2008年5月10日        労働者の力             第 218号

完全に行き詰った福田の打倒を!
自民党は政界再編の狙いを公然化


川端 康夫

 
 
自公政権時代―終わりの始まり

 福田の支持率は30%以下に落ちつつある。不支持率はとうに50%をはるかに越えた。政治常識的には福田内閣はもはや倒れる事態である。
 福田は大連立や民主党との政策的妥協の路線を追求したが、その結果は、政治的正統性を揺るがしそれ故に滅多には起らない、衆議院三分の二での予算関連法案採決を強行している。
 現実的には、総選挙を行い、このねじれ国会のもたらす諸問題をどのように解くのか国民に問うべきなのだ。
 しかし福田も自民党も、そうした政治判断を拒否する構えである。総選挙での敗北は避けられない、という自己判断が日々強まっている。先日の衆院山口二区での補選での大敗が、ますますそうした傾向を強めている。現状では勝てない―これが実感であろう。なにしろ保守王国の山口県での事態なのだ。
 しかし、いずれにせよ総選挙はやらなければならない。現衆院の来年の任期切れまで現状にしがみつくことは事実上不可能である。参院での問責決議が通れば、政治的機能が国家的にマヒするにいたるからだ。 その結果が自民、民主保守派の大再編ということになるのかもしれないし、あるいは民主党(中心)内閣ということにもなるかもしれない。そして、保守再編ということになれば、加藤が動き始めた「リベラル」派結合ということも現実性を帯びるかもしれないのである。
 他方、自公に対抗する「野党連合」的な野党各党の議会的連携の動きは深まり、道路特定財源問題や高齢者医療保険制度の新設など、国会は激しい与野党対立に直進している。今の野党のブッロク政権(民主党中心)への動きということになろう。
 自民党の伊吹幹事長が言い出した「衆院選後の大政治再編」ということの可能性は、少なくともあと数年は参院は代わらないからであり、自民党が仮に公明党と組んで衆院多数を占めたとしても、そして誰が首相を担うことになるのかは別として、自公内閣が再度成立したとしても、衆院三分の二は確実に不可能であるから、引きつづくねじれの国会運営はさらに厳しさを増すところに発言は現実味を帯びるのである。
 今のところ、福田は引くも進むも出来ずにいる。すべて、のらくらりである。高齢者保険問題や社会保険庁をめぐる諸問題の噴出など、福田に残された手は内閣改造で装いを変えてみるしかない、とも言われている。さらには福田辞任、後継総裁誕生で国民の目先をとりあえずは変えるという噂も現実味を帯び始めた。
 安倍執行部と内閣をそのままに引き継いだ福田内閣の突き当たった諸問題をふり返える時、例を防衛庁にとれば、賄賂の防衛次官問題から始まり、イージス艦問題にいたり、そしてイラク米軍への油提供をも指摘されるアフガン支援給油活動や、クエートからバグダットへの自衛隊輸送機での空輸活動それ自身、ねじれ国会で今後の継続もすでに大問題となると見られている。
 米・日・韓三国関係を強化しつつ外交問題で国内不評を何とかしようとしている福田にとって、アフガン多国籍軍への給油からの撤退やバグダット米軍への輸送支援の中絶は、アメリカとの関係で、これまた大変な事態となろう。

衆院過半数への激烈な攻防

 大連立で傷ついた小沢は、陣を立て直し、内閣打倒の基本線を組んだように見える。総選挙の早期開催である。小沢は、選挙区の150を取り、その結果として比例区で70。計220を民主党。そして、その他の諸政党を加えて、最低でも過半数と構想しているとされている。政治関連作家である大下の評価によるこうした数字が正しいかは別にして、480の衆院定数において、少なくとも自民党も野党ブロックも過半数である241議席をめぐる数の争いなのだ。
 現在の野党ブロックが衆院議員数で241を越えれば、そこでは確実に両院での与野党逆転である。
 民主党単独での150を小沢は簡単とは思っていないだろうし、同時に他の少数野党の健闘も絶対的に必要だ。そこで、三野党・四野党のブロック的な共同へのうごきが加速している。先の3月14日、民主、共産、社民、国民の四党が巣鴨駅頭とげ抜き地蔵入り口で堂々の演説会を開催していた。大変化である。テレビのニュースで見たのではっきりはわかりにくかったが、周辺の歩道橋廻りは、すざましい人々だった。あの場では頻繁に各政党・団体が宣伝活動を行うのであるが、あれだけの人々の集りをを見たのははじめのことである。14日はとげ抜き地蔵の四の祝日であるから、不断よりはるかに多くの人が現れたと思うが、それにしてもすごかった。巣鴨の人出は、ほとんどが高齢のご婦人たちである。75才を越えた、後期高齢者者の人々だ。
 全野党共闘が国会だけでなく街頭にも登場したのである。この共闘の直接の契機は、共産党が全選挙区で立てないだけでなく、立てない選挙区では特定候補を推薦しないことをきめたことにある。実質的に民主党への投票の許可である。この志位体制の決断が、民主党との選挙協力にはじまる諸問題をめぐった一種の紛糾を起してきた社民党への圧力ともなった。
 小沢は、社民党候補者の内、民主党有力者と選挙区がぶつかっていたものを、民主党の枠のあいているところで積極的に擁立するとしており、社民党候補者の多くはそれで動くつもりであり、そうした関係で、昨秋の党大会がごたごたしたのである。
 社会党時代から生き残っている社民党員たちは、その後の新しい市民派議員たち(つまりは土井体制下で進出した議員たち)にはあまりなじまず、また社民党
からの民主党への大量流出への対抗意識もあり、従って、小沢の言う国替え(選挙区替え)にもあまりに前向きではない。社民党執行部は、明らかに民主党への接近か、独自性を貫くかで内部的に息が合わなかったのだ。しかし、共産党まで野党ブロックに現れたことに、オールドメンバーたちも知らぬ顔はなかなかできぬだろう。
 いずれにしても、次の総選挙は、けたたましい大地変を引き起こすこととなるであろうし、そうしなければならない。まずは自民党と官僚の結合性を根底から覆すために。さらに、民衆が自ら動き出す条件を生み出す展望の下で。

自公政権打倒―次に何が来るのか

 では、福田の次の内閣は何であろうか。今はどうにも言いようがない。あらゆる可能性が出てこよう。だが、小沢の決意は自公内閣打倒であり、極端言えば、自公官僚体制の打倒である。これはおおかたのところ、現在の民衆の歓迎するところだろう。
 だが、自公内閣を倒せは当然だが、次の政府、すなわち民主党中心の政府が仮に出来たとして、何が生まれて来るのだろうか。
 小泉政権のもとでの賃金格差社会がさらに拡大するアメリカ型社会への道は、長らく、そして全般的に、経団連の奥田前会長によって推進されてきたものだ。福田が直面している社会的・政策的諸問題は、まさにその時代の産物であり、そして福田は官房長官としてそれを支えていたのである。
 その福田を攻めて、仮に民主党中心の政権が成立したとした時、この政権の主張は、はたしていかなるものとなるのであろうか。これは今のところ全くの謎である。
 民主党自身が右から左までの選挙連合政党である。それはあくまでも自公内閣批判がメインであり、自主的政策の全体性は謎のままである。そして、その有力支持団体とされる「連合」は、少なくともこの20年以上は資本家団体とほとんど運命共同体的動きをとってきた存在である。
 外交的には先にのべたように、小沢的な「国連主義」があるが、さて日米安保はどうするのだろうか。国内的には、あるいは国際経済的には、日本国家がアメリカ主導の一連の政策に対抗するようなものを準備、たとえば東アジアの共同の経済政策などを、アメリカから独立したものとして構想するものであろうか。その他、さまざまに民主党の政策の自主性、総合性への疑問がつく。民主党には、アメリカ民主党型的なものを考えている部分が半数ほどもいることを考えれば、新自由主義、つまり、資本と相当に妥協した政策が大半なものとなると考えざるを得ない。

反資本主義の左翼的な大政治連合―歴史的課題

 仮にこうした事態が到来するとすれば、日本民衆にとっても、日本左翼にとっても極めて新しい、いわば55年体制のもとではとうてい考えが及ばなかった事態に直面していくものだ。つまり、資本主義保守の二大政党体制の成立というものに対する、しかし双方共が民衆を確固として組織できないという不安定な構造―自公政権の崩壊はそれを確実に拡大する―の下で、まさに「批判的左翼」の連合的結集とその自主連合的な、反資本家の政府をめざす「綱領性」あるいは「政策集」の形成の諸問題である。
 こうしたことは、今後想定される日本政局の波乱的展開に向かい、その渦中で、改めて全面的に検討される必要が出て来るであろう。われわれは、自公政権打倒の民衆的な規模の大きな闘いに主体的に関与しつつ、あらたな「左翼」的な政治的大連合を積極的に展望し、意識化しなければならないだろう。
 これこそ、まさしく新しい「21世紀政治」を始めるということである。
 そうした点において、わが第四インターナショナルはまことに多様な国際的経験の最中にある。イタリア、ブラジル、フランス、イギリス、ポルトガル、デンマーク、ドイツなど、まさにきりがない。それらは全世界的に、社会主義、過渡的要求の立場を基本として捨てることはない。イタリアの「批判的左翼」が、「護憲主義」の日本では衝撃的となろうが、積極的に「社会主義的憲法改正」を掲げてもいるという例もある。
 自民党体制を解体することは必要だが、それはとりあえずのことで、ドイツのラフォンテーヌの動きやイタリア「批判的左翼」、フランスの「新党建設」など、新自由主義化している旧社民主義的勢力との対抗関係をどうするのかという問題が、日本では、現局面では民主党との関係の問題となる。世界的には、各国毎に複雑なものとなるだろうが、21世紀における左翼の大衆的形成、確立への避けられない道である。
 そして、形成される社会的連合的勢力がいかなる政治的存在になるのか。私は、社会主義的・反資本主義であり、同時に緑を含み、女性主義を含む以外には成り立たないであろうと考えている。(5月8日)
憲法集会、9条世界会議
9条守れ!熱気広がる
 改憲を打ち上げた安部政権の無惨な沈没を経て、今年の5月は、憲法を巡る人々の意識の変化が際立つものとなった。いわば現憲法に対する自信の回復だ。それを示すものは相次いで発表された世論調査だけではない。以下の二つの集会もそれを映し出していた。

5/3憲法集会に4300人

 5月3日、今年で八回目となる憲法集会が東京の日比谷公会堂で開催された。午前中の強い雨が出足をくじくのではとの懸念もあったものの、開会時刻には会場は満席となっていた。会場からあふれた参加者は、例年通り公会堂横の第二会場オーロラビジョンを通して集会に参加した。
 堀江ゆりさんの主催者挨拶に続いた発言は、湯川れい子さん(ジャズ評論家)、アン・ライトさん(イラク侵略反対に立ち上がった元米陸軍大佐・元外交官)、九条ピースウォーク参加者、福島みずほ社民党党首、志位和夫日本共産党委員長、子どもパレードの親と子ども達。今年の発言では、生活破壊と闘う武器としての生存権と、イラク派兵に対して名古屋高裁が下した違憲判断の強調が、特に目についた。
 雨が上がったとはいえ、第二会場の足下はぬれたままだった。しかしデモ出発時刻まで人は増え続けた。最近の特徴だが、デモをめがけて出かける人も多いのだ。最終的に4300人と発表された参加者は、集会後色とりどりの旗や手作りのデコレーションを手に、長いデモ隊列となって銀座に向かった。

5/4九条世界会議(全体会)に1万人以上

 昨年1月から数多くの著名人が呼びかけ人となって準備されてきた九条世界会議が、5月4―6日の日程で千葉県の幕張メッセを会場に開催された(同会議は続いていくつかの都市でも開催)。
 5月4日初日の全体会は午後1時半開会予定。主会場は定員7000人の国際会議場、入場できないことがあるなどとはよもや思わず、開会時刻を過ぎても最寄駅からの人並みは続いていた。ところが主催者も参加者の多くも予想しないことが起きていた。開会時刻を待たずに会場は満席となってしまったのだ。つめかける参加者は入場不可能。会場入り口からは入場を待つ長蛇の列ができた。隣接する国際展示場に設置された展示ブースやそこでのビデオ上映をゆっくり見ていた人達も入場できない。会場前にたまり続ける参加者の中からは主催側スタッフに詰め寄る人も。予想を越える事態に主催側も一時混乱。
 3000人との報道もあるが、あふれた人数はとても数え切れない。会場警備についた全労協の仲間によれば、事情を知って早々と帰った人も少なくない。
 時間は要したものの結局、直ぐ脇の公園に第二会場を急きょ設置。長蛇の列はそちらに移動、にわか仕立ての集会が始まった。そして、各地の参加者が各々思いの訴えを続けていたこの場に、主会場での基調講演を終えたマイレッド・コリガン・マグワイアさん(北アイルランド、ノーベル平和賞受賞)とコーラ・ワイスさん(アメリカ、ハーグ平和アピール)がかけつけた。大きな拍手で迎えられた二人は、この日目にした人々の熱気への感激を述べつつ、九条を誇りにすべきであることを、そしてこの精神を基礎とした世界の平和の可能性に希望をもとうと、力強く訴えた。
 条件に恵まれたとはとても言えないハンドマイクの即席集会だった。しかしそこには、他のイベントの帰りがけに立ち寄る人を含め、熱心に耳を傾け拍手を送る多くの姿があった。若者の姿も多く見られたこのハプニング集会は、最後に、「ウィーシャルオーバーカム」のギターだけが伴奏の合唱で幕を閉じた。ここでは即席であった分むしろ、人々の思いは生のまま出ていたように見えた。
 筆者も中に入れなかった一人であるため、主会場の様子を伝えることはできない。しかし、確実に1万人は超えたと思われるこの日つめかけた人並みと上述した一端は、九条に寄せる思いを今人々が新たに強めていることを、各種世論調査といった乾いた数字とは別の形でにまさに息吹として伝えていた。
 先のハプニング集会参加者の意気を前に、主催者を代表した吉岡達也さん(ピースボート)は、二回目も三回目もやりたい、今度は東京ドームで、とこれも意気高く応えた。なお、「赤旗」5月7日付は、3日間の延べ参加者数を22000人と報じている。(K)

4.17派遣法院内集会
法改正正念場に
参加5党、改正具体化へ

  4月17日、「今こそ希望のもてる働きかたの実現を!さあつくろう派遣法改正案 各党の改正案を聴く院内集会」が、参院議員会館で開催された。労働者・市民160名がつめかけ、民主、共産、社民、国民新、公明の五政党参加の下、派遣法改正に向け熱のこもった意見交換が行われた。主催は「格差是正と派遣法改正を実現する連絡会」。
 同連絡会が昨秋から重ねてきた院内集会も今回で四回目となった。今回の趣旨は標題に見るようにそのものずばり、各党改正案の具体的検討だ。派遣労働の非人間的な実態を当事者の声を中心に生々しく明らかにし、その規制の抜本的強化を国会議員と社会に広く訴える取り組みとして始まったこの集会は、今回ついに、各政党に改正案を具体的に提示させ、それらを当事者も関与する形で検討し合う段階に達した。
 冒頭の開会挨拶に立った安部誠全国ユニオン事務局長はその進展を確認。その上で、問題の元凶を99年の派遣法大改悪(労働者派遣の、例外から原則自由化への転換)と指摘、その観点に立った改正実現に向け、各党の一層の努力に期待を表明した。

各党は

 今回は最初に、各党の担当議員が党の正式方針を説明。発言は、亀井亜紀子参議員(国民新)、小池晃参議員(共産)、近藤正道参議員(社民)、谷合正明参議員(公明)、山田正彦衆議員(民主)。党の合意を得た改正案あるいは改正骨子案を文書で提示した党は、国民新、共産、社民の三党。公明党はまだ論議中、民主党は作業チーム内で条文案作成が終わる段階、という。
 具体的な改正方向については以下に見るように相当の開きがある。しかし参加した五党は、労働者保護の観点からの法改正は必要、とした。
 中で先ず、一般業務の登録型派遣を禁止し99年以前段階への規制、という点で、国民新、共産、社民の三党が足並みをそろえた。上記三党では、マージン率規制、共同雇用責任あるいは均等待遇等でも重なりがある。
 その上で共産、社民の二党は、派遣期間上限規制(1年)、期間上限を超える場合などいくつかの条件における雇用に関し、期間の定めのない雇用とするみなし規定の導入、などの点でも考え方は重なった。
 一方国民新党は、派遣上限3年の厳守と、上限を越える場合に派遣先に義務化されている雇用申込は期間に定めのない雇用とする、という方向。
 対して今回表明された民主党案は、二ヶ月以内の登録型派遣については規制強化、この規制の中で日雇い派遣の全面禁止、派遣先・派遣元の共同雇用責任、違法派遣の場合の直接雇用みなし制度、情報公開、もっぱら派遣(親会社業務への派遣を目的とする派遣子会社設立のような形態で行われる人材派遣)の規制強化。その上で山田議員は、99年以前へ、との意見もあるが党内では意見が割れていると報告、現実性ある法案を成立させたい、とした。
 公明党の谷合議員は、日雇い派遣禁止という北側幹事長発言、今国会での法改正という太田代表発言を紹介し、今年は研究の年とした前回発言より一歩前に。しかし、与野党で力を合わせたいとの線で発言は止め、日雇い派遣の禁止を滲ませた以外の具体的改正内容には踏み込まなかった。

敵の反撃をはね返せ

 上記表明を受けて先ず日本労働弁護団の小島幹事長が発言。派遣法抜本改正に向けた労働弁護団アピールを紹介した上で、全国の全弁護士に向けさらに積極的に働きかけ法改正の取り組みを強化する、と決意を述べた。群馬県では全弁護士対象の学習会が始まっているという。
 次いで派遣労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士。派遣法改正を求める運動の高揚を確認しつつ、その本格化に対応して敵側の反撃も強まっていると注意を促した。その上で、その反撃も机上の空論であることを具体的事例に即して痛烈に批判。例えば、「スポット派遣を労働者も求めている」論。正社員が休日に日雇い派遣での仕事を求めている、などと主張されるらしい。しかしこれこそ人を愚弄する議論、と一党両断。仕事を二つ、三つ掛け持ちしなければ生活できないような雇用の現状こそが問題の核心なのだ。物流・流通産業などで横行するこのような雇用を放置した上でなされる議論などを許すわけにはいかない、実態を具体的に突き出し彼らの空虚な反撃をはね返し実のある法改正の実現をと、中野さんの訴えは迫力満点。
 当事者からは先ずガテン系連帯共同代表の池田一慶さん。現在直接雇用への切り替えと称されているものが期間工としての雇用に過ぎず、派遣―期間工―派遣というサイクルの「偽装直接雇用」になっていると実態を明らかにし、雇用の不安定さは何一つ解消されていない、と痛烈に批判。それ故に、期間上限を越えた場合の雇用には、期間の定めのない雇用とみなすという改正は不可欠、と強く訴えた。
 二番手は派遣ユニオンの関根秀一郎書記長。彼は特に、登録型派遣を期間で規制する民主党の考え方に強い疑問を表明。この規制のやり方では、雇用保険無保険者の大量産出につながり、その上労災頻発状況に対しても効果がないと訴えた。その観点から、派遣対象業務の限定こそが不可欠であり、99年改悪が可能とした一般業務の登録型派遣の禁止と、先の池田さんが主張したみなし規定の導入を、彼もまた強調した。

不公正の助長と消せない違法


 これらを受けて、武庫川ユニオンの上山委員長と同ユニオン尼崎市役所分会の藤原さんが、委託先競争入札を手段とした公務非正規雇用労働条件の切り下げ攻撃と、それを打ち破ったストライキ闘争について特別報告。この報告は、公務の市場化テストなるものが計画されている今後に、いくつもの問題を投げかけた。
 筆者が特に重要と考えるものは、業務外注とされるものが必然的に偽装請負化する問題。公務という業務の特性から、例え外注の形をとったとしても、そこには正規の自治体職員の直接的管理・監督が不可欠に必要とされるからだ。その結果市場化テストとして導入予定の業務委託も、実態は派遣労働力利用とならざるを得ず、多くは偽装なしには成り立たないことになるのだ。市場化テストの実施に隠されたこのような矛盾の表面化は、労働者民衆の闘いが労働ビッグバンという支配側のもくろみに一定の障害を作り出し、派遣労働の一層の規制解体にブレーキをかけていることの結果、と言ってよい。派遣法を巡る労働者の闘いは具体的に支配側の矛盾を押し広げている。それ故また派遣法改正の実現は、公共サービスの切り刻みという支配側の戦略にも大きな打撃となるだろう。
 特別報告の二番手はKDDIエボルバユニオンの見留委員長。彼女からは、改正パート法なども援用した均等待遇実現をめざす闘いに加え、KDDIの驚くような不当労働行為について報告された。KDDIは、彼女の昨年秋の組合活動としての院内集会発言に関し、懲戒の脅しをかけているのだという。現行派遣法は現実に、派遣労働者の権利主張はおろか、実態告発の権利すら否定するまでに経営側を増長させ、それを支えているのだ。
 派遣法とそれを前提とした諸方策を擁護する主張の不公正さと空虚さは、現実を前に今回もまた隠しようもなく暴き出された。

焦点は意味のある規制

 これらの声に対して、共産党の小池議員は、現実から出発する限り99年以前に戻すという線は最低限必要であり、かつ雇用申込義務が絵に書いた餅になっている以上みなし規定も欠かせない、と応じた。また社民党の近藤議員は、登録型の徹底規制が今後の争点となるとし、加えて、恒常的業務には派遣ができないという規定も明確にしたい、と応えた。
 これらの議論を受け最後に鴨桃代全国ユニオン会長が今集会での到達点を以下のようにまとめた。即ち、第一に日雇い派遣禁止での一致、第二に99年以前に戻すべきことの確認、第三に労働者の思いに依拠した改正をめざすべきこととし、そしてこれらの観点から、民主党に一層の踏み込みを求めたい、と特に付け加えた。
 しかし残念なことに、民主党の山田議員は、国会日程を理由に方針説明直後に退席していた。現場の声に耳を傾けていた民主党議員は、おそらく相原久美子議員しかいなかったように思われる。派遣法改正に当たって民主党が鍵を握っていることは厳然とした事実だ。正念場に差し掛かっている今、先のまとめに沿う線にこの党を立たせるよういかに運動を高めるかが、従って草の根から湧き上がるような民衆の結集実現への取り組みが、いよいよ重大な課題となった。
 今回に至る派遣法改正をめぐる事態の展開は、文字通り当事者が先頭に立ち、その中に議会各派も巻き込みつつ、当事者が直接関与する形で法案「作成」を進めるという、極めて意味のある民主的空間の広がりを作り出した。捩れと総称される新たな政治状況がそこに力を与えていることも間違いない。このような貴重な経験と条件を生かし発展させるという意義も加え、派遣法改正を実現させる闘いは、今極めて重大な闘いとして提起されている。(神谷)

韓国労働運動の大先達を迎えて
「第2回全国連鎖行動」仙台集会を開催
   
 
 「韓国と日本の労働運動を結ぶ全国連鎖行動」の一環として、4月16日、仙台集会が開かれた。3年半前に続いて二回目の企画である。仙台では前回と同様、宮城全労協が集会に賛同し、実行委員会を呼びかけた。冒頭、全国行動の主催者である現代研究所のスタッフから、今回の集会にいたった経緯と意味について発言がなされた。
 前回は民主労総の攻勢と新しい労働者政党の結成という局面での開催であった。それから韓国の状況は大きく変った。その変化は大統領選挙とそれに続く国政選挙でも示され、どのような論議になるのか注目された。
 二回目の講師は李寿甲(イ・スガップ)さん。韓国鉄道労組名誉組合員であり、運輸産別労組顧問。1925年生まれ。歴史を背負った文字通りの闘士である。李寿甲さんは1945年、日本帝国主義植民地支配からの解放直後に鉄道に就職し、2年後、闘争の中で解雇された。李さんが鉄道労組の名誉組合員となって組合復帰を果たしたのは実に半世紀の後、2005年であった。
 講演の主題は「朝鮮労働運動史」。「朝鮮共産主義者」がコンテルンに参加した1919年、「日本植民地下の労働運動−独立闘争」から講演が始まった。

 日本帝国主義の侵略が敗北した1945年、李さんは21歳で朝鮮共産青年同盟に加盟した。解放から数年間の闘いの報告はとてもリアルなものだった。日帝の弾圧から解放された労働者民衆たちの闘いの数々、そしてまた解放後の新たな弾圧による悲劇の数々が紹介された。それでも労働者民衆は、「民族的使命感」をもって、「独立国家建設闘争」に突き進んでいった。解放後三か月の全評(朝鮮労働組合全国評議会)結成を前後する闘いの報告はまさに圧巻であった。
 解放翌年の年末、南朝鮮労働党(南労党)が合党結成される。時間の都合もあり、その前後の経緯は省略された。講師は、別の機会があれば、もっと詳しく報告し、論議したいと述べるにとどまった。講師は一つの詩を、「済州道地区」の壮絶な闘いを伝える象徴的な歴史証拠として紹介した。

「沸き立つ漢拏山(ハルラサン)」

動くものはすべてわれわれは敵だったが
同時に彼らの敵でもあった
しかし
われわれは見て撃ったが
彼らは見ずに撃った
虐殺はそのように始まった
あの日
・・・(以下、略)

 その後の苦闘の連続を経て、韓国労働者階級は前進し、民主労総の結成に至り、新らたな挑戦に向かっていった。それは前回、3年半前の全国連鎖行動の主要テーマであったが、状況は大きく変化していった。そして、その間の出来事についての多くも、残念ながら時間の都合により省かれた。
 最後に講師は、この間の大きな問題、つまり「韓国労働運動の誤謬と限界」に時間を費やし、「労使協調主義」を排して闘うことの重要性を訴えた。労働運動とは何か、労使(資)関係はいかにあるべきか、限られた時間での熱弁であった。「協調というのなら、それは労働三権が守られ、労働者が産業の主軸になるということでなければならない。だが実際はまったく逆である」。
 日本労働運動に対してはどうか。「日本労働運動の悲劇的状況がいま、韓国に輸出されている」。日本企業が労働者支配の労務管理システムを韓国に輸出しているだけではない。労働運動を労使協調に向かわせる構造そのものが輸出されている。日本労働運動はそこに加担しないでほしい、と。
 「労使協調主義は労働運動ではないと私は確信している。血と汗を流した『全評精神』が、いまこそ韓国労働運動に問われている」。講師の最後の言葉が深く印象に残った。(仙台)
4/12管制塔占拠30周年の集い
志をつなぐ、思い新たに
「1978.3.26 NARITA」完成披露

 成田空港の管制塔を占拠しこの空港の開港を阻止した1978年3月26日の闘いから今年は30年。4月12日、標記の集いが同集会実行委員会主催の下に東京で開催され、70名以上が参加した。そこには、管制塔被告や第八ゲート被告、また損害賠償攻撃への完済カンパ運動を推進した仲間達が、さらに当時の闘いを直接は知らない年下の参加者も含まれていた。
 この集いはまた、実際に闘争を立案し実行した当事者達の語りで、その期間の開港阻止闘争全体を明らかにした「1978.3.26 NARITA」(定価1300円、340頁、30周年記念出版編纂委員会編、結書房)の出版記念も兼ねていた。集い前日に完成したばかりというこの本は、当日の参加者に配られた。
 集いは、管制塔被告の中路さん司会の下に進められ、同被告の和多田さん始め多くの人が発言に立った。それらの中で、闘いに赴いた当時の思い、またその時の志が今に残している意味などがこもごもに語られた。
 中でも、第九ゲートからトラックの荷台に乗って突入し、火だるまになって命を落とした新山さんへの管制塔被告の痛切な思いには、特に印象深いものがあった。彼らは、新山さんの最後の姿を目にした数少ない同志達だったのだ。特に、和多田さんはこの闘争立案者として、この結果を招いた自らの責任について深い思いを込めて語った。今回出版された本を貫く一本の糸は、間違いなく新山さんに寄せるこの思いのように思われる。
 時の福田政権に痛打を与えたこの闘いを政治的に発展させることが、その成果を日本社会の変革につなげることが、我々には結局できなかった。そこで残された課題は、基本的に今も我々の前に置かれたままだ。この集いの発言、そしてそこでの語らいは、この課題が様々な形で集会参加者に問いとして残されていることを浮き彫りにしていた。
 世界と日本の変革が痛切に求められ、かつ、そこに向けた新たな闘いの時代の幕開けが感じられる今、この問いは一層重いものとして我々に課せられている。(O)
上記書籍問い合せ先
結書房
〒102-0074 東京都千代田区九段南4―3―4 大江ビル五階 TEL 03-3263-3544
FAX 03-3230-0572
第四インターナショナル国際委員会
30カ国代表、世界情勢を討論
 世界大会をつなぐ期間の第四インターナショナル(FI)基本機関である国際委員会(IC)は、3月はじめにアムステルダムで定期総会を開催した。ここでの討論の中心は、世界情勢の展開、環境危機と気候温暖化、ラテンアメリカ、パキスタン、ロシアにおける政治情勢とそこでの組織活動、ヨーロッパ(イギリス、フランス、イタリア)における新党建設という経験、アムステルダム研究所の調査と教育活動、そして次期世界大会の準備。
 ここには30カ国からメンバーとパーマネントオブザーバーが出席した―ドイツ、アルジェリア、オーストリア、ベルギー、ブラジル、ボリビア、カナダ、デンマーク、エクアドル、スペイン、USA、エウスカディ(バスク―訳者)、フランス、イギリス、ギリシャ、イタリア、日本、メキシコ、パキスタン、オランダ、ペルー、フィリピン、プエルトリコ、ポルトガル、ケベック、ロシア、スリランカ、スウェーデン、スイス、トルコ―。コロンビア、香港、モロッコ、ポーランド、ウルグァイの代表は、財政的理由で出席できなかった。来賓の中には、USAの国際社会主義組織の代表がいた。一方、出席を予定していたベネズエラの「マレア・ソシャリスタ」代表は、この国の主要鉄鋼企業であるシドル社でストライキが勃発したため、最後の段階で欠席を決めざるを得なかった。
 世界情勢に関する討論は、最近の経済危機の発展に関連付けられた。それはまた、以下のような中長期的な基本的問題を巡るものでもあった。即ち、新興諸国の、特に中国の資本主義の勃興による国際的力関係の変化と世界経済における変化がそれだ。この議論は論争の中で、以下の三つの論点で広げられた。即ち、環境危機と気候温暖化(これらは、前の週にアムステルダムで開催されたセミナーからもたらされた報告によって豊富なものとなった)、ラテンアメリカ情勢、そしてヨーロッパ情勢だ。
 ラテンアメリカに関しては一つの報告が提出され、その後に一定の討論が続いた。ラテンアメリカにおける現在の全般的傾向―アメリカ支配の緩み、ブラジル/アルゼンチンブロックの台頭、現実社会に存在感を示す一連の社会運動、ベネズエラ/エクアドル/ボリビア/キューバブロックと結びついた急進的民族主義あるいは革命的諸潮流の台頭―が確認されるとしても、アメリカに支援されたコロンビアの攻撃と共に、経済情勢における一定の転換に留意することが必要だ。ICはコロンビアに関する声明(本紙前号掲載―訳者)を採択した。
 ヨーロッパに関しては、イギリス、フランス、イタリアの諸支部代表から、前進の中での諸経験について報告を受けた。イタリアの批判的左翼の同志達が展開していた選挙運動が心に留められた。この組織はイタリア全土のほとんど全てに候補者を立てていた。一つの論点は、「68年5月―2008年5月」との標題でフランスLCRが召集しているヨーロッパ反資本主義左翼会合に向けられた。他の「階級闘争派」あるいは革命的諸潮流を招待しつつ、全支部がこの働きかけに参加するだろう。各国の選挙戦術に優先するものとして今ヨーロッパの諸支部は、特にフランスLCR、イタリア批判的左翼、スペインのエスパシオ・アルタナティボ、スウェーデンの社会党は、次期EU議会選の機会に共通の政治的表現をもつ可能性について討論中だ。
 今回のICは、アムステルダムの教育調査国際研究所の新しい建物で開かれた最初の会議だった。そしてこのことが、この研究所の活用に関する討論に刺激を与えた。この研究所は、インターナショナルに対して教育的働きかけを可能とすると共に、会合や訓練学校や教育的セミナーのために、その施設をオランダやヨーロッパ労働者運動の反資本主義潮流に開放しなければならない。ICは今回、この研究所の活動軸に関するひとつの報告を了承。
 最後にICは、次回世界大会開催をおおよそ2010年第14半期と決定した。この大会での論点について入り口となる報告がローレント同志から提出された。また執行委員会名の下にローレント同志とオリビエ同志によって提出された概要が、論争開始のために使用された。論争は、以下の二つの問題を巡るものとなるだろう。
 ●現在の政治的時期に我々はいかにすればFIを強化し、転換できるか。
 ●我々はいかにすれば、国際的共同の枠組み、あるいは収斂、あるいは新しい結集に向けて前進できるか。
 国際討論のために一つの予定表が採択された。この討論には、気候変動に関するテーゼを発展させること、および社会主義のための闘争も含まれる。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版4月号)
第四インターナショナル環境セミナー
気候変動、エネルギー革命、そして社会変革

                    ローレント・ガロウチェ
 教育調査国際研究所(IIRE)の招待の下、2月23―27日の日程でアムステルダムで開催されたセミナーは、極めて成果に富み刺激的なものだった。

豊かな参加者と論点

 「気候変動、エネルギー革命、そして社会変革を前に」と題された、第四インターナショナルにとって先例のないこの働きかけは、専門家である活動家と活動家である専門家を、我々の政治潮流のメンバーである者もない者も、開かれた方法で共に結集した。専門家の中では、気候学者のジーン・パスカル・ファン・ペルセレ、農業技術者のダニエル・タヌロ、エネルギー経済研究者のキャリーン・バルビエル、経済学者のミッシェル・ユソンとジーン・マリー・ハリベイ、化学者のフィル・ウォード、そしてわざわざ欠席の手紙を送ってきた物理学者のジーン・ポール・デレーゲの討論参加を、特に我々は心に留めるべきだろう。ヨーロッパ(ドイツ、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、イタリア、スペイン、フランス、イギリス、ギリシャ)、アジア(トルコ)、北米(カナダ、USA)、南米(ブラジル)から、合わせて50名以上が参加した。彼らの多くは、気候変動に立ち向かう運動と社会的動員を作り上げる活動にここまで直接関わってきていた。
 そこでの意見交換を導くいくつかの方向線は、気候変動に関する科学的知見の現状を確かめること、気候変動に対して提案されている新自由主義の対応を分析すること、そしてそのような試みに対する代わりとなる対応の幅広い概括的輪郭を、綱領的領域と気候変動に対する世界的な動員の建設という分野双方において、はっきりさせることだった。そのために本質的だったことは、エネルギー問題をそのあらゆる側面で詳細な形で再考することだった。こうして討論は、必要となるエネルギー転換を、またそれだけではなくマルクス主義の理論的蓄積を扱った。

科学的に堅固な結論を前に

 頼りとする人物として招待された気候学者のジーン・パスカル・ファン・ペルセレ(ルーベンカソリック大学)(ベルギー―訳者)は、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の最も新しい作業に光を当て、気候とその予見し得る結末―生態系や社会、あるいは医学上の、また栄養に関する諸側面についての―の調整を経た結論に関して、診断の力点をどこに置くべきかを概説した。それは今、科学界の中で極めて広範な合意を得た主題となっている。彼は特に、IPCCの分析は科学的文献全体を徹底して考慮に入れることに基礎を置いている、という事実を力説した。つまりその分析方法は、進行中の変化を多少とも過少評価することに我々を導く可能性があるとしても、しかし同時にその作業に対する極めて堅固な信頼性のためには基礎となるものなのだ。
 事実において、温度の安定化というIPCCが推奨した目標から導かれて、温室効果ガス排出削減という領域においては、結果はとんでもなく巨大な努力を要する挑戦として現れている。多くの参加者は、この仕事が表現している堅固な支持基盤を力説した。つまりそれは、資本主義経済の運用並びにその技術的基盤との衝突に直接的に具体的に入り込むものを考慮に入れるための、世界の科学界が共有する分析と勧告なのだ。ミッシェル・ユソンはこの観点から特に長期波動理論に照らして、グリーン資本主義出現の可能性を検討した。彼が強調したものは、単なる「緑色に上塗りされた」資本主義以上のものとなると主張されるこの資本主義が向き合わざるを得ない、収益性という恐るべき疑問だ。
 ダニエル・タヌロは、気候危機に対する新自由主義の対応の様々な側面を示した。その中で彼は、京都で設定された目標の、また採用されている諸手段の、不十分で限界のある性格を、またそればかりか選択された仕組みにはらまれた目的に反する効果について詳しく述べた。そして彼は、支配階級側でとられつつある転換について強調した。即ち昨年12月の一番新しいバリ会合は、深まりつつある危機に対する一定の対応を見出す必要を彼らが意識しつつあることを示した。しかしこれは、環境という側面で効果的となることや、抑圧された者達の観点から見て満足のいくものとなることを、全く意味していない。それは完全に不十分と見えるだけではなく、彼らが支持する仕組みは、帝国主義的支配と新自由主義的攻撃双方の強化に導くもののように見える。
 この枠組みにおいて、ジーン・マリー・ハリベイは、汚染する権利の市場化と炭素税双方に対する詳細な批判を明らかにした。疑問に付されたものは、進歩的な社会変革のある種の動力という枠組み内部における、商業的仕組みの使用という諸手段だった。フィル・ウォードは、この批判を、マルサス的応答を厳しく批判することで補足した。そのような応答はしばしば、支配階級の主張だけではなく、また「人口過剰」に関する環境主義者の主張をも引き連れている。何人かの同志は、このようなたぐいの回答のどれだけ多くが女性の権利に対する暴力的攻撃を伴うことが常だったか、を強調した。ブラジルの活動家であるジョアオ・アルフレッドは、さらに続けて、ルーラ政権の気候変動と闘う政策を明らかにした。それは、この政策が、特にバイオ燃料の熱に浮かされたような開発によって、どれだけ多く環境的な打撃の積み重ねに導いているかを示すものだった。しかもそれは、貧しい者と土地なき農民に対してこの政策の結果として起きている悲惨な結末を伴っていた。

鍵はエネルギーの節約、しかしそれは社会を問う

 キャリーン・バルビエルは、エネルギー転換のおおよその輪郭を我々が色々考えることを可能とする、主要な指標を提起した。そこで彼女は、生産とエネルギー消費の現在の特性から説き始めて、社会変革のあらゆる進展に対して、エネルギー革命が伴われる必要を強調した。彼女が強調したことは、この変革の鍵となる核心点は生産されるエネルギーと消費されるエネルギーの劇的な削減、ということだった。そしてそれは、単に現状維持というだけではなく、世界の住民の生活基準改善とすら両立可能なのだ。社会システムが再生可能エネルギーを基礎とでき、化石燃料と核エネルギーから自由となる可能性をもつという未来は、ただエネルギーの節約というこの展望の中にのみある。彼女は、気候危機に対する純粋に技術的な回答がどのような道筋の中で幻想を、あるいはしばしば危険を作り出すのかを説明した(炭素の回収と隔離、水素への依存、その他)。
 ダニエル・タヌロは、資本主義的エネルギーシステムという概念から考えを進める必要を力説し、このシステムの主要な特徴を概説した。事実において、そのエネルギー的な基礎を無視する資本主義分析は、どのようなものであれ著しく不十分なように見える。それは特に、気候変動のような課題に直面するに際しての問いかけや、この課題に対して見出す必要のある回答への問いかけが問題であるとき、あらわとなる。このような分析を下に彼は、エネルギー問題に関するマルクス主義の修正を求めることも強調した。彼は、流動形態の下にあるエネルギーと蓄積形態の下にあるエネルギーの間にある区別が、マルクスの著作の中には欠如していることを強調した。そのことこそマルクスを、化石エネルギーに基礎を置くという資本主義の鍵となる一側面を理解することから、また、自然と人間の関係に特有となる、「社会的新陳代謝の合理的な規制」という彼の考え方に十分な力を与えることから、遠去けたのだ。原油資源の稀少性という通説が資本主義の危機に及ぼす衝撃の可能性に対する問いがいくつかの観点で討論されたが、発言者の多数はどちらかといえば、未だ残されている石炭資源の重要性を強調することでこの問題を相対化した。
 環境社会主義者の国際的ネットワークを最近動かし始めた主な組織者の二人であるミッシェル・レビとジョエル・コーベルは、特に深まりゆく気候危機に関係する環境社会主義の展望に関して報告を行った。レビは、「最悪のシナリオと環境社会主義」と題された報告の中で、世界的な環境危機の展開が社会変革の緊急性をどの程度にまで高めるか、を強調した。討論は特に、民衆の組織化と政治的議論の中で悲観的予想を使用する条件の問題に広がり、一定の同志達は、引き起こされる可能性のある恐怖の反射作用としての否定的効果を、特に指摘した。「資本、自然、社会主義」誌編集者であるジョエル・コーベルは、環境社会主義の展望の世界版概説に挑戦した。討論は特に、ある種の価値として自然を分析することの理論的適切性とそのような分析方法の危険性を扱った。

社会的・民衆的決起に向けて

 セミナーは最後に、諸闘争の問題並びに気候変動と闘う民衆的決起についていくつかの点から取り組んだ。グェルフ大学(カナダ―訳者)の教授であり環境フェミニストであるテリザ・ターナーは、原油資源の使用あるいは割り当てに関する北と南双方の諸国における一連の大衆行動を、詳細かつ人を引きつけるやり方で分析し、例えばナイジェリアのように、これらの闘争において女性が果した決定的な役割を強調した。ピエール・ルッセは、自然の惨害を前にしたときの民衆的決起についての結果評価を改めて吟味した。彼が示したものは、特にアジアの津波後とカシミール地震後の南北国際連帯の具体的事例だった。そこで彼は、そのような出来事が起きた時の具体的な国際連帯を、地に実のある根を下ろした民衆運動にのみ基礎付られる可能性をもつ連帯を築くことの重要性を強調した。「労働者委員会附属・職・環境・健康労働組合研究所(ISTAS)」(スパニッシュステートの)協力者であるマノロ・ガリは彼が従事する任務の立場から、労働組合主義を環境組合主義として展開させる必要性について議論を発展させた。労働組合運動にとって、気候問題を取り上げること、そしてそれを運動方針の中心部に置くことが重要だと論じつつ、彼は、特に企業内対立に関係する問題の様々な切り口を概説し、その上でそこで賭けられているものをも概説した。これらの問題に労働組合が関与することは、資本側からの応答がもつ作用と特性を前にしたとき決定的となるだろう。彼は特に「公正な移行」という要求を強調した。即ち、必要となる大変革に対して犠牲を払う者が労働者であってはならないのだ。それは、雇用の防衛と環境の防衛を結びつけることを意味する。最後に出席した同志達によって、気候に関して進行中の諸行動が説明された。それらはいくつかの諸国では、特にオーストラリア、ベルギー、スペイン、イギリスでは、大衆的広がりという性格を帯びるまでになっている。アラン・ソーネットがイギリスの盛り上がり状況を経過報告したがそこでは例えば、このセミナーと同じ月に300名の労働組合活動家による評議会が開かれた。

次回への期待

 気候変動と闘う枠組みにおいて前進させられるべき諸要求に関する討論がもっと発展させられなかった、あるいは、南の諸国からの参加者が十分ではなかった、という点で残念な点は見出し得るだろう。しかしにもかかわらずこのセミナーは、注目に値する成功に達した。それは全ての参加者が強調した何物かである。全員が2年以内の次期セミナー開催を要望し、気候問題に関する社会的決起組織化の前進がその時までに達成されていることを期待した。
 この4日間の討論は既に最初の具体的成果をもたらした。そのようなものとして、出席したFIのメンバーはセミナーを評価する会議の中で、インターナショナルの指導機関に提出するための決議草案を仕上げた。そしてその後それは同機関で採択された。
*筆者はフランスLCRの環境委員会メンバー。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版4月号)
 
 

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