2009年2月10日        労働者の力             第 227号

民衆の大逆襲へ

09春闘・東北キャラバンの準備進む
仙台・八木隆

 
 東北全労協は3月上旬、東北六県を結んだキャラバンを組織すべく準備を進めている。地方自治体や労働局への申し入れ、企業への抗議、各地域での交流などが企画されている。
 製造大企業の減産とリストラが地方を直撃している。中小零細の地場企業は歯を食いしばって耐えているが、3月年度末に向かって雇用破壊と連鎖倒産の一層の拡大が懸念される。「失職者」への直接的な支援の強化と「人員削減」の防止が必要だ。
 雇用破壊は東北各県に誘致された輸出型製造大企業の関連工場から始まった。企業の横暴に対して、地域社会から「一極集中」への反省の声も上がっている。大資本に依存しない地方経済社会のあり方があらためて問われている。
 政府は「定額給付金」を強行しようとしているが、この重大時期、地方自治体を大混乱に追いやることは明らかだ。白紙撤回を求める必要がある。
 解散総選挙の日程は流動的であるが、この春が当面の焦点だ。山形県知事選挙では野党各党の支持する新人候補が勝利した。麻生自公政権を倒すうねりを地方から作り出すことは、キャラバンのもう一つの課題だろう。

地方を襲う雇用破壊の波

 厚生労働省の第二回調査(昨年12月末公表)によれば、10月から今年3月までに失職したか失職する見通しの非正規雇用労働者は、全国で8万5千人、東北六県で1万2千人である。愛知、長野に続いて福島は三番目に多く、山形14位、岩手15位、宮城20位と続く(注一)。
 これらの数値はもちろん「氷山の一角」にすぎない。「09年問題」と連動して、製造業で40万人の非正規雇用労働者が職を失うだろうとの試算がある。企業リストラは「正社員」削減に踏み出しており、全体で170万人が失職するとの予測もある。
 厚労省の発表は非正規雇用労働者が対象であり、しかも県別の「失職数」だけだ。たとえば人口比で考えるなら、地方の深刻度はより厳しい。東北地方の1万2千人は全国の14%を占めるが、人口は全国の8%だから、単純に比較すれば二倍近い厳しさだといえる。県別の人口数に対する失職者数の比率は、一位は大分であり、福井、鳥取、長野、島根と続き、福島が六位、山形七位、岩手11位、秋田21位となる。
 東北地方の誘致企業は昨年10月以降、一方的な「派遣切り」を開始、自治体にとっては不意打ちだった。行政の状況把握と対策は後手に回り、解雇・雇い止めを防止する手立てを見いだすことができないまま、雇用破壊が一挙に進んだ。
 国際金融パニックの爆発以前から、景気後退の影響が広がっていた。昨年1年間で東北地方の企業倒産は900件を突破し、「従業員被害者数」は1万2千人にのぼるという。福島県での倒産数は一昨年より4割も増大した。
 さらに年が明けて、大企業の減産による関連会社での「正社員大量削減」が相次いでいる。数日前には「東北の産官学連携を象徴する」NECトーキン(旧東北金属・仙台本社)が社員半減、仙台支店や岩手事業所の閉鎖などを発表、「東北経済界に激震」と報じられた。
 東芝は北上市の半導体工場の着工を延期した。1千人の新規雇用に期待を寄せていた地元にとって「冷える景気に追い打ち」だ。秋田県ではTDKの減産が「国内最大の生産拠点である由利本庄地域を直撃している」「業績悪化による法人住民税の大幅減収も見込まれ、自治体は頭を抱えている」(「あえぐTDK城下町」河北新報1月31日)。富士通の半導体子会社は業務を見直し、東北(会津若松工場に1500人、岩手・金ケ崎に1700人)の二つの工場では「従業員の半数が再配置の対象」とされ、岩手県は「人員の調整規模は県内で本年度最大の可能性」とコメントした。こうした報道が連日のように続いている。
 昨年末、「北上川流域の危機」(岩手県南地域)が衝撃的に報道された。自動車、電機、精密機械など大手製造業の関連会社が一斉に人員削減に走った。その結果、税収の大幅ダウンを含めて、地域社会が崩壊の瀬戸際にある。多数の誘致企業を抱える東北各県の地方都市は、いま、同様の問題に直面している。
 地域社会に及ぼす影響の一端が報じられている。北上市には派遣会社が70社も集中しており、年末までの時点で600人近くの失職が判明していた。同市で9月からの三ヵ月間、公共水道の利用者が300人減ったが、住民登録の減少は38人にとどまっている。「住民登録をしないまま市内の工場で働く非正規労働者の多くが、『離職による引っ越し』を余儀なくされた」結果だ(河北新報12月24日)。北上市は「水道停止件数の増加が人口流出の一つの目安になる」とコメントしている。
 あらゆる調査が、東北地方は全国水準より厳しいことを示している。12月の求人倍率は地区ブロックで全国最低だった(0・47)。たとえば山形県の求人状況は、機械・電機・情報通信などで、昨年比5割から7割も減少している。
 宮城県では、3月卒業予定の高校生に対する求人が、前年同月比で13%も少ない。医療・福祉分野での増加(前年比36%増)にもかかわらず、運輸・卸小売・製造業などで大きく落ち込んでいるからだ。年末時点での内定率(76%、女子高校生は69%)は沖縄、北海道につぐワースト三位だ。
 解雇・雇止めされた労働者への直接的支援とともに、中長期的な対策を求めることがキャラバンの第一の課題となる。

「駅前シャッター通り」―02年全国行動からの7年

 東北全労協は02年春闘に際して、反失業と反戦をメインスローガンに春闘キャラバンを実施した。「吹き飛ばせ小泉改革・戦争NO!」と銘打った全国共同行動の一環だった。
 東北キャラバン隊は各地で地域社会の惨状に直面した。地方都市はどこに行っても「駅前シャッター通り」であり、農村地域も荒れていた。前年に発足した小泉政府は、「痛みをともなう構造改革」「改革なくして成長なし」をかかげ、「企業倒産は改革が進んでいる証拠」と豪語してリストラ政策を展開していた。それから7年がたつ。
 小泉政権下で始まった景気回復は02年2月から07年10月の山まで、戦後最長の69ヵ月続いたとされる(内閣府)。大企業は最高益をたたきだし、巨額の内部留保をためこんだ。一方、格差は拡大した。地方は「駅前シャッター通り」から回復することなく景気後退局面に入り、そしていま底の見えない雇用破壊と社会崩壊の危機に直面している。昨年夏まで、小泉、安倍、福田政府の経済政策担当者たちは「やがておこぼれが落ちてくる」と言い続けた。その理論は破綻した。彼らは責任をとることなく内閣や経済財政諮問会議、規制改革会議を去った。国会が彼らを喚問して政策の是非を問うこともない。
 加藤紘一元自民党幹事長はかつて、「改革は必要だが、軟着陸をどうするかだ」と指摘したことがある。規制緩和政策は小泉政権の前から始まっていた。日米構造協議による大店法問題が典型だった。加藤は山形県とくに荘内地方で圧倒的な地盤を誇った。その地元も90年代、時代の変化にさらされつつあった。支持者たちが経営難に直面し、商店街がさびれていく現実に、加藤は問題意識を持ったはずだ。
 2000年末、加藤は自民党改革を求めて立ち上がり、敗北した。中途半端な反乱に批判が集中し、名門派閥の解体的な分裂を余儀なくされた。数ヵ月後、「加藤の乱」を支持した人々の視線が小泉に注がれていると感じた加藤は、小泉政権の誕生のために闘った。だが、皮肉なことに小泉の構造改革は加藤の対極にあり、その後、出番は回ってこなかった。加藤は、小泉政権の意味に後になって気が付いたと述懐している(「強いリベラル」)。米国からの要求を受動的に受け入れた過去の自民党とは異なり、小泉政権は意識的に市場原理主義を持ち込み、格差社会をもたらした、と。
 小泉構造改革は反動の嵐となって地方を襲い、荒廃させた。「駅前シャッター通り」は地方崩壊を象徴する言葉となり、加藤紘一が抱いていたであろう危惧は現実となった。加藤と同じ東北の小沢一郎はそこに着目し、争点化し、参議院選挙を勝ち抜いた。新自由主義的な改革の旗手だった小沢が持論をどのように変更させたのか、集票のための方便にすぎないのか、それは不透明だ。だが小沢民主党の「生活が第一」の主張が地方を引き付けたことは確かだ。
 自民党は安倍と福田の自壊という犠牲を払ったすえに、小沢から2年遅れて麻生首相の施政方針演説にたどり着いたといえる。しかし「小泉改革からの転換」とは何か。「新自由主義に代わる経済社会路線」とはどのようなものか。自民党も、民主党にしても、その問いに答えてはいない。
 「地方の反乱」が続いていることは今回の山形県知事選挙でも示された(注二)。どのような政治が問われているか。今回の東北キャラバンでも議論されるだろう。

「連帯と共生」の地域経済社会

 小泉改革は05年夏の郵政総選挙で絶頂を迎えたが、すでに政策破綻は表面化しつつあった。
 象徴がタクシーだった。02年に規制緩和され、新規参入が破壊的に進んだ。労働者の引き抜きや労働組合への弾圧が各地で起きた。台数は急増し、競争の飽和点を超えた。激しいシェア争いは乗客の奪い合いとなり、暴走タクシーや違法駐車が市民社会を脅かすまでになった。規制緩和は安全性と労働者の賃金・労働時間を破壊した。
 仙台市のタクシー業界は04年暮れ、国に対し再規制を求めて立ち上がり、経済逆特区の申請という異例の手段に出た。申請は却下されたものの、地元メディアが何度も特集を組んで報道するなど、規制緩和問題を浮き彫りにした。
 1年後、郊外型大規模店の規制問題が抜き差しならない対立に発展していった。「さびれた商店街」に悩む地方は、福島県議会をはじめ、大型店舗の郊外進出規制を要求して立ち上がった。与党と国土交通省は規制再強化(まちづくり三法の見直し)に動き、奥田・日本経団連はこれに反対した。対立は経済界にも持ち込まれた。在来商店街の小規模店舗を抱える日本商工会議と、大流通資本の側に立つ経団連の対立だった。
 それら規制緩和・新規参入政策に対する自己防衛の動きは、「郵政」を先頭に「抵抗勢力」とされ、メディアや「改革派」による攻撃対象となった。タクシー問題でも、規制緩和は利用者の利便性を高め選択肢を拡大する、業界の守旧派的体質も改善するという主張が大新聞の社説などに掲載されていた。だが局面は変わり、05年後半以降さまざまな分野で矛盾が噴出し、小泉改革の力を奪っていった。宮城県民の記憶に残る「耐震強度偽装」問題もそうだ。(JR西日本の大惨事は05年4月。)
 安倍と福田政権は小泉・竹中路線の維持と見直しの間を揺れ動いた。麻生政権に至って小泉改革は「過去のもの」になった。だが、問題が整理され、政策転換が果たされたわけではない。実際、タクシーも大型店舗にしても、いまだにせめぎ合いと迷走が続いている(注三)。たとえば仙台近郊では郊外型大規模店舗がいくつも進出している。流通大資本は郊外と市外を結んで、地域商圏への支配をいっそう強めている。
 このような経緯のなかで、雇用破壊の一挙的な拡大に直面して、「一極集中・依存」の見直しの声が上がっている。「地域に根ざした」産業と雇用、医療や福祉、教育を展望すべきだとの意見は広範に提起されている。北上市議会などでは、輸出型製造業への依存が急激な危機をもたらしたとの議論がなされたという。北上市は1年前、「企業立地に頑張る市町村20選」(経済産業省)に選ばれている。しかし、「地元」に相談もしないで、企業の一存で労働者を解雇したり工場を閉鎖・撤退するのでは、地域経済社会が安定・安心するはずはない。
 宮城県はトヨタ関連会社の誘致を積極的に推進してきた。中国など大陸市場をにらんだトヨタの「東北拠点化」とタイアップしている。だが、地元経済を歪める、環境を悪化させるなどの問題点も指摘されてきた。地元紙が実施した農業モニター調査によれば、東北地方への自動車関連企業の立地によって「農業に従事する人が減少し、農業生産が縮小すると予想する農家が4割を超えている」(河北新報08年5月)。
 「連帯と共生」が様々な場で語られている。大資本に依存しない地域経済社会をどのように展望するのか。効率・採算を最優先とする「自治体経営」路線からの転換をいかに実現するのか。
 非営利企業の育成。地域医療の防衛。郵政をはじめ「民営化」の見直し。農業・林業・漁業の再構築。地域最低賃金の引き上げ。脱原発。外国人労働者・学生の雇用と就学。東北地方と北東アジアの友好、等々、論点は多岐にわたる。「地方分権」の問題もある。それらは今回の東北キャラバンのもう一つの課題だろう。

(注一)厚労省の第三回調査(1月30日発表、対象期間は同じ)ではさらに増加し、全体で12万5千人、東北地方は1万9千人(全国の15%)で前回調査から56%増加。福島は前回と同じく全国三位で、山形七位、宮城九位、岩手13位。
(注二)新人候補が「効率優先の県政」「冷たい県政」を批判し、二期目を迎える現職に挑んだ。準備不足にもかかわらず、大接戦にもちこみ、勝利した。野党各党の支持だけでなく、保守系の一部も新人の側についた。加藤は自民党国会議員として現職を支持し、敗北したが、その「政策的矛盾」は問われないのか。
(注三)仙台のタクシー業界でも昨年末、「失職した非正規雇用労働者の再就職先に」と数社が名乗り出ている。苛烈な市場競争の場への「再雇用シフト」と、「タクシー規制緩和の見直し」(賃金と労働条件の改善要求を含めて)との整合性はどうなっているのか。介護や外食等を含めて、政府や経済界からの説明はない。(1月31日)
パナソニックの「派遣切り」は許さない!!
     
支援する会結成総会に   250名を超える参加

 2月8日、 福島県郡山市でパナソニック裁判を支援する市民の集いが、 会場をあふれる250名を超える参加のもとで開催された。
 集会は 「パナソニックの偽装派遣を告発し、 解雇撤回・直接雇用を求める佐藤さんを支援する会」 の結成総会も兼ね、 民主党、 共産党、 社民党等の政党や多くの労働組合、 市民団体から連帯のアピールが寄せられた。
 佐藤晶子さんは松下電工 (現パナソニック電工) 福島営業所のショールームで18年間働いていたが、 昨年8月大幅な労働条件の低下 (賃金の4割ダウン) を伴う系列会社への移籍を通告された。 佐藤さんは宮城合同労組に加盟し、 その撤回を申し入れてきたが、 会社は9月30日付けで雇い止め解雇をおこなってきた。
 そもそも佐藤さんは当初松下電工に雇われたのだが、 会社は勝手に系列の派遣会社ABMに転籍させ、 そこからの派遣としたのである。 しかも実際の仕事は接客が主にもかかわらず、 「事務機器の操作」 という名目で、 明らかに違法な派遣であった。 18年ものあいだ雇い続けながら今回の解雇は、 「派遣」 を雇用の調整弁とする政府資本の労働政策そのものである。
 総会の記念講演でルポライターの鎌田慧氏は、 派遣労働者が大量に発生している現状の問題点を指摘し、 人間は 「物」 としての 「労働力」 ではなく人間であることを強調した。
 佐藤さんの問題は 「派遣労働」 の典型的なものであ
り、 全国一般全国協は全力をあげ闘うことを決定している。 解雇撤回の裁判闘争とともに09春闘、 東北キャラバンと結合して闘っていくことが重要である。
  (宮城合同労組H・T)

京浜ホテル闘争
   不退転の闘い宣言

    1/28 連帯集会に200名以上結集

 1月25日、日曜日の早朝、警察1000名体制で強行された京品ホテル強制執行には、300名を越える労働者市民が結集し闘い抜かれた。それをうけ、1月28日、「闘争100日突破!京品ホテル闘争勝利!連帯集会」が総評会館で200人を超える結集で開催された。
 全国ユニオン鴨会長は、「25日の強制執行は、権力が闘いの拡大を恐れた行動であり、300人を超える労働者がピケで闘いぬいたことは、労動者の連帯の力強さを再確認した」「自主営業をしてきた砦は奪われたが心のなかに闘い続けるという決意として残っている。闘いは第二ステージにはいる。解雇を認めずに闘いぬく」と決意をのべた。
 この間、京品実業との闘いを支えてきた鬼塚弁護士は、労働者の一方的な解雇に対する「地位確認の仮処分」と東京地裁の強制執行の仮処分決定」に対する保全の異議申立を通して、京品実業との闘いを展開したいと挨拶。
 これまで京品闘争を支えてきた各労組から連帯の挨拶が続き、全労協からは東部労組の須田さんが挨拶。東部労組は、25名で24日から泊り込み強制執行と闘ったこと、ナショナルセンターを越えた闘いが京品闘争を支えていることが表明された。
 その後、16名の支部組合員が決意表明と自己紹介。最後に金本支部委員長は「若者のためにも負けるわけにはいかない。最後まで命を掛け闘いたい」と決意を述べた。最後に渡辺東京ユニオン委員長が挨拶。「昨年5月1日に組合を結成し闘ってきた。権力は、1000名を超える体制で強制執行を行った。執行されたものの、ホテルは未だ誰も中にいない状態が続いている。自分たちがホテルから歩道に押し出されただけの話であり、これから、品川駅前に現地闘争本部を置き、京品ホテル前にこだわって闘いを続けたい」と第二ステージへの決意を示した。
 京品実業は、京品支部の自主営業での損失の賠償請求を求める動きをしているという。放漫経営で経営悪化の責任を労働者に押し付け、挙句の果て解雇し、それに抗議して労働者自ら自主営業、自主再建を闘ってきたことへの報復として国家権力を使っての強制排除と損賠請求攻撃は絶対に許せない。(電通労組・H)

やっぱり必要!派遣法抜本改正1・15集会、400名の熱気
     派遣村から大逆襲へ!
 年度末に向けて大量雇用破壊、下請け切りが深刻に懸念されている。実際年が明けても、大資本の非正規労働者大量切捨て計画が立て続けに発表されている。昨年11月厚労省が推計した3月末までに3万人という見通しは、とうの昔に吹き飛ばされた。この状況に立ち向かう労働者民衆の本格的大反攻を期して、1月15日夜、「派遣法の抜本改正をめざす共同行動」と「『派遣村』実行委員会」共催の下、「派遣村からの大逆襲」と銘打った標記の集会が日本教育会館会議室で開かれた。

要求の鮮明化と共同への強まる推力

 昨年12月4日の日比谷集会の成功、そして年末年始の日比谷派遣村。文字通り当事者と草の根から、誰も否定しようのない現実を足場とした団結と連帯が、そしてこの上なく正当な要求が、人々の心を揺り動かす形で社会に突き出された始めた。それは、疑いなく社会に蓄積し充満しつつある人々の言いようのない憤りに、そのよって来る問題の所在と結集点を、具体的に指し示すものとなろうとしている。それ故にそれはまた、労働者運動を分断していたナショナルセンターの壁を下から溶かし、いわば渾然一体となった闘いを否応なく生み出すエネルギーとしても姿を現した。
 典型的に派遣村はその全てを体現した。闘いの一体となった展開へと突き動かす推力はより力を増した。そしてその取組みは、まさに現場の声として、要求と課題をより具体的かつ鮮明にした。
 何よりも先ず緊急に、屋根と食と職を保障せよ、と。その総合相談窓口を用意せよ、と。何の保障もないまま労働者を街頭に放り出すことを可能とし、そのような安易で無責任な経営を許す派遣法を直ちに抜本的に改正せよ、と。さらに、そのような無責任経営の転換、即ち非正規切りの即時停止と企業の責任負担を、と。
 当日の集会は、派遣村の経験と各現場の闘いを交錯させるシンポジウムという形で、先ず第一に、共同した大逆襲の結集点を上のような内容で具体的に照らし出すものだった。棗一郎弁護士がコーディネーターを務め、湯浅誠派遣村村長、三木陵一JMIU書記長、小谷野毅全日建連帯書記長の間で議論が交わされたシンポジウムは、短時間ながら内容の詰まった、まさに現場に肉薄したあいまいさのない問題整理と課題設定に結実した。
 そして共同への推力の強まりは当日、連合の団野副事務局長が、全労連、全労協まで貫く共同の場で連合として公式発言に立つ、という形で改めて表された。連合としてそれは、初めてと言えるかもしれない異例の対応だった。そしてそこでは、登録型派遣の禁止、期間の定めのない直接雇用を原則として全労働者の立場から問題に取り組む、とする方針が表明された。

大逆襲が社会に正義を取り戻す!

 集会はこのように、鴨全国ユニオン会長の司会の下、会場に座りきれない400名以上の熱気の中進められた。この場には、菅直人民主党代表代行、志位和夫日本共産党委員長、福島みずほ社民党党首、鈴木宗夫新党大地代表が、もはや定番であるかのように顔をそろえ各々自党の立場を表明した。先に見た緊急課題に全力を挙げることはこれらの党にとってもはや当然のことだった。その上で焦点は依然として派遣法だった。民主党においても、日雇い派遣の禁止に基本的にとどまっていた以前の立場を超えた規制の検討は、もはや避けられないものとなっていた。菅発言はその踏み込みに積極姿勢を示すものだったが、それは、まさに現場の闘いが民主党を揺さぶっていることを示していた。
 日弁連、日本労働弁護団、ホームレス法的支援者交流会、そして年末年始を派遣村で過ごした村民など、濃密な発言が続いた。
 そしてそれらを受けて最後に、派遣労働ネットワークの中野麻美弁護士から、派遣法改正に向けた問題提起が行われた。現在の事態は派遣法の構造が土台から破綻していることを示すもの、「とりあえず99年以前へ」で流してはいけないものがある、との鋭い提起だった。実際目の前に起きていることは、雇用責任を問われる者が事実上誰一人いないことを許す状況、非正規労働者だけが無謀で安易な無責任経営のツケを背負わされ、しかも何の生活保障もないままあっさりと街頭に放置されることを許す状況なのだ。そして、この間このような派遣法の「利点」を最大限にむさぼりながら、その上、先頭に立って大量派遣切りの扉を開いた大独占資本は自らはびた一文出さずに、この非正規労働者の当面の生活支援に、鉄面皮にも国家の乗り出しを、即ち税金投入を要求している。このような理不尽な企業行動を許す法の構造それ自体が、もはや問われなければならない。
 しかも、そもそも喧伝されている巨大企業の経営悪化は、とうから指摘されていた持続不可能なアメリカ市場の水ぶくれ構造をもっぱら当てにその場限りの利益を追求する、それら大資本の経営戦略が自ら招き寄せた自業自得と言うべきものなのだ。その責任は本来、それら大資本の経営者と、彼らを選任しその戦略を承認した株主達が負わなければならない。
 しかし現実の事態は全く逆転させられている。重荷を、しかも死にも至りかねない重荷を背負わされているのは、全く無権利の非正規労働者なのだ。雇用責任と経営責任、その両者共をすり抜ける、大独占資本のまさにとんでもない二重の不正義が今目の前に横行している。
 非正規労働者の現実とその叫びを目に見え聞こえるものとすることによって、派遣村はこの真実に人々の目を開くとば口を開いた。そして連帯した反撃が不可能ではないことを示した。遠藤一郎全国一般全国協書記長の大逆襲宣言と力のこもった全体での団結ガンバロウで終了した集会は、それらをくっきりと確かめさせるものだった。労働者民衆の大逆襲を、社会に正義を取り戻す闘いを、まさに現実のものとしなければならない。(神谷)
70年前―第四インターナショナルの創出―
          
フランソワ・サバド


 第四インターナショナルは、「世紀の真夜中」に建設された。ファシズムが世界を暴れ回り、ソ連邦では反革命が勝利し、スターリニズムは全世界の革命的労働運動を「窒息」させていた。それ以前のインターナショナルとは対照的に、第四インターナショナルは、労働者運動の波や労働者階級の運動の成長によって前に押し出されるものではなかった。
 最初のインターナショナルは、ヨーロッパにおける1848年の革命的爆発の後に立ち上がった。第二インターナショナルは、19世紀末と20世紀初めの労働運動の成長と組織化を体現した。第三インターナショナルは、ロシア革命の後に立ち上がった。しかし第四インターナショナルは、労働運動の巨大な敗北という流れに抗して立ち上がっていたのだ。
 さらにまた、とりわけトロツキー自身をも含むある種の予見、すなわち第一次大戦とロシア革命後の第三インターナショナルの例を引き合いに出しつつ第二次大戦後の第四インターナショナルの大衆的発展を展望した、のとは反対に、少数派組織に留まり続けることもあり得たものだった。
 だが、第四インターナショナルの創立は、こうした予見や時代的危機への対応という点では正当化はされなかったが、社会民主主義とスターリニズムの裏切りに直面した時に提起された必要性、違った歴史的選択の正当性を肯定し、革命的労働者運動の、綱領性、理論性、政治的行動性と持続性を確実にする新たな政治潮流、ということで正当化された。
 それ故、「トロツキスト・インターナショナル」の宣言が問題なのではなかったのである。戦争と共にすべてが粉々になる時に、マルクス主義の伝統を保持し、良き時を待ちつつ「冷蔵庫」に入れることをせず、政治闘争と革命的政党建設を支持することこそが必要だったのだ。

 流れに抗して

 起源はスターリニズムに抗する左翼反対派にある。しかし、第四インターナショナルは、それ以上のものだった。国際主義という性格で明らかにされた世界像を維持してきた。これはある種、すでに資本主義のグローバリゼーションから流れ出してきているものでもあり、スターリンの「一国社会主義」に対立させられてきたものだ。
 そのすべての闘いは以下のものによって条件づけられた。すなわち、階級闘争によって、社会主義に向けた過渡的綱領の諸要素によって、労働者運動とその組織の統一戦線によって、発達した資本主義諸国での階級協調主義政府―左翼連合や複数主義左翼のさまざまな形態を持つ―に直面させられる時の、さらに永続革命の理論として歴史を歩むかもしれない帝国主義に従属した諸国での民族ブルジョアジーに関する、労働者運動の独立によって。
 多くの時事解説者たちが、アメリカとソ連を中心とした前世紀の世界分析を後退させた中で、第四インターナショナルは、それぞれ自身の帝国主義とソ連の官僚主義に抗する民衆と労働者の闘いを前進させたのだ。
 第四インターナショナルは、一般的あるいは教条的にマルクス主義を防衛するということに限定はされなかった。エルネスト・マンデルを例に取れば、彼は1950年代から1970年代の終わりにかけての資本主義展開力学を分析した。社会主義的民主主義、フェミニズムと環境問題という諸課題に関する綱領的諸文書が、インターナショナルの大会において討論され、採択された。スターリニズムに直面して、トロツキーと彼の組織は1930年代以降、民主主義的社会主義を頑固に防衛することで、自らを顕在化させた。こうした言及は、多くの世代、特に今日、学校教科書が、共産主義とスターリニズムを混同する時に、ロシア革命とスターリンの反革命とを区別し、革命目的を保持し…そして数多くの敗北にもかかわらず、「再び始める」ことを可能にしてきたものだ。
 われわれの運動は、別個の特異さを持っているが故に、つまり他のトロツキスト運動に関してすらあるのだがそれ故に、それは、革命的、反帝国主義および社会主義の過程、帝国主義に抗する人々とのひるむことのない連帯の表明を、彼らの指導部とは関わりなく、表明させてきた。われわれは明確に、中国、ユーゴスラビア、ヴェトナム、アルジェリア、キューバ、ニカラグヮの革命を支持してきた。とりわけわれわれとチェ・ゲバラの経験とのつながりは、われわれ自身をこれらの革命的過程へと結びつけるこの意欲を表現するものだ。

 新しい時代…

 もちろん今日では、いかなる政治的誤りや見落としもなかったとはならない。スターリニズムと闘い、官僚主義に抗する東欧の人々との連帯を表明する一方で、われわれの運動は、世界的にスターリニズムが作り出してきた破壊の広がりを過小評価したのだった。ソ連ブロックが崩壊した時に、反官僚政治革命や民主主義的社会主義へと向かわず、資本主義復活へと道路は解放された。植民地革命との連帯において、生きている革命への熱気の中で、われわれは彼らと結びついている諸問題を過小評価した。われわれは批評家の任務を十分には実践しなかったのだ。そして、第四インターナショナルの諸組織は他の弱さを表現した。その多くはしばしば組織の小ささに理由があった。すなわち、宣伝主義の性格、セクト主義的誤り、他のより大きな組織力、一般的には改革派政党への政治的な「助言者」のスタイル…「われわれには出来ないが、君たちはやりなさい」。こういう言い方をしたものだった。
 トロツキズムはまた分派主義から傷ついた。よく知られることわざがある。「一人のトロツキストは一つの党。二人のトロツキストは二つの分派。三人のトロツキストは分裂…」と。他方、過去70年を越える中で、数多くの革命的組織や潮流は姿を消したが、第四インターナショナルは自己を維持してきた。組織はその歴史的目的には達してはいなかった。上昇と下降とを経験し、さらにいくつかの国々で大きな危機が生じた―最近ではブラジルのように―が、他方では突破口も数多くあった。フランスでのしかも肯定的経験、ポルトガル、イタリア、パキスタン、フィリピン、多大な達成がある。
 LCRが労働者運動の新たな歴史のページを書きたいと望む時、われわれはどこから来たのかを知らなければならない。進行中の労働運動の再組織化過程を「革命的中身で豊かにする」ために。なぜなら、実に歴史的な転換点であるからである。第四インターナショナルはロシア革命の動力によって刻み込まれた時代の産物であるが、しかし綱領と所属メンバーの活動の現実性は、こうした歴史を越えて行く。しかしながら、保証はどこにもない。「新しい時代、新しい綱領、新しい党」は、同時に新しいインターナショナルを意味する。それを宣言することは到底出来ないし、道は長いであろう。しかし、第四インターナショナルの同志たちは達成を実体化するために全力を投じるであろう。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版、10月号)

フランス
LCRからNPAへ―LCR古参世代の寄稿

     
ダニエル・ベンサイド、アラン・クリビーヌ、ピエール・ルッセ、フランソ        ワ・サバド、他
 この寄稿文書は、革命的共産主義者同盟(LCR)の2009年1月大会に向けた準備の一部として執筆された。大会議案は、新反資本主義党(NPA)への新たな挑戦のための新しい舞台を設定するために、LCRの政治的「自己解体」を含んでいる。この文書の執筆者たちは、1960年代と1970年代の活動家たちの世代に属している。それで、主としてLCRメンバーに向けられているが、その他の多くの人々にとっても興味深いかもしれない。
 以下は、H・アダム、D・ベンサイド、F・コウストル、L・クレミウ、J・ギロティン、S・ジョウスア、A・クリヴィーヌ、O・マルティン、C・ポウパン、P・ルッセ、F・サバド、R・ヴァチェッタによる。

NPAは無から始まるわけではない

 今や20、30、40年の間、われわれはLCRを築いてきた。
 今日、われわれすべては、NPAを立ち上げることにつながる複合過程の一部である。われわれはこの新たな巨大事業に、LCRが過去の数十年の間に達成してきたことのおかげである―にもかかわらず、ではない―自信を持って取り組んでいる。このことは重大な発展である。すなわち、LCRが、より広大な挑戦をめざすために、自己自身を解体するという決定は、フランス労働者階級運動の歴史においてむしろ例外的出来事である。
 われわれはこの賭けに自信を持って臨んでいる、というのも、われわれが何もないところから始めているわけではないからだ。フランスや国際的な左翼の中のすべてのグループの間で、こうしたイニシアを取ったのはLCRであったということは偶然ではない。われわれは、革命運動の特異な歴史の産物である―トロツキズム潮流と1960年代の青年急進化の結合である。われわれは、革命的マルクス主義の非ドグマ的な流れであり、とりわけ社会民主主義やスターリニズムとの関係において、労働者階級運動の歴史における持続性の本質的要素を保持することを可能としてきた。これらは、当面の必要であると同時に社会主義への移行的でもある諸要求の計画を防衛することを含む。すなわち労働者とその組織の大衆動員を狙う統一戦線政策、すなわち国家的ブルジョアジーとのいかなる戦略的連携も拒否する労働者階級の統合と独立の政策、すなわち国家と資本家経済をやりくりするだけの、先進資本主義諸国家でのいかなる政府参加への反対、すなわち間違いのない国際主義。
 他の諸潮流と異なって、われわれは新たな諸要素の広範さをわが政治の伝統と結合させる努力を行ってきた。すなわち戦後の資本主義の発展、反植民地主義革命や東欧ブロックにおける反官僚主義運動との活発な連帯、すなわち女性たちの運動、こんにちでは環境の危機に直面して成長している環境・社会主義の自覚など新たな諸社会運動の分析、そしてすなわち、そのすべての上に、テストに賭けられ、豊かにされる、わが綱領のキーポイント、社会主義的民主主義。
 これがLCRの商標である。LCRは左翼反対派のスターリニズムに抗する闘争の持続性を確実にすることに成功を収めてきた。それ以上に、フランスや他の多くの国々での革命的左翼の多くの潮流とは異なり、LCRは原理と民主的、複数主義的組織と機能の具体的適用をも、また支持してきたのだ。その歴史全体を通じて、この問題への感受性と内部での民主的、複数主義的機能は、LCRが、いくつかの、異なった起源や政治的文化を持つ諸潮流や組織に本拠地を提供することを可能としてきたのである。そしてそれは、LCRが今や他の勢力と共に何ごとかを築き、そして新たなNPAへの挑戦を抱きかかえる位置に今やいることを意味してきたのだ。
 NPAは最近の年月の政治的活動の成果である。とりわけ、社会運動の新たな回復へのわれわれの貢献と、2002年と2007年の大統領選挙運動での、ブザンスノーを取り巻いた成功がある。しかし、もう少し以前まで戻ってみよう。

新たな歴史時代への挑戦の上に

 1990年代の早期、ソ連邦と東欧諸国の崩壊は新自由主義資本主義のグローバリゼーションと結びつき、一つの歴史過程を閉ざし、別のものを開いた。「新たな時代、新たな綱領、新たな党」、すなわちこれは、新たな歴史時代についての考えに近づく三つの枝であった。政治行動は、新たなパラメーター(限定要因)群によって取り囲まれるかもしれない。19世紀や20世紀に生まれた多くの革命的、反資本主義的流れを分離させてきた不一致克服を今後において、可能にするかもしれない。
 もちろん、われわれは、新たな組織の形態、性格、限界と力学について定かではない。しかし、問題は、国際的、国内的な両方のレベルで提出された。国際的には、われわれは世界大会を通じてイニシアティブを取り、そして数多くの経験を通り抜けた。それらはそれぞれの特異性を持っていた。すなわちブラジルでのPSOL、PT経験の後。すなわちイタリアでのシニストラ・クリティカ、共産主義再建党経験の後。すなわち英国でのレスペクトとスコットランドSSP、これら二つの組織の分裂の前。すなわちポルトガルの左翼ブロック。そしてすなわちデンマークの赤・緑同盟。これらの展開過程のそれぞれにおいて、いくつかの問題群が定められた―特に、政治権力との関係や中道左翼と社会・自由主義政権への参加、不参加の諸問題である。
 これらの問題はPTからのPSOL、共産主義再建党からのシニストラ・クリティカの分裂へとつながった。それらはまた、ドイツのディー・リンケ(左翼党)の指導部とわれわれとの違いの基礎にある。彼らは、議会的、内閣的に社会民主党支援を声明したのである。
 NPAは政治的に明確に定義されるだろう。その準備諸文書は誤解を許さない概念を明らかにしている。すなわち階級闘争と、搾取され圧迫されている闘いすべてへの支援。すなわち労働者とその組織との行動における統一。資本主義システムとの断絶。すなわち環境―社会主義の計画。すなわち資本家経済運営のいかなる政策、資本主義機構の中央執行権力への反対。すなわち労働者政府への闘い。すなわち社会の革命的移行。すなわち社会主義的民主主義。そしてすなわち国際主義計画と実践。確かに多くの諸問題は空白のまま今後に残されるだろう。すなわち21世紀の革命の性質である。すなわち社会主義への移行の諸問題である。そしてすなわち他の諸問題の広がりは社会主義者、共産主義者の計画を再構築することに関係する。
 しかしわれわれは、何もない所から出発するのではない。そしてすなわちNPAは、新たな共通の諸経験を基礎として、自分自身の位置を団結して決定することになるだろう。

新たな社会的・政治的現実性の党

 それ故課題は、改修されたLCR建設の問題ではない。われわれは、単により広大な党を求めることはしない。われわれは、新たな社会的、政治的現実性である党の建設を求める。それは複数主義であろう。それは、労働者階級運動や他の諸運動、環境・社会主義のような他の諸運動の革命的伝統のすべての最良部分を取るだろう。その目標は、すべての反資本主義者たちを一つの屋根の下に運び入れることだ。
 NPAは国際主義組織であろう。国際問題を自分の判断に委ねるのだ。それは第四インターナショナル(それは明確な国際的政治潮流である)の支部ではないだろう。複数主義党として、NPAはこのようなあるがままの第四インターナショナル(FI)に参加できない。新たなインターナショナル建設の過程―それは常に、そして今もわれわれのゴールである―は、長期で輻輳したものだろう。それぞれの国々で反資本主義陣形の構築は、新たな国際主義組織と同時的にはならないだろう。その規則で認められる時、われわれはFIメンバーとして留まる。その指導部部分として選出されたLCRの同志とつながりを保ちつつ。インターナショナルにおいてLCRが果たしている役割が故に、LCRがFIにおいて責務があった数多くの役割をNPAが背負い続けることを、われわれは提案してきた。
 われわれは、次の新たな世代に、わが政治的伝統のみならず全くの広がりを持つ指導部責務を渡したことを誇りともしている―多くの政党の経験した騒動と継続の危機なしで。これへの名誉は、古い世代と若い世代、そして間のどこかにいる世代に同等に配属される。にもかかわらず、LCRがNPAへと解散するに当たって、われわれはLCRメンバーへの責務として具体的アピールを出す。彼らの経験と訓練は、NPA建設において決定的である。彼らは新党の成功、および新しいものと古いものの統合の成功にとって、必要条件の一部に含まれている。私たちが自身に関してそうするように決めてきたように、誰もがフルに関与する必要があるだろう。疑いもなく、これは、より広大な部隊との会話の学習、われわれが使っている語彙への特別の注意の支払い、耳を傾け他を尊敬することの学習、そしてわれわれが自身で彼らに運び入れたものを過小評価することなく、彼らから学ぶことにおいて注目に値する実践となるだろう。NPA創立大会の後には、すべてのLCRから来た同志たちは、この新たな計画の建設に参与しなければならない。そのためにわれわれは何十年もの間、闘ってきたのである。
※ダニエル・ベンサイドはフランスのもっとも著名なマルクス主義教授の一人であり、広範な著作がある。彼はLCR(第四インターナショナルフランス支部)の指導部メンバーである。
※アラン・クリビーヌはフランスのLCRの主たるスポークス・パーソンの一人である。
※ピエール・ルッセはESSF(国境なき連帯ヨーロッパ)のメンバーである。彼は長い間、アジアでの連帯運動に関わってきた。
※フランソワ・サバドは第四インターナショナルの国際執行委員会、革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナルフランス支部)指導部のメンバーである。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版2009年1月号)
ブラジル
国際主義反資本主義左翼、ベレンで会合

            フランソワ・サバド

 PSOL(ブラジル)とNPA(新反資本主義党、フランス)のイニシアティブで、世界社会フォーラムの間、20ヶ国と20組織の代表が参加して、国際反資本主義左翼の集まりが開かれた。

 参加した地域と国々は以下の通り。
 ラテン・アメリカからは、
ブラジルのPSOL、ヴェネズエラのPSUVとマリア・ソシャリスタ、アルゼンチンのMSTとオトロ・カミーノ、ウルグアイのPST、アンティルのGRS、エクアドルのリフンダアシオン・ソシアリスタ。
 北アメリカからは、
USAのISO。
 アジアからは、
パキスタンのLPP、韓国の労働者階級の力―新労働党への結集体、フィリッピンのRWP―ミンダナオ。
 ヨーロッパからは、
ギリシャのシリツア―シナスピスモス、ポルトガルの左翼ブロック、デンマークの赤・緑連合、ノルウエイの赤党、ベルギーのLCR―SAP、ドイツのRSB、オーストリアのソシャリスタ・オルタナティブ、フランスのル・オルタナティフ、カタロニアのイズクイエル・オルタナティボ、フランスのNPA。

 ムンバイとポルト・アレグレに続くこの会合は実に成功だった。数多くの組織は参加できなかったが、連帯の挨拶を送ってきた。
 PSOLを代表するペドロ・フエンテス、NPAを代表するフランソワ・サバドによる二つの導入的問題提起に続いて、シリツアからのギリシャ人同志が、先の11月の社会的爆発への介入について説明した。PSUVの代表団は、反帝国主義闘争におけるヴェネズエラの位置を強調し、そして反資本主義の闘いの必要性、特に危機に直面した工場を占拠する闘争を強調した。ポルトガルの左翼ブロックからの同志と赤・緑連合は彼らの活動を報告した。
 すべてが反資本主義の新たな責務について強調した。すなわち、資本主義の危機は、新たな社会的、政治的対立へと導くであろう新たな状況を切り開いている。こうした責務は、社会民主主義やその政治的あるいは労働組合的連合が資本主義の危機をやりくりする論理を採用してきたことによって、さらにいっそう、重要となっている。この文脈で反資本主義者は、仕事、賃金、公共サービスの緊急対策と反・資本主義的変容を結合した危機の別の解決策で介入しなければならない。すなわち、「金持ちは危機に対して支払うべきであり、民衆が支払うのではない」。このWSFのスローガンは反・資本主義のそれにもなるであろう。
 出席者たちはまたパレスチナ民衆の闘い、およびラテンアメリカでの反帝国主義の新たな闘いへの連帯を持続することへも合意した。出席した組織は、参加を希望するすべての反資本主義、反帝国主義組織に開かれたネットワークを立ち上げることを合意した。彼らは、とりわけて直前のWSFの諸決定に込められた文脈の中で、協同、経験交換、討論と共同行動の追求への思いを示してきたのである。(ベレンより、フランソワ・サバド)
※フランソワ・サバドは第四インターナショナル国際執行委員会のメンバーであり、革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナルフランス支部)の全国指導部のメンバーである。(「インターナショナル」電子版2月号)
 
 
 

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