2007年3月10日        労働者の力             第 204号


東京都知事選―政治流動化の焦点に急浮上
石原打倒!都政に民主主義の再生を!
         
寺中徹
 

 
 
 3月22日告示、4月8日投票の東京都知事選は、石原の対抗馬としての浅野史郎前宮城県知事の立候補に向けた動きが浮上するに及んで、急速に政治焦点化しつつある。それ以降メディアの報道は俄然熱が入り始めた。彼が知事を勤めた宮城でも、県内各紙(中央各紙県内版、地元紙の河北新報)が彼の業績評価を含め連日紙面を割き、「町の声」を含めた賛否両論を伝えている。

1つの可能性の出現

 彼の去就に対するこのような注目自体がことの重要さを示す。同時にそこには2つのことが反映されていると思われる。
 1つは、石原に対する都民の反感の急速な高まりと都政転換に対する強い願いの存在、そしてその受け皿が切実に求められているという否定できない事実。そして2つ目は、日本政治の根底に潜む長期の動揺的性格、方向の定まらない不安定性が昨今中央、地方を貫いて改めて表面に浮上し、ある種の惰性を壊す形で、政治の方向に民衆が直接影響力を行使する条件が具体的に生まれているということだ。この点に関しては、自公推薦候補が惨敗した宮崎県知事選が特に強い印象を作り出している。
 そしてこの2つの重なりは1つの予感に結び付く。即ち、条件次第では石原の敗北もあり得ないことではなく、そしてその敗北は、あるいは苦戦であってさえ、即座に安倍の求心力に重い打撃となるだろう、という予感だ。安倍と石原は確かに、その右翼的思想において、さらに民主主義への敵対的感性において同質のものを共有している。一方浅野氏は情報公開の取り組みに確かな実績が伝えられ、不明朗な会計処理を巡る宮城県警との闘いを貫徹したという点を含め、少なくとも民主主義への姿勢に関し、石原との鮮明な違いを印象付ける。その点で浅野氏には、反石原気運を結集し得る求心力を期待させるものが確かにあり、それは、石原を追い詰める条件の出現を示唆するのだ。
 こうして浅野立候補は重い政治的意味を帯び、7月参院選で一応の結論を見るその間の労働者民衆の諸闘争において、客観的にはその重要な1角を占める可能性をもつ。
 今回の都知事選において労働者民衆の前には、共産党が推薦する吉田万三郎前足立区長というもう1つの選択肢が提示されている。この8年間に亘る石原の反民衆的都政に対して、都議会において首尾1貫して対決してきた勢力は日本共産党と福士敬子都議に限られた。この事実を前にすれば、石原都政転換の闘いは吉田候補への結集として追及されるべき、との主張は確かに根拠のある正論である。政策路線的対抗は、おそらく石原対吉田という形で最も鮮明となるだろう。
 しかし現実に、吉田候補は石原に全く太刀打ちできない、ということを全ての都民は知っている。その限りにおいて吉田氏の立候補は、都民総体をいわばわくわくさせる政治的吸引力とはなり得ず、また現になっていない。それは、吉田候補を無視するメディアだけが理由ではない。
 石原打倒を実践的に追及するためには、この現実から出発する以外にない。

石原都政―無責任と混乱の極み

 石原都政の転換は多くの心ある都民にとってまさに焦眉の課題となっている。石原は、彼の独善的な主観的価値観を都政の全般に、文字通り強権的に押し通してきた。そのもっとも顕著な事例が戦後民主主義教育を全面否定する、乱暴極まりない公教育介入だ。それは広く知れ渡った事実であり、ここで改めて取り上げる必要もないだろう。1つだけ付記すれば、生徒の階層別秩序化、とでも言えるような、極度に「能力」選別的学校制度いじりも平行して強行されていることを指摘しておきたい。
 しかしことは教育だけに止まらない。一事は万事であり、一知半解、即ち本質における「無知」が人気取りという卑小な思惑と結び付く形で、石原は都政全般に混乱を広げ、果ては具体的損害までをも作り出した。その代表的な事例が、大銀行課税の思いつき的かつ粗雑な強行だ。それは結局違法との判決が確定し、都は巨額の賠償の責を負うはめになった。そしてその賠償は都民に負わされる。本来これだけでも石原は辞任に値する。しかしその責任について石原は一切口をつぐんで平然としている。
 そして、東京一極集中を野放図に礼賛する想像を絶した愚策。今更オリンピックを招致するなどという愚策もその延長にある。石原は、東京の発展が全国を牽引する、などと豪語するが、そこには何の根拠もなく、実体的には東京を除く地方の切り捨て以外を意味しない。このあからさまな東京エゴイズムは、必然的に地方の反感を呼ぶ。石原は都民から支持されればいい、と読んでいるのだろうが、都民の半数以上は地方出身者であることにどれほど思いが及んでいるのだろうか。いずれにしても、東京が30年以内に大地震に襲われる確率はかなり高くなっている。そのような現実を前にすれば、東京一極集中に何の反省もない石原の無責任さには許し難いものがある。
 国粋的主義的言動をはばかることなくふりまき、差別意識と鼻持ちならないエリート主義を露わにする石原は、社会福祉施策にも当然のように大なたを振るってきた。その中で例えば多くの福祉事業体が、存続の危機に立たされている。
 そして今や都政の私物化までも暴露されている。

反石原のマグマ

 石原に対する疑念とそれ以上に怨嗟の思いは巷に溢れている。石原支持率は不支持率をまだ上回っている。とはいえ現実に、メディアの不可解と言うべき批判のか弱さに助けられているにもかかわらず、その差は急速に縮まっている。しかしそれだけではなく、上述してきた都政の現状を前にすれば、石原都政からの脱却欲求は都職員の中にも膨れ上がらざるを得ない。都労連が先頃実施した都職員と関係事業体職員に対するアンケート調査によれば、石原都政を評価せずとする回答は6割近くに達し、評価するを圧倒的に上回った。
 「スーパーマン」を気取った石原のイメージ戦術の厚化粧は急速に剥げ落ちつつある。長い間石原に追随してきた民主党はここに来て、急に反石原色を出し始めた。7月参院選に勝負をかける小沢の意向がそこに働いていることは確かだろう。しかしそれはまた、都民の気分の変化も何ほどかは反映していると思われる。
 そして何よりも石原自身が、表面では余裕を装いつつも、そのような変化に重圧を受けていることを隠すことができない。例えば彼は昨年秋から都政広報と称して、選挙違反まがいの「スーパーマン」気取りポスターを全都に張り出した。その意図は、いくつかの区から掲示を拒否されるほどに見え透いていた。そして、1旦は喜んで受けた自民党の推薦を急きょ返上し、つい最近突如、低所得世帯への都税免除を予算化、と発表した。なりふり構わない選挙対策への腐心は明らかであり、そこには彼の内心の不安が透けて見えている。

民衆の登場に全力を

 石原打倒の可能性は客観的に確実に高まっている。人々が今求めていることはこの可能性を生かすことだ、と私は考える。
 そこにおける最大の決め手は、石原に疑念や不満や、そして怒りを募らせつつある労働者民衆がその気持ちを投票で示す気になれることだ。人々が自分の意思を表し現実を実際に変えるために、都知事選をチャンスとして活用する気になるかどうか、ここに今回の都知事選の生命線がある。それは言葉を変えれば、自分の投票行動が、そこでの選択が無駄にならないと人々が期待できるかどうか、ということだ。石原打倒のために今回の都知事選に必要なことは、何よりもそのような期待の高まりなのだ、と私は考える。
 その点に、浅野氏の立候補の重要な意味がある。今回の都知事選における浅野氏の立候補は、いわば勝負の見えた消化試合ではなく、石原と真っ向から勝負する本物の選挙戦を人々に期待させるだろう。マスメディアの注目はその予感の表れと言ってよい。そして今人々は、石原への反対意思を大々的に、そして何らかの結果に結び付く形で露わにする機会を待ち望んでいるのだ。浅野氏の立候補は、人々にその機会の到来と受け止められる可能性を十分にもっている。
 その意味で私は、浅野氏の立候補を推し進めた人々の努力と彼の決断を尊重したい。
 その上で1つの問題点は浅野氏の政策路線である。そこに労働者民衆の要求に添うものが少なければ、彼を通した石原打倒の期待は必然的に減殺される。現時点で情報は少ない。しかし、石原都政に対する、特に教育行政への批判は明確なようである。1方、彼の前任地である宮城の同志達は、労働者民衆は具体的場面で彼に対しても厳しい対峙が必要となるだろう、と伝えてきている。
 いずれにしろ労働者民衆は、あくまでも自分達の要求に忠実に、独自の立場と行動の自律性を保ち続ける必要がある。そしてそれが結局は、都政を真に民主的に転換させる力であり、石原打倒に向う草の根の結集の土台となる。そのような人々の独自のうねりをめざし、その上で我々は石原打倒のために全力を尽くさなければならない。
 労働者民衆にとって、日本の現状の抜本的変革が益々切実ものとなっている。しかしそのような展開が進展するためには、労働者民衆が大衆的に自ら行動に踏み出し、行動を伴った選択を積み重ねる過程が不可欠となる。そのような過程なしにまた、現代の課題に貢献できる左翼の再生もあり得ないだろう。運動であれ、闘争であれ、また政治であれ、人々の大衆的参入こそを、またその条件の創出を我々は先ず目指さなければならない。
 我々にとってはそれ故、より長期的視野に立つ観点においても、浅野氏の立候補を単なる局面的な意味に止めることなく、政治の場に対する労働者民衆の能動的で大衆的参入を進める機会とすることが問われている。労働者民衆の積極的かつ大挙した参入が実現する時、同時に局面的にも、石原は確実に打倒されるだろう。そしてそれはまた、都政のより深い転換に向けた労働者民衆の次の闘いに、それまでとは異なった舞台を用意するだろう。     (3月6日)
 
2.14、NTT反リストラ裁判結審、7.25に判決言い渡し
家族と暮らす権利を今こそ社会規範へ!

原告最終意見陳述

 NTT反リストラ裁判は、2月14日東京地裁で第13回口頭弁論が行われ、原告の古舘義男さんと成田徹さんが最終意見陳述に立った。傍聴席を埋めた支援の労働者に静かな感動を残したこの陳述をもって、3年にわたって続けられた当裁判は結審となった。判決言い渡しは、7月25日午後1時25分と指定された。
 金満企業NTTの11万人リストラ攻撃は、労働者の権利に対する、資本の自由の無条件的優位性宣言に等しいものだった。この暴挙に電通労組は、労働者の誰もが保障されるべき権利の回復として、闘いを正面から対置した。そのことで電通労組は、事実上、労働基準の全般的解体を策す新自由主義的攻撃との闘いの最前線を引き受ける位置に立った。
 安倍自公政権と労働者民衆の緊張は社会の深部で確実に高まりつつある。そして判決言い渡し日を挟む時期は、その緊張が1つの頂点を迎える時期と重なる。判決日は当裁判にまさにふさわしいものとなった。電通労組と原告団は必勝を期しつつ、手を緩めることなく闘いを積み上げ判決日に臨もうとしている。

厳戒の東日本本社前

 電通労組と原告団は、東日本本社に対する配転撤回要求行動から当日の行動を開始した。午前8時小雨が落ち始める中、横沢原告団長が出社する社員に向け不当なリストラに対する決起を力強く呼びかけ始め、組合員と支援の労働者がチラシを手に社屋周辺を囲む広場のあちこちに散る。と同時に、社屋内からガードマンがバラバラと出てきて、組合の正当な活動を妨害。広場から出ろ、と言うのだが、言い分は「施設管理権」の1点張り。安い委託料で管理業務を請け負わされ、労働組合と会社の板ばさみにされるガードマンも気の毒だが、その影に隠れるNTTの卑劣さのみが際立つ。
 NTTは果てに、敷地と称する広場と歩道の境界をカラーコーンとバーで封鎖させてしまった。出社する社員は僅かに設けられた出入り口に集中したため、チラシ手渡しはむしろ効率改善。
 ところでかなり高層の東日本本社社屋の場合、周辺の広場は1般には、都市計画や町づくりの観点から高層建物に義務付けられた、1般に開放された公共広場であるはず。そうであれば、敷地だからと言って本来NTTが自分勝手に封鎖してよいものではない。それを自分だけの都合で封鎖してしまうNTTの傲慢さと狭量は並ではない。おかげで、近道として自由にこの広場を通っていた1般の通行者も回り道する羽目に。労働者の権利など歯牙にもかけず、今では公共的責任すら放棄して恥じないNTTのジコチュー体質は、こんなところにも出てしまうようだ。付言すればここには、私有権が民衆排除の武器となってしまう、「民営化=私有化」の隠された本質も浮き出ている。
 訴えを堂々とやりきった電通労組、原告団、支援の労働者は、同様の訴えのため待機していた通信労組に後を譲り、東京地裁へと向かった。

署名の要請に反響続々

 横沢原告団長の背負う登山用の大きなリュックには、昨年10月17日の集会で提起され、その後の3ヶ月強の要請行動に応えて寄せられた、東京地裁宛ての公正判決要請署名簿が入っていた。その数、個人10、875名、団体420団体。集約日はひとまず1月末日だったが、署名簿はその後も届いていると言う。
 反響は電通労組の期待をはるかに上回った。それは首都圏における電通労組のこの3年に亘る激闘を雄弁に物語っている。同時に、利潤最大化を至上化するNTTの経営とそれを称揚する主流的思潮を真っ向から断罪し、労働者の生活権を正面から問いかけた今回の裁判の重大性が、そしてまた、広範な労働者民衆内部でようやく高まりを見せ始めた新自由主義的反改良に対する疑念と労働基準解体に対する反感が、そこには確実に反映されていると思われる。この反響を受けて電通労組と原告団は、勝訴に向け1層気を引き締めている。
 この署名簿は当日の法廷内に積み上げられ、最終意見陳述を無言の内に激励。そして裁判終了後、数十名の傍聴支援者が見守る中、横沢原告団長から東京地裁民事11部に提出された。

堂々たる陳述

 口頭弁論は午前10時開廷。ところが裁判官が入廷しても被告NTT側の弁護人席は無人。やや遅れて若い弁護士のみが現れようやく開廷。主任弁護人は大幅に遅刻したが、NTT側の裁判軽視、権力頼みは余りに露骨だ。純粋に民事裁判であればこれだけでも被告側に有利となる。しかし争いの背景は、通信サービス事業を資本の巨大な利潤源に抜本転換するという、いわば「国策」、闘いは1筋縄では行かない。NTTも、最終的にはこの点を頼りとしていることに間違いはない。
 しかし最終意見陳述に立った古舘さんと成田さんは、そのような重圧など意に介することなく、言葉を飾らない率直な語り口で、人間の自然な営みを壊してよい「業務の都合」などない、と言い切った。
 2人は自身の労働者としての歩みから説き起こした。そこには、心身に刻み込んだ経験を裏付けに、人々の必要に応える労働に従事してきたことへの自信と誇りがみなぎっていた。そしてそれと対比する形で、営利を何よりも高く持ち上げるNTTの経営とそこから発したリストラ攻撃の、隠しようもない空しさ、社会的無意味さ、そして人間そのものに対する冷淡さを浮かび上がらせた。NTTは姑息な脱法的手法まで使って労働者の生活をずたずたに壊し、労働者から労働への誇りすら奪った。2人は家族と切り離されてまで、まさに無意味な労働を3年以上も強制され、商品知識の乏しさを承知の上でその商品の売り込みを強要された。労働者に対するこの仕打ちに対する2人の怒りはまさに社会的義憤であり、それは否応なく、このようなNTTが人々に売りつけようとする商品、即ち「必要」とは一体何なのかを、鋭く問いかける。
 そして2人はその結論として、日々の労働を含めた人間としての生活を労働者が保障される権利、その不可欠の一体である家族と共に暮らす権利のかけがえのなさと社会的意味を強調し、その権利が全ての労働者のものとされるべきこと、今回の判決をもってそのような社会規範を確立すべきことを訴えて陳述を終えた。
 天井を仰ぐNTT主任弁護人を除けば、裁判長を含め法廷内の殆どが陳述書にじっと目を凝らす。法廷は静まり返り、2人の自信に満ちた声を除けば、支援の傍聴者にも事前配布されていた陳述書をめくる紙の音だけが響いていた。

今こそ労働者の権利の再生を

 今回の裁判の争点を突き詰めればある意味で極めて単純。利潤最大化を追求する資本の権利と、人間にとってごく当たり前の家族と共に暮らす権利のどちらが上かだ。電通労組は今回の裁判に当たって、この争点を正面に据えた。
 電通労組にとっては、多くの場合に争点となってきた個人の特別事情に対する(例外的な?)「人道上の配慮」は、始めから争点とはなり得なかった。各職場における長い職場闘争の成果の上で、今回の不当なリストラ攻撃に際しても、組合員に対するそのような「配慮」は既に職場段階で経営側に認めさせていた。
 グループ全体として巨額の利潤を積み上げ、日本の最優良企業の1つであるNTTが敢えて行った今回の11万人リストラという暴挙を前に、今こそ問題にすべきことは、そのような「特別事情」がない限り最大利潤を求める資本の「権利」がいわば当然のごとく優先され、「業務の都合」の1言で労働者の至極当たり前の生活がいとも簡単に破壊されてしまう現在の日本の異常さだった。新自由主義思想が席巻する中で、合理化に際してかつては資本の側にも課されていた、例えば倒産の危機というような「特別事情」の要件は、今では顧みられることもない(もちろん資本には、「特別事情」があってさえ、さらに幾つかの要件が必要とされた―例えば「整理解雇の4要件」)。
 それ故、当裁判の原告側弁護団長を引き受けた故新美隆弁護士は、「東亜ペイント判決」(注)を超える判決獲得をめざすとし、原告団、電通労組と意思統一した。判例変更というある意味で困難な、しかし日本の労働者の未来にとっては普遍的意義を持つ正面突破の闘いに今電通労組は自覚的に挑んでいる。今回の2人の最終意見陳述は、まさにその自覚がほとばしる迫力あるNTT追及だった。
 裁判後の総括集会で弁護団は、原告側は主張をやり切ったが被告側は原告主張の核心に対する反論を何1つやっていない、と3年の裁判を総括し、静かな中に自信をたたえながら勝訴を確信していると結んだ。この場には、前日最高裁で解雇不当の判決確定を勝ち取った、郵政4・28被解雇者の池田さんも駆け付け、笑顔で勝利報告を行った。その場の全員に喜びを分かち与えたこの報告は、また電通労組と原告団に対するこの上ない激励となった。
 「ホワイトカラーエグゼンプション」問題を1つの典型として、労働規制の諸問題にようやく光が当てられ始めている。そして新自由主義が作り出した悲惨な現実に対する人々の危機感と反感を背景に、新しい闘いの可能性が生まれようとしている。その意味で、電通労組と原告団が問いかけた問題は極めてタイムリーなものとなった。
 電通労組は、労働規制解体と対決する闘い、改憲策動に対決する闘いの先頭に立ち、安部政権を追い詰めるより大きな民衆的結集を追及する一翼を献身的に引き受ける中で、判決日を迎えるだろう。勝訴をつかみ取る道はそのような全民衆的な闘いの前進の中にこそあることを、電通労組と原告団は確信している。そして、昨年末多くの人に惜しまれながら病に倒れた故新美隆弁護士の墓前に勝訴判決を届けることを、固く決意している。(神谷)
注)配転不当の訴えを巡って1986年に確定した最高裁判決。配転命令濫用の基準として、@業務上の必要が存しない場合、A業務上の必要が存しても「特段の事情」が存する場合、としている。「特段の事情」とは、a不当な動機・目的をもってなされる場合、b労働者に生じる「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」を上げている。判決は、母、妻、長女との別居・単身赴任という不利益を「転勤に伴い通常甘受すべき程度のもの」とし、労働者の請求を退けた。
  3・21ワールド・ピース・ナウ
会場 日比谷野外音楽堂/開場 13時/開会 13時半

3・23労働法制規制緩和反対集会・デモ
18時半〜社会文化会館
   
国鉄労働者1047名JR不採用から20年
今こそ解決を!

2.16総決起集会に1350名

 
 2月16日午後6時30分から、「今こそ解決を!具体的解決要求実現をめざす2.16総決起集会」が、東京の日本教育会館ホールで開催された。集会呼びかけは、国労闘争団全国連絡会議、鉄道建設公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団の4者と、国労、建交労、中央共闘、国鉄共闘の4団体。
 昨年同日同じ会場では、闘いの分裂状況を克服するための当該、各方面の努力の成果として、「1047全国連絡会」結成の下に、闘いの大同団結に向かう大きな一歩を記す集会が勝ち取られた。その後昨年中に、採用差別と闘う1047名を統一した集会が何回か開催されると共に、大衆行動の共同や、統一要求の取りまとめ(「解決に当たっての具体的要求」)とそれに基づく関係省庁や鉄道運輸機構への交渉申し入れなど、闘いの統一的展開と局面打開に向けた努力が続けられた。そして国労争議団総体も、提訴項目に関しては批判を残しながらも、昨年12月に提訴に踏み切り、闘争の統一態勢は1歩1歩整備されてきた。
 しかし政府、鉄道運輸機構は、今もって交渉に応じ解決を図る姿勢を見せていない。
 今回の集会は、このような闘いのもう1段の拡大と強化が求められる情勢を背景に、当日日中の東京総行動を引き継ぐ形で開かれた。会場は昨年同様参加者で溢れ、同会館内に設けられた第2会場と合わせ結集した労働者は1350名と発表された。
 集会自体も今回はより明確に当該4者が全面に立つ構成。当該の要求を基礎にした統一と団結への意思と解決に向けた気概が滲み出る。
 先ず、国労闘争団全国連絡会議の神宮議長が開会挨拶。次いで3つの支援団体の連帯挨拶を挟んで、鉄道建設公団訴訟原告団の酒井団長が「1047名の団結と大衆行動を基礎に勝利判決と解決をもぎ取る」と決意表明。さらに、闘い半ばで倒れた闘争団員の遺志を胸に訴訟に加わった遺族が痛切な思いを込めて支援を訴え、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団の渡辺副団長が集会アピールを提案し、満場の拍手で採択された。
 その上で、原告団中央協議会の金児副代表が行動提起。柱は、4者による解決行動委員会結成を基にした1層の結束と大衆行動強化、解決交渉への具体的着手をめざした年度内集中大衆行動、3月30日の宣伝行動と日比谷野外音楽堂大集会、さらに学者・文化人などの1万人アピール運動や分割民営化20年の検証運動の展開による世論づくり。そして講釈師の神田香織さんの講談による激励を受け、最後に、当該全員を背に鉄道運輸機構訴訟原告団の川端代表が音頭を取り、満場が団結がんばろう三唱で要求実現に向けた闘いを確認した。
 昨年と比較し、行動提起も輪郭がより具体化された。闘いはいよいよ正念場を迎える。新自由主義の諸攻撃に対する労働者民衆の反感が兆しつつあるとはいえ、政府の現在の対応が端的に示すように、前途に待つ困難は依然大きい。そうであればなおのこと、現状の評価と今後の闘争の展開について、論争が引き続くことは当然の成り行きだ。当日も会場前では、動労千葉などが闘争の行く末を危惧するチラシを配布している。それらの論争を受け止めつつ、要求実現に向け、1047名の団結をよりどころとした闘いの発展がなお1層求められる。そのための努力は、労働者民衆の連帯と団結を再建する努力の1環として、支援の側にも求められている(K)。

 世界社会フォーラム(WSF)
アフリカが論争の中軸に

     
ジーン・ネンガ

 男も女も、これだけの多くのアフリカ人が世界社会フォーラムに来たのは始めてのことだ。参加者は、以前のアフリカ社会フォーラムの5〜7倍も大きく、そしてアフリカの国々の多様性を表現した。資本主義グローバリゼーションのアフリカにおける現実性に集中し、存在する見解の多様性にそんなにも多くのワークショップが集中したことはないことだった。こうして、例を上げれば、アフリカにおけるホモセクシュアルとレスビアンの存在はオープニングセレモニー以降明らかとなり、大テントには世代と出自の混在があり、そこは、ホモセクシュアルが今でも実に汚名である大陸の中なのである。連帯の輪は、アフリカにおける外国軍事基地を無くするためにうち立てられた。中国の活動家たちは、アフリカと中国の関係を―新植民地主義なのか、あるいは南・南連帯なのか―をアフリカ人たちと討論した。アフリカ人とフランス人の会合は、アフリカとの関係におけるフランスの新植民地主義を討論した。ギニヤの代表団は、ストライキに立上がった人々への犯罪的抑圧が50人の死者に達していることを報告し、そして抗議デモンストレーションを行った。
 しかしながらこのアフリカ人たちの参加も、急進的潮流が確保できた空間に比して、大きな空間をキリスト教会が確保できたことによって、順風ではなかった。相対的に豊かな財政基盤の下に教会は、ケニアからであれ他のところからであれ、アフリカ人多数の参加費用をまかなうことが可能だった。組織委員会は急進的なスラム諸団体へのドアを閉ざした。当地の最低賃金の4分の1に相当する法外な登録料金という形で、金に基づく差別が持込まれたのだ。これが、富裕なNGOから独立した組織であった「地上のみすぼらしい者達」を閉出すための方法だった。  
 急進的潮流は最終的に、貧しい人々が無料でWSF会場に入れるよう急進的諸組織が組織した行動という形で、何とか自己の意義を示すことができた。大多数の商業スタンドの存在はまた、社会フォーラムの「商業主義」に関する痛烈な批判を引き起こした。「ただの食料」要求行動が組織され、それはケニヤ内務省に所属した食堂に対抗して組織された。その食堂は途方もない値段で食事を提供していたのだ。至るところに置かれた多国籍企業セルテルの移動電話も非難の対象となった。
 WSFの準備から排除されてきたキベラ貧民街の活動家からなる人民議会が、市の中心部の公園で別のフォーラムを組織した。世界的公正意識の急進的性格は、そのスポークスパーソン達によって明確に示された。特に極めて落ち着いたワングイ・ベティア、彼は、スラムの住民達の違ったイメージを与えた。
*筆者はコンゴの革命的マルクス主義者。
フランス
大統領選挙は政治を日々腐らせている

           
ダニエル・ベンセード

 【哲学者であるダニエル・ベンセードは、革命的共産主義者同盟の活動家の1人であるが、スイスの日刊紙「ル・クーリエ」向けインタビューで選挙キャンペーンを考察した。聞き手は同紙のベント・ペレツ―IV】
 

 フランス左翼の豊かな概観の中で、革命的共産主義者同盟(LCR)は疑いもなく独立の立場を占めてきた。反スターリン主義の共産主義者として、この運動は68年5月の学生闘争より始まったが、常にそのはじめからトロツキストの同宗者たちから自らを分かち、新たな社会的諸運動やプロレタリア的正統派からは「小ブルジョアジー」と規定されるものと向きあう運動であった。
 しかし、アラン・クリビーヌとオリビエ・ブザンスノーの党は、にもかかわらず反資本主義の堅固な位置に留まってきた。彼らは社会党左翼の付属物になることもなく、「政党なき政治」という時代精神に譲歩することもなかった。それは融通の利かなさなのか、それとも1貫性なのか。それがどうあれ、有名な郵便局員ブザンスノーのLCRは今日、やや孤立気味だ。EU憲法条約案に対する「左翼の立場からのノー」が生みだした高ぶりの中で提案された「反自由主義統一候補」への合流に対する拒否は、この勢力の開かれたイメージを少しずつ崩してきた。とはいえ彼らは、この開放性に今も注意深く気遣いを見せている。
 LCRの理論家としてたびたび現れる哲学者ダニエル・ベンセードは、マルクスとベンジャミンに関する高名な専門家であるが(注1)、隔月刊の「連帯」の招待で最近スイスに滞在した。「ル・クーリエ」へのインタビューで、トウローズの知識人は反新自由主義の将来の連合にドアを開きつつ、彼の運動の非妥協性を防衛した。68年5月の元指導者にして、今日ではパリ第8大学哲学講師はまた、フランスで進行している選挙過程をわれわれに明らかにしている(ベント・ペレツ)。

隠される問題と隠せない問題

―法と秩序に注目が寄せられてなされた2002年大統領選を経て、左翼の伝統的なテーマ、住居、税、環境が今年の大きな注目の的だが―

 キャンペーンにおける初期におけるこの現象は、非常に意味深い変化だ。住居の問題は社会的権利と公正さの領域に論争が据えられることを可能とした。それはいいことだし、引き続くと思う。というのも、それは、社会的危機の重大性とそれぞれの候補者の選挙戦略の必要性を結びつけているからだ。
 世論調査が示すことは、社会的懸念、とりわけ失業が、法と秩序以上に重要と考えられているということだ。社会学的調査によれば、いわゆる中産階級の脆さと相対的貧困化の進行が示されている。中産階級は、事実において今では、多くの被雇用者を包摂し、彼らの地位はマネージャーというよりは労働者に近い。
 それ故、すべての候補者が、2002年に国民戦線に顕著に、そして極左翼にある程度奪われた民衆的選挙基盤を取り戻すために今競争している。もしもわれわれが、セゴレーヌ・ロワイヤル(社会党候補者―訳者)がローザ・ルクセンブルグを語り、そしてヨーロッパ中央銀行に対抗することも含め主張を急進化するのを耳にするとすれば、それは時の偶然とはいえないのだ。あるいは同様にそれは、サルコジ(民衆運動連合、現与党―訳者)がゾラやジョーレスについて指名演説で語ったことにも当てはまる。
 
―君の視点では、選挙キャンペーンでは他のどんなテーマが必要だろうか
 
 何よりも、他にいくつものテーマが登場すれば、選挙キャンペーンは好ましいものになる。しかし今のところ、多くのことが諸候補者たちの失言について語られている状況だ。不幸なことだが、両サイドがヨーロッパ問題を避けていることを私は心配している。この問題は、重要であるだけでなく、すでに日程に上っている。[ドイツ首相]アンゲラ・メルケルは2009年の憲法投票について語っているのだ。戦争の問題、およびアフリカやNATO、そして武器取引きにおけるフランスの役割はまた双方の合意の下で忘れられている。
 それは、にもかかわらず今日の世界情勢の基本的要素なのだ。
 最後的に私は、候補者たちが制度問題について過度に触れることを避けるだろうと思っている。にもかかわらず、そのことは意味深い論争なのだ。体制の現在の危機は、5年間という大統領任期の導入によって悪化させられている。5年制度は、大統領主義の論理を改めて強めてきたものだ。実際、このことがフランスの政治生活全体の腐朽を進めつつある。大統領選挙の国民投票的性格が、綱領に関するあらゆる論争を困難にしているのだ。そしてこのことはすべてのレベルにおいて生れている。イメージと個性に焦点を合わせたキャンペーンを伴いながら、地域のレベルでも、そして実際あらゆる制度のレベルで、綱領あるいは基本路線を後景化した争いが再生産されているのだ。
 しかしながらわれわれは同時に、多数派形成投票システムを研究しなければならない。個人的に、私は比例代表という良薬の導入を支持している。考えてみよう。2002年の議会選挙では、30%の投票者たちは、政治的代表をもつことから完全に閉め出された。もし、棄権者を加えれば、人口の半数が立法議会に代表をもてていない。こうして彼らは政治の危機に不満をもつ。

左右中軸に各々の変質

 こうしたぼやっとした2極的分極化を前にして、左翼のある者は、ロイワヤルとサルコジの間には何らの違いもないと言う傾向にある。しかしながら他の者は、右翼候補の勝利を避けるためには何でもやるつもりになっているのだ。
 私見では、これらは避けるべき2つの罠を表現している。セゴレーヌ・ロワイヤルがある種の道徳的秩序、家族政策について、法と秩序に乗っかって関心を示すときには、彼女はサルコジのテーマを事実上、もて遊んでいる。同じことだが、彼女の、社会党機構
の頭越しに展開された指名獲得キャンペーンは、諸党を飛び越える世論調査主導民主主義の勝利を特徴とした。すべてこれは、社会主義者の「ブレア主義」的転向を強く示している。意図と主張はそこにある。しかしそれでも事実において、物事はもっと入り組んでいる。セゴレーヌ・ロワイヤルはそうであっても、憲法条約国民投票が広げた裂け目を補修する努力をしなければならなかったのだ。
 モンテブルグとシュヴェヌマン(社会党多数派と対立したEU憲法「ノー」派の有力党員―IV編者)から彼女が支持を獲得したことは、この分裂を2次的なもの、少なくともシンボル的なものへと退けるという点で、彼女の能力を示した。そのことは大したことでないわけではない。「サルコジでなければ誰でもよい」論によって目隠しされ、批判力のある左翼の1部は、闘うことなしに結局はロワイヤルの下にはせ参じた。
 サルコジとロワイヤルの大きな違いは、後者が左翼の選挙上の実体、さらに社会的諸実体から自由になれないということだ。彼女は、とりわけEU憲法国民投票における「ノー」の勝利以降、逃出すことが許されない戦場にいるのだ。社会党員は、彼らが社会的爆発から身を隠していることなどできないことを知っている。
 
―君は、ニコラス・サルコジが右翼におけるある種の断絶を表すと思うか―
 
私はそう考える。彼の立候補は、ゴーリズムというこのフランスの風変りな点に関しページをめくった。
 第2次世界大戦以降、フランスはゴーリズムと共産党という2つの役割分担を特徴としてきた。彼らはポピュリズム的観点と1体となった2つの主張を代表した。それは反米という含意を伴った、ナショナリズムの2つの形態だ。
 ニコラス・サルコジの場合、われわれは全く違った色合いの中に置かれる。世界の変化および特にヨーロッパ建設によりゴーリズムの死が例え不可避であったとしても、彼の勝利は、ゴーリズムの消失を打ち固め、そして公共サービス、年金、そして労働規制への大規模な暴力的攻撃の開始を意味するだろう。

気分を越えた力が求められている

―2002年大統領選挙、EU憲法条約(ECT)の拒否、次いで初期雇用契約法(CPE)反対闘争での勝利(注2)は、フランスにおける急進的左翼の重みを示している。社会党員がロワイヤルを選ぶに際してこのことを重視せず、また社会党に対するいかなる実体的代替勢力も現れなかった、ということは理屈に合わないことではないのか―

 一見矛盾と見えることの中にある合理性は、おそらく、政治における駆動力の解読の中で見えてくる。2002年において、社会党との関係において批判的な左翼は、その選挙に関する潜在能力を十分に発揮した。私はそれは10〜13%(注3)と読んでいる。それは、社会政策でもヨーロッパに関しても、それまでに多くを変更しなかった、そして特筆すべきことに私有化に合流した社会党の議会を、結局は容認する投票だった。
 今日、選挙への反応は同じでない。われわれは既に右翼政府を経験してきた。そして、第2回投票にル・ペンがもう1度登場することへの怖れは、第1回投票からの便宜投票という考えに力を貸している(フランスの大統領選挙は、2回投票制。第1回投票で過半数得票の候補者がいない場合、上位2人の間で決選投票となる―訳者)。それ以上に、私は思うに、2003年における年金と教育に関する社会運動敗北がもたらした士気をくじく効果が過小評価されている。それはCPEに抗する闘い―その影響は12ヶ月後の今ほとんど何も残されてはいない―よりもはるかに根深い闘いだったのだ。
 そのすべてが重くのしかかっている。そしてそれは、社会党の左にいる左派勢力に向う投票の潜在力に込められた意味が、今日より小さくなっていることを説明する。極左派が単独の候補を立てようが立てまいが、それが真実なのだ。誰かが言うような、われわれが倍加した票を獲得できる、などということは、それこそジョークだ。いわゆる急進左翼の得票数は必然のように合算できるわけではない。もしあなたが物事を勘定に入れるならば、ジョゼ・ボベやクレメンティネ・アウタイン(注4)などが単1の候補者であっても、あなたが1定数の左翼候補者達を基に推計するよりも少ない得票となろう。というのも、ボベは共産党の投票者の大部分を失うだろうし、他方アウタインは労働者階級の有権者には全く知られていないのだ。

―それで反自由主義派の統一に向けた取組みの敗北を説明できるのか―

 それは違う。単独の候補者はそれにもかかわらず望ましかった。その理由は、それがもつ駆動力および2005年の反ECTの左翼によるキャンペーン期間中に生れた政治的空間を打ち固めるため、ということだ。そうであっても、「左翼の立場からのノー」キャンペーンによって生れた重要な駆動力が大統領選まで1直線にそのまま続き得る、などと信じることは幻想的だった。国民投票においては、イエスかノーの問題であって、綱領や良く洗練された政治的方向の問題ではない。確かに、1つの綱領は反新自由主義協議体[それ以前の「ETCノー」協議体―IV編者]によって作成された。いくつかの不同意の点はあっても―こういうタイプの統一的取組みには避けられない―、この基礎の上で、多元主義的なしかし共有された綱領を追求できたかもしれない。
 しかし、われわれの見解においては、そこには1つの避けることのできない問題があった。それは投票が近づけば1層問題となる可能性の高いものであり、すなわち、将来の政府と議会の多数派形成[議会選挙は2回目の大統領選の1ヶ月後―IV編者]の問題だ。マリー・ジョルジュ・ビュッフェ[共産党候補者―IV編者]が述べるような、綱領と候補者とが知られている社会党の支配の下での「左翼新多数党」があり得るものなのだろうか。
LCRはサルコジ打倒のために、できることは全てをやるつもりだ。しかしわれわれは、代替路選を追及する統一構想が「多元的左翼(5年前に敗北した社会党主導左翼連合―訳者)マーク2」連合に即座に解消するようなことは拒否する。われわれにはその結果は分かっていることなのだ。われわれには、将来において裏切りを義務づけられることが分っている約束などしない責任がある。
 私は、協議体の鼓舞者たちがこの問題で時間を稼ぎ、ローレン・ファビウス(「ノー」派社会党有力者―訳者)が社会党の候補者として選ばれるかどうかを見守ったことを理解できる。しかしロワイヤルの選択以降、もはや優柔不断のための理由は存在しないのだ。こうした連携を想定することは可能だったのか、イエスかノーかしかない。
 われわれにとって、それは問題外である。しかし共産党にとっては、そうではない。2つの理由がある。彼らは、6月以後彼らの議会グループを救うために社会党を必要としている。それにコミュニストたちのある部分は政府への復帰を勘定に入れているからだ。その上交渉はすでに始まっている。そこにあるものは誤解ではなく、まさに政治的不一致だ。共産党とわれわれの間にいくつかの接近はあるが、名称にふさわしい左翼の再構築に関する戦略には何の合意もない。

新たな左翼の連合は不変の目標だ

―反自由主義協議体の失敗は、統一連合の可能性にドアを閉ざしたのか―

 この失敗はたくさんの欲求不満を生み出したが故に、今不利な条件になっている。しかしながら、2007年の諸選挙で政治的舞台配置の変化が止ることはない。反自由主義左翼統合問題―あるいは反資本主義的統合、私にはこの2つの間に越えられない壁は見えない―は、ピエール・ジュキンの大統領立候補以来、20年の間実現できるかに見えたものだった。われわれの見解によれば、この連合は単独の政治的勢力を中心としても、あるいは政治的諸政党なしでもできない。反政党デマゴギーが何を言おうと政党は消えないし、消されることもない。忍耐と確信の下に政治的諸勢力の連なりを共に築く以上の選択はない。この連合は、戦術主義的なものでも、時間通りに進むものでもあり得ない。そうではなくそれは、左翼を再建するという具体性ある構想を中心に作り出されなければならないのだ。LCRは国民投票の前にも、このような路線に従ってPCF(フランス共産党―訳者)と交わりを結んでいた。

―共に進むことの可能な他の勢力は―

 緑の左とリュット・ウーブリエール(LO)がいる。合流に向けLOを説得できる望みは薄いとしても、われわれは彼らにそのような呼びかけを続けなければならない。

―このような文脈において、オリビエ・ブサンスノーの立候補の意味は―

 何よりも綱領の防衛だ。それは、社会党の左に立つ―そして社会党から独立した―左翼の代替構想の防衛を意味する。その左翼は、1回目の投票で原則で妥協することはないだろう。これは長期の計画なのだ。われわれはまた、社会的問題を選挙キャンペーンの中心に押出したい。それは、選挙キャンペーンが社会的権利、公共サービスなどについての真剣な討論となることを、また真の違いの表現となることを確かなものとする。
 われわれの目標は、若い人々への語りかけであり、その点でオリビエ・ブザンスノーは、2005年11月の郊外暴動の間に耳を傾けられた無比の人々の1人だった。彼の強みは、多くの異なった社会層に向けて語りかけることができるところにあり、それは、彼が政治的思考と社会像についての1定の考え双方を成長させたからだ。
*ダニエル・ベンセードはフランスのもっとも高名なマルクス主義哲学者の1人であり、広範囲に著作している。彼はLCR(第4インターナショナルフランス支部)の指導的メンバー。
注1)「われわれの時代にとってのマルクス」の著者
注2)CPEは、26才以下の労働者を対象とした、解雇に対するいかなる保護も与えない雇用契約だった。昨春、学生と労働組合の大闘争の後、政府が撤回した。
注3)アルレット・ルギエ(LO、5・72%)、オリビエ・ブザンスノー(LCR、4・2%)、ロベルト・ヒュー(PCF、3・37%)など。多元的左翼では、ライオネル・ジョスパン(16・18%)など。
注4)農民の指導者とフェミニスト活動家。反自由主義協議体の中で、立候補に名前が挙げられた主な候補の内の2人。
 
 

 
 
 
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