2007年6月10日        労働者の力             第 207号

7月参院選   
民衆の手で安倍不信任を!
9条改憲阻止!共・社・護憲候補に投票を!

寺中徹

   
 第21回参院選が間近に迫っている。この参院選で我々は、自・公与党勢力を過半数割れに追い込み、安部政権に対して疑問の余地ない不信任を民衆の手で突きつけるために全力を挙げることを訴える。
 自民党が小泉フィーバーによる実力以上に水ぶくれした改選数を抱えている今回、この不信任を現実のものとする可能性を、民衆は確かに与えられている。そして多くの人々は現実に、この政権を不信 任しなければならない理由を数多くもっている。それ故またこの不信任はそれが実現するならば、この間の悪政の転換を求めるエネルギーの体現であり、その転換に向けた可能性を民衆が自身の手で切開くことを意味する。まさにそのようなものとして、民衆の手に政治を取り戻す好機として、この機会を何としてもつかむ闘いが我々には要求されている。
 小沢民主党もまた権力闘争的思惑の下に、1つのチャンスとしてこの選挙に臨もうとしている。その限りで彼らもまた、安部との対決を演出し、自・公の敗北に向け全力を傾けるだろう。しかし民主党には、安部政権やこの間の自・公政権に対して社会の深部で渦巻く怒り、疑念、不信を、草の根から結集する力はない。それは、今春の統一地方選、参院補選の結果が雄弁に物語っている。
 安部不信任を現実のものとするためには、民主党の思惑を越えた民衆の立ち上がりが不可欠だ。それを可能とする闘いが、民主党には手の届かない人々に安部不信 任への決起を呼びかける闘いが必要であり、今回の参院選ではそれは、とりわけ反改憲勢力に課せられている。実際に議会勢力から見ても、反改憲派議席の1つでも多い積み上げが、それだけ確実に安部不信認を引き寄せることになる。
 それ故、安部不信任はそれが実現されるならば、文字通り民衆の勝利となるだろう。まさしくこのような民衆の勝利こそ我々が第1に追及すべきものだ。それは確実に政治に新しい空間を生み出すだろう。そしてそれはまた、日本左翼の再生に確実に水路を開くだろう。

金持ち・資本手助け、貧困拡大、民衆排除、改憲の政治に終止符を!

 安部政権はまさに不信任されるべき政権だ。人々には、この政権に不信任を付きつける理由が少なくとも4つはある。
 第1は言うまでもなく、安部が画策する強引極まる改憲策動だ。多数の国民は改憲そのものを、そもそも自らは少しも望んでいない。改憲要求の民衆的盛り上がりなど全くないことは、改憲派自身が認めていることだ。この明白な事実を承知で行われる安部の策動は、まさに国民主権の否定そのものだ。何よりも先ずこの点で安倍は不信任に値する。
 第2は、生活破壊、社会の破壊をただ推進するばかりの政治だ。民衆の生活の現実をかえりみず、社会の特権的上層をもっぱら手助けする政治は、安部政権の下でより露骨に現れている。全労働者を非正規化するに等しい労働ビッグバンや、生活保護母子加算の取り上げを始めとする社会保障の諸々の劣悪化、さらに地域医療の破壊など、民衆の生活破壊はこの政権の下で次々と積み上げられる。「再チャレンジ支援」などとこの政権は言う。しかしその裏の意味は、彼らのめがねにかなう「チャレンジ」に値しない者は切り捨てる、ということだ。そしてその1方で、法人税の大幅減税が追求され、株式売買益課税の減税は据え置かれた。さらに労働ビッグバンは、雇用に関わって資本に課されていた義務を大幅に取り除くことで、資本に対する法外な贈り物となる。まさに民衆を見下したこの暴政の転換こそ、身に迫る今現在の民衆の要求に他ならない。
 しかし安部は、改憲を今回の選挙の争点にしようとしている。それは、上述のような生活の現場から発する、人々が今切に求めている諸要求と正面から向き合う必要の公然たる否定であり、そのことでこの首相は、事実上人々の要求を拒絶しているのだ。この事実はまた、安部の唱える改憲なるものが人々の生活要求と真っ向から敵対するものであることを、問わず語りにあぶりだす。
 安部の手で民衆の生活改善など全く不可能、と言わなければならない。悪政の転換と生活苦からの脱却は、安部を不信任することからしか始まらない。
 第3は、この間の目に余る粗雑で強引な国会運営だ。この下で明らかな準備不足のまま、その実効性の検討も怪しいままに、ただ実績という外見を取り繕うためだけに、次々と欠陥法案がくり出されてきた。例えば教育関連3法案は、本来1年以上の準備を要するものが僅か1ヶ月で作成された。年金特例法案に至ってはたった1日の作成期間だ。しかもこれらはろくな審議も尽くされることなく、従って多くの疑問に封をしたまま、野党の反対も議会外の抗議も押し潰し、ただ衆議院の数を頼りに形式的に通過させられた。そのまま残されたこれらの法案の欠陥が引き起こす問題は現場に、そして結局はひたすら民衆に押付けられることになる。ここにも、権力の都合だけを優先することを当然と考える、この政権の民主主義否定体質、そして民衆に対する無責任体質が露骨に現れている。今度の参院選における与党の敗北は、このような無責任極まる国会運営を確実に困難とする。その点だけでも、安部不信任は民衆に利をもたらすだろう。
 第4は、人々にこの間延々と生活苦を押し付け、さらにそれを積み増すばかりの悪政を続けてきた自・公与党勢力に、その責任を明確に取らせることだ。選挙が近づくにつれ、マスメディア上にはまたまた「どっちもどっち」論、「誰がやっても同じ」論が現れ始めている。「1億総ザンゲ」をもって戦争責任をごまかしたことから始まり、戦後延々と繰り返されてきたこの責任棚上げの詭弁は、結局のところ、マスメディアをも含む社会上層総体を救い、上層を甘やかす秩序を固定することに役立ってきたに過ぎない。その弊害は特に政治において、政治の無責任の横行として際立っている。この状況に区切りをつけるべきときが来ている。安部不信任の現実的可能性が開かれている今回の参院選は、その絶好の機会ではないだろうか。
 上に挙げたもの以外にも、例えば従軍慰安婦とされた女性達に対する安倍自身による侮辱発言など、この政権を不信認しなければならない理由はいくつもある。
 改憲を政権の看板としている以上安部不信任は、改憲派総体にとっての重大な政治的打撃となることは言うまでもない。人々がどのような理由で安部を不信認するとしても、その不信任は少なくとも、改憲最優先という安部の主張に対する人々の不同意を明確に意味するのだ。
 それ故にまた、安部自民党のこの選挙に臨む姿勢は尋常ではない。この間の強引な国会運営と政策展開もまさにここに端を発している。あるいは、勝敗ラインは与党合計での過半数、などというあからさまなインチキを挙げてもよい。このラインは、自民党の現有改選議席を15、即ち24%も下回る数字であり、本来なら大敗北と評価されるものなのだ。ハードルを極度に下げ「勝ち」という形だけを確実に仕立て上げようとする、まさに詐欺的な術策がここにある。そして今、松岡前農水相自殺を発端とした、目を被うばかりの安部の暴走を我々は目の当たりにした。目的のために手段を選ばないこの政権はまさに危険極まりない政権である。
 逆にそうであるからこそ今回の参院選では反改憲勢力側も、安部不信任に総力を挙げるべきなのだ、と私は考える。

争点の要は改憲である

 改憲を争点として打ち出そうとしている安部自民党に対して、我々もその争点を正面から打ち返す闘いを挑まなければならない。
 あらゆる世論調査は、今回の選挙争点として人々が改憲に置く比重が、段違いに低いことを示している。それらに示された数字は、自民党支持者にしたところで、改憲を第1理由に自民党に投票する者がほぼ少数に限られることを確実に推測させる。その意味で、例え結党以来の綱領などと言ったところで、改憲争点化が自民党の集票力を高める保証は全くない。現に今春の統一地方選では、改憲を鮮明化した安倍の下で、自民党は得票率をむしろ下げている。そして民主党に競り勝った沖縄の参院補選でも、その決定力は紛れもなく「生活」、即ち目の前の現世利益に他ならなかった。
 それ故、安倍とその周辺による強引な改憲争点化は、公明党はもとより自民党内部からも無視できない抵抗を呼び起こし、それは今も消えていない。選挙戦の現場では、自民党候補であってさえ、改憲主張を目立たなくする候補者が出てくることも十分予測できる。これら自体は、改憲を最優先課題へと強引に仕立て上げた安倍と広範な人々が求めるものの明らかなズレ、あるいはすれ違いを、端的に指し示す事柄である。
 しかしそれらの事情は、選挙戦の争点から改憲問題を下げてよい理由とは決してならない。「逃げのイメージ」という単なる戦術上の理由ではない。何よりも、今回選出される参院議員が国民投票法成立後に選出される議員であり6年の任期がある、という厳然たる事実を明確に意識しなければならない。国民投票法によれば3年後には改憲発議が可能となり、マスメディアではその時期が2011年頃と予測されている。そうであればその時誰が指導者であろうと、自民党が今の方向に進む限り、ここで選出された議員は確実に改憲発議に断を下す責任を負うのだ。参議院に解散がない以上、選出された各議員はその責任から逃れることなどできない。その意味で憲法問題は今回の選挙で、もはや理念上の立場を表すだけの問題ではなく、人々の明日を確実に左右し、議員個人にも厳しい選択を迫る実質をもった政策問題となった。各候補者は、この6年に例え限ったとしても、改憲発議にイエスかノーかを明らかにする義務を負ったのだ。
 この点に有権者の注意を喚起し、その責任を候補者に問い詰める闘いは、まさに不可欠の闘いとなった。改憲問題で態勢が整っていないだけではなく、確信犯的改憲派が多数を占める民主党は、この闘いを行うことなど到底できない。改憲反対派の責任は1層重い。それ故にまた、では改憲を争点としていかに安倍を打ち返すか、が実践的な問題となる。広範な人々に訴えを届けるための、多くの人々の現実と具体的に切り結ぶ形での問題提起が問われる。
 その第1の出発点こそ先に見た安倍と人々とのズレだ、と私は考える。安部の改憲争点化が人々の切実な生活要求の切り捨て、あるいはそこへの敵対であることを再度強調したい。それは彼の改憲が国民を至上のものとしていないことを、あるいは国民の上に国家を置く発想を、事実をもって示しているのであり、安部の改憲前のめりに対して広範な人々が現に抱いている違和感はそれ故、彼の改憲の反民衆的本質、反民主主義の本質に迫る糸口となり得るのだ。
 この違和感を踏み台として、安倍の、自民党の改憲理念に込められた反民衆的性格に人々の注意を高め、彼らの手による改憲発議など認めない、との気運の高まりにつなげてゆく闘いを追求しよう。狙いの中心が9条にあることが明らかな改憲は、軍事を政治の優先的事項へと公然と押し上げることを、そのことへの法的縛りを解くことを意味する。そしてそのような政治の展開は、沖縄の名護における強引な米軍基地計画をめぐる防衛省の行動に、環境影響評価法をためらいもなく足蹴にし、住民抑圧のために自衛艦を出動させた行動に、既に姿を現している。その意味で改憲が引き放つ展開は、米軍の圧倒的な存在を含め、沖縄の現在が先端的に示している。あるいは、イラクにおいて航空自衛隊は、イラクの民衆を抑圧する米軍の行動の1部を既に事実上担っている。これらの事実を通して、人々の改憲に対する違和感を、改憲と民衆の敵対関係に対する確かな理解へと、あるいは少なくとも疑いへと変えていかなければならない。
 そしてそのような闘いの結論として、自・公与党への不信任、共・社・護憲派候補への投票を呼びかけよう。
 より具体的には我々は全国の同志、友人諸氏に、比例区は山内徳信候補、沖縄は糸数慶子候補、東京は川田龍平候補の当選を勝ち取るために力を尽くし、支持拡大に役立つ可能な協力を集中することを呼びかける。(6月5日)

参議院各政党別議席数

│政党名 │改選議席数 │非改憲議席数 ││現有議席合計 │
│自民党 │            63 │            49 ││ 112 │
│公明党 │            13 │            11 ││  24 │
    与党計│            76 │            60 ││ 136 │
│民主党 │            31 │            49 ││  80 │
│共産党 │             5 │             4 ││   9 │
│社民党 │             3 │             3 ││   6 │
│国民新党 │          2 │              2 ││   4 │
│新党日本 │          0 │             1 ││   1 │
│無所属 │             2 │             2 ││   4 │
│総計    │           119 │           121 ││ 240 │
│          │         欠員2 │          欠員0 ││欠員2 │


*なお、改憲反対運動の中で特に現在検討が必要と思われる観点を、別稿で2面に掲載した。
 

改憲問題への視点
      グローバリゼーション下の改憲

             
寺中徹
 多くの国民は明らかに、政治の表面に浮上した今の改憲への傾斜に違和感を示している。この違和感を承知の上で、例えば日本経団連の改憲路線が示すように、日本支配層主流を占めるかなりの部分が何故今改憲にひた走るのかという問題は、現在の改憲問題の性格を考える上で重要な意味をもっている、と私は考える。彼らの大勢はかつては、この問題から慎重に身を引いていたのだ。この変化に表現される現在の改憲には明らかに、機会便乗的「復古派右翼の大願成就」といったものをはるかに越えたものがある、と言わなければならない。それはまた、日本民衆の多くが1定の迷いを抱きつつも、このような支配層の動きに何故明確な反対を示さないのかという問題と重なっている、と私は考える。そうであればそれは、今後の改憲反対の運動に民衆的な確固とした足場を改めて確立し、改憲策動を大衆的に覆す上で避けては通れない問題となる。

どのような世界で生きるのか―改憲が問う選択

 この問題を考える手掛かりは、改憲の眼目が9条にあることを殆ど誰もが、民衆もさらに改憲を意図する者も、当然のように暗黙の内に認めていることにある。そしてこの9条問題が、日本一国の「防衛」というような、色々並べ立てたところで結局は現実感の薄いある種形式的な問題ではなく、日米同盟の今後のあり方として生々しく提起されていることも、おそらく誰もが了解している。
 このように提起された問題は煎じ詰めれば、今後日本がどのような世界で生きていこうとするのかの、現実世界における具体的な選択の問題となる、と言ってよい。現在の9条改憲に込められた問題とはそのような問題なのであり、それ故にまた、アメリカとの「価値の共有」などということが語られる1方で、米軍再編や実体的には米軍を対象とした集団的自衛権容認に向けた実際的準備が、同時並行的に進行させられている。
 しかも多くの人々にとって上述した問題の性格は、実は何の秘密でもない。そしてなおその上で人々は、そのいわば世界の選択が日々の生活の立て方、その将来展望と密接不可分であることを、ある種体感として認識している。この現実を直視するならばそれ故、誤解を恐れず敢えて言えば、上のように提起されている日米同盟問題とは、将来という響きを1定程度もつ平和と戦争の問題というよりは、現実にはむしろ、人々の今と今後に続く生活の問題として強く意識されている、と私は考える。その意味で、9条改憲に対する人々の反対のこの間進行してきた弱まりは、問われている問題の意味を知るが故の、いわば生活と一体化したその重みの故と理解すべきだと考える。
 我々の日々の生活は現実に今や世界とまさに一体的に結びついている。日本の生産と消費は、世界との緊密なつながりなしにはもはやあり得ない。そしてそのつながりの中心に、アメリカが巨大な存在感をもってあり続けてきたことは、紛れもない事実だった。この現実が、多くの人々の9条改憲に対する、その中核をなす日米同盟関係の深まる緊密化に対する動揺的な立ち位置、半ば容認半ば迷いの根底にある。
 そうであればこの現実を直視し、その上に立って、人々の生活の立て方に、世界との関わり方の問題としてどのような見通しを開くのか、戦後長らく当たり前のように続いてきたアメリカを不動の中心とした世界とは違う見通しをどう立てるのか、この点への回答が問題となる。そしてそこに挑戦しない限り、今浮上している9条改憲の阻止に向けた人々の真に力強い結集は不可能だ、と私は考える。この回答こそ、反改憲勢力に求められている中心的な挑戦、と言うべきだろう。

新自由主義グローバリズムの選択

 この点に対する回答に挑戦しようとする場合、9条問題の今の、従来とは異なる生々しい現れ方の背景にある2つの現実が重要な意味をもつ、と思われる。1つは、日本資本主義の成長のあり方における大転換であり、もう1つは、アメリカの力の弱体化、いわゆるパックスアメリカーナの歴史的な動揺である。
 第1点について図式的に言えば、国内を主要な基盤としたかつての内包的成長の行き詰まりとその放棄、そして多国籍大独占資本を主体として主要に世界市場で稼ぐ成長への転換、と要約できる。その姿は今、日本資本主義の屋台骨を支える自動車産業の現実に端的に見ることができる。この産業部門は今、国内販売では低迷を続けながら、海外での生産と販売を支えとして高収益を謳歌している。このような成長サイクルが基本となれば、資本の稼ぐ利潤が国内投資に回る流れは極めて限定的となる。雇用は必然的に縮小し、かつその質も劣化する。そしてなおのこと、資本はより多く利潤が期待できる国外に流れて行く。「勝ち組み」産業が好況に沸き、総計としてのGDPや資本収益がいかに高まろうとも、我々一般民衆の生活にはその実感が少しも届かず、むしろ生活の窮迫が進むという現実は、まさに上に見た成長サイクルの必然的結果なのだ。その意味で、安倍・中川(秀直)の成長主導の「上げ潮路線」、しずくが滴り落ちる(「トリクルダウン」)形での底上げ、などの言い草はまさに大嘘である。まさしく、元世銀副総裁のJ・スティグリッツは、アメリカでトリクルダウンは起きなかった、多くの学者はトリクルダウンを幻想と見ている、と明言する(『朝日』4月7日付)。
 しかしいずれにしろこのような成長の転換は、資本活動の自由を世界のどこであれ可能とする世界市場秩序の安定を不可欠に必要とする。そして、このような安定を確保する基軸的な力はアメリカ以外に提供できない。アメリカに依存する同盟関係は先ずこの現実から必然となってきた。しかし今や、アメリカが単独でそのような役割を果す力を失っていることは明白だ。その逆転も殆どありそうにない。これが第2点目の現実であり、9条改憲はそれ故にこそ、そのような安定に対する日本国家の補完的な、しかし主体的な関与として、日米の支配層双方から要請される。
 このように見てくれば、現在問題となっている9条改憲に込められた選択とは、日本が生きようとする世界を、アメリカが主導するいわゆる新自由主義的なグローバリゼーションの世界として確定することだ、ということが明白となる。まさにそうであるが故に9条改憲を選択した日本経団連は、同時に、労働ビッグバンを強要し、国民の権利としての社会保障を「施し・恩恵」としての「救貧処置」に転換し、その1方で法人税減税を始めとする資本優遇を基本的な基準に仕立て上げようと、執拗に画策している。
 こうして9条改憲問題とは日本民衆にとって、そのような選択が、あるいは生きる世界をそのように確定することが、望ましいのか否かを問う問題として提起されている。薄々であれ、そのことに人々が気付いていないわけではない、と私は考える。

9条改憲は未来を閉ざす

 その選択はまさしく全く望ましくない。そしてそのことも、多くの人々に日を追って明らかになろうとしている。
 何よりも、新自由主義的グローバリゼーションの現実が多数の民衆にとって、生活の脅威以外の何物でもなくなっている。限られたよほどの特権層以外、こんな現実など誰も望まない。
 そして他方で、新自由主義的グローバリゼーションの世界の持続不可能性は、人々の前に益々否定し難く立ち現れつつある。その世界に対する世界の民衆の反抗が高まる1方で、アメリカの秩序維持能力の無力さと無意味さは、例えばイラクの悲惨極まる現実によって、誰の目にも焼き付けられるに至った。その上、アメリカがイラクで僅かの期間の内に泥沼にはまり込んだという事実は、両国の様々な側面における圧倒的な力の差を前提としたとき、アメリカの能力の限界が歴史的な意味をもつ深刻なものであることを人々に印象付ける。そして、これもまた誰もが実感せざるを得ない地球環境の危機は、アメリカ主導の世界に対するもう1つの決定的な停止信号と言わなければならない。
 9条改憲に対する疑念は、人々の中で、さらにいわゆる論壇の中でも少しづつ膨らみつつあるように見える。かつては改憲派と見られた論者、あるいは発言を控えていた論者が、9条改憲という選択に疑念を明らかにし始めている。その理由の1端にはおそらく、上述した世界の現実が、従って9条改憲が確定することになる道行きの危うさに対する否定し難い感覚が、無言の内に影を落としていると思われる。
 我々はまさに、新自由主義的グローバリゼーションの世界とは明確に異なる、もう1つの平等で、それ故連帯できる共生の世界を切実に必要としている。確かにそれは、人々の前に明確なものとしてまだ姿を見せてはいない。しかしそれは何としても手繰り寄せなければならないものであり、その要求は日を追って現実味を帯びるだろう。そして9条はその点において、その要求を遮らないものとして、あるいは未来を閉ざさず、さらにそこに向かう足場としての豊かな可能性を提供するものとして、その存在の意味が改めて現れてくることになる。9条の存在によってはじめて、もう1つの可能性への扉が残されるのだ。
 逆に9条改憲は、新しい世界を引き寄せる可能性を完全に断ち切り、日本の民衆を、新自由主義的グローバリゼーションの世界という絶望的な袋小路の中に縛り付けることになる。9条改憲は未来に向け選択肢を決定的に狭め、逆に9条改憲の阻止はその幅を広く保つ。その関係は、アジアとの関係ではまさに直接的である。
 反改憲勢力は9条問題を、このような今現在の生々しい世界の選択の問題として正面から人々に問い、そこでの模索を共にすることを呼びかけなければならない。それこそが人々が心の奥底で感じている核心的な問題に応える道であり、そしてそれこそが、改憲派が実は応えることのできない彼らの致命的な弱点なのだ、と私は考える。
 
    フランス
サルコジ選出に対するオリビエ・ブザンスノーの声明

 

 ニコラ・サルコジは約53%の得票で共和国の大統領に選任されたばかりだ。彼と共には、政府部内のMEDEF(仏最大の経営者団体)の計画がある。
 諸会社と金満家たちへの新たな税の贈り物、公共サービスの新たな私有化、「サン・パピエ(無資格移民労働者)」の子供たちの狩りだし、期間の定めのない労働契約やストライキの権利のような根本的な社会的民主的権利への挑戦が、共和国の新大統領の予定表に乗っている。
 今夕、UMP政府は、再び中心的政治権力を握った。今回の選挙運動で使われた大衆迎合的な扇動は、反社会的で圧迫的そして反民主的な処置に至るであろうし、それは疑いもなく極めて広範な抵抗と闘争を引き起こすだろう。
 LCRは、こうした行動を作り出そうと、今や、その力を集中しようとしている。それは、すべての社会的で民主的な諸勢力の統合した戦線が即座に作り出され、サルコジの極度の新自由主義と抑圧的計画に直面する対応を組織することを提案するのである。LCRは今日以降、こうした方向で出来うるすべてを率先する。
 社会・自由主義左翼は最後までバイルのUDFとの同盟を為すことを追求したのだが、堅い権威主義の右翼に抗するにはあまり効果的ではなかったことも示された。
 右に向いた開放は、ただ、伝達を混乱させただけである。国民の諸階級の多くは、方向性を失い、変化を探し求めていた。セゴレーヌ・ロワイヤルは、変化への希望の風に、いかに乗るかを知らなかった。これが彼女の敗北の理由である。
 闘争や投票箱において右翼とMEDEFに対して勝利することを可能とするためには、今まで以上の反資本主義勢力を、労働の現場、公共サービスそして大衆的地域に埋め込んで築くことが求められている。
 これがオリヴィエ・ブザンスノーとLCRが、反資本主義勢力を社会党の主導から、独立的に呼び集めるために、いかに持続しようとしているかの声明である。
 われわれは、これを基礎に議会選挙に立ち、緊急の社会的で民主的な要求を掲げる。

 デンマーク・赤―緑連合大会
左翼において選択すべきもの

            
フランソワ・デュバル
 5月始め、赤―緑連合は、4000人のメンバーを持ち、実際にデンマーク人の急進的で反資本主義左翼のすべての流れを含む組織であるが、その年次大会を開催した。
 その討論はどちらかといえば、ヨーロッパの急進左翼を貫いて行われているものと類似している。自由主義攻勢への抵抗の組織化、資産の分配、社会民主主義への連携、政府への参加問題、ブラッセル・ヨーロッパへの抵抗闘争、売春の廃止。
 そして、イスラム・ベールについての討論さえあった。代議員のあるものたちが、次の立法議会選挙のための候補者として、ハイジャブを着た1人のメンバーを選び出すコンテストを行ったのだ。
 ヨーロッパ建設に関連するいくつかのスローガンが、活発な討論を引き起こした。新しい、若いメンバーたちが、ヨーロッパ連合からのデンマークの脱退を目指す要求を通すことを望んだのだ。ヨーロッパ連合こそ、「連合」がその存在を通じて掲げてきたものなのである。この点に関して、大会は旧来からの接し方を確認した。
 社会民主主義が政権に復帰するという展望と共に、「政府問題」に関して、結論は、まず第1に、「連合」によって守られてきた計画の継続を採用した。社会の商品化に抗し、NATOとアメリカ帝国主義に抗し、移民の権利のため、資産の平等な配分のため、などの闘いである。それは、さらに進んで、これらの諸課題に関して、社会民主党と「ブルジョア」諸政党は、本質において同じ政策の防衛者であると言及した。
 このように、政策的破綻を代表するであろう政府のための条件は存在しないこと、そして「連合の政治的誠実は、いかなる政府のためではなく、まず始めに労働者階級の利害の防衛のために闘かわなければならない」と結論づけられた。
 政府機構の中に存在することを基盤とする取り引きや同意ではなく、議会を越えた運動や動員との結びつきに基盤をおくことが強調された。こうした方向性は、社会民主党らに引き入れられる政府への参加と対照にある。そうした政府は、反資本主義を「政府の政策のために結ばれる責任」へと導き、こうして左翼と右翼との違いをぼやけさせてしまうのである。こうしたことへの対抗として、「連合」は、「社会民主主義政権の下でさえも、左翼における新たな選択肢」であるという位置を再確認した。
 
フランソワ・デュバルはLCR(第4インターナショナルフランス支部)の指導的メンバーの1人である。
(IV電子版5月号)
パキスタン
ファルーク・タリク逮捕さる

         パキスタン労働党からの手紙

 パキスタン労働党の総書記、同志ファルーク・タリクは、ラホールの事務所において、5月4日午後1時半、パンジャブ警察の重装備隊によって逮捕された。彼はラホールのガルヒ・シャフ警察署に連行され。そこで留置されている。

 ファルーク・タリクとパキスタン労働党が、最高裁長官、イフテカー・モハメド・チャウドリーの復職のために進められている運動の先頭に立ってきたと言われるかもしれない。ファルーク・タリクは、最高裁長官に敬意を表す翌日の歓迎式典を組織する主導的活動家たちの1人だった。
 ファルーク・タリクは、日刊ジャングで、逮捕される可能性のある人々のリストについてニュースが流されたので、逮捕の可能性について自覚した。逮捕の可能性のある人々のリストに彼の名前があることについて、彼が警察と連絡したときには、警察官はニュースが正しいことを否定した。それでファルークは安心し、そして党事務所で通常業務をしていた。だが突然、警察の車が午後1時半に事務所に到着し、そして制服の男たちが事務所に突入し、彼を逮捕した。
 パキスタン労働党は、逮捕の目的を、LPP(パキスタン労働党―訳注)の異議申し立ての民主的権利の行使を停止させるためと考える。われわれは彼の不法な逮捕を厳しくとがめ、そして即時の釈放を求める。
 ファルーク・タリク逮捕に関する最新の情報を伝える。(IV電子版5月号)
 
パキスタンで大衆運動が爆発
どこからともなく、至る所へ

               
ファルーク・タリク
 2007年3月の第8日において、パキスタンの誰も、ムシャラフ将軍体制を転覆する可能性をもった大衆運動が近い将来に噴出すると考えてはいなかった。1日後の3月の9日目、彼はパキスタン最高裁の長官を停職にした。彼は何事も起こらず、仕事は通常通り進むと思い違いしていた。彼は過去においてそうして成功した。
 しかし今回は違った。停職の直後、8万の力強い法律家勝手連の集団が決定反対の扇動を開始した。
 
全土で政治ストライキ

 この興奮の頂点は2007年5月の14日目だった。ムシャラフ将軍が1999年11月に権力を獲得した以降始めて、全パキスタンが休業した。それは7年間における最初の政治的ストライキだった。
 そのことはまた、宗教原理主義勢力に主導されない、始めての政治的ストライキでもあったのだ。
 5月14日、パキスタンは軍事独裁とMQM(統1国民運動)、ムシャラフ将軍と共に権力を分かち合う党、のやくざどもに抗して統一した。カラチからペシャワルへ、すべての商店が閉鎖し、そして路上にはほとんど交通がなかった。ラホールでは3月9日以降、今までで最大のデモが、中心となるモール通りにて、ラホール最高裁判所から政府庁舎へむけて行われた。1万5千以上が参加した。
 ストライキは堅固なもので、軍の諸体制に提携している労働者でさえもストに入った。極度の怒りが燃え上がった。5月12日、カラチで長官イフティカー・モハメドの歓迎に行った40人以上の政治的活動家たちが殺されたことへの抗議である。200人以上がMQMの暴漢どもからの直接銃火によって傷ついた。彼らは、カラチでの激励には我慢しないと言明していたのである。
 「カラチはわれわれのものだ。そしてわれわれは、長官問題を政治化しようとする諸政党を好まない」とファルーク・サッター、MQMの議会の親玉は、1日前に宣言したのだ。カラチは親ファシスト組織の統制下にあるが、彼ら自身はウルデュ語を話す、1947年の移民に基礎を置いている。彼らは、パキスタンの最大の都市から、地方の主要部および地方的、国家的議席を制御している。

カラチの虐殺とその余波

 5月12日は、カラチにおいて、無実の市民たちやさまざまの反対政党の政治活動家たちのじかの殺害という最悪の事態が目撃された。シャライ・ファサルと結ぶすべての街路、空港に向かう主要道路は大きなコンテナーやトラックでブロックされた。その目的は人々が主要道路に来るのを阻止することであった。
 空港に至る諸ルートにパキスタン労働党の活動家数百人がいたが、幸運にも誰も傷つかず、殺されもしなかった。彼らは傷ついた人々を病院に運んだ。LPP活動家たちのいくつかのバス荷物がMQMの悪漢どもによって奪われたが、彼らは銃を頭に押しつけて活動家たちを引っ張り込んだのである。
 「私は、アワミ・マルカズで、橋の柱の陰に隠れている。発砲があちらこちらからやられている。私の次に、血に覆われた5人が伏している。彼らは銃撃されたのだ。病院への救急車はない。私はずっと泣いていた。私は傷ついた者を助けることは出来なかったし、同様に撃たれたかもしれないのだ」と、アズラ・ペルヴィーン、パキスタン労働党の活動家、は5月12日午後2時、電話で私に伝えた。われわれは報道者と救急車を送ろうと努力したが、誰もその場所に行く用意はなかった。傷ついた者達が病院に急送されたのは、結局2時間後であった。
 悲しいことに、彼らのうちの3人が後で死んだ。アズラはこの3日間ショック状態を続けている。彼女は至る所で血を見てきたのである。
 民間テレビ、アアジが悪漢どもの銃撃の生放送を試みた。それで、そこにいた擬似ファシストグループは6時間以上にわたってテレビ局を銃撃したのだ。
 地方警察と特別機動隊は反対者を「処理する」自由手段を与えられていた。
 長官はカラチ空港に25人の支持者たちと共に封じ込められた。彼らは9時間、空港に留め置かれた。国家官僚どもは、ヘリコプターで彼がシンド・ハイ・法廷ビルディングに行き、シンド・ハイ・法廷弁護士協会に会うことを望んだ。これは外部の主要道路での民衆の歓迎を避けるためである。彼はヘリコプターで行くことを拒んだ。
 長官が空港に留められている間、MQMの私的軍隊は長官を受け入れ歓迎しようと入ってくる人々すべてに銃撃を加えた。こうして、銃撃劇は14時間以上続き、真夜中までに40人を越す死者という結果となった。
 5月12日の出来事の後、MQMは、統一もなく国民的でもない。パンジャブにおいてMQMから多くの人々が脱退しつつあり、そしてカラチはおよそ20年の後になって、MQMのための統一を止めた。
5月12日の同じ夜、保守的な「ムスリム同盟Q」が、イスラマバードで、長官解職支持の「大衆」集会を計画していた。ムスリム同盟はムシャラフ将軍と共に政権にいた。集会は、長官への共感が成長し、軍事体制の終わりへの要求の成長に直面する何週間も以前に計画されたものだった。
 すべての国家従業員が集会参加を求められた。すべての衛生労働者が、参加を強いられた。ムスリム同盟は、この「歴史的」集会への参加者たちすべてに、無料の鉱水と食料を与え、200から500ルピー(3・5ドルから8・5ドル)を提供することを約束してきた。最後の2日間、この種の約束を怠ることが全国紙に印刷されたが、それらはいつもの苦情の種であった。すべての努力にも関わらず、2万人を越えない集会だった。それは集会ではなく、多くの人にはイスラマバードを見学する、お祭り的機会なのだ。
 この集会で演説してムシャラフは、カラチの人々が外に出ていると言って、MQMを賞賛した。そうだ、人々はムシャラフ将軍の支持者たちの銃弾で撃たれるために外出したのだ。
すべてが体制に反して進んだ。イスラマバードの集会は失敗だった。彼らが立てた長官歓迎阻止の戦略は、血まみれの結果となった。彼らは、軍事体制とMQMへの伝統的支持、中産階級の中の支持を失った。ラホールの480を越えるマーケットの代表者たちは、12日の閉店スト呼びかけを行い、そして実行した。それはムシャラフ体制の元の支持者たちによって主に宣言されたのである。 
何もないところから、そしてすべてへ

 法律家勝手連の運動は、2007年3月9日以降、パキスタンを貫く、諸弁護士協会によって始められた。パキスタンでは歴史的に、法律家勝手連がすべての民主的闘争の前線に立って来ている。彼らは、60年代でのアウブ・カーン将軍の独裁体制に抗した運動の主たる背後勢力だった。彼らはまた、80年代将軍ジアの独裁の間、運動を生き続けさせることを代表した。彼らのあるものは、ムシャラフ将軍の軍事体制と協力してきた。彼らのあるものは、体制の性格について幻想を抱いたのである。彼らは、前向きの軍事体制であるかもしれないと思ったのだ。しかし、すべては風と共に去った。
 運動は何もないところから、すべてへと拡大した。すべて、である。民衆はそのことを話している。彼らは、流血にすごく怒っている。彼らは、みんな、競合する民間テレビチャンネルの生放映でそれを見たのだ。ほとんどの人は、即座の情報を仕入れる手助けとなった携帯電話を所有しているのだ。
 運動の最初の60日間、主には法律家勝手連による、無数のハンガーストライキ場、抗議の場、そして大小のデモがあった。運動はゆっくりだが確実に作り上げられた。法律家勝手連の抗議にある1貫性が、多くのパキスタンの普通人たちに、運動への注目を固めたのだ。
 パキスタンでの軍事体制を終わらせる運動は、鎮圧の第2段階を迎えている。最初の鎮圧段階は、3月9日の直後、運動の最初の週での法律家勝手連への抑圧であった。多くの法律家勝手連が警察によってたたき回され、そして多くが逮捕された。それは功を奏さなかった。
 そこで体制の戦略は、運動を野放しにすることによって、疲れさせることとなった。彼らはデモを自由にした。そのことは政党の活動家を含むより多くの人々を運動に加わらせた。政党は、主にはムスリム同盟(Nawaz)、人民党、アワミ・ジャムフール・テリークと結ぶ諸政党、左翼連合、それにはパキスタン労働党、アワミ国民党、国民党、バルチスタン国民党、MMA、宗教的同盟、その他、である。
 鎮圧の第2段階は、5月4日に始まった。今回は主に政治活動家たちに向けられている。私もまた、5月4日から7日までの3日間、ラホール警察に勾留された。これは、政治活動家たちが、5月5日のラホール高等法廷弁護士協会に出席する予定の長官を歓迎することを仕掛けることを止めさせるためだった。彼はイスラマバードからラホールに、通常の5時間ではなく25時間かかって到着した。これは、主要なGT道路での、長官歓迎の大衆的な人出が原因だった。
 パキスタン労働党は3月9日の直後、運動の潜在的可能性を見た。まさに最初から運動の1部を成したのである。「法律家勝手連の足跡の上で、独裁の終わりまで」のポスターは、法律家勝手連の間の適時のポスターとなった。リーフレットを数千部印刷し、運動への参加を呼びかけるために住民集団に配布した。公的顔合わせや集会を組織し、人々を運動の1部にしようとした。
 
体制は疲れ切った

 運動を主導してきた、このパキスタン最高裁長官とは何者なのか?長官であるイフティカー・チャウドリーは、体制を支えることを手助けした他の判事の例外ではなかった。しかし役職にある2年間に、彼は、人権侵害にかかりやすい普通のパキスタン人たちに関して、多くの「告発尊重」通知を行った。彼はとりわけ、強姦や、保守的、反動的な習慣的風習の犠牲となった女性たちを助けた。
 彼はまた、カラチのパキスタン製鉄工業民有化手続きの諸々の不法を警告した。彼は実際、パキスタンのこの巨大な工業的部分の民営化を阻止したのだ。他の方面では、彼はまた、労働組合の権利などに対抗する決定を行ったし、公的部門のいくつかのストライキを禁じた。
 それで、彼はパキスタンの普通人たちの、価値あるヒーローではなかったのだが、しかし時には助けを行う人物であった。彼は、3月9日、5人の軍隊将軍のいる軍施設にムシャラフ将軍によって呼ばれた時、辞任を拒否したことで尊敬を獲得した。軍の将軍たちは、即座に彼を解職し、軟禁した。このことは、法律家勝手連の間の途方もない怒りとなった。彼らはこの行為を司法制度に対する攻撃と規定したのだ。
 日ごとに、運動に大衆的弾みがついてきている。これは、早すぎる速度での新自由主義操作実行のためである。民営化、規制解除、いわゆる市場自由化政策は、以前には見たこともない水準で物価が日ごとに値上がりすることを意味した。民衆は体制にうんざりしたが、しかし主な諸政党への信頼もなかった。そのように、政党は怒っていたが、運動の部分ではなかった。
 宗教原理主義のMMA、彼らは街頭での力を発揮したが、これを体制からの譲歩をさらに引き出すために使用した。北西部辺境地帯(NWFP)の権力や他の地域、バルチスタンの権力介入が含まれていた。しかし彼らは、権力が厄介な事態となれば、いつでもそれを救うために現れた。
 今、宗教原理主義者たちは、運動のハイジャックを望みつつ、運動の後をつけている。彼らは法律家勝手連を援助しているが、信頼は出来ない。彼らはいつでも軍事体制と共に歩めるのである。
 パキスタン人民党は一切信頼に値しない。ベナジル・ブットーは先月、人民党は軍事体制と接触を持ち、大統領のムシャラフ将軍と権力を分かち合う用意があることを認めた。これは法律家勝手連の間に巨大な怒りを発火させた。彼ら、法律家勝手連は、主要にPPP(パキスタン人民党―訳注)の取り巻きに導かれきた。しかしPPPとの取引きは、運動の熱気の中で溶けて、なくなった。ベナジルはもはや、彼女がムシャラフ将軍と権力を分け合いたいとは言わない。
 法律家勝手連の運動は主に、若い世代によって引っ張られている。彼らの最初の経験であるが、水準を達している。彼らは先輩たちの、ゆっくり行けとの助言で行動するつもりはない。それが運動の強さなのだ。
 いかに、いつ、ムシャラフが降りるのか、誰が引き継ぐのか、別の将軍が総選挙を行うのか、それとも暫定的な連合政権か、これらは運動の中で討論されているいくつかの問題である。1つだけは絶対的に確実である。すなわちムシャラフが、以前には見ることがなかったほどに弱っていることである。彼は自らが計画してきたほど長くは持ちこたえられない。多くが日にちを数え始めている。彼は疲れ切った将軍なのだ。

(注)ファルーク・タリクはパキスタン労働党の総書記である。(IV電子版5月号)
 
 
 
 
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