1991年8月10日         労働者の力             第24号
PKOへの自衛隊派遣を許すな

自衛隊承認問題に揺れる社会党

川端康夫


 ゴルバチョフとその新思考外交路線が刻印した東西冷戦構造の終わりとともに世界政治の構造は帝国主義が主導する「新世界秩序」維持の国際的警察統治機能の全面化という様相を呈しはじめた。湾岸戦争がその転機を象徴した。旧来の東西対立構造においては、反帝の闘いはその必然性に基づきソ連・中国のいずれかの力(政治的・経済的・軍事的な)に接近し、その闘いへの支援をあてにすると同時に、またそれらの闘争が一定程度ソ連・中国の統制力のもとにおかれるという関係が成立してきた。国際的「紛争」はしたがって、ソ連・中国の力と帝国主義の力の対立・駈け引き・妥協という文脈において、あるいは統制され、あるいは調整された。

 湾岸戦争と帝国主義の「新秩序」

 両陣営の衝突の最前線において、両陣営は軍事経済援助を競い、とりわけ石油生産からの収益を背景とした中東において、両陣営の援助合戦が果たしたのは、これらの地域における地域的覇権国家の育成を進めることであった。
 アメリカはイランにおけるパーレヴィ王朝独裁にてこ入れし、これをアメリカ帝国主義サイドに立つ地域的覇権国家へと仕立てあげようとした。他方、ソ連はボナパルティスト・フセインのイラクや同じバース党にありながら対抗関係にあるシリアなど、この地域総体が示さざるをえなかった反イスラエルの闘争にコミットしつつ自己の勢力圏を確立せんと努めてきた。
 イランのシーア派革命とその国境を越えた輸出の勢いに恐怖したスンニ派中心のサウジを先頭とするアラブ王政国家は、一方でアメリカ帝国主義との関係修復を、他方でフセインのイラクのアラブ覇権国家への夢をはぐぐませることにつながった。
 フセイン独裁政権の地域的覇権国家への展望は、まさに両陣営の抗争の間隙をついて進められることがはじめて可能であったのであるし、両陣営の双方、あるいはそのいずれかが全面的あるいは部分的に、容認・支援することが条件であった。
 ゴルバチョフとシェワルナゼのコンビによって展開されたソ連の新路線は、一九六〇年代後期以降の時期に推進されたソ連の国際的伸長、すなわち一連のアフリカ各地での一党独裁型社会主義政権の成立とアフガンへの派兵などがもたらした全面的な政治的・経済的行き詰まりからの脱却という性格をも含んだものであった。一党独裁と強権による統制経済ということだけが移植されたアフリカ各国においては、メンギスツのエチオピアが象徴するような運命に直面した。
 フセインのイラクとの「同盟関係」は、ゴルバチョフとシェワルナゼにとってはすでに意味あるものではありえなかった。フセインにとっての「勝利」の条件は失われていたのである。

 アメリカによる地域的覇権国家の育成

 東西対立時期の終わりという時代状況が示すものは、一方ではアメリカ帝国主義が自らの世界的覇権の完成をめざして、相も変らず軍事援助や武器輸出などの手法にもとづいて、自己に「友好的」な地域的覇権国家網を世界中にはりめぐらそうという政策を公然としていることであり、他方では国際的警察行動や軍事干渉を国際的な秩序維持の名目で展開していく方法の登場であった。イスラエル国家の存続保障をとりつけようとする中東和平構想もその重要な一部である。
 対抗勢力の不在という世界の現構造は、フセインのイラクが試みてきたような軍事的冒険主義が通用する余地をきわめて狭いものとしつつあるが、その反面、世界政治秩序が帝国主義の論理を軸心として形成されることをうみだした。
 軍事的冒険主義や軍事的テロリズムの手法がその余地を失うということは明らかに歓迎されるべき性質のものである。革命的、左翼的勢力にとって、独裁的政権が左翼、反帝を名乗って人民を抑圧し続けるというパラドックスが一掃される日が早ければ早いほど望ましいことは言うまでもない。そして、そうした疑似的反帝主義の政権が必然的に試みる軍事冒険主義の傾向に対してもはっきりとした指弾の声を上げなければならない。しかし、そこに登場してくる国際論理が帝国主義総体の共通利害にもとづく論理であり、またさらに現にアメリカが展開しているような、地域的覇権国家の育成の狙いが実は、トルコやシリアなどに代表される強固な人民への抑圧体制をしく諸国家であるという事実を無視することができない。
 ここに、アメリカ帝国主義の描く世界秩序なるものと、その「人権養護と民主主義防衛」という建前がとほうもない矛盾と混乱を繰り返すことが運命づけられてもいるのである。
 東西対立終了以降の世界構造は両陣営の正面からの対抗関係という姿をもたないながらも、世界的な帝国主義とその論理の矛盾の発言に対する人民、民衆の抵抗と対抗という基本構造によって規定され続けることは明白である。

 国際貢献策の真の狙い

 湾岸戦争がもたらした最大の影響は、フセイン独裁政権の軍事冒険主義への「国際的・警察制裁行動」が今後の国際秩序維持の基本パターンを形成した、との理解を拡大させたことである。いわゆる国際貢献論と国連機能への過剰な期待とが増幅しあって膨れ上がった。自衛隊の海外派遣が、国連機能のあらゆる水路を通じて追求、正当化される動きが拡大した。非軍事目的の災害救援活動から純軍事行動であるPKO(平和維持軍)への全面派遣までが当然の国際貢献として提唱されはじめた。
 しかし、この国際貢献論が主張する自衛隊=軍隊の海外展開論は内実において、アメリカ帝国主義軍隊とその同盟軍のイラク攻撃を必要なものと認めることから出発したものであるから、武力行使を前提とするPKOへの自衛隊参加の承認と自衛隊の(国連安保理決議にもとづく)多国籍軍的軍事行動との違いは事実上はないに等しい。最終的にはアメリカ主導の多国籍軍型軍事行動への公然参加を可能とするのが国際貢献論の本体にほかならない。現瞬間において本質的に問題にされているのは、多国籍軍の姿をとった国際干渉軍、「警察」軍への参加問題なのである。そのような多国籍軍はアメリカ帝国主義の意向に反してはいっさい実態化されないのである以上、現瞬間の問題は、国連機能を利用した日本軍隊の帝国主義国際同盟への全面参加問題にほかならない。
 PKOへの派遣と多国籍軍への派遣との間の距離は、憲法の制約を無視すれば、現在横行している論理にあっては事実上存在していない。
 憲法問題が社会党改革の論点になったことには十分以上の根拠がある。

 社会党「改革」と自衛隊論争

 地方選挙における自民党大勝と社会党の予想を上回る敗北という結果が、社会党内外における「現実対応」すなわち国際的警察行動(軍事力を使用した)への全面参加論に一挙的拍車をかけた。
 日本自衛隊=軍隊の全面的な海外展開の必要性を主張する傾向は、日本の軍備放棄を規定した現行憲法の最大限までの拡大解釈から改憲への幅をもって国際貢献論を主張する。自衛隊=軍隊の海外派兵が必要な、唯一の国際貢献の手段だというのである。
 こうしたなかで、自衛隊の解体再編という発想ではなく、自衛隊の承認という文脈が社会党内からも強力に浮上することとなった。各種の世論調査結果もまた、非軍事的国連協力や災害救援の枠でなら自衛隊「派遣」やむなしの方向を強めた。
 こうした論議の推移に乗って、自民党サイドは自衛隊PKO派遣を強行する構えに転じた。
 湾岸戦争以降の事態は、まさに国際貢献=自衛隊派遣の図式に転じたのである。
 社会党の土井委員長体制は「非現実主義」の集中攻撃を浴び、辞任に追い込まれることとなった。
 だが同時に、世論が軍事力行使に拒否反応を示しているように、社会党内部に「現実路線」への抵抗感が強いことも党首選挙に示された。
 土井委員長の次に、右派のチャンピオンである田辺を据え、一挙に路線転換を計ろうとした試みは、党内における重大な抵抗に遭遇した。田辺は四万六千三百六十三(五六・〇五%)を獲得し、対抗馬となった上田哲にかろうじて勝利したが、二十一の県が上田を上位にしたのである。
 委員長選挙が直接選挙としてなされたことの意味は大きい。これが党組織の代議制度による選出、例えば党大会の場であったならば、ほとんどの派閥が田辺を支持したように、圧倒的に田辺は勝利したであろう。委員長公選は直接民主主義の要素をそれなりに表現した。各派の対応も少なからず変化することになった。
 七月三十日に始まった社会党臨時大会においては、安保・自衛隊に関して、党改革案に対する十七道府県本部の修正案が提出され、ほぼ受け入れられた。とりわけ国連PKOへの対応は、明確に自衛隊とは別個の組織の創設によると修正された。
 事態は流動的であり、党員の多くと社会党支持層の多く、そして世論調査に示される圧倒的多くの民衆も自衛隊の軍事力行使への拒否反応を示しているが、しかし路線転換を掲げた田辺体制と党改革案の骨子は満場一致で採択されたことも事実である。一挙的転換は阻止されたが、歯止めをかけたにとどまったのである。転換は緩やかになるだろうが、田辺体制としての基本方向は変わることにはなっていない。
 国際貢献論=自衛隊海外派兵論を打破する闘いは、さらに重要なものとなったのである。

 PKOへの自衛隊派遣阻止の闘いを

 国連機能の最大の核心点はそれが明確にドイツ、日本を仮想した常任五大国の軍事同盟の構想を下書きにして発足したことであった。現実にこの軍事同盟構想=国連軍構想は東西対立のなかで現実化することはなかった。
 東西対立の終わりがこうした国連の五大国による軍事保障同盟をふたたび浮かびあがらせるであろうか。否である。アメリカ帝国主義は、まさに別の道を選択した。
 フセインのイラクのクウェート侵攻が引き起こしたものは、米ソのコントロールをはずれたイラクの軍事行動に対する安保理の役割を問うことでもあった。ゴルバチョフが、おそらくは苦し紛れに持ち出したであろう、一種時代錯誤の「国連軍」構想は、まさに五大国の対等の発言力の調整機能を引っ張り出そうとしたことであり、それは同時にイラクへの経済制裁などの非軍事的要素の活用に重心を置くこととも重なっていた。
 だが、ブッシュの選択は、アメリカ帝国主義による「世界新秩序」形成をおしつける、軍事力の即時全面投入と国連軍構想の拒否=多国籍軍というアメリカ帝国主義の同盟軍の形成であった。安保理はアメリカ帝国主義の強硬なごりおしに直面し、これを拒否するか否かを迫られた。すなわちアメリカ帝国主義の行動を、総会にかけることも考慮することなく安保理の手続きだけで、国連の名で追認し、正当化する役割を要求されたのである。
 だが、アメリカ帝国主義の安保理に対する高姿勢が、「五大国」の間に少なからぬ警戒感を与えたことは否定できない。カンボジア和平会議へのイニシアチブが国連主導から急速に中国とフランス、インドネシアの調整作業に非常が移ったことに示される。中国は明らかに、アメリカと日本の介入を回避する方向を選択し、ポルポト派支持の姿勢を変えた。フランスがイラク問題においてアメリカ帝国主義と距離を置こうとしてきたことも周知のことである。
 軍事力を集中した国際干渉軍としての多国籍軍は、アメリカ主導の国際侵略軍への転化と紙一重である。
 このような多国籍軍構想を国連は二度と承認してはならないし、また日本憲法の平和の精神が多国籍軍という方法と一致するということは絶対にありえない。まして、日本自衛隊=軍隊が、多国籍軍に参加・関与することは、決して許されることであってはならない。
 PKOへの自衛隊参加は、それがいかに本質を覆い隠す論理で粉飾されようとも、内閣法制局自身が認識するように、軍隊の海外派兵にほかならず、その真のゴールがアメリカ帝国主義との同盟軍である多国籍軍方式への参加であることを明確にしなければならない。
 明確に違憲存在である自衛隊そのものの解体と再編が全面的に検討され、提起されなければならないのである。それは同時に、自動的に日米両軍が緊密に協力する軍事同盟関係の解消に直結する方向にほかならない。
 PKOへの自衛隊派遣を阻止しよう。 七月三十一日


 お知らせ
第五回「労働者の力」公開講座

●九月七日(土)午後六時から
●東京・港区浜松町会員会館
「レギュラシオン理論について」
報告 織田 進
※テキストは「労働者の力」連載を使用

組織的課題は何か

                  郵政全労協結成される

議案書の特徴

 六月九日、京都市で「全労協・郵政労働組合全国協議会」(略称・郵政全労協)の結成が百人以上の結集でかちとられた。
 結成に参加したのは、八労組−北から郵政合同労組(宮城)、郵政ユニオン(関東)、郵政多摩合同労組(多摩)、横浜中郵労組(横浜)、郵政自立共生労組(大阪)、郵政連帯労組(兵庫)、郵政広島労組(広島)、郵政長崎労組(長崎)である。協議会の参加組合員は約二百人。
 結成総会では、全労協佐藤事務局長、電通労組全国協議会前田議長、四・二八被免職者の名古屋さん、大阪教育合同増田委員長、国労大阪の森村さん、大阪学校事務労組の浅倉さんがあいさつを行った。
 結成総会は、議案書の審議・採択の後、任期一年間の全国協議会幹事会を選出して成功裏に終わった。
 大会議案の特徴を議案書の抜粋によって紹介する。
 まず「提案にあたって」として、郵政全労協の結成へ至る経過が提起される。
「(1)同盟、JCによって体現されてきた右翼的労働組合運動の拡大と統一が「新連合」の結成をもって行われた。これに全逓をはじめ総評が自らを解体し、参加していったことは周知のとおりである。
 しかし、この労働戦線の統一は「統一」とは名ばかりで実は体制側(政府、財界)からする労働運動の弱体化、体制内化の攻撃であり、労働官僚による右からの分裂攻撃に他ならなかった。
 (2)こうした中で、国労、都労連を先頭に、総評運動の良い点を継承・発展させながら、闘う労働運動を構築しようとする全労協−全国労働組合連絡協議会が結成された。
 全逓の中からも、こうした全労協の結成を担い、あるいは参加せんとする闘いが全国で闘われた。全労協の結成を前後してこれまでいくつかの新しい労働組合が誕生した」
 次に、自らの立場と任務を以下のように設定している。
「(7)我々は現在、少数に甘んじている。しかし、「少数組合主義」ではない。少数ではあるが、闘いと運動において主流であり常に多数を獲得しようとしている。また、三〇万郵政労働者、下請け、パート労働者の指導部たらんとして闘い続ける。
 (8)以上述べたような現状と課題は労働組合の基本である自立・自闘と同時に、それと同等の重要性をもって、全国運動と全国組織の獲得を我々に要求している。
 (9)こうして連帯や共闘といったレベルを越えて、労働組合の「組織」としての全国的結集が必要となってくる。これに応えるのが、我々の任務である」
 さらにめざすべき労働組合の組織的性格についての方向性が示される。
「(10)全国各地に結成された労働組合は、各々、その結成に至る道筋、また結成の主旨・目標とするところは様々であり、当然綱領も規約も各々が期するところによって様々である。
 従って、各労組の闘う基調、重点課題も闘いのスタイルも各々特徴をもっている。これは当然にも尊重されなければならない。
 (11)ところで、かつての総評労働運動の限界と、今日の新連合のもつ反動性がともにその組織性格においても共通していることは、多くの指摘があるところである。
 企業別組合・産業別組合が必然的にもつ官僚主義、排他主義、非社会性、非政治性の根本的克服が労働組合の「組織論」として根本から討論されて久しい。
 たとえば、女性労働者・高齢者・身障者・パート・外国人労働者といった企業内の「弱者」に対する本工労働者の差別と敵対は、社会地域における差別構造と助長しあっている。これらは課題別な観点からだけでなく、よりマクロな視点から問題とされるべきであろう。
 どっぷり浸かってきた労働組合の常識、団結の質について根本から洗い直す作業がせまられている。
 (12)地域において、一つの企業の経営方針や施策は地域の住民や労働者にとって大きな影響ともつものであり、それによってもたらされる問題は、企業内の労資間にとどまらず、地域全体の利害の問題として解決されなければならない。
 企業の労働組合は自らの方針をそのような観点から立てなければならない。
 それは企業内要求にとどまらず、環境問題・教育問題・人口問題・物価・地方自治等々に対しても同様な立場が必要である。同時にこうした企業の労働組合の闘いに対する地域の連帯と有効な支援・共闘が必要となってくる。
 (13)こうして、組織方針の立場から、企業別組合の地域共闘(かつての地区労、県評等も)ではなく、地域に団結の基礎をおく労働組合への挑戦が求められている。全労協を真に時代を担う社会的労働運動の担い手として強化しようとする勢力はこの先頭に立たなければならないのは自明ではないだろうか」
 また、具体的な組織方針として、全逓の全国単一組織−中央集権化を前もって排除する方針が採用されている。たとえば、全国協議会費は、全組合員から等しく徴収するが、決定権は各組合平等となっている。すなわち参加組合の組織人数の大小によらず、百人の組合も三人も組合も同じ一票という考え方である。
 以下、「第五章 組織方針」の抜粋を紹介する。
「第五章 組織方針
 1 組織の建設と強化
 (1)機関の組織運営は、労働者民主主義・組合民主主義を基本として運営します。実際的には以下の要綱で運営します。
 @大会
 年一回開催し、実質的に全国討論交流集会とします。
 A中央委員会
 年二回開催し、幹事会+各労組代表で構成し、実質的に全国代表者会議=決定機関とします。
 決定の際、全会一致とならない場合、多数決とするが、反対意見を並記し、行動における留保・批判の自由を保証する。
 B幹事会(略)
 (2)組織の基本は、参加単位を労働組合とするが、下請け、パート労働者も含め、グループ個人の参加を妨げない。
 2 組織の拡大
 結成総会は「出発点」です。全労協と郵政全労協を支持する全国の仲間たちは、私たちの闘いに注目しています。
 (1)(略)
 (2)下請け・パート労働者、外国人労働者の組織化をかちとります。
 (3)女性労働者の組織化を実現します」
 議案書討論では、「賛成、支持」の意見表明が大勢であったが、補強として「障害者と現場で連帯できる労働運動を」、「四・二八闘争を全逓に代わって担うべき」などの意見が出された。
 最後に長谷川議長(郵政合同)をはじめとする幹事会を選出して総会は終了した。

結成までの背景と経過

 郵政全労協結成の背景は、連合に反対し、全労協の結成を前後して全逓から独立してつくられた六組合、すでに合理化・集中処理局建設の過程で結成された横浜中郵労組、全逓の韓国労総招待に抗議し統制処分を受けて結成された大阪郵自労が合流したものである。
 これらの組合の合流は、活動家の結集体である郵政全協(全身は労働情報大阪集会から生まれた郵政労働者交流会)の討論と交流・共同闘争の中から確認され、追求されてきたものである。
 全労協への加盟を前提とし、「全労協の強化と闘うナショナルセンターの建設」を方針とするが故に、二〇年の闘いの歴史をもつ全福郵労、埼玉浦和の遊生ユニオン(一九八九年、当局の監視労働を不当労働行為として中労委に救済申請、全逓本部がそれを認めず統制処分、脱退・独立した)は参加していない。ただし、この二労組と八労組の交流は年二回のペースでもたれている。
 一方で、個人加盟の活動家集団・郵政全協のメンバーすべてが独立労組の旗を立てて郵政全労協に結集したわけではない。むしろ拠点といわれてきた地区、職場で全逓にとどまっているケースがいくつかある。それは、交流誌「伝送便」の読者層においてより顕著である。
 「郵政全協」は、独立し全労協に結集しこれを強化しようとする闘いを、組織戦として担ってきた「郵政全労協」と、全逓内にあって左派−反対派として生き、闘い続けようとするグループとの二つをかかえている。郵政全協はこの間、こうした二つの流れを「内外呼応して連合を撃つ」「車の両輪」と表明してきた。
 決然として旗を立てた郵政全労協は、全国に大きな波紋をつくったけれども、また、その門出は困難をいくつもかかえたものであるのだ。

郵政全労協の提起

 いま述べた郵政全労協の困難とは、とりもなおさず郵政全労協の今後の課題ということである。
 全国協議会として発足し、掲げた方針課題は幾多あるが、ここではその組織方針の方向性にかぎってのみ問題を提起してみたい。
 一九八九年、連合の発足と全労協の結成という日本労働運動の大きな節目にあって、この事態をどのようにとらえ、どのように闘うのか、大きな分水嶺であったといえる。
 しかし、産別的にみるなら、全逓は全体として連合の推進部隊であり、それに反対する勢力は少数であり、かつ分断させられていた。国労の修善寺大会や都労連のように、左派が一致団結して組織全体の攻防戦を勝利的に闘うというような状況にはなかったのである。
 「連合に反対し、全労協を建設する」とは、全逓の戦線にあってはまずは「少数で独立する」決意と準備が前提的に求められた。すなわち「組織を割る」ことが「悪」だとする民同の常識からの飛躍がせまられた。
 一方では全逓内左派には、「伝送便」や反原発・ピースサイクルに代表されるような大衆運動の一定の広がりが形成されていた。こうした部分の多くは、労働戦線の再編を「重大な事態」「組織戦の要」として認識する傾向が希薄であった。総評−全逓であれ、連合−全逓であれ、自らの大衆運動が保障されれば大きな問題ではないし、職場で多数の全逓に依拠した方がより運動の大衆化が図れるとする立場である。これは、全逓左派で頑張り、連合内部から「左バネ」を動かそうとするもう一つの立場と共同歩調をとっている。
 このように郵政労組全国協議会は、議論を尽くし、万全の態勢で結成されたわけではない。議案書にもあるとおり、「出発」の第一歩を記したにすぎない。しかし、この第一歩なくして郵政における闘いの階級的労働運動の始まりはないのである。
 なぜか。それは、運動において原則的に闘おうとする唯一の勢力であること(現に郵政省当局からの弾圧が集中している−詳細は別途報告)、第二に郵政内において他に労働運動の階級的統一をめざす潮流(日本共産党も含めて)がないこと。第三には、全逓運動が労資協調と中央集権、官僚化を強める中で職場にあって良心的な活動家を結集しうる唯一の旗であること。すなわち、こうして闘いと運動において常に主流であることによる。
 活動家集団の「郵政全協」が掲げる「内外呼応して連合を撃つ」方針が、全労協−独立組合群と全逓内活動家の合意にもとづく任務分担ではなく、分裂を避ける苦肉の表現であることは誰もが承知している事実である。
 しかし、この矛盾と困難を切開し、止揚するエネルギーと方針を活動家集団はもちようがない。その任務を引き受けているのは、労組全国協議会と、その闘いであろう。「新しい酒は新しい皮袋に入れなければならない」のである。
 そのためには、全国協議会は、闘いと運動において主流であり続けると同時に、多数派をめざして闘わなければならない。いま、郵政全労協は、三〇万郵政労働者・下請けやパート・外国人労働者の物見であり斥候である。「出発点」とはそういうことであり、大衆とともに闘って真に全国の指導部たるために闘うことが必要である。
 では、具体的にどのように闘うのか。それは郵政全労協の活動方針を一つひとつ実践することである。前述のとおり今回は、組織方針の面からのみ報告したので、具体的な運動課題、実践についての報告は別途後日にする。都川敬作
一九九一・八・一
社会主義連合準備会結成さる

(1)

 自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合(Socialism Now)に向けた準備会が発 足した。
 七月二十−二十一日の両日、静岡県で開かれた準備会は宮城から福岡までの地域から約三〇名が呼びかけ人や賛同人あるいはオブザーバーとして参加し、活発な討論を経て、準備会の正式発足を確認した。さる五月にもたれた準備会懇談会での確認のもとに作業を進めてきた作業委員会から小野寺、石森さんが司会となって七月二十日午後二時から開始された準備会は、最初に「いまなぜ、そしてどのような社会主義」かをめぐる報告を受け、互いのイメージを深めることから始められた。新時代社の国富さん、工人社の白川さん、そして全国一般南部支部の渡辺さんが報告した。国富さんはオブザーバー参加であるが、長く準備討論に加わり、作業委員会のメンバーであり続けてきた。国富さんの報告は、社会主義の伝統的概念を可能な限り維持・防衛しつつ、その中で大胆な転換の可能性を否定しない、という立場でなされた。
 白川さんは社会主義連合提唱当初からの中心メンバーであり、大胆の社会主義像の見直しの立場から、レギュラシオンや社会民主主義ではない社会主義運動を展望する立場の報告であった。
 渡辺さんは Socialism Now の名付親であり、呼びかけ人である。報告はポストフォー ディズム論争にコミットしつつ、日本資本主義批判の視点をさらにとぎすます必要性を強調した(報告の要旨は準備会ニュースレター第一号に発表される)

 次に準備会は、来年春に予定される正式結成にむけ、組織的ありよう、活動内容のイメージなどをさらに深めながら、それぞれの立場、見解の表明を交えながら翌二十一日の午前中の討論を行った。呼びかけ人の作業グループメンバーの朝日さんからの報告をもとに結成さるべき政治連合活動への具体的アプローチを討論した。時には激論を交えながら、さらに深めるべきものは継続討論としつつ、準備会として、世話人会と事務担当グループを選出し、また準備会のニュースレターを発行し、賛同人の拡大を進めることを確認した。
 また呼びかけ人である、いいだももさんからのPKO法案阻止を中心とした緊急行動が急務との提起が全員一致で確認された。

(2)

 社会主義連合にむけた討論は、ほぼ三年余にわたる経過をもっている。全国各地で様々な形態の運動を展開し、また政治的見解や傾向を違えながらも共同の行動を積み重ねてきている広がりに基礎をおいて、自立派のあるいは草の根レベルの政治の全国的結合を進めようとする社会主義連合への呼びかけは、現実的な組織形成イメージなり社会主義それ自身のイメージなりに関する錯綜した討論に遭遇しながら進められる必要があった。討論への参加者、団体にも変遷があった。
 急速に展開した東欧・ソ連における「社会主義の敗北」をいかに理解するかにはじまり、なぜいま社会主義なのか? 社会主義の時代は終わったのではないか? という率直な疑問に向き合い、そして新たな社会主義像とその運動の内実を模索する−−言葉で記せば簡単ではあるが、二〇世紀の大半を歴史に刻み込んできたソ連・東欧社会主義の崩壊と解体に立ち向かう作業は、互いの一致点と相違点を不断に確認しながらの協同作業を実現する意思をもつことからはじまるものである。
 今回正式に準備会を発足させることになった前提には、東欧、ソ連、そして中国天安門の衝撃が共有されていた。組織に関する考え方も、様々とはいえ、おおむねレーニン主義タイプを脱却する方向が共通であろう。
 ある種の統一戦線と自己規定する以上ではない政治連合であるが、レーニン主義から自由になったところで、次はいかなるものをめざすのかについては、いまだ明確なものを提示する段階には遠いことも素直な現実である。
政治、理論、組織、運動のすべての方面において、既成概念からの離脱を意識しているにすぎない段階である。
 だが、過去の時期に直面してきた「マルクス主義の危機」への認識は、フェミニズムとエコロジーに対するマルクス主義者主体の立ち遅れと旧来の政治的、組織的あり方の再検討を逃れられないものとしている。また東欧・ソ連社会主義の危機と解体、そして天安門事件を持続しなければ存続できない中国社会主義国家への根底的な批判の視点なしには一歩も進むことはできないのである。
 社会主義連合は、あらためて正面から社会主義を主体的に再生させつつ、資本主義体制に巻き込まれ、無批判的随伴者としての道を拒否しぬく日本における政治の復権の闘いを担おうとするのである。(K)
ポーランド資料センター10周年記念シンポジウム
                [ソ連・東欧]資料センターへ新たな出発

 七月二十一日、東京・学士会館で、ポーランド資料センターの10周年を記念し、さらに、その幕を閉じ新たな出発を期するシンポジウム「ポーランド『連帯』の10年――社会と人間――」が行われた。参加者は約五十人。
 最初に代表幹事の工藤幸雄さんから「任務を終えて」というあいさつがあり、つづいてポーランド共和国大統領のレフ・ワレサ、独立自治労働組合「連帯」委員長のマリアン・クシャクレフスキ、政党の社会民主運動議長、ズビグニエフ・ブヤクからのメッセージが紹介された。
 特別報告は幹事の梅田芳穂さんによる「ポーランド 昨日今日」であった。市場経済導入後の現在のポーランドの経済や政治の状況を報告した。市場経済導入後の相当の危機的状況を乗り越えて経済の面では物資が豊かになり、安定した状態になっていることが強調され、政治の面では多数の政治組織が結成され、緊張関係を保ちつつも、事態は楽観的であるとの報告であった。
 10分間の休憩後、パネル・ディスカッション「ポーランド『連帯』の10年――社会と人間――」に移った。コーディネーターは塩川喜信さんで、「人間」の側面を強調する問題意識の理由を説明し、パネラーからの報告に入った。「現代史からの視点」(伊東孝之)、「なぜ社会主義は崩壊したか」(工藤幸雄)、「『連帯』に見る民衆革命の思想」(前野良)、「ポーランド『連帯』の10年」(水谷驍)の報告がなされた。
 コーディネーターから論点として、伊東さんの報告にあった「社会的実験の終わり(千年王国的イデオロギー、社会の生体実験の終焉)」をどのように考えるのか、すなわち社会主義がそもそも実現不可能な夢であったのかいなか、という点と、一九八九年後のソ連や東欧における事態の進行、歴史にかかわる主体の現状、あるべき姿、今後の展望をどのように観るのかという点が提起された。会場からユーゴスラビアを研究している岩田さんが、ポーランドとユーゴスラビアとの革命過程、宗教、民族構成などの違いを指摘しつつ、後者の労働者自主管理の意味を問い直す必要を発言した。
 この問題は容易に解答の出るものでなく、参加者各人に問題を提起した形で討論は終わった。
 最後に事務局長の水谷さんが「ポーランド資料センターの10年――総括にかえて――」と題して、20項目からなる総括文書にもとづいて10年間の活動を振り返り、「連帯」の10年間にほぼ同時代的につき合えたこと、その意味で一つのプロセスが終了したことと、「連帯」がとりわけ戒厳令後に獲得した国際性を強調した。そして新たに発足する[ソ連・東欧]資料センターへの協力を訴えた。
 「この10年間の活動を通じてポーランド資料センターの周りに蓄積された認識、経験、個人的・組織的繋がりは、ソ連・東欧地域の今後、さらには現代世界が直面するさまざまな問題の考察、研究に積極的に活かしてゆくことによってさらに豊富化されよう。そのような試みの一つとして、ポーランド資料センター関係者の多くが新設の[ソ連・東欧]資料センターの活動に携わる」(文書、総括にかえての第18項目)
 [ソ連・東欧]資料センターは、季刊誌『Quo』(ソ連・東欧地域の資料・情報誌、季刊、A5サイズ、平均一六〇頁、定期購読料年間六千円)を発行する。連絡先は、〒164東京都中野区東中野一―二二―二一 曙マンション二〇三号 アトリエみ/ゆ пZ三―三三六一―三〇〇六。

資料
[ソ連・東欧]資料センターの設立にあたって


 一九八〇年代はソ連・東欧地域にとって激動の時代であった。激動は一九九〇年代に入った今もなお続いている。
 同時に、米ソ二大国支配の国際政治の崩壊がすすみ、世界の新しい枠組みが求められている。そこへいたる過渡期の危機と混乱を象徴したのが一九九一年初頭の湾岸戦争であった。
 ソ連・東欧地域では、とくに一九七〇年代の後半から、自由・人権・平和・環境などの問題を中心にさまざまな闘いが繰り広げられてきた。これらの闘いを背景にして、一九八〇年夏、ポーランド「連帯」の運動が登場し、これが新たな出発点となった。「連帯」の運動はポーランドの共産党支配を揺るがし、ソ連のゴルバチョフ改革を促し、ついには一九八九年秋の東欧における大規模な大衆運動を導き出した。こうして、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ルーマニアで各国共産党の一元的支配体制があいついで倒れた。ユーゴスラヴィア、アルバニアでも旧体制の没落は急である。市民生活の破局に直面してさまざまな民族と社会集団が発言を強めているソ連でも、これまでの体制は急速に崩壊しつつある。
 これからソ連・東欧地域はどこへ向かうのか? 過去との決別の意志を固めて、多元主義にもとづく政治・経済・社会の新しい仕組みの模索が始まっている。その今後の方向性に全世界が注目している。行く手は多難である。できあいのモデルは存在せず、世界が全体として直面する地球規模のさまざまな問題の解決が同時に問われているからである。
 激動と混迷のなかで探求と模索が続く。われわれは、ソ連・東欧の各地域、各国の多様な言論・理論・思想・運動を追究し、その政治と経済、歴史と伝統、文化と芸術などの検討をつうじて、二一世紀を間近にした現代世界の新しい方向を探ろうとする。
 一九九一年六月一日
  [ソ連・東欧]資料センター
 運営編集委員会
加藤一夫 川原彰 工藤幸雄 佐久間邦夫 篠崎誠一 武井摩利 武隅喜一 長與進 前野良 水谷驍 矢田部順二 湯川順夫

会員としてご協力ください
 なにとぞ、会員としてご協力ください。
 会員は、季刊誌『Quo』の無料配布を受け、所定の料金でセンターの設備、資料、サービスなどを利用できるほか、センターが主催する研究会や講演会、シンポジウムなどの催しに優先的に参加できます。
 会費は、年間一口一万円とし、一口以上をお願いしています。

季刊誌『Quo』の定期購読を
 マスメディアが伝えるソ連・東欧関係の資料・情報につねに物足りない思いをされている方のためのソ連・東欧地域専門の資料・情報誌です。
 ソ連・東欧の激動を担うさまざまな運動の理論と思想を多面的、系統的に紹介します。
 一九六〇年代、一九七〇年代、一九八〇年代に反対派、異論派として闘いを進め、今日、激動の最先頭にたつ人々との直接のネットワークを通じて、またソ連・東欧地域各国の内外で刊行される資料・情報誌の協力も得て、幅広い資料・情報を提供します。
 全国各地の主要書店でも販売しますが、直接、定期購読していただくのが確実です。
 定期購読料は年間六、〇〇〇円(A5サイズ、平均一六〇頁、年四回発行。送料を含む)。

会費・定期購読料・カンパの払い込み先
第一勧業銀行中野支店 支店番号一七四 口座番号一二六六七八〇
三菱銀行東中野支店 支店番号一五二 口座番号〇四九六四九八
(いずれも ソ連・東欧資料センター名義 普通預金口座)
郵便振替口座:東京五―五五五一一七 ソ連・東欧資料センター

国際署名運動はじまる

キューバ連帯アピール

 現在のキューバでは、三〇年間もつづくアメリカの経済制裁と、ソ連・東欧との貿易の劇的な減少とがあいまって、きわめて厳しい状況が生まれています。
 物資不足は日毎に強まっています。保健・衛生と教育という疑いもない革命の成果が脅かされています。
 キューバの厳然たる民主主義の不十分性に対する批判が、人権の名において行われています。しかし、この人権の名による批判は、この国を経済的に困難に追いやる権利を意味するものではありません。
 ここに署名したわれわれは、キューバの体制についてそれぞれに違った意見をもっています。しかし、キューバの人々を経済的に飢えさせることによって、この体制を打倒しようとする目的をもった状況をともに非難するものです。
 世界超大国による一方的なこの攻撃は、キューバの人々の自由を決してもたらすものではありません。
 したがって、われわれは、キューバの人々の生活と尊厳を攻撃するこの経済封鎖の中止を要求します。
       一九九一年七月
 第一次署名者
ローラン・リュー、フランソワ・マスペロ、ジーュ・ペロー、アントワーヌ・コム、ガイロー、シーヌ、シーリー・ジャンケ、ジロー・デラ・プラデュ、ポール・アントニオ・パラナガ、ミッシェル・レイ、ジャネット・アベル、ディディール・デーニンク、ミッシェル・ルーウイ、コスタ・ガブラス、ジャン・シンジャー、ダニエル・シンジャー、ピエール・ブロシュー
トロツキー研究所第1回研究会開く  「戦争とインターナショナル」を題材に

大胆にトロツキー論を展開


 七月二十七日夜、東京・飯田橋の家の光会館で、トロツキー研究所の第一回研究会が開かれた。大阪から幹事の藤本和貴夫さんが参加されるなど多彩な顔ぶれで、約三〇人が参加した。
 報告は幹事の一人である若き研究者西島栄さんが担当し、トロツキーが一九一四年の夏、第一次世界大戦勃発直後に執筆した『戦争とインターナショナル』を題材にして、トロツキーの思想を評価した。
 『戦争とインターナショナル』は、戦前の日本においては『ボルシェヴィキと世界平和』などの題名で五種類ほどの翻訳がなされ、革命ロシアの国際路線を代表する論文として扱われたものである。
 西島さんの報告は、まず第一にこの書がボルシェヴィキと対立する立場にあったトロツキーによって執筆されたこと、執筆当時はレーニンはまったく無視の態度であったこと、しかしロシア革命勝利後はボルシェヴィウムの代表的文献として全世界に広がったという経過を述べた。
 以上の経過から西島さんは、レーニンがトロツキーの論調に歩み寄ったことを明らかにし、トロツキーの立場の背景となっているパルブスの影響を述べつつ、最大の特徴が「ヨーロッパ合衆国」のスローガンであると報告した。
 ついで、レーニンの立場とトロツキーのそれとを比較しながら、レーニンの体系とは別個なトロツキーの体系を浮き彫りにし、レーニンが「革命的一国主義者」であり、「啓蒙主義者」、「段階論者」、「革命的定数論者」そして「結合なき不均等発展論者」であるに対して、トロツキーは「国際主義者」、「過渡的綱領の弁証法論者」、「革命的代数論者」、「結合する複合的発展論者」であると特徴づけた。
 その結論において西島さんは、トロツキーが後年スターリニズムとの闘いの重圧を受けて、レーニンとの違いを極力小さなものとして印象づけているが、違いは体系的であり、トロツキーが基本的にイニシアティブをもちレーニンがそれを受け入れるというのが基本的な両者のあり方だったと報告した。
 西島さんは例をドイッチャーの分析にひいて、「革命的祖国敗北主義」と「勝利でもなく敗北でもなく」との違いをドイッチャーはプロパガンダの重点の違いとしているが、それはまったくの誤りであり、レーニンが革命的一国主義でありトロツキーが国際主義であるという相違点を特徴的に表現する対立だと主張した。
 だが同時に、西島さんはレーニンのすぐれた特質にもふれ、転換と飛躍の人であり、いわゆる教条的・形式的レーニン主義とはもっとも無縁な特質をもっていたと評価した。
 こうした西島さんの提起と主張は、旧来のレーニンとトロツキーの関係の理解、解釈に大胆なメスを入れ、両者の関係を逆転的にとらえようとするものであった。したがって、参加者の多くから当然にも批判や異議の見解が出されたのだが、西島さんはそれらの従来からの「常識的理解」こそが偏見によるものだと強調した。
 私はレーニン主義やトロツキーの立場への理解の視点から共感しうるところが多かった。スターリニズムからの脱却を意識する立場としての西島さんの斬新な研究と提起に対して、主観的にはトロツキズムとの理解に立つ立場からの批判や異議が、多分に保守主義と感じられたことを最後に付け加えておこう。
 次回研究会のテーマは、今回できなかったトロツキーの『われわれの政治的課題』が予定され、研究所の正式発足会である十月十九日(土)に予定されている。(K)

低開発の理論 1

1開発と低開発・パラダイムの転換

織田 進


両極的発展としての資本主義

「植民地」は、現代の最も先鋭な現実である。
 古典的な意味の「植民地」が政治上で解消されていても、経済的・文化的・社会的な「植民地」は、その悲惨さを何一つ失うことなく、さらに新しい形態の貧困と抑圧を日々産出しつつ、執拗に今日の現実にとどまっている。一方に、浪費と破壊の繰り返しの中で肥大していく高度工業文明があり、その受益者たちが飽食の宴にふけり、他方に疲弊し痩せさらばえていく巨大な人間の集団が吹きだまっていく都市がある。帝国主義の構図ははじめに登場したときの醜悪をいささかも減じていない。資本主義世界経済の「発展」は、「両極的発展」(湯浅赴男『第三世界の経済構造』)である。
 高度の工業化されていく文明の対極に、矛盾の坩堝としての「低開発」が拡大していく。「低開発」を克服するために「開発」が提起され、その「開発」が新たな荒廃を生み出す。このような現代の構図は果たしてどこからきているのか。「低開発」は「開発」によって克服されなければならないという論法には、根拠があるのか。マルクス主義は、この問題についてどのような説明をしてきたのであろうか。いいかえれば、マルクス主義は、「成長」ということをどのようにとらえてきたのであろうか。
 反帝国主義の革命的闘争との実践的関わりの中で、一群の理論家が新たな発言を始めたのは、一九六〇年代後半以降の、ベトナムに始まる世界的な反帝国主義闘争の高揚を背景としてであった。そこには、パラダイムの転換ともいうべき根本的問題提起が存在していた。
 誤解を恐れずに簡略化して言えば、それは、あらゆる国家が文明の発展の同一の継起的段階を順次たどっていく単線的過程として歴史をとらえるべきではないという主張であった。この継起的発展のとらえ方は、低開発諸国の「低開発」の現実を、高度に発展した工業化された文明に到達するために、遅れて出発した社会が当然くぐり抜けなければならない一段階としてとらえることを強制する。
 マルクス主義にも、この継起的発展理論と同種の史観が常識化されていて、それによれば、人類史は生産力の発展とともに、原始的共産主義の段階から奴隷制的・古代的段階へ、封建制段階へ、その後資本主義化を経て、社会主義・共産主義へと、多かれ少なかれ各国ごとに「発展」していく法則性を内在させている。
 だが、これらの新しい理論家たちは、この文明の成長と発展に関する継起的段階の理論自体に疑問を提出した。「低開発」は果たして開発の前段階であろうか。そうではなくて「低開発」自体が、開発の生産物ではないのだろうか、と彼らは問う。

 中枢と衛星

「次のような説をよく聞かされる。すなわち、経済発展は資本主義の諸段階を連続的に追って進むのであって、今日の低開発諸国は、今日の先進諸国がずっと以前に通過した一歴史段階(場合によっては、最も原始的な歴史段階)にあるものだという。しかしすこしでも歴史に通暁するならば、低開発とは原始的な段階でも伝統的なものでもないこと、そして低開発諸国の過去や現在は、現代先進諸国の過去とはいささかも似ていないということは明らかである。現代の先進諸国は、かつて未開発だったということはあるかも知れないが、低開発だったということは決してないのである」(A・G・フランク『世界資本主義と低開発』。)「低開発」が「開発」の前段階でないとすれば、それはいったい何か。
「発展と低開発は、資本主義の単一ではあるが弁証法的に矛盾した経済構造・過程の産物である点では同じものである。だから両者は俗に言うように、異なった経済構造・体制の産物と見ることも、同じ体制内の経済成長段階の相違の産物と見ることもできない。資本主義の世界的拡張・発展という同一の歴史的過程が、経済発展と構造的低開発の両方を同時に生み出したのであり、今も生み出しつつある。現代の低開発は、大部分、過去も現在も続いてきている低開発的衛星諸国と先進的中枢諸国の間の経済をはじめとする諸関係の歴史的所産に他ならない。しかもこれらの諸関係こそ、世界的規模での資本主義体制の構造と発展の本質的部分をなしているのである」
 開発と低開発は、資本主義の世界化の過程における支配的体制としての中枢と、その支配に衛星として組み込まれていく従属的体制とが向かい合って「発展」していく構造の、両極に他ならない。フランクの描く世界は、このようにいわば中枢−衛星の宇宙として広がり、あらゆる「低開発」は中枢が支配する秩序に包摂されている。
「本論の一つの主要テーゼは次の通りである。世界資本主義体制の主要中枢センターから最も『孤立』した農業労働者にいたるまで、同一の構造が貫いている。農業労働者は、この何段階も重なった中枢−衛星関係の連鎖によって、世界中枢につながり、それでもって世界資本主義体制全体に包摂されている」
 この構造としてのモデルは、「低開発」を内と外の矛盾としてとらえている。外としての中枢が、内としての衛星を支配、従属せしめる。したがって、そこでは、一国内的な資本主義的搾取・被搾取の関係自体がそこに従属し、その内部に包摂させられるより包括的な収奪、一国経済の全体に対する外部経済の支配としての「経済余剰の収奪」というより上位の収奪関係が成立している。「中枢国は自己の衛星国から経済余剰を収奪し、それを自己の経済発展のために流用する」。
 中枢−衛星関係の国際的な成立は、衛星諸国自体における中枢−衛星関係を内部構造として生み出す。「資本主義の諸矛盾は国内段階で再生し、国内中枢には発展に向かう傾向を、国内衛星部には低開発に向かう傾向を生むにいたる」。国外中枢が、衛星の経済余剰を収奪する関係が、国内中枢と、国内衛星部との関係として再生する。このようにして、世界全体が中枢−衛星構造となる。
 中枢・衛星構造が成立している現代資本主義の世界では、低開発諸国がいずれ高度に工業化された自前の文明とその基礎としての経済を所有するにいたるという展望は幻想にすぎない。現代世界の資本主義経済に組み込まれた低開発諸国は、資本主義的発展の世界的過程それ自体の中で低開発化され、「開発」の経済的可能性そのものが収奪されてきたのであり、そしてこの収奪の関係が構造化されてきたのである。したがって、低開発諸国が低開発から逃れるただ一つの道は、この中枢・衛星構造そのものを打破すること以外にない。しかもその道は、国内中枢に対する国内衛星の反乱から始められなければならない。なぜなら、国内衛星部において貧困と抑圧を一身に背負う人民こそ、中枢−衛星の世界的構造における最も革命的な部分であるからである。このようにフランクは主張する。
 フランクのこの主張は、現代世界における「発展」の不均等性と「開発と低開発」の複合的同時性とを統一的に把握することを可能にするモデルを提起したという大きな意義を持っている。だがそれは、未だモデルであるにすぎない。モデルが対象の把握を容易にしたからといって、モデルがモデルとして成立する原理が明らかになっているとまでは、直ちにはいえない。

 周辺資本主義構成体

 S・アミンは、フランクのモデルが提出した問題領域にさらに踏み込んで、低開発の問題を資本主義的生産様式の本質に関わる問題、世界的規模における資本蓄積の問題として解明しようとした。
「<発達した>、すなわち開発世界(中心部)の構成体と、低開発世界(周辺部)の構成体との関係は、価値の移転によって清算される。そしてそれが、世界的規模における資本蓄積という問題の本質を構成する。資本主義的生産様式が前資本主義的生産様式と関係を持つときには常に、資本の本源的蓄積のメカニズムの結果として、前資本主義的生産様式から資本主義的生産様式への価値の移転が生じる。このメカニズムは資本主義の前史に固有なものではなく、現在においても同様に存在する。世界資本蓄積論の領域を構成するのは、様相は一新されているが、執拗に中心部に有利に働く資本の本源的蓄積の諸形態である」(S・アミン『世界資本蓄積論』)
 アミンによれば、中枢・衛星関係としての低開発の構造は、資本主義的生産様式に本質的に固有の蓄積のメカニズムが、その世界的発展段階において展開されているものである。資本主義が非資本主義的生産様式と接合するときの蓄積のメカニズムは、「本源的蓄積」である。資本主義の世界的発展の段階においては、世界的規模における資本蓄積は、周辺部に中心部と同一の生産様式を持ち込み、成立させることによってではなく、決定的に中心部に依存しつつも、非資本主義的な諸生産様式との独自の接合の形態として周辺的な資本主義構成体を形成する事によって、その収奪の構造、すなわち「本源的蓄積」の構造を永続化しようとする。「<低開発>や<第三世界>などのまちがった概念は放棄され、周辺資本主義構成体という概念に置き換えられるべきである」。
 中心部が、必然的にこの方向に展開していくのは、次の理由による。
「この体制の増大する基本的矛盾は、実際利潤率の傾向的低下によって表現される。世界的規模においてこれに対抗する方法がただひとつだけある。すなわち、剰余価値率を引き上げることである。ところで周辺部においては、その構成体の本質によって、中心部の剰余価値率よりも大幅に引き上げることができる。その結果、相対的な意味では、周辺部のプロレタリアートの方が中心部のプロレタリアートよりも、増大する搾取に耐えることが可能である」
 世界的規模の資本蓄積が周辺部における「本源的蓄積」へと向かっていくのは、アミンによれば、中心部における利潤率低下の趨勢に直面する資本主義が、周辺部においてより高い剰余価値率を実現し、利潤率低下に歯止めをかけるためである。この論拠が本当に成立するかどうかについては、議論の余地があるとしても、そのこと自体が、新しい問題を提起することになる。
「もし周辺部から中心部へのこの価値移転によって、中心部の労働報酬が、周辺部なくして得られたものよりも大幅に増加することになるなら、中心部のプロレタリアートは、世界の現状を維持するためにそれ自身の連帯することを要求されるのではないだろうか」。同様に周辺部のプロレタリアートは、中心部に対抗する周辺部ブルジョアジーとの連合を追求するべきであろうか。
 これに対してアミンは次のようにこたえる。
「資本主義的生産様式についての議論の枠内にとどまっている限り、物ごとはたいへん簡略である。しかしながら、資本主義は一つの世界体制となったのであり、<ナショナルな資本主義>の併存というものではない。したがって、資本主義を特徴づける社会的矛盾は、世界的規模の次元で存在する。換言すれば、その矛盾は、それぞれ個別に考えられた各国ブルジョアジーとプロレタリアートの間にあるのではなく、世界ブルジョアジーと世界プロレタリアートとの間にあるのである。したがって問題は、誰が世界ブルジョアジーであり、誰が世界プロレタリアートなのかということになる。」
 世界ブルジョアジーの位置づけに困難はない。それは主として中心部のブルジョアジーであり、中心部ブルジョアジーに追随して周辺部で形成されつつあるブルジョアジーである。これらの階級は、従属の関係にあるが、階級的に一つの戦線を構成する。ところで世界プロレタリアートはどこに存在するのか。マルクスの時代には、プロレタリアートの根本的な核は中心部にあった。だが今日では違っている。今日では、プロレタリアートの中核はもはや中心部にはなく、周辺部に存在している、とアミンは言う。
「周辺部ブルジョアジーと同じく、周辺部プロレタリアートも種々の形態をとる。それは単に、または主として、近代的大企業の賃金労働者からなるのではない。世界的な交換に組み込まれ、そのために中心部と周辺部間の剰余価値率の相違にみられる不等価交換という代償を都市プロレタリアートと同じように払っている多くの農民もまた、その一部を構成しているのである。社会組織のいろいろな形態(しばしば<前資本主義的>な様相を呈する)が、このような農民集団が存在している枠組みを構成しているにも関わらず、結局のところ彼らは、世界市場に統合されることによってプロレタリアート化されている。世界市場はまた、周辺部の構造(より高い剰余価値率の条件)が含む増大する都市の失業者の群れによっても構成されている。『自らを縛る鎖以外失うものは何もない』のは、現在の世界におけるこのような集団なのである。明らかにこれはまた、周辺部におけるプロレタリアートの<未完成な>形態でもある」
 プロレタリアートの概念自体が変わらなければならない。真に革命的なプロレタリアートとは、マルクスの時代に自明とされてきたプロレタリアートではない。階級闘争に関する、プロレタリア革命に関するマルクス主義的な伝統的定式は、資本主義の全面的な世界支配とともに、再検討の対象となったのである。
 このようにしてアミンは、資本主義を一つの世界体制としてとらえる立場に実践的に立つことができると考える。だがこの理論の特徴は、やはり基本的に、矛盾が内と外の対立として描かれていることである。低開発資本主義、あるいは周辺資本主義構成体そのものを内側から見つめ、その矛盾を解明するための基本的な方法が十分に提出されているとはいえない。周辺部の人民自身が、どのように自らの未来を建設していくかという観点に関わって、問題は半分しか解明されていないという疑問をぬぐい去れないのである。


 「世界経済」としての資本主義
 
I・ウォーラーステインによれば、歴史上の世界はそもそも「世界帝国」であるか、「世界経済」であるかのいずれかである。資本主義は一六世紀のヨーロッパに登場し、「世界経済」への歩みを開始した。それ以後の歴史は、この資本主義が世界システムとしての「世界経済」に確立されていく過程であり、一九世紀と二〇世紀においては、世界はただ一つの世界システムとしての資本主義世界経済である。今日においては、どの辺境であろうと、世界システムとしての世界経済の一部分としてのみ存在が許されている。ソ連・中国などの「社会主義」諸国家も、それぞれ「世界経済」としての資本主義の内部にしかるべき位置を与えられている。
「世界経済における三つの構造的地位、中核・周辺・及び半周辺は、一六四〇年頃までには固定化した。特定の地域がある地位になり他の地位にならなかった事情には長い歴史がある。鍵になる事実は、出発点でほんのわずかな差異が与えられると、さまざまな地方グループの利害は、北西ヨーロッパでは収れんして強力な国家機構の発展に導くのに、周辺地域でははっきりと拡散してきわめて脆弱な国家機構に導いたということである。一度国家機構の強さに差が生ずると、強力な国家が脆弱な国家に対して、あるいは中核地域国家が周辺地域に対して、押しつける『不等価交換』の作用が生ずる。このようにして資本主義は生産手段の所有者による労働者からの剰余価値の収奪を意味しているだけではなく、中核地域による全世界経済の剰余の収奪をも意味しているのである」(I・ウォーラーステイン『資本主義世界経済』)
 世界経済の内部には、中核諸国と半周辺諸国、そして周辺諸国の三つがある。価値は、当然ながら周辺諸国から中心諸国へ移転していく。周辺諸国に必然的に醸成される反乱は、半周辺諸国の裏切りによって勝ち目のないものに終わる。半周辺諸国の存在が、この支配システムの安定性を保証している。
 諸国家がどの位置につくかを決めるのは、それぞれの国家体制の強弱である。強い国家が中心に座り、弱い諸国家は周辺に転落していく。そのようにして、経済は政治的力関係と一元化していく。
 ウォーラーステインの描く構図は、きわめて単純化され、ほとんど説得力に欠けているようである。だが、「低開発理論」の一つの端的な帰結が、ここに示されている。低開発を、資本主義的文明の近代化の過程としてとらえることを拒否しようとする意志が、それを国内的な連関からとらえ直す視点を排除してしまっているように思われる。
 世界は、工業化に向かうリレー競争のごときものではない、この認識はまったく正しいであろう。だが、それならばなぜ、この支配的システムが勝利したのか。世界はなぜ資本主義という一つの制度の内にとらえられたのか。このことが再び問われる。
 世界システムとしての資本主義を解明しようとする議論が、結局国家の問題に行き着く。だが、国家を万能の解決策にしようとすれば、今度は世界システムが理論の彼岸に遠ざかっていく。世界経済を解明するための理論が経済主義反対を声高に叫ぶようでは、いささか心許ない。この項、終わり。