2008年12月10日        労働者の力             第 225号

派遣法の抜本改正をめざす12・4日比谷集会(主催 労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動)
使い捨て許すな!求めるものは抜本改正だ!
2000名以上で集会、国会請願

 
 12月4日日比谷野外音楽堂。労働者市民の結集は、主催者中間発表で2000名を越えた。人々は吹き荒れる「派遣切り」に対するたぎる怒りを胸に、派遣法抜本改正を必ず実現する民衆的決起を宣言した。

熱気ひたひたと

 午後5時30分開場、音楽堂はがらんとしていた。連合、全労連、全労協の垣根を越え、さらに運動分野の垣根も越え自主的につながり、いわば下から持ち上げてきた結集であり闘いだった。各労働組合の承認はあるとしても、上意下達的な固い組織動員はおそらくない。必然的に、まとまった集団での入場など見慣れた光景もあるわけではない。しかし標記集会開会予定時刻午後6時30分が近づくにつれ、まさにひたひたと、会場は埋まっていった。
 この日も日中、冷酷無比の「派遣切り」への反撃が各地で展開されていた。いすゞでは、解雇を通告された非正規労働者が前日即座にJMIUいすゞ自動車支部を結成、早朝から彼らの職場である栃木工場門前で行動を開始した。東京のパナソニックでは、宮城合同労組に結集した派遣労働者が組合の仲間と共に上京、雇用契約打ち切り撤回を求めて抗議行動を展開した。この労働者は18年間も偽装請負のもとで働いてきたという。18年勤続という事実はそれだけで、彼女の職能の確かさを証明している。しかし、松下からパナソニックへ、という単なる企業の都合を機に彼女は職を奪われた。明らかになったばかりのキャノンの「派遣切り」に対しては、連帯ユニオンが日本経団連会館に怒りを叩きつけた。
 何よりもこれらの闘いが当日の集会を作り上げたのだ。開会後も参加者は増え続け、途中主催者からは、そこら中に林立する旗を倒すように指示が出た。
 集会は、日本労働弁護団の棗一郎弁護士の開会挨拶・司会で予定通り始まった。以下の発言者も含め、集会が表現したものは何よりも、目の前に繰り広げられる嵐のような「派遣切り」に対する深い憤りだった。後述するように、目の前の雇用情勢は既に犯罪であり、資本と国家が作り出した人災だ。各発言者はそれらを具体的に取り上げ口々に弾劾した。棗弁護士が糾弾の口火を切った。そして、そのような暴虐を苦もなく可能としている派遣法をそれ故にこそ抜本的に改正しなければならない、と訴えた。加えて、2006年12月5日同じこの会場から、今回と同じように中小や非正規の労働者を主体に横断的につながり、当時画策されていたホワイトカラーエグザンプションに対する反撃の最初の烽火を上げ、最終的にそれを潰したことに注意を喚起した上で、当時よりも着実に大きな社会的うねりを実現した今回、国が作り出した今の状況を我々が変えよう、と力強く呼びかけた。

雇用破壊への反撃、結集動き出す

 今回の集会は、別掲記事にあるように、様々な分野の有識者15名(11月8日現在)が呼びかけた。この日内七名が壇上に顔をそろえ、鎌田慧さんが代表して発言に立った。怒りを押し殺すかのように、極めて簡潔かつ直裁だった。本来は犯罪であるものを合法化した派遣法は解体が筋、解体のためにひとまず抜本改正と理解している、と。
 そして、「派遣労働者はモノじゃない」との文字パネルを掲げて、いすゞ、日立オート機器、もっぱら派遣の旅行添乗員、グッドウィル/フルキャスト、パナソニック、大分キャノンの労働者達が次々と訴える。そのほとんどが今まさに「派遣切り」の矢面に立たされ、闘いの現場からかけつけていた。おそらく、大聴衆を前にした発言など初めての労働者達だったと思われる。短い訴えだった。しかし痛切だった。2009年を迎えさせてほしい、ホームレスにしないでほしい、仕事を、そして、闘う、と。さらに、グッドウィルで派遣された労働者は、装備費裁判で勝利判決を勝ち取った、自信をもとうと。「又葉 賢」名で登場した派遣労働者は、はにかみを見せながら「また 派遣」という歌を披露した。各々の訴えには力のこもった熱く大きな拍手が応えた。
 次は国会議員。全野党から17名が出席、壇上に並び紹介された。他に民主党の二名がアピールを寄せた。中から各党を代表し、民主党の菅直人代表代行、共産党の志位和夫委員長、社民党の福島みずほ党首、国民新党の亀井亜紀子副幹事長が発言した。民主党の動きが懸念される中菅発言は注目点だったが、やはり微妙かつ言い分け的な部分はぬぐえなかった。
 発言の最後は弁護団。日弁連、労働弁護団、自由法曹団の代表者が壇上に上がり、全体を代表して宇都宮健児弁護士が発言した。
 満ちる熱気の中満場の手拍子を誘った「寿」の演奏がさらに集中を高めた。その中で、エボルバ・ユニオンの労働者から「とめどなく非正規雇用を拡大し、ワーキング・プアを生み出してきた規制緩和の流れを変えて、真に労働者・市民のためになる労働法制の立法化を実現していくことをここに宣言する」との集会アピールが読み上げられ採択された。
 そして厚労省に向けて怒りを充満させた腹の底からのシュプレヒコール。シュプレヒコールに合せて両面文字パネルを裏表させたり、シュプレヒコール自体も正統タイプと新規バージョン型を取り混ぜ、型通りではない集会を作ろうとの意欲が滲み出ていた。こうして気合を高めたデモは六つの梯団に分かれ国会に向かい、衆参両院で次々と力強く請願行動を行った。

企業犯罪を許すな

 トヨタを皮切りに日本全国で、自動車、電機、情報機器、などの名だたる大企業が、恥じらいもなく大量の非正規労働者を街頭に放り出している。TVはこの日も、キャノンによる1000名以上の非正規労働者の解雇を大きく伝えた。キャノン本社は、子会社のことであり関知しないなどと、平然とうそぶいた。会長である御手洗が麻生から雇用への配慮を要請されたわずか3日後のことだ。
 厚労省はこれらの失業を来年3月までに3万人と推測している。しかしその数字を誰も信用していない。今のままではその何倍もの労働者が路頭に迷わされる。例えば、製造業下請け企業から放り出されている非正規労働者の多くは外国人労働者。厚労省は彼らを本当につかんでいるだろうか。
 世界的金融危機とその波及としての「業績悪化」が口実とされている。しかし「派遣切り」の先頭に立つ大企業はなおも利益を計上し、株主への高い配当を続けている。トヨタは年間6千億円もの営業利益見通しを発表した。その僅かな部分を回すだけで非正規労働者の雇用など何の苦もなく維持出来ることは、子どもでも計算できることだ。
 現在の「非正規切り」はとんでもない不正であり、ある種の企業犯罪と言わなければならない。非正規労働者の血であがなう株主高配当と言うだけではない。そこにはもう一つの、まさに犯罪が隠れている。金融危機を口実とした、「好機」としてそれに便乗した、いわゆる「09年問題」回避という濃厚な疑惑だ。
 大独占製造業資本は長い間、偽装請負を使って大量の非正規労働者を酷使し、空前の利益を上げてきた。しかし当然の批判の高まりの中彼らも、06年を境に、それらの労働者を適法的に派遣に切り換えることを余儀なくされた。しかし現行派遣法の下でも、09年にはそれらの派遣期間が上限に達し、彼らは派遣労働者の直接雇用化という問題に直面せざるを得ない。これが「09年問題」であり、それ故彼らは昨年、派遣期間制限撤廃などという法外な要求を、口をそろえて大声で喚き立てていたのだ。しかし現下の不況という空気に便乗しいったん派遣を切れば、しばらくして派遣雇用を再開しても現行派遣法はクリアできる、まさに今そのような冷酷な計算が透けて見えている。
 人を見下した脱法行為であり、文字通りの犯罪だ。まさに現在の「派遣切り」は、現行派遣法の、そこに基礎を置く派遣労働そのものの、非人間的で犯罪的な本質を白日の下に引き出している。
 このような派遣法を抜本的に変えず、基本的に踏襲することなど決して許されない。そして反抗は、まさに草の根から始まった。大労組の動きはまだはるかに弱い。本音では、あるいは剥き出しに背を向けている大労組も、僅かではない。しかし大義がどちらにあるのかは、もはや誰も見間違えようがない。始まった反抗を、全力を尽くして社会の奥底からの叫びとしよう。「派遣切り」を止め、派遣法抜本改正に突き進もう。なお、派遣法改正をめぐるこの間の動きは別掲記事参照。(神谷)
第20回総会コミュニケ

 国際主義労働者全国協議会は11月上旬、**にて第20回総会を開催した。
 総会では、主に日本政治情勢、世界的金融危機と世界資本主義、新しい左翼の諸問題の三つを議題として議論が進められた。
 先ず第一、第二の議題を通じて、世界、日本が一体的に、抜本的な構造的転換を内にはらんだ歴史的闘争の時代に待ったなしに入っていることを確認した。その上で、転換の内容、転換を具体的に手繰り寄せる道筋、その過程を推し進める闘争に対応する労働者民衆の現代に適合的な結集枠組み、という基軸的な課題総体について、実践的な検討に着手する観点から意見交換が行われた。そしてこれらの議論を、新しいインターナショナルを基軸に早々に予定されている次回世界大会に向けた国際討論と一体的に推進し、試論的な提起をも随時積極的に発表してゆくことを確認した。
 目前の総選挙、特に選挙区選挙に対する闘争の組織化は、以上の議論の枠組みの中で検討された。自公を打倒することにはらまれた意味の戦略的重要性、さらに支配階級が総体として現下の情勢に対応する確固とした対案をもてないという客観的な現実に立って、取組みの基軸は、何よりも具体的な要求を基軸に、労働者民衆の積極的で自立的な政治行動を促すことに置かれた。重要な論点は、社共候補のいない選挙区の問題だった。結論的行動としては民主党への投票を呼びかけるが、彼らを信頼するなとする闘争の具体化を探り追求することが、同時に確認された。
 新しい左翼の問題は、新しいインターナショナルの問題設定と重なるものとして、上述の構造的転換についてその内容とそこに至る道筋を共につむぎ出す努力の共同・協力の発展、という方向で議論された。その中では、世界恐慌のこの時代に国際主義者はどう闘うのかとして、我々が果すべき貢献についての自覚の必要性が強調された。
 同時に、まさにこの歴史的局面における死活的重要課題として、労働者民主主義の深化のための闘いが確認され、その観点において、日本左翼が抱え込んだ内ゲバ主義と非妥協的に闘い、その克服と訣別を可能とする思想的立場の共有の追求を、改めて確認した。
 その上で、新しい左翼に向けた最初の実践的一歩として挑戦中のいくつかの具体的課題の現状を検討し、その着実な推進を意思統一した。以上。
11/30 STOP再処理工場LOVE六ヶ所村秋の大収穫祭
脱原子力、若者主体に確かな広がり 


 11月30日、歳末でにぎわう上野に脱原発の一陣の風が吹きぬけた。同日午前11時45分から午後6時近くまで続けられた標記のイベントだ。多彩なゲストによるライブとトーク、数多くの出店と展示が作り出した自由な空間を埋め盛り上げたのは、圧倒的に若者達。その活力は、途中繰り出した上野の商店街一周の長く連なったデモ・パレードにそのまま引き継がれ、にぎわう買い物客の耳目を引きつけた。主催は「11.30六ヶ所村再処理工場に首都圏からNO!」実行委員会。

イエス・ウィー・キャン

 上記イベントの正式名称は「集まろう!伝えよう!STOP再処理工場LOVE六ヶ所村 放射能を海に大地に捨てないで!秋の大収穫祭」。上野水上音楽堂を会場とした。見る通り、六ヶ所村再処理工場の稼動を阻止し、廃絶をめざす。
 「NO NUKES MORE HEART」のロゴマークの下に参加者の基盤を広げてきたこの活動は、今年も主には日比谷小音楽堂を会場に何度かのイベントに結実した。他方で、映画「六ヶ所村ラプソディー」の上映もひたひたと全国各地に広がり、上映運動の担い手あるいは観客として、少なくない若者達を脱原発の運動に新たに引きつけていた。
 今回のイベントはそれら今年1年をまさに集大成する趣を見せた。会場の8割方は若者に占められ、そこここに跳ね回る幼い子ども達の姿が見られた。自ずから会場に満ちる空気は、悲壮ではなく希望。おりしも直前には、六ヶ所村再処理工場の試験稼動終了予定(11月末)が今年四度目の延期に追い込まれていた。再処理を止めさせる可能性は、現実に少しも閉じられていない。
 こうして当日のライブとトークでも、新しいエネルギーの登場を記した昨年に比してさえ、はるかに強く希望が呼びかけられ会場と呼応した。青森現地からかけつけた山本若子さんは、県当局を中心に丸抱え的推進体制で反対の声が抑え込まれてきた青森県下でも、これから七カ所で「六ヶ所村ラプソディー」の上映が予定されていると語り、苦しさは変わらないが全国の大きな声が力になると訴えた。田中優さんは、持続可能な代替エネルギーへの切り替えは技術的には確立されている、問題は人々の選択だと、具体的な例を挙げながら呼びかけた。
 ライブでは、例えばFUNKISTのボーカリストは、南アフリカ人と日本人の間に生まれた自身の出生を語り、南アフリカの過酷な現実にも触れながら、人が生きられる世界に希望を託し垣根を越えようと語りかけ、その思いを託した曲を届けた。あるいはかつて「頭脳警察」で強烈な反体制をアピールしたPANTAは、消沈した時期もあったが少しずつでも社会が変わることに希望をもちたいと語りながら演奏、一部中年(高年?)の熱い声援に加えて若者からの歓声も受けた。同じ前向きのライブとトークがここに紹介しきれない数であったことは言うまでもない。
 それらの会場の空気を象徴するかのように、デモ・パレードの掛け声には何と「イエス・ウィー・キャン」が登場。オバマのキャッチフレーズの安易な借り出しと言えなくもないが、これも若者達の機敏な感性を示すものであることは間違いない。脱原発の流れには、今、いくつもの地下水脈が加わり始めている。(K)

12・4集会実現へ
労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動発進
11/13 200名以上集い出発集会
した猪俣弁護士は、労働と貧困に正面から向き合い取り組むとする日弁連人権大会決議が、直前の10月3日、満場一致で採択されたことを報告した。企業側弁護士をも含む日弁連総体としての決議であり、その意味は軽くない。
 11月13日の集会はこのような積み重ねを受け継ぎ、大衆行動による反撃の開始を告げた。

もう黙らない

 不安定雇用という本質に指一本触れない政府案など問題にならない切迫した現実が、既に目の前に出現している。世界的金融危機を口実とした、まるで当然であるかのような「派遣切り」激増だ。その中では、現行労働契約法の要件すら満たさない、契約中途の一方的解約すら少なくない。しかも超大企業がそれをやっているのだ。
 安上がりで手軽な「雇用の調整弁」、いわば人の看板方式とでも言うべき派遣労働の非人間的本質は、今隠しようのない形であらわになっている。何の保障もない、住居まで奪われるこの現実に心が痛まないとすれば、よほどの恥知らずか大衆蔑視の差別主義者でなければならない。しかし御手洗日本経団連会長を始めとする大資本の面々には、その自覚があるのかすら今や疑わしい。
 労働者民衆はもはやそのような扱いを甘受しない。内定取り消しを通告された学生もが立ち上がり始めている。集会でも先ず最初に、闘いに立ち上がった労働者が次々に発言に立った。
 トルコ航空の派遣客室乗務員は、一方的乗務変更により年収220万円の半減化を強制され、直前にユニオンを結成、直接雇用と均等待遇のための闘いを開始した。
 派遣のまま13年倉庫業務に従事した労働者は、そのこと自体が違法でありながら、雇い止めを通告され派遣ユニオンに結集し立ち上がった。集会開会前、不慣れな発言を真剣に確かめていた姿は印象に残る。
 NTTのもっぱら派遣の労働者は、事前面接で派遣先のNTTから、長期に働いてほしい、などと言われたという。ところが派遣契約は三ヶ月ごとの更新、その上三回で雇い止めという仕打ちを受けた。仕事上での意見具申などをうるさがられたのが原因だ。ここには、労働者の尊厳を抹殺する好都合な道具として機能する派遣労働の抑圧的本質が、赤裸々に顔を出している。彼女は東京労組の下で闘いを開始している。
 ガテン系連帯の労働者は、現在の「派遣切り」の圧倒的部分を占める製造業派遣の実情を生々しく訴えた。日野自動車では労働者が、自分で仕事を探せ、と冷たく言い放たれ、34、000人を抱える派遣元の日研総業では、派遣先リストに今10ヶ所ぐらいしか載っていないという。
 現行派遣法は使い捨てを合法化し、何の後ろめたさもなくまさに大手を振るってできるものとしたのだ。

民衆が望むものを民衆の手で

 政府改定案はまさにこの局面で上程された。政府案と現実の落差のすさまじさは誰の目にも明らかだ。それは既に現実によって打ちのめされているのであり、この案を土台とした改定などあってはならない。集会での発言者が異口同音に強調したことは先ずこの点だった。
 ところがまさにその段階で実にきわどい動きが進もうとした。民主党が「対案」を提出しようとしたのだ。民主党案の重大な問題点、即ち、不安定雇用を容認する政府案との同質性については、既に本紙でも指摘してきた(9月号)。それ故民主党案の提出は、僅かの修正による政府案通過に道を開く意味をもつ。前例がある。実際昨年の臨時国会で労働者は、問題だらけの労働契約法がそのような展開の中で成立、という煮え湯を飲まされたのだ。
 緊張した危機感の中で様々な働きかけが行われ、民主党の動きは現在ひとまず止められている。そこにおいては、政府案を厳しく批判し反対を明らかにした日弁連会長声明(11月6日)も役割を果たしたという。当日の集会では、国会議員や弁護士が以上の展開の一端を明らかにし、そのような動きを封じ込めたいと強調した。臨時国会が会期延長された今、状況は本質的に緊張したままである。予断は許されない。
 まさに今、派遣法抜本改正要求の大きな社会的うねりが決定的な意味をもとうとしている。そしてこの局面を引き寄せたものの一半は、明らかに当事者を中心とした運動の力だった。まさにそれ故先の意味には、事態を左右する可能性という意味にとどまらないものがある。必要な法律を民衆自ら生み出すという民主主義の新たな質に関わる問題が内包されているのだ。
 現実に昨年秋からの運動の中で、労働者民衆が必要とする改正要点はかなりの程度整理され具体化されている。そして上の過程の中で、それらの多くは共産党、社民党、国民新党の各改正案に盛り込まれてもいる。大衆的うねりを背景にした派遣法抜本改正の実現はそれ故、民衆が法を作り上げる運動の現実化という重大な挑戦を、客観的に意味するものとなっている。集会においては棗弁護士(日本労働弁護団事務局次長)がこの点を特に指摘した。
 集会では最後に、先ず全国ユニオンの安部誠さんが、最初の実践的集約点として、12月4日の行動を提起し全力での組織化を訴えた。次いで全国一般全国協の遠藤一郎さんはより包括的な集会のまとめとして、我々が望むものを作り上げるという先に見た闘いの意義を明確な形で強調し、そのために現に進行している「派遣切り」を許さない闘いの一体的展開を、さらにこの日から出発する広くつながる共同行動を抜本改正まで続けようと、力強く呼びかけた。共同行動は質量共に大きな挑戦に向けて動き出した。(神谷)
マネーゲームはもうたくさんだ!
     11・14 兜町にシュプレヒコール

 11月14日午後6時30分から、翌日開催のG20金融サミットに対する対抗行動が東京の兜町を舞台に行われた。中心スローガンは、マネーゲームはもうたくさんだ!救済すべきは銀行じゃない!人間らしい生活を取り戻そう!。行動の柱は、坂本町公園から東京証券取引所前を経て日銀本店横に至る、証券会社、保険会社などが立ち並ぶ通りのデモ行進。7月のG八対抗アクションを作り上げた諸団体が賛同・呼びかけた、同対抗アクション実行委員会が主催した。

今や無意味な銀行救済

 現在進行形で深まり拡大する世界的金融危機・信用崩壊に、世界の労働者民衆は一切の責任がない。それは世界の大独占資本、大資産家達の自作自演の結末であり、彼らに有り余る自由を与えた新自由主義政策の帰結だ。責任はそのような不始末をしでかした者達が全面的に負わなければならない。
 ところが現実には逆のことが行われようとしている。大金融資本、大資産家達が目もくらむような巨額の国家資金の投入によって救済されようとしている。その一方で、多くの労働者は街頭に放り出され、小規模事業者は苦境に立たされている。これらの苦難に対し用意されている手立ては実にみすぼらしい。
 このような施策の背後にあるものは、結局のところ、何度も現実に裏切られ続けている「トリクルダウン」―金持ちに金を集めればいずれ下に落ちる―思考でしかない。その無力性は、特に現代資本主義の際だつ特徴と言ってもよい。それ故施策は民衆にとって無意味であり、上記の巨額の国家資金投入は、社会政策費用の圧迫という形であれ、あるいは大インフレの招来という形であれ、いずれにしろ将来労働者民衆の肩に載せられるに違いない。
 G20を前にそこでの目標として、金融の規制強化が大々的に宣伝されてきた。しかしその背後で追求される政策が先に見たものであることは、参加主要国がそれに先だって手を着けている政策を見ればあまりに明らかだった。その予測は会議後の共同声明で確かめられた。そしてはやされた金融規制は霧の中だ。
 11月14日の行動はまさにそれ故実行された。ささやかであれ、金融の責任を民衆が直接問う口火は切られなければならなかった。

東証、ガードマンを配備

 呼びかけは緊急だった。それでも坂本町公園には、呼びかけ団体を中心におよそ50名の人々がかけつけ、勤務を終えた電通労組首都圏支部の組合員も組合旗を手に加わった。公園内のあちこちで勤め帰りのひとときを過ごしているように見えた人達は、何事かと注視する。
 その前で先ず簡単な集会。発言は、「ATTAC Japan(首都圏)」の秋本さん、全国ユニオンの安部さん、日本消費者連盟の富山さん、「もたざる者の国際連帯行動実行委員会」の藤田さん。各々が取り組む課題に即して、民衆が今直面している日常の破壊的現実を暴き、もてる者の救済ではなく当たり前の生活の回復こそ追求すべき、と訴えた。例えば安部さんは、金融資本と労働者民衆の具体的衝突は既に現実の問題とし、リーマン・ブラザーズの債権回収が引き起こした京浜ホテルの争議を紹介、果敢に立ちあがった労働者への支援を呼びかけた。なおこの行動には、「すぺーす・あらいぶ」と「PP研」からアピールが寄せられ、集会で読み上げられた。
 集会後直ちに、名前は聞いたことがあるものの参加者のほとんどが足を踏み入れることのない街でのデモ行進が始まった。扮装を着けたりろうそくを手に間断なくシュプレヒコールが続く。時折、ここが東証あそこがAIGなどと案内が入り、一同きょろきょろとしながら自ずとシュプレヒコールにも力が入る。大デモとは言えないが、デモ慣れしていないのか沿道からの注目はかなり高かった。立ち並ぶビルでは、わざわざシャッターを上げて通りを覗き込む人も。
 特に印象に残る光景は、何を勘違いしたのか、東証正面に五メートル間隔ぐらいでガードマンが立っていたこと。それがこの建物に巣くう住民達が抱くある種の予感を示すものだとすれば、その予感を的中させることこそ労働者民衆が今求められていることに違いない。(K)
フランス―カタロニアからの視点
新たな反資本主義政党、左翼を揺るがす

     
エスサー・ビバス/ジョセフ・マリア・アンテンタ
 
 フランス左翼は、オリヴィエ・ブザンスノーの革命的共産主義者同盟(LCR)のイニシアティブによる新たな反資本主義政党(NPA)形成で揺さぶられてきた。NPAは2007年4月の大統領選挙の直後に出発した。その選挙でLCRはブザンスノーを、社会党の左に対するもっともしっかりした選択として押しだし、4・1%を得票させた。共産党(PCF)の1・9%、グリーンの1・5%、トロツキストであるリュット・ウーブリエの1・3%、そして国際公正主義運動のジョゼ・ボベの1・3をはるかに上回った。
 NPAの発足は、ブザンスノーへの支援を組織された力へと転換する試みである。新たな政党は、未だその名称は暫定的なものだが、反資本主義、国際主義、環境主義そしてフェミニストとして規定されている。それは、新自由主義に抗する闘いを資本主義と絶縁するものへと導き、自身を行動組織であり、選挙専門の組織ではないことを示す。
 社会自由主義の政府や社会党から独立し、そして協力せずという選択は新たな組織の方向性について、明白な戦略的方向性となろう。実際、このことは先の大統領選挙で、ブザンスノーの立候補が、PCF、グリーン、あるいはジョゼ・ボベとの結果の違いを示した。そしてそれは、社会主義者たちとの、場合に応じた様々な程度での共同を拒否することはなかったのである。
 NPAの発足は2009年1月の終わりに予定されているが、伝統的労働者、学生、そこいら辺にいる若者、他の左翼組織に失望した闘士、インテリなどなど、すでに広範な期待層を呼び出した。今のところ、300の地域的、地区的組織がおよそ9、000人を引き入れている(LCRは約3000人である)。
 ブザンスノーはフランス左翼のもっとも人気のある人物となり、サルコジに対抗する主たる人物となった。とりわけ、社会党が政府に対する適切な政策を表現しないときには、そうである。CSAの先月の世論調査によれば、調査に応じた人の49%が、サルコジの主たるライバルとしてブザンスノーを考えているという事実を明らかにした。ジャン・ジョールの調査では、ブザンスノーの著名度は、三段階で作られた。2005年のユーロ憲法否定運動、2006年の初期雇用契約(CPE)との闘い、そして2007年の大統領選挙。
 NPAの登場に直面してフランス左翼は恐れあがっている。党の主導権をめぐって争っている社会主義者たちは最近「急進的極」の登場の波及に関する勉強会を開始した。幅広い歴史危機にある共産党は、右派に対する対抗戦線の名前で社会主義者たちとの統一戦線を新たにする動きにある。そこではNPAとの合意は排除されている。グリーン主義派は、同じく危機にあるが、新たなエコロジカルなブロックの形成へと動いている。それは、社会党との戦略的共同展望に枠付けられている。彼らのさらに右を代表するダニエル・コーンバンディ、ヨーロッパ憲法の闘士だった有名なジャーナリスト、ニコラス・ユーロ、そしてジョゼ・ボベとの連携の下にだ。にもかかわらず、今のところ、フランス左翼の隊列のペースを作っているのはNPAである。
(カタラン週刊マガジンに初出)
※エスサー・ビバスはスペイン語の「対外債務に抗して」の著者であり、同じくスペイン語「スーパーマーケット、いらない」、および「公正取引はどこに向かっているのか」の共同著者である。ジョセフ・マリア・アンテンタはヴィエント・スールの編集委員で、バルセロナ自治大学の社会学教授。(「インターナショナル・ビューポイント」誌電子版11月号)
アメリカ―大統領選挙に関する編集委員会声明
バラク・オバマ:諸課題積み残しの選挙戦

             「流れに抗して」
※本声明は、投票日以前に出された(訳者)。

イラクの植民地主義的占領並びに圧倒的なアメリカの軍事予算に注ぎ込まれている資源を自由にすることなしには、医療、教育、持続可能性、あるいは他のどのような意味ある目標についても、真の進歩は一切ないだろう。一点でバラク・オバマは全く明瞭だ、そしてジョン・マケインと一致している。かれは、アフガニスタンにおけるアメリカの軍事作戦を拡大するだろう。

象徴化されたオバマと実在のオバマ

 アメリカの2008年選挙の論点はすでに明らかとなっているはずだ。オバマはキリスト教トリニティ統一教会を捨てつつある。ビルとヒラリーのクリントンはオバマの運動をサボるのだろうか?彼女はオバマに付くのだろうか?宗教右派は結局はマケインに寄るのだろうか?
 われわれは失望させたくない。しかし、この社説でわれわれはこうした主流の論点をバイパスして、代わりにいくつかの二次的とされる問題、それはひょっとするとなんらかの少数派の問題意識を引きつけるかもしれないものを取り上げるつもりだ。すなわち、引き続く悲惨な戦争、何百万の家族の生活を破壊している経済破局、拡大する世界的食糧危機、そしてこれまでの大統領政治の悪行のさまざまな歴史を消してしまったような悲惨な政治について語るつもりなのだ。
 われわれは、誰もが知っているであろう、6月3日の最終予備選挙から始める。それはバラク・オバマが民主党の大統領候補になるであろうことを示したものだ。彼の選出はアメリカ政治の過去数百年における一大政治イベントとなるかもしれないからだ。しかし、ヒラリー・クリントンの譲歩演説にもかかわらず、依然として二人の民主党候補がいるのである:かのモトウン売春館のメアリー・ウエルズが述べたごとく、「私には二人の愛人がいる、その両者ともあなたなのだ」。民主党は二人の大統領候補を持っている。そしてその両者とも名前はバラク・オバマである。
 オバマ、彼はブラック・アメリカン、何百万もの若人、政治的独立派および幾分かの共和党支持者の注目を率いた。このバラク・オバマは、2年以内にイラクの悲惨さからわれわれを解放し、世界的貧困と環境破壊と闘う健全な権利を回復し、そしてわが社会の人種差別と根深い不平等性への橋を架けるかもしれない。彼の支持者たちの軍にとってもっとも大切なことは、彼は過去の二つの体制、つまりブッシュの嘘つきと悪仲間、悪行のブッシュ体制と皮肉的で薄っぺらなクリントンの政治を、新しい開けた正直な体制へと変えるであろうと言うことなのだ。
 そして、バラク・オバマが、現実の候補者としている。彼はまっすぐにアメリカ・イスラエル共和委員会(AIPAC)に行き、そこでAIPACの有名なヒット・パレードを歌った「イスラエルの永遠の首都イエルサレムを分割させるな、ハマスを話題にするな、など」。イスラエルの卓越した平和主導者であるウリ・アブネリーは言う、「卑屈と怯えの記録破りの演説」だ、と。
 しかし、この演説の重要性は、パレスチナ民衆の平和と自由への希望のドアを閉めたということにとどまらない。それはまた、それはオバマの帝国主義とエリート主義への同一性をはっきりさせたのだ。これこそがオバマである。彼は、完全に通例的な政治的経済的そして外交的な援助者たちに取り囲まれている。彼の「大統領支援委員会」の議長は、あまりにも企業主義的インチキに犯されていたので就任を辞任せざるをえなかった。新たな経済助言員であるジェーソン・ファーマンはウォルマートの明らかな支持者であり、グローバリゼーションと社会保障の私有化を支え、社会的な公正に関するいかなる契機も拒否するのである。
 バラク・オバマは何に対して忠誠なのか。実のところ、両者に対してである。オバマ支援者たちの軍、アフリカ・アメリカ人たちの社会、および1000万の全国の民衆がオバマの周囲で「希望へ剛胆さ」のシンボルを振りまくだろう。企業権力優先政策と白人優越主義を本性とする共和党も、こうしたシンボリック・オバマに狙いを定めることも想定可能だ。オバマに対しては、われわれは最新のアメリカの歴史の中で、もっとも汚い卑劣な嘘800のキャンペーンが到来すると思うこともできるのだ(彼は混血だ!、彼の父親は一時はムスリムだった!、彼のミドルネームはフセインだ!)。
 他方、協調主義で政治エリートである重き部分は、オバマの周りに民主党主軸を形成するだろう。こうした集まりの中には、ブッシュ政権時代の財政的無責任性、その思想的軍事主義、その破壊的な基礎構造と環境変化への無関心、エネルギーの国内的、国際的な価格上昇への無対応への心底からの恐れがある。つまり、アメリカを世界の親玉としてきた、力学、財政そして政治的方策の無駄遣いについてである。
 これらの勢力は、その他残りの我々の犠牲で彼らを豊かにした共和党の政策の果実を、幸福な気分で味わっている。だが、同時に、こうした方向へ突き進むことが、アメリカ資本主義と世界経済を解体することもあり得るという懸念もある。こうして彼らは、高尚なイメージと資本家政治の現実との間にある区別を12分に認識した上で、オバマを現在の危機についての安全策と軟着陸の方策として見るのである。

 さて、その経済政策は?

 オバマ民主党陣営とマケイン共和党のプログラムには違いがあるし、われわれはそれに触れることになろう。しかし、その両者とも、最近の重要なアメリカの階級闘争にはなんらの関係もない。87日間のアメリカアクセル工業(AAM)のストライキは、UAW(全米自動車労組)インターナショナルの妨害的干渉によって終了した。労働者賃金は実質的に半額に落とされた。労働者は、警察工場的雰囲気下で労働に戻った。
 これはAAM労働者とその家族にとっての悲劇であるに留まらない。全米自動車産業労働者の「高給労働者」の終わりを告げている。ビッグ・スリーの次の賃金交渉への影響を考えることは簡単である。次期世代の自動車労働者は低賃金労働者の上限を越えることはないだろう。
 こうした展開は全国的政治に反響を与えるべきである。が、もちろん、そうはなっていない。工業全般を通じる労働者の譲歩の波は以下のように切迫した課題を指し示しているのだが。
※AAM労働者は解雇の恐怖のもとで労働に戻っている。労働法と政府の政策がそうしたことを認めているし、同時にUAWインターナショナルが、彼らを防衛できないか、防衛しようとしないかを知りつつ。バラク・オバマはあいまいに労働者の権利について述べたが、しかし、解雇の不安が労働者のストライキ権を明らかに脅かしていることには触れなかったし、さらにUAWが彼を応援した時には、彼が労働法の改正に触れることへの要求もなかった。
※労働者がそれなりの医療保護を雇用者から受けるという事態はさらに数少なくなっている。マケインと共和党は、膨大な費用を部分的に振り替えるための家族に対する「タックス・クレジット」(?―訳者)、などという対策を主張し、結局は、金のかかる私営プランの購入を進め、制度全体を悪化させる提案をしている。オバマと民主党は国家システムを使い、保険のない民衆を私的システムに組み込むことを提案するだろうが、仮にそれらが保険のない労働者の半数をカバーできれば幸運だろう。
 バラク・オバマはこういう風にも大胆に言えるかもしれない。「5、000万人のアメリカ人が健康保険なしにいる。そして1億人を越える人々はその下で十分な保障を受けていない。彼らに対してより大きく生じている脅威は何か―現在的なテロリストの攻撃か、それとも財政的に家族を消してしまう大問題か?」。「希望への望みある大言」オバマはそう問いかけるかもしれない。だが、まさしく民主党の中道派であるオバマがそうするわけはないだろう。
※AAMは収益力ある企業だ―それだけに一層、そこでの賃金切り下げという宴を可能とした罪の大きさは計り知れない―。しかしその一方で、民衆の購買力低下とガソリン価格のガロン四ドル以上への上昇を前に、アメリカ自動車産業の多くは、姿を現し始めた深刻な経済危機の先端にいる。エネルギー効率に背を向け、高収益のガソリンがぶ飲みカーとその終局的な怪獣カー、SUVを何十年も生産し続けたその後で、アメリカ自動車産業は今「再構築」に入りつつある―生産をアメリカと世界の南に移し、労働条件を最底辺にまで押しやり、その労働力の背に乗って―。
 それとは異なる種類の「再構築」は可能だ。しかしそれは、決定的な政治的(立法と執行に関わる)行動、企業権力と対決する労働組合運動の戦闘的な復活、そして我々の社会における真の「希望に向けた剛胆さ」を必要とするだろう。

 そして、(諸)戦争?

 イラクでの植民地主義やその他の地域での軍事的支配に投入している資源をそれらから自由にすることなしには、医療、教育、生活維持その他の意味ある目的は実質において達成できないだろう。ある点ではバラク・オバマは完璧に明瞭である。そしてそれはマケインとも同調している。彼はアフガニスタンでの米軍活動を拡大するつもりである。なんという悲惨なことか。およそ100年前、アメリカ海兵隊はニカラグア、ハイチに行き、そして四分の一世紀も留まった。そして今日レベルでは、アフガニスタンでの戦争はそれをはるかに越えるだろうし、そしてはるかに上回る法外な金を使うだろう。
 オバマの見解は、軍はイラクにおける「誤った戦争」から撤収できるし、アフガニスタンにおけるテロリズムとの「正しい戦争」に投入できる、つまり泥沼戦争から砂上でのきれいな戦争へ移行する、ということである。マケインはイラクでの泥沼でもアフガニスタンの砂上でも行くつもりではある。安定はイラクでまさに曲がり角にあり、それ故軍は永久に勝利的に存在可能だ。まったく南朝鮮(韓国)のように。
 イラクに関する悲劇的論争の実態は、その国の解体とその民衆が報道メディアから消えてしまったことにある。その要因の大きな部分は反戦運動の後退にある。実際反戦運動こそが2、3年、真実の到来を強制してきたのだ。ホワイトハウスにバラク・オバマが存在し、そこでもしか撤退などという重要なことをするつもりならば、その決定は彼の年期の早い時期に行われなければならないはずだ。その後では、この戦争はもはや「彼のもの」となり、かれは、「イラクを失った」との怒りを乗り越えることはできなくなるだろう。まるで、この惨めな戦争が幾年も前に負けていたわけではなかったかのように。
 反戦闘争にとって大事なことだが、こうした視点は、選挙の直後できる限り早く草の根を再組織し、街頭に出ることを可能にするために必要なことだ。例えそれ以前には、残念ながらおそらくできないとしても(そして、ブッシュ体制の最後におけるイランへの攻撃の可能性について論ずることはここではできないが)。

 いくつかの要約的結論

 こうしたことはわれわれをどこに導くのか?それは、君たちの政治がどのようなものかによる。もし、君たちが民主党の投票者なら、もしその党とその政策が君たちのものならば、その時はバラク・オバマ―現実の一人、シンボルではない―が君たちの候補者だ。とりわけて、われわれは大声で、ヒラリー・クリントンを支持してきた民主党支持者に言いたい。「家にいる」あるいはマケインに投票することは人種差別となるだろうと。もしもヒラリー・クリントン上院議員が僅差で破れなかったら、あるいは言うならば、ジョン・エドワード、あるいはジョー・ビデンであろうが、彼らが破れたのでなければこうした野蛮な事実は起こらなかっただろう。
 他方では、仮に君たちが自身を平和と社会的公正さに関わりを持つ、進歩的、あるいは独立的投票者であると意識するのであれば、君は、只今から11月までの間に広がるだろう、象徴的な多大な希望の候補者であるバラク・オバマと真の生活者である候補者、意識的な反穏健派、プロ軍事主義団体である民主党に対抗する候補者との違いに直面するであろう。もしも君が真実を求め、象徴的代行を求めないとしたら、君は「多大な希望」を違った所に見いだす必要があるだろう。
※「流れに抗して」は、アメリカにおける急進的社会主義の再組織グループ・ソリダリティの機関誌。(「インターナショナル・ビューポイント」誌電子版11月号)

 
 
 

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