1992年1月10日         労働者の力                第29号

ソ連邦の解体・20世紀社会主義の敗北 

                      織田 進


ソ連邦は解体し,独立国家共同体が発足した.
七0年間にわたり「諸民族の牢獄」の「とらわれ人」であった各民族は,この牢獄を打破して,自分の国家を自分で決める権利を手にした.
帝国主義に対する人民の闘争の歴史において,ソ運邦がはたした役割がどれだけ偉大なものであったとしても,民族の独立した生存と発展に向かう熱望を抑圧し,封殺する巨大な装置として機能し続けてきた今日までの歴史に終止符を打とうとする各民族の闘いは,もはやだれにもさまたげられなかった.ベルリンの壁の倒壊から始まった過程,いやむしろゴルパチョフのぺレストロイカの発動から始まった全過程が,「結論」に到達したのである.「社会主義の改革」を掲げたぺレストロィカは,「保守派」と規定された勢力が危倶し,ゴルパチョフ自身が懸命にその現実化を回避しようとした「最悪のシナリオ」へと行き者くことによって,「敗北」に終わった.
各共和国の独立した主権の全面的承認の上に,ゆるやかな連合として調整を模索する「独立国家共同体」は,それ自身新たな対決と混乱の幕をあけることになるのだとしても,各民族の自主的な選択として選ぴ取られたものである限り,民族自決の名において無条件に支持されなけれぱならない.「共同体」と各独立共和国の人民が,今日の直面しつつあるきわめて深刻な困難を乗り越え,民主主義と自由を基礎とする自治の実現に向かって前進するために最大限の援助を行うことは,恒久平和を希求する全世界の緊急な義務である.

一 ソ連邦の解体

1 もう一つの「クーデター」

ソ連邦は,ロシアー,ウクライナ,ペラルーシの三共和国の大統領が,「ソ連邦の消滅を確認する」共同宣言に署名したことによって,「消滅」した.エリツィンは,「血を流さないで」目的が達成されたことに満足を表明し,彼らの企図が実質的に「クーデター」に他ならなかったことを自ら語った.
八月の保守派のクーデターは,ゴルバチョフから連邦を奪い返そうとするものであったが,三共和国首脳によるもう一つの「クーデター」は,ゴルパチョフと連邦をひとまとめに葬り去るものであった.これが八月の事件同様「クーデター」の名にふさわしいのは,どちらの場合もソ連邦の運命を人民自身の判断にゆだねようとするいかなる努カも排除し,ひとにぎりの「指導者」の独断にのみ根拠をおいた権カ闘争にすぎなかったからである(独立を選択する国民投票を圧倒的に成立させたウクラィナについては,非難をまぬがれる根拠がわずかにあったといえるが,そのような根拠があろうがなかろうが,クラフチュクがためらわなかっただろうこともたしかである).「運邦解体劇」を通して,これらの「指導者」たちが昨日までのスターリニストととして,今でもおよそ「民主主義」から遠いところにいることが明らかになったが,事態のこのような性格は,現在進行中の各共和国の権カ移動と経斉再編を共通して規定している.
ゴルパチョフの「新連邦条約」は,連邦の運命を共和国にゆだねようとするものであった.そのなかで,連邦と共和国の力関係はすでに逆転していた.共和国が連邦を不要とすれば,連邦はその存在をやめることになるという関係が,「新連邦条約」をすでに規定していたのである.それにも関わらず,ゴルパチョフが連邦の存続に自信を持っていたのは,過渡期の経済的困難を共和国全体が共同してくぐり抜けて行くと同時に,核兵器を含む連邦の遺産が国際的な承認をえられる形で管理されるためには,一定の権限を持った共和国相互間及ぴ西側諸国との折衝と調整の機関を残すことが不可欠であるという「合理的認識」が,現実的な説得カを発揮できると考えたからである.だが,こうした「合理的認識」を拒否するに当たり,共和国側は,何らかの「合理的」説明を行う義務を自分に課す必要を感じなかった.彼らは連邦が瀕死であることを見て取り,いちはやく自分の相続分を確定しよ
うとしただけである.後のことは,そのとき考えれぱ良い・・・.
連邦を最終的に解体した直接の,最大の主体は,ロシア共和国の反連邦勢力であった.エリツィンをかつぎ上げたこの勢カは,連邦の遺産相続において獅子の分け前を要求し,またあてこんでいる.だが,連邦が作り出すにいたった巨大な負の遺産,その難題の解決をどうするかということは,別の話である.彼らが,ロシア側の支払超過となる「低開発」諸共和国に対する「扶養義務」についても熱心であるなどとは想像しない方がよいであろう.連邦解体後は,ロシァがこうした義務からも解放されたと感じることのほうが,ありそうなことである.だが,連邦遺産の相続については,すべての共和国にその「資格」があり,また意欲もある.「共同体」ははやくも,その語の美しい響きに反して,いわば遺産相続をめぐる骨肉あい食む争闘の舞台に変わりつつある.軍隊と軍事カをめぐって,国有計画経済の資本と機構をめぐって,資源と国有財産をめぐって,非和解的な利害対立の相続問題が「共同同体」の主要議題となっている.抑圧された民族が自分の運命を自分の手に取り返す闘いの勝利であるこの「連邦解体」において,同時にこれらの諸民族は,「連邦」という隠れ蓑を持った大ロシア主義の代わりに,むきだしの大ロシア主義と直面することになったことを思い知らされるかもしれない.
この「クーデター」が遺産相統人たちが共謀した「死亡宣告」であった以上,それに続くものが相続争いであることもやむをえないのであろう.
この「クーデター」の反民主主義的性格を見れぱ,「共同体」がスターリニズムを克服
した民主的自冶の共和国の連合となることがあらかじめ約束されていると考えることは到底できないのである.

2ソ連邦の解体

ぺレストロィカの過程が連邦の解体にまで到逢してしまったのは,改革の期待に反して深刻化していった経済危機を,最後まで克服できず,日々悪化する経斉が,国民生活を破局の淵に追いつめていることにある.
改革への施策が逆効果となって経済危機を悪化させていった原因は,単に価格の自由化を思い切って実施しなかったとか,改革のテンポが遅すぎたとかのいわゆる「中途半端さ」のためではない.改革の原理的な視点が,そもそも確立されていないのである.
改革が経済危磯を深化させることとなつた本質的な要因は、第一に農業の徹底的な改革から始めなかつたこと、第ニに市湯経済の諸原理の導入と所有関係の改革とは整合的にしか進展しえないとい原則的視点を貫けなかつたことにある。もちろん、農業の徹底的な改革は、土地所有関係の改革なしにはありえない。
所有関係の改革とは、私有制度への部分的な移行を含んだ、国有資本のできるだけ多くの部分を勤労人民の所有または管理のもとへ移すことであり、このような移転の効果を長期にわたつて法的に保証することである。
だが所有関係の改革は、国有財産の管理運用主体である連邦機構の解体によつて行う
以外には成しとげられない。すなわち、連邦そのものに手をつけなけれぱ、生産と流通の新しい主体を作り出てすことはできないのである。
今日までの改革が、この根本のところで中途半端であつたために、市場原理の導入に呼応して生産活動・流通活動を積極的に展開する経営主体はいぜんとして登場せず、全体としては旧態依然たる経済官僚に統括される企業体によつて改革はサポタ-ジュされ、わずかな個人経営とたぷんに投機的な活動を行う「協同組合」企業などによつて供給される「自由市場」は、消費物資の野放しの高騰によつて一部「資本家」に巨富を提供したのであるが、これは全般的な物不足の中では、市場原理の導入によつて期待されたものとはちょうど反対の、最悪の独占価格の実例を示す以外のものではなかつた。
この経洛危機の悪化は、人民の内部、諸共和国・諸民族間で不平等に貫徹した。とりわけ、共和国間・民族間の不平等の拡大は、国有計画経渚の分業システム全体が諸共和国・諸民族の特定産案・特定部門への特化を基礎として構成されていることに起因している。それゆえ、経済危機に対する不満の増大は、容易に民族間の対立や、それを通じて連邦そのものへの敵対の発展に帰結したのである。
このように、改革の失敗が経済状況の悪化を導いたときに、人民の不満が連邦解体を要求する民族主義のエネルギ-に結ぴついていく根拠が、連邦の歴史的あり方に手をつけない改革の方法的限界の中に存在していた。連邦の地下に長い間押し込められてきた民族主義の伏流を地表によぴだしたものは政治的なペレストロイカであつたが、経済危機の深化が最後の堰を突き崩して、民族自決の圧倒的な奔流が、連邦を押し流したのである.

二 独立国家共同体の前途

1民族対立の深化

連邦の解体によって、「共同体」及ぴ旧ソ連邦所属の諸共和国と諸民族の対立を緩和し、共同的な発展に導いていく調整機能は、きわめて弱体化した。したがって、どの程度の期間それが続くのかは別として、一定の時期、民族的な対立が激化するであろうことは避けられない。
ソ達邦は、その国家としての法的な枠組みによって多様な民族を統合してきただけではない。実質的な統合を可能とする強カな紐帯として機能する現実の諸要素によって、連邦は維持されてきた。そうした役割をはたした主な要素は、第一に連邦規模の計画経済の分業体系への各民族経済の組み込みであり、第ニに全連邦共産党への各民族共産党の組繊的な統合を媒介とするイデオロギー的統一であり、第三にKGBを中心とする連邦の警察的・軍事的強制であり、第四にこれらの物質的基礎としてのロシァの工業的経済力と各共和園へのロシア人の「入植」である。だが、連邦の解体という新しい情勢のもとでこれらの諸要素もすでに崩壊し、あるいは崩壊しつつあり、あるいは逆にそれが新たな民族対立の火種に転化しつつあるのに対してこれらに代わって「共同体」の統合の基礎となるベき新しい要素は形成されてきていない.
「共同体」の存続が、各民族共和国の利益として今後も受けとめられていくか、それともしっこくとして感じられるようになるかは、いまだ確定していない。だが、たとえ分離への衝動が優勢になったからといって簡単に「共同体」を解散して厄介払いすることもできないだろう。各共和国経済はいまなおロシアとの深い依存関係にあり、またロシア人の大量入値を含め、各共和国の民族の混在が深く進行しているため、共和国内部の民族対立をそれぞれの国家で解決することは、絶望的に困難である。
「共同体」の危機を深化する民族的な要因は、大きくわけて次の三つの傾向となるであろう。
第一は、ウクライナの反ロシア主義と「共同体」そのものからの独立の傾向がいっそう深化することである。第ニは、中央アジア諸民族の「ィスラム圏」への接近や、他の諸民族の近隣民族への接近による「共同体」離反の傾向が拡大することである。第三にロシア連邦では、一方で「共同体」内でのロシアの優越を実現し、諸共和国におけるロシアの権益を防衛しようとする大ロシア主義の傾向が発展し、他方では分離独立を主張する連邦内諸民族の民族自決の運動が発展してこれと対立するであろう。
「共同体」がこうした民族対立に適時の介入を行い、妥協の道を探ってその深刻化を防ぎながら、新しい共存の枠組みを作りあげていく慎重で精カ的な努カを積み重ねて行かなけれぱ、諸民族のきわめて悲惨な対立・抗争の時代が一挙に訪れる危険が存在している。この局面で鍵となるのは、事態を全世界的な、また歴史的な視野で洞察し、自らの役割を決めることのできる国際主義的な改革派が、ロシアの中で大きなカを持つにいたるかどうかということである。今日までの経過を見るとき、エリツィンが代表している傾向にそうした思慮深さを期待することはできないが、全体としてのロシアの改革派の中には、「共同体」の新しい発展を担うべき勢カが存在していると信ずる根拠がある。
民族対立は、それぞれの国の少数民族の権利の擁護の原則から離れては、和解と共栄の道に進むことができない。和解を永続的なものにするのは、少数者の権利の侵害を排除する制度的な保征を持つ民主主義確立することである。こうした制度的前進は一挙に実現できないことが明らかであるから、入りくんだ民族対立を調停する国際機関の存在は不可欠である。「共同体」はそのような役割をはたさなれぱならないし、主たる担い手としてのロシア連邦が、他の共和国の信頼を獲得しなけれぱならないのである。
西側からの援助をめぐる交渉において、弱体な共和国の保証をロシアが引き受けるべきである。ロシアの譲歩と忍耐によってはじめて,「共同体」を信頼と協調の磯関とすることができる。諸共和国の経剤再建が、特定の共和国の困難を増大させることなく,全体として互恵的な発展の枠組みを作り出すことに成功すれぱ、民族対立を平和的に解決して行くための時間と場所を手にいれることができるのである。

2経済危機脱出の展望

今日の経済危機は、過渡期の困難である。それは、すでに破産し、機能しなくなった官僚的指令制の経済から、「次の経済」への移行の過程で生じている困難である。この困難は、肝心の「次の経済」とは何かが具体的に明らかにならず、プランとしても作業としても確定できないことにある。「次の経済」が、市場原理の導入を伴うことは明らかであるとしても、新しい経溝主体の創遣をぬきにして、単に市場原理を官僚的指令制の経済の主体に押しつけるとき、そこには今日見られるような混乱が広範に発生するのである。彼らは、市場そのものにしたがおうとはせず、市湯を彼らにしたがわせようとする。計画制度から官僚的特権を引き出せないなら、市墳から引き出すまでだーーこれが彼らの単純な方針である。彼らにはそれができる。なぜなら、彼らが生産を握っているからである。生産手段の官僚的独占のもとでは、市揚は独占市場となる以外にない。生産関係の「革命」、すなわち生産手段の官僚的所有の「革命」によってしか改革は実現されない。市場は、その原理に意識的に適合しようとする経済活動の主体が広範に存在しなければ、その効カを発揮しないのである。生産手段の官僚的的独占を打ち破る「革命」が必要である。だが、この「革命」が、単純な形億と少ない時間で成しとげられると考えることはできない。経斉活動の新しい主体を、法令や計画によっていくらでも生み出すというわけにはいかない。それは、階級の成長の問題なのである。
改革の困難がテンポの遅れにあるという理解,急進的な改革をなすべきだという考え方については、慎重な判断が必要である。改革のテンポは、新しい経済的主体の登錫と、その成長の速度に規定されるからである。重要なことは、国有企栄や協同組合企業の経営に積極的に介入し、労醐者の剰益を防衛しつつ経営そのものを監視し、必要なときには自ら経営的判断や計画を策定する能力を持った自主的な労働者の運動を広範に作り出すことである。
最も急進的な改革が必要な分野は、農業である。
農業改革の中心的な目標は、「独立自営農民」の創出である.
コルホーズ、ソホーズを解体して、「階級としての農民」が作り出さねなけれぱならない。自分の農地を所有し、自分の農機具を所有し、自分の家畜を所有し、自分の才覚で作物を栽培し、単独でまたは他の農民と共同して、より多く、よりよく生産することによって豊かになろうとする農民たちが、「階級」として復活しなけれぱならない。スタ−リンの強制集団化がソ連経済に対して行った最大の犯罪は、階級としての農民を じたことであった。ソ連邦の農業は、その最も勤勉で、進取の気風に富んだ担い手を、文字どおり根こそぎ奪い取られた。そのため、工業は生産性豊かな農業の基礎の上に立脚することができず、農業は国家投資を呑み込む底なし沼のようなものになった。ソ運経済が「不足の法則」に貫かれるようになったのは、まさにこの結果に他ならない。
今日直面している経済危機は、ソ連経済の体質的欠陥が一挙に露呈しているものなのであり、何らかの特効薬の処方によって、たとえぱ「価格の全面的自由化」などの「ショック療法」などによって解決され得るものではない。当面の危機に対処するための対策とは別に、ソ連経済の根本的弱点を克服していく長期的な改革方針が示されなければならない。長期的な戦略の正しさと、具体的な一歩ずつの改革のべクトルが一致していることが実感されたときには、人民の自信が回復し、勤勉が戻ってくる。スタ−リンがやったことのちょうど逆の仕事をしなけれぱならないのである。
全面的な「農地改革」が必要であり、「土地を農民に」こそが改革の最初のスローガンでなければならない。農民の土地に対する私有権は、相続権を含めて永久に保証され、そのいかなる処分権も認められ、ただ獲得した利益に課せられる税だけが国家に属するものとするべきであり、それも初めは低率でなけれぱならないであろう。そうでなけれぱ、保護された雇われ人の身分を捨てて進んでリスクを背負う立場に立とうとする人々を、国家の農場から大量によぴだすことは困難であろう。改革のために市場原理の全面的導入が必要であることは、明らかであるが、国営企業の大部分が私営化されなけれぱ、すなわち、市場原理が生産に貫徹しなけれぱこの原理は有効に働くことができない。したがって、市場原理の導入の過程は、これまでの国有計画経済の構造全体の「革命」を要求するものとならざるをえない。この「革命」は、国有計画経済(生産手段の国有を基礎とする計画経済)こそ社会主義革命のゆえんであるとしてきた立場からすれぱ、まさに反革命的な事業であるととらえられることになろう。だが、そのような事業なしには、数億の国民が今日の飢蛾状態を脱することができず、より豊かな未来を築く展望を持てないとすれぱ、人々はそれを遂行するのである。
だが、この過程全体が、社会の広い「底辺」や「弱い」立場にある民族・人民により大き犠牲を転嫁するものにならないために、「共同体」や共和国が組織的に推進する義務をはたすべきであろう。まず最初に、軍事支出の大幅な削減を行って、福祉的支出のための財源を確保すべきである。
市場原理の全面的な導入による経済再建の過程は、物心両面にわたる西側の援助なしには進展しないであろう。それは物資の提供や金融支援にとどまらず、生産と市場のシステムを管理する技術の供与や教育などを含むであろう。第二次世界大戦の終結後にヨーロッパや日本で行われたような規模の援助が必要なのである。それはあたかも、西側諸国の管理下で旧ソ連圏が再組織されて行くような光景を呈するであろう。だが、市場原理導入による経済再建の方策について、「共同体」側にいかなる主体的準備も存在しないこと、彼らにはそれができそうもないことは、すでに明白である。無能な瞬巡を続け、改革の断行を遅らせることによって、国民の困難をさらに引き延ばすことに比べれば、明白な破産を承認して、管財人の管理を受け入れることの方が、まだしも義務に対して忠実であるといえよう。
だが間題は、今日の「共同体」や各共和国の指導者たちに、このような選択が可能であるかということである。彼らがなすべき改革の中心は、依然として官僚的特権の基盤として機能し続けている国有経済の構造全体を解体するために闘うことである。彼らにそれができるのであろうか。彼らの多くは昨日まではまぎれもないスターリニストであったし、今日でも本質的にはそうである。彼らが自らをどこまで変えうるか、現在の段段階では改革の成否がそこにかかっている。なぜなら、彼らに代わってこの事業の遂行に取り組むべき新しい指導層が、すでに下から育ってきているとは、言えないからである。


3 「共同体」はどこへ向かうか


ソ連邦が世界から消え、いままでそれがあった場所に、「共同体」の名で今は呼ばれている未定型な国家連合が存在している。
この「共同体」は、何ものであるか、何ものになり得るのか。
それは社会主義の歴史においてどんな意昧を持つのか。
それとも一瞬のエピソードとしてまもなく消え去る運命にあるのか。
「共同体」と各共和国が歩きだそうとしている経済再建の方向が、資本主義経済の方法と諸原理の導入であることは明確になっている。国有計画経済のシステムが全体として破産した以上は、その再建の方策を資本主義から借りてくることになるのは、不可避である。
だがそれは、これらの国に「純粋な」資本主義がつくられること、あるいはつくりうることを意昧しない。行われようとしているのは、国有計画経済のシステムに「資本主義」を接木こと、官僚的指令制度上の構造物の資本主義的な変形を試みること、そして経済活動の諸主体の資本主義的「転換」を組織していくことである。
こうした過程を通じて再編されていく経済が、どの程度に「資本主義」であり、またどの程度に依然として「社会主義」であるかを、あらかじめ確定することはできないし、また一様でもない。
各国は、その支配的な諸民族の歴史的条件と社会・階級関係に規定されて、独自の構造を有する経済を持つであろうし、それに規定された国家の性格を持つであろう。しかもそれは、けっして短くない期間の経験的な試行錯誤の結果として生み出される。強制カを持った連邦の枠組みが解体した今、これらの歩みは、それぞれに異なる創造の過程である。この過程にあらかじめドグマの型をあてはめ、レッテルを貼りつけるようなことはできないし、すベきでもない。
つくられていくこれらの経済構造の中で、どの程度に労働者と農民が積極的な主体としての位置を確保できるか、「人民の統制」が制度上及ぴ実力として確立されていくかが問題である。こうしたことは、これらの国家でこれから展開されていく階級闘争が決める。「共同体」諸国の経済再建の過程は、民族主義的闘争と複雑に絡み合わせた階級闘争そのものである。労働者と農民のさまざまな部分が、自らの経済的な利害を集団として防衛し実現して行くために闘争する過程としての経済的・政治的な階級闘争を通じて、はじめて経済の再建も進んで行くであろう。なぜなら、それなしには市場経済を支える諸階級の経済倫理が確立されないからであ
る。
これらの「資本主義化」過程において、現在の段階で先頭に立っているのは、多かれ少なかれこれまでの共産党官僚である。だが、彼らもまた変革を迫られる。使いなれた官僚主義の手法は、いつまでも通じない。「異なる創造の過程」は、人間にも貫徹せずにはいないのである。
「共同体」は長期にわたって存続し、積極的な調停者としての役割をはたし得るであ
ろうか。
「共同体」の現在の構成要素に関する限り、あきらかに不信と遠心力が求心力を上回り、課題の困難性が指導者たちの能力や視野を上回っている。だが、西側諸国は諸国家・諸民族の対立が収拾不可能な事態になることを恐れており、調停機能の存在を援助の条件とする。経済の再建は、西側なしには考えられない。ただそのために、全面的な分解の衝動が抑えられている。国有計画経済の「資本主義的転形」と、民族射立を和解と共存の枠組みに包摂しうる民主主義の建設という課題は、各共和国の死活の、しかも共通のものである。「共同体」がその課題の解決の協働の機関となる場合にはじめて、またそのようにとらえる共和国にとってだけ、現実的な根拠が生じる。だがいずれにせよ、この「共同体」が「社会主義の改革」の展望をさし示してくれることを期待することはできない。「共同体」にいま要求されていることは、それとは別のことである。
ソ運邦の解体は、全世界において、国家間の闘争の手段としての軍事力とその行使を永遠に廃絶するために闘うべきこのうえない機会を提供している。
いまこそ、すべての核兵器の廃棄と「恒久平和」のために、あらゆる国で立ち上がるべき時である。そしてこの世界的な平和のための闘争こそ、「共同体」を民主主義を求める旧ソ連邦人民の長期的な共同作業の場所とするための条件を作り出すのである。

三「ゴルバチョフ改革」の敗北・20世紀社会主義の敗北

ソ連邦の解体は「ゴルバチョフ改革」の敗北を意味している。ゴルバチョフは、「社会主義の改革」が可能であると信じてぺレストロィカを始めた。彼にとって、社会主義の改革はソ連邦の改革でなけれぱならなかった。ソ連邦こそ、歴史的な社会主義運動の最高の産物であり、現存する社会主義そのものである。「ソ運邦の改革」に失敗したぺレストロィカが連邦解体に帰結したとき、「ゴルバチョフの改革」は敗れ云ったのである。
「社会主義の改革」の敗北がソ連邦そのものの否足に行き着いたことは、現存社会主義の再生の試みが破産し、ニ○世紀社会主義が世紀末を迎えたことを意昧する。
ニ○世紀社会主義はなぜ敗北したのであろうか。
それは、この社会主義が人間に対する強権的な統制の体制であることを最後までやめられなかったためである。社会主義は、「自由の王国」になれなかったのである。
国有計画経済は、統制経済であった。この統制は、敵との対決によってのみ正当化されえた。社会主義は帝国主義との対決の体制であり、そのようなものとしてあるときにのみ、いきいきとしたエネルギーで満たされることができた。
だが、引き延ぱされ、日常と化した対決の体制は、巨大な浪費の体制となり、進歩と相いれなくなった。それは、膨大な「無駄」を人類全体に強制した。この無駄の中で、体制は衰退していった。
この矛眉をのがれようとする努力が「平和共存」へと導いたが、「平和」は体制から統制の根拠を奪った。かじが「右」に切られすぎると、そのつど復元力が作用しなければならなかった。そのようにして、フルシチョフは失脚した。
だが、ゴルバチョフの時代までには、復元力自体が衰退し、無力化した。ゴルバチョフの「行き過ぎ」を途中でとめることができず、絶望の果ての最後の企図は、体制そのものを自ら葬り去る結果に終わった。
ゴルバチョフの登場がなけれぱ、腐敗の極に達していたスターリニスト官僚独裁の国家の崩壊は、これとは違った時期に、これとは違った形で、おそらくはるかに深刻な犠牲を伴って芙現することになったであろう。ゴルバチョフが、自らその再生を信じたソ連邦とニ○世紀社会主義の解体にいたるまで突き進んでしまったのほ、その意に反してであることはもちろんだが、類まれな理想主義と、合理的なものとしての社会主義に対する確信に導かねたものであったことも明らかである。この悲劇的で、真に革命家の名にあたいする数少ない人物の1人であるゴルバチョフは、世界と人類に対する巨大な貢献と、自分自身の闘いの最後的な敗北とをニつながらに引き受ける矛盾を背負った。だがこの矛盾は、ニ○世紀社会主義運動の歴史が本質的にはら
んだものに他ならない。
ふりかえれぱ、スターリニスト官僚体制の危機の深さは、ゴルバチョフを最高指導者として選びとったそのことのなかにあらわれていたといえよう。
ニ○世紀は、社会主義と資本義の対決の世紀であった。
トロツキストたる者が、このニ○世紀社会主義の敗北の過程を、「スターリニズムの自滅」などと規定するならぱ、現実に背を向けることになる。そのような規定は、自分を偽ることになる。
もし、資本主義の生命力が先に枯渇していれぱ、社会主義は自滅しなかったであろう。そのときには、トロツキーの展望である労働者国家の政治革命によって、スターリニズムを打倒する課題が現実のものとなっていたかもしれない。
だが、資本主義は社会主義より生き延ぴることに成功した。
なぜなら、「先進」資本主義諸国のプロレタリアートが、資本主義の中で階級として生きることに利益を見いだしたからである。プロレタリアートがその階級闘争を資本主義の中での利益実現の闘争として展開することに限定したとき、資本主義は成長のシステムを持続的なものにすることができたのである。
だが、スターリニズムのもとでは、プロレタリアートは自らの利益のために闘うことを禁じられた。自らのために闘いえない階級が、創造的であり続けることはできない。まさにこの点において、ニ○世紀の資本主義は社会主義を越えたのである。
ニ○世紀社会主義の敗北は、単にスターリニズムの自滅なのではなく、高度に発展した資本主義諸国のプロレタリアートの問題でもある。ニ○世紀社会主義の敗北としての「ゴルバチョフ改革」の敗北は、われわれ自身の間題である。「ソ運邦の防衛」は、われわれの綱領であったのだ。
旧ソ運邦のプロレタリアートと諸民族は、「資本主義化」過程を歩きだしている。東ヨーロッパの人々も事情は同じである。
「非スターリン化」の時代の後には何がくるのであろうか.
全世界の人々が、同じ課題に直面するであろう。それは、世界のあらゆる地域に展開し、人類のあらゆる集団に浸透し、汚染し、破壊し、確実に破局に向かいつつある資本主義に立ち向かうことである。
人類と地球全体の未来がかかるこのただ一つの問いが、すべての民族、すべての人々に、つきつけられていくのである.
われわれは社会主義を追求する者として、この問いに答えようとする。
われわれは社会主義こそがただ一つの回答であると主張しようとする。
だが、そのためにこそ、社会主義とは何であるかをいわなけれぱならない。
ニ○世紀社会主義の敗北に照らし、原点からはじめて、社会主義を明らかにする闘いをつづけなければならない。

ブレスト条約と今後を展望する
 モスクワニュース紙51号(91年12月29日)


 以下は、モスクワニュース紙の創設者などによるブレスト条約の評価と今後の展望に関する予測である。それぞれが執筆されたのは昨年の十二月半ばであり、十二月三十日にベラルーシのミンスクで行われたCIS首脳会議の前である。モスクワニュース紙には十一人の予測が掲載されていたが、本紙ではそのうちの一部を掲載する。

レン・カルピンスキー(編集長)
 ブレストで調印された条約はよいもののように思われる。それがついにようやく真の統合の過程を開始したからである。最近は、毎日誰それが独立を宣言したとか、連邦から分離したとかいうニュースが流れている。ブレスト会議は、三つの主要共和国に影響を与えている過程に一定の秩序をもたらした。希望的観測であるが、その他の共和国にも同様の効果があるだろう。
 まず第一に経済に、重要な影響を与えるだろう。共同通貨としてのルーブルに関する同意、価格自由化日に関する同意、食糧・エネルギー供給での相互援助に関する同意――これらは、経済状況を安定させ、市場経済へ協調して向かうための重要な措置である。
 この条約は、おそらくウクライナがロシアと完全に分裂するのを阻止する唯一の方法である。両国が分裂することは、ロシア的な意識にとっては真の悲劇である。数百万のロシア人が、ウクライナの内ロシアあるいは大ロシアは存在しえないと考えている。同様にロシアから切断されたウクライナも、歴史的には考えられないであろう。そして両国とベラルーシとの結合を修復したこと自体が、ブレスト会議のとてつもなく重要な結果である。
 世界の他の諸国はもちろん、誰が軍備、戦略軍を管理するのかを憂慮している。管理されない軍隊というものは、それ自身が独立した政治力となり、そうなれば現在のユーゴスラビアと同じ事態が生まれかねず、唯一の違いはわが国に核兵器が存在しているということである。しかし、クレムリンの単一センターから軍隊に司令を発することはもはや不可能である。ソビエト大統領の力が弱くなった今日、各独立国家は軍隊に対する安定した管理がより容易になったと思うかもしれない。
 問題のもう一つの面を考えよう。ブレスト会議に参加した二人の主要人物がモスクワでほんの少し前に同意されたゴルバチョフ提案の新連邦条約案の討論期間中、その同意とは無関係の別の条約について討議するためにだけそこに参加していたことをどれほど苦痛に思ったか、知りたいと思う。独立国家共同体(CIS)が参加することを許される役割しかないその他の参加独立国家に対するビッグブラザーズの役割を果たそうとしているとの感情をぬぐいさることはできない。
 民主的権利が高度の価値を持つのが文明社会であり、ここでは「政治的便宜」のためにこれらの価値が無視されてはならない。ウクライナとベラルーシのそれぞれの議会がミンスク協定をただちに承認した事実は、その協定を法的にはつまらない基盤に据えた。この過程は、一九八五年以前に存在したおなじみのパターン、つまり頂点でなされた決定が最高ソビエトで「満場一致」の承認を受けるというパターンをたどった。こうしたやり方が法治国家への転換と別れを告げることになるのではないかと、恐れる。しかし、時間とともにすべては落ち着くべきところに落ち着く。それまでの間に、ブレスト会議での三カ国のイニシアティブを評価するようにしよう。
 
アンドレイ・グラチェフ
 統合の過程以上のものを約束している新しい現実をわれわれは生きている。
 まさに新旧の中央権威をそれぞれ提唱する二つの、そして新旧の二つの国家概念を提唱する間での対決が存在している。だから、旧体制を修復しようとする試みが完全に消え去ったのではない。軍隊と旧体制の修復を好む勢力に傾いた活発な動きがみてとれる。
 このような中にあって、われわれを統一する価値を、政治よりももっと重要な価値を探さなければならない。新旧双方の政治家たちは失敗したのだ。旧来の概念によって立つ政治家たちは今日の破局をもたらしたのであり、新しい概念の政治家たちは法律が完全に無視されていた過去にわれわれを連れ戻しかねない。というのは、後者は、政治目標を実現するための手段の方が目標よりももっと大切だという事実を軽視しているからである。
 問題の国際的な側面について少し考えてみよう。西側諸国の人々は、「戦後の時代」が終わり、今や「前戦争時代」にいると考えている。台風の目の中にいるわれわれは、このように感じることはできない。核兵器問題に関するわれわれの政治家たちの無能は、われわれ以外の人類にとって一つの悪夢である。西側では、「三つの核のボタン」や新たな核保有国の出現が語られている。この問題が明らかになるまでは、不安は去らない。そして、われわれにとっては、それまでは、西側との政治的な対話や援助は望むべくもない。

ニコライ・ペトラーコフ
 ブレストで署名された条約を歓迎できるとすれば、それに代わる方法がない場合である。エコノミストの観点から、代案がないかどうかについて、私は疑問がある。ルーブル圏に関する同意にすべての人が満足しているように見える。ブレスト条約は、ルーブル圏が一九九二年末まで存続するという。これは逆に、独立国家がそれまで独自の通貨を使えないことを意味する。われわれはまだ、ECU(欧州通貨単位)のような共通通貨を持つ準備がない。それまでの間、独自通貨を持った他の共和国とのつきあい方を学んでいかなくてはならない。唯一の問題は、コメコンの経験を繰り返すのだろうか、すなわち交換性を持たない独自通貨を保有することになるのだろうかという問題である。これは袋小路への道である。それとも戦後ヨーロッパの道を進もうとするのか。この場合、すべての独立国家が協調した通貨政策を追求しなければならない。
 通貨政策の協調は、ロシアの改革に大きな疑問符を投げかける。ロシアは依然として膨大な紙幣を印刷しつづけている。ウクライナで発行されている通貨の二倍以上を流通させている。このやり方は、どんなタイプの連邦国家をも弱体化させる。ロシアの経済改革を他の国家に波及させるだけでなく、一定の協調した政策が必要である。そうでなければ、ロシア新政府内部の急進改革派の方針が、ロシアとその将来のパートナーに対してひどい結果をもたらすだろう。
 ブレスト会議を開いた人物の政治的な偽善はもちろん、われわれを落胆させる。だが、なぜこれほどに政治的にセンセーショナルになっているのか。誰が誰を恐れさせようとしているのか。ルキャノフとゴルバチョフが同じゲームをしたとき、立腹しなかっただろうか。

イーゴル・ヤコブレフ
 条約が署名されたが、これはこの数年間で最も意味ある事件である。結果から判断するだけである。これまでのソ連の解体は無統制であった。これからは、統制された解体となっていく。つい昨日までわれわれは、この条約がさらに解体を進めると思っていたが、今ではもっと多くの独立国家が酸化することを希望している。
 なにが再結集を促進する力なのだろうか。第一は統一への願望であるが、これは旧ソ連へ復帰する道とは違う。もし独立国家共同体が不安的であることが分かれば、旧ソ連への復帰方針が再び現実のものになってこよう。ほんの一カ月前にロシアは、ロシアこそがソ連の正当な後継者であり、他の共和国が追随すると考えて独自の改革路線を推進すると発表したのであった。この路線がうまくいかないことが明らかになると、ロシアはただちに路線をスラブ三カ国連合に切り替えた。現在、非常に流行している政治のやり方は、憲法や諸法を無視して突進し、そして何事もなかったように逆戻りするというものである。新しい共同体のメンバーが悪手を放たず、共同体全体を荒廃させないという保証はあるのだろうか。
 連邦大統領制の問題は、特別の議論に値する。最近の一連の事態の動向と報道は、大統領が辞任すべきだというものである。もし大統領が新しい基礎の上に共和国を再結集する方針に支持を得ることができれば、彼の役割が終わっているとはいえない。この過程ははじまったばかりである。条約自身はまだ共同体そのものではないし、共和国間の関係が非常に複雑なので大統領制度は非常に有効である。その上ゴルバチョフは、最高司令官なのであり、この役割を継続する能力を持っている。最後の問題として、国連の問題がある。ソ連は国連のメンバーであり、新共同体がすぐに国連メンバーになることはできない。もしゴルバチョフ大統領がそれぞれの独立国家が国連のメンバーになるのを支援できるとすれば、それは名誉ある有益な役割である。

自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合の結成をかちとろう
             川端康夫


はじめに―新たな組織概念への挑戦

自治・運帯・共生の社会主義をめざす政冶連合(Socialism Now)の準備が続けられている。昨年七月に準備会が形成され、ニュースレターがニ号発行され、今年の正式結成が予定されている。
政治連合形成の準備討論は、着手されてから数年を経過した。討論はいまも続いている。今後も続くであろう。
さまぎまな経過や出自をもつ党派や個人の見解が簡単に一致点に到達することはありえないが、にもかかわらず多くの討論を支えたものは、従来常識的に理解されてきたマルクス主義、レ−ニン主義に光をあて、自らの過去に対する反省をもつことからはじまる協同作業への努カであった。
政治「連合」の概念自体が従来の前衛党と統一戦線という枠組みから自由になることなしにとらえきれない。討論はまさに、党、そして統一戦線に対する認識の転換なしに進められない性質のものでもある.
政治連合への討論は、こうした党・統一戦線の枠組みに触れることを繰り返してきたといえる。そしていまだ明確な結論が共通のものとしてうちかためられたといえるものでもないであろう.
にもかかわらず、共通の枠組みは存在している、とあえて強調しなけれぱならない。それは第一に前衛党主義はとらないという認識であり、第ニに「マヌーバー」としての統一戦線論の前提的排除である。
政治連合への出発は、まさにここの認識を共有するところにあると考える。

インターナショナルと「統合」化路線

第四インターナショナルという、理念としての世界党の一翼たらんとするものにとって、「政治連合」はどのような位置関係になるのか。
第四インタ−ナショナルにとっての難問の一つとしてありつづけてきたのが、大衆的インターナショナルへの道であった。加入戦術などの試みはその現れであったが、成功したとはいえない。
現在、インタ−ナショナルは一九八○年代中期の第十ニ回世界大会の「労働者インターナショナル」の概念に基礎をおき、濃淡はあるが、「統合」路線を各国で展開している。
以前と比較して、この「統合」方針は、いわゆる「戦術」−日本語で理解される「マヌーパー」―としての性格・位置が相対的に希薄である。同時に、世界党としてのインターナショナルの存在そのものが逆に「統合路線」によって対象化・問題化される様相も示している。すなわち、インターナショナル形成、強化の戦術というよりは、現在のインターナショナル自体が新たな「統合」の対象として意識されざるをえないのではないか、ということである。これはきわめて重大な論争を引き起こすであろうし、インターナショナルの討論は第十三回世界大会を見るかぎりにおいて、こうした問題意識に対する拙速主義を回避している。だが、問題そのものを無視することはできない。インターナショナルはさらに、過去の十年間において、フェミニズムとエコロジ−の視点を績極的に自らのものにしようと努めてきた。このことは高く評価されなけれぱならない。しかしインターナショナルの旧来の体系と整合的化したとはいいきれない。フェミニズムとエコロジ−への対応は、いぜんとして行政的・戦術的な性格を残しており、インターナショナルの従来からの体系への「接き木」的なものを脱してはいない、いわぱ過程的状況にある。
これらは、インターナショナルはソ連邦解体という事態がないとしても、自らの主体的方向として「世界前衛党」という位置感覚についての厳しい自己点検と転換を迫られていたことを示している。そして、これらの問題意識において旧日本支部はきわめて大きく立ち遅れていた。
八○年代に顕在化した旧日本支部の組織的硬直は、インターナショナルが進みはじめた方向とは反対の方向、すなわちレーニン主義組織規律の強化による組織的中央集権化に傾斜し、ここに組織そのものの爆発的危機を準備した。女性差別問題が組織の危機に転化する契機は、こうした旧日本支部の理論的、組織的硬直にあったのである。
インターナショナルの第十ニ回世界大会が提示した総体的方向性は支持されなけれぱならないし、さらに積極的に検討されるべきものである。
多くの点で「発展途上」であり、留保点やあいまいさがあり、また多くの点で旧来の教条・体系への固執という弱点もあるが、それにもかかわらず、インターナショナルが閉鎖的なものではなく開かれたものとなる決意が重要である。日本支部の「再建」の方向もまた、組織的硬直に傾斜した八○年代を克服するということが男性の側の共通性となるときに可能性も引き出されよう。
 「統合」への試みもまた開かれた組織への転換の試金石なのである。

社民結集論の加速化― 社会党的世界の解体の深化

 五五年体制型政治構造が金属疲労を起こしているといわれてから久しい。戦後民主主義、護憲論に対する「一国平和主義」攻撃と積極改憲論が、国際貢献論を背景として急浮上してきた。自衛隊の海外派兵是認が国連中心主義の名のもとに押し出されてきた。社会党自身の中からも自衛隊派兵論が公然と飛ぴ出した。
 昨年秋のPKO国会が示したのは、民社党の社民結集論への傾斜と自公ブロックへの抵抗であった。自民党以上とまでいわれる自衛隊好きの民社党がPKO法案強行に抵抗した理由は、明らかに田辺ー山岸と連携した社民結集論への呼応の戦術であった。
十ニ月ニ十一日、定期大会で再選された田辺は「選挙協力だけでなく、国会内で同じような立場をとるグループを形成する方法を話し合い(社民結集の土台を)踏み固めていきたい」と述ベ、近く民社党ゃ社民連、連合参議院などに、参院での統一会派づくりを働きかける考えを示した。さらに田辺は、かつて社会党を離れて民社党ゃ社民連を結成した人に対し、故人も含め「名誉回復措置」をとることを明らかにした(「朝日」12・21)。
 社民勢カ結集は「安保、自衛隊、エネルギー問題での基本政策」の一致が基軸となる。護憲勢カ結集という社会党の現在の立場を「尊重」しつつも、社会党の政策体系を転換させることを準備する、そのイニシアティブを連合がとる、との決意が連合第ニ回大会方針に示された山岸の表明であった。その際山岸は「PKO法案について、原案でいくか、国会承認によるシビリアン・コントロールかの選沢となる」「基本広政策にかかわる今後の論議では多数派見解採用もある」と述ベている。
明らかに、山岸は社民結集論において社会党の政策体系の転換に基軸をおいている。
 民社路線にすりより、一方でアメリカ型を否定することで社会サイドをひきこもうとしているのである。その行き着く先は国連協カの名による自衛隊の派兵承認であろう。
 ようするに、社民結集論は社会党の民社化の方向にあるのであり、さらに一部自民党「リベラル派」をも含んだ構想にほかならない。
 社会党の転換は社会党にむすぴついてきた諸要素の切断なしには進まない。総評解体が地区労などの地域運動の切断解体なしに進まなかったようにである。安保・自衛隊はもとよりエネルギーが意昧する原発推進論など、さらに企業によりそったビッグユニオンの論理がまかりとおることになるのである。
 社会党において、昨年後半は「護憲派」の登場があった。田辺に苦い経験となった「護憲派」の上田の善戦が契機となった社会党内での護憲派結集の動きは、秋期闘争の動向を左右する要素にもなった。こうした社会党内での動きが社民結集論の具体化に際してどのように現れるか、予測することはできない。選挙という場面を考慮するときに議員集団としての社会党内の動向はストレートではないからである。
 しかし一方、土井旋風を巻き起こした、社会党的なものの存在は明白にピッグユニオンの進路とは異なる。社民結集論は、潜在的に社会党的なものの政治表現が独自的にならざるをえないことをも意昧するであろう。
 「土井的なもの」と連合的なものとは対照的である。前者は、フェミニズム的であり、エコロジー的であり、非武装平和主義的である。同時に、東西対立期の社会党が示した国際主義=ソ連・中国への親近感をもたない、その意昧では「一国平和主義」でもあった。
 「一国平和主義」は非帝国主義・非アメリカという要素の表現である。その積極的な国際化、新たな国際主義の形成とは、現在世界では多国籍資本の論理と支配に抗する民衆の共通論理形成の課題である。
多国籍資本の支配が多国籍軍の編成の論理に転化している中で、日本の「ポストフォ−ディズム」企業としての多国籍資本が多国籍軍への参加を必要と考えるのは当然であろう。まさに多国籍資本は彼らにとっての「国際平和」を必要としているのである。
 「一国平和主義」は、こうしたソ連邦解体というニ○世紀の最後の時期における、「多国籍資本のための平和」に抗する民衆の論理の未成熟な形態にほかならなかった。
 こうして、社民結集論の具体化は、旧来からの社会党的なるものの解体を導くであろう。民衆の新たな政治表現の実現にむけた挑戦は、いま開始されなけれぱならない。
 政治連合の掲げる「自治・連帯・共生の社会主義」に、必要な内容を盛り込むのはまさに主体的営為なのである。  一九九ニ年一月
トロツキー研究所第ニ回研究会を開催

 レーニン主義組織論に新たな視点からの批判

 十ニ月十四日、トロツキー研究所の第ニ回研究会が、神田の学士会館で開かれた。先月号に紹介したとおり、大阪市大の左近毅さんと中央大学の伊藤成彦さんがそれぞれトロツキ−とロ−ザの組織論について報告した。参加者は約四○人。司会は東大の佐々木カさん。
 左近さんの報告は一九○一ーニ年に激烈に展開されたロシア社会民主党のニ大分派への分裂の引金となったレーニンの組織論と、トロツキーの『われわれの政浩的課題』を題材とした反論の詳細な説朋を中心にして、そのモチーフは一九一七年革命後も終生変わらなかったと結論づけた。伊藤さんの報告はローザの「ロシア社会民主党の組織問題』を題材とした第ニインタ−ナショナルの中心であったドイツ社民党の視点からのレーニン組織論との関わりにはじまり、ローザの組織論概念を詳細に展開した。
 左近さんも伊藤さんも共通に、当時の主流的見解においては中央集権主義は当然とされていたと説明したうえで、トロツキ−とロ−ザの双方ともにレーニンの方法を、前者は「官僚的中央集権主義であり、中央集権一般への幻滅が生みだす可能性をもつ」とし、後者は「超中央集権主義、硬直した夜警の組織」の様相をもつと批判した。
 左近さんによれぱ、レーニンは機能主義であるとトロツキーは本質的にとらえたのである。そして「自然発生主義と外部注入論に関してはレーニン主義はフィードバック機能の喪失である」と分析した。伊藤さんによれぱレーニンが「異分子の排除、純粋な集団」を主張したのに対してローザは「異分子が入って来ることを恐れてはならないし避けられない。レ−ニンはブランキズムの影をもっている。社会民主主義は労働者自身が自らめざめて行うもので、組織の原則はオ−プンであり、フィードバック機能が必要なのだ」と報告した。
 報告は多岐に渡り、部分しか紹介できないのは残念だが、研究所としてはなんらかの形でニつの報告を文書にする予定だとのことなので、参照していただきたい。
 討論は時間がかぎられたため不完全燃焼の感があったが、一部に自己の教条にあてはめるためだけの見解発表的質問があったのは残念であった。 
フォーラム99S第二回総会開催

フォーディズム論争を展開

 十ニ月七ー八日、フォーラム90Sの第ニ回総会が開催された。参加者は約六百人。
 「日本をどうする」とテーマ設定された全体集会は鶴見俊輔さんの講演と三つのセッションでの報告がなされた。第一セッションはアフターフォーディズムと日本」で、レギュラシオン派による日本資本主義分析の是非をめぐる討論、第ニセッションは「地域から世界が見える」で農村と都市生活の相互の自立と連帯に関する提起と討論、第三セッション「憲法・PKO・アジア」は上田哲代議士の報告と国際貢献論をめぐる問題提起。
 アフターフォーディズムをメイン的にとりあげたことに示されるように、いまや世界を「席捲」する日本資本主義を正面からとらえようとした第ニ回総会だった。セッションでの諸報告だけでは十分なかみあった討論が困難であることを割り引いても、問題意識と視点がすりあわされていない感じが残った。レギュラシォン理論形成の背景にある現代の資本主義が七○年代のニ度のオィルショックを生き延びてきたこと、とりわけ日本の資本主義が八○年代に卓越した生産性を獲得したことヘの関心と、現実に見る日本資本の依然として持続する強搾取構造という性格という側面に重心をおいてとらえる方法とが接合するときに、問題は一歩深化するだろうと予測させられた。
 しかしフォ−ラム全体集会の場でフォーディズム論争が展開された意義は大きい。「経済学」が正面から論じられることは久々の感がした。今後を期待したい。