2007年7月10日        労働者の力             第 208号

再度訴える
参院選を安倍政権に対する怒りの一票一揆に!

寺中徹

   
 6月30日、久間防衛相は、広島、長崎への米軍の原爆投下を、「私」はしょうがなかったと「思っている」、と言い放った。同日安倍はこの暴言に対して、「米軍の考え方を紹介したと承知」などと事実を捻じ曲げてコメントし、問題とするに値しない、との姿勢を何ら隠さなかった。民衆の運命など知ったことか、というこの首相とこの政権の体質は、ここに凝縮してさらけ出された。
 被爆者は無論のこと、広範な怒りが当然湧き上がっている。この後に及んで政権は慌てて火消しに走った。当初は開き直っていた久間は長崎の自民党集会で「陳謝」し、安倍は7月2日になって、久間に「厳重注意」なるものを与えた。「陳謝」の相手をそもそも根本的に取り違えている久間も含め、この政権の対応自体がさらに、この政権の関心が徹頭徹尾彼らの権力の行方でしかないことを、駄目押し的に浮かび上がらせている。久間は7月3日になって辞任したが、上に見た経過はもはや消せない。
 多くの人々にとってこの政権は本当に、百害あって1利なし、である。安倍不信任は、一層必要不可欠なものとなった。そしてこの政権からの人々の離反が明確となっている今、今参院選を安部政権追放のための民衆的決起の場とすることは、何としても実現しなければならないものとなった。

政策的行き詰まり


 この1ヶ月は、安部政権の行き詰まりをこの上なく明らかにする1ヶ月だった。
 沖縄の集団自決に関する教科書書換え検定には、沖縄の全市町村議会と沖縄県議会から怒りを込めた撤回意見書が突き付けられた。名護の新基地建設に対する自衛隊の動員というある種の挑発をも含め、沖縄は民衆的怒りの中にある。この状況の下、名護の新基地建設の行方は、政権にとってなお見えない。地元住民を先頭に沖縄県民は今も抵抗の手を緩めていない。
 従軍慰安婦問題に関する安部当人の暴言に端を発したアメリカ議会の不信の高まりは、安部支持派国会議員と言論人によるワシントンポスト紙への意見広告という愚行を挟んで、日本政府による曖昧さを残さない謝罪を求める決議の、アメリカ下院外交委員会採択へと至った。この採択は殆ど満場一致と言える超党派的採択であり、本決議の7月中の、即ち参院選挙前の本会議採択もあり得ると予想されている。日本外務省は、せめて参院選後への採択引き延ばしを必死で工作していると思われる。しかしその手前勝手な空しい願いは届くだろうか。先の意見広告には、彼らが頼りとすがるチェイニーすらもが激怒したと伝えられている。
 一方で、この政権の看板だった「北朝鮮」政策に関しては、彼らには打つ手がなくなろうとしている。日本を置き去りに、米朝は関係修復に向けた布石を着々と打ちつつあり、中国、韓国、ロシアはそれを積極的に援護している。この全体的構図の中に、「北朝鮮」敵視1本槍の安部政権に出る幕はない。
 そして年金問題。前回参院選前から大問題となってきたこの問題は、手軽に先の見える問題では到底ない。社会全体から見た資金の割り振りから始まって、結局はこの社会をどのようなものとして構想するかという問題と深く関わっている。そのような性格の問題にこの政権は今国会を前に、社会保険庁の解体という、筋を完全に外した、しかも目的に全くふさわしくない目くらましで対応しようと臨んできた。しかもこのような的の外れた方策の狙いは、社会保険庁の労組(自治労)を叩くことで参院選を有利にしようという、実に浅はかで姑息なものだった。圧倒的多数の民衆にとって本当に切実な老後の生活保障に対するまなざしは、微塵もここにはない。「消えた年金」に端を発したこの1ヶ月の安部政権のどたばたは、まさにそこからいわば必然として始まっているのだ。まさにそれ故に、手を打てば打つほどぼろが出た。
 そもそも今大問題となっている「消えた年金」、年金記録漏れ問題は、政府・厚労省(旧厚生省)がとうに承知し、挙げて隠し放置してきた問題だった。そしてそれは、後追い的に付け足し的に組み上げられた複雑な制度設計と、これまたその場しのぎ的に改変されてきた記録管理システムが作り出したものだったのだ。そこに一般労働者の責任など全くない。責任を負うべき者は、そのような急場しのぎのシステムを積み上げ、積み上げの度に膨れ上がる業務量に応じた要員を何ら用意することなく、漫然と机上の計画をいじりまわしてきた厚労省エリートと政府であることは余りに明らかだ。
 彼らにとって年金記録漏れはどうしても隠さなければならないものだった。既に小泉時代、100年安心などとの打ち出しで、財源をケチりにケチりつつ現役世代所得の50%支給保障という、外見だけを装ったガラス細工のような虚構的「年金改革」を彼らは強行していた。この改革のいかさまさには当時から、そして今も多方面から批判が浴びせられている。それだけに年金記録漏れの発覚は、先の虚構を根元から崩壊させるのだ。
 このような大きな問題に安部は、いとも安易に臨み、それ故にこそ火傷を負っている。その恨みを、社会保険庁の一般労働者の「働きの悪さ」への、デマに満ちた責任転嫁で晴らそうとする安部の見苦しさこそを、我々は厳しく断罪しなければならない。民間であれば保険料徴収率を高められる、などと自慢げに語る安部のテレビ放映は、年金問題をこの首相がそもそも全く分かっていないことを、むしろ赤裸々にさらけ出した。
 他方で現実の社会では、医療の崩壊的事態が日々進み、介護労働者の過酷な日常に背負わされた市場化された介護事業の矛盾も、担い手の確保すらおぼつかなくなっているという形で、もはや隠しおおせないものとなっている。コムスンの不正は、その最も醜悪な露出に過ぎない。さらに産業の劣化はその進行をさらに加速させ、安全や品質に関わる問題の噴出はもはや日常的になっている。これら待ったなしとなっている諸問題に対して、安部政権は何か真剣な実のある対応を示しただろうか。
その上、国会閉会後、安部は突如、消費税引上げをにおわせたのだ。

姿を見せた改憲の正体

 そしてそれらの上に常軌を逸した国会運営が乗っている。この政権は今通常国会でなんと19回もの「不正常採択」を強行し、その半分以上がここ1ヶ月で連発された。それら全てが「官邸の意向」の押付けであり、その目的は参院選向けの「実績」づくり、と報じられている。政策の中身よりも、法案を成立させた、あるいは手を打ったという「形」が大事だというこの「実績」観には恐れ入るが、そもそもその「実績」は誰に意味があるのかが問われなければならない。
 委員会採択を省略するという異常な形で強行された徹夜国会による公務員制度改悪法案参院本会議採択の後、安部は、国民に必要なことをやり遂げた、などとうそぶいた。異常であれ、強行であれ、国民のためのことだと言うのだ。しかしそのようにして打たれた手が人々の必要とは何の関わりもないことは、民衆がとうに見抜いている。7月2日付毎日新聞は同紙世論調査結果として、年金記録漏れ問題に対する政府・与党の取り組みについて、評価する32%、評価しない63%、公務員制度改革法案で天下りが解決するかについて、そう思う26%、思わない68%、と報じた(6月30日、7月1日調査)。安部やその周辺がどのように強弁しようとも、彼らが誇示しようとする「実績」が、単に彼らの権力を守ることにしか奉仕しないことは、既に半ばあらわとなっている。我々に問われることは、この真実を事実に即して容赦なく暴き出すことである。
 同時に、この1ヶ月安部が指揮した国会運営は、国会が事実上完全に行政権力に従属し、政府決定の単なる追認機関となったという、重大な政治の変質を指し示した。国権の最高機関は国会ではなく、事実上政府へと逆転された。そしてこの1ヶ月は、このような重大な政治の変質に、現行憲法の根底に関わる蹂躪に、安部とその周辺がいささかの躊躇も示さなかったということも明らかにした。その意味でこの1ヶ月は、国民主権を根底において否定する安部の国家観、従って彼の考える改憲方向、そして「戦後レジームからの脱却」の正体を、まさに事実をもって露出させた。

安部政権追放を、そして改憲阻止の力を

 安部への怒りが改憲に対する疑念と直接結びつく可能性が生まれている。この可能性を活かさなければならず、今参院選をその機会としなければならない。
 マスメディアが公表してきた世論調査は、この2ヶ月を通じた安部内閣支持率の急低落、不支持率の急上昇を共通して伝えている。その大きな要因は、多くのメディアが分析するように、おそらく間違いなく、年金問題に対する前述した安部政権の対応にある。しかしそれだけではなく、上に見てきたようなこの政権の根本的に反民衆的な正体の露呈が、そこに下支えとして作用していることもおそらく確実と思われる。支持率低下は既に政権発足後まもなくから始まっていたのであり、年金問題はいわば駄目押しである。
 そして人々は、この離反をさらに行動へと移そうとする意欲を明らかにし始めている。先の毎日新聞世論調査は、安部内閣不支持率上昇と、参院選への関心の上昇が平行して起きていることを示した。同調査ではまた、勝ってほしい政党は、との問いに、民主あるいは自民と答えた回答の差が、参院選に関心がある層では、前回(5月)より開いていることも示されている。つまりこの2つの結果を結びつければ、自民党に反対投票する、との意思を導きとした参院選への積極性の高まり、と言ってよい。こうして目前の参院選は人々に、政策変更に向けた効力ある直接的圧力行使としての反自民投票、を明解な実践上の集約点として、具体的な行動の場として意識され始めた、と思われる。
 ここに意識されている政策変更の願いの1部には、おそらく確実に、改憲の動きに少なくともブレーキをかけたい、との思いも潜んでいると見ていいだろう。例えば現に、安部の正体露呈が進むことと歩を合わせるように、9条改憲への反対も、じりじりと拡大している。
 安部への怒りの高まりを、そして垣間見え始めた政治的積極性の高まりを、改憲阻止の民衆的流れへと高める具体的な闘いが求められる。今参院選においてそれは、先ず何よりも、改憲阻止の説得力ある訴えを中心に、反改憲派議員の1人でも多い当選につなげる闘いとなる。そのための具体的素材は既に安部自身によって用意されている。同時に我々は、1人区の多くでは、改憲阻止の働きかけを基軸に据えつつ、与党を敗北させるための現実的選択に踏みだそうとしている多くの人々との、結果に結び付く協力も惜しむべきではないだろう。安部追放を導きとして人々の中に高まり始めた政治的積極性は、今後の改憲阻止の闘いにとって必要不可欠な基礎であり、それ故それは、結果によって報われることを通してより確実なものとされなけばならないからだ。
 いずれにしろ安部不信任の実現は、民衆が自身の手でもぎ取る勝利となる。例え形の上で、例えば民主党が勝者となるとしても、その「勝利」は、彼らの統制不可能な民衆のエネルギーに支えられてしかあり得ないのだ。この新たに生まれる矛盾に満ちた空間こそ、次の段階の改憲阻止に向けた、そして左翼の再生に向けた豊かな土壌となるだろう。何としても安部不信任を人々と共に勝ち取ろう。

(6月7日)

東京選挙区・川田候補必勝に向けて
全都で草の根の訴え

 定員5人に現時点で19人の立候補予定、という激戦区東京。ここに、12年前19才で薬害エイズの責任追及の先頭に立ち、多くの人々の心を揺さぶった川田龍平さんが、無所属候補として敢然と挑戦している。薬害を起こさない監視態勢づくり、格差に苦しむ当事者の声を伝えること、9条を基礎とした非戦のアジア、タブーのない本質的環境政策づくり、これが彼の訴えの4本柱だ。
 選挙活動は文字通り草の根の自発性が支える。まさに手作り選挙だ。草の根のネットワークの広がりに沿って、彼は連日都内各地を駆け巡り、人々と膝を接するような訴えに精力を傾けている。
 反応は上々。街頭の訴えに足を止めて聞き入り、彼に握手を求めあるいは共にチラシを配る仲間と話し込み、頼まれれば何枚もチラシを持ち帰る人もまれではない。彼の誠実さと実直さが滲み出る宣伝活動は、確かに人を引きつけるものがある。
 また彼のいない街頭宣伝であっても、少なくとも筆者の経験の範囲では、人々は積極的な反応を見せている。ここ十数年街頭では殆どと言って良いほどあり得なかった30才前後の層からの積極的な反応が、度々あることも顕著な特徴。彼のいない中で、候補者を引き連れた民主党の宣伝と隣り合って展開された宣伝も経験したが、人々の注目度では決してひけを取らなかった。こうしてある地区では、今まで政治活動などとは接していなかった人達の、彼を囲む小規模な集まりの自発的な企画などという動きが、自然発生的に連鎖したりしている。
 巨大な動員型集会などはないが、従来とは1味違う運動が進行中だ。報道も注目し始め、彼の活動のTV取材も、筆者は1つの地区で2度(2局)直接経験した。
 運動は確かに無政府的とも言える。体系的な票の積み上げというような展開は十分ではないかもしれない。それでも彼の選挙戦は、反与党のうねりをこれまでとは異なる回路から呼び起こすという点で、有力な1翼を形成しているように見える。そして、東京における川田候補の当選は、おそらく確実に与党の1角を崩すことを意味する。
 この運動に馳せ参じている仲間達は、希望を胸にさらに闘いを進める。
 いよいよ本番。さらに支援を、勝利をもぎ取るために共に全力を。(K)
 
NTT反リストラ裁判 7・25判決を前にして
               原告団長 横澤 仁志

 2003年10月17日に提訴したNTT反リストラ裁判が、来る7月25日判決を迎えようとしている。
 思えば4年前、大量の50代中高年が独身寮に送り込まれたその異様な光景を我々は決して忘れまい。50代中高年が、猛暑の中汗だくになりながらBフレッツ≠ニ声を枯らすその姿は、今日も、そして明日も続く。かつて50代と言えば、ひとつの仕事の大成者として職場の尊敬を集めたものだ。「誰々さんを見ろ」「誰々さんのようにやらなければだめだ」・・それは職場の規範となり、若者の目標ともなってきた。そして労働者は、尊厳に満ちた引退を飾ったものである。それがどうだ。引退間際の労働者が、独楽鼠のように駆り立てられ、成果主義最低ランクの「ダメ人間」の烙印を押されて追い出されていっているではないか。我々の裁判は、人間の信頼関係を破壊し、職場を「猜疑心」と「拝金主義」のルツボと化そうとする巨大企業に対する中高年労働者の肉弾戦≠ノ他ならないのである。
 我々は、汗臭い中高年ばかりが毎日のように額を寄せ、加齢臭≠漂わせ、集まっては激論を交わし、時には互いに罵倒しあいながら、この配転は「見せしめ配転」であり、我々の働いているところは退職拒否者の「隔離職場」なのだという、言うなれば誰もが知っている事実を証明するために全身全霊を尽くしてきた。「当たり前のこと」を証明するのは、とても大変だ。この会社の社長から役員、管理者、裁判の弁護士、そしてNTTに働くすべての労働者まで、誰ひとりの例外もなく、この配転は「見せしめ配転」だと知っているのである。原告らの働く職場が、退職拒否者ばかりの「隔離職場」だと思わないものがどこにいようか。誰よりそのことを知り抜いているのは、首謀者である会社首脳自身なのである。言わばこの裁判は、敵も味方も分かりきっているこの事実をめぐって争われているのである。この事実を裁判官はどう判断するのか。この白を黒と判ずれば、裁判官は世間のもの笑いのたねになるであろう。去る3月29日、東京地裁民事19部の裁判官は、この愚を犯した。法衣を纏った権威が、実は巨大企業の単なるガードマンであったことを自ら暴露したのである。7月25日の判決にあたっては、裁判官が、このように愚かな前者の轍を踏むのかどうか、注視しなければならない。裁判所が、『法の番人』なのか、『企業の番人』なのかをはっきりと見極めなければならないのである。
思えば提訴以来3年9ヶ月、来る7月25日が1つの区切りではあるが、闘いはこれからである。企業リストラは今日も続き、かつてない格差社会を生み出している。単身赴任者、長距離通勤者、いじめられている中高年は世にあふれているではないか。リストラの罪過を告発し、労働者の「家族とともに暮らす権利」、企業の「家庭生活配慮義務」を当たり前の権利として確立するまで闘いは続く。1審判決に勝っても負けても、我々は判決後、NTT東日本本社に押しかけて不当配転撤回の行動を行う。我々は淡々と勝つまで「当たり前」を主張し続けるのみである。
(判決公判傍聴・東日本本社追及行動に結集を 7月25日午後1時東京地裁710号法廷)

護憲・反戦・反安保
      沖縄に連帯する東北集会を開催

【仙台】6月24日、仙台で表記集会が開催された。安倍政権の右翼反動路線と対決し、自公政治を打破し、「護憲・反戦・反安保」の闘いを沖縄と連帯して進めようとの趣旨で、東北全労協が呼びかけたもの。沖縄との連帯を象徴して、山内徳信さん、糸数慶子さんの後援会ポスターが会場を飾った。
 また東京から、「改憲に歯止めをかけ、9条がかかげる理念を世界に広げるために、東北の皆様と力を合わせていきたい」という川田龍平さん(薬害エイズ訴訟元原告)のメッセージが紹介され、大きな拍手が寄せられた。
 沖縄からは瑞慶覧長方さんが出席した。瑞慶覧さんは現在、山内徳信後援会の共同代表の1人として奮闘されている。沖縄社会大衆党の顧問である瑞慶覧さんと宮城の労働運動、市民運動との交流は「沖縄発全国キャラバン」(1996年)以来のことで、それ以降、瑞慶覧さんは何度か宮城・東北を訪れている。また宮城全労協なども沖縄を訪れ、親交を深めてきた。
 瑞慶覧さんは講演の大半を沖縄戦の体験談に割いた。沖縄戦での集団自決を歴史教科書から削除したことに対して、ご自身の体験を通し、事実と歴史に照らしてその誤りを明らかにするためだ。「沖縄県民はものすごい怒りを覚えた」。その大きさと深さは、県議会での与野党一致の抗議決議、すべての市町村議会での決議が物語っている。瑞慶覧さんは6月15日、抗議署名をたずさえ、東京派遣団の一員として文部科学省の担当官にせまった。その姿は各局のニュース等で放映された。
 奇しくも仙台集会の前日、23日、安倍首相は沖縄戦「慰霊の日」に初めて出席した。彼は教科書検定問題にはふれず、逃げるように沖縄を去った。この事態を河北新報は「歓迎されず、首相早々」「集団自決の軍関与削除、教科書検定へ県民怒り再燃」と報じた(24日付特集記事)ことも集会で紹介された。

胸に迫る沖縄戦体験講演

 「62年前、国民学校の6年生、13歳だった。1945年、昭和でいえば20年。昨日のように鮮烈に覚えている」。瑞慶覧さんは当時の記憶をたどり、最後の「崖」を下る瞬間までを口早に語り始めた。
国民学校になって教科書の内容が変わったこと。皇民化教育が子どもたちに浸透していったこと。ガダルカナルで戦死した与那国出身の大舛大尉を崇め、自分たちもこれに続けと教え込まれたこと。やがて学校は閉鎖され、学徒動員で陣地構築の作業にあたったこと、等々。
 「4月1日、米軍が上陸し、5月になると中部戦線もやられた。23日には私たちの住んでいた大里でも自分たちで壕を掘ることになった。那覇や首里などは前年に大空襲にあっていたので、都市の住民たちは田舎の親戚や知人を頼って避難していた。
 5家族、20名ほどが壕のなかにいた」。瑞慶覧さんたちはその日から6月20日まで、米軍の捕虜になることを避けながら各地を点々とした。艦砲射撃によって親族を失い、出会った日本兵からは食糧の入った背嚢を盗まれた。昼は隠れ、夜は「何千何万という死体の放つ悪臭のなかをヨモギ(フーチバ)を鼻につめて歩いた」。追いつめられた瑞慶覧さんたちは、「いまの摩文仁の平和記念堂、平和の礎の前まで行った。何度か捕虜になりかけて、行ったり引き返したりして6月20日になった」。
 「当時は神の国である、天皇の子である日本人が、鬼畜生である米軍に捕虜になることは最大の恥であった。そういう辱めを受けるよりは、潔く日本国民として、天皇の子として自分で死ぬのが最高の美学、美徳だと教えられていた。そうして軍から手榴弾を2個、渡されていた」。1個は米兵に対するもの、そして1個は自分たちに対するものだった。「自分たちをやる場合は、信管を抜くまでは同じだが、ポンと抜いたらみんなでこうして抱き合って、手榴弾を持っている人は自分の胸に当てて爆発させる。そうすると、5、6名は間違いなく自決できると。これはぜんぶ教えられている。それが当時の実態だった」。
 6月20日、1発も弾丸が飛ばない異様な朝、白い旗を持ったパンツだけの1人の男、沖縄の人がやってきた。「自分は米軍の捕虜だ、捕虜になっても心配ないから」と、彼は我々を助けようと説得した。「そのとき、岩に隠れていた日本兵3名が抜刀したまま飛び出してきて、スパイ野郎、売国奴、キサマみたいな人間がいるから日本はこうなるんだと言って首を切ってしまった。説得に従って行こうとした人もやってしまった」。それは、「毎日、何千何万という死体を見てきていても」、どのような言葉を使っても表現のできない光景だった。米軍はこの1部始終を丘の上から双眼鏡で見ていた。「米軍は、これではもうだめだということで、ありとあらゆる弾を放った。最後は火焔放射機。生きた人間、死んだ人間、草も木も何も全部焼いていく。後ろは絶壁。我々は火の球に追われて、平和の礎のあの絶壁を降りた」。地底では、「出てこい、心配ない、大丈夫という柔らかくて優しい」米軍の呼びかけを耳にしながら、空腹による幻覚と闘った。「日本人として捕まるのは恥だという葛藤」のなか、1週間ほどたって、「誰が言うでもなく、出てみようかとささやきあった」。そうして、ついに出ていった人々は米軍の捕虜となって生き延びた。
 瑞慶覧さんは、本人にとっての後日談として付け加えた。当時、移民会社に勤めていた人がいる。彼は世界情勢に通じていたので、日本軍の発表がウソであることを知っていた。しかし、それを言えば、家族であっても憲兵隊や特高に殺される。だから言わないで行動で示した。米軍が来たとき、動かないで、そのまま捕虜になった。「彼らは被害が少なかった。我々は軍を信じたがゆえに最悪の事態になった。伯父も伯母も、従兄弟も死んだ」。
 瑞慶覧さんはこの話を次のように琉歌で結んだ。「戦争ほど恐ろしいものはない。
 忘れよう、忘れようとしても決して忘れることはできない。悲惨な戦争のあのつらさを、2度と繰り返してはいけない。子や孫たちのために。そういう信念で、沖縄で反戦運動を続けてきて、いまも皆さんに訴えているのです」。

 忘して忘しららん戦世のつらさ
 繰返ちなゆみ子孫のために

(なお、瑞慶覧さんの講演録は宮城全労協のホームページに掲載される予定)
イギリス
ブラウン無競争当選
今や、労働党左翼の行くところは?

             『ソーシャリスト・レジスタンス』
われわれはみんな、トニー・ブレアに向かって、「止めた、やれやれ、だ」と言える。彼を最後にしとめたのが戦争であったことが似つかわしかった。彼はいかに努力しても、嘘と、関係している惨劇をふるい落とすことは出来なかった。
 ゴードン・ブラウンがいまや労働党に君臨し、次に6月17日に首相になろうとしている。ブラウンに挑戦するようなブレア主義者たちはまったくいなくなるはずだった(マスメディアの予測にも関わらず)。幾人かのブレア支持者が、選択を明白にしたとしても、なんらの劇的な、予測不能な展開はなかった。彼らの間には個人的野心以上のものはなかったし、ブラウンは攻撃されにくい立場にあった。それはブレアへのさようならだが、しかしブレア主義は続くのである。

労働党左派の決定的敗北

 左翼にとっての中心課題は、しかしながら、1931年以来始めての、労働党左翼が立候補の挑戦に失敗したことである。
 ジョン・マクドネルは、何ヶ月もの全国を縦横する疲れを知らない運動にも関わらず、立候補に必要とした労働党下院議員の45の推薦という数にはるかに足らないものに終わった。マイケル・ミーチャーの望みなき「中央左翼」立候補はさらに少ないもので破綻し、そしてその多くはマクドネルへ移行しようとはしなかった。
 歴史的規模の敗北である。10年間ものの新労働党の政策―戦争遂行、新自由主義の操作―の後における、選挙実現の失敗は破局である。ラムゼイ・マクドナルド以来のもっとも右翼で裏切り的労働党指導者が、なんらの競争もなく、自分自身の後継者を、思い通りに決めることが出来たのだ。これを、トニー・ベンがほんの0・5%で代表権を取れなかった時と較べて見たまえ。変化は呆然たるものだ。
 ブラウンはドシンとする318の推薦を受けた。中には、ボブ・マーシャル―アンドリューズとジョン・クラダス―のような穏健左翼のいくつかの支援を含んでいる。下院議員たちは、ジョン・マクドナルドを推薦するためには、彼が語ったすべてに合意しなければならなかった、ということは公平ではない。彼らは、政治的討論と民主的手順を確実にするために彼を応援することもできたのだ。
 労働下院議員たちからの巨大な信頼は、ブラウンの新自由主義の政治手順を強め、将来の行動への潜在的対抗の足下を弱体化するだろう。
 予期できることだが、労働党左翼は否定する。労働党左翼報告の論説は言う。「党外の社会主義者たちは、労働党左翼の終焉だと宣言するに急であろう。われわれは、違うことを求める」と。ジョン・マクドナルドは言う。「われわれはいまや、過去の何年間もの間よりも、社会主義政策のための強い位置にいる」。ジョフ・マーチンは言う。選挙運動は「将来に頼りになる、左翼の新しい活力の固い基盤を掘り出した」。これは風の中での口笛である。
 ジョフ・マーチンは、「問題は労働下院議員たちの間にあり、党員にはない」と論ずる。選ぶに値する勝利可能な議席にはすべて、落下傘で降りたブレア主義者がいる、と彼は言う。アラン・シンプソンの議論はこうである。「左翼は下院議員の45の推薦という敷居によって、選挙を奪われた」と。彼はそれを「予期しないこと」と述べる。
 もちろんブレアは、ブレア主義の下院議員たちを昇進させてきた。そして、もちろん、選挙方式は左翼を援助するようには作成されなかった。しかし、こうした事柄はブラウン318、マクドネル27を説明しない。党内の、強い草の根左翼はより多くの指名を獲得できたかもしれない、ということが事実であるにすぎない。左翼は、下院議員たちには指名の決定に際しての要素ですらなかった。マクドネルよりもブラウンを指名すると振るまっても、支払うべき代償はなし、だった。労働党全国執行委員会において、必要指名数を引き下げる動機が出されたが、支持は僅か2票。
 問題は下院議員たちの間だけではない。実際、下院議員たちに続いて、問題が労働党の内部、減少しつつある党員の間にある。そこで新労働党の勝利は最も完全だった。労働党の選挙人選出基盤の間で、より完全をはるかに越えて、最も完全に―選挙基盤の多くは、長い間、労働党左派に尽くしてきたのである―。

左派は活動の余地も奪われた

 事実はこうである。シアトルから大衆的反戦運動に至る過去10年間の重大な急進主義は、すべてが労働党の外で発展し、労働党の内部には探索できる反響はまったく見いだせなかった。
 もちろんブラウンは、選挙を望んでいたといったときに嘘をついていた。彼はその種の何事も歓迎はしなかった。マクドネルは、投票が行われたのならば、労働組合の中において、よりましなことが出来たであろう。ブラウンが次に来る6週間の間で最も望まなかったことは、左翼からの持続的な圧力であった。このことが、ブラウンが、マクドネルの名が投票用紙に書かれないようにした理由なのである。彼の主義のいろいろが、マクドネルのようなものへの青信号を与える余地をなくしてしまった、という主張は無意味である。
 マクドネルの敗北は、労働党左派を深刻な危機に追い込んだ。いかなる混乱も、そのことは隠せない。労働党の改革案や労働党が左翼にとって活動する実のあるエリアである、という思いは壊滅的打撃を受けた。
 これらすべての後で次に続く道としてジョン・マクドネルが行った、唯1の実際的提案は、11月の労働党代議員総会(LRC)への大衆参加の呼びかけであった。しかし、何が討論されることになるのだ?元々のLRCが20世紀の初めに、労働組合と労働者階級は、新たな党という形態での独立した労働代表を必要とする、と結論づけたようなことはありそうもない。次のように、より言いそうである、「進め、何が何でも」。
 そして無様な隊列に何が起こったのか?その多くが、ゴードン・ブラウン隊列となってしまった。ジョン・マクドネルは、選挙運動で、いかなる大手組合の支援も受けられなかった。マクドネルは、いくつかのより小さな組合の支援を獲得したが、それらは多く労働党の外にあった。しかし、ドレク・シンプソン、トニー・ウッドレイ、デーブ・プリンテスや大組合の総書記の誰も、マクドネルを支援する用意はなかった。彼らはブラウン支持へ、賃金凍結、年金危機、および失業を彼がかかげているにもかかわらず、殺到した。彼らは左派候補者を支持するよりはブラウンの机の上の残り物を求めに行ったのだ。
 ウッドレイとシンプソンはジョン・マクドネル支援に抗して、ゴードン・ブラウン支援の「連合」の両翼を、まんまと担うことになった。「連合」のTGWU部隊は、ブラウンを支持するに至ったことを「誇り」、次のように言った。「社会的不平等と取り組む首相としての彼に、全力支援を」与えると。他方、ブラウンは公共部門労組に泥靴で踏み込もうとしていたのだ。

今やレスペクトの刷新が問題

 これらすべてが「レスペクト」への影響を持っている。レスペクトは、今のところレスペクト所属でない左翼の人々に、いかに前を見るのか、の対話を開始する、あるいは再開するイニシアティブをとっていなければならないのである。
 『モーニング・スター』(イギリス共産党機関紙)とイギリス共産党は、適切な事例である。彼らは、労働党再生の政策にしがみつくことの難しさを少しずつ見いだしているようである。見たところでは、『CPB』内部では、この件に関して新しい討論が起きてきたようである。『モーニング・スター』は、すでに、今では避けられない主題である「ブレア後の政治」に関する会合を7月に呼びかけている。
 「RMT」(鉄道・海運・運輸労働組合)にも影響している。これは、8月7日に持たれる会合を組織した商店員ネットワークのスポンサーを務めている。社会党の「新労働者の党へのキャンペーン」は、すでに労働党を取りまく危機をめぐるものへと討論を進めてきた。
 ジョージ・ギャロウエイは『社会主義労働者』で、状況への対応で、レスペクトの役割を良く評価した。「これからの数週間、われわれは労働組合左派や労働党そして進んでいる範囲を全体的に横断して、中心的人物と討論し、いかなる提唱がわれわれの力量を結合し統一化するために採られる可能性があるのか、追究していく。レスペクトは、左翼のわが部分と同様に左翼全体の前進への抱負を持っている」。
 彼は良く表現している。これが、まさしく、レスペクトが直面するために創られた種類の状況である。しかし彼が過去の2年間に、そう考えなかったことは残念である。彼は、その時はレスペクトをよりより民主的で、新しい人々が接近しやすくするようにする提案のほとんどに反対した。彼がレスペクトに責任があることを拒否したときにおいて、そのように考えるべきだったのだ。
 彼は、レスペクトが党を目指すものとして創られたこと、さらに、彼とSWPの指導下のゆるゆるの同盟でないことに反対したのだ。彼の指導下においては、整列していない個々の活動家たちには役割を発揮するための余地はないのである。
 生存可能な、別の左翼的選択肢建設の障害物は、労働党に幻想を残している人々すべてだけではない、ということは事実である。統一され、かつ複数主義的な代替物は、労働党に幻想を抱いている人々に魅力あるものなり得うるが、労働党の外部の左翼のそうしたことへの失敗にもまた問題があるのである。
 レスペクトはにもかかわらず、この状況に決起しなければならない。あるべきとされた位置に留まるのは良くはなく、役割を担うことができる他の組織はない。レスペクトの最近の選挙結果が充分に明らかに示している。
 しかし、レスペクトはこの状況において、『モーニング・スター』や労働組合左派からの、いかなる新たな勢力にたいして開かれており、かつ柔軟であることを必要とする。新たな諸勢力が彼らに影響があるということを実感する余地があるように確実にするためのいかなることをも行うべきであろう。もしこのことが出来るならば、レスペクトは今の行き詰まりからの脱却が出来るし、新たな段階の発展を切り開くことが出来る。
 レスペクトのこの過程における役割は、政治の流れを左に戻すことにある。市場に対する思想的、実践的対抗を再建しよう。労働組合の左翼と共に活動し、労働組合を刷新し、労働組合の強さと組織を再建する闘いと並行して独立した複数主義の左翼的選択肢をつくろう。
注)『ソーシャリスト・レジスタンス』は、第4インターナショナルのイギリス支持者たちが、他のマルクス主義者たちと連携して製作している社会主義新聞である。(IV電子版6月号)
イスラエル
        戦争の教訓

               ミッシェル・ワルショウスキー
 イスラエルのレバノンでの戦争への調査を行う国家委員会は、中間報告を発行したばかりだ。最終文書は、今からほんの数ヶ月先のこととされている。ヴィノグラド委員会?―そう言われるのは議長を務める判事の名前からだ―にとって、第2次レバノン戦争?それは公式名称で、イスラエル政府がつけたもの―が大失敗だったことは、すでに明らかである。それに対する責任者は、首相であるユード・オルメルト、防衛相アミール・ペレツ、そして前の参謀総長ダン・ホウルツ将軍である。ホウルツ将軍は、職責辞任の認可を待たずに急いで国を離れた。アメリカのハーバード大学で研究を続ける口実を持ったのだ。

戦争犯罪の隠蔽

 われわれは、昨年夏の戦争のイスラエルにとっての大失敗の広がりを明らかにするために9ヶ月も待つ必要はなかった。われわれは、2006年秋に、ヴィノグラド委員会には使用可能であった数千の資料や何ダースものの証言記録集を意のままに持つことなしに、そうしたのである。しかしながら、それは次のように理解されるべきである。すなわち、われわれは、ひどさの程度を過小評価をしたのである、と。イスラエル軍がひどい状態にあること、参謀たちの無能さ、将校のやる気の無さ、兵士たちのひどい訓練状態の程度を。
 そのことはヴィノグラド委員会の重要な課題の1つである。明らかに、われわれはそのことに関する予感を持ち、そしてわれわれはそうした線に沿って、夏の間を通して書いた。時には、専門家たちの疑い深い反応を引き起こした。彼らは、これらの分析は誇大だと見なしたのである。実のところ、報告書は、われわれの誤りを証明したが、それは過大評価によってではなく、その正反対の、イスラエル軍事機構の危機の深さの過小評価によってであった。
 ヴィノグラド委員会は、政治的軍事的判断がなされたあり方、およびより以上に、こうした決定が実行された無責任な過程に関して、極めて厳格である。他方では、レバノン戦争においてなされた戦争犯罪については1言もない。市民への爆撃、ティレとビントでの集団虐殺、社会の基本施設の破壊やベイルートの製油設備の破壊による地中海の犯罪的な汚染、などについての1言もないのである。
 いつか、戦争犯罪が裁かれるときに、われわれはヴィノグラド判事と2人の補助員を忘れてはならないだろう。犯罪を調査し、採るべきことを勧告することを委任されたにもかかわらず、彼らは沈黙によって犯罪の同調者となったのだ。
 
大失敗

 もし、ダン・ホウルツ将軍が辞任したとしても、彼の2人の同調者、オルメルトとペレツがそうするということではない。彼らは、正しく機能しなかったことを正しくするのが彼らの役割と宣言した。2人が、それを出来る唯一の人物だと!イスラエル政界において、誰も彼らから実際に引継を受ける用意のあるものはいないというのは、事実である。ベンヤミン・ネタニアが別の選択肢として自分を売り出しているが、だが彼の党、リクードは議会における小さなグループへと収縮している。その政治的強固さを再建するために、リクードは新たな選挙を必要としているが、そのことはペレツの労働党もユード・オルメルトの党であるカジマも望んではいない。
 にもかかわらず、引き受ける用意のある1人の政界リーダーはいる。裏切り、インチキ、ごまかしの男、シモン・ペレスである。80歳を越えて、彼は言う。祖国の救済のために責務を果たす用意がある、と。このことは、イスラエル政界の堕落状態と政治的危機の深さを物語っている。
 しかしながら、こうした危機を通じて、株式交換所における株価は落ちなかった!!存在価値を失った政治家たちと反対に、イスラエルは実に良くやっているからである。経済繁栄、輸出増加、貿易黒字、そして富裕及び中産階級の生活水準はヨーロッパを越えている。学生ストを除けば、社会表面はすべて静穏である。
 「パレスチナ問題」に関して、それは日刊紙の4面に格下げされている。オルメルトは今まで、占領の終わりに関する交渉再開を開く方式を提案するというよりは、週に1度、アバッス大統領と夕食を共にすることを喜んでいる。しかしながら、イラン問題があり続けている。しかしながらこの大陸においてすら、戦争好みの声―特に軍隊における?―は、テヘランとの原子力問題での妥協を交渉するアメリカを計算に入れる人々に、ますます道を譲っているように見える。
 いずれにしても、イランかシリアかではあれ、新たな戦争好み冒険を企てるためにすべてに優先する必要性は、軍と参謀本部の再構築によって2度目の大失敗の危険性を限定することにある。もし2度目の大失敗があるとすれば、その時、それはヘブライ国家が保持してきた抑止力への死の打撃を与えるものであるかもしれない。しかし先の大構築には時間が必要である。
注)筆者は、イスラエルのジャーナリスト、著者であり、代替情報センター(AIC)の創立者である。(IV電子版6月号)
パキスタン 
ファルーク・タリク逮捕―再び!

                      ハリク・シャー
 4週間に満たない間に、ファルーク・タリク、パキスタン労働党総書記は、ラホールの自宅から、パンジャブ警察の重装備の分遣隊によって、2007年6月5日、火曜日の早朝、2度目の逮捕を受けた。彼は、パンジャブのハーバンスプラ警察に留置されている。
 ファルーク・タリはまた、2007年5月4日に、ラホールで最高裁長官歓迎受け入れ集会に参加するのを阻止するために逮捕され、3日間拘留されたことを述べても良いだろう。逮捕後に警察署でメディアと党員に語って、ファルークは逮捕にはいかなる令状もないと述べた。国とその違法な戦術が、彼をひざまずかせることはできないし、独裁制に反対する闘争を続けることを誓うと語った。
 他方彼の代理人は、警察に対抗する、人身保護令状を裁判所に提出した。ラウフ・シェイキ判事はSHOハーバニスプラ警察署に対して、6月6日、午前9時に出頭させるよう、令状を出した。シード・モハメド・シャー、ラホール弁護士会長とエジャズ・フセイン先任法定代理人は、申立人のために法廷に顔を出すだろう。
 労働党はファルーク・タリク逮捕の直接的理由を、法律家運動における彼の先行的役割にあると考えている。そこには、5月4日の、PEMRA(パキスタン・電子メディア統制機構)に対抗する新聞大会への参加、6月6日にラホール記者クラブで、LLPに組織された自由情報会議の公表に抗し、同じくメディアに対抗する行動がある。
 多くの政党、組織、労働組合が逮捕を糾弾し、ファルーク・タリクの即時釈放を要求してきた。幾人かの政治的労働者、指導者と友人たちがファルーク・タリクを警察署に訪れ、連帯を顕示した。LPPは、ラホール記者クラブ前で火曜日の午後5時に、逮捕抗議行動を持つつもりである。
(注)パキスタン労働党のために、ハリク・シャーが執筆した。
メキシコで強まる抑圧
アテンコの指導者に67年の拘置刑

                     フィル・ハース
階級報復の悪逆な行動の中で、イグナチオ・デル・ヴァレ・メディナ、フェリペ・アルヴァレツそしてエクトール・ガリンド・ゴチクワ、アテンコの土地を守る民衆戦線の指導者たちは、5月5日の土曜日、2006年5月始めのアテンコでの事件のために、それぞれが67年6ヶ月の拘置刑を受けた。疑いなく皮肉で象徴的な日取りで、判事はアテンコでの大衆集会の最初の年次記念日を選んだ。その集会に対して、副司令官マルコスはアテンコ住民の野蛮さと非難したのだ。

イグナチオ・デル・ヴァレからの手紙

 野蛮さ―は2006年5月3日、水曜日の衝突から始まった。警察が野蛮にも、アテンコの花売りたちが、ウオール・マートの新たな商店街となるビルの脇に露店を出そうとするのを阻止したときで、200人を越える人々が逮捕され、2人が死んだ。
 ロザリオ・イバラ・デ・ピエルドラ、メキシコ上院の人権委員会議長、は判決を、「恐るべき報復であり、自由と公正を求める人々を沈黙させる目的を持っている」と非難した。
 こうした悪逆な判決は、昨年夏の不正選挙の流れの中に現れたものだ。その選挙では右翼の候補者フェリペ・カルデロンが権力を握ったが、メキシコ支配階級(そしてアメリカ政府)の狼狽、すなわちPRDの候補者、マヌレ・レペツ・オブラドルの当選がメキシコをボリビアとヴェネズエラに結びつけ、ラテンアメリカにおける新たな左翼の戦線を開くかもしれないという狼狽があり、そうしたことが背景となった。
 それはまた、民衆の諸運動への弾圧が大きくなる風潮の中で、登場したのである。オクサカでの反抗には大衆弾圧があり、そこでは数十人が殺害され、多くが行方不明であり、さらにそれ以上が政治囚として拘置されている。ナルコ・ニューズの報道では、警察と軍隊は、ザパチスタの「別作戦」への抑圧の泥靴を踏み出している。2006年5月のサン・サルヴァドル・アテンコでの挑発は、直接に「別作戦」への町の参加、およびマルコスの訪問と結びついている。付け加えれば、それは2002年の成功した地方的闘いへの報復の試みで、その闘いは、新メキシコ空港のために地方貧農の土地を収用することを阻止したのである。

足早の抑圧

 前大統領ヴィセント・フォックスと今のフェリペ・カルデロン、両者共に新自由主義のPAN党であるが、その下で、政治囚は400人を越えるに至った。社会的抗議における死者もまた、より普遍的となっている―この高いレベルは、1970年代初期におけるウエレロ州「貧民党」への軍事弾圧以来のものである。これが1980年代後半からの新自由主義メキシコの結果である。社会不平等は急速に大きくなっている―メキシコは今や世界の中での最も富裕な人々を保有し、そして多くの最貧民を、とりわけ都市周辺地域に抱えている。農産業からの超利益に次ぐ超利益にまみれているブルジョアジーは、社会闘争の爆発に超暴力で応えてきているのである。
 2006年、アテンコの住民は準軍事的警察に暴虐的に攻撃され、何十人もの女性が強姦され、2人が死に、何十もの家屋が破壊され、金が盗まれ、何十人もがひどく傷害をうけた。今は、事実上終身刑を受けている犠牲者である。すべてのメキシコ政治囚の釈放のための巨大な国際的キャンペーンが必要である。
注)筆者はイギリスの『ソーシャリスト・レジスタンス』記者。(IV電子版6月号)
   ホームへ戻る