2007年12月10日        労働者の力             第 213号

進路を見出せない福田政権と次への課題
不可欠の基盤としての民主的空間

寺中徹

 
 テロ新法をめぐって福田政権は、その命運を左右する最初の山場を迎えている。この法案の廃案に向けさらにひと押しを加える闘いは、さまざまな意味を加えてさらに重要なものとなった。しかしそれはまた、次が問われていることも意味している。

問題は次の社会の本格的模索

 福田政権の2ヶ月とは何だったのだろうか。あわただしく派手な外交演出、守屋スキャンダルや給油量隠蔽疑惑などをめぐる一連の防衛省問題、我々の日常生活に直結し、参院選で問われた基本政策の核心に責任のある厚生労働省の、これまた無責任かつ鉄面皮そのもののまさに怒りをかき立てる数々の問題、財政方針をめぐる混迷と一事しのぎの消費税問題先送り、テロ新法の右往左往、そして民主党の連立引き込み失敗など、確かに問題に向き合わざるを得ない政権だった。
 しかし福田政権は、これらの問題全てに、過去を僅かでも変えるための何らかの確たる方向性をもって取り組んだわけでも、進むべき道筋をつけたわけでも全くない。要するにこの政権は、これら重要な問題で事実上新しい一歩を踏み出してはいないのだ。
 例えば一見スムーズに進んでいるかに見える外交はどうだろうか。なるほど共鳴外交などと打ち出され、福田は、アメリカ、アセアンをかけまわり、年内には中国にも足を運ぶという。空想と言うしかない安部のネオコン路線は、事実において確かに封印されている。しかしそれに代わるものとして、何と何を「共鳴」させるというのか、肝心のことが空虚なのだ。端的に、「北朝鮮」との国家関係をどうするつもりなのか、米、韓双方とも戦争状態の終結を明確に視野に入れている中で、この政権は結論を何も語ろうとしない。
 内政の立ち往生状態は一層明白だ。
 福田政権の上に見た立ち往生状況の表面的原因は、確かに参院選が作り出した制度の壁だ。しかし根底にあるものはもっと根が深く深刻である。要するに与党内に路線的合意、あるいは路線をめぐる集中力がないのだ。例えば、最も際立って表面化しているが、財政再建派と成長重視派の財政方針をめぐる対立、また財源配分をめぐる都市派と地方派の対立は、一定の収斂ができないまま、ただ放置されている。12月1日二階自民党総務会長は、総選挙後の連立再挑戦とのタイトルの下に放映されたTVニュース映像の中で、真意は不明だが、「自民党内部はガタガタだ」などと確かに口走っている。
 この背景においては、最重要課題とされているテロ新法ですら、この政権にとっての本当の戦略的意味がどこにあるのか、その空虚さは増さざるを得ない。今や中心に押し出されている「国際貢献」論は、世界との関わりの方向性が空虚である以上、事実上意味不明の言葉遊びに過ぎず、事実人々の胸にも届かない。
 問題の核心は、世界、アジアをも念頭に置いた日本社会の次の時代に向けた立て直しが本格的に突き付けられている、ということである。参議院を失ったことで与党は、この問題からもはや逃げることができなくなったのであり、彼らはそこでまさに苦悶しているのだ。

民主的空間のための闘い

 同じ問題がまさに中期的に労働者民衆に突き付けられ続ける。政権交代があろうがなかろうが、その根底にある問題は変わらない。しかし問題に短期にあるいは安直に解答が見つかる、あるいは誰かによって上から提示されると考えるべきではないだろう。何よりも世界中の民衆の模索というべき闘いがそれを示している。その解答は、まさに労働者民衆の総掛かり的努力を通してしか浮かび上がらないだろう。
 そうであればその想定はまた、その過程全体を貫いて社会全体に民主的空間を拡大し、その空間を封じ込め抑圧しようとする支配的エリートの攻撃からそれを守り確保することの死活的な重要性を意味する。労働者民衆が参院選を通して、自らのもつ力について経験的実例をもって一定の実感を得た今、それはなおのこと重要となっている。その点で、大連立策動の阻止、しかも本質的には民衆の圧力による阻止は、重大な成果だったと言わなければならない。現に展開されているさまざまな形による社会的抵抗が、この民主的空間の確保に貢献していることも言うまでもない。
 そうであれば、迫り来る総選挙で問われるものも、次の時代に向けた当座の最小限的必要に関わる路線の問題に留まらず、何よりも、真に労働者民衆のものである路線に達するための、民主的空間のための闘争という意味をももたざるを得ない。そのとき自・公の敗北は、そのための重要な一里塚となるに違いない。次の進路を議論するに当っては、その観点からの深めも求められる。(12月5日)
 
11月28日、労働契約法成立
    職場での権利確立が鍵に
 11月28日、参院本会議は労働契約法案を僅かな修正で可決、同法は成立した(合わせて改正最低賃金法も成立)。
 修正は、衆議員段階で与党・民主党間の協議の上加えられたもの。しかしそれらは、例えば、「均衡を考慮し」とか、「仕事と生活の調和にも配慮しつ」(以上第3条)とかの条項や文言が加えられるなどに留まる。就業規則を労働契約として読み替えるという、この法律のもつ労働者にとっての最も重大な権利侵害枠組みにはいささかの変更もない。
 経営者に権利のある就業規則変更(つまり労働条件変更)にはこの法で、4つの側面を「総合する」ことで判断される「合理性」確保の必要性という縛りがかけられた、との評価がある。しかし「合理性」の総合的判断主体は全く曖昧。審議過程で厚労省はその点の解明を逃げまくった。例えば福島瑞穂社民党党首の追及に対する彼らの答弁の範囲では、届出された就業規則の法的適格性を審査する労働基準監督官は、問題の「合理性」を判断できない。就業規則変更に同意できない労働者は、今と変わらず裁判で争うしかない。他方で経営者は今回の法で、大原則であった労働条件の一方的不利益変更の禁止という、大元の縛りを事実上解かれたのだ。
 既に明確に増加を見せていた就業規則変更を手段とした労働条件切り下げの動きは、以前に増して強まると予測される。まさに資本にはもう1つの格別な贈り物が差し出されたことになる。
 審議過程では、就業規則変更に関わる周知と協議には「少数組合を含めてあらゆる該当労働者が含まれる」ことが確認された。この点をも活用した、諸個人の尊厳にまで達する労働者の権利確立の意識的追求が、より一層重要な闘いとなる。
 「契約」を謳う以上、その「合理性」とは、契約「両」当事者の納得以外あり得ない。労働者の同意がないとするならば、その事実そのものがまさに「合理性」の欠如なのだ。(編集部)
 
11/30
政府の責任で「JR採用差別」を全面解決せよ!
          7300名、集会・デモ

 「20年目の節目、総力をあげた闘いで勝利を!『JR採用差別』全面解決を迫る11・30全国大集会」が、11月30日午後6時30分から東京の日比谷野外音楽堂で、各地の争議団、家族、そして支援の労組、労働者、市民約7、300名結集の下で開催された。主催は「四者・四団体」。1047名の採用差別の政府責任による解決を迫る、年末から来年3月までの密度濃い1連の行動が提起された。寒空の下でも音楽堂の外まであふれた参加者は、解決に向けたスクラムを固め、集会後、デモ行進でその思いを沿道に届けた。(S)

NTT営業センター
  現場最前線で反乱拡大
            土・休日営業への勤務変更通告に
 
 NTTには、NTT11万人リストラ攻撃の中で何の合理性もなくでっち上げられた、営業センターという名のいわば島流し職場が首都圏各地にある。退職再雇用攻撃を拒否した労働者を東日本全域から、まさに見せしめとして強制配転しかき集め、前職とは全く関わりのないBフレッツの飛び込み営業を強制している職場だ。NTTはこの職場に11月になって、土・休日営業という勤務形態変更を突如通告してきた。

末端の怒りにN労動転

 形ばかりの説明会を開き、その僅か2週間から20日の内に実施という、まさに一方的な通告だ。12週の勤務パターンが提示されている。特筆点を1つ上げれば、振替休日の月曜日が全て勤務日とされていること。つまり、土日に連続する3連休を完全になくしたのだ。
 家族から遠く切り離された単身赴任の配転者にとって、これがどういう意味をもつかは余りに明白だ。まさに卑劣極まりない嫌がらせ、精神的拷問と言うしかない。来年50才を迎える労働者に対する退職再雇用選択を迫る個別面談が始まっている時期に、この施策が打ち出された。このことにも注目が必要だろう。会社は、これから選択を決めなければならない労働者を暗黙の内に脅しつけているのだ。
 そもそも、会社の勝手な都合で労働者の生活サイクルをどうにでも変えてよいという発想自体が、全く許し難い。労働者は機械ではないのだし、機械であってさえ、勝手な稼動サイクル変更は故障の原因となる。
 当然にも全ての労働者が怒りをかき立て、各営業センターの説明会は大荒れとなった。いくつものセンターで反対署名が始まり、70%から80%の労働者が所属組合の違いを超えて、あるいは労働組合に加入していない労働者を含め、署名したという。
 この会社施策が最大労組NTT労組承認の下に提示されたことは明らか。NTT労組は従って、直ちに各センターにオルグに入り、彼らの労組員の説得を試みた。ところが激しい突き上げに立ち往生。自発的に発行され始めたチラシによれば、あるセンターでは、夜9時を過ぎても紛糾は収まらず、オルグ団は、「白紙撤回を含めて上申し再オルグに来る」と集約することで精1杯だったという。これまで耐えに耐えてきた怒りの爆発だ。
 そもそもこの勤務形態変更は変形労働時間制だ。労働基準法上のあくまで例外の労働時間制でありこのような勤務形態には、法的に厳しい縛りがいくつもかけられている。NTTは今回それらを全くクリアーしていないのだ。つまり、明白な労働基準法違反。天下のNTTもNTT労組も、そのようなことも意識してすらいなかったことになる。続発する「偽装」の底に流れる論理が別の形で現れている、と言ってもよい。NTT労組からは、会社をチェックする能力が、むしろそのような意識すら消え去っている、と言うしかない。新自由主義に毒された資本と会社と一体化した労組がどこまで堕落し無能化して行くか、ここにみごとな見本が示されている。

現場自力の闘い始る

 一方労働者達は、自ら労働基準監督所に足を運び、この法違反を確認している。大労組の堕落と無能化を、末端の労働者が自らの力で乗り越え始めているのだ。各センターでは労組の壁を超え「有志の会」という形で、白紙撤回に向けた独自の闘いが進もうとしている。電通労組の組合員がその先頭に立っていることは言うまでもない。
 NTT労組員を巻込んだこの反乱状況とそこで暴露された法違反を前に、NTTは実施時期の延期を余儀なくされている。
 闘いはこれから本格的な局面に入る。NTT労組はおそらく、彼らの組合員に対する恫喝に入るだろう。そのような恫喝から労働者を守ることも含め、電通労組、そして各センターに散在する組合員は、この闘争の先頭に立ち続ける覚悟だ。各組合員は今、各人に行使権限が委譲されているスト通告権をも武器に、通信労組、N関労との連携を深めつつ、創意ある闘いの展開に向け意欲を膨らませている。(Y)
何とかしなければ、切実な思い充満
11/20
今こそ派遣法改正を!第二波院内集会

 11月20日、衆議院第1議員会館内で、「今こそ派遣法改正を実現しよう!格差是正と希望のもてる働き方を!」と題された院内集会が開かれた。主催は非正規労働者のユニオンなどで作る実行委員会。同趣旨で開催された10月4日の集会に続く第2弾だ。何としても同法の改正を実現したい、との思いを胸にした労働者で会場は満室。自民党を除く5政党の国会議員も多数参加、各々発言した。

原則は期限の定めのない直接雇用

 最初に主催者を代表して全国ユニオンの鴨桃代会長が挨拶。期限の定めのない直接雇用という雇用の大原則をあくまで柱として派遣法を見直すべき、と強く訴えた。次いで現場から、今や野放しに近い形にまで自由化された派遣労働の無法状態、非人間化された実状が次々と告発された。
 派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は、「データ装備費」という上乗せピンハネを告発した裁判における、グッドウィル側のあきれるほどに傲慢不遜な主張、さらにエムクルーという日雇い派遣会社の、賃金ダンピングを公然と謳いあげたキャンペーンチラシを紹介。このエムクルーではピンハネ率が42%にもなることを指摘しながら、派遣労働を原則自由化しているあり方を廃止すべきこと、登録派遣を禁止すべきこと、加えてピンハネ率の規制が必要であることを主張した。
 ガテン系連帯共同代表の池田一慶さんは、現行派遣法が道を開くとする「直接雇用」なるもののいかさまさを、日野自工と日立マイクロデバイスの実例をもって痛烈に暴露した。労働者の要求で「直接雇用」への移行を企業がしぶしぶ承諾したとしても、それは正規雇用などでは全くない。パートや有期契約(しかも細切れの)、そして条件も派遣の場合と変わらないのだ。日野自工の例では、下手に有期の期間工に移行した場合(期限切れ後の職の保証はない)、賃金はなるほど一定程度上昇するが、期限切れと共に自動的に住居(企業所有の寮)を失ってしまう。一方派遣の場合、自己負担とはいえ派遣会社の寮に住み続けることができる。そのため、この移行対象者300名の内実際に移行を希望した労働者は100名程度、残り200名は派遣に留まったのだという。池田さんは、ともかく期限の定めのない雇用が絶対に必要、と力説した。
 KDDIの外国語支援国際電話オペレータの派遣労働者(KDDIエボルバユニオン)は、専門職派遣として出発した彼女達の労働が、派遣労働の原則自由化の中で今や極度に劣悪化させられている現状を報告。時給は僅か1350円(通勤手当が廃止されたため交通費込み)、撤回はされたものの深夜早朝・土日などの諸手当は廃止やカットの攻撃を受け、年収は今200万円に届かないという。さらに契約期間は1年更新から、3ヶ月あるいは6ヶ月更新へと細切れ化されている。この実状には、派遣通訳の経験があり、合間仕事としてKDDIの派遣オペレータをやっていた仲間がいたという亀井亜紀子参議院議員(国民新党)も、3000円を切る時給など考えられなかったはず、と驚きの声を上げた。
 派遣労働の歯止めのない条件劣悪化の根底に、派遣労働の原則自由化があることは歴然だ。各企業ともこの下に、派遣労働力の使用を前提に何の心配もなく正規雇用を削減でき、そうして恒常的に高失業状態を作り出した上で、派遣労働力の買い叩きに走ることができるのだ。派遣労働の自由化を抜本的に逆転させ、期限の定めのない雇用への転換を強く求める現場の声は、まさに必然の止むに止まれぬ悲鳴に他ならない。

常用代替防止を目的に

 これらの痛切な声を受けた形で、中央大学法学部の浜村彰法教授が、現行派遣法の問題点と見直すべき要点を解説。時間が不足し端折った解説ではあったが、特にスポット・日雇い派遣の実態を取り上げ、それが派遣法の要件を満たさず、事実上職業紹介事業、即ち職安法に抵触する口入れ稼業に過ぎないと指摘、この事業の規制が不可欠であると述べた。
 次いで派遣労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士が、必要とする派遣法改正試案を具体的に提起。労働者は商品ではないという原点に立って、派遣元と派遣先の業者間取引としての派遣契約が労働者の直接介入を排除している派遣の構造そのものを問いかけ変えて行くとし、その観点から、雇用の原則―直接無期限の雇用、誰もが不当に差別されない雇用の権利―とそれを守る常用代替防止を法律の趣旨目的とすることを明示する、などの基本スキーム、そしてその上に立った各条修正試案を解説した。
 中野さんによれば、労働者の生活と権利を守るための派遣法見直しは、現行法の各条修正で可能だという。中野さんは、今後今回発表した修正案をネットで議論しながらさらに練り上げ、一致できる点で広く手をつなぎたい、と結んだ。

改正見送りの理由などない

 出席した国会議員は延べ16名。国会予定の都合で全員がそろって顔を合わせることはなかったが、上記プログラムの合間合い間に各々意見表明した。各政党の立場の違いを滲ませたニュアンスの微妙な相違はあったものの、いずれも現状に対する強い批判は明らかにした。
 日本共産党と社民党の議員は、中野さんの観点に基本的に沿った内容の現行法抜本見直しを強調。民主党の議員には、改正方向に幅が見られた。この中で山田正彦衆議員は見直し法案を参議院に提出と明言したが、見直しの具体点は必ずしも明らかにされなかった。
 注目は今回公明党から2人の議員が出席したこと。日雇い派遣と登録派遣の規制強化を求める方針を決定、と発言したが、与党としてどのような「強化」を考えているのかの説明はなかった。
 なお出席した議員は以下の通り。
 枝野幸雄、山田正彦、佐々木隆博、郡和子、菊田真紀子、相原久美子(以上民主)、小池晃(共産)、福島瑞穂、辻元清美、菅野哲男、近藤正道、保阪信人(以上社民)、亀井亜紀子(国民新)、遠山清彦、谷合正明(以上公明)、松浦大悟(無所属)。
 まとめは全国ユニオン事務局長の安部誠さん。10月4日の第1回から今回への動きを振り返り、昨年は連合内でも冷たい反応だったが今年は状況が大きく違っている、今後もこのような取り組みを重ねながら派遣法見直しを広範な動きに高めよう、と訴えた。
 厚生労働省労働政策審議会での派遣法見直しに関する議論は、年末を目処とした建議取りまとめに入っている。厚労省は、経営側、労働者側の対立、対決法案通過の困難さを理由に挙げ、法改正を見送り指針での規制で調整、などと報じられている(11月30日、朝日)。
 昨年同時期の労働法制見直しに関しても、同じく労使は厳しく対立していた。にもかかわらずその時は、同じ厚労省が、労働者の強い反対を押し切って、パート労働法改訂や労働契約法の法案化に踏み切る建議取りまとめに動いたことを思い起こさなければならない。この両者の対比は、今の厚労省が誰の意向を重視しているのかを鮮やかに照らし出している。
 派遣労働を厳密な制限の下でのみ許される限られた例外とする派遣法改正は、あまりに非道な現実に根を持つまさに当然のこれ以上ない道理ある要求に他ならない。その要求を否定する理由などどこにもない。この要求をまさに広範な民衆の声として力強く明確に形あるものとして登場させ、労働者保護という本来の仕事に背を向けた厚労省の労働行政を、何としても覆さなければならない。(編集部)
11/29
反NTTリストラ裁判控訴審始まる

      決起集会で決意新たに
                電通労組
 11万人リストラに抗して電通労組員9名が提訴した配転無効の訴えに対して、東京地裁は7月25日、会社主張を全面的に受け入れ、原告の訴えを全て棄却する、きわめて不当な判決を下した。その判決内容の理不尽さは、本紙210・211号の横沢原告団長の寄稿が明らかにしている。原告団は怒りを込めて即刻控訴を決定、9月21日控訴趣意書を提出した。
 この控訴に対する控訴審が11月29日東京高裁で開かれた。NTTは今回も10名を越える職制を傍聴に動員、弁護士も1人増員という態勢。しかし傍聴席は、30名を超える電通労組の支援傍聴者で圧倒。原告団はこの傍聴支援を背に、退職再雇用という卑劣な施策を労働者があたかも好んで選択したかのように描く会社側主張の嘘を完膚なく打ち破るために、4名の退職再雇用選択者を証人申請した。
 しかし裁判長の訴訟指揮は極めて威圧的。原告側、被告側双方の提出書面と証拠を確認し、その後に短時間の合議を入れただけで、原告の証人申請をあっさり却下した。そしてそのまま結審を宣告し、判決日は後日、といったんは通告。
 しかし原告弁護団は屈することなく反論し、NTT側新証拠に対する反論書と原告証人の陳述書提出を認めさせた。提出期限は来年2月15日。電通労組にはさらに闘いを追求する時間ができた。
 傍聴者の怒りをかき立てた訴訟指揮だったが、閉廷後の総括集会での弁護団解説によれば、これは十分に折込済み、とのことだった。先行する通信労組の控訴審も同様であり、そもそも高裁は権威主義、弁論を開かない、のだという。原告団、弁護団は、このような権威主義をかいくぐり、可能な限りの手段を尽くして地裁判決逆転のため全力を上げる、と決意表明した。
 上記法廷を受け電通労組は同日夕方、控訴審勝利決起集会を東京しごとセンターで開催した。
 集会では先ず、司会の古宮首都圏支部委員長が、内外の政治情勢に視野を広げて大きな枠組みでの闘いの展望を明らかにしつつ、同時に特に足下のNTT職場における今まさに始まっている現場末端の反乱に触れ(1面記事参照)、我々は負けない、と開会挨拶。その後大内委員長の控訴審闘争方針報告、日野書記長の基調提起、そして四国電通合同労組の元木委員長、東部労組タジマ支部の田辺書記長、N関労林書記長、全統一光輪モータス分会割田さんの連帯挨拶が続いた。いずれも、闘いの渦中にあることの実感を下敷きとした、いわゆる労働ビッグバンに楔を打つための、具体性に富んだ闘いの紹介を含んだ実践交流とも言える発言だった。弁護団と宮城全労協・NTT11万人リストラに反対する宮城県共闘のアピール紹介後、発言は、手強い病魔との死力を尽くした過酷な闘いの渦中にある横沢原告団長の、闘志揺るがぬアピールの代読で締めくくられた。
 いつもながら自信を秘めたゆとりを漂わせて進められた集会は、最後に全員で団結ガンバロウを3唱、新たに姿を現した職場闘争を視野に入れながら、闘いへの決意を新たにして散会した。(神谷)
六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場本格稼動中止を求め
11.18
日比谷野外音楽堂に多くの若者達
 11月18日、標記の要求の下に、東京の日比谷野外音楽堂に多くの人々が三々五々集い思いを重ね、集会後、銀座通りをにぎやかにパレードした。主催者から参加者数の公式発表はなかったが、見る限り集会は1000人を超え、1500人前後。

おおらかに、だが真剣に

 集会は12時から14時45分までの長丁場。しかし、ライブ演奏と多彩な人々によるトークをサンドイッチのように重ね合わせる参加しやすい工夫が凝らされていた。この長い集会時間中会場入り口には常に人の流れがあり、自由な雰囲気の中で訴えをおおらかに届けようとの主催者の思いが効果を発揮していたように見える。
 この会場で開かれる他の集会と比較して、参加者には明らかに若者の比率が高く、幼児を連れた若い両親もかなりの数目についた。再処理工場から海への不可避的な放射性物質放出に危機感を募らせる、サーファー達の参加も目を引いた。
 プロサーファーの木下デイビッドさんは自ら壇上に立ち、六ヶ所村再処理工場の稼動中止を真剣に訴えた。彼は現に、100万人を超えるサーファーに向け、この工場の稼動中止を要求する署名運動を始め、その先頭に立っていることも語った。ピーター・バラカンさんとミュージシャンの中西俊夫さん、SUGIZOさんの3人によるトークでは、資本主義というあり方に対する率直な疑問も語り合われた。このトークが会場に違和感なく受け止められていたように見えたことも新鮮な印象。ピーター・バラカンさんは、自身のラジオ番組でも六ヶ所村再処理工場の問題を取り上げているという。
 政治の場からは、社民党の福島みずほ党首と川田龍平参議院議員が登壇、再処理稼動中止に向け共に行動しようと語りかけた。川田議員は集会後のパレードにも参加、集会中会場のあちこちで声をかけられていた。
 紙面の関係で紹介はできないが、これ以外にも多数の個性的な発言が交わされ、ライブ演奏のミュージシャンもこの催しの趣旨を十分に受け止めた上で、自ら積極的に訴えを発した。
 今回の催しを準備した実行委員の1人によれば、今回の準備は徹底的に若者が主体となり、あまりの大胆さが心配になるほどの、積極的かつ意欲にあふれたものだったという。原発反対の運動は、静かに新たな広がりを見せ始め、そこには明らかに新しいエネルギーが生まれているように見える。おそらく、このようなエネルギーの胎動と今夏の参院選結果は無縁ではない。
 1日で原発1年分の放射性物質排出量となる(当日のプログラムを兼ねた宣伝パンフレット)と言われる六ヶ所村再処理工場の稼動は、地元や三陸沿岸漁民の大きな反対を受け、当初予定の今秋から来年2月へと延期されたという。しかし当局の稼動意思は不変、稼動中止の声の集約がなお一層求められている。
 なおこの問題については今、新聞意見広告運動が呼びかけられている。問合せ、申込先は以下の通り。(K)
●ストップ再処理工場・意見広告の会(たんぽぽ舎気付)
 〒101―66
 東京都千代田区3崎町2―6―2ダイナミックビル5F
 電話 3―3238―9035(午後1時から8時)
 ファクシミリ
    3―3238―797
パキスタン
ムシャラフの時代はもう終わりだ

                ファルーク・タリク

 ムシャラフ将軍は、11月3日に敷いた戒厳令の5日後に発生した政治的シナリオには思い当たらなかったのだろう。状況静穏化への彼の希望は、彼が主導的活動家や政治活動家たちに対して最悪の凶暴な弾圧を行った後でさえ、うち砕かている。今までは、どちらかと言えば安定的な政治操作を行ってきた軍事体制にとって、将来は不快な突発事が更に現れるという状況であろう。
 
かつてない抵抗の広がり

 反独裁の法律家たちの後、今は学生たちが軍事体制への反対位置に登場し始めた。20年11月7日に行われたデモは、パキスタンの主要都市のほとんどの公立、私立大学で実行された。「学生の力が目覚める」が、11月8日の国際ニュースの大見出しだった。
 パキスタン全土で法廷は機能停止し、そしてパキスタン弁護士評議会は、新しい暫定憲法制度(PCO)の撤回までの期限なき活動中止というストライキ声明を出した。パキスタンを横断して主導的活動家たちによる日々の示威活動が行われている。これは、この時期を通じ中産階級が示した超日常的な戦闘性の発現である。
 パキスタンのほとんどの新聞は、社会のさまざまな関係者の逮捕、示威活動、ストライキの話で埋まっている。しかし、5日のことだが、この日はパキスタンでのいかなる民間テレビ局も、彼らの放送をテレビに送ることを許されなかった。
 最も驚くべき軍事体制への反対は、ベナジル・ブットーから来たものだ。彼女は、ムシャラフ政権と、権力分かち合いという解決に向けて交渉をして来ていた。しかし、法的正当性を問う積極的活動が、この汚い同盟に打撃を与え、ベナジル・ブットーを軍事体制に抗して公然と登場させるに至った。逮捕された主導的活動家たちのほぼ半数がパキスタン人民党に所属しているのだ。
 体制とやりとりするベナジルの権力分かち合いの術策には、今やほとんど考慮の余地がなくなった。彼女はパキスタンの大衆に、ムシャラフ将軍の戒厳令に抗して立ち上がるよう求めた。「憲法の復活がなければ、われわれは11月13日にラホールからイスラマバードへの長い行進を行う」と、彼女は体制に警告したのだ。これは国中でのパキスタン人民党活動家の逮捕入獄につながった。彼らは11月3日から始まった抑圧の最初の段階では見逃されていたのだ。
 支配人や企業主のメディア組織もまた、電子的、印刷的メディアへの体制による先例のない抑圧の後、大衆行動に参加しつつある。
 11月5日は、パキスタン株式取引所にとっての暗黒の月曜日となった。株式相場の暴落は結果として400万ドルという1日の損失となり、これは株取引の、最近の17年間では先例がない。
 ムシャラフの親密な帝国主義の友人たち、アメリカ、イギリスそして欧州連合は、少なくとも言葉で、11月3日以後始めて緊急事態宣言を非難することを強いられている。1月9日からのパキスタンにおける人間的権利への集団的暴力は、それがいかなるものであれ、アメリカ帝国主義にとっては常に本質的問題となるのだ。オーストラリア帝国主義でさえも、パキスタンの事柄の惨めな状況を非難し、そして始めてムシャラフを「独裁者」と呼んだ。それは、パキスタン民衆は8年間知ってきたことなのであるのだが。
 しかし、ムシャラフ将軍は、怒りの目を彼の友人にさえも向けようとしている。宗教原理主義者たちが、パキスタンでの軍政体制の統治から脱出しつつあることに対する彼の怒りのように。「人は決してモンスターを長期間支配することは出来ない」。それは、ムシャラフ将軍の行動から引き出されているようにも見える。オランダはパキスタン援助を中断してきているし、そして、オランダで印刷されている報告によれば、アメリカはムシャラフ軍事体制との関係を再検討しつつあるというのだ。
 運動は現在も、動きのすべての側面で成長している。緊急事態の最初の5日間の先例なき弾圧レベルにもかかわらず、である。緊急事態の実の名称は、戒厳令である。警察はパキスタン人権委員会の事務所に入り、そこで軍事行動に反対する戦略を討論していた80人を越える社会的政治的活動家たちを逮捕した。警察が、このラホールでの最も高級な、独立的小機構の入っているビルに押し入るということは過去には聞かれなかったことだ。警察は高等裁判所に入り、そして700人を越える主導的活動家たちを、裁判官室や図書室、バーおよび食堂で逮捕した。これは、80年代におけるジア・ハク将軍の、最も野蛮な戒厳令の下でもなされなかったことである。
 パンジャブ州庁によれば、1734人の政治活動家、ジャーナリスト、主導的活動家が戒厳令の最初の4日間で逮捕された。同様の数字が、他の3州庁によっても述べられている。これはムシャラフ体制の最近の8年間での最も野蛮な対抗者への鎮圧である。逮捕された反独裁の法律家や政治活動家たちは、反テロ法で告発され、そして彼らは居住地から遥かに離れた地に送られた。1人として、彼らに会うことはできない。

今や国家の危機

 弾圧の、同様の似た扱いがパキスタン最高裁や高裁判事たちへの場合になされている。彼らは勇敢にも新たな暫定憲法体制(PCO)の下での宣誓を拒否したのだが、彼らは自宅監禁され、そして子供たちは学校へ行くことを許されていない。彼らから呼ばれた医師たちは、彼らの家に入ることを拒否されている。彼らは家で緊急事態下の扱いをされているのだ。
 警察は、はっきりとした判断の上で反独裁の法律家や軍政に対する政治的対抗者たちの家宅を襲っている。パキスタンは文字通りの意味で警察・軍事国家になってきた。警察は主要都市でのいずこにでも見られる。この4日間、盗みや強盗が増加した。警察はただ体制反対派拘束のために配置されたのだからである。
 ムシャラフ将軍は今や、かつてより以上にさらにパキスタンの公衆の間での反対者を増やしている。
 ムシャラフは内的外的に、急速に支持を失っている。彼は最新の友人、ベナジル・ブットーの支持をほとんど失った。宗教政党は体制との長く続いた関係を解くことに押しやらてきた。かつての同盟や構造が危機にあるのである。これはパキスタン国家の現実的危機なのである。体制は日に日に、より孤立化している。今、体制を支援しているのはただ2つの政党である。ムスリム同盟Qとムハジル・カウミ運動であり、2つとも軍事政権の同伴者である。だが、その2つはパキスタンの普通の市民から、さらに、そしてさらに憎まれるようになった。
 反対派を鎮圧する筋道は、日ごとに、その重みを失っている。国は、体制反対の成長する声すべてを抑圧することは出来ない。より速い速度での新自由主義の協議事項の履行は、日々の物価上昇と増大する失業によって特徴づけられている。全面的自由市場化という野蛮な取り決めは、結果として経済独占をもたらすのだ。資本家の経済成長は社会の底辺には届かないし、その底辺は1億6千万の人口の70%を越えている。
 アワミ・ジャムフーリ・テリーク(AJT)、すなわち7つの政党とグループの左翼連合の活動家たちが逮捕されている。それにパキスタン労働党党首のニザール・シャーが含まれるのだ。AJTの指導者であり、国民労働党の総裁であるアビド・ハッサン・ミントはすべての左翼勢力に、運動に加わり、軍事体制と闘うことを要請した。左翼はパキスタンでは、ささやかな勢力でしかないが、学生たちの体制に抗する反乱は、主要に左翼勢力と急進的社会的活動家たちの効果である。
 体制は長く続くことは出来ない。運動は進行中で伸びている。主導的活動家たちの先例なき勇気は、多くの人々に影響し、そして彼らは活動的抵抗の道へと出発しつつある。軍事体制への抵抗は、パキスタン国外の友人や同志たちの活動的連帯によって強められるだろう。世界中でのパキスタン大使館へのピケは、抵抗の最も効果ある道の1つとなろう。われわれは孤立してはいない。われわれはそれを知っている。しかしわれわれはそのことをもっと知る必要があるのだ。
*ファルーク・タリクはパキスタン労働党の総書記である(IV編集部)。
        (「インターナショナル・ビューポイント」電子版11月号)
イギリス・レスペクトの危機
     社会主義労働者党(SWP)レスペクトを分裂

             アラン・ソーネット

 レスペクトをわれわれは最近の4年間知ってきているのだが、それは、SWPとジョージ・ギャラウエイの間の同盟に基礎を置いていた。それが終わった。この前の水曜日のSWP中央委員会の決定に従えば、レスペクト協議会は計画通り変わることなく前へ進む―他の言い方では完全な反民主主義的基盤の上で―であろう。全国評議会の非SWP部分である19名のメンバーは、「レスペクト更新」のテーマでのもう1つの評議会の呼びかけを発した。活動は前に進みつつあり、出来る限り広範な基盤の上にそれを作り上げようとしている。

分裂の契機と布陣

 注目すべき状況である。SWP指導部は現実に全国協議会の非SWPの活動的メンバーすべてと不和になることをやり抜いてきた。非SWPメンバーの内には、リンダ・スミス全国議長、サルマ・ヤクーブ全国副議長、作家であり脚本家のヴィクトリア・ブリテイン、ジョージ・ギャラウエイはレスペクト下院議員であり、ジェリー・ヒックスは、産業労働者のリーダーであり、そしてこれが始まった時にはSWPメンバーであり、ケン・ローチ、アブジョル・ミアはタワー・ハムレット委員会のレスペクト代表であり、ジャーナリストのイヴォンヌ・リドレイ、そしてニック・ラック、彼は最初のレスペクト全国議長であり、今回の討論が始まった時にはSWPのメンバーであった。
 いかなるSWP以外の組織も全国的に知られている個人も、この1連の流れでSWPサイドに留まったものはいない。11月17、18日のレスペクト全国評議会が、完全に非民主主義的基盤で組織され、SWPの代議員で埋め尽くされるようSWPが組織活動を行った後では、SWPの多数勢力ということが確定的となる、という状況に直面して、19人の全国評議会メンバーは、11月17日に、「レスペクトの更新」を主題にした、もう1つの評議会を呼びかけたのだ。
 最初の呼びかけ人たちには、ジョージ・ギャラウエイ、リンダ・スミスレスペクト議長、サルマ・ヤクーブ全国副議長、そしてケン・ローチ全国評議会メンバーが含まれている。それはレスペクト再生の過程を今までとは異なりかつ包摂的な基盤の上に進めることの出発となろう。
 危機の始まりは、ジョージ・ギャロウエイの全国委員会に当てた8月末の手紙に対する破局的的なSWPの反応にあった。SWPのこうした反応は、レスペクトの発展に関するいくつかの胸に刺さる事実を呼び起こした。それはわれわれの幾人かが長い間提起し、そしてより拡大された複数主義に対しての穏やかな提案を行ってきたということである。手紙そのものはそのことを支持するものであるが、それほどには充分なものではなかった。が、その背後にある論点は明白であり、それは果たしてSWPがレスペクトにかけたきつい統御を柔軟化し、とりわけ指導部レベルや全国事務所でのいくらかの違いを受け入れるかどうか、である。
 手紙は、より大きな、国民的的でより多くの組織を包摂するものとしてのレスペクトの発展に関する、機の熟した実りある討論を開始することができるようなものであった。もしもSWPが課題の討議に政治的に準備してきたならば、いくらかの妥協―象徴的妥協でさえも―を行い、彼らが他の人々の観点を考慮し、そしてレスペクトがSWP完全支配の子会社ではないことを示そうとしたならば、積極的な成果が生じたであろう。だが、その代わりに、彼らは完全に正反対の方向―統御を柔軟化する意図は持っていないという方向―に進んだのだ。

分裂の具体的経過

 彼らは手紙を、それが暗示するすべてでもって、SWPへの正面攻撃と受け止め、そして全国レベルでのSWP地域への巡回を行い、ジョージ・ギャラウエイを誹謗し、彼とサルマ・ヤクーブを中傷的に(他の多くの物事の中だが)復古的共同体主義者と呼び、そして手紙をレスペクト内での左翼に対する右翼攻撃だと性格規定したのだ。
 そして彼らが誹謗するジョージ・ギャラウエイは、SWPをレスペクト創立以来、繰り返し各種の非難から防衛してきたジョージ・ギャラウエイその人である。彼らは今や彼を無責任と非難している。しかし、「ビッグ・ブラザー崩壊」の時には、彼らはレスペクト内で全力を上げて、レスペクトによって公表された計画をやり続けるという彼の単独決意への非難の言葉が出てこないように闘ったのだ。9月22日のレスペクト全国委員会での議論は手紙にある、全国書記に並ぶ全国組織者の新たなポストの提案に焦点が当てられた。SWPの代議員は、ジョージ・ギャラウエイに関する彼らの偏執病的内部討議を反映して、ほとんどレスペクトから脱退するところであった。そうであれば、レスペクトは崩壊したであろう。会議は時間切れとなり、続きは9月29日まで延ばされた。そこでは結果的に、そのポストは全国書記と同様の位置を持つという合意ができた。また、前の全国議長でSWPメンバーであるニック・ラックが、出来るならば、とりあえずそのポストを得るという合意もあった。これが実際化した時、ニック・ラックはSWP中央委員会によって、名前をレスペクトの組織枠組みから引き上げ、消すように指示された。彼が拒否したとき、彼はSWPから追い出された。
 同時に、ジョージ・ギャラウエイ事務所の2人の労働者は、SWPのメンバーであるが、彼らはSWP中央委員会から仕事をやめることを指示された。彼らが拒否したとき、かれらもまたSWPを除名された。11月15日の月曜日、SWPが多数であるレスペクト執行委員会はニックの全国組織者のポスト就任に反対の投票を行い、そして全国委員会の決定は無視された。全国組織者問題の背後には、より大きな問題がある。すなわち、レスペクトが複数主義組織として成長し、そこではいかなる単独の構成部分も統治したり統御したりはしないということなのか、それともSWPによってあらゆるレベルで統御されるものとなるのかという問題である。

「党建設の時期」の始り?

 今ではSWPは、レスペクト内部の闘争を、右派の左派に対する闘争であり、その左派はレスペクト内部に社会主義のキャンプ地を防衛しようとしているのだ、と表現している。こう言うSWPは、常にレスペクトの社会主義的側面を低めようと闘ってきたと同じSWPなのである。SWPが統制するレスペクト名称の出版物の表紙に社会主義が述べられたことはないのだ。SWPが2000年に社会主義同盟に加わった時、私は、次のように述べた最初の1人である。すなわち、彼らが行った他の左翼との共同行動への転換は、長年の彼らの孤立主義の後では、すべての左翼にとって、重要な前への踏み出しとなるものだ、と。今、4年間の社会主義同盟と3年半のレスペクトの後、こうした外部にむかう彼らの転換は、結果として終了した。予測できる将来において、現在の指導部と戦術方法でのSWPが、広範な複数主義政党建設において積極的役割を果たすことを見ることは不可能である。
 事実において、このレスペクト内部での闘争が続いてきたと同時に、SWP指導部はこうした戦略論争から抜け出すための理論化を続けてきた。SWP会議(2008年1月)への最初のブレティンは土壇場での中央委員会文書(執筆されたのはこの論議の最中である)を載せているが、それは次のように論じている。すなわち、1990年代中期からシアトル、今世紀の最初の数年への闘争の高揚時期は現在ある左翼政党のほとんどを創り出したが、今や枯渇し始めている。その結果、右の流れがこれらの政党内部で発展している―レスペクト内部の反対派の位置もそこに含まれる。
 こうしたことから、これらの政党の時期は終わり、そして「党建設の時期」となった、という結論へはほんの1またぎである。いかにしてSWPが、自ら創り出した大混乱から掘り出す何物かに熱意を注ぐことができるのか、理解するのは難しい。ブレティンの他の中央委員会文書は、彼らがレスペクト建設のために防衛してきた生気のないモデルを補強し、塹壕で囲むとしている。
 公開的に論じられているのは始めてだが、レスペクトはSWPにとっては、選挙(連合)戦線であり、選挙の合間、レスペクトの位置は低く、選挙が到来すると評価が上がるということをSWPは完全に受け入れているのである。
 これはまさしくSWPがレスペクトに押しつけ、そしてレスペクトが築かれた土台モデルである。これがまったく誤っているのは、SWPとレスペクトの関係それ自身にある。このモデルではSWPが高度な姿を持つ圧力と優先性を持つ支配組織としてあり、レスペクトはそれに従属する選挙組織としてあるのである。
 より正確には、そのモデルは失敗したが、それはSWP内部で民主集中性を管理するやり方をより大きな組織において彼らが機能した方式を拡大するというやり方の失敗であった。これは、SWPメンバーがレスペクト内部の会議や会合において、SWP組織から厳しく統制され、その結果、他を寄せ付けなくなってきたのであろうということだ。彼らは、討議に先行する彼らの執行委員会で、レスペクトの会議や会合の前に、何を行い如何に投票すべきかを告げられたであろう。ほとんどの場合、彼らは、レスペクト自身の内部での討論過程に関与することなく、何を行い如何に投じるかを告げられたのだ。

多元的左翼に向けて

 大きな左翼構造体の中では、現実的で自治権のある政治的生活がなければならず、そこにおいては、組織された潮流のメンバーではない人々は、彼らの背後で、いずれはその視点を押しつけてくる幹部会での決定がなされてはいないという確信を持つことが出来るし、彼らは、彼らの政治的貢献が政治的討論に影響を与えることが出来るのだと確信していなければならない。このことは、いかなる革命的潮流も、「統制された密集軍」の戦術概念を持つことが出来ないということを意味する。広範な左翼潮流の堕落(ブラジルにおけるような)の場合を除いて、われわれは官僚的指導部と闘争してはいない。このことは、たいていの討論、時間のほとんどにおいて、政治潮流のメンバーたちは、自己の潮流の多数の観点には関わりなく、自己の見解表明を行う権利を持つべきだということを意味する。もしこれが起こらなかったら、見解の実際の均衡があいまいになり、民主主義は否定される。
 明らかに、これは労働者階級や被抑圧者の利益やアフガニスタンに軍隊を送るという決定的問題の場合であってはならない。しかし、もしもそうしたような課題で違いがあるとすれば、その時には革命潮流の会員身分は問題に投げ入れられる。革命潮流は、自身の組織的重みを使って他のすべてに対して決定を押しつけることは避けなければならない。
 それは、民主主義が偽物である破壊的戦術方式である。もしも革命的傾向が、公開された民主的討論でその見解が勝利しなかったならば、労働者階級や被抑圧者の利益に関する根本的問題を含むのでなければ、妥協や譲歩がなされなければならない。もしも革命潮流が、「討論はOKだ。そしてわれわれは、勝ちを確実にするために集会を固める」と言うのならば、民主主義はインチキとなる。以上に述べた方式は、SWPがレスペクト内で行ってきたやり方の正反対の方式である。それはまた、危機から抜け出したレスペクトを鋳直し、磨きなおすことに、正反対の方式が投入されねばならないことなのだ。『社会主義の抵抗』において、われわれは長いことこうした方式を主張してきたのだ。
 われわれは『スコットランド戦闘的労働者』が、SWPの内部で、自身の組織は維持するがSWPの中での組織的やり方には介入しないという動き方をしていることを支援する。たとえば、通常の状態の下で、決して会合の前の幹部会議を行わない。それは彼らが討論進行の一部であり、外部から口を出すのではないということを明確化するためである。おそらく彼らは自身をいくつかの段階で充分であるようには組織化しては来ていなかったのだ。しかし彼らが先駆けした全体的な道は、われわれが熱望し続けるべき物であるのだ。
 
*アラン・ソーネットは国際主義社会主義グループ、第4インターナショナルのイギリスセクションの指導メンバーであり、レスペクトの全国委員会に席を置いている(IV編集部)。
(『インターナショナル・ビューポイント』電子版11月号)
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