメリカに同盟し、そして別の武装した部隊はイラン革命の保護者たち(パスダランたちや以前はイランに亡命していたイラク人)に結びつき、アル・バドラー隊を好んでいる。それはイラクの地でなされているアメリカとイランの低い度合の戦争である。
 しかし、もしイラン人が、アル・カイダやスンニ・サラフィスト・原理主義者たちにたいして実用的な現実性を選んできたのだとするならば、それはもちろんお返しを得るためである。テヘラン政権のモスクワ政府との関係の不断の深化は、ロシアからの技術的協力によって返されている。彼らのインドとの無言の同盟はライバル・パキスタンの孤立を生みだしている。彼らのサポートは、堂々とはしてはいないと同時に1方的なものだが、アメリカのイラク占領はバグダットに確実にシーア派政権を必然的に到来させるであろうというためだ。が、それはまったく充分なものではない。というのも、イラク政権自身を固めるためには、新イラク政権は、イランの隣人や同盟者以上に自由なものとなるだろうからだ。そうなれば、ワシントンの間での論争は、今日の場合にそうであるに比較してあまり激しくならず、抑制されたものとなるだろう。
 これを、過激派のみならず、多くのテヘラン人が、さりげない盟約をして公にイランが核保有国であることを宣言する最適の時と信じているのだ。
 アメリカは、武力をちらつかせながらも、軍事的方式も政治的方法(イラクの安定は危機にある)もなく、金融的方策すらも回答にならない。ペルシャ湾の単純なる封鎖はオイル価格の倍増とドルの底なしの落下という2つのことを導くことがありそうである。イラク、アフガニスタン、いくつかのアフリカ諸国、インドネシアそしてフィリピンに関与しているアメリカは、イランに対する陸上戦争を遂行できない。イランにおけるイスラム体制についていえば、この陸上戦争を避けるために、イラクにアメリカを軍事的にくぎ付けにする決定をしてきた。軍事行動による、周辺地区を含むイラク市街地への実際の爆撃が証拠である。
 主要なイラクの指導者たち、特に現在権力にあるものは、イラクが完全な失敗であり、シーア人口の巨大な介入という脅威がスンニ人口を覆っているがゆえに、アメリカは「泥沼に陥っている」と確信している。アフガニスタンの急速な状況悪化があり、パレスチナの喧噪、エジプトの最近の爆発が底流となる永続的なテロリストの脅威、そしてビン・ラデンの再出現。石油兵器の使用の危険、ブッシュによって引出される増大する軍事費用の増大、そしてアメリカ自身における世論の展開。
 人は全世界を貫いて、反アメリカ主義のあおりを付け加えることができるかもしれない。経済的軍事的にイランと結びついた中国とロシアの、すなわち、トニー・ブレアも反対した武装する内政干渉の支持の拒否。イラクでの内政干渉を支持した西側の政治指導部の諸国(スペイン、イタリー、ポルトガル、ノルウエー、日本など)の相次ぐ敗北。目もくらむようなオイル価格の上昇はアメリカの対抗者や競争相手を富ませ、そして最終的には全ラテンアメリカを実質的に持上げた。こうしたすべての理由のために、そこで、アメリカは他の衝突の危険を冒せないのだ。

市場を探るEU

 公式的に、EUの歴史的位置は、回教指導者たちがイスラム的な核爆弾を所有することを阻止することのようにも思えた。しかしより具体的には、彼らはロシアからイランへの核供給の市場を取りかえすよう求めているようでもある。それへの挑戦者として彼らはロシア人よりもより友好的であらねばならない。今後、ロシアからこのかなり利益の上がる市場を取戻すという欲望は、イランにおける現在的かつ極めて重要なヨーロッパの利益と結びつく。
 というのも、ヨーロッパ人たちは巨大な範囲の新しい数々の契約へサインを続けているからだ。そして、イランの市場は小さなものではない。2004年におけるイランの輸入はアメリカドルで25・6億ドルに達した。工業製品・プラント(44・8%)、金属と鉱産物(22・3%)、基礎的化学的製品(14・5%)、そして農業・肥料製品(9・7%)などが主要なエリアの代表であった。輸入の51・8%がヨーロッパ連合からのものだった。
 ドイツはイラン市場で、第1位の11・4%を占めた。そしてフランスは8・5%の2位であった。特に彼らは工業的機械設備とそのスペアパート供給者であった。モーター自動車セクターでは、フランスが1位を占め、13億ドル(輸出先第2位の中国には3ドル)である。2006年5月、レノールトは成功的に、そのL90(ローガン)プロジェクトとともに(200億ドルの価値のある)ジョイント―ベンチャーに入札した。その目的は、2010年―2012年には年間100万台にまで上昇するという期待のもとに、イランにおいて年間合計30万台の車を製作するということである。フランスのイランにおける膨大な投資(フランスの情報源による)は350億ドルに達し、最大では石油とガス部門を総合してブイ―バック・コントラクトがサインしている。
 これこそがEUが、イスラム共和国が国連安保理制裁を逃れさせることができるためにすべてを行っている理由である。なぜなら、制裁はイランとの経済関係を抑制する可能性があるからである。ヨーロッパは話合いの解決を望んでいる。ざっといえば、ヨーロッパはイランに市民的機構と核燃料をもった供給のための市場を持ちたいのだ。イラクと違い、ヨーロッパ人たちは今、イランをもう1つ別の基地として考え、そのオイルへの特別のアクセスを勝取ることを希望している。しかしそのことはヨーロッパ指導者たちがイラン政権に屈服すると決めているということを意味するわけではない。2006年1月29日のエルサレムにおけるアンゲラ・メルケルの次のような宣言をわれわれは眼にしている。すなわち、イランという国が所有する核兵器は「イスラエルに対する脅迫のみならず全世界の民主主義的国々にも向けられた」ものなのだ、と。ジャック・シラクは彼のパートを反映して、「われわれに対してテロリストの方法に頼ろうとする国々の指導者たち、同様に大衆殺戮の武器のいろいろなやり方の使用方法を考えようとする指導者たち」を恫喝しつつ、ヨーロッパで政治的喧噪の引金を引き、そしてフランスの「回答」は「在来型であり、別の種類のものとなるだろう」と述べた。
 しかし、ドイツとフランスはまた、アメリカ好戦主義と釣合を持たせるために「交渉」を主張するのであり、そしてイギリス政府ですらもこの危機においては「軍事的選択はない」と述べているのだ。

ロシアと中国―強さと弱さ

 ロシアも中国も、ともにイランの炭化水素の供給の安全性を求めつつ、テヘランを支持するために国連安保理での拒否権を行使することにちゅうちょしていないようだ。
 長期にわたって保持されてきたロシアの政策的目的―イランのそれと偶然に一致しているが―は、イランにおけるアメリカの、政治的、軍事的、そして経済的な存在に終りをつけ、そして地域を全体として維持するためにすべての責任をとるためにあった。こうしてイランに対する核のノウハウと通常兵器の売却(1999年から2005年にわたって800億ドルを越える)は、以上の目標を達成するもっとも効果的で生産的な方式なのである。
 ロシア人がイランの友人たちに対する経済制裁を受入れるかどうかについては疑いが多くある。爆撃は、破壊と再建契約を意味するにすぎず、武器取引きに関しては何ものでもない。他方、制裁はロシアの武器取引きと核テクノロジーにおける経済的優越性の終りを意味する。
 ロシア人がアメリカの要求を拒否してきた。それはテヘランとの(国家的)核協力、とりわけバッシャーにおける核ステーションの建設を止めるべきとのアメリカの要求を拒否してきた。ロシア政府の外務大臣は声明を出し、どの国も選択した国と協力する自由があり、それぞれの国は、他の国との協力方法や条件を決定する権利はあるだろうと。
 すべてが指し示しているが、ロシアは精力的に、ムラー(宗教指導者)の軍事的用途のウラニウムの工業的増大の計画を援助している。イランとロシアとの間の自由な工業的協力に関する宣言は、対抗の戦術を表現するものだが、しかしロシアは譲歩の選択以上のものをもっていない。ロシア人たちは中立的に動くようだ。
 中国はイランより、その急速に成長する経済の必要性のために原油の14%を受取っている。2004年の終りに当って、中国とイランは7000億ドルもの石油と天然ガスの契約を合意した。それも30年の長さである。中国の国立オイルカンパニー、シノペック、は最近発見されたイランの石油資源地帯ヤダヴァンの51%の分け前を手にした。その埋蔵量は30億バレルと推定されている。
 結局、アメリカ帝国主義は中央アジアに強力な軍事基地を築いてきた。中国の戦略的包囲を学び、そしてロシアと中国に対抗して資源のコントロールを追求めるということも。アメリカは中国への警戒態勢をとっている。日本との軍事的関係の強化、そしてありそうならインド(非拡散条約に調印せず、相当の核武器を保有している)とも。この国は中国への対抗的重みを形成する進んだ核能力をもっている。USとロシア、中国との間で、物事はきわめてゆっくりと進んでいる。われわれはすでに次のような結論をもつことができている。すなわち、強国の間には、「のぞましくない」ムーラー政権の性格についての原則的1致がある、と。その1致は多くの理由で、中近東と中央アジアの安定性を強めるに必要なものと同様、石油資源の安定性の必要さや、テロリズムに対する戦争や核テロとの闘争などに及ぶ。しかし、もしロシア人や中国人がアメリカがこの「仕事」を引受けることを容認するとなるならば、彼らはイランにおける現状の利益があまりにも重大な結果を招かないことを期待するに違いない。
 しかし誰でもが、すべてはより以上に進むことが可能であり、そして当面なされるべきはより多い。
ムーラーたちの体制は「降服」を避けうると知っている。体制はそれ自身、いかなるケースでもサインをできる。つまりもっとも極端な場合(EUやロシアと)「進行を止める」あるいは「平和を守る」、と。違った場合には、西側は、いつでもイランを爆撃し、そして必要と認めたら機械設備を破壊できる以上、そのまま危機を深める選択も可能なことを知っているのだ。

イスラエル

 イランの核武装にとってもっと危険なものが残っている。イスラエルである。確かに、原子力センターの拡散は、イスラエルにたいして素早い攻撃の危険を与えている。そしてイランの爆弾は、真に使用できるのはあと数年かかるが、それは完全に防衛的なもので、サウディとパキスタンの隣人たちからの直接の脅しに対するもので、彼らとの日常的な緊張という現実は、イスラエルとよりは強い。反対に、攻撃的方法はより限られている。不確実なイスラエルへの攻撃のために(ミサイルに対抗するイスラエルの防衛はまた進歩が急速である)、ツァール潜水艦が恒久的にオーマン海に沈み、それは巡航ミサイルで装備され、その多様の弾頭はテヘラン、原油地帯、クオムの歴史的首都、いくつかの散在した核センターを白熱化しうるし、精度は15メートルの範囲である。疑いもなく、さほど我を忘れないほど、生存の単純なる喜びを与えられる度合が強いほどに、死より生を選ぶだろう。1950年代以降、核爆弾の新たな引続いたすべての所有者たちに起ったことが、改めて、今度はイスラエルとイランがまた劇的出来事の形において終ってしまうという脅威が、悲劇として現在する。アメリカはいまだイラクにおける位置について、これ以上の譲歩をする気にはない。イランは、もしイランが、質札のように、イラクとレバノンのシーア派間に在る強さを犠牲にしたら、多くのものを失うことだろう。そしてイスラエルは、もし大きな地域的危機が生み出されたとしても、パレスチナ地域への急速な侵攻のようなわけにはいかないだろう。
 即時的に、イランの爆弾はイスラエルよりははるかにサウディとパキスタンをいらつかせる。そしてエルサレムとテヘランはインド(ついでトルコ)と非常に友好的関係を分ち合う。かりに危機に対する受入れ可能な妥協が見出されるとすれば、おそらくオリエント世界における巨大な激動がわれわれの目の前で引き起される。
 今日、イスラム政権が、イスラエルのように内密に核爆弾を獲得したいと望んでいることは確実だ。しかしながらイラン政権のゴールは、戦争挑発屋たちの主張のような、イスラエルの破壊でない。それなりの間、イランはイスラム世界において、権力にある階級の利害の優先、体制の単独の優先事項のためにイスラム神話を否定してきたのだ。

ホーサン・ゼファーは亡命イラン人のマルクス主義の闘士。彼は評論誌『マルクス主義の擁護において』のペルシャ語出版、およびイランの労働者との連帯委員会を指導している。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版10月号)
 
 

 
 
 
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