1991年6月10日         労働者の力               第22号

第四回総会コミュニケ

 われわれは、第四回定例全国総会を例年よりもはやめて、この五月末に開いた。その理由は、第四インターナショナル13回世界大会の旧日本支部に関する決定に対する全国総会としての態度をできるだけ早急に決定するためである。
 議題は、@「第四インターナショナル13回世界大会の日本支部に関する決定を受けて――日本支部再建のための討論を開始しよう」とこれに関する声明A大衆運動、統一戦線――当面する状況と方針B財政、その他――であった。
 われわれは、旧日本支部とその女性差別問題について真剣な討論を行い、第四インターナショナル世界大会決定が意味するものを主体的に把握しようとした。その結果の一つとして、われわれは、第四インターナショナル日本支部全国協議会から国際主義労働者全国協議会へと名称を改めた。また、全国総会が確認した決議(抜粋)と声明を機関紙に掲載することを決定した。

第四回全国総会声明
第四インターナショナル13回世界大会決定について

  国際主義労働者全国協議会


 われわれは、第四回全国総会を開催し、第四インターナショナル13回世界大会が決定した「日本小委員会の報告と提案」について議論を行い、これを受け入れることを決定した。
 このことの一つの必然的な結論として、われわれは、一九八九年の第四インターナショナル日本支部全国協議会結成という自らの「新たな出発」を見直し、これを継承しながらも、否定すべきははっきりと否定し、再度の「新たな出発」をやり直すことに決定した。組織名称の変更は、再度の「新たな出発」の一部である。
 第四インターナショナル日本支部全国協議会は、自らを旧日本支部の分派関係の中にある一部と考え、男女両性の組織的断絶を克服した日本支部の再建を追求するものと自己規定してきた。世界大会の決定は、こうした自己規定の不十分さを明らかにした。われわれの再度の「新たな出発」は、世界大会決定の意味をかみしめ、そこで明らかにされたわれわれ自身の問題点を克服していこうとするものである。

 世界大会の決定は、旧日本支部の男性組織(メンバー)が自らが引き起こした女性差別問題を自己批判・総括ができず、女性と男性との組織的断絶という異常な事態を招いたことを理由として、第四インターナショナルの支部として、あるいは第四インターナショナルからみての革命組織として完全に失格であると断定した。この断定から必要な措置がとられ、旧日本支部は支部の資格を失い、女性メンバーは「女性同志の意志に応じて女性同志を第四インターナショナルのメンバーとみなす」という事態になった。
 率直にいって世界大会の決定は、同大会前にわれわれが討論していた次元を越えていた。当然、われわれの最初の反応は様々であった。「労働者の力」19号(三月号)に発表したように、われわれの全国運営委員会は「受け入れる」と決定した。この時点では、「ともかく」あるいは「とりあえず」という気分の強いものであった。その後、いくどとなく討論を積み重ねる中で、われわれはこの決定を当然のものとして受け入れるべきである、との結論に到達した。
 組織の内外で女性差別を引き起こしながら、それについて自己批判と総括をできない組織とは一体いかなる存在なのか――旧日本支部の男性メンバーは、自己批判と総括をやらなくていいと考えたはずはないだろうし、そのために何が必要なのかを考えつづけてきたであろう。しかし、どのように弁明しようとも、自己批判と総括が存在していないことは、そして、女性と男性とが組織的に断然していることは厳然とした事実である。そして、ただこの一点だけで、第四インターナショナルの世界大会が旧日本支部の男性組織(メンバー)に支部資格なしと断定したのは当然だったのである。
 男女両性間の関係は、様々な人間関係の中で最も普遍的、根源的である。ここで失格した組織とその男性メンバーは、社会関係の変革を通じて人間関係を根本的かつ総体的に変革していく革命運動に主体的に携わることはできないし、第四インターナショナルの一員たりえない――これが第四インターナショナル世界大会の根底にある意味に違いない。
 われわれが女性差別を真剣に自己批判し、総括しようとするかぎり、第四インターナショナルの決定を認めるところから出発しなければならない。われわれが人間の解放を、そのための社会主義を追求しようとするかぎり、この決定を認めるところから出発しなくてはならない。

 第13回世界大会に対するわれわれの対応は、女性差別問題を自己批判・総括できず、女性と男性とが組織的に断絶している組織が支部に値するのかを、この点を徹底的に考えた上でのものではなかった。この不十分さは、われわれの組織関係の認識に由来していた。われわれは、旧日本支部が分派関係に入ったと認識したが、女性同志たちが組織を離脱した時点で、明らかに旧日本支部は「解体」していたのである。われわれは、旧日本支部の「解体」という認識をもってはいなかった。一種の中間性があったといわなければならない。

 旧日本支部に所属していた男性メンバーがその一員として犯した女性差別を自己批判し、総括することは、革命に向かう出発点を、自らの社会主義像を描くときの出発点をどのようなものとして理解するかという根源的な問題に深くかかわっている。
 従来のマルクス主義、あるいは旧日本支部が理解してきたマルクス主義は、人間、人類を総体的に把握する唯一の理論だと称しながら、実際には政治と経済を中心とする社会関係の中で限定して認識する体系であった。マルクス主義の危機が主張されたのは、この点においてであった。こうしたマルクス主義は、社会関係の変革を通じて人類を解放するという自らに課した課題を遂行するものとしては限界があったといわなければならない。ついでながら、旧日本支部が「マルクス主義の危機」という主張を真剣に受けとめたのは、そうした主張が行われはじめてからずいぶん後のことであった。
 人間の具体的な生活、生き方そのものに直結するフェミニズムやエコロジーなどの新しい社会的運動がマルクス主義の外部あるいは周辺で生まれ、発展してきたのは決して偶然ではない。

 われわれは旧日本支部の第13回全国大会後、一つは分派闘争の過程から、そしてもう一つは「世界史の転換期」ともいうべき客観情勢の転換への対応の中から、それまでのレーニン主義やレーニン主義組織論の見直しの必要性を強く感じ、新たな社会主義像を求める道筋に踏み込んだ。
 レーニン主義組織論の見直しからはじまったわれわれの新しい社会主義像の追求は、こうした「マルクス主義の危機」それ自身を射程にいれたものとなり、この間、問題領域が広がるばかりであった。だが、われわれが確実にいえることの一つは、新しい社会主義像の追求が集団的に行われえたのは、われわれが自らを協議会として位置づけ、そのように存在してきたからだということである。
 かつて全国協議会を結成した必要性の一つは、新たな社会主義像を求めていく過程が「民主集中制」と呼ばれた当時の日本支部の組織原理と衝突したことにあった。全国協議会を新たな社会主義像を模索していく「協働の場」と、われわれは規定し、そのように行動してきた。
 
 新たな社会主義像の構築と、女性差別問題について自己批判・総括を行い、一定の結論をもつということは、おそらく理論的には表裏一体の関係にあるだろう。だが、われわれはこの認識から、むしろ新たな社会主義像の獲得を通じて女性差別問題を自己批判・総括する立脚点の獲得という方法論に客観的にあったのではなかろうか。問題を根本に立ちかえって把握するという方法は、根本の体系がそれなりに有効な場合のみ、意味をもつ。根本体系が問題になっているときには、こうした方法は有効ではない。この方法は、一九八五年の分派闘争のはじまりを多くの女性同志が女性差別問題からの「逃亡」と指弾したのと同じ意味で、女性差別問題からの「逃避」と指弾されてやむをえないものであった。

 われわれの当面する組織課題は、第四インターナショナル日本支部の再建である。すなわち、自らの女性差別問題の自己批判と総括を行い、その上で男女両性の統一した組織を形成することであり、第四インターナショナルと公式の関係を結ぶことである。
 他方、自らが革命をめざす、社会主義をめざす人間として、革命家として積極的に活動を行えるようにするためには、旧日本支部の女性差別への自己批判と総括を提出することが最低限の前提として存在している。
 再度の「新たな出発」を行う***の第一の活動目標は、旧日本支部の女性差別問題の自己批判・総括の獲得である。これをくぐり抜けないかぎり、やや極端な表現をすれば、われわれは第四インターナショナル日本支部の再建を自らの課題とする資格もないのである。われわれは、この作業を協議会として集団的に行おうとする。
 この作業は、新しい社会主義像の獲得という面と、集団的に犯した女性差別問題の自己批判・総括、そして女性のわれわれ旧日本支部の男性組織に対する不信を克服するという面を合わせもっているからである。こうした作業は、集団的にしか実現できない。
 そして、協議会という組織形態こそがこうした作業に最もふさわしいからである。これまでの旧日本支部の経験やわれわれ自身の経験はこのことをはっきりと物語っている。
 われわれは、女性差別問題の自己批判・総括の獲得を決定的な軸心として新たな社会主義像を構築していこうとする。フェミニズムやエコロジーの運動が最初から国際主義であったように、そして社会主義が国際運動としてはじっまたように、われわれの再度の「新たな出発」も最初から国際主義でなければならない。
 われわれは、第四インターナショナル日本支部の再建を追求するものとして、この国際主義を第四インターナショナルの枠組みにおいて実行していこうとする。確かにわれわれは、現在の第四インターナショナルの政治傾向にはいくつかの疑問をもっている。だが、国際主義を実行する場は第四インターナショナルにしか現在、存在していない。そして、われわれ自身の総括という場合、われわれがその一部であった第四インターナショナルの総括をも当然にも含むことになるからである。
 再度の「新たな出発」から女性差別問題への一定の自己批判・総括を獲得するまでにどれほどの時間が必要なのか――相当の時間を要するであろう。だが、これ以外に道はないのである。
 われわれは、女性差別問題への自己批判・総括を獲得するために真剣に取り組み、第四インターナショナル日本支部の再建に向けて闘いぬく。

第四回総会決議
第四インターナショナル13回世界大会の日本支部に関する決定を受けて
日本支部再建のための討論を開始しよう


  第一章 いかに理解し、いかに総括するか

はじめに

 第十三回世界大会は、日本支部の支部資格失格と(その意思のある)女性メンバーのインターナショナル所属の承認および「男性」二組織との組織関係継続という決議を採択した。われわれは、一方ではインターナショナルから排除され、他方ではインターナショナルとの組織関係を保ちつつ、インターナショナルの課した政治的・組織的条件のもとで日本支部の再建の闘いを要求されるという微妙な立場にたつことになった。
 ここで「男性」二組織というのは、世界大会決定が日本支部問題を男女両性の分裂ととらえ、その要因が女性差別問題への男性側の対応に非があるとし、かつ、われわれ全国協議会と「JRCL」を男性組織として認識した文脈からの表現である。
 われわれは同志高山の報告をうけ、二月二十四日の全国運営委員会でこの決議の「受け入れ」を確認し、「労働者の力」第19号紙上で態度を明らかにした。同時に、組織名称変更をふくめ定例総会の繰上げ開催を決定し、それまでは組織名称に括弧をつけた形で暫定使用する旨を明らかにした。
 本(第四回)総会の第一の任務は、(a)世界大会決議受け入れに関する全国協議会の立場を明確にし、(b)その状況を導いた旧日本支部およびわれわれ全国協議会の問題点を主体的見地から総括すること、および(c)日本支部再建に対するわれわれの方向性を明らかにし、(d)再建のための共同討論の課題と領域を提起し、同時に(e)われわれの組織名称と形態を確定することにある。
 「新時代社」あるいは「第十四大会派」組織の名称については、括弧つきの「JRCL」という表現を採用する。その理由は、第一に公的に彼らがJRCL‖日本革命的共産主義者同盟を名乗ることを表明しているためであるが、しかし第二にわれわれは別項で述べるように現在の新時代社派がJRCL公的組織名称にすることについて、支部再建の課題を考慮するときに、受け入れがたいところがあるからである。

一 第十三世界大会決定の経過(略)
二 決定の組織的性格と対応

 @決定の性格は、現在までの第四インターナショナルの歴史においてはじめてのものといえる。男性と女性の組織的断絶状況とそれをめぐる男性側の組織分裂という事態に対して、インターナショナルがどのような判断を持つかが問われたとも言い換えられる。規約において明記されているわけではなく、また明らかな支部に対する処分という形式でもない。
 A「男性」の二組織は公式の位置を持たない、あるいは公式的にインターナショナルを代表することは許されない。かりに現在日本においてインターナショナルを公的に代表する存在がありうるとすれば、それは旧日本支部の女性たちである。
 したがって、日本における「男性」組織は、インターナショナルを代表する組織名称は名乗れず、またマークなども使用できない。
 女性同志たちは、世界大会決定を受け入れるかどうかの判断次第で主体的に能動的に自らの位置を決めていく可能性をもつが、男性同志たちおよび「男性」二組織の場合は、インターナショナルとの関係ではそうした余地は現在はない。
 Cわれわれは、第十三回世界大会決定によって、インターナショナルの組織メンバーであることを否定された。だが、同時に、今後の支部再建の闘いを継続するために、大会決定を受け入れ、そのうえで第四インターナショナル国際執行委員会(IEC)との積極関係を持続していくべきであると考える。組織名称の変更もまた、こうした変則的、過渡的状態に対応する性格で考慮されなければならない。

三 決定の政治的性格

 @インターナショナルと女性の位置
 インターナショナルの第十一回大会と第十三回大会の立場は正反対である。第十一回大会は組織における「女性会議」の公的位置を否定し、第十二回大会はそれを修正した。そして第十三回大会は、性差別一般ではなく、日本支部における両性の組織分断状況を男性責任論の立場から判断した。この十二年間の変化はインターナショナルが、女性のフェミニズム的色彩をもった世界的登場とその組織への反映を無視しえなくなったことを意味する。同時に、「マルクス主義の危機」が定着した過去の三〇年間への深刻な反省も示されていると思われる。
 インターナショナルは、第十二回世界大会の確認をさらに推し進め、第十三回世界大会においては、組織のフェミニズム化‖「対等化」への第一歩を踏み出した。これらの動きは、第十一回世界大会当時の「組織における女性同志の位置」をめぐる多数派と少数派の対立と妥協の政治的・組織的な止揚に向かうはじまりとも理解できる。
 A第十二回大会での修正とフェミニズム
第十二回大会の修正は、国際少数派を代表したSWPがほぼインターナショナルからの離脱に踏み切ったという事態を背景として、多数派の見解が採用された結果である。だが、ここから改めて、多数派の概念の矛盾が顕在化しはじめた。
 旧西ドイツ支部のS意見書に依拠していえば、第十二回大会以降から専門部的位置としての女性会議への疑問が広がり、組織民主主義として「当然の前提」(S意見書)である対等性への要求とともに組織構造全体の性差別と闘う組織への転換、闘いの要求が拡大し始めた。
 第十三回大会へ向かう過程において、明らかにS文書が指摘するように、対等性要求・実現と性差別構造と闘う組織への転換という要求が、インターナショナルの旧来の伝統的な組織構造の概念的枠組みのなかに収まりきれないものとなりつつあったのである。
 女性書記局およびIECは、第十三回大会にむけて「組織のフェミニズム化」を提唱したが、それは多分に対等性確立への努力に接近するという方向性であった。
 B日本支部問題は、こうした両性の(個々人の関係ではなく、集団としての相互関係の)対等な関係を組織的前提とした組織への転換という観点からインターナショナル総体を見るときに、絶対的に避けては通れない問題であったといえる。
 こうした点において、第十一回大会のSWPと多数派の対立、および第十二回大会の矛盾は、改めてインターナショナルとしての両性の組織関係に関する対立、論争の整理・止揚への歴史的一歩を踏み出し始めるところにきていると考えなければならない。
 こうした論争は、当然にも「危機に立つマルクス主義」への批判を正面から受け止めることなしには深化しない。コミンテルンとして定式化され、かつ少なからず硬直化してきたマルクス・レーニン主義は、その「近代主義」の限界という指摘・批判を過去三〇年において全面的に受けてこざるをえなかった。一九六〇年代「急進主義」が提起したアカデミズムの科学・技術論批判、リブ運動が提起する男性支配社会・文明批判、エコロジーからする生産力主義批判といった一連の、マルクス主義批判は二〇年代コミンテルンの定式が絶対的なものではない、という現実を明らかにした。
 八〇年代において重大な組織的課題として、「労働者インターナショナル」の問題意識とともに、緑とフェミニズムとの関係をあげることができる。インターナショナルの第十三回大会はこの二つの問題に明確な回答をもったとはいえない。前者は次回大会に先送りされ、後者は前述したように未解決な問題を含んだ中間的段階であるということができるからである。
 フェミニズムが提起する政治的・組織的問題は、われわれの体験からいって、少なくともインターナショナルにとって、その創立以来のマルクス・レーニン主義理解の組織規範では収まりのつかない枠組みであろうということはできる。旧日本支部の七〇年代の政治体系と八〇年代における女性差別問題に対する組織的対応がもたらした現実と突き当たってきた過程での問題意識から、そういうのである。

四 全国協議会の対応について

 @全国協議会出発の認識
 全国協議会としての出発の契機は、一九八九年の旧日本支部の第十三期一〇中央委員会決議にはじまった。この中央委員会は、中央委員会として第十四回大会召集を決定するものであったが、その内容は女性たちとのなんらの合意なしに第十四回大会を、いざとなれば女性たちの不参加をも覚悟して強行するという、焦りと男主義に満ちた決定であった。日本支部における女性差別問題への組織的対応は、結論的に組織構造上での両性の分裂状況へと至っていた。この状況の克服に明確な視点をもちえないままに、中央委員会は男性機関となり、組織活動はまさに男性だけの組織活動へと切り縮められていた。
 状況は、まさに中央委員会体制の解体・破綻すなわち組織構造の解体・破綻の進行であったのである。当時、われわれを含めた男性メンバーは、いまだそうした現実を直視しえずにいた。抽象的な「綱領的破産」などの言辞で現実は糊塗されつづけていた。中央委員会は微動だにせずに「存在し、機能し」つづけるものとされていた。
 しかし、いかなる程度の深さで認識されたかどうかは別にして、中央委員会の矛盾はすでに明らかであった。「第十四回大会開催問題」が「中央委員会」の状況および「中央委員会という存在」をいかに理解するかの分かれ道となったのである。一方は中央委員会の「権限」による大会開催に固執し、他方は「両性の合意のもとで」大会開催を可能とする状況を追求しようと主張した。
 中央委員会による一方的な大会召集と開催要綱の決定は、危機に瀕した両性関係を見きり、最後的な絶縁へと導く可能性を意識せずには行いえない、「男の中央委員会」の決定の一方的通告というべき性質を含んでなされたといわざるをえない。
 こうした最悪の可能性を直接にもつ「第十四回大会」の一方的召集に踏み切った中央委員会多数派の真意は一度たりとも明確な形で表現されたことはなかったものの、われわれはその背後に組織官僚主義が、男性組織官僚による女性たちの切り捨てを辞さない姿で顕在化しはじめたと認識せざるをえなかった。
 われわれの対応は、そうした男性論理に裏打ちされた官僚的組織「反動」に対して、その第一歩から、与することを拒否することであった。われわれはここに全国協議会結成を彼らの「第十四回大会」なるものに対置した。
 A「第十四回大会」強行の論理
 「第十四回大会」は、そして、その後の「第十四回大会」派組織は当然のなりゆきとして、「組織の防衛」に価値観をおく組織となった。レーニン主義の堅持、中央集権的民主主義の貫徹を旗印とする組織は、ただ、機関紙の防衛と組織の防衛のみが共通の紐帯となったといえる。女性たちが組織的な糾弾を続け、その結果、組織活動から離脱するに至った八〇年代の日本支部という現実にもかかわらず、「第十四回大会」派は自らをのみ「日本支部」であるとして恥ずるところがなかった。こうした論理は、すでに大会強行時点でも明らかであったが、女性たちの組織的行動選択にレーニン主義を対置することによってはじめて成立しうる論理にほかならなかった。ここにおいて、再び旧日本支部のレーニン主義は、その最悪の形態の発現に接近しはじめたのである。再びというのは、すでに「日本支部再建準備グループ」として分裂した「レーニン主義の教条論者」がいるからである。
 B「第十四回大会」と日本支部――その一
 「第十四回大会」の強行によって日本支部は公然たる「分裂」状態に入った。こうした日本支部をどのように理解するか――立場の取り方はむずかしいものがあった。われわれは、ロシア社会民主党の経験にアナロジーしつつ分派関係と規定した。つまり日本支部は組織的な分立、独自の機関紙の発行という段階に入った分派関係であると認定しようとしたのである。他方、自称日本支部の立場は曖昧なままであった。そして第四インター・女性解放グループ(以下、女性解放グループ)は、「JRCL」から離脱すると決定した。こうした三者三様の態度のままに、日本支部「再統一」を暗黙に意識した、われわれと「JRCL」の断続的折衝が持続し、統一書記局の調停活動に至るのである。
 われわれの「分派関係」規定と関係修復における「協議関係」形成という提案は、その内容理解は別にして統一書記局のメンバーによって採用され、調停作業の軸として推進された。
 だが、現在から振り返ってみるに、当時の分派規定は重大な政治要素を欠落させていたといわざるをえない。すなわち、われわれは、女性たちとの政治組織関係の修復に最大の重心をおいて検討するという視点を欠いていたということである。
 言い換えれば、われわれが分派関係というときには暗黙に女性同志たちもまた一つの分派であるという認識が前提されていた。だが、「第十四回大会」強行をめぐる一連の事態において、われわれもその一部である旧日本支部は最後的に解体した、という明確な認識をもつべきだったといわざるをえないのである。そうした認識にまで貫徹したときに、われわれははじめて、支部の解体を招いた女性差別問題へのかかわり合い方への主体的な総括・反省・出直しの認識をもつことができたであろう。また、女性同志たちとの政治的組織的関係をどことなく棚上げにし、積極的な行動を先のばしするという傾向に自らメスを入れることが可能なような、不断の緊張感を持続しえたであろう。
 だが、現実において、われわれは「JRCL」のようにはやっていない、というある種の自己満足以上には踏み出さなかったのである。
 C「第十四回大会」と日本支部――その二
「分派関係」概念は、一方ではわれわれと「JRCL」との間の戦術的折衝関係を支えるものであった。日本支部は事実において存在していない、ただあるのは分立する分派状況であるという認識は、「JRCL」の現実からも導きだされることとなっていった。「JRCL」内の諸傾向、分派=PD派の行動、各地区組織の動向に明らかになっていった。にもかかわらず、その反面、「JRCL」の「日本支部」を名乗りつづけるというたてまえが維持され、少数であろうとも「日本支部」という概念が温存される事態でもあった。
 そうして、女性差別問題に対する(男性)組織の対応の切開という緊迫感が薄れ、それぞれの対応の問題の風化を進行させることにもなった。
 だが、こうした「分派関係」規定は、あと一つ、消極的ではあれ女性たちとの関係において、自らを独立した支部組織として位置づけることを回避させる防衛措置であったことを指摘しておかなければならないのである。女性同志たちが日本支部の再建・再統一に際して絶対的に欠かすことのできない構成要素である、という「分派関係」規定に含まれる概念は、「第十四回大会」派との決定的相違点を形成すると同時に、一般的な再統一論とも一線を画すキー概念としての要素であった。
 「JRCL」が自らを「日本支部」とするたてまえと実態との間に底無しの矛盾をかかえながらも、戦術的にせよ日本支部再建の論議の必要性を認め、討論対象として全国協議会を位置づけた背景は、こうした旧日本支部の状況を否定しきれないことにあったたであろう。言い換えれば、「分派関係」の認識範囲が、日本支部の将来における再建=再統一の対象範囲として理解されるものであったともいえる。この関係は当然にも公的に確認されたものではない。暗黙の了解関係以上ではなかったし、また、そうならざるをえない事情がそれぞれにあった。われわれも「JRCL」もそうした関係であるとの整理を組織的に明らかにしたわけではない。また第四インター・女性解放グループがなんらかの発言を行ったのでもない。だが、統一書記局の調停作業が客観的に以上の関係を確定し、それが十三世界大会までの三者間の経過を規定したのである。
 D「分派関係」規定と現実の組織
 「分派関係」の認識は、現在的には以前の認識のままに継続することは、もちろんできない。その最大の理由は、全国協議会および「JRCL」が、「分派」として存立しうる存在であるのかという問題に帰着する。すなわち、両性の断絶の事態をいかに判断するかにかかわってくる問題であるが、前項で述べた「消極的防衛策」にとどまらず積極的に「両性の分断」克服に向かう場合において、両「分派」は女性たちとの関係を組織的にいかに認識し、方針化するのかを最後的に問われることとなる。
 われわれは、通常いわれる分派状況にはない。女性差別問題に対応する旧日本支部の組織的行為の結果として顕在化した両性の分断の克服という「絶対的課題」との関係で事態に対応しなければならない。
 言い換えれば、日本支部の「解体」が、女性同志たちの組織活動からの離脱によって最後的に確定してしまったという状況において、両「分派」は旧日本支部の「相似形としての一部」ではなく、両性の断絶によって解体した旧日本支部の、男の側の組織の「一部」にほかならない。
したがって、実態においては「男」のなかの「分派」にすぎず、女性たちとの関係では分派としては成立しないといわなければならない。
 要約すれば、@旧日本支部は「「第十四回大会」」をめぐる過程において女性同志たちが組織的関係を断つと宣言した時点で最後的に解体した。A両「分派」は日本支部の分派ではなく、旧日本支部の男たちの一部の組織にすぎない。Bこの両「分派」がそれぞれに「大きくなって」支部を再建するということはありえない。
 こうした真実を世界大会決定は認識したのである。  
 E日本支部と「凍結」論   
 日本支部凍結の主張は中間主義的な主張であった。この立場は、すでに述べた「分派関係」規定にもとづき、日本支部という組織を棚上げにし、三者の総体が日本支部であり、現実には三者の合意がなりたっていない以上、日本支部機能は存在していない。三者の合意が成立するときに日本支部の組織機能は再開されるという論理であった。中間主義と評価する根拠はすでに明らかだが、旧日本支部への判断を主体的に、つまり全国協議会としてもわれわれの位置と性格をつきつめて考え抜くことのない、どちらかといえば技術的立場であったといわざるをえないからである。
 この立場には、JRCLからの離脱を決定した女性解放グループが、他方ではインターナショナルとの関係を保つことを明瞭にしていることを背景にして、インターナショナルの一部である日本支部をなんらかの形式で、両性共通の枠組みとして維持しようという発想があった。
 これは同時に、旧来の日本支部=JRCLだけの枠組みでは組織的共通枠組みの持続は期待できないという判断をもったことでもあった。つまりインターナショナルとの関係に唯一の共通の枠組みを期待するという、その意味では相当に絶望的な、ある種の没主体的な感覚が横たわっていたと総括せざるをえない。もちろん、こうした期待を抱いた背景には、ヨーロッパ世界でのインターナショナルとフェミニズムとの関係の討論、論争がもつ可能性に期待し日本支部総体の硬直した論議の転換の契機をつかみとるためにも、インターナショナルのこの第十二回年間の転換をもたらした政治的方向性との結合が必要だとの発想があった。そうして、こうした発想は今後ともより以上に必要とされることは確かではある。
 だが棚上げ論としての「凍結」は主観的にすぎる主張であり、客観性においては日本支部は「あるのか、ないのか」につきつめられる。われわれは、旧日本支部の「男たち」の一部として、「男たち」にとっての日本支部は解体したのだとつきつめる必要があったと考える。言葉表現はむずかしいものがあるが、われわれが平然と「分派」として自己規定しえた根拠の切開という内容の問題として避けては通れないのである。
 F世界大会と代議員問題
 以上は、第十三回世界大会にのぞむにあたってわれわれが考えていた代議員権問題に集中的に表現されている。われわれは代議員権を当然のものと理解していた。形式としては、女性たちと票をわけ合い、かつ「男性」二組織が一票をわけ合うという形式を採用したが(女性たちは代議員権を行使しなかった)、かりに女性たちが参加表明をしなかったとしたら、票を「男性」二組織でわけ合うということになったであろう。そして、われわれはそれへの疑問をいだかなかったであろう。もちろん、そうした状況は世界大会の場で問題とされるであろうことは幾分か予期したとしても。
 こうした事実は、われわれもまた「第十四回大会反対」を立場的主張としつつも、その「第十四回大会」派とは現実への対応においてさほどの差があったわけではないという、かなりきわどいところにいたことを示している。言い換えれば、われわれは世界大会への派遣を、どのような位置づけ、目的で行おうとしたか、の問題である。われわれは、インターナショナル内での全国協議会の位置を確保する(シンパ組織としての認知もしくは三者あわせての「日本支部代議員団」としての承認)という目的以上のものをもってはいなかったと厳しく総括しなければならない。あるいはこれが言い過ぎであったとしても、われわれは発言権と投票権を当然の前提として、一月に第三回臨時総会を開催したのであり、少なくともシンパ組織扱いはされるであろうとの「根拠なき」見地に立っていたことは事実である。 
 われわれは、はたして「代議員権」を主張しうる存在でありえたのか。代議員権を取得することを前提としていたのは正しかったのか。結果から考えるに、そのような主張をするべきではなかったのではないか、という総括が要求されていることは以上までで、すでに明らかである。
 世界大会決定の「受け入れ」は、以上の視点でなされてはじめて首尾一貫して貫徹するといわなければならない。

第二章 日本支部再建の方向性

五 支部再建の枠組みと性格

 @支部再建の枠組み
 決定は、明確に「男女両性の組織」の再生が日本支部再建の必要条件であると述べている。その他はこの条件に付随するものである。反面から見ると、「女性単独での支部」という概念にはふれていないのであり、将来において「男性」二組織が再建への状況を切り開かない場合に「日本支部」がどうなるかというところまでは言及はしていない。
 その意味では世界大会決定は当面の短期的方針の性格を持ち、したがって暫定措置という性格が濃厚である。そして世界大会決定は「男性」二組織と女性解放グループとの三者関係を領域とし、再建準備グループの「排除」を確認した以上、三者間の修復はさほど困難ではないという認識にたっているように思われる。
 しかし両性間の分裂という状況の切開は容易であるとはいえず、さらに直接の討論関係が成立していないという状況は、たとえインターナショナルの援助があるにせよ、支部再建はきわめて困難であるとの認識から出発せざるをえないことを示す。その糸口は、総括と方針立案の方法に関する問題設定の領域を共有するための「男たち」の努力なしには始まらないと考える。

A困難性
 われわれの困難性の認識は、インターナショナルにおいて客観的に旧日本支部を代表する位置にあるSが、今回の世界大会で表明したそれとは異なる。Sの主張の要約は以下のようであろう。
 すなわち日本労働者階級の「底深い差別意識」の存在と、組織建設が労働者階級の自然発生性に依拠して進められてきたことの結果、組織が差別意識を対象化できないことを導いた。組織が自然発生性から脱却していないがゆえに差別問題の克服は困難である、したがって支部再建は困難である、と。
 しかし、このような把握は一般論としてはともかく、旧日本支部の総括に踏み込む場合には、単に抽象的に自然発生性と目的意識性を対置することでしかなく、八〇年代における組織解体の要因に踏み込むものとは到底いえない。さらにいえば、「レーニン主義による組織のさらなる純化」の必要性を強調しているという、第十一期、十二期以降の路線をその基本のところで依然として持続させているものとしてしか理解できないものである。
 問題は具体的である。特殊日本支部において、旧日本支部が掲げてきた「レーニン主義の目的意識性」そのものが、最大の組織の防衛線として登場し、女性差別問題が提起する、組織における男性と女性の関係、換言すれば男性上位組織という構造と女性たちの位置の問題が決定的組織問題として形成されたのである。それはまた指導部の官僚性と重なった。その理由は、当然にも指導部がまったくのところ「男性型の構造」としてつくられてきたからである。ここに「男性」組織と女性たちの衝突が組織問題となって爆発することになった。
 まさに最大の問題は指導部からはじまる組織構造全般の男性型組織体制が「レーニン主義」によって武装・防衛されていたことにある。
 労働者階級の差別意識に迎合し自然発生性に屈服する傾向は確かに少なくはなかった。組織対策としてもまたそのような対応をとった例が、各地区の差別問題討論のなかで数多く報告された。だが、それらを正当化する論理に目をむけなければならない。すなわち、例外なくそれらすべてが、「組織」建設、組織オルグの観点において「擁護」されることが多く発生したのである。さらに、被告発者の対応も、組織との関係での自己批判という論理で貫かれた。「組織に迷惑をかけた」という視点からの自己批判は、なんど書き直したところで被告発者の「一個の人間」としての自己批判には到達しない。そうした状況の切開がなされないところでは、組織の「処分」の判断も基準も全般的合意をもつものとして成立しえるはずがなかったのである。「処分問題」でのわれわれを含めた当時の組織の立ち往生が最終的に、差別問題への組織対応の無力をさらけ出した。
 ここに、問題とさるべきものが明らかになる。すなわち、「組織」の論理以外の論理が見えていなかったという状況である。そして「指導部」がよりそのような論理にあったのである。この事実は、まさに旧日本支部の限界を画する。これは単に、自然発生性に対してレーニン主義的目的意識性を対置することではどうにもならない事態に旧日本支部が突き当たってしまったことにほかならない。「組織論理」を支えた「レーニン主義の目的意識性の理解」そのものにたちかえった検討が要求されるのであり、また、ここから自然発生性への迎合・屈服の論理を断ち切る討論が真に具体的に始まると考える。
 B相互討論の問題領域
 「JRCL」とわれわれには明確な問題設定の違いがあり、それが分裂を導いたのである。現在時点においてもその違いが埋められてきているとは到底いえない。むしろ違いが拡大しているというべきである。端的にいえば、われわれは女性たちの要求・糾弾に対する組織対応の問題点の根源を「組織の理解の仕方の硬直」に求め、その組織概念からの転換を組織内外において推進するという認識に立つ。「JRCL」は組織概念を不動のものとして把握し、女性たちの要求・主張には技術的・例外措置で対応するという立場である。こうした設定方法の違いは、「第十四回大会問題」で明らかになったのだが、「第十四回大会」開催強行を支えた組織論理としてのコミンテルンの定式化への固執は、その後において肥大化しつつ、アプリオリの組織防衛論に切り縮められてきている。
 こうした傾向は、彼らが「『JRCL』と機関紙を防衛してきた」と述べるような根本的矛盾論理にすがらねばならない現実を導いている。「JRCL」を「防衛」すること、機関紙を「防衛」することは同時に二つの問題を提出する。第一に、「防衛」はなにからの防衛であるのかということであり、第二に、「JRCL」は男性だけの組織として、あるいは女性同志たちが差別問題への「男たち」の対応の弾劾として「JRCL」を離脱したにもかかわらず、「JRCL」は組織として十分になんら変化なく存続しうるという認識の根拠である。この二つから、われわれは「JRCL」をその他の要素とともに女性たちからも「防衛」するという認識を水面下にひそませていると見ざるを得ない。「JRCL」の「防衛」の意識こそ「第十四回大会強行」の論理の最悪の形態での再現であるといわなければならない。こうした論理への依存は、日本支部解体の要因を自らの主体的あり方に求めず、他に転嫁し、ひいては脱落、逃亡というスターリニズム的規定を内部に不断に現出させる最大の温床である。
 C再建のための討論を可能にする前提
 「JRCL」の「防衛」という立場が堅持されるかぎりにおいて、われわれは「JRCL」との今後の討論関係が技術的以上にでることを期待できない。
 われわれは次のように問わなければならない。すなわち、諸君は「JRCL」への「復帰」を求めるのか、と。「JRCL」への「復帰」が再建であるのか、と。われわれは、日本支部=「JRCL」それ自体が歴史の試練に耐えられなかったのだととらえる。
 したがって、「JRCL」への「復帰」は問題にならない。かりに将来において「JRCL」という組織名称が採用されるとしても、それは現在までの「JRCL」の延長であってはならないと考える。
 主体的に事態を見すえるときに、現状は「解党的出直し」ではない。まさに解党そのものであり、そのうえでの出直しなのである。全国協議会自身が同盟の解体を認識してきたということはできないが、少なくとも全国協議会に参加することが支部再建の条件であるとしてきたことはない。諸グループの再統一にあたっては、分裂・分断の要因を検討し、その克服に力をつくすことがなければならない。必要な視点の整理は、われわれ「男性の側」に、同盟解体を導いた要素が存在していた、あるいは今も存在していることに立ち向かうことなのである。
 Dとりあえず、総括対象の簡潔化と総括の率直化を
 組織分裂・分断の要因を探っていくとき、きわめて単純な事態につきあたるということができる。男性と女性の分断の直接の契機は十一期の一連の路線体系に帰着する。これを否定するものは、「三者」の間にはいないはずである。そして分裂はレーニン主義組織論理解の分裂であった。これも否定できない現実のはずである。では、十一期の一連の路線体系の問題点はどう把握されなければならないのであろうか、あるいはどう把握されてきているのであろうか。総括と分断・分裂克服の直接的課題はきわめて簡潔なところにしぼられているはずである。
 その簡潔な課題をとりあげること自体に抵抗があるとすれば、それはとりあげたくない側の事情があるはずである。われわれは、総括問題を具体的な、リアルな形で提起しているのであって、抽象的な組織論論争を進めているのではない。十一期の路線体系は、それが十二期の体系へ引き継がれ、そして、その後も組織として再検討されることはなかった。その思考方法のエッセンスは、まさに「男性型指導部」による男性型組織の、中央集権組織としての機能性の貫徹にほかならない。
 E第一の問題点――十一期の路線体系
 十一期の組織状況は、端的にいえば、政治局・書記局を先頭にする組織機関による「レーニン主義組織」のより以上の完成を意図した、日本支部総体に対する「疑似的分派闘争」というべき状況であった。
 そこで意識された「レーニン主義」は、たんに組織運営の問題としてではなく、イデオロギー体系での一元化であり、組織体制の一元化であった。イデオロギー一元化は組織の純化という作用に貫徹する。
女性差別問題が客観的に体現せざるをえない組織批判は、そのような「レーニン主義」に対するイデオロギー的闘争と挑戦となり、それはまっすぐに男性と女性の対立として、まさに指導部の「レーニン主義」をめぐる対立として噴出していくことになる。 
 まず第一に以上の過程を総括する必要がある。ここからさまざまな見解の相違が分岐するかもしれない。だが、この過程に踏み込むことを回避するのでは、相互討論の接点はいっさい生まれないはずである。
 F第二に分裂の問題点
日本支部の第十三回大会が以上の時期の転回点であり、かつ第十三期三中央委員会が、以上の問題放置がもはや持続できないことを明らかにした。十一期問題はその後数年放置され、第十三回大会もとりあげなかった。これは当時の相争う両分派がともに「十一期のレーニン主義」の枠組みのうちにあり、したがって十一期問題、すなわち女性差別問題の組織討論の深化において無力であり、そして、その事実に無自覚であったことの結果であった。
 第十三回大会は「男たち」の暫定体制を選出した。その暫定体制は、言葉の上では女性同志たちの組織的な全面的登場とその糾弾に対する「男性指導部」の対応の亀裂・分解を顕在化させるものとなった。
 決定的には、十三期三中央委員会問題が基本的な「男たち」の現在にいたる三つの組織への分裂の原型を形成した。すなわち、レーニン主義防衛・貫徹の立場からする女性たちへのイデオロギー対置を志向する部分、レーニン主義防衛の立場からそこへの女性たちの「いつの日かの復帰」を期待して技術的に問題を回避する傾向、そしてレーニン主義の体系と路線の再検討と十一期路線の放棄を主張する傾向の三つである。
「第十四回大会」問題は以上の分岐の一応の完成である。すなわち「第十四回大会派」の多数は「いつの日かの復帰」と「復帰しなくともよい」ということの間のルビコン河を渡ったのである。
 これがわれわれの理解である。そうでないとすれば、そうでないという説明が必要である。そのときにはじめて討論関係がなりたつ。
 G全国協議会の決意として
 全国協議会は以上述べるように少なくない弱点、視点の弱さ、論理貫徹の不十分性をひきずってきた。この点で、女性差別克服と支部再建への闘いを目的意識的に、日常的緊張感に裏打ちされて推進してきたとは到底いえない。むしろ実態に即していえば、世界大会決定に不意を撃たれ、自らのアイデンティティのぐらつきを味わわなければならない状況であったと率直に表現しなければならない。
 その最大の根拠はすでに明らかなように、支部解体のリアルな認識に欠け、したがって自らをも解体の主たる要因であるとの理解に関する不徹底性にある。
 にもかかわらず、全国協議会結成にいたる経過と協議会としての討論において、われわれは、以前の時期の組織概念からの脱却を、基本的に両性の対等関係確立、組織の一元性=中央集権制への批判的対置への努力として進めてきた、その視点を基本的に深め、発展させることの意味を改めて確認するのである。
 インターナショナルにおける第十二回大会以降の討論、とくにヨーロッパ世界における組織論認識の深化と討論もまた、われわれの基本認識との重なりあいを示しているといえる。われわれは結成以降の三年、基本的にヨーロッパにおいて展開されている論争・討論に注目しつつ、第十二回世界大会に表現された傾向との連携を基礎にして今後を展望しようとしてきた。世界史の転換というべきスターリニズムの崩壊の進行は、同時代の革命的マルクス主義としてのトロツキズムがさらにあらたな歴史を進歩的に継続しうるかどうかを問うことでもある。二〇年代コミンテルンとして確立されたマルクス主義のレーニン主義体系自体が、六〇年代以降の「マルクス主義の危機」に直面する存在であった。こうしたマルクス主義の危機は、「近代主義」「生産力主義」「一元主義」の危機として表面化させられた。具体的には、科学技術論の体系的認識や党組織論への批判が全面化したのである。緑とフェミニズムのマルクス主義への批判は、教条化し、セクト化する流れを別にすれば、マルクス主義の陣営への真っ向からの批判として受け止められなければならないものであった。
 そして、それらに対する最大の頑強な抵抗線が、「党組織論」として引かれたのである。かくして「党」は最大の「保守的」組織としての性格を少なからず示すこととなった。
 しかしインターナショナルがそうであるように、民衆の多数の意思に依拠して自らの歴史的事業を遂行するとすれば、人類の半分である女性たちの主体性を尊重することなしに存在することは、女性解放をとなえる立場との矛盾を最大限のものとしていくことになろう。インターナショナルは、フェミニズムにむかっている。その方向性は必ずや両性の対等の保障を前提とした水路に踏み込むであろう。
 この作業は、まだはじまったばかりの段階といえるかもしれない。だがその作業の将来はインターナショナルの組織の歴史的な大転換の不可欠な一部、あるいは中心的な役割をはたすものとなる予感を抱かせる。
 全国協議会は、旧日本支部の体系の教条主義化、硬直化が最も女性差別問題への組織=男性の対応に現れたことを認識し、ここに支部組織防衛論・建設論が「保守的」役割の中心をはたしたと考える。
 われわれは、こうした「保守主義」の牙城としての組織概念の呪縛から自らをとき放つことを出発点として改めて確認し、全国協議会として日本支部再建への努力を継続していく。
それは同時に、日本支部組織の範疇にとどまらない、左派の協同事業におけるわれわれの努力の視点でもある。

第三章  組織的再建の討論への骨格的提案(討論文書)

@ 三つの視点
 (a) 社会的女性差別の影響と克服のための闘いの位置
 (b) 男性優位組織・差別型組織構造克服の方向
 (c) 組織討論・決定のあり方――経過と総括
(a)について
 ◇男性優位社会論の体系的イデオロギー化。性的暴力、支配、ハラスメント、 風俗。性的関係。
 ◇労働構造――家父長主義と再生産労働論。男子熟練本工労働論と家族闘争論
 ◇社会的・行政的・政治的差別構造。
(b)について
 ◇男性優位組織への歯止め――対等論の具体化への接近――一元論の克服。レーニン主義組織論の「発展・豊富化」ないしは「放棄・克服」
 ◇両性の組織――それぞれの組織体系。各級組織・機関における協議・合意の対等性
  IEC女性委員会の対等委員会への発展、もしくは自決権・留保権(決定と行動の両側面での)の確立。
 ◇女性の差別糾弾権の確立。
(c)について
 ◇多元主義・複数主義――レイス・ジェンダー――と一元主義(中央委員会至上主義)による最後通牒主義
 ◇フェミニズムの「受容」――対決・対抗型視点の誤り
 ◇組織決定における「曖昧性」の克服
 ◇経過の明確化、「棚上げ」諸問題の再検討
 (第三章はできるだけ速く文章化して発表する予定である)

湾岸戦争後の世界と北方領土問題
         織田 進


アメリカの勝利

 湾岸戦争は、イラク軍隊の壊滅的な敗北によって終わった。アメリカはベトナムの苦い思い出をいやすことに成功し、迷惑なことに「世界の警察官」の自信を取り戻したように見える。
 軍事技術的に計算されつくくしていたとはいえ、予想を上回る勝利であっただろう。そして、それにもまして、ソ連が中東に対抗的勢力圏を形成できないことが示されたことが、アメリカの大きな戦果であった。
 いま、世界の関心は、ドイツ統一から始まった冷戦の崩壊が、どのような新しい世界秩序を生み出すのかに集まっている。その新しい世界秩序の中で、アメリカ、ヨーロッパ、日本の西側三極とソ連は、それぞれどのような位置と役割を占めることになるのであろうか。湾岸戦争のもう一つの争点は、このことにかかわっていたのである。
 ソ連は、イラクにもっとも積極的な影響力を行使しうる立場にあり、実際にその努力を行ったにも関わらず、結局有効な役割をはたせず、みじめに無視され、軍事主導のアメリカのシナリオを阻止することができなかった。しかも、完全にたたきのめされたイラク軍事力は、ある程度、ソ連自身の軍事力であった。
 ソ連という対抗勢力が事実上舞台から姿を消してからは、アメリカの行動能力が、卓越したものとなったことは疑う余地がない。アメリカの国民的帝国主義意識はたしかに満足させられたといえる。けれども、問題はそこから新たに始まる。
 アメリカの現在のヘゲモニーが、一九七〇年代半ばまでの「パックス・アメリカーナ」と異なるのは、強いドルに支えられていないことである。
 中東は世界のエネルギー問題を左右するという論理を振りかざして、アメリカは日本や西ドイツなどに、戦費負担の請求書をつきつけた。「われわれは戦争を遂行する。だが、諸君の金でだ……」というわけだ。けれどもそれは、アメリカの絶対的な優越を誇示するには、いささか頼りない姿であると言える。
アメリカ経済は、長期的で戦略的な再建路線を必要としている。だが、アメリカの今日の政体と政治情勢は、そのような選択にふさわしいものであるとは必ずしも言えない。アメリカの国民は、湾岸戦争に支払った「犠牲」が報酬を受けることを要求するであろう。アメリカの矛盾が、資本主義諸国の摩擦的国際関係に転化する危険があり、安定した「パックス・アメリカーナ」の成立からはほど遠い情勢である。

イラクの敗北

 湾岸戦争後の世界を考えようとするときには、問題をイラクの側からながめてみる必要があるだろう。アメリカはなぜ勝利したのかと問うより、むしろ、なぜイラクは敗北したのかと問うことによって、問題の本質に近づくことができる。
 なぜイラクは敗北したのであろうか。あるいは、より正確に言えば、なぜサダム・フセインは敗北したのであろうか。
 フセインが、世界情勢を見誤っていたことは明らかである。彼は、アメリカの意図を正確につかむことに失敗した。ソ連がはたし得るであろう役割を測定することに失敗した。しかし、何よりも重大な失敗は、この時代において、略奪を目的として他国に軍事的に侵攻するような試みに、成功の見込みがあると判断したことである。ペレストロイカと東欧官僚専制の倒壊から始まった九〇年代において、古典的な帝国主義的策略をもって国益を実現しようとする国家は、一つの方向をめざし始めている世界的な潮流に逆行することを自覚しなければならない。
 フセインはついに、真に彼を支援する勢力を発見することができなかった。彼が持ち出したアラブの大義は、彼自身の過去に似つかわしくないことが明白なご都合主義で、目的が達成されればすぐにでも破棄される口約束でしかないことはすべての人が知っていた。したがって、フセインが必死に打ち振るこの旗を無視するに当たって、アラブ各国の指導者たちは、自国の国民感情をそれほど気にしなくてもすんだ。
 なによりも重大なことは、フセインが自国において最悪の独裁者であるという事実である。この戦争のために動員された軍隊の戦意は、フセインの一族と彼が作り上げた軍事共同体をのぞけば、恐怖のうらがえしにすぎなかった。フセインは、本格的な戦争のためには欠くことのできない、勝利のために熱情的に結集する国民を持ってはいなかった。これこそ、彼の本質的な誤算であり、しかも彼がそれに気付くことは、ありえなかったのである。
 フセインの敗北を、二つの要因で説明することができる。
 第一に、今日の時代は、どのような大義を掲げているかに関わらず、独裁政体が危機に陥る時代である。世界のあゆるところで、人民が独裁に反抗し、民主主義を求めて闘っている。独裁が「社会主義」を名のっていようと、求める民主主義が何をめざすものであるのかが未だ不明確であろうと、この闘いは押しとどめがたい流れである。
 この流れが、ゴルバチョフが始めたペレストロイカに端を発するのか、それとも、この流れそのものがペレストロイカを生み出したのか、また、世紀末の今日になぜこのような流れがとうとうと地球をとらえるにいたったのか、これらの問題は徹底的に論じられるべき事柄であり、未だ十分な説明が与えられているとは言えない。にもかかわらず、この流れが今日の世界の基底を貫いており、フセインの独裁がこの流れに逆行するものとなったことは明白である。
 第二は、帝国主義が恣意的に分割した国境に反対するという主張には大いに根拠があるにせよ、現に存在するクウェートの独立をおかすフセインの侵略は、世界と中東の人民によって、正当視はされなかったということである。
 今日は、民族主義の時代である。民族の独立と、その国家としての自立を要求する闘いに、高い価値を与える時代である。フセインは、この点でも世界の人民から拒絶され、孤立しなければならなかった。アメリカ帝国主義との現実の戦闘に対して、いくらかでも力のある援軍が、どこからも来なかった。フセインの砂漠の戦争をベトナムになぞらえた人々は、時代の本質をまるでとらえていなかったのである。
 したがって、フセインの敗北は必然であったといえる。アメリカはたしかに勝利したが、その勝利もまた、時代に規定されている。民主主義と民族の独立を求める世界的な潮流から離れて、アメリカが覇権のフリーハンドを得たと錯覚すれば、あてがはずれることになる。湾岸戦争はこの上ない悲劇であったが、そこにも前進しようとする歴史の意志が働いている。あまりにも無造作に人間の血を流し続けてきた戦争と暴力の歴史を本当に終わらせるために、この戦争の教訓が無駄にならないために、民主主義と民族の独立をめざす世界的潮流に、われわれもわれわれの内容を持って合流しなければならない。

ソ連の危機と国際的位置

 ソ連の国際的な影響力が弱体化した原因が、国内危機の深まりにあったことは明らかである。
市場経済への移行は、整然とした形では進んでいない。
 合意された明確なプログラムが存在しない過渡期の混乱が、経済全体をまきこみ、消費物資の不足が際だって生活を直撃しているために、ゴルバチョフ政権に対する国民的な支持は、急速に失われている。大統領統治が意図した改革派権力の安定から、事態はほど遠く、中央の三極対立と、中央に対する地方の反乱とが、連邦の解体を差し迫ったものにしている。
 三極対立の性格は、官僚制と社会主義に対する態度で規定できる。
 保守派の綱領は連邦官僚機構の防衛であり、彼らにとって社会主義はこのことを意味する。
 ゴルバチョフ派は社会主義の改革を掲げ、それによって連邦を解体の危機から救出しようとしている。なぜなら、ロシア革命から連続する現代の社会主義において、一〇月革命そのものと言っても良いプロレタリア独裁権力としてのソビエト連邦なしに、社会主義はその歴史的意味のすべてを失うと考えるからである。
 これに対して急進派は、官僚機構の打倒を最優先課題とし、そのために市場経済への急速な移行を要求する。なぜなら、官僚独裁の砦としての連邦官僚機構は、国有計画経済の指令系統に他ならないからである。歴史的文脈におかれた社会主義がソビエト連邦を意味する限り、それは守られるべき大義ではもはやない。
 この三極対立の構造は、ロシア共和国のみならず他の多くの民族共和国においても基本的に成立するのであるが、民族主義と連邦の対決の情勢によって後景に退いている。ソ連の危機は、ロシア共和国と連邦を規定する三極の対立と、民族共和国と連邦との対立が重なり合い、市場経済への移行の混乱がさらに拍車をかけて深まっていく三重構造として現出しているのである。
 この混乱が早期に収拾される見通しはない。どの一極の安定した支配の成立に対しても、つねに他の二極が連合して阻止する用意があり、またどの二極も、連合して長期的な安定支配を実現しようとするほどには、互いに信用し合うことができない。国民的支持という点で、現在もっとも劣勢なゴルバチョフ派だけが、西側の支持を手にしている。西側は、ソ連の混乱が拡大し、泥沼化することを望んでいない。この泥沼が、世界秩序の新たな流動化の要因として作用し、周辺諸国を引きずり込むことを恐れているのである。この事情があるので、ゴルバチョフ政権にすぐにとって代わろうとする勢力は、当分の間現れにくい。
 このような情勢のなかで、ソ連の指導部がデタントに向かって進み始めた流れを止め、逆流させようと試みるとは考えにくい。保守派も、民主主義と市場経済に公然と反対することはできないのであり、国際的な孤立を国民に強制するほどの力を取り戻すことは不可能である。
 冷戦の終わりが決定的になったことは、ソ連指導部が行った現代の人類への最も重要な貢献である。社会主義を掲げるソ連が国際的な影響力を回復するとすれば、民主主義と民族の独立、そして平和の運動に積極的に加担することによらなければならないであろう。そのような方向にソ連が進んでいくことができるかどうかは、湾岸戦争後の世界をきわめて大きく左右する。

北方領土問題をどう考えるか

 ゴルバチョフの訪日は、北方領土問題一色に塗りつぶされた。自民党は、巨額の経済援助をちらつかせて、ゴルバチョフから返還の約束、悪くとも一九五六年の日ソ共同宣言の再確認を引きだそうとしたが、からぶりに終わった。
 冷戦の終わりは、自民党の期待に現実性を与え、ソ連の経済危機が希望的観測の根拠になった。ゴルバチョフの言動にも、ある程度は振幅があった。また、ゴルバチョフは北方領土返還を未来にわたって完全に拒否したわけでもない。問題は、ソ連情勢がもう少し明確になるであろう今後に残されたというべきであろう。
 軍事的にみた場合の北方領土の戦略上の位置は、とくに、核戦争の軍事力展開上、きわめて大きいものであるといえる。しかし、今日のソ連の軍事的弱体は、全面的な経済再建を通じなければ克服できないという事情がある。北方領土問題に戦略上の利害を見いだすにしても、限定されざるをえない。
 ゴルバチョフに、北方領土と経済援助の交換を選択させないのは、民族問題が激化するソ連国内情勢である。北方領土での譲歩が、民族問題における連邦の後退に連鎖していく危険を、ゴルバチョフはおかせない。
 ソ連の改革がどのような進展をたどるかを予測することは困難であるが、最悪の事態が回避されたとすれば、曲折を経ながらも、民族共和国の主権確立と、市場経済化が進展するであろう。連邦の機構は、拡大する市場経済のなかで官僚的独裁の基盤を奪われていくであろう。そのことは、民族主義に有利な方向に作用するであろう。一方において市場経済化を選択しながら、他方において連邦権力を防衛するゴルバチョフの路線は、結局並び立たない。北方領土問題が、民族主義への対抗の配慮からではなく、より安定した日ソ関係の締結という政治目的からソ連指導部によって扱われる時点が来る可能性は、排除できないであろう。
 われわれは、この問題についてどのような理解を持つべきであろうか。
 かつてわれわれは、北方領土問題に関する次のような立場を提起した(『北方領土問題と共産主義』)。
 (1)千島列島に自治を築く歴史的権利は、アイヌ民族にある。
(2)アイヌ民族の歴史的権利を実現するためには、日本プロレタリア革命の勝利と、ソ連官僚専制打倒の政治革命が必要である。
 (3)労働者国家ソ連の軍事的防衛のために、ソ連による千島列島占領を支持する。
 (4)北方諸島からの引き揚げ者に対して、日本政府は賠償の責任がある。
 (5)プロレタリア革命の勝利の後に、労働者国家日本とソ連は、アイヌ民族の同意を得て、千島列島を漁業を中心とする合同計画経済のための共同管理区域とするべきである。
 この立場は、アイヌ民族の歴史的権利を主張した点において、当時のあらゆる潮流と異なっていた。そして、この観点は、今日においても堅持されるべきであると考える。
 だが、われわれは、もう一つの問題にぶつかる。それは、ソ連による千島列島の軍事的占領への支持を、実際上、アイヌ民族の権利行使の前提においたことが正しかったかどうかという問題である。
 第二次世界大戦の戦後処理において、千島列島をソ連が占領しなければ、アメリカが占領したであろう。それはおそらく、戦後の政治・軍事情勢の展開に重大な影響を及ぼす戦略的変化であったに違いない。歴史をさかのぼって諸々の変数をもてあそぶ意味がどれほどあるのかということも含めて、ソ連の代わりにアメリカが占領すべきであったという意味しか持たないような主張のために、「レーニンの無併合・無賠償の原則」を持ち出すようなことは、問題にならない。
 だが、先住民族としてのアイヌ民族の歴史的権利の行使は、その国家への所属のいかんによらず承認されるべきである。ブルジョア日本に国民としての位置を持つアイヌ民族に対いしても、この歴史的権利は無条件に認められるべきである。民族の権利は、自ら所属する国家を自ら決定する権利を含まなければ意味がない。ソ連の防衛を強調したわれわれのかつての立場は、この肝心の点について、必ずしも明確にしてはいなかったといえる。故結城庄司氏がわれわれに寄せた批判は、このことに鋭くかかわっていたと今にして思い当たる。
ソ連政府が、北方諸島をどのように取り扱うかは、諸課題の優先順位をどのように決定するかによる。彼らがたとえばこれらの島を日本にできるだけ高く売りつけようとしたからといって、そのこと自体に原則的に反対すべきものは何もない。現実にその地域を所有する国家としてのソ連が、その領土を処分することの政治的な意味は、民主主義と民族の独立、市場経済化として前進をはかるべきペレストロイカにとってどのような役割をはたすのかという点で、価値判断しなければならない。だが、そのときにも、先住民族としてのアイヌ民族の歴史的権利とその要求を全面的に承認することを、日ソ両国に対して要求しなければならないとわれわれは主張する。