1989年11月10日        労働者の力               第3号

90年代への飛躍をかけ全労協の主体的推進へ

 十一月四-五日、一九八九年十月集会が第三回、大阪集会から数えて第十三回として東京豊島公会堂で開催された。参加者総数約一千人。昨年に比しておよそ二百人の減少で、労戦再編の最終局面でのさまざまな政治分解の厳しさを物語った。おおよそでいえば民間部門四〇%、宮公労部門六〇%となっており、これまでの集会構成から見て、官公労での右翼再編への組織的屈服の進行の影響が無視できないものであることが指摘できる。だが同時に本年の集会は、その多くが、労戦再編の組織的な確定期を闘い抜き、明確な方向を主体的に確立、確定したか、あいはしつつある人々によって構成されたという新しい性格を示してもいた。昨年の集会が、いま方針的に不確定な要素を多く持ってもって開催され、そこにある種の重苦しさ、決定しきれないということからくる沈滞感が少なからず漂っていたことと比較して、まま全面的とはいえないが、組織路線上の迷いをふっ切った上で自らの主体としての運動と方針の追求が核心なのだという感覚も新たに生み出されていたということができよう。

 12・9全労協結成へ

 集会は、第一日の午後に開会の全体集会と基調提起討論、その夜と翌日の午前を分科会討論、午後集約の全体集会で構成された。
 最初の開会挨拶が全日建運輸連帯労組で集会副実行委員長の谷岡さん、議長団にスタンダードバキュウーム労組の宍倉さん、国労前橋の関口さん、そして関西から自立労連の伊藤さんが選出された。
 市川誠さんが主催者代表あいさつ。
 激動の時代にあって、世界有数の経済大国に発展した日本では、富を生産している労働者の生活はあまりにも恵まれない。日本労働運動は右翼に完全にぎゅうじられ、総評も解散する。闘わない民間大資本従属の労働運動へ、官民統一の美名のもとに屈服、従属した。「全労協」発足は日本労働運動の三分解であり、その拮抗が注目されている。国労清算事業団労働者の勝利のために、都職労、水道の仲間の奮闘に応えなければならない。「全労協」建設に奮闘しよう。
 続いて、実行委員長前田さんのあいさつ。
 反JC、労働運動の再生を掲げて大阪集会を始めて以降十三年。総評はまさに自滅した。総評の自壊に対する理論的、組織的総括なしに新しい組織を対置しても二の舞に終わる。まだ未定形ではあるが待っていても出てこない。日本資本主義は世界的な差別構造を前提とした上で「繁栄」している。反原発の闘いや、女性の闘いーこれらを総体としてまとめた日本の未来の価値観を出せていない弱さがある。力が足りなくて中途で倒れることがあるかもしれない。しかし、切り開く闘いなしに未来は開かれない。十二・九にむけて頑張ろう。
 来賓あいさつは、労研センターの吉岡代表幹事、都労連副委員長で「全労協」準備会事務局次長の山崎道人さん、国労委員長の稲田さんからなされ、連帯あいさつが三里塚反対同盟の石井武さんからなされた。
 基調報告が事務局長の山浦さんから、文書内容にそって提案された後、十一人による報告と意見表明がなされた
(基調討論は二面参照)

 社会的労働運動を

 第二日は午前の分科会討論を継続した後、午後の全体集会で、フィリピンNLF労働者の報告、破産法と闘い勝利した全金港合同田中機械支部の辻岡さんの報告がなされ、続いて分料会集約(分科会報告二面参照)、討論集約が行われた。
 討論集約は全国一般宮城合同の遠藤副委員長。
 集会の確認点と課題として、第一に、十月集会として全労協結成を闘いとった。闘いの根拠地の構築として昨年、全労協建設と国鉄闘争推進を確認した。全労協結成は天から天下ってきたものではない。また外部から与えられたものでもない。自らが主体的に闘いとってきたものである。第二に、連合に行かざるをえない、あるいはすぐには離脱できない多くの仲間がいる。例えれば河を渡るときに、泳いで渡る、船で渡る、橋をかけて渡るという方法がある。今は泳いで渡って向こう岸に旗を立てた段階である。橋はこれから作るのだ。両岸から共同で橋をかけていけるような魅力ある運動を作りだそう。
 九〇年代には三つの組織が競合するが、その中味が問われる。その課題に応えるものとして、中小、社会的労働運動の重要性の提起と討論がなされた。このなかで国鉄闘争の戦略化に関する突き出しの弱さが指摘され唇」とを反省し、戦略の環として改めて位置づけたい。国鉄闘争を国労を軸として人民の闘いとしていくこと、敵の攻撃は引き延ばし策である。「敵よりも一日も長く」という闘いを破産法攻撃に打ち勝った田中の闘いに学んで闘い抜こう。十一月二十二日の五万人集会に結集を。
 日教組新聞は連合ヘの屈服を「八百万労働者とともに」と表現した。つまり、それ以外は切り捨てるというのだ。四千万近い未組織労働者の組織化こそが必要である。地域労働運動を進め、全労協の中に中小労組の単産化が確認されなければならない。
 国鉄闘争の戦略化とは国鉄闘争が社会的労働運動の典型であるということを意味する。国鉄闘争がなにかしら国労の闘争になってしまっていることの克服が必要だ。反原発闘争の例は生活と政治が結合していることを示している。全般的な定式化はまだ不可能かもしれないが、十二の分科会と産別交流が総体とししての社会的労働運動に結びついていく。分科会討論は、状況や連合批判の討論ではなく、自分たちがどう闘うか、全国ネットワークをどう作りだしていくかをめぐった真剣な討論がなされた。全労協の中味を作っていく、運動路線を作っていく闘いの展開である。
 不十分さ、問題点の指摘として、基調の女性解放運動に関し「対等、平等を求める」という表現の問題点が指摘された。また集会宣言案の「階級的兄弟」という表現について批判された。ここに示された弱点について率直に認めなければならない。また九〇年代の政治潮流に関して「社会党左派を押し上げる」という表現について反対の声もあった。他にもいろいろ未消化なところが多い。これらを踏まえつつ十月会議そのものを内容あるものへと発展させつつ、全労協を九○年代の主軸にしよう。
 集約に続いて、「火の鳥」の歌声、争議団紹介、特別決議採択と続いた。集会宣言では案にある「階級的兄弟」が「闘う仲間たち」に変更された理由説明の要求が会場の女性たちからなされた。特別決議採択では第十二分科会提出の天皇制攻撃に関する決議案が改めて事務局によって表現を整理する旨が報告された。最後に足立副実行委員長の閉会宣言と市川代表の団結がんばろうで集会の幕を閉じた。

 提起された課題

 集会は、第一に十二月九日の「全労協」結成への主体的参加、第二に社会的労働運動・中小労働運動の推進を確認し、明日の労働運動形成の具体的展望と内実の方向性を提示した。さらにまた、政治基調としては、集会冒頭の市川代表のあいさつに鮮明に示されたが、ソ連・東欧諸国で激烈に進行している民主化、ペレストロイカヘの基本的支持、土井社会党を押し上げた政治的流動への積極的評価が打ち出された。この政治的立場の表明は、独立左派の陣営における三つの傾向への分解が徐々に明確になりつつあことへのはっきりした意思表示としてなされたといえよう。
 分化、分解とはすなわち、第一にペレストロイカ、民主化に対する否定的立場の登場が「社会主義体制の解体」批判として顕在化していること、第二に自民党政府体制の危機を推進するという視点ではなく、野党の体制内化批判という視点から問題を展開すること、また、その対極として社会党・「連合」への全面同化を主張する傾向の登場である。これらに対する十月集会としての態度表明がなされたといえる。
 さらに今年の十月集会の特徴として確認されるべきことは、あわせて十二の分科会討論がほぼ共通して、総評解散に対応した左派の独自的な諸運動、組織方向への積み重ねが着実になされてきていることである。総評が広く体現してきていたさまざまな分野が強引に解体・清算されつつある現在、左派の独自的な運動とその全国的ネット・ワークの形成にむけて着実に努力が継続され、蓄積されてきている。たとえば「労災・職業病と闘う分科会」報告が典型であった。この報告は「一年目が状況の報告、二年目が実態調査、そして三年目の今回は具体的なノウハウの獲得をめざした模擬安全衛生委員会」という積み上げの報告で、ここに十月集会としての貝体的な財産がつくられつつあることが実感された。
 同時に第一回大阪集会から十三年が経過した事実を痛感させた集会でもあった。基調集約にも示されたように、辛うじて間に合ったという実感が強い。独立左派の結合それ自身が再編の荒波に直撃され、主体の再編が否応なしに進行した事実は明らかであり、まさに曲がり角であることは否定しえない。田中機械支部の破産法との十一年の闘いと勝利、その結果としての組織的選択が節目を象徴していたであろう。再編と飛躍が問われた集会であった。
 だが、それぞれの分科会が示したように、次の出発のための諸要素は出てきていた。総評なしでやっていかねばならないという現実の確定を認識した一種の落ち着きが示されていた。
 十二の分科会がそれぞれに追求しはじめたネットワークの強化、発展、中小労組産別化の展望、官公労における左派の新たな闘いの開始というなかで、全労協の時代に対応する十月会議の発展と飛躍に対応する組織的な強化・再編の基盤が生み出されてきたと評価できよう。
 九〇年代は労戦再編の確定に続く政治的再編が不可逆的に進行する、歴史的再編の新たな段階である。全労協が社会党左派と独立左派の協同する帝国主義的再編に抗する根拠地として闘いを発展させていく必要性はさらに高くなることは明らかである。全労協の強化、発展にあたって、十月会議勢力は自らの闘いの深化、発展とともに、より広い左派の共同作業を築き上げていく闘いに踏み込んでいくことが要求されてもいるのである。
 全労協を結実させた組織的な装置としての労研センターを全国的にさらに活性化させ、開かれたものとしていくこともまた課題として確認される必要があろう。
 十月集会の成果をもって、十二・九全労協結成へ全国の闘いを集中させよう。

年末一時金カンパをお願いします
 すべての闘う仲間の皆さん。
 わたしたち第四インターナショナル日本支部全国協議会が結成されてから、早いものであと少しで三カ月になろうとしています。また、機関紙「労働者の力」も今号で三号になりました。しかし「労働者の力」を読んだ読者からは「おもしろくない」といった幸辣な感想もよせられています。
 全国協議会は、組織も機関紙も決して軌道にのったとはいいがたく、よちよち歩きといったところだろうと思います。そのことは、何よりもわたしたち自身が自覚しているところであります。
 トロツキーと第四インターナショナルが死ヲ宣告したコミンテルン"スターリニスト党ですらが、彼らの歴史的「財産」の上で自己を維持することが不可能になり、ペレストロイカという歴史の荒波の中にいます。
 彼らの矛盾を分析し批判することは重要なことだし、意味あることです。しかし、それをあたかも対岸の出来事であるかのように語るのは単に不十分であるばかりでなく、自己欺まんですらあるでしょう。
 私たちは、まず「日本支部の崩壊」という現実を認識するというきわめて単純な、しかし決して簡単ではないことから出発する必要があるだろうと思います。したがって、これまでの政治的組織的な「財産」の上で、表面的な取り繕いによって自已を維持することに汲々としていてはならないだろうと思います。
 もちろん、こうしたことをもってわたしたちの不十分さの免罪符にするつもりはありません。それどころか全国協議会に結集する仲間たちは、一日も早く日本支部再建のための「十四回大会」を、かつてともに闘ってきた同志たちとの協働によってかちとりたいと思っています。
 また全労協を中心軸とする労働運動や三里塚闘争、さらに日本支部の綱領的破産を暴き出した組織内女性差別問題の克服をかけた女性解放の闘いなどと、こうした日本支部の根本的な再生・再建のための全国協議会の闘いは密接不可分のものです。
 すべての闘う仲間の皆さんが、全国協議会の闘いに対して注目し、批判を寄せられんことをお願いすると同時に、年末一時金カンパをお送りくださるように訴えます。一九八九年十一月
銀行口座 「労働者の力」社第一勧銀西新宿支店06711888618
振替口座 労働者の力社東京1-415220

基調討論と分科会の報告

 大阪教育合同労組準備会1
 連合と全労連の分裂状況のなかで全労協日教組の道を選択し、十一月一日に日教組脱退、十一月二十三日に結成大会を開く。教育台同労組は、教職という本工主義ではなく、学校現場で働くすべての労働者に開かれた組織であり、日教組にかわる全国産別をめざしたい。
 郵政全協
 全逓のなかでの組織戦について反連合、全労協をめざすという結論をもち、さみだれ的にはなるが、独立組合をめざしていく。全国大衆闘争として闘ったピースサイクルは大きな感動と教訓があった。来年も北海道から九州までを結んで追求したい。
 柳本合同労組
 個人見解になる。基調について支持する立場から、総評の継承、連合に行かない、行けないという立場では魅力がない。全労協を安住の地にしない自らのペレストロイカが必要。社会的労働運動の中身があいまいである。職場からだけの視点では多様な問題に対応できない。コミュニティユニオン、ワーカーズコレクティブなどの試みに挑戦していく必要がある。また、政治勢力の形成について社会党内部の矛盾にかかわることは必要だが、社会党左派勢力を補
完するというような方針には反対である。自立した独自の政治勢力を全労協左派や女性、エコロジカルと合流して作っていくことが必要。
 全国一般日産ディーゼル分会
三人で決起し上尾工場のなかで団交をやってきた。全労協によりかかるのではなく、自らが作りだしていく闘いが必要である。国労は全労協参加を決定したが、われわれは闘いきっているか。地域から、厳しい清算事業団労働者の闘いに応えて全労協の建設を。
 自立労連
 @連合の反階級性を暴露し未組織労働者の組織をA全労協の組織化B中小労働運動の全国結集C労働者の政治闘争、国際主義の闘いを。
 都労連交流会
 @都職労大会は全労連加盟を先送りさせた。A官公労交流会は労戦問題の情報交換と方針化をめざし、全国ネットワークを組織するB基調への意見としては、連合は推進、全労連は三原則論である反原発の闘いを全労協のセールスポイントにしていくべきだ。
都高教
 基調にある「男性との対等平等」という旨葉はおかしい。女性はこういう言葉は使っていない。私たちの要求していることは対等、平等ではないので変えてほしい。
 都高教はいかなる形でも連にいかないという方針を一票投票で決める。全労協には課題別の参加。 女性分科会として。全労協の女性政策はどうなるのだろうか。大切なことは女性の労働運動をつくること。そうでないと連合に負けてしまう。国際自由労連の女性政策はある意味では進んでいる。女性の決定権、セクシャルハラスメントについて、連合は国際自由労連方針を取り入れている。だが、それは対処方針のノウハウの摂取ということ以上ではない。全労協もきちんとしてほしい。
 女性分科会は男性支配の労働運動のなかで女性の運動をどうするかの討論。宮城合同労組での女性部の拒否権が一度も発動されていないことを見ても、形式ではなく具体的に女性の意見が入れられることが必要なのだ。
 国労熊谷支部
 @大企業に攻め込んでいく闘い。地域共同行動A清算事業団闘争は地域全労協を作っていく闘いであるB全労協は地域から作る必要がある。地域ネットワークの形成、合同労組の組織化を。基調を豊富にしていく闘いを。
 電通労組全国協議会
 NTT分割化の攻撃のなかで合理化が激しく、大量首切りが計画されている。労働者は連合の労組とはなにかを見せつけられている。中小労組連絡会議を全労協結成のための力として闘い抜くことが昨年確認されたが、一年間の闘いはどうだったのか。基調は「間に合った」と書いてあるが、反省することがある。総評の運動を単に継承・発展させるだけではすまない。十余年の蓄積が試される時がきている。全労協の闘いをわれわれが作っていくことの確認が必要。いままでの組合にこだわらず、必要に応じてさまざまな組合を作っていかなければならない。
 全国教育労働者交流会
 日教組大会決定の後、右派の攻撃が強まってきた。前橋大会で査問の決定がされた。全国教育労働者交流会としては「全労協運動を進める教育労働者協議会」結成を方針とした。
 全国一般長崎連帯支部
 全国一般全労協運動を推進してきた。中小企業労働運動を基軸にする基調に全面的に賛成。新たな産別結成にむけて努力していきたい。本工だけの第三組台から下請け労働者とともに全国一般三菱長崎連帯支部を三年前に結成したが、より強く地域と結びつくために今大会で三菱という名をとって長崎連帯支部にした。全労協準傭会に地本の承認のうえで正式参加した。全労協結成、新たな産別の結成のなかで組合の名を変えることを楽しみにしている。



分科会報告

第一分科会
 「地域労働運動の可能性を探る」

 参加者延べ百五十五人。
 まとめとして@国鉄闘争の戦路化、全労協の結成A未組織の組織化Bネットワークの形成C地域全労協の結成。

第二分科会
 「労働法の改悪といかに闘うか」

 参加五十四人。
 パート、外国人労働者の増大などに対応する新しいタイプの攻撃が労災保険法改悪などとして始まっている。結論的には、@国労攻撃が先取りA派遺労働11事業者の九〇%が違反B外国人労働に関して国家と行政、地方行政機関の相互の矛盾があるC必要なことは労働協約を順守させることからEセクシャルハラスメントー小手先ではだめE労働法以下で働かされている人々の闘いの広がりを全労協として担うF決議として民事保全法案との闘いを。これは労働債権確保の仮処分制度の骨抜きを狙うものである。

第三分科会
 「労働者生産協同組合を考える」

 地域を変えていく闘いとしての生産者協同組合。生活クラブ生協運動からはじまったワーカーズコレクティブの闘い。東芝アンペツクスにおける組合つぶしのための黒字でありながらの工場閉鎖攻撃との闘い。パラマウント製靴労働者の共同社運動。
 生協、組合、知識人のネットワークである調整センターに第三分科会として参加し、運動の通年化をめざす。

第四分科会
 「情報管理社会との闘い」

 四十人。
 熟練労働の解体と管理労働化が差別構造の拡大として管理社会化のなかで進んでいる。この基軸は高度情報化の進行である。NTTでは、資本の自由な市場参入に対応するためとして大合理化が計画され、人活センター並のシステムづくりとそこに活動家を配属しよつとしている。反行革、反合闘争の沈滞、職場闘争の空洞化のままでは闘う労働運動は築けない。

第五分科会
 「障害者差別と闘う」

 障害者の雇用促進に関する問題点として、最賃法以下の例は全国で三千を数えるが、ヤミ最賃はその数倍にのぼるという実態がある。静岡の例では、はじめて国労の闘いとの結合のなかで障書者の要求に応えられる地域労働運動が作られた。だが労働運動全体のものとはなっていない。効率主義への問い直しによって明日の労働運動が開ける。

第六分科会
 「原発をとめよう労働者分科会」

 昨年の二万人集会以降、この九月の脱原発法集会にいたる交流と協同をつうじて全国ネットワーク形成を進めてきた。以前の時期の公開ヒアリング阻止闘争を担ったのは労働者であった。いまは市民主導の闘いにとって変わられた。反連合の闘いの中心となる闘いである。具体的には@ビラの交換、全国ネットニュースの発行A協同行動として二月の浜岡での交流集会B電力労連などの敵対との闘いを広げる。

第七分科会
 「闘おう三里塚、許すな農業破壊」

 延べ五十一人。
 三里塚-成田治安法、事業認定期限切れ、合宿所囲い込みとの闘い。討論としては、フットワークの軽い運動のクロスオーバーの必要性。アジアからの窓口としての成田空港。ここに駆け込みセンターを作ってはどうか。
 農業-高度成長下での農業の疲弊と国際化による切り捨て。日本農業はもはや修復不可能な事態。大資本による統合化、小農の切り捨て解体は越えがたい状況。手探りの闘いのなかで日本の多国籍資本が敵であると見えてきた。
 共通していえるのは、新しいタイプの労働運動の創出なしに対応できないことだ。社会的労働運動の位置がここにもある。12・16闘争への結集とGATT、農産物自由化反対の闘いが必要。労働者のネットワークをめざす。

第八分科会
 「女性解放と労働運動」

 三日間。総数百四十七人。
 さまざまな女性ありかたに応じたプログラムの提出と多様性の共有。男性支配の労働運動との闘い。女たちの結合。以上を基軸にした討論。ワークショツプ方式で進め、最終日に集約。結論として、男性支配との闘いとしては女性が複数で執行体制に入ること、それを支える女性のグループ形成。女性としての団結体を築いていく。
 性的いやがらせとの闘いを切口にすること。全国アンケートの闘いから組合政策、法的規制、そして社会的運動へ。労働条件、賃金差別にたいしてノーと言えない背景に性的いやがらせがある。
 戸籍制度の問題、女性の主体的力を形成する場の追求、争議を自前で闘うこと、家族、生活のありようをともに考えていく。
 課題としては、解放へのビジョン、アプローチの違いがあり、多様性の承認とそのうえでの結合が鍵となっている。

第九分科会
「命と健康を守る」

 五十人。
 十月集会での分科会の意味はなにかを意識して三年間取り組んできた。今年は具体的事例をとりあげ、具体的に検討する場とし、模擬安全衛生委員会として取り組んだ。ノウハウを蓄積し、ともに応援しあおうということである。
 安全衛生法が労務管理の武器となってしまっていること克服し、労働者の武器にしていく必要がある。

第十分科会
「多数派への道を探る」

四十団体、八十八人。
 少数派から多数派をめざす方向を分科会として明確にした。全国の七四%は未組織労働者であり、ここの組織化が決定的。職場の仲間たちを信頼して闘うことが大切。キーワードは女性たち。女性が参加しうる組合を。分科会は大いに盛り上がったが、そのなかで基調に青年の結集がないこと、国鉄闘争が国労闘争になっていることが指摘された。

第十一分科会
「国際連帯と労働組台」

第一日五十二人。第二日四十人。
 テーマは二つ。外国人出稼ぎ労働者問題とAWSL日本委員会構想について。
 外国人労働者の複雑化している実態のなかで、賃金不払いと労働災害が増大している。入管法改悪阻止の緊急行動が必要である。また日本進出企業の韓国からの撤退が相次いでいる。抗議行動を組織していく。

第十二分科会
「天皇制と闘う労働運動」

 延べ九十人。
 基調は国家と対決する視点が弱い。自由民権運動の解体の時期と現状は似ている。大嘗祭と「クリーンアキヒト」の矛盾をついていく必要がある。
 現段階として市民運動のほうが活性化している。労働組合の闘いが相互に結びついていない。即位にたいしてストライキで闘うべきである。アジア人労働者と結合し入管法改悪阻止を闘おう。相互に交流を深め、闘いを強め、勝利を模索し、個々の労組での討論と学習を深め来年へ臨もう。

10月集会に参加して

突出した分科会と全体集会との緊張関係

 総評の解散、全労協の発足という歴史的な瞬間に開催された一九八九年十月集会では、きわめて特徴的な事態が進行していたと思われる。
それは、各分科会、または前段の産別交流会の方針をめぐった突出である。中小民間の新たな産別の結成や、官公労交流会、反原発交流会の全国ネットワークの設立が決議されたし、国鉄闘争、そして反天皇闘争、三里塚闘争の強化が全体集会に持ち込まれ、具体的な行動を提起する場になった。ある意味で、従来とは違ったレベルで、各分科会と全体集会との緊張関係がつくり出されたといえる。
 私の参加した反原発交流会では、財政、行動方針から次回全国会議の日程までがその場で確認され、労働者ネットワークが具体的に動き始めようとしている。原水禁なき後の現在の状況ではきわめて重要になるであろう運動が、まだどのような形をとるかはまったく未定形ながら進み始めたというのが、私の実感である。
私は、分科会の討論、方針を全労協の行動方針にすることはできると思うし、そのためにやらなければならないことははっきりしていると思う。最低でも、各分科会、各交流会の定例化、全国ネットワークとしての組織の整備が必要だ。そのうえで具体的で目に見える方針が出されなければならない。
(宮城台同労組倉谷晴也)

 闘いの具体的方向が討論の軸に

 労働者討論集会には毎年のように参加してきたが、反原発分科会に参加したのは初めてであった。分科会実行委員会の提案が「反原発全国労働者ネットワークをつくろう」というものであったことに端的なように、前回の分科会以降も運動的にも組織的にも持続した関係を全国の参加者がつくってきたことを実感できた。
 ただ、北海道からの参加者の報告にあったのだが、例えば先の参議院選挙や労働戦線の再編と絡み合った具体的に生起している状況があまり提起されなかったのは残念だった。また、なぜあえて「労働者の反原発闘争」にこだわるのか、なぜそれが求められているのか、必要なのかという問いも発言の中で提起されていたが、それ自体は討論にならなかった。
 もし、そうした討論ができたとすれば、集会の基調討論との関係などももう少し見えてきたのかもと思うし、私のような「部外漢」でも討論に参加しやすかったのではと、勝手なことを感じた。
 また、もう一つ勝手なことを言わせてもらえば、市民運動との関係や労働者ネットワーク内部での関係も含め、互いの自主性を尊重しあうといいうことを強調するあまり、逆に運動内部の相互批判の必要性について希薄であるように感じられた。つくろうとする「全国労働者ネットワーク」も、情報の交換や運動の交流の場であと同時に、相互批判の場でもあるようになればと思う。
 しかし、いずれにせよ討論のための討論や、単なる闘争報告で終了時間がきてしまうようなものではなく、むこう一年間の闘いの具体的方向が討論の軸になっていたと感心させられた。(Y・K)

電通労組結成の意味と重ねあわせて

 「全労協発足へ向けて決起、意志一致」「新しい労働運動の中身を討論する」という獲得目標をもって89年の10月集会は開催された。
 連合、全労連、そして全労協と、労戦再編の確定は、連合による左派労働運動の解体を許さず、全労協結成をかちとったことも、10月会議勢力の国労闘争など、自らの実践によって全労協という新しい労働運動へ向けた第一段階をつくり出してきたことを確認した。
 全労協はつくられたが、固定されたものではなく、むしろ総評労働運動の継承と発展としては、90年代労働運動を担い抜くためにはきわめて不十分であることからも、全労協に参加するという姿勢ではなく、主体的に10月勢力の中身を全労協に持ち込み、自らの闘いとして新しい労働運動をつくり出していくとの観点の一致が求められていたし、確認されたとも思う。
 その上に立って、千数百万労働者を対象とする新しい労働運動として、社会的労働運動、中小労働運動の形成に向かう討論も実践が追求されていかなければならないだろう。
 大企業労働組合を軸とする連合の企業内労働運動、国家と企業にとって必要な労働運動に抗する中小労働運動とは、中小未組織労働者の組織化という観点のみでなく、地域的、社会的労働運動の組織化を目指すものであるだろう。地域労働組合、ゼネラルユニオンなどとして新しい単産をどうつくっていくかという課題も、連合路線に対置し、連合参加の労働者をも対象に含め、さらに企業内労働組合の結合としての総評労働運動の弱点をも克服するものとして追求されねばならないだろう。
 また、社会的労働運動に対する討論、認識も十分とはいえなかった。
 さらに、女性差別に対する不十分性、各分科会で指摘されたそれぞれの課題の全国ネットワーク作りの問題、90年代政治勢力の形成など、新しい労働運動の内実を今後の全労協運動、地域全労協形成の実践的な闘いを通して確立していくことの重要性も痛感させられた。
 全電通から分裂し、左から労働運動を再組織化しようと電通労組を結成し、十年目を迎えるわれわれは、労戦再編の局面から連合、全労連、全労協の三つの攻めぎ合いの新しい段階に対し、90年代を担う労働運動形成のため二十年間の一切をかけて挑戦しなければならないとの実感と、その主体的な取り組みを通じ電通労組の結成の意味を今こそ明らかにしなければならないと感じている。
 全労協推進、新しい労働運動を総力で担い抜こう。(電通労組大内)

清算事業団労働者の大量首切りを許すな
JR当局を包囲する社会的陣形を
11・22五万人集会へ国労11月闘争進む


 九〇年三月三十一日、国鉄清算事業団の三年間の期限が切れる。清算事業団に配属された労働者実量解雇が強行されるのである。国労はこの11月を闘争の山場として認識し、全国キャラバン行動とその集約としての十一・二二の五万人集会を準備し、さらに十一月三〇日には全国で組合員の一割一時間のストライキ闘争を闘い抜こうとしている。五万人集会を成功させ、ストライキ闘争支援を全国で闘おう。

 事業団労働者の闘いの意味

 国労の十一月闘争は、清算事業団労働者の首切り阻止をかけた闘いとして進められている。
 国労は去る九月の大会で、労戦問題に対する結論として全労協への参加を正式に決定し、同時にJR当局に対する「全面解決要求」を決定し、清算事業団労働者の防衛、不当労働行為根絶の方針大綱を明らかにした。
 清算事業団労働者のうち、いわゆる「再就職を必要とする職員」は十月一日現在で二千三百三人。うち国労一千九百六十六人。約一千人が北海道、約八百人が九州。ここでいう再就職を必要とする職員とは、国鉄からJRへの雇用の継続を要求している労働者のことである。
 清算事業団労働者のほとんどを占める北海道と九州の労働者は、この二年半を通じ、度重なる広域配転や就職強要をはねのけJRの原地原職採用を要求し続け、「こくろうラーメン」販売など争議団としての自活体制に取り組んできた労働者たちである。
 この十一月闘争にも北海道事業団の労働者たちは、数少ない北海道でのアルバイト先を懸命になって探しだし、勤務の前と後に労働して得た資金をもとに自ら東京行動を組織して主体的に参加している。九州の事業団労働者は、他のほとんどが国労を離れたなかで闘いを継続してきた。
 彼らの闘いは、現在の国労組織にあって、もっとも鋭く、同時にもっとも厳しいものである。政府公認の偽装倒産、全員解雇、選別採用、そして組合差別という、中曽根が行った悪らつそのものの攻撃を許すことは絶対にできないという強固な意思が闘いを継続させ、かつ連合への屈服を拒否してきた根源である。
 事業団労働者の闘いは、こうしてJRの卑劣な引き延ぼしと長期裁判方針に対抗する争議団としての自活体制を模索しつつ、ストライキ闘争でJRと闘い、「全面解決要求」を実現する国労の方針大綱をつくりあげた原動力であっ
た。
 事実として、国労はその内部に多くの弱さを抱えている。
 労戦問題と雇用問題は不断に結びつき、社会党・総評ブロックの政治交渉に解決の道を求めるという旧来の習性からくる揺り戻しが繰り返し作用してきた。現在も少なくない地方本部において、県評センターへの参加を受け入れられる司能性に追いすがって、全労協への留保や事業団闘争の政治解決…屈服方針を捨てない部分もいる。
 国労の十一月闘争万針が九州や北海道事業団労働者の全職場全組台員の反復スト要求をぎりぎりに値切ったスト戦術となったことの背景には、国労の抱えている組織的な分散化、拡散化の圧力がある。
 にもかかわらず、闘いと国労組織の展望を修善寺大会の地平に見いだそうとするエネルギーが最大地本である東京地本の重い腰を上げさせ、全労協加盟と清算事業団闘争の正面からの取り組みに向かわせたのである。
 こうして十一月闘争は、労戦方針の決着、そして、そのふっきりの上に、事業団闘争を中心とした闘いの、改めての強化・拡大・発展を切り開く闘いとしての位置を持った。十一・二二集会はその前日の総評の解散に正面から対置する五万人集会にほかならない。
 集会の成功こそ、連合の時期=国鉄解体の時期のはっきりした終わりと労働者左派の反撃の全面化の号砲となるのである。
 
 JRの過酷な現場状況

 昨年三月以降、国労が進めてきた労働委員会での闘いは連戦連勝となり、JRは完全に敗北した。にもかかわらずJR当局は中労委から裁判所へと次々に場を移し、徹底抗戦、全面引き延ぼしに出ている。JRの開き直りに対して、総評指導部を含む連合派はまたもや暗黙の支持と国労支援拒否の態度を打ち出し、労働戦線再編における連合派の位置と性格を見事に浮き彫りにしている。
 JRの開き直り、徹底抗戦は、当然にも中曽根自民党政府が推進した国鉄解体、そして国労解体のために行ったなりふり構わぬ「国家的不当労働行為」を防衛するためである。JR当局は国鉄とは事業体が違うという一点で労働委員会命令を拒否し、労働委員会への出席すら拒否し続けてきたのも、この国鉄解体、国労解体の是非を間われることを回避るためである。
 JR当局の狙いは、引き延ばしによって三年間という期限つきの清算事業団労働者に対して、雇用と生活への不安をかきたて、かつ実際に解雇・放逐を実現してしまうことである。すなわち大量解雇を実現してしまえば、そのあとは結果がどうなろうと、十年、二十年でも裁判を続けていこうとうことにある。
 国家の総力をあげた支援をJRは、今の所あてにできる。その力で労働者の疲弊と屈服を待つ。このような卑劣としかいいようのない攻撃との闘いは、まさに全人民的な広がりをもった社会的闘争として作り上げられなければならな
い。
 相次ぐ事故、運転保安の軽視の背景は歴然としている。激しい人員削婆口理化と過重な労働強化こそがその原因であり、同時に国労排除による有能な労働者の減少の影響でもある。
 JRの過酷な労働現場の状況は、御用組合として名乗りをあげた旧鉄道労連=JR労連目身ですら形式的ではあれ指摘せざるをえないものである。だが、このJRの現場状況が成立した根拠、基盤が国家的不当労働行為による雇用不安の脅しと、現実に遂行された清算事業団への配属ならびに出向、配転などの攻撃とにある。JR総連は、この攻撃を承認し、そればかりではなく国労をはじめとする闘う労働組合と労働者の排除を率先して進めている存在である。
 清算事業団労働者の闘いの勝利こそ、JRの過酷な労働現場の状況を打ち破っていく核心的闘いである。

 力強い支援の戦線を築こう

 とりわけ首都圏において国鉄闘争は国労闘争に切り縮められ、高崎地本の地域全体を対象とした闘いを除いて、地域共闘は影の薄いものとなってきた。国鉄国民会議もまた、この構造のなかで大衆闘争の起動力になることは困難であった。その原因としては、社会党・総評ブロツクに期待した国労側の「政治解決」方針への傾斜が存在した。国労が地域に出ず、地域が国労の闘いとの接点を見いだせないという状況が、労働委員会での連戦連勝の一年半のあと一つの真実であった。
 現在、状況は明らかに変化しはじめた。全労協参加決定が徐々にではあが、国労の闘いを地域と結びつくものへと変化させる要因となっている。東京南部地域共闘は国労新橋地本、全国一般南部支部、ゼネラル石油労組を結合軸としてより広い結合へと発展しつつあり、南部支部は十一・二二を国労支援のストとして秋・年闘争のなかで闘おうとしている。
 全逓東京のいくつかの支部などへ闘いの輪がつながりはじめ、また都労連交流会の国鉄支援センターが構想されるなど、十月会議を媒介とする「清算事業団闘争に連帯する闘争センター」の闘いが広がりはじめている。
 東京首都圏での主体的闘いを作り出すことは、全国の闘いの再浮上の重大な契機のひとつである。十一・二二集会の成功、三〇スト支援を闘い、国労労働者と協同して闘う支援戦線の強力なネットワークを築こう。

十一・二二中央総決起集会
日時十一月二二日(水)午後六時
会場明治公園
主催国鉄労働組台
共催国鉄闘争支援中央共闘会議

資料
「全面解決要求」
(抜粋)
1,JR労使関係の正常化
(1)一連の不当労働行為について謝罪するとともに労働委員会命令を履行すること。
(2)労働基本権を尊重した正常な労使関係を確立すること。
2、清算事業団職員の雇用問題
(1)希望者全員を希望するJRに採用すること。
一2一略
(3)転職希望者(公的・民間等)の希望を十分に尊重し、全員の雇用を確保すること。
3、原状回復
(1)組合間差別による配属、出向、配転等の不当人事について、直ちに原状回復をすること。
(2)採用差別をはじめとした一連の不当労働行為によって生じた賃金、一時金、昇職、昇格等の不利益について、早
急に是正すること。
一3)略
4、解決金(略)
5、安全輸送の確立
安全輸送に必要な要員配置を行うなど安全に関する諸対策を講ずること。
6、清算事業団との紛争解決二〇二億円損害賠償請求訴訟を取り下げること。また、係争中の事件の解決をはかること。

新刊紹介  柘植書房ボリス・カガルリツキー著   「モスクワ人民戦線』
「政治革命」の息吹にふれる    高山徹


 著者の位置
 カラスが鳴かない日があっても、ソ連・東欧圏の記事がない日はない―毎日、テレビ、新聞、ラジオなどを通じておびただしい量のソ連・東欧に関する情報が流されている。各種の雑誌、書籍でも、ソ連・東欧に関する、とりわけペレストロイカやゴルバチョフに関する情報があふれている。時代は日進月歩というよりも、あるソ連の高官が語ったように、時間を単位としてめまぐるしく変化している。
 情報があふれているわりには、何かペレストロイカの実態をつかみきれない。こんな、いらだちにもにた感じが拭いきれないでいる。マスコミ全体についてある程度共通して、とりわけ日本のマスコミについては確定的にいえることだが、ゴルバチョフの発言や大きな会議といった公式の動きと、民族対立(衝突)や炭鉱ストという派手な動きに焦点をあて、しかも一過性に傾きがちである。そこで生活する人々の動向や考えは完全に無視される。
 こうした風潮の中で世に出た本書は、まことに時宜を得たものといわなければならない。
 著者のカガルリツキーの経歴は、本書の紹介によると、一九五八年生まれ。国立演劇大学で文化社会学を専攻。一九八O年四月、マルクス主義地下誌『レーヴイ・ポヴォロート』への参加を理由に退学処分。一九八二年四月にはモスクワの非公式グループ「青年社会主義者」の他の活動家とともに逮捕され、裁判にかけられないまま、十三カ月後、アンドロポフ政権になってから特赦で釈放される。一九八六年、社会的イニシアチブ・クラブ(KSI)の結成に参加し、これを基礎に他のイニシアチブ・グループとともに一九八七年八月には社会主義的社会クラブ連盟を結成し、三人のコーディネーターの一人に選ばれる。一九八八年六月、モスクワ人民戦線の結成に参加。同年秋、その調整評議会メンバーに選出される-というものである。
 これからだけでも十分推測できるように、本書は、マルクス主義の立場からする、しかも実践家によるペレストロイカとその中での大衆的な闘い、人民戦線をはじめとする組織の動向の紹介と分析、評価である。
 そのうえカガルリツキーは、「なぜトロツキーを危険視してソルジェニーツィンは擁護するのだろうか」と語って従来のスターリニズム的偏見から自由であることを示している。

 本書の方法
 本書には、資料に加えて、原注を補う二十五の注、さらにペレストロイカ略年表もついており、これらが本書の理解を助けてくれる。
 本書の、つまり著者カガルリツキーの立場と方法論について訳者の一人である水谷さんは、少々長い引用になるが、次のように書いている。
 「カガルリツキーの方法は、ペレストロイカの問題に即していえば、これをあらかじめ意識的に計画された体系的な政策として捉えるのではなく、逆に一連のファクターによって規定されつつ、次第に一定の方向性を与えられていく複雑なプロセスとして分析する、ということであろう。そしてこの一連のファクターの中で何よりも重視されるのが『反対派ないし準反対派的諸傾向』である。--・……カガルリツキーにあっては何よりもペレストロイカの展開過程の『弁証法』が強調される。それは、ゴルバチョフ指導部による改革政策として始まりながらも、複雑な展開を経て次第に労働者大衆のイニシアチブを呼び覚まし、ついにはゴルバチョフの政策自身がこの大衆運動のダイナミズムによって規定されるようになっていく過程である。今やペレストロイカとは、けっして『開明的君主』ゴルバチョフによる改革政策にとどまるものではない。それは、官僚機構内部における対立抗争であれ、労働者大衆の自然発生的な不満の爆発であれ、民族的対立の公然化であれ、ソ連社会の積年の矛盾の反映としてのさまざまな形による社会的対立の発展が強制するソ連社会の根本的な変革の過程としての基本的な性格を明らかにしている」 ここで述べられている方法は、現在の時点ではある種の必然性を持つもののように思える。スターリニズム社会の崩壊期にあって、その全体構造を把握し、それを克服していく方向はあらかじめ存在しているわけではない。しかも、その主体たるべき「反対派ないし準反対派的諸傾向」はようやく大衆的な基盤を持った存在になりつつある段階にあるにすきない。
 しかし、また始まりの段階ではあるが、蓄積した不信や不満が社会運動に結実しつつある。人民戦線をはじめとするこれらの社会運動は、ソ連人民の民主主義的な自己組織化の最初の現象である。運動の初期の段階にあって明確な綱領を求めることは、運動の経験の面からも、また、綱領というものが一定の運動を経験して、それを対象化することを必要とするのであることからも、無理というものである。

 社会主義の再生へ
 スターリニズムの社会が崩壊しつつあるが、しかし新しい社会の構造はほとんど形成されていないーというのが、客観的にみたソ連・東欧圏の現状であろう。カガルリツキーの本書を読んだ感想を紹介の結びにしたい。
 社会主義というものは、資本主義が形成した生産力、社会構成体を基礎にして新しい社会をつくり出し、人間を解放していくことといえよう。資本主義社会ではさまざまな強制力によって、社会が動かされていく。社会主義では、その反対に人々の意識性が社会を主体的に運営していく。
 社会主義とは、こうした社会運営を通じて人類の解放に向けて人々が絶えず自分を変革していく過程である。社会主義が前進していくためには、人々の自発性、主体性が豊かに発揮されることと、一定の物質的条件が必要であろう。カガルリツキーの本書は、人々の自発性、主体性が発揮され始めていることを示している。とりわけ彼が「労働者階級はまだ本領を発揮していないが、ペレストロイカの三年目の終わりを控えて、わが国の社会的状況が根本的に変化したということは今やすでに明らかである。そしてこのことは、カール・マルクスの伝統的思想に完全に合致して、労働者階級は決定的な勢力になり得るし、それなくしては社会主義的民主主義の勝利はあり得ない、ということを意味している」というとき、このことは鮮明である。「新しい社会の構造はほとんど形成されていない」ということを逆にみれば、「新しい社会」の萌芽が存在していることに他ならない。
 確かにソ連・東欧圏の直面している困難は、とてつもなく大きく、すでに始まっている政治革命の過程が間に合うのかどうか、楽観できない状況である。たが、この困難さ、危機を克服していくには、モスクワ人民戦線をはじめとする「新しい社会」の萌芽が育っていく以外に道はない。
 最後の最後にカガルリツキーの民族間題に関する態度には、すぐには賛成できかねる点があることをつけくわえておきたい。

事業認定は失効した
12・16東京集会に大結集しよう


10月15日、三里塚現地(反対同盟闘争本部前)で、事業認定失効・強制収用粉砕10・15集会が闘われた。全国各地から千人強の闘う仲間が結集し、事業認定の失効を確認し、強制収用を許さず勝利まで闘いぬく決意をあらためて確認した。本紙では、反対同盟事務局の石毛博道さんが集会で提起した基調報告にそって、三里塚闘争の課題と方向性を明らかにする。なお12月16日には、管制塔戦士の前田道彦さんが出獄する。出迎えと12・16東京集会の成功にむけてがんばろう。

 破産した「九〇年度概成」

 十月十五日、三里塚現地で集会が開かれ、事業認定失効を前にして反対同盟が闘いの基調を明らかにした。
 まず「事業認定告示後十年による法的失効に加え、事業認定下二十年の生活の重みから、政治的にも道義的にも事業認定が失効することをはっきりと宣旨します」と提起した。
 そして収用法の発動を阻止し、「九〇年度概成」を破産に追い込んだものは、空港設置の閣議決定以来、常に体を張ってきた実力抵抗の闘いであり、二期用地内にあっては収用法による法的な生活侵害と警察の日常的な人権侵害と闘い続け、部落の生活を築きあげてきた用地内農民の闘いであることをふまえ、これまでの闘い、すなわち実力低抗の闘争を基礎にして、あらゆる人権侵害と闘い、用地内の生活、生存を確保していく闘いを今後も続けていくことを宣言した。
 闘いの具体的な方向としては、「工事強行にともなう生活侵害、農業破壊に対し実力抵抗や法的な手段などあらゆる方向で闘う」「第二に、成田治安法を適用しても、その敷地を収用することができないことを明らかにする裁判闘争の取り組み」「第三に、空港建設がもたらす様々な矛盾が生活破壊、農業破壊、乱開発となってふき出している事態をふまえ、生活と農地を守り、部落を守る闘いに取り組む」方針を打ち出した。
 そして十二月十六日に事業認定下の二十年を闘い抜いたことの勝利を宣言する集会を東京で開催すると明らかにした。この基調にそって12・16集会を勝利的に闘いとっていかなければならない。

 農地の強奪を許すな

 今年の十二月十六日、三里塚闘争は、事業認定告示二十年=土地収用法による強制収用期限切れの事態を迎える。三里塚農民が営々と農業を営みつづけていくことを踏みにじり、部落の生活を破壊してきた成田空港建設の法的根拠が、建設大臣による公共事業認定(69・12・16)と、それにもとづく土地収用法であ
った。土地収用法によれば、強制収用された土地が事業認定から十年を経ても事業目的に供されないときは、被収用者には買受権が発生するとの規定がある。少なくとも現在、二期工事予定地内未買収用地二一・四ヘクタールは、空港としてまったく使用されていないぼかりか、そのめどさえも立たない状態にある。
 反対同盟はこれまで、土地収用法一〇六条の買受権発生の規定にもとづき、強制収用の根拠は喪失したと主張してきた。たが政府と空港公団は、一九七八年にA滑走路一本で暫定開港をし、事業認定から十年以内に供用開始したことをもって、B,C滑走路予定地の強制収用が可能であると強弁し、事業認定期限二十年が問題であと、九〇年度概成を目指してなりふりかまわず工事を強行してきた。
 「軒先まで工事をしさえすれば」、なんとか二期工事の事業認定期限内に空港建設ができるのではないかという公団の甘い見通しは、二一・四ヘクタールの未買収地に象徴される反対同盟農民の抵抗闘争の前に破産しつつある。そして今日、運輸省は、収用地の一部でも工事をすれば永久に収用ができると、ブルジョア法的にも根拠のない見解をもって農地の強奪を策動している。
 事業認定から二十年を経ても完成しない公共事業とは、公共事業の名に値しない。土地を収用するぼかりでなく・農民の生活を、土地に血と汗を刻み続けてきた農民の人格を破壊する事業認定を許さず、ただちに二期工事を断念させる闘いを、12・16の事業認定失効を契機につくり出していかなけれぼならない。

 成田治安法の適用許すな

 朝日新聞は「来年度概成は、事実上断念」の見出しで、九〇年度概成が絶望的であることを報じた。やれるところからやるとした工事の強行も、どんなに予算をつけても消化率は四割弱でしかなく、虫食いの工事以外はまったくできていない。二期工事をどのように強行しても、強制収用による以外の未買収地の取得はできない。土地収用法を適用し、強制収用する権利を国から委ねられている千葉県の沼田知事は、「土地収用委員会を再開する環境はない」とし、
強制収用の絶望的な困難さを公然と表明している。
 現地における政府・公団の強権的姿勢とは裏腹に、二期工事をめぐる絶望的事態が彼らの上に重くのしかかっている。こうした現地の状況の中で、今年の八月から九月に計十個所の団結小屋に成田治安法を適用して、「使用禁止」の仮処分攻撃をかけてきた。
 この成田治安法は、七八年3・26開港阻止闘争の偉大な力に恐怖した自民党政府が5・20出直し開港を前に「空港の安全確保」を名目として、一部野党の反対、法学者をはじめとする知識人、労働者人民の反対の中を、「当分の間」ということで民社、公明の賛成を得て立法化したものである。同法は、運輸大臣の「暴力主義的破壊活動」という恣意的な認定によって裁判などの司法手続きを経ることもなく、建物の使用禁止、封鎖、除去が即決処理できるという破防法以上の治安法である。
 だが今回の適用は、「空港の安全確保」という立法目的にさえ反し、反対同盟と支援勢力の封じ込めと、反対同盟に強権的に圧力をかけて土地の強制収用へと追い込むことを狙ったものである。法の適用において著しい濫用であり、許しがたい暴挙である。
 この攻撃の背景にあるものは、反対同盟の闘いによって農地の強制収用ができずに、二期工事が行き詰まり状況に入っている事態をなんとかして切り開こうとする空港公団の狙いである。ここに、政府と公団の追いつめられた姿がみえる。
 反対同盟はすでに十月十二日、不法な成田治安法の適用を粉砕する闘いの一環として、訴えの手続きをすませ、裁判闘争の第一歩を踏み出している。
 政府・公団のなりふりかまわない悪辣無法なやり口は、十月二十二日の労農合宿所の火事をめぐる事態の中にもはっきりと示された。
 警察機動隊は、火事の知らせを聞いて消火活動に駆けつけた農民、支援に対して阻止線を張り、消火活動を妨害し、火事に乗じて合宿所の一掃を狙ったのである。それだけではなく、現場検証の翌日には、夜を徹して再建された合宿所に重機と機動隊で攻撃をしかけ、合宿所の解体と土地の強奪を策動してきた。この攻撃の際に、彼らは、小川源さんに十五針もぬう重傷を負わせたのである。
 機動隊を前面に押し出した暴力そのものの「火事場泥捧」というべき公団のやり方にこそ、二十数年来何一つ変わっていない空港建設の本質を見ることができる。
 成田治安法の適用粉砕の裁判闘争と労農合宿所再建のカンパ闘争に取り組もう。合宿所再建の闘いを成田治安法適用粉砕の闘いとして取り組んでいくことが間われている。合宿所の再建を、「労農連帯」の活動機能の回復とともになしとげていかなければならない。

 三里塚を労組の課題に

 八O年代の労働戦線の再編をめぐる攻防は、連合、全労連、全労協という新たな労働運動の構図の中で闘い抜かれることになった。
 全労協が九〇年代労働運動の闘う拠点として大きく登場するためには、労働組合が投げ捨ててきた社会的役割をどのように果たしていくことができるようになるのかが問われている。今日、自民党政府による矛盾が様々な形で吹き出し、七月の参議院選挙は自民党の過半数われの事態をつくり出した。このような情勢の中で自民党政府にとどめをさし、新たな政治状況をつくり出していくために闘い、労働組合の社会的役割を構築することが重要な課題になっている。
 戦闘的労働運動を解体する攻撃として、連合の成立、国鉄の民営化と分割、労働組台法改悪、天皇制攻撃などが一体のものとしてかけられている現在、二十三年にわたって自民党政府と不屈に対決し、闘い抜いてきた三里塚闘争の歴史的位置は大きい。
 三里塚闘争を労働組合運動の実践的な課題にしていくことを、戦闘的労働運動の合言葉にしなければならない。12・16集会に、労働組合の隊列を登場させよう。
 事業認定が失効する歴史的な日に、管制塔戦士前田道彦さんが出獄する。当日の早朝、横浜刑務所(京浜急行線上大岡駅下車特急停車駅、徒歩10分)での出迎えとともに、12・16集会を闘い抜こう。

労農合宿所再建のための緊急資金・物資カンパの訴え

 去る十月二二日、日曜、午後三時頃、三里塚現地の横堀にある労農合宿所新舘から出火。またたく間に西側の本館、旧館と燃え移り合わせて一七〇坪が消失するにいたりました。消防署と警察の実況検分では出火原因はわからず、合宿所の独自の調査でも原因のわからない「不審火」でした。怪我人が出なかったことは幸いでしたが火の回りが早く、また、急を聞き駆け付けた反対同盟・支援を讐備の兵庫県警機動隊が入り口で足止めしたため、備品の持ち出しが殆どできず、旧館一階の精米所に保管されていた二七〇俵の米も焼失、または冠水してしまいました。
 周知のように、合宿所は七七年に建設されて以来、居住管理してきた三里塚闘争に連帯する会の活動機能は言うまででもなく、反対同盟の数々の会合や行事に使われ、また、わくわくツアーや今夏のピースサイクル、子供共和国など三里塚を訪れる多くの人々の宿泊施設として利用されてきました。焼失した物資の中には寝具一六〇組をはじめ、多数の食器、衣類、井戸のポンプや、世界・日本の各地で闘う人々から送られた貴重な品々なども含まれていました。
 今度の火災は、政府・運輸省による成田治安立法=使用禁止命令に対し、取り消し訴訟軍三日に提訴したばかりの出来事でした。そして火災の直後、わたしたちは空港公団による火事場泥棒ともいうべき卑劣な土地強奪行為と闘わなければなりませんでした。合宿所の敷地は共有地で、すでに公団は大部の権利をだましとっています。公団はそれを理由に管理権を主張し、二四日には敷地から居住者を締め出して土地を奪うために合宿所に攻め入ってきたのです。反対同盟と支援は二三日の現場検証後、整地作業・資材の搬入を開始し、昼夜わかたずの突貫工事で二四日の午前五時には一棟(約二一坪)の建物を立ちあげ、公団・権力の暴力的な封鎖攻撃に身を挺して合宿所を守り抜きました。
 この際、木の根の小川源さんは機動隊のふりおろした楯で手に一五針も縫う負傷を負いました。これは、警備と称して消火・救援活動を妨害した機動隊の所業とともに、許すことのできない暴挙であります。
 政府・運輸省と空港公団、更に警察権力が一体となって農民に対し暴力的に弾圧を加え、火事場泥棒よろしく合宿所に土足で踏み込んできたこの日の暴挙は、空港建設の本質を暴露したものに他なりません。単に共有地の権利をめぐる問題であるなら、法的には民事事件であにもかかわらず警察権力を前面に押し出した強引な公団の手口こそ指弾されねはなりません。更に公団は、合宿所の再建に対して現状変更禁止の仮処分をも検討しているようです。この合宿所の果たしてきた役割からいっても、合宿所の一日も早い完全な再建は急務であります。
 一刻も早く合宿所の再建を成し遂げるために、全国のみなさんから合宿所への救援、支援を訴えます。
 三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田一代表)
 三里塚闘争連帯労農合宿所
                                                         一九八九年十一月一日

資金カンパ目標額

 総額六〇〇万円
 損害額は、米二七〇俵の他、備品関係三四六万円、建築物関係四八五万円相当

 物資カンパのお願い
☆衣作業用衣類(軍手、軍足、地下足袋)靴(安全靴、長靴を中心に)雨具、傘タオル、バスタオルなど
☆食 食器、ガスコンロ(プロパン用)換気扇、冷蔵庫、茶ダンス、炊飯器(プロパン大型歓迎)、台所用品(包丁、まな板など)、保存食など
☆住 コタツ、タンス、座り机(飯台)、椅子、座椅子、カーペット、折りたたみテーブル、洗濯機、風呂釜、浴槽、布団、毛布、シーツ、時計(壁掛け、目覚し)、扇風機、掃除機、寝袋、シート・テント
☆他 衣料品、文房具、カメラ、テープレコーダー、機械工具、大工道具、裁縫道具、ミシン、バイク(原付)、自転車、テレビ、ラジオ、ラジカセ、トランシーバー、アイロン、ヘアードライヤー
カンパの送り先
千葉県山武郡芝山町香山新田一二五ー一
三里塚闘争連帯労農合宿所
電話〇四七九(七八)〇
一〇〇
郵便振替口座
口座番号東京二-八一〇四四
加入者名三里塚闘争連帯労農合宿所
(労農台宿所作成の訴えを一部省路して転載しました)