2008年7月10日        労働者の力             第 220号

SHUT DOWN G8サミット
G8対抗アクション、成功裏に実現

チャレンジ・ザG8・市民ピースウォーク7・5
北海道の空に5000名の「NO!G8」の声
世界から日本各地から!

 
 30度を越える真夏日のなか、札幌大通り公園はG8に反対する多くの民衆でうずまった。
 7月4日から始まった「国際民衆連帯DAY・連帯フォーラム」は「8カ国だけで世界の大事なことを決めていいの?」というスローガンのもと「貧困と労働」「G8と途上国の貧困と債務帳消しについて」「自由貿易と食料・環境危機」「女性の人権」「戦争と暴力」など数多くのテーマでフォーラムが連日開催される。「G8サミットを問う連絡会」に集う国際民衆連帯ワーキンググループが4日から9日までの間に開催する数多くのフォーラムは、賛同団体の規模、多様なグループの参加による企画を含め反G8民衆運動の広がりと成功を明らかにした。色とりどりの旗を掲げ集まった参加者の心は「8カ国だけで世界的な問題を決めるな!」と一つになっている。
 今回のサミットでは「地球温暖化対策」「原油・食料価格高騰など世界経済」を主要議題としている。G8首脳たちは、地球温暖化CO2削減について「市場メカニズム」に委ねることによって解決できるとしているがそんなことは全くのごまかしだ。人類最大の公害をストップさせるためにはその公害を引き起こしている資本活動を規制する以外にない。原油・食糧危機の問題もしかりだ。金持ちの資金が原油・食料投機に流れた結果が現在の危機の現れであり、途上国の人々の深刻な貧困と飢餓を生み出していることを考えたときに、資本家の利益を防衛・拡大するG8サミットが推進する新自由主義政策の下では、何ら人々に希望ある未来を約束しはしない。



何を恐れているのか? 民衆の怒りに包囲されたG8!

 G8開催にむけ日本政府は国の威信をかけ全国各地から2万人にも上る警官を動員し全国を厳戒態勢のもとにおいた。苫小牧から札幌に向かう高速道路では各県警の部隊が通行規制しながら草むらを探索し、札幌の街の交差点という交差点には警官が配置され異様な雰囲気である。右翼団体が大音響で「警官の皆さん頑張れ!」「G8に反対する共産ゲリラは射殺せよ!」などおどろおどろした宣伝。民衆連帯フォーラムに参加しようとする海外ゲストに対する外務省、公安の妨害の数々。こうしたなかで韓国民主労総の労働者一名を不当逮捕し四名の入国拒否、農民団体代表19名の入国を拒否し退去命令を出すと言う異常さだ。それはまさしく、「反サミット」の大衆的動員が創り出した「もう一つの世界は可能だ!」とする運動の世界的広がりに対する彼らの恐怖の現われとも言える。すでにG8は、権力の暴力機構を総動員し民衆を排除することによってしかその「非民主的枠組み」を維持することしかできない情況なのだろう。韓国民主労総の闘う仲間は、直ちに「入国目的が明確であり、妥当な理由がなく入国を拒否する日本政府に対する糾弾の声明」を明らかにし、入国した四名の仲間は、札幌大通り公園で日本の労働者とともに抗議の座り込みに入った。
 ウォルデン・ベロー氏は、5日夜に開催された「G8サミットを問う集会」のなかで「市民運動の側から見るG8の歴史」についてスピーチし、「新自由主義の拡大、貧困の拡大、不平等の拡大」の中での「G8ネオリベラリズムに対する抗議運動の世界的拡大」を明らかにした。民衆の声と大衆的動員のなかで包囲され追い込まれているのは紛れもなく彼らだ!

心を一つに!5000人の反G8デモ!
許さぬ!国家権力の暴力!デモ参加者四名不当逮捕


 5000人のデモンストレーションは、市民の大きな注目を浴びた。G8首脳のビッグマスクをつけた外国人参加者、思い思いのスタイルで市民に「G8反対!」を訴えていく。初めて目にしたが「ロボコップ」のようないでたちの「精鋭部隊」と各県から動員された機動隊が、幾重にも道路を取り囲むというような異様な空間を創り上げている。こうした中でデモ参加者四名が不当逮捕された。この弾圧はサウンドデモ(トラックに音響設備とDJが乗り、音楽を流しながらのデモ)参加者であり、DJ交代のため荷台に飛び乗ったところ「荷台には一名が許可条件である」ということをもって逮捕し、また運転手の逮捕は運転席サイドガラスを破壊し逮捕するという「暴走する権力」そのままの姿である。弾圧を糾弾する主催者アピールが出されたが、こうした全く不当な弾圧に対してデモ参加者の抗議のシュプレヒコールや路上座り込みなどが、権力の弾圧に抗する我々の意思として必要ではないのかと感じる。
 G8サミットで何が話し合われているのか連日報道されている。しかし、それは何も解決できないし、解決しようともしない話だ!札幌を中心として北海道各地で開かれている反G8・対抗フォーラムや行動は、労働者・市民・農民・学生など、数え切れないほどのグループがつながり大きな力として浮かび上がったことを明らかにした。それはまさしく国境を越えた連帯のもと大きく歩み始めたということだろう。
 もう一つの世界は可能だ!世界はきっと変えられる!変えなければならない!(7月7日、電通労組・高橋喜一)

6/28 G8サミット直前東京行動全体会
     G8サミットを今年で最後に!

 洞爺湖G8サミットを一週間後に控えた6月28日、都内ではG8サミット直前東京行動実行委員会の下に、一連の行動が取り組まれた。G8諸国による世界の方向付けを拒否し、民衆の側からそれとは異なる道を自ら生み出そうとする共同の模索だ。午前から午後にかけては、都内各会場に分かれ、八つのテーマで分科会が行われた。各分科会は以下の通り。

●貧困と不安定雇用と社会的排除はもうたくさんだ!反G8東京行動
●自由貿易が食糧危機を招く!!
●非正規の仕事に正当な評価を!
●生活の営みを破壊する「軍事化」を許すのか?
●私達の税金が貧困を作る―アジア・アフリカの債務問題
●生命特許
●対テロ治安弾圧と戦争協力体制を問う
●公共サービスと労働運動の再生

 そして午後6時からは、反グローバリズム運動の著名な活動家であり著述家であるスーザン・ジョージさんをゲスト講師に招いた全体会が、文京区民センターで開催された。ここには、主催者の予想を越え、会場に入りきれないほどの市民がつめかけた。主催者からの参加者数発表はなかったが、会場内で集められたカンパは8万円を超えた。
 また別室にはインフォセンターが設置され、各分科会資料、北海道現地行動の案内資料、各運動団体の案内などが並べられた。参加者に情報提供の便宜を図るこれまでにない試みだ。このインフォセンター資料にも品切れとなるものが出たようだ。

もう一つの世界に向けて

 全体会は、神戸環境大臣会合と新潟労働大臣会合に対する対抗アクションの報告から始まった。前者については、民衆の独自的取組みとしての「もう一つの環境サミット」が報告された。28人の事例発表が行われたという。その上で、決めるのは私達、との観点が強調された。後者については、県や厚生労働省外郭団体による外国人研修生の搾取が焦点となったフリーター全般労組の前夜祭が報告され、持続可能ではない社会を作り出したG8への直截な怒りが表明された。
 次いで各分科会の内容が壇上に並んだ代表者から報告された。先に紹介したように、各分科会が取り組んだテーマは、まさしく今我々に押し付けられ、人々が日々苦しめられている大問題。割り当てられた五分という短い時間で語れるものではない。ごく概括的な報告となることはやむをえなかった。しかしそれらの問題が容易ならざるものであり、それがまさしくG8諸国の支配的エリートによって作り出されものであることが、しかしそれを解決する意思も能力も彼らにはないことが、共通に訴えられた。
 これらの報告を受け、G8サミット市民フォーラム北海道の越田さんから、北海道現地行動への呼びかけが行われた。現地では、G8による世界の方向付けをとりあえず容認する人々も含め、市民の視点で「G8を考える」という大枠的連携の下に、民衆独自の多様な取組みが幅広く準備されてきた。互いの批判的観点は保持したまま、互いの立場や考え方を尊重し排除し合わないこのような連携は、今後に続く意味をもつ貴重な経験だと思われる。後に触れるがこの連携の下で現に大きな民衆の動きが生まれようとしている。今回の対抗アクションにあたって、この連携を作り出した多くの人々の努力には率直に敬意を表したい。越田さんは、この枠の下で7月5日に予定されている「チャレンジ・ザ・G8ピースウォーク・7.5」を敢えて1万人ウォークと大言壮語していると明かし、それを是非実現したい、と力強く呼びかけた。

G8を笑い飛ばせ

 次いでスーザン・ジョージさんがG8サミットの問題点を講演。約1時間の講演だったが、通訳が入るため実質はおよそ30分。平易な英語でゆっくりと語られ、ある程度英語が分かる人には理解しやすい講演だったと思われる。
 彼女の強調点の第一は、G8サミットという存在の不法性。誰からの委任も、従ってその権限への統制も全く受けないこの存在は、その上、北の六カ国が南の経済的イニシアティブを抑え込むという不当な目的の下にスタートし、その目的には今も全く変わりがない、と彼女は明確に指摘する。法的正統性、あるいは「法治主義」という観念の意図的なあいまい化が横行する日本においては重要な提起だ。
 その上で彼女は、現在のG8が政治的指導性などを語る資格のない無能な存在であることを暴き出す。“統治するとは予見すること”というフランスの格言から切りだし、G8諸国の支配的エリートは現在の世界を覆う数々の危機の何を予見したのか、と痛烈に指弾。そしてそれと対比して、新自由主義的グローバリゼーションへの抵抗に立ち上がり、G8サミットを否認してきた世界の社会運動の方が、はるかに多くを予見していたのだ、と雄弁に語られた。そのようなものとして社会運動は、特に99年のシアトル以降、国際規模の民主主義、国際課税システムなど、いい解決策に向けた探求を実践として深めてきたと、未来に向けた力がどこにあるのかを照らし出した。
 私達はいくつか勝利した、と彼女は語った。IMF、WTOの行く手に大きな障害を作り出し、新自由主義批判の強大な渦を作り出し、世界大でまた各地域に民衆の独自的連携を飛躍的に前進させた、と。そしてその一つとして、今回のG8サミット対抗アクションに結実した日本の民衆運動における連携の広がりを取り上げ、そこに向けて貢献した今回の実行委員会の努力を高く評価した。ともすればその場その場の運動の外形に目を奪われがちな日本の我々にとって、これも重要な視点だったと思われる。
 そして彼女は直裁に結論を提起した。G8を笑い飛ばし、今回のG8を最後のG8にしよう、と。
 休憩を挟んで時間は僅かだったが、権力の弾圧の問題、投機に対する規制の問題、グローバルな課題への対応を可能とするG8に代わる機能の問題について、彼女との質疑が交換された。彼女の議論の中心は、深い意味における民主主義とその上に立つ法の支配。市場の支配はそれ故にこそ正統性がない。この観点から具体的には、国連の機能強化と、各国で開発されてきた規制のよく考えられた側面を生かすことの重要性が提起された。

対抗アクション成功の予感

 参加者に様々な思いを残した講演に続いて、北海道現地での活動が、準備に奔走してきた当地の仲間から紹介された。まさにすさまじい数の企画が目白押しに準備されていた。「G8サミットを問う連絡会」作成の、同連絡会関連企画プログラムリーフレットだけでもA四版八頁あった。しかも小さな字でぎっしり書き込まれている。身に迫る問題への解決方向を、民衆の内部から共同して、G8の結論など待つことなく独自に探ろうとのエネルギーが、そこには歴然と現れていた。その動きは確かに、2000年の九州・沖縄サミット時点とは比較にならないほどに高まり、広がり、深まっていた。しかもこれらの自立的な動きは、明らかに意識的な連携の下に表現されている。この活動の紹介を引き受けた若者の明るさもまた、何かが始まっていることを印象付けていた。そしてそのような「始まり」は、今回の全体会が二人の若者の司会で集中を欠かさず進められたことにも、何がしか反映されていた様に思われる。
 ぎっしり中身の詰まった全体会は、最後に翌日のデモへの呼びかけを受け、今回のG8サミット対抗アクションの成功を予感させつつ終了した。(編集部)

 

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サミット「警備」
 入国規制乱発の醜態
    国境を越える抵抗に焦りあらわ

 
 洞爺湖G8サミットは、国家を挙げた治安体制に向けた演習の場でもあった。口実はテロの危険。警察のみならず、海上保安庁、入国管理機関も全国的動員の下に「不審な動き」の監視にあたり、自衛隊も洞爺湖周辺上空に対空迎撃態勢を敷いたと言われる。
 世界に広がる治安国家化の強まりは、紛れもなく新自由主義のもう一つの顔だ。それは日本でも、チラシを使った市民活動・政治活動までもが弾圧の対象となり始めた現状に、端的に表れている。今回の大掛かりなサミット「警備」がその延長上にあることは間違いない。札幌のピースウォークでは、極度に不当な弾圧が加えられている(一面、現地報告記事参照)。
 民主主義に敵対するこの治安国家化には、明確で断固とした反撃が必要とされる。同時に我々は、民主的な権利の行使を、自らの要求の実現に向けた行動を、抑制することなく堂々と続け拡大することが求められる。
 大局的には今、何よりも権力の方が追い詰められているのだ。新自由主義の行き詰まりと破綻は、しかも世界大で深まりを見せるその危機は、治安の強化に頼って克服できるようなものではない。その先は閉じている。
 他方でこの危機からの脱却においては、社会の深部からの民主主義が、そのようなものとしての社会の再建が、不可欠の要素とならざるを得ないだろう。新自由主義からの脱却、転換は、まさに民主主義の創造的深化と一体であり、その意味で治安国家化への民衆的反撃は、未来に向かう道の中にしっかりとその位置をもっている。
 上述した対比の一端は、今回のサミット「警備」においても既に顔を覗かせていた。
 今回権力は、国外の反新自由主義のエネルギーを国内と遮断することに異様な執着を見せた。それらの運動関係者の入国拒否がまさに乱発された。「G8サミットを問う連絡会」が3月に開催した国際調整会議では、韓国の市民運動活動家が入国拒否され、いったん帰国せざるを得なかった。横浜で5月末行われたTICAD反対の諸行動では、主催者が招待した南アフリカ・ソウェトの市民活動家がビザ発給を拒否され、7月4日には、韓国民主労総の一般労組委員長が入国を拒否され帰国させられた。いずれも当地では、公然と運動を展開している知られた活動家だった。
 あるいは、著名な思想家であるアントニオ・ネグリの入国拒否もその延長上に数えることができるだろう。この他にも何人もが入国できなかった(一面記事参照)。そして極めつけとして、スーザン・ジョージは成田の入管で何と4時間以上も足止めされている。ここまで来るともはや笑うべき醜態と言うべきだろう。権力が本当は何を敵視していたかは明白だ。それはまさしく「テロ」ではない。紛れもなく、反新自由主義、反グローバリズムという思想が敵視されたのだ。
 しかし権力のそのようなあがきも要するに水の泡だった。新自由主義への抵抗は苦もなく国境を越えて連携し、G8対抗アクションの日本における画期的な実現に実を結び、反G8という民衆世界における国際基準の声は、日本の民衆の中に力強く届けられた。そして日本のマスメディアも、例え断片的であったとしても、それらを伝えざるを得なかった。
 権力の執着について過大な楽観視は禁物だろう。しかし、治安強化というはかない試みの対極に、民主主義を自ら作り出そうとするエネルギーは客観的に準備されざるを得ない。九条世界会議の成功に引き続く今回の対抗アクションの成功は、その一端を見せたと考えるべきだろう。
 我々に課せられる任務は、その可能性と必然性を閉ざすことのない、開かれた運動の展開に向けた努力である。(K)

6/29  DOWN!DOWN!G8

          500人新宿繁華街をデモ

 一連のG8直前東京行動の最後として、6月29日午後3時から、G8シャットダウンを掲げたデモが東京新宿で行われた。参加者は主催者発表で500名以上。若者や外国からかけつけた参加者の多さが目を引いた。

強雨をはね返して

 当日はあいにくの、しかもかなり強い雨。しかしデモ出発点の新宿柏木公園には続々と参加者がつめかける。そして雨の中、公園のあちこちで、あるいは周辺のビルの軒先を借り、持参したデコレーションを思い思いに広げる。旗、プラカードにとどまらず、着ぐるみ、凝った飾り物など、数が多いだけではなく雨に濡らすには惜しい力作が次々と現れた。お仕着せとは明らかに異なる、自らの意思を込めた行動への意欲が見て取れる。この日は取材陣も多かった。公園のあちらこちらでカメラを回し参加者をつかまえては話を聞いている。
 出発前集会は30分という短い設定、定刻通り始まった。最初にグァムで反米軍基地に立ち上がっているチャモロ・ネーションズの女性が発言。米軍の土地取り上げを告発し、沖縄からの海兵隊移駐を容認しないと訴えた。彼女の訴えは、日米両政府が画策する米軍再編には国境を越えた民衆的抵抗が厳然とあることを印象付けた。彼女は北海道で開催される先住民サミットにも参加する。世界の先住民にもこの訴えは伝えられるだろう。次いで「G8女性の人権フォーラム」からの発言。新自由主義と戦争は真っ先に女性を傷付け犠牲にしてきたと現実を鋭くえぐりだし、新自由主義を世界中で推進するG8を容認しない、と鮮明な主張がなされた。労働の規制解体への反撃を訴えた東京全労協の発言に続き最後は、雨をおしてかけつけたスーザン・ジョージさんが、勝手にリーダーを気取り世界をめちゃめちゃにしたG8には正統性も能力もない、G8には終わりを突き付けようと、簡潔に訴えた。

  ぬかるむ足下と発言をさえぎる雨音、恵まれない条件の集会だったが、帰る人はほとんど見られず、デモへの意欲は少しも削がれない。上記の発言を受け全体は即刻デモに移った。同公園を出て新宿駅を一周、また出発点に戻る約1時間のコースだ。先頭は、「自由と生存のメーデー」を実現してきた若者達が引き受けた。その名もサウンドデモ。覆い付トラックの荷台に音響危機を備え付けたサウンドカーが先導する。この元気な若者達の後に様々な参加者が続き、デモは雨の新宿に繰り出した。
 かなり強い雨脚だったがさすが新宿、通りの人出はかなり多い。デモ参加者は、この沿道の人々に向かって、G8諸国が勝手に世界を仕切ろうとすることの不当性を声高く訴えた。デモの主張は鮮明、力作のデコレーションも手伝って、沿道からはかなりの視線が注がれていた。
 ついでに加えれば、警察はこの日も私服警官と新型乱闘服に身を固めた機動隊を大量に投入し、対抗アクション封じ込めを狙った。そこにはデモ参加者への威圧のみならず、周囲全体への威圧による行動孤立化の狙いも明確にあったはずだ。しかしそれらの狙いは相当に外れていたように見える。公園では周辺の人達が、警察の目など気にすることなく雨の中興味深げに集会を覗く。デモ隊はおおらかに、そして沿道から孤立することなく行進した。
 こうして手応えのある約1時間のデモを終え柏木公園に戻った参加者は、フランスの反貧困・失業者運動のAC!、フリーター全般労組・自由と生存のメーデー実行委員会、横浜でG8とTICADを考える会から改めて発言を受け、この日の行動を終えた。(T) 

68年とパリ
ヨーロッパ反資本主義左翼国際集会

        ジョセップ・マリア/ラウル・カマルゴ

 5月31日―6月1日、フランスの革命的共産主義者同盟(LCR)が発した68年5月の40周年を節目とする重要な政治的呼びかけが、パリで実現した。国際集会、そしてヨーロッパ反資本主義左翼諸政治組織による協議会だ。

記憶の埋葬攻撃に痛烈な反撃

 この記念を刻印した反資本主義左翼の行動は、5月を通じてヨーロッパ中で起きていた。そこで共有された目的は、反動的諸攻撃とその年の出来事の陳腐化を狙った諸々のもくろみから68年5月の遺産を取り戻し、現在の諸闘争の中に5月の記憶を焼き付けることだった。スパニッシュステートの様々な都市での催しをもって、エスパシオ・アルテルナティボが始動させた「我々は闘い続けている」は、上述の動きの一環だった。ヨーロッパ規模で呼びかけられた全てのものの中で、LCRの集会はその重要性において際立っている。
 2000名以上の人々が、様々な世代の戦士達を代表する幅広い講演者団に耳を傾けるために、ミューチュラリテホールにつめかけた。発言者は、68年世代、最近の闘争の中で打ち鍛えられた世代、そして様々な諸国の闘士達だ。そこには、双方共がLCRの創設者であり68年の傑出した指導者であったアラン・クリビーヌとダニエル・ベンセード、ポーランド労働党(PPT)のボグスロウ・ツェテク、LCR指導部のミリアム・マルティン、批判的左翼(イタリア)のフラビア・ダンジェリ、ポルトガル左翼ブロックから派遣されたフランシスコ・ルカ、フランスで直近まで数週間闘われた学生闘争における若い参加者、そして、LCRのスポークスパーソンであると共に過去二回の大統領選候補者であったオリビエ・ブザンスノーがいた。
 集会の目的はアラン・クリビーヌによって示された。それは、「古い闘士達の集会を開く」ことではなく、「国際的諸闘争の全般的諸経験を交換し合い」、「新しい条件と新しい歴史的な時期に新たな勢力の共同をてこに」、もう一つの68年5月という可能性を討論するための、「現在と未来の闘士達」の集会を開くことだ、と。
 ダニエル・ベンセードは、68年5月を消し去ることにやっきとなっている右翼の議論(フランス人の75%以上はそのできごとに肯定的な見解をもっているということが調査で示されているからには、それは明らかにほとんど成功していない)を、サルコジの同種の主張を槍玉に挙げ強く批判した。彼の批判の矛先はまた、ダニエル・コーンベンディットのやりかたのような、その意味をただ文化の次元にだけ切り縮め「やわらげ」ようとする議論にも向けられた。後者にとっては、68年5月は文化の領域で勝利したに過ぎず、彼の著作、「68年を忘れよ」の題名が語るように、彼は今や単にそれを忘れたがっている。「68年を文化的近代化運動として読み替えることには極めて明確な機能がある。68年5月の脱政治化だ」とベンセードは指摘した。
 68年は巨大な社会的反乱だった。そこでは、おそらく「全てが可能だったわけではないが、もちろんいくつかのことは可能だった。そこには、ゼネラルストライキの力をてこに、ドゴールと第五共和制を打倒する可能性があった」。今日68年の教訓は、現在の諸闘争にとって有益な意味をもち得る。68年が残したものは「闘争の文化と記憶」であり、それが、1995年から現在までの新自由主義的反改良政策の適用において、フランスで遭遇する諸困難を説明する。「多くの者が撤退した80年代の困難な時期を経て、我々は闘いを再開する権利を今手にしている」とベンセードは語った。

新たな68年5月へ

 ボグスロウ・ツェテクはポーランドの情勢と、テスコスーパーマーケットのストライキのような、最近起きたいくつかの素晴らしい労働組合の闘争について語り、そして、ヨーロッパ規模における労働組合の闘争の共同が必要であると語った。
 ミリアム・マルティンは、サルコジの新自由主義的かつ権威主義的政策を厳しく批判し、この国で広がりつつある抑圧に対決し、未登録移民の闘争のような現下の闘争を支える必要性を指摘した。そして後者の人々は会場内で強力な存在感を示していた。まさしく、「闘争は終わることからは程遠い」。
 フラビア・ダンジェリは、ベルルスコーニの政策と今回の選挙におけるイタリア左翼の敗北について語った。「政権にある左翼が人々の期待に何ら応えないのであれば、勝つのは右翼であり」、「反資本主義左翼(再建党と対応)が資本主義システムを統治するのであれば、勝つのは左翼ではなくシステムである。それ故、新たな反資本主義左翼、21世紀の左翼の建設に向けた前進が必要だ」と。
 フランシスコ・ルカは、「右翼の68年に対する強い憎悪」を非難することから彼の議論を始めた。彼らはその繰り返しという亡霊を前に怯えているのだ。同時にルカは、ポルトガルにおける左翼ブロックの政策について、そして、フランスにおける新反資本主義党(NPA)建設に向けたLCRの提案の、ヨーロッパ左翼にとっての重要性について語った。
 ルカに続いたのは、フランスの学生の闘争に参加した一人の若者だった。彼は、彼らを突き動かしているもの、並びに政府と対決する闘いを組織する必要性を説明した。
 最後はオリビエ・ブザンスノーであり、彼は、LCRが代表する潮流の歴史において68年5月こそが中心的なできごとだった、と指摘した。そしてそのLCRは、高揚する諸闘争と若い世代の変革に向けた精神に一致してきただけではなく、今もなお68年への参加に対する誠実さを保っている。「多くの者は闘争を放棄した。しかし我々はそうはしなかった」。「我々は68年を崇拝したりはしない」、しかしむしろ我々は、その遺産が今日の闘争の中で我々にいかに奉仕しているかを理解している。
 ブザンスノーはNPA構想に関し、民衆の諸部門に開かれた形で、そして社会党と諸制度との関係では戦略的な独立性という基盤の上での、新たな活動家に基盤を置く政治的道具の建設だ、と説明した。反資本主義と国際主義が、この新構想を構成する基本的な基盤的要素となるだろう。「国際主義は単なる遺産ではない。それは我々の商標であり、我々の日々の実践なのだ」と彼は指摘した。
 その理由から、「ヨーロッパ反資本主義党の建設において前進すること」は、フランスの新たな反資本主義党がその創設の始めから遂行しようとしている目的の一つだ。(「インターナショナルビューポイント」電子版6月号、一部省略)
イタリア総選挙、とりあえずの回答
    右翼の勝利―問題は何か

         リディア・シリロへのインタビュー

深刻な政治的光景

―選挙結果の主要点は以下のようになる。上院では、右翼(自由の人民、北部同盟、自律のための運動)の得票が47・2%、民主党(DP)とディ・ピエトロが率いた「価値あるイタリア」(IdV)の得票が38・1%。下院では、右翼が46・6%、DPとIdVが37・7%。右翼は5年間の「支配」を可能とする多数を手にしている。当初出口調査が幻想を膨らましたとはいえ、この選挙での印象的な右翼の勝利を認めるためには、何もイタリアに関する専門家である必要はない―

 確かに、ベルルスコーニが率いた選挙連合―自由の人民、北部同盟、自律のための運動―の勝利は明らかだ。この連合は、ウォルター・ベルトローニ(前ローマ市長)のDPとIdV(元判事のディ・ピエトロが率いた)に9%以上も差をつけた。今利用可能な速報結果と火曜朝の準公式結果に従えば、結果に疑う余地はない。この勝利は全くもって重要な意味をもつが、また以下の点で警告的でもある。つまり、この選挙連合内で人種主義政党である北部同盟は、何度も25%を超えている「彼らの」伝統的地域(べネト―フィリウリ)で好結果を出したというだけではなく、いわゆる伝統的左翼が強力な基盤を築いてきたピエモントやロンバルディでも強さを見せた、ということだ。北部の工業地域で北部同盟は労働者票を分捕った。そして「虹の左翼」を、従って特にファウスト・ベルティノッティの共産主義再建党(PRC)を完全に敗退させた。その彼は、ロマーノ・プローディの前政権下では下院議長だったのだ。
 虹の左翼の得票は、上院で3・2%、下院で3・1%だった。しかし2004年の前回EU議会選では、その戦列に「民主的左翼」―DPから分裂した分派―を欠いていたにもかかわらず、今回の新しい陣形に参加した諸勢力は合計でおよそ11%を得ていたのだ。今回の結果は、労働者階級地域における、60年代末、70年代さらに80年代までに至る労働者階級の活動と諸決起の中心であった地域における、これらの勢力の―特にPRCの、さらに程度はより低いがイタリア共産主義者党(PCDI)の―退却を示している。確かにこれらの地域は社会的変容を経てきた。しかし、そこでは社会学的意味での賃金労働者階級が減少したわけではなく、しかもその生活条件は下落させられてきた。
 これらの地域で北部同盟は、党は「新たな労働者の党」となった、とウンベルト・ボッシ(北部同盟の最高指導者―訳者)に言わしめるほどの躍進を果した。それは、虹の左翼とそれを作り上げた諸勢力の、繰り返すが中でもPRCの、まっさかさまの墜落を象徴している。この結果をもってこれらの勢力は下院と上院から完全にはじき出された。
 従ってこれは、一般的な右翼の勝利というだけではなく、排外主義的右翼分派、「北部主義者」と人種主義者の勝利でもある。これは重要な新しい事実だ。その上ファシスト連合のストラーセは様々な都市―中でもローマ―で、上院の2・1%から下院の2・4%に至る票を得ている。
 脅威であるとか危険だとは言わないまでも、全体的な政治的枠組みは深刻だ。これが第一の結論だ。

―ベルルスコーニと手を切ってカッシーニが率いた「キリスト教民主主義」の行動結果を、我々はどう考えるべきだろうか―

 中道右翼と中道左翼の結果においては―あくまではやりの用語法を使うとしてだが―、フェルナンド・カッシーニのUDC(キリスト教民主主義者・中道的民主主義者連合)の結果を考慮に入れることが必要となる。これは今後重きをなすと思われる一つの勢力だ。おそらくそれは、ベルルスコーニと簡単には連携しないだろうが、特に反動的なカソリック的「価値」に関わる様々な方策は支持するだろう。これもまた、今回の選挙が描き出した新たな光景の中で心に留めておくべき要素だ。そしていずれにしろ両院には、北部同盟から得た強さを備えたPDLという右翼であれ、イタリア的文脈においてはオバマに対比できる一種の民主党と言ってよいDPであれ、ただ右翼の諸勢力があるだけだ。

左翼が負うべき責任―労働者民衆に残した幻滅

―この選挙は歴史的変化を記している。即ち、PRCのような「左翼」は議会から消えた。われられはそれをどう理解すべきなのか―

 虹の左翼にとっては、その生命力が数えられるほどのものであることは明らかなように見える。ディリベルトのPCDIは既に荷物をしまい込んだ。緑の党もその後に続くだろう。PRCはほとんど完全な混乱状態にある。こうしてそのスポークスパーソンの一人であるフランコ・ジョルダーノは月曜日朝TVで、一定の「情勢の必要に対応する綱領」と共に「左翼の家を建設すること」が必要だ、と力説した。それは全く力のない主張だ。そのような議論については、フランスにおける社会党のあるいはその傘下にある何人かのふるまいに関して、既に人は聞いてきたはずだ。
 虹の左翼の敗北を説明するものとしては、少なくとも二つの要素がある。第一に、DPは虹の左翼が追い求めた左翼から票を得た。選挙運動においてこの党は、可能な限り論争とならないような政治的立場を採用することを通じて運動を展開した。それに応じて、この党は右翼の有権者の中では得票しなかった。それ故DPは虹の左翼から票を取ったのだ。
 しかし票のこの再配分に対する責任は虹の左翼にもある。確かに、「左翼の人民」―この定式を使うとして―に、雇用主並びに右翼と闘うための唯一の方法は政府に入ることだと信じ込まさせようとしたならば、最も近い位置にあり「統治能力」がより高そうな、政権を取れそうに見える者達に市民は投票する。それは理にかなっているのだ。
 第二に、少なくとも棄権が3%あった。即ち150万票の棄権票だ。しかしそれらの中では確実に、虹の左翼のそれぞれに過去投票した人々が大きな数を占める。我々(批判的左翼)はそれらの人々に手を届かせることができなかった。彼らは全く目新しい我々(言葉の厳密な意味では、2007年12月以降やっと存在したに過ぎない)とは結びつきがなかっただけではなく、また極めて強い懐疑にとらわれていた。その懐疑は現に賃金労働者の中に存在している。自身を「共産主義者」と呼ぶ政治勢力によって、今に至る全期間を通じて追求されてきた政治路線を経験した後では、多くの人々が確信を失った。彼らは彼らの信頼を改めて新興組織に簡単に預けることなどない。幻滅という歴史全体によって刻印された現在の背景においては、そこに異常なことは何もない。
 被雇用者あるいは若者達の活動的かつ急進的な層の中には、ある考えがある―それは理解できるという以上のものだ―。即ち、「彼らはあれやこれやと語るが、いったん議会に入れば、全ての者が同じことをやる」と。この姿勢は、反改良により好都合な刷新された制度的枠組みを生み出すことを目的とした、「政治的カースト化」を目標に定めている資本と結びついた一つの確かな環境、という枠組み内部でさらに続いている。これは理解される必要のあることだ。上述した二つの要素はどのような形であれ混同されてはならないとしてもだ。

右翼を待つ困難と左翼再建への挑戦

―ベルルスコーニは勝利した。しかし、雇用主の言葉を使うならば、「イタリアをどぶから連れ出すための」もっと適した政治・官僚諸制度の建設にあたって、障害は残っていないのだろうか―

 衆目が認めるように、今ベルルスコーニは過去においてよりもイタリア経団連とより一致しているように見える。しかし彼は支配的ブロック内部にある諸困難を処理しなければならない。北部同盟に対する票は、この組織が例え北部に張り巡らされて存在していようと、ある種の―要するにと言いたいが―労働者階級の組織を映し出すかもしれない票と言うよりは、より多く抗議の票だ。
 「労働者の運動」の、労働組合と政治の分野における労働者階級の脱組織化の程度は非常に大きい。結果としてベルルスコーニは5年の間―両院での明確な多数を手にしている以上―、惨害に導き得る新たないくつもの打撃を加えることができる。イタリア労働総同盟(CGIL)は、北部では相当数の北部同盟に投票する組合員を抱えている。それ故、ベルルスコーニに対して主要な問題を持ち出すものは、反改良に向けた北部同盟からの支持に対する労働者の抵抗ではない。
 他方で、支配ブロック内部の諸対立は今も残っている。月曜日朝のように、経団連の新指導者、エマ・マルセジャグリアの声明は、「深い改革」を実行する必要に関する資本の支配的分派内部の焦りに似た感情を示している。同時に、右翼の一定の指導者内部には、社会的決起が再度現れる可能性がある、という感情もある。彼らもまたフランスを注視しているのだ。それ故戦略は、今後の数週間でもっと精密に練り上げられるだろう。
 それ以上に我々は以下のことに注意を払っている。それは、厳しい経済危機、民衆的反応の可能性、ベルルスコーニのみならず北部同盟の場合はもっと重いものとなっている権益配分構造への考慮、などだ。それら全てが私に以下のことを考えるよう迫っている。即ち、資本の支配的分派の利害に一致する政治路線に適した情勢は、タイミングという側面において、依然としてこれから試験にかけられるものとしてある、ということだ。

―あなたは批判的左翼のメンバーだ。あなた達は2007年にはまだPRC内部にあり、その後「ベルティノッティの党」と明確に手を切ったという過程から見て、「全ての若者」のために、形成途上にあるこの組織の選挙結果をあなたはどのように判断するか―

 我々は批判的左翼として以下の結果を得た。即ち、上院では0・416%、136、396票、下院では0・459%、167、673票だ。フラビア・ダンジェリは、彼女の若さと率直な演説によって、中でも若者や被雇用者そして学生の中で良好な反応を得た。とは言え、それはこれらの人々が批判的左翼に投票したということを意味するわけではない。ある者は「有効に」票を使いたいと思うか棄権したかったからだ。フランコ・トゥリグリアット(前上院議員、プローディの提案―アフガン派兵継続―に反対投票した)は、非常に政治的かつ教育的な議論を展開した。そして彼は、長い間そのために働いてきた労働者の一定層によって認められた。結果がそれを示している。最初の結果を貫いて示されたことは、我々が存在し、仕事をやりぬいているところでより多くの票を得た、ということだ。それは、長い間に何度も戦士達によって遂行された、政治的なまた労働組合の活動を反映した票だ。
 マルコ・フェランドに率いられた労働者共産党(PCL、トロツキスト潮流)は、上院で0・55%、180、454票、下院で0・571%、208、394票を獲得した。その結果は足場に支えられたより「均質な」ものだ。と言うのも、PCLとマルコ・フェランドは少なくとも一定の地域ではより知られているからだ。残りに関しては、完全な評価のためにはまだ早すぎる。
 明らかなことは以下の定式で表現できる。つまり、現在の歴史的時期の特徴とさらに過去10年の政治力学を考慮に入れた、綱領的で理論的な考察を開かれた方法でやり抜くことと並んで、様々な社会的な決起内部における長期の努力が、反資本主義と共産主義の展望を再度強力なものとするための前提条件、ということだ。このことに私は、フェミニズムの問題や「今日のレーニン主義」の問題への、あるいは政治危機に関する寄与という形で、私自身を捧げる―批判的左翼の指導的グループの一員として―。
※インタビュアーはチャールズ―アンドレ・ウドゥリー。
※リディア・シリロは、1966年以来の第四インターナショナルイタリア支部メンバー。彼女はフェミニスト活動家であり、イタリアにおける世界女性行進の指導的人物。また「クァデルニ・ヴィオラ」誌(紫のノート、フェミニストの雑誌)を創刊、数冊のフェミニズムに関する著作も著している。(「インターナショナルビューポイント」電子版5月号)

 
 
 

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