1991年9月10日         労働者の力                 第25号

新しい世界情勢とソ連クーデターの失敗
   国際主義労働者全国協議会運営委員会


1 失敗に終わったクーデター

 ソ連共産党・軍・KGBの上層幹部のほとんど全員を巻き込んで企図されたクーデターは、あっけなく崩れさった。その三日間、全世界は恐るべきソ連の独裁体制と冷戦が復活する悪夢にうなされ、背筋の凍る恐怖を味わい、それから、心底からの安堵感の中で、クーデターに打ち勝ったエリツィンとモスクワの改革派人民に熱烈な拍手をおくった。
 エリツィンに率いられた急進改革派が、動揺することなくクーデターに正面から対抗し得た根拠は、彼らが、反動勢力のきわめて脆弱な実態を、正確に知り得たことにある。実際、クーデターは戦術的に幻想的楽観主義の誤りを犯したわけではなく、やらなければならないことを忘れていたわけでもない。それにもかかわらず、クーデターは、はじめから終わりまで計画通りに進まなかった。鍵は軍事力の行使であったが、兵士たちと部隊は司令部の命令に従わなかったのである。
 この一年の世界情勢、東ヨーロッパの革命、湾岸戦争におけるイラクの敗北、そしてソ連クーデターの失敗へと連続する情勢には、一つの政治的傾向が内在しており、それは、ゴルバチョフによるペレストロイカの開始を直接の起点とするものである。
 それは、これらの諸国における人民の、政治的な民主主義、とりわけ西欧型の議会制民主主義への圧倒的な傾斜であり、あるいは独裁的政治体制に対する拒否である。

2 危機の背景としての経済の停滞

 この政治的傾向の背景には、プロレタリア独裁国家および「低開発」独裁体制国家における経済の停滞がある。
これらの独裁体制下の経済は、国有計画経済にせよ、半ば国有化された混合的な経済にせよ、国内的な均衡システムを作り出すことと、恒常的にバランスのとれた対外経済関係を形成することの双方で、完全に失敗している。
 とくに問題なのは、これらの経済が「停滞」していることであって、単に貧しいことや、遅れていることではない。経済成長の「停滞」は、体制が進歩の能力を喪失していることを証明していると受け取られるからである。
 独裁体制の経済が長期にわたって停滞し、人民がこの体制のもとで耐えながら生きることの代償を期待できないと確信するにいたるという事態が、民主主義への傾斜という政治的傾向の背景に存在している。

3 スターリニズムの危機と社会主義の危機

 ソ連クーデターの失敗によって、スターリニスト官僚体制の最終的な崩壊が、世界的趨勢として確定的になったといえるであろう。この事態はきわめて重大な、次のような問題をわれわれに提起している。
 崩壊したのは単にスターリニズムなのか、それとも社会主義そのものが歴史的な死を宣告されたといわなければならないのか。
 スターリニスト官僚体制の崩壊は、革命的な社会主義の復権として起こったわけではなく、それどころか、人民は「社会主義」を国名から削り、レーニン像を地に引き倒し、歴史上の「社会主義」以前のものを復活させるために熱情的に行動しているように見える。あたかも社会主義とスターリニスト独裁体制は同一であり、独裁を打倒することと社会主義を拒否することとの間には何の違いもないと決めているようである。
 ソ連に存在していたのは社会主義ではなく、スターリニスト体制であったのだから、社会主義が否定されてはいないのだという弁明は、説得力を失っている。なぜなら、これらの国でいま人民がひきつけられ、進んでいこうとしている方向が、まさに「西側」のシステムに他ならないことが明らかになっているからである。
 なぜ、このようなことが起こっているのであろうか。
 事態の原因を「スターリニズムの危機」によって説明するあいも変わらぬレッテル張りでは、瓶の中身はなに一つ明らかにはならない。必要なことは、なぜこの時期に、このような危機が起こったのかを考えることであり、危機の性格を明確にし、そこから何が生まれようとしているのかを追求することである。古い方法を見直し、自分自身の思考を築かなければならない。
 問題を、単に独裁体制それ自身の内部にとどめるべきではない。スターリニズムの危機と崩壊が、「西側の優位」としてこれらの社会に現出したその根拠は、全体としての世界情勢を把握し、その中に位置づけることによって明らかにする以外にはない。

4 資本主義経済の70年代危機の克服

 米―西ヨーロッパ―日本の三極構造として固定化した今日の先進資本主義の経済は、基本的に成長力を持続し、相互の対立を深めながらも、破局的な危機が醸成されることを回避することに成功している。
現在の資本主義世界経済は、絶対的なヘゲモニーは存在しないが、孤立主義におちいることをぎりぎりで避け、流動的で不安定な、しかし部分的に管理された競争的世界市場を成立させ続けている。この世界市場は、計画経済諸国や「低開発」諸国に対して、抵抗しがたい吸引力を及ぼしている。
 先進資本主義経済をおそった一九七〇年代の危機は基本的に克服された。
 この克服は、資本主義経済の技術的基盤の革新をともなった。それは、生産と流通の全過程における「コンピューター化」の導入であり、いわゆる「情報化」である。情報の蓄積と伝達、その利用に関する革命的な変化が経済を新たな技術的基盤上に押し上げた。今日にいたるも、とどまるところを知らずに進行しているこの技術革新は、「新たな産業革命」としての歴史的な性格を持つものであるかもしれない。
 この新たな技術革新によって、資本主義経済の七〇年代危機がどのように克服されたのか、あるいは単に危機の繰り延べにすぎないものであるのかについては、現代資本主義経済の構造と動態の研究を通じて解明しなければならない。そのことは、世紀末を迎えた資本主義と、人類そのものの未来を規定する本質的な理論領域に、踏み込もうとすることである。それはまた、マルクス主義理論においては、価値の理論の新たな検討を含む本質的な革新にせまる努力なしには、果たされ得ない課題である。われわれは今ここでこれ以上の検討を行うことはできないが、この課題に正面から立ち向かっていく努力をする決意であることを、明らかにしておく。
資本主義経済の新たな段階を規定した「情報革命」は、対立する世界の政治的分断の壁を破壊し、情報の世界的な同時化を実現した。独裁体制が情報操作と国境の閉鎖によって孤立的に存続するための前提は、この「情報革命」によって崩れた。それによって、労働者諸国家の官僚専制や「低開発」軍事独裁体制下の人民が、「西側システム」としての市場経済と議会制民主主義の組み合わせにひきつけられることが、世界的に同時に起こったのである。

5 七〇年代危機の克服と階級闘争

 七〇年代の危機克服の過程は、また、先進資本主義諸国における階級闘争と階級関係に生じている重大な「変質」が、決定的に明らかになっていく事態をともなった。それは、先進資本主義諸国の七〇年代経済危機に際して、プロレタリアートが国民的階級として行動し、危機の克服に積極的な協力をしたことである。この点に関しては、先進資本主義の三極のそれぞれによって表れ方の違いはあったものの、成立した階級関係の本質的な性格においては同一性があったといえる。
西側階級闘争のこの新たな局面は、六〇年代後半以降の急進主義的反帝国主義闘争が敗北していく過程と重なっていた。第二次世界大戦以後の資本主義の繁栄サイクルの歴史的な限界の到来としてとらえられた七〇年代の全世界的な危機が、西側プロレタリアート階級闘争の戦略転換を含む新たな国家構造と国際関係の形成によって救済されていった現実は、「第三世界」階級闘争および労働者諸国家のプロレタリアート・人民が、自らの未来をどの方向に見出すのかを判断する上で、決定的な重みを持つ前提条件となった。

6 「第三世界」の局面転換

 さらに七〇年代の「第三世界」は、次のような意味において、自ら新たな局面の転換を経験した。
 先進資本主義経済が危機に直面していたこの時代は、「低開発・後進工業化諸国」の一定の部分の、急速な成長と、世界市場へのその登場が実現した時代でもあった。NICSと総称されるこれらの新興の工業経済諸国は、低賃金を利用する旧来の競争形態によって有利を確保したのにとどまらず、むしろ、技術革新そのものの中で独自の競争力を築いた。七〇年代危機から脱出しようとする先進資本主義諸国とその国際市場の、金融と商品流通におけるかつてない流動状況を利用して、これらの諸国は、古い従属的な国際関係から抜け出し、自立した工業化された国民経済としての国際的位置につく手がかりをつかんだ。
 こうした新たな状況の中で、従来の革命的な従属理論は現実の反証によって打撃を受けたが、それは「第三世界革命」に重大な困難を課すものとなっている。
 だが、先進資本主義経済の全体としての危機克服の過程で、これら新興の工業経済諸国は、未だ脆弱な基盤の故に競争力低下に悩み、新たな危機を迎えた。こうした危機のなかで、開発の第一段階においては一定の有効性を持つこともできた「開発独裁」型の政治体制は、世界市場にいっそう開かれた国民経済の組織主体としての役割に耐えられず、民主化運動の高揚とともに歴史的退場を余儀なくされて行った。さらにこのことは、これらの近代化の旗手に続こうとするその他の「低開発諸国」の論争に広範な影響を与え、帝国主義との対抗をめぐる二者択一に代わって、民主主義をめざす闘争を現代の「第三世界」の政治的な焦点に押し上げたのである。

7 国有計画経済の改革と体制の危機

 国有計画経済における「停滞」が、体制そのものの危機に転化したのは、新たな「産業革命」下の先進資本主義経済との拡大していくギャップが、国民のますます広範な層に知られていくことを阻止できなかったからである。
 停滞する国有計画経済の危機の克服のためには、資本主義経済の最近の成果である「情報革命」の導入が必要であるとの認識は、改革派指導部において共通であったといえる。だが、官僚によってわずかに行われようとした情報技術の輸入による革新の努力も「停滞」を打開するどころか、かえって官僚的指令経済体系の無力を暴露する効果しか持ち得ないものであった。情報技術の部分的輸入は、情報独占の体制そのものに対する根本的な再検討の圧力をもたらしたにすぎなかった。
 ゴルバチョフがペレストロイカを宣言したときには、官僚専制の危機のこのような新しい構造が、時代として完全に成熟していた。だが、ゴルバチョフとソ連共産党の改革派指導部は、このような認識に十分に到達してから「改革」を開始したのではなかった。彼らは、現体制を改革しようとし、改革できるものと信じて走り始めたが、その一歩ごとにますます深く、体制の根本的な解体を強制するダイナミズムに呑み込まれて行った。

8 ソ連邦の解体

 今日までのペレストロイカは、世界的なスターリニスト官僚体制の周辺部から中枢に向かって進行した急速な解体過程であったといえよう。この過程は、いまやその政治的な結論を、ソ連邦権力の劇的な解体・再編として下そうとしている。
東ドイツの選挙結果を受けて、ソ連邦そのものの解体が日程に上るとわれわれは予測したが、わずか一年と少しでまぎれもない現実となってしまった。
 今や、旧来のソ連邦の廃止は確定的となり、現在の課題はどのような新しい役割によって連邦を救出するかである。
 連邦は、盟主としてではなく、調整機構として残存する。この調整機構の維持に利益を見出す諸共和国にとってだけ、連邦は承認される。この調整機構には、官僚的指令経済を解体して新たな市場経済システムを構築しなければならない各共和国経済が、世界市場に対して共同の利益を擁護し、実現していくとともに、核兵器の管理を含む共同軍事力を維持するという、きわめて重要な役割が与えられることになる。ソ連邦の中で生きてきた諸民族は、今それぞれの独立を手にするためにも、昨日の支配者の遺産を世界に対して共同で背負わなければならない。そのことの限りで、ソ連邦とゴルバチョフの時計はまだ刻み続けている。だが、十月革命にはじまる一つの革命権力としてのソ連邦の歴史は、いま終わったのである。
 ロシア革命の本来の理念のなかには、諸民族の独立とその国家の無条件的な承認があった。その点からいえば、ソ連邦は独立した諸共和国の調整機構として控えめな役割を果たし、共同の利害の実現の方法を探り、契約を結ぶ機関として機能するものであってもよかった。だが、現実のソ連邦は、内戦の司令部であり、世界革命の砦であった。内戦の勝利のためには、いっさいの政治的・軍事的能力とその行使に関する判断と決定は、国家中枢に集中することが当然であったし、帝国主義世界との対抗において、唯一の拠点としての連邦がすべての権力を掌握することが正当であるとみなされた。それは、闘いに生き残るためには他に余地のない選択であると理解された。いわば、全体としての「戦争」の論理が、連邦の民族諸共和国に対する絶対的優越の根拠となったのである。
 経済建設においても、この論理は本質的に同一であった。全体としてきわめて後進的な経済社会を近代化していくためには、計画経済の組織主体である連邦が、地方に優越しなければならない。同様に、都市は農村に、工業は農業に、そしてプロレタリアートは農民とプチブルジョアジーに優越しなければならない。そのことによってはじめて、帝国主義の経済的包囲網に抗する強力な単一の工業化された国民経済を建設することができるのである、と。
 「戦争の論理」こそ、連邦優越の根拠であった。現実的な戦争があろうとなかろうと、スターリニスト指導部は「戦争の論理」を堅持した。改革派が「戦争の論理」から次第に明確に離反し始めたとき、連邦の精神的基盤が揺らぐこととなった。東欧革命と冷戦終結は、連邦の現実的根拠を崩壊させた。ソ連邦の解体は、したがって、一時的な政治的攻防の結論であるにとどまらず、その根拠自体からの解体であるといわなければならないのである。それゆえ、連邦の終焉は歴史的な一段階の終わりである。連邦の新しい歴史が始まるとしたら、新しい道を歩む諸共和国にとって不可欠な、これまでとは異なる目的とルールが見つけだされたときである。そのようなときがくるのかどうか、われわれには予測することはできない。そして、もしそのようなときがこなかったからといって、社会主義をめざす闘いが大きな打撃を受けたと言って嘆く必要もない。「戦争の論理」の上に社会主義の正当性を築く試みが、これからの時代に意味を取り戻すことはないだろうと、われわれは考えるのである。

9 クーデターの失敗とソ連共産党の終焉

 失敗に終わったクーデターは、スターリニスト官僚集団の最後の抵抗力を破壊した。保守派の官僚集団の事態掌握力は、ペレストロイカの過程で完全に失われていた。彼らは改革に対して抵抗してきたが、この抵抗の手段はあらゆる改革の努力をにっちもさっちもいかないものにし、連邦全体を混乱と破滅の縁に追いやることであった。だが、それによって最も傷ついたのは、国家の責任者としての彼ら自身の権威であった。彼らは改革と闘うことによって、自らを日毎に葬っていたのである。
 彼らの闘争が遅すぎたのは、共産党支配の論理に自ら呪縛されていたためである。すべての権力を書記長個人に集中する論理こそ、スターリニズムの本質的な精神である。この精神からすれば、書記長が党に背いたときには、新しい書記長を選出すること以外の解決がない。だが、それには大会が必要であり、中央委員会が必要である。しかし、これらの会議のためにすぎていく時間に、現実世界が沈黙を守ってくれる保証は、すでに存在していない。
 党の最高指導者が、党そのものに背を向けるなどということは、かつて起こったことがなかった。ゴルバチョフを彼らの側に取り戻せなかったときに、彼らのクーデターは、彼ら自身にとっても非合法で、未知の冒険となってしまった。彼ら自身、内部から割れた。彼らの命令に従順に服する兵士は、彼らの軍事力の中に残っていなかった。だがそのことを、これらスターリニスト自身と、全世界は、クーデターがあっけなく崩壊するまでは、まったく気づいていなかった。
クーデターがなぜ失敗に終わったのかという問いには、今となっては、誰でも答えられるであろう。スターリニスト集団は、クーデターの危険な誘惑に賭けないまま、自主的な退場を受け入れることはできなかったであろうし、改革派がそれをあらかじめ断念させるほどに強力であったわけでもない。そして、労働者国家の支配体制としての共産党の時代が、終わったのである。
 クーデターによって、ソ連共産党の歴史が終わった。クーデターは、共産党がその教義に自ら背くことに他ならなかった。したがって、急進改革派が共産党に対する全戦線での追撃に転じたときに、彼らはこれに対抗する道義と自信を失ってしまっていた。
 ソ連共産党は、自ら終焉の時を決定してしまったのだといえよう。それ故、生き延びるために本格的に抵抗する今後の可能性は、ほとんど残ってはいないだろう。この党が歴史的に果たした巨大な役割に照らして、ふさわしい最後であるとは必ずしも言えない。だが、歴史がつまらないエピソードを通じて大きな転換をとげることも、良くあることであろう。
 一九九一年は、歴史的な年となった。

10 市場経済移行の課題

 連邦の経済機構と軍事・警察機構からの保守派官僚の排除が、急速に進められている。この動きは、地方官僚機構にも及んで行く。これによって、市場経済移行の政治的障壁が取り除かれつつある。西側諸国からの援助の増大が、さらに移行を加速するであろう。
 市場経済への急速な移行のプログラムが準備されつつある。だが、国有計画経済の全システムを市場経済システムによって置き換える過程は、決してそれほど短期的に終わるわけでもなく、また容易でもないであろう。プログラムは、幾度となく書き換えられることであろう。経済の混乱も、簡単には収束しないであろう。市場経済が国民経済として根づくためには、なによりも、その担い手が大量に作り出される必要があり、その担い手の大部分は、これまでの経済官僚自身の自己変革として供給される以外にないのである。
 だが、移行の成否と速度は、最終的には勤労人民が新しい経済に参加する自主的な意欲を持ち得るかどうかによって決まるであろう。この点で最も重要なものは、自由な労働組合運動の発展である。
 市場経済への移行が、旧来の既得権益を剥奪することへの恐れは、プロレタリアートが市場経済移行に消極的に反応する原因であり、この大衆的保守主義が保守派の基盤の一つであった。だが、不可避的な市場経済移行の中で、プロレタリアートは自由な労働組合に団結し、闘争によって権利と利益を防衛することを学んでいかなければならない。それは、彼らが「西側」から学ぶことのできる最も重要な一つであるはずである。プロレタリアートの自由労働組合運動と、成果の配分をめぐる闘争のルールの建設なしには、市場経済化に向かってプロレタリアートが主体的・意欲的に動員されるということが実現しないだろう。今日の加速された官僚体制の解体は、自由労働組合の実現の条件をもたらし、それによって市場経済化の新たな可能性を切り開くことが期待できる。
 プロレタリアートの自由労働組合は、同時に国民の各階級・階層が、その利害を主張し闘争によって実現していこうとする集団的利害要求運動の模範となることができる。この運動が、闘うこと、自ら発言することをあまりにも長い時代にわたって奪われ、指導部に期待する「権利」だけを与えられてきた人民が、あきらめを第二の天性として国家・社会にかかわってきた歴史を終わらせることになるかもしれない。そのときにこそ、自らの国家と社会をどのようなものとして構築するのかを、自ら決定する確固とした力を、人民自身が持つことになるであろう。

11 社会主義の改革の課題

 社会主義の改革をめざす「上からの民主主義革命」としてのペレストロイカの時代は終わった。共産党が社会主義の改革の主体として再生することは、もはやありえない。
 この変革は、果たして進歩的であろうか。
 だが、何に照らして、誰にとって進歩的であるのかをまず考えなければならない。
 人民は、自らにとって進歩的であるものを自ら決定する権利を有する。
 この変革は、ソ連邦内諸共和国人民の共同の選択であると思われる。
 彼らが今手にしたのは、全能の指導部によって与えられ道を歩く代わりに、自分で決めた道を歩く権利である。たとえその道がどこに通じているのかは、未だ明らかではなかったとしても、この権利は何ものにも代えがたい。
 これから市場経済への移行をはかっていこうとしているソ連邦・各共和国の中から、新たな社会主義の展望が早期に開かれることを期待するのは、非現実的であろう。
 われわれが今しなければならないことは、ロシア革命から始まった二〇世紀社会主義運動の歴史が、どのように終わろうとしているのかをはっきりと見つめながら、時代の総括を真摯に行おうとすること、その一部としての自ら形成した運動の総括を自分の課題とすることである。その上ではじめて、社会主義が人類の未来にあることを主張する立場に立つことができる。       (九月五日)

資料 全国一般全国協議会結成の呼び掛け
中小労働運動の飛躍と前進をかちとろう

 全国一般全国協議会結成の呼び掛けが本年八月に、全国一般全労協(準)から発せられた。中小労働運動、未組織労働者の組織化が、九〇年代労働運動の重要課題になる。全労協に結集する中小労働運動の全国組織として、全国一般全国協が結成されることが大きな意義を持つと同時に、その組織がどんな運動をめざそうとするのか、中小労働運動に関心のある活動家にとってたいへん興味深いものである。全国一般全国協の結成は、今年十二月一日に予定をされ、それまでに、この呼び掛けがそれぞれの全国一般組織により検討される成案になるという。「労働者の力」紙上にこれを転載(一部表記を変更)する。中小労働運動の路線討論の深化の一助に役立てていただきたい。
本文
1、なぜ今日、全国一般全国協議会結成を呼び掛けるか

 私たちが今日、中小労働運動の全国組織として全国一般全国協議会の結成と参加を呼び掛けるの次の理由からです。
 @格差拡大、相対的低賃金・長時間労働、無権利状態を強いられている中小労働者
 中小企業に働く労働者は、未だに圧倒的多数が、低賃金、長時間労働の下で働かされています。そればかりでなく、労働基準法すら守られていない、無権利状態におかれていることも、労働相談活動や組織化相談の中で日々経験していることです。年休が取れない、残業してもサービス残業で手当がもらえない、病気やけがをしても労災扱いされない、などなど。
 日本経済が今日の発展と拡大を成し遂げたのは、中小企業、一般産業で働いてきた仲間たちの努力があったからであるにもかかわらず、一九七〇年代後半以降、労働条件の規模別格差は拡大し、物と金が氾濫している中で中小労働者は人間らしい生活と程遠い生活を強いられています。

 A格差・差別を容認する政府・日経連の攻撃
 政府・日経連は中小労働者を安定的労資一体体制の中に組み込めないことに不安と危惧を抱いています。中小労働者の怒りや要求を押え込むために、格差を法的に容認し、制度化する攻撃をかけてきています。
 「賃金も労働時間も生産性向上の成果配分であり、生産性の低い中小労働者のそれが低いの当り前」と、日経連の労働問題研究委員会報告は述べています。
 改定労基法では、法定労働時間を企業規模別に設定するという「法の下での平等」すら中小労働者には与えないという攻撃をかけてきています。
 さらに、規模別だけでなく、雇用形態別就業規則作りの強力な指導や、パート労働法の制定などにより、企業内の二重・三重の制度的労働条件差別攻撃を強めています。

 B圧倒的に未組織のままに放置されている中小労働者
 日本の全雇用労働者の九割が中小企業に働いています。
 年々下がる労働組合組織率は、ついに八九年六月で二五・六%にまで低下しました。しかも、規模別組織率は、一〇〇〇人以上六二%、一〇〇〜九九九人で二五・七%、九九人以下は二・一%であり、三〇人未満の零細企業では何と〇・八%にすぎません。
 中小労働者は、圧倒的未組織状況に放置され、前二項の攻撃の前に放置されています。

 C中小労働運動の担い手が、任務放棄をしたり、分散している
 連合結成以降の二年間、春闘の展開を見れば明らかなとおり、その労資協調、癒着路線は、大企業内労働者さえ不満を募らせているありさまです。中小労働者の要求を受けとめ闘う力を連合に期待することはできません。
 総評三〇年の歴史の中で、中小労働運動を担ってきた中小産別組織、とりわけ全国一般、全国金属はその多数が連合路線に屈服し中小労働運動の指導的全国組織としての役割を放棄してしまいました。
 一方、地区連合、地域連合の結成、地区労の解体が急速に進み、地域労働運動の解体が進んでいます。
 中小労働運動は地域共闘に支えられ今日まで闘われてきたと同時に、闘いの中から、中小労働運動を担う全国産別組織を作り上げてきました。
 今日、地域と全国の双方から中小労働運動推進のテコが壊されてきています。これに抗し、「労資協調路線は中小労働運動の死を意味する」という立場に立ち、中小労働運動の要求に応えられる闘いをつくり出そうとする仲間が全国で奮闘しています。しかし、この奮闘は個別分散的であり、未だ全国的に結合した力になりえていません。

 中小労働者のおかれている状況を以上のように四つの契機でとらえたとき、私たちは、中小労働者が個々バラバラに政府・資本の意のままに扱われることをこれ以上見過ごすことはできません。
 中小労働運動を担っている全国各地の仲間の奮闘を分散状況のままに放置しておくことはできません。
 闘う中小労働組合、中小労働者の力を横につなぎ、全国的連携をもたせ、一つの力に組み上げ、資本や政府に反撃していく拠点を作り上げるために、全国一般全国協議会結成とそこへの参加を呼び掛ける決意をしました。

2、どんな仲間と手を携え全国一般全国協議会をつくろうとするのか

 @私たちは何よりも中小企業に働くすべての仲間の共同事業として全国一般全国協議会を発展させたいと願っています。
 連合はその組織を七大産別組織に編成し直すことを決めました。中小労働者は、連合のこの大産別に分類され、それぞれ大産別内の大企業本工労働組合の指導に自分たちの未来を預けるわけにはいきません。
 金属、鉄、化学、自動車、電気、運輸、通信、金融、繊維、商業・サービスと産業が異なろうとも、中小労働者には、格差・差別を許さない共通の闘いを作り上げていくことができるはずです。
 あらゆる産業を下支えしている中小労働者、そのすべてを一般産業労働者と位置づけ、その総結集をめざしていきたいと考えます。
 A政府・日経連は、雇用構造の多様化、流動化政策と銘打ち、パート、臨時、派遣と、基幹部分に分けた重層的雇用構造をそれぞれの企業内に作り上げ、前者に女性労働者、高齢者、障害や病気を抱えている労働者を位置づけ、これに下請け、孫請け構造を加え、分断差別の労働者支配を行おうとしています。
 私たちは、企業規模にかかわらず、これらパート、臨時、派遣労働者、女性労働者、高齢労働者、障害や病気を持ちながら働いている労働者とともに、手を携えて全国一般全国協議会を作り上げていきたいと考えます。
 B現在、日本で「最下層」の労働者として定着し、無権利状態におかれている外国人労働者が多数存在し、その数は急増しています。
 「かつての侵略の結果」である在日朝鮮・韓国人労働者、「現在の(経済)侵略の結果」であるアジア、第三世界からの出稼ぎ労働者として主要に存在している外国人労働者の無権利状態を放置しておくことはできません。
 中小労働者の重要な一部として外国人労働者を位置づけ、外国人労働者とともに全国一般全国協議会を作り上げていきたいと考えます。

3、どんな闘いを作ろうとするか
 
 @「人間らしい労働・生活を確立しよう」という視点にたって闘います
 中小労働者の労働条件の実態は厳しいものがあり、生活防衛の大幅賃上げ、時間短縮の闘いが引き続き重要な課題であることは明白です。しかし、一方で「食えないから闘いに立ち上がる」という状況にないことも確かです。
 私たちは何をめざして闘うのか、諸要求の基礎になる基準にどんなものを据えるのか、が問われています。ここをはっきりさせ、若年労働者をはじめとする組合離れを克服していかねばなりません。
 「人間らしい労働・生活を確立する」というところに自分たちの基準を据えたいと考えます。
 日本が世界第一位の経済大国に成長しながら、私たちの労働や生活はどうなっているでしょうか。名目的な賃金水準が国際比較で世界最高水準にあるといわれても、二世代にわたらなければ持てない家、持てても一時間半〜二時間の長時間通勤は当り前。競争原理、効率主義の価値基準を押し付けられ、企業の都合で単身赴任、家族との別居が強いられ、サービス残業がまかり通り、その先に過労死が待っている。金や物があふれているように見えながら、この日本の労働者の働き方、働かせられ方、そこに規定された生活のあり方はどこかおかしくないだろうか。
 そして、中小労働者だから「生産性に見合った低い賃金水準でよい」「法定労働時間に差があって当り前」でなく、中小労働者だって「人間らしい労働・生活をする権利があり、それを要求するのは当り前」という視点にたっていきたいと考えます。
 この視点から、賃金、労働時間、安全衛生、労働の中身、男女差別の解消、職場での少数者の尊重、権利のあり方などの要求指針を作り上げていきます。

 A社会的諸課題に取り組める中小労働運動をめざします
 労働者が、労働と生活の場で人間らしいあり方を確立しようとするとき、家庭生活(育児、家事、老親の介護など)、教育、消費、環境(原発、ゴミなど)、そして反戦平和、民主主義などが、私たちの取り組まなければならない重要課題になってきます。
 社会的諸課題は、中小労働運動自身の課題だという視点にたって闘います。

 B具体的に取り組む課題
 イ、基礎的労働条件
  賃金 大幅賃上げ、格差、     査定、差別をゆる     さない
  時短 要員要求との結合     (反合理化)
     法定残業規制(例     女性の制約撤廃で     なく男にも同水準     の制約を)
 ロ、権利の確立
  安全衛生
  人権に基礎づけられた労  働権の確立
  反合理化、労働の人間化
 ハ、差別を許さない
  男女
  雇用形態別
  高齢者、障害者
  外国人労働者
 ニ、未組織労働者の組織化
 ホ、中小労働者の政策確立  とその実現
 ヘ、社会的諸課題
  住宅、交通、環境、原発、  農業、自衛隊、安保、国  際連帯

 C全国一般全国協議会の持つべき機能
 イ、機関紙の発行
 ロ、組織対策(組織拡大、  全国運動、全国争議)
 ハ、情報収集、調査・資料  提供
 ニ、業種対策
 ホ、政府・行政交渉
 ヘ、以上を推進するため   事務所の設置、スタッフ  の配置

4、どんな組織をめざすか

 @労働者一人ひとりの自主・自律を尊重し、それを基礎に労働者相互の連帯・団結を作り上げていく
 団結権とは労働組合のものであり、労働組合の運営なり「統一と団結」が先にあり、組合員一人ひとりの利害や意志はそれに従属するものだろうか。そこでは安易な多数決主義がまかり通り、組合の中の弱者や少数者が絶えず「全体の利益」の名のもとに切り捨てられていないだろうか。
 計画年休が職場に入ってきています。企業人間、会社人間(多くは男性、基幹労働者)は、会社が一斉に休みにならないと休めないという立場から、年次有給休暇二〇日のうちできるだけ多くの日数を計画年休にしようとします。子供を抱え、老いた親を抱え、育児や家事、老親の介護労働を一身に担っている女性労働者は、会社の都合での一斉年休ではなく、自分の生活の都合で自由に自分の年休を取りたいと考えます。このようなとき、女性労働者の要求に耳を傾け、企業人間的労働者のあり方が実は生活を無視しているのではないかと疑問を持ち、男女平等の原則を探りながら、組合の要求をまとめあげていく、そのような団結の仕方の中でこそ、労働者への分断・差別攻撃をはねかえす契機が生まれてくると考えます。
 団結権とは、労働者個々人の権利としてあり、自主的、自立的意志に支えられ、異なった利害や主張を相互に理解しあい、弱者や少数者の要求を尊重できるような連帯・団結でなければ力を持ちえません。

 A国家・資本、企業経営者から自立し、対抗できる労働組合をめざします
 労働者個々人の自主・自立に支えられた連帯と団結は、真に資本から独立した、自立した労働組合を生み出し、国家・資本、企業経営者に対抗できるようになります。
 雇用構造の多様化、流動化政策という労働者の分断差別支配攻撃の中で、本工・基幹部分が軸となる組合が、自己の利害のみを他に押し付け、少数者の利害を切り捨てていけば、資本の利益の代弁者に成り下がることになります。そこでは、労資協調・癒着から国家との癒着にまで進む、労働組合運動の死が待ち受けているだけです。
 私たちはその道を拒否します。

 B企業の枠を越えた労働者の団結をめざします
 旧来の企業内組合、しかも本工中心の組合運動は、企業、資本との癒着、パート、臨時、派遣労働者の排除などに陥りやすい弱点を持ってきました。
 地域の他企業に働く仲間と交流、連帯を通じ、組合員意識の向上を図り、企業内少数でも地域多数の闘いを起こしたり、未組織労働者の組織化を組合員全体の任務にしたり、企業の枠を越えた労働者の団結をめざします。
 C全国一般全国協議会の運営について
 イ、徹底的に組合民主主義を貫きます。
  役員依存型、(オルグ依存型)組合運営を排し、権限の集中を避け、組合員一人ひとりの自主、自立に基礎をおく組合運営を行います。
 ロ、単位組合の自主性を尊重し、中央集権主義、上意下達の方法をとらず、協議と同意に基づく運営をします。

編集部への手紙  メキシコから
歴史の激変期に
トロツキー博物館を訪れて
  
    池上 義明


 お元気のことと思います。
 ちょうど、ソ連でゴルバチョフ追い落しのクーデターが失敗に終わったという報道を聞きながら出国しました。メキシコへ向かう機内でも気になって、英字新聞や機内テレビのCNNニュースで少しずつは情報を得ていましたが、詳しいことはわからないままにメキシコ・シティーに着きました。
 ここでもソ連のクーデターについての関心はやはり高く、新聞やテレビはほぼトップで報道していました(CNNの焼き直しの感がしましたが)。なんとか、不十分ながら事態の推移をつかみました。
 メキシコでは、この八月に総選挙が終わったばかりで、永年政権を握っている与党のPRI(制度的革命党)が、対外債務に苦しみ経済危機を克服できず社会的格差が増大しているにもかかわらず、これまで以上に圧勝し、議席の八割以上を占めることになり、アメリカ資本に大きく組み込まれたメキシコの現実の重い側面を示したといえるようです。一九八〇年代にある程度勢力をのばしてきた野党が敗北したことの意味はいろいろ複雑ですが、こんどの総選挙にも、この間のソ連・東欧の「民主化」の影響が少なからず現れているのではないかと思われます。
 「第三世界の未来は社会主義の方向にあるのか」という議論が選挙のなかでも行われたと聞きます。ゴルバチョフがキューバの「民主化」を促す政策を示唆したというニュースが大きく報道されたのは当然でしょう。 

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ここで、メキシコにきて少し考えたことをメモ風に書いてみます。
一九一〇年に始まったメキシコ革命は当初農民革命の性格を持ち、インディヘナやメスティーソ(先住民や先住民と白人の混血)たちによる下からの社会変革の内容を持つものでしたが、結局は、部分的には社会主義的政策を取り入れつつも、いつのまにか、スペイン統治時代からの支配階級にかわる新有産階級がヘゲモニーをとる体制へと変質してしまいました。この歴史的事実は、トロツキーの「永久革命論」の論理の正当性を証明するものといって良いと思いますが、ともかく、その後、メキシコは、第三世界の中では比較的安定した社会発展を示し、七〇年代、石油産出に成功して驚異の成長期を迎えます。
 だが問題はそう簡単ではなく、石油を売った金で国内の工業化をすすめようととしたがこれがうまくいかず、対外債務がふくれあがり、農業も破壊されてしまうという現実を迎えてしまった、ということです。先住民を中心にした反政府運動もあらたに活性化しているということです。A・G・フランクたち「従属論派」の議論は、中南米の現実の分析から出発したもので、ある程度メキシコにもあてはまるものでした。しかし、それらの議論だけではもはや、第三世界の次の展望は語れなくなっているといわれます。世界資本主義と切り離して第三世界の経済発展を考えることはますます不可能になっていますし、ソ連・東欧の社会主義的オルタナティブですらも、結局、世界市場に戻らずにはこれ以上進めなくなったその現状から、もう一度議論を立て直さなければならないでしょう。
実は、このようなことが頭に浮かんだのは、トロツキー博物館をおとずれた後ホテルに帰ってからでした。トロツキーはメキシコ革命についての論評はひかえざるをえなかったわけですが、アステカやマヤなどの先住民の文化の上にスペイン統治によるスペイン文化の人為的移植があって、それを基礎として欧米資本主義の侵入があったこのメキシコの、重層的構造(最近では接合論という考え方で、この第三世界の特有な歴史社会構造を解きあかそうという試みがある)をどの程度つかんでいたのか知りえませんが、ともかくロシア革命とメキシコ革命の比較の問題は、実際、最も今日的問題のような気がするのです。
 
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メキシコ・シティーのコヨアカンにあるトロツキー博物館を訪れたのは、閉館間際の四時近くでした。要塞化した石壁に囲まれ、中庭をはさんでこじんまりとした端正な館が建っており、ほぼ当時のままに保存されていました。トロツキーの著作・論文の日本語版の出版に関わってきた者として、じかに彼の息吹に触れ得ことはやはり感激でした。しかも、ソ連共産党の実質的解体という歴史的なこの瞬間に、ソ連邦の堕落とさしせまる世界戦争の危機に警鐘を鳴らしつつ倒れたトロツキーの最後の闘いの場所にいま立っているのだ、と思ったときの気持ちは感無量といったところでした。
 中庭の第四インターナショナルの記念碑の前を通り、家の中の彼の書斎に入り、立ち入り禁止のロープをくぐってこっそりトロツキーの机の前に腰をおろし、脇の変色した資料や新聞をみつめているうちに彼の思想が現代に何を伝えているのか、改めて新しい光をあてながらフォローしなければ、との思いがつのりました(昨年のトロツキー・シンポジウムに来日したトロツキーの孫のボルコフさんは残念ながら、記念館の館長をを辞め、他に就職しており、直接お会いすることできませんでした)。
世論調査         私有化に反対なし
大部分の労働者は私有化を望み、民営(非国営)企業で働きたいと考えている

 しばらく前にソ連科学アカデミー社会学研究所は、工業企業の管理者から未熟練労働者に至る個人に対して世論調査を行った。その目的は、私有化および市場経済への移行のための様々な措置に関する人々の見解や判断を明らかにすることにあった。調査は、国内の様々な地点で五千人を対象にして行われた。このうち五分の四は国営企業で働き、残りの回答者は賃貸契約企業、合弁企業、コーオペラティブで働いていた。

 市場は厳しいが、しかし必要だ

 わずか二年前には、「市場経済への移行は必要か」という質問は適切であった。だが現在では、もはや、この問題に関して世論調査では議論にならない(一四・三%のみが市場の形成ではなく、経済管理における集権化の必要を主張しているにすぎない)。その他の回答者は、市場経済への実際の移行期間がどれほどなのかについてのみ、違っているのにすぎない。
 市場経済に関する社会の見解が一つに結晶化しつつあることは明らかである。多数の人々は、私有企業に親近感をもっている。しかし、異なった角度、つまりわれわれの気分とは反対の方法で質問が提出されると、回答はばらばらになる(この場合、四二・五%は国営企業を個人に売ることに賛成しているが、これとほぼ同数が販売に同意していない)。しかし全般的な気分はより明白になりつつある。
 市場経済への移行は土地の私有制への移行なしに不可能である、という質問に対しては七二・八%の回答者が賛成し、反対は一六・三%である。同様に、小規模企業の登場が不可欠と考える回答者は七二%に達し、反対は一五・一%。大企業の登場が不可欠と考える人々は五〇・五%、反対は二九%。西側企業の誘致が必要と考える回答者は五四・一%、反対は二六・四%になっている。
 失業というような問題に関しても明らかに態度の変化が見受けられる。比較のために、失業の発生は不可避であり、これを念頭において経済の正常化を図らなければならないと主張された一九八七年の人々の落胆ぶりを思い起こしてみよう。今日では人々は、こうした見解になれている。そのうえ、雇用を維持する目的だけの非採算企業を人為的に保持する政策はもはや広範な支持を得られない。世論調査は、こうした社会的合意の変化を明らかにした。
 三六%の回答者は、「市場経済が効率的に機能するためには、一定の水準の失業が存在しなくてはならない」という見解に賛成し、二八・一%はこの考えを拒否している。「レイオフを避けるために国家が非効率的な企業を支援しなければならないと考えるか」という問いに対しては、そう考えるという回答者は三〇・八%、反対は五七・九%である。「あなたが毎月の賃金あるいは給料から二〇ルーブルを出すことが、採算のとれない企業やコレクティブ、国営企業が閉鎖をまぬがれ、労働者が職を失わない唯一の方法だとすれば、そうする気がありますか」という質問には、八一・六%がその気はないと回答している。
 市場に対する楽天的な期待はない。現在の態度はかなり現実的であるようだ。多くの回答者は、市場経済への移行期間においては社会的な生活水準は改善するよりもむしろ悪化すると考えている。また自分自身の将来の見通しについても楽観してはいない。つまり最初のうちは多くは期待できないが、それでも市場は必要、と考えているのである。このことは、市場に関する世論がより安定したものになり、過度の期待は存在せず、市場への適応過程をより促進するものになっていることを意味している。
 「市場経済への移行過程において職を失うかもしれないと考えていますか」という質問については、四五・九%がそうだと答え、三九・一%がそう思わないと回答している。「市場経済への移行過程で個人所得が増えると思いますか」という質問には三三・六%がそう思うと回答し、四五・四%が否と答えている。

 さらば、公営部門

 人々はどの部門が安定していると考えているのか。全般的な見解は、国営企業は賃金は低いかもしれないが、安定した職としており、他方、民営企業は安定していないと考えているとみなしている。しかし世論調査は、こうした全般的な見方が間違っていることを示した。非国営企業に働く労働者の半分以上は自分の職が安定していると回答しており、他方、国営企業で働く労働者の場合、ちょうど三分の一しか、そうした自信を表明していない。したがって、私営部門のわずかの労働者だけが将来を心配しているのに対して、国営部門では相当の労働者が不安を表明している。以上のことは論理的である。一定の人々が市場経済環境で働いた経験をもっているのに対して、指令経済の網の目の中に残っている人々は改革に直面して当然にも懸念しているのである。
 国営企業で働く意思のある人々は、今日では明らかに少数派である。全般的にみて、働き場所を変えたいという強い欲求が存在している。民営企業指向が圧倒的に強い。こうした社会経済的自覚は、もはや否定できない水準に達している。そしてほぼ半分の企業管理者は、自分自身で事業を開始できると考えている。
 「もし職業を変更するとすれば、どのような経営態を選択しますか」という質問に対しては、わずか二五・九%の回答者が国営企業を選んでいるにすぎない。残りの回答者は民営部門、つまり合弁企業が二八・七%、賃貸契約企業が一四・八%、コーオペラティブの一員になりたいとするものは一〇・九%、そこに雇われたいとするものは二・四%となっている。自ら事業を起こしたいとする回答者は一六・七%である。

 企業者への強いあこがれ

 労働の場所や条件を変更したいという欲求はどれほどのものだろうか。これまでに引用した回答は信用できるのだろうか。人々の間では、共通の指針となるものにすでに変化が生じているのだろうか。
 違った角度からこの問題に接近しても、やはり同じ結果が得られる。たとえば多くの工業労働者は、相当の賃上げの可能性がない安定した職業にとどまるよりも、むしろ所得増大のためには失業する危険をおかす気がある。私営部門の不安定な状況で働くことに同意したのは六〇・三%にもなった(男性の場合にはほぼ七〇%)。自ら事業を起こしたいと考える人々を考慮に入れれば、まさに労働者の四分の三が公営部門から離れたいと考えているのである。
 世間では、人々が企業主をきらっていると広く信じられている。だが本当だろうか。それでも事業主のために働きたいと考えていることになるが。これは矛盾していない。多くの人々は実際に反企業主的な態度をとっていないからである。世論を動揺させるために使われてきた、そうした決まりきった考えはもはや、これまでのような力をもたない。民営企業は、明らかにわれわれの新しい価値観に合致しはじめたのである。
 「事業主を勤労者と呼ぶことできると考えますか」という質問に対しては、六九・八%が「イエス」と回答し、「ノー」と回答したのは一九%である。「次の言葉群から『事業主』に最も近いと思う言葉を三つ選んでください――ビジネスマン、搾取者、マスター、資本家、ディーラー、危険な人、詐欺師、苦労人、陰謀家、倹約家、商人、悪漢」という質問で、最も多く採用された言葉は、ビジネスマン(四七・六%)、倹約家(三八%)、マスター(二三・九%)である。

 それでも質問したのか

 そう、われわれは質問した。その結果、「市場への改革」の潜在力は社会学者が考えているよりもはるかに強いものであった。
 最も好ましい変化を以下のように呼ぶことができる。人的損失をも含めたコストを覚悟した強い要求による改革の実現、労働市場を形成する主要な条件である労働の場所を変えたいという強い気持ちと要求、私有制と事業主に対する強い偏見の急激な弱体化。次のような観測は注目に値する。従来、工業企業の管理者は「保守主義の大黒柱」と表現されてきたが、彼らこそが最も一貫した市場経済の推進者であることが明らかになった。
 最後に次のことをいっておきたい。ロシアの諸選挙で改革派が勝利したが、この選挙結果は決して偶然ではなく、たまたま生じたのでもない。それは、さらに強まっている人民の新しい考えがもたらしたのであり、その構成要素は社会の自覚とさらに調和していくものなのである。
  リリヤ・ババーイェヴァソ連科学アカデミー社会学研究所